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ひすい(比諏易)・・・翡翠のカンジ・・・斐出・・・比隋(スイ)?

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 ・・・余りにも「ムチ」なので、コンピュータをチョッと検索するだけで「知りたいコト」は次からツギと出てくる・・・「研究者のブログ」を観ていても理解出来ない「文字」も小刻みに出てきて、それは、洪水のようになって圧倒してくる・・・なんか、「ウイッキペデア(Wikipedia)の仕様」が変わって、理解出来ない「言語」を註釈としてスグサマに表示してくれるが、画面の殆んどの文字が青の着色だが「跳んで、飛んで、遁で」で、一体最初の疑問は何だったん?である・・・ボクの脳ミソには容量がないのか、元々「暗記能力」が気薄なのか、正確には記憶していないのが殆んどで、曖昧で精度がヒクイ・・・「簡単なコトバの意味」が時々理解出来なくなる・・・小学校の頃、結構、複雑な画数の漢字は憶えて書けるのだが、単純な漢字が覚えられない、と云う自分自身の脳ミソ現象・・・で、牛や羊の胃袋のように何度も同じことを反芻してしまうのだが・・・Wikipediaで、アル言葉は確かに「検索」した記憶があるのだが、その意味内容が、フム、フム、ナァ~ルホド、ワールド・・・

ーーーーー
 小月氏
 「羯族」
 および
 「羯・羯」を参照?・・・
       般若波羅蜜多心経の
      「Mantra(真言)=マントラ」
   ・・・萬(万)は「虎(彪・寅・勾)」?
   なるほど、「大伴家持(万葉集)」か
        「太安万侶(古事記)」か
        「天武天皇(壬申の乱・翼を有する虎)」か
             「韓非子(為虎添翼)」
        「膳臣巴提便(百済派遣使)」か
        「源義経(虎韜・六韜三略)」か
             「魯の太公望・呂尚」
        「弁慶(虎の尾を踏む男)」
        「虎の尾を踏む男達
         1945年(昭和20年)制作
         1952年(昭和27年)4月24日公開
         黒澤明監督(安宅・勧進帳)のパロディ」
        「武田信玄(甲斐の虎)」
        「上杉謙信(越後の虎)」
        「井伊直虎」か
        「加藤清正(虎狩)」
        「徳川義親(尾張藩主・虎狩りの殿様)」
        「吉田松蔭(寅次郎)」か
        「山下奉文(マレーの虎・囚人服で絞首刑)」か
        「ブンド(虎は死んで皮遺しBは死して・・・)」
  ・・・勾留・拘留・拘束・拘引・拘置・・・
  勾=まがる・くぎる・勾配・かぎ
    鉤(コウ)・・・「鉤」の俗字「勾」
    硬玉(本翡翠・ヒスイ)の
    硬度6.5~7
    硬度の靭性>→サファイア>ダイヤモンド>鉄
    の靭性を上回り、宝石の中では一番割れにくい石
    ↓↑
    トラえる・勾引・勾留・拘(コウ)
    勾引(かどわかす)
    勾引(コウイン)
    勾当(コウトウ)
    勾配(コウバイ)
    勾欄(コウラン)
    勾留(コウリュウ)
    勾欄(てすり)
    勾玉(まがたま)
    勾がる(まがる)
    ↓↑
  勾践(コウセン)・・・臥薪嘗胆
  勾配(コウバイ)・・・直角三角形=勾股弦の定理
                (コウコゲンのテイリ)
             C²=A² + B²・・・?
                  delta=でるた=出留多
                      (田)
           勾=まがる・とらえる・コウ
             かぎ形に曲がる
             斜めに傾く
             勾配・勾欄
             とらえる
             勾引・勾留
             勾玉 (まがたま)
       ↓↑    ↓↑  ↓↑
      「即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦
           波羅僧羯諦  菩提薩婆訶」
       ↓↑    ↓↑  ↓↑     
       「説般若波羅蜜多咒」
      「即説咒曰 掲帝掲帝 般羅掲帝
           般羅僧掲帝  菩提僧莎訶」
       ↓↑    ↓↑  ↓↑
       「股若波羅蜜多心経」
      「說股若波羅蜜多咒」
      「即說呪曰 揭諦揭諦 般羅揭諦
            般羅僧揭諦 菩提莎婆呵」
       ↓↑    ↓↑   ↓↑
       羯(カツ・去勢羊)=ギヤ=揭(ケイ・掲示)
       勾・匂・匈・句・匃
       勹+α・・・訇匌旬匑勿匆匁匐稹甸?匋匊匍匓
       ↓↑    ↓↑   ↓↑
       五胡十六国時代
       匈奴の一種族・五胡の一
       名は山西省の地名
      「羯」に居住
      「石勒」によって「後趙(319~351)」を建国
      「羯人」は
       後趙が滅んだ350年頃
       漢人の
       冉閔の大虐殺により消滅・・・
       羯=去勢された羊(ヒツジ)
       Prajñā(般若)
       pāramitā(波羅蜜多)
       hṛdaya(心)
       sūtra(経=スートラ)」
 ↓↑    ↓↑   ↓↑
 月氏から分かれて
 南山羌(青海省)に留まった
 ↓↑羌=青海省を中心に中国北西辺境一帯に
     散在したチベット系遊牧民
     漢代に西羌と呼ばれた
     五胡十六国時代に
     後秦国を建国
     南北朝で甘粛南部によった
     宕昌 (トウショウ) 羌
     鄧至 (トウシ) 羌
     が中国と関係が深かった
 ↓↑    ↓↑
   ・・・羌=¥(䒑十一)+儿
        羊+儿
        䒑+十+兀
      羌=羗=羌+ム=えびす・キョウ
        蛮族の名・異民族の名
        ああ・嘆息の声
        発語の助字
        美=羊+大(うつくしい)
        羞=羊+ノ+丑(はじる)
        養=羊+𠆢(八)+良(やしなう)
        羡=羊+次(うらやむ)
        恙=羊+心(つつがなく)・・・隋書(聖徳太子)
        躾=身+羊+大(しつける)
 ↓↑     羔=羊+灬(こひつじ)
        窯=穴+羔=器物を焼成したり
              金属やガラスを
             溶解したりする高温を出せる装置
             火室・窯室・煙突のから成る
             陶磁器の焼成の目的から
             素焼窯・本焼窯・締焼窯・釉窯
             絵付け窯
             形状からは
             穴窯・円窯・角窯・登り窯がある
 ↓↑・・・「羌」の漢字の下部は「兀(コツ)」か、
 ↓↑             「儿(ニン・ジン)」か?
 小月氏は
 その後も生き長らえ
 三国時代の記録に
 「敦煌西域の南山中(チベット高原)
  婼羌の西
  から
  葱嶺(パミール高原)までの
  数千里にわたって
  月氏の余種である
  葱茈羌
  白馬羌
  黄牛羌
  がおり
  それぞれに酋豪がいた」
 とある
 『魏書』にある
 小月氏国は
 上記の
 小月氏ではなく
 クシャーナ朝の後継王朝である
 キダーラ朝の君主
 キダーラの子が治める分国で
 都は
 富楼沙城(ペシャーワル)
 にあった
ーーーーー
 昭武九姓
 『北史・隋書・新唐書』
 に見える
 昭武九姓はいずれも
 月氏の子孫で
 月氏が
 敦煌・祁連
 にいた時代
 張掖祁連山北の
 昭武城に拠っていたことから
 中央アジアに
 西遷後
 自分たちの故地を忘れぬよう
 昭武氏を国姓とした・・・昭武氏
             武則天=則天武后は「照武」?
 ↓↑          武照=武曌(明+空)
 「月氏」という名の語源
 戦国時代にいた
 「和(倭・輪・渦・宇受)氏
  禺(隅・寓・偶・球磨・阿)氏
  牛(牝・牡・犍・宇志)氏」
 などの転写・・・???
 イラン系言語からきたとする説
 月氏は
 玉(ぎょく:ヒスイ)の
 産地(タリム盆地)を占めていたので
 玉氏が訛って月氏になった・・・
 月氏の子孫である
 クシャーナ朝の彫像に
 月のシンボルが多く見出される
 月氏が
 月を崇拝のシンボル(トーテム)
 としてい
 中国側がその意訳として
 月氏にした・・・
ーーーーー
 以下、翡翠(ヒスイ)に関するブログからの参考、参照記事としての抜粋で、部分添付です・・・勝手にゴメン・・・
 ↓↑
 「考古学上最古の
  大珠は
  山梨県の
  天神遺跡(縄文時代前期末)から出土
  最大のものは約16センチ
  富山県の
  朝日貝塚
 (縄文時代中期、JR北陸線越中宮崎駅のヒスイ海岸に近い)
  から発見
  通常は5センチから10センチほどの大きさ
  中央やや上寄りに
  孔があけられている
  初期のものは
  転石に多少手を加えただけのものが多く
  のちには
  鰹節型(細長い楕円形)に整形
  発掘された総量は二百余
  北陸・中部山岳・関東地方を中心に
  北海道から九州にいたるまで
  全国で出土
  近畿・中国・四国地方からの出土例はない
  5千年から3千年の昔
  日本列島にはすでに
  日本海側を中心とする文化圏
  と
  瀬戸内海を中心とする文化圏
  があった・・・?」
 ↓↑
 「ヒスイ製大珠に使用される原石
  鉄器のない時代に
  どのような方法で
  孔をあけることができたのか
  長い間謎
  1939年
  新潟県
  糸魚川市一帯(新潟・富山県境地方)
  で
  ヒスイ原石が産出することが確認
  孔あけについては
  研磨剤を使用する
  磨製石斧の製作技術が
  シベリアから伝わり、
  それを転用・・・
  縄文時代の人々は
  細い竹管を使って
  水晶よりも加工しにくい
  ヒスイに
  孔をあけることができた・・・」
 ↓↑
 「硬玉製大珠
  北海道~九州に至るまで
  現在全国で二百数十個が発掘
  そのなかで多いのが
  東日本で
  北陸地方・中部山岳地帯で全体の40%
  関東地方を含むと
  70%近く・・・
  時代は
  中期がもっとも多く75%
  後期が20%前後」
 ↓↑
 時代区分
 縄文中期は5~4千年前
   後期は4~3千年前
 西日本での出土が少ないのは
 縄文時代には
 北九州を除いて文明拠点がほとんどなかった・・・
 後期には文明が疲弊
 交易も衰えた・・・
 ↓↑
 縄文翡翠文明
 天然石ピアス
 磨製石斧
 を作る前史があり
 6000年ほど前
 縄文早期末葉~前期初頭
 富山湾の周辺一帯で
 滑石や蝋石という軟らかい石を使った
 けつ状耳飾りというものが造られ
 列島各地に運ばれた・・・」
 けつ状耳飾り
 直径3センチ前後
 滑石や蝋石よりも硬い
 蛇紋岩から
 けつ状耳飾りが造られた
 同じ素材を使った
 蛇紋岩製磨製石斧が
 富山・新潟県境地方の特産品で
 富山県上市町
 極楽寺遺跡からは
 1千点以上の
 けつ状耳飾りや飾玉、原石が出土
 けつ状耳飾りも磨製石斧も
 現地での需要をはるかに越える量が製作
 ↓↑
 蛇紋岩や
 ネフライトで
 磨製石斧を作っていた人たちのなかに
 海辺で拾った
 翡翠原石は
 石斧に似た形をしていた・・・
 彼らは
 翡翠に孔をあけ
 紐を通して首にかけた
 蛇紋岩と
 それに類似した
 ネフライト(軟玉翡翠)は
 緑が濃い石
 翡翠
 JR北陸線青海駅から徒歩30分
 寺地遺跡は翡翠工房跡としての遺跡
 縄文時代
 草創期(1万2千年~1万年前)
 前期(1万年~6千前)
 中期(6千年~4千年前)
 後期(4千年~3千年前)
 と大別・・・
 ↓↑
 アメノオシホミミ(天之忍穂耳命)の子
 ニニギ(瓊瓊杵尊)
 勾玉から生れた
 アメノオシホミミ(天之忍穂耳命)が
 タカギノ神(高木神・高御産巣日神)
 の娘を娶って生れた
 二柱の息子の弟のほうが
 ヒコホノニニギ(瓊瓊杵尊)で
 舞台は地上世界に・・・
 ↓↑
 天の香久山の
 賢木(さかき・榊)を根こそぎ抜き
 上の枝に
 八尺瓊勾玉の
 五百津之御統珠を取りつけ
 中ほどの枝には
 八咫(やた)鏡を飾り
 下の枝には
 楮(こうぞ)で作ったの
 白い布と
 麻から作った
 青味のある布を付けた
 お飾り
 「太御幣(ふとみてぐら)」
 を作った
 「フトミテグラ(太御幣)」
 捧げる相手への
 恭順の意を示す
 様式化された証し・・・
ーー↓↑ーー
 「卑弥呼が亡くなって
  大きな墳墓を作り
  奴婢百名を殉葬
  男王が後を継いだが
  国中が治まらず
  千人以上もが殺しあった
  卑弥呼の血筋の
  壱与(台与)を国王に選び
  国は平定
  壱与は13歳の少女
  倭国に駐在していた
  魏の高官が帰国するに際
  壱与は20名の使者をつけて彼を送らせ
  御調(みつぎ・貢)の品が
  青大勾玉2枚
  と
  白珠(真珠)5千孔
  異文雑錦(絹織物)20匹
  男女生口30人
  実年代は
  239年~248年までの
  9年間」
  ↓↑
 「青大句玉二枚」
 ↓↑
 日本産の翡翠の勾玉
 ↓↑
 日本産の翡翠(ヒスイ)を
 日本の工房で加工した
 ↓↑
 北海道の
 美々4号遺跡
 ヲフキ遺跡
 青森の
 三内丸山遺跡
 亀ヶ岡遺跡
 新潟糸魚川の
 長者ヶ原遺跡
 長野の
 離山遺跡
 などから出土
 縄文中期(BC 5,000年)頃から造られていた
 長者ヶ原遺跡の
 ヒスイ製勾玉
 とともに
 ヒスイ加工工房も見つかっている
 蛍光X線分析で
 三内丸山遺跡
 北海道南部
 で出土するヒスイが
 糸魚川産・・・・糸の魚の川
 である
 勾玉
 宝石レベルの
 ヒスイ(翡翠・硬玉)の産地
 アジアでは
 日本
 と
 ミャンマー
 に限られ
 朝鮮半島での
 出土例は
 日本より時期的に遅い
 化学組成の検査により
 朝鮮半島出土の勾玉が
 糸魚川周辺遺跡のものと
 同じ組成と判明
 倭から朝鮮半島へ伝播した
 『後漢書』
 「出白珠青玉
  (倭では真珠と青い玉が採れる)」
 と記録
 『魏志倭人伝』
 「壱与が
  魏に
  二つの青い大きな
  勾玉
  (孔青大句)・・・句=勾
  珠二枚を献上」
 と記録
 『隋書81巻・列伝46』
 「新羅と百済は
  倭を珍しい文物の多い大国と崇め
  倭へ使いを通わしている」
 と記録
 勾玉、
 翡翠(ヒスイ)製
 勾玉が
 交易品として重要な意味を持っていた・・・
 『越後国風土記』(逸文)
 「八坂丹(やさかに)は玉の名なり
  謂ふ、玉の色青し
  故、青八坂丹の玉と云う也」
 と記録
 ↓↑
 翡翠
 地球上で6億年前の石
 硬くて比重が高く半透明で
 光を当てると輝る
 玉(ぎょく)には
 硬玉(ジェダイト・Jedeite)
 軟玉(ネフライト・Nephrite)
 とがあり
 ヒスイは
 ジェード(Jade)と総称
 ↓↑
 糸魚川産のヒスイ=硬玉(本翡翠)
 ミャンマー産の軟玉(ネフライト)とは
 全く別物
 ミャンマー産は軟石で加工もしやすい
 糸魚川ヒスイは微細な結晶が絡み合って
 壊れにくく
 硬石で
 加工がしにくい
 ↓↑
 日本では
 古代縄文時代の遺跡から
 翡翠を加工した
 宝石(勾玉など)が見つかっており
 宝石の原点
 奈良時代以降
 日本ヒスイは歴史から姿を消し
 ミャンマーでしか
 翡翠は採掘できないとされ
 日本の古代ヒスイも
 大陸から
 持ち込まれたものとされてきたが
 昭和十三年頃
 新潟県
 姫川上流
 小滝川
 当たりでヒスイの原石が発見
 ↓↑ ↓↑
 「沼河比売(ぬなかわひめ・奴奈川姫)」
 ↓↑
 日本神話に登場する女神
 古事記では
 糸魚川市付近を治めていた豪族の娘
 「奴奈川姫」に
 大国主命が出雲から求婚
 その際に翡翠を贈った
 大国主命を奉った
 出雲大社の
 真名井遺跡から
 糸魚川産と見られる
 大きな勾玉が出土・・・
 ↓↑
 「渟名河(ぬなかは)の・・・天武天皇
               名は
               大海人(おおあまの)皇子
               和風諡号は
               天  渟中原 瀛  真人
              (あまのぬなはらおきのまひと)
  底なる玉
  求めて得まし玉かも
  拾ひて得まし玉かも
  惜(あたら)しき君が
  老ゆらく惜(を)しも」
 (万葉集・巻十三・三二四七・作者未詳)・・・巻十三?
 ↓↑ 
 詠まれたこの歌の
 「渟名河」は
 現在の
 「姫川」で・・・「姫」は「姬」別文字で、姬に姫を流用
         「姫」は湖畔の滸についていた
         「巨人の足跡」の意味
         「姬姓」は元々、「禹の姒姓と同祖」
         「黄帝、帝嚳」の別姓
          嚳の子孫の「后稷」が「姬」を姓とした
          后稷の子孫とされる
         「古公亶父」が「周の始祖」
          黄帝その曾孫の
         「武王」が殷を滅ぼし
          周王朝を築き、
         「姫」がその国姓となった
 その名は
 「奴奈川姫」に由来
 「底なる玉」は
 「ヒスイ(翡翠)」で
 「沼河比売」
 はヒスイを支配する
 祭祀女王・・・?
 ↓↑
 越後国
 頸城郡の
 式内社に
 沼河比売(ぬなかわひめ)
 を祀る
 奴奈川神社があり
 天津神社境内社
 奴奈川神社
 をはじめ
 新潟県
 糸魚川市内に
 論社が3社・・・
 長野県にも
 沼河比売を祭る神社
 姫の乗っていた鹿のものとされる
 馬蹄石がのこされている
 ↓↑


X+mas=「エックス(越玖珠・鉞九頭・戉樟・謁句諏)」+「磨素・真寿・満州・mass」・・・

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 ・・・トウジを書き込み、サボッていたら、十二月二十五日・・・「古事記・葦原中國の平定~邇邇藝命=ににぎミコト=瓊瓊杵尊」・・・「疑史欺詞(魏史義士)=ギシギシ=羊蹄=ヨウテイ=要綴・要諦・幼帝」・・・「ヒツジの比詰」・・・「秋田県男鹿市船川港-比詰(ひづめ)-字-大巻」?・・・「石川県鹿島郡中能登町-廿九日(ひづめ) 」・・・「雨どい=アマドイ=rain gutters=あまどい」=「海女・海人・海部・海士・阿万・阿毎(王朝)・甘・餘・贏・尼・蜑」の問い・・・「冬至」ですか・・・「トウジ=当時・当事・当字・唐事・当寺・透字・蕩児・東児・悼辞・統治・杜氏・陶磁・東寺・湯治・答辞・田路」・・・「とうじ=ドウジ・・・どおじ=度於字・説於字・怒嗚示・渡尾(尾張)事・・・同字異音・・・同音異字」・・・「冬至(winter solstice)=二十四節気の第二十二・北半球で一年のうちで最も昼(日の出~日没まで)の時間が短い・十一月中(旧暦十一月内)・現在の定気法では太陽黄経が270度の時」・・・「冬至は磨羯宮(山羊座)の始まり」・・・「磨く羯(羊の日の匃=勹+人+乚=カイ)の宮(寓・みや)」・・・「二十二(念貮・貮足弐・貮拾次)・十一(土、士の漢字構成部首)」・・・


ーーーーー
 「匃=勹(包む・ホウ・身体を丸くした形)
    +
    亾(ボウ(=亡・死者)」・・・亾=乚+人(入)
 「亡(亾)」=亠(音)+L(乙)=人(入)+L
       亠=音の略字・L=乙の変形文字
       逃げる・逃亡・失う・なくす
       死ぬ・命を落とす・戦死する
       滅びる・滅ぼす・滅亡する
       既に世を去った亡き友・亡故
       死ぬ・世を去る
       亡国・亡命・・・命=亼(集)+叩
               命=𠆢+一++叩
                 命=ミコト・みごと=尊=酋+寸
                己子賭(緒)・己語訳 酋=八酉
                 命=いのち・とうとぶ=尊
                   委の置・唐 訳部
               命=𠆢+一+口+卩
                 赤(あか)子、嬰(みどり)児
                 人の初め(誕生・出産)の時に
                 足を摑んで引き上げ
                 尻をヒッぱ叩いて啼(なか)して
                 呼吸を始動させる・・・
       㤀(わすれる)=忘
       亾(あやうし)=人+L
       包=つつむ・ヒョウ(ヘウ)・ホウ( ハウ)
         部首名、つつみがまえ
         匃=匂=包=勾
         兦=匕=己=ム=私=僕=儂=俺=自分自身
               ム=よこしま・シ
                 「ワ、ク、7」の逆字
         勹=人が体を曲げ、人が物を抱えこむ形に象る
           包容
           抱擁
           抱=手+勹+己(私=ム)・・・抱かれる私
           兦=L+入=ム・・・乙に入り込む「ム=私」
           胸=月(肉)+匈(勹凶)
             女性の乳房=胸の膨らみを
                  「棚=rack=ラック」
                   に譬(たと・比喩)えた
             rack(単数)=左右のオッパイ(複数)
           Radical Wrap
           匈奴=乳房、胸の膨らむ部族・・・アマゾネス
              女王支配下の部族
              胸=「月の匈(勹凶)」は
              ルナテック=月の不安(メンス・月経)
 曷=日+匃=カツ・死者を抱いて、その蘇ることを願うこと
       乞う・請う・ねがう・求める
       曷(請い求める・カツ・なんぞ
ーーーーー
 篆書(文)
 曷=曰(エツ・いわく・いう)+匃(もとめる・カイ)」
   匃(カツ)=死者をだいて、その蘇りを願う
   曰(エツ)→日+匃
         曷=羯→羯啼・ギャテイ?
             一喝=大きな声で言う
         「請(乞)い願う」
         「なんぞ・いずくんぞ」の助字に仮借
          新字体は下部が
         「匃→匂」となる
          なんぞ・いずくんぞ・どうして
          いつか
 α+曷=渇・葛・褐・謁・靄・藹・掲
     同音はカツ=曷・渇・葛・褐・喝・羯
           羯(ギヤ)・掲(ケイ)・歇(ケツ)  
           靄(アイ)・藹
           謁(エツ)  
 渇=カツ・かわく・渇望
   渴=氵(水)+曷
     咽が渇く水が涸れる・「渇」→「匕=亾」
     咽が渇く・涸れる・渇水・枯渇(コカツ)」
 葛=カツ・くず・かずら
   艹(艸)+曷(日勹兦)
   ツル草・つる性の植物
   くず(葛)・マメ(豆)科多年草
   根から生薬や葛粉
   繊維から布
   葛布(くずふ)・葛粉(くずこ)
   葛(かづら)・つる草
   葛藤=もつれ・からむ・もつれる・迷う
   褐=ぬのこ・カツ
     褐=衤(衣)+曷=葛(くず)
葛布(くずふ)で作った衣

  褐=ぬのこ=布の粗末な衣服・褐衣
        褐布のかたびら
        茶色・褐色
        褐炭は
        暗褐色の質のよくない石炭
 謁=まみえる・エツ・・・エツ=鉞=まさかり=戉・大斧
   ↓↑      越=越後←糸魚川←石斧→翡翠→三内丸山
                掵=はば=巾
             秋田県
             二井田
             字
             掵上←アオ石=青石(緑泥片岩)←北海道
             県道13号
   ↓↑        越後←越中・越前←竹細工
             長野県北安曇郡白馬村
             北緯36度41分
             東経137度51分
             ↓↑
             長野県松本市
             巾上
             長野市、小谷村、大町市、小川村、
             富山県黒部市、朝日町と隣接
             隣接区間はわずか200 mだが
             新潟県糸魚川市と接している
             道路はない
             新潟県との県境を通過することは不可
             富山県との県境は地形が険しく
             道路がない
             両県の最短ルートは
   ↓↑        糸魚川経由
      あおいし=青石
   ↓↑ 島根県
      鹿足郡
      吉賀町
      柿木村
      柿木
      北緯34度26分
      ヒャクダ=白谷地区の古迫橋下流付近
      ここから約150m下流で
      シダオ谷川と合流し
      そこから下流を
      アオイシと言う・・・
      地名由来不詳・・・
   ↓↑   ↓↑
   謁見
   謁=言+曷
     曷=請う・求める・し上げる
       まみえる・貴人に会う
 ↓↑拝謁
 靄=もや・アイ
 ↓↑雨+謁
   雨乞い・雨の徴候
   もや=雲気がたちこめること
      水蒸気の立ちこめ
      朝靄あさもや
      夕靄ゆうもや
      靄靄(アイアイ)
      雲やか霞みのたなびくさま
      藹=アイ
        艸(草)+謁
        草の気がたちこめる意
        草木の繁茂
        穏(おだ)やか・・・・穏=禾+爫(爪)+ヨ+心
        草木のしげるさま
        藹然(アイゼン)
        心の和(なご)み
 ↓↑     和気藹藹(ワキアイアイ)
 掲=かかげる・ケイ
 ↓↑掲載・掲示
   揭=扌(手)+曷
   高くさしあげる
 ↓↑掲揚(ケイヨウ)
 喝=しかる・カツ
   噶=口+曷=大きな声をだす
   喝・一喝(イッカツ)
   しかる(喝る)
   おどす=恫喝(ドウカツ)・恐喝
   大声をあげる
   喝采=もてはやす
   喝破=大声
      邪説を見破る
      しりぞ(退)ける
      後退
      後志(シリベシ)
      羊蹄山(ヨウテイザン)=マッカリヌプリ
      マッカリ山(真狩山)
      胆振(イブリ)国北西部
      後方羊蹄山(しりべしやま)
      北緯42度49分
      斉明五年(659年)
      阿倍比羅夫が郡領とした
      後方羊蹄(しりべし)に由来
     「後方=しりへ」
     「植物のギシギシ=漢名で羊蹄=家畜の餌」
      和名=し・シノネ
      根は皮膚薬・若芽、若葉は山菜食用
      別名「牛草(うしぐさ)」
      酸葉(すいば)に似る・・・すっかんこ?
      尻別(シリベツ)→国後(クナシリ)
 ↓↑        尻=しり=後
 歇=やむ・ケツ
 ↓↑欠(口をあける)+曷
   やむ(歇む)・やめる
   間歇(カンンケツ)
   間歇温泉
   周期的に熱湯を噴き出す温泉
   歇後(ケツゴ・後をやむ
      成語の後半の省略
 ↓↑つきる・やすむ
 蝎=虫+曷=蝎・蠍=さそり・カツ
 羯=カツ・ケツ
 羯=羊+曷
 ↓↑割(カツ・わける)に通じ?
   牡(雄)羊の去勢
   羊を飼う五胡の一
   匈奴の別種
   中国の山西省内に居住
   羯鼓(カッコ)
   雅楽の両面太鼓
   能楽や歌舞伎で使う小太鼓
   五胡の一
   羯族の鼓
   羯羊(カツヨウ)


ーー↓↑ーー
 「葦原中國の平定」
 故爾、
 天照大御藭・高御產巢日藭、
 亦問諸藭等
 「天若日子、
  久不復奏。・・・天の若(もしかして)の日の子
  ↓↑        若=艹+ナ(一丿)+口
           「艹+左」の漢字は無い?
            芉=艹+干=鳩麦・カン・カイ
            若い=わかい=和解
            若し=モシ・模試
            モシ=if
               イフ=委付・意附・移付
                  畏怖・異父・意斧
  ↓↑              言ふ・謂ふ・云ふ
  又遣曷藭
  以問
  天若日子之淹留所由。」・・・ 淹留=長く同じ場所に留まる
  ↓↑                滞留・滞在
 於是諸藭及思金藭、
 答白
 「可遣
  雉・・・きじ=記事
  名
  鳴女」・・・・「メイ・ミョウ」の女
          名の女・命の女・冥の女
 ↓↑       なきめ=なきおんな=名記音名・命助
 時、
 詔之
 「汝、
  行
  問
  天若日子狀者、
  汝所
  以使
  葦原中國者、
  言趣
  和
  其國之荒振藭等之者也、
  何至于
  八年
  不復奏。」
 ↓↑
 故爾・・・故「爾(なんじ・その・ジ・ニ)」
          何 ジ・蘇埜・字・似(邇・耳・瓊)
          邇邇芸命=ににぎミコト=瓊瓊杵尊
         「五百箇 (いほつ) の御統 (みすまる)
          の「瓊」の綸 (を) を」
          瓊=王+敻=玉+夐
              敻=はるか・とおい・ながい
                求める
                ケイ・ケン)
                夐然隔絶
            遠くへだたっているさま
            ぐるぐると見回す・見回して捜す
            琼(簡体字)・美玉・紅玉
            たま・に・ぬ・ギョウ・ギャゥ
            瓊筵(ケイエン)
            瓊瑶(ケイヨウ)
            瑶瓊(ヨウケイ)
            瓊脂(ところてん)
            瓊(に)・・・丹(に)
            瓊音(ぬ・な・と)
 ↓↑         瓊矛(ぬほこ).
 鳴女、
 自
 天降到、
 居
 天若日子之門
 湯津楓上
 而、
 言
 委曲・・・・委(禾女)の曲(よこしま・まげる)
     ・・矮小・歪曲
 如
 天藭之詔命。
 爾
 天佐具賣此(三字以音)
 聞
 此鳥言
 而、
 語
 天若日子言
 「此鳥者、
  其鳴音 甚惡。
  故、
  可射殺。」
 云進、
 卽
 天若日子、
 持天藭
 所賜
 天之波士弓(はしゆみ・ハシキュウ)
 天之加久矢(かくや・カクシ=カキュウシ)、
 射殺
 其雉。
 爾其矢、
 自
 雉胸通而、
 逆射上、
 逮坐
 天安河之河原、
 天照大御藭・高木藭之御所。
 是
 高木藭者、
 高御產巢日藭
 之別名。
 ↓↑
 故、
 高木藭、
 取
 其
 矢
 見者、
 血
 著
 其矢羽。
 於是、
 高木藭告之
 「此矢者、
  所賜
  天若日子之矢。」
 卽示諸藭等、
 詔者
 「或
  天若日子、
  不誤命、
  爲射
  惡藭
  之矢之至者、
  不中
  天若日子。
  或
  有邪心者、
  天若日子、
  於
  此矢
  麻賀禮(此三字以音)。」
 云而、取其矢、
 自
 其矢
 穴衝返下者、
 中
 天若日子
 寢朝
 床之高胸坂
 以死。
 此
 還矢・・・・・歴史の干支(環視・漢詞)?
 之
 本也。・・・・翻訳本
 亦
 其雉・・・・・記事・生地・木地
 不還、
 故
 於今
 諺曰・・・・・・・諺=言+文(亠乂)+厂(一丿)+彡
 「雉之頓使」・・・「記字・記事・生地・木地」の
 ↓↑       「遁支・豚(猪・亥)支
           遁子・遁詞・遁史
           沌示=ふさがる・くらい・おろか」
 是也。
 ↓↑
 故、
 天若日子
 之妻、
 下照比賣
 之哭聲、
 與風響到天。
 於是在天、
 天若日子
 之父、
 天津國玉藭、・・・「天津=天津川、橋」は隋王朝の宮殿
 及
 其妻子聞
 而、
 降來
 哭悲、
 乃
 於
 其處
 作
 喪屋
 而、
 河雁(かわかり・カガン)
 爲
 岐・・・・・岐=山+支(十又)
 佐理持・・・理を持って佐=イ+ナ+工=たすける
 (自岐下三字以音)、   佐佑・左右・東西
    岐佐理(キサリ)持ちが死者の食べ物を持ち
 鷺(さぎ)
 爲掃持、・・・箒持ちが葬地を掃き清め
 翠鳥(かわせみ)・・・翡翠(ヒスイ)
            翡=非+羽=カワセミの雄
            翠=羽+卒=カワセミの雌
 爲御食人、
 雀(すずめ・さざき・ジャク・ザク・Sparrow)
 ↓↑    応神天皇の第四皇子
       第十六代仁徳天皇
       大 雀命(おほ-さざきのみこと・古事記)
       大鷦鷯尊(おほ-さざきのみこと・日本書紀)
       大雀は五百城入 彦の 孫?
       大雀は五百木入日子の曾孫?
          「五百木入(いほきいり)」?
       后は
       葛城 襲津彦の女(むすめ)
       磐之媛命=石之日売命
       葛城 襲津彦=「沙至比跪(さちひこ)」?
    ・・・新羅派遣の「沙至比跪」のハナシが重なっている?
       襲津彦は「石穴」に入って自殺?(百済三書逸文)
       彦=彥(文厂彡)=ひこ・ゲン=毘古=比跪
         比+跪(足危)・・・
         比較、比喩、比肩し、ひざまずく
         比=トの一、匕(七・牝)の
         跪=足が危険=タリがアブナイ
         ヤマトタケルの「三重の蹇(あしなえ)」
         アキレスの「足の腱」=Achilles腱
         踵骨腱(ショウコツケン)=致命的な弱点、急所
         アキレス腱(Achilles' tendon
               ラテン語 tendo Achillis)
         踵骨腱=足のふくらはぎの腓腹筋
             ヒラメ筋を踵の骨にある
             踵骨隆起に付着させる腱
 ↓↑          歩行、走行、跳躍運動に必要な腱
 爲碓女、・・・碓の女・・・「大碓、小碓」の女(むすめ)
        小碓命=やまと-たける(倭 建)
 雉(きじ)
 爲哭女、・・・泣女が大声を挙げて悲嘆
 如
 此行
 定
 而、
 日
 八日夜
 八夜
 遊也。
 ↓↑
 此時、
 阿遲志貴高日子根藭
 (自阿下四字以音)・・・遲志貴高(ジシキコウ)
             字詞記考・事史記項
 到
 而、
 弔・・・弔う=とむらう=訳務等得
 天若日子
 之喪時、
 自
 天降到
 天若日子
 之父、
 亦其妻、
 皆哭云
 「我子者
  不死有祁理。・・・祁理(キリ・ケリ)?
           祁=示邑
           理=王里
 (此二字以音、下效此)。」
 「我君者
  不死坐祁理。」
 云、
 取懸
 手足
 而
 哭悲也。
 其過所以者、
 此二柱藭之容姿、
 甚能相似、
 故是以過也。
 於是
 阿遲志貴高日子根藭、
 大怒
 曰
 「我者
  愛友
  故
  弔來耳。
  何
  吾
  比
  穢死人。」
 云
 而、
 拔
 所
 御佩
 之十掬劒、
 切伏
 其
 喪屋、
 以
 足蹶
 離遣。
 此者
 在
 美濃國
 藍見河之河上、
 喪山
 之者也。
 其
 持所
 切
 大刀名、
 謂
 大量、
 亦名
 謂
 藭度劒。(度字以音)。
 故、
 阿治志貴高日子根藭者、
 忿
 而
 飛去
 之時、
 其
 伊呂妹
 高比賣命、
 思顯
 其御名、
 故
 歌曰、
 ↓↑
 阿米那流夜 淤登多那婆多能
 あまなるや おとたなばたの
 宇那賀世流 多麻能美須麻流
 うながせる たまのみすまる
 美須麻流邇 阿那陀麻波夜
 みすまるに あなだまはや
 美多邇
 みたに 
 布多和多良須 阿治志貴多迦
 ふたわたらす あじしきたか
 比古泥能迦微曾也
 ひこなのかびそや
 此歌者、夷振也。
 この歌、ヒナぶり
ーーーーー
 「邇邇藝命」・・・「瓊瓊杵尊」
 爾
 天兒屋命
 布刀玉命・・・・・「布刀玉命」
 天宇受賣命
 伊斯許理度賣命・・「伊斯許理度賣命」
 玉祖命、
 幷
 五伴虬矣支加
 而
 天降也。
 於是、
 副賜
 其
 遠岐斯(此三字以音)・・・「エンキシ」
 八尺勾璁
 鏡
 及
 草那藝劒
 亦
 常世思金藭
 手力男藭
 天石門別藭
 而、詔者
 「此之鏡者、
  專
  爲我御魂而、
  如拜吾前、
  伊都岐奉。・・・「イトシたまわれ」
  次
  思金藭者、
  取持
  前事
  爲
  政。」
 ↓↑
 此二柱藭者、
 拜祭
 佐久久斯侶、・・・「柵、釧路」?
 伊須受能宮。(自佐至能以音)。・・・「イスズノ」
 次
 登由宇氣藭、
 此者
 坐外宮
 之
 度相藭者也。
 次
 天石戸別藭、・・・・・・石の戸の別
 亦名謂
 櫛石窻藭、・・・・櫛の石の窻藭
 亦名謂
 豐石窻藭、・・・・豐の石の窻藭
 此藭者、
 御門之藭也。
 次
 手力男藭者、
 坐
 佐那那縣也。・・・「さななかけ」
 故、
 其
 天兒屋命者、
 中臣連
 等之祖。
 布刀玉命者、・・・・布刀の玉の命
 忌部首
 等之祖。
 天宇受賣命者、
 猨女君
 等之祖。
 伊斯許理度賣命者、
 作鏡連
 等之祖。
 玉祖命者、
 玉祖連
 等之祖。
 ↓↑
 故爾詔
 天津日子番能邇邇藝命
 而、
 離
 天之石位、・・・天之石位
 押分
 天之八重多那・・・「タナ」
 (此二字以音)
 雲・・・・・・・・「くも」
 而、
 伊都能知和岐知和岐弖
 イトノチチキチチキテ
 (自伊以下十字以音)、
 於
 天浮橋、
 宇岐士摩理、蘇理多多斯弖
 ウキシマリ ソリタタシテ
 (自宇以下十一字亦以音)、
 天降
 坐
 于
 竺紫日向・・・椄句詞比喩得雅
 之
 高千穗
 之
 久士布流多氣。
 クジフルタキ
 (自久以下六字以音)。
 故爾、
 天忍日命
 天津久米命、
 二人、
 取負
 天之石靫、・・・石の靫
 取佩
 頭椎之大刀、
 取持
 天之波士弓、
 手挾
 天之眞鹿兒矢、
 立
 御前
 而
 仕奉。
 ↓↑
 故其
 天忍日命此者
 大伴連
 等之祖
 天津久米命
 此者
 久米直
 等之祖也、
 於是詔之
 「此地者、
  向韓國
  眞來通、
  笠紗之御前
  而、
  朝日之直刺國、
  夕日之日照國也。
  故、
  此地
  甚吉地。」
 詔
 而、
 於
 底津
 石根宮柱・・・石の根
 布斗斯理、・・・「フトシリ」
 於
 高天原
 氷椽多迦斯理・・・「シギタカシリ」
 而
 坐也。
 ↓↑
 故爾詔
 天宇受賣命
 「此立
  御前所仕奉、
  猨田毘古大藭者、
  專所顯申之汝、
  送奉。
  亦其藭
  御名者、
  汝負仕奉。」
 是以、
 猨女君
 等、
 負
 其
 猨田毘古之男藭
 名而、
 女呼
 猨女君
 之事是也。
 ↓↑
 故
 其
 猨田毘古藭、
 坐
 阿邪訶(此三字以音)、・・・「アザカ」
 地名時、
 爲漁
 而、
 於
 比良夫貝
 (自比至夫以音)
 其手
 見咋合
 而、
 沈溺
 海鹽。
 故
 其
 沈居底
 之
 時名、
 謂
 底度久御魂
 テイトクのみたま
 (度久二字以音)、
 其海水
 之
 都夫多都
 時名、
 謂
 都夫多都御魂
 とふたと
 (自都下四字以音)、
 其
 阿和佐久
 あわさく
 時名、
 謂
 阿和佐久御魂。
 (自阿至久以音)。
 ↓↑
 於
 是
 送
 猨田毘古藭
 而
 還到、
 乃悉
 追聚
 鰭廣物
 鰭狹物
 以問言
 「汝者
  天藭御子
  仕奉耶。」
 之時、
 諸魚皆
 「仕奉。」
 白之中、
 海鼠・・・なまこ=海鼠(カイソ・あまネズミ・うみねずみ)
 不白。
 爾
 天宇受賣命、
 謂
 海鼠
 云
 「此口乎、不答之口。」
 而、
 以
 紐
 小刀
 拆
 其口、
 故、
 於今
 海鼠
 口拆也。
 是以、
 御世嶋
 之
 速贄獻之時、
 給
 猨女君
 等也。
 ↓↑
 於是、
 天津日高日子番能邇邇藝能命、
 於
 笠紗御前、
 遇
 麗美人。
 爾問
 「誰女。」
 答白之
 「大山津見藭之女、
  名
  藭阿多都比賣
  此藭名(以音)
  亦名
  謂
  木花之佐久夜毘賣。
 (此五字以音)。」
 又問
 「有
  汝之兄弟乎。」
 答白
 「我姉
  石長比賣・・・・石斧=翡翠(ヒスイ)の握り斧?
  在也。」
 爾詔
 「吾欲
  目合・・・・・・目合わせ・・・木目・石目
  汝
  奈何。」
 答白
 「僕
  不得白、
  僕
  父
  大山津見藭
  將白。」
 故
 乞
 遣
 其父
 大山津見藭
 之時、
 大歡喜
 而、
 副
 其姉
 石長比賣、
 令持
 百取
 机代之物、
 奉出。
 故爾、
 其姉者、
 因甚
 凶醜、
 見畏
 而
 返送、
 唯留
 其弟
 木花之佐久夜毘賣、
 以
 一宿
 爲婚。
 ↓↑
 爾
 大山津見藭、
 因返
 石長比賣
 而、
 大恥、
 白送言
 「我之女
  二並立奉
  由者、
  使
  石長比賣者、
  天藭御子之命、
  雖
  雨零風吹、
  恒
  如
  石
  而、
  常堅不動坐。
  亦
  使
  木花之佐久夜毘賣者、
  如
  木花之榮榮坐、
  宇氣比弖(自宇下四字以音)
  貢進。
  此
  令返
  石長比賣
  而、
  獨留
  木花之佐久夜毘賣。
  故、
  天藭御子
  之
  御壽者、
  木花之
  阿摩比能微(此五字以音)
  坐。」
  故是以至于今、
  天皇命
  等
  之
  御命
  不長也。
 ↓↑
 故後、
 木花之佐久夜毘賣、
 參出白
 「妾
  妊身、
  今臨
  產時。
  是
  天藭之御子、
  私
  不可產。
  故、請。」
 爾詔
 「佐久夜毘賣、
  一宿哉妊、
  是
  非我子、
  必
  國藭之子。」
 爾
 答白
 「吾妊之子、
  若
  國藭之子者、
  產不幸。
  若
  天藭之御子者、
  幸。」
 卽
 作
 無戸
 八尋殿、
 入
 其殿內、
 以
 土
 塗
 塞
 而、
 方產時、
 以火著
 其殿
 而
 產也。
 故、
 其火盛燒時、
 所生之子名、
 火照命
 此者
 隼人
 阿多君之祖、
 次生子名、
 火須勢理命
 (須勢理三字以音)、
 次生子御名、
 火遠理命、
 亦名、
 天津日高日子穗穗手見命。
 三柱。
ーーーーー
 ・・・

木を切り倒してモノを造りたかった・・・道具はイシで石を砕くコトから始まった

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 ・・・「イド・イト・ヒド・ヒト」・・・「日詰」、「二九日」、「ひづめ」・・・?「蹄(ひづめ・テイ)=足(あし・口ト人=クチウラナウヒト)+帝(みかど・亠〃冖巾・亠丷冖巾=オトハワハバ)」・・・「ひづめ=日(ひ・か・ニチ・ジツ)詰(言+吉・詰め込む)・比(くらべる・ヒ)詰・樋(とい・ヒ)詰・樋爪(つめ・ソウ・ショウ・手足の指のツメ・ネール=Nehru)・飛(とぶ・ヒ)詰」・・・「イだ・イぢ(じ)・イづ(ず)・イぜ・イぞ」、「ヒだ・ヒぢ(じ)・ヒづ(ず)・ヒぜ・ヒぞ」・・・
 「イド」・・・


ーーーーー
 秋田県
 男鹿市
 北緯39度52分
 東経139度51分
 ↓↑
 秋田県・・・アキタにカカル・シュウデン
 男鹿市・・・おじか・ダンロク
 船川港・・・ふねかわみなと・センセンコウ
 船川
 字・・・・・あざ・ジ
 泉台66-1・・いずみだい・センダイ
 北緯39度53分
 東経139度50分
 ↓↑


 比詰=寒風山の南西
    羽立の北
    日枝神社の東
    戸賀加茂-青砂の東・・・青の砂
   「きららか」の北東・・・記等等化・吉良等化
 ↓↑
 岩手県
 久慈市・・・籤・九字・句字
 二十八日町(にじゅうはちにちまち)
 岩手県
 久慈市
 川崎町1番1号
 北緯40度11分
 東経141度46分
 ↓↑
 「廿九日=ひづめ=日詰」・・・29日
 石川県
 鹿島郡・・・・しかじま
 中能登町・・・なかのと
 廿九日(ひづめ)
 廿九日(ひづめ)=晦日(みそか)とも書く・・・
 由来は
 樋詰の転化
 古代の
 越蘇郷・・・越蘇駅
       8世紀
       中央と地方の中継基地の駅(馬+尺)の一
       能登郡に
       越蘇(えそ)駅
       撰オ(よき)駅
       が作られた
 院内住人
 の
 馬場の
 蹄跡が多い故
 旧暦で
 大の月は30日
 小の月は29日
 が月末で
 それぞれ
 「日が詰まった日」
 「日詰」の他
 「比詰・樋詰・樋爪・飛詰」
 などの当て字があり
 いずれも「ひづめ」と読む
 ↓↑ 
 秋田県男鹿市船川港    比詰(ひづめ)
    男鹿、船川港を比較(皮革・非核)しツメル
 ↓↑
 秋田県大館市比内町独鈷  日詰(ひづめ)
    大館の比較の内の独鈷(獨古)のヒヅメ
 ↓↑
 岩手県紫波郡紫波町    日詰(ひづめ)
    紫波の紫葉(斯波・司馬・芝・標葉・榛葉・鳥羽)
              の日詰
 ↓↑
 富山県氷見市(ひみし)  日詰(ひづめ)
       大境洞窟住居に日詰
       蝦夷防備の狼煙監視所で日詰
       海をへだてた
       立山連峰の万年雪、氷の日詰
       漁り火の見張り番所の日詰
       海が干し陸地になって
       干海(ひみ)番所の日詰
 ↓↑
 富山県高岡市       樋詰(ひづめ)
    加賀藩主
    前田利長が築いた高岡城の城下町の樋詰
1609年入城
   「鳳凰鳴矣于彼高岡
   (鳳凰鳴けり彼の高き岡に)」に由来
    746年
    国司として
    大伴家持が赴任
    五年間在任
桜谷古墳・・・伊弥頭国造の大河音足尼一族の墓
    出土品
    内行花文鏡・管玉・石釧・紡錘車・青琅・金環・小玉
 ↓↑
 京都府向日市(むこうし)
       上植野町   樋爪(ひづめ)
    向日の上の植野の樋爪
    山城国
    乙訓郡に属し
    長岡京が設置
    向日市
    鶏冠井町に
    1470年(文明二年)
    日成が
    石塔を建立
    石塔寺(セキトウジ)の樋(とい)の爪(つめ)
 ↓↑
 兵庫県川辺郡猪名川町広根 飛詰(ひづめ)
    川の辺、猪の名の川の広の根、訳葉詞摘め・・・
 ↓↑
 石川県金沢市に
 「蚊爪町(かがつめまち)」の地名由来に
 「蚊爪(かがつめ)=日々詰で、日詰と同じ
月末に市がたつこと」
 「樋詰(ひづめ)=月末の29日を「ひづめ」と呼び
          定期市などを開くこと
 ↓↑
 「四十日(しとか)」、「四十物(あいもの)」
 新潟県
 南
 魚沼市
 「四十日(しとか)」
 毎月4と10の日に開市
 新潟県
 佐渡市
 相川
 「四十物町(あいものまち)」
 慶長年間
 四十物(あいもの)商人が集まって住んだ
 四十物(あいもの)=魚の塩漬け
           鮮魚と干物との間のモノ
           四十種に及び
           「四十物」という表記になった
 ↓↑
 男鹿石=江戸時代中期頃
     石川忠右衛門氏・・・・・石川
    (久保田町亀の丁出身
     佐竹家の石工大棟梁)・・石工
     男鹿石の採掘・加工・販売
     石川忠右衛門が好んで口にした
    「面白や 石にも苔の 花衣も」
     霊祭之碑が残っている・・・
 ↓↑
 新潟県
 十日町市
 ブナの美人林・・・?
 ブナ=学名Fagus crenata
    別名は
    シロブナ、ホンブナ、ソバグリ、ソバグルミ
    ソバ、 ソバノキ、コハブナ
 橅=木+無
   落葉高木
   役に立たない木として
   木偏に無でブナと読ませた・・・国字
   ソバの名があるのは
   実が蕎麦の実に似ているため
   ブナ=山毛欅・橅・椈・桕・Fagus crenata Blume
      落葉高木広葉樹
      温帯性落葉広葉樹林の構成種
      小名のcrenataは
     「円鋸歯状の」を意味

 羊蹄=ギシギシ・・・ノコギリの発明・・・

      中国語で「山毛欅」とは
      本種ではなく中国ブナの一種
     「橅(ぶな)」は日本造作の文字
     「椈=十八匊」は
      中国語でブナの意味は無く
     「檜(ひのき・桧)の意味
   鮒=魚+付→「まな+イ+寸」=ぶな=部納・分名・伏名
   ブナの古名
   蕎麦の木
   ブナの果実
   蕎麦栗
   果実にソバ(稜角の古語)がある木
   ブナは生長しながら「根から毒素を出す」
   ブナの木は重く川を流して搬出が困難で
   商取引には向かない資材で
   腐りやすい上
  「加工後に曲がって狂いやすい」性質・・・改竄文章も?
   歌才(うたさい)ブナ
   渡島半島のみに分布
   自生北限地帯
   北海道寿都郡
     黒松内町、分布の北限
   和泉葛城山ブナ林
   大阪府貝塚市蕎原
     岸和田市塔原
   比婆山のブナ純林
   広島県庄原市
     西城町
     比和町
   高さ30mほどに達する落葉高木
   樹皮は灰白色できめが細い
   地衣類(苔・蘚)などが着いて
   独特の模様
   若い枝は褐色で光沢
   葉は互生し楕円形(長さ4-9cm、幅2-4 cm)
   薄くてやや固め
   縁は波打って、
  「鋸歯」・・・「ノコギリのハ」・・・
   ↓↑
   イヌブナ Fagus japonica
   岩手県以南の本州・四国・九州に分布
   一般にブナよりも温暖で雪の少ない土地を好む
   ブナの樹皮は白く
   イヌブナの樹皮は暗褐色
   樹皮の色から
   クロブナとも
   葉序は互生
   葉の形は楕円形
   先端は尖り
   縁は針のように尖って
  「ギザギザ」
   イボ状の皮目
   イヌブナの殻斗=短い鱗片に被われる
   材質がブナより劣り「イヌブナ」となった・・・?
   葉の裏面に毛があるので「イヌ」がつく・・・?
   葉は互生
   卵状楕円形、長楕円形
   やや薄い
   裏面に
   白くて長い絹毛
   縁には
   波状鋸歯があり
   ブナと同様に
   側脈が
   鋸歯の凹部に至る
   側脈は10~14対で
   ブナの「7~11対」より多い・・・七~十一
   ブナと同様に
   イヌブナにも
   虫瘤(こぶ)が多くつく・・・
 ↓↑ ↓↑
 葛巻町(くずまきまち)
 北限のイヌブナ・町の天然記念物
 岩手県
 岩手郡
 葛巻町
 葛巻・・・・・・葛(かずら)の巻(まき)
 第16地割1番地1
 北緯40度2分
 東経141度26分
 ↓↑


 新潟県
 糸魚川市
 一の宮 一丁目2番5号
 北緯37度2分
 東経137度51分
 ↓↑
 姫(ひめ・キ)川
 暴れ川として厭われ
 「厭(いと)い川」が
 「糸魚川」の名の由来・・・?
 ↓↑   ↓↑
 翡翠=翡翠輝石+オンファス輝石?
    omphacite=オンファサイト=ケイ酸塩鉱物
    カルシウムとナトリウムを含む単斜輝石
    オンファス=未熟なブドウという意
 ↓↑ ↓↑


 翡翠=奴(ぬ)の玉・・・奴国の玉・瓊の玉?
    奴国(なこく・なのくに)・・・奴=女+又・女の右手
   「後漢書・東夷伝」
   「魏志倭人伝」
    に記録されている国、「奴国」
    大和時代の儺県(ナ or ヌのあがた)・・・?
            漢(氵+艹+口+夫)⇔難⇔儺
              水+艹+央+二
              水+艹+史+二・・・水+英+二?
              水+艹+中+人+二
            漢=氵(水)+𦰩(動物を火で炙る)
               「𦰩=火で炙るの意」
               「𦰩=火矢」
            ・・・水で炙りモノを冷やす?
            ・・・水で火矢を消す?
            ・・・水の中に火のモノを浸ける?
            ・・・焼き入れ
            高温熱の金属を急冷させる熱処理?
      漢=氵+𦰩・・・𦰩=動物の革を火で炙る・燃やす
                乾いた・渇いた
                𦰩=日照り神
                𦰩=巫祝を焼く字
         熯・暵・艱・嘆・歎・難・灘・儺
      𪅀=難=かたい・むずかしい・なやむ・なじる
          ナン・ダン・ダ
        難=𦰩+隹
     異体字は「難・難・𨿻」・・・𦰩=𡶦=山+丘
        阿毎王朝         嶽=岴=𡶦
        鷄・鶏・雞
       「隋書・卷八十一列傳第四十六 東夷 俀國」
       「阿輩雞彌(あはケイミ・おほきみ)」
      「王妻號雞彌」
        鷄・雞・鶏・・・源字は「雞=奚+隹」
       「俀国王 阿毎多利思北孤」
      漢=カン=暵・艱・漢
        タン=灘・嘆・歎
         ナ=儺
        ナン=難 
    福岡市付近に存在・・・
    西暦57年に後漢から
   「漢委奴国王」の印を贈られた・・・「委奴=イヌ」?
 邇邇藝命=ににぎミコト=瓊瓊杵尊・・・「ア+イヌ」の瓊瓊杵?
   邇=瓊
   藝=杵・・・「きね(杵=十八ノ一十)」
   ↓↑     の形は
         「尸」、「中」
         「7・7・丅・丁・十・卩・P」
         「匚+l」
      ・・・当然にも「鉞・戉・斧・大斧」の
         形体でもあるカナ・・・
         「蘇因高=小野妹子」?
   ↓↑    「斧=八+乂+斤」=葉を刈る斤?
   命=尊
ーー↓↑ーー


 ・・・???・・・翡翠の原産地の糸魚川
          姫川=ひめがわ=女川
          璧=たま=玉=霊=珠・多摩・太万
            玉+α=たま
          瓊(たま・に・ケイ)=赤玉・紅玉・珠
 「八坂(やさか)瓊の
  五百箇 (いほつ) の
  御統(みすまる)
  日本書紀・神代上訓」
 瓊=ギョウ(ギャゥ)・ケイ(ケィ)・たま・に(ぬ)
   瓊英(ケイエイ)
   水滸伝・第97回~110回まで登場
   田虎配下の女将軍・・・・・・・・田虎(伝虎=天武)
   十六歳の美少女
   石礫(つぶて・飛礫)の名手で・・通部弖(氐=氏一)
   綽名は
   瓊矢鏃(ケイシゾク)・・・・・・雞氏族?
   汾陽府介休県出身・・・・・・・・分与得符甲斐求懸?
   国舅・鄔梨(ウリ)の養女・・・・田虎の妻の兄
   父は仇申・・・・・・・・・・・・申(猨・猿)の仇
   母は宋氏の娘
   二人は
   田虎に殺された
   瓊英は
   番頭の
   葉清、安氏夫妻・・・・・・・・・葉が清い・宀の女
   によって助けられ成長
ーー↓↑ーーー
 フォッサマグナ
 (Fossa magna・大溝)
 東北日本
 と
 西南日本
 の境目の地帯
 中央地溝帯=大地溝帯
 古い地層でできた本州の中央を
 U字型の溝が南北に走り
 その溝に
 新しい地層が溜まっている地域
 本州中央部、
 中部地方から関東地方にかけての地域を
 縦断位置
 糸魚川-静岡 構造線(糸静線)
 新発田-小出 構造線
 及び
 柏 崎-千葉 構造線
 ↓↑
 フォッサマグナの
 糸静線は
 フォッサマグナの西端で
 地図の上でも
 フォッサマグナが「面」で
 糸静線は
 その一方の境界を成す「線」
ーー↓↑ーー
 富山県富山市
 新総
 曲輪 1番7号・曲輪(くるわ)
        城の内外を土塁、石垣、堀などで
        区画した区域の名称
        郭(くる わ)とも
        主要な曲輪内には
        曲輪の出入り口である
        虎口を封鎖する門
        最前線の塀
        物見や攻撃の櫓を建て
        主郭は城主の居所
        兵糧備蓄の蔵
        台所などの建造物が建てられ
        戦時、曲輪に守備兵たちが駐屯した
        曲輪=城壁や堀、自然の崖や川などで
           仕切った城館内の区画
           仕切られた堀、壁の敷地に
           遊女屋が集まっていた
           遊郭・遊里・さと
        曲=よこしま=横島・邪・冒・犯・頗・漢
 北緯36度41分
 東経137度12分
 ↓↑
 石川県金沢市
 鞍月一丁目1番地
 北緯36度35分
 東経136度37分
 ↓↑
 蹄=ひづめ=比詰=ひづめ=二九日
 「比 詰」の由来は?・・・比較して詰(言十一口・つ)めれ?
 「二九日」の由来は?・・・貮×玖=十八日?・・・拾う葉の比
 ↓↑
 地理的位置の地名比較
 ↓↑
 能登半島
    七尾ー
 大槻/
 日靈神社・・靈=霊の旧字体・レイ・リョウ
 ひめ    初めの鎮座地
       神明ヶ谷内で
       社号は
       神明社
       明治八年
       大日霊神社と改号
       神饌 幣帛料供進神社に指定
       珠洲市宝立町馬渡68-50
 大槻
 日靈神社
   \↖   七尾
  大割   /
    \↖ /
    廿九日→徳田
    /↙
  能登二宮
  羽坂
 ↓↑
 大日霊貴神社(おおひるめむちじんじゃ)
 秋田県
 鹿角市
 八幡平にある神社
 大日堂
 「孁」の代わりに
 「霊」や「霎」が用いられるコトも
 霎=雨+立+女・・・・・雨に立つ女(おんな)
 孁=雨+口口口+女・・・三ツ口はウサギ⇔月女神
 靈=雨+口口口+巫
 ↓↑
 稚日霊尊 八幡大神
 鎮座地
 金沢市
 稚日野町南1
 金沢市
 稚日野町
 由緒
 創立年月
 文正年間
 ↓↑ 文正(ブンショウ)
 ↓↑ 寛正の後、応仁の前
    1466年~1457年の期間
    後土御門天皇
    室町幕府将軍は
    足利義政
    文正の政変
   (ぶんしょうのせいへん)
    文正元年(1466年)九月六日
    室町幕府八代将軍
    足利義政の側近
    伊勢貞親
    季瓊真蘂・・・「瓊(ケイ・ニ)」???
            邇
    らが諸大名の反発で
    追放された事件・・・
   「応仁の乱」端緒
    ↓↑
    季瓊 真蘂・・・・・・理経真髄(神髄・心髄)
   (キケイシンズイ)・・・「季の瓊の真の蘂」?
    応永八年(1401年)
     ~
    文明元年八月十一日
   (1469年9月16日)
    室町時代の臨済宗の僧
    相国寺塔頭鹿苑院内の
    蔭涼軒主(蔭涼職)
    蔭涼軒真蘂とも・・・蔭の涼の軒の真蘂
    播磨の
    赤松氏の支族にあたる
    上月氏の生まれ
    父母は不明
    雲頂院の叔英宗播に師事
    永享七年(1435年)
    将軍と鹿苑院の連絡役である
    蔭涼軒主となり
 ↓↑ 将軍近侍の側近となる
 ↓↑ ↓↑  ↓↑
 ↓↑長禄の変
   長禄元年十二月二日(1457年12月18日)
   赤松氏の遺臣らが
   後南朝の行宮を襲い
   南朝の皇胤である
   自天王
   忠義王(後南朝の征夷大将軍)
   の兄弟を討って
   神璽を持ち去った事件
   嘉吉三年(1443年)九月
   禁闕の変
   三種の神器の一つ
  「神璽」
   は後南朝に持ち去られ
   嘉吉の乱で取り潰された
   守護大名赤松氏の再興を目指す
   赤松氏の遺臣達
   上月満吉
   石見太郎
   丹生谷帯刀左衛門
      四郎左衛門
   兄弟など
   落ちぶれて浪人となっており
   赤松氏再興は悲願で
   朝廷や幕府とは
   神璽を
   後南朝から取り戻すことを条件とし
   成功すれば
   赤松氏再興を約していた
   吉野(南朝)朝廷に参上し
   ともに京を奪還したい
   との申し入れに
   後南朝は赤松遺臣らを受け入れ
   康正二年(1456年)十二月二十日
   赤松遺臣らは吉野に入った
   彼らは神璽のありかをさぐり
   およそ1年の歳月を要し
   神璽は後南朝が行宮を置いていた
   奥吉野の北山(三之公)
   にあると判明
 ↓↑ ↓↑
   長禄元年(1457年)十二月二日
   子の刻(午前0時頃)
   赤松遺臣らは二手に分かれ
   南朝の皇胤である
   自天王(北山宮、一の宮とも)
   忠義王(河野宮、二の宮とも)
   の兄弟を襲撃
   丹生谷兄弟の兄によって討たれ
   神璽を強奪
   河野郷にいた
   忠義王も
   上月満吉によって討たれた
   後南朝に仕えていた
   野長瀬盛高
      盛実
   兄弟
   楠木正理
   らは
   尊雅王(南天皇)
   を擁して
   奥吉野の山中を逃走
   十津川にて討たれた
 ↓↑ ↓↑


   赤松遺臣らは
   神璽を持ち去ることに成功
   後南朝の吉野の民に襲撃を察知され
   吉野の民の反撃によって
   神璽を持っていた
   丹生谷兄弟は
   伯母谷で殺害され
   神璽は・・・・・・・勾玉
   自天王の首とともに
   奪還され
   赤松遺臣らは
   吉野から一旦引き上げた
 ↓↑ ↓↑
   翌年の長禄二年(1458年)三月末
   赤松遺臣らは
   大和の豪族
   小川弘光
   越智家栄
   の協力を得
   神璽がある自天王の母の屋敷を襲い
   再度神璽を持ち去った
   同年八月三十日
   神璽は京へと戻り
   朝廷へ返還
 ↓↑ ↓↑
   室町幕府は
   後南朝によって
   約15年間
   持ち去られていた
   神璽の奪還成功の功績を認め
   赤松氏の再興を許し
   赤松政則に家督相続
   勲功として
   加賀北半国の
   守護職
   備前新田荘
   伊勢高宮保が与えられた
   赤松氏再興と所領の付与には
   細川勝元が関与
   赤松氏を取り立てる事で
 ↓↑山名宗全に対抗・・・
 稚日霊尊 八幡大神   
 創建・・・
 昭和20年
 稚日霊社を
 稚日霊神社と改称
ーー↓↑ーー
 義圓
 還俗して
 義宣(よしのぶ)
 従五位下左馬頭に叙任
 4月14日
 従四位に昇任
 将軍宣下はなかった
 鎌倉公方
 足利持氏が将軍となるという流言が走り
 京都は不穏
 同年の
 正長元年(4月27日に改元)7月6日
 称光天皇が危篤
 義宣は密かに
 伏見宮貞成親王の皇子
 彦仁王を伏見宮御所から京都に移し
 後小松上皇に後継者を決めるよう要請
 上皇が彦仁王を後継とする意向を伝えると
 義宣は彦仁王が京都にいることを伝えた
 上皇は喜び
 20日の称光天皇崩御後に
 彦仁王は即位(後花園天皇)
 ↓↑
 正長二年(1429年)三月十五日
 義宣は
 義教(よしのり)と改名
 参議近衛中将に昇った上で
 征夷大将軍となった
 改名の理由は
 「義宣(よしのぶ)」が
 「世忍ぶ」に通じるという
 俗難(噂)
 当初は公家が協議して新たな名に
 「義敏」(よしとし)を決定
 「教」(「?」)の字の方が優れている
 と
 摂政二条持基(もちもと、二条家)
 を通じてこれを訂正
 ↓↑
 生誕 応永元年6月14日(1394年7月12日)
 死没 嘉吉元年6月24日(1441年7月12日)
 改名 春寅(幼名)→義圓(法名)
    →足利義宣→義教(義?)・・・ギシギシギシ
 別名 籤引き将軍、籤将軍、悪御所、万人恐怖
 戒名 普広院殿善山道恵禅定門
 ↓↑
 三代将軍の足利義満が大臣となって以降
 将軍は大臣を兼ねる(没後に贈官)場合が多
 京都を追われた将軍が
 七人(尊氏・義詮・義稙・義澄・義晴・義輝・義昭)
 幕府所在地以外の地で没した将軍が
 六人(義尚・義稙・義澄・義晴・義栄・義昭)
 暗殺された将軍が
 二人(義教・義輝)
 更迭された将軍が
 三人四回(尊氏・義稙が二回・義澄)
 幕府所在地に入れなかった将軍が
 一人(義栄)
 ↓↑
 代数
 十五代(15人)
 が、
 第十代(10人目)の
 足利義材(足利義稙)が
 一度将軍職を追われた後
 再び将軍職に就任(任命)
ーーーーー
 ・・・「季瓊真蘂」の「瓊」の漢字と、吉野南朝から「赤松一族郎党」が「神璽=勾玉」を掠奪・強奪・・・
 強奪(ゴウダツ)・争奪(ソウダツ)・剝奪(ハクダツ)・与奪(ヨダツ)・略奪(リャクダツ)・・・
 奪衣婆(ダツエバ)・奪回(ダッカイ)・奪還(ダッカン)・奪取(ダッシュ)・奪掠(ダツリャク)・奪略(ダツリャク)・・・
 「盗む」と云うコトの意味は・・・?・・・
 「他人の労働を盗む」って?・・・
ーーーーー
 ・・・

カラオケ文化・・・ウタイたくなる根拠は?・・・

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 ・・・暴風雪・・・ィヤァ~ッ、家が揺れていた・・・一昨日(おととい→音問い?)から、昨日(きのう→機能・帰農・帰納・喜納・気嚢?)の出来ごとだったけれど・・・物置小屋の戸を閉める鍵代わりに針金で括っていたが強風で切れ、開けられ、小屋の中は雪が舞い込んで積もってしまった・・・毎日、毎日、大雪の吹雪き・・・交通事故も多発・・・夏は兎に角、倭人、なんで、「蝦夷地」で冬を過ごそうなんて考えたんだろう?・・・黒曜石、十勝石・・・砂金が採れた・・・住むには、まだ、シベリヤよりはマシか・・・「ブナ」の北限が「歌才(うたさい)」って云う場所で北海道の「寿都郡・黒松内町・字黒松内」にあるらし・・・ムカシ、ロス(羅府)~ニューヨーク(紐育)へ、車でアメリカ横断中の友達から「ブナの妖精が飛び交う道を走っています・・・」なんて、手紙を貰ったけれど・・・「ブナ」って?・・・材木は身近な日常生活の原材料なのに当時は興味がなかった・・・
 それにしても「歌才(うたさい)ブナ」って記録されているからブナの木の「種類」かと思っていたが、ブログ検索すると「地名」・・・本当に、「北海道の地名」にはマイル(眞意留)が、ボクの興味はナゼ、その漢字を「アイヌ語」に「当て字」したんだろう?・・・ってコトに尽(盡)きるカナ・・・
 「歌才」は「和歌の才能・歌姫の歌唱力」、「歌棄」は「歌の創作を棄てる、諦める」なんかじゃぁなくて、「歌漫才」の「才能」と「才能、採納」の「委棄、遺棄」・・・
ーーーーー
 以下、ボクが理解出来る熟語って?
  ↓↑
 歌曲・歌劇・歌詞・歌謡・哀歌・演歌・凱歌
 軍歌・校歌・国歌・賛歌・聖歌・挽歌・牧歌
 詠歌・謳歌・狂歌・詩歌・唱歌・聖歌・短歌
 長歌・悲歌・連歌・和歌・歌集
 歌手・歌唱・歌舞・謳歌・高歌・放歌
 ・・・以下は、正確には判らんが字面から推測は出来るか?
 ↓↑
 歌功頌徳・歌舞音曲・歌舞優楽・緩歌縵舞・緩歌慢舞
 琴歌酒賦・撃壌之歌・高歌放吟・慷慨悲歌・高吟放歌
 詩歌管弦・四面楚歌・流行歌
 ↓↑
 歌合わせ・・・「歌才」
 歌う・・・・・「歌才」
 小倉百人一首
 歌留多=かるた=加留多=かるた=借る他・刈る田・狩る多
 ・・・北海道の「かるた会」は「トり札」が「木札」である・・・
 跳(飛・翔)んでくるから見物人は危険である・・・
 ↓↑
 歌舞伎・歌会・歌枕・詩歌・賛美歌
 引歌・臼歌・艶歌・歌意
 歌唄
 哀傷歌・愛唱歌・稲刈歌・艶書歌・応援歌
 歌い手・歌い女・歌の家・歌の道
 ↓↑
 ・・・歌舞伎=かぶき=蕪木・株樹・株木・甲木・冠木・・・
 ↓↑
 伊呂波短歌・伊呂波連歌・詠歌大概抄
 歌舞の菩薩・歌舞伎音楽・歌舞伎狂言
 歌舞伎芝居・歌舞伎若衆・歌舞伎草子
 歌沢大和大掾・歌舞伎十八番
 歌舞伎浄瑠璃・傾城歌三味線
 古今和歌六帖・後拾遺和歌集
 孝女白菊の歌・新古今和歌集
 新後撰和歌集
ーーーーー
 北海道の「歌・唄」のつく地名
 歌島
 歌棄
 歌才
 歌登
 歌越
 歌志内
 美唄
 歌神
 上歌
 原歌
 歌露
 三石歌笛
 宮歌
 歌内
 ↓↑
 新潟県
 糸魚川市
 歌(うた)・・・隋書の「利歌彌多弗利」
             リカミタフリ
ーーーーー
 橅=木+無
 ↓↑
 ブナ・・・附名
   ・・・鮒=魚+イ+寸
      船=舟(月)+八+口
 山毛欅・・けやき=欅・槁・槻
 橅=十+八+無
 椈=十+八+匊(勹米)・・・匊(すくう)
 桕=十+八+臼・・・・・・・臼=うす=碓・有珠・宇受
 樻=十+八+中+一+目+八・・貴人=きじん=奇人・鬼人・楊貴妃
ーー↓↑ーー
 北海道
 寿都(すっつ)郡・・・・後志=しりべし
 黒松内町
 字
 黒松内 302-1
 北緯42度40分
 東経140度18分
 アイヌ語の
 「黒松内=クル マッ ナイ
      和人の女性の・沢」
 に由来
 当時の現地では
 アイヌには
 和人の女性が珍しかった
 ↓↑
 昔出稼ぎにきた漁夫を追ってきた
 女性を乗せた船が難破し
 そのままこの
  クルマッナイ
 (黒 松 内)
 の地に
 滞留し、当て字を
 「黒松内」とした・・・
 ↓↑
 黒松内村の起源となる
 他の地区
 「熱郛(ねっぷ)村」・・・郛=孚+阝=くるわ・フ・廓・郭
                爫(爪)+子(孑)+邑
                くるわ・城の周りの囲い
                土塁や石垣などで造られる
 明治二十四年(1891 年)
 「歌棄(うたすつ)」
     1906年(明治三十九年)四月一日
     歌棄郡(うたすつぐん)の
     潮路村
     有戸村
     種前村
     美谷村
     が合併し、
    「歌棄村」が発足
 の住人である
 横村儀兵衛外
 16 人が
 「歌棄-共同農業組合」を設立し
 道庁に土地の払い下げを請願
 同二十七年(1894年)に許可をもらい開墾
 湯別村中ノ川地区も
 明治二十二年(1889年)頃
 滝沢千代吉
 を先達とした
 「青壮年一団(新潟県)」が・・・新潟
 第一次入植者として開墾
 黒松内村は
 明治六年(1873年)
 黒松内市街地
 同三十一年(1898年)
 字
 中里以東の地方と
 二度にわたる所属替えを経て
 黒松内村として成立
 明治三十年(1898年)頃
 函樽鉄道株式会社(北海道鉄道株式会社)の
 函館~小樽間の主要駅とし
 鉄道の町として
 昭和六年(1931年)
 金鉱脈の発見により
 鉱山を
 「大榮鉱山」
 と命名し
 鉱山の町として栄えた
 昭和三十年(1955年)
 旧黒松内村
 旧熱郛村
 旧樽岸村の中ノ川地区との
 合併により
 「三和(みわ)村」となり
 同三十四年一月(1959年)
 町制施行で
 「三和町」に
 五月には
 「黒松内町」と名をかえた
 ↓↑
 熱郛(ねっぷ)・・・音威子府(オトイネップ)村
 ↓↑        アイヌ語(濁った  川)
           旧称は常盤村
           1963年改称・・・何故?
           音の威嚇は孑(ぼうふら)
                子(ねずみ・北)
                府=广+イ+寸
 ↓↑        オトイネップ=乎(嗚)問いネップ?
 ↓↑        Novaya ekonomicheskaya politikaの略称
 ↓↑        新経済政策=ソ連邦1920年代の経済政策?
 後志国・・・1910年(明治四十三年)三月一日
       小樽支庁、岩内支庁、寿都支庁
       室蘭支庁虻田郡の
       真狩村
       狩太村
       を統合し
       後志支庁を倶知安村に設置
 寿都(すっつ)郡
 黒松内町
 開駅
 明治三十六年十一月三日
 (北海道鉄道)
 はじめ
 「熱郛(ねっぷ)」
 といい
 明治三十七年十月十五日
 「歌棄(うたすつ)」
 と改称
 明治三十九年十二月十五日
 もとの
 「熱郛」
 に改めた
 アイヌ語の
 「クンネ・ネッ・ペッ」
 (黒い  標木の 川)
 アイヌ語の
 「オタ・シュツ」
 「歌  棄」
 は
 「浜の草原がつきて
  砂原にかかるあたり」
 から出た
 ↓↑
 歌才(うたさい)=u-tasa-i
   「互いに・向かう・もの」
 では、「歌才(和歌の才能)」の漢字の意味は
 ・・・和歌の才能、歌留多(加留多)、対戦競技の試合?・・・
 ↓↑
 「上りエナヲ峠
 (昔し山越内・アブタ〔虻田〕の境也)
  土人(アイヌ)等
  エナヲ(木幣)
  ↓↑  ・・・稚内・抜海村
        「バッカイ石と云うもの有。
         大なる丸き石の上に
         また三位ぐらいの丸石有。
         ここに七五三(しめ)をはり、
         エナヲ(木幣)立て、
  ↓↑     華表等を立、まつる也(松浦武四郎)」
  を立し跡有。
  しばし
  過(六七丁)境柱(今此所を界とす)。
  是より下り
  木立原。
  右にスツヽベツ、
  左黑松内川を眺々下りて
  風栗の木臺、
  是、
  ぶな多が故號く。
  後ろ
  ウタサイ(丸山)と云山有。
 (松浦武四郎・著
  吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」
  時事通信社 p.40)
  またしばし過て
  ウタサイ・・・・歌才
  右小川。
  其名義は
  両方より
  岬、互に合て
  川が曲り重り有りと云事のよし也」
 ↓↑
 黒松内町で
 ブナを貴重な財産ととらえ、
 木偏に貴と書く
 「樻」という漢字を使用
 ↓↑
 胆振国(いぶりのくに)
 大宝律令の国郡里制を踏襲し
 戊辰戦争(箱館戦争)終結直後に制定
 五畿八道のうち北海道 (令制)に含まれた
 制定当初は
 膽振國とも表記
 国名の由来
 斉明天皇の
 阿倍臣が
 胆振鉏(いぶりさえ)・・・
 ↓↑     鉏=金+且=犂・鋤・耒・耜=すき
          身に添えて持つ小刀・さえ
    ・・・「鉏」は「斧・鉞・戉」の形状のモノ
    石器時代、縄文時代なら「石斧」・・・?
    弥生時代、古墳時代も「石器」の需要はあった?
    刃物類は金属になったが装飾品の玉の需要はあった・・・
    ・・・「ソゴ=齟齬・鉏鋙=ソゴ」・・・
    物事がうまくかみ合わないこと
    食い違うこと・ゆきちがい
 ↓↑ ずれ・食い違い・行き違い(ゆきちがい)
    大倭日子鉏友命=懿徳天皇
         ・・・懿=壹+次+心・・・壹與のツギの心
   (オオヤマトヒコスキトモノミコト)
    安寧天皇(三代)の子
    大倭日子鉏友命(古事記)
    大日本彦耜友天皇(日本書紀)
   (オオヤマトヒコスキトモノスメラミコト)
    宮は軽の曲峽宮(マガリオノミヤ)
    陵は畝火山(ウネビヤマ)の
   「真名子(まなこ)谷」の近く(古事記)
   「畝 傍山 南   纎 沙 谿  上  陵
   (ウネビヤマミナミのマナゴのタニのカミのミササギ)
   (日本書紀)
   ↓↑
   まなこ
   真名子・真奈子・真那子・摩耶子
   眼(まなこ)・愛子・真子=まさご=真砂・眞砂
   眞名語=漢字文・漢語文・・・眞魚=弘法大師・空海
   まな-こ
   ↓↑まな⇔なま・・・「ま」と「な」の逆配置 
   なま-こ
   海鼠(カイソ)=なまこ=海参(ハイシェン)
      加工は海参 (いりこ) ・海鼠腸 (このわた)
     =sea cucumber(海胡瓜)・・・カイ究理(窮理)
   海鼠透=宮本武蔵創案とされる
       大振り楕円形の透し模様を
 ↓↑    左右対称に配した鐔(つば・鍔)
 の
 蝦夷(えみし)
 を饗応した故事
 ↓↑ ↓↑
 犬(いぬ)=セタ・シェダ・セッタ・ヘダ
 里言葉で「犬の肉(にく・ジク)」のこと
 アイヌ語で
 犬=セタ・シェタ
 ↓↑ ↓↑
ーーーーー
 ・・・ヒトはウタウ、自然はウナル・・・

虎の威をかる・・・トラメイシ・・・山梨の地名・・・

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・・・来年は「戊戌(ボジュツ)」の年で、「土(つち)の兄(え)の犬(いぬ)」の年・・・「イヌドシ・ケンネン」・・・「狗年=クネン・いぬどし」・・・「獒=土+方+攵+犬=おおいぬ・いぬ・ゴウ・マスチフ犬」の年?・・・「チベット犬=狗四尺、為獒=「蔵獒(藏獒・zang-ao=ザンアオ)=獒(ao・アオ)=大きな猛犬=チベタン・マスティフ(Tibetan Mastiff)・(チベット語=西蔵)でドーキー」・・・「獒=人の心の如く使うべき大型の猟犬」・・・番犬、闘犬・・・
 「体高66cm、体重64~82kg。主人への忠誠心が強く、外敵に対しては勇敢に戦う犬種である。そのため番犬、護衛犬、猟犬に優れている」
 「本種の外見上、特に首周りの毛の特徴から「獅子型」と「虎型」にタイプが分けられ、「獅子型」はさらに毛の長い「大獅子頭型」と短い「小獅子頭型」に分けられる。
 毛の色からは、主に黒色、赤毛、金黒、灰、白、黄から構成されており、
 尾の毛は長く巻いているため、
 中国ではその部位を
 キク(菊)の花に例えられている」・・・尻尾が長く巻いてキク・・・
 「チンギス・ハーン(ジンギスカン=成吉思汗・1162年5月31日~1227年8月25日)は3万匹のチベタン・マスティフ軍団を引き連れて西征」・・・
 1162生年 壬午(丙・ ・丁) 丁亥(戊・甲・壬)
 0005生月 乙巳(戊・庚・丙) 戊申(己・壬・庚)
 0031生日 乙亥(戊・甲・壬)G 壬午(丙・ ・丁)
壬午(丙・ ・丁)U 己丑
      申酉=空亡
 ↓↑
 「アフガン(Afghan Mastiff)は部族間で揉め事が起こったときに決着をつけるために闘犬として使われる」・・・
 「ジャパニーズ・マスティフ=土佐犬」・・・
ーーーーー
 斉明天皇の
 阿倍臣(阿倍比羅夫)が
 胆振鉏(いぶりさえ)・・・
 ↓↑     鉏=金+且=犂・鋤・耒・耜=すき
          身に添えて持つ小刀・さえ
    ・・・「鉏」は「斧・鉞・戉」の形状のモノ
    石器時代、縄文時代なら「石斧」・・・?
    弥生時代、古墳時代も「石器」の需要はあった?
    刃物類は金属になったが装飾品の玉の需要はあった・・・
    ・・・「ソゴ=齟齬・鉏=ソゴ」・・・
    物事がうまくかみ合わないこと
 ↓↑ 食い違うこと・ゆきちがい
 蝦夷(えみし)
   ・・・アイヌ?・・・「阿・委・奴」?
   「胆振鉏(いぶりさえ)」は
    阿倍(阿毎王朝)に委ねる奴?
   「夷振り=ヒナぶり」は
    アイヌの歌謡舞踏だろう・・・
    味 耜 高 彦 根 神・・・耜=鉏
    あじすきたかひこねのかみ
    阿遅志貴高 日子根 神・・・志し遅れる
    あぢしきたかひこねのかみ
    阿知詞記多寡比古音之漢?
    山口市阿知須(あじす)幾?
    漢直の祖、「阿知使主」・・・?
    応神二十年
    子の
    都加使主
    党類十七県の民を率いて来朝
    三十七年に縫工を求めて
    漢人系渡来人
    東漢氏の祖
    阿智使主=阿知王=阿知吉師
    機織りを伝えた
    東漢氏(やまとのあやのうじ)
    倭   漢  得字
    東=倭・・・大陸、半島からの東が倭
    東漢=トウカン・・・問う漢字?
 ↓↑ ↓↑
    応神三十七年
    縫工を求め
    子の
    都加使主とともに
    呉につかわされ
    工女の
    兄媛(えひめ)
    弟媛(おとひめ)
    呉織(くれはとり)
    穴織(あなはとり)
    四人を連れ
    応神四十一年帰朝
    畿内への途中
    筑紫の
    胸形大神に
    兄媛を献じ
    ほかの
    三人を
    オオササキのミコト
   (仁徳天皇)に献上
    履中天皇即位に際し
    住吉仲皇子の反乱で
    平群氏
    物部氏
    とともに
    履中天皇を
    河内から大和に逃がして守護
    これにより
    王仁とともに内蔵の出納を司った
   「阿知吉師(あちきし)=阿直岐」・・・古事記
   「坂上氏」の伝承で
    阿知使主は後漢の
    霊帝の曾孫
    後漢の滅亡に際して
    朝鮮の帯方に移住
    七姓の民とともに
    倭に渡来
    阿知使主は
    応神天皇に奏し
   「旧居帯方の人民男女はみな
    才芸があるが
    最近は百済と高句麗の間にあって
    去就に困っているため
    これを呼び寄せたい」
   と進言、使者を派遣し
 ↓↑織工の民を勧誘帰化させた
 ↓↑ ↓↑
 アイヌの
 「胆振鉏(いぶりさえ)」・・・胆=肉+日+一=きも
 ↓↑             振=扌+辰  =ふる
 ↓↑             鉏=金+且  =すき
 を饗応した故事・・・
 ↓↑ ↓↑
 犬(いぬ)=セタ・シェダ・セッタ・ヘダ
 里言葉で「犬の肉(にく・ジク)」のこと
 アイヌ語で
 犬=セタ・シェタ
ーー↓↑ーー↓↑ーー
 「戌(いぬ・ジュツ)=ト+戈=滅(ほろぶ・メツ)」
          戌=厂+-+乂(乄)+丶=犬=狗
          犬=一+人+丶(灯火・主人)
          狗=犭+句(勹口)
    草木が枯れる?
   「戌」が「滅」とは思えない・・・果実を刈り取る
                   収穫=シュウカク=収獲
   「戌」は実が「成」る、「成熟の秋・穐」・・・
    ↓↑
   「戌(ジュツ)」に 
    動物の犬が割り当てられた
    Dog(ドッグ)
    十二支の中で第11(十一・壱拾壱)番目
    戌月=旧暦九月(新暦十月)
    戌の刻=午後八時・7~9時の2時間
眞西から北へ30度の方角
    戌の方は西北西・北基準右廻り300°の方角
    数の百
    古本商の符牒語
    同商の仲間で
    十二支の中
    子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉
    を一より十までの数に配し
    戌=百
    亥=千
    の数に配して符牒とする・・・古本屋の用語?
「戌亥子丑寅(いぬいねうしとら)」の呪文
    イヌに追われたり囲まれたりしたとき
    この呪文を唱えつつ5本の指を折ると
    イヌが退散する・・・?
    ・・・次の「卯」が
      「支合の丁(火の弟・日の徒)」になる?
         「兎(うさぎ)」は犬よりも速い?
    「亥子丑寅卯(いねうしとらう)」の呪文なら
    ・・・次の「辰」は
         「冲、衝」で「戊(土の兄)」になる?
         「戌の牙(-)」が抜けて「戊(ボ)」
 類字=戉(まさかり・エツ)
    戊(つちのえ・ボ)
    戍(まもる・ジュ・シュ)
    成(なる・セイ)
 シリウス(Sirius)=大犬座で最も明るい恒星
           青星=天狼星・・・
           シリウスBとシリウスAの連星
         「支離有珠=シリウス=尻臼・後碓」?
          取石鹿文=熊襲=熊曾=球磨囎唹
          とり-いし-しか-あや(ふみ)
          シュセキロクブン
          イワを取ってフミを録す
          曰  問って文を訶(しか・詞化)訳素
          ↓↑ 訶=叱る・責める・大声で怒鳴る
          ↓↑   咎める・非難する
          ↓↑ 訶に摩がつくと
          ↓↑摩訶般若波羅蜜多心経⇔摩訶=偉大な?
          取石鹿文(トロシカヤ)?
          とらいししかあや
          虎威遺志史化文(彪)
          ↓↑
          熊襲=川上梟首(タケル)
          クマソタケル(熊襲建=川上梟帥)
          を殺したのは
          小碓命=倭男具那
 ・・・「熊襲の頭は渠師者(イサオ)
     二人存在、その下に小集団の頭たる梟師(タケル)
     渠師者(イサオ)の娘に贈り物をし手なずけ
     娘に、父に酒で酔わせ、弓の弦を切り、殺害
     ヤマトタケルは美濃国の弟彦(オトヒコ)も
     敵を酔わせて殺害」・・・
ーー↓↑ーー
 「アイヌ語辞典」から
  ↓↑
 セタ=アイヌ語で犬(いぬ)
    アイヌの飼育した犬の犬種をセタと呼ぶ
    北海道犬
    アイヌ犬
    マタギなどの集団でも犬の意味
    スペイン語のアルファベットの最後の文字Z
    英語のZに相当
    読みはzeta
    Z=乙(オツ・イツ)=乚=L
ーー↓↑ーー
 「seta」=動・植・哺乳類や無脊椎動物の
      剛毛(bristle)
      刺毛・とげ (状部[器官])
      サク柄(さくえ)
      印欧語根 sai=束ねる・縛ること
ーー↓↑ーー
 石狩国上川郡に
 (Seta-un-nay
  セタ・ウン・ナイ
  イヌ・いる・沢
 という地名
 「セタ」ハ犬ニアラズ
 「ウオーセカムイ=狼」ヲ云フ
 「狼ノ子ヲ生ミシ処」
 オオカミ=horkew(ホロケウ)
      onrupus-kamuy オンルプシカムイ
狩をする-神
 wose-kamuy=ウォセカムイ
wo(イヌ、オオカミの吠え聲(ごえ)
 wo-se(ウォーとほえる)kamuy(神)
 石狩国上川郡
 Seta-un-nay
 「セタ・ウン・ナイ」
  イヌ・いる・沢 
 北見国紋別郡に
 「オオセウシ=Woseusi
  ウォーとほえる所)という地名
 「狼多キ処」
 「狼出デ夥シク鹿ヲ食ヒシ処ナリシガ
  今ヤ鹿尽キテ狼モ亦ナシ」
 wose-kamuy
 と
 horkew
 とはちがう
 「wose-kamuy」は「オオカミ」ではなくて
 「ヤマイヌだ」
 と主張する老人たちが、白老や幌別には多い
 北海道には
 オオカミのほかにヤマイヌもいた
 野生化した犬をアイヌは
 「kimuy-set=山のイヌ=kim(山)un(にいる)seta(犬)」
 飼い犬と区別していた
 wose-kamuy
 kimuy-seta
 をもさした・・・
 poyop(ポヨプ)
 「ポヨプ(狼)」
 日高国静内郡
 「ポヨプ」という地名
 オオカミの意味
 「ホヨプ」ハ「凶害ヲナス」
 nupuripaunkur=ヌプリパウンクル
 nupuri(山)pa(かみて)un(にいる)kur(神)
 山のかみてに住む神
 オオカミの神としての名
 nupuripakorkamuy=ヌプリパコロカムイ
 nupuri(山)pa(かみて)kor(支配する)kamuy(神)
 オオカミの神としての名
 犬=セタ=狗=いぬ=戌
ーー↓↑ーー
 瀬田(せた)=勢多(せた)
 ・・・瀬=氵(水)+束+頁=荑=氵(水)+褚(束刀貝)
    荑=氵(水)+束+負(刀貝)
      河川の中で流れが速く水深が浅い場所
      はやせ・水が激しく流れる場所・急流
      せ・あさせ
      川の中で、立ち歩けるほどに浅い場所
    田=原義は狩場・猟場・漁場
      水田、田圃のタンボではなかった
 ↓↑
 地名・河川
 瀬田川=淀川の滋賀県内における呼称
 瀬田の唐橋=瀬田川にかかり
       大津市
       石山地区と瀬田地区を結ぶ橋
 瀬田駅
 滋賀県大津市・東海道本線(琵琶湖線)の駅
 瀬田駅
 熊本県菊池郡大津町
 ↓↑
 瀬田・玉川「瀬田」
 「瀬戸」がなまった
 「瀬戸」とは狭小な海峡という字義?
 「瀬田」は「狭田(さた)」という意味?
 ↓↑
 中津川市
 田瀬(たせ)=田んぼのある川の瀬ではない
        ここを流れる
        付知川は田瀬のすぐ上流で
        狭い谷を刻んでいる
        その谷平野の地名が
       「芝ヶ瀬(しばがせ)」
 ↓↑
 世田谷(せたがや)
 平安時代の文献にも見える名
 この近辺は往時
 勢田郷という村落
 勢田のうちの谷地であった
 江戸期
 世田ヶ谷村として成立
 明治二十二年(1889)
 周辺の7つの村と合併し
 世田ヶ谷村の大字となり
 昭和七年(1937)
 世田谷区成立の際に
 世田谷と「ヶ」が省かれた
 その際に
 羽根木町を
 昭和三十九年(1964)
 住居表示の際に
 梅丘、桜丘、豪徳寺などを
 分離・町域変更
 ↓↑
 九州・熊本に大津「おおづ」
 近くに「瀬田」がある
 大津の瀬田が由来
 殿様が元居た「大津」を懐かしがって付けた・・・
 芭蕉、木曾義仲、明智光秀、今井兼平
 などの墓・・・
 芭蕉は大津市の国分山からの眺望を絶賛
 庵を結んだ
 石山の奥
 岩間の国に山有り
 国分山といふ
 清陰翠微(せいいんすいび)の佳境
 いと、めでたき眺望になむはべれば
 元禄三卯月の始、暫く訪ね入りて、
 「先ずたのむ 椎の木もあり 夏木立」
 芭蕉の墓は義仲の墓の隣にある・・・
 ↓↑
 瀬田掃部(かもん)・・・化文・日分・掛問?
 桃山時代の武士・茶人
 名は正忠、伊繁
 小田原北条氏
 豊臣秀吉
 に仕え
 近江国
 瀬田を本貫地とした
 千利休に茶の湯を学び
 利休七哲の一人
 大ぶりの
 平高麗茶碗
 や
 掃部形
 と呼ばれる
 「茶杓」を愛用・・・柄杓・北斗七星(小熊座)
   形状⇔斧・戉・鍬・鋤(犂・耒・耜・鉏)・杵
      杵=木(十八)+午(ノ-十)=きね=姫音=記音
 瀬田正忠(せた まさただ)
 通称は清右衛門
 名は伊繁(これ しげ)
 利休七哲の一
 官位は「掃部(かもん)・掃除係」
 高山右近の推挙により豊臣秀吉に仕え
 天正十二年(1584年)
 「小牧・長久手の戦い」に従軍
 天文十七年(1548年)頃生まれ
 文禄四年(1595年)死没
ーー↓↑ーー
 犬(いぬ)
 ↓↑
 英 ドッグ  dog
 独 フント  Hund
 仏 シアン  chien
 仏 シャン  chien
 仏 シィアン chien
 伊 カーネ  cane
 西 ペロ   perro
 西 ペルロ  perro
 西 ペーロ  perro
 西 ペロォ  perro
 羅 カニス  canis
 希 キュオーン
 露 サバーカ     собака
 オランダ語 ホント  HOND
 ポーランド語 ピェス pies
 中 コウ 狗
 マレー語 アヌジン  anjing
 スワヒリ語 ムブワ  mbwa
 ヘブライ語 ケレヴ  
 デンマーク語 フンン hund (dは無声音)
 ノルウェー語 フン  fund
 ルーマニア語 クイネ câine
 ルーマニア語 クイニ câini (複数形)
 トルコ語 キョペキ  köpek
 クメール語 チュカェ 
 カタルーニャ語 ゴス gos
 チェコ語 ペス    pes
 エストニア語 コエル koer
 チュニジア語 カルブ
 ペルシア語 サグ
 ヒンディー語 クッター
 ヘブライ語 ケレヴ
 スウェーデン語 フンド hund
 モンゴル語 ホノィ   нохой
 ルーマニア語 クイネ  câine
 シンハラ語 バッラー
 ネパール語 ククル
ーーーーー
 ・・・

知別途・・・地別訳・・・

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・・・2017/12/31・・・「壬辰日」・・・
ーーーーー
 2018年 丁酉(庚・ ・辛)
 0001月 壬子(壬・ ・癸)
 0001日 癸巳(戊・庚・丙)午未=空亡
 0001時 壬子(壬・ ・癸)
 まだ、二月の節分前まで「酉年」・・・
ーーーーー
 大西蔵区・大蔵区?・・・ナゼ、「西の蔵」なんだか?
ーー↓↑ーー
 西蔵(西藏)犬=いぬ=獒
 ↓↑
 チベット
 周辺諸国が古くから用いて来た呼称
 「tubat(モンゴル語・満州語)」
 「tbt(アラビア語)」
 等に由来
 チベット人自身は
 「プー (bod)(チベット語)」
 と称する
 日本語の「チベット」は
 英語「Tibet」経由で
 明治期に成立した呼称
 ↓↑
 チベット全域をさす
漢字表記による総称は
 清代
 土伯特(ドハクトク)
 唐古特(とうことく・タングート)
 等がある
 7世紀なかば
 チベットの古代王朝が
 上記の領域を統合した建国時
 中国人(隋)はこの国を
 「蕃(バン)・吐蕃(トッバン)・大蕃(ダイバン)」
 等と表記し呼んだ
 842年
 王朝は崩壊
 清朝の
 康煕年間(1720年代)ごろまで
 この領域全体の地域呼称を
 「吐蕃」という呼称で総称
 ↓↑
 チベットを示す
 「西蔵」は
 中国大陸で
 1725年ごろから
 中央チベットと
 その周辺だけの地域呼称として使用
 現在も中華人民共和国政府は
 アムド
 や
 カム
 を含む
 チベット全域の総称ではない
 ↓↑
 清朝の雍正帝は
 1723~24年
 グシ・ハン王朝(1642年~1724年)を征服
 彼らがチベット各地の
 諸侯や直轄地に有していた支配権をすべて接収
 タンラ山脈
 と
 ディチュ河
 を結ぶ線より南側に位置する地域は
 ガンデンポタンの統治下に所属
 この線より北側の地域は
 青海地方を設けて
 西寧に駐在する
 西寧弁事大臣に管轄させた
 残る各地の諸侯は
 隣接する
 陝西(分離して甘粛)
 四川
 雲南
 などの
 「中国内地」の各省に分属させた
 ↓↑
 「西蔵」という地域呼称は
 康煕時代から
 ↓↑ ・・・康煕帝=聖祖
    順治十一年三月十八日
    (1654年5月4日)
          ~
          康熙六十一年十一月十三日
                 (1722年12月20日)
    1654生年 甲午(丙・ ・丁)壬寅(己・丙・甲)
    0005生月 戊辰(乙・癸・戊)壬子(壬・ ・癸)
    0004生日 戊申(己・壬・庚)甲午(丙・ ・丁)
    寅卯=空亡
    姓・諱
    愛新覚羅玄菀
   (アイシンギョロ・ヒョワンエ)
    清の第四代皇帝(在位1661~1722年)
    合天弘運文武
    睿哲恭倹寛裕
    孝敬誠信功徳
    大成仁皇帝(略して仁皇帝)
    三藩の乱を平定
    台湾・ ジュンガル・チベットを制圧
    ロシアとの国境策定
 ↓↑ 清朝の領土を拡大
    康熙字典=清代の字書・十二集四十二巻
    康熙帝の勅命 により
    張玉書
    陳廷敬
    らが編纂・1716年刊
   「説文解字・玉篇・字彙・正字通」など
    歴代の「字書」を集大成した
    四万七千余の漢字を
    楷書部首、画数順に配列し
    字音・字義・用例を示し
 ↓↑ 以後の「字書」の範となる
 ↓↑
 西蔵(チベット)は
 中国文献に登場
 これ以降
 チベットのうち
 ガンデンポタンの管轄下にある範囲が
 西蔵と称される
 清朝滅亡後
 チベットはモンゴルと歩調をあわせ
 国際社会に
 「独立国家としての承認」を求め
 チベットの全域を
 ガンデンポタンのもとに統合すべく
 中華民国との間で武力衝突
 中華民国は
 中国人が多く住む
 諸民族の雑居地帯
 河西回廊の南部と
 青海地方をあわせて
 青海省を樹立
 青海地方も
 「内地」という位置づけ
 中華民国の歴代政権は
 「西蔵」の部分のみを
 「Tibet(チベット)」
 とし、その他の各地は
 「内地=中国本土」に属するとした
 ↓↑
 中華人民共和国も
 「西蔵」の部分のみを
 「Tibet(チベット)」とし
 その他の各地は
 「内地=中国の本土」に属する
 を踏襲
 1960年に発足した
 「チベット自治区」は
 「西藏」部分のみを
 管轄領域
 ↓↑
 日本では
 明治期から昭和中期にかけ
 中華民国や中国国外の華僑等の間では
 近年、「Tibet」の訳語として
 「西蔵」を用いている
 ↓↑
 日本
 明治期に
 英語「Tibet」に由来する
 「チベット」という呼称が一般的
 漢字表記には
 「西蔵」が採用
 「西藏・西蔵」
 中国では
 チベット民族居住地域に対する通常の呼称として
 「蔵区」
 「蔵族地区」
 「西蔵和其他蔵区」
 等の呼称が使用
 チベット全体を
 単一の自治行政単位とするよう求める
 ダライラマやチベット亡命政府の立場を
 非難、批判する場合には
 「大チベット区・大西蔵区・大蔵区」
 という用語を使用・・・
 大西蔵区・大蔵区?・・・ナゼ、「西の蔵」なんだか?
ーー↓↑ーー
 西蔵(西藏)犬
 ↓↑
 三蔵法師(さんぞうほうし)
 三藏法師=仏教の経蔵・律蔵・論蔵
 ↓↑   の三蔵に精通した僧侶(法師)のこと
      転じて「訳経僧」を指す
      602年~664年3月7日
      唐代の中国の訳経僧
      戒名は玄奘(ゲンジョウ)
      俗名は陳褘(チンイ)
      諡は大遍覚
      尊称は法師、三蔵
      三蔵法師ゆかりの寺は
      長安の
      大慈恩寺(ダイジオンジ)・・・代字音字?
      鳩摩羅什と共に二大「訳聖」
      「真諦」と「不空金剛」を含めて
 ↓↑   四大訳経家とも呼ばれる・・・
 ↓↑   所謂、翻(ホン)訳(ヤク)家
      翻=ハン・ファン=飜
      ひるがえる・ひるがえす・ひらひらする・ひるがえる
      翩翻(ヘンポン)
      他を意のままに動かす
      翻弄(ホンロウ) 」
      裏返しにする・急に変える・ひるがえす
      翻意・翻然
      対応するものと入れかえる
      翻案・翻刻・翻訳
 西蔵(西藏)犬=いぬ=獒
    ・・・犬の吠え声=汪汪(wang wang)wu-wu(ウーウー)
       犬の遠吠え=嗥叫(ハオジャオ・ヘアオジアオ)
                háo jià o・há o jià o
    阿蘭陀(和蘭)語の「犬=ホント・ホントゥ=hond」?
 ↓↑
 獒=敖(十一方攵)+犬(一人丶)
  =蔵獒=チベット犬=西蔵犬
 ↓↑ ↓↑
 犬・太・大+丶・・・「一の人が丶(主・灯・灯火)」
           「始めの人が火の丁(の火)」
           「女台(ム口)のヒトがヒのチョウ」
           ム囗=私の國=邪の國=横嶋の國
 ↓↑ ↓↑
 犬=一+人+丶
   意味・字形
   「丶」=絕止する所(説文解字・巻五)
       読点(、)のような区切り文字で
       字形は指事
       「丶」字=「主」の初文
            字は指事ではなく
            「灯火の炎」の象形
            「主」の字
            「鐙中の火主なり
             丶に從ふ(説文)」
   「丶」=チュ・シュ
       しるし、きれめにしるす點
       異体字 黒+主・火+主
        シュ・ス
       主=おも・ぬし・あるじ・つかさどる
         シュ・ス
         亠+土・丶+王
         異体字「炷」・「黒主」
        「丶」のことを「黒主」点という
    篆書体の字形?
   「主」=屮+二=凵+l+二=U+l+二
       ↓↑
   「主」=山(亠・丶一)+土=山+十+一
       山土
         亠=音の字の略字
           丶=しるし・切れ目に記す點
    篆書体の字形           辿=テン=点・天
   「主」・・・「Ψ・ψ=psi=プサイ」+「土」?
           「ψ+十一」?
         「Ω=ω=omega=オメガ」→「ω+土」?
   辿=山+辶=たどる・たどり・テン
     天・「丶」・「:」・「‥」・「・」
     典・・・辞典
     佃・・・佃煮
     点・・・点数・視点・支点・観点
     店・・・店舗・支店・店卸
 ↓↑ ↓↑
 駄=馬+太=ダ
   荷役に使う馬・駄馬
   値うちのないもの・つまらないもの
   粗悪なもの
  「駄菓子・駄洒落(ダじゃれ)」
   助数詞の馬1頭に負わせる荷物の量、一駄、数量
   一駄=三十六貫
 駄目=駄=囲碁用語で
    駄目はあっても意味がないところのこと
    無駄=無徒
        徒=あだ・実を結ばないさま
          かいのないさま・むだ(無駄)
   「あだ」が転じて「むだ」となり、「無駄」 になった
   「あだごと=徒言=実のない言葉・うそ」
 駄目=駄馬=馬または牛一頭に背負わせるだけの分量
    馱の俗字
    ダ=馬+大=馬+太
    異体字は「馱」
 雪駄=雪踏(せった)
 竹皮草履の裏面に皮を貼って防水機能を与え
 皮底の踵部分に尻鉄がついた履物(草履)の一種
 傷みにくく丈夫
 湿気を通しにくい
 千利休が水を打った露地で履くためや
 下駄では積雪時に歯の間に雪が詰まるため考案」
 雪が詰まるのは駄目な草鞋(わらじ)・・・草履(ぞうり)
              鞋=革+圭=くつ
                    カイ・ゲ・アイ
 竹皮の草履(ぞうり)の裏に獣皮を貼った履物
 ↓↑
 「雪駄」より古い語に「せきだ=席駄」の当て字
 「むしろ(席⇔蓆)のはきもの(駄)」・・・
                蓆(むしろ)の履物(駄)
 「席駄(セキダ)」から
 「せちだ→せっだ→せった」と変化し?
 ・・・「雪駄=セキダ」・・・雪(ゆき)の駄(駄馬)?
 雪駄の一つの特徴である
 「鋲打ち」は、踵の補強と擦り減り防止
 歩くと裏金と地面がすれ
 チャラチャラと音をたて、粋
 江戸の侠客の間から始まった・・・
 天保改革(1841~43年)以前
 裏金の鋲を赤銅で作り、
 これに
 金象篏(キンゾウガン)を施した雪駄もあった・・・
 ↓↑
 利休と交流のあった茶人
 「丿貫」の意匠によるもの・・・
 主に茶人や風流人が用いるものとされ
 現代においては、
 男性が着物を着る場合はほぼ雪駄を履く
 江戸町奉行所の
 同心が必ず
 「ばら緒の雪駄」を履いており
 「雪駄ちゃらちゃら(後金の鳴る音)」
 「チャラチャラするんじゃぁない」・・・
 ↓↑
 「雪駄の踵に用いられている形状は
  主に馬蹄型とテクタ型が殆んどで
  江戸時代の雪駄は
  ベタガネ型(またはチャラガネ型)
  という金属製の
  尻鉄が打ち込まれている物が一般的で
  これをチャラチャラと鳴らしながら
  履くのが粋とされた
  ベタガネは非常に音が響きやすい材質で
  金属製なこともあって
  「音が煩い・滑りやすい・傷がつきやすい」
  などの問題点が指摘され
  長い年月を経て改良がなされ
  馬蹄型とテクタ型に進化していった」・・・
 ↓↑
 「丿貫(へちかん、べちかん)」
 生没年不詳
 戦国時代後期~安土桃山時代
 茶人
 名の表記は
 「丿恒・丿観・別貫」などとも
 「丿(ヘツ、ヘチ)」は漢字
 ↓↑
 京都上京の商家坂本屋の出身とも、美濃の出とも
 一説に
 医師
 曲直瀬道三の姪婿
 武野紹鴎の門で茶を修めた
 山科の地に庵を構えて寓居し
 数々の奇行
 久須見疎安の『茶話指月集』(1640年)
 によれば
 天正十五年(1587年)
 豊臣秀吉主催の
 北野大茶湯の野点で
 「丿貫」は
 直径一間半(約2.7メートル)の
 大きな朱塗りの大傘を茶席に立てて
 秀吉も大いに驚き喜び
 以後
 「丿貫」は諸役免除の特権を賜った・・・
 江戸時代中期に成立した
 藪内竹心の『源流茶話』
 「丿貫は、侘びすきにて、
  しいて茶法にもかかはらず、
  器軸をも持たず、一向自適を趣とす」
 「異風なれ共、いさぎよき侘数奇なれば
  時の茶人、交りをゆるし侍りしと也」
 と書かれ
 当時盛行していた高額な茶器などは用いず
 独自の茶道を追求していた・・・
 久須見疎安の『茶話指月集』には
 「丿貫」が
 手取釜一つで雑炊も煮
 茶の湯も沸かした・・・清貧・・・
 茶人・数寄者との交流もあり
 千利休と親交
 江戸後期の
 柳沢淇園『雲萍雑誌』には
 利休と茶道を争い
 世間に媚びることの多い
 友、利休
 の茶風を嘆いた・・・
 千利休を自庵へ招待した際
 庵の前に落とし穴を設けて
 利休を陥れ、沐浴させ
 新しい着物を供したなどとの逸話・・・
 晩年は薩摩へ下った
 薩南学派の
 南浦文之の詩文に
 「丿貫」との交流を伺わせる詩句
 同地で没した
 『三国名勝図会』鹿児島郡西田村に
 「丿恒石」なる塚が記されている・・・
 表千家の良休宗左(随流斎)の記述
 露地で履く
 雪駄(セッタ)は
 元は
 「丿貫」の意匠から出た・・・
ーーーーー
 セッタ=アイヌ語で「イヌ」・・・?・・・ア・イ・ヌ・・・
 「オヒョウ(於瓢)は
  ニレ科ニレ属の落葉高木
  日本列島から東北アジアの山地に分布・北海道に多い・・・
  別名
  アツシノキ(厚司の木)
  ヤジナ(矢科)
  ネバリジナ(粘科)
  アイヌ語では
  オヒョウの樹皮と繊維を
  アッ(at)
  オヒョウの木を
  アッニ(atni)
  と呼ぶ
  樺太方言ではそれぞれ
  アハ(ax)、
  アハニ(axni)という
  白浦地方では樹皮を
  オピウ(apiw)とも呼び
  「オヒョウ」の名称はこれに由来
 ↓↑
  「アハ」って?・・・「あわ・泡・沫・粟・粱」・・・阿波は渦(宇津・宇受・宇須)の鳴門海峡だろう・・・
ーーーーー
 アツシ、アトゥシ、アットゥシ織、アッシ織、厚司織・・・文様は海の波だろう・・・アトゥイはアイヌ語で海を意味・・・「アトゥイ」・・・ルルはアイヌ語で海や海水を意味・・・レプはアイヌ語で沖を意味・・・・コイはアイヌ語で波・・・アイヌ語のオンナ(onna)は「内部」・・・
 地別訳(チベット)・・・?

ヒダカミ・・・日高見・・・日高

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 ・・・大西蔵(藏)区・大蔵(藏)区?・・・ナゼ、「西=一(はじめ)+儿(ひと)+囗(くに)=にし=螺(虫+累)=中ム田糸=(中ム囗十幺亅八))=似詞・似史)の蔵=藏=艹+爿+一+臣+戈=くら・ゾウ」なんだか?・・・「爿=木を裂いて二つにしたモノの左半分・・・右半分は片」・・・「木=爿+片」・・・將(まさ)に牃(符牒・あいことば=合言葉)して鼎(かなえ)を妝(よそおう)・・・「山川(やまかわ)」・・・「忠臣蔵十一段目夜討」・・・元禄十五年十二月十四日(壬午年癸丑月庚寅日・1703年1月30日)未明、「忠臣蔵=仮名手本忠臣蔵=衷心蔵」は終わったが・・・「心の底(广+氐)から」・・・播州赤穂の「大石内蔵助」は何かを隠していた?・・・
 「加里屋(かりや)城=大鷹(おおたか)城・・・築城(加里屋城)は、1466年~1483年頃、岡光広が赤穂に築城」・・・
 「1701年、三代・浅野内匠頭(浅野長矩)が、江戸城中・松の廊下での刃傷事件を起こし、浅野家は改易、赤穂城は播磨龍野藩主・脇坂安照の預かり」・・・
 「1702年、赤穂城に永井直敬が3万3千石で入り、浅野家再興が閉ざされ、赤穂浪士の討ち入り」・・・
 「1706年からは森長直が二万石で入封、廃藩置県まで森家が赤穂城主」・・・
ーーーーー
 三蔵(サンゾウ)
 ↓↑
 三蔵(みつくら・みくら)
 ↓↑
 ti-pitaka=ティ-ピタカ→「飛騨・日田・肥田
              樋田・氷田」+タカ
       弖射-比日高・・・阿-弖-流為
       弖=弓+一  ア テ ルイ
         ?~802・平安初期の蝦夷の族長
         北上川流域一帯を支配し
         延暦八年(789)
         征東将軍
         紀古佐美(きのこさみ)軍を破り
         延暦二十一年(802)
         征夷大将軍
         坂上田村麻呂に降伏
         河内国杜山で処刑
氐夷-肥田掛・・・五胡十六国時代の
氐=氏+一・・・・氏のハジメ
         チベット系の部族
         渭水上流地方から嘉陵江上流地方に居住
         苻氏・呂氏などの有力氏族が
         前秦、後涼を建国
         隋代から氏族としての独立を失った
         ↓↑
         氐宿=宿曜経二十八(二十七)宿の
            東方青龍七宿の第三宿
         氐宿=東方を守る霊獣青竜の胴
         十二宮の「秤宮」の三足
        「蠍宮」に一足属する
         天の根、青龍の胸、及び前足
       綴 -比他化
       綴(テイ)=糸+四又=つづる=津亠留
                 つづり=通図理
                つづら=葛籠・九十九・廿楽
 tri-piṭaka=トリ-ピタカ
止理-比多化・・・鳥-日高・・・北上・北神
      北上・・・日高見(ヒタカミ)
      ヒダ(山ひだ)カ(処)
      ヒダ(高)カ(地)
      ヒナ(夷)カ(処)
      ヒタカミ(辺境)
      日本書記に
     「武内宿禰、東国より環りまいてきて奏して言さく
     「東の夷(ひな)の中に日高見国あり…
     (景行天皇二十七年二月条)」
     「日高見国の母なる川の意味が
      日高見川(ヒタカミ川)→キタカミ川
      北上川と当て字」
     ・・・ヒダカがキタとは?キツイ・・・
     河川としては勾配がかなり緩(ゆる・緩慢)い・・・


ーーーーー
  八十梟帥(やそたける)は『日本書紀』にある人名
 「数多くの勇者」という意味
 「古事記」で
  八十建と表記
 「日本書記」で
 神武天皇が
 菟田の
 高倉山
 ・・・高倉山(たかくらやま・コウソウサン)
        高来等山   構 想 纂(簒・算)
 に登り
 国内を見渡したとき
 「国見岳」の上に・・・・・・「国見岳」⇔日高見・北上川
                     にっこうみ
                     日光見
 八十梟帥(たける)がいた・・・
 八十梟帥は後に天皇に斬り殺された・・・
 ↓↑
 弟猾=弟宇迦斯(オトウカシ)・・・音雨下し?
 は
 「倭の国の磯城の邑に
  磯城の
  八十梟帥あり
  又
  高尾張の邑に
   ・・・尾張氏の遠祖=天香語山命・天牟良雲命・天背男命
      などは、饒速日尊の東遷(185年頃)に従って
      筑紫から大和にやってきた・・・
      尾張氏の大和での本拠地は高尾張
      奈良県西部である葛城市の高台(葛城山の麓)
      尾張氏は海部氏の一族・・・
  赤銅の
  八十梟帥あり」
 と奏上・・・
 弟磯城は
 「吾が兄、
  兄磯城
  天つ神の子
  来ましつと
  聞きては
  八十梟帥を聚め
  兵甲を具へて
  あひ戦はむとす」
 と述べた・・・
 ↓↑
 神武天皇の
 菟田の
 高倉山・・・神武天皇顕彰碑・由緒
       宇陀郡の式内社二座に比定
       式内社について
       東吉野村の
       高見山頂鎮座の高角神社
       と
       山麓の水分神社とする説がある
       明治期に大高角社
       下守道の八坂神社を古高角社と称していた
 ↓↑

 四国に「高倉山」が無い?・・・

 高倉山 青森県-1
 高倉山 岩手県-7
 高倉山 宮城県-2
 高倉山 秋田県-1
 高倉山 山形県-6
 高倉山 福島県-6
 高倉山 栃木県-3
 高倉山 群馬県-1
 高倉山 新潟県-2
 高倉山 石川県-2
 高倉山 福井県-1
 高倉山 長野県-2
 高倉山 三重県-1
 高倉山 大阪府-1
 高倉山 兵庫県-4
 高倉山 和歌山県-1・・・ナンで3文字?
 高倉山 岡山県-2
 高倉山 山口県-2
 高倉山 福岡県-1
 高倉山 大分県-1
 高倉山 鹿児島-2
 ↓↑
 三蔵
 上代、朝廷の官物を納めた三つの蔵
 斎蔵 (いみくら)
 内蔵 (うちくら)
 大蔵 (おおくら)
 ↓↑
 仏教の聖典の三分類したもの
 経蔵=Sutta pitaka 〈スッタ・ピタカ〉
    Sutra pitaka 〈スートラ・ピタカ〉
    釈迦の教え
 律蔵=Vinaya pitaka 〈ヴィナヤ・ピタカ〉
    僧団)規則・道徳・生活様相など
 論蔵=Abhidhamma pitaka 〈アビダンマ・ピタカ〉
    Abhidharm pitaka 〈アビダルマ・ピタカ〉
    「経、律」の注釈、解釈
 ↓↑
 仏教の聖典に深く通じた高僧に対する敬称
 また、聖典の翻訳者
 ↓↑
 「経蔵」
 釈迦の説法を文字にしたもの
 「律蔵」
 僧侶の生活規則を記したもの
 「論蔵」
 仏教教義について解釈や解説を施したもの
 ↓↑
 三蔵
 (さんぞう・ti-pitaka=ティピタカ
      ・・・pitaka=籠(かご)の意
      ・tri-piṭaka=トリピタカ)
 仏教における 経蔵・律蔵・論蔵の3つのこと
 仏教の典籍の総称
 論蔵(ろんぞう・Abhidhamma pitaka=アビダンマ・ピタカ
    Abhidharma pitaka=アビダルマ・ピタカ)
 仏教の聖典(仏典・三蔵)の一部で
 律蔵・経蔵に対する
 解釈・注釈書である
 論(Abhidhamma(アビダンマ)
   Abhidharma(アビダルマ)
   阿毘達磨)
 をまとめたもの
 ↓↑
 「三種の籠」の意
 転じて
 仏教の
 経典 (経蔵)
 戒律書 (律蔵)
 注釈書 (論蔵)
 仏教の意義を包蔵していることから
 三蔵と呼ばれ
 経、律、論の
 三蔵に通達している学僧を尊称し
 名前のあとに三蔵をつける
 ↓↑
 仏教の聖典の
 経蔵・律蔵・論蔵のそれぞれに精通した人を
 経師・律師・論師
 といい
 三蔵のすべてに通暁した人を
 三蔵比丘
 三蔵聖師
 といった
ーーーーー
 ・・・
 結集(編集会議)によって
 初期仏教・部派仏教の時代から
 仏典はこの三蔵の形でまとめられ、継承
 上座部仏教の『パーリ仏典』で
 その原型を留めている
 ↓↑
 大乗仏教経典の作成と混淆
 段階的な仏典の伝播・翻訳を経て
 三蔵が原型を留めた形で
 伝わらなかった
 中国仏教(北伝仏教)
 チベット仏教圏では
 仏典は
 「大蔵経」
 「一切経」・・・「一切合財・一切合切」=何もカモすべての意
 という形で再編
 仏典の総称として用いられている
 『漢訳大蔵経』
 とは異なり
 『チベット大蔵経』は
 「律蔵」、「経蔵」を「カンギュル」
 「論蔵」を「テンギュル」と呼び
 三蔵を意識した形で編纂されている・・・
 ↓↑
 三蔵の語
 「三蔵に精通した人」という意味
 「玄奘三蔵」
 中国の北周時代の僧官の一
 北朝の「沙門統」や南朝の「僧正」に相当
 「夏州三蔵」のように地方にも置かれていた
ーー↓↑ーー
 北上川
 ↓↑
 岩手県
 岩手郡
 岩手町
 弓弭(ゆはず)・・・弭=弓の両端・弓弭
           矢の端の、弓の弦につがえる
           切り込みのある部分・矢筈 (やはず)
           相撲で、親指と他の指を広げ
           矢筈の形にした手
           これで相手のワキを押しつけて攻める
 に源泉を発し
 盛岡市、花巻市、北上市、奥州市、一関市
 へと北から南へと流れ
 宮城県登米市で
 旧北上川を分け
 洪水防止のため開削された
 新北上川に入り
 東へ向きを変え
 石巻市の旧北上町地区で
 追波湾に注ぐ・・・
 ↓↑
 旧北上川
 南へ流れ
 石巻市で石巻湾に注ぐ
 旧北上川河口から
 松島湾を経て
 阿武隈川河口まで・・・・・「阿の武の隈」
 仙台湾沿いに
 全長約60kmに及ぶ
 日本最長の運河
 貞山運河が延び
 岩手県の北上川水系
 宮城県の仙台平野の全ての水系
 福島県の阿武隈川水系がつながっている
 ↓↑
 日河(ひのかわ)
 続日本紀
 天平宝字四年(760)の条
 宮城県牡鹿郡より大河(北上川)をわたり
 峻嶺(しんれい)をこえて
 桃生柵を建置した
 これによって賊は
 肝胆(かんたん)を奪われ、伏した
 と記録
 岩手県内における河の初見
 桃生城建置後二十年を経た
 宝亀十一年(780)二月二日の条
 衣川以北に
 蛮居する
 胆沢の賊を討伐せんとせしが
 同年は例年より寒さきびしく
 河はすでに凍て
 船を通ずる事が出来なかった
 と記録
 延暦八年(789)六月三日の条
 征東将軍
 紀古佐美
 副将軍
 入間宿弥廣成
 右中将
 池田真枚
 前軍別将
 安倍援嶋・・・安倍、援嶋・・・嶋を援ける
 等と計り
 三軍協力し河(北上川)を渡り
 東岸に賊師
 「阿弖流為(アテルイ)」・・・阿の弖の為す流れ
 等を討つの時
 巣伏村 (水沢市四丑(しうす))において
 官軍は前後に敵を受け
 戦死者25人
 矢にあたり傷つくもの245人
 河に入り溺死するもの1,036人
 裸で游(およ)ぎ帰るもの1,257人
 に及ぶ大敗
 ↓↑ 
 此の時
 右中将
 池田真枚が
 日上乃湊(ひのかみのみなと)
 において
 溺(おぼ)るる者を扶け
 その功により敗戦の罪は免ぜられた
 「日上乃湊」=「日上川(ひのかみかわ)の湊(みなと)」
 「日高見川(ひたかみかわ)」の船付場で
 「石巻」等の海港ではない・・・
 ↓↑
 日河=日高見川
 延暦十六年(797)六月
 桓武天皇に上表
 「威振二日河之東一」は
 日高見川の東に
 桃生城を建置してより、
 毛狄(モウテキ・蝦夷)
   ・・・狄=テキ・えびす
      古代中国で、北方の異民族
夷蛮戎狄
      異民族や野蛮人
      夷狄 (イテキ)
      戎狄(ジュウテキ)
      北狄(ホクテキ)」
      匈奴(キョウド)など北方の異民族
 のそむくことがない・・・
 日高見川=日河=日上河
 日高見川(ひたかみかわ)=日高見の国の河
 日上河(ひのかみ河)=日高見川
 日高見川=夷語
 の
 「ヒタラ-カムイ=河床の神の義」・・・?
 日高見=大和言葉で
 日立国=常陸国・・・なぜ「ひたち」なのか?
 ニチリツ・ジョウリク
 景行天阜二十七年
 武内宿禰が
 東国を巡り
 日高見の国状を奏上
 二月十二日
 武内宿禰
 自二東国一還之奏言。
 東夷之中。
 有二日高見国一。
 其国人。
 男女並椎結文レ身。
 為レ人勇桿。
 是縈曰二
 蝦夷一。
 亦土地沃壊而曠之。
 撃可レ取也。
 ↓↑
 日本武尊(やまとたける)
 東夷を平定
 日高見国より帰る
 日高見の国は
 陸奥国より進んでさらに奥地
 蝦夷(えぞ)の住む
 宮城県仙北
 及
 岩手県内陸部の総称・・・
 ↓↑
 日本武尊
 日高見の地
 宮城県
 桃生附近・・・桃生=ももう=百生
 北上川の左岸
 桃生郡
 桃生村
 太田(桃生町)に
 日高見神社
 延喜式神名帳所載の古社
 祭神は
 天照大神、日本武尊、武内宿弥
 の三柱
 本吉郡に日高見神社
 古代本吉地方は
 桃生の内であり
 日本武尊を祀り
 日高見神社と称す
 水沢市
 日高神社は
 弘仁元年
 火満瓊命(ほむすびのみこと)・・・瓊=赤玉
 を祀る処の妙現社で
 社地周辺の古名が
 日高
 地名、
 日高=日高見
 日高見川が
 北上川と訛(なま)った?・・・北→比・此と漢字を間違えた?
 神水(かみかわ)
 神川(かみかわ)
 加美川(かみかわ)
 ↓↑
 来-神川(きた-かみがわ)
 北-神川(きた-かみかわ)
 北-上川(きた-かみかわ)
 北-上川の名称
 北-上河=北-上川
 ↓↑ ・・・上川→掛視化話
 ↓↑   →川上→熊襲八十梟帥(やそたける)
       川上梟帥(かわかみたける)
           (日本書紀)
       熊曾建 兄弟二人
           (古事記)
       球磨囎唹
           (筑前国風土記)
    ・・・「神武天皇が
        菟田の
        高倉山・・・四国を省き全国的ある同名の山
        に登り
        国内を見渡したとき
        国見岳の上に
        八十梟帥がいた・・・
        八十梟帥は後に天皇に斬り殺された」・・・
        弟猾は
       「倭の国の磯城の邑に
        磯城の
        八十梟帥あり
        又
        高尾張の邑に
        赤銅の
        八十梟帥あり」
        と奏上・・・
        弟磯城は
       「吾が兄、兄磯城
        天つ神の子(神武天皇=磐余毘古・比古・彦)
        来ましつと
        聞きては
        八十梟帥を聚め
        兵甲を具へて
        あひ戦はむとす」
 ↓↑     と述べた・・・
 「吾妻鏡」
 文治五年(1189)九月二十七日
 …至二于四五月一。
 残雪無レ消仍號二駒形嶺一。
 麓有二流河一而落二于南一。
 是北上河也。
 衣河自レ
 北流降而通二于此河一。
 坂上田村麻呂
 田谷窟(達谷窟)の前面に
 九間四面の精舎を建立し
 多聞天を安置し
 寄進状の中において
 「北上川を限り」と記すところ
 前九年役
 盛岡周辺の北上川が
 大沢と呼ばれた・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・

蘭学・・・ピチピチ、チャプチャプ、ランランラン・・・

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 ・・・幕末の蘭学者達、凄く面白かった、デス・・・「19:20、正月時代劇 風雲児たち~蘭学革命篇(らんがくれぼりゅうしへん)~史上初の西洋医学書翻訳本「解体新書」。その誕生の裏には、前野良沢と杉田玄白の友情と決別の物語があった。みなもと太郎・原作、三谷幸喜・脚本で送る究極の娯楽時代劇」・・・
ーーーーー
 「て・に・は【弖・爾・波=手・爾・波】《ヲコト点の一種の三論宗点を、左下・左中・左上の順に続けて読む・・・を、左下から右回りに続けて読むと「てにをは」となるところから》漢文を訓読するときに補って読む、助詞・助動詞、用言の語尾、接尾語などの総称。弖爾乎波が 合わない【弖爾乎波が合わない】」・・・多分に、ボクの文章の典型かも・・・後読すると自分自身の文章の「テニヲハ」使用が混乱していて自分でも意味が「チンプンカンプン⇔珍文感奮⇔珍紛漢紛」・・・「テニヲハ」のみならず、「漢字熟語」も凄く「学問的用法」のルールから大ハズレで、同音異字漢字の誤用だらけだから・・・語用を真面目に笑って遊んでいるのは自分自身だけ・・・
 「弖」は国字であるらしい・・・国字って何時の時代に造ったんだか・・・国字って、さすがに理解出来る「漢字の造作」であるが「木偏」と「魚偏」が断トツに多い・・・「麿=まろ=麻呂=まろ=磨」の「麿=麻+呂」が国字って、一体全体、歴的な時間帯は何時なんだか・・・「太安万侶」・・・なんか臭い、
 「匂(にお)う」が「勹+匕」なら
 「牝=牛+匕=めす=雌(此+隹)」・・・此=止+七
                 ・・・カインの「七」
 「漆=しつ=シチ=七」
 「匙=さじ・しゃじ・かい=ヒ」
 「匕首=あいくち=匕」・・・和蘭語のmes(メス=ナイフ)
 「比較・比重・比翼=ヒ」
 ↓↑
 2018年丁酉(庚・ ・辛)
 0001月壬子(壬・ ・癸)
 0001日癸巳(戊・庚・丙)
    午未=空亡
 0002日甲午(丙・ ・丁)
 ・・・明日は「十二支の蔵干」の「午」で中気が無く、年月日が初氣、本気のみになる・・・
 ↓↑
 最後通牒=紛争当事国の一方が
      平和的な外交交渉を打ち切って
      自国の最終的要求を相手国に提出し
      それが一定期限内に受け入れられなければ
      自由行動をとることを述べた外交文書
      交渉の決裂も辞さない という態度で
      相手に一方的に示す最終的な要求
 ↓↑
 將=爿+肉+寸=まさに・ショウ
 牃=片+枼=チョウ・ショウ
      符牒・間諜
   通仮字、諜・丁
   異体字、楪・牃
   声 符、枼・喋・揲・緤・諜・屧・蝶・韘
       媟・楪・䐑・䢡・弽・䈎・褋・鰈
       屟・渫・葉・鍱
   爿=しまう
     周りが囲まれて外からは見えないところ
     箱や蔵などに入れる
     入れて隠す
     同義は「蔵」
     丬=爿
     牃=爿+七+廿+十+八・爿+世+木
       寝台、長椅子などの
       下の細長い床板・楪
 ↓↑
 妆(妝=爿+女)
 粧(米+庄)=よそう・よそおう(装おう・化粧)
       めかす=女化素
       ソウ・ショウ
       女性の装飾・化粧卸妆化粧を落とす
       役者が衣装を脱ぎメーキャップを落とす
       化粧する・装う
       嫁入り道具送妆
       嫁入り道具を届ける
 ↓↑
 猾=犭+骨
    骨=肉+冎
       「咼(カ)」は「窩」の原字
        関節の象形
 ↓↑
 猾=わるがしこい・ずるい
   猾賊・猾民・狡猾(コウカツ)
   みだす・みだれる
   獪猾(カイカツ)・奸猾(カンカツ)
   狡猾(コウカツ)・老猾(ロウカツ)=老獪(ロウカイ)
   猾(わるがしこ)い
   猾賊・猾民・狡猾(コウカツ)
   狡猾=狡黠
   ずるく悪賢いこと
   腹黒(はらぐろ)い
   猾吏・猾頭・猾賊
ーーーーー
 ・・・「骨+豊=體=身体」・・・「新體新書」・・・「新耐震書」は御役にたつのか・・・???・・・「体=體(繁体字・旧字体)=躰(俗字)=軆(俗字)=骵」・・・


あまい(阿毎)=甘(あま)い、史、真面・・・?

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 ・・・甘(アマ)史、真面(まじ)・・・「α+頁(page)」のスベテの漢字・・・「旨=七(匕・ヒ)+日=ウマい」・・・「うましまじ」・・・「ウマシマジ命=物部氏・穂積氏・采女氏らの祖」、「可美真手命(うましまでのみこと・日本書紀)」、「宇摩志麻遅命(うましまじ・古事記)」、「味間見命(うましまみのみこと・先代旧事 本紀)」・・・「饒速日命が長髄彦の妹である三炊屋媛(みかしきやひめ)を娶って生んだ子」・・・「天香山命(尾張氏の祖)が異母兄であるとする伝え(旧事本紀)・彦湯支命の父」、「美濃国・越国を平定した後に石見国で死没」・・・
ーー↓↑ーー
 「宇摩志麻遅命=うましまじ-いのち」
 「旨(うま)い」
 ↓↑
 頃(ヒ+頁)・・・ヒの辞典のページ(頁)を見よ?
 項(工+頁)・・・工の字典のページ(頁)を見よ?
 「α+頁(page)」のスベテの漢字は・・・兎に角、「α+頁(page)」の意味か、「α+一(はじめ)の貝(カイ)の人(八)」、「α+一(はじめ)の目(め)の人(八)」である?・・・
 ↓↑
 イチョウ
 銀杏(ぎんなん)
 旨い=ウマい=甘い=うまい=上手い=美味い=巧い=甜い
 ↓↑
 ポプラ(poplar・学名Populus)
 双子葉植物綱
 キントラノオ目・・・Malpighia glabra
          (バルバドスサクラ、アセロラ)
           漢字名の記録が無い?
          「金虎の尾」?
 ヤナギ科
 ヤマナラシ属・・・別名は「箱柳・泥柳」
          アイヌ語名は
          ヌプ   クルン ニ
          nup(野の)-kurun-ni
          ヤイニ
          yay-ni
          ドロノキ
          漢字表記は「山鳴らし・Japanese aspen」
 または
 ハコヤナギ属に属する樹木
 「外来ポプラの和名は非常にややこしく
  整理された和名がない」・・・和名が無い?
 「poplar(ポプラ)」の語源は
 「popular( ポピュラー)」と同じ
 「民衆・人々」を意味
 「学名のPopulusは、震える」
 「英語でコットンウッド(cottonwood)=綿の木」
 「古代ギリシャ神話において勝利」
 ↓↑
 イチョウ(銀杏、公孫樹、鴨脚樹・・・鴨(カモ)の足(脚)
 日本の銀杏(公孫樹)
 世界古来の樹木の一・化石が発掘され絶滅種
 ↓↑
 1976年
板門店事件・「斧とpoplar」
 北緯37度57分
 東経126度40分
 北緯37.95611度
 東経126.67250度
 1976年8月18日
 韓国と北朝鮮の軍事境界線上の
 板門店で発生
 ↓↑
 蔵=くら=倉
      蒼頡(ソウケツ)=倉頡とも
      漢字を発明した伝説上の人物
      蒼頡は黄帝に仕える史官
      古代中国人は
      インカ帝国のキープのような
      縄の結び目を記録に用いていた
      ・・・縄文人・・・
      文字を発明した人物
      黄帝の史官
      鳥獣の足跡をみて文字を考案
      のち秦の
      李斯が小篆 (てん) によって
      文字を統一したときに作った書は
      「倉頡編」と名づけられた
 ↓↑ 
 大紀元日本8月11日・・・?
 神話によれば
 漢字は黄帝に仕えた史官の蒼頡によって
 4000年前に発明された
 彼は四つ目
 蒼頡は山を歩いていると
 一匹の巨大な亀をみつけ
 亀の甲羅に伸びる青い筋を研究
 蒼頡は、簡単な線の組み合わせにより
 記録することを思いついた
 蒼頡は
 星の分布
 動物の形
 大自然の諸々の形を観察し
 文字記号とし
 記録情報手段とした
 ↓↑ 
 うんこ=便=イ+一+申+乀
    =糞=米+異
    =屎=尸+米
     くそ・大便・糞尿
     馬糞
     けがれ・きたないもの
     糞土
     はらう・掃除する
     糞除
     つちかう・こやしをやる・こやし
     糞壌
     鶏糞(ケイフン)
     人糞(ジンプン)
     脱糞(ダップン)
     糞(くそ)・糞味噌(くそミソ)
     糞掃衣(フンゾウエ)
     糞土(フンド)
     糞土の牆(ショウ)は塗るべからず
     糞尿(フンニョウ)
     部首「米」の漢字
     粤 粂 粲 粢 粥 粟 糶 糴 糜 糞 米 粱
ーーーーー
 ・・・なるほど、「米」の「変化」で「異物」になる・・・

国字・・・

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 ・・・毎年12月と1月はボクにとって体調もヤルことも、スベテ「厄の月」であるカナ・・・12/30~1/3・・・「便秘・血尿・下痢」・・・「左腰上の疼痛、激痛(腎臓or尿道結石?)」、七転八倒・・・鎮痛剤・・・前世も現世も行いがワルイから「酷笞・酷至」である厄害カナ・・・「こくじ・コクヂ」・・・「国璽=国家の表象として用いる印・明治四年(1871)に制定された約9センチ四方の金印・大日本国璽」と刻字・・・「金印・禁允」デス?・・・
 ↓↑
 コクジ=刻時=時刻
 コクジ=告示=法令や通達を期日を明確にして公開すること
 コクジ=告辞=告げる言葉
 コクジ=刻字=文字を刻み入れること
 コクジ=国字=日本等で作られた漢字類似の表意文字
 コクジ=国事=国の政治に関わること
 コクジ=国璽=国を表象する印璽
 コクジ=酷似=酷(ひど)く似ていること
        トッテもヨク似ているコト・・・徒っても
        随分(ズイブン)と似ていること・・・隋文?
 ↓↑
 辶=辶=辵(彡+ト+人)
     =チャク=辵
     =シン繞(ニョウ)
        繞=糸+堯=ニョウ(ネウ)・ジョウ(ゼウ)
          まとう・めぐる・かこむ・まつわる
          左から右下にかけて囲む部分の字
        遶=辶+堯=めぐる・めぐらす
              とりまく・かこむ
              囲遶
           堯=尭=垚+兀=たかい・たかし・ギョウ
            「五帝の一・暦を作成・無為の治」
             政治は「尭舜の治」
            「堯(尭・ギョウ)
             中国神話の君主
             姓は伊祁(イキ)・・・壱岐・意気
                        委棄・遺棄
             名は放勲(ホウクン)・補訓・邦訓
             陶(トウ)・・・陶の村
                  オオタタネコ
                  ヲヲタタネコ
                  大田田根子命
                  意富多々泥古命
             唐に封建されたので
             陶唐氏
    ・・・餃子・饒子を料理した人物、喰った人物・・・?
             饒益神寳(ニョウヤクシンポウ)
             859年(貞観元年)
             鋳造、発行された銭貨
             皇朝十二銭の一つ
           饒速 日命(日本書紀)
          「賑囃子非命・悲鳴」?
          邇藝速 日命(古事記)
        別名、櫛玉命
          (くしたまのみこと)
           句詞多磨の見語訳
           ↓↑
           天照国照彦-火明櫛玉-饒速日-命
          (テンショウコクショウのヒコ
           天 象  国 生   比古
           カメイセツギョク
           課名 説 頊(王+頁)
           ニギハヤシのミコト)
           二義葉哉史 見事(見語訳)
           ↓↑
           物部氏、穂積氏、熊野の国造
           らの祖神
   之繞=シンニュウ・・・浸入・滲入・侵入・進入・新入
     =シニョウ・・・・屎尿
 辵部(チャクブ)=康熙字典
          二百十四部首
          百六十二番目
          七画-十六番目
          酉集-十六番目)
ーー↓↑ーー
 和製漢語を作った人物
 ↓↑
 杉田玄白 (1733~1817)・・・『解体新書』
 前野良沢=享保八年(1723年)
      ~
      享和三年十月十七日(1803年11月30日)
      豊前国中津藩(大分県中津市)藩医
      蘭学者
      のち江戸幕府の幕臣
     『解体新書』の主幹翻訳者
      良沢は通称
      姓は源
      名は熹(よみす)
     「余実寿」、「Jomis」と自著することも・・・
 ↓↑
 市川清流(1824~未詳)- 博物館
 西  周 (1829~1897)
 福澤諭吉 (1835~1901)
 福地桜痴 (1841~1906)
 中江兆民 (1847~1901)
 森 鴎外 (1862~1922)
 夏目漱石 (1867~1916)
ーー↓↑ーー
 部首  造字 読み・・・・蔵持・蔵字
 丿(ヘツ)乄 しめ
      〆 しめ
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 人=亻(ジン・ニン)
      働(イ+重+力) ドウ はたらく
      俣(イ+口+天) また
      俤(イ+弟)   おもかげ
      俥(イ+車)   くるま
 ↓↑
 几(キ)
      凧(几+巾)   いかのぼり たこ
      凪(几+止める) なぎ なぐ
      凩(几+十+八)  こがらし
 ↓↑
 勹(ク)
      匂(勹+ヒ) におう
      匁(勹+乂) め もんめ
 ↓↑
 口(コウ)
      喰(ロ+食) くう くらう
      噸(ロ+頓) トン
      噺(ロ+新) はなし
      叺(ロ+入) かます
      呎(ロ+尺) フィート
      囎(ロ+贈) そ
      哘(ロ+行) さそう
 ↓↑
 土(ド)
      塀(土+屏) ヘイ
      圦(土+入) いり
      圷(土+下) あくつ
      圸(土+山) まま
      垈(代+土) ぬた
      垳(土+行) がけ
      垰(土+上+下) たお
      埖(土+花) ごみ
      塰(海+土) あま・・・(水+毎+土)
      墹(土+間) まま
      壗(土+盡) まま
 ↓↑
 女(ニョ)
      嬶(女+鼻) かか かかあ
 ↓↑
 山(サン)
      峠(山+上+下) とうげ
      屶(山+刀) なた
      岼(山+平) ゆり
      峅(山+弁) くら・・・・蔵・倉・庫・鞍
      岾(山+占) はけ やま
      嵶(山+弱) たお
 ↓↑
 弓(キュウ)
      弖(弓+一) て
 ↓↑
 心=忄(シン)
      怺(心+永) こら(える)
 手=扌(シュ)
      搾(手+窄) サク しぼ(る)
      扨(手+刃) さて
      掵(手+命) はば・・・巾・幅
 ↓↑
 木(モク)=十+八
      枠(木+九+十) わく
      栃(木+厂+万) とち
      樫(木+堅) かし
      榊(木+神) さかき
      椙(木+昌) すぎ
      栂(木+母) つが とが
      柾(木+正) まさ まさき
      杢(木+土) もく
      椛(木+花) かば もみじ
      杣(木+山) そま
      枡(木+升) ます
      桝(木+舛) ます
      梺(林+下) ふもと
      椚(木+門) くぬぎ
      楾(木+泉) はんぞう
      榁(木+室) むろ
      槝(木+島) かし
      椥(木+知) なぎ
      杁(木+入) いり
      杤(木+万) とち
      樮(木+西+火) ほくそ
      椨(木+府) たぶ たぶのき
      椣(木+典) しで
      椡(木+到) くぬぎ
      橲(木+喜) じさ ずさ
      欟(木+雚+見) つき・・・木+觀
      橸(木+晶) まさ
 ↓↑
 毛(モウ)
      毟(少+毛) むしる
 ↓↑
 水=氵(スイ)
      氺(氵+)
      溂(氵+刺) ラツ
 ↓↑
 火(カ)
      熕(火+貢) コウ おおづつ
      燵(火+達) タツ
 ↓↑
 瓦(ゲ)
      瓧(瓦+十) デカグラム
      瓩(瓦+千) キログラム
      瓰(瓦+分) デシグラム
      瓲(瓦+屯) トン
      瓱(瓦+毛) ミリグラム
      瓸(瓦+百) ヘクトグラム
      甅(瓦+厘) センチグラム
 ↓↑
 田(デン)
      畑(火+田) はた はたけ
      畠(白+田) はた はたけ
      畩(田+衣) けさ
 ↓↑
 疒(ダク)
      癪(疒+積) シャク
 ↓↑
 石(セキ)
      硲(石+谷) はざま・・・硲=石+谷
      硴(石+花) かき・・・・硴=石+花
 ↓↑
 立(リツ)
      竍(立+十) デカリットル
      竏(立+千) キロリットル
      竓(立+毛) ミリリットル
      竕(立+分) デシリットル
      竡(立+百) ヘクトリットル
      竰(立+厘) センチリットル
 ↓↑
 竹(チク)
      笹(竹+世) ささ
      簓(竹+彫) セン ささら
      簗(竹+梁) やな
      籏(竹+旗) はた
      笂(竹+丸) うつぼ
      笽(竹+皿) そうけ
      簱(竹+旗) はた
      籡(竹+撿) しんし 撿=扌+僉
 ↓↑
 米(マイ)
      粁(米+千) キロメートル
      粂(久+米) くめ
      糎(米+厘) センチメートル
      粍(米+毛) ミリメートル
      籾(米+刃) もみ
      籵(米+十) デカメートル
      粨(米+百) ヘクトメートル
      糀(米+花) こうじ
      粭(米+合) すくも
      糘(米+家) すくも
      粫(米+而) うるち
      粏(米+太) タ
 ↓↑
 糸(シ) 
      綛(糸+忍) かすり かせ
      縅(糸+威) おどし おどす
      繧(糸+雲) ウン
      纃(糸+齊) かすり
      纐(糸+交+頁) コウ しぼり
      䋆(糸+戸) かせ
      縨(糸+晃) ほろ 札+幌=ほろ・幌=巾+晃
 ↓↑
 耳(ジ・ニ)
      聢(耳+定) しかと
 ↓↑
 肉=月(ジク・ゲツ)
      腺(肉+泉) セン すじ
      膵(肉+萃) スイ=萃=あつまる・あつめる
                  スイ・ズイ 膵臓
      膤(肉+雪) ゆき  膤(たら)
 ↓↑
 舟(ソウ)
      艝(舟+雪) そり・・・橇=そり=反り
      艠(舟+登) いかだ
 ↓↑
 艸=艹(ソウ)
      萢(艸+泡) やち
      蓙(艸+座) ござ
      蘰(艸+糸+曼) かつら   縵(バン・マン)
      苆(艸+切) すさ
 ↓↑
 虫(チュウ)
      蚫(虫+勹+巳) ホウ あわび  包=勹+己
      蛯(虫+老) えび
      蟐(虫+常) もみ もむ
 ↓↑
 衣=衤=イ
      袰(母+衣) ほろ
      裃(衣+上+下) かみしも
      裄(衣+行) ゆき
      褄(衣+妻) つま
      襷(衣+舉) たすき
 ↓↑
 言(ゴン・ゲン)
      諚(言+定) ジョウ おおせ おきて
      誮(言+花) やさしい
 ↓↑
 身(シン)
      躾(身+美) しつけ
      軈(身+應) やがて
      軅(身+雁) たか やがて
      躮(身+分) せがれ
      躵(身+忍) こらえる しのぶ ねらう
 ↓↑
 車(シャ)
      轌(車+雪) そり・・・橇
 ↓↑
 辵=辶・⻌(チャク)
      込(辶+入) こむ こめる
      辻(辶+十) つじ
      辷(辶+一) すべる・・・・統べる・・・滑る
      迚(辶+中) とて とても
      逧(辶+谷) さこ
      遖(辶+南) あっぱれ
      襀(辶+及) そり
 ↓↑
 酉(ユウ)
      酛(酉+元) もと・・・西+一+二+儿
 ↓↑
 金(キン)
      鋲(金+兵) ビョウ・・・金+兵
      鑓(金+遣) やり
      錻(金+武) ブ ブリキ
      錵(金+花) にえ
      錺(金+芳) かざり
      鎹(金+送) かすがい
      釻(金+丸) つく
      鈨(金+元) はばき
      銯(金+糸) かすがい
      鎺(金+祖) はばき
      鏱(金+章) ショウ
 ↓↑
 門(モン)
      閊(門+山) つかえる
      閖(門+水) ゆり
 ↓↑
 雨(ウ) 
      雫(雨+下) ダ しずく
      靎(雨+金+鳥) つる
      迮(雨+鷦) つる  鷦=つる=鶴
 ↓↑
 革(カク)
      鞆(革+丙) とも
      鞐(革+上+下) こはぜ
 ↓↑
 風(フウ)
      颪(下+風) おろし
 ↓↑
 食=飠(ショク)
      饂(食+𥁕) ウン  饂飩(うどん)
 ↓↑
 馬(バ・マ)
      駲(馬+州) シュウ
 ↓↑
 魚(ギョ)
      鰯(魚+弱) いわし
      鱈(魚+雪) セツ たら
      鮗(魚+冬) このしろ
      鮖(魚+石) かじか
      鮟(魚+安) アン
      鮴(魚+休) ごり
      鯒(魚+甬) こち  甬=ヨウ・ユウ
      鯑(魚+希) かずのこ
      鯏(魚+利) あさり うぐい
      鯲(魚+於) どじょう
      鯱(魚+虎) しゃち しゃちほこ
      鯰(魚+念) ネン なまず
      鰰(魚+神) はたはた
      鱇(魚+康) コウ
      鱚(魚+喜) きす
      鰡(魚+留) リュウ ぼら
      魞(魚+入) えり
      魹(魚+毛) とど
      魸(魚+片) なまず
      大鯔(魚+老)  おおぼら・・・大法螺
      鮲(魚+伏) こち まて
      鯎(魚+成) うぐい
      鯐(魚+走) すばしり
      鯳(魚+底) すけとうだら
      鰙(魚+若) ジャク はえ はや わかさぎ
      鰚(魚+宜) はらか
      鰘(魚+室) むろあじ
      鱛(魚+曾) えそ
      鱫(魚+愛) アイ
      鱜(魚+郷) キョウ
      鱪(魚+暑) しいら
      鱰(魚+署) しいら
      鱩(魚+雷) はたはた
 ↓↑
 鳥(チョウ)
      鴫(田+鳥) しぎ
      鳰(入+鳥) にお
      鵆(彳+鳥+亍) ちどり
      鵤(角+鳥) いかる いかるが=斑鳩・・・怒る我
      鶫(柬+鳥) つぐみ 柬=カン・ケン・えらぶ
      鵈(耳+鳥) とび
      鵇(年+鳥) とき
      鵥(鳥+判) かけす
      鶍(易+鳥) いすか
      鶎(宗+鳥) きくいただき
 ↓↑
 麻(マ) 麿(麻+呂) まろ・・・・太安万侶=多安萬侶
              大野保麿・青野保麿
ーーーーー
 ・・・???・・・

イテッ・・・「サチ=幸=一+立+十」・・・「一(はじめ)の辛(つらさ)」・・・辛=刺青(入墨・文身・黥)の針

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・・・トリ立てて・・・「撫養(ムヨウ)之介」は必要ナイケレド・・・座(坐)薬に圧されて潜んでいる・・・タイムリミットが六時間ですか・・・身体内外の痛さにはマイル・・・
 「幸福」さん・・・イテッ・・・「サチ=幸=一+立+十」・・・「一(はじめ)の辛(つらさ)」・・・辛=刺青(入墨・文身・黥)の針・・・
 以前にも書き込んだが・・・便秘防止や腸の機能を整える食べモノが「クラゲ(水母)」って、未だに喰ったコトは無い・・・「コンニャク」もイイとかだったが効き目なし、それに匂いが独特の厭な臭さ・・・「大くらげ=越前水母=越前海月=Nemopilema nomurai)」で・・・天敵は「ウマヅラハギ(馬面剥)」で「太陰月の半ば、満月までの数日と満月の間で、クラゲが浜辺周辺で大量発生する頻度が高い」らしい・・・昨夜は月の地球への大接近・・・「月の朔望(サクボウ)」は生態系のナンにでも影響。「ルナテッィク(lunatic)」ってコトバもある・・・モチロン、物理的、動的相互作用のバランス均衡、「+⇔-」のプロセスの連続での状態だが・・・
 「世界状勢」も指導者を「ルナテッィク(lunatic)」にさせているんだろう・・・窮鼠の「NK」と、蝙蝠の「SK」が合体したら次は何をヤラカスつもりなんだか、「AT」は商売人そのものだが「一気」にはヤルつもりがないらしい・・・この時期、一番「Japon」の「a」が真っ当に思えちゃうが・・・同じ貉か・・・
 「一気圧」が「地上10メート」の大気の圧力ですか・・・高い所から低い所へ水をホースで落す実験・・・ホースの水が上がる高さは「約10メートル」が限界・・・
 「気圧(air pressure)=気体の圧力のこと・単に気圧という場合は、大気圧(atmospheric pressure・大気の圧力)のこと」・・・
 「記蛙通(きあつ)」、「臺記蛙通(タイキアツ)=他意記蛙通=鯛記丫吊」?・・・
ーーーーー
 ・・・クラゲ(水母・海月・くらげ)だったが・・・
     蔵礙(くらげ)・蔵解・倉化・・・蒼頡・・・
 「海月(クラゲ)如ス漂ヘル國」・・・
 「氵(サンズイ・山水・簒隋・纂隋)=水(みず)の
            簒=竹目大ム・纂=竹+䋰(目大糸)
            簒=竹目厺
            厺=一大厶=去
              「去」の古体字
              さる・ある場所から離れる
              時間が経過する
              いく・ある場所から離れ
              別の場所へ行く
              さる・コ・キョ
            簒=竹目大么
            么=数字の一・幺(么)
           「么么哒(me me dā)」=接吻の擬音
           什么=什九/10分の9
               多種多様の意味
  毎月(まいつき・マイゲツ)=舞い付き
  如(ごとく・語解く)=スナワチ(女口)
  漂える=タダヨエル・・・唯、与得留(酔える)
  國=くに=句似」
 ・・・

 

・・・ドウグとしてのイシ・・・同具としての意志・・・?

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 ・・・あまりにも「石=一+ノ+口」に拘ったせいか、午前3時、尿管結石で激(劇)痛で、ベットの上で七転八倒・・・坐薬で一段落・・・朝早く隣の町の病院へ行くと決断・・・痛さの原因が内科系の疾患なのか、泌尿器科系の疾患なのかハッキリと決着させるべきと思い、両科を受診するコトにしたが、内科での問診後、痛さの原因が泌尿器の結石だと判明すれば内科の受診は不要と思い、先ずは「泌尿器科」の診断を受けることにした。尿検査、レントゲン検査、御医者さんに痛さの経緯をハナシたが、検査の結果は「血尿」無し、「レントゲンでの石影」無しで、今度は「IC検査」を受けてくださいだった・・・
 結果は「尿管と膀胱の接続位置に結石が写っています」だった・・・「多分、二、三日後には排出されるでしょう」だった・・・
ーーーーー
 ・・・この間、「握り石斧・海鼠」から始まって、ズゥ~ッと「石」に関するモノを調べていたが・・・何らかの形になって「現実化?」するんだ・・・ナンダ、コレは、ッ?・・・単なる妄想・・・
 ・・・ドウグとしてのイシ・・・同具としての意志・・・?

隕石の欠片・・・star dust・・・

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 ・・・同時代の英雄・・・ソウ云う時期なんだろうナッ・・・
ーーーーー
 S   H
 1947年1月22日~2018年1月4日)
 1947生年 丙戌(辛・丁・戊)丁酉(庚・ ・辛)害
 0001生月 辛丑(癸・辛・己)壬子(壬・ ・癸)合
 0022生日 辛丑(癸・辛・己)丙申(己・壬・庚)
 辰巳=空亡   比肩従旺格
ーーーーー
 ガイウス・ユリウス・カエサルの生誕
 紀元前100年7月13日
 ↓↑
 紀元前
 100年 辛巳年(戊・庚・丙)
 007月 乙未月(丁・乙・己)比肩⇔食神・比肩・偏財
 013日 乙巳日(戊・庚・丙)   正財・正官・傷官
 ↓↑
 if 7月12日
 丙辰日
 100年 辛巳年(戊・庚・丙)
 007月 乙未月(丁・乙・己)印綬⇔劫財・印綬・傷官
 012日 丙辰日(乙・癸・戊)   印綬・正官・食神
ーー↓↑ーー
 紀元前
 102年 己卯年(甲・ ・乙)
 007月 辛未月(丁・乙・己)正官⇔傷官・劫財・正財
 013日 甲午日(丙・ ・丁)   食神・傷官
  ↓↑
 if 7月12日
 癸巳日
 102年 己卯年(甲・ ・乙)
 007月 辛未月(丁・乙・己)偏印⇔偏財・食神・偏官
 012日 癸巳日(戊・庚・丙)   正官・印綬・正財
ーー↓↑ーー
 死没
 紀元前           乙巳・ 丙辰・ 甲午・ 癸巳
 044年 丁丑年(癸・辛・己)食神  劫財  傷官害 偏財
 003月 癸卯月(甲・ ・乙)偏印  正官害 印綬  比肩
 015日 己亥日(戊・甲・壬)偏財沖 傷官  正財  偏官沖
 友引・水曜日
ーー↓↑ーー
 戦争で象(マウリ人の言葉、フェニキア語でcaesai カエサイ)
 を殺した
 母の死後、(帝王)切開して生まれた
 カエサル姓を名乗った祖先の頭の毛がふさふさしていた (caesaries カエサリエス)
 灰色の瞳(oculis caesiis オクリス・カエシイス)
 だった
 ・・・コヨミを変換し、「替えサル」の人物・・・「有理のウス(碓・有珠・漓(氵+离)・宇津・宇受)」・・・
ーー↓↑ーーーー↓↑ーー
 クレオパトラ7世フィロパトル
 (ギリシア語: Κλεοπά
        τρα Ζ' Φιλοπάτωρ
  ラテン語: Cleopatra VII Philopator)
 紀元前69年    ~紀元前30年 08月 12日)
   壬子年?月?日~  辛卯年丙申月壬午日
 古代エジプト、プトレマイオス朝最後のファラオ
ーーーーー
 アウグストゥス
 (羅: Imperator Caesar Divi Filius Augustus
  インペラートル・カエサル・ディーウィー
 ・フィーリウス・アウグストゥス、
 Gaius Julius Caesar Octavianus Augustus
 ガイウス・ユリウス・カエサル
 ・オクタウィアヌス・アウグストゥス
 紀元前63年9月23日~紀元14年8月19日
 ローマ帝国の初代皇帝(在位:紀元前27年~紀元14年)
 パクス・ロマーナ(ローマの平和)を実現
 アウグストゥス=ラテン語で「尊厳者」
 現在のギリシア語で「8月」
ーー↓↑ーー
 紀元前63年9月23日
 戊午(丙・ ・丁)印綬⇔正官・偏官
 辛酉(庚・ ・辛)比肩⇔劫財・比肩
 辛未(丁・乙・己)  ⇔偏官・偏財・偏印
 ↓↑
 1918/9/21
 大正七年九月二十一日
 戊午(丙・ ・丁)
 辛酉(庚・ ・辛)09月
 辛未(丁・乙・己)21日
ーーーー
 ↓↑
 西暦14年8月17日u 辛  未
 甲戌(辛・丁・戊)正財⇔比肩・偏官・印綬
 壬申(己・壬・庚)傷官⇔偏印・傷官・劫財
 癸酉(庚・ ・辛)食神⇔劫財・  ・比肩
 ↓↑
 紀元14年8月19日g 辛  未
 甲戌(辛・丁・戊)正財⇔比肩・偏官・印綬
 壬申(己・壬・庚)傷官⇔偏印・傷官・劫財
 乙亥(戊・甲・壬)偏財⇔印綬・正財・傷官
ーーーーー
 ・・・???・・・

トラテルコ・・・?

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 ・・・「母事詫間の日」?・・・一月七日・・・三笠の従姉と、オフクロの友人の「T先生(女医さん)」が来てくれた・・・池上さんのTV番組、「トラテロルコ(調印地のメキシコの地名 Tlatelolco)条約・1967年2月調印、1968年4月発効・2002年10月に批准し、33か国すべての署名、批准完了」ですか・・・「ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約(Treaty for the Prohibition of Nuclear Weapons in Latin America and Caribbean)=中南米地域の核兵器の実験・使用・製造・生産・取得・貯蔵・配備等の禁止、非核化条約」・・・「トラテロルコ地区=かつてアステカの商業都市」・・・「1968年 10月2日夜・三文化広場で反政府運動の学生達に政府が軍隊を出動、200 or 300人の死者と多数の逮捕者を出した事件・1968年10月12日、メキシコシティーでオリンピック」・・・「Olympic」は国際的な「コロシアム(Colosseum)=剣闘士、殉教者の殺戮の見世物場」・・・「虎のテロ、留拠」・・・
ーーーーー

ーーーーー
 メキシコシティのトラテロルコ
 16世紀
 スペイン征服後に建てられた
 サンテアゴ教会
 アステカ時代のトラテラルコ遺跡
 (トラテロルコと呼ばれ巨大な市場があった)
 などの現代的な建物が
 建っているので
 「三文化」
 アステカの商業都市
 トラテロルコで
 クアウテモック
 を指導者とした
 アステカ軍
 と
 スペイン軍
 ルナン・コルテス
 が戦い
 当時
 テスココ湖に浮かぶ島だった
 トラテルコはスペイン軍によって包囲
 アステカ軍はこの場所に篭城
 1521年8月13日
 アステカ軍クアウテモック王は敗北
 トラテロルコの遺構
 ケツァルコアトルの神殿
 暦の神殿
 宮殿
 壁画の神殿
 主神殿
 大台座
 聖なる囲い地
 北のツォンパントリ(骸骨)
ーーーーー
 ・・・

巣立ちの日・・・セイジンしき・・・ヒトリじゃぁムリなコト・・・

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 ・・・高校サッカーの決勝戦・・・すごいゲームだったけれど・・・本日は「成人式」ですか・・・「歳」が基準の「成人式」って「是非もない」かッ?・・・「実力主義の社会」では「年齢・性別・人種」は関係ない(?)とは思うが、「何の実力・能力」なのか、「政治に参加出来る基準」とはナンなんだか?・・・「アメリカ・ミネソタ州ドーセットで最年少の町長!3歳のジェームズ・タフツくんがアイスクリーム(分配?)を公約にして当選」って?・・・今現在は「ネコ」でも、「犬」でも社長になったり、署長、店長になったりする時代・・・生活費はもらっているんだろう・・・
 占いでの「立運(0~10歳)」は、一応「人間の自我自覚の始まりの通過点」だが、「第一次反抗期=自我自立時期」の出発点と重なる(?)ナンでも自分自身でヤッテミタイ時期・・・
 だが、「人間社会の子供達の巣立ち」って・・・先進国はアマリにも「子供達の巣立ちには過保護で、圧し込み知識の長い期間」かも・・・「教育は階級国家の国策」・・・「子供のデシャバル余裕は無い一方的なモノ」だから当然・・・
 自分の子供に願望を賭けて「デシャバル親」は多いらしい(?)けれど、それにコタエテくれる「子供」が少なくなるのも当然・・・
 「政治的社会参加としての自覚認識(?)の十八歳の選挙権」も不思議だ・・・意外と「保守」に脳ミソが汚染されているのか、無関心だったのかは、前回の衆議院選挙の投票である・・・
 「18歳は51・17%
  19歳は39・66%
  18歳と19歳を合わせた投票率は
  45・45%」
 普通、「コレが、お前の権利だッ」って云われたら投票に行く年齢だと思ったが・・・
 多分、小学生、中学生はモチロン、高校生の「生徒会」は「選挙」として、ダレかを自分たちの代表として「選ぶ」と云う機能が、「生徒会役員」はルールを「作る」と云う機能が備わってはいないんだろうナッ?・・・「ホーム-ルーム(学級活動・class activity?・homeroom activity?)」ってのもあったけれど・・・現在的に概念が異なっているのカモ?・・・
 「学級会(生徒会)活動」って、どうやら「生徒の自発的な協同体活動」じゃぁないらしいのカモ・・・むかし、「生徒会」は「各サークルの予算配分」などの議事、決定などもしていた記憶があるけれど・・・
 「十二才春、中学入学、十五才春、中学卒業」・・・「第二次反抗期」は「中学時代の思春期」・・・
 現実的には世間で働いて自立していく年齢は「十五歳春、中学卒業後」だろうと思うが・・・
 中学卒業後は「決められた選択可能な枠内での選択の自由(?)」があった・・・「与えられた枠内での選択の自由」は今現在も同じであるが、高校進学、大学進学は「親のフトコロ次第」だろう。
 老若男女、若者から老人まで、「資格認証」は無いカモだが、「独学」と云う手がある。「コンピュータの時代」である。3食と家に籠る時間、電気代さえあれば、「中学~大学院までの知的記憶力」を増やせる環境には存在しているハズだ・・・
 モチロン、その後の「職業の選択は自由」・・・高校中退して年収30億円と云う人物がTVで自分の成金生活を自慢していたが・・・この資本主義の時代に、みんなが30億を稼げるワケではないのは当然だが「可能性」はある・・・
 ほとんど、「中学生時代くらいまでは未だ道徳、倫理的正義感がある」らしいが?・・・イザ、自分が働いてカネが稼げると云う「他人の世界」に接触していくと・・・「下町ロッケット」、「陸王」の世界・・・あるいは「ドクターX」の「疎外された美知子の世界」・・・技術はあっても「カネの世界には疎い」・・・
 それよりも、カネの苦労の結末は「半沢直樹(やられたらやり返す、倍返しだ)の世界」かも・・・儲からなきゃ、ニッチもサッチも・・・
 個々人が成長していくプロセスで「道徳、倫理的正義感が揺らぎ始めるのは十五歳以降」からカモ(?)だが・・・ひとそれぞれ・・・
 自分自身の「立場、立ち位置」の「選択」である・・・
 一般的、現実的な「大人の市民社会のルール」が「十五歳までに教え込まれたルールとは異なる、相反する」から・・・
 同時に「性欲」に関する「不自然な禁止項目」も増える・・・「第二次反抗期」が重なるのは当然・・・
 「マモるベきルール、市民社会の法律の根幹」は?・・・「私有財産の自由な処分の保障」・・・で、アルらしいが・・・これをめぐって「マモレないルール」もワンサカ・・・それは「オトナ自体が守ってはイナイモノ」である・・・
 ・・・まだ、相撲業界がモヤモヤしているらしい・・・外国人の相撲取りは「出稼ぎ」で「日本の土俵の上」で頑張っているん・・・
 「白鳳」も「日馬富士」も「日本資本主義時代の小ブル意識の哲学者」である・・・「土俵の上の勝敗」に「生活」がカカッテいんだ・・・「横綱」の後に居場所がないのは自明である・・・
 「見世物のヒトツ」なのに・・・「品格」って?・・・勝負は「カチ、マケ」で「ヒキワケ」はない・・・
 「礼儀」ってナンなんだか?・・・階級社会序列の上下相互対応の行為・・・「主人、客人の公平、平等の対応行為」ではないだろう・・・「人間関係や社会生活の秩序を維持するために人が守るべき行動様式・特に、敬意を表す作法」ですか?・・・さすが、「戦国時代の武器を伏せたボス交渉の作法空間と作法行為」・・・
 自然美を造り直し、手をつけた加えた「御花」、「御茶」、「狂言」に意味を見出した「プチブル戦国支配階級、階層」はタイシタものである・・・「歌舞伎・浄瑠璃」は町民、庶民に「美化」されたモノだが・・・
 自然の「ワビ・サビ」の「色彩」はスキだけれど・・・意図的、人工的な「ワビ・サビ」・・・権力者にオベッカの御伽衆、側用人の幇間(ホウカン)、太鼓持ち等の「技芸(伎藝)・技術」が「反権力の道具」などとは、とてもとても思えない・・・どっちにしても「武芸の一部」で、「藝」は「階級社会の枠内」を前提にした「自己保身」と同時に「他者保身」の道具・・・?
 キレゴトでヘリクツをコネルのも「品格の文化」だから・・・
 ミエル部分は「本質」ではない・・・「本質は殺戮で、殺伐」・・・小さいボス交の部屋から出たら生殺与奪を争う殺し合いの修羅場・・・「日本のワビ、サビの文化」は「核シェルター(shelter)の空間文化」カモ・・・
 ↓↑
 ・・・相撲と云う格闘技に「土俵」と云う「枠組み」を造ったモノこそ「日本文化の礼(仕様・方法)」・・・「人情相撲」だから・・・ハッキリした勝負のケッチャクは視える部分だけでオッケイ!!・・・神聖な見世物なんだから・・・不浄なカネのハナシはオミット・・・てら銭の分配以前にテラセンがナキャァ、生きられない・・・
 なんか、自然界の「帆立て貝」が海の工場廃液、下水汚濁、汚染が少なくなって獲れなくなったって・・・
 清水に魚棲まず=孔子家語入官
        「水至清即無レ魚、人至察則無レ徒」
 「あまりに清らかな水には魚がすまないように
  潔癖すぎる人には
  かえって他の人の従いつくことがない
  (水清ければ魚棲まず)」
 「水清ければ魚棲 (す) まず」って?・・・
 「水銀マグロ」や、「原爆マグロ」って「マグロ自体が棲めなくなったワケ」でもないか・・・問題は「人間が喰えなくなった」んだ・・・イタイ、イタイ病だし、水俣病だし・・・放射能汚染だから・・・
 それでも、腹減ったら、汚染されていても喰えるモノは喰う・・・イタミを感じないなら今日死ぬよりも、明日死ぬほうがイイのが自然だからカモ?・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・


キクのハナ・・・

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 ・・・掬(扌+匊)=すくう=匊(勹+米)=すくう=救う=巣食う=スクウ=諏句ウ」・・・「う=ウ=雨(あめ・あま)・鵜(鸕・う)・卯(兎・兔・莵・菟・うさぎ)・宇・烏(鴉・からす)・鴎(鷗・かもめ)・鶖(かけす)・鄔(塢・とりで・土手・つつみ)・胡(えびす)・羽・鰞(烏賊・いか)・得・有・・・」・・・「掬=扌+匊=手(手に)+勹(包む・にぎる=握・把)+米(こめ・氺+一)」・・・「たなごころ」?・・・
 ボク自身の「記憶と知識の曖昧さ、イイカゲンさ」には自分自身でもアレ、レレレッと驚くが、「ドナルド・キーン」氏や「ルース・ベネディクト」氏を混乱・・・
 「日本人は『内部の基準でなく、外部の声を意識して良心を組み立てる「恥の文化」の持ち主』」・・・コレって、「認識論」なら当然と思うが・・・彼の「内部の基準」って初めからあるもんじゃないだろうに・・・「悪魔や神の聲=幻聴」のコトなんだか、どうなんだか・・・既に形成された「倫理・道徳」のコトなんだか?・・・漢字は言うまでもなく「恥=耳+心=無知」で、「知らないコト=恥」・・・その「文化」は日本人だけとはかぎらないだろ・・・
  「鯂=魚+酉=よみがえる=蘇=よみがえる=甦=よみがえる=読み替(かえる=変・代・換・還・孵・蛙)」・・・鰌(どじょう)・鱒(ます)・・・何故、「鯂=魚+酉」が「よみがえる」?んだか・・・
  ↓↑
 䱡=魚+匊=キク
  =魚+勹+米
  =⺈+田+灬+匊
  =⺈+囗+十+灬+勹+丷+十(一亅)+八
  =海豚(イルカ)の一種・・・・入鹿・射る鹿
   ドルフィン(dolphin)・・・鯱=しゃち=柘植
ーーーーー
  ↓↑
 「匊=すくう・たなごころ・むすぶ・キク・コク・handful」
    たなごころ(掌)=手の平の中心・手のひら・手の裏
             掌にする・手に握る
             思いのままに支配する
             中手の中、思いのままになる
             掌の玉手の中の宝玉・大切なもの
             愛児、愛妻のたとえ
             掌中の珠
   =勹+米
    異体字は「掬・𦥑」
    声 符は「匊・掬・鞠・䗇・椈・䱡・趜
         菊・麴」
    匊=米(こめつぶ)+勹(つつむ)
      勹(ホウ)=人が身体を曲げる形で、つつむ意
      米=米粒をつつむように「すくいとる」形
        掬(すくう・キク)の原字
        まるく包む

 「菊=艸+匊(勹米)」
   「匊」は穀物を丸く手で囲んだ様
    花びらが丸く囲まれた花
    植物もキク
    菊(キク)は
   『万葉集』には詠まれていない
   『古今和歌集』、『源氏物語』
    などから登場
 ・・・「菊(キク・きく)=艸(くさかんむり)
              匊(すくう・たなごころ・むすぶ)
                   救う  他名語比賂
                       庋 語拠賂
      庋=广+支=さじき(桟敷)=さずき(仮床)
      庋=庪=棚板・床板
    菊=キク科の多年草
      主に秋に咲き
      花の色・形など、非常に多くの品種がある
      大きさにより大菊・中菊・小菊と大別
      中国から渡来
      江戸時代には改良が進み
      観賞用に広く栽培され、食用もされた
 「キク(菊)=キク科キク属の植物
        狭義のキク(イエギク、栽培ギク)」
        観賞用多年草植物としての
        品種群を和菊
        西ヨーロッパの品種群を洋菊
 「キク科(学名:Asteraceae・保留名:Compositae)」
  被子植物真正双子葉類に属する1分類群
  もっとも分化している植物
  ↓↑
 イワニガナ(岩苦菜・学名:Ixeris stolonifera)
 キク科ニガナ属の多年草
 別名
 ジシバリ(地縛り)
  ↓↑
 オオジシバリ(大地縛り・学名:Ixeris debilis )
 イワニガナより花茎が高く、花、葉ともに大型で
 葉の形が披針形で縁に
 鋸歯がある
 キク、タンポポのように
 小さな花(小花)がたくさん集まり
 さらにそれが一個の花に見える点が
 形態上の主な特徴
 このような花の形状を
 頭状花序(トウジョウカジョ・略して頭花)
 その基部のガク(萼)のように見える部分を
 総苞片(ソウホウヘン)と称す
 頭状花序(頭花)をつくる小花に
 筒状花(管状花)
 と
 舌状花の二種類がある
 ハハコグサは前者のみで花ができ
 タンポポは後者のみで構成
 ヒマワリの花では
 周囲を
 舌状花
 中央を
 筒状花
 が占める
 花が筒状花のみまたは周囲に舌状花を持つ
 キク亜科と
 舌状花のみからなり
 茎葉に乳液を含むタンポポ亜科とに分類
 さらに数亜科に分類・・・
  ↓↑
 薬草や観賞用植物として
 平安時代より用いられ
 宮中では
 「菊の節句」
 とも呼ばれる
 「重陽の節句(旧暦9月9日)」が
 明治時代まで行われ、現在も
 皇室園遊会(観菊御宴)の行事
  ↓↑
 日本の秋を象徴する花
 鎌倉時代の初め
 「後鳥羽上皇が菊の花の意匠」を好み
 「菊紋」を皇室の家紋とした頃から・・・
 九州の豪族
 「菊池氏」も家紋に「菊花」、「菊葉」を使用
 育種が一気に展開したのは江戸時代
 元禄期(17世紀末)以降
 正徳頃からは
 「菊合わせ」と呼ばれる新花の品評が行われ
 江戸、伊勢、京都、熊本などで
 独自の品種群、系統が生じた
 「三段仕立て」などの
 仕立ての様式
 やその丹精の仕方なども発達
 菊花壇、菊人形など様々に仕立てられた菊が観賞
ーー↓↑ーー
 『菊と刀』(きくとかたな、原題:The Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture)は、米国の文化人類学者ルース・ベネディクトによる、日本文化を説明した文化人類学の著作
 『菊と刀』
 ベネディクトの戦時中の調査研究をもとに
 1946年出版
 ベネディクトは
 フランツ・ボアズ
 より教わった
 急進的な文化相対主義の概念を
 日本文化に適用するべく
 恩や義理などといった
 日本文化『固有』の価値を分析
 本書は
 戦争情報局の
 日本班チーフだった
 ベネディクトがまとめた
 5章から成る報告書
 「Japanese Behavior Patterns
  (日本人の行動パターン)」
 を基に執筆
 ベネディクトは
 日本を訪れたことはなかったが
 日本に関する文献の熟読と日系移民との交流を通じ
 日本文化の解明を試みた
 『菊と刀』は
 アメリカ文化人類学史上最初の日本文化論
 ↓↑ 
 『菊と刀』
 日本文化の価値体系の独自性を強調・・・
 日本文化が西洋文化とは
 対極の位置に置かれていることに批判・・・対極じゃない?
 日本の文化を外的な批判を
 意識する
 「恥の文化」
 と決め付け
 欧米の文化を内的な良心を
 意識する「罪の文化」
 と定義した・・・
 ベネディクトが最初に考えていたタイトル
 “We and the Japanese”
 だったが、執筆中に
 “Japanese Character”
 に変更
 I章を読んだ段階で出版社は、第I章につけられた
 “Assignment: Japan”
 がよいとした。ベネディクトは同意したが
 代表作である
 "Patterns of Culture"
 を使った
 “Patterns of Culture: Japan”
 への変更を希望、容れられない場合は
 日本に行ったことがないので
 “Assignment: Japan”
 ではなく
 “Assignment: The Japanese”
 にしてほしいと要望
 その後出版社は
 “Patterns of Japanese Culture”
 を提案するも、編集会議で
 “The Curving Blade”
 “The Porcelain Rod”
 “The Lotus and the Sword”
 の3案が浮上したことを告げ
 とくに
 “The Lotus and the Sword”
 を推してきたため、ベネディクトは
 「Lotus(蓮)」を
 「菊」に変えることを希望し
 現題に決定した・・・ 
 原題
 The Chrysanthemum and the Sword
  (クリサンセマム)
 菊の名前=窮(きわま)るが語源
      一年の最後に咲く花
      学名
     「Chrysanthemum(クリサンセマム)」
      ギリシア語の
     「chrysos(黄金)」+「anthemon(花)」
      が語源・・・
 ・・・「黄金の花」・・・「Lotus(蓮)」・・・
 「南無妙法蓮華経」
 「南無妙法-蓮(艹+聯)華-経」・・・
     「蓮=艹+連=艹+聯(聨)」
 は仏教で用いられる言葉で
 「南無=namo(サンスクリット語)=私は帰依します」
 と意味
 「妙法蓮華経」の五字は サンスクリット語の
 「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ
   (saddharma-puNDariika-suutra)」を
 鳩摩羅什が翻訳し
 「法華経南妙法蓮花」・・・
 「南無妙法蓮華経」の
 七字で
 「法華経の教えに帰依をする」の意味・・・?
 「南には妙なる法は無い、聯解の御経」・・・?

「袁=十一口𧘇」の意味・・・伸びる・延びる・暢・蒜・・・ひる・・・?

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 ・・・「ロッド・スチュワート」を調べていたらコンピュータ、固まちゃった・・・「カタイ(硬・過怠・花袋・下腿・下体・嬛・難)-マル(丸・○・円)」って?・・・「嬛=女+瞏=かたい・ケン・ケイ・ギョウ・嬛嬛=ケイケイ・ひとりのさま・たよるところのないさま・ケンケン・たをやか・しなやか・嬛嬛=huanhuan(ホアンホアン)」・・・「瞏=罒(網)+一+口+衣(イノ乀ノ)=驚き見る・煢・赹と通じて孤独・惸と通じて憂う・還と通じて還る、もとに戻る」・・・「環」なら「玉環=楊貴妃」だが・・・
 「口の下の部分は死者の襟元」?・・・「罒の下は、袁の省略形
形声文字、意符の玉+音符の睘」・・・
 「睘は、康煕字典にある俗字で
  瞏の一部を省略した字」・・・睘=瞏=罒+土+口+𧘇
 「袁=ゆったりした衣服・死者の衣服」・・・「ロングスリーブス=長袖」だろう・・・
 ↓↑
 「デビー・レイノルズ(Debbie Reynolds)
  1932年4月1日~2016年12月28日
   壬申(己・壬・庚)⇔丙申(己・壬・庚)
   癸卯(甲・ ・乙)⇔庚子(壬・ ・癸)
 4/1壬辰(乙・癸・戊)⇔甲申(己・壬・庚)
   ↓↑
3/31辛卯(甲・ ・乙)
4/2癸巳
   午未=空亡
  テキサス州エルパソ出身
  本名
  Mary Frances Reynolds
 (マリー・フランシス・レイノルズ)」
 Debbie Reynolds-a home
  in the meadow-how the west was won
 ↓↑
 類字熟語は「遠足・遠投・袁等」
 「袁=𠮷(十一口)+𧘇」
        ・・・異体字は
           𡋡・𡊮・爰
           声 符は
           叀・叀・袁・園・轅・猿・遠・瞏
 ↓↑
 「グリーンスリーブ=green sleeve
           How the West Was Won (1962)
           the grand finale」
https://www.youtube.com/watch?v=737JDlHqKHc
 ↓↑
 「哀=あわ-れ・あわれむ・アイ=亠+口+𧘇」
 「褁(裏)=うら・リ=果+𧘇」
 「裏=亠+果+𧘇」
 「裏の異体字は褁・䙨・𦆪・裸・・・裸(はだか)が「うら」?
    声 符は果・夥・祼・裸
        髁・敤・菓・踝
        㚌・稞・𩸄・淉
        蜾・顆・婐・窠
        課
        説文解字の説明「纏(まと)ふなり、衣に従」
 「表=おもて・ヒョウ=主+𧘇=亠+土+𧘇=十+一+衣(亠𧘇)」
                  ・・・表裏一体
 「衷=チュウ=亠+中+𧘇=十+口+𧘇」・・・折衷
 「褒=ほめる・ホウ=亠+保+𧘇」・・・・・褒美
 「衰=おとろ-える・スイ=亠+口+一+𧘇」・衰退
 「蓑=みの・艹+亠+口+一+𧘇」・・・美濃・箕・三幅
 ↓↑
 ・・・そもそも、「𧘇」の意味が知りたいのに、説明が曖昧である・・・「𧘇」を更に分解すれば、
 「ノ(ヘツ)」の
 「乚(イン・乙の変形)
   or
  逆鈎(鉤・亅)」の
 「乀(フツ)+ノ(ヘツ・ヘチ)」・・・
 ↓↑
 「衣=亠(音の字の省略字)+𧘇」・・・類字の類似は
               爪(つめ・ソウ)=𤓯・𤓰
               氏(うじ・シ)
               瓜(うり・カ)=蓏(苽)
        陏(うり・おちる・なまける・ダ・ズイ)?
 「衣=身に纏う着物の総称
    上半身に纏う着物
    下半身は裳
    身に纏う・包み込む・覆う・ころも」
 「ネ衣衤=ころもへんの部首名
      衣=䘚=卒・卆」・・・
     「䘚=衣+十
      卒=亠+人+人+十
      卆=九(乙ノ十)+十」
 「亠+𧘇(ノ+レ+乀+ノ)=亠+𧘇(イ+レ+乀+ノ)」
 「衣+裳=深衣(シンイ)
     =上衣(衣)と下衣(裳)を腰の部分でつなげたもの
      直裾(チョクキョ)?」
 裾(すそ・キョ)=衣服の下のへり
 袖(そで・シュウ)=衣服の腕をおおう部分
 袖(そで)=筒状になっていて腕を通す部分
       スリーヴ(sleeve)
       マンシュ(仏語 manche)
 ・・・「直衣(のうし・なおし)」は貴族の平常の普段着・・・
ーーーーー
 assignment=アサインメント
 assignment=割り当てられた仕事・課題
       アサインメント
       亜差意務面 訳?
       亜債 務埋務賭?
       ア=蛙(鴉・丫・阿)
       サ=作
      イン=音・韻・陰・隠・因・允・引・寅⇔虎・彪
      メン=面・綿・免・孟⇔猛・建・健・武・尊
       ト=渡・徒・都・兎・蚪・図・訳
 assignment=学生の宿題、研究課題⇒homework
 give an assignment
 (宿題を出す・割り当てられた仕事・任命された仕事・職務
 to leave one's position, job or assignment
 (ある地位や役目から退く・引退・辞退)
 go out on an assignment
 (任務を帯びて出かける)
 on (an) assignment in ・・・
 (・・・で任務についている)
 pattern=パターン
 思考・行動・文などの型・様式・模範・形式・パターン
 a pattern for living(生活様式)⇒behavior pattern
 図案・模様・柄(がら)・図形
 デザイン・模様入り装飾
 自然、偶然についた斑紋
 ↓↑
 The Curving Blade・・・反った日本刀
   carving knife=肉切り用大型包丁
   湾曲=curve; flexure; arcuation
      curvature; axioversion; curvatura
      curve; bend; crook
   carving=木彫り・象牙彫りの彫刻
        彫り物・彫刻物
        肉を切り分けること・切り盛り
 ↓↑
 Porcelain=ポーセリン
 porcelain=磁器・素地がガラス化して透明性のある焼き物
       磁器製品・磁器類
       porcelain clay=陶土
       ポーセリン クレイ
       ceramics(セラミックス)=磁気=ジキ=字記
            施等視通玖珠(楠・樟・句素)
       China(チャイナ)=支那=シナ=品・級・詞名
       earthenware=ア(ル)サァヌゥェ(ル)
             亜 留 差案 植え る?
 ↓↑
 rod=木製、金属製などの棒・杖・竿(棹・さお)
    まっすぐで細長い若枝(茎・幹)
    タオル掛け、カーテンつるしの細い棒
   (a curtain rod=カーテンの吊るし棒
    刑罰用の棒または若枝などを束ねた笞(鞭)
    the rod
    むち打ちの罰・折檻
    細長く丸い棒・釣りざお(fishing rod)
    むち・むち打ち・まっすぐな若枝、小枝
    物差し
   (a long, thin pole made of wood or metal)
 ↓↑
 ロッド・スタイガー
 (Rod Steiger・本名:Rodney Stephen Steiger)
  1925年4月14日~2002年7月9日
  ニューヨーク州出身
 In the Heat of the Night (1967)
 ↓↑
 ロッド・スチュワート
 ロッド”・スチュワート
 (Sir Roderick David)
  (Rod Stewart,Sir)
 1945年1月10日~
 スコットランド系イギリスのミュージシャン
 Rod Stewart -「Sailing」
ーーーーー
・・・

舙(カ)=三舌=言葉を翻す・・・

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 ・・・カンジのベンキョウ・・・
ーーーーー
 氏(うじ・シ)・・・氒(ケツ)
 古代中国で、
 同一の先祖から出た
 血縁集団(姓)から分れ出た
 小集団
 小集団固有の名称のことを指した漢字
 氏にあたる
 各小血縁集団は
 姓にあたる
 大血縁集団のうち
 居住地や職業
 一族の中の社会的序列などによって
 独立した集団として認識される人々
ーーーーー
 氏=シ・うじ
   氏・shì・zhī
   異体字
   声 符
   「氏」シ=坁・疧・舐・軝・扺・紙・衹
        眂・芪・汦・䟗・忯・祇・蚔
        帋(かみ・シ)
       「氒(ケツ)=氏+十
          丸刃の彫刻刀
          彫刻刀などの
          先の丸い刃に柄がついた象形
          柄(l)に横線(-)が入った形⇔十
          篆文は
          「丸刃⇒氏」
          横線の入った「柄⇒十」に変化し
          氒(ケツ)となった
          彫刻刀で「ほる」の意味
           ↓↑
          「氒(ケツ)=氏+十
          丸刃の彫刻刀
          彫刻刀などの先の丸い刃に柄がついた象形
          柄に横線が入ったかたち
          篆文は
          「丸刃⇒氏」
          横線の入った「柄⇒十」に変化
          氒(ケツ)となった
          彫刻刀で「ほる」の意味
   「活=氵(水)+舌→「氵+氒+口」・・・生きいき・救う
          「千=氒」+口・・・「舌」とは別字?
       ・・・窄(すぼ)めた「舌(した)」そのものデス
   「氒=丸刀の彫刻刀・・・
     「氏=ノ=丸刀の刃」・・・「氏」は「刃物=ノ」
     「十=柄」
      丸くくびれ勢いよく流れること
      いきる・いかす・いきいきした勢いのある」
ーーーーー
 屶=山+刀=なた=鉈・𨦈・𨦻
 叺=かます
 宄=よこしま・キ
 孖=双子・双生児
 忈=ジン
 虍=とら・コ・ク
 襾=エ・ア
 佞=おもねる・へつらう・ニョウ・ネイ
 侫=おもねる・へつらう・ニョウ・ネイ
 俘=とりこ・フ・・・桴(ばち・いかだ)・殍(ヒョウ・ビョウ)
 斈=まなぶ・ガク・ガク
 孞=シン
 寽=とる・リツ・・・将=將
 妥=やすい・おだやか・ダ・タ・・・妥協
 俀=タイ・・・桵(たら・ズイ)
 彣=ブン・・・彪・・・彡(刷毛跡・爪痕)
 皀=キョウ・ヒョウ=白+ヒ(匕匕七・乚+一)・・・旨
 皂=ソウ・ゾウ=白+七
 皁=どんぐり・くろい・ソウ
 臫=キョウ=自+乚
 乖=そむく・もとる・カイ・ケイ=千+北
 佯=いつわる・ヨウ=イ+羊
 羌=エビス・キョウ・コウ
 咩=ビ
 嗟=なげく・サ・シャ
 羏=ヨウ
 羍=タツ
 羑=ユウ
 𣴎=うける・ショウジョウ
 丵=サク
 ↓↑
 侈=おごる・シ=奢る・驕る・奓(大+多)
 砉=ケキ・カク=
 ↓↑
 丶・丿・乁・乀
 亅・丨・一
 乙・乚
 亻・彳
 匕・七・ヒ
 勹・匀・勾・匂
 匃・匌・匈・丒
 匊・勻・包
 ↓↑
 儿・兀・几
 冫・氵・癶
 冖・亠・㓁・𤇾
 冂・禸・囟(ひよめ・シン)・囱(まど)
 凵・匚
 厂・广・疒・厃・气
 冎(カ)
 刂・刘(リュウ)・刓(けずる)・刔(えぐる)
 𠆢・亼・众(ギン)
 厶(私)・幺・么・纟
 丁・丅・亍
 丷
 关(わらう)
 屰(さからう)
 ノ-𠂉(かみさし)
 𠔉
 夂・夊
 廾・扌(手)・又(右手)
 夕・歹・梦(ゆめ)・
 巳・已・己
 㠯・𠂤
 弖・弓・氐・氏
 彐・㚑(レイ)・夛(多)・々・ヨ
 忄・心
 忌・志・忩・忠・念・忞・忿
 悘・患・悉・悤・悊・您・悠
 悆・恿・悥
 怡・悩・忐・忑・忒・忍・忘・・・妄想
 ・・忰・枠・㳃・砕・・・忲
 ↓↑
  應=广+隹+心=応=广+心・・・応援
    一応・感応・供応・饗応・呼応
    順応・照応・相応・即応・対応
    適応・内応・反応
    応答
   「小太鼓の一種・振り鼓・木製の長方形の打楽器」
   「指名され応じる」
   「まさに~べし・・・・・・決断
    おそらく~であろう・・・推断
    当然~すべきであろう・・義務」
 宀・冖・穴
 尸
 屮・艸・丱・艹・䒑
 爿・片
 彡・巛・・・匘=ノウ=脳
 犭・豕(猪・豚)・豸(チ・ジ)
 阝(邑・阜)
 朮・本
 末・未
 辶・辷(すべる)・辿(たどる)
 戈・弋・戛・戞・戟𠀋
 灬・㣺
 爫(爪)
 網・罓・网・罒・𦉰
 毌=貫=つらぬく・カン=擐・毌
 毋=ない・なかれ・ブ・ム
 母=はは・ボ・モ・ム
 拇(おやゆび・ボ・ボウ)・・・母なのに「親指=父」?
 无(ない・ブ・ム)
 旡(キ・ケ)
 牙(きば・ガ・ゲ)
 兂(かんざし・シン)
 圥(ロク)
 木・朩・欠・止・歹・殳
 仌・允・介・𠫓
 丰(すがた・フウ・ボウ)
 丯(耒・すき・ライ)
 𡗗(三+人)
 㐄(カ)
 㞢(屮+一・之・ゆく)
 从・亢・只
 㠯・衤
 戉・戊・戍・戎・戌・成
 电・疋・了・𠄐
 巨
 夬
 业・尔・夗・且・丕
 尼・它
 罒・圥・乎
 礻・弗・幼
 禾・禸・乍・尓
 龸・刍・㐱・㕣
 匃・包・匆・灭・钅
 歺・氺・氶・冉・冋
 冎・氐・母・卉
 龱・犮・瓦・㐌
 末・本・未・朮・术
 卌・甲・由・田
 ↓↑ 
 网・缶・聿・耒・而
 䏍・屰・旬・旨
 龹・𦍌・㐬・戍・戌・㐫・杀・朿
 糹・糸・㓞・竹・𢦏
 幵・并
 尗・囟・亘・叒・覀
 虫・舛・襾・厽
 乑・亦・衣
 衤・虍・产・𠔉・艸・多・夅・至
 𠂤・吋・冎・关
 吕・夸・刖・吂・兇・臼
 吅
 甫・豸・旲・豕
 兑・冏
ーーーーー
 衣裳(イショウ)・・・「衣裳=衣装」
 帷裳(イショウ)
 霓裳(ゲイショウ)
 「裳」
 裳(チマ)・裳(も・ショウ)・裳階・裳層(もこし)
 裳裾(もすそ)
 下半身に着るスカート状の衣類
 衣裳・霓裳(ゲイショウ)
 裳裾(もすそ)・玉裳(たまも)
 裳(も・ショウ)=龸+口+衣
 衣・裔・裹・裘・衾・袈・裟
 裁・襲・裳・襄・衰・製・褻
 装・袋・衷・裴・表・襞・褒
 袤・袰・裏・裂
 異体字
 常
 声 符
 尚・嘗・棠・䟫・掌・堂
 瓽・敞・賞・常・當・黨
ーーーーー
 ・・・34画、「䯂(シン・シュウ)」・・・
 䯂=驫+木=馬+馬+馬+木(十八)
    「キ(記)の上の三馬」?
      瑪拉基書=マラキ書(旧約)
      馬太福音=マタイ福音書(新約)
      馬可福音=マルコ福音書(新約)
   異体字
  「㮰=木+囟+比・・・鎞(くし・へら)・蓖(ヒ・ハイ)
   声 符
  「驫=群馬・群れる馬・騎馬隊」
   驫=はしる・とどろく・ヒョウ・ヒュウ
     馬+騳=三馬
 ↓↑
 理義字=同じ漢字を二、三、四重ね合わせた漢字?
     象形が奇妙な漢字
ーーーーー
 ・・・「磊+石=四×石=ライ・大胆」、「䨻=四×雷=ホウ・ビョウ・雷の音」・・・「譶=三×言=トウ・早口」、「譶+言=四×言=シ・言語不詳?」・・・

義侠って・・・義教・・・疑教・欺教・魏教・・・

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 ・・・「美談形成・傾城・経世・警世」・・・もし、「犯人」が別に存在し、あの告白が後輩の選手生命を救う嘘(?)だったら・・・「競技=生活=カネの世の中」・・・「阿諛(アユ)追従・阿諛曲従・阿諛迎合・阿諛傾奪」・・・幼いころから幾度も競技の頂点に立ち、プライドのある先輩が・・・「私利私欲(権力者に媚びて)で他人を失脚させ、地位などを奪う」なんてコトは信じたくはない・・・しかも「武士道国家の恥」もイイトコだが、すべからく「国家」は「武力・権力」を握った人間達の「私利私欲」で形成されてきたのだ。今現在の「国家意思」は「プチブル意識の出世と金儲け」で運営されている。Olympicに参加できれば生活が保障され、名誉も・・・だが、「プロとしての競争」での生き残りである・・・「阿諛(アユ)」は相手の気に入るように振る舞うコトバ・・・「傾奪」は他人を陥れて地位などを奪うコトバ・・・「貶める・地位を奪う」・・・「良心の呵責で自分の罪を告白、告発」したのか?・・・「自分の犯した罪に慄き、裏切り行為の罰を周囲、世間から制裁を受けたかった」のか?・・・「甘えの構造」を想い出すが・・・S天皇は戦中、皇居に爆弾が落ち、「これで国民と同じ立場になれた、と喜んだ」とか・・・
 ・・・ボクも、ヒトを裏切って、彼らのリンチを望んだコトがある・・・「リンチ」は当然である、と・・・殴ってくれれば、裏切った、と云う後ろめたい苦しい気持ちから少しは「解放」されるかも、って・・・だが、彼らはボクの期待なんかを無視した?・・・オマエなんかの裏切りで、大勢がカワるワケがない、己惚れるんじゃぁないョッ・・・
 確かに「義理と人情」での裏切り、「義」を整合性、合理性のある「正義=理窟・理論」と考えていたボクには「義の理はワレにあり」であった・・・「正義=善悪の倫理・道徳」?・・・理窟、理論では筋を通せた、とオモッテイタガ・・・「正義の基準」、「悪義の基準」って?
 「義理の兄弟・義兄弟」である・・・「義の理」は「社会正義」とは関係ないらしい・・・「仮の理・偽の理・宜(便宜)の理」?
 要は「血縁関係の無い他人との関係を結ぶ義(思想)」で、この関係性は「一宿一飯」の「施し」に対する「任侠道の貸し借りの思想」である・・・「仁侠、義侠心、侠気」、「一宿一飯」の「施し」を受けた借りは返す・・・これには「自己犠牲精神」、「勧善懲悪」は重ならないだろう・・・「貸借関係(give & take)」である・・・
 古代中国に「食客=居候」を置いた「孟嘗君=田文」が存在した・・・この「食客」は「情を施されれば命をかけて恩義を返し、義理を果たした」・・・これが「任侠道」?・・・
 「聖徳太子の十七条憲法の第六条」に「懲悪勧善。古之良典(悪をこらしめて善をすすめるのは、古くからのよいしきたりである)」と記録があるそうだが・・・そもそも「悪」ってナンなんだか?
 「食客=居候」、
 「君主が才能のある人物を客として遇して養う代わりに、主人を助けるというもの。門客(モンカク)」とも・・・ヤッパ「give & take」だろう・・・相互利害関係・・・
 「食客=居候」の中には「任侠の志を持ち、場合によって、主人に命を預け、逆に悪なる主人を裏切り殺害した(懲悪)」?・・・儒教の「君臣忠義、忠誠」でもない・・・
 「任侠精神=勧善懲悪=貧困、困窮者、弱者を援け、彼らを圧迫、乱暴、狼藉、脅迫、強奪する者をヤッツケル精神」・・・?
 江戸時代のヤクザ社会と、ヤクザ渡世の世界の掟は
 「一宿一飯
  一家と客分の秩序=施した(貸した)恩義と
           施された(借りた)義理の返済
           他組織との出入り時の加勢(用心棒)
  一家の親分子分の絶対服従序列秩序
  地域の請負事業
  祭り興行の取り締まり
  地域の治安警察の請負」
 ・・・「Outlaw」・・・「Out law」なのに「police」って?
 ・・・「任侠道」?・・・「貸借=タイシャク=帝釈」関係?
ーー↓↑ーー
 問題は「人情=人の情」である・・・「情けないヒト」って?
 「義理と人情」を「秤(はかり)」には架けられないだろう・・・なんせ、「情=忄(心)+主+月」・・・心を操る主は月・・・「モリヤマカヨコ」が歌っていた「『月影のナポリ(Tintarella di luna)』」・・・
 「人情」とは「恩義(恩誼)」、「恩の理窟(義)・論理(義)」だと思っていたが、調べたら
 「恩義(恩誼)=報いなければならない、義のある恩」?・・・なんか、違う・・・人情は「恩返し=理=義」ではない・・・
 「義」は
  恩誼の誼=親しい間柄・親しい交わり
       親しい間柄から生じる情や好意・親しみ
  恩義の義=他人から受ける恵みや情けのこと
       恩・恩恵・恩情・恩義・報恩・恩顧・恩情」
  ・・・「親しい間柄」≠「一般の他人」・・・
  「誼=以前からの親しい関係・昔馴染みの人々・仲よし・ゆかり・因縁・はかる・物事のよしあしを論じる・旧誼・交誼・厚誼・情誼・友誼・古誼」
 「義(羊+我)=誼(言+宜)」?・・・義訊・義人=誼(言+宜)訊・誼人には無理がある・・・義人が「親しい知り合いの人物」、と、一般化するには無理がある・・・「親しく知り合いになるべき人物」ならば・・・宜乎 (うべなるかな)?・・・
 「宜=宀+且=よろしく・かつ」・・・「宜=むべ・うべ・なるほど・もっともなことでよろしい・程よくかなっている・機宜・時宜・辞宜・適宜・便宜」・・・「宜乎 (うべなるかな)」、「禰宜 (ねぎ) 」・・・
 「且=月(冃)+一=かつ・しばらく・とりあえず
           ショ・シャ
     苟且 (コウショ)=苟且(かりそめ)」
「かさねる」の意を持つ会意、兼、形声文字
 「組=繊維を重ねてくむ
  俎=モノを重ねて切る・・・俎板=まないた=真名板
  祖=世代を重ねる
  阻=土(土塁)を重ねてはばむ
  査=木組みを使ってはばむ
    捜-査=木(十八・壱拾捌)を重ね止め調べる
       検査・査察・探索・捜索
  助=力を重ねてたすける
    接続詞の「かつ、~も、また」
 「メグミ」は判るが
 「ナサケ=忄(心)+青(主月・亠十一冃・丶王月)」って?・・・「心が青い」って、「若僧」・・・青二才・・・「青草人」・・・「青(あお・逭・蒼・碧)・・青=緑・・・「馬の毛色、青みがかったつやのある黒い馬」・・・
ーーーーー
 ・・・「心情・愛情・友情」・・・
 情=物に感じて動く心の働き・感情・・・五感が動かす心はアオ
   「憂国の情・好悪の情・知情意」
   他人に対する思いやりの気持ち・なさけ・人情
   「情の深い人・情にもろい」
   まごころ・誠意
   モノのアワレを知る心?・・・命は脆い、と云うコト?
   意地
   男女間の愛情・情欲
 ・・・「情」って「本能」ってコト?・・・
 咄嗟の出来ごと、瞬間の出来ごとで、身体が動いて自己救済・・・他人が絡めば、自分自身の如く身体が動いて他者を救済する・・・
 腹が減っている時、食餌を与えてくれる親、災害から自分自身の身を以て守ってくれる祖父母、親、兄弟姉妹、子供、孫、友人、同僚、そして御近所の人々、マッタクの赤の他人でさえも助けてくれた。時には敵対するヒトからも・・・状況的な自分自身への、あるいは他者への「共感、協感、共鳴(rapport・ラポール)」現象とその行為・・・自分の命の危険性には無自覚になる時の現象・・・
 溺れた子供を助けずにはいられない・・・その瞬間、「他者を愛せずにはいられない本能」・・・自分自身の「自律神経」としての「感と情」が働く・・・「感受性」と「情緒性」の人間の本質・・・スベテの動植物の存在根拠・・・?
ーーーーー
 「恩がある」とは「義の理・人の情」があろうが、なかろうが、「お世話になったコト」である・・・
 「世話になった者」にとって、「恩」とは「義理も人情」も関係無い、「無償、有償」も関係ない、「私利他利、自他の利」も関係ない・・・多分、自分自身に関わってくれた人々から受けた恵みや情け、只々、今まで生かされてきた諸関係のスベテの結果に対する無意識の「お返しの気持ち、お返しの行為」が、結果として「自己犠牲的行為」として、その場の自己行為として本能的に現象化する・・・
 「己だけがタスカル」と云うワケにはいかないナニかをしてしまうのが人間・・・助かったか、どうかは結果論である・・・
ーーーー 
  急=刍+心=刀+彐(ヨ)+心
   㤂は、〔集韻〕の本字。
   忣は、〔正字通〕に「㤂と同じ」とある異体字
   𢚩は、〔康熙字典〕にある俗字。
 ↓↑
 邹=刍+阝
   異体字は「鄒」
   繁体字は「鄒」
 急=刍+心
   いそぐ・突然・差し迫った・速い
   変化の激しい・重要な・重視する
  「褊(かたよ)るなり(説文解字・巻十)」
   字形=形声で声符は「及」
      「及」は後ろ から捕まえるという字
      「篆書は
       㤂という形で
       隷書で
       及が変化し
       刍(刀+ヨ・ク+ヨ)のようになった・・・?
   急患・急急・急遽・急激・急行・急死・急所
   急進・急須・急性・急逝・急切・急速・急転
   急難・急募・急務・急流
   救急・至急・緊急
 ↓↑
 芻狗=刍狗・・・芻狗(スウク)=藁の犬
         快気祈願や厄払いのために
         神前に供える藁(わら)細工の犬
        「天地不仁、以万物為芻狗
         聖人不仁、以百姓為芻狗(老子)」
        「藁(わら)の男」、
        って云う
        「イタリア映画(ピエトロ・ジェルミ監督)」
        「藁(わら)の女」、
        って云う
        「ギリス映画(Woman of Straw)」
        があった・・・
   芻=刍
   かる(刈)・草刈り・蒭(馬草)・藁(わら)
   シュ・ス・スウ
   刈る・草を刈る・刈る人
   まぐさ・ほし草・家畜の飼料
   まぐさかう・家畜を飼う
   草を食べる動物
   反芻(ハンスウ)
   皺(しわ)=芻+皮
   芻=勹+屮+勹+屮
      屮=凵+丿=くさのめ・テツ・ソウ
       =芽生えた草木・芽生え

      艸=屮+屮
        屮+屮
        「屮」と「屮」は別字・・・?
        「丿(ヘツ・ヘチ)」≠「l・礀(コン)」
        異字だが同義だろう・・・
 煞=刍+攵+灬=シャ=異体字は「殺」
 ↓↑
ーーーーー
 从 ジュウ、ショウ したが-う、したが-える 「従」の異体字
 厸 リン 「隣」の古字
 双 ソウ ふた
 夶 ヒ 「比」の古字
 奻 ダン 言い争うさま
 簠 シ ふたご
 幵 ケン 揃っているさま
 弜 キョウ、ゴウ 強い
 艸 ソウ くさ 草
 竝 ヘイ なみ 「並」の異体字
 羽 ウ は、はね
 林 リン はやし
 弱 ジャク よわ-い
 兢 キョウ つつしむ、恐れる
 競 キョウ、ケイ きそ-う、せ-る
 竸 キョウ、ケイ きそ-う、せ-る 「競」の異体字
 朋 ホウ とも
 祘 サン かぞ-える よく見て数える
 竽 テツ 「哲」の異体字
 絲 シ いと 「糸」の旧字体
 甡 シン 多いさま
 兓 シン、サン 鋭い、尖る
 兟 シン 進むさま
 昍 ケン 明らかなさま
 槑 バイ 「梅」の古字
 誩 ケイ 競う、言い争う
 囍 キ 双喜紋を参照
 虤 ガン 虎が怒るさま
 龖 トウ 龍の飛ぶさま
 ↓↑
 同じ漢字を3つの組み合わせ
 の漢字を
 品字様と呼ぶ(新撰字鏡)
 森 シン  もり
 品 ヒン  しな
 晶 ショウ  あきらか、澄んで輝いている
 轟 ゴウ  とどろく 大きな音
 姦 カン、ケン かしましい
 毳 ゼイ、セイ むくげ、けば、やわらかい
           細くて柔らかい毛
 蟲 チュウ  むし
 犇 ホン  ひしめく
 贔 ヒ、ヒイ いかる
 磊 ライ  小さなことに拘らないこと
 矗 チク  そびえる
 驫 ヒョウ  たくさんの馬が駆けること
 麤 ソ  あらい
 灥 シュン
    セン   いずみ 多くの泉、泉
 厵 ゲン 「原」の古字、「源」と同字
 鱻 セン  あたらしい 少ない
 龘 トウ 竜が空を行くさま
 㐂 キ  よろこぶ 「喜」の異体字・草書体に由来
 苕 ビョウ 水が広々と果てしないさま
 焱 エン  ほのお 火花、火の盛んなさま
 鑫 キン 金が増える、鉢、碗
 垚 ギョウ 土の高いさま
 众 ギン 人が多く立つ、また「衆」の簡体字
 猋 ヒョウ 犬が群れをなして走るさま
 叒 ジャク 「若」の原字、したがう
 厽 ルイ 土を積み重ねる
 芔 キ 「卉」の本字
 歮 ジュウ 「渋」と同字
 惢 サ、ズイ 疑う、しべ(蕊)
 畾 ライ 田間の地、砦
 羴 セン 羊のにおい
 舙 カ 言葉を翻す
 嚞 テツ 「哲」の古字
 譶 トウ 早口、早口で喋る
 ↓↑
 同じ漢字を4つ組み合わせ
 人 グ おそれ 「虞」の古字 8画
 㠭 テン の-ばす 「展」の古字 12画
 朤 ロウ 「朗」の古字 16画
 石 ライ 「磊」と同字 20画
 竹 ボウ、モウ 義未詳 24画
 言 シ 義未詳 28画
 果 コ 義未詳 32画
 風 ホウ 風 36画
 雲 ノウ 雲が広がっているさま 48画
 䨻 ホウ、ビョウ 雷の音 52画
 龍 テツ、テチ 言葉が多いこと、多言 64画
 興 セイ 義未詳 64画
 ↓↑
 上下に同じ漢字を2つの組み合わせ
 亖 シ よ、よん 「四」の異体字
 仌 ヒョウ こおり 「氷」の原字「冫」の古字(篆文)
 圭 ケイ
 炎 エン ほのお
 ↓↑
 文字の中に
 理義字が含まれる漢字
 蠢 シュン うごめく
 螽 シュウ、シュ いなご
 蟁 ブン 昆虫の蚊のこと
 協 キョウ、ギョウ
 脇 キョウ、コウ わき
 恊 キョウ、ギョウ
 蛠 レイ
 囁 ショウ、ジョウ ささや-く
 顳 ショウ、ジョウ
 蕊 ズイ、ヌイ しべ
 茘 リ、レイ
 荔 レイ
 澁 ジュウ
 藟 ルイ
 櫑 ライ
 礧 ライ
ーーーーー
 ・・・スゴイねッ・・・とどろき=轟き・等々力・驫木・軣・・・轟木・・・二十六木・・・なんで、「二十六木=とどろき」?・・・
 二十六木・・・十十六木(とどろき)・・・
 廿六木村(秋田県)
廿六木村(山形県)
廿六木 (新潟県)
 十々六木(埼玉県)
 十々六木(埼玉県秩父郡大滝村)
      「二十六木・十十六騎・轟
       水の流れる音、滝の音の擬音
       諸国の動木、等力、二十六木
       と書いてトドロキと読む地名は
       みな同意」・・・
 ???

ハナシのツメ・・・「疑義」・・・

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 ・・・「羊たちは何時まで沈黙するのか?」・・・「羊」は「我」なり・・・TV画面・・・アマリにも笑顔で「ジンギスカン(成吉思汗)」を頬張っている人々・・・旨いんだろうナッ・・・ツミなんかは毛頭感じないんだろうナッ・・・「マトン(成羊肉)やラム(仔羊肉)などの羊肉を用いた日本 の焼肉料理・鍋料理に分類されることもあるが調理方法は鉄板料理の調理方法)」・・・タダ、タダ喰われる為の「家畜」?・・・喰うのは「鬼畜」?・・・植物から「肉のような蛋白質の合成」・・・天馬博士、早く「チッソ合成蛋白質機械」を発明して下さい・・・人間が「人間?」になる為に・・・「ギ」の同音漢字のマヤカシ・・・
ーーーーー
 「義(よい・ギ)」=「羊」+「我=ノ+扌戈(弋+丿)」
 人間の行動・志操・道徳で
 「よい・ただしい」とされる概念
 「義人=堅く正義を守る人
     わが身の利害をかえりみずに
     他人のために尽くす人
     奸=行動・志操・道徳が
      「わるい・よこしま」
 漢字における「義」
 本来「外から来て固有ではないもの」という意味
 義手・義足・義父母・義兄弟
 後に
 血縁関係にない仲間同士を結び付ける倫理を意味
 更に時代が下って後漢末期に
 「他者と共同で行う第三者のための事業」
 という意味も発生
 「義舎・義学・義田」などの
 無償の施設などを指す言葉としても用いられた
 「慶応義塾」って、授業料はタダなんだ・・・?
ーーーーー
 「儒教の義」
 五常(仁・義・礼・智・信)のひとつ
 正しい行いを守ること
 人間の欲望を追求する
 「利」と対立する概念
 「義利の辨」
 孟子は「羞悪」の心が義の端であると説いた
 「羞悪の心」=「ほしいままに振舞う心性」
        を
        「羞(は)じる心のこと」・・・羞恥心?
        ・・・自己反省・自己批判・・・?
ーーーーー
 「仏教の義」
 仏教の本来の思想ではない
 中国における「義の観念」と結びついき
 「(公共)事業を指す語」として用いられた
 「後漢末期から南北朝時代にかけての中国では
  戦乱によって多くの人々が故郷を離れて流浪し
  それまでの
  血縁・地縁による結合が解体した
  折しも仏教の中国伝来と重なり
  大乗仏教が持つ
  利他思想と他者と結びつく
  救済するという
  中国の義の観念が融合し
  同じ仏教徒の間で
  血縁や地縁を越えて共同して
  造寺・造仏・慈善事業が行われた
  中国ではこうした集団を
  「法義・邑義」
  と称し
  朝鮮半島や日本では
 「知識」と称された・・・「義」が「知識」ですか・・・
ーーーーー
 「キリスト教の義」
 ギリシア語の
 Δικαιοσυνη dikaiosynee
 ディカイオシュネー
 と呼ばれるもの
 罪の対立概念
 これは
 他者に対して
 義(ただ)しい、誠実な、偽りのない態度で臨むこと
 そのような態度が可能である魂の状態
 義(ただ)しい人を
 「義人」と呼ぶ
 ↓↑
 福音書=パウロ書簡
 神によって
 「義とされる(義とする:ディカイオオー)」
 ことも同問題
 真に義であるのは神のみ
 「義人はいない」が
 人間は神を信じることにおいて
 義(ただし)さに近づくことができる
 信じないことは
 不義と同義
 「ヤコブの手紙によれば義(ただ)しさは
 神への信仰を表明することのみならず
 他の人間に対する行為において現れる
 ↓↑
 ルターは
 人が行動において義とされること(行為義認)を
 否定し
 信仰によってのみ人が義とされる(信仰義認)
 とし
 それまでのキリスト教で行われていた
 苦行、断食などを否定
ーーーーー
 「義(ギ)」
 日本語で漢字を用いる際の
 「意味」
 を表す
 漢字の三要素は
 字形
 音
 字義
 ↓↑
 「己の威儀なり・我+羊の会意」
 「羊+我声」・・・?
 「羊」を含む漢字は
 「祥・善 に羊を含むのと同じく
  ヒツジ(羊)を神に捧げる
  ギセイ(犠牲)に常用した習慣に基づく
 ↓↑
 もともと「宜」と同じく神への供物が
 くっきりと角張って美しく揃っていること・・・
 切り揃えた犠牲の肉の形が
 方形、長方形に揃っているコト・・・
 「書経・文侯之命」の「父義和の鄭注」に
 「義とは匹(そろう)なり」
 とある・・・
 「礼記・中庸」に
 「義とは宜なり」
 「礼記・祭義」に
 「義とはこれに宜(よろ)しきなり」
 とある・・・「義=宣伝」・・・?
 転じてすべて
 角(かど)のあるさまを
 「義・儀」という
 「娥(美しい女)」とも同系・・・「女の我」が「義」?
 ↓↑
 解字
 会意-兼-形声
 我=ギザギザと角(かど)めのたった
   戈(ほこ・矛・鋒・戛・桙・鉾)
   を描いた象形文字?・・・鋸(のこ)だろう・・・
 義=「羊(形のよいひつじ)+音符我」で
   もと、角目(かどめ)がたって
   形が方形でよいこと?・・・
   整って格好(恰好・カッコウ)が
   よいと認められるやり方を義(宜)という
   ・・・「郭公」・・・「郭務悰」?・・・
           「武士彠=武士彟」・・・
              尋=ヨ+エ+ロ+寸
                  =ヨ+寸
              蒦=艹+隹+又=萑+又
   「彠」在康熙字典中的解释(廣韻)
   「說文」本作蒦。蒦、度也。
       或从尋,尋亦度也。(馬融·長笛賦)
 ↓↑
 義→議(言義)→儀(イ義)=角目(かどめ)を立てる
 「義」=ベッタリと癒着することの反対・・・「貴の花」?
 ↓↑
 「君臣の義」
 君臣の間で角目(かどめ=門目)を立てた
「ギヴ アンド テイク」の関係
 封建制度=生産地(土地)を媒介にした「主従関係」・・・
 ↓↑
「君の臣を視ること手足のごとく親しければ
  臣は君を視ること腹心のごとし
  君の臣を視ること
  犬馬のごとくなれば
  臣は君を視ること国人(ふつうの平民)のごとし
  君の臣を視ること土芥(ドカイ)のごとくなれば
  臣は君を視ること寇讎(コウシュウ・かたき)のごとし」
  (孟子・離下)
 ↓↑
 「われ
  一夫紂を殺すを聞く
  いまだ
  君を弑(シイ)せりとは聞かざるなり
 (孟子・梁恵王篇)」・・・?
 ↓↑
日本の「君臣の義」 との違い・・・
 「予譲の逸話」?・・・
 「語義」=コトバどうしの「かどめ」・・・ニュアンス?
 その「かどめ正しい違い」を語義または意義という・・・?
 ・・・「かどめ」=「詳細な差異」のコト?
 ↓↑
 「義理の文」
    「議」=「すじめ」を立てた論法・・・筋の道目
    「儀」=「かどめ」を正した作法・・・碁盤の枠目
        計画、整備された碁盤目の都市・・・
 ↓↑
 「すじ道・かどめ・かどめが正しい」
「よしあしの判断」によって
 「適宜にかどめ」をたてること(孟子)
「長い経験によって社会的によいと
  公認されている筋道・(荀子)・・・慣習・風習?
 ↓↑
儒教の五常(仁・義・礼・智・信)の一つ
 「節義」
 「君臣有義=君臣には義有り(孟子・滕上)」
       よい(よし)
       (私)利欲に引かれず
       すじ道をたてる心
       みさお
       かどめただしい
 日本
 主君への義理だての意
 「正義・義士」
 公共のためにつくすこと・そのさま
 公⇒対語⇒私
「義倉=公共救済の米を入れておく倉」
 「義捐金(ギエンキン)」
 ことばや行いに含まれている理由・わけ・意味
 誼(ギ)=字義・意義
 ↓↑
 約束してちかった親類関係
 「結義(義兄弟のちかいを結ぶ)」
 「義兄」
 「義子(養子)」
 ↓↑
 名目上の・かりの・人工の
 「義足・義手・義眼・義髻(ギケイ・のせたまげ)」
 ↓↑
 家族
 我-義-宜-雁-岸-顔-言?・・・「かどばっている」家族
 ↓↑
 人のふみ行うべき正しい筋道
 「義務・義理・恩義・信義・仁義
  正義・大義・忠義・道義・徳義
  不義」
 ↓↑
 私欲を捨て公共のためにすること
 「義塾・義倉・義捐金」
 ↓↑
 意味・主旨
 「意義・奥義・疑義・教義・原義・語義・広義」
ーーーーー
 孟嘗君(モウショウクン)
 田 文(デンブン)
 ?~紀元前279年
 中国戦国時代の戦国四君の一人
 姓は嬀(ギ・女+爲)
 氏は田
 諱は文
 諡は孟嘗君
 斉の威王の孫
 ↓↑ 
 斉に帰った田文は宰相になり
 紀元前298年
 匡章を統帥とする
 韓・魏との連合軍で
 秦を討った
 田文は
 宣王の子の
 湣王のもとで宰相
 斉の国力を高めた
 湣王は増長し
 他国に強圧的な外交を行い
 それを諌める
 田文を
 湣王は宰相を罷免
 ↓↑
 田文のもとにいた食客3000人も立ち去ったが
 馮驩(フウカン)
 という食客だけは残り
 田文を斉の宰相に復職させるため策を用い
 田文を宰相に復職させた
 馮驩は
 立ち去った食客たちを呼び戻すように進言
 田文は自分が貧窮していたときに
 立ち去った食客を見限った
 馮驩は
 食客が
 好悪の情で去ったのではなく
 自分の識見を活かせなくなったので
 去っただけと諭して呼び戻すことを認めさせた
 ↓↑
 田文と馮驩(フウカン)=馮諼(フウケン)
 「孟嘗君伝(史記)」
 田文=デンブン=伝聞=伝文
 孟嘗君=モウショウクン=申章(称)訓
 馮驩=フウカン=封緘
 馮諼=フウケン=附得懸(建)
 ↓↑
 狡兎三窟(コウトサンクツ)
 ↓↑
 「孟嘗君伝(史記)」
 「一芸に秀でたものを迎えると公言している孟嘗君」に
 「特技は特にない」と言い放ち
 食客となるや
 「食事に魚がつかない」
 「外出時に馬車がない」
 「家がなければ妻子ももてない」
 と無心まがいの要求を続け
 孟嘗君を呆れさせた・・・
 ↓↑
 その後
 馮驩(フウカン)は
 弁才に優れることを買われて
 孟嘗君の領地である
 薛(山東省滕州市付近)の民から
 借金を取り立てる役を任されたが
 馮驩は集めた金で宴会を開き
 借用書の一部は焼き捨てた
 これを知った孟嘗君は
 馮驩を詰問したが
 馮驩は
 「嘘をつかせないためには
  領民を一カ所に集める必要があり
  そのための宴会だった」
 「返済能力がある者には完済を約束させたが
  返済能力がない者には何をしても取り返せない
  厳しく迫れば夜逃げする者も出よう
  そうなれば、
  『領主は領民よりも金を大事にし
   領民も領主を裏切って逃げ出す』
  と悪評が立つ
  私は、返済不可能の証文を使って
  領民の忠誠心と諸侯の歓心を買いました」
 と釈明し、孟嘗君もその考えを受け入れた
 ↓↑ 
 その後、孟嘗君は
 湣王(ビンオウ)
 によって罷免されるが
 馮驩は策をもって
 孟嘗君を宰相に復職させた。
 その時、去った食客を呼び戻すことを進言
 孟嘗君は難色を示したが
 彼らは好悪の情で去ったのではなく
 自分の識見を活かせなくなったので
 去っただけと諭して呼び戻すことを認めさせた
 ・・・食客・・・クウネルトコロの居場所の提供だろう・・・
ーーーーー
 ・・・「義=ギ=嬀」を詰めれば・・・「嬀=女+為=わるがしこい・キ・ギ」・・・「詰=言+士(十一)+口=つめる・つまる・つむ・なじる・キツ・問いつめる・詰(なじ)る・詰責・詰問・難詰・面詰・論詰・かがまる・詰屈」・・・結局は便秘・・・糞(雰・頒・運・韻・云)詰まりってコトか・・・句素・・・「頒布」、「雰囲気」じゃぁ、ドウしょうもない・・・疑義、解の記太弄・・・

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