・・・「愚痴」ぽいなッ・・・ヨブは・・・「Gucci(?)」のドコがイイんだか・・・「グッチ(Guccio Gucci)=1881~1953・イタリアの皮革職人・1921年フィレンツェに自身の店を開き、鞄を中心とした皮革製品を販売・事業は息子らに引き継がれ、皮革のほか衣服・時計なども扱う服飾ブランドなどの会社」ですか、「原価は何も意味を持たない。むしろ商品の値段が高ければ高いほどそれを所有することの価値も高くなる」・・・
なるほど、だが「ネコに小判」でもある。「市場商品価格」は「上下」する。「投資=博打」で買った今現在の北海道の「原野商法」での「土地」、「金融商品券」、使用目的ではない「投資=博打」の高級マンションも柱一本の傾きで「所有者の価値も、市場価格」もサガルのが鉄則である。
公共施設から「銅製品の部品」を盗んでいたヤツらも「銅価格」が下落しては「商売あがったり」だろう・・・
このコトバは「市場(私情)の需要供給=インフレ・デフレ」の「私有財産としての商品市場(私情)価格の表裏」を突いているんだろうが「使用価値」は。「飢餓に瀕し、食うコトのみの状況=エンゲル係数100%」の人間にとっては意味がない。「市場商品価格=交換価格」は「価値」では無い。「価値」とは本来「使用価値」と云うコトだ。「生産物の原価」こそが、「生産原価→交換価格→使用価値」との関係性で「本質的」な「価値の意味」を持つのさ。一度は「原価計算」で、その原価の内容を知るべきであろう。
「オイコノミア」は「経済学」ではなく、「プチブル損得カンジョウの心理学」である。
「グッチ」が学んだのは「金持ちの王侯、貴族の心理」である。そして、「イイ使用価値」としての、一般大衆にも手にできる職人としての「大量加工生産の革製品」であった。「エリザベス二世にプレゼントを」と側近侍従から進言され、彼は「鞄(かばん・ホウ・ビョウ)を女王に「進呈」したらしいが、女王一行が去った後、「金も払わん乞食はもう来るな」と発言したらしい。なるほど、この世の中には「タダのモノ」はない、である・・・
「カバン(鞄)」は外来語だと思っていたが、調べてみると
↓↑
明治二十二(22)年の国語辞書(言海)に記載
それ以前は、革手提・革袋・革包が当て字だったらしい
「胴乱(かばん・ドウラン)」は明治十年頃までの当て字
「夾板(キャバン)」で中国語からの訛り
英語は「 bag・satchel・briefcase・attaché case」
「kabas(オランダ語)」からの訛り
で、語源不詳らしい・・・調べていたら「フィリピン戦線の手記」らしく、
「・・・福田主計中尉は連隊長に同行して
カバン-グラサン地区で渡河
(大戦の果ての山野に第四章山峡を越えて(飢餓の山峡)の文章から)」
があった・・・
兵士の
「背嚢(ハイノウ)」なら
「ランドセル(ransel・オランダ語の訛り)
satchel(英語)で
日清、日露戦争で使用したモノだが 」
↓↑
「グッチ商品」だが・・・その商品市場では「王様も貴族も使用している」と云う心理を大衆に利用した「ブランド特許商品」としてのであったろう。「御用達商品」と云うコトだ・・・当時のファシスト(国家社会主義)政権にもオモネいた「商売上のコトバ」であったのかも・・・
で、ハナシはトブが、「国家社会主義」は存在しても、「国家」が存在する限り「共産国家」などは存在しないのであり、「存在しなかった」のである。「国家≠共産主義=思想」であり、言葉が矛盾しているのだ。「国家」とは「階級支配国家」であり、「共産主義」とは字面通りの全地球規模の「人間社会の生産物の共産=共有=共同使用」である。ここには「選択の自由競争」が無いのか?・・・「自由は有る」、だが「思想」として「難民になる自由選択」、「戦争で殺傷する自由選択」、「貧困で死亡する自由選択」、「権力出世・私有財産保有、生産物の投機的市場価格の自由はない」・・・そもそも、「自由」とはコレラからの「階級支配の抑圧的な社会制度からの解放」と云うコトである。「ナマケモノになる」、「勝手気ままに」と云うことではない・・・では、今現在の「自由」とは「生産原価の交換価格を自由に選択出来る」と云うことである。ダレが?・・・カネがあれば、ダレでも、であるが・・・命の長短はカネで買える可能性はあるが、「寿命」はカネで選択できない・・・「ミダス王」もそうだった・・・
で、貧乏人には「最低限の生活の衣食住の使用価値」こそが問題である。小さいレタス一個が200円、キュウリ一本が100円の「販売価格」じゃァ、食べたくても、とても買う気にはならない。買っても腐らしてしまえば食糧としての「使用価値」もなくなる。だが、腹の足しにもならない、吸わなくても命には支障がなく、寧(むし)ろ、健康に害があるらしい「タバコ(わかば)」、ワンカートンを2500円で買ってしまう・・・「グッチの真理なのか、心理なのか」・・・
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旧約聖書
約伯 記
ヨブ・・・・・与分記
余部 記・・・呼ぶ記(紀)
第7章
7:1
地上の人には、
激しい
労務があるではないか。
また
その日は
雇人の日
のようではないか。
7:2
奴隷
が
夕暮を慕うように、
雇人が
その
賃銀を望むように、
7:3
わたしは、
むなしい月を
持たせられ、
悩みの
夜を与えられる。
7:4
わたしは
寝るときに言う、
『いつ
起きるだろうか』
と。
しかし
夜は長く、
暁まで
ころびまわる。
7:5
わたしの肉は
うじ
と
土くれとを
まとい、
わたしの皮は
固まっては、
また
くずれる。
7:6
わたしの日は
機
の
ひより
も
速く、
望みを
もたずに消え去る。
7:7
記憶せよ、
わたしの命は
息にすぎないことを。
わたしの目は
再び
幸を見ることがない。
7:8
わたしを
見る者の目は、
かさねて
わたしを
見ることがなく、
あなたが
わたしに
目を向けられても、
わたしはいない。
7:9
雲が消えて、
なくなるように、
陰府に下る者は
上がって
来ることがない。
7:10
彼は
再びその家に帰らず、
彼の所も、
もはや
彼を認めない。
7:11
それゆえ、
わたしは
わが口を
おさえず、
わたしの霊の
もだえ
によって語り、
わたしの魂の
苦しさによって
嘆く。
7:12
わたしは
海であるのか、
龍であるのか、
あなたは
わたしの上に
見張りを置かれる。
7:13
『わたしの
床は
わたしを慰め、
わたしの
寝床は
わが嘆きを
軽くする』
と
わたしが言うとき、
7:14
あなたは
夢をもって
わたしを驚かし、
幻をもって
わたしを
恐れさせられる。
7:15
それゆえ、
わたしは
息の止まることを願い、
わが骨よりも
むしろ
死を選ぶ。
7:16
わたしは
命を
いとう。
わたしは
長く生きることを
望まない。
わたしに
構わないでください。
わたしの日は
息に
すぎないのだから。
7:17
人は何者なので、
あなたは
これを大きなものとし、
これに
み心を
とめ、
7:18
朝ごとに、
これを尋ね、
絶え間なく、
これを
試みられるのか。
7:19
いつまで、
あなたは
わたしに
目を離さず、
つばをのむまも、
わたしを
捨てておかれないのか。
7:20
人を
監視される者よ、
わたしが
罪を犯したとて、
あなたに
何をなしえようか。
なにゆえ、
わたしを
あなたの的とし、
わたしを
あなたの
重荷とされるのか。
7:21
なにゆえ、
わたしの
とがをゆるさず、
わたしの不義を
除かれないのか。
わたしは
いま
土の中に横たわる。
あなたが
わたしを尋ねられても、
わたしはいないでしょう」。
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愚痴・・・「グ・チ」・・・「グチ」と「グッチ」のカンジ
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