・・・「カステラ」は「文明導」で、「文化同」ではない・・・「文明=文を明らかにする・文の意味を明確にする・文の範疇、本質、内容、カテゴリー(category)をハッキリさせる」、「文化=文を変化させる・原文の文字を異文字、異文章の同意で翻訳する」・・・「原文の文字の音附を同音異字、同音異文字のコトバに変化させる」・・・以前にも書き込んでいた「カステラ」だったが・・・3時の「オヤツ」は様々ではあるが・・・昨日は「カストロ」だったが・・・本日は「三月三〇日=サンジクサンジュウニチ→纂肉纂拾似知」なので「カステラ」を再調査してみた・・・
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間食(カンショク)=「おやつ」・「おさんじ」
中食(ちゅうじき)、間食(かんじき)
昼食と朝・夕食の間にとる
「軽い食事=軽食(ケイショク)」を
「小昼=こひる、こびる」・・・媚びる?
ショウチュウ=焼酎・掌中?
章中・省中?
という
↓↑
おやつ=「御八つ(どき)」の時間帯
江戸時代の
「八つ時(午後3時頃)」・・・八つ時(午後2時~4時まで)
江戸の刻(とき)
↓↑
明け六ッ(日の出・夜明)、
暮れ六ッ(日の入・日没)
が基準
一日の時間帯
(24時間=十二刻=十二干支の時計円盤)
それぞれを
午前と午後に分け
更に
六等分したのが
一刻
一刻≒2時間
半刻(はんとき)≒1時間
四半刻(小半刻)≒30分
数の場合(時刻を言う)
夜九つは 24:00
夜九つ半は 1:00
↓↑
干支の場合での時間区分では
子の刻は
午後11時~午前1時の「二時間」
↓↑
午前零(〇)時・子(ね・シ) 之刻・九つ(玖・ク)
午前二(弐)時・丑(うし・チュウ)之刻・八つ(捌・ベツ)
午前四(肆)時・寅(とら・イン) 之刻・七つ(漆・シツ)
午前六(陸)時・卯(う・ボウ) 之刻・六つ(陸・リク)
午前八(捌)時・辰(たつ・シン) 之刻・五つ(伍・ゴ)
午前十(足)時・巳(へび・ミ) 之刻・四つ(肆・シ)
↓↑
午後零(○)時・午(うま・ゴ) 之刻・九つ(玖・ク・キョウ)
午後二(貳)時・未(ひつじ・ミ) 之刻・八つ(捌・さばく)
午後四(肆)時・申(さる・シン) 之刻・七つ(漆・うるし)
午後六(陸)時・酉(とり・ユウ) 之刻・六つ(陸・おか)
午後八(捌)時・戌(いぬ・ジュウ)之刻・五つ(伍・い)
午後拾(足)時・亥(いの・イ) 之刻・四つ(肆・つらなる)
↓↑
子→丑→寅→卯→辰→巳→
↓
沖(冲)の関係(対中)
↑
午→未→申→酉→戌→亥→子
↓↑
鼠→牛→虎→菟→龍→蛇
馬→羊→猿→鳥→犬(狗)→猪→鼠
↓ ↑
八つ刻は
未支~申支の時間帯で
未支(午後一時~三時の時間帯)で、
その半ばの「二時」に
鐘を
八回衝き鳴らす
↓↑
八つ刻(午後2時~4時まで)の
「八」はカネの衝く音の回数
「午(正午)の刻」を起点とする
午前、午後の
「丑→対中←未」関係での
「鐘の音は同数」で
「三回」+「八回」=十一回
「三回」は余分だが、
スベテの刻鐘の回数に
「前鐘」として「三回」鳴らし加える
時刻の鐘音打で「3つ」は無い
・・・この「3=参」の意味はナニか?・・・「惨」?
大晦日の除夜の「子の刻」の「鐘の音」は
「百八回(108回)」・・・108は「煩悩」・・・宿曜経の「目盛の数(促・足・亦)は108」・・・
・・・「3+108」=「111」?→壱百壱拾(足)壱
・・・「3+1+8」=「12」?→壱拾(足)弐
・・・「1+1+1」=「3」?→参
・・・「3×4」=「12」?→壱拾(足)弐
・・・「3×12」=「36」?→参拾(足)六
・・・「360÷12」=「5」?→伍(悟・吾・午)
・・・「参=サン=惨=纂=讃=算=産」・・・?
↓↑
二代将軍
徳川秀忠の時代に、
鐘
が
本石・・・本は石(岩・磐・嵒・巖・巌・意和・違和・伊輪)
三丁目・・・纂帖の目・山頂の目
(日本橋
室町四丁目)に
江戸時代最初に設置
宝永八年(1711)に改鋳され
明治初期まで使用
現在は
日本橋
小伝馬町・・・・小さい伝、馬(Marco)帖(調重)
馬太福音(新約聖書)
馬可福音(新約聖書)
司馬遷(史記)
十思・・・・・・「十思九徳(貞観政要で
↓ 唐の
太宗の側近、
魏徴(ギチョウ)が挙げた
十戎(心構)」
一前後の見境もなく、闇雲に欲しがるな、
自戒せよ
二夢中にならず、止まって反省せよ
三自分の立場を謙虚に自制せよ
四自分の目線を低い位置に置け
五限度、限界をわきまえよ
六終始の行動には慎重に、慎め
七虚心に部下の言葉を聴け
八誹謗中傷を嫌い、
自らそれらを禁じ、一掃せよ
九過大な恩恵は避けよ
十罰するには、過大な罰とするな
公園内に設置保存・・・「十思公園」
公園・・・・・・「吉田松陰」が処刑された
「伝馬町牢屋敷」跡
浅草寺
寛永寺
本所
横川町
芝切通し
市ヶ谷八幡
目白不動
赤坂田町
成満寺(円通寺)
四谷
天竜寺
↓↑
鐘の音は捨て鐘と云って
三つ打ってから
それぞれの
刻限の数を鳴らした・・・三+χ(刻)
↓↑
夜明け、
夕暮れどきの
薄暗い時分
夕方を「たそかれどき」・・・・誰そ彼、時→曖昧でハッキリ
明け方を「かはたれどき」・・・彼は誰、時→判別できない
木戸=町民が管理し
夜四つ(午後十時)には閉め
江戸の治安を守った・・・・・・木戸孝允
↓↑
おヤツは
八つ刻(午後2時~4時まで)の間に
間食を
食べる習慣があった・・・子供の
「おやつ」などには
魚(まな・うお)の形の
砂糖菓子=金花糖(きんかとう)
団子・煎餅・饅頭など
↓↑
3時の「オヤツ」は「文明堂」の
「カステラ」・・・TVコマーシャルの熊のカンカン踊り
↓↑
「家主貞良」・・・哉主、歌手はサダヨシ、定量
「加須底羅」・・・句和得留、綴等
須=すべからく・ひげ・シュ
須要・必須
わずかの間・しばらく
パオ・・・・・葉緒・馬尾(嗚・緒)
デ・・・・・・出(乙・弟→嗚訳得徒)
カスティーリャ
(ポルトガル語)
↓↑
鶏卵(ケイラン)を・・・刑覧・掲乱(蘭)・形濫
泡立てて・・・・・・・・沫・粟・阿波・安房・安和
小麦粉、・・・・・・・・背負う幕憤
砂糖(水飴)を
混ぜ合わせた
生地を・・・・・・・・・記事・木地(和歌山)・基地・危地
オーブンで・・・・王(オウ=旺・姶・鷗・横・皇・枉)文出
枉=曲がった木
焼いた菓子・・・・哉意他、仮詞(カシ=掛史・可視)
↓
ポルトガル(葡萄牙)から伝わった
南蛮菓子を元に
日本で独自に発展した和菓子
ポルトガル(葡萄牙)には
「カステラ」
という名の菓子はない
↓↑
カステラは長崎が本場
長崎市の
福砂屋が元祖
製法が同じものの総称
正方形または長方形
オーブンで焼いた後に
棹型に切る
水飴を用いて、しっとりとした食感
牛乳・抹茶・黒糖・チョコレート・チーズ
などを加えて味付けをする変種も多
↓
釜カステラ(東京式釜カステラ・東京カステラ)
蒸しカステラ、カステラ饅頭、
ロールカステラ、人形焼
など
釜カステラは、
「六面焼き」と呼ばれるものもある
一つ一つの型に入れて
オーブンで焼いたタイプで、
水飴を用いない
↓
カステラを応用した菓子
福島県
会津若松市―会津葵
愛媛県―タルト
島根県―八雲小倉
長崎県
平戸市―カスドース
長崎市―桃カステラ
長崎カステラを洋菓子化―銀装のカステラ
料理として
岡山県(主に倉敷市)―鮮魚カステラ
伊達巻―カステラの調理方法を応用したもの
宮城県、沖縄県―カステラかまぼこ(焼きかまぼこ)
↓
カステラを棹型に切り揃える際に、
切り落とし(耳)が発生し
本来の製品よりも割安で販売
↓
名前の由来
スペインの地方名
カスティーリャ(Castilla)
ポルトガル語発音である
カステーラ(Castela)
カステラ製造過程での
メレンゲを作る際、
高く高く盛り上げる時
「城(castelo)のように高くなれ!」
と
カステロ=カステラとなった・・・という説
パン・デ・カスティーリャ
(pão de Castela、カスティーリャ地方のパン)
や、
ビスコチョ(元は乾パン状の船乗りの保存食
16世紀末頃、
柔らかく焼き上げるレシピが生まれた)
が由来・・・
ポルトガルの焼菓子である
パン・デ・ロー(pão de ló)
が製法的に似ていることから、こちらを始祖とする説が有力
原型は、
中国の点心の一つであり、
マレーの地名を冠する
「馬拉糕」や、
沖縄の
「鶏卵糕(ちいるんこう)」
と
呉(ゴ)方言のような読みをする・・・呉=くれ
蒸しカステラ類と
共通する可能性もあるらしい・・・
↓
16世紀の室町時代末期
ポルトガルの宣教師によって
平戸や長崎に伝えられた
当初のカステラ
鶏卵、小麦粉、砂糖で作った
乳製品を用いないことから、
乳製品を生産、常用しない
当時の日本にも残った
カステラの製造に重要な
オーブンは当時の日本には存在せず、
オーブンに代替する天火として、
引き釜という
炭火を用いる
日本独自の装置が考案された
↓
江戸時代
江戸・大坂を中心に
カステラの日本化と、
カステラを焼くための
炭釜の改良が進められ、
江戸時代中期には
現在の長崎カステラの原型に近いものが作られた
長崎カステラの特徴である
水飴の使用は、
明治時代以降の
西日本で始められた・・・
伝来当時、
平戸藩
松浦家において、
南蛮菓子としてカステラが宴会に出された時、
その味に馴染めず、
包丁方(料理人)が
カステラを
砂糖蜜で煮た・・・
これが
平戸名産「カスドース」の原型・・・
↓
カステラの製法
江戸時代の製菓書・料理書に数多掲載
茶会でも多く用いられた
カステラは鶏卵・小麦粉・砂糖といった
栄養価の高い材料の使用から、
江戸時代から戦前にかけて
結核などの消耗性疾患に対する
一種の栄養剤としても用いられていた・・・
第二次世界大戦後の
大量生産によって一般に普及・・・
↓
夏目漱石が
1907年に発表した
『虞美人草』で、
「チョコレートを塗った
卵糖(カステラ)を口いっぱいに頬張る」
と記して、
「卵糖」という当て字をした
実際にはチョコレートケーキに使われている
スポンジケーキを指していた・・・
↓
1624年(寛永元年)創業:福砂屋(長崎県長崎市)
「カステラ本家」を商標登録
1681年(天和元年)創業:松翁軒(長崎県長崎市)
1747年(延享4年)創業:上野風月堂(東京都台東区)
東京式「釜カステラ」を製造販売
1900年(明治33年)創業:文明堂(長崎県長崎市
東京都新宿区など)
1952年(昭和27年)創業:銀装(大阪市中央区)
「紙の缶詰」という
熱殺菌技術を開発
カステラの
賞味期限を延ばす事に成功
↓
元亀二年(1571年)
室町時代
ポルトガル人が上陸
カステラは
スペインに栄えた
カスティラ王国の
パン(麺麭・麵麭)として
長崎の人々に紹介
幕末の志士
「坂本龍馬」が
慶応三年(1867)に長崎で組織した
「海援隊」の日誌に
「カステラ仕様の項目」があり
「正味、玉子百目、うとん七十目、
さとふ百目。此ヲ合テ、ヤク也、和蘭実方・・・」
↓
松翁軒
天和元年(1681)
長崎市
本大工町・・・本の大(太)句の帖
に
初代
山口屋
貞助
が店を構え、
砂糖漬けや
カステラを作り始めた
文久年間(1861)
七代目
熊吉の時、
国学者
中島広足
により
「松翁軒」の命名を受け、
能面の翁を店印とした
綿のようにやわらかにして、
風味はしっとり、口に含むと、円やかなり・・・
↓
八代目
貞次郎は
カステラにチョコレートの味を加えた
↓
カステラ
加須底羅
家主貞良
パオ・デ・カスティーリャ(ポルトガル語)
ーーーーー
・・・「かすてら」・・・再考=サイコウ=催行・・・「団体旅行などを計画どおり実施するコト」・・・「催(もよお)す、行」って「催眠術の行」?・・・
「催」=もよおす・うながす・せきたてる・サイ
催告・催促
そのような気分に誘う
催眠・催涙
会を設ける
開催・共催・主催
とき
雨催(あめもよい)=雨模様
催馬楽(さいばら)=歌謡の一
上代の民謡などを
外来の唐楽の曲調にのせたもの
笏拍子 (しゃくびょうし)
笙 (しょう)
篳篥 (ひちりき)
竜笛 (りゅうてき)
琵琶
箏 (そう) を伴奏
歌詞は
律25首、
呂 (りょ) 36首が残る
曲は室町時代に廃絶・・・?
催合(おもやい・もやい・もやひ
催合い=最合い
共同で一つの事をしたり
一つの物を所有したりすること
あいあい・おもやい
・・・ナニかを、「もよおす」って・・・トイレ・・・
↧
サンジのオヤツ・・・
↧