・・・隣の街の病院へ行きは鉄道、帰りはバスで・・・雪の降る中、バスは定刻通りには来ず、だった・・・乗り物の窓の外にはリンゴ売りは居なかったが、猛吹雪のホワイト・アウト(white out)・・・先週TVで観た南極基での事件に巻き込まれていく女FBI(ケイト・ベッキンセール)の映画だったが、「ホワイトアウト(whiteout)は、雪や雲などによって視界が白一色となり、方向・高度・地形の起伏が識別不能となる現象。 ホワイトアウトの状態に陥ると、錯覚を起こしてしまい、雪原と雲が一続きに見える。太陽がどこにあるのか判別できなくなり、天地の 識別が困難になる」・・・それ以前にボクの眼自体が霞んで視えなくなってきているが・・・
兎に角、家を出た朝はヨロケながらナントか駅を目指し、帰りはバス停を降りて、やっとコサッ、橋の上まで歩いて来たが、雪の飛礫(つぶて)が前進を拒む・・・折角、病院を出たのにコンなところで雪に埋もれてオダブツするわけにはいかないか、と家を目指したが・・・やっと帰宅した家は一階半分は雪没・・・腰痛、足の筋肉痛は覚悟の上の除雪作業・・・
冒険家の「N・U」氏がどんな気持ちで北極や、マッキンリー冬期単独登頂をしたのかは知らないが・・・人間も色々・・・
山岳映画や冒険映画を観るのはスキだけれど・・・生きるとなれば、ボクのセンタクは「オハラショウスケさん」だろうな・・・
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1984年2月12日
43歳の誕生日
世界初の
マッキンリー
冬期単独登頂
2月13日
以降、交信不能、消息不明・・・
後、明治大学山岳部が
2度の捜索
登頂成功の山頂に立てた日の丸の旗竿
雪洞に残された植村の装備が発見
現在に至るまで遺体は未発見
最後の交信の
1984年2月13日
を命日・・・享年43
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植村 直己
1941年(昭和16年)2月12日~1984年(昭和59年)2月13日
1941年 辛巳(戊・庚・丙) 甲子(壬・ ・癸)
0002月 庚寅(己・丙・甲) 丙寅(己・丙・甲)
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0012日 辛卯(甲・ ・乙)13丁丑(癸・辛・己)
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0011日 庚寅(己・丙・甲)14戊寅(己・丙・甲)
午未=空亡 大運=丙戌(辛・丁・戊)
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・・・???・・・「保倭怡土(意図・伊都・糸・緯度)逢渡」・・・
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遭難
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