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うまし-まじ-の-みごと・・・レアーズの寿司・・・

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 ・・・昼過ぎから突風と雷光、雷鳴、雷雨・・・それでも庭のシロコスモスの中で、バラの花、2輪がピンク色で耐えているが・・・「秋桜(ピンク色のコスモス・Cosmos・Cosmos bipinnatus Cav・キク(菊)科コスモス属の総称・オオハルシャギク(大春車菊、大波斯菊・Cosmos bipinnatus)」は漢字で一般的には「秋の桜」で、納得だが、「大-春-車菊」、「白色のコスモス」は、漢字では「?」であるなッ、サクラも色々であるから「秋の白桜」か?・・・「万葉仮名=漢字の音だけを借用した」とも思えないが・・・コスモスの花言葉は「乙女の純潔・乙女の真心・美麗・調和・謙虚」で、「白いコスモス(White Cosmos)」の花言葉は「優美」であるらしいが、調べてみたら「むくげ(木槿・モクキン)」にも似ているが、「むくげ」の花言葉は、
 「むくげの古学名はAlthaea frutex(低木タチアオイ)」
 「タチ-アオイは12世紀ごろに十字軍によって
  シリアから運ばれてきた
  花言葉は「十字軍の信念」かららしいが・・・「絶ち葵(徳川幕府)」?
 「しろ」は「やまとことば」・・・「物実=ものしろ・ブツジツ=真実の実=しろ・代用出来ないソノモノ=特殊個別的で独自であるモノ」・・・「代(しろ)→八代(?)」・・・「しろ=ハッキリ、はっきりしている色・白は色(colour・color)ではなく、色々のハッキリした色」と云うコトらしい。「明暗」で「其の物の色、形」が明確に判断出来る、と云うコトである・・・「大和コトバ」では「あか、くろ、あお、しろ」しかないらしい(?)が、宮廷コトバの「方言」である。では「黄色=黄(き・こ・オウ・コウ)」はどうなんだか、「黄紙・黄幡・黄威(きおどし)・黄緯(こうい)・黄衣(こうえ)・」・・・
 「黄紙(きがみ・オウシ)=江戸時代、奉行などが上司に差し出す伺い書に添付した黄色の紙片・経巻を書くのに用いた、黄蘖(きはだ)で染めた紙=黄麻紙(オウマシ)」とは「大麻→當麻・当麻」だろう、
 「黄幡=九曜の1つ、月日の光を覆って、食(日月食)を起こす羅睺(ラゴウ)の旗・葬儀用の黄色の旗・暦注の八将神の一」で、
 「ユリウス歴」ならば
 「西暦247年3月24日夕刻」、
 「西暦248年9月5日朝に皆既日食」があったらしい・・・
  ↓↑
  正始八年(247年3月24日夕刻)
  丁卯年癸卯月庚午日・水曜日・友引
  丁のウサギ(卯=兎)
  癸のウサギ(卯=兎)・・・鸕(鵜)野讃良=持統天皇
  庚のウマ(午=馬)・・・・邪馬台国・蘇我馬子
              「うましまじ=宇摩志麻遅
                     可美真手
                     味間見」は
                     物部氏の祖
                     穂積氏
  水曜日の友引
  ↓↑
  正始九年(248年9月5日朝)
  戊辰年庚申月辛酉日・火曜日・友引
  戊のタツ(辰=龍)・・・・・・劉
  庚のサル(申=猿)・・・・・・猿田毘古・猿女=宇受女
  辛のトリ(酉=鳥・禽・鶏・鷄)・・・「雞」=阿毎王朝
        「俀王姓阿毎、字多利思北孤、號―阿輩雞彌」
         「王妻-號-雞彌」
  火曜日の友引
  ↓↑
 「正始八年(247年)→3月24日夕刻
  帯方郡太守として
  王頎が着任
  倭国は帯方郡へ
  載斯烏越ら使者を派遣し、
  親魏倭王の女王
  卑彌呼と
  奴国の男王
  卑弥弓呼との紛争を
  王頎に報告
  太守は
  塞曹掾史の
  張政らを派遣し、
  詔書、
  黄幢(魏帝軍旗)を
  難升米(なしめ)に授けて和平を仲介・・・?
  ↓↑
  正始八年(247年)・丁卯年
  邪馬台国の卑弥呼が、
  狗奴国と卑弥弓呼との紛争で、
  卑弥呼が死去し、
  大塚がつくられ、100人が殉葬。
  後、
  男王が立ち、
  内戦、内乱で1000余人死亡。
  卑弥呼の宗女、
  十三歳の少女の
  壹(臺)與が擁立され、
  倭国に派遣された
  張政は
  黄幡
  と
  檄文をもって
  壹(臺)與を諭し、
  後、
  壹(臺)與は
  倭国の大夫率善中郎將の
  掖邪狗ら二十人を
  張政に随行させ
  魏に派遣し
  魏に代って成立した
  晋の皇帝(武帝)に朝貢(魏志倭人伝)」
ーーーーー
  ↓↑
 ・・・時系列は
 卑弥呼の死去
  ↓
 十三歳の乙女の壹(臺)與の擁立
  ↓
 張政の「黄幡=日食、葬儀の象徴」
 ではなく、
 「卑弥呼の死去
  ↓
 張政の黄幡=日食、葬儀の象徴=卑弥呼の死去(墓)と
  ↓             慰労の象徴
 十三歳の乙女の壹(臺)與の擁立」
 だろう・・・
ーーーーー
 2016年 干支33 丙申(己壬庚)年
  10月 干支35 戊戌(辛丁戊)月
  26日 干支18 辛巳(戊庚丙)日
ーーーーー
 ・・・19時30分からの「白黒の結果」は・・・北海道決戦の全段階・・・Fighters・・・
ーーーーー
 ブログニュース記事から抜粋し、少々、頭出しを改作添付・・・
  ↓↑
 ヒトと植物の細胞の融合に成功
 大阪大学などの研究チームが世界初
 2016年10月26日 10:25 
 約16億年の年月を経てヒトと植物の染色体が再会
 ――大阪大学大学院工学研究科などの研究チームは
 10月24日、
 ヒトと植物の部分的な細胞融合に世界で初めて成功したと発表
 ヒトの細胞環境下で
 植物の染色体が維持されることなどを確認・・・
 植物と動物は
 16億年前に共通の祖先から
 分岐したと考えられている。
 それぞれ、
 細胞には
 DNAや染色体など共通の構造もあるが、
 機能がどの程度保存されているかは不明だった。
 ヒトと植物双方の染色体を持つ融合細胞を作製する試みは
 過去にいくつか行われてきたが、
 増殖可能な融合細胞の作製に成功した報告はなかった・・・
 研究グループは今回、モデル植物である
 シロ-イヌ-ナズナ由来の細胞と
 ヒト細胞を融合する条件・方法を検討し、
 部分的だが融合細胞の獲得に成功・・・
 融合細胞は、ヒトの全染色体を維持しており、
 ヒトと同等の細胞環境と考えられるが、
 細胞内に、
 植物の染色体領域を持つ
 「ヒト/植物染色体」が観察された。
 この融合細胞を培養すると、
 「ヒト/植物染色体」の構造が変化し、
 植物染色体の部分だけが抜け出て
 独立した植物染色体を形成。
 ヒト細胞環境下で、
 植物由来の染色体が独立に維持されており、
 ヒト染色体を維持する仕組みが
 植物染色体にも働くことが分かった。
 研究成果は10月4日に
 米科学誌「ACS Synthetic Biology(オンライン)」に掲載
ーーーーー
 ・・・で、「黄-色」だが・・・あるねッ・・・
 「黄海」=コウカイ=「紅海」・・・
 浅黄(あさぎ )・黄牛(あめうし )・薄桜萌黄(うすざくら・もえぎ )・薄萌黄(うすもえぎ )・黄緯・黄衣・黄鉛・黄化・黄褐色・黄巻赤軸・黄牛・黄玉・黄経・黄血塩・黄犬契約・黄鉱・黄金・ 黄金葛(おうごんかづら)
 黄=き・こ・うい・れい・かつみ
   オウ(ワウ)・コウ(クワウ)
 「黄冊(こうさつ)・黄土(おうど)・黄幡(おうばん)・黄枇(わんぴ)・黄埃(こうあい)・黄檗(おうばく)・黄蘗(おうばく)・黄疸(おうだん)・黄耆(おうぎ)・黄袍(おうほう)・玄黄(げんこう)・蛋黄(たんこう)・硫黄(いおう)・姜黄(きょうおう)・黄濁(こうだく)・黄帝(こうてい)・黄桃(おうとう)・黄斑(おうはん)・黄膚(きはだ)・硫黄(ゆおう)・黄苑(きおん)・黄鶯(こうおう)・黄菅(きすげ)・黄鯛(きだい)・黄蝶(きちょう)・黄橡(きつるばみ)・韮黄(ジョウホワン)・黄櫨(はじ)・黄櫨(はぜ)・黄櫨(はぜのき)・黄櫨(こうろ)・黄櫨(はじのき)・黄櫨(はにし)」
  ↓↑
 「黄」の四字熟語
 「黄衣廩食(こういりんしょく)」
 「黄茅白葦(こうぼうはくい)」
 「黄金時代(おうごんじだい)」
 「黄絹幼婦(こうけんようふ)」
 「黄裳元吉(こうしょうげんきつ)」
 「黄塵万丈(こうじんばんじょう)」
 「黄中内潤(こうちゅうないじゅん)」
 「黄道吉日(こうどうきちにち)」
 「黄髪垂髫(こうはつすいちょう)」
 「黄髪番番(こうはつはは)」
 「黄霧四塞(こうむしそく)」
 「黄粱一炊(こうりょういっすい)」
 「口中雌黄(こうちゅうのしおう)」
 「青蓋黄旗(せいがいこうき)」
 「抽黄対白(ちゅうこうたいはく)」
 「天地玄黄(てんちげんこう)」
 「牝牡驪黄(ひんぼりこう)」
 「槁項黄馘(こうこうこうかく)」
 「黄」を含むことわざ
 「嘴が黄色い(くちばしがきいろい)」
 「黄泉の客(こうせんのきゃく)」
 「黄梁一炊の夢(こうりょういっすいのゆめ)」
ーーーーー
 21時40分・「辛巳(戊庚丙)日・己亥(戊甲壬)時」・・・
  ↓↑
 やったぁ~、レアード、2ラン・・・ウマシ、マジの「鮨・寿司」・・・
 ブランドン・J・レアード(Brandon J. Laird)
 1987年丁卯(甲乙)
   9月己酉(庚辛)
  11日癸亥(戊甲壬)・子丑
ーーーーー
 以下の四文字を変換したら・・・
  ↓↑
 黄金時代(オウゴンジダイ)
 黄衣廩食(コウインリンショク)
 黄花晩節(コウカバンセツ)
 黄絹幼婦(コウケンヨウフ)
 槁項黄馘(コウコウコウカク)
 稾項黄馘(コウコウコウカク)
 黄裳元吉(コウショウゲンキツ)
 黄塵万丈(コウジンバンジョウ)
 黄中内潤(コウチュウナイジュン)
 口中雌黄(コウチュウシオウ)
 黄道吉日(コウドウキチニチ)
 黄白青銭(コウハクセイセン)
 黄髪垂髫(コウハツスイチョウ)
 黄髪番番(コウハツハハ)
 黄茅白葦(コウボウハクイ)
 黄霧四塞(コウムシソク)
 黄粱一炊(コウリョウイッスイ)
 黄粱之夢(コウリョウのゆめ)
 数黒論黄(スイコクロンコウ)
 青蓋黄旗(セイガイコウキ)
 青苔黄葉(セイタイコウヨウ)
 抽黄対白(チュウコウタイハク)
 天地玄黄(テンチゲンコウ)
 牝牡驪黄(ヒンボウリコウ)
ーーーーー
 あめ-うし=黄牛=あめ-うじ
       飴色の毛色の牛
 おう=皇・黄=皇⇒コウ・黄⇒コウ
 オウ-エン=黄鉛
       クロム酸鉛を主成分とし
       黄色顔料
 オウ-カ=黄化
      植物がクロロフィルを欠き、
      緑色にならず黄色、白色化する
 オウ-カッ-ショク=黄褐色
          黄色みを帯びた茶色
 コウ-セン=黄泉
       死後の世界
 コウ-ヨウ=黄葉
       落葉樹の葉が黄に色づくこと
 あまさぎ=黄毛鷺・cattle egret
 き-だま=おう-ぎょく=黄玉・topaz
 オウゴンカイガン=黄金海岸
          アフリカ大西洋岸の国、ガーナ
ーーーーー
 黄泉国=黄泉比良坂(よもつひらさか)は、
     葦原中国の入り口
     「黄泉」=「陰府(よみ)・ハデス」
          ギリシャ語の「ゲヘンナ=地獄」
 「黄中内潤」=内面の才能、徳
        「黄中」=内面の中庸の美徳
             「黄」=五行の中央の色
ーーーーー
 ・・・トリアエズ・・・「寿の司」の一発の日・・・旨し、爻(まじ・交・厝・馬路・マジ)は「眞事(まジ)の眞字(まジ)」・・・


「メソポタミア(Mesopotamia)」・・・目(女)素補多視丫(ア・蛙)?

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 ・・・「三笠宮の訃報(102歳)」ですか・・・カラー(collar)映画、「メソポタミア」を学校鑑賞で観た「黄色のカラー映像風景」、タイトルの「メソポタミア(Mesopotamia)」とその時に出ていたのが発掘の「三笠宮様」の姿で、彼の名前だけが印象に残っている。雑誌の付録「世界の七不思議・3大文明(黒沼健)」の頁(page)は何度も開いてはみていたが、「三笠」の名前を記憶しているのは多分、同じころにオジ(母の姉の夫)さんに三笠市の桂沢ダム湖に連れて行ってもらい、「菊石=アンモナイト(ammonite)」見学と、昼時に現地の食堂で夏だったのにもかかわらず、「鍋焼きうどん」を食べたコトが重なっていたからだろう・・・ブログで調べてみると、この映画を観たと云う人のブログもあった・・・映画自体の記事は・・・劇場公開日が1957年10月15日とあった・・・
ーーーーー
 ・・・20時10分、大谷二塁打・・・38分、田中賢介、走ったッ、同点ッ!・・・21時30分、西川遥輝(はるき・1992年4月16日)の満塁ホームラン・・・マサに劇的、さよならッ!!・・・
 壬申(己壬庚)
 甲辰(乙癸戊)
 壬戌(辛丁戊)子丑
  ↓↑
 壬午(丙丁)27日
 辛亥(戊甲壬)21時
  ↓↑
 ルイス・アロンソ・メンドーサ・ロドリゲス
 (Luis Alonso Mendoza Rodríguez)もスゴカッた・・・
 1983年癸亥(戊甲壬)
  10月壬戌(辛丁戊)
  31日壬辰(乙癸戊)午未
ーーーーー
  ↓↑
 「メソポタミア」
 劇場公開日 1957年10月15日
 東京大学イラク・イラン遺跡調査団に随行した
 中村誠二キャメラマン
 (「カラコルム・ヒンズークシ学術探検記録カラコルム」)
 と
 桑野茂の両氏が
 メソポタミアを中心に撮影した
 日本初の大型記録映画。
 エジプトのピラミッドに始り、
 イラクの首都バグダード、
 北メソポタミアのテル・サラサート、ペルセポリス宮殿遺跡
 などを収録した。
 音楽は「智恵子抄(1957)」の
 團伊玖磨、・・・・・・歌曲集「五つの断章(北原白秋詩)
            オペラ「夕鶴」を作曲
            漢字の「團」は中国語で卑猥?で
            「團=団」の名前を嫌った?
            北京で
           「あなたの名刺は、
            女の人には見せられません」と云われ
            野間宏の
           「真空地帯」が
            中国で映画化された際も、
           「音楽 段伊玖磨」と直された
            ・・・(ウイッキペデアより)
 解説は
 小沢栄太郎。・・・・・悪役の名ワキ役で、嫌いだったが・・・
 色彩はイーストマンカラー
  ↓↑
 バグダードからティグリス河を遡り、
 北メソポタミア原野の西方に
 小丘テル・サラサートがある。
 一九五六年十月、
 東大イラク、イラン調査団が
 十年計画で発掘を開始、
 三笠宮を迎えて鍬入式を行い、
 六~七〇〇〇年前の・・・
 原題  Mesopotamia
 製作年 1957年
 製作国 日本
 配給  東宝
ーーーーー
 とあった・・・
ーーーーー
 メソポタミア
 (ギリシャ語=Μεσοποταμία
  ラテン文字転写=Mesopotamia
 ギリシャ語で
 「複数の河の間・河の間の土地」
 二つの
 チグリス川
 と
 ユーフラテス川
 の間の沖積平野
 イラクの一部
 ↓↑
 シュメール人 (Sumerian)
 世界最古の文明
 大河を利用した灌漑農業
 BC3500年頃~
 楔形文字
 青銅器が普及させた
 ↓↑
 BC3000年頃
 太陰暦
 楔形文字
 60進数法
 等を考え出した
 オリエント文明の中心地域
 シュメール人、
 セム系、
 インド=ヨーロッパ語系
 の民族が
 バビロニア、アッシリア、ペルシア帝国として興亡
 メソポタミアに生まれた複数の文明の総称
 地域
 北部がアッシリア、
 南部がバビロニアで、
 北部バビロニアが
 アッカド(ムロデ王国の四つの都市のひとつ)
 ヒッタイト、ミタンニ、エラム、
 古代ペルシャ人の国々、
 下流地域の
 南部バビロニアが
 シュメールとさらに分けられる
 ↓↑
 旧約聖書の始祖
 アブラハムはメソポタミアの都市ウルの出自
 エデンの園はメソポタミアの都市
 バベルの塔はジッグラト
 ノアの洪水は当地での大洪水・・・?
  ↓↑
 暦は太陰太陽暦
 1週間を7日(七曜)
 占星術(天文学)
 など
 「カルデア人の智恵(カルデアはメソポタミアの別名)」
 六十進記数法
 金属の鍛錬
 車輪の発明
 楔形文字
 の創始
 記録媒体は粘土板で
 楔形文字によって
 ハンムラビ法典が記録
 ミタンニのアッカド語は外交用語
 エジプト第18王朝の
 外交文書(アマルナ文書)
 に、その言葉で記録
  ↓↑
 交易範囲
 エジプト文明やインダス文明との交易
 シュメールやバビロニアでは
 食物、必需品を貯蔵し
 宮殿や都市の門において分配
 バザールで手工業品の販売
 タムカルムと呼ばれる身分型の交易者が存在
 仲買人、代理人、競売人、保管人、銀行家
 仲裁人、旅商人、奴隷取締官、徴税吏
 などを専門担当
 バビロニアにおいては
 対外市場は存在しなかった・・・
 キュロス2世は、
 ギリシア人の市場制度を理解せず、非難
 ハンムラビ法典には、
 損害賠償、負債取り消し、
 報酬、等価
 などの概念を記述
  ↓↑
 紀元前539年
 ペルシャ帝国(アケメネス朝)
 オリエント全域を支配
 紀元前5世紀初め、
 太陰太陽暦は
 天文学、数学の発達で
 メトン周期を計算
  ↓↑
 メソポタミアの神々
 多神教が
 時代の支配民族によって、
 最高神は変遷
  ↓↑
 アンシャル - 天国の父
 アヌ - 最も高い天国の神
 アプスー - 神々と地下世界の海の支配者
 アシュル - アッシリアの国神
 ダムキナ - 地球の母なる女神
 エア - 知恵の神
 エンリル - 天候と嵐の神
 エヌルタ - 戦争の神
 ハダド - 天候の神
 イシュタル - 愛の女神
 キングー - ティアマトの夫
 キシャル - 地を司る女神(アンシャルの妻にして妹)
 マルドゥク - バビロニア人の国神
 ムンム - 霧の神
 ナブー - 書記の守護神
 ニンツ - 全ての神々の母
 シャマシュ - 太陽と正義の神
 スィン - 月の神
 ティアマト - 原初の女神
 ラフム アプスーとティアマトの子
     ラハムの夫
     アンシャルとキシャルの父
 ラハム アプスーとティアマトの娘
     ラフムの妻
     アンシャルとキシャルの母。
  ↓↑
 車輪は最古の発明
 起源は紀元前5千年紀(ウバイド期)・・・
 星占術、暦法
 アッシリアの暦は
 ユダヤ暦の基礎
 ワインは支配階級
 ビールは一般市民
 が飲んでいた・・・
 ワインやビールのサービスや商売をするのは女性
 ハンムラビ法典では、
 酒の量をごまかしたら
 死刑・・・
ーーーーー
 ・・・酒の量をごま(誤魔化)したら「死刑」・・・でも、アルコールを飲むことは「禁酒・刑事罰」ではなかった・・・
ーーーーー
 三笠宮崇仁親王
 1915年(大正4年)12月2日
  ~
 2016 年(平成28年)10月27日)
 皇族
 歴史学者(古代オリエント史)
 陸軍軍人(最終階級は陸軍少佐)
 大正天皇と貞明皇后の第四皇男子
 昭和天皇の弟
 今上天皇の叔父
 称号は澄宮(すみのみや)
 身位は親王
 敬称は殿下
 勲等は大勲位
 称号は東京芸術大学名誉客員教授
 お印は若杉(わかすぎ)
  ↓↑
 1935年(昭和10年)12月2日
 「三笠宮」の宮号
 崇仁親王が成年式で賜ったもの
 奈良市の
 三笠山
 に因(ちな)んで命名
 阿倍仲麻呂の和歌
 「天の原 ふりさけみれば
  春日なる 三笠の山に いでし月かも」
 に出る
  ↓↑
 太平洋戦争=大東亜戦争
 開戦後
 陸軍大尉時代の
 1943年(昭和18年)1月~1944年(昭和19年)1月
 まで、
 コードネーム「若杉」
 として
 南京の支那派遣軍総司令部に勤務
 三笠宮は
 「軍は中国との戦争が長引き戦闘が泥沼状態になっており、
  軍紀が乱れている者が一部いる事を
  深く反省すべきである」
 と総司令官の対中政策に抑えた・・・
 若杉の正体は秘匿されていた
 支那派遣軍勤務中に
 中国語の通訳
 木村辰男から中国語と中国事情を学ぶ
 その後、
 大本営参謀に転出
  ↓↑
 帰国後、戦争終結を摸索
 同僚の
 津野田知重陸軍少佐らと共に
 東條内閣打倒のクーデター計画を立てる
 東條英機暗殺、
 主戦派数百名大量粛清
 などその過激な内容に躊躇し、
 自ら憲兵隊に通報・・・
 津野田らは逮捕
 クーデター計画は未遂
 (津野田事件)
  ↓↑
 事件への関与は明白ではあったが不問
 1944年(昭和19年)9月
 陸軍機甲本部付に異動
 津野田はじめ他の将校も軽い処分
 1945年(昭和20年)4月
 終戦時の階級
 陸軍少佐
 航空総軍参謀
 1945年(昭和20年)8月12日
 皇族会議が召集
 昭和天皇が終戦の決意
 三笠宮は
 「忠実に実行したい」と語った
 8月13日
 阿南惟幾陸軍大臣が
 昭和天皇に徹底抗戦に翻心させようと
 三笠宮に説得を願い出たが
 「陸軍は陛下の大御心に反する」
 と断り、阿南を叱責・・・
  ↓↑
 1947年(昭和22年)4月
 東京大学文学部の研究生
 歴史学を学ぶ(オリエント史)
 1955年(昭和30年)
 東京女子大学で講師
 青山学院大学、
 専修大学、
 天理大学、
 拓殖大学
 でも教壇に立った
 日本オリエント学会の会長
 1979年(昭和54年)
 出光佐三(出光興産創立者)
 の協力を得て
 東京都三鷹市に
 中近東文化センターを設立
 センター総裁
 2006年(平成18年)
 同センター図書室は
 「三笠宮記念図書館」と命名
 1991年(平成3年)
 フランスの
 「碑文・文芸アカデミー」
 の外国人会員に就任
 1994年(平成6年)6月
 ロンドン大学東洋アフリカ研究学院
 の名誉会員に就任
 1950年代後半
 神武天皇の即位は神話であり史実ではないと強く批判
 復活反対の論陣を張った
 このため「赤い宮様」とも・・・
 復活を推進する人々は
 三笠宮を激しく非難し、
 里見岸雄
 野依秀市
 は、
 三笠宮を「無責任・非常識・左翼」と罵倒
 皇族の身分を離れることを要求する著作を公表
  ↓↑
 90歳前後
 心臓の僧帽弁に異常発生
 僧帽弁閉鎖不全で入退院
  ↓↑
 2015年(平成27年)12月2日
 紀寿(満100歳)
 2016年(平成28年)10月27日8時34分
 東京都中央区の聖路加国際病院で薨去
 満100歳没(享年102)・・・
  ↓↑
 古代オリエント史、
 特に
 アナトリア考古学を専門とする歴史学者として知られ、
 長らく東京女子大学などで
 古代オリエント史の講義を担当
 語学にも堪能で、
 流暢な
 中国語
 ヘブライ語
 を操る
 「菊のカーテン」という言葉を最初に使った
ーーーーー
  ↓↑
 三笠市
 明治時代に存在した
 当時の「自由党」員が収監された
 空知集治監の建物の裏山が
 奈良の三笠山に見えたことから・・・
 皇族である三笠宮が軍人であった為、
 地政学的に対ソ連を視野に入れていた事から、
 験を担ぎ三笠という地名として改めて定めた・・・
 対ソ連に関する戦略的位置づけとした為に命名・・・
 三笠市は夕張郡であり、
 夕張には三笠宮家を含めた皇族と
 スキー関連で深い繋がりがある・・・
 三笠市
 空知地方南部に位置
 西以外の三方を山に囲まれた地形
 市東部には
 桂沢湖がある
 エゾミカサリュウ
 アンモナイト
 など、多くの化石を産出
  ↓↑
 三笠・・・・見歌作?・・・
 山々
 幾春別岳 (1068m)
 幌尻岳 (836m)
 達布山
 三笠山(観音山)
  ほか
  ↓↑
 1888年12月10日官営幌内鉄道延伸。郁春別駅開駅
 1889年5月28日郁春別駅が幾春別駅に改称
 1889年12月11日官営幌内鉄道が北海道炭礦鉄道に譲渡。
 1906年4月1日空知郡幌内村、幾春別村(いくしゅんべつ)
        市来知村(いちきしり)の一部が合併
        二級町村制
        空知郡三笠山村となる(三村合併)
 1906年10月1日北海道炭礦鉄道が国有化(日本国有鉄道)
 1909年10月12日国有鉄道線路名称が設定され、
        岩見沢~幌内間
        幌内太~幾春別間が
        幌内線となる
 1913年9月11日萱野駅開駅
 1923年4月1日一級町村制
 1929年12月15日唐松駅開駅
 1938年森林鉄道14.6km竣工
 1942年9月1日町制施行及び改称、空知郡三笠町
 1944年4月1日幌内太駅が三笠駅に改称
 1944年3大字を11字に再編
 幌内村 → 萱野、大里、三笠、幌内、唐松、弥生
 幾春別村 → 清住、弥生、幾春別、奔別、桂沢
 市来知村 → 岡山、三笠、清住
 炭鉱都市は
 1989年
 北炭幌内炭鉱が閉山で衰退
  ↓↑
 戦艦三笠
 イギリスのヴィッカースに発注され建造
 敷島型戦艦の四番艦
 奈良県にある三笠山(若草山)に因(ちなん)で命名
 1904年(明治三十七年)~
 日露戦争で
 連合艦隊旗艦
ーーーーー
 ・・・臥薪嘗胆・・・

幢、幢・・・ニワカなハタフリ・・・

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 ・・・昨夜は圧巻の野球ゲームだったが・・・俄か(にわか=似和歌?)旗振り・・・「天地玄黄=黄幢=黄龍旗」・・・「幢(ドウ)=巾+童」=「昔、儀式または軍隊の指揮などに用いた旗の一種・彩色した布で作り、竿の先につけたり、柱に懸けたりした・はたほこ・魔軍を制する仏、菩薩のしるし。また、仏堂の装飾とする垂れ布(たれぎぬ)・古代の儀式に用いる)吹き流し・旗・仏教の経文を刻んだ六角形または円形の石柱=経幢=石製は石幢(セキトウ)」・・・以下はスベテ「黄幢(コウドウ)」に関するブログ記事を参照、参考にして「引用添付」したものデス・・・ワタクシの「オリジナル」ではありません・・・少々改作してある部分と「・・・?」とした処だけが「ワタクシの部分」です・・・「引用」はインターネットの検索でスベテ検索できるモノですから、この「日記」をお読みになっている方は、「黄幢(コウドウ)」の原文は御自分で検索、御確認をお願いします・・・勝手な諸々の「黄幢(コウドウ)」に関する引用も、断りもなく、ご免なさい・・・
ーーーーー
 黄幢(コウドウ)
 黄幢とは、黄色い吹き流しのような 軍旗
 黄幢(コウドウ)(軍の指揮に用いる旗)
 黄幢(黄色いはた。 高官の象徴)
 黄幢(黄色い旗さし)
 黄幢(旗・幡・旛・将)=幡鉾
    はた=機・秦・羽田・葉多・波多・波田
       秦・畑・畠・傍・側・端・圃
 黄幢(黄色い旗ぼこ
        =戈・矛・戛・鉾・鋒→殳=ほこ・シュ・ズ)
 黄幢(コウドウ→憧は幢に修正・・・???)
          「紹煕本」では
          「百衲本」の「黄幢」を「黄憧」とする?
          「幟」は「のぼり」
          「幡」は「はた」・・・八幡(ヤハタ)
 黄竜旗=中国清朝の国旗・黄色地に竜を描いたもの
 黄龍=チベットの旗=九寨溝 黄龍


 四神相応=風水の地勢や地相
  ↓↑  四神に中央に
     「黄龍」、「麒麟」を加え「五神」
      背後に山、前方に海、湖沼、河川の水が配置されている
      背山臨水の地
      左右から砂(さ)と呼ばれる丘陵
      背後の山よりも低い山で囲むことで
      蔵風聚水(風を蓄え水を集める)の形態
      四神は、
      背後の山が玄武
      前方の水が朱雀
      玄武を背にして
      左側の砂が青龍
  ↓↑  右側が白虎 
 北は黒龍
 西は白龍
 南は赤龍
 東は青龍
 中央は黄龍
 四海竜王より上
 黄竜と合わせて「五竜」
 中国皇帝の旗
 中央を守る
  ↓↑
 四方を司る水の神
 西遊記や封神演義の物語に登場
  ↓↑
 封神演義では
 リナタ(李哪吒)=ナタク
 托塔天王(毘沙門天)の
 三男が龍神退治するハナシ
  ↓↑
 7歳(身長6尺)のとき、
 東海龍王敖光の巡海夜叉の
 李良と
 龍王の
 三太子敖丙を殺し
 敖丙の背筋を抜き
 父の怒りをうけ、
 罪をあがなうために
 自らの肉と骨を切り自害
 死後母親の夢に現れ、
 己の行宮を建てるよう頼んだ
 神像が
 3年間受香すれば再生できるはずだったが、
 事の次第が
 李靖(唐代の太宗に仕えた軍人・政治家)=李藥師
 に発覚し行宮を焼き払われたため、
 太乙真人は蓮の花に金丹を入れて肉体とし
 哪吒を復活させ、
 父とは
 燃灯道人がとりなし和解
 闡教の道士として父や兄と共に
 周陣営に参加し、
 以後
 商の仙人と闘う
 三面八臂の姿を得た
  ↓↑
 四海竜王
 唐の玄宗が、
 751年に四海の神を封じ
 広(廣)徳王(東海)、
 広(廣)利王(南海)、
 広(廣)潤王(西海)、
 広(廣)澤王(北海)
 の称号をそれぞれに授けた
  ↓↑
 孫悟空にもやられる龍神
  ↓↑
 長男、東海竜王傲廣
 次男、南海竜王敖欽
 三男、西海竜王敖閏
 末弟、北海竜王敖炎
  ↓↑
 龍宮(水晶宮)で
 エビ(海老・蝦・鰕・螧)や
 カニ(蟹)たちに守られ
 海を統治し、雲と雨を操り
 怒ると、都市を洪水にする
 東海竜王が最も大領土をもち
 それぞれ別名を有する
  ↓↑
 東海龍王=敖廣(ごうこう)=廣徳王
 南海龍王=敖欽(ごうきん)=敖紹=廣利王
 西海龍王=敖閏(ごうじゅん)=廣順王
 北海龍王=敖順(ごうじゅん)=敖炎=廣澤王
ーーーーー
 龍神か、蛇神か
 ・・・辰巳(龍蛇)は南東の「戊己=土」に位置


  ↓↑
 伏羲と女媧
  ↓↑
 伏羲=宓羲・包犠・庖犠・伏戯・伏義・伏儀
    三皇の一人
    姓は鳳(凤)姓・太皡庖犠氏は風姓?
    八卦をつくり
    人間に
    漁猟を教えた
 女媧(ジョカ・Nüwa)=女希氏・媧皇・女皇
 古代中国神話の土と縄で人類を創造したとされる女神
 笙簧の発明者
 縄の発明者、葛天氏と同じく伏羲の号に属
 三皇の一人に挙げる説・・・
 姿は蛇身人首
 姓は風
 伏羲とは兄妹で
 身は竜体=人首蛇身
 同じく竜体の伏羲と下体が相交わる神像
 「風俗通義(フウゾクツウギ(後漢末)」には、
 女が人間をつくった
 彼女は初め黄土を人の形にこねあげ、
 人間を丁寧に1人ずつつくっていたが、
 作業に骨が折れすぎて休むまもないのに
 業(ごう)を煮やし
 女は、ついに縄を泥中に浸してそれを引き上げた
 そのときに縄から飛び散った
 泥のしずくがすべて人間になった
 伝承の変化で、
 女は三皇の一人
 男性神の伏羲(ふくぎ)と夫婦となった・・・
 上半身は人間、
 下半身が蛇形に描かれ、
 女媧は右手に「ぶん回し(コンパス)」
 伏羲は左手に「物差し(定規・曲尺)」
 を掲げる
  ↓↑
 中国の黄河=黄竜・・・沙漠の竜巻・・・蜃気楼?
 琉球王朝の海人は、
 黄色旗や
 百足(ムカデ)旗を掲げ
 航海の無事を太陽神に祈った
 イルルヤンカシュ=ヒッタイトの竜
  ↓↑ 
 太極八卦旗
 太極四卦旗
 「五爪龍旗・四爪龍旗」
 朴泳孝が出発前に清朝政府に
 中国の
 五爪龍旗の使用を打診
 清朝は
 「潘属国は四爪龍旗の使用しか認められない」
 と拒否
 中国の使節
 馬建忠は
 中国伝統の
 大極八卦旗を国旗として使用することを勧め、
 朝鮮政府も受け入れた。朝鮮の太極旗の始まり
 清の国旗の竜は爪が5本
 藩属国は4本
 牙旗=中国で、旗ざおの先を
    象牙で飾り
    猛獣が牙(きば )で身を守る形とした
    天子または大将軍のいる所に立てる旗
    大将旗
    牙纛=呉の孫権が・・・・・・旗の色はナニ?
       中央軍につねにたてていた
       黄竜の牙旗・・・・・・龍は黄色だった?
                  黄幡=黄幢?は呉の幡
ーーーーー
 ・・・「幢=巾+童(立里)」の類字は「憧撞瞳童」・・・「魏志倭人伝」の著者(?)の漢字使用は周到であるカナ・・・帰化人の翻訳教養・・・サスガだが・・・妄想だが・・・
ーーーーー
  ↓↑
 「其の六(年?)... 同時期の遼陽の壁画(北薗壁画墓)に
  黄幢とみられるものが描かれていた」・・・?
  ↓↑
 其八年(西暦二四七年=247年)
 太守
 王祈
 到官
 倭女王
 卑彌呼
 與
 狗奴國
 男王
 卑彌弓呼・・・・卑彌弓、呼、素、不和・・・?
 素不和
 遣倭
 載斯烏越・・・・載、斯、烏を越る・・・?
 等詣
 郡説
 相攻撃状
 遣
 塞曹掾史
 張政
 等
 因斎
 詔書
 黄幢
 拝
 假
 難升米・・・・難升の米=米を升(はかる)のは難しい?
             飢饉だろう・・・
 爲
 檄
 告喩
 之
 卑彌呼
 以死・・・・・殺された・・・死を以て・・・自殺?
 大作冢
 徑百餘歩
 徇葬者
 奴婢百餘人
 更
 立
 男王・・・・・狗奴國の「卑彌弓呼」ではない?
 國中
 不服
 更
 相誅殺
 當時
 殺
 千餘人
 復立
 卑彌呼
 宗女
 壹与・・・・・・壹與、臺與
 年十三
 爲王
 國中
 遂定
 政・・・・・・・「張政」なのか、政(まつり)なのか?
 等
 以
 檄
 告喩
 壹与
 壹与
 遣
 倭大夫
 率善中郎将・・・・率善か、「率膳」の御膳立てなのか?
 掖邪狗・・・・・・掖邪狗(わきやく)なのか、
          ワ記の訳なのか?
 等二十人
 送
 政
 等
 還
 因
 詣
 臺
 献上
 男女生口三十人
 貢
 白珠
 五千孔
 青大句珠二枚
 異文
 雑錦二十匹
  ↓↑
 王頎は)塞曹掾史・張政(せんそうえんし・ちょうせい)等を遣わして、詔書・黄幢(こうどう )を(倭に)齎(もたら)し、難升米(なしめ)に拜假(はいか)し、檄(げき)を為して、之を告 喩(こくゆ)す。
  ↓↑
 其六年、詔賜倭難升米黄幢、付郡假授。
 其八年、太守王[斤頁]到官
 倭女王卑彌呼 與狗奴國男王卑彌弓呼 素不和、
遣倭載斯烏越等詣郡、説相攻撃状。
遣塞曹掾史張政 等因齎
詔書・黄幢、
拜假
難升米

檄告喩之。
  ↓↑
 倭の女王卑弥呼、狗奴國の男王卑弥弓呼と素より和せず。
 倭の載斯烏越等を遣わして 郡に詣り、相攻撃する状を説く。
 塞曹史張政等を遣わし、
 因って
 詔書・黄幢を齎し、
 難升米に拝仮せしめ、檄を爲してこれを告喩す。
  ↓↑
 黄幢(こうどう)である・・・
 黄幢の幢とは、軍事指揮や儀仗行列に用いられる
 旌旗(せいき)・・・?・・・旌=方+ノ一(髪挿し)+生
 の一種で、
 天子が部下に権限を付与した印しとして与えたものだった。
 遼陽北園墓の墓室には、
 騎従がもつ幢が描かれている。
 幢形のものが二つ重なって描かれている・・・?

  ↓↑
 率善中郎将
 中郎将とは交代で宿直して宮城を護衛する武官の長
 この職は、
 秦代に、始まり、
 宋代以後には廃止
 秩は比二千石
 中郎将は郎中令に属し、
 五官・左・右の
 三中郎将が常置
 必要に応じて種種の
 「雑中郎将」(匈奴中郎将・建義中郎将等々)が任命された
 率善中郎将も、 「雑中郎将」の類に属する
 率善の意味・・・帰義候・・・率善=帰義・・・?「率膳」?
 中郎将に任ぜられるのは原則として
 内臣に限られ
 「難升米」の場合はむしろ例外?・・・漢字は「難の升の米」である
 239年
 「難升米」は
 「率善中郎将の位」
 245年
 黄幢を賜った
  ↓↑
 奴国男王
 卑弥弓呼
 素
 不和
 遣倭
 載斯烏越・・・・・・載斯烏越=斯(これ・この・かく・シ)
                烏(カラス・ウ)
                を越えるコトを載せる・・・?
 等
 詣
 郡
 説
 相攻撃状
 遣
 塞曹掾史
 張政
 等因
 齎
 詔書
 黄幢
 拝假
 難升.
 (難升)米
 為
 激
 告喩
 之
 卑弥呼
 以
 死
 大冢径百余歩・・」
  ↓↑
 「幢」を、
 『後漢書』の
 班超伝
 にみえる
 李賢の注には
 「鼓吹・幢麾、皆大将所有」
 とあることを確認、
 諸橋『大漢和辞典』では、
 軍の指揮に用いる
 「はた」(はたぼこ=旗+矛)であるとしている・・・
 「幢」が「軍旗の一種」で、
 少なくとも唐代には、
 将軍・刺使の威儀を示した儀飾の一つであった・・・?
  ↓↑
 「一番古い軍旗としての幢の記録は、
  栗原の探したものでは、
  『漢書』の
  韓延寿伝という」
 漢の宣帝のとき、
 延寿が東郡太守として在任中、
 都試の際に
 「幟」を立ててこれに臨んだ・・・「幟」は「幢」か?
 自分が考案した
 「各種の儀飾り」が、反対派によって劾奏され、
 「棄市」という極刑に処せられてしまった
     ・・・棄市=公衆の面前で打ち首にして、
           その死体を市中に晒すこと
 「問われた罪が、幟を立てて都試に臨んだこと」
 だというのである・・・?「都試」って、「都の試験」?
 「幢」は、
 王権の権力行使や軍事権に関わる重要なシンボル・・・
 ・・・深く考えなくてもハタならば「重要なシンボル」であろう・・・
 「内臣以外の賜幢」の例としては、
 「泄帰泥」に与えられたものが一つだけある・・・「泄の帰の泥」・・・排泄物も泥も同じ?
 部族をひきいて、
 魏に帰属した
 「泄帰泥」にあたえたもの・・・
 「曲蓋・鼓吹を与えて、元通り住まわせ、
  鮮卑族に対抗させた」
 という記録である・・・らしい・・・研究、勉強家はスゴイねッ・・・
  ↓↑
 日本語訳は『三国志』
 魏書・烏丸鮮卑東夷伝
 『世界古典文学全集24B三国志?』筑摩書房
 (現在は筑摩文庫にも収録されている)291頁にある・・・らしい。
  ↓↑
 武田幸男の黄幢の見解
 中央公論社版
 『世界の歴史6隋唐帝国と古代朝鮮
  第2部朝鮮の古代から新羅・渤海へ』1997年
 (中公文庫版は2008年刊 332頁~336頁)
  ↓↑
 「魏は倭の難升米に黄幢授与することにした。
  「幢」というのは、
  袋状の軍旗であり、
  「黄」色陰陽五行説にいう五行の一つ、
  魏の土徳を意味していて、
  黄幢は魏の軍事力を象徴した。
  黄幢の授与を通じて、
  魏は軍事的連携をはかったのであろう。
  おりしも、
  魏の高句麗攻撃が最高潮にたっし、
  母丘倹が東方世界を制圧しかかっていたころである。
  帯方郡が
  黄幢を届けるまで
  三年かかったのも
  郡自体が作戦の展開中だったからである。
  難升米は魏が注目し、
  高く評価した人物であった。
  卑弥呼が男弟一人を頼りに
  神聖統治の宗教的な統括者として
  振る舞う中で、
  大夫の難升米は行政実績があり、
  すでに外交手腕も認められて、
  世俗面を代表する重鎮であった。
  魏は外交辞令だけで、
  率善中郎将に任じたのではなかった。
  今度は、
  外臣としての彼に、
  軍事的な指導性が期待された。
  女王国は、
  魏の東方戦略に組み込まれていたのである・・・
  ↓↑ 
 卑弥呼の軍団に
 外国人の軍事顧問がついたのである。
 黄幢の軍事的意味あいは、
 当面、
 卑弥弓呼の打倒に向けられていたはずである。
 結局、
 張政が
 翌248年に還ったところをみると、
 それが少しでも効いたのかも知れない」
  ↓↑
 ・・・「さすが、武田幸男」ですか?・・・
  ↓↑
 先の「栗原(論文)」の
 黄幢についての見解の紹介で
 脱落していた重要な指摘に、
 呉が、
 公孫淵に与えた詔書の件があった。
 三国志呉志の注で、
 「裴松之」は
 「江表伝」を引用しているところの記述である。
 呉王の孫権が
 公孫淵に送った詔書のことである。
 公孫淵を
 「燕王」とするとともに、
 「戎事あれば兵馬の
 「典蓋・麾幢」を与える」・・・麾(さしまねく・キ
                軍を指図する旗)の幢
                麾下の旗
                靡(なびく)に類字
 記されている・・・・そうである・・・
  ↓↑
 橿原日記
 平成20年9月14日
 黒塚古墳から出土した
 用途不明のU字形鉄製品
 原文記事は以下
  ↓↑
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/2008_09_15.htm
  ↓↑
 用途不明のU字形鉄製品
 県立橿原考古学研究所(以下、橿考研)
 の発掘調査報告書によれば、
 大小2本のU字形に曲げられた鉄製品は、
 木棺の北小口の外側に置かれ、
 石室の北東の隅に立てかけてあった。
 2本の鉄棒の間にはV字形をとどめる鉄板製の管があり、
 大半は崩落していたが、
 U字形鉄棒の間をつないだ形を保つ部分だったと思われる。
 この製品の両側に接して、
 全長40cm前後の棒状鉄製品が立てた状態で5点、
 横にして移動した状態で9点出土したとのことだ。
 発掘当時、
 この大小2本のU字形に曲げた鉄製品が
 何であるか類推できなかった。
 そのため調査報告書でも
 「用途不明の鉄製品」と記されている。
 謎のU字形鉄製品は、
 両端がとがった長さ約70cmと57cmの
 鉄の棒をU字形に曲げ、
 その間に長さ5cmのパイプ(鉄板を丸めたもの)を
 V字形に並べパイプの中にひもを通して結びつけていたようだ。
 その後、X線撮影で調べてみると、
 リボンのような絹織物が巻き付けてあったことが判明した。
 そのため、
 一種の吹き流しのようなものではなかったかと想像された。
 だが、他に出土例がなく相変わらず
 その形状や使用目的は謎のままだった。
  ↓↑
 印綬を授かったのは、
 女王卑弥呼だけではない
 239年
 遣魏使節の
 大夫・難升米(なしめ)
 次使・都市牛利(つしぐり)・・・都も市の牛の利?
 もそれぞれ
 銀印青綬を受けている
 243年(正始四)に派遣された
 大夫・伊声耆(いえせき)・・・伊の声は
                耆(おいる・ギ・シ・ジ
                老人・六十歳or八十歳)
                伯耆国(ほうきのくに)は
                鳥取県
 掖耶狗(えきやく)
 ら8人もみな
 率善中朗将の印綬を受けている
  ↓↑ 
 邪馬台国の所在地を示す物的証拠
 黄幢(こうどう)である。
 黄幢の「幢」とは、
 軍事指揮や儀仗行列に用いられる
 旌旗(せいき)の一種で、
 天子が部下に権限を付与した印しとして与えた
 遼陽北園墓の墓室には、
 騎従が持つ
 幢が描かれている。
 幢形のものが
 二つ重なり、
 上は黒、
 下は赤に塗られ、
 上のものは
 丸い傘状のものの下に
 短い垂れ下がりがあり、
 下の方は
 鳥の長い羽毛が垂れている図である
  ↓↑
 三国志・魏書東夷伝
 245年(正始六)5月
 魏の
 母丘倹(かんきゅうけん)、高句麗に侵攻
 楽浪郡の軍隊とあわせる。
 詔して倭の難升米(なしめ)に黄幢を賜い、
 郡に付して假授せしむ。
 247年(正始八)
 太守王斤頁(おうき)、官に到る。
 倭の女王卑弥呼、 狗奴國の男王卑弥弓呼
 と素より和せず。
 倭の
 載斯(さいし)・烏越(うえつ)らを遣わし
 郡に詣り、
 相攻撃する状を説く。
 塞曹エン史
 張政
 らを遣わし、
 因って
 詔書
 黄幢
 をもたらし、
 難升米に拝仮せしめ、檄をつくりてこれを告喩す・・・
  ↓↑
 発掘中の黒塚古墳の石室内
 U字形鉄製品を見て、
 「黄幢」と直感した考古学者がいる。
 徳島大学の
 東潮教授である。
 そのとき、この鉄製品が
 難升米が貰った黄幢ならば、
 銀印があるかもしれないと、
 発掘調査員に話したという。
 しかし、棺外の北小口にあった
 画文帯神獣鏡付近や棺内から
 銀印は見つからなかったとのことだ・・・
  ↓↑
 中国の三国時代
 魏の曹氏
 蜀の劉氏
 呉の孫氏
 と
 公孫氏 が、
 燕
 という国を建てて遼東の地を支配
 燕と対峙した
 魏は、ひそかに
 黄海を越えて
 帯方郡と楽浪郡を掌握すると、
 燕王の退路を絶ってこれを攻めた。
 燕王公孫淵は敗死
 彼らが歴代にわたってきた支配領域は
 魏の支配する領域となった。
 西暦238年、
 魏の年号
 明帝の
 景初二年
  ↓↑
 239年(景初三)
 倭の女王・卑弥呼が 帯方郡を介して
 魏の都・洛陽に慶賀の使節を派遣した
 238年
 魏の
 司馬懿が
 公孫淵を討伐
 高句麗は
 燕に援軍を送ったが、燕は滅びた
  ↓↑
 242年(正始三)
 高句麗は西安平地区に侵入
 244年(正始五)
 魏の将軍
 母丘倹(かんきゅうけん)が
 高句麗に侵攻し、
 国内城を陥落させた
 245年(正始五) 楽浪郡太守
 劉茂
 と
 帯方郡太守
 弓遵
 は、遼東の
 濊(ワイ)=氵+歳
 が
 高句麗についたので、軍を派遣してこれを伐った
 同年の
 五月
 母丘倹は高句麗に侵攻し、
 楽浪郡からの援軍と合流して戦った
 246年(正始七)
 母丘倹は高句麗の領土に侵攻
 魏が倭の
 大夫
 難升米
 に
 黄幢(こうどう)
 を授けたのは、
 魏と高句麗が緊張状態にあった最中のこと・・・である・・・
  ↓↑
 東教授が
 黒塚古墳の石室の片隅で見つかった
 U字型鉄製品に注目された理由・・・
 この鉄製品が本当に
 難升米に仮授された
 黄幢ならば・・・
 倭が魏の
 冊封体制に組み込まれ、
 倭の軍隊が
 広開土王の軍と干戈を交える
 150年も前から
 高句麗を仮想敵国としていた・・・
  ↓↑
 ただし、この黄幢に関してはさまざまな疑問がある。
 まず、
 なぜ倭国の女王である
 卑弥呼に対してではなく、
 難升米に対して仮授したのか。
 また、
 「仮授」とは仮に貸し与えることで、
 永久に授与するという意味ではない。
 つまり、
 仮授された
 黄幢
 は戦争が終われば
 返還すべき性質の旌旗であるということだ。
 それが
 何故古墳に埋納できたのか?
ーーーーー
 ・・・いやぁ~、以上の考察は面白かったデス・・・
 ・・・ナゼですか?
 多分、「黄の幢」が巾の童で、「巾の立つ里」だったから・・・
 妄想デシタ・・・カナ・・・「天地玄黄=黄幢=黄龍旗」・・・ハタハタの漢字「鰰・鱩・雷魚・燭魚」・・・

 

イヨイヨ(壹與、意予)決戦の「黄幢」は、「め組の纏(まとい)」の凱旋の宴!

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 ・・・イヨイヨ(壹與、意予)決戦の時間帯に突入したが、「冬の陣」になるか、「夏の陣」になるかは・・・結果待(俟・ま)ちであるが、29日(甲申)18時30分・・・19時(癸酉)・・・ヤッタァ~西川、三塁打!・・・20時(甲戌)~・・・凄いコトになっているが、4-4・・・21時(乙亥)~22時、押し出し5-4、バース6-4、やったぁ~ッ!!レアード満塁ホームラン10-4・・・22時34分、決着、北海道へ凱旋~ッ・・・前回は「黄幢」の「幢」とは、ナニか?で以下の引用文を添付したが、「黄幢(?)」の「黄・黄色」がマッタク欠落している「遼陽北園墓の墓室には、騎従が持つ幢(?)が描かれいる」とあり、その形状が「幢形(?)」であるらしく、旗の色彩に関してはボクがコラージュして添付した絵の「黄色の飾り旗」と異なっている。スナワチ、「幢形のものが二つ重なり、上は黒、下は赤に塗られ、上のものは丸い傘状のものの下に短い垂れ下がりがあり、下の方は鳥の長い羽毛が垂れている図」・・・
ーーーーー
 「軍事指揮や
  儀仗行列に用いられる
  旌旗(せいき)の一種で、
  天子が部下に権限を付与した印しとして与えた
  遼陽北園墓の墓室には、
  騎従が持つ
  幢が描かれている。
  幢形のものが
  二つ重なり、
  上は黒、
  下は赤に塗られ、
  上のものは
  丸い傘状のものの下に
  短い垂れ下がりがあり、
  下の方は
  鳥の長い羽毛が垂れている図である」
ーーーーー 

 ではなく、

 となるのだが・・・?・・・コレは「黄(色)幢」なのか?・・・
 「気概」の「概=木+既(既・旣=白ヒ牙)=槪・槪・槩」は「概(おおむね・だいたい・おもむき・ガイ)」である。「木(き・モク・ボク)」の、「既(すでに・もはや・もとより・とっくに・つきる・ことごとく・キ・ケ)=旣・既」で、「概念」である・・・漢字構成からハヤシ先生の「升の米の表面を均す」とは思えないが・・・「木(偏)」は表面の米面(こめづら)を均す「升の棒」の表意?・・・
 「牙(きば・キ・ケ)=器に盛った食べ物を食べ尽くしてノドケル、詰まらせる、むせる、むせぶ、喰い過ぎでゲップ」で、「概」は満足して「木」に寄りかかっている姿であろう・・・
 類字は「慨然(ガイゼン)」の「慨(心+既=忄+既・旣=心白ヒ牙)」は「 いきどおる(激しく立腹)・なげく(歎く・嘆く・悲歎・悲嘆)」で、「心の白はヒ(ヒ七匕)の牙」で・・・「慨嘆・感慨・憤慨・慨世・慨然・慷慨(コウガイ)・憤慨」である・・・
 「牙」の類字の「无(なし・~するなかれ・ムブ)」は「無」と同意、同義であるが・・・「虚無=万物の根本」は道家の思想だが、「自然科学」としての「底存在するアルものはアル」で、「虚無」とは「人間認識の心の認識思惟能力」の「認識概念の限界」である・・・

 イヨイヨ(壹與、意予)決戦の「黄幢」は、「め組の纏(まとい)」・・・「火」消しの仕事は延焼の阻止の家屋の破壊と消火の放水の「水」・・・終わって、北海道で凱旋での宴会はタラフクの「白のヒ(ヒ七匕)」の「牙」である・・・

瓢箪から駒(馬・午・宇摩・甜・旨)→白いロバ・白驢

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 ・・・NHKスペシャル(16時50分~)「ある文民警察官の死~カンボジアPKO 23年目の告白~(2016年8月13日)」の再放送を観たが、当時の「政府」の「カンボジアUNTAC(文民警察官の派遣と事件?・1993年5月4日)」も、「イラク派兵の自衛隊(PKO)」、そして現在の「政府」の「南スーダンの自衛隊(PKO)の海外派兵」とは如何にイイ加減なものなのかが、ワカル・・・政治屋、コウノ、ミヤザワ、コイズミ、そしてアベも現場では「銃」を向けられない「安全地帯」に存在したし、存在して「他人事」のハナシをしているようだ・・・「自衛隊の国際貢献とは自国民の命」を消耗させるコトなのか・・・ダレのタメに・・・
 市民社会の「平和なスポーツイベントに歓喜」が、「戦争への下敷き」、「メクラマシ」にされてはいないか・・・「戦争と平和」は「恋愛小説」なんだか、ドウなんだか・・・「戦争=平和」ではないハズだが、この世の中、ダレかにとっては「戦争=平和」なんだろう・・・「日本一のFighters」の歓喜には文句はないけれど・・・
 プロも、アマの「アスリート」も「重労働者」・・・古代ローマなら「剣闘士(グラディエーター=Gladiator=グラディアトル、グラディアートル)」、そして「センチュリアン(ケントゥリオ=centurio・古代ローマ軍の百人隊)」、「遣唐使(遣隋使)」も命がけだが・・・
 前回、書き込んだ「黄幢」だが、「巾(きれ・はば・キン)」が「童(わらべ・ドウ)」と合体している形象とは・・・童の被る「頭巾」、あるいは「帽子」と云うことか・・・あるいは「児童の防災頭巾」の変形?・・・「童=目を辛(針・立=辛の省略形)でつき通した召使・僕)」、「童=立+里(田十一)」は里に立てる「巾=旗・幡」か・・・「童」とはナンだろう・・・「僮(僕)・罿(あみ・ショウ)・瞳(ひとみ)・眸(ひとみ・ボウ)・撞(つく・ドウ・シュ)・鐘(かね・ショウ)・憧(あこがれ・ドウ・ショウ)」・・・つり鐘を撞く木の棒を「撞木(シュモク・トウボク)」、撞着(ドウチャク・トウチャク)は矛盾・・・
 どうやら、「童」の「形象」は「禿げた丸山」の形状?
 「おろか(愚か)」
 「角のまだ生えない牛や羊」
 「はげる(禿げる)」
 「頭髪がなくなる」
 「山に草木がなくなる(禿山)・・・丸山・圓(円)山?
  はげる=接げる・矧げる・剥(剝)げる・禿げる
      ハゲル=葉解留?
 「罪によって僮(しもべ・奴隷)となった者
  男を童、女を妾(しょう)という」
 「男の辠(つみ・自+辛)有るを奴と曰ひ、
  奴を童と曰ひ、
  女を妾と曰ふ、
  䇂(ケン・刺青のハリ)に従ひ、重の省聲」
 ・・・まるで、「春琴抄(しゅんきんしょう)・谷崎潤一郎の小説・盲目の三味線奏者・春琴(薬種問屋の二番目の娘、美少女)に丁稚の佐助が献身的に仕えていくはなし」が、イメージされるが・・・「鵙屋春琴」・・・「鵙=モズ・もず=百舌」・・・「鵙=貝(目八)+鳥」・・・
 兎に角、「黄幢」は「臣従のシルシの旗」だが、「成敗、討伐の象徴の旗」・・・「黄=共+田」→「廾一田八」・・・「田」は「狩りの地」である・・・
ーーーーー
 「瓢箪から駒(馬・午・宇摩・甜・旨)→白いロバ・白驢」・・・
 「小説、東遊記
  張果、
  騎驢應召、
  常乗一白驢、
  毎倒騎之、
  日行数百里、
  休息之時、
  雖折畳之、
  其、
  厚如紙、
  蔵於
  箱巾中」
   ↓↑
  恒州中条山に隠居
  尭(ギョウ)の時世に生まれ
  白驢(白い驢馬)に乗り、
  一日に数万里を行き、
  休息する時は驢を畳んで
  腰の瓢(ひさご・瓢箪)に納め、・・・蔵於
                 箱巾中で
                 瓢ではない、匣=箱・・・
  乗る時はその水を噴くと、
  忽ち驢が現れた・・・
  玄宗(ゲンソウ)の信任を得、
  都に招かれ、死後
  棲霞観を建立し祀(まつ)られた・・・
   ↓↑
ーーーーー
 「中国では
  藎草(ジンソウ)が
  黄色を染める染料になる
  深江輔仁『本草和名』(ca.918)藎草に、
 「和名加伊奈、一名阿之為」
  源順『倭名類聚抄』(ca.934)
 黄草は「加伊奈、本朝式云う刈安草」
  藎草は「和名加木奈、一云う阿之井」
  小野蘭山『本草綱目啓蒙』12(1806)藎草に
  「カリヤス和名鈔
 カイナ同上
   コブナグサ京師 
 サゝモドキ江州
  カイナグサ播州筑前」
 枝葉から
 黄色の染料を採る
  中国では、
  この
  黄色で官服を染めに・・・・・・官服は黄色?
 人々を使ってこの草を集めさせた
  (『詩経』小雅・采緑)
  その莖・葉・花を薬用にする(『中国本草図録』?/4392)
  『爾雅』釋草に
  「菉(リョク・ロク,lu)、
   王芻(オウスウ,wangchu)」と、・・・王の芻(蒭=馬草)
                    反芻=繰り返し
  その
  郭璞の注に
  「菉、蓐(ジョク,ru)也。
   今呼、
   鴟脚莎(シキャククサ,qijiaosuo)」
  日本では
  カリヤスとともに
  黄色染料として用いられた
  八丈島では、
  ツバキ(椿)の灰を
  媒染剤として
  黄八丈(キハチジョウ)を染めるのに用い
  八丈刈安(ハチジョウ-カリヤス)
  の名がある・・・らしい・・・
   ↓↑
  日本では藎草と思い違いし
  コブナグサ(小鮒草)が
  染め草となった
   (中国では全草を
    咳止めなどに用いる
    葉の形を
    魚のフナ(鮒・舩)
    に見たてた・・・・・言葉のカタチを仮の案に見立てた?
    カリヤスとともに
    黄色の染料として、
    黄八丈を染める)
  名の誤認から物の誤認が生じ・・・
   (日本語別名=カイナグサ(腕草)
          アシイ(脚藺)
          ハチジョウカリヤス(八丈刈安)
          イモグサ(イモ草)
          漢名=藎草(ジンソウ)
             菉(ロク・lu)
             ?(リョク・ロク・lü)
ーーーーー
  ↓↑
  瓢箪から駒が出た(とは、このコトで)。
  染料植物でないものが
  染料植物に化けたのである・・・牧野富太郎」
  (牧野富太郎・・・雑草という草はない、と云った)
   ↓↑
 ・・・「雑草」は分類上の一般名詞で、特集個別ではないのは当然であるカナ・・・
   ↓↑
 「昭和天皇、
  『何を言っているんですか。
   雑草という草はないんですよ。
   どの草にも名前はあるんです。
   どの植物にも名前があって、
   それぞれ自分の好きな場所を選んで
   生を営んでいるんです。
   人間の一方的な考えで、
   これを切って掃除してはいけませんよ』
 とおっしゃった」とか・・・昭和天皇は「科学者」だったが、気が付くのが遅かった?・・・
 「雑魚も、雑民も、雑兵も」存在しない、と・・・
ーーーーー 
   ↓↑
 同類のコトワザは
 「灰吹きから蛇が出る
  灰吹きから竜が上る
  嘘から出た実(まこと)」
 「灰吹き=灰や吸い殻を入れる竹筒」
ーーーーー
 瓢箪から駒・・・「荒唐無稽」なのは・・・「中国大返し」?・・・「備中大返し」天正十年六月(1582年6月~7月)・・・
  ↓↑
 豊臣秀吉の「千成瓢箪(ヒョウタン)」
 小馬印=金の逆さ瓢箪に金の切裂
 大馬印=金の軍配に朱の吹き流し
 「千成瓢箪」は
 「馬印」ではなく、
 「船印」に使用された・・・
  ↓↑
 瓢箪は干瓢(かんぴょう)に加工
 馬印(うまじるし)は、
 戦国時代の戦場において、
 武将が己の所在を明示するため
 馬側や
 本陣で
 長柄の先に付けた印で
 馬標、馬験とも・・・
 信長は美濃の斎藤攻めで、
 稲葉山城の攻略
 木下藤吉郎(秀吉)が、
 城の背後からの奇襲
 城に火を放ち、信長本隊に
 槍(竹)の先に付けた瓢箪を合図に送った
 稲葉山城、陥落(1567年)
 信長は藤吉郎に
 瓢箪を
 馬印にすることを許した・・・
 秀吉は、
 馬飼いの足軽
 草履取り
 後、
 台所奉行
  ↓↑
 馬印
 武将が己の所在を明示するため
 馬側や本陣で長柄の先に付けた印
 馬標、馬験とも
 豊臣秀吉時代
 小馬印=金の逆さ瓢箪に金の切裂
 大馬印=金の軍配に朱の吹き流し


 ↓↑

 秀吉は
 堀尾茂助を道案内役とし
 瓢箪を棒の上に着けて
 後続の軍兵(ぐんぴょう)への目印として掲げ、
 城を攻め落とした
  ↓↑
 「瓢箪」の「瓢」は「竹で編んだ円形の器」
 「瓢」=飲み物の器
 「箪」はご飯などの食べ物を入れる容器=弁当
ーーーーー
 ・・・ハコ・・・

黄色い玉葱なのか、長ネギの葱坊主なのか?・・・「黄幢」の形・・・

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 ・・・2016年(丙申)10月(戊戌)30日(乙酉)日曜日、31日(丙戊)月曜日・・・「バラ(薔薇)の名前(Il Nome della Rosa)」の師匠の「玉葱(タマネギ・onion・オニオン)」の講釈は「食べ過ぎるのはイケナイ、性欲が旺盛になるから」だったが、ストイックな「ウィリアム修道士」には当然で老師で、老人?だが、弟子の「アドソ」は若(わか)かったので「?」だったろう・・・しかも、タマネギ(玉葱)で「大蒜(にんにく・葫・garlic・ガーリック)」ではなかった・・・「黄色の玉葱」の「葱(ねぎ・ソウ)」、「黄幢(コウドウ・オウドウ)・キリスト、イエス(移鼠)死後の西暦245、247年」の色や形に、マだ、マだ、まだコダワリタイのだが、タマネギ?、Yellow Turban?・・・「怱=悤」=「屋根の窓+心」で「慌てる・束ねる・集める・筒抜けのもの・聡明」・・・カモが禰宜(ネギ)って、長ネギ・・・
 「長葱(ながねぎ)→葱(ソウ)」=筒抜けのもの=「艹+匆(稹・公?)+心」・・・匆=稹=多忙・・・採ってもスグに芽を出して伸びる?・・・「根葱(ねぎ)」・・・「根」を食べる「根の葱」・・・
 「悤=怱=忩→匆・稹は略字」=「総(すべる・ソウ)」・・・
 「窓(まど・ソウ→偬・聡・愡・惣」・・・「物部(述べ)の心」・・・「勿(勿論・~する勿れ・モチ・ブツ・刎頸)」
 「匁(もんめ)」
 「忽(ゆるがす・たちまち・忽焉 (コツエン) ・忽然(コツゼン)・おろそか(忽略・軽忽・粗忽)」・・・
 「愡(ソウ・ス)=憁・揔(すべる・ソウ)・偬(ソウ・ス)」
 「惚(ほれる・自惚れ=己惚れ)」・・・
 「惣→揔→悤」・・・
 「楤(タラの木・タラの芽)=新芽・タランボ)=たら=桵木」
 「緫=総」
 「牕(まど・てんまど・けむりだし・ソウ)=壁・屋根などに設けた開口部=窗・囱・牎・窻・䆫・㷓・囪」・・・
 「マドと書く罫線表で、普通重なり合っているロウソク足(?)が、突然、間隔があいた隙間・そら(空)ともいう」・・・
 「マドが三回続けて出現したのを三空(さんくう)といい相場の転換点?」・・・株式相場のグラフ表らしい・・・「ローソク足チャート(ローソクあしチャート)は、株価などの相場の値動きを時系列に沿って図表として表す手法の一つ。ローソクチャートともいう。単位期間を定め、単位期間中 に初めに付いた値段を始値、最後に付いた値段を終値、最も高い値段を高値、最も安いのを安値」・・・博打屋の用語らしい・・・蝋燭(蠟燭)の火はイズレ消える・・・
ーーーーー
 「バラ(薔薇)の名前」・・・小説
   ↓↑
 ラテン語で書かれ、
 フランス語に訳された
 メルク
 の
 アドソ
 の手記を
 「私」が手にし、
 その真偽を疑いながら
 イタリア語で出版したという
 物語形式・・・
   ↓↑
 アヴィニョン教皇庁の時代
 フリードリヒ美王の特使として
 バスカヴィルの
 ウィリアム修道士が
 北イタリアの
 ベネディクト会修道院を訪れ
 異端審問官としての判断が高く評価されていた
 物語の語り手は
 見習修道士メルクの
 アドソ
 父親は
 メルク男爵
 ウィリアムと一緒に旅をしている・・・
   ↓↑
 ウィリアムの本来の目的
 「清貧論争」と呼ばれた、
 フランシスコ会
 と
 アヴィニョン教皇庁
 の間の論争に決着を付ける
 会談を調停し、手配することだった
 妨害事件、
 修道院内で死者が相次ぐ
   ↓↑
 この論争は決着は付かず
 教皇使節と共に会談に訪れていた
 異端審問官
 ベルナール・ギー
 が、修道院で起こっている殺人事件は、
 異端者の仕業であるとして、
 異端審問を要求
   ↓↑
 物語は7日間にわたって進行
 「迷宮図書館」
 修道士たちの長老、
 盲目の師
 ブルゴスの
 ホルヘなどの登場
 (ホルヘ・ルイス・ボルヘスは
  アルゼンチンの国立図書館の館長で、
  盲目となった人物)
   ↓↑
 物語の背景
 喜劇について論じたとされる
 アリストテレスの
 『詩学』の第二部・・・現物は存在しない・・・
 当時の神学論争(普遍論争など)
 フランシスコ会における清貧論争と異端論議
 神聖ローマ皇帝
 と
 アヴィニョンに移った教皇の争い
 終末意識
 実在した異端審問官
 ベルナール・ギー(ドミニコ会士)
 実在したフランシスコ会士
 カサーレの
 ウベルティーノ
 を登場させて
 聖書やキリスト教神学から引用
ーーーーー
   ↓↑ 
 ターバン(アラビア語=`imāma)
 中東諸国、インドで用いられる頭に巻く帯状の布
   ↓↑
 イスラーム
 アッバース朝期以降、
 宗教的敬虔さの象徴
 ウラマーやイスラーム、インド
 などのシク教徒も日常的に用いる
   ↓↑
 ターバン
 現在では単に頭部の布巻きもの
 必ずしもイスラームなどと結びつけられるものではない
   ↓↑
 黄巾の乱(Yellow Turban Rebellion)
 布を巻いた形状の帽子も
 ターバンと呼ばれている・・・
 ペルシア語(دلبند Dulband)が
 トルコ語(Tülbent)
 を経て15世紀末頃から
 ヨーロッパ語で取り入れられた・・・
 ターバンの定義
 ドゥルバンドはそのうちの一つ
 イスラーム世界におけるターバン
 男性が用いるターバンを指す用語は
 非常に多彩で、
 形状を異にする
 アラビア語の「イマーマ」が
 日本語の「ターバン」
 の意味やイメージに近いが、直接一対応する語ではない・・・
 ターバンは通常、
 扁平で
 頭の形にそった
 丸い帽子をかぶり、
 そこに巻くもので、
 発汗の抑止や、
 布を巻くことで
 空気を含ませて
 頭部の暑さや寒さを抑える効果、
 砂漠地帯では砂よけの効果を持つ
 同時に
 装身具としての
 視覚的意味合いがある・・・
   ↓↑
 イスラム世界のターバン
 ターバンは
 扁平で
 頭の形にそった
 丸い帽子をかぶり
 そこに
 布を巻くもの・・・
 帽子
 と
 布巻きは別モノ・・・
 帽子
 円柱状の帽子は
 古代エジプト
 ハカーマニシュ朝(アカイメネス朝)で用いられた
 ジャーヒリーヤの
 アラブにとって
 ペルシア人の象徴
 布を巻いた形状は
 アラブに特有のもの
 イスラーム期
 布を巻くということが
 アラブの
 アイデンティティー・・・
   ↓↑
 身分表示機能
 歴史的には
 武官に対する
 文官
 ウラマーとしての身分表示
 特定の
 スーフィー・タリーカ
 への所属、
 宗教、出自などさまざまな意味を持った
 イランでは
 黒ターバンを巻いているのは
 預言者ムハンマドの子孫
 セイイェド(サイイド/シャリーフ)
 の
 ウラマー・・・
   ↓↑
 19世紀以降
 近代主義的改革が行われ
 ターバンを巻く者は
 これに反対する伝統主義者と見られた
 現在都市部では
 ウラマーやイスラーム復興主義者でもない限り、
 ターバンを巻いた者はほとんどいない・・・
   ↓↑
 フェズ(トルコ語=fes)
 頭頂部から
 房の垂れ下がった、
 つば(鐔)のない
 円筒形の帽子
 色は
 赤や
 「臙脂(エンジ・濃い紅色、黒みを帯びた赤色)=燕脂」色
 「フェズ」
 モロッコの都市
 フェズ
 にちなみ、
 日本では
 トルコ帽と呼ばれる
 エジプトなどでは
 タルブーシュ(طربوش)と呼ばれる
 19世紀~20世紀初頭にかけて
 オスマン帝国とその周辺地域で流行
 モロッコの辺りで用いられていた帽子
 オスマン帝国が
 マフムト2世
 の近代化改革によって
 文官・武官共に洋装を取り入れ
 従来ムスリム(イスラム教徒)が
 頭に巻いていた
 ターバンに代わるものとして導入
 フェズは近代化のシンボル的存在
 19世紀末ごろのオスマン帝国
 フェズにフロックコート
 という洋風のスタイルが流行
   ↓↑
 クーフィーヤ (アラビア語: كوفية, Kufiya)
 アラビア半島社会で男性が
 頭にかぶる装身具、頭巾
 地域によっては
 シュマーグ (شماغ,shemagh)
 グトラ(غُترَة,ghutrah)
 ハッタ(حَطّة,ḥaṭṭah)・・・・旗?・・・葉通多?
 マシャッダ(مَشَدة,mashaddah)
 などと呼ばれる
 クルド語=ジェメダニー(cemedanî)
 ペルシャ語=チャフィイェ(چَفیِه,chafiye)
 英語=keffiyeh=kaffiyeh
 とローマ字表記され、
 カフィエ
 と呼ばれる場合もある・・・
   ↓↑
 ターバンが
 頭の上で固まっているのに対して
 クーフィーヤは
 首の後ろまで布が垂れさがって
 頭部全体を覆う
 模様は様々で
 男性用で、
 女性は
 アバヤ
 などを身につける
   ↓↑
 黄巾の乱(Yellow Turban Rebellion)
 黄色い(?)布を巻いた形状の帽子・・・黄色のターバン?
ーーーーー
 後漢書の記録
 大秦(ローマ帝国)国王の
 「安敦」は
 「カエサル・マルクス・アウレリウス
  アントニヌス・アウグストゥス
  121年4月26日~180年3月17日
  第16代ローマ皇帝(在位、161年~180年)
  ネルウァ=アントニヌス朝の第五代皇帝
  第15代皇帝アントニヌス・ピウスの后妃
  ファウスティナ・マイヨル(大ファウスティナ)
  の甥
  大ファウスティナは
  ハドリアヌス
  と
  トラヤヌスの傍系血族
  外叔父アントニヌスの皇女で自身の従姉妹である
  ファウスティナ・ミノル(小ファウスティナ)
  と結婚して帝位を継承
  共同皇帝として
  ハドリアヌスの重臣の子
  ルキウス・ウェルスが立てられていた
  アウレリウスは
  小ファウスティナとの長女
  ルキッラを嫁がせて
  両皇帝の結束を固めたが、
  169年にウェルスが死んで
  単独の皇帝となった・・・
  ストア哲学・・・・ゼノンの思想哲学で
   ↓↑      感情=破壊的な衝動は
              判断の誤りから生まれるが、
           理性=知者は
             「道徳的・知的に完全」な人は
              この種の(感情)衝動に
   ↓↑         苛まされることはない」
  などの学識に長け、
  ネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス
  に並ぶ皇帝(五賢帝)と評された
  対外政策
  パルティアとの戦争で勝利
  蛮族への予防戦争として
  マルコマンニ人、クアディ人、サルマティア人
  などへの遠征(マルコマンニ戦争)は
  長期戦となり、
  国力を疲弊させ、
  自らも陣中で没した・・・
  軍事よりも学問を好んだ皇帝
  『自省録』は自著
  プラトンの時代から学識者にとって
  理想とされた
  「哲人君主」だった」・・・
   ↓↑
 「ルキウス・アウレリウス・コンモドゥス・アントニヌス
 (Lucius Aurelius Commodus Antoninus,
  161年8月31日~192年12月31日
  在位期間
  180年~192年)
  第17代ローマ皇帝
  ネルウァ=アントニヌス朝の最後の皇帝
  たびたび
  改名を重ねた
  公文書などでは
  ルキウス・アウレリウス・コンモドゥス・アントニヌス」
 「先帝マルクス・アウレリウスの嫡男
  第十一子で
  六男
  アウレリウス・コンモドゥスは
  紫の皇子の渾名
  紫とはローマの皇帝権
  在位中の皇帝を父に生まれたという意味・・・
  184年
  元老院から
  「ブリタンニクス(Britannicus)」
  の称号を与えられた・・・
 ・・・184年の後漢の「黄布の乱」に重なるローマ皇帝・・・
 部下の「クレアンデルの専横」によて、汚職、食糧危機、内政が混乱・・・側近の粛清・・・「ある時、陛下は切り落とした獣の首を貴賓席に座る我々の方へ笑いながら差し向けてきた。その行動は「余の気を損ねれば、お前達もこうなる」という言外の意味を含んでいることは明らかだった。しかし我々は恐怖よりも、その芝居がかった行動が滑稽に思える気持ちの方が強く、思わず笑いが零れそうになった。
 我々は慌てて月桂樹の葉を口に噛んで笑いを堪えねばならなかった。もし笑えば本当にあの獣の如く殺されてしまうだろう」・・・
 彼は毒を盛られ、絞殺された・・・享年、31歳・・・
   ↓↑
 後漢の末期
 184年
 大農民反乱
 農民を扇動したのは
 張角
 の唱えた
 太平道という新興宗教
 張角は
 「蒼天すでに死す、・・・・・蒼(艸+倉)の天?
  黄天まさに立つべし。
  歳は
  甲子にあり、
  天下大吉」
 をスローガンにし
 甲子の年(西暦184年)3月5日?・・・四月二日?
 黄巾を標識とした
 後漢朝、2世紀末
 外戚,宦官,官僚が権力争い
 地方では
 天災飢饉が続発
 農民の反乱
   ↓↑
 太平道への弾圧
 184年
 張角によって起こされた
 後漢の
 火徳に代わる
 土徳の
 黄色の頭巾(ずきん)をつけた
   ↓↑
 後漢(25~220)末の宗教反乱
 黄色の頭巾をつけて目印に
 黄巾(huáng jīn)とよばれた
 後漢中期
 豪族が大土地所有し
 村落社会を支配
 天災と飢饉が頻発
 農民は豪族に隷属し、流亡化し
 華北に没落農民・流民が発生
 抵抗した儒家・士大夫の運動も
 党錮の禁
 で挫折
 鉅鹿(河北省)の
 張角が
 「太平道」を創唱
 罪の懺悔(ザンゲ)による
 療病と倫理的な生き方を説き
 疫病の蔓延、村落社会から疎外された
 没落農民・流民を救済し
 十数年間に
 数十万の信徒を得て各地に教団を組織
   ↓↑
 外戚、宦官(カンガン)、党人官僚
 が三つどもで政争
 地方で洪水や干魃(カンバツ)、流行病
 鉅鹿(キョロク・河北省南部)の人
 張角は、
 黄帝信仰
 道家(ドウカ)学説を含む
 道教の一派である
 太平道を創始
 大賢良師(タイケンリョウシ)と自称
 呪術と信徒本人の懺悔によって
 病気が治るという
 太平道の教えで
 黄河下流域の
 多数の貧困と病気に苦しむ農民たちを
 教団に組織化
 後漢、
 霊帝(レイテイ)代・・・第12代皇帝
            在位期間
            168年2月17日~189年5月13日
            解瀆亭侯劉萇(建)の子
            解瀆亭侯劉淑の孫
            河間王劉開の曾孫
            章帝の玄孫
            中平四年(188年)十月
           「皇帝直属の常備軍」の創設を構想
            無上将軍と名乗り、下に
            西園八校尉と呼ばれる8人の指揮官には
            曹操・袁紹・淳于瓊がいた
 「184~189年」
  霊帝時代の『後漢書』東夷伝倭人条に
  この頃、
 「倭国に大乱」・・・・これは「黄巾の乱」に
 と、記録       連動していないか?・・・連動
 184年2月節分以降は、
 60年を1周期とする
 干支、甲子の最初の年
 「蒼天、既にに死せり。
  黄天まさに立つべし。
  歳は甲子に在(あ)り。
  天下大吉」
 というスローガンを掲げた
 この年2月
 目印として互いに
 黄色い頭巾
 を着用した
 30余万の信徒を率いて反乱
 後漢政府が党人官僚への弾圧を中止し
 黄巾討伐に全力をあげた
 張角が陣中において病死
 反乱の主流は年内に平定
 その余党は
 10年以上にわたって各地に蜂起(ほうき)し
 離合集散
 行政官や将軍たちの
 地方割拠と絡み合い
 黄巾の余党の活動は
 後漢帝国の統一政府に実質に打撃を与えた
   ↓↑
 後漢代
 鉅鹿郡(河北省南部)の
 張角によって組織された
 中国最初の
 道教教団
 西方の巴蜀および漢中の地域に発展した
 五斗米道(ゴトベイドウ)
 と時期は同じ
 大賢良師と称した
 張角は
 病人に罪の懺悔をもとめ
 お札や霊水を飲ませ
 呪文をとなえて
 神のゆるしを請う
 そのような方法で布教
 十数年の間に
 信者は
 中国東半部の広い地域にわたって
 数十万人に達し
 36の
 「方」とよばれる集団に組織化
   ↓↑
 河北
 山東
 の農民に多くの信徒を得た
 「五斗米道」とともに
 道教の源流・・・・道教、道家の源流はキリスト教?
          184年
          唐代は景教(ネストリウス派
          431年の異端派)だが?
          唐の太宗の時代、
          635年に中国に伝わった
   ↓↑
 太平道
   ↓↑
 後漢末期におこった新宗教
 干吉(カンキツ)
 が神人から授けられた
 『太平清領書(たいへいせいりょうしょ)』
 170巻によって、
 張角がこの宗教を始めた・・・
 太平道教団は個人的信仰に基づく集団・・・?
 張角は
 184年に
 「黄巾の乱」を起こした・・・
   ↓↑
 「蒼天已死 黄天當立」
 「四神」を崇めるもの・・・???
 青龍は川(青)
 白虎は道(白)
 朱雀は窪地(朱)
 玄武は冬の北風を防ぐ山(黒)
   ↓↑
 儒教
 「子、怪力乱神を語らず(孔子)」
 人知では推し量れないこと、
 理性では説明できないことがらについては語らない」
 新王朝を建国した
 王莽が前漢を簒奪する時に、正当化するため
 焚書坑儒を免れた教典を復刻
   ↓↑
 「青天の霹靂」・・・「晴天」ではない・・・だからナニ?
 青空に突然に起こる雷
 思い掛けず起こる突発的事変
 突然の大事件
 人を驚かす変動
   ↓↑
 「陸游」の
 「九月四日の鶏未鳴起作」・・・
       ニワトリ、未だ鳴かず時に起きて作す?
 ・・・筆の勢い(筆の運び、描写の動的な勢い?)らしい・・・が、ナゼ、「青天の霹靂」なのか・・・
   ↓↑
 「霹靂は雷・雷鳴」
 「霹(はためく・ヒャク・ヘキ)」・・・ハタめく、でアル・・・
 「霹靂神(はたたがみ)」=「霹靂藭」
 「かみ-とき=神-解き=霹靂」・・・?
 「かみ-とけ」に同じ(名義抄)
 「かみ-とけ=神-解け=霹靂」・・・?
   ↓↑
 「雷が落ちること・落雷・かみとき・かむとけ」
 「カムトケに当たりし、楠あり(霊異記・上)
 「かむ‐とけ=神-解け=霹靂」
 「かみとけ」に同じ
 「霹靂神してその磐をふみさいて」〈神功紀〉
 「はたた‐がみ=霹靂神」
 「はたたく神の意・激しい雷」
 「へき-れき(霹靂)=かみなり・いかずち・雷鳴
  雷が激しく鳴ること。落雷」
   ↓↑
 「霹靂=急而響的雷・
     唐、王維
     老將行=「漢兵奮迅如霹靂、
          虜騎奔騰畏蒺藜」
     紅樓夢第一回
    「士隱、意欲也跟了過去、方舉步時、
     忽聽一聲霹靂
     有若山崩地陷」
     亦稱為「落雷」
  ↓↑
 「霹隆(Перун・英语=Perun)
  又譯為、佩龍
  斯拉夫神話的神祇、
  為萬神殿(Pantheon)
  中位階最高的神明,掌管雷電。
  就像日耳曼神話的托爾神、
  霹隆被形容為是一個有銅鬍子的暴躁男子
  他騎乘著由
  公羊拖著的戰車、
  帶著
  斧頭
  或是
  鐵槌」
  ↓↑
 黄巾の乱
 184年4月2日先勝・木曜日・4月1日=戊申・赤口・水曜日
 (ユリウス暦)
 干支=甲子年丁卯月己酉日・・・4月2日=己酉・先勝・木曜日
                4月3日=庚戌・友引・金曜日
 日本
 成務天皇五十四年
 皇紀844年
 中国
 後漢  : 光和7年、中平元年
 張曼成 : 神上元年
 朝鮮
 高句麗 : 故国川王6年
 新羅  : 阿達羅王31年、伐休王元年
 百済  : 肖古王19年
 檀紀2517年
 仏滅紀元: 727年
 ↓↑
 黄巾の乱(コウキンのラン・黃巾之亂)
 小説『三国志演義』では反乱軍を
 「黄巾“賊”」と呼称
 している。後漢の衰退を招き、三国時代に移る
 ↓↑
 冀州
 鉅鹿の
 張角は
 『太平清領書』に基づく
 道教的な悔過による治病を行った
 政治色を濃くしていった
 太平道は、数十万の信徒を
 三十六個に分け、
 一単位を「方」とし
 軍事組織化
 武装蜂起を計画した
 張角は、漢王朝の転覆を暗示した
 「蒼天已死 黃天當立 歲在甲子 天下大吉」
 (『後漢書』71巻 皇甫嵩朱儁列傳 第61 皇甫嵩伝
 というスローガンを流布し、役所の門などに
 「甲子」の
 二文字を書いて呼びかけた
 ↓↑
 184年(光和七年、干支年は甲子)
 先に
 荊・揚州で兵を集めさせていた
 馬元義
 を洛陽に送り込み、
 中常侍の
 封諝、徐奉等
 を内応させ
 3月5日に内と外から蜂起するよう約束
 だが、
 張角の弟子の
 唐周
 が宦官達に密告
 蜂起計画が発覚し、
 馬元義は車裂きにされた
 霊帝
 は三公や司隸に命じ、
 宮中の衛兵や民衆を調べさせ
 千人余りを誅殺し
 張角の捕縛の命を下した
 ↓↑ 
 2月
 張角は予定より早く諸方に命じ一斉に蜂起し
 自らを
 天公将軍と称し、
 弟の
 張宝、張梁
 をそれぞれ
 地公、人公将軍とした
 ↓↑
 3月
 霊帝は
 何進
 を大将軍とし将兵を
 都亭に駐屯
 八つの関に都尉を置き洛陽を守護
 皇甫嵩
 呂強
 等の進言によって
 「党錮の禁」を解き、
 官界から追放されていた
 清流知識人が
 黄巾賊に合流するのを防ぎ、
 且つこれを利用
 また
 宮中の倉の銭と
 西園の馬を出し人材を募り、
 盧植
 を張角がいる冀州方面へ、
 皇甫嵩
 朱儁
 を
 豫州潁川方面へと、
 黄巾の勢力が強い所へ派遣
 ↓↑
 豫州・潁川黄巾軍
 184年4月
 朱儁は潁川にて
 波才と激突し敗走
 ↓↑
 5月
 皇甫嵩
 朱儁
 は
 長社に篭城
 波才は大軍を持って包囲
 皇甫嵩は軍を鼓舞し
 火計を用いて
 波才軍を混乱させ
 長社を討ってでて波才軍を敗走させた
 援軍に来た
 曹操軍と合流し、打ち破り、追撃し
 陽翟において
 波才軍を、
 6月
 に西華にて
 彭脱軍をそれぞれ壊滅
 黄巾の別働隊を破った
 王允と共に豫州を平定
 ↓↑
 荊州・南陽黄巾軍
 184年3月
 荊州南陽にて
 張曼成率いる南陽黄巾軍が蜂起
 太守・褚貢を攻め殺し
 自らを
 「神上使」を称し、
 宛に駐屯
 ↓↑
 6月
 南陽太守に任命された
 秦頡は
 張曼成を攻めこれを斬ったが、
 南陽黄巾軍は
 新たに
 趙弘を指揮官に立てて盛り返し、
 宛城に篭った
 豫州を平定し終えた
 朱儁は
 荊州刺史
 徐璆
 秦頡
 と合流し宛城を包囲
 ↓↑
 8月
 宛城を包囲中に
 何者かが
 朱儁の更迭を進言という噂
 朱儁は急遽攻撃を開始し
 趙弘を斬った
 趙弘を失った黄巾軍は
 韓忠を代わりに立て再び宛城に篭ったが、
 朱儁揮下の
 孫堅の活躍で宛城は落城
 韓忠は脱出し降伏しようとするが
 朱儁が受け入れず、
 その後打ち破られた
 韓忠は秦頡に殺され
 南陽黄巾軍は新たに
 孫夏を立て抵抗
 ↓↑
 10月
 朱儁は
 抵抗を続けた
 孫夏を破り
 南陽黄巾軍を壊滅
 ↓↑
 冀州・張角軍
 184年6月
 冀州にて黄巾軍に連戦連勝した
 盧植軍は、
 張角が広宗に篭城するとそれを包囲し攻め落とそうとし
 盧植軍は終始優勢だったが
 派遣されてきた
 小黄門
 左豊に賄賂を贈らなかったため、
 恨まれ讒言され職を解かれ
 代わりに
 董卓が派遣されたが
 黄巾軍に敗れた
 ↓↑
 8月
 霊帝
 豫州を平定したあと
 兗州東郡において
 卜己軍を打ち破った
 皇甫嵩を冀州に派遣
 ↓↑
 10月
 皇甫嵩
 広宗で黄巾軍を奇襲によって破り
 張梁を斬った
 張角は病死
 していたので
 遺体を引きずり出し晒した
 鉅鹿太守の
 郭典と共に、
 曲陽にて
 張宝を打ち破りこれを斬った
 ↓↑
 黄巾の乱、収束
 張角ら幹部が死去した後も
 乱の根本的原因である
 政治腐敗による
 民衆への苛政が改善されることはなく、
 黄巾軍の残党はこののちも
 広範な地域に跋扈し、
 反乱を繰り返したり、
 山賊行為や盗賊行為を行っていた・・・
 これらの中で
 楊奉、韓暹に率いられ
 白波谷に拠った残党は
 「白波賊」と称されたが、
 献帝の洛陽帰還の際に
 後漢に帰順し、
 皇帝奪還を目論む
 李傕、郭艴らと交戦
 後に
 盗賊のことを「白波」と称するのはこれによる
 青州は黄巾軍が大流行しており、
 青州の黄巾軍
 100万人が中国北部を大いに荒らし、
 公孫瓚に大敗
 ↓↑
 187年
 張純が反乱
 青州刺史は
 張純討伐を命じ
 討伐軍が平原を通過した時、
 劉子平は
 劉備が武勇に優れているとして従事に推薦
 劉備は従軍し、
 田野で敵軍と戦い負傷し、
 死んだ真似をして後から友人に助けられ脱出
 軍功で
 安熹県の尉になった
 (魚豢「典略」)・・・
 ↓↑
 192年
 兗州刺史
 劉岱が戦死
 黄巾軍の勢力が弱かった涼州のような地域でも
 後漢政府の統制が弱まったため、
 韓遂らが相次いで反乱、自立、抗争を繰り返し、
 異民族も辺境でしばしば略奪行為
 豪族を中心にして
 村落共同体規模で
 自衛・自警のための武装
 知識人を含む多くの民が
 荊州・揚州・益州・交州
 など
 江南や四川の辺境地域に移住
 黄巾の乱以後
 軍閥的な勢力が多数出現
 群雄割拠
 軍閥を支えていたのは
 黄巾の乱により武装化した豪族たちと
 広汎な地域に拡散した知識人・・・
ーーーーー
 ↓↑ ↓↑

 タマネギ(玉葱、学名:Allium cepa)
 ネギ属の多年草
 onion(英語)
 oignon(仏語)
 ↓↑ ↓↑
 玉葱(和)
 ↓↑
 一年草、もしくは二年草
 鱗茎、
 葉は野菜
 種小名はcepa(ラテン語でタマネギ)
 「頭」を意味する
 ケルト語に由来・・・
 戦前の日本では
 「葱頭」が正式な和名
 ↓↑
 タマネギ中毒(onion poisoning)
 タマネギなどの摂食で
 イヌ、ネコ、ウシ
 などの食中毒
 サルなども用量依存性の障害が生じる
 (過剰に摂食し過ぎると障害が起こる・人も同様)
 低用量ではタマネギ中毒にはならない
 ↓↑
 タマネギ、ニンニク、ニラ
 などのネギ属に含まれる
 アリルプロピルジスルファイド
 などが
 ヘモグロビンを酸化させ
 溶血性貧血を起こす
 血液塗抹標本では
 ハインツ小体が認められ
 摂取する食品を加熱しても毒性は消えない・・・
 摂取量と体重の相関関係は明確でない
 動物の種や個体差次第
 品種や個体によっては
 少量の摂取でも死亡する原因として、
 赤血球中の
 カリウム濃度が関係・・・
 HK型イヌ赤血球を持つ犬は
 赤血球内が高カリウム状態に保たれるため、
 タマネギ中毒起因の
 溶解性貧血が発生すると、
 赤血球内の
 カリウムが血液中に流出し
 高カリウム血症に伴う死亡の危険が高まる
 1975年に北海道大学の家畜病院で報告・・・
 北海道大学
 ザガジグ大学
 らの研究グループが、
 ヒツジのタマネギ中毒発症の研究
 ヒツジに於いては
 第一胃内の
 嫌気性細菌が発症に関与
 症状
 貧血、黄疸、可視粘膜蒼白、ヘモグロビン尿
 など。発症までに1~数日かかる
 慢性症状は
 肝臓機能の低下・・・
 治療
 すぐに吐かせる
 ビタミン剤投与
 有効な治療方法
 解毒剤などはなく
 強心剤、利尿剤
 などの対症療法を行う
 重症の場合は輸血
ーーーーー
 ↓↑
 たまねぎ効能
 疲労回復、高血圧、糖尿病、不眠解消、精神安定
 と効果・・・
 ↓↑
 たまねぎの原産地
 中央アジアから地中海沿岸
 栽培は
 古代エジプト
 メソポタミア文明で始まった・・・
 16世紀頃には ヨーロッパ各地で広がった
 江戸時代に
 オランダ人が長崎に持ち込んだのが最初
 ↓↑
 品種
 鱗茎の辛味度
 辛タマネギ
 甘タマネギ
 に大別
 鱗茎の色により
 黄、赤、白色系
 に分けられる
 日本で栽培される品種
 辛タマネギの
 黄色系
 泉州黄(せんしゅうき)
 札幌黄
 ともに
 アメリカでの栽培品種を
 日本で改良してつくられた
 泉州はイエロー・フラット・ダンバース
 札幌黄はイエロー・グローブ・ダンバース
 が改良親
 泉州は北海道以外ではもっとも主要な品種
 泉州がもとになって
 奥州
 仙台黄
 貝塚早生(かいづかわせ)
 久留米黄(くるめき)
 など多くの品種が分化
 札幌黄は
 北海道でもっとも主要な品種
 秋タマネギの代表種
 黄色系以外の
 辛タマネギの品種では
 愛知白
 札幌赤
 が栽培
 甘タマネギの品種
 黄魁(さきがけ)
 湘南(しょうなん)レッド
 がわずかに栽培
 (星川清親)
 ↓↑
 起源地
 イラン、パキスタン
 および
 その北の山岳を含む地域と推定
 野生種らしい植物が
 19世紀に
 西アジアで発見された・・・
 バビロフによれば、
 第一次中心地は
 中央アジア、
 第二次中心地は
 近東地区で、
 現在の栽培型より大きい
 大球型が地中海沿岸地域にある
 中近東、インドでは古くから栽培
 エジプトでは
 第1~第2王朝時代(前3000~前2700)
 の墓の壁画に描かれている
 ピラミッドを築く労働者の食用とされた
 ギリシアでは
 紀元前10~前8世紀、
 ローマでは
 前5世紀から栽培
 ドイツでは
 15世紀
 タマネギ料理が普及
 ヨーロッパ一帯に広まったのは
 16世紀ころ・・・
 北・南両アメリカ大陸には
 16世紀に
 スペインから入り、
 アメリカ合衆国では
 17世紀から栽培が始まった
 西インド諸島へは
 17世紀に入った
 日本へは江戸時代(18世紀)に
 長崎に入ったが、
 現在の品種は主として
 1884~85年(明治17~18)に導入され、改良されたもの
 (田中正武)
 ↓↑
 日本
 食卓には
 明治時代以後
 和風料理は
 肉じゃが・すき焼き・牛丼・ハンバーグ・メンチカツ
 獣肉食が解禁されて生まれた料理が多
 「不許葷酒入山門」
 に引っかかるため、
 一部仏教宗派(臨済宗・曹洞宗)
 では食べることを禁じられている・・・
 ↓↑
 ナポレオン時代
 フランス軍歌
 『玉葱の歌(Chanson de l'Oignon)』(作詞・作曲、不詳)
 は童謡
 『クラリネットがこわれちゃった』
 の原曲・・・
ーーーーー
 1.
 俺は油で揚げた玉葱が好き。
 うまけりゃ俺は玉葱が好き。
 俺は油で揚げた玉葱が好き。
 玉葱が好き、玉葱が好き。
 (繰り返し)
 1.
 J'aime l'oignon frît à l'huile,
 J'aime l'oignon quand il est bon,
 J'aime l'oignon frît à l'huile,
 J'aime l'oignon, j'aime l'oignon.
 Refrain.
 (繰り返し)
 進もう戦友、行進の足取りで。
 進もう、進もう、行進の足取りで。
 Refrain:
 |: Au pas camarade, au pas camarade,
 Au pas, au pas, au pas. :|
 2.
 油で揚げた玉葱一玉だけでも、
 俺たちゃ獅子に変わるよ。
 油で揚げた玉葱一玉だけでも、
 俺たちゃ獅子に変わるよ。
 (繰り返し)
 2.
 Un seul oignon frît à l'huile,
 Un seul oignon nous change en lion,
 Un seul oignon frît à l'huile
 Un seul oignon nous change en lion.
 Refrain.
 ぼくの大すきな クラリネット
 パパからもらった クラリネット
 とっても大事に してたのに
 こわれて出ない 音がある
 どうしよう どうしよう
 オ パキャマラド
 パキャマラド パオパオ
 パンパンパン
 オ パキャマラド
 パキャマラド パオパオパ
 ドとレとミの音が出ない
 ドとレとミの音が出ない
 とっても大事にしてたのに
 こわれて出ない音がある
 どうしよう(コラ)
 どうしよう(コラ)
 オ パキャマラド
 パキャマラド パオパオ
 パンパンパン
 オ パキャマラド
 パキャマラド パオパオパ
 ドとレとミとファとソと
 ラとシの音が出ない
 ドとレとミとファとソと
 ラとシの音が出ない
 パパも大事にしてたのに
 見つけられたらおこられる
 どうしよう(オー)
 どうしよう(オー)
 オ パキャマラド
 パキャマラド パオパオ
 パンパンパン
 オ パキャマラド
 パキャマラド パオパオパ
 「クラリネットをこわしちゃった」
 が歌唱禁止に?・・・・???
 ↓↑
 18世紀末~19世紀初頭のフランスでは、
 クラリネットには
 「召使い」という意味があった・・・
 「クラリネット(clarinet)をこわしちゃった」
  ↓↑
 ・・・「クラリネット」は、その「形状」だろう・・・もちろん、「名器」の意味も・・・「笛吹き((パイドパイパー)」とは「グリム童話の中世ドイツの北の町、ネズミ(鼠・鼡・子)退治してくれた『ハーメルン(Hameln)の笛吹き男』は1284年の6月26日にハーメルン(Hameln、German・独逸)で実際に起こったと云われる130人の子供たちが一夜にして街から消えた」、「古い記録は1430年から1450年頃のもの(リューネブルク写本)で、現在でもこの街は、「Rattenfängerstadt Hameln(ネズミ捕りの街ハーメルン)」・・・どっちにしても壊してしまっちゃぁネッ、「少子化」の原典(原点)かも・・・フランス、当時のナポレオンの敵はドイツ・・・ハーメルンは、当時のハノーファー選帝侯領最強の要塞都市で、難攻不落の「北のジブラルタル」とされたが、ナポレオン時代のフランス支配とプロイセン支配下が入れ替わる1806年、クリュート山の麓に第四砦(ルイーゼ砦)が造られた。イエナ・アウエルシュタットの戦いの後、ル・コック将軍が率いるハーメルンは1806年にサヴァリー将軍指揮下のフランス軍に、戦うことなく降伏し、1808年にナポレオンによって要塞は取り壊された・・・そして、最北方のロシア・・・
 日本での替え唄の詩はドイツを意識していたかも・・・?
 「ナポレオン戦争」・・・1796(1799?、1803?)年~1815年まで・・・
  ↓↑
 の本来の意味は、
 領主である父親から
 女を譲られた息子が、
 性的暴力を働いたことを意味するらしく、
 女中や下女は主人に求められれば
 性的な仕事にも奉仕していたと
 歴史研究により明らかになった・・・
 全国の教育委は
 「小学生には早すぎる内容」として・・・
  ↓↑ 
 「オ・パッキャマラード」のフレーズが
  ↓↑
 「おっぱい、毛、マラ、
  おっぱい、毛、マラ、おっぱい、
  おっぱい、おっぱい、おっぱい」
 と聞こえるらしい・・・児童の性教育に悪影響?
 「オ・パッキャマラード」は訳すると、
 「ステップを踏むんだ」
 や
 「足並みそろえろ」
 という意味・・・
 ↓↑
 3.
 だけどオーストリア人に
 やる玉葱はない。
 その走狗どもに
 やる玉葱はないのだ。
 だけどオーストリア人に
 やる玉葱はない。
 奴らにやる玉葱はないのだ。
 (繰り返し)
 3.
 Mais pas d'oignons aux Autrichiens,
 Non pas d'oignons à tous ces chiens,
 Mais pas d'oignons aux Autrichiens,
 Non pas d'oignons, non pas d'oignons.
 Refrain.
 ↓↑
 4.
 油で揚げた玉葱を好きになろう。
 玉葱を好きになろう、うまいんだから。
 油で揚げた玉葱を好きになろう。
 玉葱を、玉葱を好きになろう。
 (繰り返し)
 4.
 Aimons l'oignon frît à l'huile,
 Aimons l'oignon car il est bon,
 Aimons l'oignon frît à l'huile,
 Aimons l'oignon, aimons l'oignon
 Refrain.
 ↓↑
 黄たまねぎ
 シャロット
 もっとも多く出回っている黄色種の辛たまねぎ
 イエローダンバース系の
 札幌黄や泉州黄からの改良種が多く栽培されている
 たまねぎを小さく、やや細くした形。
 分球して数個の鱗茎をつくるたまねぎの親戚。
 フランス料理に欠かせない野菜
 ↓↑
 赤たまねぎ
 紫たまねぎともいう。
 皮も表層部も赤紫色。
 湘南レッドが代表的な品種で、
 辛みも刺激臭も少なく、
 みずみずしい。サラダに最適。
 ↓↑
 白たまねぎ
 日本では極早生種。
 端境期の3、4月に愛知白が出回る。
 水分が多く、辛みが少なく柔らかい。
 ↓↑
 原産地は中央アジア。地中海沿岸
 古代エジプトで栽培
 ギリシャでは紀元前10世紀
 ローマでは紀元前5世紀
 に栽培されていました。
 旧約聖書
 千夜一夜物語
 にも
 食べたり
 精力剤・・・・・・・・・・・
 にする話
 ヨーロッパ一帯に広まったのは
 16世紀から
 硫化アリルはビタミンB1の吸収をよくする
 米食中心で
 ビタミンB1の不足しがちが
 日本人には欠かせない野菜
 ↓↑
 食べているのは「葉」・・・
 葉の下の
 葉鞘とよばれるところが
 成長するにしたがって厚みを増し、
 重なり合って
 球体に太ったもの・・・
 1枚ずつはがすと魚のうろこ(鱗)のようになるので、
 鱗茎とよぶ
 英語のオニオンという名前は
 ラテン語の
 ユニオンから転じたもので
 多くの「うろこ(鱗)状の葉の集合体」の意味・・・
 ↓↑
 古代エジプトを支えた
 たまねぎ
 古代
 エジプトに伝わり、
 紀元前33~28世紀の
 第一王朝時代の墓の壁画にもたまねぎの絵が描かれている
 ピラミッドを築く労働者には
 にんにく
 たまねぎ
 を食べさせたという記録・・・ウィリアム修道士の研究?
 「たまねぎ」が
 彼らの給料の支払いにも使われた・・・という説・・・
ーーーーー
 ・・・「黄色=きいろ=規意賂」・・・「黄幢」と「玉葱」と、その「鱗(ウロコ)」・・・「タマネギのカワを剥くサル」でした・・・「鱗茎、即ち葉は野菜として食用に利用され、サルは好んで 食べることもある」らしいが・・・丙申年(2016年)の怒り涙と、歓喜の涙・・・あぁ、きみ、ミズや、感激のナミダにムセブ、我が選手・・・涙の出ない「タマネギ」、そして果物ように甘い「タマネギ」の発明、栽培、出荷・・・

モモちゃんとのお別れ・・・

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 ・・・十一月一日・火曜日・・・朝方、雪がふんわり・・・


[
 21時過ぎ、モモちゃんとのお別れでした・・・
https://www.youtube.com/watch?v=W00rHNN2zMQ
<iframe src="https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ" frameborder="0" width="560" height="315"></iframe>
ーーーーー
 たまねぎ(onion・玉葱・球葱)とターバン(turban)と「黄幢」


ーーーーー
  たまねぎ(onion・玉葱・球葱)の語源
  ↓↑
 ラテン語の
 真珠〔unio〕に由来・・・universe(宇宙)
 日本語
 玉葱
 葱頭
 たまねぎ・・・・玉の根の木
 オニオン・・・・鬼の音は「キ」です
 おにおん
 ↓↑
 英語
 onion(アニャン・ァニャン)・・・豈、兄ャンです
                 きっと…だろう
                 決して…ない
                 阿仁→王仁
 ドイツ語
 Zwiebel(ツヴィーベル)
 オランダ語
 uien(アウウン)・・・・阿吽?
 フランス語
 oignon(オニョン)・・・音ヨン(読)?
 イタリア語
 cipolla(チポッラ)・・・地保椄等?
 スペイン語
 cebolla(セボージヤ・セボーリャ)
 ポルトガル語
 cebola(セボラ)・・・施法螺?
 ラテン語
 cepa(ケーパ)・・・・掛重葉?
 Allium cepa (アッリウム・ケーパ)
 古代ギリシャ語
 κρομμυον
 krommyon(クロンミュオン)・・・句論観諭音?
 ロシア語
 лук(ルーク)・・・留得句
 アラビア語
 بصل(バサル)・・・・場猿
            ・・・猿田比古・猿女=宇受女
 中国語
 洋葱(yángcōng・ヤンツォン)
 葱头(cōngtóu・ツォントウ)
 圆葱(yuáncōng・ユェンツォン)
ーーーー
 ↓↑
 長葱(ながねぎ)
 英語
 ネギ(ねぎ)  
 leek(リーク)・・・・・理意句?
 scallion(スキャリァン)
 ドイツ語
 Lauch(ラウホ)・・・・・等得補?
 フランス語
 oireau(ポワロ)・・・・補和賂
 イタリア語
 porro(ポッロ)・・・・・補通賂
ーーーーー
 ↓↑
 エシャロット(仏語 Échalote)
 ネギ属の多年草
 英語はシャロット(shallot)
 中東 原産で、十字軍がヨーロッパに持ち帰った
 名前は中東の都市
 アシュケロン・・・鴉主家論?
 に由来
 鱗茎の皮の色は
 タマネギに似る
 エシャロット(仏語 Échalote)・・・絵者(写)路通訳
ーーーーー
 ↓↑
 ラッキョウ(らっきょう・辣韮・薤・辣韭
       学名 Allium chinense)
 ネギ属の多年草・野菜
 別名は「オオニラ・サトニラ」
 鱗茎は卵状披針形
 外皮は汚白色の鱗片葉に包まれる
 英語は
 スキャリァン(scallion)
 シャロット
 シャラト(shallot)
 イランでは
 モーセール・・・・申施留?
 中国では
 胡葱(フーツォン)
 台湾では
 紅蔥頭(アンツァンタウ)
 香港では
 乾蔥(コンチョン)
 タイでは
 หอม(ホム)
 中国福建省の
 竜海市には
 「香脯糕(シアンプーガオ)」という
 落雁(ラクガン)に似た干菓子があり、
 エシャロットやネギの風味を付けたもの
 「落雁=白雪糕=白雪羹=はくせつこう・はくせんこ」?
 ・・・近江八景の「堅田の落雁」に因なんでつけられた、中国の軟落甘の「軟」が欠落した・・・の説があるらしいが、「落ちる雁(ガン)→岩、眼、丸」で、「カモ」であるカナ・・・
 ↓↑
 日本のエシャレット
 ラッキョウ (Allium chinense)
 「エシャレット」
 一年物の早獲りラッキョウに
 「エシャレット」という商品名を命名したのは
 東京築地の青果卸業者(川井彦二)
 エシャロット
 と
 ラッキョウ
 では見た目も味も違う
 根らっきょう=「エシャレット」が、
 誤って
 「エシャロット」と呼ばれる・・・
 本物のエシャロットが必要な場合は
 「ベルギー・エシャロット」などと明示されている・・・?
ーーーーー
 ↓↑
 キャロット
 英語「carrot」
 フランス語「calotte(カロット)」
 ドイツ語「Karotte」
 イタリア語「carota(カロータ)」
 「carrot(キャロット)」と同源
 「carrot」は、
 「体の上部」や「頭・角(つの)」を意味する
 印欧語「keres-」
 ニンジン
 赤毛(の人)、赤毛、
 褒美(ほうび)、報酬
 ほうびと罰
 (ニンジンとムチで
  馬を走らせる・・・
  the carrot and the stick)
 アメとムチ・・・
 飴 と鞭・・・
 天 と無知・・・
 海人と笞(竹+台)・・・・類字は「答」
 編目と無恥・・・
 褒美(ホウビ=人参(ニンジン)
 と
 鞭(むち)で馬を走らせる・・・ウサギ(兎・兔・卯)?
 ↓↑
 英語で
 人参(にんじん)は
 キャロット
 carrot(キャロット)
 ドイツ語
 Möhre(メーレ)・・・芽(メ・目・女・馬)獲例
 Möhren(メーレン)
 フランス語
 Karotte(カロットゥ・キャロット)
 イタリア語
 carotte(カロタ)
 carota(カロータ)
ーーーーー
 シャロン=カロンとも表記
 シャロンは元来は
 ヘブライ語の「森」・・・・「モリ」です?
 シャロンは19世紀頃までは
 男女両方に使われる名前
 20世紀にはほぼ女性名・・・
 ↓↑
 Charon=カロン=冥王星の衛星
 Châlons=フランスの地名の1
 シャロン=シュル=ソーヌ
 シャロン=アン=シャンパーニュ
 Sharon=イスラエルの地名の1
 テル・アビブ(ヨッパ)~北のハイフア(カルメル山)までの
 地中海に面した肥沃な平原
 花が咲き草木が生い茂る特別な場所
 「乳と蜜が流れる広い良い土地(出エジプト3章8節)」
 「シャロンは羊の群れの牧場となるように(イザヤ書65章10節)」
 「シャロンの牧場」=ユダヤ教とキリスト教世界の理想郷
 その地に咲く
 白い可憐な
 「シャロンの
  花(シャロンのバラ)」=ムクゲ(槿・尨毛・夢句解)
 旧約聖書で「純潔の象徴」
 「Charon=カロン」
 ギリシア神話で
 現世と冥界を分ける「川の渡し守」
 キャロン (caron)=ハーチェクの別名
         =チェコ語で「かぎ(鈎)・V字形」
 文字の上に付され、
 上昇調を表す声調記号
 文字の下に付され、
 有声を表す・・・
ーーーーー
 シャーロット・ケイト・フォックス
  Charlotte Kate Fox
 1985年8月14日
 ↓↑
 シャーロット (Charlotte)
 英語圏の女性名
 フランス語圏ではシャルロット
 ドイツ 語圏ではシャルロッテ
 愛称は
 チャーリー (Charlie)
 ↓↑
 char=charred,char・ring
    火が木などを炭にする
    黒焦げにする
    ・・・を焼き払う
 lotte=Burbot(バーボット)
 カワメンタイ
 属名・種小名の
 lotaは
 古フランス語で
 本種=「lotte」を意味
 英名「burbot」は
 ラテン語の
 髭(鬍・髯・鬚)=barba
 に由来
 カワメンタイ(Lota lota)=タラ(鱈)目唯一の淡水魚
 漢字では
 身が
 「雪のように白い」ことから
 「鱈(たら)」・・・鱈は和製漢字
        ・・・タラ=鰔・腭=桵
              誑=言+狂
             (たら-す・たぶらかす・だます
              キョウ・コウ)
              タラのキ
              楤木・桵木・学名、Aralia elata
       ・・・タラ=莿萩・・・トゲのある木
       スプラウト(Sprout)=発芽直後の植物の新芽
       主に穀類、豆類、野菜の種子を
       人為的に発芽させた新芽の食べ物
 「たぶらかす=誑かす」=だまし惑わす・人をあざむく」
 「鱈(たら)」=「大口魚」
 この国字は、
 中国でも一般的に用いられ
 福建省の客家語では
 「大口魚」は
 「ハス」=鰣・早子=鰭ふりゆくこと早し、故に「早子(はす)」
 ・・・「大口鱒=ブラック-バス」・・・?
 ・・・「小口鰣(コグチバス)=鱒(ます)・・・?
 ↓↑
 腹いっぱい食べるという意味の・・・・・既=「白+ヒ+牙」
 「たらふく(鱈腹)」の副詞の語源・・・?
 「たらふく」は
 「足(た)らい脹(ふく)るる」で、
 「満足して(腹が)脹れる」に由来・・・?
 「鱈腹」は当て字・・・
 ↓↑
 シャルロッテ・ゾフィー・ヘンリエッテ・ブッフ
               (後、ケストナー)
 (Charlotte Sophie Henriette Buff(Kestner)
 1753年1月11日~1828年1月20日
ーーーーー
 ・・・若くなくても「悩むョ、ナァ~ッ」・・・「シャロン」も「キャロン」も、「カロン」も・・・「ベニスの商人(The Merchant of Venice)」の「高利貸シャイロック(Shylock)」・・・「Shy」に「lock(錠・錠前)」ですか・・・「rock(岩・磐・巌)」じゃぁ、違和であるが・・・発音がネ、ッ・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・モモの鳴き声かな・・・

女王のいない執事・・・

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 ・・・宇宙に漂う小さな水の惑星・・・温度が丁度いい加減になって、この星の生き物は地球の外に振り落とされるコトもなくへばりついているのか、地球のエゴな重力のせいなのか、それとも、太陽系の慣性重力の相互バランスなのか、更には宇宙全体の相対的な慣性重力の中でのコトなのか・・・人知の及ぶ所ではない、か・・・生き物にとっては宇宙的な規模の適性条件下のスベテであろうカナ、モモちゃん・・・君はボクの「女王さま」であったけれど、一昨日は、ボクの腕の中で冷たくなって逝った。昨日は「棺柩)」の中、そして、庭の八重桜の木の下の「墳墓」の中・・・今日はその墓石に牡丹雪・・・二階への階段を昇って来る足音が聴こえるが、ボクの膝の上に駈け上がって、寝そべる君の姿はない・・・幻聴・・・ベットに潜り込み、布団の中でボクの腋(脇・わき)で温くもってる君の姿はない・・・台所ではボクの肩に飛びついて、ボクの口移しの食べ物をネダル君はいない・・・でも、君の音と気配がする・・・
ーーーーー
 ・・・地球の最初の生物は「海の中で意志もない、ただ漂う植物」だったのかな・・・そして海岸の岩にへばり付き、その次世代は種を媒介し陸地へとその生態を変えていった・・・根っこが大地にへばり付いての生命体だから、一世代は個的にはその場所からは動けなかった。でも、花粉や種で子孫への日嗣を願った・・・でも、風任せ・・・海の中での「植物」は「移動意志(?)のある動物」へと変化していった・・・ただ漂っているだけでは面白くなかったんだろう・・・そして、海も厭きたんだ。陸地に上がって、一足先に陸に移動した植物達の茂った場所を見学したくなったんだろうカナ、モモちゃん・・・でも、駕籠に入れられ、飛行機で空を飛び、電車の長旅・・・遷都の君も、皇太子の息子のブブも、こんな寒い、広い所には来たくなかったカモ・・・喧騒の大須商店街が好かったのカモ・・・ここではライバルとの庭の境界線と、宮殿を衛るのにも大変だったし・・・ブブは、既に二年前から消息不明だった・・・そして、モモちゃん、君は、息子の探索から傷ついて帰って来た・・・
 今年の「クリスマス、紅白」のTVは、女王の君と、もはや、一緒に観られない・・・
  ↓↑
 時たま、「ギルガメッシュ(ビルガメス)の求めたモノ(不死の草を求める旅・不死希求の旅・不老不死)」というよりは、「生きている存在の仕組み」をカンガエルコトもあるけれど・・・彼が「あらゆるコトを見た人」だったのか、どうなのか・・・兎に角、神話伝承でも「死んで、この世、現世に復活、再生する神」ではなかった・・・そして、彼の死後を祀ったのは「エンネギという都市」であった・・・なぜ、「エン-ネギ」なんだか、「圓(丸・球・玉)の葱(ねぎ)」・・・抱いている「ライオン(獅子)」は愛猫と同じカモ・・・

ーーーーー
 DNA=ヒストンと呼ばれるタンパク質に捲きつき、
    このタンパク質にDNAが巻きついたものが染色体
    DNAの一部が遺伝子
    生命体を構成する
    設計情報=遺伝情報が書かれた部分がゲノムの
         構成物質はほぼ同じ
         遺伝子の数は生命体の複雑さとは無関係で、
         各々の遺伝子の組み合わせで
         複雑、単純の生命体の実体が決まる
    アルファベット一文字と、
    アルファベットの複数文字の組み合わせの単語、
    その単語での文章構成との違いで意味をなす、文明化
    DNAは物質(デオキシリボ核酸)
    遺伝子は情報
    DNAが構成する遺伝情報の部分
    「4種類(ATGC)の
     ヌクレオチドから構成
     糖、リン酸、塩基
     DNAの塩基の並びが
     遺伝子の配列(ヌクレオチ)が異なる
     並び方の違いが情報の違い(ポリマー)」・・・
ーーーーー
 すべての
 「多細胞生物」は
 「真核細胞」で構成
  ↓↑
 細胞自体、一個だけの生命体(細胞が1つだけ)の
 「単細胞生物」、その細胞は
 「原核細胞」
  ↓↑
 動物だけに備わった
 「細胞小器官」は
 「中心体」と呼ばれ
 細胞分裂時の
 染色体の移動に関与する
  ↓↑
 だが、「中心体」は一部の
 コケ植物
 藻類
 にも存在する・・・
  ↓↑
 植物にだけ備わった
 「細胞小器官」
 「葉緑体=光合成で
      二酸化酸素と水から
      酸素と炭水化物を作る
 「液胞=細胞内の物質の分解処理」
 「細胞壁=細胞を囲む防護壁」
  ↓↑
 だが、後天的に葉緑体を獲得する
 「Elyshia chlorotica
 (エリシア・クロロティカ)」
 という
 緑色の
 「ウミウシ」がいる
 「Vaucheria litorea」
 という藻類食べた際に、
 葉緑体を体内に維持し
 エネルギーを合成する
ーーーーー
 紅炎(コウエン・solar prominence)
 太陽の下層大気である
 彩層の一部が、
 磁力線に沿って、
 上層大気である
 コロナ中に突出したもの
 「プロミネンス(prominence)」と呼ばれる
 皆既日食の際に、
 月に隠された
 太陽の縁から立ち昇る赤い炎・・・
  ↓↑
 黄幡・黄幢・彪尾=豹尾
  ↓↑
 「彪尾=豹尾神(ヒョウビジン)
     陰陽道における
     方位神(八将神)の一
     暦本によって
     「へうび(ひょうび)」とも・・・
 本地は三宝荒神
 豹尾神は、
 天宮神という女神を伴う
 豹尾神=計都星の精・・・気性が激しい
  ↓↑
 豹尾神の位置(位地)
 子・辰・申→戌
 丑・巳・酉→未
 寅・午・戌→辰
 卯・未・亥→丑
  ↓↑
 「炎の計都星=豹尾
 暦注の八将神の一
 計都星 (ケイトセイ) の精
 この方角で畜類を探したり、
 大小便をしたりすることを忌む」
 「豹的尾巴
  天子属 车上的饰物
  悬于最后一车3
  借指天子属车
  即
  豹尾车
  旧时阴阳五行家
  谓
  旌旗之象
  比喻乐曲、
  诗文坚劲有
  力的
  结尾部分  阴神名
  四大阴帅
  之一(词语=豹尾」
  ↓↑
 「太歳神(たいさいじん)
  大将軍(だいしょうぐん)
  大陰神(だいおんじん)
  歳刑神(さいぎょ うしん)
  歳破神(さいはしん)
  歳殺神(さいせつしん)
  黄幡神(おうばんしん)
  豹尾神( ひょうびしん)
  金神(こんじん)・・・巡金神・大金神・姫金神」
  ↓↑
 「神道と習合して
  素戔鳴尊ともなり、
  仏教と習合して
  牛頭天王」
 「大将軍八神社が
  素戔嗚尊を祭祀とする」
 ・・・「太歳神
     大将軍
     太陰神
     歳刑神
     歳破神
     歳殺神
     黄幡神
     豹尾神」は
 明治の神仏分離令で
 の際、
 「牛頭天王と習合していた
  スサノオと天照大神との
  誓約(うけい)で
  化生した五男三女神に変えられた」・・・明治である
ーーーーー
  ↓↑
 「太陽フレア(Solar flare)
 太陽の爆発現象=太陽面爆発
 太陽系で最大の爆発現象
 多数の波長域の電磁波の増加によって観測」
  ↓↑
 「コロナ=太陽表面の爆発で
      高温のプラズマが
      磁力線に沿って 降り注ぐように見える
      「コロナの雨」
  ↓↑
 「黄幡神(オウハンジン・オウバンシン)
  九曜の1つで
  羅睺(ラゴウ)
  集落の境や村の中心、
  村内と村外の境界や道の辻、
  三叉路などに
  石碑の形態で祀られる
  現在は道祖神の様に村の守り神
  元々は
  インドの神=ラーフ (Rāhu)」
  インド神話に登場する
  4本の腕
  1本の尾
  をもつ
  アスラ(阿修羅)=「捕らえる者」の意味
  ラーフは、
  インド天文学上の
  ナヴァ・グラハ
  という9つの惑星(九曜)の1つの
  「羅睺(ラゴウ)」
  ↓↑
 乳海攪拌のあと、
 神々と
 アスラは不死の
 霊薬アムリタをめぐって争い、
 アムリタは神々の手にわたった
 神々は集まって
 アムリタを飲んだが、
 その中に
 ラーフというアスラが
 神に化けて
 アムリタを口にし
 それを
 太陽と月が発見し、
 ヴィシュヌ神に知らせた。
 ヴィシュヌ神は円盤(チャクラム)を投げて
 ラーフの首を切断したが、
 ラーフの首は不死になってしまった
 ラーフの首は天に昇り、
 告げ口したことを怨んで
 太陽と月を飲み込んで
 日蝕や月蝕を起こす
 悪星になった
 月が毎月1回欠けるのは
 ラーフの仕業とされる
  ↓↑
 ラーフは
 ヴィプラチッティ
 と
 シンヒカー
 の子
 ラーフの息子達は
 ケートゥという
 32の彗星
 彼らが空に現れるのは凶兆
  ↓↑
 見た目は道祖神と酷似
 条件で識別可能
  ↓↑
 文字黄幡神
 碑石に
 羅睺(黄幡)に関する漢字や梵語が刻まれた黄幡神
  ↓↑
 蛇頭黄幡神
 不動明王の様に憤怒、
 頭には原型である
 ラーフを表す九頭の蛇が刻まれた黄幡神
  ↓↑
 日月黄幡神
 羅睺(黄幡神)の左右、上下に
 太陽と月を表す文字や絵が刻まれた黄幡神
 習合したスサノオの性質を継承
  ↓↑
 日食(月食)黄幡神
 羅睺(黄幡神)に
 日食、月食を表す
 黒円(円の一部が黒い場合もあり)が刻まれた黄幡神。
 日食・月食を引き起こす
 羅睺星の性質を表したもの
  ↓↑
 蛇形黄幡神
 羅睺(黄幡神)の姿が完全に蛇と化している黄幡神。
 ラーフを表したものとも、
 半身である
 ケートゥを表したもの
  ↓↑
 複合型黄幡神
 以上の要素が組み合わさった黄幡神」
  ↓↑
 「蛇形黄幡神=Jakei Ohanjin」
  コーパス・蛇を神とあがめたもの
  the worship of snakes」
 不動明王の様に憤怒を表しており、
 頭にラーフを表す九頭の蛇が刻まれた黄幡神
 「黄韮(キニラ)」
  (Alliumtuberosum)
  Chinese leek
  羅睺(黄幡神)の姿が完全にヘビと化している黄幡神。
  express anger
  不動明王の様に憤怒、
  頭にはラーフを表す九頭の蛇が刻まれた黄幡神
 オウバン=大判・黄幡・大幡・大番・大伴・小番
  ↓↑
 黄幡
 葬儀のときに用いる黄色の旗
 暦注の八将神の一
 軍陣の守護神
 弓始めに、この神のいる方角に射れば吉
 門を建てたり土を掘ったりするは凶
  ↓↑
 「豹尾神(ヒョウビシン)
  豹尾神=計都星の精で、黄幡神の反対側に位置」
  ↓↑
 「七曜・九曜の尊名
  星曼荼羅に配される方位
  ↓↑
 日曜(太陽・日星・日精) → 北東
 月曜(太陰・月星・暮太陽) →北西
 火曜(火星・ケイ惑星・火精)→南
 水曜(水星・辰星・水精)→北
 木曜(木星・歳星・木精)→東
 金曜(金星・太白星・金精) →西
 土曜(土星・鎮星・土精)→中央
 羅ゴ星(黄幡星・蝕神頭・太陽首)→東南
 計都星(彗星・豹尾星・蝕神尾・月勃力)→西南
 胎蔵曼荼羅で
 最外院の四方にそれぞれ配す
 東方(上) → 日曜・計都星
 南方(向かって右)→羅ゴ星・木曜・火曜
 西方(下)→土曜・月曜
 北方(向かって左)→金曜」
ーーーーー
 太陽に対する相対速度
 太陽系での地球の公転平均速度
 秒速約29.8km
 時速約10万7280km
  ↓↑
 銀河系内では太陽系は
 秒速217km
 時速781,200km=マッハ638
  ↓↑
 太陽系は、
 時速約864,000km(秒速約240km)
 で
 天の川銀河(Milky Way)の中を移動
  ↓↑
 宇宙を移動する太陽系は
 時速約86万4千km(416JKI11) 
  ↓↑
 太陽の移動速度
 秒速217km、220km、230km、232kmなど諸説・・・
  ↓↑
 銀河系は
 時速約2,160,000km(秒速約600km)
 で
 宇宙空間を移動
 全宇宙の中心点のような
 天の川銀河の運動の基準となるような
 特別な慣性系は存在しない・・・?
 この値は
 毎秒約
 130km~1,000km
 の諸説がある・・・
 毎秒約600kmで運動しているとすると、
 地球人は
 1日に
 5,184万kmほど移動
 1年間に
 189億km以上移動・・・
  ↓↑
 天の川銀河や他の銀河も、
 宇宙全体が加速度的に膨張しているなら
 時速約3,600.000kmで移動・・・
ーーーーー
 ・・・「女王モモ」・・・との告別式、葬儀・・・


「ヒミコ(秘見処=處)」と「モモの襲のミコト(見事)」・・・

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 ・・・「文の化の日(1946年 11月3日の日本国憲法公布の日を記念」し、「自由と平和を愛し、文化の日」と定め)」たであって、「文の明の日」ではないらしい・・・「黄幡(布+番)」=「黄幢(布+童)」にコダワル・・・「豹(彪)尾=計都の精」の漢字は「カンジ的」にナニを意味するのか?・・・「卑弥呼の死(正始年間の240年~ 249年)は不詳だが)」に関して、既に「247年3月24日日没」と「248年9月5日日出」の日蝕の「干支の年月日」を書き込んだが・・・「248年9月5日日出の日蝕」の「天文科学知識」を有していた中国人(漢代~唐代~)の記録が「魏志倭人伝」で、その文章にある「漢字」は、「擬似科学(五行思想)」であったとしても、人間が五感での対象認識、確認と、それらの思惟言語に於いて、その範囲内で合理性の「自然科学、数学(幾何学)」を充分に踏まえていた記録である・・・多分、その記録には「漢字」としての「アソビ」があったのに違いない・・・
ーーーーー
 「彪」
 「斑(まだら)」
 「虎の皮の斑模様」
 「あや(模様)=彩・綾・絢・理・文・斐・紋・綵・黻」
 「鮮やかな色彩、形が目立つさま」
 「小虎」
  ↓↑
 「豹」=豸+勺(勹一)
         趵=足+勺
           飛び跳ねる・足踏みの音
           ホウ・ヒョウ・ハク
           股(また)の内側の部分
           股間、跨、胯
         貌=相貌
         豼=貔𧴀𤠞・ヒ・ビ
           豼貅(ヒキュウ)
           鹿、龍に似る神獣
           一角を「天䴪」、二角を「辟邪」
           総じて「貔貅」
           キツネ(狐)、ヒョウ(豹)に似る
           白い獣
         貊=豸+百=えびす・ハク・ビャク
              恵比須・戎・胡・夷・蛭子
         貓=豸+苗=猫・・・貍の屬、豸に從ひ苗聲
     勺・・・勺(シャク)=勹+一
         大型の匙状でモノを
         掬(すく)い取る道具
           掬=扌+匊(すくう・キク)
         尺貫法の体積の単位
         約18.039 ml(ミリリットル)
         合の10分の1
         升の100分の1
     酌=媒酌
     灼=灼熱=焼灼
     杓・・・御玉杓子
     ↓
     芍薬(シャクヤク)は
     ↓
     牡丹(ボタン)科の多年草
     牡丹(ぼたん)科
     牡丹=樹木として枝木が残る
     芍薬=草茎、葉として枯れる
  学名
  Paeonia lactiflora
   Paeonia=ボタン属
   lactiflora :
    ミルク色の花をもつ
  Paeonia(パエオニア、ペオニア)
  ギリシャ神話の
  「医の神=Paeon(ペオン)」
  は、
  オリンポス山から取ってきた
  芍薬(シャクヤク)の根で、
  黄泉(よみ)の国王
  「プルートー
    (Pluto)」
  ↓↑ ・・・Plu-to(振るゥ-とォ)
  ↓↑      to=ト=訳・渡・登・徒
            図・兎(卯)・屠
            蚪=蝌蚪=おたまじゃくし
                 御玉杓子
                 蛙(かえる・ア)の子
                 大熊座=北斗七星
                     北斗=魁罡
  ↓↑             小熊座=小北斗七星
  の傷を治した
  万(バン)能薬・・・「萬の能のヤク」・・・
  ↓↑ 
  植物の一つ
  ↓↑
  ヒョウ
 「彪」=虎+彡
 「雹」=雨+包
 「氷」=こおり
 「評」=言+平・・・・後の「郡(こおり)」
 「表」=主+衣
 「瓢」=票+瓜=瓢箪・・・ひさご・・・弁当箱
 「標」=木+票=目標・標示
 「倂」=イ+并=併合
 「包」=勹+己=包含・包容
  ↓↑
ーーーーー
 「豹(彪)尾神(ヒョウビシン)・・・豹(彪)の尻尾
  豹(彪)尾神=計都星の精で
  黄幡神の反対側に位置」・・・「黄幡」=「黄幢」
 「豹(彪)尾=計都の精」⇔「黄幡」=「黄幢」
  ↓↑
 「七曜
  九曜の尊名=羅睺と計都
        の二星を加えた
        日蝕のflare(炎・焔)=紅炎=黄幡
  星曼荼羅に配される方位
  ↓↑
 日曜(太陽・日星・日精)  →北東
 月曜(太陰・月星・暮太陽) →北西
 火曜(火星・熒惑(ケイコク・エイコク)星の
            火精)→南
    別名は
    営惑星・夏日星
    火星が
    蠍座のアンタレス(黄道の近くに位置)
    に接近することを
    熒惑守心(熒惑心を守る)といい、
    不吉の前兆
   「心」とは、アンタレスの星座の一、
    星官で
    宿曜経二十八宿の「心宿」
   「西洋占星術=白羊宮の支配星、
          天蝎宮の副支配星
          凶星(軍神・マルス=Mars)
          積極性、運動、争い、外科、年下
         「外科」の象徴は血の色であろうが
         「年下の男」?・・・ナゼ?・・・熱血?
          七曜の日の
          木→火→土(地球)→金→水⇔太陽
                土星(鎮星)
          の配列の順が「年(歳・才・載)下」?
 水曜(水星・辰星・水精)  →北
 木曜(木星・歳星・木精)  →東
 金曜(金星・太白星・金精) →西
 土曜(土星・鎮星・土精)  →中央
  ↓↑
 羅喉(ラゴウ)=羅候・・・ラーフラ(羅睺羅)=仏の十大弟子
  ↓↑
 羅喉星(黄幡星・蝕神頭・太陽首)→東南
     喉=咽喉(のど・インコウ)・・・飲み込むモノは
                     火球=太陽
  ↓↑
 計都=太陽と月の交点=ケトゥ、ラフ
    黄道(獣帯は太陽の軌道)と
    白道(天球上で月が動く軌道
       黄道と平均において5°8′43.43″傾く)
    の交差点
 計都星(彗星・豹尾星・蝕神尾・月勃力)→西南
  ↓↑
 「都を計る」とは「都の吉凶」を、である?・・・
 「インド天文学」での
 白(月)道と、黄(太陽)道
 の交点にあたる
 昇交点が「羅喉」
 降交点が「計都」
ーーーーー
  ↓↑
 以下は
 中国の天文学 (Chinese astronomy)
http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/eclipse/chinese_astronomy.htm#section4
 を参照、参考にし抜粋し、引用、添付したモノ・・・
ーーーーー
  ↓↑
 「月食と日食」・・・「月蝕・日蝕」
 月食と日食
 古代中国の天文学者
 石申(BC 4 世紀頃活躍)・・・
 ↓↑    石の申(猿)=孫悟空
             =斉天大聖
             (セイテンタイセイ)の号
              孫行者
              西遊記(最古の記録本は元代)
              のあらすじを収録した
              朝鮮の書
             「朴通事諺解(1677年)」に
             「孫吾空」として記録
  ↓↑          ↓↑
       明代に100回本として集大成され
       清代の
       康熙三十三年(1694年)に
       簡略本
      「西遊真詮」が流布している
  ↓↑  「西遊記」・・・らしい・・・
 「石申」は
 日食を月との関連で知っていた
 月と太陽の
 相対位置で
 日食を予測
 月の光は
 太陽の反射光であるとした
  ↓↑
 数学者であり音楽理論家の
 京房(BC 78年~BC 37年) ・・・・京の房
 がこの説を支持
  ↓↑
 王充 (AD 27年~AD 97年) ・・・・王が充(あてる)
 が、コレを否定
  ↓↑
 張衡 (AD 78年~AD 139年)の・・・張って衡(はかる)
  ↓↑             衡量=銓衡
  ↓↑             均衡・平衡
 AD 120年の著作本
 「霊憲」の中で、
 日食と月食を記述
 「太陽は火のようであり、
  月は水のようである
  火は光を放ち、
  水はそれを反射する。
  月の輝きは
  太陽の放射によって生成され、
  月の暗さは
  太陽 (の光) が遮られることによる
  太陽に面した側は完全に照らされ、
  反対側は暗くなる。
  太陽から注ぎ込まれる光は
  地球に疎外(阻害)されて
  月に届かない
  これは
  月食と呼ばれる。
  類似のことが惑星に起きれば、
  「掩蔽(エンヘイ)」と云う・・・掩(おおう・エン)の
                  蔽(おおう・ヘイ)
  月が (太陽の道を) 横切れば、
  日食が起きる」
  ↓↑
 宋の
 沈括 (1031年~1095年) ・・・・沈(しず)んで
                括(くくる・カツ・カチ)
 月食、日食が
 天体が丸い球形であるコトを証明
 京房やそれ以外の漢時代まで
 さかのぼる理論家による証明の拡張
 AD 1088年
 「夢溪筆談」で
 沈括は天文台長との会話で
 太陽と月は球か、扇のように平らか、
 で
 沈括は球形であるとした
 「太陽や月が球のようであれば、
  交わる時に確かに互いにさえぎる。
  私は、
  これらの天体が
  確かに球形をしていると回答した。
  どうしてこれがわかるか ?
  月の満ち欠けによってわかる。
  月自身は光を放射しておらず、
  銀の球のようなもので、
  光は太陽の (反射) 光である。
  輝きが始めて見える時、
  太陽は、そばを通るだけ で、
  端のみが輝き、
  三日月のように見える。
  太陽が次第に遠のくにつれ、
  光は斜めから輝き、
  月が満ち、弾丸のようになる。
  もしも、
  球の半分に
  「(白い)粉」を塗り、
  横から見れば、塗られている方は
  三日月のように見え、
  正面から見れば丸く見える。
  従って、天体が丸いことが分かる」
 天文台長が沈括に、
 「何故、食は時々しか起きないのか、
  一日に一度は太陽と月が
  同じ方向や反対側に来ることがあるではないか」
 と尋ねた所、沈括の書く所によれば
 「私は次のように答えた。
  太陽と月の通り道は
  輪のようなものであり、
  一方が他方にかぶさっているが、
  わずかだけ距離がある。
  (この傾きがなければ)
  2つの天体が同じ方向にあれば
  必ず日食となり、
  反対側にあれば
  必ず月食となる。
  しかし (実際) 太陽も月も
  同じ角度 (視角) を占めているが、
  2つの通り道は (通常は互いに) 近接していない、
  そのため、2つの天体は互いに他の上に来ない」
 ・・・
  ↓↑
 渾天儀 (渾儀)・・・・天球儀
 渾天儀の発明は
 紀元前4世紀の天文学者
 石申
 甘徳・・・甘(あまい)徳・・・
 で
 彼らは、
 原始的な1つの輪からなる
 アーミラ(輪)・・・輪を増やしたものが
          「渾天儀・環球儀」
 のような装置を備えた。
 これにより、
 北極からの距離 (去極度, 中国の赤緯)
 の観測と
 宿における
 位置 (入宿度, 中国の赤経) の観測を可能とした。
  ↓↑
 前漢 (BC 202年~AD 9年)
 天文学者の
 落下閎(Luoxia Hong)・・・落下の閎
 鮮于妄人(Xiangyu Wangren)・・・鮮の于の妄人
 により発展
 耿壽昌 (Geng Shouchang)
 は初期の進展において
 アーミラの使用を前進
 紀元前 52年
 耿壽昌
 が
 アーミラに
 恒久的に固定した
 最初の赤道を導入したのは
 後漢 (AD 23年~AD 220年)
 AD 84年までに、
 天文学者である
 傅安 (Fu An)・・・・・傅(フ)の安(やすらぎ・アン)
 賈逵 (Jia Kui)・・・・賈(あきなう・カ・コ)の
            逵(おおじ・キ・ギ)
            逵=四通八達の道
              車九台が並んで通れる大通り
 は
 黄道の輪を追加
  ↓↑
 張衡(AD 78年~AD 139年)
 により、
 地平線の輪
 と
 子午線が付け加えられ、
 渾天儀は
 AD 125年に完全に完成
 張衡が世界最初の
 水力による
 渾天儀を作った
 彼は、
 水時計の水の流れを装置に使用した・・・
  ↓↑
ーーーーー
  ↓↑
 ・・・「計都」は誤記で「試都」になったのでは?
 ・・・「試都の旗」→更に「都試」・・・
 ・・・2016-10-28に書き込んだ、
    「漢の宣帝の時、
     延寿が東郡太守として在任中、
    「都試」の際に
    「幟」を立ててこれに臨んだ・・・「幟」は「幢」か?
     自分が考案した
    「各種の儀飾り」が、
     反対派によって劾奏され、
    「棄市」という極刑に処せられてしまった
      ・・・棄市=公衆の面前で打ち首にして、
            その死体を市中に晒すこと
    「問われた罪が、
     幟を立てて都試に臨んだこと」
     だというのである・・・?
    「都試」って、「都の試験」?
 と、その記録を添付したが・・・「棄市」の理由は、
 「計都星(彗星・豹尾星・蝕神尾・月勃力)」だったからだろう・・・
 「ノウド=ノード」は
 ドラゴン(龍)の頭(ヘッド)(カプト・ドラコニス)
 ドラゴン(龍)の尾(テイル)(カウダ・ドラコニス)
 計都星=月の遠地点
     東洋占術で
     計都は黄道と白道の交点の一つ
     インド占星術のケートゥ
     西洋占星術のドラゴン・テール
     (サウス・ノード)
ーーーーー   
  ↓↑
 ・・・太陽や月を呑み込む天体軌道の場所が、
  ↓↑
 羅喉星(黄幡星・蝕神頭・太陽首)→東南
     喉=咽喉(のど・インコウ)
  ↓↑
 計都=太陽と月の交点=ケトゥ、ラフ
    黄道(獣帯は太陽の軌道)と
    白道(天球上で月が動く軌道
       黄道と平均において5°8′43.43″傾く)
    の交差点
 計都星(彗星・豹尾星・蝕神尾・月勃力)→西南
 ・・・である・・・
  ↓↑
 白道
 白道は、
 黄道(太陽の通り道)周辺8度の範囲におさまる
 2週間ごとに黄道を横切る軌道を描く
 白道は黄道に対して5度8分7秒傾いている
 白道を27または28のエリアに分割したものを
 月宿・・・
 白道上にある主な天体
 プレアデス星団・・・昴(すばる・須波流)・・・昴宿星
           牡牛座の「首」に位置する散開星団
           七姉妹で
           月の女神アルテミスに仕える
           ギリシャでは「葡萄(ぶどう)の房」
           「六連星(むつらぼし)」
 スピカ・・・スピカ(Spica)=乙女(おとめ)座のα星
 奈良時代の
 「丹後国風土記」逸文の
 「其七豎子者(七人の童子)、
  昴星也。
  其八豎子者、
  畢星也」・・・「畢星=畢宿」
  隣り合っている
  プレアデス星団、
  アルデバラン
  と
  ヒアデス星団・・・
  ↓↑
 平安時代
 醍醐天皇の皇女
 勤子内親王の命で作成された
 「和名類聚抄」に
 「昴星」の和名は
 「須波流」と記録・・・
 「昴星
  宿耀経、
  云昴、
  音与卯、
  同、和名
  須波流
  六星火神也」
 清少納言の
 「枕草子・一節(第236段)」
 「星はすばる(昴)。ひこぼし(彦星)。
  ゆふづつ(冬筒・宵の明星・西空の金星)。
  よばひ(夜這)星(流星・彗星)、
  すこしをかし。
  尾だになからましかば、まいて」
 「まいて=さらに・いわんや・なおさら
      くわえて・まして・もっと
      ・・・よい」
  ↓↑
 プレアデス星団の記録
 「ヨブ記38章31節」
 「あなたは
  プレアデスの鎖を結ぶことができるか。
  オリオンの綱を解くことができるか」
 アラブでは「群衆」や「小さきもの」
 フランスでは「雛箱」
 ドイツでは「とやについた牝鶏」
 イタリアでは「小さな牝鶏」
 スペインでは「小さな牝山羊」
 イギリスでは「七人の乙女」
       「ひよこと牝鶏」
 ヘーシオドスは
 夏の間、
 40日も太陽の後ろ側に隠されることに注目
 プレアデス星団が、
 太陽から離れ、
 暁の東天の地平線に現れる天体現象を
 ガイウス・ユリウス・カエサルが
 5月の暦に記録・・・
  ↓↑
ーーーーー   
  ↓↑
 胎蔵曼荼羅で
 最外院の
 四方にそれぞれ配す
 東方(上)    →日曜・計都星
 南方(向かって右)→羅喉星・木曜・火曜
 西方(下)    →土曜・月曜
 北方(向かって左)→金曜」
  ↓↑
 車輪(wheel・ホイール・ウィール)
 軸にとりつけた円形(外周)の部品
[
[


  ↓↑
 「チャクラ、転生、陰陽などの
  規則的な周期性の繰り返し」である
 「地形が険しくて車輪での運搬が不向きな
  チベットではかつて
  車輪つきの乗り物が禁じられていた」・・・?
 「翼付きの車輪」は進歩の象徴・・・?
 「智天使(ヘブライ語ケルブ・ケルーブ
      複数形ケルビム(ケルービーム)
      ギリシア語χερούβ
  ケルビムの全身、背中、両手、翼と
  車輪には、
  一面に目がつけられていた」
 ・・・タロットの絵(✕ Wheel of Fortune=運命の輪)は星座の座標・・・番号は「10・十・拾・X」・・・
  ↓↑
 左上翼の天使 剣を持つ牝スフインクス 右上禽(鳥)
    蛇    八方の星座チャート  狐顔、人身
 左下翼の牡牛             右下翼のライオン
  ↓↑
 ・・・4隅の有翼の「天使、鳥、牛、獅子」は、いずれも「開いた本(Book)」を読んでいる・・・「Book=聖書」である・・・
  ↓↑
 スポークのある車輪(チャリオット・戦車)
 青銅器時代中期に登場
 インドの国旗の車輪は糸車
 法(ダルマ)を表しているとも・・・
 ロマ(ジプシー)の旗にも
 車輪が使用
 彼らがインドを起源で、流浪の歴史の象徴・・・?
  ↓↑
 ロマ(Roma,単数はロム)
 ジプシー集団の
 主に北インドのロマニ系に由来し
 中東欧に居住する移動型民族
 移動生活者、放浪者・・・
 彼らは
 それぞれの国で様々な
 外名 (exonym) で呼ばれてきた・・・
 2つの系統
 「ヒターノ」「ジプシー」など
 「エジプト人」に由来する呼称
 「ツィンガニ」「ツィガーニ」などの系統の言葉で
 ドイツのカスパー・ポイサーにより
 ビザンチン時代の
 ギリシア語
 Ατσίγγανοι (Atsinganoi)
  から
 Αθίγγανοι (Athinganoi)
 「不可触民、アンタッチャブル」・・・言葉・・・
 各国語における外名
  ↓↑
 現代ギリシア語 Τσιγγάνοι(ツィンガニ)
 ブルガリア語 Цигани(cigani; ツィガニ)
 ルーマニア語 Țigani(ツィガニ)
 ロシア語 Цыган(cygan; ツィガーン)
 ハンガリー語 Cigány(ツィガーニ)
 チェコ語 Cikáni(ツィカーニ)
 ドイツ語 Zigeuner(ツィゴイナー)
 イタリア語 Zingaro, Gitano(ズィンガロ、ジターノ)
 スペイン語 Gitano(ヒターノ)
 ポルトガル語 Cigano, Zíngaro(スィガーノ、ズィンガロ)
 フランス語 Gitan, Tzigane, Bohémien(ジタン、ボエミアン)
 英語 Gypsy(ジプシー)
 スウェーデン語 Zigenare(シイェーナレ)
 トルコ語 Çingene(チンゲネ)
 ヘブライ語 צוענים (Tzo'anim)
 アラビア語 غجر، صلب، نور (Ghajal, Salab, Nawar)
 ペルシア語 کولی (Kowli)
 アルメニア語 Բոշա(ボシャ)
 ヒンディー語など Lambani, Rabari, Banjara
 現在でも
 これらの言葉が
 物乞い、盗人、麻薬の売人などの代名詞に使用
  ↓↑
 「ロマ」・・・?・・・驢馬・騾馬が嗤う・・・
 「人間の言葉をしゃべった動物は、
  エデンの園のヘビ(蛇・巳)、創世記と
  バラムのロバ(驢馬)、民数記22章」・・・
ーーーーー
 ・・・・賂馬・・・賂万(萬)・・・
 ヒミコ(秘見処=處)とモモの襲のミコト(見事)・・・

田と日の「☐」を「輪の〇」にすると・・・「菊の名前」

$
0
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 ・・・イヤァ~自分自身のキョウミ(interesting→今日観)があるコトって、面白いナッ・・・11月7日(月)の午後ETVで「石川九楊」氏の「ハナ」に関するハナシを観たが、考え方って似ている発想をする人物が結構いるんだな、と・・・ボクのは単なる「妄想」の材料だけれど・・・「薔薇(バラ)の名前」じゃぁなく、ボクが構想(?)している「菊の名前」の小説の材料はワンサカであるが・・・ミヤサマの御逝去で、再度、様々な「シューメール文明」のブログ記事を覗いてみたが、人間の「歴史=文字記録」の「文明」は1千年単位じゃぁなく、万年単位だと益々、妄想が募ってしまう・・・
 「キク=菊・鞠・起句・規矩・麹・糀」・・・「キク=几(つくえ・キ)矩(ク)の形」・・・長方形か、円形・・・脚が四本・・・
 「几」類字の「兀(はげ・コツ、ゴツ)」は、髪を剃った頭、禿や、禿山で、「でっぱった部分」で・・・先端が丸(棒)形なのは擂りこぎ棒、あるいは、モスクの丸天井・・・
 「π(パイ)」は、「円周率のパイ(π)=円周長に対する円の直径との比率(無理数で超越数)=π=C(円周の長さ)/d(円の直径)」・・・「半径 r の円の周長は 2πr」・・・
 「キク=きく=利・菊・鞠・掬・鞫・椈・麹・聞・訊・聴(聽)・聆・效(効→同訓異義は、傚倣習肄で、習う、法る=のっとる)」・・・
 漢字の「菊=(艸艹廾サ)+勹+米(十+X)」だが、「植物(草)の米を包む」 で、類字は「掬(すく)う」である。「稲の実である米粒」の元々の漢字は「横棒(ー)に上下3粒(・・・)ずつ、計6粒の実=米」で、楷書完成後~近世~近代~現代風に考えれば「匊」は手に握った「花=華=球状の花序・花弁・瓣」ではなく、「勹+米」は、「俵(たわら・ヒョウ)=分ける・分け与える」、あるいは「藁(わら)を円柱形に編んで作られた袋、筒状の袋」に包まれ米粒はあろう。ここは、俵自体と、その筒状の片面に付く蓋(亠・ふた)の形状で、「円形の蓋(ふた)」である・・・
 「花魁(おいらん)・魁罡(カイゴウ)」と云う熟語もあり、「塊(かたまり)・魂魄(たましい・コンパク)・隗(けわしい・カイ・険・嶮・屼・阢→郭隗)」もあるが、壕(濠)に囲(圍・圈)まれた「郭(くるわ・廓)の女達の心情」かも・・・高い楼閣に昇り、夜空の星々を見上げ、故郷の方を観、自分の業を呪い、そして溜め息と涙(涕・泪)・・・
 だが、天文師は、先ずは「米=十+X」は「天球」、軍師は「地上の八方位」の観察だった。要は地上から観察した「天球の星々(★☆*)→大=五芒星」の輝きと配置、その動きだったろう・・・







 五角形の星座は「馭者(御車・御者)座=五車座=アウリガ(Auriga)=ヘーニオクソス(馭者)」、跛のエリクトニウスは,2輪馬車の戦車(チャリオット)、4頭立ての戦車を発明し、真冬の天頂を通り過ぎる「馬車追い・馭者」で、黄色に輝く「α星カペラ」・・・バビロニアでは「Rukubi(戦車・ルクビ)」と呼ばれた星座・・・
  ↓↓
 星座の主人公は色々で、五角形の馬車は元々、アテーナーがペルセウスに青銅鏡の楯を貸し、ペルセウスがメドゥーサの首を切り落とした時に持っていた「イージス (Aegis、Egis)」は羊の皮を貼られた楯(盾)の形状だろう・・・更にアテーナーはメドゥーサの首をアイギスに嵌めこんだ・・
  ↓↓
ーーーーー
 アマルテイア(Amaltheia・アマルテア)は、ゼウスの養母で、山羊神でクレータ島のイーデー山の洞窟で幼いゼウスにゼウスに山羊の乳を与えて育てた・・・この山羊は角の片方が折れており、アマルテイアはその角に花と果物を満たしてゼウスに捧げた。
 ゼウスが山羊の角を折り、アマルテイアに贈り、彼女が望んだものはスベテ叶えると約束した「コルヌー・コピアイ(cornucopia・豊饒の角)・・・アマルテイアはそれを、アケローオスがデーイアネイラをめぐるヘーラクレースとの戦いで折れた彼の角と交換に彼に渡した。
 ディオニューソスはこの角から湧き出る食べ物で育てられ、
 角の所有者は多数いる・・・
 別伝
 この山羊はヘーリオスの子孫で、
 ゼウスはその皮から
 アイギス(盾・楯・イージス (Aegis、Egis))を作った・・・
 この山羊(アマルテイア)は後に山羊座になった・・・
ーーーーー
  ↓↓
 カペラ(Capra)=牡山羊・kap-ro=牡鹿、山羊
          合唱・重唱
          a cappella=教会音楽
 ケペラ=神聖甲虫のシンボルによって尊崇された
     エジプト神話の太陽神
     正午の太陽が壮年の神レー
     日の出の太陽が青年の太陽神ケペラ
     日没の太陽は老年の太陽神アツム
     ケプリ(Khepri)
     ケペラ (Khepera)
        (Kheper・Khepra・Chepri)
         エジプト神話における
         太陽神・ラーの形態の一
         人間男性の体に
         タマオシコガネ(フンコロガシ)
         の頭をもつ姿・・・
         甲虫のスカラベのシンボルによって
         尊崇された
         エジプト神話の太陽神
         「ケプリ=ヘプリ(Kheperi)」
  ↓↓      ↓↓
 「馭者(御車・御者)座=五車座=カペラ
            =アウリガ(Auriga)
            =ヘーニオクソス(馭者)」
  ↓↓
 地方の星の名は「かんびん(燗壜・燗徳利)星・能登星・佐渡星・矢崎星・沖昴・昴の先星」があるらしい・・・
  ↓↓
 ゴボウのホシ・・・→「牛蒡=ごばう=キク(菊科の大形二年草)の位地=悪実=紫色のアザミ(薊)に似た総苞にトゲ(棘・朿・刺)のある花を咲かせる」である・・・
  ↓↓
 「紫薇斗数命」の「紫薇苑」であるが・・・北斗七星の柄杓が描く「圓(円)=X=〇の中の十=ⓧฺ・㊉ฺ・?・ⓧ=Χ(カイ)」で、示唆するのは「(十)」の変形「)十(」で・・・「Ж(ジェー・ジュー)」の
 「セルビア語、ベラルーシ語、マケドニア語、ロシア語の第八(8・捌)字母)」・・・「㊏」は「 ⓫」か、兎に角、
  ↓↓
 「㊉ฺ」を漢字変換したら「田(た・デン)」で、
 「ⓧ」は「囟(ひよめ・シン)」か「罓(モウ)」である。
  ↓↓
 確かに「米=✸ ✹ ✺ ✳ ✴ ✵ ✶ ✷」は
「救・掬・球」の「求める」に似ているが異なる漢字で「八(V)十八」である・・・「星に願いを・・・祈る」って?・・・兎に角、「菊」は古くは「クク」と発音だったらしい・・・
 「菊=艹(艸)+匊」=キク・あき・ひ」で秋の花・・・
    河原(かはら)蓬(よもぎ=蔞・蕭・艾・蒿・䔥
             四方木)
    河原(かはら)御萩(はぎ=蘒(国字)・骹・骭
              萩・𦵒)
 萩の類字は「荻=おぎ・テキ・ジャク」、
      「龝・蘒」、「𦿷=おぎ=荻」
      「亀=龜」
 地名は、長州、毛利藩、山口県の北部の「萩市」で、「阿武郡」に隣接・・・そして、
 「宮崎県
  日向市・・・延岡藩
  美郷町
  西郷区
  田代
  字
  蘒之瀬(はぎのせ)」
  ↓↑
 「十六菊花紋」=「アンの子、エン・リルは、
          牛の角を持つ世界を統べる神
          太陽神にして大気神」
ーーーーー
 「䝗」=豸+木=「貅・㹯(キュウ・ク)
 「貔䝗(ヒキュウ)」=神獣で姿は鹿または龍に似る
  一角 を「天䴪」
  二角を「辟邪」
  総じて「貔貅」
  キツネ(狐)、
  ヒョウ(豹・彪)に似る
 「䴪(ロク)」
 「天䴪(テンロク)」=「天祿・天禄」=「貔貅(ヒキュウ)」
  神獣で鹿または龍に似て一角
  一角を「天䴪」
  二角を「辟邪」
  「䴪」=天䴪は、純靈の獸なり(宋史・符瑞志)」
  「䴪の字の譌(あやまり・いつわり・訛り)(康煕字典)」
ーーーーー
 ・・・

とうじ・トウジは「牡山羊」のギャテイ(羯諦)・・・蒼頡の文字、三叉・・・「爫(つめ・爪)」

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 ・・・アメリカ合衆(合州)国は「古代ローマ帝国」、「古代中国九州」の悩みと同根、いずれは「分裂」するのが必然・・・前回のツヅキだが、「キク(菊・匊・きく)」の形は「車輪」・・・その原点は「リング(ring)」で、「リンク(link)」・・・「太陽(sun→サン=燦・朁・蚕・纂)=タイヨウ=臺用・台要・代用・代羊(竎)」と「月(moon)=ゲツ=解斗(化椄・匸兎・気椄)」・・・「御天等さま」と「御月さま」・・・「日蝕と月蝕」の「日輪と月輪」の天体現象であろう・・・天文観測と数学に長けた古代の中南米の人々が、数珠のコロガル球体から「車(くるま)」をナゼ運搬手段として発想、発明しなかったのは「疑問」である・・・巨石建築での巨石運搬が「丸太(まるた・ガンタイ・ガンタ」の轉(ころ)だけだったとは考え難(にく)い・・・
 巨大な球体の岩石(コスタリカの石球は200個以上・直径2センチ~2メートル、最大級の石球は約25トン)が存在するし、自然にできたらしいとされる「ニュージーランドのモエラキ・ボールダーズ海岸の重さは数トン、 半径2メートルの丸い巨岩(6500万年前に形成された亀甲石凝固、らしい)」も存在する。転がす「車輪」の発想は必然とは思うが・・・
 「マルタ(Malta)島」の時代は・・・巨石神殿は新石器時代、B.C.4100年頃~2500年頃から・・・冬場、海が荒れたときの避難所としたのがフェニキア人・・・「この島の名はセム語でメリタ(melita=避難所)」・・・「ギリシャ人支配の時代にギリシャ語のメリタ(melita<蜂蜜>)と同音異義語だったので、ギリシャ人はこれを「メリテ(Melite=蜂の巣の蜜房)」とし、ローマ人の占領で島名がメリテが訛(なま)ってマルタ」になった、らしい・・・
 ムカシ、「マルタの鷹」と云う映画を観たが・・・コンドル(condor)も天空、空中では大円、太円、楕円を描いて飛ぶ・・・
 「大(一+人)」があるのに、更に「太(一+人+ゝ)」のカンジがあるのは「太る」は「膨張」の動的な漢字である・・・
  ↓↑
 「太=ふとい・ふとる・タイ・タ・ダ
    はなはだし・いたく」
   「うず・おう・しろ・だい・たか・と
    ひろ・ふとし・ます・み・もと
    おおもと・はじめ・おこり」
 の訓読みも、ナルホドである・・・「太陽・太陰」・・・「ゝ(ヽ)=灯火・テン・チョン・チョボ→全=∧+王(チョン・ゼン・すべて・また)」で、「木-全(き-また)」である・・・「∧」はコンパス(compass)で、「王(一+十+一=十二)=オウ・ワン・ワニ=O」である・・・「又=また=亦=股・俣・跨・胯=叉」で、「水-俣(みな-また)」であり、宿曜経二十八(二十七)宿の「促(また・うながす・あし)」である・・・
  ↓↑
 「馭者(馭車)座」=「☖☖・☗☗」
 「○=丸=九+丶=乁(流れる・イ・キュウ・「讀みて移の若くす」=乙の変形・乚=インの変形)+乂(刈る・ガイ・ゲ乄・メ)」・・・
 「☀☀・ⓧⓧ・ ㊉㊉ ・㋻㋻・㋰㋰」
 「☉☉=日=☼☼・☀☀」
 「☾☽=月」
 「★☆=星」
ーーーーー
 「矩(かね・のり・さしがね)=矢+巨」
 「矢」=(ノ―)+大(一人)
     (ノ―)=髪挿しの(一人=壹人)初めの人
         壹(臺)與=姫=姬=宗女
         キ=姫=姬=ひめ・・・姬=黄帝の姓
                     巨人の足跡
           周王朝の先祖、
           后稷(コウショク)の
           母は巨人の足跡を踏んで
           后稷(軒轅)を産んだ・・・姫水の畔
           姫=女+臣
           ↓↑
        黄帝・・・黄=廾+一+由+八
             黃=廿+一+由+八
               黄河・黄土・黄色・黄幢・黄幡
             帝=亠+ll+冖+巾=生贄を捧げる台
        有
        熊國君、・・・熊(球磨・久万・阿)の国
               熊襲=熊を襲(かさね)る
               大熊座を襲(かさね)る
               北斗七星をカサネル
               Ursa Major=ə'ːrsiː mədʒɔ'ːris
                     ウッサ-メジャ?
                ラテン語=ウルサ・マヨル
               スペイン語=オサ・マジョール
               Osa Mayor=オサ・マヨル
               カリスト(大熊座)
                  大熊座
                  the Plow
                  the Big Dipper
                  the Great Bear
               Ursa Minor=ウッサ-マネェ?
               アルカス(小熊座)
        乃
        少典國君・・・少典、國、君
              ショウテン・コク・クン
              小点(昇天・衝天・焦点・章典)
              黒(刻・剋・克・告・石・鵠)
              訓(莒・勳・勲・薫・釧・郡)
              背負う点語句の訓?
        之
        次子、
        號曰・・・「號=号+虎」の
            「曰(いわく・エツ・オチ)」
        有
        熊氏、
        又曰
        縉雲氏、
        又曰
        帝鴻氏、
        亦曰・・・又が、ココでは「亦」
        帝軒氏。
        母曰
        附寶、・・・附ける宝
        之
        祁野、
        見
        大電
        繞・・・まとう・まつわる・めぐる・かこむ
            ニョウ(ネウ)・ジョウ(ゼウ)
            「囲繞・纏繞(テンジョウ) 」
        北斗樞星、・・・北斗七星の枢(樞)星
         ↓↑    樞(とぼそ・からく
                 たる・くくる
                 シュ・スウ)
               穴に嵌(填)め込む、
               扉(とびら)の回転軸
               くるる(括・摎)
               細微なカラクリ・仕掛け
               中心となる重要なもの
               かなめ(要・腎)
               木の楡(にれ)の一
               刺楡(シユ)
        ↓↑     北斗七星の第一星
               魁星・魁斗・𩲅𩲃𩵄䰢魓𩳐魒
               四三の星・七剣星
               柄の部分
               天枢・天璇・天璣・天権
               の4つを魁(カイ)
               杓の部分
               玉衝、開陽、揺光
               の3つを標、杓(ヒョウ)
               柄杓全体を斗
               柄=木+丙(ひのえ=火の兄)
                 え・つか・がら・ヒ・ヒョウ
                 ものの握りの部分
                 柄長
                 体格・人柄・絵柄)
               杓=木+勺(くむ・すくう
                     シャク・ジャク
                     酌=汲
                     杓子・杓子定規
                 セリ(芹)科の多年草
                 葉は羽状複葉
                 白い小花が
                 傘 (かさ) 状に咲く
                 やまにんじん(山人参)
               北斗七星の異名は
               大魁夫子
        ↓↑     魁星爺
  ↓↑    ↓↑     ↓↑ ↓↑
      バイエル符号 固有名  天官書 密教=大蔵経
      おおぐま座
      α星     ドゥーベ 天枢  貪狼
      β星     メラク  天璇  巨門
      γ星     フェクダ 天璣  禄存
      δ星     メグレズ 天権  文曲
      ε星     アリオト 玉衝  廉貞
      ζ星     ミザール 開陽  武曲
      η星     アルカイド
            ベネトナシュ揺光  破軍
  ↓↑    ↓↑     ↓↑ ↓↑
      北斗九星
      (雲笈七籤・24巻=北斗九星職位総主)
           天枢=第1は陽明星
              第2陰精星、第3真人星、第4玄冥星、
              第5丹元星、第6北極星、第7天関星、
              第8洞明星(輔星)、
              第9隠元星(弼星)の魂神
        ↓↑
 ↓↑     感
        而
        懷孕、
        二十四月
        而
        生
        黄帝
        於壽丘。
        壽丘
        在
        魯・・・・魯(おろか・ロ)=魚+日
             魯魚亥豕=書き誤りやすい文字の意
             烏焉魯魚・魯魚之誤
             魯魚帝虎=抄及刊印的文字錯誤
                  謂將魚誤寫作魯
                  帝誤寫作虎。
                  泛指文字錯訛
                  泛=うかぶ・ハン・ホウ
        東門之北、
        今在
        兗州
        曲阜縣
        東北六里。・・・東北の六の里
        生日
        角龍顏、・・・生れ日、顔に龍の角
        有
        景雲之瑞、
        以土
        紱王、
        故曰
        黄帝。
        封泰山、
        禪亭亭。
        亭亭在牟陰。
        皇
        甫謐
        云
       「黄帝生於壽丘、
        長於姫水、
        因以為姓。
        居
        軒轅之丘、・・・軒(のき)の轅(ながえ・長柄)
        因以為名、
        又以為號」。
        是本姓
        公孫、・・・・公孫・・・天孫降臨
               長髄彦(ながすねひこ)
               那賀須泥毘古
               登美能那賀須泥毘古
              (トミノナガスネヒコ)
               登美毘古(トミビコ)
               長脛(臑)比古
        長
        居
        姫水、
        因
        改姓
        姫。・・・・「姫の水」の畔
           沼地(渟)の
           畔(ほとり・滸・邊=辺・阿)
       (史記・五帝本紀)」
  ↓↑       ↓↑
 「巨=匚+コ=おおきい・はなはだしい・キョ」
  ↓↑    巨大・巨匠・巨頭・巨躯・巨体・巨人
        巨漢・巨悪
        big・huge・large・colossal・・・コロサル?
        距離
        拒否・・・拒(こばむ)=手+巨
  ↓↑    腧=矩+木=矩・・・定規
        ↓↑
        対義語は
        矮小(ワイショウ)・矮躯・矮人
        ↓↑
        類字
  ↓↑    臣(おみ・とみ・ジン)=目
  ↓↑                監督・大臣・長官
  ↓↑    腧
  ↓↑   「煕=臣+巳+灬」・・・康煕字典
        堅=堅固・堅甲・堅牢
          しっかりしている
          堅持・ 堅実・堅忍・中堅
          かき・かた・かたし・すえ
          たか・つよし・み
          「堅魚(かつお)」・・・鰹節(かつおぶし)
        頤=「頤(おとがい・あぎと・したあご)
  ↓↑    姫=ひめ・キ
  規矩(キク)
  ↓↑
  垂直であること
  直角であること
  模範となるもの
   ↓↑
  L字形の定規
  さしがね=工具の一
       金属製で目盛りがついており
       材木などの長さを測るもの
  縄矩
  一定の基準・規矩
   ↓↑ 
  四角=矩形=4内角がすべて等しい・90°=九十度
        正四辺形、長方形
  名のり=かど・ただし・ただす・つね
   ↓↑
  矩差 (かねざし)
  矩尺 (かねじゃく)
  矩=のり(法律・規範・手本・掟・決まり・制度)
    [f:id:naie:20161109171434j:image:small]+一+人+匚+コ
    [f:id:naie:20161109171434j:image:small]=髪挿・簪・朁・櫛・釵・鈿
   ↓↑
 「六十にして耳順(ジジュン)
  七十にして心の欲する所に従ひて
  矩(のり)を踰(こ)えず(論語)」
   ↓↑
 「外惑星、月が
  地球から見て
  太陽と直角の方向にくること
  地球から見て、
  外惑星が
  太陽から90度の位置にあること
  その時刻
   ↓↑
  惑星や月が
  地球から見て
  太陽の
  東にある場合を
  東方矩、上矩
  西にある場合を
  西方矩、下矩
  月の場合は
  上弦(東)
  下弦(西)
ーーーーー
 ・・・
 ギョシャ(馭者)座の図形=☖☖・☗☗・・・「漁写座」?
 星座は
 「Rukubi
 (ルクビ・戦車)」・・・盧矩日=ルクビ=婁九尾?
  ↓↑         盧=めしびつ・くろい
               はち・つぼ
               すびつ・火入れ
               酒場
               あし・よし=蘆
               イネ科の多年草
  ↓↑          「蒲盧(ホロ)」
  ↓↑         盧舎那仏=廬舎那仏←廬(いおり)
  ↓↑              大日如来
 としてバビロニアの時代に知られていた
 ・・・星座の図形をイメージし、星々を結んで、それを描いた人間はモザイク職人?、カモ・・・点描・・・天描・・・罫線用紙が必要だったろうな・・・画素って?・・・4KのTV・・・
 漢字も「標準的な楷書」になったのは「南北朝~隋・唐唐代」らしいが、それらの漢字の象意の原点は「紀元前221年、秦が中国統一をして、法治、度量衡の統一、そして文字の統一での小篆が正式な統一書体」とされた時からだろう・・・そして、これを根拠にした「漢字文字」の意味である・・・
 「太=タイ=泰」で、「秦(はた・シン)」ではない。だが、地名は「太秦(うずまさ・タイシン)=禹豆満佐(うずまさ)→宇受女の満座?」・・・「禹(ウ・紀元前1900年頃)は中国古代の夏王朝の創始者・名は文命、大禹、夏禹、戎禹とも。姓は姒(ジ)、後に夏后・禹は黄帝の玄孫・開墾地の中央と東西南北の違いを旗によって示し、全国を分けて九州を置いた・黄河の洪水の治水工事で帝王となった・偏枯(半身不随の意?or蜥蜴、鰐、龍、魚、黄河に棲む水神)」・・・枯(か)れて偏(かたよ)る・・・水(木)を涸(枯)らして流れを変える?・・・テューポーンに襲われ「下半身が魚」になったのは「ヘルメス=Hermes・メルクリウス=Mercurius・マーキュリー=Mercury・水星」の息子「山羊座の牡ヤギ・♑のマーク」の「パーン(ファウヌス)」、そして「シュメールの魚人ウワン、オワンネス、オアンシス」・・・
 「彗星(スイセイ)・comet=☄」→「♑のCapricornの尻尾」?、→「♈のAriesの角?)」→「コメット=comet=箒星・ほうき星」・・・
 「☄」は「山羊の尻尾」だろうが、
 「♑」のマークは
 「変身しそこねた山羊の頭と、魚の尻尾の牧神パン」らしいが、
 「♑」のマークの図柄が読みとれないが、
 「V」と「♌」の合体か?・・・「ν(n)+ρ(p)」?・・・「V(ヴィ)」は常に「W」と発音、「Ve=ウェ・Vi=ウィ」。
 「N=n(エヌ・エン)」のギリシャ語は「Ν=ν=ニュー」だが・・・
魚=さかな・まな・・・マナ(Manna
      ↓↑      ヘブライ語=mān
    魚=さかな・まな  アラビア語=mān)
 英語=フィッシュ fish
 仏語=ポワッソン poisson
 伊語=ペッシェ  pesce
 西語=ペスカード pescado
 蘭語=ヴィッス  VIS
 羅語=ピスキス  piscis
 希語=イクテュス ichthys
    イクトゥス ichtus
 ・・・ギリシャ語のアルファベットの字形と発音は
 Ρ=ρ=ロー
 Π=π=ピー(パイ)・・・・・円周率
 Φ=φ=フィー(ファイ)・・・f・F
 Ψ=ψ=プシー・・・・・・・・ポセイドンの武器
     トリアイナ(τρίαινα、tríaina)
     トライデント(英語 trident)
     先端が三叉槍の漁具
     トリアイナ=3つの歯
     海神ポセイドーン(Poseidōn)が使用する
     三叉銛、三叉鉾
     インド神話の破壊神シヴァの武器
 エジプトの魚(サカナ)の神は、
 「ハトメヒト」=デデト=ジェデト
        後の、
        メンデスの
        ナイル下流の町の名の
        魚の女神
        ナイルの川魚の
        スキルベを擬人化した女神
        メンデス三柱神は
        バ・ネブ・デデト=牡羊神
        ハトメヒト=魚の女神
        ハルポクラテス=上昇する旭日
               =幼児のホルス
               =鷹
         ↓↑
       「メンデスの牡羊(ひつじ)」の
       「バ・ネブ・デデト」
        は「牡山羊」と
        ヘロドトスの「歴史」で誤解された・・・?
       「ハルポクラテス(沈黙の神)」は
        ギリシャ語の訛り(?)で
        古代エジプト語は
       「ホル・パ・ケレド」で指をくわえている子供
        冬季の太陽の強さや
        植物の芽生えを人格化した神・・・
        幼児のホルス=朝に上昇してくる太陽
               旭日・朝陽・朝日
           ホルス=鷹・隼・・・熊鷹
               ハイタカ(鷂)は雌の呼称
               疾き鷹・はしたか
               雄は「コノリ」で
               小鳥に乗り懸かる意
               ↓↑
  ・・・父の魂が「憑依」する意なら、なるほどデアル・・・
  「ギリシアやローマの詩人は誤解して、
   ハルポクラテースを沈黙と秘密の神」
  としたワケでもないだろう・・・まさに、
  「沈黙と秘密の神」である・・・
  「指をくわえている子供」はギリシャ、ローマでは
  「クピードー(Cupido)」とも同一視された
  「プルタルコスによれば、
   ハルポクラテースはイシスの2番目の息子で、
   生まれつき脚が不自由だった。
   子供のホルスは子供やその母親の守護神となった。
   毒蛇にかまれた際にラーに直してもらったことから、
   受難の後の希望を表す神とされた」・・・
   ・・・キュウピット・・・
   毎日キューピー三分クッキングをTVでみているけれど
               ↓↑
               天空の「右の目」=太陽
               母はイシス
               父はオシリス
               子のホルスは
               オシリスの輪廻再生・・・
  「ホルスの目」=左目=「ウジャトの目」は「月の象徴」、
          右目=「ラーの目」は太陽の象徴
 で、
 「=♑のマーク」なら、川に跳び込んでいるようにもみえるが・・・
 「山羊座=磨羯宮=摩伽羅魚=摩竭魚=マカラ(Makara)はインド神話の怪物の魚」である。「羯(羊+曷→日匃→日勹Lム)=去勢された牡山羊」=「♑」のマーク・・・「曷=なんぞ・いずくんぞ・カツ・ガチ」・・・「枯渇、涸渇」である・・・
 「般若心経」の最後の呪文の「即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経」の「羯(ぎゃ・カツ・ケツ)」の「諦(あきらめる・テイ・タイ)」である・・・「蹄(ひづめ)・締(しめる)・禘(まつる・天子が郊外で上帝、天神をまつる大祭、大祀)=燒柴・柴薪」・・・
 で、
 「山羊座(磨羯宮・摩竭魚宮)は定気法では
 太陽黄経が270度の時で
 12月22、23日頃の
 冬至点から始まる」
 は、一年間の出発点で天文暦上での「正月」である・・・
 「慧(さとい・かしこい・ケイ・エイ)=彗(丯丰+⺕→ヨ・彐・彑)+心」で、「慧=めぐみ=惠・恵」で、「慈・慈愛」でもあるが・・・「メグミちゃん」も拉致されて、母になって・・・「心」が除(のぞか)れると、「彗→ほうき=帚・箒」の「彗星=凶意」である・・・「丯=カイ・くさが、ちりみだる、草生じて散亂する貌」・・・
  ↓↑
 「禹」=「九+虫」?
 「九」=「乁(一+乚)→乙・Lの変形)+丿」
         乚(イン)=隠れる
    =身を折り曲げた龍の象形?・・・「辰=龍」の姿、
    「寅(虎)-卯(兎)-辰(龍)=大樹・東方・青龍」
     の次は「巳(蛇・蝮・虺)」・・・
 「虫」=「中+ム」
    =蛇や竜などの爬虫類・・・昆虫類
 「禹」=「丿+中+冂+ム」
     雌雄(牝牡)の龍を合わせた文字?
     洪水と治水の神の「伏羲と女媧」?
 どうやら既存の説は「禹(ウ)」は「うさぎ=兎・兔・莵・菟=月の守護神」で、「十二支の卯(うさぎ・ボウ→昴)」では無い様である・・・
 うさぎ座(兎座、Lepus)は
 「アラトス(Aratos・Aratus)」
 の記述にあり、
 彼は紀元前3世紀の
 ギリシアの詩人で
 古代マケドニア人
 彼の著書、
 「現象」
 で、
 「エウドクソス(円錐の体積は、同じ半径、同じ高さの円柱の体積の3分の1になることを証明し、ユークリッドの著書に記載された・天動説論者)」
 の星座と気象に関する著書を、
 韻文の詩に書き改めたもので、
 「現象」
 は、星座に関する記述としては最古のモノらしい・・・
 「ドデカネス諸島のレロス島にはウサギがいなかったので妊娠した野ウサギが持ち込まれ、島の人々が増やしたが、野ウサギが増えすぎて作物を喰い荒らし、飢餓が起こった。それで人々はウサギを撲滅し、ウサギの害を忘れぬように星座とした」・・・「ウサギ」が害獣って・・・「ウサギとカメ(兎と亀)=油断大敵」で仲間はずれになったが、ウサギは後に、「オオカミ(狼)」を追って名誉挽回。兎に角、「兎角亀毛(とかくきもう)=亀毛兎角」はあり得ないハナシ・・・でも、「ウサギとカエル(兔と蛙)」のハナシは生きている限りあり得るョ・・・「ライオンと兎」は欲張りは元も子も失うって?、ウサギも救われた・・・娥も兔も蛙も、月に棲んでいるんだよねッ、「月読命=月余美命=月弓尊=月夜見尊=月讀尊」は「かぐや姫(迦具夜比売)」だろうけれど、ウサギの国は「新羅」だったんだろ・・・
 「娥皇は、古代中国の女性・堯の娘で、妹の女英とともに舜の妻となった・娥肓、倪皇、後育、娥盲、娥娙とも書く」、「嫦娥(ジョウガ=コウガ)」とは、月の中に住むという美人」、「娥女」はきっと、「養蚕(ヨウサン)の蚕(カイコ)を育てて繭(まゆ)から絹糸を紡ぎ、機織りで、沙羅棉の織女」であろう・・・
 で、ボクが妄想するのは「楷書」の象意は「点(ゝ・ヽ)、横棒(一)、縦棒(|)、斜め棒(╱・╲)部分円弧の曲線と(八)、撥ね(レ・ル)」の単純な基本を合体構成した漢字文字で、既に出来上がった漢字構成の字形分解し、分解文字から再構成させた意味である・・・すなわち、個々の「カタカナの字形」の合体された象意=楷書文字の意味である・・・
   ↓↑
 ギリシャ神話は、「オ-リ-エン-タル」のモノガタリとして習合し、複数の物語が重なって混乱する・・・日本語の翻訳もカタカナの名前が異なっており、ダレがダレなんだかも・・・これらのハナシが島国の日本にきたら・・・和合(ワゴウ)・・・輪合(リンゴウ)・・・梨郷(リンゴウ)・・・山梨の甲斐(カイ)であるカナ・・・
   ↓↑
 「ギョシャ(馭者)座」の人物はダレか?
   ↓↑  馭(ギョ・ゴ)=馬+又=馬を操る
               うまく馴らす、治める
   ↓↑  おん・ギョ・ゴ=御・禦=彳+午+止+卩+示
 鍛冶屋の神
 ヘーパイストス・・・・ヘーパイストスは
            相貌が醜男だが
            ヴィーナスの夫だったハズだが・・・
 と
 女神
 アテーナー・・・・・・アテナの愛人?浮気相手?
 (アテナ・アシナ・アテナイ)
 の息子である
 アテナイ王
 エリクトニオス・・・ヘーパイストス×アテナ=息子
           エリクトニオス=重理句訳似推素?
 は
 アテーナーに育てられ
 馬を
 飼い馴らす方法を学び、
 4頭立ての戦車を造った・・・ⓍⓍ♞ฺ♘ฺ♞ฺ♘ฺ✪✪
 それを讃えて
 ゼウスは彼を星座にした・・・
 ↓↑
 別伝
 ヘルメース
 の息子
 ミュルティロス・・・見愉留綴(出意)賂諏?
 は
 ピサの王
 オイノマオス
 の馭者で
 タンタロス
 の息子
 ペロプス
 と
 オイノマオスの娘
 ヒッポダメイア・・・比通補ダメ異蛙?
 に唆(そそのか)され、
 オイノマオス
 の馬車に仕掛けをし
 オイノマオス
 を殺した
 後
 ミュルティロス
 は
 ペロプス
 に海に蹴落とされ溺死
 死を悲しんだ父親の
 ヘルメース
 によって、
 ミュルティロス
 は御車(馭者)座になった
 ↓↑
 別伝
 テーセウス
 の息子
 ヒッポリュトス
 は継母
 パイドラー
 に求愛され、
 それを拒絶
 パイドラー
 は
 テーセウス
 に彼を讒訴して自殺
 彼女の讒訴を信じた
 テーセウス
 は無実の息子を
 アテネから追放してし、
 テーセウス
 の呪いによって
 ヒッポリュトス
 は戦車から落ちて死亡
 後
 ヒッポリュトス
 は
 アスクレピオス
 より生き返ったが、
 ゼウスは
 アスクレピオス
 を雷で撃ち殺した
 ↓↑
ーーーーー
 「星図」で
 「男」の・・この「男」とはダレか?・・・ゼウス自身?
 ↓↑    ゼウスを救ったのは
 ↓↑    母親のレアで
       ゼウスが生まれたときに
       偽って
       夫(クロノス)に
       ゼウス(赤子・嬰児)の替わりに
 ↓↑   「石」を飲ませ、ゼウスを救った・・・
 ↓↑    イシ、イワである・・・
 左手に
 抱えている
 山羊は、
 クロノスから逃れて
 クレタ島
 の
 イディ山に隠れていた
 幼少時の
 ゼウスに乳を与えて育てた
 山羊の
 アマルテイア・・・女性神で男ではない・・・
 やぎ座・・・・・「牡山羊」である・・・
 (The Tropic of Capricorn)になった・・・
 ↓↑
 ゼウスは
 クレーテー島の
 ディクテオン洞窟で
 牝山羊の
 アマルテイア
 の乳を飲み、
 ニュムペー(アマルテイア?)
 に育てられた
 で、
 ゼウス
 天空神は
 全宇宙
 や
 雲・雨・雪・雷
 などの
 気象を支配・・・・・気象予報士(師)?
 キュクロープス
 の造った
 雷霆(ケラウノス)を操り・・・観測衛星「ひまわり」?
                向日葵=sunflower
               「太陽=ヘーリオス(helios)」
               「花=アントス(anthos)」
                ヘーリアントゥス
                (Helianthus annuus)
                日輪草・天蓋花
                日車
                イリオトロピオ
                イリオトゥロピオ
                (eliotropio)
 雷霆は世界を一撃で熔解し
 全宇宙を焼き尽くすことができる戦艦で
 テューポーンと戦う際には、
 万物を切り刻む
 魔法の刃である
 アダマスの鎌
 石化させる
 アイギスの肩当て
 (or胸当てや、楯)・・・楯の形は☖☖・☗☗=イージス
 この防具は娘の
 アテーナーに貸された
 「光輝」
 と呼ばれる
 天界の輝きを
 纏(まと)った鎧
 山羊革の胸当て
 が
 ゼウスの武器であった
 ↓↑
 山羊の皮に包まれて神々に披露されたのは「パン」・・・
ーーーーー
 エンキ
 「地の王(Lord of the Earth)」
 (シュメール語で
  「en」は「王」、
  「ki」は「盛り土、小山(mound)」・・・?
 バビロニア神話で都市
 エリドゥの守護神
 エア(アッカド語=Ea)
 エアの名前の語源は
 「フルリ語、セム系言語
  生命・泉・流れる水
 などを意味する
 「hyy」・・・?
 「エンキは、
  世界の創造者であり、
  知識および
  魔法を司る神」
 「海から現れ、
  手工業、耕作、文字、法律、建築、魔術」
 を人間に教えた
 「エンキは、世界を豊かに保つ力を
  アプスーから獲得し、
  そのまま地底を住処として、
  淡水および繁殖を司る神としての役割を継承」
 「エンキは
  水星の象徴」・・・ヘルメス
 「上半身は
  牡(若い)山羊で、・・・パン
  下半身は
  鯉(こい)」・・・魚+里=さかな(ウヲ)のサト
  が
 「エンキ」の姿・・・円几・圓規?
ーーーーー
 モウソウは尽きないけれど・・・今夜は冷える・・・

マルタのタカ・・・連想、妄想・・・「スーパームーン(Perigee full moon)」・・・

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 ・・・13日20時02分、ニュージーランドでM7クラスの地震・・・明日11月14日の満月は、「スーパームーン(Perigee full moon)→太陽-地球-月」・・・観た目の巨大満月は68年ぶりらしい・・・「豹尾・彪尾=計都星の精、この方角に畜類を探したり、大小便をしたりすることを忌む」であるが、天文学上の炎紅柱、紅焔柱で「太陽の彩層から コロナの中に立ち上る炎状のガス・皆既日食のときは望遠鏡で、平時は分光望遠鏡で観測できる」、「黄幡=黄幢」・・・
 彪・豹・雹・表・評・・・
 「君子豹変、小人面革(易経)」
 「豹の毛が抜け変わり鮮やかな模様が現れる」
 英語やドイツ語で
 ヒョウ=「Leopard(レパード、レオパルド)」
 日本には生息していないが、
 虎とともに豹は浮世絵に多く描かれ
 豹を虎の雌と考えていた・・・らしい・・・
 jaguar(ジャガー)
 panther(パンサー)
 leopard(レオパルド)
 puma(ピューマ)
 cougar(クーガ)
 「豹変」


 ↓↑
 前回の「マルタの鷹」の「丸太(まるた)」にコダワル・・・「まるた」は日本語(?)であるが、「まる」と訓読みしている漢字は「まる=円・満留・圓・摶・球・輐・圜・圝・団・環・麿・眞流・麻呂」の当て字漢字で、「○」であるが、
 「円・圓=つぶら=都夫良-意美(つぶら-おみ)」、
 「つぶや-く=呟-く」、
 「つぶ=螺・粒・顆・潰・瞑」、
 「お-まる=御-虎子」って、昔の宮廷(枕草子の時代)の日本(倭・和)人は「虎のウンコ(糞)」をみたのか、どうなのか、多分、虎が
 ウヅクマル(蹲=𧾷+尊・ソン・踞=𧾷+居)姿を観た人間の発想だろうが、実際は「虎」ではなく、存在したのは「ネコ(猫・根子・根古)」であろう。
 モモもブブも、モゥ君、サワ、モンモン、チビ、そしてチコもボクのトイレ中のトイレにやってきては、ボクが糞ばって用が終わるまで足元で見張り番をするのがイツモのコトだった・・・
 「古事記・日本書紀」では「廁(かわや)」は無防備な場所であり、風呂場と共に暗殺の場所でもあった・・・
 訓読みは
 「蹲=うづくまる・しゃがむ=踞」でもあるらしいが、異字は、
 「俊・墫・踆・躦・鷷」である・・・
 「生物分類学上の基本単位の種は、命名済みの種だけで200万種、無名の生物はこの数倍から十数倍以上の種」が存在するらしい。
 で、「鳥類は10,000種以上」存在するらしく、「鳥の偏旁の漢字の数」にもお手上げだが、日本語(?)を研究するには、それらの漢字の訓読みと、当て字の仮名が「鍵」であるカナ・・・もちろん、「動植物のスベテ」だが・・・特に「魚の類」も・・・
 「鷷(ソン・ゾン)=尊+鳥=野生のキジ(雉)の一種・五雉(度量衡器などを管理する官職)の一つで西方を掌る、中央は雉(きじ・チ・ヂ・鴙)、東は鶅(シ)、南は鸐(テキ)、北は鵗(キ・ケ)」・・・もちろん、官吏、役人はそれらの漢字の「記録のキジ」も管理した・・・記事の「生地・木地・樸・翟」の「翬=ちぶ・とぶ・キジ・キ」で「鷹隼、醜、其飛也、翬」・・・
 で、
 「翬」の類字は「暈(かさ・ぼかす・めまい・ウン)」で
 「日や月の周りにできる薄い光の輪=月暈・日暈」
 「暈繝 (ウンゲン)」で、
 「眩暈 (めまい) 」である・・・
  ↓↑


 「お-まる=御-虎子」が、マタ、跳んでしまったが、
 「つくばい(蹲=蹲踞)=手水 (ちょうず) 鉢」であるらしい。「廁(かわや・トイレ・WC)=便所」の傍にある手洗いである・・・
 漢字自体の一単字での合体構成で「マ・ル・タ」、「マル・タ」、「マ・ルタ」は複数、多数考えられるが、表音文字の「アルファベット」では
 「マ-ル=M-A-R-U」
 で、その形象の「イメージ(image)」は文字からは困難である。ローマ字の「A(ア)・U(ウ)」の母音がなければ、
 「M-R」で、発音も「エム-アァル」で、「単音」ではない・・・音の「М・m(M=μ=ミュー)=エ-ム→エン」を漢字にしたら「エム・エン=柄-牟・重-務・円・圓・炎・縁」・・・「観諭宇=ミユゥ=視有・巳邑・美結・観由宇」?・・・
 だが、旧ギリシャ文字であった
 「M(サン・Ϻ・ϻ)←lとlに挟まれたVが上半分の文字」で、発音は「サン」である。
 「∧+∧=V+V=山+山」
 が、類似する文字は、
 ロシア文字「ш(シャー)・Щ(シ・シャー)」と同形だが、
 「ш=櫛(くし)型の関数(函数・comb function・shah function=機能・働き・作用)」
 と呼ばれている記号らしいから、
 「櫛(くし)→簪(かんざし・髪挿し)=鈿・釵・笄・篸・𥮾」
 ・・・髪梳く、髪飾り=hair ornament・hair accessories・・・hair decoration(デコレーション)は「御凸(おでこ・額)」の飾り物だが?・・・修飾語=modifier・qualifier・・・「ш」の要は「Ee・ヨよ」の横倒しの文字で、「Щ」は右下に「ヽ(点→尻尾?)」がある・・・しかも、
 「hair(髪・かみ)」
 と
 「hare(兔・うさぎ)=rabbit・bunny」は発音が同じ・・・
 「M・m」とは「multi=多くの…・種々の…・何倍もの…・multimillionaire・ラテン語の many、much・マルティ・英語圏での発音はモウタイ、モウティ・mulch」・・・質と量のデッカイ、タクサンの意味を有する象徴なら「山=mountain」だろう・・・
 「うさぎ」は「月」に存在する動物であるが、「因幡の白ウサギ」とは何者なのか、大国主にも訊いてみたい・・・
 「R・r」はラテン語(アルファベット)の18番目の文字で、ギリシア文字の「Ρ・ρ(ロゥ)=Ρ・ρ」で、
 英語の「R=l+⊃+ヽ」、「D+l+ヽ」
 「P」なら「period(期間・期限・時期・終止)」で、
 「生理=period・menstruation=月経」である・・・「オゥ=賂得・路有」で、「汚烏」?・・・太陽が汚れるって?・・・
 山(サン→sun=太陽・san=息子)
 に懸かるのは
 月(moon・lunar)
 チャンドラ (Chandra)はインドの月神
 セレーネー、フェンガリはギリシャ語
  ↓↑
 月の女神は
 アルテミス(ΑΡΤΕΜΙΣ・Ἄρτεμις・Artemis)
 セレーネー、ヘカテー
 ディアナ(ダイアナ)、ルナ、フェブルウス
 マーニ(北欧神話)
 ケルト神話では
 アリアン・ロッド
 エディン
 コンス(エジプト神話)
 ナンナ(メソポタミア神話)
 アグミポル(シリア神話)
 ニッカル=イエラ(フェニキア神話)
 月読命
 娥皇
 ↓↑
 カマルはアラビア語
 アマル(àmar)はエジプト語・・・アマ-ルナ
 メセチナ(месечина)はマケドニア語
 ・・・ナゼか、
 モンゴル語が「サル」・・・?・・・「猿・猴・沙流」
  ↓↑
 キリル文字は
 「Р(エル)=アァル」で、漢字にしたら
 「ア-ァル=會-丫(鴉・蛙・阿・亜・啞)留」?・・・カラスもカエルも月に棲む・・・エジプトの葦舟の先導であり、珍敷古墳(福岡県うきは市吉井町富永)の「蕨手文・同心円文・靫・人物・舟・鳥・蟾蜍(かえる)」が描かれている横穴式石室、円墳の色彩画とマッタク同じである・・・
 ボク的には、多分、元々アルファベットの「単文字」自体の音読みには「象形的な意味」と「音声」が一体化していたのは当然であるのだが?・・・日本語(?)の音にしたら
 「M=えむ=笑む」
 漢字を羅列していけば
 「媛・厭・圓(円)・垣・援・燕・縁・怨・淵・猿・奄・沿・延・鳶・焔・煙・炎」で、「重務」で、
 「卑弥呼の時代」の物語そのものになる・・・場所は「阿蘇山」の麓である・・・隋王朝時代は「阿毎王朝」の場所である・・・
 「R=あぁる=會(丫・鴉・蛙・阿・亜・啞)有(存・在・或・歩)」?・・・
 当然にも「ヒ・ピ・ビ」は「音=借音」とされているが、記録されている「使用漢字」自体の「意味」研究の「疎(おろそ)かさ」、「愚かさ」であるカナ・・・
 ひ・ヒ
 万葉仮名=(甲類)比
      (乙類)非
 古事記=(甲類)比、必、卑、賓、嬪、臂
     (乙類)非、悲、斐、肥、飛
 万葉集=(甲類)日、氷、負、飯、檜
     (乙類)火、樋、干、乾
 日本書紀=(甲類)比、田比、必、卑
          避、臂、譬・日、飯、檜、匱
      (乙類)悲、彼、被、秘、妃・簸、火
 ・・・・・片仮名=比、火
 ピ・ビ
 古事記=(甲類)妣、田比、婢、鼻、毘
     (乙類)備、肥、飛、非
 万葉集=(甲類)
     (乙類)乾
 日本書紀=(甲類)弭、弥、寐、鼻
      (乙類)備、眉、媚、縻・傍
 ここでの「借(イ+昔)音=シャクオン=釈音」としての「漢字の甲乙類」の発音分類は、当時の宮廷人の記録言語の使用漢字の分類で、
 山(ことば)、浜(ことば)、村落地方の方言、職業、各階層、帰化人等の言語発音にはマッタク意味がないと考えるが・・・文字としての「表意・形象」は「漢字文字の構成と意味」のみが、その「本質」を視覚的にイメージ(image)させてくれる・・・
 「音」は聴いてみなくちゃぁハジマラナイが、当時には録音機は無かったのである・・・音の旋律をキャッチする喜怒哀楽の聴覚の巾は大きく、その爆発、雷鳴、豪雨、台風の恐怖の音律、音響には戦慄する・・・
 「聾唖の世界に生きる人々」には「巧みな手話」、「盲目の世界に生きる人々」には「敏感な聴覚」には敬服するが・・・
 ヘレン・アダムス・ケラー(Helen Adams Keller、1880年6月27日~ 1968年6月1日)はエライ・・・庚辰・壬午・丁亥(丙戌)・・・
 サリバン先生、ジョアンナ(アン)・マンズフィールド・サリヴァン・メイシー(Anne Sullivan・Annie Sullivan Macy、Johanna Mansfield Sullivan Macy、1866年4月14日~1936年10月20日)はモッとエラカッた・・・丙寅・壬辰・己未(戊午)・・・
 日本とロサンゼルスとの時差、17時間、日本が、17時間速い
 日本とニューヨークとの時差、14時間、日本が、14時間速い
 日本時間-アメリカ現地時間=X時
 現地アメリカ時間は「日本の前日の(干支)」になる場合がある・・・
 ・・・ズレた日干支は「命式」上、困るナッ・・・過去の人の「現実の履歴」は歴然であるが・・・「伝記作家の記録」にも疑問は湧きだすカナ・・・
  ↓↑
 字形から「M(サン・Ϻ・ϻ)」は
 「サン=山」で、
 「Ρ・ρ(ロゥ・ロ)」は
 「ロ=婁・魯・盧・呂・樓」で、
 字形の「P→ρ」は
 「○」の出来損い「○+ノ」で「旗→卩」だが、
 「御玉杓子(おたまじゃくし)=スプーン(spoon)」そのものの形・・・北斗七星の「妙音」である・・・千葉道場の「北辰一刀流」である・・・
 「P(ピィ)」なら「旗・幡・幢=flag・pennant・standard・banner」の形象であり、フェンシング(fencing・フルーレ、エペ、サーブル=サーベル)の「剣(刀剣)」の形象である・・・フィッシング(fishing)とは「秋刀魚(さんま)」の形象漢字である・・・
 「Pp(ピィ)→Ff(エフ→フイぃ)」の音からは・・・ボク的には「絵附・布衣」がイメージされるのだが・・・形象の連想は「刀剣・針剣」と「旗・幡・旛・幢」である・・・妄想・・・
ーーーーー
 Mの発音
 羅・独・仏・英・蘭=M=イネ(εm)・エム(em)
 西=M=エメ('eme)
 伊=M=エンメ
 Rの発音
 羅・仏・独・蘭=R=イネ・エル
 西=R=エレ
 伊=R=エッレ
 英=R=are(アー /ɑː/・アール /ɑːr/)
ーーーーー
 さかな=作掛名=魚(fish)=まな
 ヘブライ語=ダグ
 ・・・前回もかきこんだが、古代エジプト(埃及)の
 「ハトメヒト」=デデト=ジェデト
         後の、
        メンデス
        ナイル下流の町の名の
       「魚」の女神
        ナイルの川魚
        スキルベを擬人化した女神
        メンデス三柱神は
        ↓↑
        バ・ネブ・デデト=牡羊
        ハトメヒト=魚
        ハルポクラテス=旭日の太陽=幼児のホルス
        ↓↑
       「メンデスの牡羊」=バ・ネブ・デデト
        は「牡山羊」と
        ヘロドトスの「歴史」で誤解された・・・?
        ハルポクラテス(沈黙の神)はギリシャ語で
        古代エジプト語は
        ホル・パ・ケレド
        幼児のホルス=上昇の太陽
               旭日・朝陽・朝日
               ホルス=鷹・隼
                   ハイタカ(鷂)=雌
                   疾き鷹・はしたか
                   雄は「コノリ」で
                   小鳥に乗り懸かる意
                ・・・憑依する意?・・・
                   天空の「右の目」=太陽
                   母はイシス
                   父はオシリス
 ↓↑            ホルスはオシリスの再生神・・・
 ↓↑            父の生まれ変わりである
 Ν=ν=ニュー
 Ρ=ρ=ロー
 Π=π=ピー(パイ)
 Φ=φ=フィー(ファイ)
 Ψ=ψ=プシー
 ↓↑
 「☄」を彗星のマーク記号として・・・
 この「星」の「山羊の尻尾」か、「山羊の髭(ヒゲ)」か?

ーーーーーー

 つづく・・・

マルイモノとはナニか?

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 ・・・「エゴの枠内」での「表現目的」ですか・・・「草井スカンク」、「アトラス(オメガ因子の心)」の親、「黒人」の「ラム博士」・・・「勧善懲悪の作品」はスベテ、階級社会の息抜き娯楽・・・ETVに登場し、なにやらお喋りをしていた「表現者・作家・評論家・心理学者」達(?)は「人生の目的(?)」がなんであろうが「エゴの枠内」で自己納得しているらしい?・・・「目的?」、一般化すれば個々人の実存、「生きているコト、それ自体」である?・・・しかも、「運命=自然、社会全体」とかの言葉に各々の「履歴」の流れを置きながら・・・モチロン、「手塚治虫」先生も、その「プチブル意識の枠内」でしか、生きていなかった・・・確かに「表現作家」として問題提議はしたが・・・「プチブル意識の枠の中」でしか生きられなかった・・・?・・・モチロン、ボクもその類の「システムの中」で生きているけれど・・・
 おまえらも、「プチブル意識」を壊すコトなく、突破するコトなく、「ソの枠内」でお喋りか?・・・「ロボット爆弾」は「人間をアキラメタ」・・・
  ↓↑
 「手塚治虫をLGBTや心理学の視点から読む、Eテレ番組に園子温、斎藤環ら『100分 de 名著スペシャル「100分 de 手塚治虫」』
 2016年11月12日・NHK Eテレ・・・
 デビュー70周年を迎える手塚治虫・・・彼の命が60歳で終わったとは、惜しい、残念であるが・・・
 女装家でエッセイストのブルボンヌ、
 映画監督の園子温、
 精神科医の斎藤環、
 相愛大学教授の釈徹宗
 ・・・「プチブル意識」の生活枠内で「自由な表現、評論、評価」に文句はないが・・・せっかくカチ取った余裕のポジションだから・・・その枠内で「慈悲の実践」があるんだか・・・
 アンタらの「立場」って、ナニ?・・・「職業」に専念して生活するコトだよな・・・「私には妻も子供もいます・・・どうぞ、御慈悲を・・・」・・・キリストもシャカも「生きている人間社会の人間」を救わなかった・・・確かに、「天国、地獄」へは救ったカモ・・・「トランプ」は「アメリカ人のダレ」を現存在として救う心算(つもり)なんだか・・・
 死につつあるモノは救えない
 死のうとしているモノは救えるカモ
 生きているモノは救えるカモ
 死のうとしているモノは相手次第
 生きるも死ぬも生きている間の選択である
 死んだモノを救うのムリである
 ・・・「ダーウインが来た・生きもの新伝説」がどの様に視点を変えても、生きているモノの「宿命」である・・・「伝説」ではなく、「現実」である・・・ヒョウ(豹・彪)が川に飛び込み、ナマズの狩り・・・視点がナマズ(鯰・魸・鮀)から観たらドウなるのか・・・地震を起こしたくもなるだろう・・・インパラ(Impala=羚羊=レイヨウ)も大変である・・・「寅葉蠃」?・・・蠃=蝸蠃・蜾蠃=かたつむり=蝸牛」で余裕のある人は「寅葉覶=寅葉臝」・・・「嬴」の類字は「羸・蠃・贏・臝・驘・鸁」、「瀛・攍・籝・籯・灜」・・・
 「天渟中原瀛真人天皇」=「天武天皇」=「大海人皇子」・・・
 「始皇帝=秦王=姓は嬴(エイ)
         氏は趙(チョウ)
         諱は政(セイ)」・・・
 「豹・彪」の母娘の「強い絆」も娘が成長すれば、ライバルとして、その「絆(きずな)」も冷酷に絶つ・・・
 狼と七匹の子山羊(羯?)・・・「山羊(人間)が狼(人間)の捨て山羊(人間)」に・・・?・・・「目的」を納得して「自爆テロ」・・・「諦念」って「羯締」か、「羯啼」か、「羯諦」か・・・
 ↓↑
 「摩訶般若 波羅蜜多 心経」・・・
 「心」の「経」だからネッ・・・「ロボット爆弾」は海の底でナニを考えているんだろうか・・・
ーーーーー
 ↓↑ 
 (摩訶般若波羅蜜多心経)
 (まかはんにゃはらみったしんぎょう)
  観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
 (かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみたじ)
  照見五蘊皆空 度一切苦厄
 (しょうけんごうおんかいくう どいっさいくやく)
  舎利子 色不異空 空不異色 色即是空
 (しゃりし しきふいく くうふいしき しきそくぜくう
  空即是色 受想行識亦復如是
 (くうそくぜしき  じゅうそうぎょうしきやくぶにょうぜ)
  舎利子 是諸法空相 
 (しゃりし ぜしょうほうくそう
  不生不滅 不垢不浄 不増不減
 (ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん)
  是故空中 無色 無受想行識 
 (ぜこくうちゅう むしき むじゅそうぎょうしき)
  無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
 (むげんにびぜつしんい むしきしょうこうみそくほう)
  無眼界 乃至無意識界 無無明亦 
 (むげんかい ないしむいしきかい むむみょうやく)
  無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
 (むむみょうじん ないしむろうし やくむろうしじん)
  無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
 (むくしゅうめつどう むちやくむとく いむしょとくこ)
  菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
 (ぼだいさつた えはんにゃはらみたこ)
  心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
 (しんむけげ むけげこ むうくふ)
  遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
 (おんりいっさいてんどうむそう くぎょうねはん)
  三世諸仏 依般若波羅蜜多故
 (さんぜしょぶつ えはんにゃはらみたこ)
  得阿耨多羅三藐三菩提
 (とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)
  故知般若波羅蜜多 是大神呪
 (こちはんにゃはらみた ぜいだいじゅんしゅう)
  是大明呪 是無上呪 是無等等呪
 (ぜだいみょうしゅう ぜむじょうしゅう ぜむとうどうしゅう)
  能除一切苦 真実不虚
 (のうじょういっさいく しんじつふこ)
  故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
 (こせつはんにゃはらみたしゅう そくせつしゅうわつ)
  羯諦 羯諦 波羅羯諦
 (ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい)
  波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
 (はらそうぎゃてい ぼじそわか)
 ・・・「借音」ではなく、「漢字の視覚的な象形的意味」はドウなのか・・・
ーーーーー
  ↓↑
 丸太(まるた)?の「マル」
 ↓↑
 マル-クス(Mar-cus)
 古代ローマ人の個人名
 軍神マル-ス(Mars)=マーズ (Mars)
 にちなんだ個人名
 ギリシア語形が
 福音書の著者とされる人物
 「マルコ(Marco)=馬可」の名前
       ・・・「マタイ(Matthew)
           マタイオス(Matthaios)
           マテオ=マトフェイ)=馬太」
 「マルティン・ルター
 (Martin Luther
  1483年11月10日~1546年2月18日
  マルチン・ルター」・・・贖宥状(免罪符)、
              カトリック批判、宗教改革
 キリスト教圏の命名・・・
 英語の
 マーカス (Marcus)
 マーク (Mark, Marc)
 ドイツ語の
 マルクス (Markus, Marchs)
 イタリア語の
 マルコ (Marco)
 ドイツ語は
 マルクス (Marx)
 として姓にも転じた・・・
 マルクス・アントニウス
 (Marcus Antonius=マーク・アントニーは
  「クレオパトラ
   Cleopatra-Ⅶ(克利奥佩特剌)」の愛人
 Marc(マルコ)
 ↓↑
 Marc
 ブドウなどの搾りかす
 マール(酒)=ブドウなどの搾りかすから
       蒸留して造ったブランデー(蒸留酒)
 マーク=Mark
    . 福音記者=マルコ(Marco)-ジェイムズ(James)
 マルコ・ポーロ
 (Marco Polo)
 1254年9月15日~1324年1月9日
 ヴェネツィア共和国の商人
 ヨーロッパへ
 中央アジアや中国を紹介
 『東方見聞録』
 (写本名=『イル・ミリオーネ (Milione)』
 『世界の記述 (Devisement du monde)』
 ↓↑
 マルク(ドイツ語=Mark)
 ドイツなどの通貨
 漢字では馬克
 ドイツ語で刻印を意味する
 Mark(英語マーク=mark )
 本来、
 金や銀の質量を量る単位
ーーーーー
 ↓↑
 「☄」を彗星の「マーク記号」として・・・
 この「星」の
 「山羊の尻尾」か、
 「山羊の髭(ヒゲ)」か?
 ↓↑
 ハレー彗星
 紀元前616年
 『春秋』の
 魯文公十四年条(紀元前613年)の
 彗星に比定・・・
 ↓↑
 紀元前466年
 『史記』の
 「周本紀」
 ↓↑
 貞定王二年条(紀元前467年)
 彗星、
 大プリニウス
 『博物誌』第2巻第58章にある
 第78
 オリュンピアード2年(紀元前467年)
 に現れた彗星・・・
 ↓↑
 紀元前240年5月25日
 『史記』
 「秦始皇本紀」の
 始皇帝七年条に
 「彗星先ず
  東方に出で、
  北方に見ゆ。
  五月
  西方に見ゆ」
 との記載・・・
 太陽に接近し
 見えなくなった後、
 近日点通過後
 再び姿を現した・・・
 観測記録としては世界最古
 ↓↑
 紀元前164年11月12日
 大英博物館所蔵の
 バビロニア粘土板の彗星に比定する説
 BMA41628の
 「彗星は東のかた
  スバル(すばる・昴
      牡牛座のアヌの道にあり
  …西のかたエアの道を通りぬ」
 BMA41628の
 「木星の前方1キュビット、
  北天頂へ3キュビットにあるエア」
 ハレー彗星の軌道と一致する・・・
 ↓↑
 紀元前87年8月6日
 『漢書』
 「昭帝紀」
 後元二年条に観測記録
 ↓↑
 紀元前12年10月10日
 『漢書』
 「成帝紀」
 元延元年条に観測記録
 カッシウス・ディオ
 『ローマ史』第54巻
 アウグストゥス帝治世に
 数回現れた彗星の一つ・・・
 アウグストゥスはこの彗星を
 養父
 カエサルの魂と見なし、
 「カエサルの星」
 の貨幣なども鋳造
 新約聖書の
 ベツレヘムの星
 ↓↑
 66年1月25日
 『続漢書』
 「天文志」に観測記録
 『タルムード』
 ホラヨット編にある
 「70年に一度現れる
  航海者を惑わす星」
 ↓↑
 141年3月22日
 『続漢書』
 「天文志」に観測記録
 ↓↑
 218年5月17日
 『後漢書』
 「献帝紀」
 建安二十三年条に観測記録
 上記『ローマ史』第78巻に観測記録
 ↓↑
 295年4月20日
 『晋書』
 「恵帝紀」
 元康五年条に観測記録
 ↓↑
 375年2月16日
 『晋書』
 「孝武帝紀」
 寧康二年条に観測記録
 時の帝は天の警告と恐れ、
 租税免除を行う詔を出した
 ↓↑
 451年6月28日
 『宋書』「天文志」、
 『魏書』「天象志」
 に観測記録
ーーーーー
 昨夜の11月13日20時02分、ニュージーランドでM7クラスの地震・・・大満月の前夜・・・
ーーーーー
 2016 丙申(己・壬・庚)
     害
 0011 己亥(戊・甲・壬)
    刑
 0013 己亥(戊・甲・壬)
    干合土
 0020 甲戌(辛・丁・戊)
ーーーーー
 ・・・マンマル、マルマンが重なったり、衝突すれば破壊される・・・「太安万(萬)侶」にキイテミタイ・・・

バナナ-ボート・・・アップル、バナナ、イチジク・・・黄幡・黄幢

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・・・「黄幢」の色と形、そして「マルタ(Malta・英語はモールタ)=摩爾太・馬爾太・馬爾達・馬児達・馬耳他・瑪児太・馬他[出典・丸太・丸田・馬耳他(中国)・馬爾他(台湾)」の国名漢字にコダワル、「マリ(Mali)=語源はカバ(Hippopotamus・河馬)・マンサー・ムーサー(旧約のモーゼと同義の名)=Mansā Mūsāの王国1312年~1337年?=馬里・馬利」の国名漢字にもコダワル・・・丸い後光で描かれる「マリ-ア(マル-ヤム)←モーゼの姉のミリ-アム(Miry-am・Miri-am)」にも・・・「マル」が長い「バナナ」にナルのか?・・・ボクの小さい頃、北大病院の看護学校卒業生の看護婦だったオフクロの同窓会が大学であって、その会合にはボクも一緒に連れられて、参加したコトがある。そして彼女が必ず連れて行ってくれる大学構内の場所は、大学の「植物園の温室」だった。彼女がそこで教えてくれる植物の名前は「樹木にナッいる房状のバナナ」・・・バナナは当時はメロンと同じくらいの高級品、しかも北海道では植物園にしか存在しない稀有で、特別な貴重な植物だった・・・ブログで調べてみたら、「北海道帝国大学医学部付属、1920年9月~看護法講習科設置(厚生女学部、看護学校)」、「植物園の温室」では「熱帯の希少種、沖縄で盛んに栽培されているシマバナナ(熱帯雨林室・亜熱帯室)」との紹介記事・・・ボクが子供の頃に観たのは「沖縄のシマ-バナナ」だったんだろうか・・・


 (鹿児島県中之島のトカラ(吐噶喇)-バナナ)
ーーーーー
 ↓↑
 バナナ(banana・学名 Musa spp)
 界  :植物界 Plantae
 階級なし:被子植物 Angiosperms
 階級なし:単子葉類 Monocots
 階級なし:ツユクサ類 Commelinids
 目  :ショウガ目 Zingiberales
 科  :バショウ科 Musaceae
 属  :バショウ属 Musa
 ↓↑
 バナナがナゼ、
 「甘蕉(かんしょう)」なのか?・・・類似発音は「甘藷・甘薯・甘蔗(砂糖黍)」・・・「かんしょ=さつまイモ」は
   サツマイモ(薩摩芋・Ipomoea batatas)で
   ヒルガオ(昼顔)科サツマ-イモ(芋・藷・薯)属の植物
   食用部分の塊根(肥大した根)
   別名は「甘藷(かんしょ)、唐芋(からいも、トウいも)、琉球薯(リュウキュウいも)、とん、はぬす」・・・
 で、バナナは中国語で
 「実芭蕉(みバショウ)」
 「香蕉(xiangjiao)=コウショウ」
 ↓↑
 アラビア語で
 「手足の指=banan(バナーン)」が語源
  ↓↑
 指=手の指(finger)・・・・弖(氐・弟・𠂤・堆→碓)
   親指(the thumb)
   人差し指(index)
   中指(middle・second)
   薬指(ring・third)
   小指(little・foth・pinkie)
   足の指(toe)・・・足(あし・ソク)=股・又・亦・俣
  ↓↑        の
  ↓↑        toe=訳重=とえ=問え・訪え
  ↓↑             十重?
 原産地は熱帯アジア、マレーシア
 バナナの栽培の歴史は
 パプアニューギニア
 野菜(果菜)に分類
 高く伸びた茎のような部分は
 偽茎(ギケイ)=仮茎(カケイ・かりくき)
 最初は下へ向けて成長し、
 後に上へ向けて成長して
 湾曲(ワンキョク)する
 古代のインド以西の中東地域では
 バナナは
 イチジク(無花果)・・・「壹、位地、位置」の「字句」
 と呼ばれ、
 マケドニア(馬基頓・馬其頓・瑪設度尼・馬其頓・馬其頓)
 の
 アレクサンドロス(亜歴山)3世は
 インド遠征でバナナを見て、
 イチジクと記した・・・
 アラビア語の
 コーラン(クルアーン)=Quran・Koran・・・クゥラン?
 ↓↑             回教の   句胡(空)覶無?
             回紇(ウイグル)の表記、
             中国語の
            「古蘭=可蘭」に由来
         ・・・暗唱=暗誦すれば文字は無用で、
 ↓↑         Quran=旧乱・究覧・空欄・球卵?
 では            Q・u・ra・n?
 楽園の禁断の果実の
 「talh」=バナナ・・・タルハ(Talh-ah)?・・・「talk」?
            花崗岩の丸石が広がる
            ゴロタの岩石沙漠=ṣaḥarā(サハラ)
                     Sahara
                     タルハ(Talhah)?
            ハマダ?
            ゴロタ・・・釣り場?
            大小不揃いの丸い石場の渓流
            根魚が住みつく
            タルハ=TARHA・フィンランド語で
               「市民菜園」
            嘲り=トゥライハ(小さなタルハ)?
 ヘブライ語聖書では
 禁断の果実は
 「エバのイチジク」と記録
 創世記の
 「知恵の樹の実」は、
 ・・・イチジクではなくバナナであった・・・?
 「知恵の樹の実」=「リンゴ(林檎)」は
 後世の誤訳の俗説・・・?
 ↓↑
 日清戦争の
 9年後の1903年
 日本統治下の台湾から神戸港に向けて、
 七駕籠(カゴ)のバナナを輸入したのが始まり
 白人に迎合的で卑屈な
 アジア人(中国系や日系)を
 揶揄するスラング
 黄色い皮をむけば中身は白いので、
 「黄色人種なのに中身は白人のつもり」・・・
 戦国時代に
 ポルトガル(葡萄牙)人の
 キリスト(基督)教宣教師の
 ルイス・フロイスが
 織田信長
 にバナナを献上
 ↓↑
 マレー半島原産の
 「ムサ・アクミナータ」
 フィリピン原産の
 「ムサ・バビルシアーナ」
 の2種が一般的バナナ
 ローマ帝国の初代皇帝
 Augustus Caesar
 の大病を治癒した侍医
 アントニウス・ムサ(Antonius Musa)
 の名が学名「Musa spp」の由来・・・Musa=芭蕉
 BANANA=英語のスラングで
 「Build Absolutely Nothing Anywhere Near Anything」
 (何処にも何も建てられない奴ら)
 鹿児島県中之島の「トカラ(吐噶喇)バナナ」
 吐噶喇列島=全七島
       口之島・中之島・平島
       諏訪之瀬島・悪石島・小宝島・宝島
 沖縄の「シマ(島・嶋・嶌)バナナ」
 「ラカタン (Lakatan)=フィリピンで好まれるバナナ」
 「プラン-テン=Plan-tain
        プランテイン・プランティン・プランテーン」
  バショウ(芭蕉)属・・・松尾芭蕉=金作・通称は甚七郎
              甚四郎・名は忠右衛門宗房
              俳号は実名の宗房~桃青、
              芭蕉(はせお)
  の草本植物の一種
  バナナと異るが、区分は不明瞭
  差異は植物学上の正式な分類ではなく、
  食べ方による
  日本語では
  リョウリバショウ(料理芭蕉)・クッキングバナナ」
 ・・・次の絵(イコン)は「大天使ミカエル」である・・・絵画(ウイッキペデア添付の)から観える範囲では彼の翼の段状に重なった羽根毛の形は6段(?)、「バナナの房」にも似ているが・・・マリ王国の絵の「丸木舟の集まり」にも・・・モチロン、「三日月の集合体」のカタチである・・・
 「エン-ジェル(angel)=アンゲロス(angelos・アンギラス・アンガロス)=ヘブライ語はマル-アハ (mal’aḵ=mal'akh) =イスラムはマラク (malak・マラーイカ=malā'ika・マラーイク(malā'ik) =ミーカール (Mīkāl)」
 で、情報伝達者であり、現在的には「情報局・宣伝媒体・情報網」の人間である・・・「エン・・・」と「マル・・・」である・・・
 「旧約聖書に4つの翼を持つケルビムと6つの翼を持つセラフィムの記述」があるが、「天使の翼の絵の最古のものは、テオドシウス1世治世(379年–395年)の「君主の石棺」である、らしい・・・

 「グロス-ミッチェル (Gros Michel・愛称は big Mike)
  デザート用に栽培」・・・
 「Michel=ミッシェル=マイケル(Michael)・ミハエル、ミヒャエル(Michael)=ミゲル(Miguel)=ミケーレ(Michele)=ミカ((Mika))=ミハイル(Mikhail)=ミーカーイール(イスラム)」は「大天使・熾天使(シテンシ)」の名・・・「ネハシム-セラフィム(燃える蛇)」・・・
 「セフィロト(Sephirothic tree)の木=生命の樹(Tree of Life)」は「バナナとバナナの樹」か?・・・女性の「月のもの(ヘブライ語)」・・・「バナナ-ボート」ってナニ?・・・タロットの18は「コフ(ネツァク→マルクト)=月(Moon)」・・・「マルクト(Malchut=王国)=第10のセフィラ・物質的世界」・・・
ーーーーー

 (エデンの園?)
  ↓↑
 ・・・「知恵の実(M.sapientum)=生食用の五尺バナナ」・・・「林檎(りんご)」ではなく、「エデンの園(Garden of Eden・Gan Eden)パラダイス(paradisus・ギリシア語=παράδεισος)=地上の楽園」の果物は「バナナ」・・・シュメール・アッカド語で「エデン=平地」・・・「天国」ではない「地上の楽園」の食べ物、「バナナ」である・・・「葉菜名」と「馬名納」だろう・・・
 丸い林檎ではなく、反ったバナナである・・・
 1666年はニートンの「万有引力」←林檎(りんご)の落下
 1667年は
 ジョン・ミルトン(John Milton)が
 「失楽園(Paradise Lost)=楽園喪失・楽園追放」である・・・
ーーーーー
  ↓↑
 ロバート・フック(Robert Hooke)
 1635年7月28日(7月18日 (旧暦)
   ~
 1703年3月3日)
  ↓↑
 イギリスの自然哲学者、建築家、博物学者
 王立協会フェロー
 1664年
 最初の連星(おひつじ座γ星)を発見した
  ↓↑
 1666年のロンドン大火後・・・1999年のノストラダムスの予言
  ↓↑           恐怖の大王が空から来る
  ↓↑           1666⇔1999の逆数字
 1666年には王立協会で
 「On gravity(重力について)」と題して講演
  ↓↑
 ニュートン
 1645年
  ~
 1665年・・・ペストの大流行
  ↓↑
 1666年のロンドン大火後・・・1999年のノストラダムスの予言
  ↓↑           恐怖の大王が空から降りて来る
  ↓↑           1666⇔1999の逆数字
 万有引力
 二項定理を発見
 微分、微分積分学へと発展させた
  ↓↑
 1687年7月5日
 ニュートン力学
 3巻「自然哲学の数学的諸原理
 (プリンキピア・Principia)」で
 公表
 ニュートンが数学的記述を用いて体系的にまとめあげた
 古典力学の体系の基本原理
  ↓↑
 1696年4月
 王立造幣局監事
 錬金術の研究・・・
 1699年
 王立造幣局長官
  ↓↑
 1705年
 アン女王からナイトの称号
  ↓↑
 1720年までに
 南海会社(奴隷貿易の会社)
 の株に1万ポンドの投資
 株が暴落し倒産、彼は大損した
  ↓↑
 愛猫家
 研究所で2匹の猫を買っていた
ーーーーー
 ・・・「Marco(馬可・マルコ)・Matthaus=Matthew(馬太・マタイ)」・・・「馬の名前」を有する人物・・・
 「司馬喜→司馬談→司馬遷→→→→」
 「司馬懿(179年~251年9月7日)→」
 蘇我稲目→「蘇我馬子」→蘇我蝦夷→蘇我入鹿→蘇我赤兄→
 であるカナ・・・
 「葉菜名(ばなな)」と「馬名納(ばなな)」、
 バナナは「房」、バナナ一本の形は「ノ(ヘツ・ヘチ)」で片仮名の「ノ」、「刀の反り」、「反りは湾曲のマガリ(曲)」で「蛇」、「曲者のヨコシマ(邪)」、「邪の道は蛇」・・・
 ・・・バナナ-ボート・・・リンゴか、バナナか、無花果か?
 ・・・どうやら、「黄幢」の妄想は様々なモノと重なり、「バナナの形と色」でアルところに落ち着きそうである・・・
懐メロJポップス 17 浜村 美智子

「唐黍=とうきび=等(問・答)吉備」、「玉蜀黍=とうもろこし=等摸賂古史」・・・

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 ・・・「アレキサンダー大王(3世)」を調べていくプロセスで、アッチ、コッチへと「文字とコトバ」がトンでしまう。紀元前356年(乙丑)・・・なんせ、漢字のアテ名が「亜歴山」で、

 「亞=亜(つぐ・ア・エ・次位の・一位に準ずる・亜種
      next・as~as the next
      close=近似する=closely・resemble・approximate
      nearly→副詞=ほとんど=similar
      approximately equal
     (アプロクシメットリー イコール記号は「≈」
      「≒」記号は日本、台湾、韓国のみで使用
nearly equal(ニアリー イコール=同じ)
       ほとんど等しい
       数学的には無限小数を有効数字にマルめる
「nearly equal」は和製英語
     白亜=白堊=白壁=白の漆喰(唐音の石灰の当て字)
          =漆喰=消石灰に麻糸などの繊維、
           ふのり(布糊・布海苔・布苔・海蘿)
           角叉(つのまた)=紅藻類スギノリ目の
           ↓   海藻・暖海の岩上に生育
               扁平な葉状で
               鹿の角の叉状に分岐し、
               上部は
           ↓   ヘラ(箆)状
               トサカ(鶏冠)状の形
               色は緑紅色・紫紅色など
               煮出して糊(のり)状物質を
           ↓   土壁用の糊料とする
           などの粘着剤を加え
           水で練り、
           砂や粘土を加えることもある
           漆喰=うるし+くう
           漆=(氵+黍)=七→シチ・シツ
               唐黍=とうきび=玉麦
              玉蜀黍=とうもろこし=玉黍
               苞黍=つときび
              南蛮黍=なんばんきび
真黍=まきび
                  吉備真備
                  持統天皇九年
                   (695年)
                    ~
                  宝亀六年十月二日
                   (775年11月3日)
高麗黍=こまきび
           喰=(口+食)=ショク=蝕
                 蜀・織・職・色
                 殖・稙
                 埴→埴輪=はにわ
                 燭・襡・稷・禝・属
 ・・・古代ギリシャ、ローマ人の騎兵の「兜(かぶと・冑・カッシウス(cassis)」の形態は・・・「インペリアル・ガリック型の兜(ガレア=galea)=兜の頭頂部に羽根型の飾り。百人隊長(ローマのケントゥリオ=センチュリオン)」は「鳥の羽毛」、「馬の毛」などで横に広がった飾り物を取り付けていた・・・
 アレキサンダー3世時代(紀元前300~紀元前200)の古代ギリシャの騎兵、歩兵の兜は・・・密集陣形(ファランクス)の重装歩兵(heavy infan-try・ホプリテス(hoplites)・ホプロマクス(Hoplomachus=重装剣闘士)の絵画に描かれる「兜」も同形であるが・・・アレキサンダーの「マケドニア兵の兜は視野を広く取るために、同時期のギリシャ文化圏の兜のように頭部全体を覆う防御面で秀でたものでなく、より簡略化された兜をもっぱら被っていた」らしい・・・
 青銅製の兜と脛当及び皮革を固めた鎧(マケドニア兵は鎧を着ず盾を胸甲代わりに着けた)を装備・・・アレキサンダーの乗馬での戦闘のモザイク画には大王は兜を被っていない。だが、ダリウス大王は頭には戦闘帽を被っている・・・アステカ(メシカ)帝国(1325 or 1345~1375年建国~滅亡1521年8月13日)の戦士は兜に羽根飾り、背中に「箒(ほうき)」の様なモノに「旗布」が結ばれたて描かれている絵があるが・・・ジャガー戦士・・・彗星の核は「コマ」と呼ばれるが意味は「髪」らしい・・・そして、彼らの主食はトウモロコシ(玉蜀黍)=唐黍(トウキビ)だった・・・

 ・・・「唐黍、麦、米、芋(薯)」、そして「バナナ」は人類の初期の炭水化物としての「主食」であった(?)・・・日本の東北縄文人の主食は「栗(くり)」であった・・・
 毛(髭=ヒゲ=絹糸と呼ばれる長い雌しべ、トウモロコシのヒゲは雌しべ)を包皮(包葉)から吹きだす「唐黍=玉蜀黍=Zea mays」の原産地は中南米である。トウモロコシが世界に拡大したのは「クリストファー・コロンブス(Cristoforo Colombo)」の「新大陸発見(1492年10月11日)」以降である・・・毛唐が南蛮人(ポルトガル人)であるとは「トウモロコシの毛」に関係するだろう・・・
 「赤毛」を被った「赤報隊(明治維新期に結成された草莽(そうもう)隊の一・関東、東北の脱藩士や豪農商を隊員として相楽総三らによって組織化され、年貢半減を掲げて維新政府の官軍の先方として戦ったが、後、偽官軍として処断、処刑された」・・・彼らのスローガンは「御一新、旧幕府領の当年分、前年未納分の年貢半減」・・・博徒の親分、「黒駒(小池)勝蔵(1832年・天保三年)~1871年11月26日(明治四年10月14日?)も「赤報隊」の一員だった・・・
 「小麦、大麦、水稲、粟(粱)」=「禾(いね・のぎ・ひいず・ひで・カ・ワ=形象は茎の先端に穂先が垂れかかる様)の実(穀物)」は圧倒的な収穫で、人間の食糧として「人口増加」を保障したが、大規模な人間の組織的な協働耕作は長期間、365日の「天変地異=季節の天候次第、大地の変動=噴火、地震、津波」、「疫病」などに左右されてきた・・・今現在もコレラは変わるコトはない・・・
 そして、「食糧危機」は各々の人間共同体(協同体)同士の「掠奪戦争」である・・・だが、「戦争目的」は「飢餓、飢饉による食糧確保」から逸脱し、今日的な「世界紛争」へと引きずってきている・・・「飽食」などとはダレのコトバなんだか、「ダーウインがキタ」の野生動物以下になり下がって殺傷をしている・・・釈迦は呑気だった・・・モーゼ、キリスト、マホメットは「人間の餓え」からの解放、その生きている「現場の人間」の危機的状況の打開を目指したが、「人間相互の責任」を「神」に押し付けてしまった・・・「断食 (fasting)=ラマダーン」はスリムになるコトが目的ではないコトを知るべきだな・・・喰える時には喰うべきであるが、「餓え」を忘れては、ダレかが「餓えているコト」を忘れては救いようがない・・・
  ↓↑
 トウキビの日本語方言
 まんまん=広島県、島根県南部
 まるきび=岐阜県の一部
 うらんだふいん=沖縄県竹富島(オランダ大麦)
         怨んだ附韻、訃音?
  ↓↑
 トウキビの外国語
 英語=corn(コーン)
    Indian corn(インディァン・コーン)
    maize(メイズ)
 ドイツ語=Mais(マイス)
 オランダ語=mais(マイス)
 フランス語=maïs(マイス)
 イタリア語=granoturco(グラノトゥルコ)
       granturco(グラントゥルコ)
 スペイン語=maíz(マイス・マイース)
 ポルトガル語=milho(ミリオ)
 ラテン語=Zea mays (ゼア・マイス)
 ギリシャ語=καλαμπόκι(カラボキ)
 ロシア語=кукуруза(ククルーザ)
 アラビア語=ドラ・・・銅鑼・dram・虎・彪・寅
  ↓↑
ーーーーー

     Taj Mahal=タージ・マハール=白亜の宮殿(廟堂)
          王妃ムムターズ・マハル
            Mumtāz    Mahal・・・まはル
            Momtāz-i   Maḥal・・・まわル?
          の
          「ムム」が消え、→「mum=mom」?
                   「無務毋武夢鵡」
                   「ム=私・ヨコシマ」
          ターズがインド風発音のタージに訛った?
          直訳は「王冠の宮殿」・・・空洞の宮殿?
          空白の墓・・・廟堂
          grave(グレイヴ)
          tomb(テウーム)
          sepulcher(セパルカ)の墓の建築物だろう.
 の
 「歴=こよみ=暦」・・・歴史・暦史=calendar(カレンダー)
 の                 日読み?月読み?
 「山=やま・サン・ザン」
 で、
 「山」は
 「щ(シチャー)・・・キリル(Cyrillic alphabet)文字
         ・・・「櫛+ヽ」?
  ш(シャー)・・・・キリル文字・・・櫛?
  Ε(イ)の横倒し
  ∃(よ・ケイ)の横倒し・・・ヨ=彐(ケイ)=豚の頭
  △△(三角・参画)・∧∧・M・W」
 に類似、類字するから・・・
 「ギョシャ=馭車=禦者=Auriga(アウリーガ)」スル如く、
 「トレミーの48星座」の
 「Ἡνίοχος(ヘーニオコス)=御者(ギョシャ)」座を含めて
 「プトレマイオス」も、
 「アラートス( Aratos)」も
 星座として天体に配置した・・・
 「馬車と馬と馭者、車道」・・・ナゼ、「馬(うま・バ)」が「午(うま・ゴ)」の漢字として、「12支の正午、南方位の午の位置(位地)」を獲得したのか?・・・
 「うま・ウマ・宇摩→horse→Ἵππος(híppos・ヒッポス)」・・・
 「ヒポクラテス(ヒッポクラテース・Ἱπποκράτης=Hippocrates・紀元前460年頃~紀元前370年頃)」の医者・・・
 ヒポポタマス(Hippopotamus)は
 「河馬=魁罡」・・・魁罡=北斗七星
 星座としての
 「こうま座(小馬座・駒座・Equuleus)は、
  トレミーの48星座の1つ
  全天88の星座の中で南十字星(座)の
  次に小さく、また
  全ての星が4等級以下の星座」で、
 「アラトス=アラートス(Ἄρᾱτος・Aratos・Aratus)・紀元前3世紀のギリシアの詩人、マケドニアの人」
 の
 「星座(現象=ファイノメナ)=星の配置」
 にはないらしい・・・
 「こうま(子馬・pony=ポニー)座=Equuleus(エクレウス)」・・・
 「プトレマイオス(Claudius Ptolemaeus・83年頃~168年頃)」
 は
 「(Πππου -ροτομή=híppuː protomɛ̌(ヒップー、プロトメー)=ウマの首」、
 「子ウマ=άριον=hippárion(ヒッパリオン)」
 としたらしい・・・が、
 「hippo」は「河馬(hippopotamus)」の短縮形で、「hippopotamos」=「hippos(馬)+potamos(河)」、古代エジプトでは
 「河馬」=「デブ(db)」で
 「神々の母、原初の水の中にいるもの」・・・子宮の羊膜中の水は「羊水」というが、「河馬水」ではない・・・「羊水(amniotic fluid=amniotic liquid=羊膜内の流動性液体)」は、「羊膜上皮から分泌し、羊膜腔を満たす液体で、爬虫類、鳥類、 哺乳類といった有羊膜類の胚、胎児は、羊水に浮かんで発育する」らしいが、ナゼ、「羊水」と云う漢字に一般化されたんだろうかは・・・羊、山羊の放牧民の日常生活からだろう・・・
 デンデラ(Dendera←Tentyra=テンティラ)の守護女神で、妊婦、安産、養育の「牝河馬の神」・・・北天の星座がカバに結び付けられ、王家の谷ある「セティ1世の墓の天井に天の女神」として描かれている・・・
 「トゥエリス=タウレト(牝河馬神)=デブ(db)」→「ハトホル(牝牛神)」に習合されていった・・・

 デンデラ神殿には黄道帯(十二宮)の彫刻がある・・・
 「ヒッポカムポス(古希=ἱππόκαμπος・hippokampos
          ラテン語=hippocampus)」
 は、
 「ギリシア神話の半馬半魚の海馬」、
 「ヒッポカンポス=英語で
          hippocamp(ヒッポキャンプ)
          hippocampus(ヒッポキャンパス)
          sea-horse」・・・
 「アラートスの(神話的主題の詩、『現象(Phaenomena)』=紀元前275年頃の本」にはこの星座の記述はない、らしい・・・
 「子馬座」は
 「プトレマイオス」以後の座図らしい?・・・
 「ペガスス座(Pegasus)=Ἵππος
            =(híppos=ヒッポス=馬・ウマ」
 の座・・・ペガスス=「Πήγασος (ペーガソス)」・・・
 「射手座(Sagittarius・サギッターリウス)」=「半人半馬のケンタウロス一族のケイロン」・・・
 「ケイロン(Cheirōn・Chiron)」は
 「医者、医術の「アスクレピオス」の先生・・・
  ↓↑
 「ケンタウルス座=Centaurus(ケンタウルス)
         =kéntauros」・・・
         「ポロスの星座」であり「射手座」とは異なる
          これらの二つの星座は混同された・・・
  ↓↑
 射手座
 二十八宿の第8宿「斗宿」
 「北斗」に対して
 「南斗」=「南斗六星」
 英語で
 「Milk Dipper(ミルクディッパー)」
 アラビアでは
 「al-Naʽām al-Ṣādirah=天の川の水を飲んで
            帰っていく
            ダチョウ(駝鳥)の群」
 六星のうち、
 「枡」にあたる4星は
 「ミボシ=箕星」
  ↓↑
 「アラートス」の著書、
 「現象」
 の中の記述は
 「エウドクソス」
 の「星座と気象」に関する著書を、
 「韻文の詩」に書き改めたもの・・・
 「現象」は、現代の星座名と同じく、記述としては最も古い。
 「アラートス」は天文学には詳しくなかったので、記述には誤認も含む・・・らしい・・・
 で、
 「星座に関するギリシア神話」は、ほとんどが
 「アラートスの記述(紀元前275年頃)」を基盤しているらしく
  ↓↑
 五角形の「ぎょしゃ(馭者・禦者)座(Auriga=アウリーガ=Ἡνίοχος=ヘーニオコス=御者座・カペラ」は既に記述したが、馬車の発明は「アテナイ王エリクトニオス」・・・御者(馭者)は馬と車を制御する「馬追い、馬車追い」である・・・馭車・御車の誤運転のハナシは「太陽神アポローンの子パエトーン」でアポローンのチャリオット(馬車)を借りて、その馬車を制御できずに世界を火焔地獄にしてしまったコトである・・・最近は老人の誤運転事故が多い・・・酒の飲み運転事故は公務員も・・・運転中の携帯電話、ポケモン狩りの事故も・・・
 技術、技能、知識の「自己過信」も「無自覚、無知、無恥」も「誤まりを招く」が「相手の存在、認識対象の存在」の中にあってのコトである・・・しかも、ホンの僅かな「nearly equal」の差の結果である・・・
ーーーーー

 ・・・「アレキサンダー大王(3世)」のハナシだが、「亞(亜)歴山」の漢字での「歴史=暦史」→「古与見(こよみ)」の西暦は「ユリウス暦(曆)」と「グレゴリオ暦(曆)」がある・・・「曆」・・・「清代に乾隆帝の諱(弘暦)であるので、使用が避けられ代わりに厤、歴が用いられた」らしい・・・「厤(厂+禾+禾)象なり」=「等間隔に並べる」・・・「金文では蔑暦=軍功の評」?・・・「蔑(さげすむ・ないがしろにする・ベツ・メチ)」で熟語は「蔑称・侮蔑・軽蔑・蔑視」だが、「軍功のヨしワルしの評価」ならば、「軍拙を並べて侮蔑する」か?・・・「暦=厤+曰=𤯍(𤯌)」の「隷釈」って?、「碑文資料・石刻資料=隷書体の文字」と云うコトか・・・なんで、「奴隷」と「隷書」の「隷」が同じなんだか・・・「曆=𢍷(止+止+厂+禾+禾+日+廾)」・・・この漢字構成のイメージは階段状の田畑に植えられた禾と禾の間に昇る太陽、あるいは月に手併せ、拱く急勾配の山間地の階段状水田の「棚田」だろう・・・広重の浮世絵、「信州更級-田毎の月(嘉永六年)」・・・

 愛馬ブケパロスとアレクサンドロス3世
 イッソスの戦いを描いたモザイク壁画で
 「ポンペイ(Pompeii・Pompei)遺跡
 (イタリア・ナポリ近郊の古代都市
  79年8月24日・・・己卯・壬申・癸亥(グレゴリオ暦24日)
                辛酉(ユリウス暦24日)
  ヴェスヴィオ火山噴火の火砕流で地中に埋没)」
 より出土
 「ブケパロス」は大王の
 「黒い馬」で、
  額に星模様、or 牛の角の形があった
 「ブーケパロス(雄牛の頭)」
  βούς(ブース=牡牛)
  βού(プー=牝牛]
  κεφαλή(ケパレー=頭)
  ポンペイ遺跡の出土壁画の馬には
  角が描かれているが、馬の色は「茶色」である・・・
ーーーーー
 西暦
 1年    1月    1日
 庚申(猿)/戊子(鼠)/己卯(兔)
  ↓↑
 1年(庚申)2月(戊丑)1日(庚戌)
  ↓↑ 
 節分日以降は辛酉年-庚寅月
  ↓↑
 1年 2月  10日
 辛酉(鳥)/庚寅(虎)/~己未(羊)
  ↓↑
 アレクサンドロス3世=亜歴山-三世
           亜の歴(史)の山(算・纂)の三世紀
           アマネシのコヨミのヤマのサンヨ
           アレク-サンド-ロス-3世
           阿連句-作務努-賂素-纂所為?
 (ギリシア語=Ἀλέξανδρος Γ')
 紀元前(ユリウス暦)
 356年 乙丑・・・・
     沖刑
  7月 癸未
     害
  20日 戊子・・・・癸巳(グレゴリオ歴換算)
 ~
 紀元前323年6月10日
 在位
 紀元前336年~紀元前323
  ↓↑
 ピリッポス2世
 と
 エペイロス王女
 オリュンピアスの間に生まれた
 ピリッポス2世はヘーラクレースを祖
 オリュンピアスはアキレウスを祖
 13歳
 都ペラから離れた
 「ミエザの学園」で
 アリストテレスの講義を受けた
  ↓↑
 紀元前338年
 アレクサンドロスは一軍の将として父に従って
 ギリシアの南部に出兵
 カイロネイアの戦いで
 アテナイ・テーバイ連合軍を破る
 アレクサンドロスは精鋭の騎兵を率いて
 アテナイ・テーバイ軍を壊乱させ、
 マケドニアの勝利に大きく貢献
 父ピリッポス2世は
 ギリシア諸ポリスに
 コリントス同盟(ヘラス同盟)を締結
 全ギリシアの覇権を握る
 紀元前336年に護衛の
 パウサニアスに暗殺された。
  ↓↑
 20歳
 マケドニア王を継承
 敵対者を排除してマケドニアを掌握
 トラキア人と戦うために
 イストロス川方面に遠征
 反旗を翻したテーバイを破壊し、
 父王暗殺後に混乱に陥っていた
 全ギリシアに再び覇を唱えた。
 ギリシアの諸ポリスを制圧し
 マケドニア本国の押さえを
 重臣
 アンティパトロスに任せた
  ↓↑
 「アレクサンドロス」=「イスカンダル」
  ↓↑
 紀元前333年
 アレクサンドロスは
 アンティオキアの北西
 イッソスで
 ダレイオス3世のペルシア軍10万と遭遇し
 イッソスの戦いでは
 騎兵と近衛兵、徴募兵を指揮し
 ペルシア軍を敗走させ、
 ダレイオスの母・妻・娘を捕虜にした
 和睦の申し出を拒否し進軍
  ↓↑
 「アレクサンドロス東征記(Anabasis Alexandri)」
 (Alexándrou anábasis)=内陸への遠征
 2世紀にアッリアノスにより書かれた
 プトレマイオス1世の書いた
 「アレクサンドロス大王伝」などの資料で記録
  ↓↑
 エジプトの征服
 シリアでは反ペルシアの都市が多く歓迎されたが、
 フェニキアのティール(Tyre・ティルス)を屈服させ
 南下してエジプトに侵入
  ↓↑
 紀元前343年
 エジプトは
 アルタクセルクセス3世
 によって征服されていたが
 ペルシアの統治が弱く、
 アレキサンドロスが占領
 紀元前332年
 エジプト人に解放者として迎え入れられ
 ファラオとして認められ、
 「メリアムン・セテプエンラー」
 の
 ファラオ名を得て、
 アメン神殿にその像を祭られた
 西部砂漠の
 シワ・オアシスにあるアメンの聖地で
 自らをアメンの子とする神託を得た
 後
 ナイルデルタの西端に都市を建設
 アレキサンドリアとした
  ↓↑
 ペルシア王国への遠征再開
  ↓↑
 「ガウガメラの戦い」
 「ペルシス門の戦い」
 紀元前331年
 アレクサンドロス軍47,000は、
 チグリス川上流の
 ガウガメラで
 20万~30万ともいわれた
 ダレイオス3世指揮下のペルシア軍を破った
 ダレイオスが
 カスピ海東岸に逃れると、
 ペルシャ王国の中枢に乱入し
 バビロンやスーサの主要都市を略奪、
 ペルセポリス
 では一般民衆に対しても
 凄惨な虐殺と強姦、徹底的に破壊、焼き払った
 この破壊は、
 ペルシア戦争時に
 ペルシアが
 アテナイのアクロポリスを焼き払った復讐
 ペルシアの中枢を占領した後も、
 ダレイオスを追った
  ↓↑
 翌年、紀元前330年
 ダレイオス3世が
 ベッソスによって暗殺
 ベッソスは
 ペルシア国王アルタクセルクセスを自称し
 抗戦
 ベッソスの不義不忠を糾弾し攻め
 ベッソスは、
 スピタメネスと
 オクシュアルテスに捕えられ
 エクバタナで公開処刑
  ↓↑
 ソグディアナ方面の占領
 中央アジア方面へ侵攻
 再び反乱を起こした
 スピタメネスを中心とする
 ソグド人による激しい抵抗に直面
 紀元前329年~紀元前327年
 ソグディアナとバクトリアで
 ゲリラ戦(Siege of the Sogdian Rock)を強いられた
 遊牧民である
 スキタイ人も攻撃を仕掛けてきたが、
 大王の部下
 クラテロスは勝利した
  ↓↑
 紀元前328年
 大王は
 帰順したこの地方の有力者、
 オクシュアルテスの娘
 ロクサネを妃とした
  ↓↑
 インド遠征
 インドへの遠征を開始
 紀元前327年~紀元前326年
 スワート渓谷
 コフェン戦争
 アオルノス包囲戦
 紀元前327年~紀元前326年
 紀元前326年
 インダス川を越えて
 パンジャブ地方に侵入
 5月にヒュダスペス河畔の戦いで
 パウラヴァ族の王
 ポロスを破った
 後も周辺の諸部族を平定、進軍
 カタイオイ人も制圧
 部下が進軍を拒否し
 兵を返すことにした。
  ↓↑
 11月から
 Hydraotes川(ラーヴィー川)を南下
 全軍を3つに分割し
 クラテロスと共に残存する
 敵対勢力(en:Jat people系族のen:Malhi)を
 駆逐(en:Mallian Campaign)し、
 インダス川を南下し
 Patala(タッター)に出た。
 ゲドロシア砂漠(パキスタンバローチスターン州)
 を通って
 カルマニア(イランケルマーン州)に向かい、
 紀元前324年
 スーサに帰還
 この際、部下の
 ネアルコスに命じて
 インダスからペルシア湾を通って
 ユーフラテス川の河口までの航海を命じた
 この探検航海によりこの地方の地理が明らかになり
 ネアルコスの残した資料は
 後世散逸したものの
 ストラボンなどに引用された
 紀元前324年
 スーサの合同結婚式が行なわれた
  ↓↑
 バビロン帰還と大王急逝
 バビロンで帝国を
 ペルシア、
 マケドニア、
 ギリシア(コリントス同盟)
 の3地域に再編
 同君連合の形
 ペルシア人を積極的に登用
 ペルシア人とマケドニア人の融和を進めた
 ペルシア帝国の後継者を宣し、
 ペルシア王の王衣を身にまとい
 ペルシア風の平伏礼などの儀礼や統治を
 導入し
 専制君主化とマケドニア人の反発を招いた
  ↓↑
 バビロンに戻り
 アラビア遠征を計画
 が、
 蜂に刺され、祝宴中に倒れた
 10日間高熱に浮かされ
 「最強の者が帝国を継承せよ」
 と遺言し、
 紀元前323年6月10日
 34歳の若さで死去
 死因は毒殺説、熱病(マラリア=malaria)説
 癲癇発作
 アレクサンドロス3世は
 虹彩異色症・・・左右の眼の虹彩の色が異なる
         or、一方の瞳の虹彩の一部が変色
         オッドアイ(odd eye)
 だった?・・・モモちゃんは左目が無い隻眼だった・・・
  ↓↑
 大帝国の遺将たちが
 バビロン会議、
 トリパラディソスの軍会
 協定によって安定化を目指したが
 「最強の者が帝国を継承」で
 アンティゴノス、
 セレウコス、
 プトレマイオス
 他の諸将による
 ディアドコイ戦争で
 分裂
 紀元前3世紀
 アンティゴノス朝マケドニア、
 セレウコス朝シリア、
 プトレマイオス朝エジプト
 の
 ヘレニズム三王国が出現
 三国鼎立で落ち着いた
  ↓↑
 紀元前168年
 アンティゴノス朝が滅び
 西方は順次ローマに併合
 ヘレニズム諸三国は
 ローマに滅ぼされた
 東方はパルティアが勃興
 セレウコス朝の領土の大部分を奪い、
 東方領はマケドニア人の手を離れた
 以後東地中海から中央アジアに至る地域は
 イスラーム帝国の出現まで
 大統一を見なかった
 アレクサンドロスの遺体は
 ペルディッカス
 が
 バビロンから
 王都ペラへ移送途中に
 プトレマイオスに強奪され、
 ミイラとしてエジプトに埋葬された・・・
  ↓↑
 アレクサンドロス大王の一族は
 ディアドコイ戦争中に殺害され、
 大王の血統は断絶
  ↓↑
 サンドロコットス
 プルタルコスなどによれば、
 アレクサンドロスがインドに侵入した時、
 マケドニアの陣営に1人の若者が訪れて
 インド東部への道案内を申し出、
 若者の名は
 サンドロコットスといい、
 彼がのちの
 チャンドラグプタであるとした・・・
ーーーーー
 ・・・
 白鳥(はくちょう→swan)座(Cygnus=キュグヌス)=「Ὄρνις =オルニース=鳥=Κύκνος(kýknos=キュクノス=白鳥」・・・「鷲」、「鶏」・・・「白鳥」になったのは「ヤマトタケル(倭 健=大和健)」だったが・・・
ーーーーー
 ・・・権力を握るモノは暗殺される・・・


世界の人間社会が「Tom and Jerry」でありますように・・・

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 ・・・今朝、2016年11月22日5時59分M7.4の福島県地方で地震・・・港湾内で4隻が転覆・・・津波1.4m・・・河川が逆流・・・原発の燃料プールの冷却水が止まった・・・8月24日ミャンマー(午後5時4分)とイタリア(10時30分)の地震、10月30日午前7時40分にイタリア中部震源、11月13日20時02分にニュージーランドでM7.8の大地震・・・
ーーーーー
 2016年11月22日11時火曜日
 2016 年 丙申(己・壬・庚)年
       害
 11  月 己亥(戊・甲・壬)月
       害
 22  日 戊申(己・壬・庚)日
       沖刑
 05 時 甲寅(己・丙・甲)時
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 自然災害は如何(どう)しょうもない・・・天に祈る前に逃げろッ!・・・各国家間のエゴな国際情勢も期待できるモノはナニもない・・・ナニも現在的な問題ではないけれど・・・古代からズ~ッと・・・根元的な問題は支配階級の「親族間の利害関係」と、それに乗っかっての「国民」が「国家間戦争」で「人間ドウシが殺戮」に・・・戦勝すれば、「掠奪」と支配領域の人間に対する「生殺与奪」は勝手次第・・・原水爆で破壊してしまえば、掠奪できるモノも、人間の存在も無い・・・
 「アレックス (Alex)」・・・「アレックスwhy?」・・・むかし、ニャンコのアニメで「アレックス君」を観たことがあるけれど、「ネズミのアレックス」もいるらしい・・・
 「トムとジェリー(Tom and Jerry)=ジャスパー (Jasper)&ジンクス (Jinx)」は平和で「仲良く喧嘩する」・・・初登場は「上には上がある(Puss Gets the Boot) 1940年」らしいが・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A0%E3%81%A8%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%BC
 世界の人間社会が「Tom and Jerry」でありますように・・・
ーーーーー
 古代ギリシャ歴史を理解するにはヤヤコシク、混乱する・・・「アレキサンダー3世」の同名の人物が存在するし、なんせ、紀元前300年代の重なった記録(伝記・物語)の読み解きだから、ボクの妄想も脳ミソで肥大化・・・重複的な書き込みと、引用添付・・・
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 紀元前357年2月01日・癸亥年2(己丑)月01(癸巳)日
                   31+1 ↑↑
 紀元前357年1月01日・癸亥年1(壬子)月01(壬戌)日
  ↑↑
 紀元前357年2月10日・甲子年2(丙寅)月10(壬寅)日
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 ユリウス暦
 紀元前356年7月20日・乙丑年7(癸未)月20(戊子)日
  アレクサンダー3世(Alexander III)
 紀元前323年6月10日・戊戊年6(丙午)月10(辛丑)日
  ↑↑
 紀元前336年10月・・・乙酉年丙戌月?日
 ピリッポス2世
 古都アイガイの劇場で
 パウサニアスに暗殺
 ↑↑
 アレクサンダー3世の
 在位期間
 紀元前336(乙酉)年~紀元前
            323
            戊戊年
            06
            丙午月
            10
            辛丑日
ーーーーー
 「馬」にコダワル・・・
   ↑↑
 古代マケドニア王アレクサンドロス3世
 の愛馬
 ブケパロス=ブーケパロス
 (古希: Βουκέφαλος)
 紀元前355年?~紀元前326年6月)は、
 アレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)
 が愛馬とした1頭の軍馬
 その名は
 ラテン語形では
 「Bucephalas(ブーケパラース/現羅:ブケファラス)」
 もしくは
 「Bucephalus(ブーケパルス/現羅:ブケファルス)
 と表記
 日本語ではブケファロスとの表記
 大きな
 黒い馬
 額の星(ウマの額にある毛模様)が
 牛の角の形であったことから
 「ブーケパロス(雄牛の頭)
 (βούς=ブース」
 「βούになると(牝牛)」
 「κεφαλή(ケパレー=頭)」
 ポンペイ遺跡から出土した壁画に
 角が描かれている
 偽カリステネスの
 「マケドニア人、アレクサンドロスの生涯」
 系統伝説には、
 「人食い馬」であったと記録
 プルタルコスの
 「プルターク英雄伝」では
 「ブケパロス」は
 ペラスギティス産(テッサリアの馬)
 アレクサンドロスの父
 ピリッポス2世への貢物
 暴れ馬で誰も乗りこなす難しかった・・・
 アレクサンドロス王子は
 ブケパロスが
 彼自身の影に怯えていることに気付き、
 父と賭けをし、
 馬の視線を
 太陽の方向へ向かせることで落ち着かせ、
 騎乗馴致してみせた・・・
 以来、
 ブケパロスはアレクサンドロスの愛馬
 ブケパロスの血統は
 トルキスタン産の
 アハルテキン種・・・
ーーーーー
 紀元前326年
 アレクサンドロス3世軍
 と
 ポロス王の軍の
 ヒュダスペス河畔の戦いで
 ブケパロスは戦死
 戦いに勝利した
 アレクサンドロス3世は、
 愛馬を埋葬し、
 この地に築いた
 新都市(アレクサンドリア都市)を
 ブケパロスにちなんで
 「アレクサンドリア・ブケパロス
  アレクサンドリア・ブケパラ
  ブケパラ
  ブケパリア)」等と名付けた・・・
 「偽カリステネス」の
 「マケドニア人、アレクサンドロスの生涯」
 系統の伝説によれば、
 ブケパロスは人を食べ、
 乗りこなせれば
 世界を支配できると
 神託されていた・・・
 アレクサンドロスは
 ブケパロスとともに
 4頭のチャリオットで
 古代オリンピックに出場し、
 アレクサンドロスを侮辱し、挑戦してきた
 ニコラオスを轢殺し、優勝した・・・
 シリア語の系統伝説によれば、
 アレクサンドロス伝説では
 (馬)が死んだときに30歳であった・・・
  ↓↑
 「マルコ・ポーロの口述を
 ルスティケロ・ダ・ピサが著した
 「東方見聞録」を
 ヘンリー・ユールが
 1871年に英語訳した
 「The Travels of Marco Polo・1巻29章」に、
 バラシャン国
 (アフガニスタンのバダフシャーン州)
 アレクサンドロス大王
 および、
 ダレイオス3世の娘)
 の子孫と記述・・・
 ブケパロスやその伝説そのものの記述はないが、
 「馬は足が速く、蹄鉄なしに山を走る。
  そこにかつて
  ブケパロスの子孫である
  一本角をもつ馬種を
  国王の伯父が飼育していたが、
  国王に譲らなかったがために殺され、
  伯父の妻はそれを恨んで
  係る馬種を皆殺しにした」
 という記述・・・があるらしい・・・
 ↓↑
 フィロタス(ピロタス・Φιλώτας・Philotas
 ?~紀元前330年10月)は
 アレクサンドロス3世に仕えた
 マケドニアの将軍の一人で、
 重臣
 パルメニオンの息子で
 アレクサンドロス3世の
 マケドニア軍で最も重要な
 8つの騎馬隊(それぞれ225人の騎手編成)の
 騎馬軍団最高司令官
 グラニコス川の戦い(紀元前334年)後
 ミレトスでの攻防戦では、
 フィロタスは
 ミレトス港を包囲する
 ペルシア艦隊の着岸を妨げ、
 敵の侵攻を防いだ
 ↓↑
 東方遠征に従軍中、
 フィロタス
 は若手将校らが企てた
 アレクサンドロス3世暗殺未遂事件の首謀者
 として疑われたが
 アレクサンドロスは
 フィロタスを許すが、
 その後
 フィロタスの義兄弟から新たな証言があり、
 再逮捕後の軍法会議で有罪、処刑
 暗殺未遂事件の首謀者というのは濡れ衣・・・
 後に父の
 パルメニオンも
 大王に暗殺された・・・
ーーーーー
 同名異人の「アレクサンダー」がワンサカ・・・ニャンコのアレックスも仲間入り・・・
  ↓↑
 スコットランド王アレグザンダー3世
 アレグザンダー3世(Alexander III)
 1241年9月4日~1286年3月19日
 スコットランド王(在位は1249年~1286年)
 アレグザンダー3世は、
 アレグザンダー2世と
 2度目の王妃
 マリー・ド・クシーの一人息子として
 ロクスバラ(スコティッシュ・ボーダーズの一角)
 で生まれた
 1249年に父が没したため、
 7月13日
 スクーンで戴冠し、
 7歳で王位を継承
 1251年12月26日
 アレグザンダーは
 イングランド王
 ヘンリー3世の娘
 マーガレットと結婚
ーーーーー
  ↓↑
 ロシア皇帝アレクサンドル3世
 アレクサンドル3世
 (Александр III
  Aleksandr III
  アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ
  Aleksandr Aleksandrovich Romanov)
 1845年3月10日~1894年11月1日
 ロマノフ朝
 第13代
 ロシア皇帝(在位は1881年3月14日~1894年11月1日)
 アレクサンドル2世
 と皇后
 マリア・アレクサンドロヴナの
 第2皇子
 兄ニコライが
 22歳で早世したため、皇太子となった
 妻は兄の婚約者であった
 デンマーク王
 クリスチャン9世の
 第2王女
 マリー・ソフィー・フレデリケ・ダウマー
 (マリア・フョードロヴナ)
 ニコライ2世、4男2女を産む
 帝政時代のロシア帝国銀行の
 25ルーブル紙幣に肖像
 1881年3月1日
 アレクサンドル2世
 がテロ組織
 「人民の意志」の爆弾テロで暗殺
 アレクサンドルは
 3月13日に皇帝に即位
 「人民の意志」は
 アレクサンドル3世の暗殺計画したが
 暗殺計画は露見
 1887年5月20日
 オフラーナは
 「アレクサンドル・ウリヤノフ」
 ら容疑者5人を逮捕、絞首刑
 この時処刑された
 「アレクサンドル・ウリヤノフ」は、
 十月革命指導者
 「ウラジーミル・レーニン」の兄・・・
ーーーーー
 1/1/1
 庚申/戊子/己卯
  ↓↑
 1年(庚申)2月(戊丑)1日(庚戌)
  ↓↑ 
 節分日以降は辛酉年-庚寅月
  ↓↑
 1年 2月  10日
 辛酉/庚寅/~己未
ーーーーー
  ↓↑
 アレクサンドロス3世=亜歴山3世
 (ギリシア語=Ἀλέξανδρος Γ')
 (al-Iskandar =ペルシャ・アラビア語)
 (ズルカルナイン=Dhū al-Qarnayn
  二つの角をもった王=双角王
  クルアーン=コーランにも
  神から強大な力を与えられた世界征服の王)
 ↓↑
 アレクサンドロスに由来する中東の都市名、
 アレクサンドリア
 アル・イスカンダリーヤ
 アレクサンドレッタ
 イスカンダルーン(トルコ語イスケンデルン)
 ↓↑ 
 イスラム教の東進に伴い、東南アジアでも一般的な
 男性名で、歴史上でも
 マラッカ国王イスカンダル・シャー
 (在位1414年~1424年)
 アチェ国王イスカンダル・ムダ
 (在位1607年~1636年)
 シンガポール近くの
 ジョホールバル南部開発地区の名前の
 イスカンダル・マレーシア
 は開発開始当時のジョホールのスルタン
 イスカンダル・イブニ・スルタン・イスマイル
 の名前に因む
 インドには
 スカンダという神は
 イスカンダルに由来
 スカンダは仏教に入って「韋駄天」?は
 馬のブケファラス
  ↓↑
 プトレマイオス星座(Ptolemaic constellations)
 2世紀の天文学者
 クラウディオス・プトレマイオス
 が作成した星表に見られる星座
 トレミー星座と表現されてきた
 トレミーはプトレマイオスの
 英語形「Ptolemy」に由来
 星座の数より
 「プトレマイオスの48星座(トレミーの48星座)」
 ともいう
  ↓↑
 「アルマゲスト(Almagest)」
 ローマ帝国時代
 エジプト・アレクサンドリアの天文学者
 クラウディオス・プトレマイオス
 によって書かれた、
 天文学(幾何学)の専門書
 原典は失われ
 ギリシア語写本の題名として
 「Μαθηματικὴ Σύνταξις
 (Mathēmatikḕ Sýntaxis
  マテーマティケー・スュンタクスィス
 「数学的な論文」)
 「hē Megálē Sýntaxis tês Astronomíās
  ヘー・メガレー・スュンタクスィス・テース・
  アストロノミアース
  天文学の大論文)」
 などの
 題名(タイトル・title)がある・・・
 これが後に
 アラビア語に翻訳され
 kitāb al-majisṭī
 と呼ばれた。
 アラビア語に「mijisti、majisti」
 といった語彙は存在せず、
 ギリシア語の
 "μεγίστη"(megístē、メギステー(大きい)の
 形容詞 μέγας(mégas、メガス)の最上級)
 の音訳したもの・・・
 さらにラテン語に翻訳されて
 「Almagestum(アルマゲストゥム)」
 「Almagesti(アルマゲスティー)」
 と音訳され
 英語の
 「Almagest」は
 現代語形の英語。ドイツ語
 の名前になった・・・
 「アルマゲスト」
  ↓↑
 「アルマゲスト」はプトレマイオスによって
 数理天文学の教科書として執筆
 円の組み合わせに基づく
 惑星の幾何学モデルを説明
 天体の運動を予測するために使用
 後に
 「Planetary Hypotheses(『惑星学仮説』)」
 の中で、プトレマイオスは
 彼の幾何学モデルを
 3次元の球や球面の
 一部に変換する方法について記述
 数学的性格の強い
 『アルマゲスト』に対して、
 「Planetary Hypotheses」
 宇宙論の本として扱われている・・・
  ↓↑
 アレクサンドリア(Alexandria)の
 テオン
 (Theon)
  335年頃~405年頃
 アエギュプトゥスの天文学者・数学者・哲学者で、
 アレクサンドリア図書館の最後の所長
 アレクサンドリア図書館は
 391年
 アレキサンドリアの
 キリスト教司教
 テオフィロスの求めに応じて、
 ローマ帝国の皇帝、
 テオドシウス1世が
 非キリスト教の宗教施設・神殿を
 破壊する許可を与え、
 キリスト教の暴徒によって破壊された
 415年
 テオンの娘で、
 数学者であった
 ヒュパティア
 も虐殺
 テオンは
 364年にユークリッドの『原論』を編纂
 ヘレニズムの学者の著作に注釈を加え、
 ユークリッドの著作や
 プトレマイオスの
 アルマゲストの「簡易表」や
 「アラトス」の詩に関するモノがあった
  ↓↑
 星座図=「アラテア」
 『簡易表』の解説のなかで、
 テオンは歳差運動によって至点が
 黄道上を往復する理論を初めて示した
  ↓↑
ーーーーー
 暦=歴
  ↓↑
 紀元前(ユリウス暦=カエサルの時代に
     エジプトから導入し
     太陽暦を修正したもので、
     BC46年に制定)
ーーーーー
 アシタにしよう・・・おやすみ、モモちゃん・・・

「雪の下=コジソウ(虎耳草)」・・・ダョ・・・モモちゃん・・・

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 ・・・23時4分、福島県、東北地方で地震、震度5.7・・・「天国の崩壊、崩落」、「地上の崩落、崩壊、陥没」、「海底の隆起陥没、海上の隆起陥没、渤海、津波の水走り、河川の逆流の水走り」・・・「憲法の枠内」でのデモも、警護、警備もその法的秩序が護られているなら、まだ「平和」であるカモ・・・対外的にも、国内的にも「憲法の枠外」の「武器の使用」には・・・双方の「命の覚悟」が前提だが、「武士の覚悟の時代」ではない・・・相手次第でもあるが・・・「現実的な支配権力秩序」の崩壊の予兆でもある・・・「国家権力者」は「個々人の命」を大切にはしない・・・如何なる「諸国家」も、その「目的」は「階級秩序枠内での自由選択の生活エゴ」でしかない・・・それも、アメリカ、ロシア、大陸中国、モチロン、半島の隣国などはアテにはならない・・・
 現在的にも、未来的にも資源も科学技術も期待できる・・・今現在の人口数も「生産物」の「均等配分」さえあれば、養っていける・・・
 「日本国憲法国家」、
 外国の諸国家が
 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」
 出来ないならば、
 「ガラパゴス化(Galapagosization)」である・・・グローバルな金融、為替相場、国際商品市場、国連(未だ日本国家は聨合国家の敵対国家である)を断ち切り、「鎖国」で、「密貿易」するのが上策かも・・・だが、地球規模の温暖化対策はどうする・・・日本列島を原水爆にも破壊されない硬化ガラスの巨大ドームを被せる・・・だが、地震、噴火はどうする・・・それらの犠牲は自然災害として諦めるのが日本古来からの「国民性」である・・・?
  ↓↑
 「瓦礫の山」・・・「甍(いらか)」・・・「高くとがっている部分の意の苛処(いらか)」・・・「屋根を葺(ふ)いた棟瓦(むねがわら)」・・・「切妻屋根の三角形の部分」・・・「瓦と夢」を合体させた漢字?じゃぁないだろう・・・「甍=艹+罒+冖+互+ゝ(ヽ)」の「互」は、「相互・互角」の「互(たがい・ゴ)」である。その中に「ゝ・丶・ヽ・々(踊り字・躍り字・一の字点・繰返し記号・約物=繰り返し符号、重ね字、送り字、揺すり字、重字、重点、畳字)」で、ヨミと意味は「ゝ(ともしび=灯火・チョン・ぽち)・丶(てん・チュウ・くの字点下)・々(おなじ・ドウ・同・仝)」である・・・
 どの様に「記号・文字・ことば」を理解するかは「各(おのおの=各々)」「屡(しばしば)」勝手であると思うが、協同体で協働体の生活、相互関係には「共通意義」が前提である・・・独りで妄想世界に浸って「自己納得」していても生きてはいけない・・・喰う為には相互の「能力、体力レベル」を踏まえ、寿命が来るまで相互に生きて行かなくちゃぁ~ネッ・・・「人間」を忘れた「国家の枠内」での「国民・市民」じゃぁ、現実状況では無理かも・・・単なる「地球人」になりたいヒトはダレも居ないようだし・・・渡り鳥にも、鯨(鯢)にも「国境」なんてモノは無縁だけれど・・・人間との生活圏が重なって、行き場の無いヒグマも、蝦夷鹿も、ニャンコもワンコも生き延びるのは大変だ・・・
 「いらか=甍・瓦」は「切妻造や入母屋(いりもや)造などの屋根の妻側(棟の端)において合掌形に付けられた板、あるいは、その板を組んだ部分。搏風とも書き、甍(いらか)」・・・「roof tile(ルーフ タイル)」 ・・・
 今現在、雪の振る11月23日で、冬の魚なら「鮗(このしろ・鰊目ニシン科・鰶・鯯・鱅)=飯代魚(このしろ・児の代)」で、古名は「都奈之(つなし)」だったらしい。なぜ、「都奈之」の漢字を「大伴家持(?)」が当てたんだか、「出世魚」・・・「奈(大+示)=一+人+二+亅+八=柰(木+示)=十+八+二+亅+八=ナ・ダイ・ナイ」が「唐梨子=紅林檎」ですか・・・「奈何(いかん・どうしようか)」なぁ~・・・「奈良」、「奈井江」・・・「奈翁(ナポレオン)=奈破翁・那破崙・拿破崙・拿勃翁」・・・
 そして、漢字なら「鱈(魚+雪)=たら=鰔(魚+咸=みな・カン・ゲン・ハム=口を封じる、口を閉ざす」だろうが、斑模様の皮で「マダラ」の「マ」が脱落した?、ではないであろう、「大口を叩くな、ダマ(黙)レ」である・・・
 「鱈(たら)=魚+雪(雨ヨ)」は和製漢字で、一般的には
 「スケトウダラ(介党鱈・鯳)」=「Alaska pollock=オットセイ(膃肭臍)の餌となる真鍮色の模様の魚」=「介宗鱈・助惣鱈・佐渡・メンタイ、ミンタイ(明太)」・・・
 「雪女」は「宗祇-諸国物語」を下敷きにした「小泉八雲(ギリシャ系)=パトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn) 」の「怪談」のモノガタリだが・・・「宗祇(応永二十八年・1421年~ 文亀二年七月三十日・1502年9月1日)・室町時代の連歌師・号は自然斎、種玉庵・姓は飯尾(いのお・いいお)・生国は、紀伊、or 近江」が越後で視たらしいハナシだが、八雲自身が「東京・大久保家の奉公「お花と宗八」から聞いた話らしいとも・・・宗祇、宗八で、「介宗鱈」・・・
 モモちゃん、雪の下だね・・・ボクはほとんど「ユキオトコ」・・・「雪の下=コジソウ(虎耳草)」・・・



 「Alaska」=アレウト(Eskimo-Aleut・イヌイット=Inuit)語の「アラクシャク=広大な土地・認められた土地・半島=Alyeska」・・・Alex?・・・Inuit(犬意訳?)・・・アイヌ・・・?
 「鱈(たら)=魚+雪」が冬の吹雪で、「冬の地震の地走り」には如何(どう)しょうもない・・・
 「忍者武芸帖(白土三平)」では「地震感知、予兆に鼠の大群が走るのが地走り」であったカナ・・・ブログで調べていたら「鳶職(とびしょく)の鉄骨建方」では「地走り=下まわり(地上で上階に建築物を上げる為の安全確保の段取り)」とあった・・・ナルホド「鳶職」である・・・鳶(とび)が天空で円を描いて地上の獲物を狙って飛ぶのは、「地上の生き物の危険」である・・・
 「瓦礫の山」、「甍(いらか)」がまた、トンでしまったが、
 五月は
 「コイのぼり・鯉幟(魚+里+巾+音+戈)」の歌、
 「甍(いらか)の波と 雲の波 重なる波の 中空(なかぞら)を 橘(たちばな)かおる 朝風に 高く泳ぐや 鯉のぼり(文部省唱歌(作詞不詳)、作曲は弘田龍太郎」・・・「はた=幟・幡・旗・幢」である・・・
 北海道の屋根は一般的には
 「ブリキ(tin plate)=錻力・鉄葉=錫メッキの薄い鉄板」
 で
 「オランダ語のBlik=Blikje」、
 「ドイツ語のBlech(薄鉄板)」、
 「波板のトタンの屋根(tin、iron roof)」・・・
 「語源はポルトガル語の
  Tutanaga(亜鉛)=亜鉛鉄板・亜鉛鍍鉄板」
 ・・・鎖国以前の外来語かも?・・・
 「現在的なポルトガル語の
  亜鉛はイタリア語と同じZinco(英語はzinc)
  tutenagaはポルトガル語にとっても外来語で、
  一説では
  ペルシャ語=tutanak=錫、鉛や銅の合金」・・・?
 「途端(ちょうどその時・はずみ・ひょうし・瞬時に)」
 「塗炭」
 じゃないけれど、
 「塗炭の苦しみを舐(なめ)る」って、
 「泥水、炭火」の中の苦痛・・・
 「臥薪嘗胆」の「嘗める」・・・?
 「ペルシャ語=tutanak」って「鍍金(トキン・めっき)→滅金」?・・・「女通金」=「女真・女直」の「金王朝=満州国」だろう・・・?・・・
ーーーーー
 で、「アレキサンダー3世(マケドニア)」と「ダリウス3世(ペルシャ)」の「ヘレニズム文化」の東方への伝播であるが・・・
 「始皇帝
 (紀元前259年10月~前210(辛卯)年9(丁酉)月10(丙寅)日
                  7(乙未)月22(丙子)日
  戦国時代の
  秦王→始皇帝
 (在位は紀元前246年~紀元前221年)
  姓は嬴(エイ)、氏は趙(チョウ)、諱は政(セイ)」
 以前の「103年前」で、
 アレクサンダー3世(Alexander lll)
 紀元前356年7月20日・乙丑年7(癸未)月20(戊子)日
 紀元前323年6月10日・戊戊年6(丙午)月10(辛丑)日
 以後で、「103年後」である・・・時系列は
 アレクサンダー3世→始皇帝→前漢→新→後漢→三国時代
                  新王朝
        前漢元始元年(西暦1年・辛酉・2月節分以降)
          元始四年(西暦4年・甲子・2月節分以降)
        王莽
        太傅(摂政)・安漢公
        孝平皇帝13代皇帝
        劉箕子→劉衎
        没年
        元始五年十二月十八日
        元始五年(西暦  5年 1月 1日
              甲子年丙子月庚子日
               鼠  鼠  鼠
              甲子年丙子月戊戌日ユリウス暦)
                     犬(狗)
  ↓↑   ↓↑ ↓↑ ↓↑
(西暦5年  12月  18日
              乙丑年・戊子月・辛卯日)
牛   鼠   兔(兎・菟)
            (西暦6年   2月   6日
              丙寅年・庚寅月・庚辰日
                       龍
              丙寅年・庚寅月・戊寅日ユリウス暦)
               虎   虎   虎=トラ=彪
        ↓↑
        王莽・・・莽=艹(艸)+犬(大ゝ)+廾
        字は巨君・・・・巨君→巨勢(こせ)?
        生年紀元前
           45年
        在位 08年
           ~
        没年 23年10月6日       
  ↓↑
 である・・・
  ↓↑  ↓↑  ↓↑
 アレクサンダー3世の父、
 「ピリッポス2世」
  ↓↑  ↓↑  ↓↑
 Alexander3世
  ↓↑
 ピリッポス2世・・・比律賓(Philippines)時世?
           比理椄補素似所為?
 と
 エペイロスの王女
 オリュンピアス
 との間に生まれた
 ピリッポス2世は
 ヘーラクレース(ヘラクレス)を祖
 オリュンピアスは
 アキレウス(アキレス)を祖
  ↓↑
 Alexander3世は
 13歳・・・・・13歳は卑弥呼の宗女「壹與・臺與」
 都ペラ・・・・・箆=竹+亠+冂+人+上+匕=へら・ハイ・ヘイ・ヒ
         篦=竹+亠+凵+メ+上+匕=へら・ハイ・ヘイ・ヒ
         ヘラ(Hērā)、イオニア方言はHērē ヘーレー
         ギリシア神話の最高女神で牝牛の眼を有し
         象徴の鳥は「郭公」
         ゼウス(Zeus)の妹で、妻
         夫婦喧嘩で
         キタイローン山に隠れたがヨリを戻した
         ヘレナ(Helena)・ヘレン(Helen)は同義名
         アルテミス(Artemis)は、月の女神
         セレーネー
         ヘカテー
         ダイアナ(Diana)
         ルーナーなどの女神と習合された
           ↓↑
         須佐之男(すさのお・弟)
         と
         天照(あまてる・姉)の逆転関係
         だが、右目から生まれた
        「月読命」もいる・・・多分、女神である
        「木花之佐久夜姫」も重なる・・・
 から離れた
 「ミエザ(Μίεζας・Mieza)の学園」で
 アリストテレス・・・・マケドニアの
            スタゲイラ生まれ
 (BC384年~322年)
 の講義を受けた
  ↓↑
 紀元前338年
 アレクサンドロスは
 軍将として
 父の
 ピリッポス(Φίλιππος Β')2世
 フィリップ(Philippe・Philip・Phillip・Philipp
       Filippo=フィリッポ・Felipe)
 に従い
 ギリシアの南部に出兵
 カイロネイアの戦いで
 アテナイ・テーバイ連合軍を破る
 アレクサンドロスは
 騎兵を率いて
 アテナイ・テーバイ軍を
 霍乱(壊乱)させ、
 マケドニアの勝利に大きく貢献
 父ピリッポス2世は
 ギリシア諸ポリスに
 コリントス同盟
 (ヘラス同盟)を締結
 全ギリシアの覇権を握る
 紀元前336年
 護衛の
 パウサニアス
 に暗殺された
  ↓↑
 アレクサンドロス
 20歳
 マケドニア王を継承し
 国内の敵対者
 (ピリッポス2世の7番目の妻、
  クレオパトラ=Cleopatra Eurydice)の縁者を
 排除し
 マケドニアを掌握
 トラキア人・・・・・・・虎記亜-訊?・・・天武天皇
 (Thracia・Trakya)・・・Turkey(土耳古)?
 と戦うために
 イストロス川方面に遠征
 反旗を翻した
 テーバイを破壊し、
 父王暗殺後に混乱に陥っていた
 全ギリシアの覇者になるべく
 ギリシアの諸ポリスを制圧し
 マケドニア本国を
 重臣
 アンティパトロスに任せた
 「アレクサンドロス」の名は
 ペルシャ、アラブ、インド、東南アジアで
 「イスカンダル(イラン語)」として拡大・・・
  ↓↑
 紀元前333年(戊子年)・・・・333=9、333=27
 アレクサンドロスは
 アンティオキアの北西
 イッソスで
 ダレイオス(Darius・ダリウス)3世
        ・・・ダリ-ウス・・・拿例於素?
           拿理-臼=うす=堆(タイ)
           有珠=宇受→小堆命=倭男具那
           倭男具那=倭建命(やまとたける)
 の
 ペルシア(Persia・波斯)軍10万と遭遇し
 イッソスの戦いでは
 騎兵と近衛兵、徴募兵を指揮し
 ペルシア軍を敗走させ、
 ダレイオスの母・妻・娘を捕虜にした
 和睦の申し出を拒否し進軍、追撃
  ↓↑
 「アレクサンドロス東征記(Anabasis Alexandri)
 (Alexándrou anábasis)=内陸への遠征」は
 2世紀に
 アッリアノス
 により書かれたモノで
 プトレマイオス1世
 (Πτολεμαῖος・Ptolemaeus)
 の書いた
 「アレクサンドロス大王伝」などを資料にして記録・・・
  ↓↑
 アレクサンドリア図書館
 (Bibliothḗkē tês Alexandreíās)
 蔵書はおよそ
 巻子本で70万巻
 炎上で喪失・・・
 ナイルの戦い (紀元前47年)
 ユリウス・カエサル(シーザー)
 の侵攻時に港の
 艦隊の火災が延焼して焼失・・・
 後ローマ帝国の下で復興したが
 270年代の
 アウレリアヌス帝時にも被害
 4世紀末以降のキリスト教徒による
 継続的な攻撃、
 5世紀
 キリスト教徒大司教の
 ヒュパティアの虐殺(415年)で
 大図書館やムセイオンをも破壊
 アレクサンドリア図書館の分館
 ラコティス地区の
 セラピス神の神殿(セラペイオン、セラペウム)に
 分館が存在していたが、
 391年
 異教徒の集会所とされ
 神殿もろとも破壊された・・・
  ↓↑
 アレクサンダー3世は
 シリアでは
 反ペルシアの都市で歓迎されたが、
 フェニキアの
 抵抗する
 ティール(Tyre・ティルス)・・・ティール→tail?尻尾?
                 tell・tall
toll(徴税小屋)?
 を屈服させ
 南下してエジプト(埃及)に侵入
  ↓↑
 紀元前343年(戊寅年)
 エジプトは
 アルタクセルクセス3世
 によって征服されていたが
 ペルシアの統治が弱く、
 アレキサンドロスが占領
 紀元前332年(己丑年)
 エジプト人に
解放者として迎え入れられ・・・ナゼ、
                解放者なのか?
                米軍の民主化・・・
 ファラオとして認められ、
 「メリアムン・セテプエンラー」
 (メリ・アメン=アメン神に愛されし者)
  ミリアム(Miryam・Miriam)=マリアは
                モーセとアロンの姉)
 の
 ファラオ名を得て、
 アメン神殿にその像を祭られた
 西部砂漠の
 シワ・オアシスにある
 アメンの聖地で
 自らをアメンの子とする神託を得
 後
 ナイルデルタの西端に都市を建設し
 アレキサンドリアとした
  ↓↑
 ペルシア王国への遠征再開
  ↓↑
 「ガウガメラの戦い」・・・ガウ-ガメ(亀)-ラ?
 「ペルシス門の戦い」
 紀元前331年
 アレクサンドロス軍47,000は、
 チグリス川上流の
 ガウガメラ・・・・がう-がめら→画有-カメ覶?
 で
 20万~30万の
 ダレイオス3世指揮下の
 ペルシア軍を破った
 ダレイオスが
 カスピ海東岸に逃れると、
 ペルシャ王国の中枢に乱入し
 バビロンや
 スーサの主要都市を略奪、
 ペルセポリス
 では一般民衆に対しても
 凄惨な虐殺と強姦、
 徹底的に破壊、焼き払った・・・?
 この破壊は、
 ペルシア戦争時に
 ペルシアが
 アテナイの
 アクロポリスを焼き払った復讐・・・?
 ペルシアの中枢を占領した後も、
 ダレイオスを追った
  ↓↑
 翌年、紀元前330年(辛卯年)
 ダレイオス3世が
 ベッソス
 によって暗殺
 ベッソスは
 ペルシア国王
 アルタクセルクセスを自称し
 抗戦
 ベッソスの
 不義不忠を糾弾し攻め
 ベッソスは、
 スピタメネスと
 オクシュアルテスに捕えられ
 エクバタナで公開処刑
  ↓↑
 ソグディアナ方面・・・シルクロードの
            東西交易で活躍した
            灌漑農耕民=ソグド人
            ・・・日本にも渡来した波斯人・・・
 の占領
 中央アジア方面へ侵攻
 再び反乱を起こした
 スピタメネスを中心とする
 ソグド人
 による激しい抵抗に直面
 紀元前329年~紀元前327年
 ソグディアナ
 と
 バクトリア
 で
 Siege of the Sogdian Rock=包囲作戦
 を強いられ
 遊牧民である
 スキタイ人
 も攻撃を仕掛けてきたが、
 大王の部下の
 クラテロス
 は勝利
  ↓↑
 紀元前328年(癸巳年)
 大王は
 帰順したこの地方の有力者、
 オクシュアルテスの娘
 ロクサネ(光)・・・ロクサーネとの間に男の子がいたが
           大王死後の紀元前310年に暗殺された
            ↓↑
           ソグド人の「安-禄山(ロクサン)」は
           サマルカンド出身のソグド人
           紀元755年(乙未年・天平勝宝七年)
          「安-禄山」は洛陽を陥落させ、
           聖武皇帝・・・「聖武天皇」?
           と名乗り、
           国号を
          「燕」とした(安史の乱)
          「燕」=女真・渤海・粛慎・挹婁
              清・満州
           長安を奪い、
           玄宗皇帝と
           楊貴妃(胡女?)は
          「蜀」へ逃亡・・・玉蜀黍?        
 を妃とした
  ↓↑
 インド遠征
 インドへの遠征を開始
 紀元前327年~紀元前326年
 スワート渓谷
 コフェン戦争
 アオルノス包囲戦
 紀元前327年~紀元前326年
 紀元前326年
 インダス川を越えて
 パンジャブ地方に侵入
 5月に
 ヒュダスペス河畔の戦いで
 パウラヴァ族の王
 ポロスを破った
 後も周辺の諸部族を平定、進軍
 カタイオイ人も制圧
 部下が進軍を拒否し・・・厭戦は兵士、防人(さきもり)
             の願望?・・・南スーダン派遣?
 兵を返すことにした
  ↓↑
 11月から
 Hydraotes川(ラーヴィー川)を南下
 全軍を3つに分割し
 クラテロス
 と共に残存する
 敵対勢力(Jat people系族のMalhi)を
 駆逐(Mallian Campaign)し、
 インダス川を南下し
 Patala(タッター)に出た。
 ゲドロシア砂漠
 (パキスタンバローチスターン州)
 を通って
 カルマニア
 (イランケルマーン州)に向かい、
 紀元前324年
 スーサに帰還
 この際、部下の
 ネアルコス
 に命じて
 インダスからペルシア湾を通って
 ユーフラテス川の河口までの航海を命じた
 この探検航海によりこの地方の地理が明らかになり
 ネアルコス・・・・ネ-アル-コス?
 の残した資料は
 後世散逸したものの
 ストラボン
 などの地理に引用された
 紀元前324年
 スーサ
 の合同結婚式が行なわれた
  ↓↑
 バビロン帰還
 バビロンで
 帝国を
 ペルシア、
 マケドニア、
 ギリシア(コリントス同盟)
 の3地域に再編
 同君連合の形
 ペルシア人を積極的に登用
 ペルシア人とマケドニア人の融和を進めた
 ペルシア帝国の後継者を宣し、
 ペルシア王の王衣を身にまとい
 ペルシア風の平伏礼などの儀礼や統治を
 導入し
 専制君主化したと
 マケドニア人(兵士?)の反発を招いた
  ↓↑
 バビロンに戻り
 アラビア遠征を計画
 が、
 蜂に刺され、・・・・ハチに刺されたって?
 祝宴中に倒れた
 10日間高熱に浮かされ
 「最強の者が帝国を継承せよ」
 と遺言し、
 紀元前323年6月10日
 34歳で死去
  ↓↑
 死因は
 毒殺説、
 熱病(マラリア)説
 癲癇発作
 アレクサンドロス3世は
 虹彩異色症・・・だった?
  ↓↑
 大帝国の遺将たちが
 バビロン会議、
 トリパラディソスの軍会
 協定によって安定化を目指したが
 「最強の者が帝国を継承」で
 アンティゴノス、
 セレウコス、
 プトレマイオス
 他の諸将による
 ディアドコイ戦争で
 分裂
 紀元前3世紀
 アンティゴノス朝マケドニア、
 セレウコス朝シリア、
 プトレマイオス朝エジプト
 の
 ヘレニズム三王国が出現
 三国鼎立で落ち着いた
  ↓↑
 紀元前168年(癸酉年)
 アンティゴノス朝が滅び
 西方は順次ローマに併合
 ヘレニズム諸三国は
 ローマに滅ぼされた
 東方はパルティアが勃興
 セレウコス朝の領土の大部分を奪い、
 東方領はマケドニア人の手を離れた
 以後東地中海から中央アジアに至る地域は
 イスラーム帝国の出現まで
 大統一を見なかった
 アレクサンドロスの遺体は
 ペルディッカス
 が
 バビロンから
 王都ペラへ移送途中に
 プトレマイオスに強奪され、
 ミイラ(木乃伊)・・・・観意等(覶・蠃)?
 としてエジプトに埋葬された・・・
  ↓↑
 アレクサンドロス大王の一族は
 ディアドコイ戦争中に殺害され、
 大王の血統は断絶
  ↓↑
 サンドロコットス
 プルタルコスなどによれば、
 アレクサンドロスがインドに侵入した時、
 マケドニアの陣営に1人の若者が訪れて
 インド東部への道案内を申し出た
 若者の名は
 サンドロコットスといい、
 彼がのちの
 チャンドラ(月神)グプタであるとした・・・
ーーーーー
  ↓↑
 前336年
 フィリッポス2世(父)・・・隻眼?
 古都アイガイの劇場で
 パウサニアスに暗殺された・・・
 47歳
  ↓↑
 暗殺は
 フィリッポス2世
 第7王妃の
 クレオパトラ
 VS
 第5妃の
 オリュンピアス(母)
 や
 アレクサンドロス(息子)
 の
 王位継承問題の
 確執と怨恨が原因・・・?
  ↓↑
 前337年秋 
 フィリッポスが
 7人目の妻を
 マケドニア貴族
 アッタロスの姪
 クレオパトラと結婚
 婚礼の場で
 アッタロス
 が王国の正統な後継者が
 クレオパトラから
 生まれるようにと祝辞
 これに
 アレクサンドロス
 が激怒して
 アッタロスに杯を投げつけ
 フィリッポス
 剣を抜いて
 アレクサンドロス
 に襲いかかった
 アッタロスは
 アレクサンドロスを妾の子と
 侮辱した・・・
 直後に
 オリュンピアス(母)・・・5番目の妃
 と
 アレクサンドロス(息子)
 は
 エペイロス(母の地元)
 へ逃げた・・・
  ↓↑
 トラキア
 からは
 6番目の
 メーダ
 も嫁いでいた・・・
 フィリッポスの政略結婚・・・
 これまでの結婚で
 生まれた息子
 アリダイオス
 は知的障害があり・・・?
 後継者は
 アレクサンドロス
 のみであった・・・
  ↓↑
 別説・・・
  ↓↑
 フィリッポス暗殺の実行犯
 パウサニアス
 は
 フィリッポスの寵愛を受けていたが、
 同名の別人
 パウサニアス
 に寵愛が移ると、
 彼を侮辱したが
 イリュリア人との戦争で
 フィリッポス大王
 をかばい戦死
 彼の友人
 アッタロスが
 復讐で
 宴会で
 パウサニアスを酔わせ
 ラバ追い達に暴行させた
 パウサニアスは
 この仕打ちを
 フィリッポスに訴え出たが
 アッタロスを罰せず
 パウサニアスを
 王の側近護衛官にし
 彼の怒りを和らげようとした
 だが、
 パウサニアス
 の怒りは
 アッタロス
 から
 フィリッポスに向けられ
 アイガイの劇場で
 パウサニアスは
 フィリッポスを暗殺
 王の暗殺後
 アッタロスは
 アレクサンドロスより殺害
  ↓↑
 その後
 7番目の妻
 クレオパトラは
 オリュンピアスにより
 自殺に追い込まれ、
 生まれたばかりの娘は
 オリュンピアスにより
 殺害された
 ・・・???・・・
 ↓↑
 フィリッポス2世は
 紀元前382年
 マケドニア王
 アミュンタス3世
 と妻の
 エウリュディケーの
 第三王子・・・兄は
        アレクサンドロス(1世?)
        ペルディッカス=ペルディッカス3世
 幼少期に
 将軍エパメイノンダスの
 テーバイの人質
 兄ペルディッカス3世の死後
 紀元前359年
 甥
 アミュンタス4世の摂政
 後、
 紀元前359年に即位
 マケドニアのバシレウスに即位
 バシレウス(Βασιλεύς; Basiléus)=君主の称号
 「王」を意味し、
 ラテン語の「rex」・・・ア-レックス=A-lex
 全ギリシアの
 オリュンピア大祭に参加
 戦車競技の種目で優勝
 アレクサンドロス3世の出生と同時期でもあり、
 オリンピック優勝を喜び
 幼名であった妻の名を
 オリュンピアスとし
 マケドニア人で
 オリンピックに参加した
 アレクサンドロス1世・・・
 ↓↑   ペルシアは
 ↓↑   パイオニア人を征服した後、
      アミュンタス1世の支配する
      マケドニア王国へと
      ペルシアへの服従を迫る使者を
      送った。
      アミュンタスはそれを受け入れ、
      宴が催された席で
      ペルシアの使者たちが
      マケドニアの女性たちに対して
      狼藉を働いたため、
      王子のアレクサンドロス1世は
      怒り、
      女装させた青年を差し向けて
      使者たちを殺した・・・
 ↓↑   ・・・「ヤマトタケルが女装」して
 ↓↑       熊襲タケルを殺したハナシ・・・?
 ↓↑
 の名前を
 子供に付けた・・・アレクサンドロス3世
 ↓↑
 フィリペイオン
 ↓↑
 フィリッポス2世の
 妃
 アウダタ
 フィラ
 ニキシポリス
 ピリンナ
 オリュンピアス
 メデア(Meda)・・・トラキアからの輿入れの妃
 ↓↑         ↓↑
 ↓↑        トラキア(トラケー・Θράκη
           Thrākē・Thracia)・・・虎記亞?
           小部族に分かれていたが、
           南のギリシアから様々な影響を
           受けて国家を形成・・・
           ブルガリア領内で
           トラキア時代の遺跡発掘
           大量かつ精巧な金細工が発見
           紀元前6世紀頃
           トラキア地方に
           ギリシア人の植民都市が建設
           ペルシアのアケメネス朝の
           支配下に入った
 ↓↑        紀元前4世紀に
           西のマケドニア王国に征服され
           4世紀から
           トラキアの東端部の
           ビュザンティオンが
           ローマ帝国の新首都になり
           コンスタンティノポリスとなった
           東ローマ帝国の
           トラキア地方における中心都市の
 ↓↑        アドリアノープルは
           オスマン帝国の都エディルネとなった
           1878年
           オスマン帝国の衰退で
           北部に東ルメリ自治州がおかれ、
           1886年
           オスマン帝国から独立していた
           ブルガリア公国に併合
           大部分はオスマン帝国の支配下
           20世紀初頭の2度の
           バルカン戦争
           第一次世界大戦により、
           エディルネ以北はブルガリアに、
           エヴロス川以西はギリシャ王国に
           割譲され、
           残る部分はトルコが確保し
 ↓↑        3か国に分断・・・
 クレオパトラ・エウリュディケ
 ↓↑
 フィリッポス2世の
 子女
 キュナネ
 ピリッポス3世
 アレクサンドロス3世・・・
 クレオパトラ・・・・・・
 テッサロニカ
 エウロパ
 カラノス
ーーーーー
 キラ(デルフォイから数キロの湾岸都市)
 ボクは
 デルフォイにも
 トラキアにも行ったけれど・・・モザイク画は「虎」?
ーーーーー
 紀元前343年
 トラキアを制圧したマケドニア軍が
 ボスボラス海峡に面した
 ピュザンティオン(イスタンブール)を攻囲
 アテナイも艦隊出撃
 アテナイの海上戦力で
 マケドニア軍は苦戦
 ピュザンティオンの攻略に失敗
 ↓↑
 アテナイの
 デモステネスは
 反マケドニアの勢力を結集
 アテナイは
 テーバイを陣営に引き込み
 アテナイは
 ペルシア戦争時の
 ギリシア同盟の再現をもくろみ、
 ペルシア戦争の
 プラタイアの戦い
 (紀元前479年。ギリシア同盟軍はペルシア軍に勝利)
 の再現を狙い
 カイロネイアの会戦へ
 ↓↑
 紀元前338年
 ボイオティアへ侵攻した
 マケドニア軍を迎え
 アテナイ・テーバイ同盟軍は
 カイロネイアに布陣
 マケドニア軍は
 歩兵3万2千
 騎兵2千程度
 アテナイ同盟軍は
 歩兵3万5千
 同盟軍の重装歩兵(ポプリタイ)軍団は
 大きな円形の盾(ポプロン)
 長槍
 でファランクス(密集方陣)
 機動力は鈍く、投射武器に弱い
 ギリシア軍は重装歩兵以外の
 軽装歩兵や騎兵、弓兵は弱く
 フィリッポス2世の
 マケドニア軍は
 軽歩兵、騎兵を
 独自の戦闘陣形を編み
 盾持ち兵と散兵という軽装の兵士で
 騎兵の突撃で敵を粉砕
 18歳の
 アレクサンドロスは騎兵部隊を指揮
 斜線陣で
 アテナイ軍と友軍とを分断
 フィリッポス2世が
 歩兵部隊を前進させ
 アテナイ軍は、崩壊敗走
 この勝利によって、
 マケドニアは
 全ギリシアの覇者となって
 コリントス同盟の盟主となった
 ↓↑
 ペルシア侵攻
 紀元前336年
 暗殺後
 アレクサンドロスが即位
ーーーーーー
 「稗田の阿礼」のモノガタリ・・・「古事記」は「亞歴山」の・・・「亞の歴の纂」を下敷きにした?・・・
 ・・・「雪の下=コジソウ(虎耳草)」・・・

ゆりうすレキ(暦)、くれ、オワ、トラ(寅・虎)

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 ・・・17時22分、留萌で地震M4.7・・・地震、北上してきたけれど・・・「アレキサンドロス3世→蕪木(あれき)サン努賂素-纂所為」以後・・・「蕪木=かぶらき」、「蕪=艹(艸)+無([f:id:naie:20161109171434j:image:small])卌一灬𠂉」=「かぶ・かぶら・ブ・ム=雑草が茂ってる荒れ地・おい茂った雑草・物をおおい隠すアレクサ・あれる雑草がおい茂ってアレル・ターニップ(turnip)」、「蕪雑・蕪辞」、漢字構成から「蕪」が大地を覆う草(艸・艹・サ)が無いのは「沙漠=砂漠」だと理解できるが、「蕪」の「無」が漢字構成の「舞=[f:id:naie:20161109171434j:image:small]+卌一+舛(タ+ヰ)」とは思えない・・・「舛(そむく・いりまじる・セン)=そむく(背・叛)・たがう(違う)・舛互」で、「誤る・間違う・舛誤・舛謬(センビュウ)・いりまじる・乱れる」である・・・「舛の添」の「要の一」って?・・・「卌(シュウ・四十・𠦌・庶)=糞に插(さ)す杷(まぐわ・さらい・つか・え・ハ=長い柄の先に粗い歯をつけた農具・土をかきならしたり、木の葉や塵(ごみ・芥・埃)などを攫(さら)うのに用いる)」・・・杷→枇杷→楽器の琵琶が果物の枇杷へ・・・把握?・・・「芭蕉」に憬れて東北を安行(アンギョウ)、行脚(アンギャ)した「蕪村」に訊いてみたい・・・無花果(いちじく)・・・
 「与謝蕪村
 (享保元年(1716年)
  ~
  天明三年十二月二十五日(1784年1月17日)
  俳人、画家
  姓は谷口、or 谷
  名は信章・通称は寅・・・・トラ
  号は蕪村、宰鳥、
    夜半亭二世
  画号は春星、
     謝寅(シャイン)
  蕪村とは中国の詩人
  陶淵明の詩
  帰去来辞(帰去来兮=帰りなんいざ、
  田園、・・・・・・田(狩り)の園(圓)→伝炎
           園=その=該爾厥囿→鷹司邸
             曽之=主鷹司=放鷹司
                鷹や猟犬を
                飼育・調教し、
                鷹狩などの
                狩猟を取り仕切った
           園=エン=援・怨・煙・猿・・・鳶
             苑=紫薇苑・・・紫薇斗数命      
  將、蕪、・・・・・・・・・将の、蕪(かぶ・荒れ地・ブ)
  胡不歸・・・・・・・・・・胡(えびす・コ・ウ)に
               不歸(かえれず)?
  田園(デンエン)、
  將(まさ)に蕪(あ)れなんとす、
  胡(なん)ぞ
  歸らざる
 に由来・・・訓読したのは「菅原道真」・・・?
ーーーーー
  ↓↑
  ・・・ボクなら將(まさ)に蕪(あ)れなんとす。胡(なん)ぞ、歸らざる」とは訓読はしない。
 「胡(えびす・コ・ウ)に、歸せず」である・・・モチロン、「(大)将の蕪(艹+無=クサカは無し)」である・・・・「マサにカブレんとす」かも・・・「蛤御門の変・禁門の変=元治元年七月十九日(1864年8月20日)・元治の変・甲子の変」・・・
 「四つとや、世のよし悪しはともかくも、誠の道を踏むがよい、踏むがよい」・・・「誠の道」って?
 「八つとや、八咫の烏も、皇の御軍の先をするじゃもの、なに、をとるべき」・・・「八咫の烏」って?
 自覚した「医者」は「政治」を目指し、社会のヤマイを糺(ただ)すだろうが、結果は「宿命のパラドックス(paradox・逆説)」、「活殺=生かす為に殺す・生きる為に殺す」にブツカル・・・「殺傷のカズの問題」なのか?、「エゴの問題」なのか?・・・「共存」ですか?・・・「自然界で生きているモノの食物連鎖」・・・「無駄な殺生」はしないって?・・・「共食い」はダメだって?・・・
 「家畜・魚・鳥・獣」の「命の肉(にく・ジク)」は加工されて「人間」に喰われているが、「屠殺・屠畜」を視ずして口にする・・・
 「採食主義」って、「ニク」を喰えなっかった人々の知恵の結果だとは思うが、「人間」は雑食である・・・恐竜時代から「採食だけの動物=草食獣」が存在したらしいが・・・草食の巨大なマンモス(mammoth)、象さん、麒麟さん達はエライなぁ~・・・モチロン、「ジャングル大帝のレオ」も殺生はしなかった・・・「ホトケ」は「腐った豚肉(汁)を喰って成仏した(?)」・・・「喜捨棄命(?)」ではなっかった「涅槃」・・・
 「paradox」には色々あるらしいが、「数学的な整合性」としての「ヒトツのコタエ」を得るコトができないのが「人間」かも・・・「数学の数字の答え」も「アキレスは亀に追いつけない(ゼノン)」とかを考え出す存在だし・・・
 「寿命を望まずに死ぬ人間」もワンサカ、「寿命を知らずして他人に殺される人間」もワンサカ・・・
 そして、「命」を繋ぐ子供をワンサカ産みだしているが、「寿命を全う」出来るか、どうかは「今現在生きている人間次第」である・・・「イノチ」が「宇宙環境次第」とは「地球人」なる、「宇宙人」になったアカツキのコトである・・・「民族・国籍」の枠内で生きている人間はチッポケである・・・
 だが、「身近で煩わしい背負(諸・緒)関係」をホグしていくコトこそが「今現在、生きていく人間相互」に大切なんだ・・・
  ↓↑

ーーーーー
 蕪村(寅)の娘の名は
 「クノ(くの)」・・・?
  ↓↑
 「寅=とら=虎・彪」?・・・トラ=訳等・勾・捉
 「蕪=野菜の名=カブ・カブラ」・・・
 「蕪菁(ブセイ)・蕪菁(かぶ)・蕪菁 (かぶら) 」
 「蕪=アブラナ科の
    越年草・栽培野菜
    根は
    白色のものが多く、・・・・白人?
    多肉質、・・・・・・・・・他字句・多字句?
                 Taj-ik?
                 タージ-マハール
                 Taj-Mahal
    大きさや形は多様
    根生葉は
    へら形・・・・・・・・・・ヘラ・箆・篦・平良
                 杓子=dipper=ladle
                    spoon=匙=ヒ
    春、花茎の先に
    黄色の
    十字形の
    花を総状に開く」・・・
 「蕪雑(ブザツ)・蕪辞(ブジ)=乱雑で整っていない言葉
          自分の言葉や文章をへりくだっていう語」
 「カブ(蕪)は
  アブラナ科アブラナ属の越年草
  根菜類の一
  別名はカブラ、カブナ、カブラナ、スズナ(鈴菜、菘)
     ホウサイ(豊菜)、ダイトウナ(大頭菜)」
 など・・・
 「カブ」の語源は、頭を意味する「かぶり」、「根」を意味する「株」・・・
 「歌舞伎」に「カブレた」って、「カブリツク」・・・
 「如何(どう)」してなんだか、「歌舞伎モノ」・・・
ーーーーー
  ↓↑
 アレキサンダー三世以後
  ↓↑
 プトレマイオス1世
 ソーテール
 (Πτολεμαίος Α' Σωτήρ)
 紀元前367年~紀元前282年
 在位
 紀元前305年~紀元前282年
 エジプトの
 ヘレニズム国家
 プトレマイオス朝
 初代ファラオ(pharaoh)・・・葉等緒・葉等尾?
  ↓↑
 アレクサンドロス3世(大王)に仕え、
 アレクサンドロスの死後は
 ディアドコイ(後継者)・・・・出異蛙努胡意?
 の一人として
 エジプトに拠った
 マケドニア王国の貴族
 ラゴスの子
 アレクサンドロスの
 「ヘタイロイ(側近騎兵隊将校)」の一人
  ↓↑
 プトレマイオスは
 アレクサンドロスの
 アリストテレスの
 ミエザの学園の「学友」
 ピリッポス2世
 と
 アレクサンドロス
 が対立し
 プトレマイオスは
 ラオメドン
 ネアルコス
 等と共に追放・・・アレクサンドロスの母、
          オリュンピアスの郷里へ
 紀元前336年
 ピリッポス2世暗殺後
 アレクサンドルの側近となった
  ↓↑
 紀元前323年
 アレクサンドル大王の死
  ↓↑
 バビロン会議の後
 エジプトで
 総督、太守(サトラップ)
 統治していた
 エジプトを割拠
 大王の
 後継者(ディアドコス)・・・出意會度胡素(超・越・漉)?
 として名乗り
 バビロン会議で
 大王死後の
 王位継承・・・right of succession
        Act of Settlement
        the right of successionthe right to the throne.
        abdicate the throne=the crown
        玉座(ギョクザ)=王座
        英語
        スロウン
        スローン(throne)
        ドイツ語
        トローン(Thron)
        フランス語
        トロンヌ(trône)
        イタリア語
        トローノ(trono)
       「人間宣言」したのに
       「象徴天皇」には「人権も戸籍」も無い?
        祀り上げたのはダレ?
 で諸将が対立
 プトレマイオスは
 重臣達の合議制を提案
 ペルディッカスは
 大王の妃で
 妊娠中だった
 ロクサネ・・・・・・・ダイリウス大王の娘
 の出産を待つべきと反対
 ロクサネ
 が産んだ子は男子で、
 アレクサンドロス4世
 として王位につけられ、
 ペルディッカスが
 後見人として
 帝国摂政となった
  ↓↑
 ディアドコイ(後継者)戦争
  ↓↑
 プトレマイオスは
 アンティパトロス
 等と組み
 ペルディッカス派
 に対抗し、勝利
 紀元前322年
  ↓↑
 プトレマイオスは
 ペルディッカスと対立
 アリダイオス
 バビロン太守
 アルコン
 と共謀し、
 ペルディッカス
 が
 首都バビロンから
 マケドニア本国へ移送中だった
 アレクサンドル大王
 の遺体を奪取し
 大王の遺体を
 アレクサンドリア
 に
 ミイラとして埋葬
 紀元前321年末、or 紀元前320年初頭
  ↓↑
 ペルディッカスが
 プトレマイオスを討伐するため
 エジプト遠征
 プトレマイオスは迎撃
 ペルシウムで
 ペルディッカスが
 ナイル川の渡河に失敗し
 配下の将軍達の
 ペイトン
 アンティゲネス
 セレウコス
 が反乱し
 ペルディッカスを暗殺
  ↓↑
 トリパラディソス・・・・訳理葉等出意蘇素?
 の軍会開催
  ↓↑
 プトレマイオスは
 ペイトン
 と
 アリダイオス
 を帝国摂政に推薦
 ピリッポス3世(大王の知的障害の異母兄)
 の王妃
 エウリュディケ2世
 に反対され、
 アンティパトロスが
 帝国摂政に就任
  ↓↑
 フリュギア太守
 アンティゴノスが
 帝国軍総司令官に任命され
 ペルディッカス派
 諸将の討伐・・・
 帝国摂政の
 アンティパトロスは
 病になり
 老将
 ポリュペルコン
 を後継者に指名して死亡
 アンティパトロス
 の息子
 カッサンドロスが
 摂政位継承を主張し、
 ポリュペルコン
 と対立
 プトレマイオスは
 アンティゴノスとともに
 カッサンドロスを支持し
 ポリュペルコン
 は敗れ、零落
  ↓↑
 ペルディッカス派討伐の
 アンティゴノスは、
 ポリュペルコン派
 との戦いで勝利し
 紀元前316年
 ペルディッカスと、
 後には
 ポリュペルコン
 と結んで、
 アンティゴノス
 と敵対し続けた
 カッパドキア太守
 エウメネス
 が
 アンティゴノス
 によって滅ぼされ
 アンティゴノスは
 ディアドコイ(後継者)
 との対立を生み
 プトレマイオスも
 アンティゴノス
 と対立し、
 東地中海周辺で攻防を繰り広げた
  ↓↑
 紀元前315年
 バビロン太守
 セレウコスが
 アンティゴノス
 によって
 バビロンから追われたが
 プトレマイオスは彼を匿い
 紀元前312年
 プトレマイオスと
 セレウコスは
 シリアへ出撃
 ガザの戦いで
 アンティゴノスの子
 デメトリオスを破った
 アンティゴノス自らが
 シリアに出陣してくると、
 プトレマイオスは
 セレウコスに兵を譲って
 東方への帰還を助け、
 彼をバビロン太守にした
 アンティゴノスは
 プトレマイオスと休戦し、
 セレウコス討伐に
 専念傾注
 (バビロニア戦争)し、
 プトレマイオスは
 東地中海沿岸で勢力を拡大
 アンティゴノスは
 再び
 プトレマイオス
 と対立
  ↓↑
 プトレマイオスは、
 寡婦となっていた
 大王の同母妹
 クレオパトラ
 に求婚
 クレオパトラは
 エジプトに渡航しようとしたが、
 アンティゴノス
 に暗殺された
  ↓↑
 紀元前306年
 サラミス海戦で
 デメトリオスが、・・・出眼(目・女・馬)訳理於素?
 プトレマイオス
 の艦隊を大敗させ
 アンティゴノス
 は
 デメトリオス
 と共に
 王となることを宣言
  ↓↑
 紀元前305年
 プトレマイオス
 も王を名乗る
 ロードス包囲戦で
 アンティゴノス、
 デメトリオス
 父子は
 プトレマイオスに対して
 優位に戦いを進め、勢力を固めた
  ↓↑
 プトレマイオスは
 セレウコス
 カッサンドロス
 リュシマコス
 と結び、
 反アンティゴノス同盟のを担った
  ↓↑
 紀元前301年
 アンティゴノスは
 イプソスの戦いで・移付蘇素?・・・蘇我?
 セレウコス・・・・施例得拠素(諏)?・・・諏訪?
 リュシマコス・・・龍(躘・劉)島(志摩)越守?
 の連合軍に敗れ、
 戦死
  ↓↑
 イプソスの戦いの後、
 セレウコスの勢力が強大化
 プトレマイオスは
 娘の
 アルシノエ・・・有誌之重?
 を
 リュシマコス
 と結婚させて
 同盟関係を結び、対峙
  ↓↑
 プトレマイオスには、
 アンティパトロス・・・安貞葉(嵌・把)訳賂素?
  ↓↑        安貞(1227年~1228年)鎌倉時代の
            天変地異と飢饉
              ↓↑
  ↓↑       「承久(三年)の変(1221年)」
            で鎌倉幕府の総大将で
            第三代の執権
            北条泰時は
           「吉書始」をした・・・
            記録では
            元暦元年十月六日条
           (1184年11月10日)
            公文所の新造に合わせて
            吉書始が行われた(吾妻鏡)
            吉書を総覧する儀式
            吉書奏=吉書始(きっしょはじめ)
  ↓↑          ↓↑
         建暦(1211年~1214年)
         建暦二年(1212年)頃・・・鴨長明の「方丈記」
         建保七年(1219年)
         三代将軍
         源実朝が暗殺
  ↓↑     ↓↑
         藤原 頼経(ふじわら の よりつね)
         鎌倉幕府
         第四代征夷大将軍
         摂家将軍として就任
         寅年・寅日・寅刻に生まれ
  ↓↑     幼名は三寅(みとら)・・・?
  ↓↑
 の娘
 エウリュディケ
 との間に
 長男
 プトレマイオス・ケラウノス
 がいたが、
 ケラウノス・・・掛(毛)等得之素?
 と対立し・・・・対立の原因は?だが・・・
 プトレマイオスは
 これを後継者とせずに
 エジプトから追放
 ケラウノスは
 アルシノエ・・・アルシノエはプトレマイオスの娘
 のもとに身を寄せ、
 後に
 セレウコス
 を暗殺し
 マケドニア王位を簒奪・・・結果はマケドニア王になった
  ↓↑
 紀元前288年
 プトレマイオスは
 後妻の
 ベレニケ1世・・・・・・・部(倍・俳・唄)例似掛?
 が産んだ息子
 プトレマイオス2世
 ピラデルポス(ケラウノスの異母弟)
 を後継者とし、
 共同統治者とし
 内政で統治体制を確立し、
 外征において領土を
 東地中海まで拡張し
 古代エジプトを繁栄させた
  ↓↑
 プトレマイオス1世は、
 古代ギリシア語で
 「救済者(ソーテール)」
 の称号で呼ばれ
 首都アレクサンドリアに、
 王立研究所(ムセイオン)
 と
 併設した
 アレクサンドリア図書館を建設した
  ↓↑
 紀元前305年
 アレクサンドリアの大灯台の建設
 (完成はプトレマイオス2世の代)
  ↓↑
 ユリウス・カエサルの侵攻時
 (ナイルの戦い・紀元前47年)
 港の艦隊の火災が延焼して焼失
  ↓↑  ↓↑
ーーーーーーーーー
 カエサリオン・・・替重作理音?
 (Caesarion・Καισαρίων)
 プトレマイオス15世
 (Πτολεμαῖος ΙΕʹ・Καῖσαρ)
 紀元前47年6月23日~紀元前30年8月23日)
 プトレマイオス朝最後の
 ファラオ(在位、紀元前44年~紀元前30年)
  ↓↑  ↓↑
 共和政ローマの将軍
 ユリウス・カエサル・・・・凱撤・該撤
              百合有珠?替重作留
              有利摸(漓・臼→堆)
              有理得素?かえさる
              ユリウス暦
 と
 クレオパトラ7世の子
 カエサリオンは
 「小カエサル」を意味・・・「オン=小⇔八+亅」
 異父弟妹に
 アレクサンドロス・ヘリオス、
 クレオパトラ・セレネ、
 プトレマイオス・フィラデルフォス
 がいる
  ↓↑
 母クレオパトラ(克利奥佩特剌)7世
         利にカチ、奥に佩(おび)て、
         特に剌(そしる・もとる・そむく)?
 と
 エジプトを共同統治していた
 プトレマイオス14世が
 紀元前44年に死去し
  ↓↑
 後、
 プトレマイオス15世(カエサリオン)が
 エジプト王に就任
  ↓↑
 紀元前30年
 クレオパトラ7世の死後、
 オクタウィアヌス
 に捕らえられて殺害
 プトレマイオス朝滅亡
  ↓↑
 クレオパトラ
 と
 マルクス・アントニウス
 との子供
 クレオパトラ・セレネ
 など、
 子供たち3人は、
 アントニウスの前妻である
 小オクタウィアに預けられ、
 ローマで
 オクタウィアヌスの親戚として厚遇
  ↓↑
 カエサリオンは
 オクタウィアヌスと同じく
 「カエサルの後継者である」とし
 殺害された・・・
 「カエサル」は
 「ユーリウス=ユピテル(ジュピター)の子孫?」
 「トロイヤのアイネイアースの子孫?」
 「アンクス・マルキウス(Ancus Marciusの子孫?」
ーーーーー
 ・・・「身内、縁者」のエゴな権力争いって、スゴイねッ・・・ニンゲンの当初の志(平和?)は、結果、「カミ」から嫌われるんだ・・・「人間は神々のアソビの道具」らしいから・・・未来的には人間は「AI(artificial insemination=artificial intelligence)の道具」かも・・・人間はモノグサだから・・・
  ↓↑
ーーーーー
 ガイウス・ユリウス・カエサル
 (凱撤・該撤)・・・凱=かちどき・やわらぐ・たのしむ
  ↓↑         ガイ・カイ
           撤=とおる・とおす・つらぬく・すてる
             テツ
             取り除く・取り下げる
             撤回・撤去・撤収・撤退・撤廃・撤兵
           該=かねる・そなわる・その・この
             あたる・あてはまる・ことごとく
             該当・該究・該地
             兼備
  ↓↑         契約・盟約・誓約・約束
  ↓↑         独裁者、カエサルは
  ↓↑         民主、属州民の市民権を
  ↓↑         拡大を約束した?
  ↓↑         ブルタースは「共和主義者」?
  ↓↑    元老院議員マルクス・ユニウス・ブルトゥス
  ↓↑   「息子よ、お前もか?」・・・「息子」である・・・
       (καὶ σὺ τέκνον
        Kai su teknon=カイ・スュ・テクノン)
  ↓↑     ↓↑
       「秦を滅ぼす者は胡なり」
        秦の滅亡は
       「子嬰=秦王・胡亥の兄の息子」
        紀元前206年
        だが、「秦帝国」の滅亡は
        趙高に操られ
        紀元前207年(望夷宮之変・望夷之禍)の
  ↓↑   「胡亥(コガイ)」の暗殺であった・・・
       「亥」である
       「趙高と李斯により
        始皇帝の遺詔
       (後継者は始皇帝の長男の扶蘇)が改竄」され
        紀元前210年
       「扶蘇」は騙されて(?)、or 忠儀として(?)
        自殺・・・ダマされていてもヨシとする人間が
             多いのはドウシテなんだか?
  ↓↑    ↓↑
        史記・秦始皇本紀第六
        紀元前91年頃に
        司馬遷が完成に「記録」・・・
        ・・・慶元二年(1196年)
           のものが現存の最古本であるらしい
        「漢書」は
        「班彪(3~54年)」・・・斑(まだら)の彪
        が始め、子に引き継がれ
        「班固、班超、班昭」によって
        80年ころ成立完成」した
        紀元前44年(甲辰)はカエサルの暗殺である・・・
      ・・・「記録」としての時間系列は、
     「写本」、「再写本」、書き写しの連続だろう・・・
     「記録」されたモノは「改竄・改作・削除・補修」が
     「宿命・運命」である・・・焚書坑儒、図書館炎上では
     人間の記憶は更にアイマイである・・・
  ↓↑    始皇帝は「胡」の名の人物を怖れたが
  ↓↑    帝国崩壊は
        二世皇帝になった
        末子の息子の
       「馬鹿」な
       「胡亥(コガイ)」であった
  ↓↑   「該(言+亥)撤=Gaius」の
        意味翻訳である・・・?
  ↓↑     ↓↑
 (Gaius Iulius Caesar=Julius Caesar)
 紀元前100年(庚子)・・・(干支年?)
     7月(癸未)・・・・文月・暴文月
     13日(庚午)・・・(干支日?)・月曜日・赤口
               12日(己巳)・日曜日・大安
 紀元前102年(壬寅)・・・(干支年?)
     7月(丁未)・・・・文月・暴文月
     13日(庚辰)・・・(干支日?)・水曜日・仏滅
               12日(己巳)・火曜日・先負
  ~  ~
 紀元前 44年(甲辰)
3月(丁卯)・・・彌生
             花はサクラ(桜・櫻・作楽)
               cherry・・・背反・二又
               モモ(桃・百・腿・股)
               peach・・・密告・裏切り
             Mars、Marchの月・・・
15日(丙子)
 ・・・Julyの花・・・「lily=百合」、「Crape myrtle=百日紅=さるすべり=猿滑」・・・3月から数えて「5番目の月(May・Quīntīlis)」・・・「紀元前45年1月1日のIanuariusのKalendaeより1年を365.25日」とした・・・
ーーーーー
  ↓↑     ↓↑
 ・・・クレオパトラ(Cleopatra)7世・・・克利奥佩特剌
    句例訖葉訳等?
 紀元前70(庚午)年12(丙子)月?日
 or
 紀元前69(戊辰)年1(壬子)月?日
  ↓↑     ↓↑
ーーーーー
 ・・・「12月=師走・師馳(しわす・しはす)・極月(きわまりづき・ごくげつ・ごくづき)」・・・3月から数えて「10番目の月(December)」・・・12月はクリスマスだが、花は「ポインセチア=猩々木(ショウジョウボク)」?・・・赤色は、クレオパトラ(Cleopatra)の「紅(くれ・昏・暮・呉)尾波虎」の情熱カモだが・・・メキシコ(墨西哥)自生の花・・12月の星座は、「射手座(11/23~12/22)」と、「山羊座(12/23~01/20)」がダブル・・・12月~1月だから「山羊座♑ Capricorn」かも・・・山羊の好物は「カミ」だが、雑草だろう・・・芋の葉や蔓、木の皮・・・「磨羯宮(マカツキュウ)=黄道十二宮の10番目・支配星は♄土星」・・・
 11月26日・・・
 「11月=霜月(しもつき)・神楽月(かぐらづき)・かみきづき(神帰月)・けんしげつ(建子月)・こげつ(辜月)・しもふりづき(霜降月)・しもみづき(霜見月)・てんしょうげつ(天正月)・ゆきまちづき(雪待月)・ヨウフク(陽復)・リュウセンゲツ(竜潜月)」・・・「子月(ねづき)?」の別名って、ナゼなんだか?・・・「November(ノーヴェンバー)=三月から数えて9番目の月」・・・

 

人の心の乱・・・ミズのエのサル・・・

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 ・・・「忘己利他(もうこりた…己を忘れて他を利する)-慈悲極」ですか、これってヤッパ、「もう、懲(こ)りた」だろう。そして、「まだ懲りない奴だ」・・・も、いるだろう・・・「己を忘れた(無自覚)では利他」も難しいし、無自覚では「慈悲の極(きわみ)」も難しい・・・「懲りては生きていけない動物、人間」は命を賭けての「懲りられない存在」であるかも・・・「慈+悲」は主観認識、客体対象としての「慈悲を乞う人間が存在」し、それに「慈悲を与えねばならない、と思う人間」が存在すると云う「相対関係」のコトだろう・・・ダレとダレの関係の「懲らしめる」、「懲りる」なんだか・・・「懲らす」は「勧善懲悪・懲役・懲戒・懲罰」の「懲=(徵+心)=懲・こらしめる・こらす・こりる・チョウ」だが、「徴(めす=召す・チョウ)=懲=彳+山+一+王+攵=微省に従ふ、壬為徵、微に行ひて而(しか)も文達する者は、即ち之れを徵(め)す」は、「徴収・徴税・追徴・徴兵・徴用・徴発」で、その「心」である。他には「徴候・徴験・特徴」もあるが、「人間宣言」したのに「象徴天皇」には日本国憲法下での「人権・戸籍・国籍」も、「定年」も無い?・・・崩御なさるまで「酷使」する「国民」って、ダレなんだか・・・同音で「凝(こ)らす」は漢字構成からすれば「氷(冫・凍=凍結)+疑」で、「凝縮・凝固」で、縮(ちぢま)ッて、固まるである・・・凝視、仰視と云うコトバもある・・・
 「徴・徵(彳山一王攵)・象徴・特徴」の類字は
 「微(彳山一兀攵)=かすか・わずか=微細・微妙
                微笑(ビショウ)」
 「徽(彳山系攵)=しるし・キ・ケ・徽章(キショウ)」
 「黴(彳山一里灬攵)=かび・バイ・ビ・黴菌(バイキン)」
 であるが・・・説文解字に「召すなり=微省に従ふ、壬為徵、微に行ひて而(しか)も文達する者は、即ち之れを徵(め)す」の意味は、難解である・・・
 「微省=(安)微省なのか、
     (安)徽省なのか、
      徽を省(かえりみる・はぶく)なのか、
      省(かえりみる・はぶく)も微(かすか)」
 なのか、
 「壬為徵=壬(ジン)は徵(チョウ・チ)と為す」は声音の説明らしいが、「壬は徵の異字」ともある・・・「徴・徵」の部首構成の「王(オウ)」ではなく、「壬(ジン)」であるらしい・・・ボクとしての判断は「?」である。穿って妄想すれば「壬は徵の異字」ならば「壬申の乱を省(かえりみる」に掛けているように思える・・・
 干支(カンシ)年では60年周期で「壬申(ジンシン)」である。この干支年の「歴史上」は過去的には、
 天武天皇元年六月二十四日
       ~
       七月二十三日
  ユリウス暦
  672年・・・壬申(猿・さる)
   7月・・・丁未(羊・ひつじ)
   24日・・・甲申(猿・さる)

  672年・・・壬申(猿・さる)
8月・・・戊申(猿・さる)
21日・・・壬子(鼠・ねづみ)
 「七月二十三日」はボクの誕生日でもあるけれど、「壬申年」ではない。「1512・1572・1632・1692・1752・1812・1872・1932・1992・2052」は「壬申年」で、下二桁が「12・72・32・92・52」のサイクル年である・・・ナゼか「明治天皇」は
 「明治三年七月二十三日
 (西暦1870年8月19日=庚午年-甲申月-丁亥日)」
 西暦(グレゴリオ暦)で
 「1870年7月23日=庚午年-癸未月-庚申日」
 に
 「大友皇子=伊賀皇子(死亡は天武元年七月二十三日)」
 に対して
 「弘文天皇」の号(追号・称号・諡号)を与えている・・・ナゼ、「弘文(コウブン)=弓+ム+亠+乂」なんだか?・・・「コウブン=乞う文、交文、考文」・・・ナゼ、「伊賀皇子」なんだか、「百地三太夫・石川五右衛門」、「服部半蔵」、「藤林保武」、「望月出雲守」、「戸川(戸田)白雲斎」・・・「訳臥話葉句韻差意」の仕業かも・・・「記録文書」も忍者の仕事・・・忍耐、堪(こら)える、躵、我慢・・・
 改暦布告は二年後の明治五年(1872年12月9日)である・・・
 「壬申=ジンシン=訊審」である・・・「ミズのエのサル」・・・
 「jigen-net」では、
  ↓↑
 「長は長髪の人で部族を代表する者、そのような人を殴(う)って部族に対して懲罰を与えるのが徴(徵)、敵方の若い巫女を殴って呪力を微(な)くするのが微、髑髏(どくろ)を殴ってその呪霊を刺激し徼(もと)めるのが徼。徴(徵)・微・徼はいずれも相似た呪的行為を意味する字」
  ↓↑
 「彳(テキ)+山+王(チョウ)+攵=攴(ボク)。彳=道路において、「山+王=長髪の人」を「攴(うつ・敺=殴打)」形象。長髪(山+王)の人は長老とも、また巫女とも解されるが、要するにすぐれた呪的能力をもつもの。これを殴(う)って、敵方に対する懲罰的な行為として、味方の要求するところを徴し、あわせて懲罰を加える行為をいう。その効果のあらわれることを徴験という(字通)」
 ・・・「徴(徵)」の「山+一+王」が、「山+一+壬(みずのえ・ジン)」ならば、「彳(渓流)の山から一(流)れる水(壬)の瀧(攵=攴)の落水」で、「望天門山(李白)」の漢詩からナルホドかも・・・
  ↓↑
 「望天門山 李白」の漢詩
 「天門中断楚江開
  碧水東流至北廻
  両岸青山相対出
  孤帆一片日辺来」
 からの示唆?、 
 「天門山は
  安微省・・・・・・・安-微省
  蕪湖(ムコ)・・・「蕪村」じゃぁなく、「蕪湖」です
  市付近にある
  東梁山
  長江(揚子江)を
  楚の国から流れてくるコトから
  楚江と呼んだ」・・・らしい
 ・・・「楚」=「林(木々)」+「疋(ひき・あし・ショ・ソ=疋は膝から下の脚、反物を数える数詞」・・・
  ↓↑
 「天門山=長江両岸を夾んで
      門のように聳(そび)える・・・聳=従う耳
      二つの山の総称
      安徽省・・・・・・・安-徽省
      当塗県にある
      博望山(東梁山)(長江東岸)
      と
      和県(長江西岸)にある梁山」・・・和の県?
  ↓↑
 「天門山は長江が
  安徽省・・・・・・・・安-「微」-省
  から江蘇省に入る直前。
  安微省・・・・・・・・安-「徽」-省
  蕪湖近く。
  「博望山」
   と
  「梁山」の
  二つの山をあわせた言い方
  この両山が長江の両岸にそそり立っていて、
  川下りの舟から見上げるると
  天に門が開けたようなので
  天門山という。
  楚江=長江。
  戦国時代にこのあたりは
  楚の領土だったため楚江という」・・・らしいが、
 「安-微(ビ)-省」=安-徽(バイ・ビ)-省」・・・と記されている・・・のだが、「誤記」なのか・・・?・・・「安徽省(Ānhuī Shěng)=アンホイ」が正解であるらしい・・・
ーーーーー
 ・・・ナゼ、「仏性」を簡単に「自然の法則性」の「対象認識」としないんだか・・・「大乗」は「自転、公転している地球自体の乗り物の比喩」だろう。それに乗っているのが「生きている動植物」で、「個々の限られた命(いのち)を別個な命へと交代で繋いでいる」のである・・・「お経」を暗記して唱えているだけでは救われないのはアタリマエである。「漢字の一文字」の意味が解れば、「生き方も変化」していくだろうが、「言霊が人間を動かす」のは事実であるが、「意識がプチブル意識の枠内」では「慈+悲」のコトバの「人間社会」もなくならない。「慈悲」を極めるとは「慈悲」を必要としない「人間社会」である・・・「施(ほどこし)し、乞食(コツジキ)」を必要とする階級社会ではないだろう・・・「ホトケの手のヒラ」で生きていくコトでもない・・・
ーーーーー
 以下の文言は「ETVの番組」の登場者の会話を観て拾ったコトバであるが・・・
 ↓↑
 忘己利他
 モウコリタ・・・懲りたのは
         毛の子の理(利)の多(他)で・・・厘毛
         毛野 (けぬ) 国=かみつけの=上毛野=上野
                 群馬
                =しもつけの=下毛野=下野
                 栃木
         摩利支天(Marīcī・陽炎・威光)塚古墳
         仏教の守護神である天部の一柱
         日天の眷属・Marīcī=太陽や月の光線
         摩利支天は陽炎の神格化
         ↓↑
         にこげ=和毛=鳥獣の柔毛・産毛
         二毛作か、不毛か
         毛利か、毛-タク-サンか
 己心本有
 コシンホンユウ・・・己の心は本に有り?
 1052年末法
 観心本尊抄
 一念三千・・・事の一念三千
 十界互具
 常不経菩薩
 良寛
 法華讃
 ↓↑
 南妙法蓮華経
 ナンミョウ補得蓮華経
 久遠の仏
 衆生国土五蘊世界
 十如是諸法実相
 百界
ーーーーー
 ・・・???・・・

モモちゃん、ごめん・・・鎮魂の絵だけれど・・・鎮星(土星)に逝ってんの・・・?

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・・・今現在、NHKの「22:25・ブレイブ・勇敢なる者、冤罪弁護士」を観終わったが、「勇気を持って世界を変える日本人に迫るシリーズ『ブレイブ』」、「日本の刑事裁判の有罪率99.9%、14件もの無罪判決」を克ちとってきた「今村核」氏・・・スゴイなぁ~ッ・・・「勘違い」を「正(糺)す」のには・・・だが、「弁護士のアタリマエの仕事」である・・・「検察官・裁判官」もだが、本来、その「仕事の重さ」は「裁判官」だろう・・・「皮相=ヒソウ=日宋=悲壮=悲愴」と云う漢字は、「怪しい=あや(怪・奇・竒・恠・妖・文・理・斐・彪)しい」コトバではある・・・むかし、友人に「アンタはモノの観方が皮相的なんだョねッ」と云われたコトがある。だが、その時は「皮相的」自体のコトバの意味がワカラなかった・・・個々人の経験的な事象、事態は「生活レベル」での軽重が随分と異なっている。「プライド(?)の軽重」も・・・「10円の価値」が個々人の生活状況によって異なるのは当然だが・・・ボクは「10円、1円」で泣く思いをするが、「1000円単位で生活」しているヒトの困惑などを理解するコトは無理であったし、無理であるカナ。だが、事情は何であれ、その時点での個々人の「死ぬ思い」は同じであるらしい。それは、「死ぬオモイにも、異なった生活のレベル」がある、と云うコトらしい・・・
  モモちゃん、ごめん・・・鎮魂の絵だけれど・・・鎮星(土星)に逝ってんのカナ・・・

 「悲哀」・・・「悲(かな)しい」と「哀(かな)しい」は訓は同じでも、漢字自体の構成も意味も異なるだろう・・・だが「熟語」になって重なってしまった・・・「喜怒哀楽」は「主観的な個々人の感情のコトバ」であるらしく、それらを「共感、同感」出来る人もいるだろうが、「客観的に一般化」は出来ない・・・「特殊、個別」的な出来ごとの「共感」は、人生での同じ時間枠の経験、時間がズレテいても同じような経験が必要だ・・・相手の「喜怒哀楽」を「共感」するのは、自分自身が、「未知」で、それらに「遭遇」するまでは難しい・・・「遭遇」しても「尚、且つ」である・・・自分自身の痛さは「殴られて初めて解る」・・・ダレも「我が身を抓(つね)らない」が・・・
 自分自身の「痛さを快感」と感じる人間もいる・・・生きている人間の肉体も精神も、プロセス的には「快=不快」の「表裏一体」の存在であるらしいのがアタリマエであるが・・・以前ドキュメンタリーのTVで観たのは「無触覚知覚障害の女の子」・・・「触覚=触感」が無い人もいる・・・肉体的に冷たさ、熱さ、痛さをマッタク感じられない病気・・・「皮膚感覚=体性感覚」、「触覚、圧覚、痛覚、温度覚」の無い病気・・・「無触覚知覚障害」・・・
 「加齢」が確実に「五感覚」を鈍くしていくコトを「涅槃」まで保障しているのは「自然」であるが・・・
 悲=非+心
 哀=亠+口+イ+レ(丄)+乀+ノ(ノ)
 ・・・多分、「哀」は口に「亠(ふた・トウ・ズ)=蓋・音略)」された「イ(人)」の「乀(ながれる・まがる・フツ・ブチ)」の「丿(ひく・ヘツ・ヘチ)」である・・・この「漢字部品」は
 「丿(ノ)、乀」は
 「船などが左右に揺れるさま」
  漢字を書く時の筆画、筆描の動きので、
  左に払うものを「丿=ヘツ=ノ」、
  右に払うものを「乀=ホツ」
 と云う意味らしい・・・視覚的な形象はナニかを叩く「棒(ボウ)」か、ナニかを切る「小刀(こかたな)」である・・・コレラが重なれば
 「乂(かる・おさめる・カイ・ガイ)=乀+ノ」
 である・・・類字は「乄(しめる)」
  ↓↑
 で、
 「ヒソウ」、難聴のベートーヴェンの「悲愴(Grande Sonate pathétique・第2楽章・第8番ハ短調・作品13・ピアノソナタ・1798~1799年)」とは怪しい音楽である。「情熱の表出」ですか・・・漢字は「悲=非+心」と「愴=忄(心)+倉」であるが、「忄」は「小」を圧縮したようにも思える・・・心の倉がカラッポ(悲)なのか、小さい倉で、「宝石箱」なのか、「怪盗ルパン」に訊いてみたい・・・
 「怪異・怪人・怪訝(ケゲン)」の「怪(カイ・ケ)=忄(心)+圣(コツ・又十一)」である。
 「ア-ヤ-シ-イ=丫=「ア・鴉・蛙・亞」-「や・哉」-「シ・詞」-「イ・意」が、「あやしい=怪・奇・竒・恠・妖」、奇怪千万・・・
 次ぎもナニを云っているんだか、ボクには「?」である・・・以下は「jigen net」から抜粋添付したモノだが・・・
 ↓↑
 子曰。
 素隱行怪。後世有述焉。吾弗爲之矣。
 「隠(いん)を素(もと)め、怪(かい)を行ふは、
  後世(こうせい)述ぶること有らん、
  吾は之れを為さず」
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 君子遵道而行。半塗而廢。吾弗能已矣。
 「君子(くんし)、道に遵(したが)ひて行ひ、
  半塗(はんと)にして廃(はい)す、
  吾は已(や)むこと能(あた)はず」
 ↓↑
 君子依乎中庸。遯世不見知而不悔。唯聖者能之。
 「君子(くんし)中庸(ちゅうよう)に依り、
  世(よ)を遯(のが)れて知られずして悔いず、
  唯(た)だ聖者のみ之れを能(よ)くす(中庸)」
 ↓↑
 「蓋し世道の変、
  無窮に相(あい)尋(つ)ぐと雖も、
  然れども本と愕(おどろ)く可く
  怪(あや)しむ可き事有ること無し(論語)」
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 ・・・???・・・

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