・・・シンシンと雪が積もった朝、外に出て庭を見わたしてもモモちゃんの足跡は無い・・・女王の崩御は「十一月一日」だったけれど・・・「Kyrie eleison」・・・「鎮魂歌(requiem・レクイエム・ラテン語Requiem・レクィエム)=安息の歌曲・葬送の歌曲」、「鎮魂(慰霊・死者を悼む」・・・「レクィエム→霊悔(躯)意慧(恵)務?」・・・日本神道では「生者の魂を体に鎮める鎮魂、生者の魂の活性の魂振(たまふり)・御たましずめ(生き霊の鎮静)、御たまふり(生き霊の活性)」・・・ムカシの「日本人(?)」の考え方は「対象存在」とソレを「存在認識」する生きている人間の認識思惟の整合的、合理的なモノだった。「色(五感認識)即是空(無規定の存在)=空(対象存在)即是色(規定された対象思惟認識)」、「色=シキ=識」、「空=クウ・コウ・ク=句得・故有・具」=「矩宇(クウ)」・・・死者の為ではなく、生きているモノに対するコトバであるらしい・・・確かに、「鎮魂式」を行うとは、愛しいモノを失って、悲しみに涙を流し、落ち込んでいる「遺され生きている者のタメの鎮魂の儀式」であるカナ・・・遺族、親族、友人でなくても、御近所の知り合いが集って「涙(泪・涕)」を誘われ、流すのは、「遺されて生きているモノに対する鎮魂のナミダ」である。そして、喪に集会した人々自身の「己の鎮魂」に、である・・・「泣き屋」と云う「不思議な職業」もあるらしいが、他人の「喪=(十口口一丄乀ノ)or(亠口丄口レ乀ノ)」は「おまつり」、生き残(遺)ったモノの「協同体のevent・festival・celebration・fete」だから不思議ではない。元気づけに遺族を囲んでドンチャン騒ぎもする・・・「祀り・祭り・奉り・政り」・・・「鎮魂・鎮星=土星」の漢字・・・ナゼ、「土星(ドセイ・Saturn・♄ฺ・♄)」なんだか、公転周期が29.46年(約30年)、球体の周りの「輪(わ・リン)=七輪(内側から順にD環,C環,B環,A環,F環,G環,E環、2009年10月現在、12本の環が確認)」は「15年毎(ごと)に一度、観(視)えなくなる」、数字的には「(29.5)÷4≒7.37」・・・占星術の土星周期の七年目、7年目の休耕、(7×7)+1=49年目と次(接)ぎの1年の50年目のヨベルの安息年・・・「鎮星(チンセイ)=填星 (テンセイ) =」・・・クロノス、山羊座の守護星、彼の祭日(12月17日~24日)期間には奴隷も自由が許された・・・「Kyrie eleison」・・・
「土星=英語(Saturn・サターン)・・・
星座記号は「♄・♄ฺ→ち」に似ている
ラテン語(Saturnus・サートゥルヌス)
ギリシア語(Κρόνος・クロノス)」
アラビア語(ズハル)
「農耕の神、時の神
衛星のタイタン (Saturn VI Titan) は
6番目で、太陽系では2番目の大きさ
XVIIのパンドラ (Pandora) 衛星は
最近発見(1980年10月)された」
「填=土(十一)+真(眞→ヒ+目+乚+八)=塡
うづめる・ふさぐ・みたす・はめる・テン」
填塞 (てんそく) ・填補・充填・装填・補填
「鎮=金+真(眞→ヒ+目+乚+八)
しずめる・しづまる・おもし・おさえる・チン」
鎮圧・鎮火・鎮護・鎮魂・鎮座・鎮守
・鎮静・鎮痛
重鎮・風鎮・文鎮
↓↑
「真鍮(シンチュウ)」の「シンバル(cymbals)=鐃鉢(ニョウハチ)=鐃(バツ) 」・・・「シンボル(symbol)=象徴」ではないが、突然の大響音では、うるさいカモ・・・「ペルシャの市場」は兎に角、「京劇の孫悟空」は矯激、挟撃音の驚愕音である・・・
↓↑
「真」と「眞」の漢字だが、次の漢字もあった・・・
「真実」と「眞実」はマサニ、漢字の「シンジツ」が行政として、法律として「人名付(附)与」として揺れ動いていた、いる、のだ・・・「賦与・扶余」だけじゃぁなく・・・「文書記録の専門職業」ではあるが、行政事務方の「記録役人の仕事」も大変である・・・裁判官と検察官・・・「司法行政」での「記録文言」が僅かに異なっていても「無罪か有罪」の境目に「被疑者」は立たされている・・・有罪、冤罪、そして無罪、放免・・・誤まって重罪判断判決を宣告した人間は贖罪も懺悔もしないかも・・・ナゼ、「保釈金制度」、「執行猶予」があるんだか・・・「救済」はダレのタメのモノなのか・・・親鸞に訊ねてみたい・・・なるほど、「絶対他力本願」って、「人」を救えない「エゴ」だったらしい・・・
その、「イイ加減さのハナシ」がブログ検索したら出てきたので、その概要を添付する・・・原文は「真(眞)」の漢字を検索したら容易に「発見=ハッケン=八卦務?」出来るだろう・・・
ーーーーー
↓↑
昭和17年6月17日国語審議会
昭和21年11月16日内閣告示された当用漢字表
昭和23年1月1日戸籍法施行規則
「眞」は出生届に使用許可
「真」は出生届に使用不許可
昭和24年4月28日当用漢字内閣告示、字体表で
昭和24年6月29日回答
「眞」は出生届に使用許可
「真」は出生届に使用許可
昭和52年1月21日国語審議会、新漢字表試案に
「真」が収録
「眞」も収録
「真=眞」
昭和54年3月30日国語審議会報告、常用漢字表案
「真=眞」となっていたが
「」
の字体に変更
昭和56年3月23日国語審議会、常用漢字表
「真=眞」となっていたものが、
「」
「眞」→目→「月(冃)+一+L+八」
冃(づきん・ボウ)
平成16年9月27日戸籍法施行規則
旧字の「眞」の字体が変更
「目」の下の部分が
あいた当用漢字表の字体に戻された
「目」の下の部分がくっついた
「眞」は、
昭和56年10月1日~平成16年9月26日
の間だけ、子供の名づけに使えた
新字の「真」
旧字の「眞」
変更の字体
「」
「目」→「月(冃)+一」、
「冂+三+乚+八」
どれでも「現在はOK」らしい・・・
・・・「女真・女直」族の「金」さんにも訊いてみたいが・・・
ーーーーー
・・・送られてくる「mail」に「Insufficient fundsAlert」の文字があったが・・・「ヴィルス」に感染して以来、個人的に知らない人のモノは開けるコトはないが・・・知らないヒトがナゼ・・・英語辞典の検索項目から拾えば・・・
↓↑
残高不足
Insufficient fundsAlert
Attention
Warning
Notice
「警告・注意」
不十分な,不足な
insufficient evidence
証拠不十分
There're insuff
I am sorry that my explanation regarding
that is insufficient.
be insufficient
be insufficient
欠ける, 缺ける, 闕ける
an insufficient supply of food
不十分な食糧供給
不適当
insufficient protection
不適当な保護
He is insufficient to discharge
the duties of an office.
This could result in overdraft
item or insufficient funds
fees being assessed on your account.
Want to confirm this email is from
「執行猶予」
不十分な,不足な
an insufficient supply of food
不十分な食糧供給
(…に)不適当・不適切な
の力量不足
能力のない
insufficient protection
不適当な保護
He is insufficient to discharge ~
ーーーーー
・・・???・・・
ーーーーー
・・・「産経新聞」のブログ記事にボクにとって「緯度33°」に関する興味深い記事があったので・・・重複するが・・・
↓↑
ーーーーー
クレタ島(北緯35度10分 東経24度5分 )
ガヴドス島(北緯34度50分 東経24度5分)
↓↑
呉軍港・・・広島・・・
北緯34度14分26.3秒
↓↑
音戸の瀬戸が、
1164年(長寛二年)に開通
↓↑
第二海軍区軍港開港計画決定、
広島県に鎮守府
呉・三原
江田島が候補地として
1883年(明治十六年)から測量
1884年(明治十七年)
呉に決定
1885年(明治18年)8月4日
明治天皇が、船上から視察
1886年
勅令第31号で軍港境界決定
真木長義中将を建築委員長
佐藤鎮雄大佐を副建築委員長
とし、
1887年(明治20年)11月起工
施工業者
藤田組
大倉組(大成建設)
両社が競い合って流血騒事件
海軍主導で両社を一つの企業
「日本土木会社」
として仲介、仲裁
1889年(明治22年)3月末竣工
1889年(明治22年)7月1日
呉鎮守府が開庁
以降軍港・・・
↓↑
1903年(明治36年)
呉海軍工廠が設立
安芸郡
和庄村・宮原村・荘山田村・警固屋村
の4村で呉港区で開発が始まり
1921年(大正10年)
呉鎮守府広支廠(広海軍工廠)が設立
広港区が、
1942年(昭和17年)
内務省直轄工事として
仁方港区が開発
↓↑
太平洋戦争末期
アメリカ軍の爆破目標
1945年(昭和20年)3月
呉軍港空襲を受け機能停止
戦後は呉工廠は閉鎖
戦後
イギリス連邦占領軍の管轄
1948年(昭和23年)
「呉港貿易港」に指定
開港
1950年(昭和25年)
旧軍港市転換法施行により
占領軍から返還
1951年(昭和26年)
呉港は「重要港湾」に指定
1952年(昭和27年)
呉市が港湾管理者に認可
↓↑
ーーーーー
胆振支庁(いぶりしちょう)・・・愛媛県の「日振」ではなく、
北海道の「胆振」である
北海道に存在した支庁の一
支庁名は胆振国 に由来
人口密度は
高知・島根・秋田・岩手の四県が高い
胆振総合振興局とし、
日高振興局=総合振興局と
同等の地位(地方自治法上の支庁)とされた
北海道内では石狩支庁に次いで二番目
↓↑
ーーーーーー
渡党・・・・・渡邉綱=「源宛の子」
↓↑ 嵯峨源氏の「源融」の子孫
正式な名のりは
「源綱(みなもと の つな)」
通称は渡辺源次
源頼光四天王の筆頭
渡辺氏の祖
渡邉崋山・・・?
ミナモトのゲンジ?
ミナモトをアテル?
ミナモトをトカス?
酒呑童子(シュテンドウジ) 退治
源頼光の四天王の一人
羅生門の
鬼(酒呑童子=茨木童子)
↓↑ の片腕を切り落とした?
↓↑ 典型的な出来過ぎの「源字」である
↓↑ 「源字・言辞・元治・源治」だョッ
↓↑ 金太郎・桃太郎・浦島太郎ちゃん
松前藩の歴史書
『新羅之記録』以来
和人が蝦夷地へ
渡った一党であるとされ・・・「新羅人」だろうさッ・・・
松前氏も
和人を名乗った
渡党の祖先について
日本海沿岸地域
北東北地域
からの移住者であるような
系図伝承となっている
建久二年(1192年)
源頼朝が
重犯罪人を
蝦夷地へ流刑とするように奏上
強盗などを流刑とした
頼朝の
奥州藤原氏征討から逃れた
藤原氏被官も蝦夷地に渡った・・・
↓↑
奥州藤原氏自体が、
朝廷などから
夷と呼ばれ
戦前の研究者は、
「和人化したアイヌ=東北地方の蝦夷」
が蝦夷地へ渡った・・・
昭和25年(1950年)
奥州藤原氏のミイラ調査結果
藤原秀衡には
アイヌ人ではなく和人・・・
中世における
蝦夷の概念自体を再見直しし、
アイヌ文化を
受容した本州からの渡航者である
渡党を含むとし
渡党についての
人種的所見は不詳
『新羅之記録』
には、
源頼朝による
奥州合戦から逃れた者と
流人の子孫が
渡党である旨の記載・・・
北海道庁『北海道史第一』
1918年 には、
戦乱を逃れた和人、
漂流者及び出稼ぎ者が
渡党となったとの記載・・・
↓↑
ーーーーー
胆振国(いぶりのくに)
大宝律令の国郡里制を踏襲し
戊辰戦争(箱館戦争)
終結直後に制定された
日本の地方区分の国の一
五畿八道のうち
北海道 (令制)に含まれた
当初は
膽振國とも表記
国名の由来
斉明天皇のころ
阿倍臣が
胆振鉏(いぶりさえ)の
蝦夷(えみし)たちを饗応したという故事
道南から道央にかけての地域に位置
胆振総合振興局管内の全域、
渡島総合振興局管内の
長万部町
八雲町のうち
旧熊石町を除く部分
後志総合振興局管内の
虻田郡、
石狩振興局管内の
千歳市・恵庭市、
上川総合振興局管内の占冠村にあたる
↓↑
日本書紀
斉明天皇五年(659年)
阿倍比羅夫
が
後方羊蹄(しりべし)・・・「後方の羊の蹄(足の帝)」?
に郡領を置いた
後方羊蹄は
虻田郡域・・・・・・・・「アブ-タ」です、「則天武后」です
の羊蹄山付近との説・・・
一方、
胆振鉏について
新井白石は
勇払郡域(ユウフツ)に当たるとの説
千歳郡域内(恵庭市)では
蝦夷征討が盛んに行われていた
飛鳥時代から平安時代初期にかけて
茂漁古墳群(柏木東遺跡)が築かれた
の古墳群からは
土師器
須恵器
和同開珎
律令時代の
六位以下の位階を示す
帯金具などが発見
構造も
石狩国札幌郡の
江別古墳群
北東北の終末期古墳と同様の群集墳
千歳郡域では
皇朝十二銭のひとつで
平安時代に流通していた
隆平永宝
が恵庭市の
茂漁8遺跡から、
富寿神宝
などが千歳市の
ウサクマイ遺跡群から出土
当時の胆振国域では
擦文文化が栄えていた
後に
渡島半島を中心とする地域では
擦文文化
と
本州土師器文化の
混合的文化である
青苗文化が成立・・・
青苗文化を足がかりに、
主に東北地方から移住し、
本州と蝦夷との交易に携わる人々が現れ
これが渡党・・・
居住地は道南
活動範囲は
渡島半島周辺地域にも及んでいた
北海道太平洋岸
には
「日の本」・・・・・「日本」の原点は東北蝦夷です
と呼ばれる蝦夷が存在
鎌倉時代
「渡党」と「日の本」は
蝦夷管領の支配下に置かれていた・・・まだ国名は
↓↑ 「日本」じゃぁ無かった?
雍熙元年(984年)=中国年号
永観二年(984年)=甲申年=日本年号
に入宋した日本人僧の
「奝然(チョウネン)」の
「王年代紀」が
「宋史日本伝」で
「日本史」の紹介記事?
984年11月5日
(永観二年十月十日)
円融天皇が譲位し、
第65代天皇・花山天皇が即位
各国年号
北宋=太平興国九年、雍煕元年
遼=統和二年
大理国=明政十六年
于闐=中興七年
奝然が宋の太宗に献上した
「王年代紀」が
「宋史日本伝(1345年完成)」に収録
「新唐書日本伝(1060年)」・・・日本国
も、
「王年代紀」を参照にした・・・?
「旧唐書倭国伝・945年(開運2年)6月」
・・・倭と日本が併記
↓↑ 1295~1298年のマルコの時代
↓↑ ジパング(Cipangu)
ジーベングォ=中国語発音の日本?
↓↑ Chipangu
↓↑ ジパング(Zipangu)
↓↑ 東北の奥州の金産地?or佐渡島?
↓↑ 元が遠征した東南アジアの小国家群を示す
↓↑ 「諸蕃国(ツィァパングォ)」の訛り?
室町時代
康正3年=長禄元年(1457年)
コシャマインの戦い
胆振国域のほぼ全域で
和人と蝦夷による戦いが繰り広げられた
↓↑
江戸時代
松前藩
松前藩家臣が
蝦夷の人々と交易を行う
十ヶ所の場所とよばれる
知行地が開かれた
↓↑
ヤムクシナイ場所・・・山越郡
アブタ場所・・・・・・虻田郡
ウス場所・・・・・・・有珠郡
モロラン場所・・・・・室蘭郡
ヱトモ場所・・・・・・室蘭郡
ホロベツ場所・・・・・幌別郡
アヨロ場所・・・・・・白老郡虎杖浜
シラヲイ場所・・・・・白老郡
ユウフツ場所・・・・・勇払郡
シコツ場所・・・・・・千歳郡南部(千歳市)
ユウフツ場所に編入された
シコツ場所に相当
シュママップ場所・・・千歳郡北部
(恵庭市穂栄、北島、林田、漁太近辺)
シュママップ場所は
石狩十三場所の一
石狩国札幌郡南部(北広島市)も含む
↓↑
江戸時代~明治時代初頭
胆振国域の交通
沿岸部に一部地形が険しく道が途絶え
舟に乗り換える区間があった
寛政年間
山越郡と虻田郡の境を越える
長万部~虻田間の道(国道37号静狩峠の前身)
室蘭~幌別間の道などが開削
渡島国の
箱館から道東や千島国方面に至る陸路
(室蘭以西は国道37号、室蘭~苫小牧間は
札幌本道や国道36号、苫小牧以東は国道235号の前身)
が繋がっている
文化年間
勇払~千歳に至る千歳越
安政4年(1857年)
後志国小樽郡の
銭函~石狩国札幌郡を経て
千歳に至る札幌越新道(千歳新道)が開削
太平洋岸と日本海岸を陸路で結んだ
胆振国内の河川
藩政時代~廃使置県までの間
10箇所の渡船場数があり、渡し船が運行
海上交通
畿内や奥羽の
日本海側など道外方面との間に
北前船の航路が開かれ、
室蘭や苫小牧などにも寄航
↓↑
江戸時代初期
寛永17年(1640年)
内浦湾対岸にあたる
渡島国域の
駒ヶ岳が
山体崩壊し
大津波が発生
胆振国域で多数の犠牲者
駒ヶ岳の大噴火は
寛永の大飢饉にも影響
寛文9年(1669年)6月
日高国域を中心に起こった
「シャクシャインの戦い」
胆振国域内で多くの和人が殺害
蝦夷の軍勢は
松前に向かったが、
鉄砲を主力とする
松前藩との山越郡域の
クンヌイ(長万部町国縫)における合戦
で敗北、平定・・・
↓↑
胆振国域での火山活動
虻田郡域の
有珠山噴火
寛文3年(1663年)
明和6年(1769年)
文政5年(1822年)火砕流によって虻田の集落が全滅
嘉永6年(1853年)
樽前山噴火
勇払郡域と千歳郡域が被害
寛文7年(1667年)
元文4年(1739年)
文化元年(1804年)
蟠渓温泉
登別温泉・・・最上徳内の『蝦夷草紙』に記録
↓↑
江戸時代後期
胆振国域=東蝦夷地
山越郡域は和人地
寛政11年(1799年)
東蝦夷地は
公議御料(幕府直轄領)
翌12年(1800年)
八王子千人同心千人頭
箱館奉行支配調役
原胤敦の弟・新助の一行が移住
苫小牧市の基礎を築いた
享和元年(1801年)
山越内関所が設置
渡島国亀田郡にあったものを移転
蝦夷地への
武器の持ち込みなどを取り締まる国内最北の関所
文政4年(1821年)
松前藩領に復し
安政2年(1855年)
再び公議御料
ホロベツ以西は南部藩
シラヲイ以東は仙台藩
が警固を担当
南部藩は
室蘭郡域(元陣)
ヤムクシナイのヲシャマンベ(分屯所)
仙台藩は
シラヲイに陣屋を設置
安政6年(1859年)
6藩分領以降、
一部が
南部藩領(虻田郡南西部、絵鞆、幌別郡)
仙台藩領(白老郡)
になっていたが、
他の各藩警固地は公議御料のまま
戊辰戦争時、
江戸開城後成立した
蝦夷共和国に
開拓奉行(室蘭奉行)が設けられ、
室蘭に250名が移住
箱館戦争終結まで開拓と守備を行った
↓↑
明治2年(1869年)8月15日
胆振国8郡が制定
44村が含まれた
同年7月~明治4年(1871年)8月
まで道外の藩や士族などによって分領支配
明治3~4年(1870年~1871年)
本願寺道路が建設
明治5年(1872年)
虻田郡黒松内村が後志国寿都郡に移管
明治5~6年(1872年~1873年)
江戸時代の道をもとに
札幌本道が建設
明治15年(1882年)2月8日
廃使置県
山越郡は函館県の、
それ以外の全域は
札幌県の所管
となる
↓↑
日胆(にったん)
北海道に設置された
律令制国で
日高国と胆振国を合わせて呼ぶ名称
↓↑
施設
寺院
比叡山の僧
円仁が平安時代の
天長3年(826年)に開山
江戸時代には
蝦夷三官寺のひとつの
有珠善光寺が
有珠郡の一部だった
伊達市にある
文政年間
山越内に建立された
阿弥陀堂を起源とする
山越郡(八雲町)の
円融寺
室蘭郡(室蘭市)の
常照山満冏寺(まんけいじ)、
山越郡(長万部町)の
光明山善導寺
などが
江戸時代に建立
↓↑
神社
神仏混合(平安朝)時代
和人が地元人とともに奉斎したと伝わる
刈田神社
江戸時代初期に建立された
弁天堂を起源とする
千歳神社
寛政年間にはすでに存在していた
大臼山神社
以下
江戸時代以前の創建
↓↑
山越郡 諏訪明神社(現山越諏訪神社、二海郡八雲町)
山越郡 飯生神社(山越郡長万部町)
虻田郡 豊浦神社(虻田郡豊浦町)
虻田郡 稲荷神社(虻田郡洞爺湖町虻田地区)
有珠郡 大臼山神社(伊達市)
室蘭郡 崎守神社(室蘭市)
室蘭郡 絵鞆神社(室蘭市)
幌別郡 刈田神社(登別市)
白老郡 弁天社(現白老八幡神社 白老郡白老町)
勇払郡 恵比須神社(苫小牧市)
千歳郡 弁天堂→思古津稲荷大明神(現千歳神社、千歳市)
旧社格は、千歳神社が郷社である。
↓↑
地域
郡
胆振国
八郡で構成
山越郡
虻田郡
有珠郡
室蘭郡
幌別郡
白老郡
勇払郡
千歳郡
↓↑
江戸時代の藩
松前藩領、松前氏(1万石格)
1599年~1799年・1821年-1855年(胆振全域)
南部藩モロラン陣屋
1859年~1868年(虻田場所南西部、絵鞆場所、幌別場所)
仙台藩白老元陣屋
1859年-1868年(アヨロ場所、白老場所)
分領支配時の藩
斗南藩領、1870年~1871年(山越郡)
大泉藩領、1869年~1870年(虻田郡)
一関藩領、1869年~1871年(白老郡)
高知藩領、1869年~1871年(勇払郡、千歳郡)
分領支配時、
有珠郡、室蘭郡、幌別郡の三郡(虻田郡)は仙台藩士領
↓↑
人口
明治5年(1872年)調査
人口6251人・・・
↓↑
胆振国の合戦
1457年コシャマインの戦い
1669年シャクシャインの戦い
ーーーーーー
↓↑ ↓↑
日振型
海防艦
大日本帝国海軍が
第二次世界大戦で運用した海防艦
主に南方航路の船団護衛に用いられた
海軍省が定めた
艦艇類別等級では
御蔵型に含まれるが、
基本計画番号はE20bと異なる
計画時は乙型に区分されたが、
丙型海防艦・丁型海防艦の建造決定後は
区分が甲型に変更
1944年~1945年
にかけて
同型艦9隻が就役、
11隻が建造計画だったが
未成艦2隻
ーーーーー
↓↑
愛媛県日振島
(日振諸島・宇和島沖、豊後水道大小の四島)
とハナレ磯
↓↑
ーーーーー
北緯33度線・・・最近は「33度」に言及するブログも多くなってきているが・・・やっと、云いたい処に・・・
↓↑
愛媛県日振島(宇和島沖、豊後水道の四島)→横島→阿蘇山(北緯33度)→横島→会稽→イズミル~アテネ~アレクサンドリア~中東イスラエル←ゴラン高原の間
を御覧アレ・・・
http://www.ac.auone-net.jp/~kiriya/kirikoji/kirikoji2.html
ーーーーー
以下、「産経新聞」のブログ記事の概略引用・・・要点の文字を各行の頭出し改作にしています・・・モウシワケナイ・・・
↓↑
(産経新聞 - 11月29日 10:03)
伊勢、出雲、諏訪、高千穂、熊野…神々つなぐ
「陽のみちしるべ」のナゾ
淡路島の伊弉諾神宮
伊弉諾神宮(兵庫県淡路市多賀)
「陽のみちしるべ」と記された石碑
春分、秋分の日の太陽が通過する
北緯34度27分23秒の緯度線に
伊勢神宮(三重県伊勢市)、
伊弉諾神宮、
対馬海神神社(長崎県対馬市)
が一直線
冬至、夏至の日の出、
日没の方角にも
伊弉諾神宮ゆかりの神社が並ぶ
伊弉諾神宮=孝至宮司
↓↑
夏至は諏訪から出雲、
冬至は熊野から高千穂
↓↑
各地の神社は
伊勢神宮の方角に向かって拝むた=「遥拝所」がある
伊弉諾神宮では真東を向いている
↓↑
伊弉諾神宮を中心に
東は伊勢神宮内宮、
西は対馬の海神神社が同緯度に並ぶ
夏至には
諏訪大社(長野県諏訪市)の方角から日が昇り、
伊弉諾神宮を通過して
出雲大社(島根県出雲市)の方角に日が沈み、
冬至には
熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町)から日が昇り、
高千穂神社、
天岩戸神社(宮崎県高千穂町)に日没する
↓↑
春秋分の緯度線に対し、
夏至は29・30度、
冬至は28・30度と角度が1度違う
古事記や日本書紀では
イザナギノミコト、
イザナミノミコトが国生みのあと、
伊弉諾神宮に祀られ、
その子の
天照大神が伊勢の地に遷座した
十一代
垂仁天皇の時代
出雲大社も
大国主命が天照大神に国譲りしたあとに創建
いずれも
伊弉諾神宮よりも後に建てられた・・・
↓↑
記紀の伝承を西暦にあてはめると、
伊勢神宮創建は
紀元前5年ごろ、
諸説研究では
5~7世紀・・・
ピラミッドやストーンヘンジの「知恵」
『古事記』の冒頭を飾る
「国生みの島・淡路」~
古代国家を支えた海人(あま)の営み~
にも登場する「海人」に注目
大陸と交流して
航海や製塩技術にすぐれ、
太陽や星の位置で航海していたであろう海人族は
天文に通じていた
↓↑
ーーーーー
・・・また、また、またの「北緯33度線」でした・・・
鎮魂・・・どせい・ドセイ・・・の、同音イジカンジ・・・
「クレオパトラ七世(プトレマイオス五世の七年目の石碑)」
・・・歴史秘話ヒストリア「女王はいずこに眠る クレオパトラの墓の謎」・・・「クレオパトラ七世」の「ロゼッタストーン(プトレマイオス五世の七年目の石碑)」が「エジプトの神殿」で発見されたらしい・・・「石碑はプトレマイオス5世の7年目に造られたもの。ロゼッタ・ストーンより2年早い。石碑の記事によると、ここはクレオパトラが現人神だと主張するアイセスと関係がある寺院だった(キャスリン・マルチネス・ベリー氏)」・・・
Eテレ「地球ドラマチック・クレオパトラの墓を見つけ出せ!
2016年11月28日(月) 午前0:00~午前0:45(45分)
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/archives/2016-04-04.html
ーーーーー
漢字の現在的な日本語音声の音が古代中国の「秦・漢・呉・唐」王朝の「漢字音」を近似的に共有しているのは「発信地」の「音波」が「遠方」に時間的に届く速度が遅く到達するかであり、その時は「発信地」には音が消えている。岸辺から池の中心に投げられた小石の波紋が「輪=円」を描いて岸辺に到達するプロセスと同じである。そして届いた「音波・音声」は遠方に記憶として残る。その時は発信地の音声は新たなモノに変化して居るだろう・・・
古代中国の「秦・漢・呉・唐」、現代も、その「大陸領域」は目まぐるしく王朝が混乱で交代する。中心地の都の支配者のコトバも入り乱れて変化するのは当然だが、記録された「文字」は双方に遺される・・・現代中国は文字も極端に変化するが、現代日本は旧漢字が新漢字、さらには国字として少々増加し、その形象の意味内容は変わらず、合理的に変化するだけである・・・
問題なのは「片仮名・平仮名」で記録された「日本語」の意味の源泉である・・・日本語を解読するには「ロゼッタストーン」が必要だが、「可意努句」の土台は「漢字」そのものである・・・
ーーーーー
「感謝」・・・感(咸+心)謝(言+射)
と
「謝罪」・・・謝(言+射)罪(罒+非)
↓↑ 「罪=罒(网)+非」
「非=互いに背を向け左右に開く」
=秦、罪を以て辠字と為す
辠=自+辛=つみ・ザイ
奴隷の鼻を切り取ること
法網に捕捉した不法の人
始皇帝が「皇」と「辠」が
類字するコトを嫌って
「罪」の字に改めた
支配者(皇帝)の「自責・呵責」?
「皇=白+王」だが、
「辠=自+辛」である
楷書では類字しないだろう
類字なのは「睾(丸)」である
「秦の始皇帝」は「白人」
だったろう、「西の秦」だから
「大秦帝国」はローマ帝国である
これは
「秦=シン=辛」の
音を嫌って、
「罪(ザイ)=罒(网)+非(ヒ)」に
したんだろうが
「罒(モウ)も非(ヒ)」も
「ザイ」の音ではない・・・?
「非」は
「丰(すがた・フウ・ボウ)」
を分轄した漢字だろう・・・?
「韭=非+一=にら・キョウ・ク」だが
「一」は大地で、根っ子と「非」で、
根こそぎにされた「非」である・・・?
「剕=非+リ(刀)」で、
足切(斬)りの「刑」である
「刑=开=幵(ケン)」+「リ(刀)」で
「开=幵=そろえる・みがく・左右に並ぶ
古代「羌族」の支族が开=幵」
で、
「刑」とは「刀」で「开=幵」、
切り分けるである・・・?
「开」は「鳥居の形」だが、
鳥寄せ、
雨乞い、雨避け、そして
日照避けの
「幵=干+干」のシンボルだろう・・・?
↓↑
「謝」の?・・・ナゼ、「謝々」の?・・・
「罪を謝す」って?
「主客」の「主語」はダレのコトバなのか?、
それとも自分自身の
「自戒のコトバ」なのか?・・・
↓↑
「あやまる・わびる・ことわる・いれかわる・シャ」
「あやまる=謝罪・陳謝」
「相手の負担を思い、ことわる=謝絶」
「礼を言う=感謝・厚謝・謝意・謝恩
謝礼・多謝・拝謝」
「お礼やおわびを表す金品=月謝・薄謝」
「新陳代謝=入れかわる」
「藉 (シャ)の代用字)・いたわる=慰謝料」
「花、葉などが散(ちる)、萎(しぼむ)」
「勢いがなくなる=代謝」
「告げる・述べる・話す」
「ことわる・辞退する・しりぞける・去る
やめる・しぼむ・おとろえる」
「捨てる・棄てる・捐てる」
「去る・撤てる→撤退」
「代謝=死ぬ」・・・新陳代謝
「恥じる・情けないと思う」
「謝=言+射(身寸)・・・弓矢を射(い)る?」
射は矢を放つこと
結果、弓の緊張が解けること
「言葉に出すことにより、緊張が解けること」?
ではなく、
コトバの暴言、批難(非難)、侮辱、侮蔑の
「ヘイトスピーチ(hate speech)」だろう・・・
「謝」の用法を理解するのは「意味内容」が広く「混乱」するが、漢字構成は「謝=言+射(身+寸)」で「寸」=一+亅+丶(ゝヽ丶)」である。コトバを射るか、身体(躯=身+区)の部分をハカ(寸)って、コトバにする、である?・・・「寸」は更に「イチ(一)」を「引っ掛け(亅)=(かぎ・ケツ)」て「ゝ(チョン)=ヽ=チュウ=丶」である。
「ゝ(チョン)=ヽ=チュウ=丶」は、漢字では「々・仝・同」で、それ自体の意味は「文章で上に接続する字の音と意味を同じく繰り返し重ねる記号(?)」とされるが、「漢字構成の部品」であるから「ゝ(チョン)=ヽ=チュウ=丶」は「漢字」である。
ボク的には、漢字理解には「篆文(篆書)の字体構成・書体」はその形象の意味を「参考、参照」にすれども、時間的に結果、出来あがってしまった「楷書」である「漢字構成」の「部首分解」から、それらの「一漢字文字の意味内容」を「解く(訳句)」と云うコトであるが・・・
ごく単純な考え方で、出来あがったモノ(楷書)の「部分の分解」と「部分の合体、再構成」で、その「意味」を理解する、と云うコトである。
「楷」は「木(十の八)」+「皆(比の白)」
で、更に
「木=一+|+ノ+乀」=イチのヘツ、ヘチのフツ
「比=ト+一+ノ+匕(七→一+乚)」=ボクのイチの
ヘツ・ヘチの
匕=匙(是+匕)=ゼ・ダイ・テイ
七=シチ・シツ
七=牝(牛+匕・ヒ)=ヒン
の
「白=ノ+曰(日)」=ヘツ・ヘチのエツ(ニチ・ジツ)
の漢字合体構成である・・・これを更に「日本語(?)」の意味漢字」で考え、その「形象」、そして「音象」を含め、漢字の「本質・概念・範疇・カテゴリー・規定」とする、と云うコトだ・・・
ボクは「日本人(?)」であるらしいから、「日本人的漢字の意味」で「理解=リカイ=裏可意」とする、である・・・それでも、「日本人」以前に「地球人・宇宙人」として「リカイ」したいのだか・・・?
↓↑
「謝」の四文字熟語
温言慰謝(オンゲンイシャ)
新陳代謝(シンチンタイシャ)
報恩謝徳(ホウオンシャトク)
妄言多謝(ボウゲンタシャ・モウゲンタシャ)
↓↑
「妄言多謝」
独断と偏見でいい加減な言葉を並べ立てた後に、
相手に「わびる」言葉・・・?
自分の意見などを率直に記した
手紙の末尾に記して、
失礼を詫(わび)る言葉・・・詫びる・侘びる
・・・ボク的には「妄言」で「多くの言を射る(吐く・身をハカる)」で、「あやまるコト」の「熟語」ではない、と考える・・・?
↓↑
「侘びる」・・・「佗(わびる・タ)=イ+宀+七(匕)」
「侘=イ+宅」=立ち止まる
「侘(わび・タ・チャ)」=正字は「侂」
「侂=イ+广+乇=ほこる・おごる・たかぶる・タ・タク)」
誇る・奢る・驕る・昂ぶる
立ち止まって怪しい、
変だと思うこと
「乇=あづける・くつろぐ・タク=「ノ+七(匕)」
・・・「乇」は「モ」に類字だが・・・
「ノ(ヘツ・ヘチ)」の「七(匕・ヒ)」は
「7・漆・seven」なのか、
「匙・spoon」なのか、
「匕首(あいくち)」なのか、
「牝(牛+匕)=Venus(金星の女神)」なのか・・・
卑弥呼なのか、
壹與なのか、
イシスなのか、
クレオパトラ七世なのか・・・?
「侘傺(タテイ)=志を失ふ貌・・・茫然、呆然
=離騷「忳鬱邑、余、侘傺兮」?
「忄+屯(たむろする・群がる
屯営・屯所=駐屯
屯倉 (みやけ)
=がっかりして呆然(呆然)と立ち尽くすこと
「宅」
↓↑
「石上宅嗣(いそのかみ の やかつぐ)
天平元年(729年)己巳年
~
天応元年6月24日(781年7月23日)
辛酉年乙未月辛亥日(グレゴリオ暦)
辛酉年乙未月乙卯日(ユリウス暦)
公卿・文人
姓は石上朝臣・物部
芸亭(ウンテイ)院は日本最初の「公開図書館」・・・
・・・多分、アレキサンドリア図書館に真似た、重ねたんだろう・・・歴史的に実在したとしても
「ウンテイイン」
で、
「ゲイテイイン」
じゃぁないらしいカラ・・・「藝・芸」は
辛酉(とり)年
乙未(ひつじ)月
辛亥(いのこ)日(グレゴリオ暦)、
↓↑
辛酉(とり)年
乙未(ひつじ)月
乙卯(うさぎ)日(ユリウス暦)
である・・・
「とし(年・歳)」
は
「からい(辛=刺青の針)」
の、
「とり(酉=西+一)=坩・壷・瓶・壜=つぼ)」
で、「さけつぼ(酒坩)」である・・・
↓↑
「託(言葉で頼んで人に預ける・まかせる)」
「託食(タクショク)=人をタヨリにして食うこと」
「信託(シンタク)=信頼できる人に財産等を任せる」
「託(かこつ)ける」・・・「過去附(点・接)ける」?
↓↑
ーーーーー
「クレヲパトラ七世」の「賂雪駄石」?
↓↑
「石碑はプトレマイオス五世の七年目に造られたものだった。
ロゼッタ・ストーンより二年早い。
石碑の記事によると、
ここはクレオパトラ(七世自身?)が
現人神だと主張する
アイセス(=イシス (Isis)=アセト)・・・愛施素?
=オシリスの妹で妻
=ホルスの母親)
と関係がある寺院だった」
↓↑
「エジプト考古学者の
キャスリーン・マルティネス氏
ハトホル神殿の
レリーフ
クレオパトラ自身の姿
女神イシス(アイセス)を模した姿
イシス=クレオパトラ七世
タップ-オシリス・マグナ
は
イシスの夫である神
オシリスの墓という名の遺跡
タップ-オシリス・マグナ
からは
400枚余のコイン出土
コインに描かれている女性は、
クレオパトラ本人・・・
タップオシリス・マグナの地下に
通路の穴を発見・・・
ーーーーー
・・・ひゃぁ~ッ、十二月一日の朝の四時九分・・・とりあえず、今現在はここまで・・・おやすみ、モモちゃん・・・
「沈黙の領域」・・・ココロの中身・・・
・・・13:00・ETV・「こころの時代~宗教・人生~「母なる神への旅~遠藤周作“沈黙”」・・・ナゼ、「母なる神」なんだか?・・・ナゼ、「こころの時代」なのか?・・・「脳ミソの時代」は人類発生から綿々と現代まで続いてきているのは当然なのに、脳ミソは「こころ」の居場所だろうが、「こころ」のナニを求めているんだか?・・・求めているのが人間が「漢字の意味」で考えている「狡い狐と、腹黒い狸-アン」なのか?、一所懸命に生きている「狐」と「狸」に申し訳ないが・・・家畜化された「牛・馬・羊・犬」は化けないが、人間の恨みを果たしてくれる「猫」は化けるが「則天武后」によって「12支」から外され、その居場所は「鼠(ねずみ)」になってしまった(?)・・・
「ネコの女神」、紀元前4000年紀後半には「ライオンの化身」だったらしいが、紀元前1000年頃には「猫」に変身し、この女神はラーの妹、妻、プタハ(Ptah)の娘で、そして女性、妊婦、主婦の守護神「バステト(Bastet)=牝猫=セクメト (Sekhmet)= 」となり、「アペプ(Apep)=アポピス(Apophis)=毒蛇の大蛇」をやつける「エジプトの女神」になった・・・
だが、星座はラランド(フランス天文学者・天文書、「ラランデの暦」の著者)が1799年に「ねこ座(猫座・Felis)」として位置は与えるまで存在しなっかた・・・古代エジプトのサイスの王、ファラオに「ネコ1世(Necho I)・在位紀元前672年~前664年)」や、「ネコ2世(Necho II)=ネカウ(Nekau II)=ネクタネボ・第26王朝のファラオ(在位紀元前610年~前595年)がいた。「エルビス・プレスリーの当て字が中国では「猫王」らしい.・・・だが、「ネコ王」の名前の「音」は「猫(ねこ・ビョウ)」には関係ないらしく、「cat・ラテン語フェーレス(カッタ)・ギリシャ語アイルロース(ガタ=GATT)」でもなく、「ヘブライ語ハトゥール」でもなかったが・・・中国語「猫(マオ)」も「ネコ・ネカウ」には訛り難いが、「ミャォ(myalo)」→「ニャォ(nyao)日本語」→「Necho・Nekau」?・・・英語は「mew・meow」だが、ヨーロッパはほとんどが「ミャ(mya~)」・・・
だが、「ネコ王」の所在したエジプトの「サイス」はアレクサンドリアの東(卯・兎)に位置し、ブバスティスは東南(辰・龍)、ヘリオポリスはほぼ南東(巳・蛇)に位置する・・・猫のミイラが埋葬され、その発掘から
「ブバスティスでは「猫」はバステトの聖なる獣とされ、他の崇拝地は、メンフィス、ヘリオポリス、テーベ、レオントポリス、ヘラクレオポリスでも崇拝されていた」
らしいから、「ネコ王」は「ネコの鳴き声」の「mjw(ミウ・メイウ)・mȧu(マウ)」→「ニャォ~」になったカモ・・・
日本地理上の「根古(ねこ)岳」は「熊本県阿蘇郡高森町」、「上田市真田(菅平高原)・須坂市の境界」にもある。寝そべったネコの耳に観えるらしい・・・
で、「根古(ねこ)」の名前がつく「天皇」だが、
ーーーーー
七 大日本「根子(ねこ)」彦太瓊天皇
八 大日本「根子(ねこ)」彦国牽天皇
九 稚日本「根子(ねこ)」彦大日日天皇
二十二 白髪武広国押稚日本「根子(ねこ)」天皇
四十一 大倭「根子(ねこ)」天之廣野日女尊
四十二 倭「根子(ねこ)」根子豊祖父天皇
四十三 日本「根子(ねこ)」天津御代豊国成姫天皇
四十四 日本「根子(ねこ)」高瑞浄足姫天皇
五十 日本「根子(ねこ)」皇統弥照尊
五十一 日本「根子(ねこ)」天推国高彦尊
五十三 日本「根子(ねこ)」天高譲弥遠尊
五十四 日本「根子(ねこ)」天璽豊聡慧尊
・・・「彦=びこ・ひこ・ゲン」だが、「山彦(やまびこ)」は「こだま=木霊・木魂=こたま」=「谺(谷+牙)=こたま・カ・ケ」で、「反響音・音響」である・・・「こだま=兒玉・児玉」も嬰児、幼児の泣き声かも・・・「彦根」も「彦音」だったカモ・・・
・・・多分、「長靴」を履いていた人物だろう・・・
ーーーーー
・・・パチンコ屋の音・・・チィ~ン、ジャラ、ジャラ・・・
ナゼ、「パチンコ屋」ではなく、「カジノ屋」なのか?・・・「礼服、燕尾服」を着用して「パチンコ屋」で「政務活動費」でタマをハジクわけにはイケナイからなのか?・・・
「ジミン」は兎に角、何処が「イシン」なのか、哂っちゃうが・・・「ミンシン」も「コウメイ」も「同じ穴のムジナ」なんだろう・・・ムカシは「お祭り」の「博打場」を仕切っていたのは「ヤクザ」である・・・一所懸命に生きている貉(むじな)にも申し訳ないヤカラが「博打志向の政治屋」なんだろうが・・・
ラスベガスが「マフィヤの資本」で出来た場所だったし、そこで「15億円」を負けた「日本の政治屋」もいた・・・
マカオで「クジラ」とカモにされ、カジノで「106億8000万円」を負けたらしい製紙企業の御曹司がいた・・・「鯨鯢(くじら)=久志羅・櫛羅・久地楽」にも申し訳ない・・・
「オーストラリアの捕鯨反対のシー・シェパード環境保護団体=国際非営利組織?」の人間は「牛肉・豚肉・羊肉」、モチロン、「魚の刺身も焼身も煮身」も喰ってはいないんだろうが、随分とTVに映る姿、容貌はガッチリした体格で、イカツい。「国際非営利組織」なのに、ダレかからカネを施されているか・・・「シェパード(shepherd・Deutscher Schäferhund・German Shepherd Dog)=牧羊犬」なのに、そのうち、「シー・ドーベルマン」と名前を変更するかも・・・「ドーベルマン(人物名)」は元々、税金の徴収係だった。そして彼は「飼い犬をドーベルマン犬」として品種を改良し、それらの子犬は「軍用犬・警察犬」になっていった・・・
髑髏の海賊旗とマーク、恐喝して生活費を稼いでいるんだろうナッ・・・事実、「国際非営利組織?」の「アメリカのシー・シェパード」は日本から金をかすめ取った(カネで妥協?したのは日本の日本捕鯨協会・捕鯨調査団体?)・・・「勇魚取(いさなとり)・鯨突(くじらつき)」は商業捕鯨・・・
市民社会での「プチブル意識」・・・ボクも「ココロもミも同類の枠内」だろうが、生活で金銭的な余裕が無いし、ここには普段着で行けるようなパチンコ屋も無いが、潰れた「パチンコ屋の看板」が立っている・・・建設されるかも知れない「外人専用(?)のカジノ屋」にはコジキ姿では入場禁止かも・・・
ーーーーー
・・・「狐狸-庵センセイ(撰所為)」の「沈黙」だった・・・ボクも八歳頃に小児結核で毎日の日々が太ももに「ストマイ=ストレプトマイシン(Streptomycin・抗生物質)」の注射針をうたれていた。トウゼンだが、その時間帯は何処かに逃げ隠れては捕まり、観念して痛さの瞬間を知ったが、死ぬと云うコトは知らなかった。病院に入院し、そこで友だちになり、病棟の廊下を走り回った同年代の子供たちは、ただ、その寝台から居なくなっただけだった・・・ただ、家に帰っていっただけだった・・・そして、オフクロの姉であるオバサン達がやってきては、ボクの頭を抱いて涙を流す理由も知らなかった・・・
↓↑
「セバスチャン・ロドリゴ(岡田三右衛門)」・・・
1971年に篠田正浩監督が映画化した「沈黙(SILENCE)」は、ロスアンゼルススの「東宝・ラブレア邦画劇場」で観たが、そこでは「お菊」役の「岩下志麻」氏にあったコトがある。当時は(戦勝国)アメリカに滞在しているでけで「(日本人の)有名人」に逢えるチャンスがあったが、「ロス(羅府)= Los Ángeles・Los Angeles・洛杉磯」の日本人町は「little・東京」と呼ばれていたが、「日本の田舎の商店街」みたいな感じだった・・・そこからかなり離れた場所の「ラブレア邦画劇場」では「日露戦争題材」の映画(日本海大海戦?・1969年)も観た記憶もあるが・・・隣席の日系人のオバァさんは「ムカシの日本人はエラカったし、強かったんだネッ」だった・・・
「愛は死にますか(防人の詩)」は1980年の別な映画の主題歌である・・・「愛」は死なないが、人間は「死ぬ」し、「殺される」・・・ヴィルス感染の「鶏・鷄=にわとり=雞」も人間に喰われる前に処分される・・・「ひよっこ」を観て喰えるのか・・・それでも、人間は「卵(たまご)=玉子」はクウだろう・・・?
後、日本に帰国したボクはオフクロの本棚にあった原作の「沈黙」を読んだが・・・
↓↑
今日(12月3日土曜日)、ETVの番組で遠藤周作の「沈黙」がやっていた・・・そこで、TVの中で語られていた言葉を拾ってみたが・・・
「長崎」、「隠れ切支丹」、「棄教」、「踏み絵」、「殉教」、「クリストファン・フェレイラ」、「ロドリゴス」、「吉次郎」、「長崎奉行」、「初穂あげ」、「刺身二切れ」、「お膳二」、「箸二本(一膳)」、「オラショ(oratio・ラテン語祈祷文)」、「イエス」、「ユダ」など・・・などのコトバが発せられていたが・・・
詰まる所は「カミの存在の有無」が問題のようであった・・・どうやら「キリスト」を「人間」であったと考えたくないらしい・・・タイトルも「母親のようなキリスト(母なる神)」で、「(聖母)マリア」に視点の始点を「母の慈愛(?)」に替えたいようであった・・・聖書の中で「キリスト」は家族関係の「母、父、兄弟、姉妹」を否定しているのだが、現実の「家族」を否定しているワケではない。「家父長制度」としての「夫婦・親子・兄弟姉妹」関係の「序列」の否定であった・・・それは、すべての人びとが「父=神」の下の秩序規範に従え、と云うコトである・・・
↓↑
マタイ福音書
「12:46 彼がまだ群衆に話している間に
見よ
彼の母と兄弟たちが外に立って
彼に話をしようとした。
「12:47 ある人が彼に言った
「ご覧なさい
あなたの
お母さんと兄弟たちが外に立って
あなたに話をしようとしています」
「12:48 しかし彼は、自分に知らせた人に答えた
「わたしの母とはだれか。
わたしの兄弟たちとはだれか」
「12:49 自分の弟子たちのほうに手を差し伸べて言った
「見よ
わたしの母とわたしの兄弟たちだ!
「12:50 だれでも
天におられる
わたしの父の
ご意志を行なう者
その者が
わたしの兄弟 また姉妹 また母なのだ」
↓↑
「キリスト自身」の立場は、「従来の親子(家父長)関係序列」の否定であり、「旧来のユダヤ教組織秩序」と、「旧来の俗性・慣習」の否定であり、「神(父)の意志」の下での「社会的人間」としての「法的な枠内の普遍性の喧伝」であった・・・
既に「神の意志」とは「モーゼ」が「十戎」の中で述べているが、イエスの拠り所も「十戎」でしかない。しかも「十戎」が弊害化した証拠は度重なる「預言者の出現」で理解出来るだろう。彼らは預言というよりは「警告者」であった。「国内での律法(十戎)の誠と義」の実践のエゴ的、欺瞞的な蔓延への警告である・・・
「十戎」での重要なのは人間の日常諸関係で相互に「騙すな・盗むな・殺すな」である。「差別するな=相互愛?」はキリスト自身の「思想」であろう・・・「ユダヤ人はユダヤ国内でのエゴな生活はヤメロ、ッ」である・・・キリストは「愛国主義者」であり、「民族主義者」であったのだ・・・
「ユダヤ国内での支配階級=王族+宗教家(ラビ)」の思想的堕落が「国際関係(ローマ帝国)」での属国化をも招いている、と・・・当然である。「国家主義的な思想の基盤」は「唯一神(ヤハウェ)」での「国家的、国民的統合」である・・・コレがなければ「戦争」にも負ける、捕虜にもなる・・・「ローマ帝国」は「オリンポスの多神教」だが、「政治組織と軍団組織」は実質「政教分離」の「帝国市民国家=軍体」で、当時の「先進国」なのである・・・ユダヤ王国は三流国家だった・・・
「神(父)の意志」とは「自分自身の日常規範(十戎)をココロに問え」である・・・「神」は「ココロの中の自己反省の鏡」である・・・「神」は「実在の対象」でもなくてイイ・・・問題は「十戎」を守るか、どうかの問題である・・・
残念ながらキリストは、彼に先行したギリシャ哲学者のように不遜にも「自分自身が学び、更に熟考、熟慮した自分の思想である」とは云えなかった・・・
「比喩」としての「神」、その「名の下」で個々人の「農耕・農業作業」を「比喩」として「当然の生き方」を説得させる方が、識字力も無く、事象判断も的確でなく、生活が貧しく、病で苦しみ、コトバの理解力も乏しい人々を納得させ、組織化するには簡単だった・・・だが、「武装化」はしなかった・・・「ローマ帝国提督ポント・ピラト」が背後に控え、「軍事力」も「自国裁判権」も無い「属国ユダヤ王国」では「武装化」は出来なかったのだ・・・キリストの現実的現状分析(?)は、我満忍耐の段階であり、臥薪嘗胆の段階であった・・・「汝の敵」を取り敢えずは「懐柔」せねば、「ユダヤ国家」自体が元も子も無くなる・・・
↓↑
取り敢えずは「キリストの弟子」達は職種は様々だが、「聖書」を記録できたのだから「教養」はあった・・・弟子たちの選択、そして役割分担も周到・・・4人の「漁師」である「ペテロ(シモン)、アンデレ、ヨハネ、ヤコブ」は「舟」を操れただろう。「ローマ帝国の税金徴集の取税人」の「マタイ」は「行政能力」はあった。「熱心党員」であった「シモン」は「軍事的作戦能力」。「イスカリオテ・ユダ」は「キリスト集団」の会計係だったから計算と数字には強かったハズである・・・
↓↑
そして、国内大衆の組織化には「奇蹟」が「必要」であった・・・「奇蹟」は弟子たちの創作であったのか?、それとも事実か?・・・病人の「病の速成回復」、「意識をなくした人間の蘇生」が事実なら、時代のキリストは「医者・医術者」であったろう・・・パンと小魚の数千人(五千~七千)への食糧配給は「買い置き準備」のトリック、「海上歩行」も浮き袋、綱渡りトリック(?)で説明できるカモ・・・彼の時代の「科学技術(錬金術)」は侮れないだろう・・・もし、「種の有る奇術師」でなければ、「宇宙人の仕業」であるカモ・・・
兎に角、組織としての信者獲得には「奇蹟」が必要であった・・・
ーーーーー
↓↑
「神の御加護」は、古代エジプトにも、古代ギリシャにも必要だったが「祀られる」のは擬人化された「動物・植物・山自体・天文、自然現象」である・・・様々に生きて存在するモノが「神々」であり、彼らの「力」は人間が所有してはならないモノ、人間には「所有出来ないモノ」であることを知っていた・・・特に翼で空を飛ぶ「鳥・禽」には憧れたのに違いない・・・
「ゾロアスター教」は紀元前6世紀頃だから比較的新しい「善悪二元、光と闇、白と黒の相対立する宗教」で、「抽象化段階」の「法的な社会宗教」である・・・
で、多神教の「神々」は彼らの世界では「分担領域」が決まっていた。「神々の階級序列」も・・・決められているモノとして「人間」は考えていた・・・神々の序列の決定は「地域的な人間集団の共同、協働社会」を反映した「暴力秩序」の象徴でもある・・・
親の食糧確保の「分限領域」で、その縄張りから出ていかざるを得ないのは子供達の兄弟姉妹のダレかである。「分家、分散化」していった「人間社会」は、再度、結集、合同せざるを得ない状況に遭遇するのは必然である。それは「気候変動・自然災害・疫病」での「飢饉」と人口減少であろう・・・食糧不足は狭い領域での他者から暴力的な強奪、掠奪(略奪)と分配で、共同体間の妥協もあったろうが、それらの暴力行使は広い範囲に拡散化し、支配領域も拡大していった・・・
世界中の「戦の時代」は「食糧と奴隷を確保」出来るか、どうかの争いである・・・「食糧領域の確保」が一段落すれば、「支配階級内」で支配権の継承、身内の骨肉争いが始まる・・・
キリストの「出発点」は「ローマ帝国(ユピテル=ゼウス・マルスなどの神々)」との対立での「自国の神(エヒイェ=ヤハゥェ)」の「自覚」と復興であり、国際的には「愛国主義=熱心(党)」としての「自国解放」であった。だが、キリストは、対「ローマとの武力闘争」を自国で組織化出来なかったのだ・・・占領軍の力は強力だった・・・Pontius Pilatus ポンティウス・ピーラートゥス)ローマ帝国ユダヤ提督・・・「GHQ」の「MacArthur」元帥・・・沖縄は「日本国」?・・・北方領土にミサイル?・・・
キリストではなく、反キリストであったユダヤ主義者の「サウル=パウロ」の世代は、もはや、「ユダヤ人国家=独立自治国家」の解放などは無理であった。「ユダヤ教の要」である宗教者、「ラビ(rabbi・rhabbi・アラム語 rabbin・ヘブライ語 rabbi」と、「ユダヤ国内支配階級」の「政治=戒律」の堕落・・・ローマ帝国(護民官・神祇官・多神教)の属国、植民地提督の支配に甘んじる最下層の種族の「唯一神族」であった・・・
「サウル=パウロ」は気付いたのだ。「ユダヤ人、キリストのユダヤへの愛国的な意図」を・・・だが、キリストの「正義と義人」の追求、実践行為は「ユダヤ国家枠内」のモノであった・・・しかも、マヌーバーであったとしても、「王のモノは王へ、神のモノは神へ(新約マタイ22:17-21・マルコ12:14-17・ルカ20:22-25)」で、キリストは、未だ段階的には「暴力的な権力奪取の組織化」は出来なかった・・・キリストの磔刑後、
「サウル=パウロ」は
「ローマ帝国属国としてのユダヤ人支配層の堕落」、
そして、更に気付いたのだ。
「ローマ帝国内自体の市民=軍隊の階級没落」、
「ローマ帝国の属国の地方異教徒の国家内の身分格差の差別」
を・・・
ギリシャ系のユダヤ人であった「サウル=パウロ」は「ローマ市民権」を有する「ローマ帝国人」でもあった・・・
↓↑
紀元前46年
独裁官となったカエサルは植民地属領民にも「ローマ市民権」を与えた・・・「教師と医師の職にある者にその期間中は授与する事を定め、味方についた在地の有力者にも市民特権を分け与えた」・・・「解放奴隷の公職門戸開放」・・・「陪審員資格を40万セステルティウス(sestertius)以上の資産を持つローマ市民への解放」
紀元前27年
アウグストゥス(Augustus・オクタウィアヌス・アウグストゥス)は「属州民が補助兵に志願し(その間属州民税は免除。兵役こそが最高の税であり、金の税は兵役の代償)、満期除隊した際に世襲のローマ市民権を与えることを定めた。市民=戦士・・・ローマ市民権を獲得するために多くの人材が集まり、ローマ軍は強力な軍隊となった」・・・だが、「傭兵」は「軍体」を弱体化するだろう・・・
↓↑
キリスト生存期間のローマ皇帝
紀元前14年9月18日~紀元37年3月16日
13・12・11・10・9・8・7・6・5・4・3・2・1・紀元2
皇帝在位
ティベリウス・ユリウス・カエサル
(Tiberius Julius Caesar)
紀元33年
ローマでの金融危機に国家資金を投入
イエス・キリストの処刑・・・33歳
↓↑
新約・ルカ
テベリオ(ティベリウス)の
治世15年に?・・・紀元前14年+15=紀元2年?・・・
↓↑ ・・・キリスト公生涯は30歳~33歳?
↓↑ 紀元2年=キリスト30歳?
バプテスマのヨハネが現われ
イエス・キリストの十字架、
磔刑までの約三年半の期間・・・?
↓↑ 皇帝治世15+3年→キリスト30+3歳→西暦4年?
公生涯(Ministry of Jesus)が始まった・・・?
・・・皇帝治世の15年=紀元2年→キリスト30歳+3
30+33=63歳?
・・・皇帝治世西暦15年→キリスト15歳+3=18歳?
↓↑
パウロ=サウロは「異国の異邦人の洗脳化」、そしてローマ帝国内での「奴隷の洗脳化」と「ローマ市民のキリスト教の組織化」に奔走した。理由は単純である。「キリスト教の国際化」である・・・ユダヤ人のローマ帝国からの独立解放はローマ帝国内の最下層の「奴隷解放」をも土台にしなければムリである、と・・・あるいは、ローマ帝国内のユダヤ人市民権の拡大は「ユダヤ-キリスト唯一教」ではムリである、と・・・結論は「万民相互の慈愛のキリスト教」での「国際化」である・・・だが、本音は「ヤハウエの民族国民」・・・
ーーーーー
「沈黙」の考察だったのに・・・下敷きに押し潰されてしまった・・・
↓↑
「バテレン追放令」
↓↑・・・禁教令
1565年
永禄八年
1569年
永禄十二年
正親町天皇の追放令
↓↑ ↓↑
1597年
慶長二年一月
豊臣秀吉のバテレン追放令
↓↑
「十一箇条の覚書」
1587年7月23日
天正十五年六月十八日
「吉利支丹伴天連追放令」
伴天連追放令
1587年7月24日
天正十五年六月十九日
↓↑
1596年(丙申年)
文禄五年
10月19日
サン=フェリペ号
四国土佐沖に
漂着
(サン=フェリペ号事件)
日本人奴隷売買の発覚
文禄五年十月二十七日
1596年12月16日から
慶長元年改元
↓↑
1597年1月
慶長二年一月
筑前箱崎(福岡県福岡市東区)で
豊臣秀吉が発令
24人のキリシタンが
京都・一条戻り橋で全員、
左耳を切り落とされ引き回され
処刑
↓↑ ↓↑
1612年
慶長十七年
1613年
慶長十八年
江戸幕府の
キリスト教を禁ずる法令
1614年
慶長十九年
↓↑ 徳川家康のキリスト教禁止令
「長崎」・・・島原の乱(天草一揆)
寛永十四年十月二十五日
(1637年12月11日)
~
寛永十五年二月二十八日
(1638年4月12日)
天草四郎時貞
(益田四郎
ジェロニモ(Geronimo)
フランシスコ(Francisco))
・・・本質は「百姓一揆」である・・・
有馬村のキリシタンが中心となって
代官所に強談に赴き
代官・林兵左衛門を殺害
十一月十四日
「本渡の戦い」・・・「本渡」?
富岡城代の
三宅重利(藤兵衛、明智秀満の子)
を討ち取る
1月6日
長崎奉行の
↓↑
神尾元勝(1634年~1638年)
由井小雪の乱を鎮圧
榊原職直(1634年~1641年)
軍令違反で長崎奉行は免職
大河内正勝(1638年~1640年)
↓↑
依頼を受けた
オランダ商館長
クーケバッケルは、
船砲五門(ゴーテリング砲)を陸揚げし
幕府軍に提供し
デ・ライプ号とベッテン号
を島原に派遣し、
↓↑ 海から城内に艦砲射撃
「出島」・・・シドッチ・新井白石・
「隠れ切支丹」
「棄教」・・・拷問
「踏み絵」・・・マリア、キリストの青銅像
「殉教」・・・・踏み絵、拷問で棄教しなかった者達の
↓↑ 死刑、死亡
「クリストファン
・フェレイラ」
↓↑・・・(Cristóvão Ferreira)
↓↑ 1580年(天正八年)頃
~
1650年11月4日
(慶安三年十月十一日)
ポルトガル出身
カトリック宣教師・イエズス会士
拷問によって棄教し、転びバテレン
改名の日本名
沢野忠庵
キリシタン取締り、弾圧協力者
日本人妻を娶った
1644年(正保元年)
キリスト教批判の
「顕疑録』を出版
天文学書の
「天文備用」
医学書
「南蛮流外科秘伝」を著
↓↑
管区長代理の棄教は
多くの宣教師が日本潜入志願
潜入宣教師たちは、
捕縛され、殉教し、棄教
棄教した司祭の中に
↓↑ ジュゼッペ・キアラ・・・
「ロドリゴス」
↓↑ ・・・ジュゼッペ・キアラが
↓↑ 小説「沈黙」のモデル
「吉次郎」・・「吉の次の郎」には
↓↑ 兄と妹がいて殉教
「長崎奉行」・・・・・
「初穂あげ」・・・・・隠れ切支丹の儀式
「刺身二切れ」・・・・儀式の供え物
「お膳二(二台)」・・・・・・
「箸二本(一膳)」
「オラショ(oratio・ラテン語の祈祷文)」
↓↑
「イエス」・・Jesus・Christ・・・イエス基督
↓↑ ナザレのキリスト
移鼠(景教・中国)
イッサ(インド・ネパール)
イーサー(アラブ)・・・
↓↑ 耶蘇教・邪蘇教・天主教
「ユダ」・・・ジュダ・Judea・猶太・ 犹太
猶(なお・ためらう・ぐずる・のばす)
犭+酋(八酉)
酉=西+一
猶子(ユウシ・甥、姪・養子)
猶予(ユウヨ)・・・執行猶予?
夷猶(イユウ)=周章夷猶
周章狼狽
あわてたり
ぐずたり
皇猶子(コウユウシ)
皇室で
兄弟・親類、他人の子と
↓↑ 親子関係を結ぶ制度
ーーーーー
・・・「密教」にならざるを得ないのは「宗教」ではないからだろう・・・「殉教」でなくても殺されるのは「人間の生き方」の問題である・・・人間が究極的に考え出した「神」は「殉教」を望んではイナイ・・・問い掛けるのも「神」に対してではない。エゴな「自分自身のココロ」に自己反省として問い掛けるのだろう・・・
・・・ツヅク・・・ねる・・・12月5日の朝4時10分?!・・・
「Black(ぶらっく) hall」か、「Black(ぶらっく) whole」か・・・「夜明け前」の「ブラツキ」か・・・
・・・「沈黙」のツヅキは「饒舌」・・・昨夜は「ダーウインが来た」の「白いライオン」、「サイエンスゼロ」の「ブラックホール(Black hall)」を観たが面白かった。「ブラックホール(Black hall)」は以前「コラプサー(collapsar)」と云われていたらしい。やっぱ、名前からして「ブラックホール(Black hall)」と呼ぶのはシロート(素人)に誤解を招くし、物理学者も混乱させてきたようだ。FS作家には想像を駆り立てる「コトバ」ではあるが、「アナ(穴・坎・坑・坑)=hall」ではない。「高密度・超極大の重力」の「存在物質」である。超密度、超極小の物質の重力が周囲の物質を引きつけている現象である・・・重力波の観測は複数の「Black hall」が合体した時に発せられたらしい・・・天体観測で、銀河系の中心が「Black hall」が群がっていると発見したのは「岡朋治教授」であるらしいが・・・考え方は「鳴門の渦」と同じである。渦が巻く現象は二つ考えられる。一つは海底に空間があり、その空間に「海水」が流れ込み、渦状の空間はその時にできる。流れ込んだ「海水」はどこかで徐々に海底空間から抜け拡散していく。あるいは、速度の異なった「潮流」と「潮流」が海中でぶつかり、その衝撃で渦を造り出す。物質はある領域空間では衝突を繰り返し密度を高め、遠心力的に渦を造り出す・・・
問題は「時空の歪み」と云うコトバである。存在するのは「時空の歪み」ではなく「物質の歪み」だけである・・・
考えが「ユガン」でいる、って・・・「ユガム」のも自然の摂理であるかな・・・
・・・ミンナが「寿命まで生き延びる=天寿」のが「アタリマエの時代」は無かったし、これからも無いだろうが・・・無理に命を棄てるコトは「カミ」の望んでいるコトでもないだろう・・・「ココロの時代」は「肉体(ジクタイ)の時代」でもあるのがアタリマエだが・・・「厄介(ヤッカイ)」でもアルカナ・・・きくコトも、みるコトも・・・三人のマリア、「マグダラのマリア(the Sinner)・ベタニアのマリア(マルタの妹)・マリア(キリストの母)」・・・更に「エギペト(エジプト)の聖マリヤ(5~6世紀)=ライオンが現れ彼女の足を舐めた」もいた・・・
↓↑
「棄教」は簡単である。一言、「ヤメタ」のコトバを発すればすむ。そして、青銅のマリア像に足を載せるだけですむ。キリストは「マグダラのマリア(Mary Magdalene)=タリケア=亜使徒(あしと)=使徒に次ぐ者(Equal-to-the-apostles)」に自分の「足」に香油を塗らさせた。イエスの「足」に涙を落し、自らの髪の毛でイエスの「足」を拭き、香油を塗った・・・「足」は肉体の「重要な移動手段の部分」である・・・「タリ」なのだ・・・
「キキョウ=帰郷・帰京・桔梗・奇矯・気胸・紀経・記教」・・・
「桔梗」はボクの伯母さんの名前だった・・・「Platycodon grandiflorus(balloon flower)=万葉集で秋の七草と歌われる「朝貌の花」・去痰、鎮咳、鎮痛、鎮静、解熱作用があり、消炎排膿薬、鎮咳去痰薬などの薬用に使われる」・・・
「土岐氏一族=明智光秀」の家紋
「阿倍清明」の「桔梗印=五芒星」
北海道函館の
「桔梗町・桔梗駅(1902年・明治三十五年十二月十日開業)」
で、・・・「沈黙」のツヅキは「饒舌」だったが・・・前置きがナガイ・・・
以前のボクの書き込んだモノも、以下も、これからの書き込みもホトンドが「ウイッキペデア」や、他の「ブログ記事」を下敷きにしたモノである。「数字」や、「漢字」、「コトバの意義」、「学説」を参照、参考し、引用し、添付させてもらっているが、ボク自身の「オリジナルなモノ」は無い。で、「・・・」、「?」としての文言はホトンドが、それらを踏まえた「妄想・仮説」の枠内のモノである。
ーーーーー
転びバテレン(padre・宣教師のポルトガル語)
↓↑・・・「バテレン」→「べてらん」?
↓↑ 「ベテラン=古残兵、老兵
ラテン語で年老いたの意
「Vetus」+「an(接尾語)
技術に長けた
老練な歴戦の勇士
「veteran=老練家・老兵
ベテラン=expert(expertner)
熟練の専門職人
米国で「復員、退役、在郷」の軍人
↓↑
ーーーーー
クリストヴァン・フェレイラ
(Cristóvão Ferreira)
1580年(天正八年)頃~
1650年11月4日(慶安三年十月十一日)
ポルトガル出身のカトリック宣教師
イエズス会士
拷問によって棄教
沢野忠庵(忠安)と名乗って
キリシタン弾圧に協力
↓↑
クリストファン・フェレイラ
1633年10月18日(寛永十年九月十七日)
長崎で
中浦ジュリアン神父・・・
Julião=1568年(永禄十一年)頃
~
1633年10月21日(寛永十年九月二十日)
↓↑
↓↑
らと
穴吊りの刑に処せられ
過酷な苦痛をもたらすが
事前に
死なないように処置をされ、
棄教の意思表示は
自由にできるようにされたが
耐え抜くの至難
他の者はすべて殉教
5時間後
フェレイラのみが
耐え切れず棄教
以後
他の棄教した聖職者の
「転びバテレン」とともに
キリシタン
取締りに当たった・・・彼の願いは
↓↑ 隠れ切支丹を
拷問する前に
切支丹信者の
「すてる」の
一言だった・・・?
切支丹信者ではなく
百姓一揆に加担した
百姓達はドウなったのか?
「捨てるコトバ」が無い者は
許されたのか・・・?
↓↑ 許されはしなかった・・・?
1644年(正保元年)
『顕疑録』出版
天文学書『天文備用』・・・・・・・合理的な科学者でもあった
医学書『南蛮流外科秘伝』出版・・・医者でもあった
↓↑
イエズス会管区長代理の「棄教」の影響
ヨーロッパのカトリック教会に衝撃
多くの宣教師が
日本潜入を志願・・・不思議である
潜入した宣教師たちは、
捕縛、殉教、
ある者は
棄教
遠藤周作の『沈黙』のモデル
ジュゼッペ・キアラ
↓↑
井上筑後守
幕府大目付
宗門改役
「穴吊り」の
拷問方法を考案し
棄教させた・・・同胞日本人を殺したくは無かった
↓↑ 「一コト」云えば、生きられるのだ
「すてろッ」、「捨てます」
彼の望みは
「生かすコト」が目的だった・・・?
戦国時代の武士は
「かえり忠(逆り忠)=裏切り」で
「寝返って」も生きられたが、
織田信長あたりから
「生命の保障」は
曖昧になってきた
戦線で
「調略」=「はかりごと・計略・謀略」
した裏切りの「約束事=代償=保障」
「安全保障=命、所領安堵」も
破棄されたのだ・・・
「士農工商」の身分確は
「生殺与奪」の秩序を確立したが、
命の犠牲は「農民」がそのほとんどだった
「武士」の不忠は「切腹」で、逃げ場は無い
↓↑ で、ある・・・
温厚な初老の政治家だった・・・?・・・元は切支丹だった
かつては
キリスト教徒
ロドリゴに
キリスト教は
この国では根付かないと説く・・・同胞、同僚の
犠牲は避けたかった?
↓↑
井上筑後守
生誕
天正十三年(1585年)
~
万治四年二月二十七日(1661年3月27日)
寛永四年(1627年)12月29日
従五位下
筑後守に叙任
同九年(1632年)12月17日
江戸幕府大目付(総目付)
幕府の
キリシタン禁教政策の中心人物
下屋敷は文京区小日向
キリシタン幽閉する施設として使用された
脇に切支丹坂と呼ばれる坂が残る
寛永十五年(1638年)
島原の乱に
上使として九州に赴いた
寛永十七年(1640年)6月12日
1万石を領し大名
下総
高岡藩の藩祖
同二十年(1643年)5月23日
三千石を加増
正保元年(1644年)12月16日
大目付として
宮城和甫(宮城越前)?
と共に
諸大名に
正保国絵図
正保郷帳
の作成を命じた
正保国絵図
国単位で作らせた国絵図で、
これに基づき、
正保日本図(日本総図)
が作成された
原本の大半と総図は、
皇国地誌編纂中の
1873年(明治六年)の
皇城火災により消失
複製(国立歴史民族博物館所蔵)
が伝わっている
現存国絵図は、
羽後、出羽、秋田、仙北、出羽六郡、
庄内三郡、新庄領、奥州南部十郡、
南部領、山城、摂津、
安芸、対馬、筑後、豊後
提出もととなった各地の
大名家ゆかりの
原本の原本や、写本が残されている
蝦夷地
や
琉球
についても作成・・・正保元年(1644年)
寛文九年(1669年)
北条氏長
を責任者として校訂事業
↓↑
井上筑後守
万治元年(1658年)・・・万の治の元の年
↓↑ 干支は「戊戌」年
明暦四年、改元(8月21日)
万治元年七月二十三日
中国順治十五年
南明 永暦十二年
朱亶塉(南明)定武十三年
↓↑ ↓↑
9月3日
オリバー・クロムウェル死去
軍人、政治家(1599年~)
トマス・クロムウェルは大伯父
清教徒革命=ピューリタン革命
(1641~1649年)の中心人物
ネイズビーの戦い
国王チャールズ1世を
スコットランドに追い、
議会派を勝利に導いた
↓↑ ↓↑
1649~1660年
イングランド共和国
(Commonwealth of England)
護国卿時代は独裁体制
↓↑ ↓↑
11月12日(万治元年十月十七日)
真田信之、
↓↑ 信濃松代藩初代藩主死亡(~1566年)
井上筑後守
万治元年
閏十二月八日
辞職
嫡男・政次は早世
政次の嫡男である
政清に
万治三年(1660年)七月九日
家督を譲って隠居
幽山と号
万治四年(1661年)二月二十七日
死去。享年77
↓↑
「沈黙」の登場人物
↓↑
通辞
井上筑後守の部下で
奉行所の
通訳を務める男
ロドリゴに対して
説得という形で
棄教を勧め、
時に議論を戦わせる
神学校で学び洗礼を受けた過去を持ち
彼(通辞)が棄教したのは
宣教師の傲慢で
日本人への
侮蔑意識に満ちた態度に失望したため
↓↑
1971年
篠田正浩監督が
『沈黙 SILENCE』の題名で映画化
↓↑
ーーーーー
天正遣欧少年使節
イエズス会の巡察師の
アレッサンドロ・ヴァリニャーノが
キリシタン大名
大村純忠と接し
財政難の
日本の布教事業の立て直しと、
次代の
邦人司祭育成のため、
キリシタン大名の
名代となる使節を
ローマに派遣しようと計画
セミナリヨで学んでいた
ジュリアン
を含む4人の少年たちの
使節副使となった
ローマ教皇
グレゴリウス13世・・・1582年
グレゴリオ暦=現在の「西洋暦」
ローマ教皇
グレゴリウス13世が
ヨーロッパの天文学者たちを
集めて編纂
と謁見
ジュリアンは高熱で
謁見式には臨めなかったが
教皇への目通りを切望するジュリアンの願いで
教皇と非公式の面会をした
トスカーナ大公国の舞踏会で
ジュリアンは緊張し
踊る番で相手に
老婦人を誘った
1590年(天正十八年)
帰国
1591年(天正十九年)
聚楽第で豊臣秀吉と謁見
後、天草の修練院に入り、
コレジオに進んで勉学
1593年(文禄二年)7月25日
他の3人とイエズス会入会
1601年(慶長六年)
マカオのコレジオに移った
千々石ミゲルは退会
1608年(慶長十三年)
伊東マンショ
原マルティノ
とともに
司祭に叙階
司祭叙階後、博多で活動
1613年(慶長十八年)
領主
黒田長政の
キリシタン弾圧で
追われ長崎に移動
1614年(慶長十九年)
江戸幕府のキリシタン追放令で
潜伏し九州を回りながら、
迫害キリシタンたちを慰め
地下活動
1632年(寛永九年)
小倉で捕縛、長崎へ移送
1633年10月18日(寛永十年九月十七日)
イエズス会司祭の
ジョアン・マテウス・アダミ
アントニオ・デ・スーザ
クリストヴァン・フェレイラ
ドミニコ会司祭の
ルカス・デ・スピリト・サント
と3人の修道士とともに
穴吊るしの刑、
すぐに死ねずに
苦しみもがく「惨刑」で・・・・・惨・刑・・・?
クリストヴァン・フェレイラ
が棄教
他は殉教死・・・・・拷問死・・・?
最初に死んだのは
中浦ジュリアン
穴吊るしにされて
4日目の10月21日(9月20日)
65歳没
↓↑
ーーーーー
天正遣欧少年使節
↓↑
1582年(天正十年)
キリシタン大名の
大友宗麟
大村純忠
有馬晴信
の名代としてローマへ派遣
アレッサンドロ・ヴァリニャーノの発案
1590年(天正十八年)に帰国
彼らが持ち帰った
グーテンベルク印刷機
によって
日本語書物の活版印刷
キリシタン版が出版
↓↑
有馬晴信が日野江城下に建てた
セミナリヨで学ぶ生徒の中から選ばれ
派遣当時の年齢は
13~14歳
中浦ジュリアンが最年長、
原マルティノが最年少
↓↑
使節
伊東マンショ(主席正使)
大友宗麟の名代
日向国主
伊東義祐の孫
司祭に叙階
1612年
長崎で死去
↓↑
千々石ミゲル(正使)
大村純忠の名代
純忠の甥で
有馬晴信の従兄弟
後に棄教
↓↑
中浦ジュリアン(副使)
司祭に叙階
1633年
長崎で
穴づりによって殉教
↓↑
原マルティノ(副使)
司祭に叙階
1629年
追放先のマカオで死去
↓↑
随員
ジョルジェ・ロヨラ修道士
使節の教育係、日本人
コンスタンチノ・ドラード
印刷技術習得要員、日本人少年
アグスチーノ
印刷技術習得要員、日本人少年
アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父
ローマへ随行途中
職務によって
ゴアにとどまる
ヌーノ・ロドリゲス神父
ヴァリニャーノの後をついで
一行に従う
ディオゴ・メスキータ神父
通訳、イエズス会員
ロレンソ・メシア神父
オリヴィエーロ修道士
↓↑
1582年2月20日(天正10年旧暦1月28日)
長崎港を出港。
1582年3月9日(天正10年旧暦2月15日)
マカオ着
1583年12月20日(天正11年旧暦11月7日)
マラッカ・コチンをへてゴア着
1584年8月10日(天正12年旧暦7月5日)
ポルトガルの首都リスボンに到着
サン・ロッケ教会が宿舎
リスボン近郊シントラの
アルベルト・アウストリア枢機卿
(フェリペ2世の妹マリア
神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の男子)
の王宮に招かれる
1584年11月25日(天正12年旧暦10月23日)
スペインの首都マドリードで
スペイン国王フェリペ2世の歓待
1585年3月1日(天正13年旧暦1月30日)
スペインのマヨルカ島を経由し
イタリアのリヴォルノに到着
トスカーナ大公国に入る
1585年3月2日(天正13年旧暦2月1日)午後1時
ピサに到着
ピサ宮殿にてトスカーナ大公
フランチェスコ1世・デ・メディチに謁見
その晩、
大公妃ビアンカ・カッペッロ主催の舞踏会に参加
ピサ滞在中、
斜塔や大聖堂、ピサのドゥオモ広場を訪問
1585年3月6日(天正13年旧暦2月5日)
カヴァリエーリ広場の
サント・ステファノ・デイ・カヴァリエーリ教会で
聖ステファノ騎士団を見学
四旬節の初日である
灰の水曜日で
トスカーナ大公とともに灰を受ける
1585年3月7日(天正13年旧暦2月6日)
フィレンツェに到着
シニョーリア広場の
ヴェッキオ宮殿に宿泊
1585年3月11日(天正13年旧暦2月10日)
フィレンツェ近郊の
プラトリーノの別荘
ヴィッラ・デミドフで過ごす
1585年3月23日(天正13年旧暦2月22日)
ローマでローマ教皇
グレゴリウス13世に謁見
ローマ市民権を与えられる
1585年5月1日(天正13年旧暦4月2日)
グレゴリウス13世の後を継いだ
シクストゥス5世の戴冠式に出席
1585年6月3日(天正13年旧暦5月6日)
ローマを出発
ヴェネツィア、
ヴェローナ、
ミラノ
などの諸都市を訪問
1586年4月13日(天正14年旧暦2月25日)
リスボンを出発し帰路
1587年5月29日(天正15年旧暦4月23日)
インドのゴアに到着
ヴァリニャーノに再会
コレジオにおいて
原マルティノの演説
同月に長崎で大村純忠が死去
1587年6月
豊後で大友宗麟が死去
1587年7月
豊臣秀吉、バテレン追放令発布
1590年7月21日(天正18年旧暦6月20日)
使節団、長崎に帰港
1591年3月3日(天正19年閏1月8日)
聚楽第で
豊臣秀吉に、
西洋音楽(ジョスカン・デ・プレの曲)を演奏
↓↑
使節団が持ち帰った西洋文物
活版印刷機
西洋楽器
海図
↓↑
ーーーーー
・・・「命」は無駄にしないのが「キリストの教え?」なのに、簡単に「殉教死」するのはナゼか・・・?・・・「コロビます」はコトバである・・・「ころび」の「ココロ」は「棄教」ではないだろうに・・・?・・・「隠れ切支丹」のエラサは「キリスト教徒」だったからではない・・・「階級社会の暴力」に対する長い、ナガぁ~い時間の「臥薪嘗胆」である・・・それは「怨恨」でもないし、「慈愛」を求めるモノでもない・・・「人間の解放」である・・・?・・・今現在はムリとしても・・・
「Black(部落) hall」か、「Black(部落) whole」か・・・「夜明け前」の「ブラツキ」か・・・
アベ、サンタ、「マリア」・・・タンサ、「アリス」って、「Wonder」・・・?
・・・12月も7日目ですか、明日は・・・「真珠湾攻撃(Attack on Pearl Harbor・日本時間1941年12月8日未明・ハワイ時間12月7日)」・・・そして「1945年(昭和20年)8月15日に「負けた」と宣言したが「敗戦」ではなく、「終戦」として「記念」してきたらしい・・・「諏得替(撰)記捻比」・・・呆然、唖然、愕然・・・「切支丹」の「沈黙」のツヅキだが、「切る支の丹・支のタンを切る」である。「タン(丹)=に・あかい・まこと・鉱物の一・辰砂・丹砂・赤色の顔料・赤い色・丹朱・丹青・丹頂」・・・どうして「雲丹(うに)」なんだか、身は「オレンジ(橙)」色・・・「辰砂=水銀と硫黄(イオウ)の化合物」、「水銀」は蒸発し、「錬金術」の根源的な物質である・・・「丹砂を配合した不老不死の仙薬=丹薬・仙丹・練丹術」、「仁丹(ジンタン)」の「丹(まこと・に・あかい・タン)」だが、「赤蝦夷」のシンサ(審査)、タンサ(探査)の「ジンタン=訊探(譚)」である・・・
「水銀=mercury・hydrargyrum・原子番号80の元素・元素記号は Hg・汞(エ+水)とも記す・第12族元素に属す・常温、常圧で凝固しない唯一の金属元素・銀のような白い光沢を放つ・辰砂 (HgS) は硫化物」・・・日本語は「みずかね・みずがね=水銀・汞=拼音(ピンイン)=gǒng(ゴォン)」、ラテン語で「argentum vivum(生きている銀)」、英語の「quick-silver(生きている銀)」・・・生きている「銀=金+艮(東北・丑寅=牛虎)」である・・・
東北仙台宮城は伊達藩の「沈黙」・・・
「支倉常長
(慶長十八年9月15日(1613年10月28日)
月ノ浦(石巻市)~アカプルコ (Acapulco de Juárez)
↓↑ あか-ぷ-るこ=Aca-pu-lco・・・?
↓↑
Acapu=マメ科の種
木材は暗褐色
ポルトガル語
マメ科ジャケツイバラ科
チーク--ブラジルと呼ばれる
熱帯アメリカ属Andira
米国Vouacapoua種の様々な樹木
acapu植物の緑の葉
(アメリカVouacapoua
オーブレーマメ科
ジャケツイバラ科)
loco=locos,locoes
植物=ロコ草
米国西部・中部産の
マメ科ゲンゲ属
オヤマノエンドウ属の
有毒植物数種の総称
家畜の中毒を引き起こす
↓↑
ハワイ州で誕生した
原住民、拠住民
localに由来
loco=「mad、crazy」の俗語
↓↑
ノヴェスパニアの
「Acapu-lco」
「de=の・of」・・・デ・出・・・?
接頭辞 de-「~から離れる」
英単語の
de-ception(騙すこと・詐欺)
de-cide(決断する・決心する)
de-cision(決断・決心)
de-crease(減る)
de-grade(価値、地位の低下)
「Juarez=1806~1872
メキシコの政治家
1855年
自由主義革命後
教会と軍隊の特権を廃止
内戦後、大統領
フランスの武力干渉を排除」
↓↑
「桃生」の「水浜」
で建造した洋式帆船・・・サン・セバスチャン号
サン・ファン・バウティスタ号
で出帆
元和六年八月二十四(1620年9月20日)
帰国後
二年後に死去
幼名は與市
初名は六右衛門長経
洗礼名はドン・フィリッポ・フランシスコ
ローマ貴族を授与された」
「嫡男の
支倉常頼が後を継いだが、
寛永十七年(1640年)
家臣がキリシタン(切支丹)であったコトの
責任を問われ処刑断絶
寛文八年(1668年)
支倉常頼の子
支倉常信の代で
家名を再興
後、
第10代当主の代まで宮城県大郷町に
第11代~現在の第13代支倉常隆まで、
宮城県仙台市に在住」
「後に
六右衛門長経
長経の名を忌避し、
常長
と偽って記録された」・・・
「家紋」は、「逆卍」に「違い矢斜め十字」・・・?
・・・「隠れ切支丹」・・・
「三浦按針」=1620年5月26日(元和六年四月二十四日)に死去・・・
「万暦帝」=1620年8月18日(明の第14代皇帝)死去
↓↑
「国家支配階級の沈黙」・・・更には「国家内の被支配階級の沈黙」・・・「天皇陛下」だけが「敗戦」で沈黙を破った・・・そして、「敗戦」で「沈黙」を破った「日本国の国民、市民」とは「ダレ」だったんだか・・・?・・・「終戦」で「沈黙」したのは「ダレ」だったんだか・・・国会で「饒舌」になっている奴がいる・・・「不思議な国」の「アキス(?)」は「沈黙」の替わりに「幻想」をフリマキ続けている・・・
「Alice(Aris)」・・・イタリア語は「アリーチェ (Alice)」で「acciuga(アッチューガ)=カタクチイワシ科の魚の別名」らしい・・・「上顎骨の後端が眼の位置よりも後ろまで伸びるため大口・吻(口先)はやや尖(とが)り、下顎よりも前に突き出ている・顎の歯の発達は種によって様々・カタクチイワシ( Engraulidae)亜科は体が細長い円筒形に近く、外見はイワシ(鰯・鰮)に似る」、「堅口」なのか、「片口」なのか、「過多・型・形・潟・縣・加太」の「口」なのか?・・・「化多の䪼(出頁・くち・セツ・セチ・頬骨・顎骨・豚)」・・・
「ルイス・キャロル(Lewis Carroll・1832年1月27日~1898年1月14日)」はペンネーム・・・「キャロル=踊りのための民謡・祝歌、頌歌と訳される賛美歌」・・・「Xmas carol」・・・
本職は「英国の数学者・論理学者)=本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン (Charles Lutwidge Dodgson) 」・・・ドジな奴は損する・・・?・・・「Dodgsonの発音」は「ドドソン」あるいは「ドッドドン・ドッドソン」らしい・・・「ドドソン(ドドスン)」の発音が正しいらしい・・・名前のスペルの「Gg=ジイ」の欠落も面白かった。この説は、
「キャロルに関する雑学帳」・・・
↓↑
http://www.hp-alice.com/lcj/zatugaku/dodgson.html
のに記されてあったモノです・・・
↓↑
「Wonder(驚異・驚嘆・驚き・think・doubt)」の「land」・・・
「~かなあと思う=何で~なのかなあ=I wonder why ~」
「…を不思議に思う=思い巡らす=…に好奇心を持つ
=about ...)」
↓↑
「日米地位協定」
1957年(昭和32年)1月30日
群馬県群馬郡相馬村(榛東村)で
在日米軍兵士・ウィリアム・S・ジラードが
日本人主婦を射殺
2002年6月
沖縄で、窃盗容疑で逮捕された整備兵が
「急使(米軍のクーリエ)」の
身分証を保持していいたので釈放
2002年4月
在日オーストラリア人女性が
横須賀で
空母「キティホーク」乗組員に強姦
容疑者は事件発覚前に名誉除隊で
アメリカ本土に逃亡
1995年にはアメリカ海兵隊兵士3名が
12歳の女子小学生を拉致し、集団強姦
実行犯である3人は
日本側に引き渡されなかった
↓↑
Wonder
↓↑
a nine days' wonder
in the name of wonder
↓↑
…にあきれる
(at ...,to do)
…を怪訝に思う・怪しむ・いぶかる・疑わしく思う
(about ...)
wonder (about) why
依頼・許可・提案
if(whether)
I wonder whether
I wonder if you can help me.
…に驚く・…とは不思議だ
I wonder (that) you didn't tell him yourself.」
↓↑
ーーーーー
日本国民は、
正当に選挙された・・・立候補者の
「区割り選挙地の選挙民」
「供託金」って「正当」か?
国会における
代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、
諸国民との協和による成果と、・・・「諸国民」のダレ?
わが国全土にわたつて
自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によつて
再び戦争の惨禍が起ることの
ないやうにすることを決意し、
ここに
主権が国民に存することを宣言し、
この憲法を確定する。
そもそも国政は、
国民の厳粛な
信託によるものてあつて、
その権威は国民に由来し、
その権力は国民の代表者がこれを行使し、
その福利は
国民がこれを享受する。・・・「(全)国民」のダレが
「享受」しているのか?
これは
人類普遍の原理であり、・・・「人類普遍の原理」って?
この憲法は、
かかる原理に基くものである。
われらは、
これに反する
一切の憲法、
法令
及び
詔勅を排除する。
日本国民は、・・・・・・「日本国民」のダレ?
恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を
支配する崇高な理想を
深く自覚するのであつて、・・・「ジカク」だけか?
平和を愛する諸国民の
公正と信義に
信頼して、・・・・・「信頼」できるのか?
われらの
安全と
生存を保持しようと
決意した。・・・・・主観的な決意表明である?
われらは、
平和を維持し、
専制と隷従、
圧迫と偏狭を
地上から永遠に
除去しようと努めてゐる
国際社会において、・・・・・「国際社会」って、ダレとダレ?
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、
全世界の国民が、
ひとしく
恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに
生存する
権利を有することを
確認する。・・・・・・・「確認」って、ダレが?
「日本国民」として「確認」・・・
われらは、
いづれの国家も、・・・・・いずれ=何れ=イズレ?
諸外国も
自国のことのみに専念して
他国を無視しては
ならないのであつて、
政治道徳の法則は、・・・・「所為字同訳句(解く)」?
普遍的なものであり、
この法則に従ふことは、
自国の主権を維持し、
他国と
対等関係に立たうとする
各国の責務であると・・・・各国の責務?
信ずる。・・・・・・・・・「(主観的に)信じる」って?
日本国民は、
国家の名誉にかけ、
全力をあげて
この崇高な理想と目的を
達成することを誓ふ。・・・「決意表明」だが・・・相手は?
ーーーーー
・・・???・・・「沈黙」・・・「饒舌」で「恫喝・恐喝」・・・頑張りきれるか・・・「地球人」・・・「比律賓」も「ジポン」の「人びと」も・・・
MMの birthday Eve・・・
・・・「クリスマス」・・・「Mary(庚辰)-空(申酉)」さんの birthday Eve」・・・
ーーーーー
Maria - マーリア・マリーア
Marie - マリー・マリエ
Mary - メアリー(メアリ)
Marya - マリヤ・マリャ・マリーヤ
Moira - モイラ
Mariah- マライア
Marika- マリカ
↓↑
キリスト教「新約聖書」に登場
イエスの母マリア
『新約聖書』 聖母マリア・神の母・生神女
サロメ (イエスの弟子) (マリア・サロメ)
『新約聖書』 イエスの弟子。
マグダラのマリア
『新約聖書』
マリア (クロパの妻)
『新約聖書』クロパの妻・聖母マリアの姉妹
マリア (小ヤコブとヨセの母)
『新約聖書』マリア・ヤコベとも呼ばれる。
マリア (マルタの妹)
『新約聖書』マルタ (マリアの妹)の姉
ベタニアのマリアとも呼ばれる。
マルコの母マリア
『新約聖書』使徒言行録 12章12節
パウロの友マリア
『新約聖書』ローマの信徒への手紙 16章6節
ーーーーー
随分と多いね・・・「マリ・マル・マレ・マロ」だらけである・・・「マリリン」・・・「mari-ri-ne」・・・
マリリン・モンロー
(Marilyn Monroe)
1926年6月1日~1962年8月5日
本名
ノーマ・ジーン・モーテンソン
(Norma Jeane Mortenson)
1926年 丙寅(己丙甲)
6月 癸巳(戊庚丙)
1日 辛酉(庚辛)子丑
・・・「Norma=ノーマ・ノルマはロシア語・英語はquota・定規座=南半球の小さな星座で、天の川の中の狼座と祭壇座の近くにある」・・・
・・・「Morten=マージーサイド (Merseyside) の町」+「son」
・・・「marine=海洋の・海棲む・海産の」
・・・「United States Marine Corps」・・・海兵隊
・・・「Jeane=ジーン・ジェーン・ジャンヌ」
・・・「ノーマ・ジーン(Norma Jean)
1942年~1972年7月17日
アメリカ合衆国のサーカスのメスのアジア象
村の広場で立ち木に鎖で繋がれて
に落雷の一撃を受けて死亡」・・・
「marine=ラテン語のmare(マーレ=海)
marinus(マリヌス)
・・・フランス語のマラン(男性形、marin)
・・・マリーヌ(女性形、marine)」
「サウンド・オブ・ミュージック=The Sound of Music」・・・「さうんど-おぶ-みゅーじゅく(作運努-於部-観諭字諭句?)」も「マリア」・・・「マリア役のジュリー・アンドリュースは29歳
1935年 乙亥(戊甲壬)
10月 乙酉(庚辛)
1日 庚戌(辛丁戊)寅卯
生まれ)」・・・
夫の「トラップ男爵はオーストリア海軍潜水艦隊司令官?」・・・正確には「オーストリア=ハンガリー帝国海軍の潜水艦隊司令官」だろう・・・「オーストリア=ハンガリー二重帝国、オーストリア=ハンガリー君主国」・・・「墺洪国、墺洪帝国」・・・
↓↑
オーストリア
墺太利
墺地利
墺土利
墺多利
墺斯利
墺太利亜
墺斯太利
墺士地利
墺地利亜
墺斯土利亜
墺西太利亜
澳地利
澳太利
澳斯多利
澳地利亜
澳太利亜
澳国
奥地利
奥地利亜
奥失突利亜
噢失突利亜
浩斯特里
欧塞特里
墺国
↓↑
ハンガリー
洪牙利
匈牙利
匈加里
哄喝利
翁加里亜
ーーーーー
日本の
キリシタン(切支丹=七+刀+十+又+冂+丶)
基督教徒
督=叔(シュク・スク)・・・叔父・叔母
+
日(曰)
=上+小+又+日
=「ひろう(拾)・わかい(若)」
「幼い・兄弟の序列で三番目(三男)」
「末世(荒れた世の中)」
「枝についている豆の象形・豆を拾う」
「ゼス(ゼスス)・キリシト」
「イイスス・ハリストス」
「イエス・キリスト」
↓↑
イエス・キリスト
(紀元前6年~紀元前4年頃~紀元後30年頃
ギリシア語=Ίησοῦς Χριστός
ヘブライ語
ラテン文字転記=Yhoshuah ha-Mashiah
ナザレのイエス=イエス・キリスト
↓↑
イエスの存在
フラウィウス・ヨセフス(1世紀)
タキトゥス(1世紀)
スエトニウス(1世紀)
などが記録
↓↑
ーーーーー
エジプトの「マリア」
12歳で両親の元を離れ
アレクサンドリアに赴き、
以降17年間、淫蕩生活・・・
「糸紡ぎ」という職人で
無報酬で男達と寝た
十字架挙栄祭
(正教会の、
ハリストスの
磔刑十字架が土中から発見された祝祭日)
にエルサレムへ船で向かった
十字架挙栄祭日
主の十字架はエルサレムの
至宝を見ようとして
聖堂に入ろうとしたが、
ナニ者かに押し返されので
十字架を見る事が出来るのならば
これ以降、淫蕩を止めるという祈りを捧げ
彼女は聖堂に入る事が出来、
十字架も見ることができた
その直後、
ヨルダン川の向こう岸に行けば
平安を得られるであろうとの
啓示を受け
ヨルダン川に赴いて顔と手を洗い、
丸木舟でヨルダン川の向こう岸に渡った
その後、
彼女は
47年間、荒野で裸で修行生活をしていた
↓↑
司祭ゾシマが
マリアの死体を発見したとき
マリアの足元に大きな
ライオンが現れ、
彼女の足を舐めた・・・
ゾシマは恐れたが、ライオンが
彼に甘え始めたので、
ゾシマは
マリアのために墓を掘るように
ライオンに命じると
ライオンが
地面を掘り起こしたので、
ゾシマはマリアをそこに埋葬した・・・
↓↑
帰還したゾシマが
修道院長と修道士達にこれらの話を語り
「克肖女(こくしょうじょ)マリア」
の永眠日を記憶する事が決められた
↓↑
司祭の
ゾシマは
100歳近くで永眠・・・
↓↑
マリアの教会伝承
生没年不詳
6世紀初め頃の聖人(正教会)
5世紀初頭頃(カトリック教会)
正教会は
「エジプトの聖マリア」の永眠を
521年
522年など
カトリック系は
421年
ーーーーー
・・・「Mary(庚辰)-空(申酉)」さんの birthday Eve」が、今現在12月9日金曜日1時40分になっちゃった・・・おやすみ、MoMoちゃん・・・
恐竜が「琥珀」の中に・・・
・・・ミャンマー北東部で発見された「琥珀」の中に恐竜の尻尾を発見(カレント・バイオロジーに論文掲載・第一著者の中国地質大学の邢立達(シン・リダ)博士が化石標本をミャンマー・ミッチナーの琥珀市場で発見した9900万年前の琥珀」・・・「邢立達(シン・リダ)」博士の名前が「邢(シン・けい)=开+阝」、「邢は周時代の北方の邢国・文王の子である邢朋叔が封じられ、元公の代に滅亡」、「北狄(ホクテキ)に攻められ、紀元前659年に夷儀に移動した(邢遷于夷儀)が、紀元前635年に衛国(僖公二十五年正月・衛侯燬滅邢)に完全に滅ぼされた」、「立達(リダ)=目的、目標を達成、目的に行きつく」ですか・・・「6号機コウノ鳥」の行くへは・・・「種子島の水」と「日本製リチームイオン電池」を積んで22時23分、47秒点火発射・・・隣国の大統領は弾劾・・・「卑弥呼」にも「壹與」にもなれなかった・・・「TPP」ですか・・・「自由貿易」とは「地域的に経済的不均衡発展=経済的不均衡発展の自由市場」が前提である。共通通貨の「ユーロ(€・Euro)共通使用貨幣、紙幣」はヨーロッパ(Europe・欧羅巴)の経済を均衡化させたのか・・・「国際通貨」らしい「アメリカ$」は「世界経済」の「諸外国を均衡化」したのか・・・日本国内での「共通貨幣、紙幣」は「円(圓)」なのに「地方、地域の経済格差」がある・・・「金銭は均衡化」しないのが前提である・・・当然である・・・貨幣は商品と商品の「媒介交換手段」である。もちろん、「蓄財手段」でもある・・・すべからく、「自由商品市場」が前提の「交換、蓄財」手段であり、「投機⇔投棄」手段でもある・・・結果、「儲かる・損する」の博打的な手段なのである・・・「TPP(Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement=環太平洋戦略的経済連携協定=環太平洋経済連携協定)」・・・
トランス・・・・・・虎務棲?
パシフィック・・・・葉施附意椄句?
ストラテジィク・・・守虎出字意句?
エコノミック・・・・重拠之視通句?
パートナーシップ・・頗吾訳名阿詞通符?
アグリーメント・・・蛙具理意目(女・馬)務途?
・・・???・・・
ーーーーー
「きまぐれな」=「capricious」
Capricorn =「山羊(座)」
「気の多い・浮気な
「気まぐれな黒猫」=「capricious black cat」
フランス語=「 un chat capri-cieux
(アン シャ カプリ シュー)」
蛙 務釈 迦鮒理 諏得・・・?
ーーーーー
・・・ロケットH2、「こうのとり」は宇宙空間に分離、成功したらしい・・・モモちゃん、39日目だね・・・
「充分です」・・・カゴの中のパン・・・
・・・「東田直樹」君の「The Reason I Jump」・・・「人間として」って、ナニ?・・・「人間」って、漢字(日本語)では「人+間」で、「人と人の間(の諸関係?)」で群れて生きていく生物の一般概念?・・・「人間の条件」と云うイヤな小説があったけれど、「大地」と云うスキな小説もあったが。登場人物は全部、「人間として」なんだけれど、様々、色々な「人間としての登場人物」なんだけれど・・・「人間としての尊厳」?、「人間らしい性質、感情などがあるさま」?、「ひと・人類・人柄・人格・人物」、「人間の人間であるゆえん・人間の普遍的本性」?・・・「人間らしさ」?・・・だから、「人間だから」って、ナニ?・・・「として」って?・・・「として=一つの資格・立場・名目、Bを設定して、Aの存在、行動のあり方の規定」って、「役割分担・階級、階層序列」?・・・「人間としての存在=personality=個性・性格⇒character」、「人間=Human・正しい=Rights」、「人間の普遍的本性」?、「誰に対しても誠実である」?、「人間として生きる事の意味と価値を知る為の社会」(的人間?)・・・
「Homo sapiens(ヒト亜族(Hominina)に属する動物の総称・ 哺乳類霊長目(サル目)ヒト科ヒト属の 学名)」=「ラテン語の wise man(賢い人・智者)の意」
「Homo(同じ・同種・同類・類似・ホモ(homo)=同じの意=同一細胞内に同一の遺伝子が対になって存在すること・一組の対立形質をAとaで表すと、AAかaaの遺伝子型になる」
「sapiens(サピエンス)=ラテン語の賢明であるという意味の動詞 sapio(サピオー)の現在分詞形」
「自由の主体としての人間」?
「ホモ・ルーデンス(遊び人)」?
「人間はポリス(都市国家)的動物である」?
・・・「人間として当然のことをしただけ」の「当然の具体的な内容」はナニ?・・・「自我の尊重、個人(他我)の解放」?・・・
そうですか、「sapiens(サピエンス)=分別のある人・賢人・賢者・哲人・美食家」・・・なるほデ、「美食家」ですか・・・
「人間」+「として・だから」のコトバを使用する「人間」たちの「意味規定」は曖昧であるようだ・・・
「協働・協同・共同」体内のヒトビトは「約束ゴト=掟=秩序」で生きているのだから「人と人の間の諸関係のルールを守もって生きていくヒト」が「人間」で、更に云えば「社会的人間」である・・・
「協働・協同・共同」体内で守ることの「基本」は
「盗むな・騙すな・殺すな・差別するな」
に尽きるが・・・当然、これを犯すモノは「排除」されるか、「罰」を受ける・・・これらの「約束ゴト・掟」を知らない人々もワンサカいる・・・「約束ゴト・掟」は「社会」で知らされ、知っているコトが前提であるが・・・知ることが出来ないヒトもいる・・・「跳びはねるコト」が禁止されるカモ・・・
だが、諸先輩の「人間とは」は、今現在の立場での「プチブル意識のエゴな枠内」での「人間とは」らしい。彼らも、その枠内で、「人間とは」、それも「人間なんだよ」のヒトリなんだろう・・・
アンタの「生活財・生活地位」に「盗みと、差別の部分」はないのか?
「自由」は「どの枠内」で許されているんだか・・・?・・・「選択の自由」、「自由な選択」・・・
生きている間の「生活財の多寡の追及」の「人間とは」・・・「自由」で、当然なんだろう・・・
ーーーーー
・・・「跳びはねる場所」も与えられない、「君の本」も読めない仲間が居るのはキミのせいでもないが・・・「自由な枠内」・・・「自由」とは「余裕の枠内・秩序の枠内・社会的存枠の宿命」だから・・・「既存の自由」を「運命」でコワシテみる・・・?・・・本当に「トリ」にナッチャウかも・・・飛べればイインだけれど・・・「カゴ」が必要だ・・・
「東京裁判」と「東京オリンピック」はドウ、異なるのか?・・・カ-イザリ-オン・・・
・・・戦勝国の「東京裁判」ですか、どの面さげての「賽の目丁半の裁判」だったんだか、マッカーサー選任の連合諸国の地方判事・・・「八百長、黄昏のガンマンの判事」・・・「高級日本帝国軍事官僚」は「無念(?)だった」のかな、「怯えて(?)いた」のかな・・・「戦陣訓」を棚に上げて「割腹」もせずに敵国の裁判で処刑されるとはねッ・・・「帝国日本軍人の恥」である・・・「一億国民総玉砕」を煽った新聞、ラジヲのジャーナリストも同罪だが、「国民(?)」は「自らの騙された罪」も問われるべきだったが、相変もわらず「生きるのに必死だった」のか、「飼いならされるコトには慣れて」イタンだか・・・主君の恨みを果たす「忠臣蔵」も投降、束縛、結局は処刑されたが、この物語は、日本人スベテが「武士階級」でもなかったのに、今現在までもズウ~ッと「日本人(?)」には「美化」されてきたらしい不思議なモノガタリ・・・「関ヶ原」の負け戦で生きて束縛され、打ち首にされた武士もいたが、生きて「再起」を謀ろうと思っていたんだか、どうなんだか・・・権力者がその椅子から転がると「雲合霧集」していた「太鼓持ち=幇間(ホウカン」達は「雲散霧消=雲消霧散=雲散霧散=胡散霧散=雲散鳥没=雲消雨散=煙消霧散」・・・「烏合(集散)=シュウサン=衆参(国会議員)?」・・・「権力」に群がる「太鼓持ち=幇間(ホウカン、たいこ)」は「お隣の国々の事情」だけではないらしい・・・「国民=愛国心」と云う「コトバ」の不思議・・・「キリスト」も「愛」を説き、上杉の「直江兼続(なおえ かねつぐ)」の兜の立物には「愛の字(愛宕神社の普賢延命菩薩=金剛手菩薩・遍吉→変規知?」、「愛染明王=愛欲染着」・・・仏教では「愛」は「煩悩の性愛」で、その解放とは・・・詰まるところ相手のいない「御自愛」だろう・・・無理だと「悟った」のは「親鸞」らしい?・・・
「戦国時代の百姓」は「勝った方に加担」する、結果、「落武者狩り」もする・・・どちらが勝っても「被支配者」で土地に「顰(頻+卑・しが-み=噛(口+歯・しが-み」着(つ)かざるをえない。武士の「忠儀」とは無縁な存在だった・・・務秩序な暴力で襲って来る「山賊、野党」には「村の防衛」に「傭兵=七人の侍」も必要だが・・・あの村には「百姓」を護ってくれる「領主の武装警察」は存在しなっかた・・・頼りになるのは「七人の侍」だったんだか、どうなんだか・「竹千代」に訊いてみたい・・・
ーーーーー
・・・「ダーウインが来た」の「かえる=カエル」の漢字の「蛙(かえる・かわず・ア)」と、「蝦蟇(ガマ)」だが・・・「海老=えび=蝦・螧・鰕」は「蝦夷(えぞ・えびす・カイ)」の「蝦」である・・・
「カエル」はナゼか「月」に棲む「両生類の動物」であるが、「月の変化の現象、朔望(新月~満月~新月)と、月の色彩の変化」が重なるからである。すなわち、「変える・変わる」である・・・
「月桂樹・硅石(石英)・珪(たま)・鮭(さけ)・佳子(よしこ)・畦道(あぜみち)・罫線(ケイセン)」で「圭」の部首は月に存在するモノ、観た目の天体の形象を意味している・・・「奎=また・ふみ・とかきぼし=奎宿・ケイ・キ」・・・「挂」は、
「挂(かける=掛・ケイ・カ)=扌(手)+圭」で、
「卦・掛・罣・𪊧・𡐠・𦓯・袿
閨・厓・娃・烓・窐・䖯・䞨・刲」・・・
↓↑
「世界屈指のカエルの楽園、マレーシア・ボルネオ島の熱帯雨林」の「かえる」・・・「体から接着剤のような粘液を出すカエル、空を飛ぶカエル、1円玉より小さい超ミニガエル」の生態観察記録・・・「カエルの種類は200種以上で、毎年、新種が発見」・・・
森の中の渓流にの「ナガレガエル」は水面を「跳んで移動する」・・・苔むした岩の上で身を潜める「隠れ身の術」、メスをナンパする後ろ足の水かきを広げての「足旗信号=足旗の術」・・・
↓↑
ーーーーー
12月11日15:30、TBS系列特番
「遂に開いた!
ピラミッド真実への扉
ツタンカーメンの秘宝と
太陽の船
新発見!」
↓↑
アビドスの船の墓場
内壁に数多くの船の絵が刻まれているのが発見
紀元前1840年のもの
古代エジプトの「船の墓場」発掘
壁に120隻の絵
↓↑
鳥船塚古墳(とりふねづかこふん)
石室は破壊
奥壁の腰石2段を残すのみ
奥壁の1段目には
2個の靫と船、
同心円文が描かれている
船は大きな
櫂のある大型の船で、
人物が乗っており
帆を張る
柱が2ヶ所
2段目には、
鳥が船の
艫と
舳先に
各1羽つづ止まっている絵
が描かれている
↓↑
屋形古墳群の北端
古墳は昭和25年に発見
奥壁の絵は、
赤と青の顔料を使用
岩の地肌を利用して
3色で構成
太い線が
横に4段描き
その上に
弓矢が入った
靫を3個
大きく中央に配置し、
左と中央の靫の間には
大きなワラビ手文様
靫の左側上には
同心円文、
下にゴンドラ形の船
右側が船首
舳先には鳥が止まっている
帆があり、
冠をかぶった人物が
櫂を持っている
靫の右側上には
盾
弓
を持った人物が立っている
その下に
月に住む
2匹の
蟾蜍(センジョ・ひきがえる)・・・虫+詹
虫+余
洗浄?
引き換(替・変)える?
が描かれている・・・
ーーーーー
・・・「カイザリオン(プトレマイオス15世)」の東方の到着点・・・ジポン・・・
カエサリオン(Caesarion・Καισαρίων)
プトレマイオス15世
(Πτολεμαῖος ΙΕʹ
Φιλοπάτωρ
Φιλομήτωρ
Καῖσαρ
ユリウス暦
紀元前47(甲戌)年
06(庚午)月
23(癸亥)日
月曜日
友引
(紀元前47年6月21日グレゴリオ暦)
~
ユリウス暦
紀元前30(辛卯)年
08(丙申)月
23(癸巳)日
土曜日
友引
(紀元前30年8月21日グレゴリオ暦)
プトレマイオス朝
最後のファラオ(在位、紀元前44年~紀元前30年)
・・・・
「オスプレイ墜落」は「人道と平和」に対する「つみ」である・・・
・・・「東京裁判・第2夜」ですか・・・「北方領土のソ連軍の占領」も含め、ワイン(wine)とウオッカ(vodka)を飲んでの「判事達の苦悩(?)」・・・「胡散臭い」=「胡盞(ウサン)臭い」裁判である・・・「胡(えびす・コ・ウ)」の「盞(さかずき・サン・セン)」で「カンパイ」で酩酊ですか・・・「エビス(夷・蛭子・恵比須・恵比寿)」、「サカズキ(杯・盃・盞・一盞(イッサン)=酒を飲む-さかず(づ)き=酒盞(シュサン)」であり、形象は「三ヵ月の形・半月?」の器(碗)で、寸胴(円柱)形は「御猪口(おちょこ)」である。一般的には「利き猪口は、内側の底に青い蛇の目が杯の底に◎が描かれ、模様をみて日本酒の質、透明度」を調べるらしい。「猪、豚の鼻=(‥)」、「当て字」に意味がないらしいとの説だが、意味の無い「漢字」はない。「御・猪・口」である・・・「猪(いのしし)の口」で、「猪=犭・豕・豸(チ・ヂ)+者=いのしし=豬・猯」の「口」である。「御猪口になる」とは「開いた傘が風にあおられて、猪口の形に裏返しになること」であるらしいから「御猪口」とは「猪の口」の「形象(鼻が上口(顎)に接し、鼻自体が非常に敏感な動物)」で、酒の良し悪しは「味」と「臭い・芳り」を嗅ぎわける「ソムリエ(sommelier)」の職業である。と同時に「ブゥブゥ・ゥィウィ・グィグィ?」の鳴き声は、酒を呑む時の音であろう・・・古語で「猪=ヰ(ウィ)」と発音したらしく、ゥィウィと鳴く「いのしし=ヰの宍(しし・肉=ジク)」であっただろう・・・「月=肉の変形」だが、ナゼ、「宍」が「宀(交叉した梁を覆う屋根・天空・メン・ベン・ウ冠)+亠(音の字の略)+八(豬八戒)」で「しし・ジク・ニク」なんだか・・・
・・・熊襲征伐では十六歲の「ヤマトタケル=倭建=日本武=倭男具那=日本童男=小碓」命で、東征の帰路で伊吹山の「白猪(大蛇)の神」に祟られたのは三十歳で、「八尋白智鳥(白鳥)」になって昇天・・・「冬の山」だったんだろ・・・妃の一人は「布多遅比売(ふたじひめ=蓋字秘=亠字ヒメ)」であるが・・・ 子孫は「犬上朝臣」であるらしい・・・
↓↑
ーーーーー
「盞(さかずき・サン・セン)=戔+皿」の
「戔(そこなう・すくない・わずか)」は
「素戔男尊・素戔嗚尊(日本書紀)
建速須佐之男命・須佐乃袁尊(古事記)
神須佐能袁命(出雲国風土記)」
の「戔」である。漢字からすれば
「素戔男尊・素戔嗚尊」は
「もとは小さい男」か、
「もとは小さく鳴く」・・・・素戔嗚は
母の国へ行きたいと啼いたが
の「みこと→みごと→見事・視語訳」である・・・
「戔(そこなう・すくない・わずか・セン・サン)」
戔=戈+戈=ほこ・カ)」
+
「皿(さら・ベイ・ミョウ)」、
「戔(セン)=小さいもの、少ないもの・小刀で削った破片」・・・「包丁(ナイフ・戈)と、小刀(knife・戈)」をスリ合わせ(重ね)て、双方の刃を「とぐ=砥・研・磨」、研磨する漢字だろう・・・「解(とく・げ・カイ)」・・・?
「くさい=臭い=クサイ」だが、ギリシャ語のアルファベットの文字に「Ξ・ξ=クサイ・グザイ・クシー」があるが、「第14字母。数価は60、 音価は ks・ラテン文字の X に対応・手書きでは 王 のようにも書かれる」.。この字形は「Ξ・ξ」は漢字の「三」で、字形は「縮れ毛」か、「櫛(くし・髪梳き)・簪(カンザシ・笄・釵・鈿・髪飾り)」で、音なら「九歳=クサイ=矩歳」で・・・「草井(意)スカンク」の「縮れ毛の愚妻」かも・・・?
↓↑
「胡散臭い・胡盞(ウサン)臭い」とは、
「黒い上薬をかけた抹茶茶碗=高価な高麗の焼き物=生産地や年代が不詳で、偽物臭い、疑わしいといわれた」・・・「高麗の焼物」がナゼ「胡散焼き=ウサン焼き=胡盞焼き」臭いで、「高麗臭い」ではないんだか・・・日本では疑われたが、「高麗茶碗」には価値があった・・・のか?
「胡散(ウサン)臭い」・・・漢語で「怪しくて疑わしい」を意味する「胡乱(ウロン)→烏龍(ウーロン)」・・・
「ポルトガル語で怪しい人を意味するVsanna(ウサンナ)」・・・
「臭い」は、「・・・らしい」を意味する接頭語で、「胡乱(ウロン)」の語源は、北方の異民族である胡(えびす)が中国領土に侵入したとき、領民が恐怖と混乱に陥ったことから出た」・・・「烏龍茶」・・・「カラスと龍の茶」って、安物の茶?だが・・・「茶葉が黒褐色で、形が龍のように曲がりくねっている・半発酵茶・武夷岩茶が有名」・・・一煎目は捨てて飲まず、二煎目から飲むのが一般的であるらしい・・・
そもそも、
「胡=古代中国の北方・西方民族に対する蔑称・匈奴」
「胡瓜(キュウリ)・胡弓(コキュウ)・胡姫」
「胡蝶の舞(植物カランコエ
ベンケイソウ属
「弁慶草」の由来は
枯れずに強いから、らしい・・・
「弁の慶」は慶事を弁別するだろう・・・
別名は「活草・伊岐久佐(草)」
「胡蝶の舞」は「雅楽」で
迦陵頻(カリョウビン)=極楽鳥
の番舞(つがいまい)で
舞楽=渤海楽・三韓楽の平安時代の音楽様式
林邑八楽の一
壱越調(管絃雅楽)としして演奏
「迦陵頻(カリョウビン)は極楽浄土に
住むという人面鳥身で美声を持つ霊鳥」で
管絃の双調、黄鐘調に編曲され、
「鳥」ともいうらしい・・・これって「烏」?
「胡(古+月)」は異民族由来の漢字で、
原義は
「あごひげ」が長い人の意・・・
「胡=十(交わる・重なる)の口の肉」・・・?
「狼跋其胡、載疐其尾
(狼が自分の胡(長い髭)を踏んで、
尻尾につまづいて慌てふためく)
「跋=足+犬+ノ=「口+ト+人+犮」
=ふむ・こえる・つまずく・おくがき・あとがき
バツ・ハツ
ふむ=踏む
こえる=越える=超える・・・乞える
つまづく=跌=跲・蹉・蹶・蹎・頓・疐
おくがき=奥書き=跋文
あとがき=後書き=後跋
バツ・ハツ
「跳梁跋扈=大魚が仕掛けた罠(梁)から
飛び跳ねて逃げる様子
ほしいままの行動
悪人などがのさばり、はびこること
「跋扈」は悪人などが権威を無視し
勝手に振る舞いのさばること
「扈従(コジュウ・コショウ)」
「扈籠(コガ)」=竹やな(簗・梁・罠)の籠
「扈=戸+邑=一+尸+口+巴
↓↑
一(初)の尸(屍)の
邑(むら)
口は巴(ともえ・うづ・渦巻・巳・蛇・蝮)
↓↑
扈=竹やな(簗・梁)」
したがう・主君のお供
のさばる・はびこる
「横行跋扈 (おうこうばっこ)」
「飛揚跋扈 (ひようばっこ)」
「陸梁跋扈 (りくりょうばっこ) 」
「梁冀跋扈 (りょうき ばっこ)」
「跋渉=山野を越え、川をわたり、
各地を歩き回ること」
↓↑
・・・「倭の五王の武」・・・
479年=宋の「昇明二年」、
倭王武が上表し
自ら
開府儀同三司と称し、
叙正を求める
順帝は、倭王武を
「使持節都督倭
新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓
六国諸軍事安東大将軍倭王」
とする(宋書・順帝紀)
479年=南斉の「建元一年」、
倭王武に
南斉の高帝、王朝樹立し
倭王武を
鎮東大将軍(征東将軍)に
進号(南斉書・倭国伝)
502年4月=梁の「天監一年」、
倭王武に「梁の武帝」、王朝樹立し
倭王武を
征東大将軍に進号(梁書・武帝紀)
↓↑ ↓↑
自昔
祖禰
躬環
甲冑
「跋渉」山川不遑寧處
東征毛人
五十五國西服
衆夷・・・・・「蝦夷=えみし=愛瀰詩」
景行天皇 神武天皇
六十六國渡
平
海北九十五國」
. ↓↑
「拓跋部(タクバツブ)=鮮卑族の一部族」
北魏などの王朝を建国
索頭部、索虜
315年
猗盧が「代国」の「代王」となる
「拓(開拓・拓殖)」
の
「跋(跋渉・跋扈)」
. ↓↑
「胡=牛のあごをおおって垂れる皮・あごひげ」
胡髯(コゼン)を垂らした龍
ひげ=鬍・鬚・あごひげを蓄えた遊牧民
古代中国の北方や西方に住んだ異民族
・・・同音の「卓抜=タクバツ」が「拓跋=タクバツ」であるとは・・・?
「拓=扌+石=広げる・押す・手で押す・拾う・折る
開く
タク
開拓・拓殖
石碑や器物などの文字や模様を
墨で紙に刷り写した
拓本・魚拓・拓史・・・拓字印刷?
「抜=扌+友=ぬく・ぬける・ぬかす・ぬかる
ぬきんでる・きわだつ
バツ
旧字は「拔=扌+犮」
・・・「犬+丿」=「一の人のノの丶」?
「龙=龙=龍」?
「龙=ナ+七(匕)+丶」?
「戎=えびす・ジュウ・ニュウ」
「疣(いぼ・ユウ・ユ)=疒+尤」
引きぬく・ぬける
「抜刀・抜本・抜粋・選抜・抜群・卓抜」
ーーーーー
・・・類似漢字の類字はお手上げである、カナ・・・
ーーーーー
鮮卑(センピ)の拓跋(タクバツ)の部
↓↑
黄帝の子、
25人中の
一人、
昌意の末子が
北土の
大鮮卑山
に封ぜられ、
鮮卑と号す
牧畜と狩猟を生業とし
黄帝の末裔の
始均・・・・始めに均(ならす・ナラス)
奈良棲に始める?
は
堯の時代に入仕し
始均が
女魃(ひでり=日照の神)を・・・女魃=卑弥呼?
魃=鬼+犮
弱水・・・・「弱い水」って、流れのコトなのか?
の北に駆逐
帝舜は
始均を
田祖・・・・田(□+十)=狩りの祖
とした
秦漢の時代
始均の子孫は
獯鬻、獫狁、山戎、匈奴
の属国となり
中国を害し、中国は国交を断絶
67世の後、
拓跋毛が・・・・拓跋の毛・・・植毛のアデランス?
大人(部族長)となり、・・・・大人=一の人のヒト
おとな=嗚訳名
36国、・・・・・・・66=36・・・2×6=12
大姓99を統べ、・・・99=81・・・66の逆数字
・・・2×9=18・・・足し算は9
北方に威を振った
数代の後、
大人の
拓跋
推寅・・・・トラ(寅・虎・彪)を推す?
は
大澤に南遷
それより数代の後、
大人の
拓跋鄰は・・・拓跋の鄰(隣の左右が逆字で、旧字)
「隣=鄰」は周の行政区画、五戸を隣、五隣を里
「燐(リン)」はスグに燃える物質
「燐」=おにび・ひだま・ひとだま・きつねび
死体の骨から出る青白い光・ほたる火
燐光=黄燐が空気中で酸化し
発する青白い光
ある物質に光を当てたとき、
その光を除いた後も
しばらく残光が見られる現象
・・・ボクの家の蛍光灯・・・一般的には
発火点が低く、自然発火しやすい
ギリシャ語で
「光をはこぶもの=phosphoros
phos(光)+phoros(運ぶ)
の意
非金属元素の一・元素番号15・記号P
白燐
黄燐
紫燐
赤燐
黒燐
「神人」・・・日本では神社に隷属し、
雑役などを行った下級神職・寄人・神主
西洋では「神人」は神のような力をもつ人、仙人
より
移住することを勧められたため、
息子の
拓跋
詰汾・・・・「詰」の「汾=水+分」・・・配水係り?
に命じて南へ遷移させ、
拓跋部は
匈奴の故地に移り住む
173年
拓跋詰汾は狩りの途中で
天女と遭遇
天女との間に
拓跋
力微・・・「力」が「微(微細・少ない・わずか=僅・毫)」
を授かる
321年
平文帝
鬱律が・・・・・・・「鬱(憂鬱)」の「律(律令)」
祁氏に・・・・・・・「祁(まつる)氏」・・・
殺される
祁氏の子の
拓跋
賀傉・・・・「賀」の「傉=イ+辱」・・・恥辱・雪辱?
が即位
祁氏が政務を執り行った
(そのため当時は
女国・・・・・・・・「女の国」・・・女真・女直
アマゾネスの国?
と呼ばれた)
324年
賀傉が親政
諸大人が帰服しないので、
東木根山に遷都
325年
賀傉が卒去し、
弟の
拓跋
紇那が・・・・「紇(糸+乞)の那」
回紇=ウイグル=回鶻
烏紇(ウゴチ・ヲコツ ?- 648年)
回紇部の俟利発(イルテベル=部族長)
吐迷度の甥
姓は薬羅葛(ヤグラカル)氏
名は烏紇(ウグル、 ウイグル)
吐迷度の兄の子
貞観二十二年(648年)
烏紇は吐迷度の妻と姦通し、
俱陸莫賀達干
(キュリュグ・バガ・タルカン官名)
の
俱羅勃(キュレビル)と謀反
立つ
327年
羯族の・・・・「羯」・・・「羯諦、羯諦」・・・般若心経
石勒は・・・・「石の勒」
石虎・・・・・「石の虎」
を遣わし、
5千騎を率い辺部に来寇、
代王の
拓跋
紇那はこれを
句注陘北・・・・「句注の陘(すね・ケイ=脛・臑)の北」?
で防ぐが、
不利となり、
大寧に遷都
舅の
拓跋
翳槐は
賀蘭部にい
拓跋
紇那
は遣使を送り救援を求めるが、
賀蘭部の帥の
藹頭
は救援の派遣をしなかった
拓跋
紇那は怒り、
宇文部
並びに軍勢を召して
藹頭
を撃つが、
宇文の衆は敗れ、
紇那は大寧に帰る
329年
紇那は
宇文部へ亡命
賀蘭部及び諸部大人は、
拓跋
翳槐
を共立し、
代王となる
石勒は遣使を送り和親を求め、
拓跋翳槐は弟の
拓跋
什翼犍
を襄国に遣わした
335年
藹頭
は臣職を修めず、
拓跋
翳槐が召してこれを殺した
拓跋紇那は宇文部から戻ったので、
諸部大人はふたたびこれを奉じ、
拓跋紇那は復位
拓跋
翳槐は
鄴へ亡命
337年
石虎は将の
李穆
を遣わし5千騎を率い
拓跋翳槐を大寧で引き入れる
国人の六千餘落は
拓跋
紇那に叛き、
拓跋紇那は
慕容部
へ亡命
拓跋翳槐は復位
故城の東南10里に在る
盛楽城
に遷都
復位1年で卒去し、
弟の
拓跋
什翼犍
が後を継ぐ
拓跋
什翼犍の即位
338年
繁畤
(山西省混沌県)にて
拓跋
什翼犍
即位、
元号を
建国とした
339年
百官を設け国家体制を整え
代国を南北に分割
大人を置いた
北部を弟の
拓跋
孤
が監督し、
南部を庶長子の
拓跋
寔君
が監督
慕容部の大人
慕容皝
の妹を娶り后とする
340年春
雲中郡の
盛楽宮(内蒙古自治区和林格爾県)に遷都
341年秋9月
盛楽城を故城の南八里に築城
后の
慕容氏が卒去
冬10月
匈奴
鉄弗部の
劉虎
は西の国境を侵す
什翼犍
は軍を派遣し討伐、大破
劉虎が没すると、
子の
劉務桓
が帰順
什翼犍
は娘をやった
344年
慕容皝の娘を迎えて后
355年
太后の
王氏が卒去
360年夏6月
后の慕容氏が卒去
363年冬10月
高車
を討ち、大破
364年冬11月
没歌部
を討ち、破る
365年春1月
鉄弗部の
劉衛辰
が謀反
什翼犍はこれを討ち、
劉衛辰
は遁走
367年冬10月
什翼犍は
劉衛辰を征伐、
劉衛辰は宗族とともに西走
370年冬11月
高車を征し、大破
371年春
長孫斤が謀反
太子の拓跋寔は傷を負い、夏5月に卒去
374年
什翼犍は
劉衛辰を征し、
劉衛辰は南走
376年
劉衛辰の要請で、
前秦の
苻堅
は大司馬の
苻洛
を遣わし20万の兵と
朱彤、張蚝、鄧羌などの
諸道を率いて来寇させ、南の国境を侵す
冬11月
白部、・・・・・・・「白の部」?
独孤部・・・・・・・「独りの孤の部」・・・「独狐」?
はこれを防ぐが、敗北
南部大人の
劉庫仁
は
雲中郡
に敗走
什翼犍は再び
庫仁を遣わし、騎兵10万を率いて
石子嶺
で反撃させるが、敗北
什翼犍は病にかかり、
軍を率いて陽山の北に逃れた
高車
雑胡が相次いで反乱
12月
什翼犍は
雲中に戻るが、
拓跋
孤の子
拓跋斤にそそのかされた庶長子の
拓跋
寔君は・・・・「寔=まこと・おく・これ・ショク・ジキ」
真に・洵に・是=此れ
諸弟と什翼犍を殺す
代国は、
前秦の支配下に入り、
河を境に東西に分割
東を
劉庫仁
西を
劉衛辰
が統治し、
苻堅・・・・・・「苻の堅さ」
「苻=あまかわ・さや(鞘)・フ」
草の名・葛(くず)に似た草
鬼目草
さや・草の実につく皮・あま皮
から官爵を拝受
↓↑
北魏
386年
什翼犍の孫の
拓跋
珪が
再び代国を復活させ
399年
国号を
魏(北魏)と改め
皇帝に即位
太武帝の時代に
華北を統一
北は
柔然・・・・・・・・「柔(やわらか)さは、
然(しかり・自然)」・・・爾
と戦い、
南は南朝と対立
ーーーーー
・・・???・・・「オスプレー」が墜落・・・シカリである・・・機械の操作は「人間」であるから当然である・・・問題はそんな「兵器」を飛ばすコトの「ジンドウの所為」があの「沖縄駐留のアメリカ軍司令官」には理解されていない・・・当然である。「アメリカ軍人」だから・・・民間飛行機は当然、人口の密集した住民地区は避けるだろう・・・ハドソン川に不時着させたのは当然である・・・「USエアウェイズ1549便不時着水事故は 、2009年1月15日午後3時30分頃(東部標準時(UTC-5))に、ニューヨーク発 シャーロット経由シアトル行きのUSエアウェイズ1549便が、ニューヨーク市マンハッタン 区付近のハドソン川に不時着水した航空事故」であった・・・
「オスプレイ墜落」である・・・12月13日夜、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)所属の垂直離着陸輸送機 オスプレイ1機が墜落」・・・
東京裁判の公望・・・五胡十六国の攻防・興亡・・・弘法・・・?
・・・「16・十六・壱拾六」が重なった・・・「中国に五胡十六国時代と云う時代区分があった。304年の漢(前趙)の興起から、439年の北魏による華北統一まで、その期間に興亡した諸国の総称」・・・五胡十六国・・・中国華北に分立興亡した民族・国家の総称」・・・
五胡
匈奴・鮮卑・羯・氐・羌
・・・これらの漢字が「日本的思想の原点」であるカナ・・・
↓↑
匈奴は前趙、夏、北涼を、
鮮卑は前燕、後燕、南燕、南涼、西秦を、
羯は後趙を、
氐は前秦、後涼、成漢を、
羌は後秦を、
漢族が前涼、西涼、冉魏、北燕
をそれぞれ建国
匈奴によって建てられた前趙、鮮卑
慕容部によって建てられた前燕
↓↑
国家の中には
複数の民族が混在
↓↑
十六国=北魏末期の史官
崔鴻が私撰した『十六国春秋』に基づく
実際の国の数は16を超える・・・
↓↑ ↓↑
国名 始祖 存続年 民族
前涼 張軌 301年~376年 漢族
前趙 劉淵 304年~329年 匈奴・・・勹+凵+乂
成漢 李特 304年~347年 巴賨・・・渦の宀+示+目+八
後趙 石勒 319年~351年 羯・・羯諦・羊+日+勹+乚+乂
前燕 慕容皝 337年~370年 鮮卑・・・魚+羊+卑(弥呼)
前秦 苻健 351年~394年 氐・・・・氏+一
後燕 慕容垂 384年~409年 鮮卑
後秦 姚萇 384年~417年 羌・・・・羊+儿
西秦 乞伏国仁 385年~431年 鮮卑
後涼 呂光 389年~403年 氐
南涼 禿髪烏孤 397年~414年 鮮卑
北涼 沮渠蒙遜 397年~439年 盧水胡・・・虍+田+皿+水+胡
南燕 慕容徳 400年~410年 鮮卑
西涼 李暠 400年~421年 漢族
夏 赫連勃勃 407年~431年 匈奴
北燕 馮跋 409年~436年 漢族
↓↑ ↓↑
五胡十六国以外の国
国名 始祖 存続年 民族
仇池 楊茂捜 296年~506年 氐
代 拓跋猗盧 315年~376年 鮮卑
冉魏 冉閔 350年~352年 漢族
西燕 慕容泓 384年~394年 鮮卑
翟魏 翟遼 388年~392年 丁零・・・丁+雨+令
後蜀 譙縦 405年~413年 漢族
・・・国名も始祖の名前も漢字そのもの意味も音訓も踏まえ
漢字分解して同様に考える・・・
・・・「卑弥呼・壹與」の年代は
「175年~247年~248年頃」である・・・
・・・彼らの最終的な逃げ場所は「倭・大和・日本」・・・
↓↑
ーーーーー
現在的に存在する「国家の数」は、
国際連合加盟国「193ヶ国」
日本、日本が承認している国「196ヶ国」
ブログ検索では
「独立国家」らしきモノを加えると
204ヶ国
206ヶ国
324ヶ国
とあった・・・
↓↑
ーーーーー
ナゼ、今頃、ドラマ化された「東京裁判・第三夜」なんだか?・・・「わたしは貝になりたい」のカケラが視えない・・・
「日本帝国軍事官僚は自国の軍事規律」も護らなかった・・・「ビルマの竪琴」の竹山道雄は戦後も「反戦主義者」でもなかった・・・
「反ナチスの日本在住のドイツ人女性のピアニスト」、「心情」は解るが、余計なお節介である・・・
プーチン、アベ・・・「日ソ不可侵条約」は結果、ドウナッタ・・・「民族枠」、「国家或」がある限り、「軍事暴力」はダレを護るのか・・・女防衛大臣は弁護士らしいが、日本国内でダレを弁護してきたんだか・・・南スーダン「駈けつけ自衛隊」派遣・・・戦争当事者になったら双方の「軍事的作戦行為」は殺傷が前提である。武器を売る人種が存在しては「相撲」で決着はつけられない・・・「活殺現場」での「残酷、残虐」は当然である・・・
ミシェル、ポーレット、君たちの時代は終わってはいない・・・
↓↑
ーーーーー
「最初のアメリカ人判事の
ジョン・P・ヒギンズは
辞退してアメリカに帰国」・・・?
↓↑
「アメリカの
マイロン・C・クレーマー
イギリスの
パトリック
ソ連の
I・M・ザリヤノフ・・・GPU(ゲペウ,ゲーペーウー)
ソ連代表部警視庁公安部
KGB の前身・・・
ゾルゲから情報は得ていたのか?
中華民国の
梅汝敖・・・・・・・・・蒋介石の部下・中共と内戦中
カナダの
E・スチュワート・マックドウガル
ニュージーランドの
エリマ・ハーベー・ノースクロフト」
の判事が「有罪判決」・・・十三階段の「ミチ」へ
東條 英機
1884年甲申(己・壬・庚)
(明治17年)
07月辛未(丁・乙・己)
30日辛巳(戊・庚・丙)申酉=空
戸籍記録は12月30日)
~
1948年戊子(壬・ ・癸)印綬合癸
(昭和23年)
12月甲子(壬・ ・癸)正財害
23日壬午(丙・ ・丁)傷官
↓↑
「フィリピンの・・・フィリピンはアメリカの植民地だった
ジャラニフは
六人の判決は軽すぎると主張」・・・666
「オランダの
レーリングは
減刑を主張し、
広田弘毅元首相は無罪
他の死刑囚も減刑せよ、と表明」
「フランスの
ベルナールは、
裁判は法の適用
および
手続きにおいても誤りがある、
と裁判の不当性を指摘し、
十一人の判事が・・・・・・・・・11・壱拾壱
一堂に集まって
協議したこともない、
と内部告発」
「インドの
ラダ・ビノード・バールは・・・・インド独立運動最中
終始一貫して全員無罪を主張。
東京裁判は裁判にあらず、
復讐の儀式に過ぎない、
と強く抗議。
裁判自体を違法として、
根底から否定」
「オーストラリアの
ウエップ裁判長は、
どの日本人被告も、
侵略戦争を遂行する謀議をしたこと、
この戦争を計画及び準備したこと、
開始したこと、
または遂行したことについて、
死刑を宣告されるべきでない」・・・との「判決文」?
↓↑
ーーーーー
・・・「日本の国益を考えれば、間違いは間違いとして正し、将来への禍根は断ちきっておくべきだった」?・・・「日本の国益」とは「ダレ」の「益」なのか?・・・
「平和に対する罪・殺人と通例の戦争犯罪・人道に対する罪」とは「ダレの罪」なのか?・・・
帝国日本国家指導者の「国内法」はモチロン、「国際法」の
「違反行為防止責任無視による法規違反」
は「聨合国家アメリカ」も法規違反同罪で、当然である・・・
「オレンジ作戦(War Plan Orange)=戦間期(1920年代~1930年代)においてアメリカ合衆国が立案(1919年)・陸海軍合同会議で承認(1924年)=対日海上船舶無差別撃沈計画」・・・
「戦争の本質」とはナニ?・・・「勝・負・妥協・復讐」・・・ナンのタメに・・・支配階級、プチブル意識層への「美学と浪漫」の妄想表現作品提供のタメではない・・・いるよなッ、従軍作家、従軍記者、戦場カメラマン、戦場TVレポーター・・・「血湧き、肉躍る」の「商品化」・・・ダレのタメの「玉砕」・・・
「1907年、ハーグ陸戦条約、規定。ハーグ陸戦協定、ハーグ陸戦法規、陸戦条規・・・交戦者の定義、宣戦布告、戦闘員・非戦闘員の定義、捕虜・傷病者の扱い、使用してはならない戦術、降服・休戦などの規定条約」・・・
・・・ダレが「殺傷容認の戦争現場」で守れるのか・・・敵対双方が作戦命令で戦線、市街戦、空爆撃で、監督責任放棄の「重い罪を犯していた」のは「国家指導者」である・・・
「おマエだって、同じコト、ヤッタだろう」での「戦争当事国のヤッタこと(同等)」で、慰安婦問題で「ハシモト某」が同じような論理を展開していたが・・・「どうか、風俗店を利用してください」だとはネッ・・・風俗嬢がinterviewで、「アンタに云われたくはない、ワッ!!」だった・・・「カジノ」で儲かったら何処へ行くんだか・・・その「施設」も計画済みか?・・・
「同じ土俵の枠内で、ナニゴトも自衛のための戦争でした」では救われない・・・「自衛」とはダレのタメの「自衛」だったのか・・・
「アメリカ支配階級の自衛利権」とは「国際戦争法規」を委棄するコトで護られた・・・モチロン、「帝国日本」は国際法厳守には「真面目」だったが、「バカ正直」だったのだ・・・
相手の根性は「武士道」ではなく、「商人道」である・・・「戦争はビジネス」なのだ・・・
真珠湾攻撃前、「ハワイ時間12月8日04:00出撃、3時間後に特殊潜航艇が、米駆逐艦”ウォード”に発見・攻撃され損傷、真珠湾とは反対側のオアフ島北のベローズ海岸に座礁、漂着。12月9日朝ベローズ海岸で捕虜」・・・その後、アメリカは日本の特殊潜航艇を砲撃拿捕し、そして撃沈し海底に・・・砲撃は「クジラ」に対するモノと記録報告されたらしいが、特殊潜航艇の日本帝国海軍軍人はアメリカで捕虜として生き延び、終戦後、1946年に帰国した・・・そして、出世したらしい・・・生還したコトにマッタク、「異議は無い」が・・・
「宣戦布告前(12月8日)」にどっちが先に攻撃シタ、シナイの問題ではない。だが、アメリカは「久志羅(鯨・鯢)=久地楽・櫛羅」を砲撃したコトにした・・・「鯨肉」を喰わなかったし、「シーシェパード」もいなかった・・・
ヤクザの親分は「一般人には先に暴力的に手を出しちゃぁアカン。暴力は相手の暴力が先決。正当防衛が肝のカナメだ」と子分教育している・・・「公務執行妨害」はどうか・・・
人種差別での公的殺人、宗教差別での公的処刑、虐め殺人、無差別殺人・・・
「民族自決の権利は、植民地主義と相容れないもの」なのか?、「民族自決」と「愛国主義(?)」であるが、カネで雇われた「民工」のアルバイトの「愛国無罪」とは「国家の枠内階級、階層」を変えたのか?・・・
「植民地の愛国主義化」とは「国家或の中で階級分化」、「民族枠の階級分化」に替えたモノではないのか・・・「民族自決」の「民族」って地球人なのか、人間なのか・・・「後進国=発展途上国」内の「支配階級と被支配階級」の「格差」は歴然である。この「格差の根拠と拡大化」は何処にあるのか?・・・
「独立国家或としての民主化を推し進める独裁者」は存在したし、存在するが、パラドックスの犠牲は承知の上・・・だが、ほとんどの「発展途上国家の指導者は私的に莫大な経済的利権を私腹」し、兵士護衛の豪邸で、晩さん会をしているらしい・・・アフリカ諸国の内戦の原因はナニか・・・詰まるところ世界は「パナマ金庫」、かっては「スイス金庫」・・・そしてマネーロンダリングの「カジノ」を必要としている。彼らは「民族」でもなく、「愛国、民主国家主義者」でもなく、「私腹をAmbitiousとする人種」として跋扈している、と云うコトだ・・・Jokerのトランプ・・・「私腹蓄財」は「権力」であり、「権力」は「私腹蓄財」である。ビジネスはダレからの報酬なんだか・・・そして、「権力は暴力的武装化」で護られている・・・
「民族枠・国家或」では「人間の解放」はない・・・大陸中国の金満家、国家指導者がアメリカにナゼ、資本投資しているのか・・・
↓↑
ーーーーー
・・・「トキョウサイバン」がまた、トンでしまった・・・
「市民社会の弁護士、判事」が、「戦争犯罪人」を裁けないのは「当然」である。「アメリカの最初のジョン・P・ヒギンズ判事」は「帰国」した。理由はナニか?・・・「アメリカ独立宣言」が原則では「東京国際軍事裁判」はサバケない、と自覚していた?・・・ 「戦勝国アメリカの戦争犯罪人」がワンサカ存在するから辞任してアタリマエだったカモである・・・だが、あの時代の「アメリカの裁判所」の状況はドウだったのか?・・・「人種差別蔓延国家」・・・
↓↑
ーーーーー
アフリカ系アメリカ人公民権運動
(African -American Civil Rights Movement)
1950年代~1960年代~1970年代
アメリカの黒人(アフリカ系アメリカ人)が、
公民権の適用と
人種差別の解消を求めて行った運動
↓↑
アメリカの黒人の基本的人権を要求する運動
1964年に公民権法が成立
↓↑
ーーーーー
そして、東京裁判の裁判官達は「サバイタ」・・・
・・・「古代~戦国時代~近代~現代」まで「敗戦国家の支配階級も被支配階級」も、戦勝した「新しい権力支配者」の「生殺与奪権」には「扈従(コジュウ・コショウ)」せざるを得ないのが鉄則である・・・「民主国家」であろうが、「共産国家」であろうが、「専制独裁国家」であろうが、「国家」は「自国支配階級の利害」を護るのである。時には権力者個人のエゴで・・・
「自国国家支配階級の法律」は敵国の人々を護らない。勝利者は「暴力武装」しているのである。占領地の日本人同士の「強奪、掠奪、劫奪、剥奪、収奪、横奪」は、ホトンド無かった・・・敗戦しても「日本人的秩序」があった・・・マッカーサーは「誤解」していた。「ニホンジンハ小学生ノレベルでアル」と・・・マッカーサーはニュウーヨークの市民暴動を鎮圧した経験のある軍人であった・・・
北方領を死守し、ロスケに戦闘で勝っていたのに、中国戦線では戦闘は有利に展開していたのに、天皇の一言で、日本兵は簡単に「武装解除」してしまった。ゲリラ戦もせず、逃げも隠れもせず、ABCの戦犯はGHQに逮捕されていった。「ニホンジン」は「天皇の権威」には「素直」だったのである・・・
だが、南方では納得できない「日本兵士」がワンサカ存在した。彼ら日本兵は「武装解除を拒否」してアジアの諸植民地の「解放現地独立軍」に参加していったのだ・・・ビルマ、インドネシア、ベトナム、ラオス、フィリピン・・・独立諸国家としての「大東亜共栄圏」・・・今現在、「中国キョウサン金満王朝」の壁にブツかっている・・・「国家の利害」は「国家或の諸国民全階層の利害」ではないから・・・独立の領域内を支配している「意識」は「自由なカネの多寡の追及」である・・・
ーーーーー
・・・???・・・
「北方領土」・・・アメリカを裏切って「G7から経済封鎖」されるカモ・・・
・・・プーチン×アベ・・・「日本罠守」国家の敗北・・・「日本国家」の裏切り、背信・・・領地を奪われて「未来志向」?とはね、「国家主義者」が美辞麗句で装うとも・・・「平和条約」を結んで守る、か?・・・「歴史的なロシア→ソ連→ソ連崩壊→ロシア」のヤリ方の「反省」はないようだ・・・そして、「松岡洋右」の反省も無いカモ・・・「1941年4月13日調印・日ソ中立条約=日本国及ソヴイエト連邦間中立条約」・・・随分前に極東のロシアの何処かで日本レストランを経営していた日本人がそのレストランをロシアの法律を楯に奪われてしまったニュースがあったが・・・それより以前的に戦後、北方海域でソ連、ロシアに拿捕された日本船舶の数は「平成十九年十二月現在、千三百二(1302)隻、拿捕された日本人、延べ九千二十三人(9023)(北海道庁発表)」・・・「レポ船=ロスケ船頭=ソ連保護下の日本密漁船」・・・生活がカカッテているから、魚が獲れるなら「スパイ」もするさ、「国家の境界」なんかは、関係ない・・・北洋の「蟹」は中国経由で日本市場で売買されている・・・「ロシア人が密漁」した「蟹」の裏ルート・・・?
「ウラジーミル」・・・「裏字意見留・浦路意視留・得等字意診弄」・・・?
「ソ連ロシア革命政府(ウラジーミル・イリイチ・レーニン(1870年4月22日~1924年1月21日)の原則」は
「無併合、無賠償、民族自決(ブレスト・リトフスク講和・1918年3月2日)」
ではなかったのか?・・・真面目な人間は額面とおりに理解するだろうが、「政治、軍事、調略」戦略上のコトバで、「振り込み詐偽のコトバ」であろ・・・「六韜三略」の「公望(太公望呂尚)」だろう・・・「無併合、無賠償、民族自決」、
だが、現実のプロセスは
「帝国主義の強盗フランスと組んで戦争継続」・・・
「革命戦争」・・・
「戦争も講和もせず」・・・
「講和調印」・・・
「戦争もしないが講和もしない」・・・
↓↑
「労働者と農民を募集し赤軍創設」?
・・・「(赤軍)兵士」になれば、取り敢えずは「喰えた」し、その後は「農村」からの「食糧の強制徴発」の主体になった・・・
↓↑
「理不尽な講和には応じないが、
一方的に戦争を停止」・・・
↓↑
の状況は
「1945年
8月
15日
の敗戦帝国日本」
には無かった・・・?・・・
↓↑
原爆投下は
1945年(昭和20年)8月6日午前08時15分・広島
1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分・長崎
↓↑
「ボツダム宣言(Potsdam Declaration)
は
1945年(昭和20年)
7月
26日
アメリカ合衆国大統領
イギリス首相
中華民国主席
の名において
大日本帝国)に対して発された、
全日本軍の無条件降伏
等を求めた
全13か条)」・・・
1945年8月14日受諾
1945年9月2日調印
↓↑
「日本帝国軍隊の武装解除」
後の
「(連合国と)日本国との平和条約」
1951年9月8日調印、1952年4月28日発効
「サンフランシスコ講和条約=?=Treaty of Peace with Japan(日本国との平和条約)」
である・・・
↓↑
ーーーーー
結果は「ロシア革命政府」は
ドイツ軍占領地域の割譲条件を呑んで「講和条約」に署名・・・
「2月23日、ドイツの和平条件を受諾・2月26日、レーニン政府は降伏」
条約締結に反対していた
エスエル党(ロシア社会革命党左派)
は
連立離脱・・・
↓↑
ーーーーー
ロシア
エスエル党左派は
「マリア・アレクサンドロヴナ
・スピリドーノヴァ(スピリドノワ)女史が指導
↓↑
1884年甲申(己・壬・庚)
10月甲戌(辛・丁・戊)正官-食神・偏印・劫財
16日己亥(戊・甲・壬)辰巳
~
1941年辛巳(戊・庚・丙)食神合
09月丁酉(庚・ ・辛)偏印害
11日壬戌(辛・丁・戊)正財
↓↑
1917年
二月革命
第1回全露農民ソビエト大会執行委員
七月の臨時政府に反対する兵士の武装デモを支持
九月ペトログラード市議会議員
社会革命党中央委員会が
臨時政府との
連立、戦争継続を支持に反対
↓↑
1917年10月
ボリシェヴィキ
十月武装蜂起による
政権奪取支持
第2回ソビエト大会でソビエト政権が提出した
「平和に関する布告」
「土地に関する布告」
に賛成
十一月
社会革命党左派の第1回党大会で
事実上の党首
社会革命党左派=左翼社会労働党は
旧農奴層を代表政党と規定
党綱領で「農奴民」に
地主から没収した土地配分を要求
社会革命党左派は、
ブレスト=リトフスク条約の締結
ボリシェヴィキの農業政策に反対し
1918年3月ソビエト政府から離脱
七月
スピリドーノワは、
第5回ソビエト大会でボリシェヴィキに対する弾劾演説
社会革命党左派はモスクワ中心部で反乱、鎮圧
スピリドーノワ、エスエル左派は逮捕、拘束、脱獄
スターリン大粛清期
左翼社会革命党員らとともに逮捕
ウファに追放
1937年3月8日
ヴォロシーロフの暗殺を準備で
懲役25年の判決
1941年9月11日
ナチスドイツのソ連侵攻直後の
オリョール近郊で、
NKVD(エヌカー ヴェーデー
内務人民委員部・スターリンの秘密警察)
により
「メドヴェージェフの森(の虐殺)」で
オリガ・カーメネワ
(トロツキーの妹で、カーメネフの最初の妻)
らと共に銃殺(56歳)」・・・
ーーーーー
↓↑
「ソ連」は毛頭、「労働者の国(?)」でも「民主国家」でも無く、「ロシア革命(蒙等独裁国家)の政府の国」だったろう・・・
モチロン、大陸中国は「労働者の国」でも、「民主社会主義国家」でもない・・・
メンヒル・・・モノリス=メガリス・・・ストーンサークル・・・イシのオモイ・・・
・・・水道が凍結した・・・「国際政治情勢」もアヤウイ情勢であるがTV映像は「平和」に浮かれている・・・昨日は9時半に歯医者さん、役場、農協、スーパーで食糧の仕入れ、帰宅して「ドクターY」をみて笑った。相手の「理由」があって、相手がクレるモノはさっさと貰う。だが、本人はきっと「対価の報酬・ボーナス」だと思ってんだろう。貰ったからって、「自分自身の信条・信念」が変わるモノでもない。札束であろうが、メロンであろうが、人参、葱、キャベツ(cabbage)、大根であろうが、相手の余裕の範囲で、同じである。貰って「罪の呵責」を感じるのは、それが「合法」ではなく、「犯罪」だと思っている奴だからだろう・・・「合法」か、「非合法」は「立法議会」で審議可決され、「記録化」された「文字・文章」次第である。だが、それらの「法律文」も曖昧で、その解釈は「裁判官」次第。しかも、犯罪者個々人次第で「保釈金」とか、「執行猶予」の差がある・・・そして、この地球上の視える範囲、聴こえる範囲、空気の触れるコトが出来る小さな空間で・・・ダレもが日常生活で「社会的に生き延びて行くのは難しい」・・・今現在、生きているのは「アリガタイ結果」であるかな・・・様々な生きざまがあるが・・・限られた時間の枠内である・・・その枠内で「イイコト」がタクサンあるとイイねッ・・・
ボクにはかっては欲しかったカラーTV、ステレオ、ラジヲ、コンピュータ・・・ストーブ、水道、シャワーレットトイレ、ベット・・・そして備蓄のコメもある・・・もちろん、「オモイ(想・思)い出」も・・・
ナゼ、
「思」は「囗+十+心」で、
「偲」は「イ+囗+十+心」で、・・・偲ぶ=しのぶ=忍ぶ
死の部
「想」は「十+八+目+心」で、
「憶」は「忄+立+日+心」で、
「重」は「千+田+十+一」なんだか?・・・
↓↑
「おもい=輖=重い荷を載せる車=車+冂+吉(十一口)
「おもい=𨗈=日景(日影)の移動=景(日亠口亅八)+辶」
・・・「輖(車周)𨗈(景辶)」・・・「日蔭(日影)時計」・・・「日時計様組石」・・・「ストーンサークル=環状列石(レッセキ)=環状石籬(セキリ)」・・・「面影(おもかげ)」・・・
↓↑
1880年代に
札幌農学校の
第一期生である
田内捨六・・・・・・・「田の内」を「捨てる六」です?
「□の十を捨てる音(亠)の八」
によって発掘調査された
北海道小樽の
三笠山、山麓の
「忍路(オショロ)環状列石」は
1861年(文久元年)に発見され、
1886年(明治十九年)に公表された
約3,500年前の縄文遺跡・・・
「忍路(オショロ)」は
「忍(しのぶ)路(みち)」だが、
「偲ぶ道」・・・
↓↑
於母影(おもかげ)
雑誌
「国民之友
(明治二十二年八月
1889年8月号訳詩集・於母影)」
オフェリアの歌
いずれを君が恋人と
わきて知るべきすべやある
貝の冠とつく杖と
はける靴とぞしるしなる
かれは死にけりわが姫よ
渠(かれ)はよみじへ立ちにけり
かしらのほうの苔を見よ
あしのほうには石立てり
柩をおほふきぬの色は
高ねの雪と見まがいぬ
涙やどせる花の環は
ぬれたるままに葬りぬ
(森 鴎外訳)
↓↑
「19:00~23:10(12/17)報道スクープSP激動!世紀の大事件・・・世界を震撼させた、誰もが知る大事件の誰も知らなかった新事実を発掘。関係者が明かしてくれた新証言から、伝え残した新事実と語り継ぐべき教訓を伝える第4弾!」・・・
で、意識的に「人間(?)」であるコトを個々人が自覚していくことは、「社会的」にだけではなく、対「自然的」にも「アリガタイコト」である・・・だが、たいがい、それに「気が付く」のは自分自身が「事態、事件」に遭遇した後である・・・
本日は「12月17日・土曜日」だが、「パプアニューギニアでM6.9以上の地震・15:14にパプアニューギニアでM6.9の地震が発生」・・・「パプアニューギニア付近でM6.5以上の地震が発生した後10日以内に日本でM5以上の地震が起きていた事例」が多いらしい・・・
↓↑
ーーーーー
ストーンサークルの密集域が
円筒土器文化圏(東北北部)と重なっている
円筒土器は
遼河文明と関連している・・・?
↓↑
遼河文明と関連する
三内丸山遺跡からも
スートーンサークルが発見
日本に
ストーンサークルをもたらしたのは
Y染色体ハプログループNに属す
ウラル系遼河文明人・・・?
↓↑
ただしウラル系民族に
環状列石を造る文化は元来なく、
環状列石の本来の担い手は
ヨーロッパで
メンヒル・・・モノリス=メガリス
「2001年、宇宙の旅
2001・A Space Odyssey」=往復?
庚辰年(2001年1月)
辛巳年(2001年2月節分から)
壬辰月04月・・・辰=たつ=龍=リュウ
己亥日06日
↓↑ ↓↑ ↓↑
1968年戊申
04月丙辰・・・辰=たつ=龍=リュウ
06日丙午 ↓↑
に公開・・・・・中国語=lóng・lung
「雲は龍に従い、風は虎に従う」
↓↑ 長い石=maen hir=peulvan
広開土王碑=好太王碑は
「甲寅年九月廿九日乙酉
414年 甲寅(己・丙・甲)虎・彪
10月 甲戌(辛・丁・戊)犬・狗
28日 甲申(己・壬・庚)猿・猨・狙」
に建てられた・・・?
メンヒルに「漢字文字」が刻まれたモノ?
↓↑ ↓↑ ↓↑
エイジプトの石塔=オベリスク(obelisk)
ギリシャ語は「obeliskos(串・くし)」
エジプト語は「テケン(保護・防御)」
日本地名の
「立石(たていし・リツシャク)」は
ナゼ、「立石=たツいし=龍石」なのか?
立石寺(山形県)
↓↑ 立石=東京都葛飾区-立石
立石稲荷
神体石にて直径2尺許、高さ1尺程
下は土中に埋り、
其形伏し牛に似たり。
此石、
冬はかけ損し、
夏に至れば元の如くなれり。
かく寒にかけ暑に癒ると云は
活蘇石なるへし。
(新編武蔵風土記稿)
立石様の石は
鋸山(のこぎりやま)から運搬
房総半島の南部、
↓↑ 千葉県安房郡鋸南町と
↓↑ 富津市の境に位置する山
を建立するなど
巨石文明を担った
Y染色体ハプログループR1b
に属す集団・・・・・・・・その逆はないのか?
↓↑
彼らは
トカラ語派の担い手として
アルタイ地域まで到達していた
アファナシェヴォ文化では、
ストーンサークル
を伴った墓槨がみられる
その文化が東進して・・・・西進した逆はないのか?
遼河文明に入り、
ウラル系
遼河文明人を介して日本にもたらされた・・・
↓↑
遼河文明は
紅山文化
の発見から始まる・・・
大規模な竪穴式住居の出土
遼寧省凌源市から
建平県で発見された
紅山文化の遺跡の一
牛河梁遺跡は広範囲にわたって
墳墓や祭壇などの神殿が発見
紅山文化の遺跡からは
風水の原型と見られるものも出土
興隆窪文化の遺跡からは
中国最古の
龍を刻んだヒスイなどの玉製品が発見
最古の
遼寧式銅剣(琵琶形銅剣)
櫛目文土器などが出土
黄河文明や長江文明とは異質で
古代の中華文明に影響を与えた
遼河文明遺跡における
6500年前~3600年前
にかけての
古人骨の
Y染色体ハプログループ分析では、
ウラル系民族で高頻度に観察される
ハプログループNが
60%以上の高頻度で認められ
遼河文明を担った集団は
ウラル語族を話していた可能性・・・
ーーーーー
・・・???・・・
「A Few Good Men」なのか、「Few Good Men」なのか・・・
・・・「名誉に軍服はいらない?」・・・「13:55 日曜イベントアワー・ア・フュー・グッドメン(A Few Good Men)・監督ロブ・ライナー・トム・クルーズ、ジャック・ニコルソン・1992年のアメリカ映画」を観たけれど・・・「暗黙の軍隊内制裁、CODE RED規律・キューバ・グアンタナモ米海軍基地での海兵隊内部の殺人事件」・・・「グアンタナモ米海軍基地」て、イラク兵の捕虜に対する拷問で有名だが・・・ジャック・ニコルソンの「ネイサン・R・ジェセップ大佐」の「You can't handle the truth!」・・・たしかに「軍隊は絶対命令服従の強靭なチームワーク」が必要だ・・・「一兵士のミス」によって「小隊→中隊→大隊→国家」の軍隊が全滅するかもしれない・・・「真田幸村」はナゼ負けたのか?・・・「兵法」の戦術者であって、「政治」の戦略者ではなかった・・・しかもトップリダーの「豊臣秀頼とチャチャ」に仕える「忠臣忠義?」の「命令権のない傭兵家臣」であった・・・主体的な「天下取り」の政治的野望が欠落していたのだ・・・単なる「軍人」である・・・「クロダカンベイ=如水」とも異なるが・・・TVの「真田丸」の「明石全登(たけのり?=景盛・守重」には哂(わら)チャうが、「殺傷する切支丹大名」は「デウス」に何を祈ったんだか・・・「明石全登(法号でゼントウ」で、全てが何処に登るんだか、昇るではないらしい・・・通称は「明石掃部(かもん)」であったらしいが、掃除係りで、何処を掃除したんだか・・・「真田幸村(真田フランコ)」も切支丹?・・・説は、以上も、以下も「ウイッキペデア」やブログ記事の記録だが・・・「イエズス会の日本報告書」には記録があるらしい・・・
↓↑
ーーーーー
で、
「明石全登」は、
↓↑
元和元年五月七日
大阪城の落城後
播磨に匿れ、
後山山麓の
凌霄花・・・凌(しの)ぐ、霄(そら・空)
雨の肖(似る・模る=かたどる)
花言葉は「名声・名誉」
(ノウゼンカズラ・・・木に絡みつくツタ
脳善葛?悩繕化事等?
Trumpet vine・・・トランペット-ヴァイン
vine=ブドウの木
fanfare=鳴り物入りの演奏(の管楽器)
誇示・虚勢・宣伝・広告
Chinese trumpet creeper
creepers=つる・蔦蔓・蔦蘿・蔦葛・葎
creep=女性使用のスラングで
「薄気味が悪い人・厭な奴」
「忍び寄る」
の
花盛りに
心ひかれて土着
↓↑
明石全登の四男
長子は
吉野郡
讃甘庄
今岡村(美作市下町)に
住む(明石屋敷なる地名、石垣あり)
俗称
義蔵という。
豪邁の人物で
又
俳諧名を得、
蛙我・・・・・・・・・蛙(かえる・ア)の我(われ・ガ)
と号す
二子、三子は商人
四子が
後山村にて農耕に従事
東粟倉村史(現岡山県美作市)・・・
↓↑
ーーーーー
で、
「A Few Good Men」って・・・ナニ?・・・
あの「G.I.ジェーン(G.I.Jane)」の女優ですか・・・
「東京国際軍事法廷の裁判」と、「アメリカ軍事法廷」の「差異判=サイバン=偲判」の相違(相異)はナニか?・・・「軍に対する背信により、除隊処分判決のダウニー一等兵」は「?」・・・「ハロルド・W・ドーソン上等兵」は・・・「床屋の清水豊松」ではなかった・・・「私は貝になりたい」のが「清水豊松」の願いだった・・・「I can't あんだぁすたんど the truth!」・・・「人生に名誉はいらない」ですか?、「人生に食い物はいる」ョなッ・・・
ーーーーー
・・・???・・・
ETV「サイエンスゼロ・2016年12月18日・徹底解説!科学の“未解決問題”心はどうやって生まれるのか?」・・・相手がいなくちゃぁ~ナンにも・・・
「おデンドウさま=おてんとうさま=お天道様・お天等様=the sun」が「眩しいなッ」
「12月の22の20の火」に持ち越した・・・「ヒトのココロの形成」・・・「二十の脳ミソ」にコダワル・・・光も、熱さも、臭いも、味も、音も、「物質の変化」である。それらの「物質の変化」を伝動するモノも「物質」である。「物質」の存在しないところには「変化」もなければ、「振動・伝動・伝播」もない・・・物質対象を感知、認識、思惟、思考する「喜怒哀楽、艱難辛苦、苦渋苦難の人間」が「存在」しなければ、
「デンドウ=伝動(transmission of motive power・ drive・gearing)」
「デンドウ=伝道(mission work・preach)」
「デンドウ=伝導(conduction)」
「デンドウ=電動(electrically‐powered‐driven,‐run・ machines electric-)」
「デンドウ=電導(electrical conduction )」
もなければ、モチロン、
「デンドウ=殿堂(palace・edifice・temple・shrine・hall of fame)」
「デンドウ=田道(paddy road)」
「デンドウ=田頭(rice field・paddy field・paddy)+(head・leader)」
の「コトバ」も。「漢字」もないだろう・・・「人間」は現前、現実にナイモノ、「音声ことば」と「文字(記号も含む)ことば」で、その日常生活の相互関係性のほとんどを「いきている」・・・「聾啞の人々」は「手の形」を変える「手話」でも・・・
「おデンドウさま=おてんとうさま=お天道様・お天等様=the sun」が「眩しいなッ」って、盲目の「座頭の市」さんが・・・
「You might as well throw a stone
at the sun(サン= sʌ'n=sun
son→sʌn
sam→sˈæm=Samuel=SAM
sum→sˈʌm:sʌm:səm
som→sɑ́m=start of message
some→səm:sʌm
as try to injure such a man.」
・・・ボクには全部「サン・サム」と聴こえる・・・
「sun=Helios=ηλιος=ヘリオス=ήλιος(iljos)=イリョス=太陽神=ローマ神話の Sol=Apollo=4頭立ての馬車で天空を東から西に横切り、夜の間に黄金の杯で大洋オケアノスを航海して、東に戻る」・・・
「お荷物(にもつ)」の英語単語は
「load(lóud ・荷・荷物を積み込む」だが、「road(rəʊd・roʊd・ロード)」、発音が同音で、スペルが小文字、大文字だから困った・・・
「領主(the lord=lɔːd・lɔːrd)」
「神(the Lord=lɔːd・lɔːrd))」
は、たしかに背中に背負ってしまった「おにもつ」であるカナ・・・「New lords, new laws.(地頭が変われば掟も変わる)」・・・発音が同じで、スペルが異なる・・・
「hare(héər・ヘァ)」
「hair(héər・ヘァ)」
にも・・・
「hurry(hə'ːri・hʌ'ri)up」
「halley(hǽli)彗星」
・・・「Harley‐Davidson」にも困った・・・
「兎(ト)=うさぎ
=rabbit・hare・bunny
=coney・cony・lagomorph・leporids」
・・・「early・fast・quick・speedy・rapid」・・・
「しィ=She(ʃ iː)、C(siː)、see(siː)、sea(siː)」・・・
「city(市)=síti=スィティ」
「シティ=ʃíti=shitty=shit-ty
=つまらない・くだらない」
・・・「city(市)」と「shitty(愚か)」・・・ナルホド、十三歳の「壱与=壹與→一輿」であるカナ・・・「卑弥呼」は「お天道様・お天等様=日巫女=比神子」である・・・
・・・ダイタイからして「原子・素粒子・電子・量子」の「子」は一般的な「肉眼」で確認するコトにはムリがあるが「光子」は確認出来る・・・「音の調子」は聴けるが・・・
御子・・・みこ・おんこ
愛子・・・まなこ
遺子・・・いし
一子・・・いっし
印子・・・インシ
因子・・・インシ
羽子・・・羽子(はご)-板
益子・・・ますこ
駅子・・・エキシ
養子・・・ヨウシ
鳥(酉)子・・・とりこ
荀子・・・ジュンシ
老子・・・ロウシ
孔子・・・コウシ
卵子・・・ランシ
精子・・・セイシ
孫子・・・ソンシ
親子・・・おやこ
実子・・・ジッシ
妻子・・・サイシ
才子・・・サイシ
男子・・・ダンシ
女子・・・ジョシ
金子・・・キンス
銅子・・・ドウシ
硝子・・・ガラス・・・glass
准子・・・ジュンコ
逗子・・・ズシ
厨子・・・ズシ・・・安寿と厨子王
辻子・・・ズシ=細道・小路・横町の意
↓↑ 別名は
十字・辻
図子・通子・厨子・途子
相合辻子(あいあいのずし)通
↓↑ 京都のキリシタン(切支丹)の町
「ダイウス町(丁)」
「だいうすの辻子(づし)」
「大宇須辻子⇔大臼辻子」
・・・宇須の辻(十の道)子
宇受女=猿女=辻(十の道)子
大堆=ゼウス=Deus・Zeus
小堆=キリスト?
↓↑・・・「だいうす=大臼=デウス(Deus・Zeus)」
・・・切支丹(キリシタン)への誹謗、批難も含まれた
「大臼(おおうす)=デカウス」・・・
大須(名古屋)観音
大須文庫・・・現存「古事記」の保管場所
ダイキュウ?
第九・大球・代休・・・大臼歯=奥歯
「多い・大きい=でかい=いかい(厳い)」+「ど」
「どイカイ」が変化した?・・・
度-位階(異界・遺戒・遺誡・医界・意改・異甲斐
異改・委歌意)
「厳(きび・ゲン)しい
威厳・厳格・厳密・厳粛・厳寒・厳暑」
「厳(嚴)=爪+厂+敢(丁耳攵)
口口+厂+敢(丁耳攵)」
類字は
巌=いわ(岩)=巖=山+口+口+厂+敢(丁耳攵)
↓↑ 敢(あえ)て・・・する・勇敢・敢行・敢闘
淮南子・・エナンジ
淮南王。劉安(紀元前179年~紀元前122年)編纂
龍子・・・リュウシ
辰の子・・たつのこ
双子・・・ふたご・・・大堆命・小堆命
馬子・・・まご・うまこ・・・蘇我馬子
獅子・・・しし・・・
猪子・・・いのこ
黒子・・・ほくろ・くろこ
赤子・・・あかご・・・幼児・嬰児
楊子・・・ようじ
玉子・・・たまご
弟子・・・でし
分子・・・ブンシ
陽子・・・ヨウシ
陰の子・・カゲのコ・・・妾子・御落胤
少子・・・ショウシ
茄子・・・なす
案山子・・・少名毘古那=須久那美迦微=少彦名=少日子根
の正体が
「神産巣日神=神皇産霊尊」の子であると
明かしたのは
「古事記」では物知りの
久延毘古(くえびこ)=「山田のカカシ」で
彼に訊ねよ、と助言したのは
多邇具久(たにぐく)=多尓具久=蝦蟇蛙
=ヒキガエル=谷蟆・谷蟇
久延毘古(くえびこ・かかし)の
身体は「十字形」
顔は「へのへのもへじ」
眉目眉目鼻口、顔の輪郭と二点(丶丶)
尉繚子・・・戦国時代の尉繚の兵法書、「武経七書」の一
異分子・・・イブンシ
遺伝子・・・イデンシ
一番子・・・いちばんこ
愛嬌黒子・・・アイキョウ、ほくろ
悪戯っ子・・・いたずらっこ
一の御子・・・はじめのみこ
一子相伝・・・イッシソウデン
一人息子・・・ひとりむすこ
一番弟子・・・いちばんデシ
一文菓子・・・いちもんがし
菓子・・・・・カシ
駄菓子・・・・ダガシ
駄々ッ子・・・ダダッこ
鬼っ子・・・・おにっこ・・・鬼子母神(キシボジン)
零子・・・・・レイシ
御玉杓子・・・おたまじゃくし
零余子・・・・むかご=珠芽・葉の付け根にできる
多肉で球状の芽
地上に落ちて根を出し
新しい個体となる
山芋(ヤマノイモ)では茎
オニユリでは鱗片葉が変化してできる
鱗芽、珠芽、肉芽
自然薯(ジネンイモ)の子実=むかご
様子・・・・・ヨウス
扇子・・・・・センス
↓↑
ーーーーー
???・・・「sense(センス)」・・・「漢字」は原則的、基本的には「形象文字」であるから「漢字」を視て、その意味が「イメージ(image)→意目絵字」出来るが、ボクはアルファベットのスペルからは「イメージ(image)→意目絵字」は難しい・・・音を聴いても、ボクには「?」である・・・「オン・オム」の漢字も混乱する・・・
・・・日本所為(せい)英語、万歳、漫才であるカナ・・・
ーーーーー
ヒエログリフ(hieroglyph、聖刻文字、神聖文字)
ヒエラティック、デモティックと並んで
古代エジプトで使われた3種のエジプト文字の一
↓↑
太陽=お日さま・・・太る陽
↓↑ お天道様・・・御テントウさま=オン顚倒の様子?
陽=阝+易(日+一+勿)
勿=なかれ=否定・禁止
モチ・フツ・ブツ
勿論(モチロン)~でない・ダメ
勿怪の幸い
阝=邑=口+巴←村・国
=阜=ノ+コ+口+十=土山・丘陵
ノ+㠯+十
𠂤+十=阜←曲阜・岐阜
師=恩師
追=追放・追加・追撃
𠂤+十(拾・足・X=カイ・ク)
山の小さい方から「丘・阜・陵・阿」の順
「山」=石、岩の形成を含む山
岩(嵒・巌)山
「阜」=土、砂の形成の土の山
「𠂤」=つちくれ・タイ・シ=積み重ね
・・・罪重?
「㠯」=㠯(すき・イ)
耜(シ)=鍬状の犂(鋤)
耒(すき・ライ)
「㠯」=「厶(以)・已める・既に」
↓↑ の音の仮借文字
ーー↓↑ーーー
太陽神=大日如来=毘盧遮那仏=毘盧舎那仏=盧遮那仏
毘=田+上+七(漆・Ⅶ・匕首・牝・匙)
=𦜝=臍=へそ=毘
盧=虍+田+皿
遮=さえぎる・遮断
那=尹+阝
古代エジプト=ラー・アテン・アトン
マニ教・ゾロアスター教・インド神話=ミスラ
ケルト神話=ルー
英 サン sun
独 ゾンネ Sonne
仏 ソレイユ soleil
仏 ソレーユ soleil
伊 ソーレ sole
西 ソル sol
羅 ソール sol
希 ヘーリオス ήλιος
露 ソーンツァ солнце
露 ソーンツェ
中 タイヤン 日=rì=リィ
スワヒリ語 ジュア jua
ペルシア語 アフタブ
オランダ語 ゾン ZON・・・存・尊?
トルコ語 ギュネッシ
ポーランド語 スウォィンツェ słonńe
アラビア語 アッシャムス
アラビア語 シャムス shams 社務素?
ポルトガル語 ソゥ sol
韓語 テヤン
ルーマニア語 ソアレ soare
ハワイ語 ラー lā・・・・・古代エジプトの「ラ(Ra)」
大仏の「盧(ル・ロ)」
アイスランド語 ソウル sól
スウェーデン語 ソール sol
マレー語 マタハリ matahari
チェコ語 スルンツェ slunce
エストニア語 パイッケ päike
ヒンディー語 スールェ
ヘブライ語 シェメッシュ
ネパール語 スールヤ
↓↑
アイヌ語 チュプ cup
沖縄語 ティーダ tīda
モンゴル語 ナル нар nar
↓↑
マレーシア語 マタハリ matahari
インドネシア語 マタハリ matahari
ハワイ語 ラー lā
↓↑
古代エジプト ラー(Ra)=レー(Re)
アメン(Amen)
アモン(Ammon)
アムン(Amun)
「隠されたモノ」の意味
imn(羅典語)
Ἄμμων・Ἅμμων(希臘語)
Ámmōn・Hámmōn(希臘語)・・・ハモン?
アトゥム(Atum)
アトム(Atmu)
アテム(Atem)
トゥム(Tum)
テム(Temu・Tem)
ヘリオポリス神の天地創造神
エジプト九柱の神々の筆頭格
古代ギリシャ=イリョス=ήλιος(iljos)
・・・イオン(ion)
イルミネーション(illumination)
アンモナイト=ギリシアで
アンモーン(アメン)は羊の角を持ち
アンモナイトの化石が
その角に似ていることによる?
アンモニアは「臭い」
アンモニウム塩も「臭い」?
「硝酸アンモニウム=硝安」の原料で
古代リビアの
アメン神殿の近くで産出したことによる?
↓↑
イシス (Isis)=エジプト神話の女神
イシスはギリシア語
アセトが古代エジプト語
ハトホル=イチジク(無花果)の木
=イシス女神=ハトホル女神の神木
イシュタル=バビロニア神話
イナンナ=シュメール神話
イシュタルの聖獣はライオン
アナト ('anatu )=カナン(古代シリア西部)
ウガリット神話
主神バアルの妹で妻
アスタルテ=フェニキア神話
↓↑
セム語族=アッカド族
「シュメール起源の神に融合したセム族の神」
ーー↓↑ーーー
シュメール~セム族
シュメールの神々
「天神アヌ」
「太陽神ウトゥ」
「月神ナンナ」
「金星イナンナ」
「大気の神エンリル」
「大地と水の神エンキ」
「天空神」を中心に数百の神々
名前を変えて次代の
「アッカド民族」に引き継がれた
「太陽神はシャマシュ」
「月神はシン」
「金星はイシュタル」
メソポタミアのシュメールの神体系
「太陽神ウトゥ」
「月神ナンナ」
「金星イナンナ」
「ギルガメシュ叙事詩」
「天神アヌ」が物事を決めている主神
「アルル」が創造の女神で
「エンキドゥ」という人間を創造
「イルカルラ」は冥界の女神
「ノアの方舟」の後その子孫は
「東に移り
シナルの地に平野を得て
バベルの塔を建てた」・・・
↓↑ ↓↑
コトバが分裂したのだから
石碑、石塔に記録、刻印された
「文字・文章」がバラバラに
破壊された?
十戎の文字盤を壊したのは
↓↑ 「モーゼ」であった
出エジプト記・20章
申命記・5章
二枚の石板からなり、
シナイ山で
二度、神から渡されたが下山したが
引き連れてきた者が
子牛の金の偶像を崇拝していた
2枚の石板を子牛に投げつけて破壊し
偶像崇拝の3,000人を処刑
モーゼは再度40日間シナイ山にこもり
新たな石板を持ち帰った・・・?
↓↑ 「十戎の文字盤」の内容を変えた?
ーー↓↑ーーー
「シナル」=「シュメール」・・・「シナイ山」、「支那」?
↓↑ 「シナゴクーウ」=英synagogue、独Synagoge、
蘭synagoge、
ハンガリー語zsinagóga
ギリシャ語の「シュナゴゲー」
は「集会所」=ユダヤ教教会
↓↑ 「シュナゴゲー」=「支喩那語解意」?
天に
「天神アヌ」
「大気の神エンリル」
「太陽神ウトゥ」
「大地と水の神エンキ」は
「女神アルル」に人間を造らせた
そこに
「穀物や知恵の神ニバダ」を送った
「女神イナンナは、冥界へ」
↓↑
女神イナンナ=「金星」
↓↑ 「愛欲・美の女神」
「豊壌の女神」=「大地母神」
夫の
「ドゥムジ」が
後にセム族によって
「タンムーズ神話」となった
「イナンナ」=「イシュタル」
「ドゥムジ」=「タンムーズ」
↓↑
女神「イナンナ」
姉の
「エレシュキガル」
が支配している冥界へと下る
自分に仕える神
「ニンシュプル」に
三日経っても帰ってこなかったら
他の神々の助けを求めよ、と言い
冥界に行き着くと門番
「ネティ」が
「エレシュキガル」に伝えた
彼女は不愉快に思い
その身に付けている飾りを
取ってから入れと伝えた
冥界には
「七つの門」があって、
門をくぐった時には身ぐるみはがれ
冥界の神々は
冥界に入り込んだことを許さず、
彼女を死刑にし、
死体を
釘に掛けてつるした・・・女キリスト?
「ニンシュプル」は
三日経っても主人の
「イナンナ」が戻ってこないので
神々に助けを求めたが
冥界との関わりを怖れて助けなかった
唯一
「水・大地のエンキ神」
だけが救助に動き、
彼は自分の
「爪」から人間を作り出し
食物と水を持たせて
冥界に送り込み、
「イナンナ」を生き返らせた
彼女が地上に戻るためには
「身代わり」が必要で
地上への道を辿るが途中で
夫
「ドゥムジ」と遭遇
「ドゥムジ」は
「イナンナ」が冥界で死んでいたのに
悲しんでいなかった・・・?・・・ので
「イナンナ」は怒り
「ドゥムジ」を冥界での身代わりにした
ドゥムジの姉で
「植物の神」、
「ゲシュティンアンナ」
がこれを知って
弟を助けようと冥界にくだり、
半年は
「ドゥムジ」が、
半年は
「ゲシュティンアンナ」
が冥界にとどまることになった・・・
↓↑
ギリシャ神話の
「大地の女神
デメテル
とその娘、
植物の種を表象する
ペルセポネ」
の神話と重なる
「植物とその再生」のモノガタリ
↓↑
「ギルガメシュ」叙事詩は
「アッカド」、
「アッシリア」に引き継がれ、
オリエント地方に広く分布
「人間の宿命」
「ギルガメシュ」は
三分の二が神
三分の一が人間
の
「半神半人」の男で
南メソポタミアの
「ウルク」の王で
「暴君」だったので
困ったウルクの人々は
「天神アヌ」に祈り
「天神アヌ」は人々の願いを聞き届け、
「女神アルル」を呼び出し
「ギルガメシュ」を
退治できる者を作り出すように命じ
「女神アルル」は
「粘土」から毛むくじゃらの大男
「エンキドゥ」を造り
彼は動物たちと暮らさせ
草を食べ、水を飲んでいた
このエンキドゥを狩りに来ていた人間が見つけ、
その野獣のような姿を自分の父に報告した
父は息子に、
ウルクの神殿に仕えている
「遊女」を連れていき
エンキドゥを誘惑させろ、
そうすれば
エンキドゥも
女を知って人間らしくなるだろうと・・・?
息子は遊女を連れて野原に戻り、
水飲み場で
エンキドゥが現れるのを待ち
三日目にやった来たとき、
遊女はエンキドゥに近づいて
胸元をはだけて誘い、
着ているものを脱いで誘惑・・・宇受女=猿女?
エンキドゥは
六日と七晩
彼女と交わり続け
力も抜け
遊女はエンキドゥに
ウルクの城のすばらしさ、町のにぎわい、
王ギルガメシュの力などを話し
ウルクへ来るよう誘った
↓↑
「ギルガメシュ」は自分に
「星」が落ちてくる夢を見、
母である
「女神ニンスン」
にその意味を尋ねた。
母、女神ニンスンは
「ギルガメシュ」に
対抗する者が現れるしるしであると聞かせた
↓↑
「エンキドゥ」は女に連れられて
ウルクの城門のところにやってき
大勢の人たちが城門前の広場へと集まり
ギルガメシュも城門を出て
エンキドゥの前に立ちはだかった
二人は戦い、
牡牛のようにぶつかり合い、
家屋の壁は崩れ戸は飛び散ったが
勝負がつかず
二人は互いにその力を讃え
二人は堅い友情で結ばれた
↓↑
後
「ギルガメシュ」と「エンキドゥ」は
「杉の森の怪物」
「フワワ(フンババ)」
を退治に出かけることにした
「フワワ」
は巨大な龍で、洪水、火災、死をもたらす怪物で
二人は
「太陽神ウトゥ」
の許しを得て
50人の部下をつれ
武器職人に造らせた
大きな鉈や剣を携えて出かけ
七つの山を越え、森の奥へと進み
途中
ギルガメシュは
三つの夢を見た
ギルガメシュに
山が崩れかかってくる夢、
氷雨が通り過ぎていく夢、
手足がしびれる夢
であった・・・・・ヤマトタケルの死・・・?
「フワワ」と戦いこれを倒し
二人は「杉の木を伐採」して
ユーフラテスの川岸へと運んでいった
城へと戻ったギルガメシュが
身体を洗い、
身なりを整え、
凛々しい姿をかいま見た
「女神イナンナ(イシュタル)」が
ギルガメシュに言い寄り、
自分の夫になれば
宝玉
と
黄金の二輪車を贈ろうと言ったが
ギルガメシュは
女神イナンナが
これまで愛しては捨てていった
「鳥やライオン」
「庭番」などの態度を非難し、拒否
「イナンナ」は激怒し、自分の父
「天神アヌ」に
「天の牛」を
ギルガメシュの
都ウルクに送り込むことを懇願し
「天神アヌ」もこれを承諾し、
「天の牛」は
ウルクへと送り込まれ災害をもたらしていった
この事態に
ギルガメシュ
と
エンキドゥ
は協力しこれと戦い、
エンキドゥが
「天の牛」を倒したが
「天の牛殺害」であったため神々は
「エンキドゥ」は死と決められ、病で倒れた
ギルガメシュは
涙を流しながら彼を見守った
↓↑
「エンキドゥ」は
夢うつつの中で自分を
ウルクに連れてきた女を呪い
これから行く「死者の国」を夢に見た
夢では
「鳥」の姿をした
冥界の使者に
冥界の女王
「イルカルラ」のもとに連れていかれ
「暗黒の家」、
「入った者は出ることのない家」
と呼ばれる冥界で
「鳥のような翼」を持った死者たちが
チリ(塵)や粘土を食べていた・・・
「エンキドゥ」は
十二日寝台に横たわり、死んだ
「ギルガメッシュ」は
親友の死を悲しみ、己の死への怖れから
「永遠の生命」を求めて旅にで
さまよい、
「双子の山」の・・・・双生児のヤマ
「マーシュ」山に辿り着いた
そこは
「サソリ(蠍)人間」の住む地で、
山のトンネルの入り口を守っていたが
許しを得て洞窟の中へと入っていき
闇の中を進み、
明かりの外にでると
紅や青の宝玉を実につけた樹々が茂り、
楽園となっていた
ギルガメシュはさらに
親友の
エンキドゥの死を思い出しながら
「永遠の命」を求めて旅を続けた
途中で女に出会い
彼に
「永遠の生命」など求めず、
故郷に帰って
家族を喜ばせるが良いと忠告されるが
ギルガメシュは
「永遠の生命」を得たという
「ウトナピシュテム」
に出会った
だが
彼は
「永遠の生命」を
ナゼ得たのか、その理由を知らなかったが
彼は自分の運命を語り聞かせた
彼は
シュルパックの町に住んでいたが、
神々がこの町を
大洪水によって滅ぼす決意をし
そのとき
「神エア」が
「ウトナピシュテム」に
「方舟」を造って
一族や動物たちと共に乗り込むように忠告され
大洪水となった地は
「六日間」荒れ、
「方舟」は
「ニシルの山」・・・ニシル・・・似知るのサン?
に流れ着いた
後、
「鳩、燕(ツバメ)、大鳥」を放して
水が引いたことを知り
「ウトナピシュテム」は
「方舟」を出た
神々は
「エア神」が
「ウトナピシュテム」
の一族を助けてしまったことを議論し、
彼等には
「永遠の生命」を与えて
遠方の
河口に
住まわせることにした
↓↑
「ギルガメシュ」は
「永遠の生命の秘密」が分からず失望し、
旅の疲れから
「六日間」眠り込んでしまった
彼を哀れんで
「ウトナピシュテムの妻」は
海中にある若返りの草を教えた
「ギルガメシュ」は
海中に潜りこの草を得るのに成功
そして帰路についた
だが、
ある泉のところで
水浴している時に
「蛇」
が忍んできてこの草を食べてしまった
「ギルガメシュ」
は落胆してウルクの故郷へと戻った
そうした彼のもとに冥界に下った
「エンキドゥ」の亡霊が現れ、
冥界の様子を語って聞かせ、
「ギルガメシュ」も
また
「死の運命」を
避けることはできないと告げた。
ーー↓↑ーーー
「ギルガメシュ叙事詩」
蛇が「脱皮」しては若返る説明・・・玄武=亀+蛇=長寿と若返り=北方・・・黒っぽい「玄武岩」・・・由来は?・・・
玄武岩は、
斑糲岩(ハンレイ岩・gabbro=ガブロ)と同じく
黒っぽく
ケイ酸分(SiO2)が少ない(50%程度)マグマからできる
斑糲岩は地下深部でゆっくり冷えて固まってでき
玄武岩は火山活動で地表付近で
急に冷えて固まってできる
・・・急に固まったのは「明治の文明文化」・・・玄武岩=源武願・・・「言部の願い」だろう・・・?
↓↑
玄武岩(basalt・バサルト)
火山岩の一種
玄武岩の
主な構成鉱物
有色鉱物である
輝石類と苦土カンラン石、
無色鉱物である斜長石
溶岩流のように
マグマが
急冷されてできた玄武岩は
結晶化せずに
ガラス(硝子)質になる
火成岩、堆積岩 、変成岩
の3つに分類され
火成岩は、
マグマからでき
火山岩、深成岩に分類
表面が岩塊 (クリンカー)で覆われている
斑晶および石基として、
有色鉱物である
輝石・かんらん石、
無色鉱物である斜長石等を含む
アルカリ玄武岩には
ケルスート閃石や
金雲母を含むこともある・・・
↓↑
玄武岩マグマを生じる上部マントルの
部分溶融度が大きければ
ソレアイト玄武岩(tholeiitic basalt)
部分溶融度が小さければ
アルカリ玄武岩(alkali basalt)
となる・・・???
↓↑
海底は全てが玄武岩(枕状溶岩)
玄武岩は弱い磁気を帯びている
↓↑
玄武岩(basalt・バサルト)の名は
basanos=ギリシャ語の
「試金石」から由来
ヨルダン東部の
オグ王国に由来し
「Bashanの石」と呼ばれた
日本名の「玄武岩」は
1884年
明治十七年に地質、鉱物、火山地震学者の
「小藤 文次郎」が命名した・・・
ーー↓↑ーーー
エジプト=来世、永遠性、現実への再生・不死・ミイラ
「地上に再生」
ギルガメシュ=人は死んだら地下に葬られる
冥界は暗黒の世界でチリと泥の世界
女神イナンナも一度死んで、復活、再生・・・キリストの復活
↓↑
バビロニア・アッシリア
バビロニアの主神=マルドック
アッシリアの主神=アッシュール
他の神々=シュメール・アッカド起源
シュメールの
「大気の神エンリル」=「神々の父」
アッカドでは
「ベル神」
後
バビロン第一王朝時代の
「主神マルドゥク」と合体し
「ベル・マルドゥク」の最高神になった
「ベル」は西方では「バール」となり
「バール」は
ヘブライの神
「ヤハゥエ」と対立
ーー↓↑ーーー
・・・
「アブ」、「シンデル」・・・「霊魂」、「しんでる」?
・・・「冬至(トウジ)」ですか・・・「ストーンサークル」はほぼ確実に「冬至・夏至」の太陽光線と石柱の影を示していた・・・暦のサイクルと北半球の地球上の太陽の位置観察では「1年の始り」は「12月=冬至(トウジ・inter solstice・二十四節気の第二十二。北半球ではこの日が一年のうちで最も昼(日出~日没まで)が最短時間。旧暦十一月内。現在の定気法では太陽黄経が270度点で、期間は12月22日頃~300度の大寒の1月20日頃」、「山羊座=磨羯宮の始点日」~「水瓶座=宝瓶宮の前日」の期間。「座」は「星座の天の円周上の区分」だが、「星座の範囲領域」ではない。「宮」は一般的に「360度÷12=30度」の区分・・・12月は「十二(干)支歴」で「子→鼠」・・・「甲子・丙子・戊子・庚子・壬子」は六十年周期の「一干支」で、「五行(木(甲乙)・火(丙丁=ヒのエ、ヒのト)・土(戊己=ツチのエ、ツチのト)・金(庚辛=カのエ、カのト)・水(壬癸=ミズのエ、ミズのト)」の音韻(同類の「±=兄弟(エト)の干(ひる・ほす・犯す・カン=旱・棒や盾=矛と盾=武器)」でまとめた理論で「六十÷五=三十」に分類し「納音五行」としたモノ・・・「±=陽陰→土(士)→十+一」→「干の上下反転の漢字」・・・
今年(2016年=丙申)と来年(2017年=丁酉)は
「山下火(サンゲカ)」の年で
「山裾で燃える火・麓で燃える火・野火」・・・
↓↑
前回は「子」の漢字の熟語をあげていったが、「柚子(ゆず)」も、「瓜子(うりこ)姫」も、「桑子(くわこ)」も、「唐辛子(とうがらし)」も抜けていたし、「椅子(いす)」、「障子(しょうじ)」も、「人の子キリスト」、「君子・皇子・王子」、「晏子(春秋)=晏嬰」、そして歴史上の名前では「某+子」はワンサカいたが、書き落としてしまった・・・
「美人薄命、美人は辛い?」らしいのに「整形美人」ですか・・・
「木花之佐久夜毘売=木花開耶姫
=神阿多都比売(カムアタツヒメ)
=鹿葦津姫
=葦津姫(カヤツヒメ)」
は「美人」だったが、姉の
「石長姫(イワナガヒメ)=石長比売
=磐長姫
=木花知流比売(このはなちるひめ)」
は「醜女」だった・・・「石(磐)長比売」、「疱瘡を患い、片目」になった彼女の呪いは世間、他者への「眼病と癌病(腫瘍)」だったろう?・・・「おいわ」さんは「四代目・鶴屋南北」の「四谷怪談の塩冶家の浪人、四谷左門の娘、お岩(おいわ)と、お袖の姉妹を巡る怪談劇」で、「お岩の夫、民谷伊右衛門」の仕官に拘る「お岩」さんへの非道の物語。その裏には「忠臣蔵の浅野家の内情」があった?、とか・・・チャップリンの映画、1914年の出演33作目のタイトルは「醜女の深情(Tillie's Punctured Romance)」だが、英語と日本語の「タイトル」の意味が一致しないけれど・・・「太った女がパンクしちゃったロマンス」が、「ガン(cancer・Krebs・カルキノス=Karkinos=καρκίνος)」って?
「ヒポクラテス(Hippocrates・Ἱπποκράτης)」ですか・・・
「crab」、増毛の「毛ガニ=Hair crab」・・・
「眼科医=ophthalmologist・oculist・eye doctor」・・・
「One-Eyed Jacks」=「片目のジャック」とは?
ハートとスペードのジャックの絵柄が「片方の目」・・・「片方の眼が視えない=人の気持ちは分からない」ですか、ナルホド・・・
「ガン(gun)」
「雁=wild goose」
が飛んでいった・・・
↓↑
「西子=西施=施夷光=薪売りの娘=呉王夫差の愛人=傾城(ケイセイ)の美女=蛤(はまぐり)←西施の舌が変身」、
「西施は大根足→沈魚美人」だったらしが「人魚?」だった・・・美人の呼称は越王の愛姫の「毛嬙」が初めらしい。
「小野妹子=蘇因高」、
「中臣鎌子(廃仏主義者)」と、
別人(?)の
「藤原鎌足=中臣鎌子(大化の改新)」
は同名とは?
「藤原薬子」は「薬剤師・本草学の女史」?
「源氏物語」の「定子・彰子」も抜けていたが
「定(さだめ)の子(シ)」
「文の章の彡(はけ・サン・セン・刷毛(はけ)痕の子」
・・・「子=一の了=始終・終始」・・・
女名の「某+子」は明治以降一般的だが、歴史上の「某+子の事件」、男名の「某+子」とそれらの「西暦年号と月日も日本年号と月日」も、「当時(トウジ)」の記録、ボクは怪しいと妄想するのである、が・・・「(高浜)虚子」・・・「ちび丸子」チャン・・・
ーーーーー
↓↑
アブ-シンベル(Abu Simbel)神殿=岩窟神殿
アブ(ab)=古代エジプト語の「心臓・霊魂」
新王国時代
第19王朝の王、
ラムセス2世
大神殿は太陽神ラー
小神殿は
ハトホル女神
を祭神
小神殿は
王妃ネフェルタリ
のために建造)
アブ-シンベル神殿内部
大列柱室
ラムセス二世の立像が8体
1年に2回、
ラムセス二世の
即位した日
と
誕生日
に一番奥の部屋まで
光が届き
神殿の奥の4体の像のうち、
冥界神である
プタハ神を除き
3体を明るく照らすように設計建設
↓↑
本来は
ラムセス2世の
生まれた日
2月22日・・・?
王に即位した日
10月22日・・・?
に太陽の光線が射し込むに設計建築
移設によって日がズレてしまった?・・・
一枚岩を切り崩して造られ
大小2つの神殿
世界最大の岩窟神殿
1年に2回
春分、秋分の日・・・ 1日の昼夜の長さが同じ
昼夜の最長の「夏至」、
昼夜の最短の「冬至」ではない
に数分間、
入り口から差し込んだ朝日が、
一番奥の突き当たりにある像を
順番に照らしていく現象
↓↑
神殿前面は
高さ12.2m
幅28.3m
高さ
11.5mの
2体の王の像に挟まれた
王妃の1体が、
左右対称に6本立ってる
ーーーーー
・・・
文明文化・・・「文の理の文変」・・・造作・表現・享受
・・・2016年12月22日・・・「ことば」は「音声化」、「文字化」されても、それを「相互情報」として発し、「表現・記録」した人物の「ココロの中」は重なっていないカモ、受け取った人物には解らないカモ、である。「誤解・不理解・非理解・曲解」もあるカモ・・・表現された「物」は共通理解と云うよりも、相互の「妄想」も重なるからお手上げである・・・唯一の「共通理解」出来る「モノ」は「数学の加減乗除」とその「計算結果」である・・・だが「虚数」、「無理数」と云う概念もある・・・明治の福澤諭吉の創作漢字の「文明(civilization)」だが、一般的なコトバの内容を現代的に規定すれば「技術的・科学的に人間の設計した内燃の機械化され道具で生産物が普及した社会状態」、「文化(culture)=地域の種族の生活の風習、慣習、掟、宗教的規範などの法制度、記録、創作創造などの表現物を表す社会的な状態」だろう・・・だが、漢字文字からは「文を明確化(理解)させる」、「文を変化(設計、構築化、構造化、現実的なモノとして造化)させる」である・・・しかも「文」の構成文字は「亠(音の略字・鍋蓋冠・ズ・トウ)+乂(おさめる・かる・カイ・ゲ)」で、「文」とは「音、音声を狩って納める(音声の対象物を収穫、収獲して形象化する=文字化する)」である・・・「文化(culture=耕す、田畑、土地の耕作を意味するラテン語のcolere」・・・「文明-文化」の分離した「二文字漢字の熟語」ではなく、「四文字漢字」の「文明文化」としての熟語であろう・・・
ーー↓↑ーーー
「civil(市民・公民)・・・citi-zen=シチ-ズン
+ cite=city⇔civis=citizen=市民
+ 出生、帰化による
+ 法的に保障された
+ 市民権利をもつ公民・国民・人民
iza(ize)=~化)
+
tion(sion)=行為・状態・結果=動詞の名詞化の語尾)
= civil-iza-tio⇔civitas
+ (ラテン語の都市市民の行為)
=civil+iza+tion」
+
「culture(耕作→耕し、種を植え、育て、採集して食べる)」
↓↑
・・・「西洋文明=Western civilization」・・・「古代文明=ancient civilization(シヴィリゼイション)=ancient civilisation(シヴィライゼイション)」のスペル「li(リ)+Zz(米語)」と「li(ライ)+Ss(英語)」が異なるが「訛りの相違がスペル(spell)のチガイ」になったのか?・・・古代「中国=中華=China、巴比倫(バビロニア)=Babylon、 印度=India、埃及=Egypt」の「文明文化」・・・
ーー↓↑ーーー
・・・「国名」の漢字からナニが「理解=リカイ=裏可意」ができるのか・・・
「中華=China」=「中+華」・・・・・註化・秦=三人ノ十八
「巴比倫=Babylon」=「巴+比+倫」・ 葉備倫(理)
「印度=India」=「印+度」・・・・・寅怒=虎怒・音(韻)吐
「埃及=Egypt」=「埃+及」・・・・・地理及、知理及
・・・カンジ文字には、その構成の形象に「意味」がある・・・
「巴比倫」=「巴=渦=蛇・蝮」を「比較」する「倫理」である・・・「バビロン(Βαβυλωνία)」の「法」とはナニか?・・・
「ハンムラビ(アッカド語=Hammurabi
ハンムラピ Hammu-rapi)」
は、
「都市国家バビロン(Βαβυλωνία)
第6代王
後に、
メソポタミアに勢力を拡大し
バビロニア帝国の初代王
アムル(Amorite)=アムル(Amurrū)
=マルトゥ(mar.tu)=エモリ
=カナン諸部族の一=ハナ族」
主神は「マルドゥク(Marduk)=太陽の子牛・牡牛の神
マルドウク=メロダク(ヘブライ語)
アマルトゥ(シュメール語・アッカド語)
知恵と水の神・・・多数の神の習合神」
シンボルは「鍬・鋤・犂」
ウル・ナンム法典
に次ぐ世界で
2番目に古い最古の記録された法律、
ハンムラビ法典
(紀元前1792~1750年)を編纂、整備」
「ハンムラビ法典は、後、
石柱(玄武岩製の碑)に書き写され、
バビロンのマルドゥク神殿に置かれた」
↓↑
ハンムラビ王
王が下した判決、「判例法」
「目には目で、歯には歯で(タリオの法)」
ハンムラビ法典196・197条
195条に子がその父を打ったときは、その手を切られる
205条に奴隷が自由民の頬をなぐれば耳を切り取られる
「目には目を」は対等な身分同士
ハンムラビ法典
犯罪に対しての厳罰が主目的ではない
財産の保障
奴隷階級であっても一定の権利を認め、
条件によっては奴隷解放を認める条文
女性の権利
(女性の側から離婚する権利
夫と死別した寡婦を擁護する条文)
女性の地位が高かったシュメールの影響
↓↑
条文は
男女平等
人権擁護
と同類の指向を持つ条文
犯罪被害者や遺族に対して、
加害者側に賠償を命じる条文
加害者が知れない場合に
公金をもって損害を補償する条文
被害の軽重に応じて賠償額
を定めてある
「ハンムラビ法典」
太陽神シャマシュ
から
ハンムラビ王に授けられた
特定の宗教的主観に偏った内容ではない
身分階級の違いによって刑罰に差がある
弱者救済
「強者が弱者を虐げないように、
正義が孤児と寡婦とに授けられるように」
の文言
等価
負債取り消しに関する記述
報酬にかかる費用
当時の社会での等価は
市場メカニズムではなく
慣習、法によって決められていた・・・
私益のための利用を含まない
等価を維持
↓↑
モーセの律法書のもとになった・・・
「目には目」と
旧約聖書
出エジプト記21章、
レビ記24章、
申命記19章
における「目には目」の律法が似ている
が、異なる・・・
身分の違いによってその刑罰が異なるのに対し、
聖書律法は身分の違いによる刑罰の軽重はない
神との倫理的な罪は重い
物品等損害など商業的罪は軽い
「強き者が弱き者を圧迫せぬよう、
悩ある者に光を与えるよう」
古代の諸法典の模範
282 条に及ぶ条文
条文は
44欄300行
「朕はハンムラピ、完(まった)き王。
民の為に幸い溢れる土地を捜し、
その重き苦悩を取り除き、
彼らの頭上に光をもたらした。
・・・朕はすべての民を心安らかに住まわせ、
彼らを脅かす敵が襲いかかるのを決して許しはしなかった。
我が良き蔭は国土をあまねく覆い、
我が智恵はその民を守る。
強き者が弱き者を圧迫せぬよう、
孤児や寡婦に正義がなされるよう、
・・・
正しき法が定められ、正しき判決が下されるよう、
そして圧迫されている者に正義が施されるよう、
朕は自ら至高の言葉を
『正義の王』と名付けられた
我が像と共に、この石碑に刻みつけた」
↓↑
ハンムラピの法典
七つの内容から構成
第一は裁判・判決関係の項目
第二は財産関係の法規
第三は商業・金融関係の法規
第四は家族法並びに傷害に関する
民法的・刑法的取り決め
第五は特定の職業集団に対する規制
第六は価格・賃金関係の法規
第七は奴隷法
奴隷の行政上の位置づけ
↓↑
第7条
奴隷は自ら売買活動を行ない、
契約を取り結ぶ主体となり得ていた
第15~20条
奴隷の逃亡に関するもの
「宮殿または自由民の所有になる男女の奴隷が
市門から逃げ去るのを助けたる者は死罪」
逃亡奴隷を隠匿した者も
同罪(第16条)
第15~20条
奴隷は宮殿に据え付けの
「奴隷登録台帳」に記載
国家管理の下に置かれていた(第18条)
15条とは逆に、
第17条では
「逃亡奴隷を捕えて元の所有者に引き渡した者には、
所有者は銀2シェケルを支払うべし」
と定めている
(1シェケル=銀半オンス=2.5~5ドル。
60シェケル=1ミナ、
60ミナ=1タラント
逃亡奴隷の引き渡しに賞金が課された
第26条以下
第87条までは
兵士に関する規定
農地についての規定
それに欠損部
88~126条まで
商法
127条~194条が
家族法(全体の4分の1を占める)
ここには奴隷に関する規定がある
113条~119条
債務による人身抵当を述べ
「もし賃借人が自己の義務を履行し得ない時には、
負債牢に投じられ、
且つ
債権者の家で奴隷として奉仕しなければならない
(113条以下)」
借金の為に妻子を売り奉公に出す場合は、
この妻子は買取人即ち主人の家で
三年間だけ働き、
第四年目には解放されて自由を与えられる
(117条)」
旧約聖書の「レビ記」等に見られる
「安息の年・ヨベルの年」の設定による
奴隷解放の規定の原型・・・
パビロニアでは夫の家父長的権威が絶大
奴隷は終身ではなかった
家族法
129条
「姦通を行なった妻は水死の刑」
「もしも主人たる夫がその妻の命乞いをすれば、
王も自分の奴隷(姦通を行なった者)を許す」
女性は法的行為の主体となる権利を保有し、
夫の死後もその権威を引き継ぎ
自己の意志で再婚できた
144~147条
妾としての女奴隷に関する規定
相続問題の複雑化
162条以下
相続の細かな規定が設けられた
第170条
嫡出でない直系卑属の人格を嫡出子と平等に認め
「父親の認知がありさえすれば、
たとえ妾腹の子供であっても実子と財産を均分す る」
と規定
「一もし或る者の配偶者が彼の為に子供を産み、
さらに彼の奴隷も彼の為に子供を産んだ場合い
父たる主人が、奴隷が産んだ子 に対して
『お前たちもまた私の子である』
と言い、配偶者の子に彼らを数えたならば、
父の死後には、
配偶者の子供と奴隷の子供とは財産を平等に分割せよ
(170条)」
認知のない場合には当然相続権も与えられないものとされた
その場合、
妾腹の子供は母と共に解放され、
財産の代わりに自由民の資格を得ることとなった
(171条)」
新バビロニアの時代
正妻でない女性は奴隷の地位に留まり、
主人の死後には奴隷として売られてた・・・
175条、176条
奴隷と自由民との結婚を認める規定
バビロニアの奴隷は家族を持つ機会も与えられた
奴隷同志の結婚は全く認められず、
この規程は
配偶者のない白由民の女性の結婚対策として定められた・・・
古バビロニアでは妾と共に養子も多く、
これに関する諸規定にも奴隷が度々係わっていた
養子は義父母の方から養子関係を清算しようとした場合
その義父母の家を追放されるだけで済んだ
自分の方から義父母の家を去りたいと申し出た場合には、
自由民の権利を剥奪されて奴隷化された(191条~193条)
196条~227条
傷害に対する刑罰規定
「目には目を」という返報主義は、
バビロニアにだけ特有のものではない
身分によって
様々 に異なった処罰・報復方法のあった
法の下の平等は保証されてはいない
↓↑
196条 「もし自由民が他の自由民の目を傷つけたならぱ、
人々はその加害者の目を傷つけよ」
197条 「もし自由民が他の自由民の骨を折ったならば、
人々はその加害者の骨を折れ」
198条 「もし下級自由民の目を潰し、
或いはその骨を折ったならば、
銀1ミナを支払え」
199条 「もし他人の奴隷の目を潰し、
或いはその骨を折ったならば、
銀2分の1ミナを支払え」
200条 「もし自由民の歯を打ち落としたならば、
その加害者も歯を折られるべし」
201条 「下級自由民の歯を打ち落とした場台には、
銀1ミナを支払え」
202条 「自分より身分の高い者の頬を打てば、
牛の鞭によって公衆の面前で60回打たれる」
203条 「同身分の者の頬を打った場合には、
銀1ミナを支払え」
205条 「奴隷が自由民の頬を打った場合には、
耳を切り取られる」
215条 「外科医が上級自由民の重傷を癒して命を助け、
或いは目の腫物を癒した場合には、
10シェケルが支払われる」
216条 「下級自由民の場合、前条の半額を外科医は受け取る」
217条 「奴隷の場合には、奴隷の主人が外科医に
2シェケルを支払う」
218条 「もし外科医が治療に失敗し、
上級自由民を死亡させた場合には、
外科医は指を切られる」
219条 「それが奴隷の場合、外科医は同価の奴隷で償うべし」
↓↑
219条以後に暫く奴隷への言及がないが、
226条・227条では、
「奴隷の目印を消したる者は死罪」と規定
「奴隷の逃亡幇助(ホウジョ)」と同罪
奴隷は、その目印として
前額を剃り、
腕に所有者の名前ないしは紋を刺青し、
奴隷票を持ち歩く・・・
もし誰かが他人の奴隷を死亡させた場合
219条に準ずるものとされ、
同価の奴隷をもって
補償することが要求された(231条)
全文282条の内の
最後の五箇条は、
本来的な奴隷法となっている
278・279の二箇条は
奴隷の取り戻しについて触れ、
289条以下は
外国奴隷の購入について規定
第282条の条文が、
法典本文の末文
「もし奴隷がその主人に向かって
『汝は我が主人ではない』
と言った様な場合には、
主人はこの奴隷に対して、
彼が奴隷であるということを証明せよ。
そして、その片耳を切り落とすが良い」
↓↑ ↓↑
男奴隷はワルドゥム、
女奴隷はアムトゥム
と呼ばれていた
自由民
上層の者はアウェールム、
下層の者はムシユケーヌム
大規摸奴隷制の展開はない
ハムラビ法典は
刑法・商法・家族法・税法等々に
連なる様々な規定をそれなりに体系化し、
その下敷きは
奴隷法の内容を示す
ウル第三王朝期の
ウル・ナンム法典・・・・・・「得る・難無」
イシン・ラルサ期の・・・・・「維新」ですか?
リピト・イシュタル法典
などの諸法典が既に存在していた・・・
↓↑
新バビロニア
ハンムラピの王国は
ヒッタイトの
ムルシリ王の攻略によって滅亡
(紀元前1595年頃)
その後
カッシート人の支配下
次いでは
アッシリアの支配を経て、
前625年、
新バビロニアの時代となる
新バビロニア時代の奴隷制
奴隷は社会の最下級に位置し、
賠償金額についても、
医者への謝礼についても、
刑罰に ついても、
「法の下に平等」ではなく、
大きく差別された
奴隷たちは逃げるだけで死刑(15条)
頬を打つだけ、
主人に反抗の言を述べるだけで
耳を剃がれた
(205条、282条)
バビロニアの奴隷たちは
売買・契約の主体となり(7条)、
結婚・再婚の機会を持つ(175条、176条)
で、一定の「人格」を認められていた・・・
古バビロニア期の諸王が、
債務を帳消しとして奴隷を解放を度々実施
↓↑
新バビロニア時代(前625~前539年)
「バビロン市に入る者は犬でも自由」
奴隷に対する比較的穏健な扱いも
一層広範囲にわたった
奴隷の中には、主人の単なる手代ではなく
自ら事業主として事業を営む者が現われた
法律上も、
主人は勝手気儘に
奴隷の生命を奪ってはならない
とされ、
過度の虐待も勅令によって禁止された
商人・職人・借地農夫等として
ある定度まで自立でき、
「自らの奴隷を持つ奴隷」
さえ現われた・・・?
↓↑
ハンムラピの時代は
バビロニア文明の古典期
↓↑
新バビロニア第二代の英王
ネブカドネザル王
(前604年~前562年)時代
「古代バビロニアの復興期」
バベルの塔=聖塔(Ziggurat)
バビロンの空中庭園
ネブカドネザル
二次の「バビロン補囚」
イスラエルの王国を滅ぼし
ユダヤ人をバビロンへと強制移住
ハンムラピの法典は
身分差別法で奴隷法が要
「神聖売春」奴隷も
「借金抵当売買」奴隷も居 た
↓↑
貨幣経済の発達
鋳貨が大量に流通
貸付利率は20~30%
自由民も没落
商業活動で
自由民の負債で奴隷へ転落
高利貸しが富を独占
ネブカドネザル王の死後
ナボニドス王(前555年~前539年)時代
100タラント21ミナ(3040kg)の銀、
5タラント17ミナ (160kg)の金
と共に、
2万8500人もの奴隷が
マルドウク神殿に献納
奴隷一人当たりの値段が
銀50(16)ゼーケル(420g)
新バビロニアの栄華
ナボニドスの時代に
ペルシアのキュロス王が
バビロンに攻め入るに及んで終焉
バビロン捕囚、幽閉民族は
キュロス王が「解放」し
宗教や風俗に「自由」を与えた
が、
大王自身がペルシア帝国最大の奴隷保有者
ペルシア軍侵攻後
バビロン市そのものの栄華は続いき
アレクサンダー大王が
熱病に冒され
33歳の生涯を閉じる
マケドニア王国の首都でもあった・・・
ーーーーー
・・・バビロン、「北緯32度32分11秒、東経44度25分15秒」の東方は「会稽」、「阿蘇山」・・・・
「石のライオン」は燃える?・・・糸(イト)の魚(うお・まな・サカナ)の火災・・・
・・・「新潟県糸魚川市の火災被害」の皆さん、お見舞いいたします。昔からの「南風には気をつけろ」の過去の遺訓と御近所の助けあいが命を繋いだらしい・・・もし、大雪の中での火災なら逃げ場ない。日本の住宅は木造だから「マッチ一本」が大火事の延焼・・・「無差別な国際テロ」のコトを考えると「マッチ一本」が武器。戦時中、あんなに「焼夷弾」を落され、無差別に殺されていった「日本人」だが、同じ場所に「蟻さん」のように家を建て、町を築いて住んできた。古代文明のように「石の廃墟」とはしなかった。みんな「アルゼンチン蟻」になるワケにいかない、と、「日本国憲法」で覚悟したハズの日本人。現今の「天皇陛下の平和に対する苦悩や努力」もムシされているようだし、人口減で国土の「人口密度の空間」は広がっているハズだが、戦後70年も「領土でイチャモン」の大陸中国、ロシア、そしてアメリカ軍の占領地・・・軍事基地が「生産の場」とは到底思えないが、「軍事産業の殺傷、破壊の兵器、武器」も「生産物」か?・・・国連で「内戦状態にある南スーダンへの武器輸出禁止」に、日本政府が反対とは「奇妙な論理」である。詰まるところ「武器」を売って儲けたい奴の代弁者が「現今日本政府」・・・
ここ北海道は大荒れ、吹雪、大雪、玄関も、その通路も塞がった。雪投げ、「懐炉(カイロ)」が必要だ・・・「待てどもカイロ(海路・回路・Cairo=改羅・開羅・該禄・喀愛羅・詼祿・海樓・海樓・海羅・介爾阿)からの便りはなし」、みんな、ピラミッドとスフインクスを見学してるんだろうなッ・・・「江戸幕府、第一次遣欧使節団(1864年・フランスへの池田長発が率いる横浜鎖港談判使節団)」・・・「懐(いだく)・懐(おもう)・懐疑(カイギ)・懐旧( カイキュウ)・懐郷(カイキョウ)・懐剣(カイケン)・懐古(カイコ)・懐紙(カイシ)・懐柔( カイジュウ)・懐石(カイセキ)・懐胎(カイタイ)・懐中(カイチュウ)・懐妊(カイニン)・懐抱(カイホウ)・懐裏・懐裡(カイリ)・懐香(カイコウ・くれのおも)・懐(なつ)かしい・懐(なつ)かしむ・懐(なつ)く・懐(ふところ)・懐刀(ふところがたな)・懐手(ふところで) 」・・・時刻は12月23日金曜日の午後13時・・・「citi-zen=シチ-ズン=cite=city⇔civis=citizen=市民=出生、帰化による法的に保障された市民権利をもつ公民・国民・人民」・・・「シチズン」=「七亠務」=「漆(うるし)の音(おと)に務(つと)む」・・・「シチズン時計」が「チクタク、チクタク」、「ボ~ン、ボ~ン」・・・
またまた、以前に書き込んだモノと同じことを、書き込みそうだが・・・同類の「ブログ記事」がワンサと増えている・・・ボクが映画監督になって、「シナリヲ」を書きたいのは「文久二年(1862年)1月22日~元治元年(1864年)2月23日」の「石のライオン」と云うタイトルの物語だが・・・「文明開化の夜明け前」である・・・
ーーーーー
文久二年
(1862年)1月22日
竹内下野守保徳を正史
文久遣欧使節団
イギリス軍艦
オーディン号で
品川港出航
↓↑
文久二年(1862年)1月22日
竹内下野守保徳
38名
ヨーロッパに派遣
竹内下野守使節団
江戸・大阪の開市、兵庫・新潟
の開港延期の交渉団
↓↑
元治元年
(1864年)2月23日
第二次幕末
遣欧使節団
池田筑後守一行
エジプト国王を訪問
↓↑
文久三年十二月二十九日
(1864年2月6日)
前後5回にわたる使節団の
第3回
池田筑後守
遣欧使節団一行
総勢34名、
通訳
フランス人
ボレックマン
横浜を出航
↓↑
横浜鎖港談判使節団
横浜鎖港談判使節団
池田長発(筑後守)正使
河津祐邦(伊豆守)副使
河田熙(相模守)目付
文久三年十二月二十九日
1864年2月6日
~
元治元年七月二十二日
1864年8月23日
第2回遣欧使節
池田使節団
とも呼ばれる
使節団の目的
開港場横浜の再度閉鎖交渉
文久三年五月十日(1863年6月25日)
孝明天皇が攘夷勅命
下関戦争
薩英戦争
フランス士官
カミュ殺害事件
幕府は攘夷派を懐柔する為、
横浜の閉鎖計画
ーーーーー
・・・以上も以下も「文久遣欧使節団・第2回遣欧使節、池田使節団」に関する「ブログ記事」からの参考、参照で、「引用」抜粋し、興味のある部分を「行の頭出し」として添付したものです・・・「原文」は「文久遣欧使節団・池田使節団」の文字を検索すれば「即座」にみれます・・・勝手に「添付」、御容赦ください、ゴメンなさい・・・
ーーーーー
金山佐輔(かながみさすけ)・・・「カナヤマ」ではない?
「キンのヤマ」でもない?
だが「佐輔(サホ)」?
会津人
会津若松
馬場町に生まれた(天保七年・1836)・・・「天を保つ七年」?
正使池田筑後守に学問の賓師
従者で同行
佐原盛純(さわらもりずみ)
と改名
会津中学校などで教鞭
「少年団結す白虎隊」・・・・・「白い虎」は「白い獅子」か?
の漢詩の作者
金山は
明治37年10月
このときの旅行日記を
出発から帰国まで克明に謄写
「航海目録(全4巻)」
と名づけて
子孫に遺した(会津図書館蔵)
「航海目録」
一行が
「三角山(ピラミッド)」・・・三角山=金字塔
「首石(スフインクス)」・・・首の石
見物に出かけた
文久四年二月二十八日・・・・・西暦1864年4月4日月曜日
甲子年丁卯月己亥日大安
日本では二月二十日火曜日・・・二解通・弐重(拾)の比?
甲子年丁卯月癸巳日大安
(一行がカイロに到着(壬辰)した翌日)
に
「元治」と改元・・・・・・・・摸訳の字
元の水のム口
元の字・源の字
1864年4月4日・・・・・・・・・西暦1864年4月4日月曜日
カイロのホテルに居残って
ピラミッド見物に行かなかったのが
副使の
河津伊豆守・・・・・・・・・・河津=かわづ=蛙(かえる)
田辺太一・・・・・・・・・・・田の辺の太の一
傳 変 タイ(臺)のイチ(壹)
金山自身も含めて
七名だった・・・・・・・・・・「七の名」=シチ捨務?
スフインクス
の前で写真を取った
日本人サムライは27名・・・・・三九=二十七
=弐を拾う七(漆=うるし)
ブレックマン
の計28名・・・・・・・・・・・四七=二十八=宿曜経の宿数
↓↑
田辺太一の娘
竜子(たつこ)・・・・・・・・龍(辰)の子?
は
三宅雪嶺・・・・・三宅花圃(かほ)のペンネームで作家・歌人
に嫁ぎ
スフインクスの下にて
一行の撮影した写真を
三宅雪嶺氏が所蔵
↓↑
「池田使節団」・・・・・池(水也)の田(た・かる・デン)?
みず哉
長州藩の下関における
フランス通報艦
キンシャン号砲撃事件
に関する謝罪
同年の
文久三年九月二日(1863年癸亥
10月壬戌
14日丙午
水曜日・仏滅→部通目通?)
横浜港郊外
井戸ヶ谷・・・・・・緯度のケの谷(八Λ口)→他の似?
で起きた
フランス陸軍中尉
アンリ・カミュ殺害事件・・・カミュ=異邦人→彙報訊?
アルベール・カミュの小説・1942年刊
の謝罪
↓↑
使節団は
34人
体調不良等で
ピラミッド、スフィンクス
視察に参加できなかった
7人を除く
27人のサムライ(侍)が写っている
写っていない7人の中の
横山敬一(当時38歳)は・・・横(十八)の山の
敬うの一(はじめ・イチ)
黄熱病に罹患
その後、
マルセイユで死亡・・・・・・Marseilles・丸(麻呂)施喩?
マルセイユの
サン・ピエール墓地に眠る・・・簒、比重得留?
館員は
万聖節(11月1日)・・・・万世説・壱拾壱解通意知比(似知)?
に
彼の墓参りが慣例・・・
↓↑
遣欧使節団の目的
下関事件や薩英戦争(1863年)
朝廷の攘夷・・・・・・・・上の意・譲る位?
↓↑
中国(清国の上海)
ベトナム=越南・(サイゴン=Saigon=柴棍・西貢)
セイロン=錫蘭・(ゴール=Galle)
・・・正(政・世)論のgoal(終着点)?
↓↑
フランスは
ナポレオン3世時代・・・名補例音簒所為?
・・・奈破翁・那破崙・拿破崙・拿勃翁
「夜でもガス燈に照らされて昼のように明るい大通り」
「巨大な軍艦が十数隻も停泊している軍港」
「蒸気を利用した巨大な製鉄所や綿織物の工場」
「マルセイユに残した
横山敬一の容態がパリまで瞬時に伝えられる電信技術」
↓↑
独断でパリ約定を締結
長州藩によるフランス船砲撃の賠償金支払い、
馬関海峡(下関)の自由航行の保障
などの締結
西欧各国歴訪予定を
フランスだけで取り止め、
8か月で帰国
帰国後
池田筑後守は、
攘夷は不可能であり、
開港を維持しながら
国力の増強に専心すべきと進言
池田筑後守は蟄居処分
幕府はパリ約定を破棄
その数日後
イギリス、フランス、アメリカ、オランダ
の連合軍が
長州港を攻撃
「四国艦隊下関砲撃事件(1864年)」
1時間で長州軍は撃破
↓↑
エジプト(埃及)
エジプト州という
オスマン帝国
の属州の一
ムハンマド・アリーが
1805年に総督就任し
ムハンマド・アリー朝として継続
↓↑
灌漑への改造
↓↑
アメリカで南北戦争(1861~65年)
アメリカから
大量の綿花を輸入していたイギリスは、
綿花の輸入ができなくなり
イギリスはエジプトに綿花栽培を拡大
↓↑
使節団が訪れた前年に
5代目の総督
イスマーイール・・・・・・意素磨蛙意意留?
は、パリで学んだ親欧派
イギリスの提案を受けて、
綿花の栽培に尽力
建設当時世界最大の堰
カイロ近郊の
デルタ・バラージュも
使節団が訪れる3年前に完成
カイロ周辺でも
ナイル(Nile)川の・・・・・尼羅・尼児
名(按・那・納)意留?
水位は既にかなり安定
サムライ達も
カイロの周辺には
一面の
綿花畑が・・・・・・・・メンカ・話多葉名秦家(波田家)?
広がっていたと記録
使節団は馬車で
ナイル川を渡り、
ピラミッド、
スフィンクス・・・・・スフィンクス(Sphinx)
「獅身人面像・獅身女面像」
に向かい
その途中の様子を
「ナイル溢れる時、・・・名(按・那・納)意留
水の満ると云う・・・・見ず
川の中を通れり。・・・撰(戦・晋・遷・泉・潜)の中?
常に水、少しもなし」
と記録・・・
イスマーイールは、
ナイル川沿いの土地を開発
パリを
モデルにした近代的な街づくりを進め
カイロから
ギザ(Giza=アルギザ・ギゼー・ギゼー・エル-ギザギーザ)
ギザギザの刃は「鋸(金+居=のこぎり)の刃」?
尖った岩石の岩波の山々
・・・猫(根子・子拠)耳の山なみ=根子岳
熊本県阿蘇郡高森町の山=阿蘇五岳の一
猫岳=七面山
長野県上田市菅平高原と須坂市の境にある山
のピラミッドまで続く
観光用道路の建設にも着手
使節団の5年後に開通
大規模な工事、活気に満ちた
カイロ周辺の様子を記録
↓↑
エジプト
その後、綿花を大幅に増産・輸出
イスマーイールの過度の欧化政策などに伴う
出費が巨額の対外債務となり
1870年代に南北戦争が終結した
アメリカから
大量の綿花が国際市場に流入し
エジプト財政は破綻
財政部門は列強の管理下に置かれるが
イギリスの保護国へ・・・
↓↑
当時のエジプトは
日本よりもはるかに工業化が進んでいた
↓↑
使節団の記録に
道端の不衛生な屋台で食品が売られていること、
物乞いがしつこく追いかけてくること、
2人のサムライが
現金や脇差しを盗まれてしまったこと
も記録されている・・・
↓↑
・・・???・・・「石のライオン」は「メス」?・・・スフィンクス(Sphinx、ギリシャ語「絞め殺す者」の意?) は、ギリシャ神話では「ライオンの身体、人間の女性の顔、鷲の翼を持つ+蛇の尻尾」・・・「一つの声、朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か?」・・・「オイディプスの生涯」・・・ナゼ、「埃及」に・・・「イシス=イシュタル」の「母のモノガタリ」・・・???・・・
マリヤにカンパイ・・・くり・すます・イ・ブ
・・・12月24日土曜日(丙申・庚 子・庚辰)?・・・「Christmas(Xmas)-Eve」ですか・・・「餃子(ギョウザ)」も「子」の熟語で、「青い芥子(ケシ・カイシ)=Blue Poppy・Meconopsis=メコノプシス(Meconopsis)=緑絨蒿」も「子」の熟語だった・・・なんか、「メデタイこと」があるのかな?・・・朝からガンガンのお天気で、雪投げ、屋根の雪降ろし、昼に洗濯、夕方に二階のドラム缶へ灯油入れ・・・日没・・・寒くなってきたネッ、モモちゃん・・・昨夜は「モーガン・フリーマンの時空を超えて」を、また観たが、「時間」、色々、様々な説があるらしいが、研究者の「時間がアル(実在する)」には哂っちゃうけれど、タイトルが「時空を超えて」なのに、「越える物」が存在しなくちゃ無理だろう・・・辿り着く所は「脳ミソの領域の機能所産(観念概念)」だろう・・・「時間」は個々人の「脳ミソの認識思惟機能変化の固定観念(概念)として実在」するのさ。「科学最大の謎が時間」だとはねッ・・・「未確認生物」は「確認された生物」だろう。人間の五感だけではなく、映像機器、録音機器に納まっているが、「確認」されているのだから、偽造、偽物でない限り、詳細なところが「ワカラナイ」と云う「生物」だろう・・・
「時間の定義」とは「物のプロセスの変化」でしかない。「変化にも始点の基準」が必要だ。「1日を数字で刻むもの」は「時計の長短二針とそれが移動し、示す目盛の数字」である。「時間も空間」も元々は天体観察、自然観察の対象が認識され、その思考概念とされた結果である。「空間」とは「モノとモノの間のコト」である・・・
「光」は「モノ=物質」である。「光子」と呼んだり、漢字で「記録」している字面とおりの
「光=⺌(ショウ・小がしら・亅+八)+兀(出っ張り・突き出るところ)」、
「光=⺌(火)+兀」 or「⺌(火)一+儿=ヒト・人の足)」の「子(一+了)=始終・終始」
「⺌」が「川→巛」ならば波打つ川の流れである・・・
の「絶え間なく変化している物質」である。
「兀兀(コツコツ=兀々)=すこしづつ・絶え間なく」
は
「切れ目のない連続、進行」
である。「光の子」は「光の粒の連続性」である。
たしか、キリスト(基督・移鼠=移子)も「光の子」だったカナ、「景教(キリスト教分派ネストリウス派)」・・・
「速度の変化」とは「定点(始点)を基準」にした「物質の移動、変化のプロセス」そのものである。
「時間認識の違い」は「個々人の主観的な脳ミソ機能の認識差異の感覚」である・・・
そんなことで「ベットの中で眠れない」ならば、ゴロゴロしていてもイイから別なコトで時間を過ごせばイイかも・・・それも「必要なヒト」がいるのは「当然」であるけれど?、ボクもかってはソウだったから・・・でも、光彩、採光、三原色発光の液晶(LED)モニタ・ディスプレイで観れるTV番組の「時間」は面白かったけれどね。チョと昔は「光電管、ブラウン管のTV」だったのに、「文明文化」は加速度を増している・・・アレッ、ハナ水とクシャミ・・・風邪をヒイタカナ、従姉が送ってくれた「早めのパブロン」を飲まなくちゃぁ・・・
ーーーーー
・・・「景教(キリスト教分派ネストリウス派)=ミシア(Missiah )教=彌尸訶・彌施訶・彌失訶」は「マリア」を
「クリストトコス
Χριστοτόκος
キリスト=Χριστος
を生む者= τοκος)」
とし・・・唐代、635年、貞観九年の中国にペルシャ人の「阿羅本(アラボン=オロボン=アロペン=Alopen)」等によって伝教され、教会は「波斯寺(波斯経寺)→大秦寺(ダイシンジ)」と呼ばれた。現存する「大秦塔」は「七重の塔」・・・745年に「佶和(ゲワルギス)がローマ(大秦)帝国から訪れ、「大秦寺」となり、建中二年(781年)に石碑が「大秦景教流行中国碑(1623年か、1625年に発見)」として建立され、布教された。
後、武宗により、会昌五年(845年)に弾圧された・・・きっと、「隠れ切支丹」になった者もいたのに違いない。
日本での本格的な弾圧は
「江戸幕府のキリシタン禁制、慶長十七年(1612年)、 幕府直轄領での禁制、慶長十八年(1613年)」で、
↓↑
1612年
岡本大八事件
キリスト教の禁止通達
旗本の
原主水などが改易
1613年
幕府直轄領での禁制
1619年
京都で52名が殉教
1622年
長崎で55名が殉教
1623年・・・・大秦景教流行中国碑の発見(1623、or 1625年)
崇伝が
「排吉支丹文」で禁止を明文化
江戸で55名が殉教
1637年
島原の乱後
松前藩(蝦夷地)は
キリスト教徒に甘かったが
禁止、弾圧
↓↑
「中国の元王朝のネストリウス派キリスト教」は
「也里果温教=ヤリカオン教」と記録されているらしい・・・「耶理化恩(隠・怨・音)」?・・・
↓↑
で、
「聖母マリア
(テオトコス・Θεοτοκος
Θεοτοκος=神(θεος)を生む者(τοκος)」
は、牛小屋でもなく、羊小屋でもなく、「馬小屋(厩舎)」での出産だった。人間の女性だったから大変だったカモネッ・・・で、「産屋」が「馬小屋」とは?・・・「牛」は「耕作と牛乳」、「羊」は「羊毛と羊肉」で、馬はホトンドが「運搬手段」、「騎馬、戦車」に利用され、尻尾は「弦楽器の弦」にされはしただろうが、「食肉」にはされなかっただろう?・・・だが、いずれも「かわ=皮(剥ぎカワ)→革(鞣カワ・なめしかわ)」にはされた・・・
・・・アレッ、今現在、12月25日の午前1時5分前ですか・・・「Mary クリスマス」です・・・
「光」に導かれ、東邦からやって来た「三博士」は「拝火教(Zoroaster・ゾロアスター)」ではなかったのか?・・・ならば「イラン・ペルシャ(波斯)」人だったカモ?・・・
「波=水+皮」の「皮(かわ・ヒ)」は「ヤ+ノ+又」?ではあるが、「皮膚(ヒフ)」でもあるから「剥がれた皮(かわ)」である。「膚」は「虍+田+月(肉・冃←頭巾)」である。これを踏まえて「皮(かわ)」の漢字を分解すれば「(刀 or 卩)+(l+又)」かもで、「斯=其(それ・その・キ・ギ)+斤(おの・キン)」であるが・・・
「波」とは水面の水そのものが、風、ある物体の相互に異なる力が衝突し、その中心から分かれて移動する水の皺(しわ)だろう・・・水面に小石を投げれば円形状の波紋、長方形の巻かれた絨毯を拡げる時に凸凹が同方向に波打つように描き広がるのと同じである・・・物体の強い力が他の物体の弱い力を「+-・凸凹」しながら波として伝播し動かすのである・・・
電波も光波も、音波も地震波も、そして、「重力波」も伝播する媒介「物体・物質」の存在無くしてはアリエナイが・・・「時」は「物質」では無く、「空」は「物質の密度」であるカナ・・・
「巳通度」・・・漢字文字は「三ツ戸・水戸」?・・・「三尸(サンシ)の虫」は「庚申の日の虫」・・・「三虫・三彭・伏尸(フクシ)・尸虫(シチュウ)・尸鬼(シキ)・尸彭(シホウ)」・・・60日目の庚申日」・・・
「地球ドラマチック・ツタンカーメンの謎~死の真相に迫る~」も面白かった・・・ミイラの分析、CGで全身の再現」・・・「知られざる素顔」は「現存・古事記」の「ヤマトタケル」の源泉の構想は「ツタンカーメン」だったカモ・・・先天性内反足、左足骨折、130本の杖、チャリオット6台、弓50本以上、矢数百本発見・・・癲癇病?・・・爪先変形、左足の人差し指の一部欠損、左足骨一部壊死・・・
タギタギしくなった「倭タケルの足」は「古事記」の記録・・・
「グレゴリオ暦1922年11月4日
↓↑
大正十一年十一月四日・・・大隈重信一月十日死亡
一月十四日国民総
明治二十二年
(1882年)10月18日
来島恒喜の爆弾テロで
右足切断
10月27日ファシスト党ローマ進軍
10月31日ムッソリーニ首相就任
↓↑ 12月30日ソビエト連邦成立
中華民国十一年
朝鮮主体十一年
ユリウス 歴1922年10月22日・土曜日
↓↑
壬戌年・庚戌月・丙子日・赤口
↓↑
イギリスの
カーナヴォン卿
の支援を受け
考古学者
ハワード・カーター
が発見」
↓↑
1922年2月28日・・・エジプト王国が英国から独立宣言
3月03日・・・水平社が「人権宣言」
↓↑
「ツタンカーメン(トゥト-アンクアムン=Tut-ankhamun
Tut-enkh-amen
Tut-enkh-amon
トゥト-アンクアテン
Tut-ankhaten)」
紀元前1342年頃~紀元前1324年頃
在位紀元前1333年~1324年
第18王朝の古代エジプト王(ファラオ)」
「アメンホテプ3世の王妃
ティイ
と
ツタンカーメン
の生母の
キヤ
のミイラも、アメンホテプ2世王墓で発見」
「父親は
アメンホテプ(Imen hetep
Amenhotep
アンクアテン
アクエンアテン)4世」
ーーーーー
・・・おやすみ、モモちゃん・・・
メリーさん、レイコンの「Why?の探究者」は「偏印」・・・?
・・・エジソンが初めて円筒式の「蝋管レコード・1877年12月6日発明・蘇言機、蓄音機)に吹き込んだのは「メリーさんのひつじ(Mary Had a Little Lamb)」、円盤式のレコード発明は「1887年にエミール・ベルリナー(Emil Berliner)」だった。彼は「ベルリーナ・グラモフォン(Berliner Gramophone)」を1895年、設立・・・コトバが音声として録音されるようになってから「139年=2016-1877」・・・「他人のコト-バ」の「本音」はワカラナイが、「自分のコト-バの意味」もワカラナクなる・・・兎に角、先ずは「他人のコト-バ」の意味や、「動作表現・ウゴ-キの指示」から教えて貰わないとハジマラナイが「ナゼ?、ドウしてなの?」の質問もせずにナントなく理解してきたような気がするが、それ以前に「ナゼ?」と質問し、それをどのように理解するかのコトバ自体が「?」・・・
「ビートルズ(Beatles)の原曲」の旋律を「オマージュ(仏語 hommage・)」として日本人の作曲家がトリ込んでいるとのTV番組で観たが面白かった・・・これって「パクリ(ぱくり)」とか「コピペ(こぴぺ)」ではないらしいが、コトバのマジック(magic)なのか、どうなのか、「オマージュ(仏語 hommage)」って言葉にもなって意味も「芸術、文学においては、尊敬する作家や作品に影響を受けて、似たような作品を創作する事・原義は尊敬、敬意」らしい。「モチーフ(モティーフ=motif」フランス語で「動機・理由・主題」ですか・・・・チョッと「借用」じゃぁダメらしいが、みんな、本質は借用して真似る中で「ナマ」って(?)、自分のモノ(?)になっていくんだろう・・・コラージュ(collage・糊付け)はどうなのか?、ウイキペデアには「ありとあらゆる性質とロジックの ばらばらの素材(新聞の切り抜き、壁紙、書類、雑多な物体など)の組み合わせで芸術的な創作技法」とあるのだが・・・
寒い・・・寒いから「温泉」にでも浸かりたいが、山に棲む「お猿さん」たちも「自然の温泉」に浸かっている・・・都会の「温泉」、「テルマエ(THERMAE)、バルネア (balnea)のROMAE=ローマ(大秦)帝国、古代ローマの公衆浴場(public bath・bathhouse)」ですか・・・で、「public」ってなに?・・・
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「浴室・浴場」
thermae、balneae、balineae、balneum、balineum
「熱い御湯」ギリシア語の形容詞
thermae =θερμός (thermós)=熱い
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古代の浴場建築
男性用・女性用の脱衣室・浴室で構成
各部屋はガラス窓で採光
入浴料は徴収
ボイラ―(boiler)で
水を沸かし、パイプで湯船に供給
公の施設で、
市民権を有す者なら誰でも利用できた
遺跡として遺る公衆の浴場
イギリス
ローマン・バス
ローマ
カラカラ浴場、ディオクレティアヌス浴場
ティトゥス浴場、トラヤヌス浴場、ヴァルナの浴場
コンスタンティノープル(東ローマ帝国)の
ゼウクシッポス浴場は
ニカの乱(Νίκα)
・・・ギリシャ語「ニカ=勝利・鬨の声」
532年の東ローマ帝国の
首都コンスタンティノープルで起きた、
皇帝ユスティニアヌス1世に対する反乱で破壊
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元々、天然、野天風呂、大衆浴場、公衆浴場、銭湯が発展してきた浴場発想なのに、上海の「大-江戸温泉」の名称、ナゼ、「大-上海温泉」としなかったんだか、この世の中の「歴史的な商売」、「近代資本主義商業」、商売は儲からなくちゃぁ、ハジマラナイ・・・「日本ブランド名」の方が「集客」できるからって、発想が「後進国」。「大-上海(申)温泉」で名を上げればイイのにと思うが、「商証権名=他人名の褌」を掠めとっての商売・・・問題は「特許権・商証権」がカネになる、と云うシステムである・・・
「漢字文字」は「漢字」と云われているから、「漢字」は本来、「中国ブランド」だろう。現在的に「漢字の文字自体」には「公認特許権」はないらしいが、チョッと「形」を変えて「デザイン(design)」として「特許」をトレば「使用権利」が発生するらしい・・・不思議なシステム・・・
「発明に対する独占権、特許権」・・・「儲けの仕組み」・・・「エジソン(Edison)」って・・・「獲自尊・重自損・恵持措夢・得自存」?かも・・・「時はカネなり(Time is money)=勤勉、時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし」・・・「蝋燭屋の17人兄弟の15番目」に産まれた
「ベンジャミン・フランクリン
(Benjamin Franklin)
1706年1月17日(乙酉・己丑・癸巳)・・・偏印(三合辛)
~ 偏官
1790年4月17日(庚戌・庚辰・甲申)」
の諺だが、「時は浪費なり」かもで、「人生に無用なモノはない」だろう・・・で、「発明はカネなり( is money)」は
「トーマス・アルバ・エジソン
(Thomas Alva Edison
トマス・アルヴァ・エディスン)」
1847年02月11日(丁未・壬寅・丙子)・・・偏印(甲)
~ 偏官
1931年10月18日(辛未・戊戌・丙午)」
だろう・・・
アメリカ合衆国の発明家で
蓄音器、白熱電球、活動写真など
1300の発明・起業家
スポンサーのJPモルガンにより
Edison General Electric Companyを設立し
配下のサミュエル・インサル、メロン財閥が
電力システムの事業化で
電力発電、
電送の企業系統を寡占した人物
「聴覚障害者」だったらしいが、
「努力の人・失敗と敗北の人
Edison General Electric Company
の出資株の過半を持つ
J・Pモルガン財閥から
社長の座を追われ、
社名から自分の名前も削除された人物」
でもあった・・・
「7人兄弟の末っ子(7番目の子供)」・・・「A(エー)はどうしてP(ピー)と呼ばないの?」と「Why?」を教師に連発する子供だった・・・アメリカはまさに「フランクリン」と「エジソン」の時代で、「資本」と「発明品」が融合した「法的権利の商品化」のグローバル化、大衆化であった・・・
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・・・
エジソンが吹き込んだ・・・ウイッキペデアで聴けるカモ・・・
「メリーさんのひつじ」
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Mary Had a Little Lamb
1877年12月6日(丁丑・辛亥・癸丑)
1.
Mary had a little lamb
Little lamb, little lamb,
Mary had a little lamb
Its fleece was white as snow.・・・fleece=羊毛
2.
Ev'rywhere that Mary went,
Mary went, Mary went,
Ev'rywhere that Mary went,
The Lamb was sure to go.
3.
It followed her to school one day,
School one day, school one day,
It followed her to school one day,
Which was against the rule.・・・against the ruleです
4.
It made the children laugh and play,
Laugh and play, laugh and play,
It made the children laugh and play,
To see a lamb at school.
5.
And so the teacher turned it out,
Turned it out, turned it out,
And so the teacher turned it out,
But it still lingered near.・・・lingered=居残った
6.
And waited patiently about,
Patiently about, patiently about,
And waited patiently about,・・・patiently=辛抱、根気強く
Till Mary did appear.
7.
"Why does the lamb love Mary so?"
Mary so, Mary so,
"Why does the lamb love Mary so?"
The eager children cried.・・・eager=切望・熱心・執拗く
8.
"Why, Mary loves the lamb, you know."
Lamb, you know, lamb, you know,
"Why, Mary loves the lamb, you know."
The teacher then replied.・・・answer, reply, respond
「Why does the lamb love Mary so?」
「Why,Mary loves the lamb,」
「子供に答えた」って?、ナンて、コタエたんだろう?
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エジソン
1887年
ニュージャージー州のウェストオレンジ研究室で
動画撮影機
「キネトグラフ」を発明
実は部下の
ウィリアム・ディックソンの発明
1893年
ウエスト・オレンジ研究所敷地内に
アメリカ初の映画スタジオ
「ブラック・マリア
(Edison's Black Maria)」
↓↑ Black Maria=囚人護送車=prison-van
1826年にHarlem USAで生まれ
この日の有名な「競走馬の名前」
1832年に2マイル・レースに優勝した競走馬
↓↑ 「Black Maria」の移送に関する記事に、
The Prison VanやThe Black Maria
というタイトルが付けられた
↓↑ 「black mail」=人を恐喝する・ゆする???
人に…するよう強要=強請する
BLACK+MAIL
スコットランド、イングランド北部
の農民は地主に地代として
銀貨で払った(white mail)が
海賊にも
略奪免除として
↓↑ 黒い牛を貢がされた(black mail)
を設立し、
ウィリアム・ディックソン、
ウィリアム・ハイセを監督に、
キネトスコープ用の白黒フィルムを制作
1901年
マンハッタンに
1907年
ブロンクス
に新しい
映画スタジオ
(Edison Manufacturing Company・Thomas A. Edison,Inc)
を設立、約1200本のフィルムを制作・・・
鉱山経営の失敗後
会社経営から引退
研究所に篭(籠)り
死者との交信の実験
(霊界との通信機の研究)
1914年12月
研究所が火事で全焼し約200万ドルの損害
その後も死者との交信についての研究・・・
1931年10月18日死亡、84歳
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・・・「霊魂現象」があるとするなら「物質の特異な現象?」であるから「カメラ」や「ビデオ」、「録音機」に捉えられたモノは「存在」する・・・そして、それらを感知する「人間の五感」や、「意識内部」に直接作用する「ナニモノ」かが存在するに違いないのは「脳波」が「脳内の電磁波機能」であることが現在的に「証明」されている・・・
「レコード盤の波溝を針がなぞり、その音波」が「真空管・トランジスタ・ゲルマニウム」の電流を媒介に増幅されてスピーカーから流れでる。映画フイルムに焼き付けられた波形が光を当てられ、その「光波」が電流を媒介に増幅され映像と共にサウンドとなって聴こえる・・・現在はホトンドの「情報機器」は「電気・電波」がデジタル化されて「視覚・聴覚」を刺激している・・・だが「電波」は直接的には感知されない「電磁波の動的な波及力、伝播力」である・・・それらの「波及、伝播」する「存在物」が「存在」する、と云うコトである・・・「霊魂・霊波」が「モノの現象」であっても不思議ではない・・・
老いぼれて余裕のある「人間」は「死者の零根の存在」を追求したくなるらしい・・・特に「Why?」連発のエジソンや、
コナン-ドイル(Conan Doyle)
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1859年5月22日(己未・己巳・庚申)・・・偏印(戊)
~ 印綬
1930年7月7日( 庚午・壬午・戊午)
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が興味を持つのも当然だった・・・だが、「科学」としての境界線は、貧乏人が財産を得ることに、「商売」で一財産を手にした人間や、国家権力の頂点に登った人間には「ダマされやすい領域」でもあるカナ・・・