・・・「鶴の恩返し(夕鶴)」、「雀の恩返し・舌切り雀」・・・「恩返し=おんがえし=音反し=反響・こだま(木霊・echo・木魂)・やまびこ(山彦)」・・・阿倍に阿(おもねる)永田町・・・イナダ崩靡?、自衛隊法61条違反・・・「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」・・・シモムラ剥文?、違法献金疑惑・・・「博友 会が同学園から200万円献金」・・・?・・・「除喩烏罠衆」党・・・?・・・「自由罠主」党・・・なるほど・・・
ーーーーー
異床異夢・・・安倍仲麻呂&安倍皇女(称徳、孝謙天皇)
乳離れした親子
モノ心ついた兄弟姉妹
市民個々人のAmbitious
異床慟夢・・・片思いの男女
ロミオ&ジュリエット
おさん&小春
同床同夢・・・去年まではモモちゃんだった・・・
聖母と子・爺婆と孫
紙屋治兵衛&と遊女小春(心中天網島)
蘇我馬子&炊屋姫(推古天皇)
石舞台古墳=馬子の桃原墓
(奈良県明日香村島之庄)
堂床童夢・・・聖徳太子(厩戸皇子)&蘇我馬子
上宮王院夢殿=八角堂
天平十一年(739)頃
行信の創建
本尊は救世観音
同床異夢・・・恋人・愛人・夫婦
遊女&男
銅床慟夢・・・田中正造&鉱山労働者
銅山&渡良瀬川の鮎の大量死
銅床働夢・・・古川市兵衛&鉱山労働者
足尾銅山(栃木県上都賀郡足尾町・日光市足尾)
銅床道夢・・・陸奥(みちのく・松尾芭蕉)の道夢
銅床導夢・・・和銅五年一月二十八日
↓↑ 和同開珎-鋳造=チュウゾウ=忠蔵・忠造
↓↑ 則天武后(武照)&元明天皇(阿閇皇女)
(阿閉皇女)
閇=閉=とじる・とざす・しめる・しまる
ヘイ=出入り口を閉じる・隙間なく塞ぐ
閉口・閉鎖・閉塞・閉門・開閉
密閉・幽閉
おしまい
閉会・閉校・閉山・閉店・閉幕
・・・「阿閇=阿閉」とは何か?
「阿毎=阿倍」王朝の閉幕だろう・・・
↓↑ ↓↑ ↓↑
元明天皇=(661~721)
第四十三代天皇(在位707~715)
名は
日 本 根子天 津御代豊 国 成 姫
(やまと ねこ あまつみよとよくになりひめ)
豐 國(圀)
似 本 今史天 秦音代報 告 正 規
転 進 上記・条規
↓↑
安閇(あべ)
天智天皇の皇女
母は
蘇我倉山田石川麻呂の娘
草壁皇子の妃
子は
文武(輕瑠皇子)
元正(氷高皇女)
吉備内親王(長屋王の妻)
↓↑
和同開珎鋳造
平城遷都
「古事記・・・711年(和銅四)9月18日
太安万侶(安麻呂)に詔し
稗田阿礼の誦みを筆録献上を命じた
筆録し三巻の書物とし
712(和銅五)年一月二十八日奏上」
712年辛亥(戊・甲・壬)
001月辛丑(癸・辛・己)偏印
028日癸丑(癸・辛・己)
「風土記」の編纂
「日本書紀・720(養老四)年5月21日癸酉」
720年庚申(己・壬・庚)
005月辛巳(戊・庚・丙)
021日戊子(壬・ ・癸)
↓↑ ↓↑ ↓↑
元正天皇
天武天皇九年
(680年)
~
天平二十年四月二十一日
(748年5月22日)
第四十四代天皇
在位、
霊亀元年九月二日
レイキ=零紀・例記・麗記・例規?
(715年10月3日)
~
養老八年二月四日
(724年3月3日)
父は草壁皇子
母は元明天皇
名は
氷高=ひたか・ヒョウコウ=標高
=日高
新家(にいのみ)
和風諱号
日 本根子高 瑞 浄-足-姫天皇
(やまとねこたかみずきよ
↓↑ たらしひめ)
↓↑ 似知本金氏交譚条則記転向?
ー↓↑ーーー
「長孫無忌」の名前の「?」
↓↑
和気清麻呂(わけ の きよまろ)
磐梨別乎麻呂・・・・・磐=般+石
(平麻呂)の子・・梨=利+木
↓↑ 別=叧(另)+リ(刀)
乎=に・を・より・よぶ・コ・ウ
場所・時間・目的・比較
語調を強める助字
「確乎・断乎」
=か・や・かな
疑問・反語・仮定・詠嘆の助字
どうして・・・か?
ああ、スゴイと感嘆する語
「よぶ=呼」
確乎・儼乎(ゲンコ)・純乎・断乎
炳乎(ヘイコ)・茫乎・凜乎(リンコ)
牢乎(ロウコ)
「乎」の変形が片仮名の「ヲ」
須佐能乎命=須佐之男=須佐乃袁
須佐能袁
素戔男=素戔嗚
「乎」麻呂→「平」麻呂
・・・「乎」を「平」にしている所が「?」で
怪しい・・・
↓↑ 麻=萬・万・・・麿
↓↑ 呂=音率のロ・・麿
氏姓は当初
磐梨別公(いわなしわけのきみ)・・・磐の梨の別の公
藤野(輔治能)真人・・・輔(たすけ)の治(おさむ)の能力
↓↑ 輔佐・輔弼(ホヒツ)
輔=すけ=律令制の省の第二等官
↓↑ 書きかえ
「補」が書きかえ字
匡輔・公輔・宰輔・左輔
師輔
輔(たす)ける
救助する(危険から援ける、救う)
車の添え木
重い荷を積んだ車輪の補強の木
荷が落ちないように
車の両側に付ける板=輔車
頬骨(ほおぼね)=輔車
顎(あご)=上顎=輔車
すけ(省の第二等の官
↓↑ 長官の次の官・次官)
和気宿禰
和気朝臣
官位は
従三位・民部卿
贈正三位、正一位
↓↑
「和気-清麻呂」・・・「訳(わけ)の記与のマの呂」?
は
称徳、孝謙天皇に
「別 部 穢 麻呂
別=わける・ベツ
部=ぶ・べ・バイ
穢=禾+歳=きたない=汚
=よごれ=汚れ・汙れ
(わけべ の きたなまろ)」
と改名されて
大隅国(鹿児島県)に流罪
女帝死後
清麻呂は
桓武朝・・・桓武天皇(天平九年・737年
↓↑ ~
延暦二十五年三月十七日
806年4月9日)
第五十代天皇(在位
天応元年四月三日
781年4月30日
~
延暦二十五年三月十七日
806年4月9日)
↓↑ 名=山部(やまのべ・サンブ・サンベ)
日 本根子皇統 弥 照 尊
(やまとねこすめろぎいやてりのみこと)
「山」は
「足曳き・足を引き・あしびき・アシヒキ」
に掛かる枕詞
足を引いて喘(あえ)ぎつつ登る意
山すそを長く引く意など
「足日木乃 山鳥之尾乃
四垂尾之 長永夜乎
一鴨將宿
(万葉仮名)
↓↑ ↓↑ ↓↑
あしびきの 山鳥の尾の
しだり尾の ながながし夜を
ひとりかもねむ・・・?
(柿本人麻呂・拾遺集・恋三・七七三)
↓↑
「足引之 山河之瀬之
響苗尓 弓月高
雲立渡」
↓↑ ↓↑ ↓↑
あしひきの 山川の瀬の
鳴るなへに 弓月が獄に
雲立ち渡る・・・?
(柿本人麻呂・万葉集巻七・六番)
柿本人丸とも」
↓↑ ↓↑ ↓↑
「かき=柿=木+市(いち・シ・亠+巾)」の類字は
「こけら=杮=木+市(まえかけ・ふつ・十+冂」
「徐福(ジョフク)=徐芾
=徐市(ジョフツ)→市」
「こけら(杮)」は
「木屑(きくず)、鉋屑(かんなくず)
柾(まさ)葺き屋根の欠片(かけら)
柾(まさ・まさき)は国字
屋根葺きの屑」である・・・
「こけら落とし」とは
↓↑ 建築物完成時の
屑(煤)掃(払)いデアル・・・
・・・なるほど、
「経津-主(フツ-ヌシ)=布津-主」ですか?
↓↑
「ヘツ-あるじ」では・・・or「払-主」
↓↑ 「布袋(ほてい)様」
「キョウシン=教信・共振・狂信・強震」の主?
↓↑ ↓↑ ↓↑
「割烹着=エプロン=前掛け=市(一巾・十冂)」は
調理人(膳部・高橋)か、
醫(くすし・医者)・薬剤師・土師
が汚れを防ぐ為に着けるだろう・・・
「膳部=かしわべ=柏部=栢部=鶏肉部」
↓↑ ↓↑ ↓↑
で、
「あしびき」だったが、万葉仮名では
「安之比奇=足日木=足引=足桧木=足曳」
↓↑ ↓↑
「足入れ
婚姻成立の祝いを婿方ですませた後
ある期間は夫婦の寝所を嫁方に置き
その後、妻が夫の家に移る婚姻形式
↓↑
婚姻の正式の披露をあとまわしにし
先に嫁が婿方の家に入ること
正式の婚姻成立祝いを待たず
仮の祝儀後、女性が夫の家族に入る婚姻
↓↑
あしいれ=カドイレ=シキマタギ
農家の結婚式は
農閑期の冬に行われ
嫁が労働力として
冬まで待てない時に
足入れ婚が行われた
嫁が夫方に試験的に同居し適応性が
あるかないかのお試し期間
↓↑
婚姻成立祝いだけで
嫁は実家に帰り
婿が泊まりに通う
妻問い婚を一定期間とり、後に
嫁が婿方の家へ移り住む
内祝言の後、
嫁が婿方に移り住む風習」
・・・じゃぁ、
「あしびき」とは「あしいれ」
が拒否され、出戻った
あるいは、
嫁が主体的に拒否し、出戻った
ってコトか?
・・・理由は・・・
「石女=うまずめ」か、「病弱女」だった?
あるいは逆の
「藁(ワラ)の男=案山子
=やくたたず=木偶」か、
「病弱男」だった
「旧約聖書」ではイサクの子、
「ヤコブ」の話し・・・狡(ずる)賢い者が
権力と
富を得る・・・?
母親は狡猾な子を愛する?
イサクの妻
リベカの兄で、
ヤコブの伯父
ラバンが・・・ラバン=白の意
ヤコブを・・・ヤコブ=踵(かかと)を捉える者
押しのける者」
7+7=14年間タダ働きさせたハナし
イサクの家で、
双子の
兄エサウと弟ヤコブが争い
ヤコブが母、リベカの策謀で
長子の権利を得たが
兄エサウは怒った
母、リベカはエサウの怒りを怖れ
ヤコブを
ラバンのもとに逃亡させる
そこでイサクは
ラバンの娘
ラケル・・・・後にラケルはヨセフを産んだ
に恋をした
ラバンはラケルとの結婚条件として
七年間の無償労働を要求し
七年間の後に偽って、
別なラケルの姉
レアと結婚させた
ヤコブは抗議したが、
ラケルとの結婚条件として
更に
七年間の労働を要求された
ヤコブは約束を果たし
ラケルと結ばれ
更にラバンの下で働くコトを要求され
富を得た後
ラバンから
自分の財産と全家族をつれて逃亡
後、ヤコブを追ってきたラバンと和解
ラバンの提案で
「石の柱」を立てて、
契約(和解、平和条約?)を結び、
帰郷の途中、
天使と「相撲」をし、
股関節をイタメ
足を挫かれて跛になったが
「神と闘った者=イスラエル」
と云う名を与えられた
兄のエサウとも和解しメデタク帰郷・・・
↓↑ ↓↑ ↓↑
で、婿養子として
拒否された男は・・・「須佐之男」
or
「天之日矛=日桙=天日槍命
天日桙命=海檜槍」で
「阿加流比売=倭人・日本人←阿毎の姫?」
にフラれた・・・比売(姫)は
難波へ向い
難波の比売碁曾(ひめごそ)社の祭神となった
↓↑ ↓↑ ↓↑
「新羅(前57年~935年)
朝鮮半島南東部にあった国」の皇子
「新羅」=503年に正式国号
新羅、高句麗、百済が鼎立
7世紀中ごろ朝鮮半島統一
内乱や飢饉で弱体化させ
「高麗」に降伏し、滅亡した・・・
高麗王朝
↓↑ ↓↑ ↓↑
高麗(918年~1392年)
918年
王建(太祖)が建国
936年に朝鮮半島の
後三国を統一
1392年の
李氏朝鮮建国まで続いた
首都は開京
高麗の領土は
朝鮮半島
元山市や 鴨緑江まで
高麗(Korea・Corée)の文物
高麗青磁
高麗八萬大蔵経
等
1234年
銅活字の
青銅製の活字が作られ
1377年
直指心体要節
世界最古の
金属活字での出版
↓↑ ↓↑ ↓↑
弓裔(キュウエイ)
後三国時代の群雄
後高句麗の建国者
姓は金→金王朝=清国=女真(女直)→鮮卑
=燕王朝=渤海=満州=高句麗→高麗
↓↑ ↓↑ 愛新覚羅
(アイシンギョロ)
↓↑ ↓↑ アイシンカクラ・・・阿意晋掛句等?
僧号は善宗
隻眼で
一目大王・・・天目一箇神=一目連神=一目一足
天目山=元は木賊山(とくさやま)
山梨県甲州市
大和町木賊
大和町田野
にある峠の山
天正十年三月十一日
(1582年4月3日)
武田勝頼の滅亡の地
棲雲寺(栖雲寺)がある
=浙江省北西部、安徽省との
省境付近を南西~北東方向に
走る山地・東天目山と西天目山
最高点は西天目山の竜王山
唐傘小僧=傘(からかさ)の妖怪
唐傘一本足のお化け
江戸時代以後に登場・・・
アメ(雨)の降らない時は閉じる
の別称・・・・一ツ目小僧=唐傘の一目一足になる
天目茶碗=中国宋代に浙江省
天目山の禅院で使用され
福建省建陽県水吉鎮の建窯などで
造られた鉄質黒釉の茶碗
新羅の
第47代憲安王
或いは
48代景文王(憲安王の婿)
の側室の子・・・
↓↑ 901年
自らを王を称し
後高句麗を建国
開城に遷都
国号を高句麗とし
904年
国号を
摩震(摩訶震旦の略)に改め
年号を
武泰と定めた
905年
鉄円(江原道鉄原郡)に遷都
911年
国号を
泰封に改め
年号を
水徳万歳
と定めた
弓裔は自らを
弥勒菩薩と自称
918年
「易姓革命」で
侍中であり有力な部下であった
王建に追放され、殺害された・・・
王建(太祖)が
高麗王朝を建国し
936年に朝鮮半島の
後三国を統一
↓↑ ↓↑ ↓↑
「烏桓=烏丸=鴉満留←高句麗←金(満州)
↓↑
女真(ジュルチン)←渤海国(靺鞨族)
渤海滅亡後、遼王朝に服属
↓↑
「三本足のカラス」?
それでも
案山子は「藁で束ねても男は男」→腐ってもタイ?
・・・寝言を云っている間にタイを喰って腹痛?
↓↑ ↓↑ ↓↑
足=あし・たり・ソク=葦(蘆)・垂り・促(即)
脚肢・多利・速則
足=頭領・大王・天皇・盗賊の首領
・・・鎌足=金を兼ねる足(たり)?
↓↑ ↓↑ ↓↑
「足=たらし=垂し・あし=阿史=阿毎」
第六代孝安天皇
日本-足-彦国押人
(やまとたらしひこくにおしひと)
第十二代景行天皇
大-足-彦忍代別
(おおたらしひこおしろわけ)
第十三代成務天皇
稚-足-彦
(わかたらしひこ)
第十四代仲哀天皇
足-仲彦
(たらしなかつひこ)
↓↑
足羽山(あすわやま)の
第二十六代継体天皇・・・足柄山の金太郎?
男大迹王
(をほどのおおきみ)
↓↑
第三十四代舒明天皇
息長-足-日広額
(おきながたらしひひろぬか)
第三十五代=三十七代
皇極天皇=斉明天皇
天豊財重日-足-姫
(あめとよたからいかしひたらしひめ)
↓↑ ↓↑
桓武天皇・・・桓=marking post
↓↑ たけしい・めぐる・うれえる
カン・ガン
=郵亭(宿場)のしるしとして
宿場の周りにたてた木
棺を墓穴に降ろすため四隅に立てる柱
烏桓(呉音:ウガン・漢音:オカン
拼音: Wūhuán)
=紀元前1世紀~紀元後3世紀
中国北部(内モンゴル自治区)
に存在し民族
↓↑ 「烏丸」とも表記
光仁天皇の第一皇子
794年平安京に遷都
↓↑ 坂上田村麻呂を征夷大将軍として東北地方に派遣
で実務官僚
山背国葛野郡宇太村
を選んで
平安遷都の建設を進言し
延暦十二年(793年)
造営大夫
↓↑
備前国
藤野郡(岡山県和気町)出身
神護景雲三年(769年)七月頃
宇佐の神官を兼ねていた
大宰府の主神(かんつかさ)
中 臣 習宜 阿曾麻呂
(なかとみのすげのあそまろ)
が宇佐八幡神の神託として、
天皇が寵愛を与えていた
道鏡を皇位に就かせれば
天下太平になると
称徳天皇へ奏上
道鏡はこれを信じ
皇位に就くことを望む
↓↑
称徳天皇は側近の尼僧
和気広虫(法均尼)・・・和気の広い虫(むし)
訳 のマダレのムの中のム?
を召そうとしたが、
虚弱な法均では
長旅は堪えられぬため、
弟の清麻呂を召し、
姉に代わって
宇佐八幡の神託を確認するよう、命じる
清麻呂は天皇の勅使として八幡宮に参宮
宝物を奉り宣命の文を読もうとした時
神が禰宜の
辛 嶋 勝 与曽女・・・・・よそ目=余所目
(からしまのすぐりよそめ)
よそ目=よそから見たところ・はたの見る目
よそみ・余所目をはばかる
よそのことのように見る
傍観する
第三者の目で観る・客観的な目
第三者的視点・客観的視点
世間の目・他者の目・他人の目
他人の視線
に託宣、
宣命を訊くことを拒む・・拒む
清麻呂は不審を抱き、
改めて
与曽女に
宣命を訊くことを願い出て、
与曽女が再び神に顕現を願うと、
身の丈三丈、
9mの僧形の大神が出現し
大神は
再度宣命を
訊くことを拒むが・・・・拒む
清麻呂は
与曽女とともに
大神の神託、・・・・・・拒まれたのだから
「神託」は無かった?
↓↑
「天の日継は必ず
帝の氏を継がしめむ。
無道の人(道鏡)は
宜しく早く掃い除くべし」
↓↑
を朝廷に持ち帰り
称徳天皇へ報告
(宇佐八幡宮神託事件
神護景雲三年(769)九月二十五日)
清麻呂の報告を聞いた
称徳天皇は怒り、
清麻呂を
因幡員外介にいったん左遷
さらに
別 部 穢 麻呂
(わけべ の きたなまろ)
と改名させ
大隅国(鹿児島県)に流刑
神護景雲三年十月一日(769年11月7日)
称徳天皇が詔を発し
道鏡に皇位は継がせないと宣言し
事件が決着した・・・?
↓↑
神護景雲四年(770年)八月
称徳天皇は崩御
道鏡は失脚
清麻呂は
光仁天皇により
従五位下に復位
後、
播磨・豊前の国司を歴任
美作・備前両国の国造に任じられた
延暦四年(785年)
神崎川
と
淀川
を直結させる工事
平安京方面への物流路を確保し
延暦七年(788年)
23万人余を投じ
上町台地を開削し
大和川を直接
大阪湾に流し
水害を防ごうと
工事を行ったが
費用がかさんで失敗
清麻呂は
桓武朝で実務官僚として重用
山背国葛野郡宇太村
を選んで
平安遷都の建設を進言
延暦十二年(793年)
自ら造営大夫として尽力
延暦五年(786年)
民部卿として
民部大輔の
菅野真道
とともに庶政の刷新にあたった
桓武天皇の勅命により
天皇の母
高野新笠・・・「高野の新笠」って名前か?
新笠=立木斤竹立
720年頃生~延暦八年十二月二十八日
(790年1月21日)
父は高野乙継(和乙継)・・・和の乙の継ぎ
母は大枝真妹(土師真妹)・・・大枝=大江
↓↑大江音人は備中権介・大枝本主の嫡男
光仁天皇の宮人、後に夫人
桓武天皇・早良親王・能登内親王の生母
桓武天皇の即位後、皇太夫人
薨去後、贈皇太后、贈太皇太后
諡号は
天高知日之姫尊
の出身氏族
和氏の系譜を編纂・・・「和」氏の系譜とはナニ?→「倭」氏
和氏譜として撰上
子の広世・真綱
らは、父の没後に
官人として活躍
広世は最澄を招聘し
高雄(たかお)の
法華会(ほっけえ)を開き、
天皇へ最澄を斡旋して勅を蒙り、
唐へ留学させ、
五男・真綱と
六男・仲世は
高雄山で
最澄と共に
空海から密教の灌頂を受け
仏法に帰依
姉の
和気広虫(法均尼)・・・和気清麻呂の姉
は夫
葛城戸主(かつらぎのへぬし)
とともに、
孤児救済事業・・・
ーーーーー
・・・???・・・
同床異夢=ドウショウイム=同相忌ム・・・
「ア・シ」の同音異字・・・アマアシが速い・・・
・・・前回、「足=あし」にコダワッタが、今回も「あし・アシ」にコダワル・・・
ーーーーー
足尾地名
↓↑
ねずみ(鼠)の話
「勝道上人」という僧侶が
日光の寺にいたとき
ある日一ぴきの「ネズミ」が
粟や稗の穂を
咥(くわ)えて
どこからともなくあらわれたり
姿を消したりしたので
上人はこの山奥に
粟や稗の穂があるはずがないと
不思議に思って
ネズミの足に
ひも(緒・紐)を結び
目じるしにして
あとをつけてみると
山の麓(ふもと)の方に
人家があった
そこで上人はここを
「足緒」と名付けた
後に
「足尾」となった
山の
麓(ふもと)・・・足尾=山裾(やますそ)?
「足」は「山」ではないが、
「あしび-き=足曳き・足引き」は
山(やま・やま-い)に掛かる枕詞
「足尾」=「あしビ(き)・たりビ(き)」
「尾=尸+毛」・・・屍の毛人(蝦夷)?
の延びたところを
「尾」ということや
山の峰つづきを
「尾根(おね)」・・・
足尾の近くには
「細尾」や
「粕尾」→粕尾峠(かすおとうげ)
栃木県鹿沼市(上都賀郡粟野町)
から
日光市(上都賀郡足尾町)を結ぶ峠
という地名がある
ーー↓↑ーー
粕尾七不思議(かすおナナふしぎ)
栃木県鹿沼市(旧粟野町)
粕尾地方に居た名医
中野智玄(録事法眼・録事尊)
の雷神の治療伝説と関連づけて語られ
鹿沼市(中・上)粕尾の
思川沿いの
不思議のうちの七つを集めて言う・・・
「粕尾の民俗」
不思議の原因説明されている
↓↑
雷による怪我(ケガ)の被害がない。
「思川」の川筋が変らない。
「思川」の川越えをする地点が変らない。
川沿草地の雑草の背丈が
1尺程度と低く
「チチコグサ=父子草」が生えない。
「蚤(ノミ)」のたかった「猫」が居ない。
「鶉(ウズラ)がここでは鳴かない。
「轡虫(クツワムシ)」や
「鈴虫(スズムシ)」の鳴き声が小さい。
平安時代末、or 鎌倉時代に
ここに居たと言う名医、
中野智玄の治療した
雷神からの
恩返し伝説で理由付け
地元の寺院
常楽寺に残る記録、
「録事尊縁起」によれば、
「後鳥羽上皇の病」を治して
「録事法眼」の号を受けた名医、
中野智玄の所へ、
病に難渋する雷神がやってき
治療をして貰い完治し
御礼に、この地域へ雷害が無い事を約束
雷神の神力による
降雨により、
思川の治水工事を完成させ、
思川の川の
流れや形が
末代まで変らないようにさせた
その為、
「下・中・上粕尾」では、
治水工事をしなくても
水害が無い
中粕尾の中で
布施谷地区~森地区
までの間だけは、
雷神の事業から除外され、
治水の効力は概ね
粕尾城跡より上流の地域か、
常楽寺のある下粕尾かに
分断されているとの
「但し書き伝説」がある・・・らしい・・・
雷神より
「龍起雷論」と言う医学書を賜った・・・
ーー↓↑ーー
勝道上人とゆかりのある
鼠(ねずみ)が
入ったという
祠(ほこら・洞)・・・「猫ヶ洞」って名古屋にもあった
が
大黒橋のたもとにあり
波之利大黒天・・・「ハシリ」or 「なみのり」か?
として祀られている
大黒天まつり
川は
渡良瀬川
支流に袋川
北に続く
足尾山
山川遺跡
長林寺遺跡
宮先古墳群
前方後円の
山川鞍部古墳群
↓↑
足利
↓↑
「フランシスコ・ザビエル」が
「日本国中最も大にして有名なる坂東の大学…」
と紹介した・・・
「足利学校」
「足利」=「和名抄」に
「阿志加々」・・・「阿(毎)の志し」を
「加えに加える」?
足利氏発祥の地
「アシカガ」=「葦+カガ(草地)」
「葦か処(ガ)」
「アシ」=崩れそうな断崖地形?
古語「アス・アズ」+「カガ(草地)」
足を踏み入れては
いけない神聖な土地(禁足地)
↓↑ ↓↑ ↓↑
標=神や人の領有区域で
立ち入りを禁ずる標識
道しるべの標識
縄を張ったり、木を立てたり
草を結んだりする
標縄(しめなは)」の略
・・・アシを入ることを忌む領域・・・バリア(barrier)
標野(しめの)=皇室、貴人が領有し
一般の立ち入りを禁止した野
狩り場 などに用いた
「禁野(きんや)」とも
万葉集 二〇
「あかねさす
紫野(むらさきの)行き
標野(しめの)行き
野守(のもり)は見ずや
君が袖(そで)振る
↓↑
あかねさす紫野行き
標野行き
野守は見ずや
君が袖振る
↓↑
天皇の、蒲生野(かまふの)に
遊猟(みかり)したまひし時に、
額田王の作れる歌
↓↑
あかねさす
紫野(むらさきの)行き
標野(しめの)行き
野守(のもり)は見ずや
君が袖振る
巻一(二十)
↓↑
万葉仮名
茜草指
武良前野逝・・・逝=死ぬことを婉曲にいう語
逝去・永逝・急逝・長逝
夭逝 (ヨウセイ)
標野行・・・・・行=往く
野守者不見哉
君之袖布流
↓↑
紫草(むらさき)の
にほへる妹(いも)を
憎くあらば
人妻ゆゑに
われ恋ひめやも
↓↑
万葉仮名
紫草能
尓保敝類妹乎
尓苦久有者
人嬬故尓・・・嬬=女+需=女嬬・女孺・女豎=ニョジュ
吾戀目八方 律令制で、宮中に仕えた下級の女官
堂上の掃除、灯油のことなどを掌どった
女の童(わらわ)・にょうじゅ
中国では「后・妃・夫人・嬪(ひん)」
などに仕えた女官
嬬恋=嬬恋村の名前由来
第十二代景行天皇の皇子
「日本武尊」の東征中
愛妻「弟橘姫」が海に身を投じ
その東征の帰路、
碓日坂(鳥居峠)で
「吾嬬者耶(あづまはや)=ああ、わが妻は
もはやいない
という故事にちなんで
「嬬恋(つまこい)の村」と名付けた
妻=嬬
嬬=女官=かんにょ・カンジョ=官女・勘如
↓↑
吾戀目八方=われ恋ひ-め-やも(八方=者耶)?
↓↑ 「目-八方」は
↓↑ 同音異字が多数掛けられている?
大海人皇子(おおあまのみこ)
↓↑
紫の、匂(にほ)へる妹(いも)を
憎くあらば、
人妻ゆゑに、
我れ恋ひめやも
↓↑
紫のように美しい君
君を憎く思うのなら
人妻になったゆえに
わたしの想いはつのるのだ
↓↑
額田王=最初は「天武天皇の妃(采女や巫女・愛人)」で
↓↑ 娘の「十市皇女」を産み・・・十一・拾壱・足壹
↓↑ 後に「天智天皇の側室」となった・・・?
↓↑ 「十市皇女」は「大友皇子(弘仁天皇)」の妃
「日本書紀に曰く
(天智)天皇、七年の夏五月五日
蒲生野(がもうの)で狩が行われ
皇太弟(大海人皇子)、
諸王
内臣(うちのまえつきみ)
及び
群臣(まえつきみたち)
皆ことごとく従った
ーー↓↑ーー
・・・「足」の地名・・・
↓↑
足洗
足尾
足門
足川
足久保
足込
足摺岬
足高
足立
足谷
足次
足成
足野
足原
足深
足水
足守
足山田
足代
足近
足助
足羽
足高
歌津名足
大足
夏足
鎌足
金足
上足洗
上足寄
上種足
旭志尾足
屈足
日足
神足
坂足
下足守
下種足
地不足道
千足
洗足
立足
足袋
足崎
足田
足山
足沢
足見
知足
左足
都喜足
十足
中足寄
足保
水足
上井足
下井足
意足
発足
日足
平足
帆足
足坂
溝足
足袋針
足見
百足屋
茂足寄
足駄木
勇足
過足
鷲足
ーー↓↑ーー
足尾銅山
1550年(天文19年)に発見
1610年(慶長15年)
百姓二人が鉱床を発見
足尾に幕府は
鋳銭座(寛永通宝の発行)設置
↓↑
足尾鉱毒事件
1891年(明治二十四年)
田中正造
明治天皇に直訴
衆議院議員当選6回
幼名は兼三郎
下野国
安蘇郡・・・ナゼか「安蘇=あそ」?
小中村
↓↑
田中正造は
1901年(明治三十四年)十二月十日
「亡国に至るを知らざれば
之れ即ち亡国の儀につき質問書」
を
明治天皇に
足尾鉱毒事件について直訴
直訴状は、
幸徳秋水が書き田中が加筆修正
↓↑
1902年(明治三十五年)
渡良瀬川下流に貯水池計画浮上
建設予定地の
埼玉県
川辺村・利島村
の
反対運動に参加し、
貯水池計画は白紙撤回
1903年(明治三十六年)
栃木県下都賀郡谷中村に
貯水池計画
1904年(明治三十七年)七月
谷中村に居住
栃木県会は秘密会で
谷中村買収を決議
貯水池工事開始
1906年(明治三十九年)
谷中村議会は
藤岡町への合併案を否決
だが、
栃木県は
「谷中村は藤岡町へ合併した」
と発表
谷中村は強制廃村
田中はその後も谷中村に住み続け
1907年(明治四十年)
政府は土地収用法の適用を発表
「村に残れば犯罪者となり逮捕される」
と威し
村民が村外に出たが
田中は強制破壊当日まで
谷中村に住み続けた
1908年(明治四十一年)
政府は谷中村全域を河川地域に指定
↓↑
1911年(明治四十四年)
旧谷中村村民の
北海道
常呂郡
サロマベツ原野
への
移住が開始・・・
北海道常呂郡
訓子府(クンネップ)町?
常呂町(ところちょう)は、
↓↑
北海道網走支庁管内の
常呂郡に存在した町で
↓↑
2006年(平成18年)3月5日
に
北見市、留辺蘂町、端野町
と新設合併し、
北見市の一部となった
(住所表記は北見市常呂町)
↓↑
「桃原墓」・・・ハライソ
奈良県
明日香村
島之庄
の
石舞台古墳=蘇我馬子・・・馬韓=百済・・・邪馬台国
(馬子=うまこ
=バシ=馬史(司馬遷)→馬太
=まご=孫→天孫降臨)
日本古代の乳製品
醍醐・蘇・配・乳耕 (乳月南)
の4種
ー↓↑ーー↓↑ーー↓↑ーー
蘇我・・・耶蘇教・・・基督教・・・景教
↓↑
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E5%AE%9A%E6%96%B9
↓↑
蘇定方(ソテイホウ)
↓↑
592年~667年
名を烈
字は定方
本貫は
冀州
武邑県
蘇邕の子
隋末に
蘇邕は
郷里の数千人を率いて
叛乱の討伐にあたった
定方は15歳で
父の下で従軍し
蘇邕が死去すると
代わってその部衆を引き継ぎ
劇県・・・・劇に懸る?
の
叛乱軍の
張金称
楊公卿
らを撃破
叛乱軍は郡境を犯さなくなり
郷党はかれを頼りにした
後、
竇建徳・・・竇(あな)の=中国語読み「ドゥオー・dou」
鼻窦炎副鼻腔炎
疑窦疑わしい点
狗窦(塀などに設けた)
犬の出入りする穴
情窦未开初(ウブ)
男女間の性的関係について
ウブ・・・
建(たける)の
徳(とく)
の麾下に入り
竇建徳
の部将の
高雅賢・・・高の雅(カラス)は賢(かしこい)?
に気に入られ
高雅賢の養子となった
高雅賢
と
劉黒闥
が死ぬと、
定方は郷里に帰った
↓↑
唐の
貞観初年
匡道府折衝となり
李靖の下で
二百騎を率いて
突厥を攻撃の先鋒をつとめ
霧の中で
牙帳・・・牙帳=將帥所居的營帳
前建牙旗、故名
(周書・異域傳下・突厥)
可汗恒 處於都斤山
牙帳東開、蓋敬日之所出也。
陣地・帳幕・ゲル
↓↑
を襲撃
突厥の
頡利可汗
は狼狽して逃亡
李靖が到着すると
取り残された
突厥の一党はことごとく降伏
凱旋すると
定方は
左武候中郎将に任ぜられた
永徽年間に
左衛勲一府中郎将に転じた
程名振・・・程(ほどよく)名(なまえ)を振(ふる)
とともに
高句麗を攻撃
(唐の高句麗出兵)
して、これを破った
右屯衛将軍に任ぜられ
臨清県公に封ぜられた
↓↑
656年
程知節に従って
前軍総管をつとめ
阿史那・・・・阿史那(アシナ)?・・・足名・葦名・蘆名
Athena=Athens=アテネ=雅典=当て音
賀魯・・・・・賀魯(ガロ)
を攻撃
鷹娑川にいたり
阿史那賀魯
が2万騎を率いて対陣すると
蘇定方は総管の
蘇海政・・・蘇(よみかえる)海(あま)の政(まつり)
とともに連戦
決着はつかず
突厥の
別部の
鼠尼施・・・鼠(ねずみ)の尼(あま)の施(ほどこし)
らが
2万騎を率いて敵方に来援
定方は騎兵の精鋭500を率い
山嶺を越えて敵陣に討ち入り
大いに破り
1500人あまりを殺害
多くの武具や牛馬を鹵獲
唐の軍中では
副大総管の
王文度・・・王(おう・ワン)の文(あや・ふみ)の度(たび)
が味方の
疲労と士気の低下を見て
深入りを諫め
定方は追撃を主張して争った
程知節・・・程(ほどよく)知(しる)節(ふし)
が
怛篤城にいたり、
胡人を降伏させると、
王文度は
降胡を殺して
財貨を奪うことを主張し
定方はこれに反対
王文度は聞き入れず
財貨を分配したが
定方はひとつも取ることがなかった
高宗がこのことを知ると
程知節らが帰還した後
王文度を庶民に落とした
↓↑
657年
定方は
伊麗道行軍大総管に抜擢
再び
阿史那賀魯を攻撃
任雅相・・・任(まかす)雅(からす)相(あい・ソウ)
と
回紇の
婆閏が副大総管をつとめた
定方
は
アルタイ(金)山
の北に出て
処木昆部を撃破
俟斤の
嬾独禄
を降した
定方は
麾下の1000騎と
回紇の1万人を率いて
曳咥河に進軍
阿史那賀魯
は大軍を率いて会戦し
定方の兵が少ないのをみ
左右両翼を伸ばして
包囲
定方は歩兵に
高所に拠らせ
自らは精鋭の
騎兵を率いて
北原に陣した
阿史那賀魯の軍は
三たび
唐の歩兵の陣を突き崩そうとしたが
崩すことができず
定方は乱戦に乗じて
騎兵で三十里をめぐって戦うと
阿史那賀魯の軍は崩れて
潰走にうつり
唐軍が追撃すると
数万の人馬を殺した
翌日、定方が兵を進軍させると
五弩失畢
が部族こぞって唐に降伏
阿史那賀魯
と
処木昆の
屈律啜の数百騎は西方に逃走
定方は副将の
蕭嗣業
と
回紇の
婆閏に
邪羅斯川
に向かわせて追撃させ
定方と任雅相は
新たに帰順した兵をまとめて
後詰めに続いた
大雪にあって
軍吏に進軍の中止を求められたが
定方は強引に兵を
雙河まで進め
阿史那弥射
や
阿史那歩真
の軍と合流して
阿史那賀魯の陣に迫った
阿史那賀魯は
油断して狩猟の最中であり
定方はこれを襲撃して破った
阿史那賀魯はさらに
石国・・・・・・石国?
に逃れたが
阿史那弥射の子の
阿史那元爽
が
蕭嗣業
と合流し
阿史那賀魯
を捕縛
これにより
唐の勢力圏は
中央アジアに広がった
定方は功績により
左驍衛大将軍に任ぜられ
邢国公に封ぜられた
子の
蘇慶節
も
武邑県公に封ぜられた
↓↑
659年
思結闕俟斤都曼
が諸部を扇動し
疏勒・朱倶波・渇槃陀
の三カ国が
唐に叛くと
定方
は安撫大使となって討伐にあたった
兵を率いて
葉葉水にいたり
都曼
が
馬頭川を守ると
定方は
歩兵の精鋭1万と
騎兵3000を選抜し
昼夜分かたず
三百里を駆け抜け
都曼の陣の前に現れ
都曼は驚いキ
戦うこともなく城に逃げ込んだ
唐軍がこれを攻めたて
都曼は窮迫し
自らを縛って降伏
パミール高原より
西の地方も
唐の勢力圏に入った
定方が捕虜を
乾陽殿に献上すると
邢州鉅鹿の
三百戸の食邑を加えられ
左武衛大将軍に転じた
↓↑
朝鮮半島
↓↑
660年
熊津道大総管
軍を率いて
百済の征討にあたった
城山から海をわたって
熊津口に上陸
沿岸の
百済軍を撃破し
真都城に進軍
百済の主力と決戦して勝利
百済王
義慈
太子
隆
は北方に逃走
定方が
泗沘城を包囲すると
義慈の子の
泰が自立して王を称した
泰は抗戦を続けようとしたが
義慈は開門し
降伏することを決意
泰はこれを止めることができなかった
百済の将軍の
禰植
と
義慈
は唐軍に降り
泰も捕らえられ
百済は平定され
百済王
義慈
隆
泰
らは
東都洛陽に送られた
↓↑
定方は
三カ国を滅ぼし
いずれもその王を捕らえ
賞与の珍宝は数えきれず
子の
蘇慶節
は
尚輦奉御の位を加えられた
定方
は
遼東道行軍大総管となり
平壌道行軍大総管に転じた
高句麗の軍を
浿江
で破り
馬邑山
の敵営を落とし
平壌を包囲
大雪に遭って
包囲を解いて帰還
涼州安集大使に任ぜられ
吐蕃
や
吐谷渾
とも戦った
667年
76歳で死去
高宗
はかれの死をいたんで
左驍衛大将軍
幽州都督
の位を追贈し
諡を
荘
とシタ
↓↑ ↓↑
伝記資料
『旧唐書』巻八十三
列伝第三十三
「蘇定方伝」
↓↑ ↓↑
『新唐書』巻一百一十一
列伝第三十六
「蘇定方伝」
ーーーーー
回鶻(カイコツ)
鉄勒(漢音:テツロク
拼音:Tiĕlè)
6世紀~7世紀
中央ユーラシア北部に分布した
突厥以外の
テュルク系遊牧民の総称
この中から
回鶻(ウイグル)が台頭
「鉄勒」という表記は
「勅勒・丁零」などと同じ
「Türk」を音写
烏介可汗
烏介可汗
(ウゲ・カガン・Ügä Qaγan)
(呉音:ウケカガン
漢音:オカイカカン
拼音:Wūjièkĕhàn、?~846年)
回鶻可汗国崩壊後の可汗
昭礼可汗の弟
彰信可汗の叔父
初めは
特勤(テギン、Tägin・皇子)
回鶻可汗国が崩壊すると
錯子山
に割拠して可汗となった
↓↑
開成5年(840年)頃
渠長(キョチョウ・将軍)
の
句録莫賀
(句録末賀・キュリュグ・バガ)
は、
北の
黠戛斯(キルギス・Qïrqïz)軍
10万騎を招き寄せ
回鶻城(オルド・バリクか?)
を破り
㕎馺可汗
と
掘羅勿
を殺してその
牙帳(陣地・陣営)
を焼き払った
回鶻可汗国
は崩壊
国人たちは
各特勤(皇子)を奉じ
各地に散らばった
可汗庭(カガンテイ=可汗の牙帳)
近くの13部は
烏介特勤(ウゲ・テギン、Ügä Tägin)
を
可汗に推戴し
南の
錯子山に割拠
途中
烏介可汗らは
太和公主
を
唐まで護送する
黠戛斯
の
達干(タルカン、Tarqan)
らと遭遇し
烏介可汗
は
達干らを殺し
太和公主
を奉じて
代わりに
唐の天徳界まで護送
↓↑
宰相の
赤心
僕固(ボルク、Borqu)
特勤の
那頡啜
(ナイル・チュル、Nair čur)→ナイル?
がおり
烏介可汗
に臣従せず
犯塞
を欲していたため
烏介可汗
は先に王子の
嗢没斯(オルムズ、Ormz)
を
天徳軍戍将の
田牟の所へ赴かせ
唐と接触をはかるとともに
赤心
を殺害
那頡啜
は赤心の7千帳をあわせて
東へ逃れたが
烏介可汗
によって殺された
↓↑
会昌3年(843年)春
特勤の
厖倶遮
阿敦寧
の二部
回鶻公主密羯可敦
の一部
外相の
諸洛固阿跌
の一部
牙帳大将の
曹磨你
らの七部
共に3万衆が相次いで
幽州に降った
文宗
は詔で諸道に配してやった
特勤の
嗢没斯
阿歴支・・・アレックス・Alexander?
習勿啜
の三部
回鶻相の
愛耶勿弘順
回鶻尚書の
呂衡
らの諸部が
振武軍に降った
三部首領には
唐の国姓である
李姓を賜い
名をそれぞれ
思忠
思貞
思恵
思恩
と改めさせ
帰義軍使に充てた
その他
唐に帰順しなった者もおり
特勤
葉被沽兄李
の二部は
南の吐蕃に奔走
特勤可質力
の二部は
東北の
大室韋
に奔走
特勤荷勿啜
は東の
契丹との戦いで戦死
回鶻
尚書の
僕固繹
は幽州に至り
太和公主
を幽州に帰すことを約束
ある夜
河東の
劉沔が兵を率いて
烏介可汗の営に迫ったので
烏介可汗は驚いて
東北の約400里外にまで逃げ
室韋の営に依った
太和公主
も同時に逃げ去ったが
烏介可汗
に追いつけずにいたところを
豊州刺史の
石雄の
兵と遭遇し
唐に帰国できた
↓↑
会昌6年(846年)7月
烏介可汗の部衆が
幽州に降った
烏介可汗
は妹を
室韋に降嫁させた
回鶻相の
美権者
逸隠啜
は
諸回鶻に迫って
烏介可汗
を
金山
(アルタイ山脈)・・・金山=アルタイ
で殺し
その弟である
遏捻特勤
を可汗に推戴
↓↑ ↓↑ ↓↑
『唐会要』巻98廻紇
特勤(テギン、Tägin)は
突厥や回紇における皇太子、王子
可汗の兄弟に与えられる
『新唐書』では特勒と誤記
「㕎」=「厂+盍」
帳幕(ゲル)=陣幕
達干(タルカン、Tarqan)は
テュルク系遊牧国家における官名
『資治通鑑』卷第二百四十八
『新唐書』では
「黒車子(室韋)に殺された」
とある。
↓↑
『旧唐書』
(列伝第一百四十五 迴紇)
『新唐書』
(列伝第一百四十二下 回鶻下)
『資治通鑑』
(卷第二百四十八)
ーーーーー
・・・???・・・
カタラベノ・・・語り部・・・タベルナ・・・食べるな・・・taverna
・・・「あまあし・あめあし」・・・「雨足=雨脚=雨降りの移動の様子・雨の移動の速さ・雨が激しく降り注ぎ・細い筋のように見える様子」・・・「小野道風」+「唐傘」+「雨」+「堀川」+「柳」+「蛙」・・・「斧(斤・己・各)同封・如何諷」、「問算・答簒・当纂・倒産」、「海人・海女・海部・海士・亜麻・尼・阿女・甘・蜑・天」、「保利撰」、「楊・龍・劉」、「カエル」・・・ちょっと庭に出て生ごみを埋めようと、土を掘るとミミズの生活を妨害し、雑草を毟ろうとすると蟻を、踏み石を歩くだけで「毛虫」の蝶へ成虫する願望を踏み潰しそうになってしまう・・・タシカに、日常性は殺生の中での自分の延命、生き残りでの命運の活殺は如何ともし難い・・・釈迦も基督も、馬哈黙も・・・地獄の奈落には落ちたくはなかったんだろうが・・・タベルことが生き物の条件である限り、無理と云うもんだ・・・
ギリシャ語で「タベルナ=食堂=たべるな=食べるな」って?
・・・「タヴェルナ=タベルナ(taverna)=イタリア語で大衆食堂・タヴェルナ (飲食店)=ギリシャ料理店」・・・多分、「table(テーブル)」に関係するんだろう・・・?
「カタラベノ=カタラベノ(分かった)」は「理解=understanding・I see. I completely understand.」であった・・・「デン カタラヴェーノ=(わかりません)=can't understand・blind」・・・なるほど、「聴こえない(deaf)」ではなく、「視えない(blind)」か・・・掛多理部之・・・語り部・・・「耳無し芳市」・・・「視視名詞方位置」・・・
↓↑
耳なし芳一
安徳天皇や平家一門を祀った
阿弥陀寺(赤間神宮、山口県下関市)
を舞台とした怪談
小泉八雲の「怪談」の典拠・・・・・小泉の八の雲
一夕散人(イッセキサンジン)著・・一の夕に散る人
「臥遊奇談・第二巻・・・・・・・・臥して遊ぶ奇の談
琵琶秘曲泣幽霊(1782年)」
昔話
徳島県の「耳切り団一」
柳田國男の
「一つ目小僧」等で言及
「平家物語」
題名は後年の呼称
治承年間より
「治承物語(ジショウ物語)」・・・字象の物語
作者は
信濃前司行長
(信濃前司行長=信濃入道=行長入道)
↓↑
祇園精舍の鐘の声、・・・・擬音背負う邪の金倭等部の聲
諸行無常の響きあり。・・・書行務定
娑羅双樹の花の色、・・・・沙良(讃良)送受の葉名の意賂
盛者必衰の理をあらはす。
奢れる人も久しからず、
ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひにはほろびぬ、
ひとへに風の前の塵に同じ。・・・日訳重に掛是の馬重の地理
に於名字
↓↑
「I see」は
「Eye(目・眼・瞳・睛・眸・真奈子・真那子・真名子)」
の
「sea(海)」?・・・
「アイシイ=和示威・愛志位」、
「アイシイ=娃思惟・阿意私意」・・・
で、「食べるな」って?・・・絶食じゃぁなくて、
「断食=ダンジキ・fasting・食物を断つこと・一定の期間、全ての食物あるいは特定の食物の摂取を絶つ宗教的行為」・・・
兎に角、生き物は「食べなくちゃぁ生きていけない」・・・
多分、自分自身を含めた「食べるコトができなくなったり、食べることができない人々」の苦しみに思いをはせるため、食べるモノを目の前しながらも肝に命じた反省イベントだろう・・・
すなわち、今現在「飽食できる人々のイベント」である。飢饉がくれば、「断食の必要」はないのだから・・・
ーーーーー
2017年丁酉(庚・ ・辛)
0007月丙午(丙・ ・丁)
0001日己丑(癸・辛・己)
・・・7/1、23:45・・・北海道で地震、結構揺れた・・・
・・・7/2、00:58・・・今度は熊本で地震・・・
みなさん、気をつけて・・・
ーーーーー
エヴァンゲリオン
↓↑
福音(Evangelion・エウアンゲリオン)
よき報(知・しら)せ
吉報
・・・吉の報告、凶の報告・・・ダレかにとっての「吉凶」の「報告」である・・・「訃報」で喜ぶ人間もいる・・・
ナゼ、「芦・葦・蘆・葭」の漢字は「あし・よし」と訓じるのか?
「芦=いえ・いおり・あし・よし
ロ・カ・ゴ・コ・リョ
芦=「艹+户」・「艹+戶」・「艹+戸」・「艹+一+尸」
葦=「艹+韋(そむく・なめす)」
蘆=「艹+盧」→盧=つぼ・くろ・ロ・ル・リョ
めしびつ(飯櫃)・すびつ(炭櫃)
廬=广+盧(虍田皿)
廬=いおり
粗末な家・仮小屋
廬舎・建物・精廬
蝸廬(カロ)・結廬(ケツロ)
出廬(シュツロ)・草廬(ソウロ)
田廬(デンロ)
廬舎那仏(ルシャナブツ)
廬山の真面目(ロザンのシンメンモク)
葭=「艹+叚(反)」
仮=假=イ+叚
遐=辶+葭
とおい・かぶさる・おおきい
遠くに離れる
なんぞ・疑問をあらわすことば
霞=かすみ・かすむ・カ・ゲ
蝦=蝸牛・・・蝦夷(えぞ・カイ)
鰕=海老・螧・蝦
反=ハン・ホン・タン
そる・そらす・そむく・さからう
かえる・かえす
はねかえる・はねかえす
反映・反響・反射・反応
繰りかえす
反芻・反復・反撃・反転・反抗・謀反
反面・反比例
パピルス(papyrus)・・・「アニの死者の書」
ーー↓↑ーー
エヴァンゲリオン
↓↑
福音(Evangelion・エウアンゲリオン)
四つの福音書・・・「吉の声・善き聲」の書物
↓↑
マタイ(馬太・瑪竇) 福音書
マルコ(馬可・瑪尓谷)福音書
ルカ (路加) 福音書
ヨハネ(約翰・諾望) 福音書
↓↑
「ナグ・ハマディ文書」・・・「名具・葉真出意」?
に含まれていた
新約外典中の福音書・・・グノーシス(gnosis)=「知識・認識」
を意味するギリシャ語(know)
善と悪の二元論
自己の本質の
認識(グノーシス・脳ミソ)による
人間の認識対象存在の
地上=悪の世界
これを自覚する精神で救済
コプト語による
114に上る「イエスの語録集」
↓↑
トマス(双子・twin)・・・太陽(日)&太陰(月)
明 暗
昼 夜
双子の兄妹(アポロン&アルテミス)
ギリシャ語=androgynos(アンドロギュノス・アンドロギュヌス)
両性具有
魂魄=男女のタマシイ
双子座=アルゴー(Argo)号の→ジェミニ(双子)
カストルとポルクスの双子
二元性・知性と言語の象徴
双魚宮=身体の象徴部位は「足」・数字は七
肉体(エロス)
と
精神(ロゴス)
の象徴
人魚と
燕の頭を持つ魚が
紐で結ばれた姿
トマス=多馬・斗部)福音書・・・双子の兄弟
大碓&小碓(倭男具那)
倭建
5月21日~6月21日=双児宮(ふたご座・双子座)
2月19日~3月20日=双魚宮(うお座・魚座)
トマス=双子=テオマー・トーマー
Te'omā ・ Tōmā)
トーマス(Thomas)→トマス=多馬→托馬斯
↓↑ ↓↑
訳尾(於・緒)馬素 たま=玉・珠・霊・多摩・多磨
↓↑
アグラファ(Agrapha)
=正典以外の外典・外伝
108 イエスが言った
「私の口から飲む者は・・・「口=くち=句知・矩値」
私のようになるであろう。
そして、
私もまたその者になるであろう。
そして、
隠されていたモノが
その者に現われるであろう」
・・・「秘密仏教=密教」の由縁・・・「景教」?
・・・「アーメン=amen=阿們」・・・「アモン・アメン」
↓↑
伊甸園(エデンの園)
亜当(アダム)・・・・・・亜當
夏娃(エバ)
大衛(ダビデ)・・・・・・大闢・大辟
以賽亜(イザヤ)
耶蘇基督(イエス・キリスト)・・移鼠
馬利亜(マリア)・・・・・・・・未艶
約瑟(ヨセフ)
西門-彼得(シモン・ペテロ)
保羅(パウロ=サウロ)
菑達書(ユダ)=犹大・・・猶太(ユダヤ)
加略人猶太(イスカリオテのユダ)
・・・雅各(ヤコブ)
雅各→鴉各(カラス各々)?
各=夂+口
・・・以色列(イスラエル)
↓↑
福音(Evangelion=エウアンゲリオン
ユーアンゲリオン)
ギリシャ語
εὐαγγέλιον
euangelion
良い (eu=エウ=good)
知らせ(angelion=アンゲリオン
=message)
「good news」=蘇我=我、蘇(よみがえ)り
我の読みかえ
「happy news・lucky news」
「happily ever after」
「アヴェ・マリア (Ave Maria)
ラテン語で、
こんにちは、マリア
おめでとう、マリア
やぁッ、マリちゃん、元気ッ!」
アヴェ(AVE)
ラテン語動詞の
AVERE(幸せである)の単数命令形
「幸せにナッ・・・
御ご自愛なさい・・・
じゃぁナッ、元気でなッ」
「ヴィヴァ (viva) マリア!」
↓↑
マテオ・リッチ・・・利瑪竇
(Matteo Ricci)
1552年10月6日~1610年5月11日
イタリア人イエズス会員
カトリック教会の司祭
中国名は
「利瑪竇(拼音 Lì Mǎdòu
リ-マトウ)」
中国初の
世界地図坤輿万国全図作成
西洋科学技術の紹介
竇=窦(穴+土+ツ+大)→ツ=火火・・・・E爻ヨ
臼(キョク・両手で抱える)
爫=爪→ツ?→螢・熒・學・覺
𤇾=火+火+冖
𦥯=臼+爻+冖
「竇=穴(宀八)+賣(十一罒目ハ)・・・賣=売
=あな・ヅ・トウ・トク
孔・洞
=人体の器官、組織の窪(くぼみ・凹)
疑竇(窦)=疑わしい点
狗竇(窦)=塀などに設けた犬の出入り口
↓↑
飛脚・・・郵便配達人・電信、電報人
ーー↓↑ーー↓↑ーー
マラソン-ランナー
(marathon-runner)
紀元前450年9月12日
アテナイの
名将ミルティアデスは
マラトン(Marathon・マラサン)
に上陸した
ペルシャの大軍を奇策で撃退
↓↑
ギリシャ全軍を重装歩兵でかため
最右翼にカリマコス率いる主力部隊
最左翼にプラタイアの主力部隊を配置
ペルシア軍に総攻撃を仕掛けた
アテナイ・プラタイア連合軍は
ペルシア敵陣と同じ長さの戦線を確保
中央部は数列の厚みで弱点であった
ミルティアデスは
ペルシア軍に
駆け足で突撃する奇襲戦法を用いた
敵陣までの
8スタディオン(約1,480メートル)
を一気に駆け抜けた
弓の射程距離まで徒歩で接近し
突然駆けだした
ペルシア軍が行軍してきたところに
駆け足で突撃した・・・
ペルシア軍は
ギリシャ軍の自殺行為としたが
白兵戦に持ち込んだギリシア軍は
重装歩兵密集陣
を駆使して
長時間戦い抜いた
戦線を延ばしたし
数列しか編成されなかった
アリステイデス率いる中央軍は
ペルシア歩兵に押し込まれたが
両翼は十分な厚みを持っており
両翼のペルシア軍を敗走させ
ギリシャ軍は
敗走するペルシャ軍を追わず
中央部のペルシア軍を
包囲、壊滅させ、
撤退する敵軍を追撃
カリマコスを含む
ギリシア軍の死者192人
ペルシア軍の死者は6,400人
ペルシア艦艇七隻を拿捕
スパルタの増援軍
約2,000人は
二日でアテナイに到着した
(アテナイ~スパルタ間の距離
200キロ以上)
が、戦争終結後であった・・・
↓↑ ↓↑
フィディピディス(Philippides)
という兵士が伝令に選ばれ
マラトンから約40km離れた
アテナイまでを駆け抜け
アテナイの郊外で
「我勝てり」と告げた後
力尽きて息を引き取った
(ヘロドトスの『歴史』)
戦いの日時は
紀元前490年11月2日・・・説
プルタルコスによれば
兵士の名前は
エウクレス(Eukles)
↓↑ ↓↑
韋駄天=韋駄天(イダテン・Skanda
塞建陀・私建陀
違駄天)
名前の意味は「跳ぶ者」
仏教の仏(天部)の神
韋陀、韋天将軍とも
増長天の八将の一神
四天王下の三十二将中の
首位の天部の仏神
伽藍を守る護法神
Skandaを音写し
塞建陀天
私建陀天と漢訳
建駄天とも略記
「金光明経・鬼神品・第十三」
中の誤写によって
建駄天が
違駄天となり
道教の
韋将軍信仰と習合し
韋駄天と称される
六面十二臂の
少年神で
孔雀に乗る
六面の由来
大自在天(シヴァ)
の次男だが
六人の乳母に育てられた
捷疾鬼が
仏舎利を奪って逃げ去った時
これを追って取り戻した
よく走る神
盗難除けの神
転じて
足の速い人の例え
「韋駄天走り」
「涅槃経」後分に帝釈天が
仏の荼毘処に至って
二牙を拾得したが
二捷疾羅刹のために
一牙を奪われた
という記述に起因・・・
韋駄天が釈尊のために
方々を駆け巡って
食物を集めたとの俗信に
由来し
「御馳走(ごちそう)」
という言葉が出来た・・・
「スカンダの別名である
クマーラ」
に由来
「鳩摩羅天」は
孔雀に乗った六面の少年神の姿
「Skanda」の音写
塞建陀・建陀の
「建」を「韋」に誤った・・・
仏法の守護神だが
もとバラモン教の神
シバ
または
アグニ神の子
仏舎利 (ぶっしゃり) を盗んだ
捷疾鬼 (ショウシツキ) を
追いかけて取り返した
足の速い神とされ
足の速い人のたとえ・・・
ーー↓↑ーー
水足=川の水が急に
増えたり減ったりする速さ
用水の取り入れ口から
特定の地域に水が達するまでの
時間の長さ
船体の水に没している
部分の垂直距離
雨足=雨脚=雨降りの移動の様子
雨の移動の速さ
雨が激しく降り注ぎ
細い筋のように見える様子
ーー↓↑ーー
あしがらヤマ
神奈川・静岡県境にある
足柄峠を中心とする山地
古くは
金時山を含めた山々の総称
坂田金時(公時・金太郎)の伝説の地
歌枕
足柄山=あしがらやま
南足柄市矢倉沢地蔵堂一帯
金時山をさす
足柄峠以南の稜線沿いに
県道矢倉沢・仙石原線が通じ
富士山、箱根外輪山の北部一帯
北方は酒匂(さかわ)川中流の谷
東方に足柄平野
箱根火山系の噴出物で
表層は富士山の火山灰土
ウバメガシ=姥目樫・馬目樫
別名、イマメガシ=今芽樫
備長炭の原料
トベラ林=扉林
海桐・海桐花
トビラ・トビラキ
などが植生
「足柄山は、歌枕(うたまくら)」
古来
足柄山、足柄嶺、足柄のみ坂
などと多くの歌に詠まれている
坂田金時・山姥の伝説は有名
箱根山北部の
金時山から足柄峠に至るあたりは
足柄山とも呼ばれる。
平安初期以前
東海道が箱根山の西方を北上
金時山より
北の足柄峠を越えて
東方へ延びていたが
富士山の
延暦噴火(800年~802年)
で通れなくなったため
箱根山の南方の
箱根峠を通る街道が整備
江戸時代に箱根関所が置かれた
金太郎は足柄山中で
赤竜と山姥の間に生まれた子・・・
東国から上洛する
源頼光に見出だされ家来になった
足柄山は金時山の別名
天暦十年(956年)五月に誕生
彫物師十兵衛の娘
八重桐(やえぎり)
が京にのぼった時
宮中に仕えていた
坂田蔵人と結ばれ懐妊した子供・・・
八重桐は故郷に帰り
金太郎を産んだが、
坂田が亡くなり
京へ帰らず故郷で育てた
天延四年三月二十一21日
(976年4月28日)
足柄峠にさしかかった
源頼光と出会い家来となり
名前も
坂田金時(きんとき)と改名
頼光四天王の一人となる
↓↑
藤原道長の日記
「御堂関白記」に
「下毛野公時」という
近衛兵(随身)が道長に仕えていた
坂田公時(金時)?
寛弘六年(1009年)八月十七日条
「宮御馬口付
近衛
下毛野公時」
下毛野(しもつけぬ)国=栃木県
相模(さがみ)の国の
足柄山(あしがらやま)
摂津源氏の
家臣
碓井貞光(ウスイサダミツ)
の目に留まり家来となった・・・
摂津源は
多田を本拠地
摂津源氏家臣約500名を従え
摂津の国の国司
摂津源氏棟梁
「源頼光」
坂田金時
渡辺綱
碓井久光
第3代
山本荘司
浦辺(坂上)季武
らとともに
「大江山の酒呑童子」
を退治・・・
「源氏四天王・頼光四天王」
と呼ばれた・・・
ーーーーー
・・・???・・・
「学士(バッチラー)=博士・bachelor」・・・「独身」→独神←独逸人
・・・数字の「十一」・・・合体すれば「土(つち・ド)」と、「士(さむらい・おちこ・シ・ジ・さむらい・あき・あきら・お・おさむ・こと・さち・ただ・つかさ・と・のり・ひと・まもる」で、「士女・隠士・義士・国士・兵士・武士・志士・紳士・人士・壮士・学士・文士・名士・助士・衛士・楽士・棋士・義士・剣士・居士・策士・修士・闘・同士・博士・弁士・力士・烈士・法士・方士」、「修道士」・・・
「学士(バッチラー)=博士・bachelor」・・・「独身」
「日本の律令制下において皇太子に経書の講義をした教官を東宮学士・位階は従五位下」・・・
「バッチラー=bachelor=独身者」・・・
「独身=ドクシン=読唇=ドクシン
=独神(ひとりがみ)」
・・・「土句申(申命記)」・・・「獨申」=独逸(German)の申(さる=猿・狙・猨・猴・沙流)」・・・
「ひひ=狒々・霏々」・・・「トート(ギリシャ語・Θωθ・トト)・オシリスの兄弟・トト=Thoth」は古代エジプトの知恵、書記の神。「ジェフティ(エジプト語:ḏḥwty)=トト神=月の神」・・・「Papio anubis アヌビスヒヒ(ドグエラヒヒ、オリーブヒヒ) Olive Baboon」・・・「baboon; drill(黒面の)マントひひ・好色漢・ヒヒじじい(randy man)」・・・
「とき=朱鷺(牛八足各鳥)・桃花鳥・鴇(ヒ十鳥・七十鳥)・鴾(ム牛鳥)・鵇(年鳥)=雉(きじ)」・・・
「日本書紀・万葉集」で漢字で「桃花鳥」と記された・・・
「桃花癸水=女性の月経・桃花=女性を意味する雅語
癸=十干の十番目のミズのトで、
「癸水=月経」・・・
「桃林処士=牛の別名
桃林は中国の河南省にあった城塞
処士は能力があるが、役人、官僚ではない
桃林に住んでいる牛の名前で
中国の周の武王が
二度と戦場にならないようにと
桃林に牛を放ち、その牛をそう呼んだ」
「二桃三士=策略によって人を自滅させること
春秋時代、宰相の晏嬰という人物が
わがままな三人の勇士を排除しようと策を練り
君主から二つの桃を贈らせて
三人の勇士の中で功績が大きい二人が食べよ
と言って
三人のうち二人が自分の功績が大きいと誇って
桃を食べたが、実は桃を食べなかった人物が
一番功績が大きかったと知り、二人は自害
残った一人も
自分だけ生きるのは義にもとる
と自害した」
「鴇・鴾・鵇=きじ=雉=記事」・・・「鵇」、この鳥の古称「つき・たう・タウ(桃)のトリ(鳥)」からの字解、「年を告げる鳥」と字解、「牟(ム・ボウ)」が「年」に日本で変換された?・・・「鵇」は国字・・・「鷺(さぎ)は首を曲げて飛ぶが、鴇(とき・雉=きじ)の場合は、鸛(コウノトリ)や鶴(ツル)と同様に首を伸ばしたまま飛ぶ。羽ばたき方は鷺(サギ)よりもやや小刻みで、直線的に飛翔する」・・・「詐散・詐偽」は「首を曲げて飛ぶ」んだ・・・
ーーーーー
方士=呪術、卜筮などの方術、
神秘性を帯びた者
神仙術に通じた者
秦の始皇帝や
漢の武帝は不老不死を求めた
徐福(徐市=ジョフツ)
李少君
という方士を重用
権力や富を手にした
始皇帝・武帝
「寿命からの解放」を望んだ
「現世」がイイのだ・・・
「死・老衰・病気」は忌むべきモノ
「方士」と「仙人」の違い
方士=常人・知識技術者
仙人=不死者、奇蹟、魔法の術者
道士=道人・方士
錬金術師・幻術師
ーーーーー
言語の「レトリック(rhetoric)」・・・「物事を伝える際の 言い回しを工夫することで、相手の感情に訴えかける技術・手法です。日本語では「修辞 法」」、「修辞法,レトリック(実際には 誠実さも意味もない)華麗な文体・美辞麗句・誇張・high‐flown rhetoric 大げさな美辞麗句」、
「レ-トリック(rhe-toric)」・・・
「弁論術(希: ρητορική、レートリケー)」
「toric=円環状・トーリック」は
「トリック(trick)=罠・わな・擭」で、「縄(なわ)の和名(わな)」ではないのか?・・・スペルが異なる・・・
もも(桃・トウ)=peach(ピーチ)=桃の花=peach blossom
もも=腿・股・・・
髀(もも・ヒ・ヘイ
太もも・大腿・大腿骨)
百(もも・ヒャク・ハク)
百足・百済・百舌鳥
「桃の木」とは百済
「黄泉の國=讀の句似」
「黄泉比良坂(よもつひらさか)」
「根堅洲国」=契丹=北方中国の
鮮卑族
1125年
契丹人は
女真に同化
一部は中央アジアに逃れ
西遼を形成
桃=意富加牟豆美 命
(おおかむづみのみこと)
桃=バラ(薔薇)科の落葉小高木
夏に果実を実らせる
[
[
[
バラ(薔薇)には「トゲ(朿・棘・刺)」があるけれど
「実」は生らない・・・
・・・モモちゃんはドウ、思うの?・・・詐偽(詐欺)みたいな政治屋って・・・飛べないくせに飛べるって、ドウ背負うも無い・・・キッと「ニュートン(newton)」を知らないのカモ・・・
あづまはや・・・
・・・台風三号・・・「アッチとコッチ、そして、ソッチの物語」・・・「足摺岬(あしずりみさき)」・・・「高知県南西部土佐清水市、太平洋(フィリピン海)に 突き出る足摺半島の先端の岬」・・・「北緯32度43分24秒=阿蘇山山頂・横島」、東経133度1分12秒。「宿毛(すくも)」市に属する「沖の島」があり、岬付近の低緯度には小島が散在、四国本島としても、「長碆(ながはえ)」地区等の存在から、実際には四国最南端ではないが、一般には四国「最南端の地(岬)」とされ、本来は「あしずりざき」が正式呼称だった・・・南方にある浄土へ渡るという「補陀洛(ふだらく・補陀落・Potalaka=光明山・海島山・小花樹山と訳す仏語=インド南端の海岸にあり、観音が住むという八角形の山)渡海信仰」・・・日本の南なら「琉球(流求・瑠求・流鬼=供武(洪武十六(1383)年、十六年流求と日い、賜うに金符印を以てす)=沖縄」、「比律賓(Philippines・フィリピン)=菲律賓=ルソン(Luzon)=呂宋」、「ハワイ(Hawaii・布哇・羽合)」か、「タヒチ(Tahiti・対比地)」か・・・「足摺岬・・・ちょっと待て、もう少し考えよッ」・・・「万次郎の足湯」・・・「碆=波(氵+皮)+石」=「ハ・バ・矰(いぐるみ)に石をつける・矰の石・鏃(金+族=やじり=矢尻)の石」、「矰繳(いぐるみ)=射(い)包(くる)み・飛んでいる鳥を捕らえるための仕掛け・矢に網や長い糸をつけて、当たるとそれが絡みつくようにしたもの」、「鳥を射るイグルミ・矢に糸や網を付け、から ませて捕る道具」・・・?
「弋=ヨク・イキ・いぐるみ=鳥をとる道具・いぐるみ(弋射)・ぐるぐる動き回る・遊弋(ユウヨク)」
「いぐるみ・狩る・杙(くい)・黓と通じて黒・また㚤と通じる・いぐるみとは矢に糸をつけ鳥や魚を捕らえる狩猟道具」
「弋=繳射・繳(いぐるみ)」
「橜なり・折木の衺(なな)めに銳く著く形に象る
物の之れに挂(かか)るに象るなり(説文解字)」
「隿(弋+隹)は、いぐるみで鳥を射つという字の弋」
「弋=木の杭・枝のある立てた木ぐいに物を掛けた形
杭=くい=杙・繳=いぐるみ=矰
弋=𢍺(七+丶)」
「㚤=女+弋」
「忒=違える・異なる・間違い・誤り
甚だしく・あまりにも・とても・めっぽう
伎忒(キトク)=逆らい妨げ害をなす
反抗し、害する」
「鳶職=弋(とび)職人」
「鳶=とび=訳備=鵄・鵈・鴟」・・・登美比古?
「弋+α」=「弎・式・弐・貮・武」
=戈=ほこ=「矛・桙・鉾・鋒・戟・戛」
ホゴ=保護・補語・反故・反古
↓↑
台風三号のハナシがどっかへ行っちゃった・・・「室戸岬(北緯33度14分34秒 東経134度10分35秒)」、「岬の洞窟御厨人窟・大化の改新の後、室津郷が置かれ、弘法大師により最御崎寺、津照寺、金剛頂寺がひらかれた。藩政時代には網捕鯨の振興、津呂、室津港の開削がなされた」・・・捕鯨・・・「鯨神=くじらがみ=久志羅神・鯢神・櫛羅神=宇能鴻一郎」・・・
櫛(くし)の羅(あみ)の髪(かみ)・・・櫛名田比売、奇稲田姫・・・「弟橘媛=弟橘比売命=乙橘姫=おとたちばなひめ」・・・「音立花秘め」・・・
ーーーーー
さねさし・・・・・・佐泥佐斯
相武の小野に・・・・佐賀牟能袁怒邇
燃ゆる火の・・・・・毛由流肥能
火中に立ちて・・・・本那迦邇多知弖
問ひし君はも・・・・斗比斯岐美波母
と
うたひたまひき。
かれ、・・・・・・・故
七日の後、・・・・・七日之後
その后の・・・・・・其后
御櫛・・・・・・・・御櫛
海辺に依りき。・・・依于海邊
すなわち・・・・・・乃
その櫛を取りて、・・取其櫛
御陵を作りて・・・・作御陵
治め置きき・・・・・而治置也
↓↑
日本(倭)武尊は、
「碓日の嶺(日本書紀)」で、・・・碓=小碓(をうす)命
「足柄の坂本(古事記)」で、・・・足柄の坂本
「吾妻はや」と嘆いた・・・・・・「阿豆麻波夜」
ーーーーー
・・・
りんご・リンゴ・林檎・・・林語
・・・大雨、大洪水・・・日田・朝倉・・・「第三十五代皇極天皇=第三十七代斉明天皇=寶女王=宝皇女=天豊財-重-日足姫天皇(あめとよたから-いかし-ひ-たらし-ひめのすめらみこと)・・・「いかし=重=かさねる(襲・累・縲・褶)」=「(名乗りの)あつ・あつし・いかし(活し・活用?)・おもし・かさね・かず・かたし・しげ・しげし・しげる・のぶ・ふさ」・・・ナゼ、「りんご(林檎)」を喰うと「罪」になるんだろう・・・「無花果=fig tree」をナゼ、「イチジク」と訓(よ・クン)ますのか?・・・「一軸=イチジク=位置字句」・・・「無花果≒花の果実が無い」?・・・「花はある。無花果(いちじく)は実の中に小さな花をつけ、外からは確認できない・果実を半分に切ると赤いつぶつぶつまっているモノが花」、「花が実の中に隠れて咲く」、「クルアーン(アッ・ティーン・柵、壁により囲まれたもの・95無花果・イチジクは薬で胃に優しく痔病薬・不老長寿の実)」、「カミキリムシの被害が多く、植えておくだけでは枯れる」、「イチジク(無花果・映日果)は、クワ(桑)科イチジク属の落葉高木、またはその果実・原産地はアラビア南部。不老長寿の果物とも呼ばれる」・・・
ーーーーー
キリスト教徒
「禁断の果実=イチジク」
イチジクの樹
長年、女性の性的特質のシンボル
イタリア・ルネサンス
リンゴの代わりにイチジクが描かれた
↓↑
東欧のスラブ語圏
禁断の果実=ブドウ(葡萄)→無道
ユダヤ教神秘思想の書籍
「ゾーハル」で
「禁断の木の実=ブドウ(無道)」
「葡萄=ぶどう=武道=無道
萄・蒲萄
↓↑
スラブ語
トマト=「rajčica」
(raj=楽園
paradajz=楽園)
トマト=禁断の果実とする地域もある
トマトは南米産
↓↑
ユダヤ教
禁断の果実=コムギ(小麦)
ヘブライ語で
小麦=khitahで
罪を意味する
「khet」に通じる・・・
マルメロ=禁断の果実
↓↑
ザクロ
キャロブ
シトロン
ナシ
ダチュラ
などが「禁断の果実」・・・?
の可能性がある果物に挙げられる。
↓↑
「禁断の果実」
不法・不道徳
有害な快楽や耽溺を表す
メタファー
人間の性に関連する
快楽に関連付けられてる
↓↑
イチジクはバラモン教ではヴィシュヌ神
古代ギリシャではディオニュソス
への供物であり
ローマ建国神話の
ロムルスとレムスは
イチジク(無花果)の木陰で生まれた・・・
↓↑
イチジクの実は内側に
空洞の
袋状になってい
内側に小さな花がたくさん並ぶ
花弁(はなびら・カベン)がない花
イチジク=アラビアや小アジアが
原産
野生状態で、
イチジクコバチと呼ばれる
小さな蜂(ハチ)が
無花果の尻の穴から入り込み
卵を産む
孵化して幼虫になる
幼虫はそこで成長し
イチジクコバチは
花粉を付け外に出て
他のイチジクに産卵し
受粉させる
日本で栽培されているイチジク
は単為結果性
↓↑
葉は大型の3裂または5裂する掌状で互生
日本では、浅く3裂するものが
江戸時代に日本に移入された品種
深く5裂して裂片の先端が丸みを帯びるものは
明治以降に渡来した
葉の裏には荒い毛が密生
葉や茎を切ると
白乳汁が出る
↓↑
新枝が伸びだすと
葉腋に花を入れた袋である花嚢がつく
下のものから順に花嚢は果嚢となって肥大化
花嚢は倒卵状球形で
厚い肉質の壁に囲まれ
初夏に、
花嚢の内面に無数の花(小果)をつける
(隠頭花序(イントウカジョ)
雌雄異花
イチジク属には
雌雄同株で同一の花嚢に両方花をつける種
雌雄異株で
雄株には同一の花嚢に雌雄両方の花
雌株には雌花のみを形成する種がある
自然では花嚢内部には
イチジクコバチ(Blastophaga spp)の蜂が共生し
雌雄異株の種では雄株の花嚢に形成される
果実は秋に熟すと
濃い紫色になる
甘みのある食用とする部分は
果肉ではなく
小果
と
花托(カタク)
↓↑ ↓↑ ↓↑
数字の読み
と
語頭が一致する名前の食材や植物の歌
無花果(いちじく)
人参(にんじん)
山椒(さんしょ)に
椎茸(しいたけ)
牛蒡(ごぼう)に
無患子( むくろじゅ)
七草(ななくさ)
初茸(はつたけ)
胡瓜(きゅうり)に
冬瓜(とうがん)
↓↑
四以下の別なモノ
↓↑
紫蘇(しそ)
牛蒡に
零余子(むかご)
七草
薑(はじかみ)・白菜(はくさい)
九念母に
蕃椒(とうがらし)・唐辛子
↓↑
熟した果実、葉を乾燥したものは
無花果(ムカカ)
無花果葉(ムカカヨウ)
生薬として用いられる
胃に優しく痔病に効く
↓↑
ローマ建国神話
ロムルス
と
レムス
は
イチジクの木陰で生まれた・・・
↓↑
「映日果(イチジク・インリークオ)」
13世紀頃に
イラン(ペルシア)~インド地方~中国に伝わったとき
中世ペルシア語
「アンジール(anjīr)」
を中国語で音写した
「映日」に「果」を補足したもの
日本語名「イチジク」
17世紀初めに日本に渡来し
「映日果」を
唐音読みで
「エイジツカ」とし、転訛した
↓↑
当時の日本で
「蓬莱柿(ほうらいし)」
「南蛮柿(なんばんがき)」
「唐柿(とうがき)」
などと呼ばれた
↓↑
無花果(いちじく・ムカカ) ???
ラテン 語 Ficus(ficus)・・・フィカス→附意掛素
イタリア語 fico ・・・・・・・フィコ →附意乎
フランス語 figue・・・・・・・フィグェ→附意具得
スペイン語 higo ・・・・・・・ヒゴ →日語・比語・肥後
英 語 fig・・・・・・・・フィグ →鞴・附意語
ドイツ 語 Feige・・・・・・・フェィゲ→附重意解
↓↑
無花果(いちじく・ムカカ)の
中国の古語で
「阿駔(アソ)」
「阿驛(アエキ・アヤク)」
などと音写
「底珍樹(テイチンギ)」
「天仙果(テンセンカ)」
などの別名が
「酉陽雑俎(ユウヨウザッソ)」に記録・・・
↓↑
中国唐代に荒唐無稽な
怪異記事を集録した書物
ーー↓↑ーー↓↑ーー
「リンゴ(林檎)」
バラ(薔薇)科の落葉高木
の果実
↓↑
「malus=邪悪な」を意味する形容詞
「リンゴ=malus」は名詞
創世記
2章17
↓↑
「人間の咽喉にある
男性の喉頭隆起(のど仏)を
アダムのリンゴ
と呼ぶ
↓↑
「林檎・苹果」
の表記は
西洋リンゴ普及以前の
和リンゴなどの総称
「りんき・りゅうごう」
日本へは江戸末期に渡来
↓↑
英 アップル apple
英 アプル apple
独 アップフェル Apfel
仏 ラポーム la pomme
仏 ポム pomme
仏 ポミエ pommier
(リンゴの木)
伊 メーラ mela
西 マンサーナ manzana
西 マンサナ manzana
羅 マールム malum
希 メーロン μηλον
露 ヤーブラカ яблоко
↓↑
マレーシア語 エパル epal
オランダ語 アップル APPEL
タミル語 アープル
ルーマニア語 マル măr
リトアニア語 オーブオリース
obuolys
アイスランド語 エプリ epli
リトアニア語 オーブオリース
obuolys
ペルシア語 スィーブ سیب
ヒンディー語 セーブ सेब
デンマーク語 エペル æble
ノルウェー語 エプレ aple
スウェーデン語 エプレ aple
フィンランド語 オメナ omena
チェコ語 ヤブルコ jablko
ヘブライ語 タプアフ תפוח
スロヴァキア語 ヤブルコ jablko
ポーランド語 ヤブウコ jabłko
エスペラント語 ポーモ pomo
ネパール語 シャウ स्याउ
ブルガリア語 ヤーブルカー
ябълка
ハンガリー語 アルマ alma
↓↑
日本語 林檎
りんご・りゅうごう
西洋林檎 せいようりんご
苹果 ヒョウカ・ヘイカ、りんご
唐梨 からなし
英語 apple
アプル・アップル・アポル
pome ポウム
フランス語 pomme ポム
pommier ポミエ(リンゴの木)
ドイツ語 Apfel アプフェル・アップフェル
Apfelbaum アプフェルバオム(リンゴの木)
イタリア語 mela メーラ
melo メーロ
スペイン語 manzana
マンサナ・マンサーナ
ポルトガル語 maçã マッサ
オランダ語 appel アッポル
ラテン語 malum マールム
malus マールス
↓↑
Malus pumila
マールス・プミラ
マルス・ピュミラ(学名)
古代ギリシャ語
μηλον
melon
メーロン
現代ギリシャ語
μήλο
ミロ
μηλιά
ミリャ(リンゴの木)
ロシア語
яблоко
ヤーブラカ
яблоня
ヤーブロニャ(リンゴの木)
ーーーーー
禁断の果実
(Forbidden fruit)
メタファー
(μεταφορά・metaphorá
羅語metaphorá
独語Metapher
英語metaphor
は、隠喩、暗喩)
↓↑
旧約聖書の
創世記
禁断の果実=善悪の知識の木
知恵の樹の果実
イヴは
禁じられている果実を
ヘビ(蛇)に
唆(そそのか)されて
食べ、
アダムにも分け与えた
果実を口にした結果
アダムとイブの
無垢は失われ、
裸を恥ずかしいと
感じるようになり
局部を
イチジクの葉で隠した・・・位置字句・一字句・壱時句=丑
亥知字句・李知事句・一軸
この時、
「人間の行動(先行き)」の
「前知・全治」出来なかった
神は
「全能の存在」ではなく、
予期せぬ
人間の反抗に神は怒り
アダムとイブを楽園から追放し
個々の生物と同じ
生きていくプロセスで
個体維持の為にエネルギー源を
採取、狩猟し、新陳代謝をし
排出し
命の限界あるモノ
死すべきモノとした・・・?
↓↑
「禁断の果実」=「リンゴの実」?
ラテン語で
「善悪の知識の木」の
「悪の」の部分にあたる
「malus」を、
同じつづりの
「リンゴ」の意味と取り違えたか
二重の意味が
故意に含まれているとする
「malus=邪悪な」=「リンゴ=malus」
創世記2章17
「善と悪の知識の木」
ヴルガータ
(標準ラテン語訳聖書)で
「de ligno autem
scientiae boni et mali」・・・?
で
「mali(マリ)=malus(マルス)の属格」?
↓↑
キリスト教徒
「禁断の果実=イチジク」
イチジクの樹
長年、
女性の性的特質のシンボルとされ
イタリア・ルネサンスでは
リンゴ(林檎)の代わりに
イチジク(無花果)が描かれた・・・
↓↑
東欧のスラブ語圏
禁断の果実=ブドウ(葡萄)→無道
ユダヤ教神秘思想の書籍
「ゾーハル」で
「禁断の木の実=ブドウ(無道)」
「葡萄=ぶどう=武道=無道」・・・ワインが無道の元?
萄・蒲萄 大虎の酔っ払い
↓↑
スラブ語
トマト=「rajčica」
(raj=楽園
paradajz=楽園)
トマト=禁断の果実とする地域もある
トマトは南米産
↓↑
ユダヤ教
禁断の果実=コムギ(小麦)・・・?黴→狂わせる?
ヘブライ語で
小麦=khitahで
罪を意味する
「khet」に通じる・・・?
マルメロ=禁断の果実
↓↑
ザクロ
キャロブ
シトロン
ナシ
ダチュラ
などが「禁断の果実」・・・?
の可能性がある果物に挙げられる・・・
↓↑
「禁断の果実」
不法・不道徳
有害な快楽や耽溺を表す
メタファー
人間の性に関連する
快楽に関連付けられてる
ーーーーー
・・・???・・・どうも、「林檎=リンゴ=林語」らしい?・・・「林の語」とは「陽明学=中国、明の王陽明が唱えた儒学説・形骸化した朱子学の批判から出発し、時代に適応した実践倫理を説いた。心即理・知行合一・致良知の説が主要な思想」・・・
日本では
林述斎
明和五年六月二十三日
(1768年8月5日)
~
天保十二年七月十四日
(1841年8月30日)
儒学者
林家八代
父は
美濃国
岩村藩主
松平乗薀
祖父は
享保の改革の
老中
松平乗邑
諱は
初め
松平乗衡(のりひら)
後に
林衡(たいら)
字は
熊蔵・叔紞・徳詮
号は述斎・蕉軒・蕉隠
晩年は
大内記と称す
↓↑
渋井太室らに師事
寛政五年(1793年)
林錦峯の養子
幕府の
文書行政の中枢として幕政に関与
文化年間に
朝鮮通信使の応接を
対馬国で行う
聘礼の改革にもかかわった
柴野栗山・古賀精里・尾藤二洲
(寛政の三博士)らとともに
儒学の教学の刷新にも力を尽くし
昌平坂学問所(昌平黌)の
幕府直轄化を推進
(寛政の改革)
述斎の学問
朱子学を基礎とし
清朝の考証学に関心を示し
『寛政重修諸家譜』
『徳川実紀』
『朝野旧聞裒藁
(ちょうやきゅうもんほうこう)』
『新編武蔵風土記稿』
など幕府の編纂事業を主導
和漢の詩才にすぐれ、
歌集『家園漫吟』
などがある
中国で散逸した
漢籍(佚存書)を集めた
『佚存叢書』
別荘に
錫秋園(小石川)
賜春園(谷中)
岩村藩時代に
「百姓身持之覚書」
を発見
幕府の「
慶安御触書」
として出版
死後
嫡男の
林檉宇が林家を継ぎ
三男は
鳥居耀蔵
六男は
林復斎
娘には
設楽貞丈の妻
堀利堅の妻
外孫に
岩瀬忠震(設楽貞丈の子)
堀利煕
らがいる
↓↑
江戸後期の儒者
名は衡(たいら)
字(あざな)は
徳詮
号は
述斎・蕉隠・蕉軒
美濃国(岐阜県)
岩村藩主
松平乗蘊(のりもり・1716~1783)
の三男
林家七世
信敬
(1767~1793)
に
1793年(寛政五)幕命で
林家を継ぐ
大学頭(だいがくのかみ)
幕府による
「寛政異学の禁」で
昌平黌
幕府の官学化
幕臣に対する学問吟味の制度の創設
正学たる朱子学の振興
林家中興の祖
著書に
『蕉軒雑録』
など
ーーーーー
・・・リンゴ・・・「リンゴ・スター(Ringo Starr、MBE、1940年7月7日 ~)=元 ビートルズのドラマー・本名リチャード・スターキー(Richard Starkey」・・・七夕生まれ・・・指輪が好きで、複数はめていたので、“Rings(リングス)”と呼ばれていた・・・
「林檎」は「猛禽類」の「禽=とり=鳥」、甘いの果実の林に鳥が集まっってくるところから「林檎」と呼ばれた・・・
タナバタ(七夕)災害・・・
・・・七夕だけれど、織姫も牽牛も水害でハシを流されてはドウしょうもない。流木の残骸が多いと云うコトは山林で土砂、山崩れが発生した結果・・・「果」・・・結果、成果、因果・・・「phalaの訳・原因から生じた結果・過去の行為から生じた結果・報い・仏道修行によって得た悟りの境地・木の実・くだもの・助数詞。くだものを数えるのに用いる=柿(かき)一果」・・・「はてる・遂げる・終わる・死ぬ」・・・「名詞訳解留=なしとげる=成し遂げる」?・・・尾張名古屋の果ては何処・・・?
↓↑
伊勢は津でもつ・・・・・・意施は通で摸通
津は伊勢でもつ・・・・・・椄は異施で摸傅
尾張名古屋は城でもつ・・・シロ(白・皎・新羅)で母椄
↓↑ いわく(曰・岩躯・磐躯)でモツ
↓↑ 医倭句で摸通
色々「一軸・無花果・位地字句・位置字句」を検索して調べてみて、添付したが・・・「壹字躯」、「壱音躯」・・・「毛(け)・目(め・ま)・歯(は)・胃(い)・手(て)・背(せ)・血(ち)・脾(ヒ?)・身(み)・気(き)・屁(ヘ)」・・・これらの「同音異字漢字」は・・・
「脾臓(ひぞう)」は、循環器系内に組み込まれた臓器・・・
「秘蔵」・・・「密造」・・・
ーーーーー
イチジク・・・「便秘」には妙薬である・・・
↓↑
映日果=中世ペルシア語・・・葉得留、比較、過日
エイジツカ ↓↑
英 字通掛 ↓↑
重異事椄掛 ↓↑
回移示傅加 ↓↑
↓↑
「アンジール(anjīr)」
「案・行・編」+「辞意留」
ア ム ジイル
「鴉・蛙・Y」+「務・夢・欝・鵡・謀」+「字意留」?
↓↑
無花果=阿駔・阿驛・底珍樹・天仙果
阿蘇・鴉訳・綴鎭守・典選課
蛙訳
會約→聖書
ーーーーー
漢代の人々の食べモノ
冬葵(フユアオイ・トンギュ)
葱(ネギ)
韮(ニラ)
瓜(ウリ)
ホウレン草=「菠薐草・法連草」
菠薐=ペルシャの
唐代
「頗稜(ホリン)国」は
ネパール、ペルシア
から伝えられ
後に
「菠薐(ホリン)」
となった・・・
ペルシャ=波斯=Persia
白菜(ハクサイ)
芥菜(カラシナ)
空心菜(クウシンサイ=ヨウサイ(蕹菜)
空心菜(コンシンツァイ)
通菜(トンツァイ)
黄瓜(キュウリ)=胡瓜
大根(ダイコン)
大頭菜(ダイトウナ=カブ(蕪)
根菜類の一
カブラ・カブナ・カブラナ
スズナ(鈴菜、菘)
ホウサイ(豊菜)・・・ナゼ「トヨナ」でないんだか?
ダイトウナ(大頭菜)
生薑(生姜・ショウガ)・・・姜=羊+女=こう
カン・キョウ・ガ
春秋時代の
斉国の公室の姓
美しい娘・美女
周代や春秋時代に斉の国(姜姓)の娘が、
他の諸侯に多く嫁いだことから・・・
大豆(ダイズ)
小豆(アズキ・アヅキ)
蚕豆(ソラマメ)=空豆
蓼(タデ)
薤(ラッキョウ)=オオニラ
=辣韮
=薤露蒿里(カイロコウリ)
薺(ナズナ)
豍豆(エンドウ豆)=豌豆豆
蘘荷(ミョウガ)=茗荷
古名は「めが」
奈良時代に
「売我・女我」と表記
花生(落花生)=関東豆・南京豆
芝麻(ゴマ)=胡麻
胡葱(アサツキ)
胡蒜(ニンニク)=大蒜
胡菜(アブラナ)=油菜
甘蔗(サトウキビ)=砂糖黍
蕪菁(カブ)
蓮の実=芙の実=蓮根
=芙蓉(フヨウ)
不語仙(フゴセン)
池見草(いけみぐさ)
水の花
蓮=荷=藕=ハス
ハスの花と睡蓮を
「蓮華(レンゲ)」・・・謰解=言葉が乱れて
意味が分からない
さまを解く?
鏈解=航海で使用される
長さの単位
cable('s) length
(ケーブル長)の訳語
鰱=たなご
ハクレン=白鰱=コイ科ハクレン属
中国原産の淡水魚
榴槤=ドリアン=麝香猫果
durian=マレー語で
刺(duri=ドゥリ)
を持つモノの意
道理が棘(トゲ)って?
漣・㦁・槤・謰・鏈・鰱
「常花」=木製の蓮華の造花
「枯れない花
永遠に咲き続ける花」
を意味
↓↑
ロータス効果(Lotus effect)
材料工学で
ハス科の植物に見られる
自浄性を指す用語
ハス効果・・・
蓮(ハス・lotus)
泥の多い池や沼を好むが
その葉や花はきれいな状態を保つ
ヒンドゥー教では
蓮華は純粋さや善性の象徴
中国や日本では
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」
↓↑
サッダルマ・プンダリーカ・スートラ
Sad dharma Puṇḍarīka Sūtra
法華経=南無妙法蓮華経
「正しい教えである
白い蓮の花の経典」
↓↑
原題の意味
「サッ
(sad)=正しい
不思議な
優れた」
「ダルマ
(dharma)=法」
「プンダリーカ=分陀利華=白蓮華
(puṇḍarīka)=清浄な白い蓮華」
「スートラ
(sūtra)=たて糸=経」
漢訳では
「白」だけが省略された・・・
ナゼか、ボクの聴覚は↓と聴こえる
「white(白)」が「ホワイト」・・・ワイト(和糸)
「What(何)」が「ホワット」・・・ ワット(話通訳)
「water(水)」が「ウオーター」・・ワッタ(渦津汰)
なのか?・・・
↓↑
ニヴェア
ラテン語
「雪のように白い」・・・snowy(スノウィ)=S+now+Y
niveus=nivea=niveum
habenaria nivea=白い花を持つ
北アメリカ東部の
細い縁毛のあるラン(蘭)
↓↑
ケルト語
山を意味する
alb
alp・・・・・・アルプス
ラテン語
白を意味する
alb・・・・・・アルブ=阿留武?
が語源
氷雪に覆われた
「白い山」という意・・・アラブの語源は?
Arab=亜剌比亜・亜拉毘亜
「鴉等伏・蛙等舞」?
↓↑
ペルシャ語
sefid=セフィード・・・施附意緯度(異土・伊土・怡土・糸)
ウルドゥー語
safed=サフェード・・・差鮒重得度(江戸)
ヒンディー語
safedⱥ=サフェード
ベンガル語
sada=シャダ・・・・・・詞耶(埜)拿
ネパール語
seto=セト・・・・・・・施訳・・・瀬戸(世渡)の白い粘土?
goro=ゴロ・・・・・・・後呂・語呂・・・太安万侶?
シンハラ語
sudu=スドゥ・・・・・・須東・須藤・首藤・周藤・数藤・数道
ス ドウ
蘇 同
素 同
州 道
蘇(諏・取)問(当・等)
フランス語
blanc=ブラン・・・・・bran=ふすま(麩)
小麦を曳いた時に
できる皮の
屑(くず)糠(ぬか)
ブラン=武乱・武覧・・・空白?
blanche=ブランシュ・・・武乱首・武覧
blanc comme neige
ブラン・コム ・ネージュ
blanche comme neige
ブランシュ・コム ・ネージュ
イタリア語
bianco=ビヤンコ・・・毘(備・尾・靡・飛)也武子
ビアンコ・・・美餡子・美あんこ(美人の姉さん)
美、アンコ椿は恋の花?
bianca=ビアンカ・・・備行火?
niveo=ニーヴェオ
nivea=ニーヴェア・・・・白
スペイン語
blanco=ブランコ・・・・・フランコ将軍?
blanca=ブランカ
blanquísimo=ブランキシモ・・・武覧(乱)記詞摸
blanquísima=ブランキシマ
ポルトガル語
blanco=ブランコ
ブランク
branca=ブランカ
カタロニア語
(カタルーニャ語)
blanc=ブラン
blanca=ブランカ
ーーーーー
白蓮華・・・白蓮教徒の乱(1796年~1804年)
↓↑ ヘシェン(和珅)、ヘリェン(和琳)
が弾圧・・・「和=ヘ」?
白蓮思想=メシア思想
弥勒菩薩=maitreya(マイトレーヤ)
metteyya(メッテーヤ
メッテッヤ)
↓↑ は釈迦牟尼仏の次に現われる未来仏(救済仏)
菩薩の一尊
一部の大乗経典では字(あざな)が
阿逸多(Ajita・アジタ)
・・・阿(おもね)て逸(いっ)するコト多し?
初期経典の記述では
弥勒と阿逸多は別人で
阿逸多は転輪聖王となると記別
転輪聖王=統治の輪を転がす王の意
武器を用いず正義だけで
世界を統治する全世界の帝王
弥勒は音写で
「慈しみ(maitrī・mettā)」が語源
↓↑ 慈氏菩薩(慈しみの菩薩)とも意訳
↓↑
「性典」の中では
「女陰」の象徴
多神教信仰から
女神崇拝が生まれ
古代インドでは
女性に対する4段階の格付け
上から
パドミニ(蓮女)
チトリニ(彩女、芸女)
シャンキニ(貝女)
ハスティニ(象女)
といい
最高位の「蓮女」の象徴として
ラクシュミー女神が崇拝
(ラティラハスヤ)
↓↑
芋(イモ)=里芋
↓↑
飢饉時の食べ物
芹(セリ)
蘆萉(人参)、
胡芹(セロリ)
冬瓜(トウガン)
壺盧(コロ)
莼(純菜)、
蕨(ワラビ)
堇
荇
鹿角(かづの・かずの・かのつの)
荏(シソ・紫蘇)
茄(ナス・茄子)
蓮藕(レンコン)
甘藷(サツマイモ)
↓↑
交趾、武平、九真、興古が産地
↓↑
蕎麦(ソバ)
椿(ツバキ)の実(植物油)
葫蘆(ヒョウタン・瓢箪)
苜蓿(ウマゴヤシ)
↓↑
黄河文明以前
花生(落花生)
芝麻(ゴマ)
蚕豆(ソラマメ)
大豆(ダイヅ)
大麻(タイマ)
菠薐草・法連草=ホウレン草
椿の実
芥菜(カラシ菜)
蓮藕(レンコン)
空心菜(クウシンナ)
生薑(生姜)
芋(里芋)
↓↑
周代までに栽培
瓜(ウリ)
韮(ニラ)
冬葵(フユアオイ)
蕪菁(カブ)
芹(セリ)
葱(ネギ)・・・・禰宜・根木
薤(ラッキョウ)
蘆萉(人参)
蓼(タデ)
↓↑
春秋戦国時代
甘蔗(サトウキビ)
冬瓜(トウガン)
↓↑
漢代
大根(ダイコン)
大頭菜(ダイトウナ)
黄瓜(キュウリ)
胡葱(アサツキ)
胡蒜(ニンニク)
胡菜(アブラナ)
薺(ナズナ)
豍豆(エンドウ豆)
蘘荷(ミョウガ)
胡芹(セロリ)
壺盧(コロ)
莼(純菜)
茄(ナス)
↓↑ ↓↑
果物
酸棗(サンソウ・サンサウ・サネブトナツメ)
紅棗(ナツメ)
桃(モモ)
栗(クリ)
菱角(ひしのみ)
梨(ナシ)
柿(カキ)
梅(ウメ)
杏(アンズ)
李(スモモ)
山桜桃(ゆすらうめ・元々、山桜梅
サンオウトウ(山桜桃)
イクリニン(郁李仁)・山桜梅
ユスラウメ(梅桃、山桜桃梅)
バラ科サクラ属の落葉低木の果樹
サクランボに似た赤い小さな実をつける)
柚(ゆず)
ハミ瓜(赤肉メロン)
甜瓜(メロン)
芭蕉(バナナ・甘蕉)
楊梅(ヤマモモ)
桜桃(サクランボ)
林檎(リンゴ)
枇杷(ビワ・蘆橘)
橙(オレンジ)
柑(ポンカン類)類
橘(マンダリンオレンジ類)
龍眼(リュウガン・ロンガン)
葡萄(ブドウ)
橄欖(カンラン・うおのほねぬき・オリーブの誤訳)
木瓜(カリン)
阿駔(イチジク)
楂(サンザシ)
柰(リンゴの一種)
沙果(サカ・ワリンゴ)
椑(油柿)
茘枝(ライチ)
桷子()
西瓜(スイカ)
安石榴(ザクロ)
胡桃(クルミ) 金橘(キンカン・盧橘)
沙棠()
枸櫞(レモン)
番石榴(グアバ)
楊桃(スターフルーツ)
餘甘()
檖(鹿梨)
郁(庭梅)
杜梨(山梨・棠梨)
劉()
鬼目(白英の実)
キウイフルーツ
椹(桑の実)
↓↑
ペルシア方面からザクロ
安息(パルチア)から安石榴
タクラマカン地域から胡
黄河文明以前に栽培
酸棗、紅棗、胡桃(クルミ)、
菱角(ひしのみ)、桃
甜瓜(メロン)、栗
椹(桑の実)
↓↑
周代までに栽培が始まった
柿、梅、杏、李(スモモ)、椑(油柿)
桜桃(サクランボ)
梨、山桜桃、沙棠、檖(鹿梨)
木瓜(カリン)、郁(庭梅)
杜梨(山梨,棠梨)
↓↑
春秋戦国時代に始まった
柑(ポンカン類)
橘(マンダリンオレンジ
日本のダイダイは
代代橘のこと
中国の橙とは別物)
橙(オレンジ)
柚(ユヅ)
金橘(キンカン・盧橘)
楂(サンザシ)
↓↑
漢代に栽培
柰
林檎(リンゴ)
枇杷(ビワ)
茘枝(ライチ)
楊梅(ヤマモモ)
西瓜(スイカ)
安石榴(ザクロ)
龍眼()
葡萄(ブドウ)
橄欖()
ハミ瓜(赤肉メロン)
芭蕉(バナナ)
阿駔(イチジク)
枸櫞(レモン)
桷子()
番石榴(グアバ)
楊桃(スターフルーツ)
餘甘(ヨカン)
鬼目(白英の実)
劉(リュウ)
↓↑
輸入品
桷子(漢武帝以前
交趾郡等が産地)
↓↑
果物ではないが嗜好品の
檳榔(ビンロウ)
↓↑
香辛料
肉荳蔻(ナツメグ)
白豆蔻(カルダモン)
草豆蔻
蓼(タデ)
生薑(生姜)
益智(ヤクチ)・・・・約智・訳知・薬知
蘘荷(ミョウガ)
蒟子(コンニャク・蒟蒻)
廉姜(レンキョウ)
扶留(フル)
芡(オニバスの実)
花椒(山椒の別種)
山椒(サンショウ)
胡椒(コショウ)
桂皮(シナモン)
胡蒜(ニンニク)
荏(シソ・紫蘇)
芥菜(カラシナ)
茴(アニス)
蘭香(ハッカ)
郁金(姜黄)
蘼蕪
杜蘅(山姜)
栈香
白芷(クミン)
荃香
鶏舌(丁香・グローブ)
↓↑
漢代の菓子
蜜餌(ミツジ)
豆粉と米粉を用いて合わせて
蒸したカステラ風に蜜を加えたもの
↓↑
粔籹
「おこし」
↓↑
春秋戦国時代からのお菓子
膏環
ドーナツ
餦餭
飴の塊
↓↑
太師餅
月餅
↓↑
商、周代からのお菓子
クルミ餡になり、
胡餅と名を変えた
唐代の玄宗時代に
楊貴妃が月餅と言った
↓↑
牛肥
白玉粉を蒸し、砂糖・水飴を加え
火にかけて練りかためた菓子
日本では
求肥と呼ばれている
↓↑
開口球
沖縄名物
サーターアンダーギーに類似
↓↑
団子(ダンゴ)
落雁(ラクガン)
馬拉糕
カステラの原型
ーーーーー
・・・???・・・
トネリ=訳練り・・・舎人の崇道?、or 祟道?
・・・「とねり」・・・「舎人親王=崇道尽敬皇帝(スドウジンケイコウテイ)」・・・「崇道=あがめうやまう道」、「尽敬=敬(つつし)み尽くす」・・・「舎人=皇族や貴族に仕え、警備や雑用などに従事していた者・その役職・大王の側近、近習・令制で天皇、皇族などに近侍して警固、雑事にあたった下級官人で内舎人(うどねり)、大舎人、中宮舎人、東宮舎人、衛府の兵士などの総称」、「内舎人には身分の高い貴族の子弟が、大舎人以下には下級官人、地方豪族の子弟、白丁 (庶民) が任じられ、課役免除の恩典があった。別に親王、上層官人などに給される帳内 (ちょうない)、資人 (しじん) 」があり、いずれも「トネリ」と読まれた・・・なぜ、「白丁」が「庶民」なんだろう?・・・同音なら渡り鳥の「白鳥」か・・・「丁」は「デンマーク(Denmark)=丁抹」だから「醜いアヒルの子(The Ugly Duckling)」の巣立ち・・・「ハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen)原作の童話(1843年発表)」・・・漢字の「丁(チョウ・テイ)」は、アルファベットの「T(ティ)」に類似・・・
「丁(チョウ・テイ)」が「釘(金+丁)」の形象と云われるが、「丁=一(イチ)+亅(ケツ)」で、字形の「亅(ケツ)」は引っ掛ける鉤(鈎)でhook(フック)か、「デレッキ(オランダ語dreg・derrick・the rakeなどの説・先端部分がL字のように曲っている金属製の棒・石炭ストーブの石炭を搔(か)く道具」である・・・
じゃぁ、「白鳥の湖」は「1877年3月4日モスクワ・ボリショイ劇場バレエ団が初演」・・・
「1877年(丁丑年)=明治十年一月二十六日=歴史館設立(総裁は伊知地正治)」・・・
「2月15日西南戦争勃発(~9月24日)」・・・
「3月4日西南戦争=田原坂の戦い(~3月20日)」・・・
「白鳥の湖」=「田原坂の戦い」
=「會津藩、白虎隊の敵討ち」・・・?
ーー↓↑ーー
「抜刀隊=1877年(明治十年)に起きた西南戦争の激戦となった田原坂の戦いの際に、警察官の中から選抜して臨時に編成された白兵戦部隊=第一次抜刀隊は植木口警視隊(354名)の中から百十余名を以って3月11日過ぎに編成」
「第一次抜刀突撃は二俣台地にて同14日早朝敢行、以後戦死者、戦傷者などの減員分を都度補い、第二次、第三次抜刀隊を編成し横平山などでも戦闘。最終的に西郷軍の手から田原坂を制圧奪取し官軍進軍の突破口を開いた」
「抜刀隊遊軍=田村五郎三等少警部(福島県士族→東京府平民)
加藤愛敬三等少警部(青森県士族)他警部補3名、巡査20名」
「雪辱」を果たすべく
「戊辰の仇、戊辰の仇」
と叫びながら斬り込んでいった・・・
ーー↓↑ーー
兎に角、「舎人」は「下級官人、地方豪族の子弟、白丁 (庶民) が任じられ、課役免除の恩典があった。別に親王、上層官人などに給される帳内 (ちょうない) 、資人 (しじん)」 があり、いずれも「とねり」と読まれた・・・
↓↑
中国律令制
公の職を持たない無位無冠の良民の男子
「白丁」の名は、無位無冠の者は
白い衣を着けたことにちなむ
日本律令制
無位無官の公民、庸と調を負担した正丁・老丁男子
高麗時代までの朝鮮では
「白丁」は中国、日本と同じく無位無冠の良民
李氏朝鮮時代では
身分制度の最下層・・・
ーーーーー
「祟」と「崇」の漢字は異なる
「祟=出+示」=たたり
「崇=山+宗」=あがめうやまう・・・アガメムノン?
で意味は別モノ・・・
「祟=出+示(たた)り・呪霊による災(わざわ)い
報(むく)いを受ける・呪霊をもつ獣の形
卜文・金文の字形は毛深い獣の形
祟を敺(う)って、その呪霊によって
人を呪詛することを殺 ・弑という(字通)
神の出してくるタタリをあらわす(漢字源)
ーーーーー
「舎人」
「壬申の乱で活躍した
信濃兵を率いていた
科野(信濃)国造家が
金刺舎人氏」・・・・「金を刺す舎人」?
↓↑
壬申の乱
672年
舎人皇子の生年 676年
子の扶養を
天武天皇が
科野国造家に託した
「舎人の皇子」の呼称由来
↓↑
欽明天皇の妃
堅塩媛が生んだ皇女にも
舎人皇女
↓↑
舎人親王(676?~735)
天武天皇の皇子
知太政官事
母は
天智天皇の皇女
新田部皇女
↓↑
勅により日本書紀編纂
死去に際し
贈太政大臣
子の
大炊(おほひ)王
が即位し
淳仁天皇
↓↑
崇道尽敬皇帝
の追号
天平宝字三年(759年)六月十六日
崇道尽敬皇帝
を追号
↓↑
子の
大炊王が即位して
淳仁天皇となったので
崇道尽敬皇帝
の追号
↓↑
舎人 親 王
(とねりしんのう)
(とねりのみこ)
とも
天武天皇の皇子 淳仁天皇の父
天武天皇の
諸皇子の中で 最後まで生き
奈良時代初期に
長屋王
とともに
皇親勢力として権勢
↓↑
淳仁天皇
天平五年
(733年)
~
天平神護元年十月二十三日
(765年11月10日)
第四十七代天皇
(在位
天平宝字二年八月一日
758年9月7日
~
天平宝字八年十月九日
764年11月6日)
諡号は 明治時代に付けられた
古文書で
廃帝(はいたい)
淡路廃帝(あわじはいたい)
諱は
大炊(おほい)
践祚前は
大炊王(おほいおう)
天武天皇の皇子の
舎人親王の
七男
母は
当麻老の娘の
当麻山背
三歳で父、舎人親王が没し
天皇の
孫でありながら
無官位
756年
聖武天皇(死没)
の遺言によって
新田部親王の子の
道祖王が立太子したが
天平勝宝九年三月二十九日
(757年4月22日)
孝謙天皇によって
道祖王は廃され
四日後の
同年四月四日(4月26日)
光明皇后(藤原光明子)を
後ろ盾にもつ
藤原仲麻呂(恵美押勝)
の推挙により
大炊王が立太子した
↓↑
大炊王は
仲麻呂の進言に従って
仲麻呂の
長男で故人の真従の未亡人である
粟田諸姉を妻に迎え
仲麻呂の私邸に住んだ
↓↑
天平宝字二年(758年)
孝謙天皇から
譲位を受け践祚
孝謙天皇は、
太上天皇(孝謙上皇)となった
↓↑
践祚後
政治の実権は
仲麻呂が握り
一族は
恵美の二字を付け加えられ
仲麻呂は
押勝を名乗った
755年
安禄山の乱で
九州の警備強化
仲麻呂が
新羅討伐を強行するが
称徳天皇=孝謙上皇
により実現しなかった
↓↑
官位を唐風の名称に改め
鋳銭と
出挙の権利
私印を用いる許可も与えた
天平宝字四年(760年)
仲麻呂を皇室外で
初の太政大臣に任じ
同年
光明皇太后が薨去
仲麻呂は
平城宮の改築を実施
天平宝字五年(761年)
天皇と上皇は
小治田宮
保良宮
に行幸し
保良宮を
「北宮」とした
↓↑
保良宮滞在中に
病みがちとなった 孝謙上皇は
看病していた
弓削道鏡を寵愛
仲麻呂の進言により
天皇がこれを諫めたが
上皇は激怒し、 天皇と上皇は対立
↓↑
平宝字六年六月三日
(762年6月28日)
孝謙上皇は
再び
天皇大権を掌握することを目的に、 「今
の帝は
常の祀りと小事を行え、
国家の大事と賞罰は朕が行う」
と宣告
↓↑
天平宝字八年(764年)九月
上皇との対立
「恵美押勝の乱」
は失敗
仲麻呂は
塩焼王
の新天皇擁立を策謀
↓↑
淳仁天皇は
乱の翌月
上皇の軍によって
居住していた中宮院を包囲され
上皇より
「仲麻呂と関係が深かったこと」
を理由に廃位を宣告
5日後
天平宝字八年十月十四日
(764年11月11日)
親王の待遇をもって
淡路国に流刑
淳仁天皇
廃位
孝謙上皇は重祚し
称徳天皇となった
↓↑
都には
先帝の復帰(重祚)の勢力
称徳天皇
天平神護元年(765年)二月
現地の国守
佐伯助
らに警戒を命じ
十月に
廃帝は逃亡を図るが捕まり
翌日に院中で死亡
廃帝、
淡路廃帝
と呼ばれていた
↓↑
明治三年七月二十四日→二十三日?
(1870年8月20日)
弘文天皇(大友皇子)
仲恭天皇
と共に
明治天皇から
「淳仁天皇」と諡号を賜られた
↓↑
明治六年(1873年)
同様に配流先で歿した
崇徳天皇を祀る
白峯神宮・・・「白い峯」?
に合祀
↓↑
淡路国-南海道
別称
淡州(たんしゅう)
所属 南海道
相当領域
兵庫県
淡路島・沼島
↓↑
「古事記・日本書紀」
の「国産み神話」で 日本列島で
最初に生まれた島
島内には
伊弉諾神宮
が祭られている
↓↑
『延喜式』や平城京などから
発見された
木簡によると
租庸調に加え、
贄(にえ)とよばれた
海産物(魚)を
直接に朝廷の
内膳司
(朝廷の食膳を管理した役所)
に納めていた
↓↑
天平宝字八年(764年)十月
淳仁天皇を廃し
「淡路国の公」
として淡路に配流
一院に幽閉
↓↑
応仁の乱後
各国の守護職は領主化
淡路国の歴代の守護
細川氏
最後の守護
細川尚春は
三好之長によって殺され
後は
三好氏の勢力下を経
四国攻めで
羽柴氏に制圧
↓↑
「旧高旧領取調帳」
明治初年時点
全域が
阿波徳島藩領であった
↓↑
明治三年九月十七日
(1870年10月11日)
庚午事変
処分
稲田家が
日高国(北海道)
新冠郡
静内郡
根室国(北海道)
花咲郡の一部(後の色丹郡) に移転
明治四年五月
津名郡の一部が
兵庫県の管轄となる
↓↑
7月14日(1871年8月29日)
廃藩置県
藩領が
徳島県の管轄
11月15日(1871年12月26日)
第1次府県統合により
全域が
名東県の管轄となる
明治九年(1876年)八月二十一日
第2次府県統合で 兵庫県の管轄となる
↓↑
稲田家側に対して
この事件を口実に
北海道
静内
色丹島
の配地を与えるという
名目で 兵庫県管轄の士族として
移住開拓を命じ
北の大地へ・・・
↓↑ ↓↑ ↓↑
淳仁天皇の系譜
夫人
粟田諸姉(?~?)
元
藤原真従の室
母不詳
安倍内親王
伊勢斎宮
のち
磯部王(桑田王王子)の妃
石見王
高階峯緒(峯緒王、高階氏祖)父
↓↑
安倍内親王(生年不詳)?
奈良時代の皇族・伊勢斎宮
淳仁天皇の娘?
母は不詳
↓↑
父の即位前は
山於女王(やまのうえのじょおう)
と呼ばれていたが、
即位後に斎宮に
卜定され、
内親王宣下
により名を改め
↓↑
天平宝字五年八月二十九日
(761年10月2日)
大祓が行われ
翌9月に伊勢へ群行したが
天平宝字八年十月九日
(764年11月6日)
の父の廃位により退下
その後
磯部王
(長屋王の孫で高階氏の祖)
の妃となって
石見王(いわみおう)
を産んだ・・・
↓↑
舎人親王
子孫の清原氏は
高市皇子裔の
高階氏と共に
天武系後裔氏族
として長く血脈が続いた
↓↑
天武天皇五年(676年)
天武天皇の子として誕生
母は
新田部皇女。
↓↑
持統天皇九年(695年)
浄広弐に叙せられ
大宝元年(701年)
大宝令の制定に伴う
位階制度への移行を通じて
二品となる
↓↑
養老二年(718年)
一品に昇叙
翌
養老三年
元正天皇より
異母弟の
二品・新田部親王
とともに
皇太子
首皇子(聖武天皇)
の補佐を命じられ
皇室の年長者として
褒賞され
内舎人・大舎人・衛士・封戸
を与えられた
養老四年(720年)五月
編集を総裁した
「日本書紀(紀三十巻・系図一巻)
を奏上
同年八月
右大臣
藤原不比等の薨去
舎人親王は
知太政官事に就任
太政官の首班
知五衛及授刀舎人事
新田部親王
および
右大臣(のち左大臣)
長屋王
とともに皇親政権を樹立
↓↑
神亀元年(724年)
聖武天皇の即位
封500戸を加えられ
聖武朝で
舎人親王は
藤原氏寄りに傾斜
結果的に
藤原四子政権の成立に協力
↓↑
神亀六年(729年)二月
長屋王の変 新田部親王
らと共に
長屋王
を糾問し、自害せしめる
↓↑
神亀六年(729年)八月
藤原不比等の娘
光明子の立后の勅を宣べる
天平三年(731年)八月
公卿らが死亡や病気で
政務を処理できなくなっているとし
人材を推薦するよう勅を宣べる
この結果
藤原宇合
麻呂兄弟
ら6名が
参議に任官し
藤原四兄弟全員が
議政官に加えられた
天平七年(735年)九月
ともに
皇親政治を支えた
新田部親王が薨じ
舎人親王はその邸宅に遣わされ
天皇の弔意を伝える
↓↑
1ヶ月半後
11月14日
天然痘が蔓延
薨去
享年60
最終官位は
知太政官事一品
即日
太政大臣の官職を贈られた
↓↑ ↓↑
没後20年以上たった
天平宝字二年(758年)
第七王子の
大炊王
が即位(淳仁天皇)
翌
天平宝字三年(759年)
天皇の父として
舎人親王は
「崇道尽敬皇帝」・・・スドウ
と追号
↓↑ ↓↑
『万葉集』に3首
柿本人麻呂歌集に
舎人親王に献上された5首の歌
↓↑
ぬば玉の
夜霧ぞ立てる
衣手の
高屋の上に
たなびくまでに (万葉集・巻九)
↓↑
墓所
奈良県奈良市
田中町にある
黄金塚陵墓参考地が候補地
平成21年(2009年)2月
発掘調査により
別人の陵墓であることが判明
奈良市春日山には
二つの峯があり、
南側の少し高い峯を
高峯と呼んでいて
その高峯に廟所がある・・・
↓↑
『六国史』
持統天皇九年(695年)正月五日
浄広弐
二品
大宝四年(704年)正月十一日
益封200戸
和銅七年(714年)正月三日
益封200戸
養老二年(718年)正月五日
一品
養老三年(719年)十月十七日
内舎人2人
大舎人4人
衛士30人
を賜与
益封800戸
(以前の封戸と合わせて2000戸)
養老四年(720年)八月四日
知太政官事
神亀元年(724年)二月四日
益封500戸
天平七年(735年)十一月十四日
贈太政大臣
天平宝字三年(759年)六月十六日
崇道尽敬皇帝
を追号
↓↑ ↓↑
父=天武天皇
母=新田部皇女(天智天皇の娘)
大夫人(淳仁即位後に追贈)
当麻山背(当麻老の娘)
子供
長男=守部王
次男=三原王(?-752)清原氏の祖
↓↑
七男=大炊王(淳仁天皇・733~765)
妃は当麻氏
↓↑
三男=船王
生母不明
四男=池田王
五男=三島王
六男=三使王(?-760)
↓↑
男子=御浦王
男子=厚見王
女子=室女王(?-759)
女子=飛鳥田女王(?-782)
ーーーーー
・・・???・・・「スドウ」天皇・・・数藤・須藤・首藤・周藤・須東・主藤・簾藤・・・
「祟=出+示」=たたり・スイ・・・・・・・
なのか
「崇=山+宗」=あがめうやまう・スウ・ス・・・崇拝
なのか・・・
第十代崇神(スジン)天皇の「山+宗」か?
祟神(スイジン)天皇の「出+示」か?
御間城入彦五十瓊殖天皇
(みまきいりひこいにえのすめらみこと・日本書紀)
御眞木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと・古事記)
御眞木天皇(みまきのすめらみこと・古事記)
御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと・日本書紀)
所知初国天皇(はつくにしらししすめらみこと・古事記)
ーーーー
・・・?・・・
簒奪・・・編纂・・・
・・・「よしなに=葦名似」=「あしなに=葦名似」・・・「よしなに=旨い具合いになるように・よいように・お好きなように・御自由に・よろしく」、「 よしなにお伝えください」、「適切に適正・然る可く・然るべく・適切・しかるべく・適宜」、「よい関係、付き合い、間柄を相手に依頼する挨拶」、「よろしくお願いします・宜しくお願いします・よろしく・是非ともよろしくお願いします・何卒よろしくお願い致します・今後ともよろしくお願い致します・以上よろしくお願いします・引き続き宜しくお願いします・以後ともよろしくお願い致します・よしなに」・・・「和名類聚抄」・・・「波伯吉国→伯耆国(ほうきのくに)」、「吉備道中国→備中国」、「粟国→阿波国」、「木国→紀伊国」・・・「泉国→和泉国」は中国の「泉州」と区別する「和の泉国(泉州移民)」だったカモ・・・
ーー↓↑ーー
なぜか、「むさし」が「牟差示(佐志)・六三四」でなく、「武蔵・武藏」・・・「みやもとむさし=宮本武蔵」・・・
幼名
辨助(弁助・弁之助)
諱
玄信(はるのぶ)
別名
藤原玄信
新免武蔵守・新免玄信・新免武蔵
宮本二天・宮本武蔵
↓↑
兵庫県・・・武器の蔵
律令制の国で
摂津国
丹波国
の各西半分および
但馬国
播磨国
淡路国
の各全域に当たり
美作国
備前国
の各一部も含み
計7か国にまたがる
「兵庫」の由来
天智天皇の治世に
兵の武器の倉庫
「つわものぐら(兵庫)」
があったことから・・・「武蔵」・・・「陸参肆」、「残滓・惨死・慙死」・・・
「6+3+4=13=壱拾参→位置を拾う簒(纂)」
「簒=サン・うばう・うばいとる・横取りする・簒奪・簒立」
「纂=サン・あつめる・くみひも
あつめてまとめる・纂修・編纂
つぐ・受け継ぐ・纂承・纘(サン)
くみひも・組紐」
「6x3x4=72=七拾弐=漆拾貮→ウルシを拾う似(爾)」
氵+桼→類字は「黍(きび→吉備・驥尾)」
ーー↓↑ーー
「藏=(動詞)かくす・祕藏・くら
藏人所・藏人頭
内臓・地藏・贓物
チベット=西藏
蔵=藏=ゾウ・ザウ
くら・かくす・おさめる
しまっておく
隠して表に現さない
蔵書・蔵匿・愛蔵・家蔵・死蔵
収蔵・所蔵・退蔵・貯蔵・内蔵
秘蔵・腹蔵・包蔵・埋蔵・冷蔵
ーー↓↑ーー
「无耶志=无射志=胸刺→新羅移民→武蔵→埼玉」・・・「胸(月匈・肉匈)の刺、金の刺」の「刺(さし・さす・とげ・シ)」って、「刺=耶志=射志」・・・
ーー↓↑ーー
「よしなに」=「よし」+「な」+「に」
=「よ」+「しな」+「に」
「よし=良し」+「な(~のよう)」+「に」
「に=なり」
「よ=良い」+「しな(経過)」+「に」
「に=なり」
「よい=良い」+「名」+「に=似・爾」
ーー↓↑ーー
「胞衣=エナ・イナ」・・・・・恵那・伊那
胎児を包んだ膜と胎盤
後産
胞=外皮でまるく包むの意
ーー↓↑ーー
「よしなに」
ーー↓↑ーー
「良字=好字=佳字」・・・
「好字二字化令
(和銅六年(713年)五月二日・甲子の条)
西暦713年6月3日火曜日赤口・(グレゴリオ)
西暦713年5月30日(ユリウス)」・・・
713年癸丑(癸・辛・己)
6月丁巳(戊・庚・丙)
3日甲子(壬・癸)
ーー↓↑ーー
「悪(あ)し名」を「良(よ)し名」に変えた・・・
「あしな=葦名=蘆名=芦名=足名=芦品=蘆品=尼子名
アシナ=アテナ(Athena・アテーナー(Ἀθηνᾶ, Athēnā・Ἀθήνη, Athēnē アテーネー・Ἀθάνα, Athana アタナ・Ἀθηναίη・アテナ、アテネ)?」・・・
ーー↓↑ーー
「グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナ
Gnaeus Cornelius Scipio Asina
(ラテン語)
紀元前3世紀、生没年不詳
第一次ポエニ戦争期の共和政ローマの政治家・軍人
「アシナ」=「ロバ(驢馬)ラテン語」
「ローマの名門のコルネリウス氏族」
ーー↓↑ーー
「アセナ(Asena、アシナ)=雌狼(テュルク神話)」
および、
「雌狼の生んだ十人の息子のうちの一人の名前
オオカミ(テュルクの神話)
トルコではトルコ民族を象徴する存在」
ーー↓↑ーー
アセナという名の
青い鬣(たてがみ・立て髪)をした
牝(メス)の
狼(オオカミ)が
傷ついた少年を助け傷をいやし
やがてオオカミと少年の間に
十人の子供たちが生まれ
オオカミと人間の血をひく
アセナに率いられたこの子供たちが
やがて
アシナ氏族(阿史那氏)を築き
突厥帝国(Göktürk)の中核となった・・・
阿史那氏は興安嶺からカスピ海、カフカース
に至る広域な版図を築き
匈奴を凌ぐほどの大規模な遊牧国家を建国
権力構造は各地に君主を置いての
分権的支配構造・・・
ーー↓↑ーー
ウイグル人の民話など、他の
テュルク系民族の神話とも共通し
司馬遷の「史記」にも登場・・・
ーー↓↑ーー
テュルク人の村が
中国の軍に襲われ全員が殺され
司令官は唯一残った赤ん坊を憐れみ
手足を切ってオオカミの住む草むらに投げ捨てた
司令官は後でこの判断を悔やみ
置いてきた赤ん坊を殺そうとしたが
赤ん坊はすでに
空色の立て髪の
アセナという名の雌狼に助けられ
アセナはこの赤ん坊の傷をいやし
やがて大きくなった赤ん坊と
アセナの間に
阿史那氏
の祖先となる子供が生まれた
ーー↓↑ーー
アセナ(エルゲネコン伝説)
テュルクの祖先がモンゴル人との戦いに敗れ
生き残りが
アルタイ山中・・・阿爾泰山脈=金の山(モンゴル語)
↓↑ ロシア、カザフスタン、
モンゴルから中国にかけての山岳
アルタイ山脈の最高峰はベルーハ山の
氷河は
オビ河の源流・・・帯河・・・飫肥掛話?
↓↑ ↓↑↓↑
わし座(鷲座、Aquila)
トレミーの48星座の1
アルタイル(七夕の彦星・牽牛星)
アルタイル(Altair)と、
はくちょう座のα星デネブ、
こと座のα星ベガの3つの1等星で
夏の大三角と呼ばれる
↓↑ 大きな二等辺三角形を形成
の奥深くにある細道を抜け
豊かな谷間
エルゲネコン(Ergenekon)にたどりつき
数世代にわたり暮らして勢力を回復
エルゲネコンから外の世界へ出ようとした
子孫らは出口の細道が分からずに行き先を見失うが
そこに現れた
メスオオカミの導きで
エルゲネコンから出ることができ
モンゴル人を打ち負かした・・・
ーー↓↑ーー
テュルク諸族
トルコ語
アゼルバイジャンのアゼリ語
ヴォルガ・ ブルガール語
トルクメン語
ウイグル語
西は小アジアから東は
新疆ウイグル自治区までの領域・・・
「アナトリア」
「アナト=女神」・・・「穴戸」=「神功皇后」
民族的には中央アジアのテュルク系
アナトリア半島
ギリシア語
Ανατολία, Anatolia=Aνατολή, Anatolē
トルコ語
Anadolu
アジア大陸最西部で西アジアの一部をなす地域
トルコ共和国のアジア部分
ギリシア語
「日の出」に由来
トルコ語
アナドル(Anadolu)・・・侮る・蔑?
アナトリアの名称・・・・・穴+鳥+鴉=ミズナギドリ(水薙鳥)
と総称
東ローマ帝国皇帝
コンスタンティヌス7世が
軍管区を置いた際
アナトリコン(日出づる場所)と命名
ーー↓↑ーー
「くたばる・くたばれ」・・・草臥(くたび)れる?・・・茨城弁・・・斃る(くたばる・敝+死)・・・「苦+多+這+留」?
「㡀(説文解字)=㡀は布を左右に裂くこと・敝はそれに攴 動詞の記号を加えた字・(漢字源)=㡀(ヘイ)+攴(ボク)・㡀は縫い飾りのある礼装用のひざかけ、その飾りはいたみやすく、攴を加え敝敗の意を示す・・・敝=やぶれる・やぶる・おとろえる・つかれる・ヘイ・やぶる・ぼろぼろになる・敝衣・つかれる・よわる・自分のことにつける謙称・・・
ーー↓↑ーー
ヒッタイト人の国家、ヒッタイト王国(ヒッタイト帝国・B.C.17C~B.C.1200?)の存在が確認されたのは、B.C.1680年頃
ラバルナ1世(位B.C.17C)が建国者
ラバルナ1世建国のヒッタイト王国は"古王国"
始祖ラバルナの名
ヒッタイトの
「大王」の称号「ラバルナ(タバルナ)」としても使用
王妃
タワナアンナ(生没年不明)の名も
王妃の称号を表すようになる
ーー↓↑ーー
アテナ女神
アテーナイのアクロポリスに
パルテノーン(処女宮、Parthenon)の神殿を持ち
梟を自己の聖なる動物としていた
女神を
グラウコーピス・アテーネー
(glaukopis Athene)と
ホメーロスは呼ぶが、
定型修飾称号の
「グラウコーピス」は
「輝く瞳を持った者」
「灰色・青い瞳を持った者」
というのが本来の意味と考えられる
梟(グラウクス)と関連付け
「梟の貌を持った者」
女神は
知恵を表す蛇
オリーブを平和の象徴
としていた
アテーナイ市で
7月に行われるパンアテーナイア祭
アテーナイの支配権をめぐって、
海神ポセイドーン・・・・須佐之男?
と
アテーナー・・・・・・・天照大神?
が争った
ーー↓↑ーー
異伝
アッティカから崇拝を受ける権利を
ポセイドーン
と
アテーナー
が争い
ポセイドーンが自分の三叉の矛を用いて
アッティカのアクロポリスの中央に泉を生じさせた
次に
アテーナーが
アッティカにオリーブの木を植え
アテーナーは
ケクロプスに対し、
彼女が先に木を植えたと証言するよう命じ
2神の争いを神々が審判
ケクロプスはアテーナーに有利な証言をし
アッティカはアテーナーのものとなり
「アテナイ」
と呼ばれるようになった
ーーーーー
・・・当て音・宛て名・・・アテナイ・・・???・・・
はやぶさ・・・ホルス・・・浦流蘇
・・・「ハヤブサ(隼・鶻・鸇)2」・・・「ホルス(エジプト神)」って「ハヤブサ」なのに、小惑星「龍宮(直径900m)」を目指して、来年6~7月到着予定ですか・・・「オシリス」の横で幼児の「ホルス」を「イシス」が膝の上で抱いている像があるが・・・「シリウス(Sirius)=セイリオス(Seirios)=ソプデト女神(Sopdet)=セペデト女神(Sepedet)=ナイルの星=イシスの星=Dog Star=天狼星」は、大犬座の全天21の1等星で地球から見える最も明るい恒星で、古代ギリシアで朝空のシリウスが夏の到来、ナイル川増水の「七月後半頃」の星である・・・シリウスが女神ならば「牝の大犬」で、「天狼は牝」・・・ならば「牝の狼(おおかみ)」とは「天照オオカミ(大神)」・・・「ホルス」は彼女の息子で・・・「アルタイ(鷲→隼・鶻・鸇・はやぶさ)」・・・
↓↑
日本武尊が東国平定の帰路に尾張へ滞在
尾張国造
乎止与命(おとよのみこと)の娘・・・・・音与見言?
宮簀媛命(みやずひめみこと)=美夜受比賣
↓↑ 琴座の織姫(ベガ・Vega)?
琴(こと・キン)=王+王+今→二人の王が並ぶ今?
箏=箏=竹+争・・・筑紫の争い・他家の争い・武の争い?
北方玄武七宿の第三宿
女宿の中の三女星
(織女星、婺女星、須女星)
の織女星
織姫は横糸を通す管のついている
「天梭(杼・ひ)」を持ち
↓↑ 仙界の織物(彩雲と天衣)を織る
と結婚
草薙剣を
妃、宮簀媛命
の手元へ留め置き・・・「留め置き」って、奪われたんじゃないか?
剣(つるぎ・ケン)→都留疑(魏戯祇・祁)
を 腱・建・懸・縣・犬・兼・謙
忘れるとも思えない、ダマされた?
伊吹山(伊服岐能山)の
白猪神に祟られ・・・・「白猪」って、方角からすれば
都の北西で、朝鮮半島(新羅)?
都の西北・・・・・・舞鶴?
伊勢国
三重邑
能褒野(のぼの)で
タギタギしくなりて
(成-當藝-當藝斯玖)・・・多義、多義詞句?
「藝=わざ(技術)・ゲイ」?・・・武藝・藝術
「芸=うえる(蓺)・ウン」?・・・香草
坴+丸=埶→熱・勢・驇(たり・ち)・褻・爇・藝
「芸」≠「(++)+云」=本の「虫除け」に用いた香草
虫除け=樟脳・・・笑納・章納
樟脳=特異な芳香のある無色透明の板状結晶
昇華しやすい
水に溶けず、アルコールなどの
有機溶媒に溶ける
クスノキ(楠・樟)の木片を
水蒸気蒸留して製する
セルロイドや無煙火薬の製造原料
香料・防虫剤・医薬品などに用いる
芳香剤・中枢神経興奮・局所刺激
防腐作用
camphor(虫よけ用の玉) mothball
カンフル(蘭語 kamfer)
カンファー(独語 Campher)
と呼ばれることも・・・カンフル剤
別名
1,7,7-トリ-メチルノル-カンファー
2-カンファ-ノン
2-カンフォ-ノン
カラドリル
血行促進・鎮痛・鎮痒消炎作用
清涼感などで
外用医薬品の成分として使用
↓↑
ダメになりかけた
物事を復活させるために
使用される手段を比喩的 に
「カンフル剤」と呼ぶ
カンフルを強心剤とされていた
↓↑
脳=植物の精油から作る結晶
メントール=薄荷脳(ハッカノウ)
「竜樹」から採る「竜脳」?
龍脳(リュウノウ)=ボルネオール (borneol)
中国、ヨーロッパなどで
高級な宗教用薫香料とし
頭痛薬、歯痛薬として使用
漢方では歯痛、明目の目的で使用され
熱性痙攣、咽喉痛、歯痛、眼疾患に用いる
↓↑ ↓↑
リュウノウギク(竜脳菊)=キク科キク属の多年草
野菊の1種・秋遅くに花をつける野菊
名は、茎や葉の香りが、
中国から伝わった
竜脳という香料に似ている事に由来・・・
・・・観た目は「マーガレット(Margaret)=木春菊」
に似ている・・・3~7月に花をつけ、白色の一重咲きが普通
↓↑ ↓↑
マハーナーガ(大龍菩薩)が龍樹の慢心を哀れみ
龍樹を海底の龍宮に連れて行って諸々の大乗仏典を授けた
龍樹は 90 日かけてこれを読破し、深い意味を悟った・・・?
摩訶般 若 波羅蜜 経
(まかはんにゃはらみつきょう・鳩摩羅什-訳)
↓↑ ↓↑
樟脳=飲み込めば
脳神経を麻痺させる
有害な物質となる
芸亭院(ウンテイイン)
天応一年(781)六月条の石上宅嗣伝(続日本紀)
彼は阿閦寺(あしゆくじ)を建立
南東隅に外典の書庫を中心に一区域を設け
「芸亭(ウンテイ)」と名付け
好学者に自由に閲覧させた
足痿不行=蹇(アシナエ・・・・・「足名・葦名・蘆名」重
=𡨄+足)て亡くなり
宮簀媛命は
熱田に社地を定め
草薙剣を奉斎鎮守した
三種の神器のうち
草薙剣は
熱田に置かれている・・・
↓↑
「ヒライアカル・ライジング(heliacal=太陽の・太陽に近い・太陽と同じ頃に出る(沈む)」という意味らしく、その朝は、太陽(ラー)とシリウス星(女神ソプデト=イシス)の光が地平線上で交じり合いながら神殿内に差し込んむ・・・「heliacal=日雷赤留・飛来上昇」、「rising=雷神球」・・・?
兎に角、「ハヤブサ=ホルス」が目指す「龍宮白」には何が、ダレが存在するのか?・・・「乙姫」である・・・
ならば、「はやぶさ=ホルス」とは
「浦島太郎(丹波國-餘社郡-管川人-瑞江-浦嶋子)」の
「浦嶋子=ホトウシ=補唐誌=保訳得詞」で、
「乙姫=おとひめ=音比女(秘め)」とは
「大亀(おほがめ・ダイキ)が
女人(にょにん・ジョジン)に化けた
女人亀(ジョジンキ)」であった・・・
二人は
「蓬莱山(とこよのくに・よもぎがしま・ホウライサン)→熱田神宮?←(年魚市潟(あゆちがた=吾湯市潟=愛智潟)に面し、樹齢千年を越える、老松古杉の生い茂る熱田の社が海に突き出る岬のように見え、巨大な亀の甲羅上にあると例えられたことから)」へ新婚旅行・・・
「年の魚(まな・うお・漁=あさる)」、「年魚(あゆ)=生まれて1年以内に死ぬ魚・アユ(鮎・香魚・キュウリウオ=胡瓜魚)・産卵後すぐに死ぬので、1年で死ぬと思われていた・サケ(鮭)の古名」・・・「鮎」は、「神功皇后がアユを釣って征韓の戦いを占ったことから「占魚」と当てた・・・
「年の鳥(とり・チョウ)」ならば「鵇=とき=朱鷺・鴇・鴾・時」だが・・・年代を調べろの示唆だろう・・・
↓↑
「年魚市潟(ネンギョシセキ・ネンギョシシャ)」
年 御 史跡 撚 暁 史写
娚 御 死者・使者・試写
「潟=かた・セキ=氵+舄=瀉
→新潟・干潟 (ひがた・カンセキ)
=氵+宀+舄(鵲・かささぎ・笠鷺→新笠の詐偽?)
舄=臼+勹+灬(烈火)
異体字は「澙・瀉・泻」
コレラ=漠瀉
虎列刺=コレラ=鉄砲・見急・漠瀉・霍乱
=三日コレラ
Vibrio cholerae
虎狼痢・虎狼狸
古呂利=卒倒の義
頓死の総称
「瀉=そそぐ・シャ・流れそそぐ
瀉出・一瀉千里」
からだの外に流し出す
瀉下・瀉血・瀉剤・瀉痢・水瀉・吐瀉
沢瀉 (おもだか=面高)
ーー↓↑ーー
七月十二日水曜日のTV
「ためしてガッテン」」
「知られざる膝(ひざ)痛の原因」
「関節包」に注目でした・・・
↓↑
昨日は、
「胞衣=エナ・イナ」・・・恵那・伊那
胎児を包んだ膜と胎盤
後産
胞=外皮でまるく包むの意」
に触れて書き込んだが、今夜は
「膝の包皮」でした・・・
「膝(ひざ・シツ・シチ)」と「漆(うるし・シツ)=桼」は類字するけれど・・・「黍(きび・ショ)=禾(ノ十八)+𠆢+水」も類字・・・
↓↑
「膝蓋前滑液包炎
(しつがいぜんかつえきほうえん
Prepatellar bursitis)
or
「膝蓋粘液腫
(しつがいねんえきしゅ)
とは、
膝蓋骨(膝の皿)上に
腫れと痛みを生じる疾患
通称、
女中膝(ひざ)
(housemaid's knee)
「膝蓋前滑液包
(シツガイゼンカルエキホウ)
の
炎症によって惹き起こされる」
↓↑
「膝蓋骨の前面を覆う組織には
表層より
皮下組織
大腿筋膜
大腿四頭筋腱線維
があり
膝蓋骨を含む各層の間には
組織間の摩擦を軽減するための
滑液包(かつえき ほう)
という滑液を含んだ
袋状の組織がある
膝蓋前滑液包
(シツガイゼンカルエキホウ)」
ーーーーー
・・・七七七・・・
認識、思考、思惟する存在・・・考えるヒト・・・
・・・「30度」ですか・・・椅子から立ち上がる時や、シャガンで立ち上がる時がヤバイが、あの宙に浮く感覚は何度も確かめたくなる・・・重力からの突然の解放?・・・後は旨い具和意に「しゃがむ(踞む)・足+居」、「しゃがむ(蹲む・足+尊)=うずくまる・つくばう」コトが出来ればネッ・・・「しゃがむ=膝を折り、腰を下ろした状態・かがむ(屈む)=身体を低めた状態で、腰を下ろしていない場合も・腰を曲げた状態」、「しゃがむ(踞む)=躑む・蹲む=たちもとおる・うずくまることをも・ひざを曲げ、腰を落として姿勢を低くする」、「蹲(うずくま)る=体を丸めてしゃがみ込む・獣が足をたたんで腹ばいになる・道端に蹲る・物陰に蹲る・犬が足もとに蹲る・蹲(つくば)る・うずくまる・かがむ・しゃがむ・つくばう(蹲う)・地面を這い蹲る」、「かがむと(屈む)=腰を低くし前傾姿勢をとる・しゃがむ=膝を曲げて腰を落とす姿勢・前傾姿勢や姿勢を低くする動作」・・・
ーーーーー
「シャガム=謝我務・写画務・斜臥務」・・・釈迦務
「うづくまる=北海道の方言でクマル
=糸が縺(もつ)れる、絡まる・こんがらがる」
・・・渦(宇津・宇受)クマル
「かがむ=屈む」・・・加賀務・各務
・・・「郭務悰」?
「つくばう=蹲う」・・・「筑波・築波」得・通句葉有
「いすくまる=いずくまる
=恐怖、驚きなどで身動きできず、
その場でじっと固まってしまう・いすくむ」
・・・烏(いずく)丸=カラスマル=鴉満留
・・・焉=いずく=渠・胡・曷・伊豆苦
・・・「出雲=いずも→いずくも・いずくま」る
・・・伊豆井=いずい=威隋・委隋
「いずい」=不快である・かゆい・納まっていない
居心地が悪い・違和感がある
萎蕤(イズイ)=アマドコロ(甘野老)
=ナルコラン(鳴子蘭)
根茎に甘味があり、
根茎形がヤマイモ(山芋)科の
トコロ(オニドコロ(鬼野老)に似ているから
ドコロ(野老)はエビ(海老)の対字?
老人のヒゲ(髭・須)に仮託された「老」
山老=やまおい・ところ・やまがつ
やまがつ(山賤)=樵(きこり)
山仕事を生業とする人
杣人 (そまびと)=きこり(木樵・樵)
山に住む身分の低い者
やましず
山賤(やまがつ)
山形→∩△・・・∩=髯の垂れ下り
谷形→∪▽
双曲線→⊃⊂→)(
「居竦(いすく)まる=いずくまる・・・「伊豆・五・孰」くまる
=恐ろしさや寒さのあまり、
身がすくんで動けなくなる
いすくむ・すくむ」
・・・竦む・諏句務
・・・椅子苦・慰す躯
「くまる(分ける)=配(くば)るの古形
=分配する
=分を訓みてクマ・リと云ふ
(古事記 上訓注)」
・・・「阿=くま=隈・熊
=球磨・久万・嵎」留(流)
ーーーーー
武士彠(ブシカク・ブシヤク)・・・彠=尋ねる蒦(カク)
↓↑ 蒦=はかる・ものさし・のり・はかり
ワク・クワク・キャク・カクヤク
カク・ヤク
蒦=艹+隻(隹又)
籆=機織りで糸を巻き取る道具
糸わく
篗=榬なり
絲を收むる者なり
説文解字・玉篇
榬=枠の元の字
形声の声符は「蒦」
↓↑ 音読みはワク(漢音)
武士彠(ブシカク)
577年~635年)
武則天(次女・武照)の父
字は信明
諡は定
周国公
太原郡王
武照朝政時に
忠孝太皇と追尊
本貫は
并州
文水県
↓↑
武周が建国され
東都に
武氏七廟が建てられ
帝に追冊された
先天年間に
士彠の帝号が削られ
太原王とされ
武氏七廟も廃止
↓↑
士彠の妻
相里氏
子は
武元慶
武元爽
後に
楊夫人(栄国夫人)を後妻とし
三女をもうけ
長女は
賀蘭越石
の夫人となり
韓国夫人・・・この時代の
↓↑ 韓国とは何処か?
韓国
虢(カク)国
秦国(始皇帝の本貫)
は西周~春秋・戦国時代にあった
諸侯の国の一つで
洛陽の西にあり
後の唐代では
長安付近に存在した・・・
唐代では単なる
かって(過去)の
地方の国領域の呼称のみ・・・?
↓↑ 春秋時代
紀元前770年~紀元前403年まで
周の第12代王・幽王が犬戎に殺され
洛邑(洛陽)へ遷都してから
晋が三国(韓、魏、趙)
に分裂までをさす
韓=戦国七雄の一国(紀元前403年~紀元前230年)
河南省北部の一部
山西省南部の一部
↓↑ 陝西省東部の一部
に封ぜられた
次女の
武照(則天武后)は
高宗の皇后となり
帝位に上った
↓↑
三女は
郭孝慎・・・・・「郭」の「孝慎(後進・庚申)」
の夫人となった
兄に
武士棱・・・武の士棱なのか、武士棱なのか?
武士譲・・・・・・武の士譲なのか、武士の譲なのか?
武士逸・・・・・・武の士逸なのか、武士の逸なのか?
らがいた・・・姓が「武士」なら、名前の「棱、譲、逸」の「?」である・・・
兄の子として
武惟良・・・・・・武の惟良
武懐亮・・・・・・武の懐亮
武懐運・・・・・・武の懐運
らがいた・・・ここでは「武=姓」、「○○=名」は確実だが・・・名前の「惟良、懐亮、懐運」の「?」である・・・
・・・以上の「則天武后」の「唐周時代の文字情報」はボク的な妄想では・・・
日本の記録された歴史、
「大化の改新」~「白江村の海戦」
「壬申の乱」~「平安京遷都」、
「日本書紀、古事記」編纂時代の
「天武天皇=大海人皇子=天渟中原瀛真人」
「持統天皇=鸕野讃良・藤原鎌足=中臣鎌子」
「孝謙-称徳天皇(阿倍皇女)・阿倍仲麻呂(朝衡・晁衡)」
その他、大勢の人々が重なっているように見える・・・
ーーーーー
・・・ニュースでは、
今年の5月
千葉県
印西市・・・・・・・・・印は西(酉)の市→熊手の市?
十一月の酉の日に開催される酉の市で
売られる
「金運をかき集める農具の飾りモノ」
の老人ホームで働く
准看護師・・・・・・・・尋漢語詞?
波多野愛子・・・・・・・機之・秦野・葉多埜?
容疑者(71)が
同僚の女性らに
睡眠・・・・・・・・・・垂(誰・鵻・隋)罠?
導入剤
を混ぜた
お茶を飲ませて
交通事故を起こさせ殺害
7月11日に逮捕・・・・・・・・七月十一日?
・・・動機が同僚に対する「嫉妬」とは思えないが・・・
↓↑
中国の民主化運動の象徴的存在
服役中にノーベル平和賞を受賞した
劉暁波(リウシアオポー)氏・・・劉(リュウ)は暁の波
龍は曙(あけぼの)の那の美?
籠(池)、業の名を見る?
が
7月13日木曜日
遼寧省
瀋陽・・・・・・・・・・・・・・審の要
の病院で死去
61歳
・・・「ノーベル平和賞」を貰って「平和」が保障されるコトは無い・・・キミは「中国共産党」からさっさと逃げ、延命をハカるべきであった・・・キミの後に続く人々はアテにはならないのだから・・・
「敵」を作っているキミが「敵がいない」とは「能天気」である・・・「キリスト」は「人々」を救えなかった・・・「キリスト」に責任はない、責任は「パウロ=サウロ」にある・・・その後に及んで、今現在、
2017年間と7月15日の長きに渡って
「パウロ=サウロ」は「キリスト」を利用し
「いたづら(徒ら)」な天獄への法螺吹き運搬人だった・・・
↓↑
個々の生きてきた一人として、
アンタ、あなた、きみ、おまえ、きさま、ユウ
が生きている間、そして今現在、
「世間・地球・宇宙」のスベテは
認識主体の主役で、主人の
アンタ、あなた、きみ、おまえ、きさま、ユウのモノである
アンタ、あなた、きみ、おまえ、きさま、ユウが生きてきたからこそ
「世間・地球・宇宙」が存在していた・・・
もはや・・・「いたづら(徒ら)」になっては、
↓↑
役に立たない
無駄である
むなしい
死ぬ
あだなり=無駄だ・・・仇・敵・徒・空
婀娜・讎・阿多
綽名・渾名・仇名
はかなし=むなしい・・・果て無し
墓無し
いたづらなり=無駄だ・・悪戯・異多面
むなしい・・・虚しい
虚構
死ぬ
↓↑
世界も終わるのだ・・・
認識主体の「アンタ」が存在しないなら
「世間・地球・宇宙」のスベテも存在しないのだから・・・
「生」に執着無くして、「社会」も「世界」も「替えるコト」は出来ない・・・「生きている今現在」の個々人としての実存者は「平等であるコト」はモチロン、「公平であるコト」では生きていけないコトを知っている「生理的、社会的なプチブル志向者」だから・・・
ーーーーー
・・・???・・・「存在」は「認識する存在」によって認識、思惟、思考される・・・
郢書燕説(エイショエンセツ)・・・英書の袁(長袖)の説・・・袖手傍観
・・・「英(エイ)」の漢字「重意(エイ)」、「英国」、「英王」、「英雄」・・・「英國=春秋時代の諸侯国」・・・「英吉利=𠸄咭唎=英吉利西」じゃぁないから混乱する・・・ボク的にはマッタク、音もスペルも「音愚留素の滑る、総べる、總(すべる)、綜(すべる)」の「寅具留蘇(イングルス)」である・・・「文字」に記されるからには、それらの「理由」があるのはアタリマエだろう・・・ましてや、「同じ漢字」なら、なんらかの「共通項」を有するのは尚更ではある、「同じ音の文字」も、そうカモと思うのだが・・・これって、「郢書燕説(エイショエンセツ)」なのか?・・・既知=キチ=吉・危地・窺知・奇知・・・既に「意味のチガイ」を知っている人ならサイワイである、が・・・知っていてもヤクにタタナイときがある・・・曲解、誤解してヤクにタツときもある・・・「違い=チガイ=治外=智(知)害」・・・知っている、ってコトは最大の「不幸」カモ・・・無知は無垢じゃぁないョッ、でもサッ・・・「感知」し、「認識-記憶-思惟-思考」し、「判断」し、蠢いていくモノ、無自覚な部分もあろうが、新陳代謝の「生き物の宿命」である・・・だが、「家畜=カチク=価値句」が己の存在を「自覚」したなら「人間」は殲滅されるに違いない・・・「自覚する羊たち」は「沈黙」しないだろう・・・
ーー↓↑ーー↓↑ーー
英=艸+央=はな・はなぶさ
↓↑ ひいでる・ひで
エイ・エ・ヨウ・ケイ
「エイ=叡・穎の代用字」
↓↑ ↓↑ ↓↑
比叡山・叡智
・・・愛知・愛智・英知
philosophy
英彦山(ひこさん)は
福岡県-田川郡-添田町
と
大分県-中津市-山国町に
跨(またが)る山で
耶馬日田英彦山国定公園の一部
英山(はなぶさやま)は
九州・沖縄に存在し
英山=佐賀県西部
有田町に聳(そび)える
岩頭
↓↑ 英山号の鐘=アポイの鐘は
1979年10月20日
北海道様似町平宇沖で座礁し、
「呉漢虎」船長以下47名の乗組員が
全員救助された中国貨物船、
英山号(836トン)の警鐘及び時鐘
英山号の鐘
北海道-様似郡-様似町
日高山脈支稜線西南端に位置
一等三角点(点名「冬島」)の山
「アポイ山」の
地名由来はアイヌ語の
「アペ・オ・イ(火のあるところ)」
・・・阿倍(アベ)は「おい=甥・老い・負」?・・・
↓↑ ↓↑ ↓↑
穎=匕+禾+頁
ほさき・すぐれる
かしこい
エイ
頴=匕+示+頁
匕+二+亅+八+頁
頁=一ノ目八
穎悟・穎才・穎哲
穎悟・穎脱
稲の穂先=穎果
錐 (きり)、筆など、
尖(とが)った物の先・尖端
穎脱・毛穎
才知が鋭い・穎悟・穎才
↓↑ 「英」を代用字にする場合がある
英=艸+央
英才・英断・英雄
育英・俊英
石英・落英
=首枷(かせ)を付けられた人?・・・政治犯?
=光り輝くの象形=真ん中
光=景=日+亠+口+亅+八
景行・景行天皇・・・日本建(小碓命)の父
景保・高橋景保・・・シーボルト事件に連座
傾向
経口
径行
携行
↓↑ 蛍光
英=艸+央
英國=春秋時代の諸侯国
↓↑ =周代に存在した諸侯国
皋陶(コウヨウ)=帝堯、帝舜の時、
公平な裁判をおこなった人物
司法官吏(司空・司寇)
の後裔によって樹立
春秋時代に
楚の付庸国
後、
楚の
成王(熊惲=ユウキ)
によって滅ぼされた
史記・十二諸侯年表
楚の成王
熊惲(ユウキ)=成王(?~紀元前626年10月20日)
↓↑ ↓↑ 春秋時代の楚の王
姓は羋、氏は熊
諱は惲、or頵
紀元前672年
兄の荘敖に殺害殺害されそうになり
「隨」に亡命し、隨の国人の援助で
↓↑ 荘敖を襲撃して殺害し、楚王に即位
は
成王26年
楚国は
英国、及び
↓↑ 六国を滅ぼしたと記載・・・「六英を滅」
瑛=王+英
玉の光・水晶玉
美瑛・玉瑛
↓↑
英=艸+央
「はな(花)・実のならない花
英華」
「はなぶさ(花房)・藤(フジ)の花
花が群がり垂れて咲く花」
「はなしべ(蕊・蘂・蕋)
雄しべと雌しべ)」
・・・占部・志部・士別
「花びら(瓣・花弁・落英)
「美しい=英英」
「優れている・秀でている・優れた人物」
・・・英才・英雄
「ほまれ(名誉)・優れた評価」
・・・英華
「芽・芽生え」
「英吉利(イギリス)」
・・・英語・英国
・・・「和英。和英」辞典
[f:id:naie:20170716091850j:image]
「国君の姓、偃姓・国都は安徽省-六安西南湖北省-英山県・始の封國者は不詳」・・・じゃぁ、「韓国」は・・・
ーーーーー
韓室の祖先
春秋時代の
晋の公族
穆侯の子
桓叔の諸子の
韓万(韓武子)・・・韓萬(満・曼・瞞)
が
韓原の地(陝西省韓城市)
に封じられた
姫姓
を姓とする
韓武子・・・・・・「韓の武の子」?
の一族が
韓氏を称すのは
領地名に因んだもので
これ以前にも
同名の
「韓」という国があった
(周王朝系の韓 (西周))
こちらも
「韓原を地盤」としていた
↓↑
紀元前620年
韓万の
玄孫
韓厥(カンケツ)・・・簡潔な人物?
が司馬に登用
趙氏の再興に尽力し
紀元前573年
韓厥
が
正卿・中軍の将になった
↓↑
紀元前541年
子の
韓起も正卿となり
韓氏は政治を司る
六家(六卿)の一つとなった
春秋末期
韓虎(カンコ)が・・・韓のトラ(訳等)
趙氏・魏氏などと共に
智氏を
紀元前453年
に滅ぼし
魏・趙と共に
晋の領地を
三分割して独立・・・三分割の時代は朝鮮半島にもあった
三韓時代(馬韓・弁韓・辰韓)
「韓有三種、一曰馬韓、二曰辰韓、三曰弁韩
・・・凡七十八国・・・皆古之-辰国也」
高句麗・百済・新羅
紀元前403年
周の王室から
正式に諸侯として認められた
↓↑
紀元前375年
鄭を滅ぼしたが
韓は
七雄の中では最弱で
西の
秦からの侵攻に怯えていた
↓↑
申不害(? - 紀元前337年)・・・申す(猿)、我意ではない?
を宰相に抜擢した
釐侯の治世は
国内も安定し、最盛期を築けた
次代
宣恵王が
紀元前323年
初めて王を名乗ったが
申不害
の死後は再び
秦の侵攻に悩まされた
公子の
韓非
は国を強くする方法を
『韓非子』・・・法家である韓非の著書
↓↑ 法治による権力の扱い方、保持
君主の権力を法によって
↓↑ 一元化、体系化する思想
に著述
韓非子の成語
矛盾
想像(群盲、象を撫でる)
功詐不如拙誠・・・巧詐は拙誠に如かず
コウサはセッセイにシカず
巧みに詐る(詐称)ことは
拙(まず)くとも
誠実であることには及ばない・・・?
守株・・・・・・・待ちぼうけ、コロリ転げた木の根っ子
逆鱗
箕子の憂い・・・小さな動向を見て大局を見ることができる
↓↑ 「象箸玉杯」
「キシのウレイ」は
「岸(吉師)の憂い」だったのか?
「岸舞い」は「阿倍」の管轄?
↓↑ ・・・吉志舞(キシまい)=大嘗祭などで
安倍氏の当主等が監督し、闕腋袍(ケッテキのホウ)等、
主に武官の服装で、踊られた舞楽
吉師舞、吉士舞等とも表記
舞い方自体は伝承されていない
↓↑ 楯節舞(たてふしまい・楯伏舞・楯臥舞)等とも表記
郢書燕説(エイショエンセツ)
↓↑ 「辻褄の合わないことに
もっともらしい理由をつけること」
という意
楚の国都である郢(エイ)の人が
燕国の大臣に宛てようと
手紙を口述筆記させていた最中
暗いので
「明かりを掲げよ」と書記に命じたところ
手紙の記述内容だと誤解し
「明かりを掲げよ(挙燭)」と誤記し
手紙を貰った「燕国の家臣」は
「挙燭=賢人の重用」と解釈
韓非は
「古典の中で分からないことが出てきた時
自分なりに解釈しようとするが
↓↑ それが作者の意に沿ったものとなるとは限らない」と
唯々諾々=いイだくダク→epigone=エピゴーネン
↓↑ =追従者・追随(隋)者
=逆らわずに他人の言いなりになるさま
主君の意向に先回りし
様子や顔色をうかがって
主君の心に先回りしようとする者たち
「忖度(ソンタク)」する者たち?
↓↑ 「ワルイ親」に「イイ子」として従うと・・・?
韓非の言説は
母国では受け入れられず
秦の始皇帝により実行され
韓は滅ぼされた
↓↑
韓は
鄭国(人物名)を送って
↓↑・・鄭=奠+阝
鄭(ねんごろ・テイ)
鄭重・丁寧・周代の国名
鄭声
鄭衛桑間=殷の紂王の淫靡な音楽?
鄭衛之音=鄭衛の音→鄭も衛もユダヤ人の音(立日)?
鄭衛之声=鄭衛の声→鄭も衛もユダヤ人の
歎きの声(十一巴→拾壱巴)?
殷=バビロン?・・・・・・・葉(罵)備賂務?
紂王=ネブカドネザル?・・・音部掛度音作留?
↓↑ ユダヤ=猶太の國?
猶=犭+八+酉
猶(なお)・猶子(ユウシ)・猶予(ユウヨ)
奠=酋+大(一人)→乞巧奠(キッコウデン)=七夕
尊=酋+寸→みこと
遵=酋+辶→遵法
酋=八+酉
↓↑ 酋長=シュウチョウ=周長
秦に灌漑事業を行わせ
秦の国力を疲弊させようとしたが
発覚
この工事で作られた水路が
鄭国渠と呼ばれ
中国古代3大水利施設の一つとなり
秦は疲弊ではなく豊かにさせた
紀元前230年
韓の
首都
新鄭を失陥
六国の中で最も早く滅亡
↓↑
秦は
潁川郡(エイセングン)・・・英撰具務(組)?
と呼び
改め統治下に置いた
↓↑
紀元前226年
旧都
新鄭で起きた
秦への反乱は鎮圧され
韓王安・・・桓恵王の子
は処刑
↓↑
劉邦の配下
張良は
韓の宰相の家柄・・・
生国である
韓を滅ぼされた恨みから
始皇帝暗殺を企て失敗
後に
秦末の動乱から
楚漢戦争期に
張良は
韓の旧王族から
韓王成
韓王信
を擁立
↓↑
武子(韓万)
賕伯
定伯(韓簡)
韓子輿(韓輿)
献子(韓厥)
宣子(韓起)
貞子(韓須)
簡子(韓不信)
荘子(韓庚)
康子(韓虎)
↓↑
武子(韓啓章)
(紀元前424年~紀元前409年)
景侯(韓虔)
(紀元前408年~紀元前400年)
烈侯(韓取)
(紀元前399年~紀元前387年)
文侯(韓猷)
(紀元前386年~紀元前377年)
哀侯(韓屯蒙)
(紀元前376年~紀元前374年)
共侯(懿侯、韓若山)
(紀元前374年~紀元前363年)
釐侯(昭侯、韓武)
(紀元前362年~紀元前333年)
宣恵王(威侯、韓康)
(紀元前332年~紀元前312年)
襄王(韓倉)
(紀元前311年~紀元前296年)
釐王(韓咎)
(紀元前295年~紀元前273年)
桓恵王(韓然)
(紀元前272年~紀元前239年)
王安(韓安)
(紀元前238年~紀元前230年)
ーー↓↑ーー
・・・突然ですが、「唐、武周」に跳ぶ・・・「Korea」でない「韓国夫人」の「韓国」とはナニか、を知りたいがため?の前文・・・モチロン、「the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」ではない「英国」も・・・
↓↑
武則天は
姪の
魏国夫人
が
高宗の寵愛を得ていること嫉妬し
高宗が泰山での封禅を終え
長安に戻ったことを利用し
武則天は
魏国夫人を毒殺
↓↑
690年
武后は
睿宗から
皇帝位を禅譲され
周王朝を起こした
「武周」革命・・・
↓↑
690年
干支=庚寅
日本
持統天皇四年
↓↑
中国
唐=載初元年
武周=天授元年
在位期間
690年10月16日~705年2月22日
武則天が帝位
国号を周とし
聖神皇帝と称する
↓↑
日本
1月23日
持統天皇3年12月8日
持統天皇、双六を禁止
2月14日
持統天皇4年1月1日)
天武天皇の崩御後
鸕野皇女が即位し
第41代天皇
持統天皇となる
↓↑
中国
神龍元年(705年)二月
日本
慶雲二年
↓↑
遣新羅使帰還(大使は幡文通)・・・播磨の文通
新羅貢調使来朝(大使は金儒吉・・・金の儒教は吉
副使は金今古)・・金の古今(集)→金槐集?
金槐和歌集
源実朝の家集(歌集)
建暦三年(1213年)十二月十八日頃
令外官として中納言を新設
↓↑
武周
705年・神龍元年二月
病床に臥せがちであった
武則天に対して
宰相の
張柬之(チョウカンシ)・・・・鳥瞰視?
が退位を迫り
再び
李氏唐朝
になった
(神龍革命・705年2月22日)
705年12月16日?
(神龍元年11月26日)
武則天(則天武后) (624年2月17日)623年?~
則天武后は
権力を奪われたが
殺されず
死後は
遺言通り
夫である
高宗の横に葬られた
↓↑
顕慶四年(660年)
皇帝を天皇
皇后を天后
とした
ーー↓↑ーー
太平公主(タイヘイコウシュ)
麟徳二年(665年?~713年)
唐の皇帝
高宗の末の娘
母は武則天(則天武后)
↓↑
八歳
太平の号を授けられた
↓↑
681年
薛紹(城陽公主の息子で従兄弟)
に嫁して二男二女を生むが
夫が
李沖
の謀叛に連座し獄死
690年
武攸曁
に嫁いで
二男二女を生んだ
↓↑
太平公主は
母の武則天が
垂簾政治を執り始めると、
武則天政権の一翼を担う
690年
母の
則天武后
皇帝に即位
武周王朝を建国し
太平公主
も隠然たる勢力を持っ
母が病に倒れた後
その愛人であった
張易之
張昌宗
兄弟が専横していたが
705年
太平公主は
張兄弟を倒し
兄の
中宗を即位させた
宰相
張柬之
により
武則天は退位(705年2月22日)
唐王朝に復帰
張兄弟
と組んでいた従兄弟の
武三思
が
張柬之
を失脚させ
安楽公主(中宗と韋皇后の娘)
と結び
701年
不倫の暴露を恐れた
安楽公主
が
韋后
と組んで
中宗を毒殺
↓↑
韋后
が
温王
李重茂(殤帝)
を擁立し傀儡としたのを危ぶみ
太平公主は
甥の
李隆基(玄宗)と謀り
韋后
安楽公主
その一族を誅殺
隆基
の父の
相王李旦(睿宗、太平公主の同母兄)
を即位させた
↓↑
皇妹としての
太平公主
の権勢は
宰相の
姚崇
張説
を左遷させるなど専権
次第に
皇太子
隆基(玄宗)と対立
↓↑
712年
睿宗
が皇太子
隆基
に譲位
皇帝(玄宗)
と
太平公主の対立が激化
公主は
玄宗の廃立を図るが
陰謀が露顕
713年
皇帝自ら兵300余を率いて
太平公主一派を倒し
公主に死を賜った
以後
玄宗の独裁体制が確立
「開元の治」
と呼ばれる
唐朝の最盛期へ
ーー↓↑ーー↓↑ーー
韋皇后(イコウゴウ)
?~唐隆元年六月二十日(710年7月21日)
唐の
中宗の皇后
韋玄貞の娘
京兆万年(陝西省西安)出身
韋后とも呼ばれる
↓↑
神龍元年(705年)
武則天より譲位され
中宗が復位
武三思
らと結託し、
従兄の
韋温
とともに朝政を掌握
景雲四年(710年)
自らの即位を意図し
娘の
安楽公主
とともに
中宗を毒殺
温王
李重茂(殤帝)
を皇帝に擁立したが
李隆基(玄宗)
が政変を起こし
彼の父である
相王
李旦(睿宗)
が復位
韋后は殺害され、
身分も庶人に落とされた
↓↑ ↓↑
韋后の
子女
男子
李重潤(太子)
女子
長寧公主
永寿公主
李仙螵(永泰公主)
李裹児(安楽公主)
ーー↓↑ーー↓↑ーー
韋貴妃(イキヒ)
597年~665年9月28日
唐の太宗
李世民の妃
名は珪
字は沢
本貫は
京兆杜陵
紀王
李慎
や
臨川公主
を産み
紀国太妃・・・・紀国の太の妃?
に立てられた
↓↑
韋貴妃は
韋円成
の娘として生まれ
北周の
太傅
韋孝寛
の曾孫
前の夫は
李萊
良家の娘として選出され
李世民の妃
627年4月1日
貴妃に冊立
650年1月29日
紀国太妃
に立てられ
665年
河南の
敦行里
の邸で死亡
666年12月29日
昭陵に陪葬
↓↑
中宗
唐の
第4代・第6代皇帝
諱は顕
高宗の七男
周王に封じられ
後に
「英王」・・・・・・「英王」とは何か?
に改封
↓↑
同母兄である
李弘
の急死
李賢
の廃立の後、
代わって立太子され
高宗の崩御により即位
↓↑
即位後
生母の
武則天
に対抗すべく
韋皇后
の外戚
韋后の父である
韋玄貞(元貞)
を
侍中に任用するつもりが
武則天が信任する
裴炎
の反対に遭い
中宗
は怒りの余り、
希望すれば
韋元貞
に天下を与えることも可能であると発言
この発言で
即位後54日で廃位
湖北に流された
↓↑
代わって
同母弟の
李旦(睿宗)が即位
690年
睿宗を廃立し
母親の
武則天が自ら即位
武周時代となった
↓↑
699年
李顕は
武則天により
再び立太子され
705年
武則天は
李顕
に譲位
唐の国号を復活
↓↑
中宗(李顕)は
韋后を信任し
朝政に参加させ
その父を王に封じ
韋后との間にもうけた
安楽公主
も朝政に参加させ
安楽公主
は自ら
皇太女
皇帝
となることを狙い
韋后も
武則天に倣い
帝位を求めた・・・
↓↑
710年
韋后の淫乱な行為が告発され
韋后は追及を恐れ
安楽公主
と共に
中宗(李顕)を毒殺
末子
重茂(殤帝)
を擁立
↓↑
1ヵ月後
李旦(睿宗)の息子
李隆基(玄宗)
に
韋后
と
安楽公主
は殺害され
殤帝
は廃位
中宗は定陵に埋葬
↓↑ ↓↑
后妃
↓↑
和思趙皇后・・・和を思い、趙の皇后
韋皇后・・・・・韋(イ)→葦(あし・よし)=蘆?
↓↑
貴妃楊氏
淑妃于氏
徳妃于氏
昭容上官婉児
昭儀陳氏
充儀閻氏
充容陸氏
修儀崔氏
↓↑
男子
譙王 李重福
懿徳太子 李重潤・・・懿徳=日本の第四代天皇
和風諡号
大日本彦耜友・・・彦=亠八厂彡
(おおやまとひこすきとも)
大倭日子鉏友
節愍太子 李重俊・・・・・・愍=民攵心=あわれむ・ミン・ビン
北海王 李重茂(殤帝)・・・北海王・・・北海道?
↓↑
女子
新都公主
宜城公主
定安公主
長寧公主
永寿公主
永泰公主 李仙螵
安楽公主 李裹児
成安公主 李季姜
ーー↓↑ーー↓↑
韋貴妃
阿史那忠墓誌(阿史那貞公墓誌)・・・阿史那の忠?
突厥族(匈奴の別種)
によると
陳州
刺史
円成の娘
韋孝寛
の孫
隋の戸部尚書
李子雄
の子の
李萊
にとつぎ
娘ひとり
(定襄県主、阿史那忠の夫人)・・・阿史那の忠?
突厥族(匈奴の別種)
を産んでいる
韋貴妃は再婚者であった
ーー↓↑ーー
安楽公主
嗣聖元年(684年)
~
唐
隆元年六月二十日
(710年7月21日)
唐の
中宗の娘
母は
韋皇后
本名
李裹児・・・李の裹(うら・リ)の児(こ・ジ)
↓↑ 出生時に
中宗が自らの衣服を脱いで
安楽公主を包んだことより
↓↑ 命名
聡明で美人
韋后より寵愛され
成年後
武三思・・・武の三の思?→武の纂(簒)を思考、思惟、思索
の子
武崇訓・・・武の崇の訓?→タケルをウヤマウ、タタル?
に下嫁
武崇訓
の死後
安楽公主
は
武延秀・・・武を延(のば)し秀(ひいでる・比意出留)?
と私通
後に
武延秀へと嫁ぐ
自らを
皇太女に封じようと計画
魏元忠・・・魏(ギ)の元(もと)に忠(ただし)=中+心
の諫言により中止
生活は奢侈
武崇訓
との間にもうけた息子を数歳にして
太常卿・・・太(おほの)常(ところ・つね)の卿
鎬国公・・・鎬(しのぎ・なべ・コウ)国の公
に封じ、
姉の
長寧公主
定安公主
と共に
民間の子女を攫(さら)い
奴婢にした
これを知った
左台侍御史
袁従一・・・袁(ながそで)に従(したが)う一(はじめ)
袁=長衣
は
安楽公主の逮捕を計画するが
中宗の詔勅に阻まれ、不問に付された
↓↑
安楽公主
は
韋后
と共謀し
中宗
の殺害と
唐朝の簒奪を計画
710年
中宗が両者により毒殺され
臨淄王
李隆基(玄宗)
が兵を挙げて
韋后を殺害
逃亡した
安楽公主も殺害
それぞれ
韋庶人、悖逆庶人
と
庶人に落とされた
↓↑
高祖 618–626・太宗 626–649
↓↑
高宗 650–683
韓国夫人
武順(武則天の姉妹)
魏国夫人
賀蘭氏(武順の娘)
↓↑
中宗 684・睿宗 684–690
中宗 (復辟) 705–710・殤帝 710
睿宗 (復辟) 710–712
↓↑
玄宗 712–756
蜀州司戸の
楊玄淡の娘たち
楊貴妃(玉環)の姉妹
韓国夫人
虢国夫人(二女)
秦国夫人(三女)
↓↑
粛宗 756–762
代宗 762–779
徳宗 780–805
順宗 805
憲宗 806–820
穆宗 821–824
敬宗 825–826
文宗 826–840
↓↑
武宗 840–846
↓↑
宣宗 846–859
懿宗 859–873
僖宗 873–888
昭宗 888–904
(徳王 900–901)
哀帝 904–907
↓↑ ↓↑
爵位
制度?
該当、類似
↓↑
婦(女性の爵位で巫女的な存在
最高位だったが周代では格下げ
士階層の配偶女性をさす言葉になった)=婦好
子(王族の王子の意・婦に次ぐ高位の都市の領主
周代には格下げ
都市共同体の大夫階層をさした)=微子啓・孔子
公(周代、侯の中の特別に格付けされた
公と侯の字は当時も発音が同じ)=周公旦・召公奭
侯(都市国家の首長)
伯(殷代、王権の親衛隊的存在だった
周では都市国家に従属する小都市の長)=西伯昌・伯邑考
叔(諸侯の兄弟の意
周代の都市国家に従属する小都市や村の長)=蔡叔度・唐叔虞
亜(亜の字は王を取り囲む者の意
殷王の親衛隊的存在・周王朝には無い)
男(殷の下層首長を管理する徴税官的存在
周では都市共同体の大夫階層)
田(殷代、下層の首長層・周王朝には存在せず)
方(邦の語源
殷代には
外国の王や異民族の首長
『周礼』における子爵)
の存在が知られている・・・
↓↑
秦・漢の爵位
秦では
商鞅の第一次変法
軍功褒賞制
と
爵位制
が設けられ、
二十等爵制として
軍功により
爵位を与えた
爵位により
土地の保有量
奴婢数
など生活水準が決められていた
↓↑
前漢
秦の軍功爵制を改め
軍功に限らず
身分に応じて
軍功爵の爵位を与えた
二十等爵の他に
王爵を設け
次第に皇族に限られることとなった
爵位を持つ者は
土地の保有を許可された
↓↑
二十等爵
第二十級の
徹侯(後に武帝の避諱から通侯・列侯と呼ばれた)
を筆頭に
第十九級の
関内侯
第十八級
の
大庶長
第十七級
の
駟車庶長
第十六級
の
大上造
と続き以下
少上造、右更、中更、左更、右庶長、左庶長、五大夫
と続いた
ここまでが
官爵であり
十二等爵ともいい
官吏に与えられた
第八級の公乗以下、
公大夫、官大夫、大夫、不更、簪裊、上造、公士
までを
民爵といい民に与えられた
これらの上に
諸侯王
天子が君臨することから実質的には
二十二等爵
↓↑
漢武帝
軍事費調達のために
売爵が行われ爵位の価値が低くなった
軍功による爵位として
別に
武功爵が設定
第十一級の軍衛を筆頭に
第十級の政戻庶長、
第九級の執戎、
第八級の楽卿と続き以下
千夫、秉鐸、官首、元戎士、良士、輭輿衛、造士
これらの武功爵も後に売爵の対象となった
↓↑
後漢代に入ると
爵位の価値は更に軽くなり
列侯、関内侯のみが爵とされ
列侯はさらに
県侯、郷侯、亭侯
などに細分された
↓↑
魏晋南北朝の爵位
曹魏に至ると
秦漢以来の十二等爵を廃止
儒教経典の
公・侯・伯・子・男
擬古的に復活
文帝の
黄初年間に
王・公・侯・伯・子・男・県侯・郷侯
関内侯の九等の爵制
222年(黄初三年)
皇子を王に封じ
王子を郷公に封じ
王世子の子を郷侯に封じ
公子を亭伯に封じていた
224年(黄初五年)
諸王の爵位が皆
県王に改められ
明帝の
232年(太和六年)
再調整されて
郡王となった
以上の九等の外に
庶民や兵士に対しての賜爵もあり
関内侯の下には
名号侯・関中侯・関外侯・五大夫侯
が創立
↓↑
晋の
武帝の
275年(咸寧三年)
王・公・侯・伯・子・男
開国郡公・開国県公・開国郡侯・開国県侯・開国侯
開国伯・開国子・開国男・郷侯・亭侯・関内侯
の爵制が定められた
皇子でない者には王は封じらず
宗室には
公・侯・伯・子・男
(郡公・県公・郡侯・県侯も与えられた場合もあった)
があり
功臣には
開国郡公・開国県公・開国郡侯・開国県侯・開国侯
開国子・開国男・郷侯・亭侯・関内侯・関外侯
等があり、亭侯以上には封邑が与えられた
五等爵の上に
「開国」の2字を加えるのは
西晋では少なかったが
東晋になると多く用いられ
常に古来からの五等爵と混称
魏晋時代以降は
民爵については有名無実化
皇帝を頂点とした皇族と功臣の
爵位制度となっていった
↓↑
南朝の梁
魏晋代に倣った爵制を定め
陳では
郡王・嗣王・藩王・開国郡公・開国県公
侯・伯・子・男・沐食侯・郷亭侯
関中関外侯の十二等があった
↓↑
北魏の
道武帝の
396年(皇始元年)
五等爵が定められ
404年(天賜元年)に
五等から
王・公・侯・子
の四等に減らされ
王は大郡
公は小郡
侯は大県
子は小県
が与えられた
その後、再び
伯・男
の二等が加えられ
皇子と功臣には
王
が封ぜられた
500年(景明元年)
王・開国郡公・散公・侯・散侯・伯・散伯
子・散子・男・散男
の十一等の爵制が定められた
↓↑
北斉では
王・公・侯・伯・子・男
の六等に分けられ
↓↑ ↓↑
隋・唐・宋・遼・金・元
の爵位
隋の
文帝の開皇年間に
国王・郡王・国公・郡公・県公・侯・伯・子・男
の九等爵が設けられた
ただし
「国王」については
従属国・朝貢貿易
の相手国の君主に対して与える封号としてのみ用いられ
君主が臣下に与える爵位とは異なる
他文献には
郡王・嗣王・藩王・開国郡県公・開国郡
県侯・開国県伯・開国子・開国男・湯沐食侯
郷侯・亭侯・関中・関外侯
なども見られる
↓↑
中国の爵位は隋代以降基本的には
王・公・侯・伯・子・男
唐・宋代に完成
金・元
を経て、徐々に簡素化し
明代には
殷や周のころのように
五等や三等であった
清代も基本的に
五等爵を基本とし
等級を設けていた
↓↑
外命婦の封号(女性の爵位)
女性に与えられる爵位に順ずる封号
基本的に
皇族女子や夫・子によって授けられた
↓↑
唐代
皇伯叔母に
大長公主
皇姉妹には
長公主
皇女には
公主
皇太子の娘には
郡主
王の娘には
県主
王の母や妻には
妃が授けられた
皇室以外では
夫や子の品階や爵位によって授けられた
一品
および
国公
の母・妻には
国夫人・・・・
三品以上
の母・妻には
郡夫人
四品以上
の母・妻には
郡君
五品以上
の母・妻には
県君
散官
や
同職事には
郷君
がそれぞれ封ぜられた
↓↑
宋代
当初は
唐とほぼ同様の制度
公主から帝姫に
一時期変更されていた
郡君を
淑人・碩人・令人・恭人
県君を
室人(後更に宜人)・安人・孺人
に分けるようになった
↓↑
明代
公の母・妻は
国夫人
侯の母・妻は
侯夫人
伯の母・妻は
伯夫人
が授けられた
一品は
夫人が授けられていたが
後には
一品夫人と呼ぶようになった
二品は夫人
三品は淑人
四品は恭人
五品は宜人
六品は安人
七品は孺人
がそれぞれ授けられた
↓↑
母・祖母
などには
「太」
の字が加えられた
国太夫人
郡太君
伯太夫人
など
皇太后・太皇太后
などの用例と同じもの・・・
ーーーーー
随分と検索して添付したが・・・だから、ナニかワカったかな・・・「韓非子」の「郢書燕説(エイショエンセツ)」・・・???・・・
「大(一人)の國の主(あるジ)」って・・・
・・・「上からの目線」、「下からの目線」、「対等な目線」・・・「目撰」ですか?、選ぶのは勝手だけれどねっ・・・鳥瞰、仰ぎ見る、睨み合う・・・「阿倍仲麻呂=朝衡=チョウコウ=晁衡」、危うし・・・「稲田(稲葉・稲波・稲場・因幡・伊奈葉)」の白兎?・・・ワニ(鰐)に毛を剥がされる・・・白ウサギは半島から「和邇(仁)」をダマして鳥取に上陸したが・・・「防衛大臣、稲田朋美・昭和34年2月20日・出身地 福井県・衆議院議員、福井県第1区(当選4回)」・・・「大国主」は現れるのか・・・
ーー↓↑ーー
1871年(明治四年)七月十四日 (旧暦)
廃藩置県で
旧、因幡国の8郡
(岩井郡・邑美郡・法美郡・八上郡・八東郡
智頭郡・高草郡・気多郡)
旧、伯耆国の6郡
(河村郡・久米郡・八橋郡
汗入郡・会見郡・日野郡)
旧播磨国の3郡
(神東郡・神西郡・印南郡)
の一部が
鳥取県となる
十一月十五日(旧暦)
旧、播磨国の領域が姫路県に編入
十二月二十七日(旧暦)
島根県より旧、隠岐国が編入
1872年(明治五年)
1月
県下を112の区に分け、戸長・副戸長を任命
7月
郵便取扱所を設置
1873年(明治六年)
6月
会見郡に徴兵制反対の一揆勃発
12月
大区・小区制施行
1874年(明治七年)
8月
地租改正着手
1876年(明治九年)
8月21日
鳥取県が島根県に併合
鳥取に支庁設置
1881年(明治十四年)
9月12日
島根県のうち、
旧、因幡国の8郡
旧、伯耆国の6郡
が
鳥取県として分立・再置
1889年(明治二十二年)
10月1日
市制施行により、
邑美郡の一部から
鳥取市が発足
10月1日
日吉津村が発足
↓↑
・・・第十一代、「垂仁天皇(活目入彦五十狭茅尊=いくめいりびこいさちのみこと=活目尊等=伊久米伊理毘古」の息子「誉津別命(ほむつわけのみこと)=本牟都和気命(ほんむとわけみこと)=本牟智和気命(ほんちわけのみこと」とはダレ・・・本の「無知・無恥・無智・箠・扑・鞭」の「訳・譯」の「見事」であるが・・・
ーー↓↑ーー
「仰々しい=大袈裟」ですか、桂小五郎(木戸孝允→喜怒光陰→松陰・松蔭・証印)の奥さん、「木戸 松子=難波常二郎(恒次郎)の養女・芸伎名は幾松(いくまつ)・幼名は斗(ます)、計(かず)、号は翠香院(スイコウイン)」に訊いてみたい・・・彼女の父は「木崎市兵衛、若狭小浜藩士」、母は「三方郡、神子浦の医師・細川益庵(エキアン)=細川太仲(タイチュウ・ふとなか?・おおなか?)」の娘、「末子(すみ)」であったらしい?・・・彼らの名前って・・・幾松(いくまつ・キショウ=記章)・幼名は斗(ます・はかる・ト=図、訳)、計(かず・はかる・ケイ=掲・景)、号は翠香院(スイコウイン=推敲因・推考音、遂行寅)・・・瑞皐(ずいこう)は高野長英の号だったが・・・本当のところは「伊藤 梅子(木田久兵衛の長女・いろは楼(樓)時代の芸伎名は小梅)」にも訊いてみたいが・・・
↓↑
「仰=イ+卬=人+斤(斧)+卩(割符)
=人+ノ+レ+卩
=人+氏+卩
あおぐ・あがめる・うやまう・ギョウ・コウ・ゴウ」
あふぐ(古語)
首を擧げて上に向ふ
毒藥などを飮む
たかし、又、卬に作る=昂・・・類字は昴(すばる)
↓↑
阿倍仲麻呂=朝衡=チョウコウ=晁衡→兆候・聴講
↓↑
卬の異体字、ヒ+卩
卬→瓜(うり)の中の字
厂(ノ+丿)+ム(丄+乀)
ガンダレ+よこしま(私・邪・横嶋)
厂=がけ(崖)・カン・ガン
抑=扌(手)+卬(おさえる)
卬=卬(おさえる)
押印・・「印=「E+卩」=「∈+卩」?
=「礀+≡+卩」?
印鑑=印の鑑(かがみ・各務
加々見・屈み
加賀見)
鑑=歴史書=金+監
金の監修?
大今水増の鑑
太献見澄ます
古事記
太安万侶の献上)
「卬=我也」
「卬=望也」
「卯之異體」→卭・夘・夗(歹+卩)?
卯=真っ二つ切り分ける、叩き割る
仰=「立った人+跪(ひざまつ)く人」
膝を曲げ地につけて屈む
膝間づいて地に屈む
跪=足(あし)+危(あぶない)
仰角・仰視・信仰・渇仰・仰慕・仰仗・仰望
おおせ・いいつけ
渇仰(カツギョウ・カツゴウ)・敬仰(ケイギョウ)
景仰(ケイコウ)・賛仰(サンギョウ)
信仰(シンコウ)・俯仰(フギョウ)・仰山(ギョウサン)
「見上げる=仰首」
「顔や物の前面が上を向く=仰臥」
「仰俯角 (Altura)、仰俯角(ギョウフカク)
水平を基準とした上下方向の角度
上向きの角度を仰角(ギョウカク)
下向きの角度を俯角(フカク)、伏角(フカク・フッカク)」
↓↑
抑=扌(手)+卬(おさえる)
抑圧(ヨクアツ)・抑止力(ヨクシリョク)
抑制(ヨクセイ)・抑揚(ヨクヨウ)
ーーーーー
・・・政敵の「抑圧、弾圧」は「権力者」の常套である・・・政治行政の「善政、悪政」の未来的な方向性は問わず、プロセス上での現実的な「利害関係」で法的な「抑圧、弾圧」は起こるのは当たり前である・・・市民社会での「正義」とは「法律の遵法、その法治での善政」である。だが「法による遵法法治」が人間の命を奪うコトにもなる時がある・・・「悪法も法なり」の「悪法」とはダレの為にある「法」なのか・・・「法は社会協同体維持の掟、秩序」であるが、役に立たなくなるのは、自然災害、疫病、戦争である。そして「市場」での「需要・供給」のバランスが崩れる時で、「生産・蓄積・配分」が出鱈目になる時である・・・もちろん、「生殺与奪秩序の権力」は「暴力者のモノ」になる・・・
↓↑
現代的には政府権力者も、反政府権力者も「立法・行政・司法」の枠内での鼎の「妥協的」な合意での執行、行政だが、妥協とは現実的には「約束事(法的)の枠内での動き」である・・・
「政治的な妥協」が出来ない時とはナニか?・・・究極的な世界規模での「国際的な階級対立」である・・・単なる「国内的な対立」ではない・・・
↓↑
非妥協、究極的には結果、「暴力行使・実力行使」の国際的な衝突(戦争)である・・・「戦争」を梃子にしての喰える人間、喰えない人間に分離された「階級対立」の「戦争」である・・・民族、種属、個々の国家の国民の対立ではない、喰える人間、喰えない人間の対立である・・・
↓↑
歴史的な過去の組織化された「百姓一揆」とは日常生活で「喰えるか、喰えないか」の「利害関係」で起きた・・・
「市民革命(ブルジョア革命)」は、「封建的・絶対主義的国家体制を解体し、近代的市民社会をめざす革命」であったらしいが、「近代的市民社会」とはナニか?・・・
↓↑
「人権、政治参加権、あるいは経済的自由を主張した市民が主体となって推し進めた革命」であるらしいが、「経済的自由」とはナニか?・・・ワカりずらい・・・「経済=商売=モノの売買」の自由って?・・・ダレでも「商人=あきんど」と、云うコトか?・・・そもそも「経済」とはナニか?・・・そもそも「ブルジョワジー」とはナニ?
農地、田畑であろうが、山林、海洋、湖沼、河川であろうが、喰うモノの生産、狩猟、漁労が第一である。そして都市生活での手工業生産の職人の生産物と、食糧生産物を専門に媒介する者が「あきんど=商人」である・・・彼らは売る為のモノを蓄積もする・・・
個々の共同体が出来れば、物流を担うのが「あきんど=商人」である・・・富は戦争での「強制収奪、強奪、掠奪」、でなければ「あきんど=商人」を媒介にしての蓄積である・・・
「政治的権力者(生産物収奪者)」が「生産物(領地)管理職」の役人と、商才のある物流往来(オーライ=alright=all right?)の「あきんど=商人」を利用するのは常套である・・・
↓↑
ブルジョワジー(Bourgeoisie)
17~19世紀の中産階級の事?
革命の主体になりうる数と広がりの階層
都市における有産の市民階級
貴族や農民と区別された階層
ブルジョワ(Bourgeois)=単数形で個人
20世紀、
「産業(工場)資本家」を指す言葉に転化、変化?
・・・「大地主」も「資本家」である・・・
・・・「船舶主」も「資本家」である・・・
事業主で「資本蓄財し資本投資」を出来る奴も「資本家」で、
モチロン、「金貸し」は「資本家」である・・・
そして、「資本家」とは
資本家階級の
上層(富豪)ブルジョワジーをさした
↓↑
・・・生きている間の「大金持ち」のコトらしい・・・
↓↑
2017年1月16日現在、
「8人の資産が計4260億ドル(約48兆7千億円)、
世界人口73億5千万人の半分の合計額に相当する」、
「世界の大富豪8人が世界を支配
(ダボス・スイス・16日ロイター)」
「国際非政府組織(NGO)オックスファムは16日、
世界で最も裕福な8人の資産が、
世界人口のうち下位50%(約36億人)の
合計額とほぼ同じだとする報告書を発表」・・・
↓↑
「市民革命(ブルジョア革命)」とは
「イギリス革命(清教徒革命・名誉革命)、アメリカ独立革命、フランス革命」などがソウであるらしい・・・
だが、
「市民革命」とは
基本的には個々人の思想的な
人間存在としての意識的な在り方の
「職業的な身分制度の法的な枠内からの解放、
法的な自由な職業の選択の権利獲得の体制変換、変革」
だったろう・・・
身分を越えた「プチブル意識」の法的な公平の要求・・・
「第3身分の意識」とは
「プチブル意識=個的私有財産意識」だった
喰えるうちは体制の秩序変革だが、
だが「自由な職業の選択」の「法律」ができても
「現実」の秩序変革は厳しかった・・・
「暴力執行の専門家=軍人」が裏切るのが常套である
そして
「選択出来る職業は現実にない」・・・
↓↑
日本国民が誇る「ぷちぶる国家主義憲法」
日本国憲法
1946年(昭和21年)11月3日
公布
1947年(昭和22年)5月3日
施行であった・・・71年前である・・・
↓↑
驚くべきか、あるいはアタリマエか?
アメリカでの
「法律的な身分解放」は
1863年1月1日の奴隷解放宣言、
1865年の「憲法修正13条」・・・
だが、
1954年の
ブラウン判決によって
白人と黒人の教育機会の平等・・・
公民権法(Civil Right Act)は
1964年7月に
アメリカ議会で成立、制定・・・2017-1964=53年前・・・
↓↑
1989年6月4日
「天安門事件」は何処の国だったのか?
たった「28年前」だが・・・「国家資本主義」の体制だろう・・・現在は膨大な「資本」は「国家」に蓄積し、国家高級官僚が「私腹」しているている・・・どこが社会主義の「中華人民共和国」なんだか・・・「面子」とはナンなんだか・・・体面、世間に対する体裁って、問題は「世間」か・・・
↓↑
1991年12月
ソビエト連邦共産党解散
各連邦構成共和国の国家は独立
12月25日
ソビエト連邦が解体・・・「収容列島」の崩壊だったが、「プチブル国家主義」で揺らいでいる・・・
↓↑
1994年4月
「アパルトヘイト(Apartheid)=人種隔離」の
南アフリカ共和国
「全人種選挙」を行い、
「アフリカ民族会議」が62.5%を獲得
「ネルソン・マンデラ」大統が登場
「2017-1994=23年」、
今から僅か「23年前」だった・・・
そして、黒人の大富豪が存在している・・・
↓↑
2010年12月18日
チュニジアのジャスミン革命から始まった
「アラブの春」は「アラブの武器売買の市場」となった・・・
↓↑
2014年6月29日
国家を宣言した国はナニをしたのか・・・
奴隷国家の再生宣言・・・
ーーーーー
・・・日本は世界に先駆けて時間的に「プチブル平和革命」を「71年前」に「憲法」に謳いあげ、施工した・・・
「おひとよし」に成らざるを得ない、他人、他国の善意に期待する文言を発する事情があったとしても、「平和憲法」である・・・
そして、「正当防衛主義」だが、やられてからやり返すモノではない・・・守るべきモノはモロイのだ、害虫は即刻駆除である・・・
これは、早撃ちのガンマンの決闘、私闘とは異なるのだ・・・
「平和憲法」を侮蔑(ないがしろ)にする奴等に対しては内外、国籍を問わず命を賭けてやつけるのサッ・・・
「花見過ぎたら、牡蠣(かき)喰うな」って・・・蠣崎・蛎崎・柿崎?
・・・夫婦の「愛=爫(爪)+冖+心+夂」と「情=忄+青」、or「情=忄+主+月=肉・舟)」の違いをナンかETVのマンガでやっていたのをチラッとみたコトがあるが・・・最近のインターネット上での漢字辞典は字数の増加と詳細な説明を進化させている。「愛の異体字」は、「爱(簡体字)・㤅(古字)・𢛭(古字)・𢜤(同字)・𢟪(古字)・𤔠(同字)・ 𤔤(古字)」・・・「㤅・𢟪」の漢字構成をみるとナンカ、怖ろしいカンジにおもえるが・・・「簡体字=爱・異体字=𢖻・𢙴・𤔠・𤔤・㤅・𢛭・𢜤・𢟪・爱・𡦎・声符=旡・㤅・旣・声符=愛」・・・
↓↑
「愛(アイ)=いと-しい・・・「糸-詞意」、「意図-恣意」
う-い・・・・・「初」、「有為」、「憂い」
お-しむ・・・・「惜しむ」、「吝」、「尾氏務」
め-でる・・・・「目出留」・「女出る」
かな-しい・・・「仮名-詞意」・「金-誣い」
まな」・・・・・「眞名=まな=魚」
名のり
「あ・あき・さね
ちか・ちかし・つね
なり・なる・のり・ひで
めぐむ・やす・よし・より」
↓↑
「㤅=愛」はタラフク喰わせ、のど(咽喉)が咽(噎・むせ)ぶほどに満足させる心情(こころ)のコトである・・・
「㒫の古字(古文)=旡=むせぶ・つまる・つくす・キ
いっぱいになって、つかえる
食べつくす」
↓↑
You should only eat oysters
when there is an 'r' in the month.
↓↑
「花見過ぎたら牡蠣食うな」
↓↑
あらららら、ッ、である・・・「らりるれろ・・・覶理留礪(牡蠣・かき・oyster・オイスター)賂」である・・・「'r'のつかない月のカキは食べられない」って?・・・「産卵することで牡蠣の身が細り、水っぽくなってしまうため」、「"r"のつく月 = 1~4月、9~12月つまり、5~8月までは牡蠣に発生する(腸炎ビブリオ菌、大腸菌、ウイルス)は食中毒の時期("r"のつかない月は牡蠣を食べるな」・・・
蠣(かき・レイ)・・・・・書き・例
英 語=オイスター(oyster) 於意素多阿
独逸 語=アオスター(Auster) 青素多阿
アウスター(Auster) 蛙有素多阿
仏蘭西 語=ユイットル(huître) 唯通訳留
伊太利亜語=オストリカ(ostrica) 於素訳理化
↓↑
「於(御)意素多蛙(阿・鴉)」・・・
January(1月)・・睦月(むつき)
February(2月)・如月(きさらぎ)
March(3月)・・・弥生(やよい)
April(4月)・・・卯月(うづき)
↓↑
May(5月)・・・・皐月(さつき)
June(6月)・・・・水無月(みなづき)
July(7月)・・・・文月(ふづき・ふみつき・ふみづき)
文暴文暴文暴文暴月?
あばく文の月?
or
乱暴な文の月?
夷則(いそく)?・・・蝦夷の規則?
自由利有蘇(Julius)?
変重差留(Caesar)の月?
北海道北斗市「文月村」って?・・・
August(8月)・・・葉月(はづき)
↓↑
September(9月)・・長月(ながつき)
October(10月)・・神無月(かんなづき)
神在月(かみありづき)
November(11月)・・霜月(しもつき)
December(12月)・・師走(しわす)
「アァルの付く字句(ラリルレロ)の書きは句得(重)無い」?・・・「R・r→L・l」・・・「ラリルレロ」・・・
↓↑
「あさき=蛙左記=阿覚記=あざき=字記」、「ゆめみし=由馬見史=ユバミジ=湯場視字」、「えいもせず=柄意摸施事=エイモゼズ=重意洩是亠」・・・?
↓↑
いろはにほへと ちりぬるを
色 は匂ほへど 散りぬるを
意賂葉似補経訳 地理塗留尾
↓↑
わかよたれそ つねならむ
我が世たれぞ 常 ならむ
和歌与足礪素 通音名等務
↓↑
うゐのおくやま けふこえて
有為の奥 山 今日越えて
宇意の於句哉磨 懸附故重氐
↓↑
あさきゆめみし ゑひもせす
浅き 夢 見じ 酔ひもせず
蛙作記喩馬視字 重意摸施事
↓↑
四十七文字の最後に「京」の字を加える・・・
ウイッキペデアでは「文脈についての確定した説明は、現時点では存在しない」とあり、個々人の解釈は自由カモ・・・ん=む=務?
ーーーーー
・・・「愛情」にも「度量衡」があるんだろう、なッ・・・「情=心が青い・心が主の月(肉・冃・舟)」って、ハカレルものならナンだろう?・・・「度量」の「衝突」じゃぁないョナッ・・・
↓↑
「情」
「物事に感じて起こる心の動き・気持ち
情熱・情念・感情・苦情・激情
私情・純情・叙情・心情・表情」
「思いやり・なさけ」
「温情・厚情・同情・人情・薄情・非情・友情」
「異性を慕う心・男女の愛」
「情交・情死・情事・情欲・色情・恋情」
「物事の実際のありさま」
「情況・情景・情状・情勢・情報・下情
国情・事情・実情・政情・陳情・敵情・内情」
「そのものから感じられるおもむき・味わい」
「情趣・詩情・余情・旅情」
「風情 (ふぜい)」
名のりは「さね・もと」・・・
↓↑
衡=彳+ク(勹・々?)+田+一+人+亍
=彳+𩵋(魚・角+大)+亍
𩵋=魚=まな・いお・さかな・うお・ゴ・ギョ
=くびき・はかり・はかる
度=長さ
量=体積・容量
衡=質量・重量
同時にそれぞれをはかるための
道具(物差・枡・秤)や基準
「衡」と類縁の文字で
「権(ケン)」=分銅
↓↑
古代には
「斤(キン)=物の重量を表す単位
=秤(はかり・ビン)」
↓↑
衡=よこぎ=軫
よこぎ・くびき・まっすぐな横木
門の二本の柱の上にわたした横木
牛の角があたらないように、
角に結びつけたよこぎ
馬車の轅(ながえ)の端にわたした横木
秤(はかり)・天秤の横棒・棒ばかりの棹(竿)
はかり・めかた・標準・めかたをはかる
物事のよしあしや成否を考える
横にのびた眉毛の線
横になったさま・横ざま
横にまっすぐのびた・たいらな
つりあいがとれた
・・・𠂉(髪挿し・櫛)
・・・「ノ一=髪挿し・櫛・鈿・簪・笄」
↓↑
「行」
いく・ゆく・動いて進む・動かして進ませる
たび・よそへ出発する
やる・動いて事をする・動かす
やらせる・ふるまい・身もち
仏に仕える者のつとめ
みち・道路・時が進む・楽府(ガフ・歌謡曲)の長い唄
↓↑
「五行」
宇宙をめぐり動く
木・火・土・金・水
の五つの基本的な物質
漢字の書体の一
楷書(カイショ)の少しくずれたもの
行書・ゆくゆく・旅行の途中
臨時の役所
兵士二十五人を一行(イッコウ)
一列に並んだもの
をあらわす ことば・とんや・同業組合
大きな商店や専門の職業
世代、仲間などの順序・序列
↓↑
「彳(テキ)」、「亍(チョク)」
彳=ただずむ・テキ・チャク
「彳」の字は少しずつ歩くの意味
十字路の象形である「行」が使われて
「彳」はその左半分
「亍(チョク)」
亍=たたずむ・とどまる・たちどまる
すこし歩く・狭い歩幅で歩く
チョク
ーーーーー
・・・「衡=はかり・はかる・ちか・はかる・ひで・ひとし・ひら・ひろ・まもる・コウ」で、意味は「よこぎ(横木・軫)」であった・・・「衡」の類字は「衝突・衝撃」の「衝」で
「つく・突き当たる
衝撃・衝天・衝動・衝突・緩衝・折衝」
「交通の重要な所=要衝・町を突き抜ける大通り」
名のりは
「つぎ・みち・もり・ゆく」
で、漢字構成は
「衝(ショウ)=彳(テキ)+重+亍(チョク)」
↓↑
「衡」と意味類縁の文字で
「権(ケン)=分銅」がある・・・分ける金は同じ?
↓↑
「衝(ショウ)=冲(チュウ)」で
占い用語では十二支の「対冲=対沖・対中」で、元の十二支から数えて七番目の支で、相対し、双方、相剋する関係で「七冲」と呼ばれる・・・ちなみに「冲=冫+中」の「冫」は「氷」である・・・
子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
冲冲冲冲冲冲冲冲冲冲冲冲
衝衝衝衝衝衝衝衝衝衝衝衝
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
午未申酉戌亥子丑寅卯辰巳
↓↑ ↓↑
天秤宮(てんびんきゅう)
黄道十二宮の7番目である。
獣帯の黄経180度~210度までの領域
9月23日(秋分)~10月23日(霜降)
四大元素の空気
双児宮・宝瓶宮と一緒に空気のサイン
対極のサインは
白羊宮
アストライアー(Astraiā)
ゼウスとテミスの娘
他説で
星空の神アストライオスと暁の女神エーオースの娘
アストライアー=星のごとく輝く者・星乙女
ホーラ(ホーライ)三女神の一柱
正義の神格化である
ディケー女神と同一
有翼の女神
アストライアーは
神々の中で最後まで地上に留まり
正義を訴え続けたが
欲望、殺戮によって血に染まった地上を去った
善悪をはかるため
天秤座になった・・・
ーー↓↑ーー↓↑ー
「衝(ショウ)=冲(チュウ)」、またもや・・・ハンシが跳ぶが・・・三段跳び・・・ホップ(hop・片足飛び)、ステップ(step・足運び・歩き方・足どり・歩きぶり(gait)・歩調・足並み)、ジャンプ(jump・跳び上がる・跳躍する・ハネる)・・・
「鵯越(ひよどりごえ)の戦い」は
「一ノ谷の戦い(鵯越)
寿永三年、
治承八年二月七日(1184年3月20日)
摂津国福原、須磨での源平合戦」
↓↑
・・・???・・・源九郎(義経)の最後・・・
頼朝と対立し朝敵とされ
難を逃れ再び
藤原秀衡を頼ったが
秀衡の死、
頼朝の追及を受けた
当主
藤原泰衡
に攻められ、
平泉の
衣川館で自刃・・・
↓↑
平安時代末期~鎌倉時代初期
藤原頼衡(ふじわらのよりひら)
・・・頼衡
奥州
藤原氏の武将
奥州藤原氏
第三代当主
藤原秀衡・・・・・・秀衡
の六男の末男
五兄
通衡・・・・・・・・通衡
と同様に、
四人の
兄達・・・・・・・・国衡
泰衡
忠衡
高衡
と比べて
藤原頼衡の
記録が少なく
伝承が多いので
非実在説がある・・・
『吾妻鏡』
五兄の
通衡
と共に
名前が見えず
『玉葉・愚管抄・明月記・六代勝事記』
にも
頼衡に関する記述は無い
『尊卑分脈』に
文治五年(1189年)二月十五日
次兄の
泰衡
によって殺害されたと記録
この四ヶ月後
三兄の
忠衡
五兄の
通衡も
父、藤原秀衡の遺言を破った
泰衡
に対して反乱を起こし
討たれている・・・
↓↑
父の遺言と
源義経を支持し
泰衡によって殺害されたのは
忠衡
通衡
が誅された理由と同じ・・・
死去時の年齢は
16歳前後とも・・・
↓↑
「義経記」
南北朝時代~室町時代初期に成立
源義経とその主従を書いた
軍記物語の『義経記』
義経
を保護した
秀衡の死の床を囲む
息子達が挿画で描かれ
「義経を大将として、
頼朝の襲撃に備えよ」
という
秀衡の遺言を呼び寄せた
6人の息子達に言い聞かせた
『義経記』は
秀衡には
6人の息子達
六男にして
末子の
頼衡の存在は認識・・・
↓↑
『尊卑分脈』の記述によれば
頼衡の通称は
「錦戸太郎」で
この通称は史料によって
読みが同じである長兄の
国衡(西木戸太郎)
に冠せられていることも多い・・・
↓↑
頼衡の5人の兄達は
通称(別名)から基盤地域を持っていた
或いは地域に何らかの関わりがあった・・・
頼衡に関する記録や伝承の中からは
それらを読み取ることができない
通称の読みが同じである
長兄・国衡
との関連や、後述の伝承から
文治五年(1189年)時点で
16歳前後だったとすると
基盤となる地域を所有していなかった・・・
↓↑
出羽国
置賜郡
米沢の
錦戸薬師堂の由来に
頼衡
が輿に奉安し、
鳥越を越えて
守本尊の
薬師像を当地に運んだ伝承・・・
頼衡の
長兄
国衡(西木戸太郎国衡)
が阿津賀志山の戦いで
鳥取越を奪われて・・・・鳥取越?
源頼朝の軍に敗れ
僧に守本尊の
薬師像を託して
僧が当地に庵を結んだ・・・
国衡は
大関山を越えて
出羽に逃れる途中で
和田義盛と戦い、討たれた・・・
国衡
と
頼衡
は同一人物で
頼衡の伝は
国衡のものから派生した・・・
次兄
泰衡
も秋田で討たれ
遺体を埋葬した場所に
錦神社が建ち
夫人が亡くなった場所に
西木戸神社が建てた・・・
岩手県
紫波町の
小屋敷地内の
稲荷街道の道端には
錦戸太郎頼衡の墓
と伝えられている
自然石の角柱がある
頂部は斜に切断されてい
頼衡は父
秀衡の死後
義経に通じたことから
次兄
泰衡との間に不和が生じ
頼衡は密かに
平泉を脱出して北方に逃走
紫波町と雫石町の境にある
東根山の山麓で追っ手に捕らえられ殺害された
村人が哀れんで
自然石を立てて墓印とした
これを聞いた
平泉の
泰衡は怒って
直ちに墓石を取りはらうように命じ
里人たちは、止む無くそれを取り覗いて
近くのやぶへ捨ててしまった
それから間もないある晩のこと、
当時奥羽きっての強力者として有名であった
由利八郎がこの地に通りかかったが
墓石を捨てたあたりまでくると
草むらの中か妖しげな光り物がポーと浮かんで
八郎は
「狐狸のしわざに相違ない」
と思いながら、腰の大刀を抜いてこれを斬りつけ
その途端「カチン」という音がしたと思うと、
光り物はゆらゆらと揺れながら飛び出してき
八郎はその後を追いかけたが
錦戸太郎の墓までくると消えてなくなった
八郎の体は汗で満たされ、急に疲れが襲って来た
翌朝、この話を聞いて里人たちが墓のところに来てみると
取り除いたはずの墓石がもとの通りに立っていた
よく見ると
頂部が斜に切断されてい
里人たちは
「八郎の怪力にたよって墓石をもどしてもらったのだろう」
と噂した・・・
別の伝承
『応仁武鑑』の「浪岡記」
青森県青森市浪岡町(津軽の外ケ浜)に
頼衡が次兄の
泰衡と対立した後この地に逃れ
浪岡右京大夫
と名乗ってこの地を支配
浪岡氏(行岡氏)の祖となった・・・
鎌倉時代末期~南北朝時代にかけ
その
浪岡氏に
浪岡秀種(行岡右兵衛大夫秀種)
という人物がおり、
秀種は頼衡の曾孫・・・とされ
秀種は
北畠顕家に仕え
秀種の娘である
頼子(萩の局)は
顕家の妻となり
北畠顕成、女子(安東貞季妻)
北畠師顕らの母になった・・・
顕家の死後、
顕成は外祖父右兵衛大夫を頼り
のちに所領を譲られ、浪岡北畠氏の始まり・・・
頼衡は妻帯者で子供が1人いた・・・ことになる・・・
ーーーーー
・・・???・・・「度量衡(ドリョウコウ)」・・・「阿倍仲麻呂=朝衡」・・・
アオキおおかみ・・・
・・・スゴイ豪雨・・・「度量衡」の漢字に拘っていたら「衡=コウ=XYZ・・・」の「音訓」の同音異字漢字はもとより、「字面」も「度量衡=ドリョウコウ=説両行」などと「変換」したくなる・・・「平行」ではなく「両行」である・・・「両行=古代中国の『荘子』に出てくる言葉・仏教の説く中道に似た言葉・智慧と慈悲のどちらにも偏らないことを意味?」ですか・・・ここは水曜日と土曜日がゴミ収集車の巡回日である・・・20リットル容量の燃えるゴミ、燃えないゴミ、資源ゴミのビニール袋は「一袋=80円」である・・・ゴミの分別、「偏らずにはいられない」が、認識する対象存在、対象状況、対象情況を認識論的に展開すれば、「矛盾」の分別の「相対化」、そして無分別の「一体化」は「観自在(対象を観て判断するの自分自身の認識、思惟、判断)」である、と云うことだろう・・・
「観自在菩薩=観世音菩薩」・・・
ーー↓↑ーー
観自在菩薩
アヴァロキテシュヴァラ
Avalokiteśvarabodhisattva
↓↑
「観音経」などで説かれる菩薩
この名称は
「鳩摩羅什(くまらじゆう)」の旧訳
「玄奘(げんじよう)」の新訳では
「観自在菩薩」
「衆生(しゆじよう)の声を聞き
その求めに応じて救いの手をさしのべる
慈悲深い菩薩」
「勢至菩薩とともに阿弥陀仏の脇侍」
住所は「補陀落(ふだらく)」
日本では「那智山(なちのやま)」
観音=施無畏者(せむいしや)=円通大士=救世円通
観音菩薩(かんのん ぼさつ)
(Avalokiteśvara)
仏教の菩薩の一尊
観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)
観自在菩薩(かんじざいぼさつ)
とも
救世菩薩(くせぼさつ・ぐせぼさつ)
など多数の別名がある・・・
↓↑
エローラ石窟群、サールナート
などインドの仏教遺跡においても
観音菩薩像と思しき仏像が発掘
ゾロアスター教において
アフラ・マズダーの娘とされる
女神アナーヒター
や
スプンタ・アールマティ
との関連が指摘されている
サンスクリット語
の
アヴァロキテシュヴァラ(Avalokiteśvara)を
玄奘は
「見下ろす(avalokita )」
と
「自在者(īśvara)」
の合成語と解釈し
「観自在」と訳した
鳩摩羅什訳は
「観世音」であったが
玄奘は
「古く光世音
観世音
観世音自在」
などと漢訳しているのは
全てあやまりである、と・・・
↓↑
「観世音」という訳語
「観音経(法華経・観世音菩薩・普門品第二十五)」
趣意を取って意訳・・・
中央アジアで発見された
古いサンスクリットの『法華経』では
「アヴァロキタスヴァラ(avalokitasvara)」
となっており、
「見下ろす(avalokita)」+「音・声(svara)」
と解され
古訳では
『光世音菩薩』の訳語もあることなどから
異なるテキストだった可能性・・・
↓↑
「観音菩薩」という呼び名
一般的には
「観世音菩薩」の略号と解釈
唐代に「世」の文字が
二代皇帝
太宗
李世民
の名(諱)の一部であったため
避諱により唐代は「世」の文字は使用できなくなった
そのため
「観音菩薩」となり、
唐滅亡後も、この名称が定着・・・
日本語の「カンノン」は「観音」の
「呉音読み」であり、
連声によって
「オン」が「ノン」になった・・・
↓↑
「六道の衆生を済度する六体の観音」
「摩訶止観」では
大悲・大慈・師子無畏・大光普照・天人丈夫・大梵深遠
をあげる
「密教」では
聖観音・千手・馬頭・十一面・准胝、または不空羂索・如意輪
↓↑
六観音=天台宗の「摩訶止観」に説く
六道の煩悩を破砕する
大悲・大慈・師子無畏・大光普照・天人丈夫・大梵深遠
の六体の観音
ーー↓↑ーー
藤原三代(清衡・基衡・秀衡)
ーー↓↑ーー
長治二年(1105年)
清衡は
平泉に
最初院(中尊寺)を建立
永久五年(1117年)
基衡が
毛越寺(もうつうじ)を再興・・・毛を越えるジ?
ーーーーー
「午(うま・ゴ)」=「ノ一𠂉(髪挿し)」+「十」
ーー↓↑ーー
「源の義の経」って?
ーー↓↑ーー
搦手軍の
源義経
鵯越(ひよどりごえ)で・・・「鵯=卑+鳥」+「越=走+戉」
戉=まさかり=鉞
軍を二分
安田義定
多田行綱
らに大半の兵を与えて
通盛
教経
の1万騎が守る
夢野口(山の手)へ向かわせ
義経は
70騎で山中の路を西へ転進
猟師が
鵯越は到底人馬は越えることのできぬ
難路であると説明
義経は鹿はこの道を越えるかと問い
冬を挟んで餌場を求め鹿が往復すると答えた
義経は
「鹿が通えるならば、馬も通えよう」
と言い案内するよう求めたが
老猟師は自分は歳をとりすぎているとして
息子を紹介
義経はこの若者を
郎党に加え
鷲尾三郎義久・・・鷲の尾の三郎(さぶろう)
義久(ギキュウ)
と名乗らせた・・・
義経ら70騎は
平氏の
一ノ谷
陣営の裏手に出
断崖絶壁の上で
平氏は山側を警戒していなかった
↓↑
生田の戦い
二月七日払暁
義経の部隊から抜け出した
熊谷直実・直家父子
と
平山季重
らの5騎が
忠度の守る
塩屋口の西城戸に現れ
名乗りを上げて合戦が始まった
平氏は最初は少数と侮っていた、が
兵を繰り出して
直実らを取り囲み
討ち取りかけた時に
土肥実平
率いる7000余騎が駆けつけて激戦・・・
午前6時
知盛
重衡・・・・重なる衡(ひら・コウ)
ら
平氏軍主力の守る東側の
生田口の陣の前には
範頼率いる
梶原景時、畠山重忠
以下の大手軍5万騎が布陣
範頼軍
は激しく矢を射かけるが
平氏は壕をめぐらし、
逆茂木(さかもぎ)
↓↑ ・・・敵の侵入を防ぐために、先端を
鋭く尖らせた木の枝を
外に向けて並べ結び合わせた柵(さく)
さかもがり
鹿砦(ろくさい)
鹿角砦(ろっかくさい)
敵の侵入を防ぐため
荊(茨・棘・いばら)などの
トゲのある木の枝を並べて垣にしたもの
溝の中から枝が付いたままの木が
幾重にも重ねたもの
溝の中に杭を打ち込み
縦木、 横木、斜めに枝のついたままの
木(逆茂木)を絡ませ
↓↑ 溝を埋め戻して固定する構造
を重ねて
陣を固めて待ちかまえ
平氏軍も矢を射かけて応戦
平氏軍は2000騎を繰り出し
白兵戦を展開
範頼軍は
河原高直、藤田行安
らが討たれ、死傷者が続出
そこへ
梶原景時・景季父子が
逆茂木を取り除き、
ふりそそぐ矢の中を突進して
「梶原の二度懸け」
↓↑ ・・・梶原景時=鎌倉幕府の御家人
石橋山の戦いで源頼朝を救って
重用され侍所所司、厩別当
和歌を好み、武家百人一首にも選出
都の貴族からは
「一ノ郎党」
「鎌倉ノ本体ノ武士」と称されいた
源義経と対立し頼朝に讒言した
梶原景時の変
正治元年十月二十五日
(1199年11月15日)
~
正治二年一月二十日
(1200年2月6日)
源頼朝死後
梶原景時が御家人
六十六名の
連判状によって
幕府から追放
一族が滅びた・・・
子供
梶原景季
梶原景高
梶原景家
・・・「景」の漢字名を有する人物
「大庭景親・大庭景義」
「景行天皇」?
↓↑ 「高橋景保」?
と呼ばれる奮戦を見せた
義経と分かれた
安田義定
多田行綱・・・通称、六条蔵人・多田太郎・多田蔵人
伯耆守・摂津国多田荘が本拠
1177年
「鹿ヶ谷(ししがたに)事件」で謀議に加わり
平清盛に密告、内通
寿永二年(1183)
摂津・河内で反平氏勢力を組織
後、
西海に逃亡した「源義経」を
摂津河尻で攻撃した
らも
夢野口(山の手)を攻撃
生田口、塩屋口、夢野口で激戦
平氏は激しく抵抗し
源氏軍を阻んだ
↓↑
逆落とし
精兵七十騎を率い
一ノ谷の裏手の断崖絶壁の上に立った
義経は戦機と見て坂を駆け下る決断
『平家物語』によれば
義経は馬2頭を落とし
1頭は足を挫いて倒れるが
もう1頭は無事に駆け下った
義経は
「心して下れば馬を損なうことはない。
皆の者、駆け下りよ」
と言うや先陣となって駆け下った
坂東武者たちもこれに続いた
二町ほど駆け下ると、
屏風が立ったような険しい岩場となっており、
坂東武者も怖気づくが、
三浦氏の一族
佐原義連が
「三浦では常日頃、ここよりも険しい所を駆け落ちているわ」
と言うや、真っ先に駆け下り
義経らもこれに続き
大力の
畠山重忠
は馬を損ねてはならじと
馬を背負って岩場を駆け下った
『吾妻鏡』によれば
畠山重忠は範頼の大手軍に属しており
義経の軍勢にはいない・・・
↓↑
崖を駆け下った義経らは
平氏の陣に突入攻撃
一ノ谷の陣営は大混乱
義経はそれに乗じて方々に火をかけ
平氏の兵たちは海へと逃げ出した
↓↑
『吾妻鏡』では
「源九郎(義経)は
勇士七十余騎を率いて、
一ノ谷の後山(鵯越と号す)に到着」
「九郎が三浦十郎義連(佐原義連)ら勇士を率いて
鵯越(この山は猪、鹿、兎、狐の外は通れぬ険阻である)
において攻防の間に、
(平氏は)商量を失い敗走、
或いは一ノ谷の舘を馬で出ようと策し、
或いは船で四国の地へ向かおうとした」
とあり、
義経が70騎を率い、
険阻な
一の谷の背後(鵯越)から
攻撃を仕掛けた
これが「逆落し」を意味するとされている・・・
↓↑
九条兼実の日記『玉葉』では
搦手の義経が
丹波城(三草山)を落とし
次いで
一ノ谷を落とし
大手の
範頼は浜より福原に寄せた
多田行綱は山側から攻めて
山の手(夢野口)を落とした。
と戦況を書き残している
義経が
一ノ谷を攻め落としたことは記しているが、
逆落しの奇襲をかけたとは書いていない。
ーーーーー
・・・???・・・源九郎(義経)の最後・・・
頼朝と対立し朝敵とされ
難を逃れ再び
藤原秀衡を頼ったが
秀衡の死、
頼朝の追及を受けた
当主
藤原泰衡
に攻められ、
平泉の
衣川館で自刃
↓↑
藤原秀衡
は
関東以西を制覇した
頼朝の勢力が
奥州に及ぶことを警戒し
義経を将軍に立てて
鎌倉に対抗しようとしたが
文治三年(1187年)十月二十九日病没
頼朝は
秀衡の死を受けて後を継いだ
藤原泰衡に
義経を捕縛するよう
朝廷を通じて強く圧力をかけ
義経追討を自身が受け
奥州に攻め込めば
泰衡と義経は
秀衡の遺言通り
共闘する怖れがある
泰衡に義経を追討させることで
2人の間に楔を打ち
奥州の弱体化を図った
「亡母のため五重の塔を造営すること」
「重厄のため殺生を禁断すること」
を理由に年内の軍事行動はしないことを表明し
頼朝自身が義経を追討することができない
表面的な理由としたかった・・・
義経は
文治四年(1188年)二月
出羽国に出没
鎌倉方と合戦
文治五年(1189年)一月
義経が
京都に戻る意志を書いた手紙を持った
比叡山の僧が捕まるなど
再起を図った
義経の行動に関しては、
度重なる追討要請により
泰衡
との齟齬が激しくなったために
京都へ脱出(帰京)しようとしていた・・・
義経
と
泰衡
の駆け引き、葛藤・・・
泰衡は再三の鎌倉の圧力に屈し
「義経の指図を仰げ」
という父の遺言を破り、
閏四月三十日
500騎の兵をもって
10数騎の義経主従を
藤原基成の
衣川館に襲った(衣川の戦い)
義経の郎党たちは防戦し
ことごとく討たれ
館を
平泉の兵に囲まれた義経は
一切戦うことをせず
持仏堂に籠り、
正妻の
郷御前
と
4歳の女子を殺害
後
自害
享年31
ーーーーー
・・・???・・・苦労半眼偽計のヨシツネ・・・蝦夷に渡り、樺太、そして中国東北部、満州に入り「ジンギスカン=成吉思汗=モンゴル帝国を建てたチンギス・ハン(1162~1227)」になった・・・???・・・「蒼き狼」・・・
オオカミの変貌、変身・・・ジャッカル・・・アヌビス・・・
・・・東北、秋田 雄物川と福部内川、猿田川が氾濫、大雨、河川氾濫、大洪水・・・みなさん、ガンバって・・・お見舞い致します・・・TVのニュースを観ながら為す術もなく、「嗚呼、またかッ!」と、溜息ばかりデス・・・「嗚(口+烏)」、「呼(口+乎)」・・・「須佐之男=スサノオ=素戔男=素戔嗚」の「尊=ミコト→見事」、太陽神、天照大神(おおかみ)の弟だが、退治したのは「ヤマタノオロチ(八岐大蛇・八俣遠呂智・八俣遠呂知)」だが、「河川の堤防の治水工事」だったと考えたいが・・・豪雨と日照り、旱魃は「両行」の表裏一体である・・・
「烏(からす・ウ)」の漢字は「鳥」の漢字と比べ「一(壱・壹)」が無いのである・・・大陸、半島の「韓の州」には「一(壱・壹)=位置・位地・市」がない、と云うコトである?・・・「韓」には「壱の與」、「壹・臺・市」與、「十三歳の卑弥呼の宗女」の「イチ与・イチ輿」、「與=地図・地理史・御輿(神輿)」が存在しない?、であるカナ・・・「蒼きオオカミ」の・・・「情報」、「人情」、「愛情」・・・「情=忄(心)+青(主+月)」・・・「月」は「月=肉(ジク→字句)=舟=冃(頭巾・ボウ)」の代用の偏旁=ヘンボウ=変貌・・・
ーーーーー
異国情緒・異国情調・一往深情・一切有情・有情世間・有情非情
烏鳥私情=烏鳥私情、三枝之礼、 反哺之孝(ハンポのコウ)
烏(からす)の子が成長してから親烏に
食物を咥(くわ)え与えて養育の恩に報いるように
反哺して親の恩に報いるような孝行」
烏賊(いか)=烏(からす)を騙して巻き取る
いか=墨魚・烏鰂・烏鯽
烏(な)んぞ、有らんや=どうして有るだろうか
感情移入
↓↑
「情=なさけ・ジョウ
情合・情愛・情意・情意投合
情炎・情縁・情火・情歌
情景・情交
情が移(染・罹)る
↓↑
温情・苦情・強情・私情・事情・実情・純情
情状・心情・痴情・同情・内情・人情・発情・非情
欲情・懇情・有情・春情・詩情
↓↑
人が本来もっている性質
他人を気の毒だと思う気持ち
思いやり
愛情・恋情・情交・ 情を交わす
実際の様子・事情・情を知る・情を通じる
意地。頑固
情緒・情調
純情可憐
情状酌量
ーーーーー
オオカミの変貌、変身・・・
「ジャッカル(ジャコール)
キンイロジャッカル(Canis aureus)
シュリガーラ (śṛgāla)
胡狼・Jackal・野干・悉伽羅
シャガール (shaghāl)
チャカル (çakal) )」
「アヌビス(Anubis・エジプト語ラテン文字転写=inpu(インプゥ)・古代ギリシア語(Ánūbis) )・アンプウ・ミイラ作りの神(imiut)・冥界の神・リコポリスの守護神」
ーー↓↑ーー
「烏焉魯魚(ウエンロギョ)=文字の書き誤り」
「烏と焉」、「魯と魚」の字形が似て、間違えやすい
↓↑
「烏焉成馬(ウエンセイバ)」
「魯魚之謬(ロギョのあやまり」
「魯魚亥豕(ロギョガイシ)」
「魯魚陶陰(ロギョトウイン)」
「魯魚章草(ロギョソウショウ)」
「魯魚帝虎(ロギョテイコ)」
「亥豕之譌(ガイシのガ)」
「焉馬之誤(エンバのあやまり)」
「三豕渡河(サンシトカ)」
↓↑
「烏喙(ウカイ)」=カラスのようなくちばし・欲深い人相
「烏克蘭(ウクライナ)=Wikipedia」
ヨーロッパ東部、黒海北岸に臨む
チェルノーゼム地帯を占める共和国
↓↑
「烏合の衆=ウゴウのシュウ」=規律も統一もなく
寄せ集められた多くの人々
「烏集の交わり」
「烏骨鶏(ウコッケイ)=ニワトリの一品種、東アジア原産
観賞用、食肉用
皮膚・肉・骨が暗紫色を帯びている
↓↑
「烏盞(ウサン)」=黒の釉うわぐすりをかけた
天目てんもく茶碗・献茶に用いる
「胡盞」とも書く
↓↑
「烏漆(ウシツ)」=漆黒・光沢のある黒色
「烏鵲(ウジャク・ウシャク)」=カササギ・カササギとカラス
「烏鵲の智(ウジャクのチ」=遠い先のことばかり心配して
身近な危険を考えないこと
カササギが強風を避けて
低い枝に巣を作るのはよいが
そのために
ヒナや卵が危険にさらされることを忘れている
「烏鵲=鳥鵲」とも
↓↑
「烏鵲橋(ウジャクキョウ」=七夕、牽牛と織女を会わせるため
カササギが翼を並べて
天の川に渡す橋
男女の仲を取り持つものの意
「鵲の渡せる橋」
「鵲の橋」
「鵲橋(ジャッキョウ)」
↓↑
「烏集(ウシュウ)」=囀る烏のように寄り集まること=「烏合」
「烏集の交わり」=相手かまわず結びついた交わり
利欲のためにすぐに争いを起こす交わり
「烏頭(ウズ・ウヅ)」=トリカブトの根
有毒でアコニチンを含有
鎮痛剤・麻酔剤
附子(ブシ)
カラスの頭に似た形をしている
↓↑
「烏鳥の私情」=子どもが親に養われた恩を忘れずに
孝養をつくす情愛
カラスは雛のとき養われた恩返しに
口の中に含んだ食物を口づたえに
親鳥に食べさせる孝行心があるという伝説
「烏鳥私情」
「反哺(ハンポ)之孝(コウ)」「
「反哺之心」
「反哺之羞(シュウ)」
「三枝之礼(サンシのレイ)」
「慈烏反哺(ジウハンポ)」
↓↑
「烏兎(ウト)」=太陽と月
太陽にはカラス(金烏)
月にはウサギ(玉兎)
年月・月日・歳月
「烏兎匆匆(ウトソウソウ)」=月日が
慌(あわ)ただしく
過ぎ去るようす
「烏飛兎走(ウヒトソウ)」
「露往霜来(ロオウソウライ)」
「光陰如箭(コウインジョセン)」
「烏白馬角(ウハクバカク)」=絶対に起こりえないこと
カラスの頭が白くなり
馬に角が生える
「亀毛兎角」・「兎角亀毛」
「烏飛兎走(ウヒトソウ)」=「烏兎匆匆」=「兎走烏飛」
↓↑
「烏文木(ウブンボク)」=黒檀(コクタン)
「烏木(ウボク)」とも
↓↑
「烏薬(ウヤク)」=テンダイウヤク・その根を乾燥した生薬
漢方で健胃薬・鎮痙薬
↓↑
「烏有(ウユウ)」=まったくないこと・何もなくなること
「烏いずくんぞ有らんや」
「烏有に帰す」
何もなくなる
火災などですべてを失う
「苦労して集めた書物も烏有に帰(属)す」
「灰燼(カイジン)に帰す」
↓↑
「烏魯木斉(ウルムチ)」=ウルムチ(Wulumuqi)
中国新彊ウイグル自治区の区都
↓↑
「烏鷺(ウロ)=カラスとサギ・黒と白のこと
囲碁の別称
「烏鷺の勝敗を決する」=「烏鷺の争い」=囲碁の勝負
↓↑
「烏帽子(えぼし)」=昔、元服した公家、武士などが
かぶった帽子
古くは紗絹(シャキヌ)
後に
紙を使い黒い漆でぬり固めて作った
↓↑
「烏滸(オコ)」=愚かなこと(人)・ばかげたこと(人)
「烏滸の沙汰(ばかばかしいこと)」
「尾籠・痴」とも
「烏滸(おこがましい)」=おこがましい・ばかげている
みっともない
「口にするのも烏滸がましい」
「身のほどしらずでなまいきである」
「さしでがましい」
↓↑
「烏=からす・ウ」
カラス科の鳥
体色は黒・雑食性・鳥類の中で知能が高い
カラス=ハシブトガラス・ハシボソガラスの二種
翼長35?前後
人里近くの高い木などで群れて生活
昔から不吉な鳥・・・?
「鴉・慈鳥」とも書く
↓↑
「烏竹(くろちく)」=ハチクの栽培変種
茎が紫褐色・細工物などに用いる
「紫竹、黒竹」とも書く。
「烏豆(くろまめ)」=大豆の一種・豆の外皮の黒いもの
正月のおせち料理などで用いる
「黒豆」とも書
「烏樟(くろもじ)」=クスノキ科の落葉低木
「クロモジ(烏樟)=黒文字」とも
「烏芋(くわい)」=オモダカ科の多年草
野菜として水田などで栽培
青みがかった塊状の地下茎を食用にする
球塊の上部に芽が出ていることから
「芽が出る・めでたい」として
正月料理などに使う
「慈姑」とも書く
「烏木(こくたん)
東南アジアに分布する
カキノキ科の常緑高木
光沢のある黒色の材は緻密で堅く
高級家具などの材料
「烏木」は漢名から。「黒檀」とも書く
↓↑
「烏臼(なんきんはぜ)」
トウダイグサ科の落葉高木
中国原産・暖地で栽培・葉は菱形で紅葉が美しい
種子からとった脂肪は
石鹸、蠟燭(ろうそく)の原料
根皮は利尿剤
「南京黄櫨」とも書く。
↓↑
「烏玉・烏珠=ぬばたま」
黒い珠、ヒオウギ(檜扇)の実のこと・・・
和歌において
「ぬばたまの~」は
「黒・夜・髪・夢」などにかかる枕詞
「射干玉・野干玉」とも書く
「うばたま・むばたま」ともいう。
↓↑
「屋烏の愛(オクウのアイ)」
人を愛すると
その家の上にとまっている烏までも
イトおしくなるということ
愛情が深いこと
「愛及屋烏(アイキュウオクウ)
愛屋及烏(アイオクキュウウ)」
↓↑
「金烏玉兎(キンウギャクト)」=太陽と月・月日のたとえ
「金烏」=太陽にいるという三本足のカラスで日
月にいるというウサギで月
「白兎赤烏(ハクトセキウ)」
「慈烏反哺(ジウハンポ)」
子どもが親の恩に報いて親孝行を尽くすこと
カラスは成長すると親に口移しで餌を与えるということから
「慈烏」=カラスの異称
「反哺」=口の中の餌を口移しで食べさせること
「烏鳥の私情」
「反哺之孝・反哺之心・反哺之羞・三枝之礼」
↓↑
「白兎赤烏(ハクトセキウ)」=時間のこと
烏兎
「金烏玉兎」
↓↑
カラスの象形
金文の字形は、死んだカラスをつるした形
羽をバラバラにして縄にかけわたした形は、「於」。
↓↑
古代もカラスは害鳥・・・?
カラスを
つるして被害を避けていた・・・カラスを吊るす?
「烏」も「於」も
感動詞「ああ」に用いられ・・・ああ=嗚呼・噫・嗟乎・于=於
烏追いの声を
感動詞に用いた・・・
ーー↓↑ーー
カラスの赤ちゃん なぜなくの
こけこっこの おばさんに
赤いおぼうし ほしいよ
赤いおくつも ほしいよ
と カアカア なくのね
(作詞、作曲とも海沼實)・・・海の沼の實
↓↑
烏 なぜ啼くの
烏は山に
可愛七つの
子があるからよ
可愛 可愛と
烏は啼くの
可愛 可愛と
啼くんだよ
山の古巣へ
行って見て御覧
丸い眼をした
いい子だよ
(野口雨情が作詞・・・野口の雨の情
本居長世が作曲)・・本の居の長い世・・・本居宣長の末裔
ーーーーー
・・・
漆黒のカラス・・・桎梏のカラス・・・足枷(かせ)、手(羽根・翼)枷(かせ)
・・・「虎の威を借る狐=寅の意を借る紀通根=訳等の意を箇留、記通音?」、「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず=化伝似句通を要例事、理化似換務理を正さず?」・・・前回の「カラス=唐洲・香良洲・加羅州・韓州=烏・鴉」だが・・・「カラス天狗」と関係あるのかな・・・「深山に住むという妖怪・山伏姿で、顔が赤く、鼻が高く、背に翼があり、手足の爪が長く、手には羽団扇 (はうちわ) ・太刀・金剛杖を持ち神通力があって、自由に飛行するという・鼻の高い大天狗や烏天狗など」、「自慢すること・己惚れること・高慢、傲慢なこと」、「落下の際に大音響を伴う、非常に大きな流星、隕石・天狗星=凶事を知らせる流星」、「一切身分光燄騰赫 見此相者皆言-憂流迦(ウルカ=Ulkā)下・魏言-天狗下」、「天狗倒し=深山で、突然すさまじい原因不明の大音響が起こり、行ってみるとなんの形跡もないこと・原因不明で、突然すさまじい音がして倒れそうもない大きな建物が倒壊すること」・・・「天(二人)」の「狗(犭勹口)=いぬ・ク・コウ・孔子曰く、狗は叩(コウ)なり、気を叩き、吠えて以て守ると、犬に従ひ、句を聲とす」・・・「あまのいぬ・テンのグ」・・・二人の獣の「つつみがまえ・被う・覆う・隠す・包(くる)む」・・・「勹の字=「ヒョウ(ヘウ)・ホウ(ハウ)・人が体を曲げ、人が物を抱えこむ形に象」・・・
「商(殷)の時代の建物の下には、必ず地鎮祭のためにイヌを犠牲として埋めた」・・・。
「漢の時代には、風よけの呪いで、犬の皮を風に面して張った」・・・
「戌の神=風伯」、「飆(ヒョウ)=犬犬犬+風=旋風(つむじ風)」・・・
・・・「犬が月に吠える(吼える・咆える)」意味が「アルテミス(月の女神)」と「アクタイオーン(Actaeon)」にあった・・・?
月に吠えるのは「オオカミ」だが・・・
ーー↓↑ーー
「リュカオーン(Lykāōn)=狼座」=アルカディアの王
↓↑ カリストーの父親
↓↑
「デウカリオーン(Deukalion)の洪水」・・・?
↓↑
西暦・ユリウス暦
637年
丁酉年・・・・・2017年
舒明天皇 九年
唐王朝貞観十一年
新羅 仁平 四年
↓↑
蝦夷背いて入朝せず
上毛野形名
を将軍として
蝦夷を討つ
↓↑
漢字からは「天狗=天の犬」だけれども、「天の犬」なら「大犬座のシリウス」だろう・・・
じゃぁ「小天狗」の「カラス天狗」は「小犬座(Canis Minor)のプロキオン(Procyon)」である・・・
オリオンの「2番目の猟犬」らしいが、「海の犬座」とも・・・
「異伝、別伝では
「イーカリオスと娘のエーリゴネーの飼い犬のマイラ」
で、更には
「アルテミス(月の女神)に鹿の姿に変えられたアクタイオーンを噛み殺した犬(飼い犬にカミ殺された)」
である・・・「悪態於音」・・・「ギリシャ語」で「犬の前に」の意味で、「大犬座のシリウス」が昇る直前に昇ることに由来する・・・
「狼(おおかみ)座・Lupus=ギリシャ神話のリュカオーン」は関係ないのかな・・・九州以南でなければ全体を見られない・・・
「狗尾草(えのころぐさ)」
イネ科の一年草
雑草で高さ30~50センチメートル
茎は叢生(ソウセイ)し、基部で分枝
夏、茎頂に緑色の円柱状で
芒(のぎ)の多い、子犬の尾に似た花穂をつける
ネコジャラシ・・・
ーーーーー
「デウカリオーン(Deukalion)の洪水」・・・出烏化理音?
↓↑
ゼウスは堕落した
「リュカオーン」と、・・・躘掛音?
「躘=躘蹱(足が よろけるさま)」
彼の息子たち、
彼の人々を洪水で滅ぼした・・・
洪水が来る前に
「プロメテウス」・・・・・風炉女氐照有珠(臼・碓)
附賂目出烏州?
は、息子、
「デウカリオーン」・・・出烏化理音→
crow=クロウ・苦労・九郎・繰ろう
レイヴン(raven)=渡りがらす
亘鴉
に忠告
箱船を建造させ
洪水の
九日九夜、水上を漂流
パルナッソス・・・・・貼流名通蘇諏(楚洲)
に漂着
洪水後
「デウカリオーン」の願いによって
ギリシャ人の祖、
ヘレーン
アムビクテュオーン
ブロートゲネイア
が生まれた・・・
「リュカオーン」は・・・・・・・・躘(嶐)掛音
籠・龍・笠・劉・隆
息子達が洪水で殺された時
「狼」になった・・・「狼座」
↓↑
西暦
ユリウス暦
1006年・・・・・・・・1006年
丙午年
寛弘三年
皇紀1666年・・・・・・1666年・・・林檎の落下で
紐頓(ニュートン・尼通)が
万有引力発見
北宋 景徳三年・・・・景徳(かげ-とく)
遼 統和二十四年・・統和(すべる-やまと)
高麗 穆宗九年・・・・穆宗(やわらぐ・なごやか・むつまじく)
↓↑ 穆=禾+㣎(白小彡)・㣎=細かい紋様
「おおかみ座」・・・・wolf=ウルフ=烏留附・得る附
領域に
超新星 (SN 1006) が出現
青色巨星
↓↑
チンギス・カン
(成吉思汗)
大定二年四月十六日
(1162年5月31日)
~
太祖二十二年七月十二日
(1227年8月25日)
↓↑
源義経・・・・烏帽子(えぼし)を被った絵
平治元年
(1159年)
~
文治五年閏四月三十日
(1189年6月15日)
↓↑
ーーーーー
「カラス(烏=鴉=鵶=雅)
「烏(からす・ウ)」=ノ+尸+一+勹+灬・・・戸=一+尸
=ノ+尸+与・・・丂(コウ)・兮(ケイ・ゲ)
=戶+丂+灬・・・丂=曲がっ た釘の形?
朽=㱙=くちる・キュウ
丂=一+㇉=曲がる・つかえて曲がる
妨(さまたげ)られる
=ナイフ・小刀
・・・C、G形の鎌だろう?
巧=たくみなこと・上手なこと
てわざがうまい・たくみ
「巧を弄(ロウ)して拙を成す」
功=いさお・いさおし・ききめ
コウ・ク
手柄
功罪・功績・功名・功利
功労・勲功・成功 ・戦功・年功
奏功・功徳
工夫・技術・気功
ききめ・ごりやく
神功皇后=ジンコウコウゴウ=壬項交合(咬合・項合)
人工・仁行・訊稿・塵考
丂の異体字は于・考
声符は「丂」、
号·號·考·朽·巧·㱙·攷
=戶+一+勹+灬
戶=丿(ヘツ)+尸(しかばね・ヘ・シ)
戸=一+尸(しかばね・ヘ・シ)
户=ヽ(ゝ)+尸(しかばね・ヘ・シ)
ゝ=あるじ・灯火・チョン=全?
=戶・戸・户
と・とかんむり・とだれ・とびらのと
局(つぼね)=尸+勹+口・・・・・口=くち=䪼
扃(とざす)=戶+冋
扁(ひらたい・ヘン)=戶+冊(册)
启=戶+口=ひらく・ケイ
=啟=啓=戸+攴(手の動作)+口」
=戸を手でひらく
「口」は言葉を発する
ひらく・はじめる・言葉を発する・説明
門前で「開門、おたのみ申す」?
𠂤(つちくれ・て・タイ・シ)
追(ツイ)、師(シ)、岐阜(ギフ)
阜=小高い丘、台地
異体字は峊・阝(邑)
𠂤は申の変化した字で紳の意?
𠂤は両手の形?
𠂤は戸棚の象形?
𠂤は「堆」の字・古時、
人工の堆築、堂の基礎
作、兩個 彎曲的扁
軍隊駐紥止息之意・王宿𠂤(師)
「一種象、垂直豎立的山丘,
本意 是小「阜」(孫海波)
裘錫圭認為「𠂤」是古「堆」字,
指、古時人工堆築的堂基
一種作、兩個 彎曲的扁、
表示、軍隊の駐紥止息之意(合集)
「王宿𠂤(師)」、表示、商王、駐紥軍隊」
駐紥軍隊=軍隊の駐屯
扎=「抜く」・しばる・くくる・把・握・摑?
「烏(からす・ウ)」
の漢字は
「鳥(とり)」=白+一+勹+灬
の漢字と比べ
「烏」の構成は
「白=ノ+日」の中に
「一(ひとつ・壱・壹・イチ)」が無いのである
ーー↓↑ーー
カラス-ヤンマ=オニヤンマ科のトンボ
カラス-アゲハ=アゲハチョウ科のチョウ
カラス-ガイ=イシガイ科の貝
カラス-ウリ(烏瓜)=ウリ科の多年草
オオ-カラス-ウリ(大烏瓜)=カラスウリ属の多年草
ケ-カラス-ウリ(毛烏瓜)=カラスウリ属の多年草
烏扇(からすおおぎ)=ヒオウギ(桧扇)
アヤメ科の多年草
ヒオウギの花
烏羽玉(うばたま)=サボテン科のペヨーテ
射干玉(ぬばたま)
ヒオウギの実(漆黒色)
カラスザンショウ(烏山椒)=ミカン科の落葉樹
カラスノエンドウ(烏野豌豆)=マメ科の越年草
カラスノゴマ(烏の胡麻)=シナノキ科の一年草
カラスビシャク(烏柄杓)=サトイモ科の多年草
カラスムギ(烏麦)=イネ科カラスムギ属の越年草
カラスムギ属の総称
同属の栽培穀物であるエンバク
↓↑
白銀のカラスは太陽神アポロンに仕えていた伝令で
美しい声を持ち、
人の言葉も話す賢い鳥だったが
アポロンの愛人コロニスが
イスキュス浮気していると
アポロンに虚偽報告をし
アポロンは怒り
天界から弓で矢を放ち
コロニスを射殺してしまった
アポロンはカラスが虚報したコト知り
カラスの羽の色と美声と人語を奪い
天界を追放、
羽は喪服のように漆黒にされ
醜い鳴き声を発するトリとなってしまった・・・
↓↑
葦原中国の平定前夜
高天原から
遣わされた
天穂日命(アメノホヒ)が
三年たっても戻って来ないので
天若日子(天稚彦=アメノワカヒコ)
が遣わされたが
彼は
大国主の娘
下照姫命と結婚し
葦原中国に居座って
八年たっても
高天原に戻らなかったので
天照大神
と
高皇産霊神(タカミムスビ)
は
雉(キジ)の鳴女(ナキメ)
を派遣し、その理由を尋ねさせた
その声を聴いた
天探女(アメノサグメ)が
不吉な鳥だから射殺すようにと
アメノワカヒコを唆し
彼は遣わされた時に
タカミムスビから与えられた
弓矢(天羽々矢と天之麻迦古弓)で
雉(キジ)を射抜いた
その矢は高天原まで飛んで
その矢を手にした
タカミムスビは、
「アメノワカヒコに邪心があるならば
この矢に当たれ」
と誓約をして下界に射返しすると
矢はアメノワカヒコの胸に刺さり
彼は死んでしまった・・・「古事記」
↓↑
水くみをサボって遅れたカラスが
アポロンの怒りを怖れ
コロニスと
イスキュス
の密会をでっち上げて虚報・・・
カラス座(烏座、Corvus)=アルキバ(Alchiba)
=テント(tent・パオ)
=右轄
=curtain・tent・pavilion
モンゴルの天幕=テント(tent・パオ)
ゲルとよばれ、
パオとよばれるのは中国語
満州語で家
カラマツなどの木を骨組みに用いて
格子状の壁を造り羊皮で被う
パオ(包)=遊牧民族の居住用天幕
形が包子(饅頭・マントウ)
に似ている
天井が円錐形、周囲が円筒形で
柳やニレなどの木材で骨格を作り
外側を羊毛のフェルトで覆う
コップ座(Crater)=アルケス(Alkes)
アポロンの
ゴブレット=把手のない酒杯
(飲料用の脚と台のついた大形の杯)
ーーーーー
・・・旧約聖書「創世記・5章~10章・大洪水の後、8章7節」・・・烏(カラス)が方舟から放され、次いで鳩(ハト)が放たれ、水がヒイタことを知らせた・・・
日本列島は方舟になるのは難しい・・・
カサブランカ・・・北緯三三度
・・・マーガレットは終わり、庭には濃い橙色の花弁の表面に彪(虎)のような黒い斑紋がある「鬼百合(Tiger lily)=天蓋百合」が咲きだした・・・ムカゴ(零余子,珠芽)は葉の付け根に黒紫色の珠芽豆か小芋のようにナンか不気味にくっ付いているが、食用になるらしい・・・ユリの根っ子は食べたことはあるが、ムカゴ(零余子,珠芽)を食べた記憶は無い・・・
ニュースでは「祇園祭・貞観十一年五月」に始まったのは・・・どうやら「疫病」だけではなく、
「869年1月(貞観十年閏十二月)
の
摂津地震(7月30日まで余震)
869年7月13日(貞観十一年五月二十六日)
の
貞観地震
869年8月29日(貞観十一年七月十四日)
の
「地震の災厄忌避(キヒ)」のタメであったらしい・・・
北海道で
「人道的観点」から北方墓参?・・・とか・・・きっと、「人道的」って、普段、日常生活は「人道的」?ではないんだろう、ナッ・・・
それに、
「フラッグ・ッアー」?・・・
↓↑
「ブラック(Black)・ッアー(tsar)」?・・・黒い皇帝?
「flag tour≠(flag tsar)」?
「flag=旗
・tsar=ロシアの皇帝の公式の称号
・czar=専制君主、独裁者
・czar(ツァーリ)=tsar(ッアー・tzar)」
・Kaiser(カイザー)・・・独逸皇帝
・ユリウス・カエサル
・ガイウス・ユリウス・カエサル
(Gaius Iulius Caesar(古典ラテン語)
ジュリアス・シーザー
Gaius Julius Caesar(英語)
「lack(læk)」・・・
「lag=lˈæg・laɡ」・・・
↓↑
「lack(læk)=欠乏・不足」
「lack of money(skill)=金、(技量)不足」
「lack of time (experience)=時間、(経験)不足」
「an essential lack of communication
コミュニケーションの本質的欠如」・・・
↓↑
「Good luck(læk)」・・・
↓↑
「lag=のろのろ歩く・ぐずつく」
「time lag=時間のずれ・遅延・遅れ」・・・
↓↑
「rug=絨毯」・・・
↓↑
「rag-time=ジャズ音楽の一種
だらしのない・いかがわしい・劣った
襤褸(ボロ)切れ」・・・
↓↑
「rag-time=ジャズ音楽の一種」が「?」で、検索したら・・・「rag-time」って、ちいさい頃にみた「アメリカン-マンガ映画」のバック(back)音楽( music)・・・?・・・で、「As Time Goes By」・・・1942年11月26日に公開のアメリカ映画・・・
「カサブランカ(Casablanca)」の「As Time Goes By(時が経っても・時の過ぎゆくままに=「アズ・タイム・ゴーズ・バイ(As Time Goes By)」・・・だった・・・
ーー↓↑ーー
https://www.youtube.com/watch?v=6Qp7aq6adr8
↓↑
You must remember this
A kiss is just a kiss,
a sigh is just a sigh
The fundamental things apply
As time goes by
And when two lovers woo
They still say, "I love you"
On that you can rely
No matter what the future brings
As time goes by
Moonlight and love songs
Never out of date
Hearts full of passion
Jealousy and hate
Woman needs man
And man must have his mate
That no one can deny
it's still the same old story
A fight for love and glory
A case of do or die
The world will always welcome lovers
As time goes by
Moonlight and love songs
Never out of date
Hearts full of passion
Jealousy and hate
Woman needs man
And man must have his mate
That no one can deny
it's still the same old story
A fight for love and glory
A case of do or die
The world will always welcome lovers
As time goes by
ーー↓↑ーー
・・・I haven't known Why (And So Do You)・・・
ーー↓↑ーー
映画、「カサ-ブランカ」・・・「白い家」?
↓↑ カサ=家
ブランカ=白い・・・・新羅の家?・・・
高野新笠・・・・・新しい笠(カサ)?
(たかの の にいがさ)
720年頃生
~
延暦八年十二月二十八日
(790年1月21日)
夫は
光仁天皇(白壁王)で・・・白い壁?
和風諡号は
「天 宗 高 紹 天皇」
(あまつむねたかつぎのすめらみこと)
彼女の身分は宮人、後に夫人
桓武天皇・早良親王・能登内親王の生母
桓武天皇の即位後、皇太夫人
薨去後に贈皇太后、贈太皇太后
諡号は
「天高知日之姫尊」
父は
和 乙 継
(やまと の おとつぐ)
母は
↓↑ 大枝 (土師)真妹(ダイシシンマイ)
↓↑ (おおえ はじ まいも)
映画
「カサブランカ(Casablanca)」は
第二次世界大戦に
アメリカが参戦
(1941年12月8日・真珠湾奇襲攻撃後)
した
翌年の1942年に製作が開始
同年11月26日に公開
物語の設定の
1941年12月時点では
親ドイツのヴィシー政権の支配下にあった
フランス領モロッコの
カサブランカを舞台にした映画
監督はマイケル・カーティス
ーー↓↑ーー
カサブランカ(Lilium 'Casa Blanca')
↓↑
オランダで改良された
ユリ科ユリ属の栽培品種の一・・・Lillie(リリー)
ヤマユリ
タモトユリ
などを原種とする
オリエンタル・ ハイブリッドの一品種
↓↑
純白の大輪の「ユリの花」で
「ユリの女王」
日本での開花時期は6月~8月
花の直径は20?
カサブランカ
日本のユリを原種とし
ヨーロッパで品種改良
明治維新頃
ヤマユリなどを
日本からヨーロッパへ輸出され、新種生産
ーー↓↑ーー
カサブランカ(Casablanca)
モロッコの都市の一つ・・・・摸賂通拠(故)?
北緯33度32分・・・・・・・・日本の北緯33度は?
西経7度35分
紀元前10世紀
ベルベル人が
アンファ・・・・・・・・・・按附阿
という
地域に定住したのが始まり
紀元前7世紀頃に
フェニキア人
紀元前5世紀頃には
ローマ人と交易
7世紀
アンファ
を中心とした独立国家が形成
1188年
イスラムの
ムワッヒド朝に支配された
14世紀には
マリーン朝
によってイスラム教化
15世紀
アンファ
独立
アンファの港の
海賊船が
ポルトガルや
スペインを襲い
1468年
ポルトガル人
によって襲撃され焼き払われた
1515年
ポルトガル人
によって
町の再建、名前を
「Casablanca(白い家)=カサブランカ」
とした
1755年11月1日9時40分
↓↑
乙亥(戊・甲・壬)
丙戌(辛・丁・戊)
戊戌(辛・丁・戊)
丙辰(乙・癸・戊)
↓↑
万聖節の祭日
リスボン大地震
推定マグネチュード 8.5〜9.0
西ヨーロッパの広い範囲で
強い揺れが起こり
ポルトガルの
リスボンを中心に
大被害
津波による死者1万人を含む
5万5000人~6万2000人が死亡
カサブランカでも
沿岸は高さ最大20mの津波で
1万人が死亡、
甚大な被害
ポルトガル人は
カサブランカを去った
カサブランカは
アラウィー朝
モロッコに統合
1770年
から
ムハンマド3世
によって
町の再建工事が行われ
町は要塞化
18世紀から
スペイン、
19世紀に入ると
ヨーロッパの列強諸国との間で交易
主に
ウール(wool)・・・・・・・得烏留?
の積出港として発展
1830年に600人だった人口は
1868年に8,000人に成長
1907年
港湾工事を行っていた
ヨーロッパ人労働者を
住民が殺害し暴動
フランス、スペインが軍艦を派遣し
カサブランカを砲撃
フランス軍がカサブランカを占領
1912年
モロッコはフランスと
保護領条約を締結
カサブランカは
フランスの保護領
フランス保護領モロッコの
初代総督
ウベール・リヨーテ将軍が
カサブランカを商業の中心として整備
第二次世界大戦中は
ドイツ軍によって
フランスが占領され
親独の
ヴィシー政権の支配下
連合国軍の
北アフリカ侵攻によって
連合国軍に占領
自由フランスに復帰
1943年
カサブランカ会談
第二次世界大戦後
1956年
モロッコがフランスから独立
フランスは
カサブランカから撤退
ーーーーー
・・・???・・・
北緯33度、カサブランカ(Casablanca)・・・
北緯32度53分、阿蘇山(あそざん・別称は高岳=たかだけ)で、
根子岳
高岳
中岳
烏帽子岳
杵島岳
の五つからなる山の総称・・・
Canaria=犬・狗・戌=カナリア(金糸雀・canaria・カナリヤ)
・・・ジブラルタル海峡(Strait of Gibraltar・Estrecho de Gibraltar)、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸を隔てる海峡。北はイベリア半島のスペインおよびイギリス領ジブラルタル、南はモロッコであり、西の大西洋と東の地中海をつなぐ・・・ジブラルタル(Gibraltar)は、イベリア半島の南東端に突き出した小半島を占める、「イギリスの海外領土」でイギリス軍が駐屯・・・
ーー↓↑ーー
ジブラルタル(Gibraltar)・・・・字部等留他留?
日巴拉太
治部良留多留
日巴拉爾太
直布罗陀・直布羅陀
及武刺児達児・厄貌刺児答児
↓↑
711年
西ゴート王国は
ウマイヤ朝の
ターリク・イブン・ズィヤード
に征服され滅亡
ムーア人の支配を受けた
↓↑
756年
後ウマイヤ朝が成立
1309年
ナスル朝
グラナダ王国
の一部となる
カスティーリャ王国に
一時占領
↓↑
1333年
マリーン朝が奪還
マリーン朝は
グラナダ王国に
ジブラルタルを割譲
↓↑
1333年
干支は癸酉
後醍醐天皇 元弘三年
光厳天皇 正慶二年
(五月二十五日まで)
中国
元王朝 至順四年、元統元年十月八日~
↓↑
4月9日(正慶二年=元弘三年閏二月二十四日)
後醍醐天皇が配流先の隠岐を脱出して京へ
7月16日(元弘三年六月四日)
後醍醐天皇、京都東寺に帰還
↓↑
カスティーリャ・スペイン領期
(1462年~1713年)
1462年
メディナ・シドニア公が
ジブラルタルを奪取し
750年間に渡るムーア人の支配を終焉させた
↓↑
メディナ・シドニアは
追放された
スペイン・ポルトガル系の
ユダヤ人に
ジブラルタルの土地を与え
コンベルソの
ペドロ・デ・エレアが
コルドバとセビリアから
ユダヤ人一団を移住させ
ユダヤ人コミュニティを建設
半島を守るための
駐屯軍を設立
セファルディム(離散したユダヤ人の
スペイン・ポルトガルに定住した人々
その子孫)
となった
↓↑
ユダヤ人は数年後に
コルドバか異端審問所に送還
↓↑
フェルナンド2世が
スペイン王国を打ちたて
1501年
ジブラルタルは
スペイン王国の下に戻った
同年に
イサベル1世から
ジブラルタルの紋章が贈られた
↓↑
八十年戦争中の
1607年
オランダ艦隊が
スペイン艦隊を奇襲
(ジブラルタルの海戦)
スペイン艦隊は打撃
↓↑
1701年
スペイン王位継承で候補者の1人
カール大公(神聖ローマ皇帝カール6世)
の即位を後押しする
オーストリア、イギリス、オランダ
が
フランス王ルイ14世
と
スペイン王フェリペ5世
に宣戦布告し
スペイン継承戦争勃発で
オーストリア、イギリス、オランダ
の同盟艦隊はスペイン南岸にある
港町の襲撃を繰り返した
1704年8月4日
ジョージ・ルーク提督率いる
イギリスとオランダの艦隊の支援の下
オーストリアの軍人
ゲオルク・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット
(ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ6世の息子)
指揮下の海兵隊が
ジブラルタルに上陸
交渉の末
住民は自主退去を選択
海兵隊はジブラルタルを占領
↓↑
フランス・スペイン連合軍は
ジブラルタル奪回のため艦隊を
トゥーロンから派遣
それを阻止しようと
ルーク率いる
イギリス・オランダ海軍が迎撃に向かい
フランス・スペイン海軍は撤退した
ジブラルタルは
イギリスに確保された
(マラガの海戦)
↓↑
イギリス領期(1713年~)
1713年4月11日
ユトレヒト条約の締結
戦争が終結
条約で
ジブラルタルは
イギリス領
↓↑
アメリカ独立戦争中
スペインが独立軍の支援にまわり
1779年から
ジブラルタルを封鎖
(ジブラルタル包囲戦)
イギリス軍は
1782年
浮き砲台と包囲兵を撃破し
包囲網を破り
翌年にはパリ条約に先立ち
講和が行われ
ジブラルタルを解放
↓↑
1805年
トラファルガーの海戦で
イギリス海軍の拠点
ーーーーー
第二次世界大戦で
ドイツ海軍の「Uボート・潜水艦」が
このジブラルタル海峡の海中、海底で苦戦したが・・・
映画「Uボート」の音楽が恰好イイ・・・
↓↑
「ロサンゼルスの戦い
(Battle of Los Angeles)」・・・???
「日本帝国海軍」が「LA」を奇襲攻撃・・・???
ーー↓↑ーー
1942年2月25日
ロサンゼルスの戦い(Battle of Los Angeles)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
↓↑
第二次世界大戦中
アメリカ合衆国カリフォルニア州
ロサンゼルス市で起きた
アメリカ陸軍による軍事作戦
日本海軍の艦載機による空襲を誤認した
アメリカ陸軍が対空砲火を中心とした
「迎撃戦」を展開???
↓↑
1942年2月25日
ロサンゼルスの戦い(Battle of Los Angeles)?
第二次世界大戦中
アメリカ合衆国カリフォルニア州
ロサンゼルス市で起きた
アメリカ陸軍による軍事作戦
日本海軍の艦載機による空襲を誤認した
アメリカ陸軍が対空砲火を中心とした
「迎撃戦」を展開
↓↑
1942年5月27日
プラハで(エンスラポイド作戦)
ラインハルト・ハイドリヒ
がイギリス支援の
暗殺部隊の襲撃を受け
ハイドリヒが
6月4日に死亡
エンスラポイド作戦
(Operation Anthropoid)
大英帝国政府と
チェコスロバキア駐英亡命政府により計画され
ナチス・ドイツの
ベーメン・メーレン保護領(チェコ)の統治者
ラインハルト・ハイドリヒの暗殺作戦
日本語で
「類人猿作戦」と訳・・・「猿田比古作戦」?
ハイドリヒは
ナチスの秘密警察を束ねる
国家保安本部の長官
↓↑
1942年6月5日~6月7日
ミッドウェー海戦
日本海軍は機動部隊の
航空母艦4隻
艦載機多数を一挙に喪失
↓↑
8月7日
アメリカ軍、ガダルカナル島に上陸。
8月24日
第二次ソロモン海戦
↓↑
10月26日
南太平洋海戦
↓↑
11月8日
連合国軍が北アフリカ上陸作戦を開始(トーチ作戦)
11月9日
仏ヴィシー政権が北アフリカ上陸作戦に抗議し対米国交断絶
11月10日
フランソワ・ダルランヴィシーフランス軍総司令官が
フランス領アルジェリアのヴィシー政府軍と
連合軍の休戦協定を結ぶ
11月11日
独軍がヴィシー政権統治下のフランス本土を占領(アントン作戦)
11月12日
第三次ソロモン海戦(〜11月15日)
11月22日
独軍がスターリングラードでソ連軍に包囲さる
(スターリングラード攻防戦)
↓↑
12月7日
フランソワ・ダルラン大将がアフリカにおける
フランス国家元首兼北フランスにおける
陸海空軍部隊総司令官兼北アフリカ総督に就任
12月8日
ニューギニアのバサブア島で日本軍兵800人玉砕
12月18日
天龍型軽巡洋艦が
米潜水艦アルバコアの魚雷が天龍の左舷後部に命中
沈没
12月24日
第81議会召集
ダルラン大将が暗殺される。
帝国水産統制(後のニチレイ)設立(日本水産から独立)
12月31日
大本営がガダルカナル島撤退を決定
ーーーーー
・・・また、トンだ・・・
ーーーーー
カナリア諸島(Islas Canarias)
北緯28度06分00秒 西経15度25分00秒
1483年
グラン・カナリア島は
スペイン王国に統合
アフリカ大陸の
北西沿岸に近い大西洋上にあり
モロッコの
カサブランカの南西
タルファーヤの西の海上に存在する
7つの島からなるスペイン領の群島
カナリアス諸島とも
諸島全体で
カナリア諸島自治州を構成
州都は
ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア
(Las Palmas de Gran Canaria)
グラン・カナリア島のラテン語名
「Insula Canaria(犬の島)」・・・Canaria=犬・狗・戌
に由来
のち複数形
「Insulae Canariae」
として諸島全体をさす
「犬の島」の由来
かつて生息していた
アザラシ(海豹・ラテン語で「海の犬」)に由来
古代ローマの学者
大プリニウスが
島に多くの野犬がいることを伝えた・・・
↓↑
アトリ科の小鳥
カナリア(金糸雀・canaria・カナリヤ)
の原産地
語源は「犬(canaria)」
野生種は
「Island Canary・Wild Canary
Tame Canary・Atlantic Canary」
飼養種は
「Domestic Canary」
籠抜けした飼養種が
バミューダ諸島
ハワイのミッドウェイ環礁
プエルトリコ
で再野生化・・・
↓↑
カナリア
アトリ(花鶏・臘子鳥・獦子鳥)科ー雀目
フィンチ (finch)の一種
ヒワ族
黄色で染まった個体
メタンや一酸化炭素、
窒息ガスや毒ガス早期発見のための警報として飼われた
野生種、飼養種のどちらも
セリン
ズアオアトリ
同様
澄んだ美しい声で囀(さえず)る
↓↑
囀=鳥が玉をころがすように続けて鳴く
さえずる・さえずる。鳥がしきりに鳴く
テン・セン
囀=異体字は啭(簡体字)
テン・さえず-る
口+車++叀+寸
専(セン)=ひとすじ・ひたすら
叀(釣り下げる紡錘)+寸(手の動作)
=専・專
何本もの糸を一つにまとめる
ひとすじ・専(もっぱ)ら)
鶯囀(オウテン)=鶯(うぐいす)が
囀(さえず)ること
ーーーーー
モロッコ
摩洛哥・馬羅哥・莫羅哥・茂禄子
↓↑
アラビア語の国名にある
「マグリブ」は、
「日の没する地・西方」を意味
「マグリブ」は地域名は
北アフリカ西部
モロッコはマグリブの中でも最も「西の果の国」
中世には
「アル=マグリブ・ル=アクサー(極西)」とも呼ばれた
古代には
沿岸部に
カルタゴのフェニキア人の港湾都市が築かれた
↓↑
「モロッコ」は、
以前の首都
「マラケシュ(ベルベル語で神の国)」に由来
大アトラス山脈の北に位置
マラケシュの南45kmには
北アフリカ最高峰の
トゥブカル山 (4165m) がそびえる
町の東側には
イシル川が流れ
大西洋に注ぐ
テンシフト川
につながる
↓↑
「アブドゥルマリク」
ウマイヤ朝を再統一
イスラームの教義で
ムスリムは十分の一税(ウシュル)のみを
租税として支払うものの
ジズヤとハラージュが免除され
異教徒は、重税の負担
そのため、異教徒は、次々と
イスラームへと改宗し、租税の負担を回避
都市へと流入
異教徒からイスラームへ改宗した人々を
マワーリーと呼ぶ
マワーリーの都市の流入は税の減少を意味した
第8代カリフ
ウマル2世(在位は717年~720年)
マワーリーの不満解消の改革を実施
↓↑
民族のいかんを問わず、
イスラームへの改宗を自由に認めた
ムスリムのミスル(都市)への自由を認めた
ムスリムには
一切租税が課されず
宗教的な義務としての
サダカを課した
ミスルに移住した
マワーリーを官庁に登録し
俸給(アター)を支給した
↓↑
農村にとどまった
マワーリーには従来通りの租税を徴収
ヒジュラ暦100年(718年8月3日~719年7月23日)以後
耕地の販売を禁止
ウマル2世の統治が短かったので
改革は、ほとんど効果が無かった・・・
マワーリーは都市への自由を獲得したが
生計は苦しかった
農民には、従来通りの租税を課した
「神の前での平等」ではなかった・・・
↓↑
トルコ語でのモロッコの国名は「Fas」
1925年までの首都
フェズに由来する
↓↑
回教徒の尖塔
↓↑
「ミナレット」
アラビア語で
「火、光を灯す場所」を意味
「マナーラ(manāra) ・マナール」
が英語に転訛
アラビア語で
「光(ヌール)・火(ナーラ)」
から派生
「アザーンを行う場所」
を意味する
「マアザナ」・・・マ-アザナ?・・・眞-字(あざな)?
と呼ばれることもある
トルコ語では
「ミナレ(Minare)」・・・見慣れ・観慣れ?
と呼ばれ
エジプトやシリアでは
「マダーナ(Ma'dhana)・ミダーナ(Mi'dhana)」
北アフリカでは
「サウマアー(Șawma'a)」・・・作馬鴉蛙?→鞍馬山?
差を得
万を蛙(かえる)
鴉(からす)?
左馬蛙(かえる)會(合)?
とも呼ばれる
南アジアでは
ミーナール (mīnār)・・・見意名阿留?
と呼ばれ
日本語では「光塔・尖塔」と訳
↓↑
カサブランカ=「達爾貝達(中国語・支那)」
「掛差振らん(腐乱)化」?
「かさ=傘・笠・暈・瘡」ふらんか?
=「卡薩布蘭卡(別名)」・・・仏蘭西の上下
上下は薩摩?
緯度(異土)はフランスと薩摩に挟まれている
「卡(ソウ・カ)」=押さえつける
上下から挟む
カード(券・御札・ふだ)
(阿爾及利亞=アルジェリア)
(リビア=利比亜・利未亜・利比亞・利比亞
トリポリ=的波里・特里波里)・・・
鳥堀・訳理補理?
「達爾貝達」・・・他通字掛意経椄?
「卡薩布蘭卡」・・・掛差通符藍藻(卵巣・乱相)?
ーーーーー
・・・???・・・落鳥=ラクチョウ=落潮・落丁・・・
「ア・あ」トリ・・・
・・・「集鳥(あっとり)=あとり=臘觜(ロウシ)鳥=獦子(カツシ)鳥」・・・「あぢ(阿治)=集(アツ)ノ轉、群集ノ意」・・・「安治=安治とは地名?アワジ(awaji)所在は滋賀県野洲市」・・・「ア・あ=蛙(かえる)・鴉(からす)・Y(ア)・亜・吾・阿(おもねる)・娃・亞・当・閼・遖・氬・屙・呀・譆・誒・唉・朙・擭」の字・・・「あ(足・あし)→安能於登世受 由可牟古馬母我(あのおと乙せず ゆかむこ甲まもが・万葉集、下総国の歌)=足音もせずに行く駒が欲しい」・・・「吾・我→第一人称、われ・阿賀淤富久邇奴斯(あがおおくにぬし・古事記・上巻)= 我が大国主」・・・「阿字・阿治・阿路」・・・「阿字=梵語字母の第一字・および。それによって表される音・密教では阿字はすべての梵字に含まれて、すべての宇宙の事象にも阿字が不生不滅の根源として含まれている→阿字-本不生(アジ-ホンブショウ・あじ-ほんぷしよう)?」・・・「あぢ(阿遅・阿治)」=「阿遅鉏高日子根神、阿遅志貴高日子根神、阿治志貴高日子根神(古事記)・、阿遅鋤高日子根神、味耜高彦根命・亦の名を迦毛之大御神?」・・・
「あめなるや
おとたなばたの
うながせる
玉のみすまる
あな玉はや み・・・あな玉はや、み?・・・なのか?
「はや」=よもや、まさか
…ダよなぁ~
もはや、既に
or
あな玉は、やみ?・・・なのか?
「やみ=病・已・止・闇」+たに(だに)
谷?・・・・・・・・・・・だに=…でさえ…だ
…だけでも…である
せめて…だけでも
…だから…なのに
闇拿似・矢視拿似
ふたわたらす
あぢしき
高ひこねの神ぞ
(下照姫=したてるひめ)・ひなぶり(夷振り)」
・・・「ひな=夷・狄・蝦夷・毛人」・・・
原型の歌い、踊りの振り・・・
「ひな形=雛型・雛形・・・比名臥多」・・・
「ひな形=実物を小さくかたどって作ったもの
模型・形式・様式を示す見本
物の形式や様式を示す見本
手本
鋳型
金型・木型・造型・原型」
・・・「天にいる、若い織り姫が、首にかけている玉を連ねた首飾り、その連ねたあな玉は大変美しいが、それは深い谷を二つに渡って輝いている、味耜高彦根神と同じである)?」・・・こんな意味内容じゃぁ無いだろう・・・
「あとり」の意味探索のタメ・・・以下、ブログ検索で得たモノを参考、参照資料として抜粋添付・・・少々改作・・・
ーーーーー
「臘觜(ロウシ)鳥」・・・ロウシ=老子・漏示・浪士・労使
弄し→愚弄・弄ぶ?
「集鳥(あつとり)」
群れ集まる小鳥
日本書紀(720) 巻29
天武天皇紀七年(686)
十二月癸丑朔己卯
臘子鳥
弊
↓↑
「臘子鳥(あとり)が
天を覆って
西南より東北に飛んだ」
日本書紀
天武七年十二月(679年1月)
アトリ=スズメ目の冬鳥
日本で
地震の被害を伝える
最古の記録の書き出し
↓↑
臘=月+巤=⺼+巤
異体字=腊・臈・蟖
↓↑
和名「あとり=ア鳥」
漢字「集鳥=集まり来る鳥」
別名「臘觜(ロウシ)鳥」・・・「希臘・蝋燭(蠟燭)」の
「ロウ=臘」
又は「獦子(かつし)鳥」・・・
「獦=狼(おおかみ)・カツ・カチ・リョウ・ケツ」
「猲=獵=猟」
↓↑
「猲(ケツ・カツ)
大字源
口もとの短い犬
「獦(犭+葛)」+「犭喬」=猲驕(ケッキョウ)
おどす=「恐猲(恐喝)」
「喝・愒」
恐れあえぐさま=「恫疑虚猲」
「歇驕(カッキョウ)」=「口の短い犬」
大字源では
「歇(ケツ)」としておきながら、
「歇」の項では、
「歇驕(カッキョウ)」
「恫疑虚猲」
「恫疑虚喝」
「アトリが大群をつくることから、
その動きを
狩猟の勢子に見立てて
「獦(猟)子鳥」と当てられた
「猲=リョウ・狩り」の意味
「万葉集にもこの字が使われている・・・
藤原仲麻呂の三男の名前が
藤原朝獦(あさかり)」
↓↑
「猿子鳥」=「ましこ(猿子)とり」
「ましこ=猿子」
「ましこ」=「綿入れの袖なし羽織」
「ましこ(猿子)」=猿の異名
↓↑
「スズメ目アトリ科オオマシコ属の小鳥の総称
雄は赤色を帯びて、雌は赤褐色
ハギマシコ・ベニマシコなどが北海道で繁殖
アカマシコ・オオマシコなどが冬鳥として渡来
増子=猿子鳥
スズメ目アトリ科のマシコ属などの鳥の総称
スズメに似た大きさ・体形
一般に雄は赤色
日本では
ベニマシコ・ハギマシコ・ギンザンマシコが繁殖
アカマシコ・オオマシコが冬鳥として少数渡来
ましこどり
その「赤さ」は
ニホンザル(ましこ=猿子)の赤い顔の例え?
↓↑
「大言海(昭和7年の冨山房発刊)」
「臘觜(ロウシ)鳥・獦子(カツシ)鳥」
「集鳥ノ略ナルベシ
(泊瀬 [ハツセ]、はせ、速翔 [ハヤツバサ]、はやぶさ)
即チ、現今、
あッとり
ト云フ、
あぢ(阿治)語源ヲモ見ヨ、
漢字ハ
蝋觜ナルベシ、
觜ノ色、
黄白ニシテ蝋ノ如シ、
今名、あッとり。
雀ヨリ稍大キク、
觜、黄白、
腰ハ純白ニシテ、
喉ト胸トハ、
茶色ナリ、
頸背ハ、
雄ハ、黒クシテ、
雌は、暗褐色ニ、薄茶色ノ斑紋アリ、
秋,北地ヨリ群リ来ル」
と記述・・・
後段の出典欄に
「あッとり」の漢字名は
「臘觜(ロウシ)鳥」
古くは
欣明天皇期(西暦540年前後)の
欣明(きんめい)記、
また、
天武記(680)
万葉集(759年)
にも記述が有る・・・
「あぢ(阿治)」・・・
「集(アツ)ノ轉、群集ノ意」
「臘觜(ロウシ)鳥=集鳥(あつとり)」
とも解説・・・群れ集まることを意味・・・
↓↑
日本書紀(720)巻二十九
天武天皇紀七年十二月(686)
『十二月癸丑朔己卯、
臘子鳥弊天、自西南飛東北。
是月、
筑紫國大地動之。」
「アトリが天を覆って、西南から東北に向かって飛んだ
この月に
筑紫の国に大地震があった」
「天武天皇紀九年十一月
「十一月壬申朔、辛丑、臘子鳥蔽天、自東南飛、以度西北」
「アトリが天を覆って、東南から西北に飛び渡った」
「アトリ」の大群が地震の前兆・・・
「秋終から初冬にかけて
アトリは日本へ渡ってくる鳥・・・
↓↑
「2010年(平成22年)3月5日金曜日
岐阜新聞・・・アトリ、天を覆い黒い大群」
「倭名抄=倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)
930年代の日本最初の分類体の漢和辞典)」
「阿止里(あとり)」
「臘觜」の「臘(ロウ)」
「動物の群り、生えた頭上の毛の総称で、多く集まる意」
學名
『Fringilla montifringill
(フリンギルラ、モンチィフリンギルラ(Linne)』
第一學名は“小さな鳥”
第二學名は“山の小鳥』
本邦では
『冬鳥として大きな群れとなって
たくさん渡来し、
山ろくの低木林や山裾の畑で
群れなって生活すると』
↓↑
あとり=獦子鳥・花鶏
スズメ目アトリ科の小鳥
雀(スズメ)よりやや大形で
頭と背面は黒色
胸は橙褐色
腹は白色
ヨーロッパ・シベリアの北部で繁殖
日本へは秋に渡来し
全土で越冬する
「あっとり」
↓↑
ヒワ亜科(ヒワあか・学名 Carduelini)
鳥類スズメ目アトリ科の亜科
ヒワ(鶸)とも総称される
狭義にはその一部をヒワと呼ぶ
(ヒワという鳥の種類はいない)
・・・言語的に同音のコトバは
「鶸=ひわ=日羽・比和・秘話・悲話」・・・
「ひ・わ」、「ヒ・ハ」は多数・・・
↓↑
ヒワ亜科(ヒワあか、学名 Carduelini)
鳥類スズメ目アトリ科の亜科
「ヒワ(鶸)」とも総称
↓↑
「臘子鳥(あとり)が天を覆って、西南より東北に飛んだ」
日本書紀の
天武七年十二月(679年1月)
アトリとはスズメ目の冬鳥
これが日本で地震の被害を伝える最古の記録
「地面が
広さ二丈(1丈は約3メートル)
長さ三千余丈にわたって裂け、
どの村も多数の民家が崩壊した」
「筑紫(つくし)地震」
「福岡県
久留米市
東部を走る
水縄(みのう)断層帯が動いた・・・
寒川(さんがわ)旭(あきら)著
「歴史から探る21世紀の巨大地震」朝日新書
「そこから約60キロ南、
ちょうど布田川(ふたがわ)、
日奈久(ひなぐ)両断層帯が
交わるあたりで起きた今度の熊本地震だった。
熊本県で震度7を観測した
マグニチュード(M)6・5の本震だが、
それに近い震度のものも含む余震が頻発しているのは、
付近の複雑な地下の構造が原因らしい」・・・
↓↑
680年1月8日=九年 春正月(むつき)
丁丑(ひのとのうし)
朔(ついたち)
甲申(きのえさるのひ)
天渟中原瀛眞人天皇(下)
(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみことのしものまき )
天武天皇
(てんむてんわう)
九年春
正月(むつき)
丁丑(ひのとのうし)
朔(ついたち)
甲申(きのえさるのひ)
天皇(すめらみこと)
御(おはす)
于向小殿(むかひのこあんどの)
而宴(とよのあかりす)
王卿(おほきみまへつきみ)
於大殿(おほあんどの)
之庭(おほば) 是日
忌部首首(いみべのおびとこびと)
賜姓(かばね)
曰(いふ)
連(むらじ)
則與弟色弗(おととしこぶち)
共絓拜(きこゆ)
癸巳(みづのとのみのひ) 親王(みこ)
以下(しもつかた)
至于小建(せうこん)
射(いくふ)
南門(みなみのみかど)
丙申(ひのえさるのひ)
攝津國(つのくに)
言(まうす)
活田村(いくたのむら)
桃李(もも)
實(なる)也
「九年の春正月の丁丑の朔甲申(680.01.08)に
天皇、向小殿に御して、王卿に大殿の庭に宴したまふ。
是の日に、
忌部首首に姓を賜ひて連と曰ふ。
則ち弟色弗と共に絓び拝ゆ。
癸巳(01.17)に、
親王より以下、
小建に至るまでに、
南門に射ふ。
丙申(01.20)に、
攝津国言さく、
「活田村に桃李実れり」
とまうす。
↓↑
子孫の斎部広成が、
中臣氏の偏重任用と逸脱を非難
「天命開別天皇(天智天皇)八年十月条(書紀巻二十七)」
忌部首首→狛麻呂→虫名→浜成(斎部)→斎部広成
↓↑
二月(きさらぎ)
丙午(ひのえうま)
朔(ついたち)
癸亥(みづのとのゐのひ)
如鼓(つづみ)
音聞
于東方(ひむがしのかた)
辛未(かのとのひつじのひ)
有人云(いふ)
得鹿角(しかのつの)
於
葛城山(かづらきのやま)
其角、
本二枝(もとふたまた)
而
末(すゑ)合(あふ)有宍(しし)
宍上(うへ)
有毛
毛長一寸(ひとき)
則異(あやしぶ)
以
獻(たてまつる)
之
蓋(けだし)
邾角(りんのつの)
歟
壬申(みづのえさるのひ)
新羅(しらき)
仕丁(つかへのよほろ)
八人(やたり)
返于本土(もとつくに)
仍垂恩(めぐみ)
以
賜祿(もの)
有差(しな)
三月(やよひ)
丙子(ひのえね)
朔(ついたち)
乙酉(きのとのとりのひ)
攝津國(つのくに)
貢(たてまつる)
白巫鳥(しりしとと)
巫鳥、
此云、
芝苔々(しとと)
戊戌(つちのえいぬのひ)
幸(いでます)
于
菟田(うだ)
吾城(あき)
↓↑
「二月の丙午の朔癸亥(02.18)に、
鼓の音の如くして、東方に聞ゆ。
辛未(02.26)、人有りて云く、
「鹿角を葛城山に得たり。
其の角、本二枝にして末合ひて宍有り。
宍の上に毛有り。毛の長さ一寸。
則ち異びて献る」とまうす。蓋し邾角か。
壬申(02.27)に、
新羅の仕丁八人、
本土に返る。
仍りて恩を垂れて祿賜ふこと差有り。
三月の丙子の朔乙酉(03.10)に、
攝津国、
白巫鳥
巫鳥、此をば芝苔々と云ふ
を貢れり。
戊戌(03.23)に、
菟田の
吾城に幸す。
ーーーーー
金光明経
妙幢菩薩(みょうどうぼさつ)が
ある夜、夢に覚った教である。
大きな
金の鼓が太陽のごとく輝き、
ある婆羅門が打ち鳴らすと、
妙(たえ)なる韻文となって聞こへたそうである。
妙幢菩薩は、
六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)
の辻で人を
人間・天上界に導く、
いわゆる
地蔵菩薩。
釈尊が亡くなり、
五十六億七千万年後に
弥勒菩薩が現れるまでの間、
人々を救済するのが
妙幢菩薩(閻魔大王の化身)とされる。
聞こへたのが
懺悔の法、
慚(ザン)とは
自分がふたたび罪を作らぬこと、
愧(ギ)とは
人を教えて罪を造らせないこと。
また、
慚とは
みずから
かえりみて恥じること、 愧とは
人に向かって
告白すること。
また、
慚とは
人に対して羞じること、
愧とは
天に対して羞じること、
とされる。
「慚愧なき者は
人せず、
畜生となす」
とあり、
懺悔による滅罪を目指すもののようである。
人は
善行を修さめば、
天上にゆけるが、
悪業をすれば、
死して必ず
三塗に堕ちる。
懺悔により、
三塗に堕ちるを救ふ。
護国思想とされるのは、
王が国法の厳正・造悪遮止、
正法尊重の正しい王道を為し、
一切の人民に十善を行はせば、
国土昌平豊楽にして、
諸天善神は守護に参集する。
しかし
非法の悪政を行はば、
三十三天の
衆
(慾界、地居天、帝釈天をはじめ
三十三の神すべて)、
ことごとく
忿怒の心を生じ、
天地の災禍が起こり
国家の喪乱をみる、とする。
王の善政には
諸天の仏や菩薩が守護するが、
悪政をすれば
仏や菩薩が悲しみ怒り、
災禍を以て警告する、
諸悪を放置すれば
王位すら失ひ、
国が滅びる故に、
王の責務、懺悔怠ることなかれとする。
仁王経
我が国では
天豊財重日足姫天皇(斉明天皇)六年五月条
に、
「一百の高座・
一百の納袈裟を造りて、
仁王般若の会に設く」
(書紀巻二十六)
国=王(天皇)であり
護国=護王(天皇)
↓↑
辛巳(かのとのみのひ)
雷(いかづちなる)
於
西方(にしのかた)
癸未(みづのとのひつじのひ)
皇后(きさき)
體
不豫(みやまひす)
則爲皇后 誓願(ちかふ)之
初興(たつ)
藥師寺(やくしじ)
仍度(いへでせしむ)
一百僧(ももたりのほふし)
由是
得安平(みやまひいゆる)
是日
赦罪(つみびと) 丁亥(ひのとのゐのひ)
月蝕(はえる)
遣(つかはす)
草壁皇子(くさかべのみこ)
訊(とふ)
惠妙僧(ゑめうほふし)
之病
明日(くるつひ)
惠妙僧
終(みうす)
乃遣
三皇子(みはしらのみこ)
而
弔(とぶらふ)之
乙未(きのとのひつじのひ)
新羅(しらき)
遣(まだす)
沙飡(ささん)
金若弼(こむにやくひつ)・
大奈末(だいなま)
金原升(こむぐあんせう)
進(たてまつる)
調(みつき)
則習言者(ことならひひと)
三人(みたり)
從若弼(にやくひつ)
至(まうく)
丁酉(ひのとのとりのひ)
天皇(すめらみこと)
病(みやまひす)
之
因以度一百僧、
俄(しばらくありて)
而愈之
辛丑(かのとのうしのひ)
臘子鳥(あとり)
蔽(かくす)
天(あめ)
自(より)
東南(たつみのかた)
飛以
度(わたる)
西北(いぬゐのかた)。
↓↑
辛巳(11.10)に、
西方に雷なる。
癸未(11.12)に、
皇后、体不予したまふ。
則ち皇后の爲に誓願ひて、
初めて薬師寺を興つ。
仍りて一百僧を度せしむ。
是に由りて、安平ゆること得たまへり。
是の日に、罪を赦す。
丁亥(11.16)に、月蝕えたり。
草壁皇子を遣して、
恵妙僧の病を訊はしめたまふ。
明日、恵妙僧終せぬ。
乃ち三の皇子を遣して弔はしめたまふ。
乙未(11.24)に、
新羅、
沙飡金若弼・
大奈末金原升を遣して、
調進る。
則ち
習言者三人、
若弼に従ひて至り。
丁酉(11.26)に、
天皇、病したまふ。
因りて
一百僧を度せしむ。
俄ありて愈えぬ。
辛丑(11.30)に、
臘子鳥、
天を蔽して、
東南より飛びて、
西北に度れり。
ーーーーー
・・・???・・・重複で貼り付けたが、「Yトリ」・・・