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大将、大臣⇔大賞、対照、対称、大笑⇔太神、大神、大尽

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 ・・・颱風接近、Approach of a typhoon. Gone !・・・カゼとトモにサリヌ⇔ Gone With the Wind・・・アメリカ映画1939年(昭和十四年・己卯・1/24)製作・日本初公開は1952年(昭和二十七年=壬辰年・2月節分前-辛卯年/1/18=李承晩ライン・3/4=壬辰-壬寅-己酉=十勝沖地震、津波などにより死者28名、行方不明5名、家屋流出等被害8973棟・4/1=癸卯-丁丑=琉球中央政府発足)・・・1952/4/10=「君の名は」・・・4/28=日本国との連合諸国、平和条約発効・日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約発効で属国化・日華平和条約締結(8/5発効)・GHQ廃止・・・
 「2018年9月28日、インドネシア中部でM7.5の地震が発生・国家防災庁は30日、地震と津波による死者数が832人になったと発表」・・・
 こちら蝦夷地も毎日が地震余波、余震・・・
 「9月26日には、いかだで49日間にわたって海をひとりで漂流したインドネシアの少年が、およそ2000キロ離れた西太平洋のグアム島の沖で救助」されたと言うニュースがあったばかりなのに・・・
 この地球の何処にいても明日、一時間先、一分先の「生死」の保証はない・・・無事、寿命を全うして往生したヒトはメデタシであるかな・・・
ーーーーー
 1939年(昭和十四年・2月節分から己卯年)
 1939/1/24=戊寅-乙丑-辛酉
 チリ大地震M8.3、死者約8万名
 1/26=バルセロナ陥落、フランコ軍占領
 5/1=戊辰-辛丑
 男鹿半島地震(M6.6、死者27名、全壊604戸)
 5/12=ノモンハン事件
 1939/6/10
 南京総領事館毒殺事件
 7/1
 東芝設立
 8/30=阿部信行内閣
 9/1=第二次世界大戦勃発
 12/26=丙子-丁酉
 トルコ大地震(M8.0、死者33,000名)

 1952年(昭和二十七年=壬辰年)
 2月節分前-辛卯年
 1952/1/18=李承晩ライン
 3/4=壬辰-壬寅-己酉=十勝沖地震
   津波などにより死者28名、行方不明5名
   家屋流出等被害8973棟
 4/1=癸卯-丁丑=琉球中央政府発足
 1952/4/10=「君の名は」
 4/28=日本国との連合諸国、平和条約発効
    日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約発効
    属国化
    日華平和条約締結(8/5発効)
    GHQ廃止・・・?
ーーーーー
 2018年
 シリアも、北アフリカ諸国も、スーダン、イエ=メン、アフガンも内戦、戦争状態・・・南北朝鮮も不安定・・・
 自然の災害か、人間同士の人災か・・・どちらが諦めがつく・・・命の長短・・・「3・11」も「9・11」も人間の仕業だってか?
 国家主義者の各国政治家、経営者、指導者、プチブル一般市民も・・・腐っている・・・腐ってもタイ(鯛)、と言う「人間のプライド(倫理?)」も捨ててしまう奴らがゴマンと、ワンサカ・・・しかも本物の「国家主義者」ではない、怪しい「私欲主義者」が跋扈・・・
 トランプ、習近平・・・「貿易戦争」だってか、外交は恫喝、威喝だってか、トランプの脳ミソ・・・サウルか、ヨシュアか・・・「旧約人間」・・・習近平は「三国志以下人間」・・・
 「Doctor-X 外科医・大門未知子」、「佃製作所の佃航平」はモノガタリの「人間」・・・「ユメ」を信じて生きていけるって、「技術者」・・・邯鄲の夢・・・
ーーーーー
 「邯鄲の枕(かんたんのまくら)
  唐の沈既済の小説『枕中記』の故事
  若者、盧生の視た夢
  邯鄲の夢
  黄粱の一炊」

 「胡蝶の夢(こちょうのゆめ)
  中国戦国時代の
  宋国(河南省)に生まれた思想家
  荘子(荘周)で
  道教の始祖の1人
  による説話」
 「逍遥遊=目的意識に縛られない自由な境地
      その境地に達すれば
      自然と融和して自由な生き方ができる・・・」
 「昔者、荘周 夢為胡蝶
  栩栩然胡蝶也。
  自喩適志与。不知周也。
  俄然覚、則蘧蘧然周也。
  不知、周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。
  周与胡蝶、則必有分矣。
  此之謂物化。

 「ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカ
 (Pedro  Calderón  de la Barca)
  マドリード
  1600年1月17日   1681年5月25日
  己亥(戊・甲・壬)⇔辛酉(庚・ ・辛)
  丁丑(癸・辛・己)⇔癸巳(戊・庚・丙)
  戊寅(己・丙・甲)⇔甲午(丙・ ・丁)
   申酉=空亡
ーーーーー
 技術者の夢・・・?
 「technical expert=technician
          =technologist
          =技師=engineer」
 ↓↑ 
 江戸時代なら
 「匠(たくみ)の頭(かみ)=内匠頭・・・忠臣蔵?
  職掌は天皇家の調度品や儀式用具などの製作
  平安時代、官営工房の元締めとして機能し、
  太政官や蔵人所の命令下で
  調度製作の業務にあたった」・・・
 「1885年(明治18年)12月23日、
  内閣制度創設に伴い、宮内省に内匠寮が設置され
  長官は内匠頭
  1903年(明治36年)10月31日
  官制改正(皇室令第3号)により、
  内匠寮は
  宮殿その他の建築物の保管、建築・土木・電気・庭苑
  および園芸に関する事務」
 を管掌することと規定
 「1945年(昭和20年)10月5日、
  宮内省の機構整理により
  内匠寮は主馬寮と統合され
  主殿寮が設置された」
 ↓↑
 「アメリカン-ドリーム」・・・「ジャパン-ドリーム」ってのもあったが・・・この「ドリームの根幹」は何なんだろう?・・・
 末は大将か、大臣か・・・大賞、対照、対称、大笑・・・太神、大神、大尽・・・出世とカネの世の中・・・ヤッパ、権力はカネ・・・
 「大尽?=隠語辞典・・・財産を多く持っている者・金持ち・富豪・資産家・素封家・・・遊里などで、金を多く使って遊ぶ客」・・・
 「戦役=戦争」・・・殺人兵器を造ってカネを溜め込み、カネを操り、寿命期限の枠内で生活する奴ら・・・「人間社会の流通ガン=カネ」を操作するヤカラ・・・
 役人=やくにん=訳人・・・
   翻訳人・・・翻譯人=本厄人=本薬人・・・本薬・・・?
ーーーーー
 ノーベル医学生理学賞・・・
 「本庶 佑」氏・・・
 ガン治療薬・・・PD-1・・・
 オプジーボの役目・・・
 日米で2014年認可・・・
 ↓↑
 1942年1月27日
 辛巳(戊・庚・丙)
 辛丑(癸・辛・己)
 庚辰(乙・癸・戊)
  申酉=空亡
 本庶 佑(ほんじょ たすく)
 免疫学・分子生物学・創薬
 京都大学大学院医学研究科
 PD-1(Programmed cell death 1)
 T細胞の細胞死誘導時に発現が増強される遺伝子
 T細胞表面に特徴的な
 T細胞受容体(T cell receptor;TCR)を有している
 末梢血中のリンパ球の70〜80%を占める
 名前の『T』は胸腺を意味するThymusに由来
 T細胞は骨髄の造血幹細胞に由来
 骨髄を出た造血幹細胞は
 胸腺へと移動し、胸腺細胞 (thymocyte) となる
 キラーT細胞
 ウイルスに感染した細胞や癌細胞を
 認識しその細胞を殺す
 制御性T細胞=レギュラトリーT細胞
 胸腺から分化してくる制御性T細胞は
 CD4、CD25、Foxp3分子を発現して
 他のT細胞の活性を抑制
 その他
 末梢で抗原特異的に
 誘導されてくる制御性T細胞や
 CD8陽性T細胞から分化する制御性T細胞もある
 がん細胞の免疫回避に関わる
 ・・・???・・・
ーーーーー
  役=彳+殳=彳+几+又
   異体字は「伇・𠈧・𠈿」・・・𠈿=イ+凹+又
          凹=くぼむ・へこむ・へこます・オウ
            掘った穴は「落とし穴=罠」だろう?
            地下壕か、穴ボコの隠れ家か?
         𠈿=イ+凹+又=人が、手=又で、凹=掘った穴?
  役=つとめ・いくさ・ヤク・エ」
   仕事・地位
   人民に課する仕事・務め
   芝居などで受け持つヤク
   つかう・こきつかう
   ↓↑
   戦い
   職分・仕事上の地位
   役員・役職・助役
   ↓↑
   芝居などの
   役柄・配役・役者・主役・役不足
   悪役・脇役・代役・適役・役得・立役者
   ↓↑
   人頭税
   服役(フクエキ)・賦役(フエキ)
   つかう・つかわれる
   役牛(エキギュウ)・役馬・役畜(エキチク)
   使役(シエキ)・労役(ロウエキ)・雑役(ザツエキ)
   ↓↑
   戦役(センエキ)・兵役(ヘイエキ)
   退役・免役(メンエキ)
   役務(エキム)・苦役(クエキ)
   軍役(グンエキ)・現役(ゲンエキ)
   ↓↑
   重役(ジュウヤク)・助役(ジョヤク)・大役(タイヤク)
   懲役(チョウエキ)・賦役(フエキ)・服役(フクエキ)
   ↓↑
   役(エキ)する
   役所(ヤクショ)
   役(えだち・ヤク・エキ)
   割り当てられたつらい仕事・夫役 (ぶやく)
   ↓↑
   責任を持って当たる任務
   「役所・役職・役人・役場・役目・大役・代役・同役」
   主だった任務に就く人
   「役員・顔役・重役・収入役」
   ↓↑
   劇や映画で、出演者の受け持ち
   「役者・悪役・主役・端役・配役・脇役」
   ↓↑
   エキ
   人民に割り当てるつらい仕事
   労働や戦争などの務め
   「役務・課役・苦役・軍役・現役・雑役・予備役
    就役・退役・懲役・服役・兵役・労役」
   ↓↑
   戦争=「戦役」
   こき使う=「使役」
   ↓↑
   名のり
   つら・まもる・ゆき
   ↓↑
  「るまた」=「殳(ほこ・シュ) 」
       =片仮名の
        「ル」に似た字形
        「几(机・キ・ひじかけ)⇔儿(ニン・ジン)」
         と
        「又(また)」の合体字
        几=ひじかけ(肘掛)・つくえ(机・物をのせる台)
          几案
          部屋を仕切る道具=几帳
          案几(アンキ)・椅几(イキ)
          床几(ショウギ・床机)・浄几(ジョウキ)
        又=右手・再び・そして、あるいは(and・or)
 ↓↑
 役=「彳(交叉路地)+殳(ほこ・シュ・几+又)」
   武器(矛・鉾・鋒)を持って
   街道要所、関所を守衛する「兵役・軍役」
  =えだち・エキ・ヤク
   古代国家~近世までの政府(官)から課される労働・公役・夫役
   近代国家成立以前の政府・支配者が
   人民・農家、旅行者の物品に課す税
   百姓の物ごとを役に掛けて取りあげ
   (仮名草子・浮世物語、浅井了意)
   更に転じて
   辛い仕事を与え、こき使うこと
   全体の中で、割り当てられ
   受け持つ仕事、果す任務
   役目・役割
   雑役から名誉職、一定の公職・職位にまで使用され
   もっぱらその事(用事)にあたること
   もって任じられた仕事
   重要な職務・地位
   役職立場の仕事
   社会的な全体の中での役
   組織の中の役
   ヤク
   賭け事のゲーム(花札・トランプ・麻雀など)で
   決まった条件が揃って
   「勝てる・上がれる」状態・上がり役
   やく=月役(つきやく)=月経
   戦役(センエキ)=内戦・徴兵
            反乱を起こす側からは、乱
   西南の役=西南戦争
   ヤク
   古代律令制以降~近世
   人民に割り当てられる仕事、公役
   労働や戦争などの務め、徴用
   労役・役務・公役
   役職・役割・役目・職務
   役所・役掌・上役・同役
   役回り・役所、御役目
   役割分担・役にたつ・役だつ
   大役
   役職・顔役・役員・役職者
   取締役・収入役・御役御免
   ↓↑
   聴牌・当たり
   上がり・役満
ーーーーー
 ・・・???・・・


「凸+凹」の分離-結合、分解-連結、分裂-融合

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 ・・・物理現象、生理現象を理解しやすい漢字なのが「凸+凹」の分離-結合、分解-連結、分裂-融合である、カナ・・・嵌め込む=fit [set, let] something in [into]; ある形の中にはめて入れ込む・inlay・・・分裂(division・split ((into))・break up・ disunite)・外す・剥がす・取り外す=detach・remove・take out・separate off・demultiplex discerp・isolat・・・ボクにとって英語や記号である「+・-・±」よりも「凸・凹」の象形漢字文字のほうがイメージしやすく、理解しやすい・・・
 「プラスチックの凸凹の組み合わせパズル・モザイクパズル」・・・
 ボクは気長な人間じゃぁないから・・・
 「キュービックブロック」の施工手順はどうか・・・ルービックキューブ・・・「ルービックキューブ(Rubik's Cube)=ハンガリーの建築学者ルビク・エルネー( エルノー・ルービック)が考案した立体パズル」・・・「ルービックキューブの世界標準配色は、白を手前に見ると奥が黄色、そして側面が時計回りに青・赤・緑・橙色」・・・
 各6面の異なった色を1面一色、同色に揃えるのは至難の技である・・・

 「動的物質」の科学的発見と、その「凸凹分解」と、再度の「凸凹構成」・・・「オプジーボ=T細胞のPD-1と結合し免疫の働きにブレーキがかからないようにする免疫チェックポイント阻害薬」・・・
 それでも、延命できる人間はカネ次第・・・2014年~、100ミリグラム、3500万~73万~35万~4月25%値下で28万~15万円・・・
ーーーーー
 本(木一・十八一)の庶(ホンのジョ)
   本(もと・ホン)は
     ・・・ブック(book)=バイブル(bible)=聖書
 ↓↑            ↓↑
バイ=by=かたわら(傍・側)
     バイ=貝、蛽、海蠃、海螄
        貝類の総称・バイ貝・ばい貝
        霾・黄砂のこと
        黴(かび)
        黴菌(バイキン)・防黴(ボウバイ)
        煤(すす)
        煤煙(バイエン)・煤塵(バイジン)
        ラテン語の接頭辞「bi-」の英語読み
        両性愛=バイ-セクシュアル (bisexual) の略 (bi)
        二国間の意の
        バイラテラル (bilateral) の略(和製英語)
     ブル=Bull・Birr・Bulu・Buru
       =Bull=牡牛(オスのウシ)
       =株式相場の先行き価格上昇を予測、予想すること
        チェンジ-ャブル=chenge-able
                 ・・・a-ble=エイ-ブル
        オーディ-ブル=Aud-i-ble
        クレディ-ブル=cred-i-ble
        ible=接尾辞の「…できる・…しうる」の形容詞語尾
        ible=able と同じ意
           impress-ible, reduc-ible.
 ↓↑    ↓↑
  庶(もろもろ・ショ・ジョ)・・・?
    もろもろの=various all all kinds [sorts] of
         =various odds and ends
          And everything else.
          And so forth/on.
          and so on
          Et cetera(エトセトラ・ラテン語)
  庶=广(亠丿)+廿+灬
    广=「亠=鍋蓋」+「丿=左へ掃う・払う⇔取り払う」
             「丿=払い棒」=ヘツの音は「撇」から
    廿=鍋の形象・二十の意
    灬=火
   =鍋でごった煮する意・厨房で煮炊き、にるの意味
  庶=煮=者+火
    おおい・もろもろ
    庶事・庶人・庶務などの意
    本膳に対して副(そ)え膳の意
    庶子(跡取り以外の子)のように用いる
    庶幾(こいねが)うの意味にも用いる
    庶を、にるの意味に使われなくなり、「煮
   =もろもろ・数の多いこと・さまざま・もろびと
   =庶民・庶務
    衆庶(シュウショ)・臣庶(シンショ)
    おおい・物がゆたかで多い・富庶
    正妻でない女性の生んだ子・庶子・庶出⇔対⇔嫡子・嫡出
    庶幾=こいねがう=希う=冀う
       冀=北+田+共
       異体字は「兾・𢋸・㰟・翼」・・・冀=翼⇔北=羽
       自分の欲望のまま、好き勝手に振る舞うこと
       臣下が権力を握り、我が物顔で振る舞うこと
       「梁冀」は後漢の将軍の名、
       「質帝」につけられた綽名は「跋扈将軍」
       「質帝=第十代皇帝
           永和三年(138年)・戊寅
            ~
           本初元年閏六月一日(146年7月26日)・丙戌
           在位、145年3月6日~146年7月26日
           皇帝は梁冀に毒殺)
           父は渤海孝王・劉鴻」

            ・・・永 和 三年・本初元年・・・?
          永い和の纂撚・本の緒言を撚る
 ↓↑    ↓↑ ↓↑    ↓↑
       冀州=中国河北・山西の二省、河南省北部(河北省)
       冀求(キキュウ)・冀望(キボウ)
       希冀(キキ)・僥冀(ギョウキ)
       冀(こいねが)う.=乞い願う
       「こひねがふ」=ク語法に助詞「は」が付いた語
       漢文訓読に由来する語
       なにとぞお願いだから=何卒、どうか、お願いだから
 ↓↑    ↓↑
    ちかい・ほとんど
    衆庶(シュウショ)
    臣庶(シンショ)
    嫡庶(チャクショ)
    民庶(ミンショ)
    庶幾(こいねが)う
    庶妹(ままいも)
    庶民=特別な地位・財産などの 無い普通の人々
    庶子=正妻(法律上の妻) でない女性から生まれた子
    支庶=本家から分かれて出た家・分家
    通仮字は「遮」・・・遮断?
    異体字は「庶・遮・𠦜・𠩽・𠪌・𠪜・𠪛
         𢉙・𤈲・謶・庻・嗻・𧫽・𧭧」
      ・・・庶=遮=さえぎる・かくす・・・?
      遮=辶(行)・・・辶(行)+庶(多数のモノ)
        +
        广(まだれ・ゲン)=亠(ヅ)+丿(ヘツ・ヘチ)
        +          亠=音の略字
                    鍋蓋(なべぶた)冠
        廿(二十・弐拾・念)・・・二足
        +
        灬(烈火・炎・火)=四足=肆(つらなる・シ)足の跡
          馬、熊、鳥の足、魚の鰭、然の火などの「灬」
          然=月(肉)+犬(一人ヽ)+灬(烈火)
       =遮(物が置かれて行く手をふさぐ・さえぎる・かくす)
        辶(いく・之繞=シンニュウ)
        繞(ニョウ)=漢字構成部品の
               左から下にかけて書かれる字の総称
               辵(チャク)が繞である場合の呼称
               程度をはなはだしくする
               輪を掛ける
               の意
               辶・⻌・廴(エンニョウ)
        繞=糸+堯(土土土兀=十一十一十一兀=三十三の兀)
            兀=たかい・コツ・ゴツ
              高くつき出たさま
              兀立
              屹(キツ)
              一心に努力するさま
              兀兀=儿(人)が頭(一)を
                 つき出している意
          繞=めぐる・めぐらす・まとう・まつわる(纏)
            ジョウ・ニョウ
        广=岩屋・崖を利用した家屋(説文解字)
          崖面を利用した洞窟型住居(窰洞)
          穴居の庶(多数のモノ)の民
ーーーーー
 さいころ・・・祭頃・祭胡蘆・歳頃・再古賂
 小さな立方体の各面に
 一から六までの目を記したもの
 ゲームや賭博(トバク) などに用いる
 さい=采=さいころ=骰子・賽子
 ↓↑
 さいころ=賽子=日本語=采
      賽=𡨄+貝
       賽=𡨄(宀共一)+貝(目八)
        =宀+廾+二+八+目+八
        =宀+I+I+三+八+目+八
         𡨄=宀+𠀎+八
          「𡨄」の異体字は「塞」
 ↓↑    ↓↑
        賽銭・賽物 (さいもつ)・報賽
        賽子 (さいころ)
      賽=異体字は「赛」
   ・・・賽⇔塞=𡨄+土=ふさぐ・ふさがる・とざす 
          梗塞(コウソク)・閉塞(ヘイソク)
          とりで・要害の地
          城塞(ジョウサイ)・要塞(ヨウサイ)
          砦(サイ)
          みちる・みたす
          充塞(ジュウソク)
          梗塞(コウソク)・城塞(ジョウサイ)
          栓塞(センソク)・塡塞(テンソク)
          逼塞(ヒッソク)・閉塞(ヘイソク)
          防塞(ボウサイ)
          塞翁が馬(サイオウがうま)
          塞の神(サエのかみ)
          塞(せ)く
          塞源(ソクゲン)
          塞栓症(ソクセンショウ)
      賽=お礼まつり・おまいり
        神から受けた福に感謝してまつる(祀)
        賽願・賽銭・賽馬
        優劣(勝負)をきそう
      さいころ
      賽子 (さいころ・サイシ)
      骰子(さいころ・トウツ)
      双六(すごろく・ソウロク)
      六采(すごろく・ロクサイ)
      色子(すごろく・シャイツ)
      六博(すごろく・ロッパク)
 ↓↑   ↓↑
 采=と(る)・うね・すがた・いろどり・サイ
   とる・つみとる・えらびとる
   採用・採決
   采配・納采・・・采⇔採
   いろどり・あや・もよう
   采色⇔彩・綵(サイ)
   すがた・ようす
   風采
   領地・知行所・采地
   さいころ
   異采(イサイ)・喝采(カッサイ)・五采(ゴサイ)
   食采(ショクサイ)・神采(シンサイ)・納采(ノウサイ)
ーーーーー
 ・・・???・・・
 自己=自+己(土の弟=と=己妹)=自陰=月・女・・・自記?
 自戊=自+戊(土の兄=え=戊姉)=自陽=日・男・・・自簿?
 ・・・???・・・
 「オプジーボ=於(尾・嗚・牡)附字意簿」
 「おぶ=お湯・白湯(さゆ)・風呂」+「じいぼ=示意慕(募)」
  於負自医(醫)母・・・?
       醫=医(匚・匸・矢)+几+又+酉(西一)
         匚(函の中)の鏃(矢尻)形の小刀(メス・殳)
 ・・・?・・・

「アイヌ語の地震=シリシモイエ」・・・再モウソウ

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 ・・・10月5日 午前8時58分、胆振地方中東部でM5.3の地震、北海道厚真町などで震度5弱の揺れを観測・・・北海道むかわ町 平取町 厚真町 安平町・・・朝、換気口で雀たちが騒いでいるのかな、と思ったら・・・地震・・・冬の雪の時期でなくてサイワイ・・・颱風も接近ですか・・・
 「アイヌ語の地震=シリシモイエ
     「シリ(大地)」+「シ(自分)」+「モイエ(動く)」
 「豊平=トイ・ピラ(崩れた・崖)」
 「弟子屈(てしかが)町の
  美留和(びるわ)山の名=ペルケ・ヌプリ(裂けた・山)」
  (毎日新聞2018年9月7日 東京朝刊)
 ↓↑
 「ピ、サツ=砂礫の流出」
 「千歳市幌美内=ポロ・ピ・ナイ=大きな・石・沢」
 「札幌市の豊平=トイ・ピラ=崩れた・崖
        =トイ・ペルケ=がけ崩れ・山腹崩壊」
 「ウェン=悪い・利用できない・災害、災厄」
  ウィン・ナイ(悪い・川)
  ウェン・ペッ(悪い・川)
  雨竜町-雨煙内
  陸別町-宇遠別川
  羅臼町-植別川」
 「ウェン・シリ
  ウェン・ピラ(悪い・崖)
  十勝川河岸
  苫前町、尾平町・・・上平
  札幌市-手稲山」
  参考原文は「(チョットnow記)さん」
 ↓↑
ーーーーー
 戊戌(辛・丁・戊)
  害
 辛酉(庚・ ・辛)
 庚午(丙・ ・丁)生年-運日=三合丙
 庚辰(乙・癸・戊)生月-時運=三合辛
ーーーーー
 10月4日
 前回からの再試行・・・再モウソウ・・・「バイ=by=かたわら(傍・側)」・・・「ブル=Bull・Birr・Bulu・Buru」・・・「Bull=牡牛(オスのウシ)」・・・「牡牛=おうし=雄牛・王氏・押紙・横死・負うし」=「追うシ」・・・「シ」の同音異字のスベテ・・・
     バイ=貝、蛽、海蠃、海螄
        貝類の総称・バイ貝・ばい貝
        霾・黄砂のこと
        黴(かび)
        黴菌(バイキン)・防黴(ボウバイ)
        煤(すす)
        煤煙(バイエン)・煤塵(バイジン)
        ラテン語の接頭辞「bi-」の英語読み
        両性愛=バイ-セクシュアル (bisexual) の略 (bi)
        二国間の意の
        バイラテラル (bilateral) の略(和製英語)[

     ブル=Bull・Birr・Bulu・Buru
       =Bull=牡牛(オスのウシ)
       =株式相場の先行き価格上昇を予測、予想すること
        チェンジ-ャブル=chenge-able
                 ・・・a-ble=エイ-ブル
        オーディ-ブル=Aud-i-ble
        クレディ-ブル=cred-i-ble
        ible=接尾辞の「…できる・…しうる」の形容詞語尾
        ible=able と同じ意
           impress-ible, reduc-ible.
        pos si ble ⇔im  pos  si ble
        ポッ シ ブル ⇔イン ポッ シ ブル
        保通 詞 部留 ⇔音  歩通 史 分留
                    通 誌
ーーーーー
 狸=犭+里=貍=豸+里
   イヌ科の哺乳類・頭胴長50~68センチ
   体はずんぐりしていて
   尾が太く、脚が短く、耳は丸くて小さい
   毛は厚く、密生した下毛と荒く長い差し毛とがある
   たぬき・リ・バイ
   貍=たぬき・リ・バイ
     異体字・狸・𧴔・霾・猍
     長毛が密生しているので太ってみえる
     雑食性で、
     平地から低山の
     岩穴などにすむ
ーーーーー
 雨=一+𠕒=丅(下)+冂+::=一+冂+氺
   あま・あめ・ウ
   一+𠕒
   異体字は「𠕒・𠕘・𠕲・㲾・𩁼・𩗿・⻗」
 ↓↑
 レイン=rain・・・rain⇔ライン⇔lain⇔line(ライン)
     ↓↑
     ライン=川=the Rhine (river)
     ライン下り=a Rhine cruise
           a boat trip down the Rhine
 ↓↑
 ライン=線・列・line
     流れ作業の
     assembly line
     ライン=線・列・文字の行
         ディーライン
         境界線(ボーダーライン)
         水準⇔合格ライン
         系列・系統
         道筋
         企業組織の局・部・課・係のような上下の組織
         企業の経営組織で
         調達・製造・販売などを担当し
         基本的な活動の中軸となる部門
         ベルトコンベヤー方式など
         一貫した流れ作業の生産・組み立ての工程
 ↓↑      生産ライン
 ライン=ラ音・・・ドレミファソ「ラ」シ・・・ラ=第6音
       土の例を見附け蛙(かえる)
               空の  詞(ことば)を渡る
                 等(ひとしく)
     羅音
 レイン=例音・例因・例寅(虎)・例陰(隠)・・・?
ーー↓↑ーー
  雨+α
 雪・雫・雲・雰・電・雹・雷・零・需
 霄・震・霆・霈・霊・霙・霓・霎・霑
 霏・霖・霞・霜・霤・霪・霧・霰・霹
 露・霽・霾・靄・靆・靈=霊・靂・靉
 ↓↑
 霆=雨+廷=いかづち
 霄=雨+肖=みぞれ・あられ・ショウ・空・天
 霈=雨+沛=ひさめ・大雨・ハイ
 霊=雨+口+口+亚=たましい・レイ
   霊
   異体字は「靈・灵・霛・㚑・䨩・孁・龗
        𠳄・𡀓・𢩙・𢩝・𤫊・𤴤・𧈀
        𧨈・𩁻・𩂳・𩃏・𩄀・𩄇・𩅶
        𩆇・𩆈・𩆒・𩆕・𩆮・𩇎」
 霙=雨+英=みぞれ・エイ・ヨウ
 霓=雨+兒(児)=にじ・ゲイ・龍
       雄を「虹(コウ)」・雌を「霓(ゲイ)」
       霓虹=コウゲイ=日本=ネオン(neon)
         =ネオン(neon)=霓虹灯(ネオンライト)
 霎=雨+妾=こさめ・小雨・しばし
 霑=雨+沾=うるおう・潤う
 霏=雨+非=雨交じりの雪・ヒ
 霖=雨+林=ながあめ・長雨
 霤=雨+留=あまだれ・したたり・のき・リュウ
あまだれうけ・あまどい(雨樋)
       霤槽
のき(軒)
 霪=雨+淫=雨+氵+㸒
       異体字は「婬・湛・𣽮・滛・䨙・𩆍」
       ながあめ・イン
 霰=雨+散=あられ・サン
 霹=雨+辟=異体字は「𥒂・礔・礕・𥗲」
       霹靂(はたたく・ヘキレキ)
       雷が鳴りとどろく
 霽=雨+齋=はれる・はれわたる・セイ・サイ
 霾=雨+貍=雨+豸+里=狸(たぬき)
 靄=雨+謁=もや・かすみ・アイ
 靆=雨+云+逮=雲+辶+隶=雨+二+ム+辶+隶
        異体字は「叇=云+逮・霴・𩃠・𩃷」
        靉靆(アイタイ)
        雲が連なりとどまっているさま
        眼鏡・老眼鏡
 靂=雨+歴=雨+歷
   異体字は「雳・𩅩・𥕆・藋・𩆝」
       霹靂(はたたく・ヘキレキ)
       雷が鳴りとどろく
 靉=雨+云+愛=雲+愛=靉靆(アイタイ)
       =靆・アイ・イ
ーーーーー
 あめ・あま=雨・天・・・タカ阿媽がハラ・・・
 高天原
 (たかあまはら、たかあまのはら
  たかのあまはら、たかまのはら、たかまがはら )
 『古事記』に含まれる
 日本神話、祝詞において
 天照大御神を主宰神とした
 天津神が・・・天津市
        天津橋=膸の皇帝
            煬帝の宮城内にあった川橋
 住んでいるとされた場所
 ↓↑
 あめ
 ↓↑
 英   語=レイン=rain
 ドイツ 語=レーゲン=Regen
 フランス語=プリュイ=pluie
 イタリア語=ピオッジャ=ピョッジャ=pioggia
 中国  語=ウ
 ↓↑
 英語=イングルッシュ⇔音具留通取取(諏⇔諏訪)
 雨=レイン=rain
 嵐=ストーム=storm
 霰・雹=ヘイル=hail
 稲妻=ライトニング=lightning
 大嵐=テンペスト=tempest
 極光=オーロラ=aurora
 陽炎=ヒート・ヘイズ=heat haze
 霞・靄=ミスト=mist
 風=ウィンド=wind
 雷・雷鳴=サンダー=thunder
 気候=クライメット=climate
 気象学=ミーティァララジ
     ミーティオロロジー
     meteorology
 季節風・モンスーン=シーズナル・ウィンド
           seasonal wind
 強風=ゲイル=gale
 霧=フォグ・フォッグ=fog
   ミスト=mist
 雲=クラウド・クラウドゥ=cloud
  =ニムバス=nimbus
 曇=クラウディ=cloudy
   オウヴァキャスト=overcast
 月食=エクリプスオフザムーン
    eclipse of the moon
 豪雨=ダウンプーア=downpour
 疾風・一陣の風=ガスト=gust
         ゲイル=gale
 霜=フロースト・フロスト=frost
 春風=スプリング・ウィンド
    spring wind
 蜃気楼=ミラージュ=mirage
 そよ風=ブリーズ=breeze
 気候=クライメット=climate
 気象学=ミーティァララジ
     ミーティオロロジー
     meteorology
 空・天=スカイ=sky
 大気=アトモスフィア=atmosphere
 旋風=フウァールウインド=whirlwind
 露=デュー=dew
 氷柱=アイシクル・アイスィクル
    icicle
 天気=ウェザー=weather
 突風=ガスト=gust
 凪=カーム=calm
 虹=レインボー・レインボウ=rainbow
 日食=ソーラーエクリプス=solar eclipse
 にわか(俄か)雨=シャワー=shower
          スコール=squall
 晴天=フェア=fair
    クリア=clear
    ファイン=fine
 ファイン・ウェザー=fine weather
 サニー・ウェザー
 サニー・ウェダ=sunny weather
 吹雪=スノウストーム=snowstorm
    ブリザド
    ブリザード=blizzard
 暴風=ハーリケイン=hurricane
 霙(みぞれ)=スリート=sleet
 雪=スノウ・スノー=snow
 落雷=サンダーボルト=thunderbolt
 乱気流=タービュレンス=turbulence
 ↓↑
 雨・雪・雫・雲・雰・電・雹・雷
 零・需・霄・震・霆・霈・霊・霙
 霓・霎・霑・霏・霖・霞・霜・霤
 霪・霧・霰・霹・露・霽・霾・靄
 靆・靈=霊・靂・靉
 ↓↑
 黴雨(バイウ)=梅雨
 煤煙=バイエン=梅園
        =梅里⇔水戸黄門(徳川家光)
 水戸黄門(徳川光圀)は
 徳川家康=霾(たぬき・狸)=呉音、マイ、メ=漢音、バイ
 の孫
 ↓↑
 生誕 寛永5年6月10日(1628年7月11日)
 死没 元禄13年12月6日(1701年1月14日)
 改名 長丸、千代松、徳亮、光国、光圀
 別名 子龍、観之(字)
 日新斎、常山人、率然子、西山、梅里(号)
 水戸光圀、水戸黄門
 諡号 義公
 神号 高譲味道根之命
 常陸水戸藩の
 第二代藩主
 ↓↑
 字は「子龍」、
 号は「梅里」
 神号は「高譲味道根之命」
    (たかゆずるうましみちねのみこと)
 ↓↑
 水戸藩初代藩主
 徳川頼房の三男
 徳川家康の孫
 ↓↑
 狸(たぬき)=貍
 爺(じじい)=字事意(辞意・自慰・示威・次位
 雨+貍・・・たぬき=田貫・他抜き・・・アマのタヌキ
 ↓↑
 霾=つちふる・つちぐもり・バイ・マイ
   風が土砂を巻きあげて降らせる
   つちぐもり・巻きあげられた土砂で空が曇(くも)る
  「霾翳(バイエイ)」
   黄砂が降ってくる
   風雨土・狸(たぬき)は「土穴に埋める」が原意・・・?
  「霾晦」=よなぐもり・黄砂による煙霧で昼なお暗いさま
   霾=雨+貍
   異体字は「貍・䨪・𩇁・狸」
ーーーーー
 雨+α
 ↓↑
 雫=しずく
 霙=みぞれ
 霆=いかずち
 霤=あまだれ
 霖=ながあめ
 雲霞=くもがすみ
 雹=ひょう
 靄=もや
 霾=つちふる
 俄雨=にわかあめ
 霹靂=ヘキレキ
 暮靄=暮れモヤ・ばい?
    ・・・暮靄(ボアイ」)=夕暮れのもや
       夕靄(セキアイ)・晩靄(バンアイ)
 山颪=やまおろし
 東風=こち
 時化=しけ
 極光=オーロラ
ーーーーー
 ???・・・黴(かび・バイ)
      ・煤(すす・バイ)
      ・梅(うめ・バイ)・・・by
      ・倍・灰・売・買・・・
      ・培う(つちかう・バイ・培養)
 媒(バイ)⇔媒介・触媒・媒酌・鳥媒・風媒・溶媒
       良媒・霊媒・・・
 媒(バイ・マイ)=なこうど
          結婚をとりもつ・関係を取り持つ
   媒酌=良媒
   仲立ちをする・仲立ち
   媒介・媒体・鳥媒花
   触媒・溶媒・霊媒
 媒=女+某・・・通仮字は「謀=言+某(なにがし)」
         異体字は「𡠫=女+梅(うめ)」
         某=甘(あまい・阿毎)+木(き・ボク・十八)
        「某は元々、曰(いわく・エツ)+木=木の枝に
              曰(神への祈文)の形象?
   「甘(あまい・カン)≠曰(いわく・エツ)」である
   ↓↑            ↓↑
 「取妻如之何 匪媒不得」=仲人が存在しなければ嫁を得ず
 「媒氏=仲人=媒酌人=媒妁(周礼・孟子)」
 「媒=某+女」=某は酸果(梅・柑橘類)なり(説文)」
 「梅=うめ・バイ」・・・初期妊娠中の悪阻(つわり)
   =うめ=生め・産め・宇目・倦め・楳
    「つわり=妊娠初期に起こる吐き気と嘔吐」で
    「酸果(梅・柑橘類)=スッパイもの」が欲しくなる・・・ナゼ?
 「妊娠女性が出すホルモン=ヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG)」
 が「胎盤」を護る為に分泌し、「つわり」が起こり、
 このバランスを執る為に「酸果(梅)」を欲する・・・
 「非自己物質を識別して排除する働き(免疫)を強化する為」に
  「酸果(梅・柑橘類)」を欲する・・・
 「自律神経のバランス=交感神経(緊張)と副交感神経(弛緩)の
  乱れ」で「動悸、食欲不信、めまい、不眠」が起こり
 それらの体調バランスを執る為に「酸果(梅)」を欲する・・・
 「悪阻=つわり=morning sickness
         朝につわりの症状が出やすい」・・・
 ナゼ?「酸果(梅・柑橘類)=スッパイもの」が「悪阻(つわり)」での体調バランスが執れるのか?・・・
 「つわり(悪阻)」の吐き気を「しょうが(生姜)」が和らげてくれる?・・・
 吐き気=「脳の嘔吐中枢」が刺激⇔しょうが(生姜)は
     この刺激を妨げる・・・ナゼ?・・・
 スベテは「脳みそ」のコントロールバランスはワカるが・・・? 
   ↓↑
 イスケヨリ姫=伊須気余理比賣=比売多多良伊須気余理比売
 イススキ(狼狽=ロウバイ=蝋梅・臘梅・蠟梅・臘梅
             =唐梅(からうめ)
             =老梅・・・?
 狼=おおかみ
 狽=オオカミ(狼)と一緒に行動し
   離れると倒れてしまう・・・共棲動物?
 「狼=犬(犭・豸・獣)+良」は前足が長くて後足が短い
 「狽=犬(犭・豸・獣)+貝」は前足が短くて後足が長い
 想像上の「おおかみ」の漢字形象・・・
 獣の「貝(かい・バイ)」は
 獣の「良(よい・リョウ)」と共棲する・・・
      「甲斐=カイ=蝦夷・戎・会=會(會津)」は
      「遼=リョウ=了(おわり=尾張)=と共棲?
       遼(はるか・リョウ)=契丹族が建てた国
         椋(むく)・蓼(たで)
         梁(やなぎ)・粱=(あわ)・猟(かり)
     リョウ=両・两・兩
        =㚑(霊)・灵(甲斐・効き目・効果)
        =伶(かしこい・わざおぎ・リョウ・レイ)
        =苓(みみなぐさ)⇒茯苓
        =苓=艹+令=撫子(なでしこ)科の越年草
        猪苓(チョレイ)=猪の糞(ふん)
        菌核は黒く凹凸が多
        平たく大きなショウガ根に形は似る
        ハンノキ、カエデ、クヌギなどの根に寄生
        地下にかたまって形成
        肉は白く、薄く切って漢方薬
        サルノコシカケ科のキノコの
        チョレイマイタケが地中につくる菌核
        漢方で利尿・解熱・止渇薬などに用いる
        =諒(あきらか・まこと・まことに)
         諒=言+京(音口亅八)
 ↓↑    ↓ ↑
 媛  蹈鞴 五十鈴  媛   命
 ひめ たたら いすず ひめ の みこと)
 ↓↑
 富登 多多良 伊 須須岐 比売 命・・・比-売=ヒ-バイ
 ほと たたら い すすき ひめのみこと
 またの名
 比売 多多良 伊 須気 余理 比売・・・比-売=ヒ-バイ
 ひめ たたら い すけ より ひめ
 比売 多多良 伊 須気 余理 比売・・・比-売=ヒ-バイ
 ↓↑
 事代主神の女(むすめ・おんな・娘=ジョウ=嬢)
 ↓↑
 字代種観・・・?
ーーーーー
 「Hidden Christians」
 「隠れキリシタンは、アヴェマリアの祈祷文(オラッショ、キリシタン御誦)=オラショを唱えて祈りを続け、慈母観音像を聖母マリアに見立てた
 「hide」=「隠れる・潜伏する・秘めた・人知れず」

Fæder ure þu þe eart on heofonum, sie ðin nama gehalgod.
Tobecume ðin rice.
Geweorðe ðin willa on eorþan swa swa on heofonum.
Urne gedæghwamlican hlaf sele us todæg.
And forgief us ure gyltas, swa swa we forgiefað urum gyltendum.
And ne gelæd ðu us on costnunge, ac alies us of yfele.
Soþlice.
 ・・・???・・・
 エオルザン(=earth)=eart・・・?
 What on Earth is this?
 ワッタ オナァス イズジイス ?
 ・・・ぜんぜん、耳では「ワカ、ラン」・・・

カミのタメイキ

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 ・・・「緑林白波=泥棒や盗賊」?・・・「緑林=みどりの色濃い林」・・・「漢の王匡・王鳳などが反乱し、湖北省の緑林山にこもり盗賊となったという「後漢書劉玄伝」の記事」から盗賊の意味になった・・・
ーーーーー
   「緑林=中国新王朝(8~23)
    王莽の失政と飢饉で各地に民衆が蜂起
    湖北では反徒が
    緑林山(湖北省当陽県)に集結し
    劉秀らを推戴する南陽(河南省)の
    豪族集団と合流
    緑林の推す
    劉玄を更始帝に立てて漢王朝復興をめざし
    王莽死後の長安を占拠
    政治が乱れて部将が離反
    劉秀も河北で
    光武帝として即位
    更始帝は赤眉に敗れて殺された
    反徒が緑林山に拠った故事から
    後世、群盗を
    緑林とよぶ」
 ・・・群盗ですか・・・自然災害時に略奪、強盗にならないのは「日本人」らしいが・・・昔の「羅生門」の盗賊のハナシや、「戦国時代」の武将,雑兵のハナシもあるが・・・
 「不文律=明文化されていない法・成文法の逆・不文法に同じ・慣習法・ 広義に、明言されていない規則やしきたり・暗黙のルール、暗黙の掟」・・・「記録法文」がなくても「掟」は執行、実行される・・・ダレに・・・
ーーーーー
 おらしょ=オラッショ=おらっしょ
 ラテン語の
 オラシオ
  (oratio、祈祷文・祈祷詞・祝詞)
 オラショ
 パライソ(天国)や
 インフェルノ(地獄)の教えが
 隠れキリシタンによって
 300年間あまり
 口伝えに伝承されたもの
 オラショは一種の呪文のようなもので
 意味内容を理解した上で
 唱えられていたモノではなく
 「暗記して唱えること自体が
  礼拝儀礼だった」
 アダムとイヴの
 「原罪」は「神」に許されて生きたと、理解・・・
 ・・・「日本人」らしい理解である・・・許されたって・・・?
 「イエス・キリスト」の存在価値は
 雲散霧消、霧消霧散・・・
 霧氷=ムヒョウ=武豹(彪)が
 霧散=ムサン=無産・釜山・武惨・武纂・武簒・撫さん?
 ↓↑
 岩手県一関市の大籠地区
 隠れキリシタンの里
 1640年(寛永十七年)
 約3万人の信者
 現在は、大籠キリシタン殉教公園に
 資料館などの施設
 処刑場の跡も残る
 ↓↑
 水戸光圀、水戸黄門
 生誕 寛永5年6月10日(1628年7月11日)
 死没 元禄13年12月6日(1701年1月14日)
 ↓↑
 戊辰(乙・癸・戊)⇔庚辰(乙・癸・戊)
 己未(丁・乙・己)⇔己丑(癸・辛・己)
 庚子(壬・ ・癸)⇔甲子(壬・ ・癸)
  辰巳=空亡
 ↓↑
 改名 長丸、千代松、徳亮、光国、光圀
 別名 子龍
 字  観之
    日新斎、常山人、率然子、西山
 号名 梅里
 水戸光圀、水戸黄門
 諡号 義公
 神号 高譲味道根之命
 ↓↑
 グノーシス主義
 オフィス派の
 『バルク書』
 第二の
 男性原理エロヒム(万物の父)の天使が
 第三の女性原理
 エデン
 または
 イスラエル(体は女性、足は蛇身)の
 女性体の部分の土から
 アダムを創り(蛇身の土から動物を創った)
 エデンが魂を
 エロヒムが霊を置いた
 イヴも同様に
 エデンに似せて創られ
 エデンが魂を
 エロヒムが霊を置いた
 そのあと
 産めよ増やせよ
 地に満ちよと命じられた
 ↓↑
 古代ギリシア語で
 「認識・知識」を意味する
 グノーシス主義は
 自己の本質と
 真の神についての
 認識に到達することを求める思想
 ↓↑
 10月5日午前8時58分
 胆振地方中東部でM5.3の地震
 北海道厚真町などで
 震度5弱
 北海道
 むかわ町 平取町 厚真町 安平町
ーーー↓↑ーーー
 ナマズ=なまず
     catfish
     (esp. the Amur catfish,
        Silurus asotus)
     古語の対訳 eart
        ・・・earth=地球・大地
  earth 土
  Earth 地球 (地球外、宇宙からの視点)
  the earth 大地
  the Earth 地球 (地球上にいるときの視点)
  on earth なんてこと、一体全体、いったい
       疑問詞をより強調
  Soil 土地
  return to the earth
  return to the soil
  肉体(ジクタイ・字句対)は
  大地(ダイチ・太地・太一
     対置・多一太智)
  に還る・・・?・・・太安万侶・・・?
 ↓↑
 須佐之男⇔須(彡頁イナヱ之田力)=ひげ=髭・髯・鬚・卑下
                   ↓↑
 大国主=大穴牟遅=大なまず(ナマズ)のヒゲ
 ↓↑
 東鯷人=東+魚+是+人
  鯷=なまづ=鯰(魚今心)・魸(魚片)・鮀(魚它)
       =生津(漁場・漁港?)
  鯷=魚+是=魚+旦+ト+人=魚+日+一+ト+人
    ひしこ(hishiko)
    カタクチイワシの別称・・・・硬口鰯(鰮)?
    カタクチイワシ科の海水魚
    なまず・すけそう・ひしこ・・・なまづ?
    テイ・ダイ・イ・シ
    (出典:漢字辞典)
https://www.weblio.jp/content/%E9%AF%B7
 ↓↑ ↓↑
    英語は「anchovy=アンチョビー」
    イタリア語で「アッチューガ acciuga
          (複数形はアッチューゲ acciughe)」
    フランス語で「アンショワ anchois」
    日本では特に「塩蔵品にした食品」を指す
    煮干しや魚醤も「生のアンチョビ」を使って作られる
 ↓↑
 東鯷人=漢(呉と同族)と仲の悪い
     春秋戦国時代の斉と秦の末裔で
     邪馬臺国人のこと・・・?
  是=指示代名詞
    「色即是空」
      国是(コクゼ)・社是(シャゼ)・ 如是(ニョゼ)
       是生滅法(ゼショウメッポウ) 」・・・
    道理・正しいこと
    「是か非か」⇔是が非でも善悪にかかわらず
           なにがなんでも・是非を曲げて
    「イワシ=磐詞・違和詞・癌死」か
    「ナマヅ=生通」か?・・・生口?・・・生意気?
    生米、生麦、生卵・・・なまはげ・・・生物・・・なま口?
    ナマハゲ=怠け心を戒める鬼=来訪神
    生意気の「生」は、「生煮え・生乾き」と同源
    中途半端な状態や
    十分に熟していない状態を表す接頭語
    生口=未熟者・未成年・若者・青二才・・・?
       鞣(なめ)されていない者
       無礼=無作法
          礼儀を弁えない生意気な者・・・侵略者
    怠けて、囲炉裏であたり続けると手足に
   「ナモミ・アマ(温熱性紅斑)」が出来る
   「ナモミ剥ぎ」から
   「なまはげ・アマハゲ・アマメハギ・ナモミハギ」
   などと呼ばれ「なまはぎ」になった・・・
   ナマに「生」の字を当て「生剥」は誤り・・・?
   ・・・ナマはげ=怠け剥ぎ(剝ぎ)・・・?
      「生禿」じゃぁないィンだぁ~・・・?
       生皮を剝ぐ刑罰があるが、
      そして「追い剝ぎ」は強盗だが・・・
      じゃぁ、
      山賊、海賊、盗賊、夜盗、強盗・・・
      侵略の軍隊、勝利した軍人、兵卒の
     「不文律」は「略奪・強奪」・・・
      身ぐるみ剝ぐ、「追い剥ぎ」は・・・
      通行人を脅して金品や衣類を剥ぎ取る者
      通常、徒党を組んで武器をもった泥棒
      強盗・賊徒・追剥・匪賊・野盗・賊・山賊
      盗賊・ピストル強盗・辻強盗・剽賊
      追落とし・・・引剥ぎ
      ・・・「なまはげ行事」は村落共同体構成員への
      危険警告訓練であった・・・?
      モンゴルが来るぞッ!
      津波がくるぞッ!
      B29爆撃機が来るぞッ!
      空襲、来襲だッ!
      敵が来るぞッ!
   怠=ム+口+心・・・ム(よこしま)な口(くちぶり)と心
     ・・・怠惰・怠慢・怠業
     過怠(カタイ)・緩怠(カンタイ)
     懈怠(ケタイ)・倦怠(ケンタイ)・遅怠(チタイ)
     荒怠暴恣(コウタイボウシ)=気持ちが荒れ、我侭な様子
     怠慢忘身(タイマンボウシン)=怠けは我身を忘れさす
     怠け者の節供働き=野良の節句働き
     怠け者の足から鳥が起たつ
     平素怠けている者は
     事が起こるとあわてて騒ぎたてる
ーーー↓↑ーーー
  globe 球体、地球(儀)
     地球、球体、球、世界
     地球儀、天球 《globes》
     乳房(米語の俗語)
     球状のもの
     ランプのかさ(傘)・ほや
     光源を包み、
     光を和らげる
     球状の照明器具
  glove グローブ(globe、grove)
     手袋
  globus グロブス
     砲弾(ほうだん)のラテン語
ーーー↓↑ーーー
  グロブス=globus
 武器
 スペイン語 アルマ=arma
 ラテン 語 テールム=telum
 ギリシャ語 オプロ=όπλο
 ロシア 語 アルージイ
       アルージエ
       アルージイェ=оружие
 爆弾
 スペイン語 ボンバ=bomba
 ラテン 語 ピュロボルス=pyrobolus
 ギリシャ語 ヴォンヴァ=βόμβα
 ロシア 語 ボームバ=бомба
 砲弾
 スペイン語 オブース=obús
 ラテン 語 グロブス=globus・・・具賂分素(分州・部数)?
                  愚魯(露)附主?
 ギリシャ語 オヴィス
 ロシア 語 スナリアート
ーーー↓↑ーーー
 Globius
 ラテン語=Globius=世界
 ↓↑
 globus sensation 球感覚
 globus pallidus 解剖学の
 「淡蒼球(大脳基底核のうち
      レンズ核の最内側部を占め
      被殻よりは小さい灰白質)
 砲弾(ほうだん)のラテン語
 グロブス globus
ーーー↓↑ーーー
 高橋景保 たかはし-かげやす Globius
 1785-1829
 江戸時代後期の天文家,地理学者
 天明五年生まれ
 高橋至時(よしとき)の長男
 父に天文暦学をまなぶ
 幕府天文方
 伊能忠敬(いのう-ただたか)の
 全国測量を監督
 幕命で「新訂万国全図」を完成
 シーボルト事件に連座
 文政十二年二月十6日獄死
 塩漬け
 45歳
 大坂出身
 字(あざな)は子昌
 通称は作左衛門
 号は観巣・玉岡・求己堂主人
 オランダ名
 グロビウス・・・・・・・・Globius
 著作に「北夷考証」など
 ↓↑
 天文暦学者
 幼名を作助
 通称を作左衛門
 字(あざな)は
 子昌(ししょう)
 蛮蕪(ばんぶ)
 観巣(かんそう)
 別に
 Globius
 暦学を父に学び
 オランダ語にも通じ
 20歳で父の後を継いで天文方
 間重富(はざましげとみ)の助けを受け
 浅草の天文台を統率
 伊能忠敬(いのうただたか)が
 彼の
 手附手伝(てつきてつだい)を命ぜられ
 忠敬の測量事業を監督
 幕府当局と交渉および事務上のことを扱い
 その事業遂行に専心
 1807年(文化四)
 万国地図製作の幕命
 1810年
 『新訂万国全図』刊行
 1811年
 暦局内に
 蕃書和解御用(ばんしょわげごよう)を設け
 蘭書(らんしょ)翻訳事業を主宰
 満州語の学識を有し
 『増訂満文輯韻(まんぶんしゅういん)』
 満州語に関する多くの著述
 1828年(文政十一年)
 シーボルト事件の主犯者として逮捕
 1829年
 45歳で牢死
 判決まで
 塩漬け、後、斬首
 碑は浅草源空寺(東京都台東区上野七丁目)
 ↓↑ 
 伊能忠敬
 伊能(測量)隊
 1800~1816年
 (寛政十二年~文化十三年)
 幕府事業として
 日本全国を測量し
 作成した
 日本で最初の近代科学的地図
 全国図完成前に死去
 彼の死後
 高橋景保の監督下で作成
 1821年(文政四)に完成
 大図(1里を3寸6分で表現・縮尺1/3万6000,214枚)
 中図(1里を6分・縮尺1/21万6000,8枚)
 小図(1里を3分,縮尺1/43万2000,3枚)
 すべて手書きの彩色地図
 「大日本沿海実測全図(実測輿地全図)」
 と総称
 ↓↑
 1810年(文化七年)
 完成
 1816年
 銅版印刷で
 官版の
 「新訂万国全図」
 京都中心の半球図を副図
 投影法は蘭学系世界図に用例の多い平射図法
 参考はメルカトル図法
 ↓↑
 満州語
 1804年(文化一年)
 ロシアの使節
 N.P.レザノフ
 が長崎に持参した国書は
 満州語でも書かれていた
 幕府の天文方の
 高橋景保がこれを訳解
 彼には満州語に関して
 辞書などの著作もある
 長崎の
 唐通事(中国語通訳)も
 満州語辞書を和訳した
ーーー↓↑ーーー
 ナマズ=なまず・なまづ・・・名真誦(亠・通・事・図)
 ↓↑  catfish
     (esp. the Amur catfish,
        Silurus asotus)
     古語の対訳 eart=なまづ⇔earth?
        ・・・earth=地球・大地
     earth 土
     Earth 地球 (地球外、宇宙からの視点)
     the earth 大地
     the Earth 地球 (地球上にいるときの視点)
     on earth なんてこと、一体全体、いったい
          疑問詞をより強調
     What in the world
     What on earth is the matter?
     Whatever is the matter?
     I don't know what on earth (the hell) he wants.
 ↓↑
 なまづ=鱗(うろこ・リン)が無い
     大地震=世直しの予兆
     安政二年(1855年)十月二日午後二十二時頃
     1855年11月11日22時・・・・・十一十一=二十二
    (安政二年十月二日)
     安政の大地震
      乙卯(甲・ ・乙)
     丁亥(戊・甲・壬)
     壬辰(乙・癸・戊)「丁×壬」干合⇔乙甲・年月支合木
      乙亥(戊・甲・壬)
 ↓↑
 『安政見聞録』
 1855年11月11日
 (安政二年十月二日)夜十時頃
 に発生した地震の様子を記録した書物
 安政三年六月に刊行
 ↓↑
 安政元年六月十五日
 (1854年7月9日)
 伊賀上野地震(M7.4)
 ↓↑
 安政元年十一月四日
 (1854年12月23日)
 安政東海地震(M8.4)
 その約32時間後
 (1854年12月25日)
 ↓↑
 (1854年12月27日)
 安政南海地震の二日後
 豊予海峡地震(M7.4)
 ↓↑
 安政二年二月一日
 (1855年3月18日)
 飛騨地震(M6.8)
 ↓↑
 安政南海地震(M8.4)
 1855年11月11日
 (安政二年十月二日)夜10時頃
 ↓↑
 安政五年二月二十六日
 (1858年4月9日)
 飛越地震(M6.7)
ーーー↓↑ーーー
  2018年9月6日深夜3時7分
  戊戌(辛・丁・戊)
  庚申(己・壬・庚)
  辛丑(癸・辛・己)辰巳=空亡
  己丑(癸・辛・己)
 ↓↑       ↓↑
   2018年10月6日14時土曜日
   2018年干支35 戊戌(辛・丁・戊)
   10 月干支58 辛酉(庚・ ・辛)
   6  日干支08 辛未(丁・乙・己)
 ↓↑       ↓↑
   7  日干支09 壬申(己・壬・庚)日曜日 方合金
   8  日干支10 癸酉(庚・ ・辛)月曜日
ーーー↓↑ーーー
 鯰=魚+念(おもい・ネン・廿)=今+心
 魸=魚+片(かた・ヘン・偏)=片
 鮀=魚+它(へび・ダ・蛇・蝮)=宀+七
 鮎=魚+占(うらない・セン)=ト+口
   =魚+α
 ナマズが
 キャットフィッシュなのは
 猫のひげ
 ナマズは
 猫のように
 長い口ひげ(髭・鬚・髯・鬍・須)が生えている
    ヒゲ=卑下・日下・ひげ・肥下・・・比解?
                肥後の下は鹿児島
       卑弥呼の下は卑弥弓呼?
 ↓↑
 「あゆ=鮎=なまづ?」の
 他の漢字表記
 香魚(独特の香気をもつことに由来)
 年魚(一年で一生を終えることに由来)
 銀口魚(泳いでいると口が銀色に光ることに由来)
 渓鰮(渓流のイワシ)
 細鱗魚(鱗が小さい)
 国栖魚(奈良県の土着の人々
     国栖が吉野川のアユを朝廷に献上した)
 鰷魚(江戸時代の書物のハエ=鮋・鰙の誤記)
 「アイ、アア、シロイオ、チョウセンバヤ(久留米市)
  アイナゴ(幼魚・南紀)
  ハイカラ(幼魚)、氷魚(幼魚)」
 など地方名、成長段階による
 呼び分け等によって様々な別名や地方名がある
 ↓↑
 アユの語源
 秋の産卵期に川を下ることから
 「アユル(落ちるの意)」
 「神前に供える食物」で
 「饗(あえ)」に由来・・・などの諸説
 ↓↑
 神功皇后が
 アユを釣って戦いの勝敗を占った
 ↓↑
 アユが一定の縄張りを独占するので
 アユ=漢字の鮎は奈良時代ごろから使用
 当時の
 鮎はナマズ
 記紀を含めほとんどが
 アユ=年魚
 と表記
 ↓↑
 中国で漢字の「鮎」は
 古代日本と同様
 ナマズ
 中国語のアユ
 「香魚(シャンユー、xiāngyú)」
 地方名では、
 山東省で「秋生魚・海胎魚」
 福建省南部では「溪鰛」
 台湾で「魚+桀魚・國姓魚」・・・桀⇔磔刑・豪傑・傑作
 ↓↑
 ↓↑
 10月5日午前8時58分
 胆振地方中東部でM5.3の地震
 北海道厚真町などで
 震度5弱
 北海道
 むかわ町 平取町 厚真町 安平町
 戊戌(辛・丁・戊)
  害
 辛酉(庚・ ・辛)
 庚午(丙・ ・丁)生年-運日=三合丙
 庚辰(乙・癸・戊)生年-時運=支冲戊
          生月-時運=支合辛
 ↓↑
 牡牛=強く大きなおうし
    こといのうし・ことい・こってい
    こっていうし・こってうし・こっとい
 おうしざ=牡牛座
      黄道十二星座の二番目の星座
      標準的な期間は4月20日~5月20日
            (4/23~5/22の巾)
     Taurus
     金牛宮
     1月下旬の午後8時ごろ南中する
     α(アルファ)星の
     アルデバランは光度0.8等
     プレアデス星団(昴(すばる))
     ヒアデス星団
     蟹(かに)星雲などを含む
ーーーーー
 ・・・???・・・

梳る=カミを、くしけずる・とく・とかす・すく・けずる

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 ・・・温帯低気圧・・・隠れキリシタン・・・「あわび(鮑・鰒・・・アブ-マリア=ヴィナス誕生は二枚貝=帆立貝?)」・・・泡の美?・・・「古銭の穴と文字(十字架)」を擬似信仰対象とした・・・銭を拝金?・・・興福寺-中金堂の再建・・・


 ナマエのヘン・・・?
ーーーーー
   博多の櫛田神社・・・櫛田=セツデン=説伝・・・節電?
             櫛=くし=十八節?
             田=た・デン=囗(国)+十(Ⅹ=カイ)
   ↓↑
   天平宝字元年(757年)
   松阪にあった
   櫛田神社を勧請した
   天慶四年(941年)
   小野好古・・・小=八(はち)を亅(引っ掛け)
          野=里を予(あずかる)
          は
          古(いにしえ・十の口)が
          好(す・女の子)き
   が
   藤原純友の乱・・・・純=糸(イト)の屯(たむろ・駐屯)
             友=ナの又
             ナ=娜大津
               しなやか(しなやか・ダ・ナ)
               娜=女+尹+阝=女+那
                =女性が弱そうで美しいさま
                 異体字は「𡟦=女舟阝」
             那=なんぞ・いかんぞ・ナ・ダ
               疑問・反語の助字
               西方の異民族の国(四川省)名
              「豊かで限りない」という意
               何
               奈(ナ)=「何曷胡盍那𨚗庸奚詎」
               どこ・どれ
               那辺
               なに・いずれ
               刹那(セツナ)・那落
               禅那(ゼンナ)・旦那(ダンナ)
         異体字は「𨙻・哪・挪・㖠・𢑽・𣟎・𨚉・𨚗・郍
              𣟎=𢑽=木の立ち枯れ」
   を鎮めるため
   京都の八坂神社に祈願
   平定後に
   素盞嗚神
   を勧請した・・・
   平安時代末期
   平清盛
   が所領の
   肥前国
   神埼の
   櫛田宮を
   日宋貿易
   の拠点とした博多に勧請した・・・
   戦国時代に荒廃したが
   天正十五年(1587年)
   豊臣秀吉
   によって博多が復興され
   現在の社殿が造営・・・
   明治元年(1868年)
   神仏分離令
   以前の江戸時代
   東長寺に属する
   神護寺が
   櫛田神社を管理
   明治二十四年(1891年)に県社に列した
   ↓↑
   博多湾(津)=「冷泉津・草香江・沖の浜」
          「那津(なのつ)・荒津(あらつ)」
          「娜大津」
          「灘津(なだつ)・筑紫大津」
       平安時代・1161年
       平清盛
       により日本初の人工港
       「袖の湊」が建設
ーーーーー
 緑林=中国新王朝(8~23)
    王莽
    の失政と飢饉で各地に民衆が蜂起
    湖北では反徒が
    緑林山(湖北省当陽県)に集結し
    劉秀
    らを推戴する南陽(河南省)の
    豪族集団と合流
    緑林の推す
    劉玄
    を
    更始帝
    に立てて漢王朝復興をめざし
    王莽死後の長安を占拠
    政治が乱れて部将が離反
    劉秀
    も河北で
    光武帝
    として即位
    更始帝は
    赤眉に敗れて殺された
    反徒が
    緑林山に拠った故事から
    後世群盗を
    緑林とよぶ
 ↓↑
 更始帝(コウシテイ)⇔帝=みかど・テイ・タイ
              見化度・綴 ・他意・対・碓・鯛・体
     更に始めを
     亠(音)の
     八の倭(和・冖)の
     巾を綴る
 新末、後漢初
 緑林軍による更始政権の皇帝
 姓は劉
 諱は玄
 南陽郡
 蔡陽県(湖北省棗陽市西南)の人
 前漢の宗室
 祖父は
 蒼梧郡・・・・梧=十+八+五+口=あおぎ・ゴ・グ
 太守の
 劉利
 父は
 劉子張
 で
 光武帝
 劉秀
 の族兄
 正室は
 趙萌の娘
 側室は
 平林の豪族の娘
 何氏・・・何?
 と
 韓氏・・・韓?
 子は
 劉求・劉歆・劉鯉(寿光侯)
 孫は
 劉巡(求の子)
 曾孫は
 劉姚(巡の子)・・・・姚=女+兆=美しい・妖艶・ヨウ・チョウ
            異体字は「𡜞・窕」
           「魏紫姚黄」=牡丹の名
 ↓↑
 更始(コウシ・23年~25年)
 劉玄(更始帝・淮陽王)が建てた元号・・・玄=くろ・ゲン
 ↓↑ 
 王莽の末期・・・莽=艹+大(一人)+廾=草深い・粗雑
                    覆い被(かぶさ)る
           異体字は「莽・莾・𦱠」
 緑林の乱
 赤眉の乱・・・・⇔白眉・媚態・眉唾・・・「眉輪・目弱」皇子
 などが起こると
 長兄の
 劉演・・・・・・演=氵(水)+寅(とら・イン)
 族兄の
 劉玄とともに
 南陽の豪族と連合して挙兵し(22)
 新市の
 緑林と平林の兵と同盟
 劉玄を
 更始帝とし・・・・玄=更
          玄=赤または黄を含む黒色
            老荘思想で説く哲理
            空間・時間を超越し
            天地万象の根源となるもの・・・物質
            微妙で奥深いこと
 元号を更始元とした
 ↓↑
 建武(ケンブ)・・・ヤマトタケル・・・タケル=建・武
 ↓↑        建武の中興(1334年)
           後醍醐天皇(ごだいごてんのう)
                 語他意語添 納
           第九十六代天皇
           南朝の初代天皇
          (在位、1318年3月29日
              文保二年二月二十六日
              ~
              1339年9月18 
              延元四年八月十五日
 ↓↑           ↓↑
          建武の中興(1334年)後、
          38年=参拾八年・・・纂拾う捌(さばいて)撚る
                   編纂  後
          延元四年八月十五日(1339年)後、
          33年=参拾参年・・・簒拾う 纂の撚(よる)
                    簒奪 編纂
         『古事記』の写本
          最古の
         「伊勢本系統」
          南朝、建徳二年(1371年)~文中元年(1372年)
          北朝、応安四年(1371年)~文中元年(1372年)
          にかけて真福寺の僧
          賢瑜によって写された
 ↓↑       真福寺本『古事記』三帖
 後漢
 光武帝
 劉秀の最初の元号
 25年~56年
 建武32年(56年)4月に改元され
 建武中元元年となった
 ↓↑
 日本で天皇親政を再興した
 後醍醐天皇が採用する
 建武(ケンム)・・・ケンム=兼務?
 南朝は1334年1月29日~1336年2月19日
 北朝は1334年1月29日~1338年8月28日
 ↓↑
 建武元年6月
 劉秀(光武帝)は
 更始朝より独立し
 鄗(コウ・河北省高邑県)で即位
 建武と改元
 10月
 洛陽遷都
 ↓↑
  3年 宜陽にて戦わずして赤眉軍を降す
     劉盆子、伝国璽を光武帝に奉ずる
     盆(分皿)子(一了)=ボンシ=本詞・翻史
        伝国璽=コクジ=国字
        光武帝=コウブテイ=後部綴・高部綴・公武綴
  5年 斉を平定
  9年 隴西(隴右)の軍閥、
    隗囂が病死・・・隗=けわしい・カイ・ガイ
            囂=かまびすしい・やかましい
              わずらわしい・さわがしい
              ゴウ・キョウ
 10年 隗囂の子の
    隗純が漢に降る
    隴西を平定
 12年 公孫述が戦死・・・公の孫(まご)を述(のべる)
    蜀を平定
 16年 交阯郡(ベトナム北部)
    徴姉妹の反乱
 17年 皇后・郭氏を廃し
       陰氏を皇后
 18年 馬援の交阯遠征
 19年 交阯平定
    陰氏の子
    劉陽(改名して劉荘、明帝)を皇太子
 23年 匈奴が南北に分裂
 26年 南匈奴の
    日逐王比が・・・日を逐(おう・チク・ジク)
              王(おう・ワム)を
              比(くらべる・ヒ)
    漢に帰順


 ↓↑
 更=さら・ふける・ふかす・かえる・あらためる・コウ
 ↓↑更新・変更・更改・更迭
   一夜を五等分した時間の単位
   夜を五つに分けた時刻
   三更・初更
   さらに・そのうえ
   深まる・ふける・夜がおそくなる
   深更・・・夜更(ふ)け・深夜
   甦 (ソ)の代用字=よみがえる・・・読み替える
   更生
   更地(さらち)・今更(いまさら)
   名のり、「とお・とく・のぶ」
   更衣 (ころもがえ・コウイ)
 ↓↑更紗 (サラサ) 
 鸕野讚良=(うののさらら・うののささら)
 ↓↑    菟野沙羅羅
       鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)
       持統天皇=大倭根子天之廣野日女尊
            高天原廣野姫天皇
       斉明七年(661年)
       夫(天武)とともに
       父の天皇(天智)に
       九州に随行
       天智元年(662年)
       筑紫国の
       娜大津で・・・博多湾・博多津
       草壁皇子
       を産んだ
       娜大津=福岡-博多(はかた)
       櫛田神社=祭神は
       大幡大神(櫛田大神)
       天照皇大神
       素盞嗚大神(祇園大神)
       日本全国に櫛田神社があり
       櫛名田姫
       を主祭神とする神社だが
       この神社は
       櫛名田姫は祀られていない
 ↓↑    ???・・・元々は櫛名田姫を祀った・・・?
 ↓↑         ↓↑
   くしけずる=梳る=櫛で髪の毛をとかして整える
         梳=木+㐬(云爪)=十+八+亠+ム+爪
           異体字は「𣐌・𣓜・𣙳・㧧・疏・疎
           声符は「疏・蔬」
           くしけずる・とく・とかす・すく・けずる
           ショ・ソ
           梳⇔疏経
           けずる・すく
           櫛は梳(と)くモノ・・・
          句詞(九史=九州史)は解くモノ・・・?
           櫛=髪すき(梳)の歯・・・梳(ス)き歯
           櫛=𠂉(髪挿し・くし)
           梳=木+㐬
           疏=とおす・とおる・通じる・疏水
             うとむ・うとい・親しくない・疏外
             あらい・まばら・疏密
             おろそか・疏漏・粗製乱造
             さかん
             水路を分けて通す
             疏水・疏通
             関係が分け離れる・とくなる
             疏遠・粗末な・疏食(そし)」
             しるす・箇条書きにする・条文書
             上疏
             注につけた注釈・注疏
             ふみ(文)・手紙・書疏
 ↓↑        ↓↑  ↓↑
       『三経義疏(サンギョウギショ)』
        聖徳太子の著
       『法華義疏』(伝 推古天皇二十三年・615年)
       『勝鬘経義疏』(伝 推古天皇十九年・611年)
       『維摩経義疏』(伝 推古天皇二十一年・613年)
        の総称
        それぞれ『法華経・勝鬘経・維摩経』
        の三経の注釈書(義疏・注疏)
       「勝鬘経は
        舎衛国
        波斯匿(はしのく)王の娘で・・・匿=隠匿
        在家の女性信者である
        勝鬘夫人が説いた」
       「スートラ(sūtra)=経」
       「推古天皇十四年(606年)
        聖徳太子が
       『勝鬘経・法華経』を講じた
        日本書紀
       『法華義疏』のみ
        聖徳太子真筆の草稿が残存」・・・
 ↓↑      ↓↑
        鬘=かづら・つる(蔓)草や草木の枝
          花などで作った髪飾り
          やなぎ・ゆり(百合)
          稲穂などを髪に巻きつけた飾り
          添え髪・かもじ
          自分の薄い髪、短い髪を補うために
          添え加える髪
          演劇役の髪型を扮装する小道具、かづら
        蔬(あおもの)=艹+疏
                あおもの・菜・野菜
                あらい
                異体字は「疏・疎」
        蔬⇔菰(こも)
 ↓↑↓↑
   更=一+申+乀
     異体字は「㪅(丙+攴)・𠭍(雨+又)」
   ↓↑
   更レ僕未レ可レ終
   ボクをカフルも、
   イマダ、終わるベカラズ
   應對の事多くして
   擯相(傳命の者)を
   かふ(替)るも
   說き盡されず
   僕は太僕=中国の官名・九卿の一
        朝廷の車馬・牧畜をつかさどった
   擯相=擯詔(ヒンショウ)=擯介(ヒンカイ)
   主人と客の間にたって世話をする人
   を掌(つかさどる・たなごころ・手のひら)
   ↓↑
   雨(あめ)過(す)ぎて
   四望、更(さら)に清新
ーーーーー
 ・・・???・・・

アワビ=鮑・鰒・蚫=アバロン・・・鰒(河豚・鮐・鯸)?

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 ・・・隠れキリシタンが「アワビ(鮑・鰒・蚫・abalone=アバロン)」を「聖母(アベ)マリア」に見立てて擬似偶像として礼拝の対象としていた理由が・・・漢字の象形と部品構成、そして「Avalon=アヴァロン島」の呼称のナマエの「音」に関連しているのではないか?、とモウソウ・・・
 魚偏の漢字「鰒=鯸=魨=ふぐ」・・・「鰒(魚+复)=ふぐ」?、「アワビ」ではなく「河豚=ふぐ」って?・・・
 「蝮(虫+复)=虫+𠂉+日+夂=まむし」?
 「復=彳+复=また」?・・・
 「复=復=彳+复」
      「復」の異体字は「复」
 「復=彳+复=かえる・また・ふたたび
       復路・往復
       もとの状態にもどる・もどす
       復活・復帰・復旧・復元・回復
       克復・修復・整復・本復・来復
       同じことを繰り返す
       復習・・・復讐」
 「覆」=覀+復=襾(おおいかんむり)+復
     ふた(覀)をひっくりかえす(復)・くつがえす
     おおう・くつがえす・くつがえる・フク・フウ
 「履」=尸+復=わらじ=草鞋=くつ
     履歴・はく・くつ・ふむ
     はきもの(履物)・くつ(靴・沓)
     はきものをはく
     弊履・草履
     ふむ・ふみおこなう・実行する
     履行・履歴
 「複」=衣+复=衤+复=衤+𠂉+日+夂
     異体字は「𠣾・𧜰・𧟞」
     かさねる・かさなる・二つ以上ある
     複式・重複
     こみいる
     複雑
     かさねてする・ふたたび
     複写・複製
     単複
 「腹」=肉(月)+复=はら
ーーーーー
 アワビ(鮑=魚+包
     鰒=魚+复=魚+𠂉+日+夂
     蚫=虫+包
     abalone=アバロン)
 アワビは
 カキ(牡蠣・牡蛎・蛎・蠣・牡蠐・蠐)等と違い
 片側にしか殻がないので
 「鮑の貝の片思い」と言われ
 「逢わないでワビ(詫び・侘び)しい」
 「合わないでヒラク」
 の略に由来
 アバロン=Abalone=あわび=Abalone Shell
 パウア貝(パウア=Paua・pāua)=マオリ族語
            (ニュージーランド・新西蘭)
 Abalone⇔Avalon
 ↓↑
 アバァロン(Abalone)⇔Avalon(アヴァロン島)
       Ab-alone ≠Av-alon
  ↓↑
 Avalon(アヴァロン島)は
 ケルト伝説で、
 西方にある聖なる島
 リンゴ(林檎)・・・臨語・・・輪語・凛語・・「凜=凛」
           倫語     毒凛語
                  冫+稟=冫+禀
 を意味する
 「aval(アヴァル)」・・・アヴァル⇔アベァル
 から由来
 アーサー王が傷を癒した最期の地
 ↓↑
 イエス・キリストが
 (ナザレのイエス)
 アリマタヤの・・・アリマタヤのヨセフ
          アリマフェヤの義人イオシフ
          イエスの遺体を引き取った
     ヨハネは「イエスの弟子でありながら
          ユダヤ人を恐れてそのことを隠していた」
     少年の頃のイエスがヨセフとともに
     ブリテン島西南コーンウォールの錫鉱山にやってき
     坑夫たちに錫をどうやって
     抽出するか、また製錬するかといったことを
     教えたという伝説があった
     キリストがおじのヨセフとともに島を訪れた伝説
     復活大祭の2週後の主日(日曜日)に
     イエスの葬りに参加した他の人物
     アリマタヤのヨセフ
     携香女らとともに記憶される
 ヨセフとともに
 ブリテン島を訪れた際の上陸地で
 後
 そこが
 イギリス最初の
 キリスト教会となった
 このアヴァロンの場所は
 現在の
 グラストンベリー
 ・・・とされているらしい・・・?
 ↓↑
 カインとアベル
 旧約聖書『創世記』第4章
 兄弟
 アダムとイヴ
 の息子たち
 兄がカイン
 弟がアベル(הֶבֶל)
 人類最初の
 殺人の加害者・被害者
 ↓↑
 弟がアベルは「牧者・羊飼い」
 本来のヘブライ語は
 「息(いき・意気)」を意味
 人類最初の殺人の被害者
 ↓↑
 兄カインは「農耕者」
 本来のヘブライ語は
 「鍛冶屋、鋳造者」
 ↓↑
 人類最初の殺人の加害者
 カインは
 弟アベルの殺人の罪により
 エデンの東にある
 「ノド(流離い=さすらい)」・・・咽喉・能登・能都?
 の地に追放された
 カインは息子
 エノクをもうけ
 ノドの地で作った街に
 「エノク」と名をつけた
 エノク=カインの息子=アダムの孫=イラドの父親
 アダム→カイン→エノク→イラド→・・・トバルカイン
 ↓↑
 聖典『ヨベル書』(偽典?)
 カイン・・・・・戒音・化音・掛音・可寅(虎)・日陰
 は
 第2ヨベル第3年週に
 アダムの妻、・・・阿拿務・・・「亜當(アダム)」
 イヴァから・・・・意分蛙・・・「夏娃(イヴァ)」
 長男として生まれた
 妻は
 第2ヨベル・・・・・與部留
 第5年週に
 生まれた妹の
 アワン・・・・・・阿湾・有湾・・・有明海
          アワン=アワム⇔アワミ⇔アワビ・・・?
              マミムめも    マミムメモ
 ↓↑
 聖典『エノク書』第22章
 冥界を訪れた
 エノク・・・・・慧能公・永久・遠億・・・重之句
 が大天使
 ラファエル・・・羅府合重留
 の案内で
 死者の魂の集められる洞窟を目撃し
 アベルの霊はその時代になっても
 なお天に向かって
 カインを訴え続け
 カインの子孫が
 地上から絶える日まで
 叫び続け続ける、という・・・
 ↓↑
 カインの子孫の
 トバルカイン・・・鳥羽(賭場)留甲斐寅
 ↓↑       賭場留掛 音
             訳話留可 陰
          鳥羽天皇(鳥蛺天皇)
          1103年2月24日    癸未
         (康和五年一月十六日)甲寅
          ~ 己丑午未=空亡

          1156年7月20日 丙子
         (保元元年七月二日) 乙未
          第七十四代天皇 甲午
         (在位1107年8月9日
            嘉承2年7月19日
            ~
            1123年2月25日
            保安4年1月28日)
          諱は宗仁(むねひと)
          堀河天皇の皇子
          母は贈皇太后・藤原苡子(しげこ・イシ)
          白河法皇のもとで
          五歳で天皇即位

          子の
          崇徳天皇・・・配流後は讃岐院・・・怨霊
                 白河法皇と璋子の密通の子?
          近衛天皇
          後白河天皇
 ↓↑       の三代二十八年に渡り院政
          笛の名人で
          催馬楽、朗詠もたくみだった
          中宮・藤原璋子(待賢門院)は
          白河院の養女となって溺愛され
          鳥羽院が崇徳天皇を
         「叔父子(祖父・白河院の子、叔父である子)
 ↓↑       と呼んでいた(古事談)
 は
 「青銅や鉄で道具を作る者(創世記第4章)」
 異母兄弟の
 ヤバルは遊牧民・・・矢張る
 ユバルは演奏家・・・諛張る・へつらう・おもねる・こびる・ユ
 ↓↑        諛=言+臾=臼+人
          人の機嫌をとるように媚(こ) びる
          相手に気に入られるよう、言葉で機嫌を取る
          諂(言+臽)=へつらう=諛(言+臾)
         ↓↑(言+舀)
           臽(カン)⇔舀(ヨウ・トウ)
           臽=⺈+臼=𠂊(刀・々)+臼
             ⺈=立刀
             危=厂(崖)の上から
             人(⺈)が?
             跪(ひざまづい)て
             下を見ている字形?
             厄=災厄・厄病=厂+⺋
             ⺈+厂+⺋=危=⺈+厄
             ⺈=人?
             厂=崖
             ⺋=巴・已・巳・己・・・蛇・蝮
              =竦(すく)んで縮こまる・・・?
             包=勹+己・・・砲丸・包含
             ならば、
            「⺋」の形象は
             丸まって転げ落ちる恐怖
             断崖絶壁の上に立って転げて落ちる恐怖で
             足がスク(竦)む
             あるいは「崖で転がってしまった形象」
         ↓↑    ↓↑
             臽の異体字は「𥦶・陷・陥」で
               ↓↑
             ⺈+臼=落とし穴
                カン・ゲン・コン
                臼(うす)の上で
             ⺈=勹(つつむ・ホウ・ヒョウ)
               勹=ノ+𠃌=𠂉+亅
                 つつみがまえ
                 𠃌=カン・ケン・コン
                =鉤・鈎
             ⺈=ク⇔く=苦・玖=王+久
               ク=𠂉(かみさし)
               +
               丿(ヘツ・ヘチ)
               ↓↑
               久-乀(クを支える棒)
               クは支え棒が無い「久」
        ↓↑     ↓↑
           舀=爫+臼=袋から取り出す?
             臼(うす)の上の爪
             爪=㕚=爫
             手で上から覆うようにして取る
             掴(つか)み取る
             抓(つま)み取る
             手足の指先の硬い部分
             鳥獣の手足の先の硬い部分
             つめ・つめかんむり・つめがしら
             つめ・ソウ・ショウ
             爫=手or爪or㕚
           舀=餅つきの相取る・あいどり
             合い取り・あいどり
             餅つきの相方として餅をこねる人の手?
             餅搗きの相方として餅を捏ねる人
             アイドル=偶像・崇拝人物・idol?
             アイドリング=機械が空回りする?
 ↓↑      ↓↑  アイドリング=idling=空転
         臾=ひきとめる・しばらく・わずか
           須臾(シュユ)
           すすめる・そそのかす
           縦臾(ショウユ)
 ↓↑        讒諂面諛(ザンテンメンユ)
 彼らの父      ↓↑  ↓↑
 レメクは戦士・・・・センシ=撰史・戦史・先史・選詞・穿刺
 「わたしは
  受ける傷のために人を殺し
  受ける打ち傷のために
  わたしは若者を殺す
  カインのための
  復讐が
  七倍ならば
  レメクのための復讐は
  七十七倍(創世記第4章22節)」
  ・・・7×7=49・・・4章22(念ニ)節
     七かける七は四十九
     漆かける漆は肆拾玖
 ↓↑
 7世紀後半~8世紀後半
 にかけて編纂された
 「万葉集」に
 アワビを歌った和歌
 伊勢の
 あまの朝な夕なに
 かづくとふ・・・・・海に潜って取ってくる
 鮑の貝の片思いにして
 ↓↑
 潜っても、潜っても
 甲斐(貝)がない
 アワビに逢(あ)えなくて
 わびしい
 ↓↑
 アワビは耳の形にも似ている
 英語は「Ear Shell 」
 形状が人間の耳形
 ↓↑
 鮑(あわび・ホウ)
 貝殻が一枚で
 「逢わないでわびしい・合わないでひらく」
 「不合肉(あはぬみ)」
   ・・「不合肉= フゴウ-ジク」
         =「符号・符合・附合・付合・富豪・負号」
           字句
 「合(ア)+間(ヒ)」
 ↓↑
 アワビの殻の背面に数個の穴が並んでいる
 この穴は鰓呼吸のために
 外套腔に吸い込んだ水や排泄物
 卵や精子を放出するためのもので
 殻の成長に従って
 順次形成された穴は
 古いものからふさがっていき
 常に一定の範囲の数の穴が開いている
 アワビではこの穴が4~5個
 ↓↑
 トコブシ(Sulculus diversicolor supertexta)
 床臥・常節(とこぶし)
 狭義の
 アワビ(鮑・鰒・蚫)と同じ
 軟体動物門
 腹足綱
 ミミガイ科
 の藻食性の巻貝の一種
 ↓↑
 「煮貝」は
 考古資料として形が残らない・・・
 江戸時代
 文政十二年(1829年)
 笛吹市
 石和町・・・いさわ=石和・・・石の和・・・磐の倭
 に所在する
 篠原家文書に含まれる
 「御用其外日記」が初出
 形態は不明であるが
 「尓加以(にがい)」・・・煮貝・苦い・二外・似甲斐(蝦夷)?
 の文字が当てられている
 弘化三年(1846年)
 甲府徽典館の学頭
 林鶴梁の日記・・・林の鶴の梁・・・梁⇔粱・・・高粱(コウリャン)
          梁=はし・はり・うつばり・やな
            橋梁
            はり・うつばり・家の棟をささえる横木
            梁上・棟梁
            やな=木を並べて川の水をせきとめ
               魚を捕るしかけ
               魚梁
 『林鶴梁日記』で
 「煮鮑・生鮑の塩漬け」
 が記録
 ↓↑
 光過敏症
 東北地方で
 「春先のアワビの
  内臓を食べさせると
  ネコ(猫・根子)の耳が落ちる」・・・?
 と言い伝え
 漢方で
 肝機能改善
 目の機能効果
 ↓↑
 殻の裏側に
 美しい真珠光沢(干渉色)があり
 ごく薄く切り出したものを
 螺鈿細工などの工芸材料に用いる
 鮑玉=天然真珠=殻の真珠層を利用して真珠養殖
 ↓↑
 『万葉集』
 鮑の産地=御食国と呼ばれる国々
      紀伊国
 鮑玉
 宝飾
 漢方薬として用いられ
 貝類の真珠層には解熱作用・・・解(とく)熱(ねつ)作用
ーー↓↑ーー 
 鮑叔(ホウシュク)
 中国春秋時代の
 斉の政治家
 姓は姒・・・・姒=女+以=くつわ・遊女屋・銜・轡・馬銜
          異体字は「㚶・娰」
          同じ夫に嫁した姉妹の姉の方=姒
          兄の妻は「姒」
          弟の妻は「娣」
          姒=姉
          娣=妹
          褒姒=西周の幽王の妃・美人・褒姒不好笑
          幽王が寵姫の褒姒を喜ばせるために
          敵襲の合図の狼煙を
          遊びで上げさせた・・・狼少年=幽王?
          禹
          名は文命(ブンメイ)
          諡号は禹
          別称は大禹、夏禹、戎禹とも
          姓は姒(ジ)
          姓・諱を合わせ
          姒文命
          夏王朝創始後
          氏を夏后とした 
          こうがい=笄
          かみかき=髪掻
          髪をかき上げるのに使った
          この日本の伝統は「姒」によって始まった
          櫛(くし)=笄=姒
          姒が原初に身につけた
          傾城=西施、姐己、褒姒
  隠れキリシタン
 「あわび(鮑・鰒・マリア=ヴィナス)」
 「古銭(十字架)」を擬似信仰対象とした
   ↓↑ ↓↑
 氏は封地から鮑
 諱は牙
 字は叔
  鮑叔牙
 姒姓の
 国杞の公子
 斉に仕えて
 鮑の地を与えられ
 鮑氏を名乗る
 桓公に仕えた
 ↓↑
 鮑叔は
 若い頃
 管仲と親しく交り
 管仲と共に商売
 管仲が大損失を出しても
 商売には時勢として決して咎めず
 多大な利益を上げても
 貧乏な管仲に
 その利益のほとんどを与えた
 管仲は鮑叔に大恩を感じ
 後世、二人の厚い友情を
 「管鮑の交わり」
 と呼んだ
 後
 鮑叔は釐公の子の公子
 小白に仕え
 小白の兄の
 襄公の圧迫を避ける為に
 小白と共に
 莒に亡命
 その後
 襄公が暗殺され
 斉では後継者争い
 莒から戻ってきた
 小白
 と
 公子糾
 が争って
 鮑叔の活躍で
 小白が
 斉君
 となった
 ↓↑
 公子糾に味方をした
 魯から
 公子糾の臣
 管仲と召忽を受け取り
 桓公に仕えさせようとした
 召忽は
 公子糾が死んだ事を知り自害
 管仲を仕えさせる事に成功
 ↓↑
 桓公は管仲を宰相として覇者となった
 鮑叔は管仲を助け
 ともに政治にあたった
 ↓↑
 管鮑の交わり
 管 夷吾(カン イゴ)=管 仲(カン チュウ)
 斉の
 桓公に仕え、覇者に押し上げた
 三国時代の
 管寧は後裔
 ↓↑
 斉で
 管仲は
 公子糾に仕え
 鮑叔は
 公子小白(桓公)に仕えた
 時の君主
 襄公は暴虐な君主で
 管仲は公子糾と共に
 魯に逃れ
 鮑叔は小白と共に
 莒に逃れた
 その後
 襄公は従兄弟の
 公孫無知
 の謀反で殺され
 公孫無知
 も兵に討たれ、君主不在となった
 斉国内は
 糾と小白のどちらを
 君主として迎えるべきかで二分
 先に帰国した方が有利な情勢になった
 公孫 無知(コウソン ムチ)
 春秋時代・斉国、第十五代君主
 釐公(斉=姜斉の第13代君主・荘公の子・僖公)
 の同母弟である
 夷仲年の子
 伯父の釐公の寵愛を受け
 従兄の太子諸児と同じ待遇を受けた
 釐公が亡くなり
 従兄の
 諸児が襄公として
 即位し冷遇された
 前686年
 大夫の連称・管至父らと謀って
 襄公を殺害し、斉公に即位
 襄公の弟の
 公子糾は管仲と魯へ
 公子小白(桓公)は鮑叔と莒へ
 それぞれ逃れた
 前685年
 公孫無知は
 臣下の
 雍廩によって、暗殺
ーー↓↑ーー
 ・・・???・・・

ウシナワレタ「11=十一=拾壱=足壱=XI」

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 ・・・ウシナワレタ「11=十一=拾壱=足壱=XI」・・・バラかキクか?・・・「マグダレナ・ソフィア・バラ」?・・・ダレ?・・・バラ=茨=いばら・・・茨木・茨城・荊木・棘木・・・井原西鶴?・・・バラに刺あり・・・キクにミミあり・・・茨の冠・・・キクのハナには・・・???・・・ハラにヘソあり・・・臍(毘)には「ごま=胡麻・護摩・独楽・駒・狛・高麗」・・・

-ーーーー
 バラか、キクか、ウシか?
 ↓↑

尼寺を設立・・・・・・・天寺・蛙目出等・鴉目出等
 冶承四年(1180年)・・・事象・自性・自照・自笑・字象
 ↓↑
 平家追討の兵を挙げた
 朝日将軍
 木曽義仲
 ↓↑・・・源 義仲=信濃源氏の武将・河内源氏の一族
     源義賢の次男
     源頼朝・義経兄弟とは従兄弟(いとこ)
     木曾 義仲=「朝日=あさひ=旭」将軍
     木曽=当時は美濃の国
     義仲が匿われていたのは
     東筑摩郡
     朝日村(朝日村木曽部桂入周辺)
     後白河天皇の第三皇子の
     以仁王=源以光の
    「以仁王(もちひとおう)の令旨
     治承四年(1180年)」で
     平氏打倒の挙兵
     寿永二年五月十一日(1183年6月2日)
     倶利伽羅峠の戦い
    (くりからとうげのたたかい
     倶梨伽羅峠の戦い
     「砺波山=礪波山」の戦い)
     で
     平維盛に勝利し
     京へ向けて進撃し、同年七月上洛
     平家は、
 ↓↑  安徳天皇を伴って西国へ落ち延びた
 元暦元年一月・・・1184年4月16日~1185年8月14日?
 ↓↑       甲辰・戊辰・丙戌
       元暦二年七月九日(1185年8月6日)京都地震
       地震のマグニチュードは M7.4 と推定
       法勝寺など巨大寺院群が崩壊
          乙巳・癸未・癸未
       文治元年(元暦二年)乙巳(1185)
 ↓↑    元暦二年三月 壇ノ浦に平家滅びる
 西暦の元の暦の元の年の一の月?
          庚申・戊子・己卯(申酉=空亡)
           猿  鼠  兎 
 ↓↑
 粟津原・・・・粟の津の原・・・アワのツのハラ
        足神源・賊心原・続震源?
        粟=覀+米
          あわ・ゾク・ショク・ソク
 ↓↑       異体字は「𠧼・䅇・𥟫・𥸫・𥹟・𥻆・𥾄」
 で最期を遂げ
 宮菊・・・・ミヤのキク
       菊=艹+勹+米(丷+十+八)
 という一歳違いの
 異母妹
 「吾妻鏡・文治元年(1185)の条」・・・吾の妻の鏡?
      文辞・文字・文事・分字   後歳(差異)の加賀見?
 頼朝の妻
 政子は・・・政子=尼将軍
 宮菊を
 「やしない子(養女)」にし
 都に居た菊姫は
 将軍の息女ということで
 周囲にいた者たちが
 菊姫の名前を騙(かた)って
 役に立たぬ古文書をあげたり
 不知行の荘園を寄付したり
 菊の使いだといって
 官位が高く権勢のある家柄の
 荘園の年貢を横取りしたりした
 これが
 頼朝の耳に入り
 頼朝は
 菊姫を捕らえて
 鎌倉に連行するように命じた
 菊姫は自分は一切知らないと弁明し
 政子がとりなし
 頼朝は、兄
 義仲は朝敵として討ったが
 菊姫に罪はないとし
 その境遇に同情し
 『美濃国
  遠山の荘の一村』
 を与え
 義仲恩顧の御家人である
 小諸太郎光兼らに命じて
 菊姫の面倒をみさせた
 遠山の荘の一村とは
 ↓↑
 馬籠
 のこと・・・島崎藤村の「夜明け前」・「破戒」
 ・・・???

ーーーーー
 キリスト死後の墓参の女性
 ↓↑
 マルコ16章=マグダラのマリア
       ヤコブの母マリア
       サロメ
       の三人
 マタイ28章=マグダラのマリアと
       もう一人のマリア
       の二人
 ヨハネ20章=マグダラのマリアだけ
 ルカ 24章=マグダラのマリア
       ヨハナ
       ヤコブの母マリア
       一緒にいた他の婦人たち
 ↓↑
 イエスの母マリア
 マグダラのマリア=ベタニアのマリア
 ヤコブとヨセの母マリア
 クロパの妻マリア=イエスの母の姉妹
 ↓↑
 ゼベダイの子らの・・・ゼベダイの妻の
 母の名は
 「マリア・サロメ」・・・ヘブライ語で
            「サロメ=平和」の意味?
 ↓↑
 ゼベダイ(Zebedee)=ヘブル語の
           「主の賜物・授けられし物」
 ゼベダイの妻「サロメ」・・・Salome
 ↓↑     サロメ(Salomé)=さるめ=猿目=猿女?
 ↓↑     ↓↑
        同名の別人は
        オスカー・ワイルドの戯曲の『サロメ』
       (新約聖書マタイ伝14章、マルコ伝6章より)
        1891年フランス語で書かれ、1893年にパリで出版
 ↓↑     ↓↑
        サロメの
        義理の父は古代
        パレスチナの領主
        ヘロデ・アンティパス
        実母はその妃
        ヘロディア
        養父は
        サロメ=ヘロデ・アンティパスに
        祝宴での舞踏の褒美として
       「好きなものを求めよ」と言い
        サロメの母
        ヘロディアの命により
       「洗礼者ヨハネの斬首」を求めた
        新約聖書には
        サロメの名は記録されていない・・・?
        同名の異人だからか?
       「マリア」=「サロメ」は個人名か?
 ↓↑    「罪深い女」=ヘロディアの娘「サロメ」?
 ゼベダイの妻
 「サロメ」は
 イエスの母マリアの姉妹
 カペナウムの裕福な漁師
 使徒ヤコブとヨハネの父
 ヤコブが兄、ヨハネが弟
 ↓↑
 「マグダラのマリア」
 「ベタニアのマリア」
 「罪深い女(ルカ(7:36-50))」
 同一人物であるとしたのは
  591年
 ローマ教皇
 グレゴリウス1世(Gregorius I)
  540年?~604年3月12日
  在位は、590年9月3日~604年3月12日
  問答者グレゴリウス(Dialogos Gregorios)
  ロマの「パパ」
  問答者聖グリゴリイ(鍵括弧原典ママ)
  大聖グレゴリウスとも
  典礼の整備、教会改革の教皇
 ↓↑
 グレゴリウス13世(Gregorius XIII)
 1502年1月7日~1585年4月10日
 辛酉(庚・ ・辛)⇔乙酉(庚・ ・辛)
 辛丑(癸・辛・己)⇔庚辰(乙・癸・戊)
 癸巳(戊・庚・丙)⇔壬午(丙・ ・丁)
  午未=空亡
 ↓↑
 グレゴリオ暦
 (伊語 Calendario gregoriano
  英語 Gregorian calendar)
 ローマ教皇
 グレゴリウス13世が
 ユリウス暦の改良を命じ
 1582年10月15日(グレゴリオ暦)
 から行用されている暦法
 彼は
 1572年
 サン-バルテルミの大虐殺で
 新教徒の殺害を喜び、ミサをあげた
 1585年
 日本からの
 天正遣欧使節の
 少年使節たちを謁見
 ↓↑
 グレゴリオ暦
 325年ニケーアの宗教会議
 復活祭の日を決定する必要上
 春分の日を毎年
 3月21日と定めた
 ユリウス暦を使っていたので
 1582年
 には実際の
 春分の日は
 3月11日
 になっていたので・・・ズレを修正
 暦改革
 ↓↑
 1582年10月 4日の翌日を
 1582年10月15日とした
 ↓↑
 キリスト降誕(紀元)年数が
 4の倍数の年を閏年とし
 ただし
 紀元年数が
 百の倍数(当然4の倍数)である場合には
 4百の倍数でない限り
 平年とする」と定めた
 ↓↑
 我らの「11日」を返せ
 イギリスの新暦
 新教国であったイギリス
 その殖民地アメリカ
 はグレゴリウス暦を拒んだ
 1751年
 イギリスで
 元国務大臣
 チェスターフィールド卿が
 2年にわたって大衆紙や貴族を説得し
 新暦の採用が議会を通過
 その法令により
 1752年から
 1月1日を年の起点とした
 (それまでは3月25日だった)
 旧来の
 ユリウス暦で積み重なった
 誤差を正すために
 9月 2日の翌日を
 9月14日とした
 これで
 1年のなかで「11日」が消えたので
 「我らの11日を返せ」
 という抗議行動が起こった・・・
 「11=十一=拾壱=足壱=XI」・・・
 ↓↑
 聖母マリアの受胎告知の日(3月25日)
 イギリスでは
 3月25日が
 1年の始まりだった
 ↓↑
 1689年2月13日
 名誉革命
 ウィリアム3世
 メアリ2世
 が即位し
 当時は1年の始まりが
 3月25日だったので
 2月13日は
 前年の
 「1688年の革命=名誉革命」
 とされる・・・
 ↓↑
 ・・・神殿「売春婦」
    ミュリッタ=新バピロニア王国
   (紀元前625年~紀元前583)では
   「神殿売春」
   「エフェス遺跡は紀元前11世紀
    イオニア(古代ギリシャ)人により建設
    アルテミス神殿を中心にした都市国家」
    そこに存在する
   「12000冊以上の蔵書」を有する
   「セルシウス図書館」は
   「アルタミラ神殿」に隣接
    その看板は「足型」
   「この足型より小さい足の人は、売春お断り!」
 ↓↑   
    ヘロドトスは
    古代エジプトに存在した「神殿娼婦」を
   『歴史』の中でその慣習を記録
 ↓↑ ↓↑
    首都アテネから北西へ約180km
    デルフィ遺跡
    ギリシア中部パルナッソス山麓にあった
    ポリス(都市国家)
    紀元前8~前6年ごろは
    全世界の中心と呼ばれ
   「汝自身を知れ」
   「過ぎたるは及ばざるがごとし」
    の
    予言の神アポロンが崇拝されていた
    神殿北側の丘の上に
    天然の岩山を削って造られた
    円形劇場
    紀元前4世紀に造られ
    2世紀後にローマ人によって復元された
    35段の大理石の階段席    
 ↓↑ ↓↑
    西暦4世紀にキリスト教を奉じる
    ローマ帝国皇帝
    コンスタンティヌス1世が
    女神の神殿=イシュタル
          イシス
          イナンナ女神
    を破戒し、キリスト教化
 ↓↑ ↓↑
    ヒエロス・ガモス(Hieros Gamos)
    または
    ヒエロガミー(Hierogamy)
    は「聖なる結婚=ギリシア語由来の言葉」
    神婚、聖婚、聖体婚姻
    聖婚=神話や儀礼などの男女二神の交合
       神と人の婚姻
       天の神と地母神の交わり
       男神と女神
       神と人の結婚の祭儀
       中世ヨーロッパで
       修道女=神の花嫁
    語源はギリシャ語
    「hieros=holy(神聖な)
        =gamos
        =marriage
        =coupling(婚姻、媾合)
    デーヴァダーシー(Devadasi)
   「神の召使」を意味
    バラタ・ナーティヤム
    オリッシー
    といったインドの伝統舞踊を伝え
    神殿売春を強要される因習の被害者・・・
 ↓↑ ↓↑
   「神聖儀礼」だった「売春」行為、
    売春婦そのものが
   「罪深い女(ルカ(7:36-50))」
    ではない・・・?
    では、ナニが、ダレが・・・罪深いのか?
   「ヘロディア」と、その娘「サロメ」・・・「猿女」?
 ↓↑
 イエスの母は
 カナでの婚礼の後
 イエスと行動を共にする(ヨハネ2:12)
 カナの婚宴
 (ラテン語: Nuptiae in Cana factae))
 イエス・キリストの最初の奇跡の地
 (ヨハネ福音書2章1-12節)
 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、
 イエスの母がそこにいた
 イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた
 カナ(Cana)
 は新約聖書に登場する
 ガリラヤ地方の町の地名である
 ↓↑
 旧約聖書に
 アシェル族の町
 カナが記録
 ツロの南東10kmにある現在の「カーナ」
 「ベツサイダ(Bethsaida)」
 新約聖書に登場する町の名前
 「漁師の家」
 という意味の
 アラム語を音訳した地名
 イスラエル共和国の
 古跡「エッ・テル」
 イエス・キリストの
 最初の弟子になった漁師
 アンデレ、ペテロ、ピリポの故郷
 ガリラヤの町
 イエスは盲人を癒し
 また、町の人々の不信仰に嘆いた場所
 ↓↑
 ヘロデ大王の子
 ピリポが再興
 ↓↑
 皇帝アウグストゥスの娘
 ユリアにちなんで
 ベツサイザ・ユリアス・・・別(捌)歳座(差)
 と呼ばれた町
 ↓↑
 イエス=マリアとローマ兵との間の私生児
ーー↓↑ーー
 バラのナマエ・・・
 「薔薇の名前
 (イタリア語
  原題:Il Nome della Rosa
  イル・ノーメ・デッラ・ローザ)
  ウンベルト・エーコの
 1980年に発表された小説」
 ・・・「薔薇(ばら)の斗の数の命」
 ・・・「紫薇(さるすべり)の斗の数の命」
 ・・・「百日紅の斗の数の命」
 ・・・バラバラのバラ違い ・・・「バラバ=バラバ・キリスト
        =ギリシャ語=Bαραββᾶς
     ラテン文字転写
        =Barabbas」
 ・・・「新約聖書に登場する
     ユダヤ(猶太)人の犯罪者、囚人」
 で、「イエス」の代わりに
 恩赦を受け、釈放された
 ・・・「バラバ=アッバス(父=アバ)+子(バル)」?
 ↓↑ ↓↑ ↓↑
 アッバース(アラビア語:Abbās)
 アラビア語の男性名
 アッバスは長母音の省略
 預言者ムハンマドの叔父の名
 バンダレ・アッバース=イランの都市名
 西アジアのイスラム王朝
 建国者アブー・アル=アッバースの名に由来
 750年
 ムハンマドの伯父アッバースの子孫
 アブー=アッバースが
 ウマイヤ朝を倒し
 クーファで即位
 アッバース(アラビア語:Abbās)
 アッバース=「顔つき・表情」
       「厳粛な・厳格な」
       「渋面・獅子」
  ↓↑
 フグ(河豚・鰒・鮐・魨・鯸・鯺)
   =Blow -fish
   =Puffer fish
   =globe -fish
   =グローブ-フィッシュ
 ↓↑ ↓↑ ↓↑
 総督ピラトが過越祭の特赦として
 イエスの
 かわり=換・變・替・孵・蛙・代・逓・遞・還・復・歸
 に
 生命(いのち)を恩赦された
 「ユダヤ熱心党の頭目、
        首領、首魁、梟首、梟将、
        梟帥=たける=建、党首?」・・・
 ↓↑
 「バラバ」とは聖書には
 ペトロ(彼得)の使徒行伝-第3章14節で反乱、強盗殺人の犯罪者
 マタイ(馬太)伝は罪状の記述なし
 マルコ(馬可)伝は暴動時の殺人
 ルカ(路加)伝は殺人
 ヨハネ(約翰)伝は強盗・・・
 ・・・「バラバ・イエス」の「音写」・・・
 「バラバ・イエスは自由の身になった」・・・
 そして、
 「ナザレのイエス」
 として
 「死して三日後(金~土~日曜日)に生き返った=復活」
 と、
 マグダレのマリアに吹聴させた・・・
 ↓↑
 「イエス」とは
 へブライ語の
 Yeshua(ョシュア)を
 ギリシャ語で
 Iesous(イレシュア)
 ラテン語で
 Iesus(イエスス)
 Yehoshua(ィヱホシュア)
 で、
 「イエス・キリストは
  油を塗られし者・油を注がれし者」
 だが、
 当時の一般的な呼び名は
 「ナザレのイエス」
 「ヨセフの子、イエス」
 「ナザレの人で、
  ヨセフの子イエス」
 であった・・・
 「バラバ・イエス」とは
 「バラバ(父)の子、イエス」
 と同意義で・・・
 「バラバ・イエス(マタイ27:16-17)」
 「ユダヤ過激派-熱心党の一員で党首?」
 で、
 「イエス・(キリスト)」とは別人だが
 同名の
 「イエス・(バラバ)」である
 「バラバ」は「マリヤ」と
 ユダヤから逃亡した・・・?
 ・・・故に
 「マグダラ(ダレ)」の
 「マリア」は
 「罪深い女」・・・???・・・
ーーーーー
 正教会の伝承
 イエス磔刑後
 生神女(聖母マリア)
 使徒達とともに
 エルサレム中に
 キリストの
 復活を伝え、その第一の証人となった
 キリスト復活の伝導で、旅し
 ローマで
 皇帝ティベリウスに会い
 紅い鶏卵を献上
 ハリストス(キリスト)の
 復活
 十字架の死
 ピラトによる
 イイスス・ハリストスの
 死刑は不法と皇帝に訴えた
 鶏卵を贈る習慣が
 復活の記憶(復活大祭)に
 鶏卵を贈る習慣が始まった
 ↓↑
 カトリック教会での伝承
 四福音書に
 マグダラのマリア
 と特定されていない女性が登場し
 「罪深い女」が
 「マグダラのマリア」と同一視され
 彼女は
 イエスの足に涙を落し
 自らの髪で拭い
 香油を塗った
 図像では
 アラバスターの
 香油壺を手にする姿が代表的
 「らい(癩)病人シモン」の家で
 ナルドの香油の入った
 石膏の壺を持った女が
 イエスの足を
 自らの涙の髪で拭い
 香油を塗った
 ↓↑
 伝説のマグダラのマリア
 ヤコブス・デ・ウォラギネの
 『黄金伝説(Golden_Legend)』
 などによれば
 「マグダラのマリア」は
 金持ちの出自で
 美貌
 快楽に溺れ、後にイエスに出会い悔悛
 「罪深い女(the Sinner)=娼婦」
 との異名を与えられた
 ルネサンス以降
 「マグダラのマリアの悔悛
  (The Penitent Mary Magdalene)」
 を主題とする絵画、彫刻が多く制作された
 イエス死後
 兄弟ラザロ、マルタ (マリアの姉)
 らとともに
 南仏マルセイユ
 (あるいはサント=マリー=ド=ラ=メール)
 に着き
 晩年は
 サント=ボームの洞窟で隠士生活後、死亡
 遺骸は
 エクス=アン=プロヴァンス郊外の
 サン=マクシマン=ラ=サント=ボーム
 に葬られた・・・
 ヴェズレーの
 サント=マドレーヌ大聖堂には
 キリストの遺骸(頭蓋骨)を移葬したと主張し
 サン=マクシマン側は
 遺骸を保持していると主張
 一部は
 パリの
 マドレーヌ寺院にも分骨・・・
ーーーーー
 John Lightfoot
 (1602年3月29日~1675年12月6日)
 英国の教会員、ラビの学者
 ケンブリッジ大学の副学長
 ケンブリッジの
 聖キャサリン大学の修士
 が
 「マグダラのマリア」は
 「ヘアー・ドレッサー」を意味する
 ヘブル語の
 「メガデラ・ネシャヤ」に由来し
 「身持の悪い女」を暗喩する、と云った・・・
 ↓↑
 「塔」を意味する
 アラム語「ミグダル」
 ギリシア語「マガダン」
 に由来
 彼女の揺るがぬ
 堅い信仰のゆえに名付けられた「ナマエ」
 4~5世紀の神学者
 ヒエロニムスの示唆・・・
 ↓↑
 「マグダラのマリア」と
 「ベタニアのマリア」
 は同一人物・・・
 ↓↑
 ベタニア(ヘブライ語)
 新約聖書に登場するエルサレム近郊の地名
 マリア・マルタ・ラザロ兄弟の住んでいた土地
 オリーヴ山の南東麓にある
 パレスチナ人の村
 アル=エイザリヤ(al-Eizariya)
 ↓↑
 ヨルダン川対岸の
 ベタニア(アル・マグタス)
 1138年
 十字軍により作られた
 エルサレム王国の女王
 メリザンド(フールク・ダンジュー王妃)
 がこの地に修道院を創立
 メリザンドはここで没し
 孫娘の
 シビーユ
 もここで育った
 ↓↑
 ベタニア(Bethany)=ベタバラ(Bethabara)
 「士師記7:24」の
 「ベト・バラ(Beth-barah)」
 「ヨシュア記18:22」の
 「ベト・アラバ(Beth-arabhah)」
 と同じ
 ベタニア(Bethany)=パレスチナ地方の
            古都エルサレム近郊の地名
 ヘブライ語で
 「病む者の家・貧困の家」という意味
 ↓↑ 
 イスラエル
 オリーブ山の東斜面
 エルサレム‐イェリコ街道沿いにある村
 マルタとマリアの両姉妹と
 その兄弟
 ラザロの故郷
 死んで墓に葬られていたラザロを
 イエスが生きかえらせた場所
 病のためラザロ死去し
 その4日後
 布教先から帰ったキリストが
 墓の前で祈り呼びかけると
 蘇生した
 (ヨハネによる福音書・11・ラザロの復活)
 さらに
 復活したイエスの昇天の場所
 (ルカによる福音書・24:51)
 当時の名前
 ラザリウム=Lazariumは
 現在の村のアラビア語名
 アザリエ=al‐Azarieh
 ↓↑
 ヘブライ語=ベイトハニヤ
 アラビア語=アイザリーヤ
 エルサレム近郊の
 オリーブ山東麓にある小村
 村には
 ラザンとその姉妹
 マルタと
 マリアの家
 癩者シモンの家
 などがあり
 イエスがそれらの家を訪れた場所
 3世紀には聖堂が建設
 1967年まではヨルダン領で
 「六日戦争」以後
 イスラエルの占領地
ーー↓↑ーー
 マグダラ (Magdala) ・・・「ラリルレロ」・・・
 ↓↑
 タルムードにおいて
 ミグダル・ヌナヤ(「魚の塔」)
       ・・・・魚を問う?・・・ヌナヤ=ヌ名哉=のナカ?
 イスラエルのガリラヤ湖北西岸に位置する
 古代におけるガリラヤの都市の一つ
 現在の
 ミグダル(Migdal)=マグダラ (Magdala)
 ↓↑
 「マグダラ(ダレ)」の「マリア」は
 恐れながらも
 大いに喜び、
 急いで墓を立ち去り、
 弟子たちに知らせるために
 走って行った
 (マタイ福音書28章8節)
 ↓↑
 そして、墓から帰って
 十一人と
 他の人、皆に一部始終を知らせた
 それは、
 マグダラのマリア
 ヨハナ
 ヤコブの母マリア
 そして一緒にいた
 他の婦人たちであった
 (ルカ福音書24章9-10節)
 ↓↑
 「使徒たちへの使徒
  (the Apostle to the Apostles)」
 マグダラのマリア
 (ラテン語: Maria Magdalena)は
    ・・・Magdalena=マグダレ名?
 新約聖書中の
 福音書に登場
 イエスに従った女性
 マリヤ・マグダレナ
     マグダレナ=マグダレーナ(Magdalena)
     ヨーロッパ系の女性名
     マグダラのマリアに由来
     異形に
     マグダレーネ(ドイツ語)
     マドレーヌ(フランス語)
     マッダレーナ(イタリア語)
     マグダ (Magda)
     マグダラのマリアに由来
     マグダレーナ (Magdalena)
     マグダレン (Magdalen)
     マドレーヌ (Madeleine)
     マデレーン (Madeleine)
     マッダレーナ (Maddalena)
     等は同根
     マリリン (Marilyn)
     は
     マグダラのマリア
     メアリー・マグダレーン(Mary Magdalene)
     と
     リム(lym)=リンダ(Linda・Lynda)
     との合成
     マグダレナ・ソフィア・バラ
     (1779/12/13~1865/5/25)
     己亥(戊・甲・壬)⇔乙丑(癸・辛・己)
     丙子(壬・ ・癸)⇔辛巳(戊・庚・丙)
     丙戌(辛・丁・戊)⇔戊戌(辛・丁・戊)
     午未=空亡
     1800年にフランスで創立された女子修道会、聖心会
 ↓↑ ↓↑
     マドリード(スペイン)
     マグダレナ川=コロンビア西部の河川
     (スペイン語・Río Magdalena)
     マグダレーナ県=コロンビア北部の県
 ↓↑ ↓↑
    小西行長の母=ワクサ
    洗礼名は
    マグダレーナ、マグダレナ
    小西ワクサ=豊臣秀吉の正室・おねの侍女
    大阪城で
    豊臣秀吉の側室などを取り仕切っていた
    小西行長の父・小西隆佐=堺の豪商
    1585年、羽柴秀吉に仕えた
    ・・・マグダレナ
       馬具拿例名?
       眞愚誰 名?
 ↓↑ ↓↑
 正教会・カトリック教会・聖公会で聖人
 正教会では
 携香女(ケイコウジョ)
 亜使徒(アシト)
 の称号をもつ聖人
 ↓↑
 香油の入った壷を持った姿で描かれ
 これは
 墓にあると思われていた
 イエスの遺体に塗るために
 香油を持って墓を訪れた
 との聖書の記述に由来・・・
 「携香女(ケイコウジョ)」
 の称号もこれに由来・・・
 マグダラのマリアは
 イエス・キリストが
 十字架につけられるのを見守り
 イエスが埋葬されるのを見つめ
 そして墓の方を向いて
 座っていた婦人たちの中で
 一番重要な人物・・・と、された・・・
 ↓↑
 マグダラのマリア
 聖人とする
 西方教会(カトリック教会、聖公会)の
 記念日(聖名祝日)は
 7月22日・・・蟹(解+虫=かに・カイ)座の最終日
 ↓↑
 正教会では
 8月4日
 携香女・亜使徒として記念
 記憶
 (7月22日・・・蟹(解+虫=かに・カイ)座の最終日)
 記憶日に加え、
 復活祭後
 第二主日
 「携香女の主日」
 ↓↑
 マグダラのマリア
 イエスの死と復活を見届けた証人
 西方教会では
 教義上
 「悔悛した罪深い女」・・・
    ・・・ナニを「悔悛し、罪深い女」とされるのか?
 とした
 東方教会(正教会)では
 マグダラのマリアは
 「罪深い女」ではない・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・
 勿論、磔刑にされた
 「イエス・キリスト」は
 「ユダヤ穏健派-熱心党の一員」だった・・・
 思想家は殺される・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・

「一匹と九十九匹と」・・・霧に隠れる歳の蔵・・・

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 ・・・キリシタン弾圧・・・「霧隠才蔵=霧隠歳蔵」・・・「猿飛佐助」・・・「福田善之」・・・1962年(昭和37年)初演、伝説の作品「真田風雲録」・・・
 福田 善之
 1931年(昭和6年)10月21日~
 辛未(丁・乙・己)
 戊戌(辛・丁・戊)
 己酉(庚・ ・辛)
  寅卯=空亡
 ↓↑
 日本の劇作家、脚本家、演出家、俳優
 父は福田利三郎
 母は鴻巣以知
 本名
 鴻巣 泰三
 1962年(昭和37年)
 「真田風雲録」
 ↓↑
 むささびのお霧=渡辺美佐子
 霧隠才蔵
 渡辺 美佐子(わたなべ みさこ)
 1932年10月23日~
 壬申(己・壬・庚)
 庚戌(辛・丁・戊)
 丁巳(戊・庚・丙)
  子丑=空亡
 ↓↑
 寛文十二年(1672年)
 軍記物
 『難波戦記』
 『真田三代記』
 ↓↑
 明治後期の講談
 神田伯龍
 『難波戦記』(1899年)
 などの口演速記本
 講談師たちは
 『真田三代記』にはない
 忍術つかいの
 「猿飛佐助」
 「霧隠才蔵」
 ら真田家の
 英雄豪傑として物語を膨らませた
 ↓↑
 1911年
 立川文庫
 講談師
 玉田玉秀斎
 らが中心となって
 講談を読み物として
 再編集した
 立川文庫
 1911年(明治44年)~1924年(大正13年)
 196篇刊行
 ↓↑
 『知謀 真田幸村』(第5編)に続き、
 『真田三勇士忍術名人猿飛佐助』(第40編、1914年)
 『真田三勇士由利鎌之助』
 『真田三勇士忍術名人霧隠才蔵』(第55編)
 江戸以前の資料では
 『真田三代記』に
 「霧隠鹿右衛門」
 渡辺 美佐子(わたなべ みさこ)
 1932年10月23日~
 ↓↑
 福田善之
 1962年(昭和37年)初演
 「真田風雲録」
 1951年(昭和26年)に締結
 日本国とアメリカ合衆国との
 安全保障条約(日米安保条約)
 1960年(昭和35年)
 強行採決で改定
 「60年安保闘争」
 全学連の国会突入
 「真田風雲録」
 徳川が保守勢力
 豊臣は左翼勢力
 真田十勇士は新左翼
 ↓↑
 霧隠才蔵は
 石川五右衛門の兄弟弟子
 「真田幸村」の大阪城-真田丸の死守・・・
 フクダはフクダだが・・・
 「福田 恆存
  1912年・大正元年8月25日
  ~
  1994年・平成6年11月20日」
 壬子(壬・ ・癸)⇔甲戌(辛・丁・戊)
 戊申(己・壬・庚)⇔乙亥(戊・甲・壬)
 癸酉(庚・ ・辛)⇔庚戌(辛・丁・戊)
  戌亥=空亡
 「一匹と九十九匹と」・・・
 「成る程、人殺しの気持ちでも学生の気持ちでも、
  何でも彼でも解つてしまふから先生といふ訳か…
  黙れ、原罪野郎、
  手前等に俺の気持ちが解ってたまるか…!」・・・

ーーーーー
 粟=あわ・ゾク・ショク・ソク・・・阿波尾(美・毘=へそ)
   覀+米・・・西の亜米利加・亜墨利加・米国
   異体字は「𠧼・䅇・𥟫・𥸫・𥹟・𥻆・𥾄」
   覀=異体字は「襾・西」
     おおい冠・にし・かなめの頭
       (襾・西 ・覀)
     粟・栗・要・覆・票・標・賈・価・・・睪
     賈=襾+貝=覀+貝
       あきない・あきなう・あたい・うる・かう
       カ・コ   
       売り買いする・商売する
       あきんど・あきうど・商人・商売人
       売る・買う
       あたい・値段・価値
ーー↓↑ーー
 井上筑後守・・・井(い・セイ)
         上(うえ・ジョウ)
         筑(こと・チク)
         後(しり・ゴ)
         守(まもり・シュ)
 1652~1662年
 契利斯督記
 キリストキ
 北条安房守氏長(正房)編集・・・?
      ・・・あわのかみ
         憐 れみのカミ?=忄+米+舛
         哀 れみ=亠+口+𧘇(ノ𠄌乀ノ)
         愍  み=うれえる・ミン・ビン
              敃(民攵)+心
              湣・慜
             異体字=「㥸・𢞰・慜・緡・緍」
         怜 れみ=さとい・レイ
              忄+令
             異体字=「憐・㦭・㥕・𢠴・𢣶」
 福山藩
 太田全斉・・・・・・・・太の田の全の斉
 寛政九年(1797年)発表
 続々群書類従第十二冊
 ↓↑
 切支丹
 伴天連=神父=破天連・馬天連
 伊留満=修道士
 ↓↑
 目明し
 岡本三右衛門=キアラ神父
 黒川三郎右衛門・・・水野日向守勝成家人?
 ↓↑
 フェレイラ神父=沢野忠庵・1633年転び伴天連・乾坤弁説
         仮名天文抄
 ↓↑
 不干斉ハビアン・・・破提字子
 ↓↑
 シドッチ=イタリア人宣教師ジョバンニ・シドッチ
      ヨワン・バツテイスタ・シローテ
 ↓↑
 長助
 はる
 ↓↑
 新井白石が幕府に
 本国送還を上策として具申
 ↓↑
 幕府は
 シドッティを
 茗荷谷(文京区小日向)の
 切支丹屋敷へ幽閉
 切支丹屋敷は
 寛永二十年(1643年)
 筑前国に不法入国し、江戸に送られ
 伝馬町の牢に入れられた
 イタリアの宣教師
 ジュゼッペ・キアラ
 ペトロ・マルクエズ
 ら10人を収容
 鎖国と禁教政策の結果
 シドッティが
 収容(1709年・宝永六年)されるまで
 六十六(66)年間・・・1709-1643=66
 誰も収容者がいなかった
 ↓↑
 囚人としての扱いを受けることもなく
 二十両五人扶持の待遇で軟禁
 シドッティの監視役で世話係
 長助・はる
 老夫婦
 切支丹の親を持ち、親が処刑され
 子供のころから
 切支丹屋敷ですごしていた
 ある日、
 木の十字架をつけていることを
 役人により発見された
 2人は
 シドッティに感化され、
 洗礼を受けたと告白
 シドッティは2名とともに
 屋敷内の地下牢に移され
 その10ヶ月後の
 1714年(正徳四年)10月21日
 46歳で衰弱死
 ↓↑
 阿瑪港=マカオ・澳門・瑪港・阿媽港・亜媽港・天川
     中国語=澳門
     室町末期から江戸初期にかけて
     日本では中国広東省の
    「マカオ(澳門)」を
    「アマカワ・アマコウ」と呼んだ
     アマカワ・アマコウ=Macao
ーーーーー
 ???・・・天高(あまこう)・・・
ーーーーー
 井上筑後守・・・」1652~1662年
 契利斯督記
 北条安房守氏長(正房)編集・・・あわのかみ
 福山藩
 太田全斉
 寛政九年(1797年)発表
 続々群書類従・第十二冊
 ↓↑
 切支丹=吉利支丹=キリシタン・・・喜理死担?
     耶蘇教・天主教・景教
 伴天連=バテレン=神父=破天連・馬天連
    (バテレン=パードレ・Padre =宣教師)
 伊留満=イルマン=修道士
 ↓↑
 目明し
 岡本三右衛門=キアラ神父
 黒川三郎右衛門
 ↓↑
 沢野忠庵=フェレイラ神父=1633年転び伴天連
      乾坤弁説
      仮名天文抄
 ↓↑
 不干斉-ハビアン・・・破提字子
    ハビアン(Fucan Fabian)
 1565年
 永禄八年
 ~
 1621年
 元和七年一月
 安土桃山時代~江戸時代初期の人物
 禅僧を経てイエズス会に入門
 修道士(イルマン)として活動
 後に棄教し
 キリスト教徒弾圧に協力
 僧名は
 恵俊・恵春・雲居
 号は
  不干 斎  巴鼻庵
 (ふかんさい はびあん)
ーーーーー
 ハビアン(Fucan Fabian)
 1565年
 永禄八年
 ~
 1621年
 元和七年一月
 安土桃山時代~江戸時代初期の人物
 禅僧を経てイエズス会に入門
 修道士(イルマン)として活動し
 後に棄教して
 キリスト教徒弾圧に協力
 号は
  不干 斎  巴鼻庵
 (ふかんさい はびあん)
 ↓↑
 1565年(永禄八年)
 加賀国または越中国にて誕生
 母の
 「ジョアンナ(洗礼名)」は
 北政所(おね、高台院)の侍女
 始めは
 大徳寺の禅僧
 恵俊または恵春と称した
 1583年(天正十一年)
 京都で母(ジョアンナ)とともに受洗
 高槻神学校、セミナリオに入学
 洗礼名ハビアン
 1586年(天正十四年)
 イエズス会に入会して修道士
 臼杵修練院
 ノビシアドに移る
 豊臣秀吉のバテレン追放令を逃れ
 山口、長崎、加津佐などを経て
 天草のコレジオで
 日本語を教える傍ら
 『天草本-平家物語』を編纂
 また自身の経験により
 『仏法』を著し
 キリスト教を擁護し
 仏教を批判
 1588年(天正十六年)
 千々松、有家高等神学校コレジオに移る
 1590年(天正十八年)
 加津佐高等神学校コレジオに移る
 第二回日本イエズス会総協議会に参加
 追放令受けての方針検討
 1592年(文禄元年)
 天草神学校コレジオで日本語教師
 来日宣教師のテキストとして
 「平家物語要約版」の翻訳編纂
 1593年(文禄二年)
 「イソップ(伊曽保)物語」翻訳
 1597年(慶長二年)
 長崎トードス・オス・サントス教会に移る
 仏教儒教神道の解説書
 「BUPPO」編集
 1603年(慶長八年)
 京都に戻る
 1605年(慶長十年)
 護教論書『妙貞問答』を著す
 2人の
 尼の対話形式で記され
 キリシタンである
 幽貞が
 神道・儒教・仏教を批判し
 キリスト教の教理を説いて
 妙秀を入信に導くという内容
 1606年(慶長十一年)
 林羅山と論争
 黒田如水の3回忌法要で
 遺族・有力者・僧侶・キリスト教者
 らの参列を前に説教
 キリスト教団の行方を左右する重な式典
 フランチェスコ会の報告書に大成功の記述
 僧侶らは激怒
 地球球体説と地動説を主張
 1608年(慶長十三年)
 外国人長上者への反発の末
 修道女と駆け落ちして棄教
 1612年(慶長十七年)
 博多に現れ
 長崎に移り
 キリスト教徒取り締まりで行政と協力
 1619年(元和五年)
 キリスト教取締の重要人物として
 江戸に呼ばれ
 徳川秀忠と面会
 1620年(元和六年)
 キリスト教批判書
 「破提宇子」を出版
 『破 提 宇子
 (は・だいうす=デウスを破却する意)』
 日本イエズス会は即座に禁書とし
 「地獄のペスト」と評した
 反論書の用意、
 ポルトガル語版(現存せず)を
 教団中枢に送付
 1621年(元和七年)
 死去
 (wikipedia.org/wiki/ハビアン)
ーーーーー
 ↓↑
 シドッチ=イタリア人宣教師ジョバンニ・シドッチ
      ヨワン・バツテイスタ・シローテ
 長助
 はる
 ↓↑
 新井白石がシドッチを訊問
 幕府に本国送還を上策として具申
 幕府は
 シドッティを
 茗荷谷(文京区小日向)の
 切支丹屋敷へ幽閉
 切支丹屋敷は
 寛永二十年(1643年)
 筑前国に不法入国し、江戸に送られ
 伝馬町の牢に入れられた
 イタリアの宣教師
 ジュゼッペ・キアラ
 ペトロ・マルクエズ
 ら10人を収容
 鎖国と禁教政策の結果
 シドッティが収容されるまで
 誰も収容者がいなかった
 ↓↑
 囚人としての扱いを受けることもなく
 二十両五人扶持の待遇で軟禁
 シドッティの監視役で世話係
 長助・はる
 老夫婦
 切支丹の親を持ち、親が処刑され
 子供のころから
 切支丹屋敷ですごしていた
 ある日、
 木の十字架をつけていることを
 役人により発見された
 2人は
 シドッティに感化され、
 洗礼を受けたと告白
 シドッティは2名とともに
 屋敷内の地下牢に移され
 その10ヶ月後の
 1714年(正徳四年)10月21日
 46歳で衰弱死
 ↓↑
 阿瑪港=マカオ・澳門・瑪港・阿媽港・亜媽港・天川
     中国語=澳門
     室町末期から江戸初期にかけて
     日本では中国広東省の
    「マカオ(澳門)」を
    「アマカワ・アマコウ」と呼んだ
     アマカワ・アマコウ=Macao
ーーーーー
 キリシタン目明かし?
      目を明かす・・・「目覚めさせる・覚醒させる
      開眼させる    悟らせる・自覚させる」者?
 ↓↑   ↓↑
 岡っ引き=目明し
 ↓↑   岡っ引きは
      ・・・岡場所(非公認の売春宿)から
 ↓↑   ↓↑ 女を検束し公認の
         吉原の廓(遊郭)に引き渡すこと
        「岡から街娼・私娼(夜鷹)を
         ひっぱってくる」
        「傍目八目の傍(おか)」
         岡目八目=他人の囲碁を傍で見ていると
         対局者よりも冷静に
         八目も先の手が読める意
         第三者のほうが
         物事の是非得失を判断できるということ
         町人で
         犯罪者・虞犯者などの
 ↓↑   ↓↑ 怪しい奴をひっぱってくる、という説
     「下っ引き」の子分を雇っていた
      江戸時代の町奉行所
      火付盗賊改方
      などの
      警察機能の末端を担った非公認の協力者
      江戸では御用聞き
      関八州では目明かし
      関西では手先・口問い(くちとい)
      両立しえない仕事を兼ねる
 ↓↑   ↓↑
     「二足の草鞋・鞋(わらじ)」の語源
      与力・同心の配下で
      犯罪捜査と犯人逮捕のために働いた者
      犯罪人を釈放して「目明し」とした
      やくざ者や、親分と呼ばれる
      顔役が岡っ引になることが多く
      両立しえない仕事を兼ねるの語源
 ↓↑   ↓↑
     「目明し=目証=めあかし」
      犯人を証明する意
      軽犯罪を犯した者に
      仲間の情報を密告させた
 ↓↑   ↓↑
     「岡っ引き=目明し」
     「おか」は
     「傍(側・そば・かたわら)」
      で手引きをする者
     「めあかし」
     「目明かし=目灯し」
     「供え物」
     「燭台に火を灯す」
     「良い方法で注意を喚起する」
 ↓↑   ↓↑
      宝永・正徳期(1704年~1716年)
      京都で
      罪人に共犯者を密告させ
      その犯罪を証明させた
ーーーーー
 キリシタン目明し
 ころび伴天連の
 沢野忠庵(クリストバン・フェレラ)
 ↓↑
 キリシタン目明し
 後藤了順
 荒木了伯
 ↓↑
 オランダの
 デ・リーフデ(博愛)号が
 慶長五年(1600)
 臼杵湾(大分)に漂着
 ・・・「臼(うす)と杵(きね)」のワン
 日本とオランダの交流が始まった
 オランダに対し
 敵愾心を抱いていた
 スペインのイエズス会士らは
 徳川家康に
 オランダの
 デ・リーフデ(博愛)号を
 海賊船と進言したが
 海賊船の嫌疑が晴れ
 家康は漂着したオランダ船の
 乗組員の
 アダムス(三浦按針・日本人お雪と結婚)
 ヤン・ヨーステン
 (耶楊子・日本人と結婚・八代洲に住む)
 らに
 幕府相談役の地位を与え
 航海術・造船・物理学・医学
 西洋諸国の情報を得た
 慶長十四年(1609年)
 幕府から発行された朱印状に基づき
 平戸(長崎)に
 オランダ商館が設置され、通商関係が始まった
 島原・天草の乱後
 ポルトガル人の追放
 ポルトガル船の入港が禁止
 オランダ・中国のみが
 日本との貿易継続
 ↓↑
 ころび
 キリシタンを捨てて仏教に転宗すること
 ころび証文
 転宗した事を神仏に誓う誓詞(起請文)
 この中で
 デウス、サンタ・マリア、諸天使、聖人
 等にも誓っている
 キリシタン目明し
 ころび伴天連
 沢野忠庵(クリストバン・フェレラ)
 キリシタン目明し
 後藤了順
 荒木了伯
 の誓書が書きそえてある
 正保二年(1645)
 乙酉の年号も記録
 東上町の隣町は
 茣蓙町=茣蓙町は筑後方面より
     茣蓙(ゴザ)を加工する人達が開いた町
     西勝寺の創建に協力した
 ↓↑
 光源寺.
 柳川藩・瀬高町下庄田代
 光源寺の二世
 十時松吟(とときしょうぎん)は
 寛永十四年(1637年)
 長崎に出て浄土真宗の布教活動
 長崎奉行の
 馬場三郎左衛門
 に認められ一寺を建立
 瀬高の
 光源寺を弟に譲り
 銀屋町(晧台寺前の天満宮付近)に
 巍巍山
 光源寺(西本願寺派)を創建
 延宝四年(1676年)
 火災で銀屋町の寺地が類焼
 光源寺の墓地が有った
 伊良林に移転
 松吟の著書
 長崎で穴吊りの拷問に耐えきれず
 キリスト教を
 棄教した
 イエズ科会司祭
 「クリストファン・フェレイラ」
 が
 「澤野忠庵」の名と妻をあてがわれ
 キリシタン目明し
 としてキリシタン弾圧に協力
 「ころび伴天連バテレン=澤野忠庵」
 が口述した
 天文書を記述
 フェレイラは日本人に
 南蛮医学を伝え
 娘婿の
 杉本忠恵は
 フェレイラ門下の医師
 幕医
 光源寺の墓地に
 慶長九年(1604年)
 中国語の通訳の職に任命された
 唐通事(中国語通訳)
 馮六(ほうろく)
 坂本龍馬暗殺後
 亀山社中を切り盛りしていた
 二宮又兵衛
 寛永十七年(1640年)
 阿蘭陀通詞
 横山ン又兵衛から
 十一代
 又之丞まで
 阿蘭陀通詞を勤めた
 横山家などの墓がある
 ・・・横(よこしま・オウ)の
    山(やま・サン)の
    家(いえ・カ)?
 ↓↑
 オランダ語を日本語に借用
 長崎港図(蘭唐船入港)
 ビール(bier)、オルゴール(orgel)
 おてんば(ontembaar)、ランドセル(ransel)
 ポン酢(pons・柑橘類)
 病院、盲腸、炭酸
 などは
 オランダ語の意味を漢字転換した
 ↓↑
 ポルトガル語を日本語に借用
 柳川方面
 縁台=バンコ(banco)
 南瓜=かぼちゃ=ボーブラ(abóbora)
 歌留多=カルタ(carta)
 コップ(copo)
 フラスコ(frasco)・メリヤス(meias)
 シャボン(sabão)
 煙草=烟草・莨=タバコ(tabaco)
 天婦羅=天婦羅=天ぷら(tempêro)
 ザボン(zamboa)
 トタン板(tutanaga)
 ジョウロ(jarro)
 ビイドロ(vidro)
 ブランコ(balanco)
 チャルメラ(charamela)
 キリシタン(cristao)
 おんぶ(背負う・ombro=オンボロ)
 木乃伊=ミイラ(mirra)
ーーーーー
 ・・・???・・・


勝者=ショウシャ=商社・照射・瀟洒・傷者・笑者・哨舎・廠舎・抄写・少者・盛者

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 ・・・「なまり」の触媒・・・「触媒・溶媒・霊媒」・・・「媒=女+某(甘十八)=méi(メイ)・バィ=通仮字は謀=異体字は𡠫=女+梅(十八毎)」・・・霊媒・冷媒・零杯・零倍・零敗・・・無敵・霧笛・夢的・・・

 むかし、「アリの街のマリア(1958年12月7日公開)」って映画を観たけれど・・・
 「北原 怜子(きたはら さとこ)」氏
 「蟻の街(ありのまち)
  1950年(昭和25年)1月頃
  隅田公園(東京都墨田区) の一角で
  言問橋(ことといばし)
  のそばにあった廃品仕切場」
ーーーーー
 1929年8月22日~1958年1月23日
 己巳(戊・庚・丙)⇔丁酉(庚・ ・辛)
 壬申(己・壬・庚)⇔癸丑(癸・辛・己)
 己亥(戊・甲・壬)⇔庚子(壬・ ・癸)
  辰巳=空亡
 アリ(蟻=虫+義・螘=虫+豈)・・・
 社会性昆虫
 同種であっても、カーストによって形態が異なる
 繁殖をする雌雄(雄と女王)
 働き蟻(雌)は形態的に区別でき
 働き蟻の中に、さらに複数の形態差が見られる・・・
 他種の働き蟻の労働に依存して生活する社会寄生の蟻・・・
 サムライアリ
 アカヤマアリ
 トゲアリ(螞蟻)

 ミリアム(ヘブライ語 Miryam
      ラテン 語 Miriam
      英   語 Miriam)
 「マリア」の名前の語源
 モーセとアロンの姉・女預言者
 コハテの子
 アムラムと
 レビの娘
 ヨケベデの娘で
 ミリアムとアロンは
 モーセとは母が違う異母姉・異母兄との説・・・
ーーーーー
 マグダラナのマリア(ラテン語: Maria Magdalena)
 マグダリ のマリア(Maria Magdali)
 マグダル のマリア(Maria Magdalu)
 マグダロ のマリア(Maria Magdalo)
 マグダレ のマリア(Maria Magdale)
 ↓↑
 眞愚誰=眞愚垂れ(足)=眞口垂れ=真口埀(滴れ)
 魔具誰=魔具垂れ(足)=魔口垂れ=魔口埀(滴れ)
 ↓↑ 
 山上(サンジョウ)の垂訓(スイクン)
 新約聖書の
 『マタイによる福音書』5章3節~10節~7章
 『ルカによる福音書』第6章
 ↓↑
 垂訓(スイクン)の場所
 カペナウム
 ガリラヤ湖の北西岸にある町
 イスラエルの「テル・フーム」
 新共同訳聖書では
 「カファルナウム」と表記
 地名は「Kfar Nahum」、「ナフームの村」の意
 日本正教会訳聖書では
 「カペルナウム」と表記
 ↓↑
 「眞愚垂れ(足)」であるコト・・・

 ↓↑
 義のために迫害されてきた人たちは
 さいわいである、天国は彼らのものである。
 ↓↑
 わたしのために人々が
 あなたがたをののしり、また迫害し、
 あなたがたに対し偽って
 様々の悪口を言う時には、
 あなたがたは、さいわいである。
 ↓↑
 喜び、よろこべ、
 天において
 あなたがたの受ける報いは大きい。
 あなたがたより前の預言者たちも、
 同じように迫害されたのである。
 ↓↑
 あなたがたの義が
 律法学者や
 パリサイ人の義に
 まさっていなければ、
 決して天国に、
 はいることはできない。
 (マタイ 5:1 - マタイ 5:20)
 ↓↑
 ???・・・「まさっていなければ、
        決して天国に、
        はいることはできない」・・・?
 ↓↑
 「マタイ(馬太・瑪太)」
 と
 「ルカ(路加)」
 の伝承は異なっている・・・
 「マタイ」
 の語る
 「イエス(耶蘇・移鼠=景教の表記)」
 のコトバは
 「心の清い人たちは、さいわいである」
 は、タシカにだが・・・
 個人的で本人の主観的な
 「幸い」かどうかは
 「神の存在、天国での報い」とは無関係だろう・・・
 「心の清い人」
 は客観的な
 他人の倫理的な評価としての
 「心の清い人」なのである
 あるいは、
 そうで「あるべき人」としての要望のコトバだろう・・・
 「心の問題」だから・・・
 「貧しく」と「美しく」とは
 必ずしも
 「心の問題」ではなく
 「生活の貧しさ=貧困」
 「容貌、姿態=美しさ」
 でもある・・・
 「清い」が「清潔」を意味するのであれば
 日常生活の健康で衛生の気配りであるカモ・・・
 ↓↑
 人間社会には
 「いじめる人間」と
 「いじめられる人間」がいる
 個々人は
 存在機能実体として
 能力発揮実体として
 そして
 履歴的
 出生の宿命実体として
 同じではない
 「社会的な差異の実体」としての生命体である
 ↓↑
 「清く・貧しく・美しく」⇔「汚く・貧しく・醜く」
 「清く・豊かで・美しく」⇔「汚く・豊かで・醜く」
 「平和をつくり出す人たちは、さいわいである」
 じゃぁ
 「戦争をつくり出す人たちも、さいわいである」のか?・・・
 「いずれ、戦争をやめる人であろうから」・・・
 ↓↑
 「いじめられた者~であれば」
 「あなたがたの天において受ける報いは大きい」
 と、
 「天における報償期待=見返り」
 を餌に、前提にしている・・・
 問題は「今現在の地上における」である・・・
 死後の冥界の「天国、地獄」ではない・・・
 ↓↑
 「ルカ」の語るイエスのコトバは
 「その日には喜びおどれ。
    ・・・「その日には」とは何時のコトか?
  見よ、
  天において
  あなたがたの受ける報いは大きいのだから。
  彼らの祖先も、
  預言者たちに対して同じことをしたのである。
 ↓↑
  しかし
  あなたがた富んでいる人たちは、
  わざわいだ。
  慰めを受けてしまっているからである。
 ↓↑
  あなたがた今満腹している人たちは、
  わざわいだ。
  飢えるようになるからである。
 ↓↑
  あなたがた今笑っている人たちは、
  わざわいだ。
  悲しみ泣くようになるからである。
 ↓↑
  人が皆
  あなたがたをほめるときは、
  あなたがたはわざわいだ。
  彼らの祖先も、
  にせ預言者たちに対して
  同じことをしたのである。
 ↓↑
  しかし、
  聞いているあなたがたに言う。
  敵を愛し、
  憎む者に親切にせよ。
  のろう者を祝福し、
  はずかしめる者のために祈れ。
  あなたの頬を打つ者には
  ほかの頬をも向けてやり、
  あなたの上着を奪い取る者には
  下着をも拒むな。
 ↓↑
  あなたに求める者には与えてやり、
  あなたの持ち物を奪う者からは
  取りもどそうとするな。
 ↓↑
  人々にしてほしいと、
  あなたがたの望むことを、
  人々にもそのとおりにせよ。
 ↓↑
  自分を愛してくれる者を愛したからとて、
  どれほどの手柄になろうか。・・・「手柄」って、評価、表彰?
  罪人でさえ、
  自分を愛してくれる者を愛している。
  自分によくしてくれる者によくしたとて、
  どれほどの手柄になろうか。
  罪人でさえ、それくらいの事はしている。
  また返してもらうつもりで貸したとて、
  どれほどの手柄になろうか。
  罪人でも、
  同じだけのものを返してもらおうとして、
  仲間に貸すのである。
  しかし、あなたがたは、
  敵を愛し、人によくしてやり、
  また何も当てにしないで貸してやれ。
  そうすれば受ける報いは大きく、
  あなたがたは
  いと高き者の子となるであろう。
  いと高き者は、
  恩を知らぬ者にも悪人にも、
  なさけ深いからである。・・・親鸞のさきがけ・・・?
  あなたがたの父なる神が
  慈悲深いように、・・・・無慈悲・無字比?
  あなたがたも
  慈悲深い者となれ。・・・ムリでしょう・・・?
 ↓↑
  人をさばくな。
  そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。
  また人を罪に定めるな。
  そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。
  ゆるしてやれ。
  そうすれば、
  自分もゆるされるであろう。・・・ムリでしょう・・・?
 ↓↑
  与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。
  人々はおし入れ、ゆすり入れ、
  あふれ出るまでに量をよくして、
  あなたがたのふところに入れてくれるであろう。
  あなたがたの量るその量りで、
  自分にも量りかえされるであろうから
 (ルカ 6:20 - ルカ 6:38)」
 ↓↑ ↓↑ ↓↑
 ・・・戦争に負ければ「迫害される」・・・?
 ・・・戦争での勝者に「慈悲」はあるのか・・・?
 勝者=ショウシャ=商社・照射・瀟洒・傷者・笑者
          哨舎・廠舎・抄写・少者・盛者
 ???
 金(キン)は鉛(エン)にはならない
 鉛(なまり)も金(かね)にはならない・・・?
   訛り・鈍り・吪・生里・・・名はマリ
             ・・・拿 真理(鞠)
 ↓↑
 鉛=重金属・・・重金族
   卑金属・・・卑金族=卑しい金族
            =「女直・女真・清」族?
   青灰色
   土星の象徴(鎮星・占星術・錬金術)
   金、白金を液体として溶かす
   王水(おうすい、aqua regia)は
   濃塩酸と濃硝酸を
   3:1の体積比で混合してできる
   橙赤色の液体
   ↓↑
   第14族元素
   周期表において第14族に属する元素の総称
   炭素・ケイ素・ゲルマニウム・スズ
   鉛・フレロビウム
   がこれらに分類される
   クリスタロゲン
   炭素族元素、IV族元素(短周期表)
   IVB族元素(CAS式)、IVA族元素(旧IUPAC式)
   と呼ばれることも・・・
   ウラン
   トリウム
   の崩壊後の物質
   鉛は軟らかい金属で
   紙などに擦り付けると
   文字が書ける
   古代ローマ人は
   羊皮紙に
   鉛で線および文字を書き
   これが
   鉛筆 (lead pencil) の起源となった
   ↓↑
   触媒
   触媒の語は
   ギリシア語
  「結び目などを解く=katalysis」
         ・・・カタリシス?
        語死す・語 り死す・・・騙(かた)り史素
           カタルーニャ州
          (カタルーニャ語=Catalunya [kətəˈluɲə]
           カタラン語=Catalun(カタラン)
           スペイン語=Cataluña
           アラン語=Catalonha)
           スペインの自治州・州都はバルセロナ
        自国語言語の禁止時代の歴史
 ↓↑     ・・・「らりルれろ・らりるれろ」・・・
ーー↓↑ーー↓↑ーー↓↑
 ・・・「触媒」を調べていたら・・・
 「らりルれろ・らりるれろ」へと「トンだ」・・・
 ↓↑ ↓↑
   「卑慢(ヒマン)」・・・「卑弥呼・卑弥弓呼」・・・肥満?
    はるかに優れた者と比較し
    自分は少ししか劣っていないと思うこと=自惚れ
 ↓↑
 「chocolate(チョコ-ラァ-ト)」
  ナワトル語の・・・・・・・・名和取る?
  チョコラトルが由来・・・・・「千代子、知代古」等取る?
  バルセロナの・・・・・・・・話留施賂名?
  カタロニア語で・・・・・・・語ろ似蛙?
 「アマリエ」・・・甘利重・鴉目里重・余り重
         「尼・海人・海女・海士・海部・阿媽・阿毎」の
          理の重?
  と発音
  1797年
  スペイン・バルセロナで生まれたブランド
  chocolate
  ナワトル語のチョコラトルが由来
  アステカがスペインに征服される前には
  チョコラトルという用例が無く
  ナワトル語には
 「チョコ」も、「ラトル」という言葉も存在しない・・・?
  ナワトル語でチョコレート飲料は
 「カカワトル(カカオの水)」・・・係(関・拘・抅)わっとる?
                  嬶和訳留?
           母親=かかあ=嚊=嬶=妻
  スペイン人が
  マヤ語の「チョコル(熱い)」・・・摩耶・麻耶?
  アステカ語「アトル(水)」・・・・明日出日の鴉取る
  から作った新語
 ↓↑
 日本語
 「チョコレート」=英語の「chocolate」
 「チョコラテ」=スペイン語ん「chocolate」
 に由来
 スペイン人は、16世紀後半に
 チョコラトルという言葉を使い始め
 16世紀末のイエズス会士
 ホセ・デ・アコスタ
 保施 出 阿古州足?
 の時代に
 チョコラテと呼ばれるようになった
 ↓↑
 Chocolate Amatller(アマリエ)
 スペイン語=Amatller(アマトリェール)
 バルセロナの
 カタロニア語で
 「アマリエ」
 1797年
 スペイン・バルセロナで生まれたブランド
 ↓↑
 ショコラティエの
 ガブリエレ-アマリエ・・・がぶり獲れ-甘利恵?
 の小さな工房から創業
 創業者の孫
 アントニがアマリエを継いだ時
 ブランドはスペイン市場で既にあった
 若い頃にヨーロッパを旅行する中で
 新しい産業技術を発見し
 1878年、36歳で革新的な生産システムを用い
 大規模かつ迅速に製造できる工場を建設
 チョコレート市場をより商業的なモデルに成長させた
 アマリエは
 「チョコレート王」と呼ばれた
 「アマリエ」
 ↓↑
 カタログ
 ギリシア語の
 カタロゴス(katalogos・数え尽くすこと)・・・和え通句素古訳?
 ラテン語(catalogus)
 フランス語(カタログ=catalogue)・・・・・化太賂愚・過多賂具
 ↓↑    ↓↑
       カタルシス(古希 κάθαρσις katharsis
             古代ギリシア語ラテン翻字 katharsis
             英語 catharsis)
             哲学、心理学において精神の「浄化」
             破壊してスッキリ・鬱積を吹き飛ばす
       ギリシア語で「排泄・浄化」
       タルカス (Tarkus)
https://www.youtube.com/watch?v=FqTDhtJGQ04
         ・・・Tarkus=アルマジロ+戦車(tank・装甲車)
           (犰狳、スペイン語: Armadillo)
            アルマジロ (Armadillo)・・・装甲車(Armored Car)

            スペイン語「武装したもの」
            を意味する 「armado」に由来
              アンデス地方の先住民族
            ケチュア族の言葉で
            ケナガアルマジロを
           「キルキンチョ(quirquincho / kirkincho)」
           「キルキンチュ(quirquinchu / kirkinchu)」
            と呼び
            ボリビアやペルーではこの名前で呼ばれる     
       1971年5月にイギリス
       1971年6月14 日にアメリカ
       で発売された
       エマーソン・レイク&パーマーのセカンド・アルバム
 ↓↑    崩壊=「Collapse=カァラァプス」
 日本では終戦直後まで
 型録(カタログ)
 カタログは
 1470年代に
 ヨーロッパで
 「本のリスト」として登場
 ↓↑
 カタログ(米語 catalog・英語 catalogue)
 商品や展示物などの
 品目を整理して書き並べたもの
 目録や説明書、案内書
 漢字で型録
 ↓↑
 catalog(カタログ)
 語源は
 「kata(下)」と「legein(数える)」に由来
 ギリシャ語の「katalogos(記録表)」
   を意味
ーーーーー
 触媒
 ↓↑自身とは別の物質の化学反応を
   促進したり
   抑制したりする物質
   水素と酸素の混合ガスだけを熱しても何も起きない
   触媒として
   銅を入れると両方のガスは
   化学反応を起こして「水」になる
   触媒自身は化学反応の前と後で
   別の物質に変わることはない
 ↓↑ ↓↑
   電気分解での鉛触媒
   触媒は英語で「catalyst」
   触媒の作用は「catalysis」
   ↓↑
   電気分解(Electrolysis)
   液体に2つの電極を
   接触させて電極間の
   化合物に電圧をかけ
   化学分解する方法
   陰極で還元反応
   陽極で酸化反応
 ↓↑ ↓↑  
 鉛は鉛鉱石を構成する鉱石鉱物の一
 ↓↑ ↓↑
 鉛の需要が大きく売れればカネになる・・・銃弾
           鉛レンガ=放射線の遮蔽材
   ↓↑
 鉛(なまり・英語 lead=リード・・・lead=案内・運ぶ・導く
          lead(導く)の発音はリード(li':d)
          lead(鉛 )の発音はレッド(led)
             reed=木管楽器のリード
         「Operation Cast Lead」
         「Operation Gegossenes Blei」
         「鋳造鉛のドレイデル(独楽)」
      ・羅語 plumbum
      ・独語 Blei=ブレイ・・・無礼・武霊・武礼・舞麗)
   ↓↑
 鉛の用途
 ハンダ=鉛と錫の合金で、金属接着
    (半田・盤陀・英語 solde=ソルダー)
     銀山であった半田山(福島県桑折町)から由来・・・
   ↓↑
 中国語では焊 (hàn) =釬 (钎)・焊料・銲錫・焊接剤 (焊接剂)
           鑞 (镴)ろう付け
          (融点が450度以上の硬鑞を用いたろう接)
     はんだ付け(融点が450度未満の軟鑞を用いたろう接)
     歴史は
     紀元前3000年頃には「はんだ付け」が存在
     ツタンカーメン王の装飾品は「はんだ付け」
     ギリシャ-ローマ時代に
     水道配管を「錫-鉛はんだ」で
    「はんだ付け」した記録・・・
     中国では
     紀元前300年頃には「はんだ付け」した壷が存在
     日本の「ろう接」
     「ろう付け」
     5世紀ころには
     鋳掛補修が行われた「銅鐸」も作られた
     奈良の大仏建造
     錫に鉛を混ぜた合金である
     白鑞(しろめ)が「ろう材」として使われ
     仕上げや補修に使用された・・・
     貝原益軒の『万宝鄙事記(1705年)』
     錫鉛棒を炭火で溶かして
     銅容器の漏れを塞ぐ手法が記録
     『和漢三才図会(1713年)』
     白鑞の製法は
     鉛1斤(600g)に唐錫10両(375g)を練り合わせる
     この鉛と錫の配合比率は
     「はんだ」とほぼ同様
     幕末の1866年に初演された
     河竹黙阿弥の歌舞伎狂言
    「船打込橋間白波」に
     鋳掛屋のセリフに
    「鉛や盤陀の売物」という言葉
   ↓↑
  鉛蓄電池の電極
  金属の快削性向上のための合金成分
  鉛ガラス(光学レンズやクリスタルガラス)
  美術工芸品(ステンドグラスの縁)
  防音・制振シート
  免震用ダンパー
  銃弾
  電子材料(チタン酸鉛)
  鉛白(White Lead)=白色顔料・組成は塩基性炭酸鉛
ーーーーー
 ・・・???・・・

アルマジロ (Armadillo)⇔阿留本気賂⇔装甲のジポン国

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 ・・・メール受信欄に「----was haked」の文字、わざわざ「通知」してくれる「人間」って?・・・「エドワード・ジョセフ・スノーデン(Edward Joseph Snowden)」氏・・・「2013年6月22日、米司法当局により逮捕命令」・・・「おがさわらみどり」氏・・・「くにやひろこ」氏・・・「理不尽な世の中」は「非常識な常識社会」・・・「延命の三サルの社会」か・・・だから「百姓」はミンナ「棄てる命の武士(さむらい)」に憧れた・・・?・・・
 「困難を物ともせず悪と戦うこのゲームが、自分の道徳観を形成した」・・・
ーーーーー
 E・J・S
 1983年6月21日    2013年6月22日
 癸亥(戊・甲・壬)⇔癸巳(戊・庚・丙)
 戊午(丙・ ・丁)⇔戊午(丙・ ・丁)
 庚辰(乙・癸・戊)⇔己未(丁・乙・己)
  申酉=空亡
ーーーーー
 『クロゲン』
 Y・K
 1957年2月3日 2015年12月26日 2016年1月7日
 丙申(己・壬・庚)⇔ ⇔乙未(丁・乙・己)⇔乙未
 辛丑(癸・辛・己)⇔合⇔戊子(壬・ ・癸)⇔己丑
 丙午(丙・ ・丁)⇔冲⇔丙子(壬・ ・癸)⇔己丑
  ↓↑         ↓↑
  寅卯=空亡      丙申(己・壬・庚)59
             ~        ~61歳
             乙未(丁・乙・己)69
           生年X運日=三合壬
  ↓↑         ↓↑
http://lite-ra.com/2016/04/post-2160.html
  ↓↑         ↓↑
 カタルシス(古希 κάθαρσις katharsis
       古代ギリシア語ラテン翻字 katharsis
            英語 catharsis)
            哲学、心理学において精神の「浄化」
            破壊してスッキリ・鬱積を吹き飛ばす
       ギリシア語で「排泄・浄化」・・・排便?
       タルカス (Tarkus)
https://www.youtube.com/watch?v=FqTDhtJGQ04
       Tarkus=アルマジロ+戦車(tank・装甲車)
      (犰狳、スペイン語: Armadillo)
       犰=犭+九
         異体字「菏=犭+丸」
       犰狳=「山海経・東山経」に
          「其の狀
           菟の如くして鳥喙、鴟目、蛇尾なり
           人を見て則ち眠る。名を犰狳と曰ふ。
           其れ鳴きて自らを訆す。
           見れば則ち螽蝗敗を爲す」
       狳=犭+余
         異体字「㺄=犭+俞=犭+兪」
         俞=亼+月+刂=兪=ぬきとる・ユ
   俞=「舟(容器)+刂(手術刀)=患部からでた膿の受け皿」
      月=舟は容器の意・・・「月=肉」だろう・・・
      刂=手術刀
      俞=出た膿(うみ)を容器でうける形
        メスで身体(肉体)の化膿した部分を切開し
        中の患部や膿をぬきとる意
       「愈・癒」の原字
        しかり(兪り)・はい
        姓の兪
        ますます・いよいよ=愈
        やすらぐ=愈・治癒
        楡=木+兪=にれ⇔比喩
        揶揄・・・・
 ↓↑         ↓↑
       九帯犰狳=ココノオビアルマジロ
       アルマジロ (Armadillo)・・・装甲車
      (Armored Car)
       スペイン語「武装したもの」
       を意味する 「armado」に由来
       アンデス地方の先住民族
       ケチュア族の言葉で
       ケナガアルマジロを
      「キルキンチョ(quirquincho / kirkincho)」
      「キルキンチュ(quirquinchu / kirkinchu)」
       と呼び
       ボリビアやペルーではこの名前で呼ばれる
 ↓↑    ↓↑
 ニレ(楡・榆)
 ニレ科ニレ属の高木の総称
 アキニレ・オヒョウ・ハルニレ
 ニレ科には
 ケヤキ・ムクノキ・エノキを含む
 落葉または半常緑高木
 葉は二列に並んで生じ、互生し
 単葉で基部は左右非相称
 縁(へり)に鋸歯( きょし)がある
 花は葉に先だって開くことが多く
 両性で小形
 花被(かひ)片は四、五裂
 雄しべは花被片と同数で、紅紫色を帯びる
 子房は普通は一室
 果実は翼果で、開花後2~3週間で成熟
 樹皮をはぐとぬるぬるするので
 ニレの名は「滑(ぬ)れ」に由来・・・「滑(すべ)る」
 アイヌの人祖
 アイヌラックルは
 雷神とハルニレの間に生まれた
 ハルニレは自身の皮で着物をつくり
 アイヌラックルに着せた・・・
  ↓↑         ↓↑
 鍮=金+兪
   ぬきとる・チュウ・トウ
   金属鉱石
   鉱石を製錬し純粋な銅を抽出したモノ
   自然銅の純度の高いもの
   銅と亜鉛の合金
   製錬した純粋な銅
   真鍮(シンチュウ)=純粋な銅
   鍮石(トウセキ)=純度の高い自然銅鉱石
   黄銅
   青銅=銅+錫
 ↓↑
 偸=イ+兪(ぬきとる)
   トウ・チュウ・ぬすむ
   中身を抜きとる人・その動作
   ぬすむ(偸む)・ぬすみ
   偸盗(チュウトウ)
   むさぼ(貪)る
   偸安(トウアン)
   目前の安楽をむさぼる
 ↓↑
 輸=車+兪・・・輪
   とりだす・ユ
   車(くるま)+兪(とりだす)
   取り出したものを車ではこぶ
   おくる・はこぶ
   輸送・空輸・輸血
 ↓↑
 揄=扌(手)+兪(とりだす)
   手でひきだす
   揄揚(ユヨウ・ひきあげる・ほめそやす)
   揶揄=からかう
      ひく・ひきだす・ひきずる
      もてあそぶ・からかう
      カラカウ=からかう=加羅化得?
 ↓↑
 隠喩(インユ)・暗喩(アンユ)・・・福沢諭吉
 兪・愈・愉・癒・諭・喩・輸・揄・楡
 偸(トウ)
 鍮(チュウ)
 黄銅(英語 brass)=銅と亜鉛の合金
           亜鉛が20%以上のもの=真鍮
 ↓↑
 青銅(bronze・ブロンズ)
 銅(Cu)を主成分として錫(Sn)を含む合金=砲金
 銅と錫との合金
 用途に応じてさらに
 亜鉛・鉛などを加えた銅合金
 唐金(からがね)
 銭(ぜに)の異名
 ↓↑    ↓↑
       1971年5月にイギリス
       1971年6月14 日にアメリカ
       で発売された
       エマーソン・レイク&パーマーのセカンド・アルバム
 ↓↑    ↓↑
 ↓↑    崩壊=「Collapse=カァラァプス」

 カタルシス(古希 katharsis)
 ↓↑
 アリストテレスの
 『詩学』中の悲劇論で
 「悲劇が観客の心に
  怖れ(ポボス)
  と
  憐れみ(エレオス)
  の感情を呼び起こすことで
  精神を浄化する効果」
 とし言及
 アリストテレス自身は
 演劇学用語として使用
 プラトン哲学
 哲学と徳による魂の浄化=
 アルマジロ (Armadillo)
 スペイン語「武装したもの」
 を意味する 「armado」に由来
 ↓↑
 アンデス地方の先住民族
 ケチュア族の言葉で
 ケナガアルマジロを
 「キルキンチョ(quirquincho / kirkincho)」
 「キルキンチュ(quirquinchu / kirkinchu)」
 と呼び
 ボリビアやペルーではこの名前で呼ばれる
ーーーーー
 ・・・ダブった・・・

燃え尽きる際に光る「火球」・・・魂魄は夜光するか?

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 ・・・「火の玉見た!北海道各地で火球か・10月18日夜午後8時56分ごろ・NHKの北海道各地に設置したカメラに上空を流れ落ちる「火の玉」のような光が写っていた」(Twitter)・・・
 北海道各地で「火球」か・2018年10月19日 0時55分
 専門家は小惑星の欠片(かけら)などが
 大気圏に突入して
 燃え尽きる際に光る「火球」ではないかと・・・
 北海道函館市の函館山に設置されたNHKのカメラ
 北海道北部の利尻島に設置されたカメラ
 オホーツク海側の斜里町ウトロに設置されたカメラには
 上空や海面が一瞬、青く光る様子が捉えられていた・・・
 ツイッター上でも、札幌や函館などの広い範囲で
 「火の玉のようなものを見た」などという書き込み投稿・・・
 情報源は(Twitter)から・・・
ーーーーー
 ETV・札幌(Ch.2)
 22;00
 フランケンシュタインの誘惑
 第二話
 「放射能 マリーが愛した光線」
 科学史の闇に迫る知的エンターテインメント
 「フランケンシュタインの誘惑」
 Eテレ
 偉人マリー・キュリーの
 「放射能への愛」の悲劇
 マリア・スクウォドフスカ=キュリー
 (Maria Skłodowska-Curie)
 1867年11月7日    1934年7月4日
 丁卯(甲・ ・乙)⇔ 甲戌(辛・丁・戊)
 辛亥(戊・甲・壬)⇔ 庚午(丙・ ・丁)
 辛卯(甲・ ・乙)⇔ 丙子(壬・ ・癸)
  午未=空亡
 放射能泉
 ラジウム温泉
 微量のラジウム、ラドン
 およびアスタチンから水銀までの
 原子核崩壊によって生じる
 放射性同位体が含まれる温泉
 ラジウムが崩壊したものを
 ラドン・・・ラドン温泉=ラジウム温泉・・・健康にイイ
 ラジウム-228は、骨の癌を引き起こし、細胞を壊死させる
 ↓↑
 ラジウム・ガール
 ラジウム・ガールズ(Radium Girls)
 夜光塗料を
 時計の文字盤に塗ることで
 ラジウム被爆(放射線被爆)
 にかかった
 アメリカの
 女性工場労働者(14歳~)である
 このような塗装作業は
 アメリカ合衆国内の
 3つの事業所で行われていた
 ニュージャージー州オレンジ(Orange、1917年頃~)
 イリノイ州オタワ市(Ottawa, Illinois・1920年代前半~)
 コネチカット州ウォーターバリーの施設
 「ラジウム・ガールズ」という語は、
 今ではこれらの施設で働いていた女性を指す・・・
 呼称は
 「ゴースト・ガールズ」に変わった
 ラジウムの蛍光塗料を筆先に浸し、
         その筆先を舐めって
         文字盤に塗った
 「リップ、ディップ、ペイント」
  lip   dip   paint
 「唇をつけろ、ちょっと浸(つ)けろ、塗れ」
 勤務時間が終わるころには
 被爆した。そして
 彼女たち自身が暗闇で光るようになっていた
 ラジウム放射線によって下顎の骨が肥大化し
 死亡する従業員が増えていった

 ・・・ニャンコのモモとブブの眼も夜光塗料だったのかな・・・
 ナゼ、「眼(ガン・ゲン)=目+艮=め・まなこ」なんだろう・・・
 「eye=アイ」・・・
 「胡孫眼=さるのこしかけ=猿の腰掛け」?
  胡(えびす・コ・ウ)の
  孫(まご・ソン)の
  眼(め・まなこ・ガン・ゲン)
 「猿の腰掛け」・・・無柄で傘が棚状になる茸(きのこ)の総称
 「猿滑=さるすべり=百日紅=紫薇」じゃぁない・・・
ーーーーー
 猿目・・・???・・・眼玉がデッカイのは「シュメール」人?

 大英博物館(youtube)
https://www.youtube.com/watch?v=g4tfiOP8Qkw
 「シュメール(アッカド語 Šumeru)は、メソポタミア(イラク・クウェート)南部を占めるバビロニアの南半分の地域、またはそこに興った最古の都市文明・初期のメソポタミア文明とされ、チグリス川とユーフラテス川の間の間に栄えた・・・
 シュメール人は自らを
 「ウンサンギガ=黒頭の民」・・・有無算木(纂義)臥?
 (シュメール語 ùĝ saĝ gíg-ga・発音uŋ saŋ giga)
 「黒頭の民」と呼び、・・・黒陶の民?=山東省
                   竜山鎮城子崖遺跡から発見
 その土地を
 「キエンギ(シュメール語 ki-en-ĝir15
     ・・・亀=キ=己・・・玄武=蛇+亀=北・北極?
          生縁起?
  君主たちの地)と呼んでいた」
 「シュメール」=アッカド人により用いられた異称
 アッカド語の「シュメール」・・・主瞳重留?
 「メソポタミア南部のシュメール人地域」の方言
 「キエンガ=カンガ」・・・亀円画・漢河=天河
 シュメールとは単に言語学的な概念・・・?
 「言語学的シュメール人」・・・?
 シュメール語は孤立した言語であり
 近縁関係にある言語をもっていない・・・?
 シュメールの
 言語、文化、外見も
 周囲のセム系の民族とは異なっていた
 シュメールの
 男子像を見る限り
 大きく彫りの深い目・・・・・・・・・・アイヌ?
 高い鼻
 巻き毛で髭が多い
 など
 セム系と変わりないような
 容貌をした像もあり・・・「混血」が著しかった・・・
 民族系統は未だ謎・・・セム系と変わりない
 アッカド王朝以前の遺跡の
 シュメール人の容貌
 剃髪し
 彫りの浅い
 髭のない
 傾向が多く・・・
 アッカド人とは区別できる・・・
 創世記では洪水後
 シナル(シュメール地方)に住み・・・シナル=支那留(流)?
 「東からやってきた人々」とされ・・・東から=中国+極東
 言語的また容貌的観点から
 モンゴロイドである可能性・・・アイヌ・・・?
 シュメール人は
 征服民か移住民・・・
 移住の時期
 地理的な起源
 などは不明
 シュメール人は
 メソポタミア平原の出自・・・

 ↓↑
 シュメール文明後
 アッカド
 バビロニアの支配
 バビロニアが
 ペルシャ帝国に併合されて
 シュメール人が姿を消すまで続いた・・・
 (Wikipedia)
ーーーーー
 ・・・シュメール文化
 紀元前4000年~紀元前3901年まで
 ↓↑
 紀元前5000年~紀元前3000年
 仰韶(ギョウショウ・ヤンシャオ)文化
 黄河文明で彩陶と呼ばれる土器が有名
 黒の彩陶で人面、動物、および幾何学模様を作成

 半坡陶符(ハンハ トウフ)文字・・・半端(頗)ないッテ?
 国西安市の半坡遺跡から出土
 新石器時代の
 文字に近い形態の記号の一種・・・漢字の起源?
 半坡陶符(ハンハ トウフ)文字は
 シュメール文字に類字(類似)している・・・「麦」の文字

 ↓↑
 シュメール農業
 灌漑農業
 灌漑は
 羽根つるべ・運河・水路・堤防・堰・貯蔵庫
 を使って行われた
 ↓↑
 シュメールの神々
 地母神ナンム
 愛の女神
 イナンナ
 or
 イシュタル
 風神エンリル
 雷神マルドゥク
ーー↓↑ーー

 ウル第三王朝(3rd dynasty of Ur)
 紀元前22世紀~紀元前21世紀
 ウルの軍事司令官
 ウル・ナンムが自立し
 前22世紀末に
 ウル第三王朝を建国
 ウル・ナンムは
 神殿の建築や運河の建設
 ウル・ナンム法典を定めた
 この法典は
 のちに
 古バビロニア王国でまとめられる
 ハンムラビ法典に影響を与えた
 第2代シュルギの時代までに
 行政機構が確立
 王権の神格化も進んだ
 王朝は
 アムル人やエラム人の侵入に苦慮
 シュルギ王
 シュ・シン王
 は侵入を防ぐために防壁を設けた
 ↓↑
 紀元前2004年(or紀元前1940年)
 シュ・シンの息子
 イビ・シン王の時代に
 エラムが侵攻するとウルは陥落
 エラム人によって王は東方へ連行され
 ウル第三王朝は滅亡
 後
 都市国家バビロンは
 アムル人の影響下に置かれ
 紀元前1830年
 バビロン第1王朝が誕生
 紀元前18世紀に
 第6代の王
 ハンムラビが
 メソポタミアを再統一
 アッシュールは
 紀元前1813年
 アムル人の
 シャムシ・アダド1世が
 古アッシリア王国の
 エリシュム2世を破って新王に即位
 が
 ヒッタイトの台頭に押された
 中アッシリア王国の時代
 当初は
 フルリ人の
 ミタンニ王国勢力圏下に置かれたが
 アッシュール・ウバリト1世の治世に
 ミタンニ王国の影響下を脱し
 バビロニアを征服して
 古代オリエントの一大勢力となった・・・
 歴代君主
 ウル・ナンム(前2113頃~前2096頃)
 シュルギ  (前2095頃~前2048頃)
 アマル・シン(前2047頃~前2038頃)
 シュ・シン (前2037頃~前2030頃)
 イビ・シン (前2029頃~前2006頃)
 ・・・「ジッグラト=ジグラート(英語 Ziggurat
              アッカド語 ziqqurat)
     古代メソポタミアで
     日乾煉瓦を用い数階層に組み上げ
     建てられた巨大な聖塔(高い所)」
     シュメール語でジッグラトを表す語は
    「エ・ウ・ニル(驚きの家・高い所)」
         ・・・高木神=高皇産霊尊
               =高御産巣日神
           =別天津神の一柱
            別天津神(ことあまつかみ)
            天地開闢にあらわれた
            五柱の神々(古事記)
           =2番目に生まれた神
           =八百万神に先駆け
            天之御中主神
            神産巣日神とともに
            最初に高天原に成りました神
            造化三神の一神
            子に
            思金神(おもいかね)
            栲幡千千姫命(たくはたちぢひめ)
            ↓↑
            天照大神の御子神
            天忍穂耳命(あめのおしほほみ)が
            高御産巣日神の娘
            栲幡千千姫命と結婚し
            生まれたのが
            天孫-邇邇芸命
            高木神=高皇産霊尊
               =高御産巣日神
            は
            天孫邇邇芸命の外祖父
      高良山=高皇産霊神(高牟礼神)が鎮座
          高牟礼山と呼ばれていた
      ・・・「警告・避難・安全」の場?
 ↓↑   ↓↑
     ウルのジッグラト(エ・テメン・ニグル)
     紀元前2100年頃
     ウル第三王朝のウル・ナンムが建造
     規模は
     第一層が底面62.5m×43m、高さ11m
     ・・・外壁基底部に
        瀝青(コールタール)塗装で防水塗装
 ↓↑   ↓↑     
     第二層が底面38.2m×26.4m、高さ5.7m
     最上部に月神ナンナを祀る神殿
 ↓↑   ↓↑
     ドゥル・シャッルキン(コルサバード)
     紀元前八世紀末
     アッシリア帝国時代
     サルゴン2世によって建造
     基部が長方形であったウルのジッグラドとは異なり
     各辺が約43mの正方形の基部
     中心部の周りを左回りに螺旋状に
     七回巻く傾斜路によって頂上に達する
     傾斜路の幅は1,8m
     正方形の基部と螺旋状の傾斜路の構造は
     新バビロニア時代の
     バビロンの
     ジッグラト(エ・テメン・アン・キ)と同様
     四層までの外壁に
     下部からそれぞれ
     白、黒、赤、青の彩色が確認
     青は瀝青(コールタール)・・・
ーーーーー
  エ・テメン・アン・キ・・・
 「重・出莬(菟=月)・安・基」?
 (シュメール語 Etemenanki)
 天と地の基礎となる建物・・・という意味
 シュメール人が建設を開始し、工事が中断
 それを
 カルデア人の・・・軽皇子=珂瑠皇子=文武・孝徳天皇
          孝徳天皇二年(大化二年)春正月甲子朔
         (西暦646年)の「改新の詔」に基づく政治改革
 新バビロニア王国時代の
 紀元前7世紀末に
 ナボポラッサル王が再建に着手
 紀元前6世紀前半に
 その長男
 ネブカドネザル2世王の時に完成
 バビロンの
 マルドゥク神殿(エサギラ)の・・・丸(円)度得矩・重差規等?
 中心部に築かれたジッグラト(聖塔)・・・字通具等斗
 底面約91m×約91m、
 高さ約90~91m(高さは推定)の
 7層建て
 各層が七曜を表し
 1階が土星、2階が木星、3階が火星
 4階が太陽、5階が金星、6階が水星
 7階が月であった
 バビロニアの天文学で
 地球から遠い順に
 「土星・木星・火星・太陽・金星・水星・月」
 と考えられていた
 各層には神室があり
 頂上(7階)には
 神殿(至聖所)があった・・・
 ↓↑
 シェーンコレクション
 (ノルウェーの実業家
  マーティン・シェーン(Martin Schøyen)
  が
  設立した書物収集団体)が所有する
  紀元前604年〜562年頃の
  黒い石碑に刻まれた碑文と絵と
  バビロンの遺跡に残る遺構から判明・・・
ーーーー
 ・・・だから、ナニ・・・
 「ベルリンの壁」は1989年11月9日に
 崩壊させた「平和の壁(Peace Wall)」
 北アイルランドの首府ベルファスト(Belfast)には
 カトリック系住民と
 プロテスタント系住民の居住区を隔てる壁がある・・・
 この21世紀の現代に
 ネタニヤフ(1949年10月21日)も壁を延々と・・・
 己丑(癸・辛・己)
 甲戌(辛・丁・戊)
 甲申(己・壬・庚)
  午未=空亡
 ・・・金属製の靴の中に入ったデザートを
    安倍夫妻に出した・・・ナゼ?
 同類の
 トランプ(1946年6月14日)
 丙戌(辛・丁・戊)
 甲午(丙・ ・丁)
 己未(丁・乙・己)⇔戊午(丙・ ・丁)
  子丑=空亡
 アメリカ不動産で資本を貯め込んだ
 彼が「アメリカ白人労働者」の権利を護るなどとは有り得ない
 ・・・「ラジウム・ガールス」・・・
 ・・・多分、彼は米国人ではないカモ・・・?
 「侵入を防ぐために防壁」を設け続けている・・・
 城壁の有る都市はイズレ陥落する・・・
 「悪貨は良貨を駆逐する」のは自然なんだが・・・?
 ↓↑ ↓↑
 ・・・・

1984年・シリア、イラクは「慄=心+西+十+八」?

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 ・・・まさか、謀略事故?・・・「日本時間午後5時50分ごろ、台湾東部の宜蘭県で台湾鉄道の特急列車が脱線事故」?!・・・2018年10月21日(日)、今夜はここ蝦夷地ではハッキリ「十三夜の月」が観える二十一時・・・「十三夜」と「栗(くり)名(な)月(つき・ゲツ⇔月)」、「月=肉(にく・ジク)=舟(ふね・ふな・シュウ・シュ)」・・・「月=ゲツ=解通」?・・・「月=ガツ=臥通」・・・「月=つき・づき=尽・搗・突・撞・衝・着・点・築・槻・付・憑」?・・・「十三夜」が金曜日と重なる時はあるのか?・・・「栗(西+十+八)=リツ・リ・くり・おののく・きびしい・ブナ科の落葉高木・栗子・おそれる・おののく・きびしい・栗烈・異体字は「傈・𡨓・㮚・𣗴・𣡷・𣡼・凓・慄・𠘍・𢢙・𤠫」・繁体字は「凓・慄」・・・戦慄」・・・「名(夕+口)=メイ・ミョウ・な」、異体字は「命・䫤・詺・銘」・・・耶蘇教・基督教・吉利支丹・切支丹・・・

ーーーーー
 十三夜の月
  ・・・栗名月・豆名月⇔円ではない
             満月ではない
         歪んでいる形の
         満月の二日前の月
         楕円・勾玉形?
 十三夜とは
 十五夜の約一ヶ月後に巡ってくる月
 旧暦の9月13日頃の月
 新暦では10月の中旬から下旬ごろ
 「後の月(のちのつき)」
 「二夜の月(ふたよのつき)」・・・似よる之(の・シ)通記?
 などの異名・・・
ーーーーー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%88%E3%83%A9
 ↓↑


 イワーン=イーワーン・・・・・・・・磐武・意倭務・違和武?
      (ペルシア語 eyvān
       アラビア語 īwān
          英語 Iwan)
      イスラーム建築
      一方が完全に開き
      三方が壁で囲まれ
      柱がない大空間で・・・「柱=命」が無?
      天井がアーチ状・・・・「鴉蛙地(知)」?
               ・・・日月知・・・
      となっているホール・・・穴・孔・坑・阿那・阿奈
 ハトラ神殿
 ハトラ・・・鳩羅・斑鳩?・・・ハ虎・葉寅?・・・壬申の乱?
 (アラム 語 Ḥaṭrā
  アラビア語 al-Ḥaḍr)
 座標 北緯35度35分17秒
    東経42度43分06秒
 ハトラ(イラク)
 アルケサス朝・・・有る化指す?
 パルティア・・・・葉瑠出意蛙
 の領内にあった
 ハトラ
 イラク北部のモースル州の南西約100km
 サルサル・ワジ川・・・猿・申・沙流・和字選?
            猿ヶ森砂丘(別名、下北砂丘、青森県)
      「鳥取砂丘・猿ヶ森砂丘・庄内砂丘
            石狩砂丘・志多見砂丘」
 のほとりの
 砂漠地帯・・・・・・・鳥取or陸奥(猿ヶ森砂丘)
 都市遺跡
 ハトラの太陽神殿には
 イワーン形式の建物
 パルティア帝国の主要都市
 ↓↑
 パルティア(前247年~後224年)
 古代イランの王朝
 アルサケス朝(アルシャク朝)とも
 アルサケス朝パルティア
 と表記も
 前3世紀半ば
 中央アジアの遊牧民の族長
 アルサケス1世(アルシャク1世・・・有る差化州・有る釈)
 によって建国
 ミトラダテス1世(ミフルダート1世)・・・見虎-伊達-州?
 在位、前171年~前138年
 以降
 イラク、トルコ東部、イラン
 トルクメニスタン・・・・・取る句女似州譚?
 アフガニスタン西部
 パキスタン西部
 の西アジアの範囲を支配
 住民の多くは
 セム系の
 アラム人やアラブ人
 イラン系の人々も住んでいた
 前1世紀以降
 ローマと衝突
 アルメニア・・・有る女似蛙?
 や
 シリア・・・・・「知り・尻・臀・私利・後」を蛙(かえる)?
 メソポタミア
 バビロニア
 の支配を巡って争った 
 紀元116年~198年の間
 ローマ軍の攻撃
 117年
 トラヤヌス帝は・・・・・・・虎殺怒州綴?
 ハトラの近郊までやってき指揮・・・後、撤退
 ↓↑
 116年のトラヤヌス帝
 216年のカラカラ帝
 の襲撃をも退けた
 ハトラだったが
 末期には
 王位継承を巡る内乱の中で
 自立した
 ペルシスの支配者
 アルダシール1世(在位226年~240年)
 によって滅ぼされ
 サーサーン朝ペルシアによって征服・破壊
 ↓↑
 NHKTV
 1984年
 ↓↑
 パルミラの「女王」
 ゼノビア(ラテン語 Zenobia
      Iulia (or Julia) Aurelia Zenobia」
      公文書には「Bat-Zabbai=Al-Zabbaの娘の意味」
      「戦士女王(Warrior Queen)」
 3世紀の
 パルミラ王国の「女王」
 パルミラにある
 ギリシア語・パルミラ語合璧碑文では
 パルミラ語(アラム語パルミラ方言)で
 「最も傑出した敬虔なる女王
  セプティミア=バト=ザッバイ」
 273年・・・⇔卑弥呼(生年不明~242年~248年)
 ↓↑    景初二年(239年)12月
       卑弥呼、難升米らを魏に派遣
       正始元年(240年)
       帯方郡から魏の使者
       詔書、印綬を奉じて
       倭王に拝受
       正始四年(243年)12月
       大夫の伊聲耆、掖邪狗ら八人を
       復遣使として魏に派遣
       掖邪狗らは率善中郎将の印綬を受けた
       正始六年(245年)
       難升米に黄幢を授与
 ↓↑    正始八年(247年)
       倭は載斯、烏越らを帯方郡に派遣
       狗奴国との戦いを報告
       魏は張政を倭に派遣
       難升米に詔書、黄幢を授与
       卑弥呼死亡
       男王が立つが、国が混乱
       卑弥呼の宗女
      「壹與・臺與」を
       13歳で王に立て鎮定
 ↓↑    秦始二年(266年)・・・266年
       倭の女王の使者が朝貢(晋書)
       287年(三国史記)
       倭軍が新羅に攻め入り
 ↓↑    一礼部(地名)を襲撃して火攻め
 パルミラ王国瓦解
 ガリア帝国も
 ローマへ統合した
 アウレリアヌス
 の凱旋式でローマ市内を引き回された
 ゼノビアは黄金の鎖で自らを縛り
 その美貌と威厳をローマ市民に示した・・・
 凱旋式の後
 ローマ国内の
 ティブル(ティヴォリ)の
 ウィッラ・ハドリアナの近郊に
 高級な別荘(ヴィラ)を与えられ
 社交界で活躍し贅沢に暮らした
 ゼノビアは
 ローマの元老院議員
 と再婚し、数人の娘にも恵まれ
 娘達もローマの貴族と結婚した・・・
 ゼノビアに勝利した
 アウレリアヌス(275年暗殺)・・・秦始二年(266年)
      ・・・275年⇔266年=秦始二年・壹與=臺與
         275-266=9
 よりも長く生きた・・・
 アウレリアヌス・・・合う例理鴉(蛙)奴主?
 ↓↑
 パルミラ・・・・・・原見等・原観羅・葉留見等?
 ベル大神殿・・・・・部留
 ↓↑
 2018/10/21
 13:50
 あの日 あのとき あの番組
 失われた街をたずねて~
 シルクロード・シリアの旅
 人類共通の遺産・世界遺産が
 内戦やテロで危機にさらされている
 NHK特集のシリーズ
 「シルクロード」に
 記録された在りし日の
 遺跡や暮らしから、
 平和について考える
ーーーーー
 アッシュール(アッカド語 Aššūrāyu
        アッシリア語 ašsur)
 アッシリアの
 最初の首都となった
 チグリス川西岸の都市
 それを中心とする地域
 その主神
 現在のイラクの
 カラト・シャルカト
 サラーフッディーン県に位置
 ↓↑
 アッシュール
 「都市アッシュール」
 それを中心とした地域で「アッシュールの地」
 それらを守護する「アッシュール神」が
 同一の名前
 粘土板文書では
 発音されない限定符によって
 三者が区別
 ↓↑
 都市アッシュール
 𒌷(ウル)・𒀸𒋗𒁺 𐎹(アッシュール)と表記
 ↓↑
 アッシュールの地
 𒀸𒋗𒁺 𐎹(アッシュール)・𒆠(キ)と表記
 ↓↑
 アッシュール神
 アッシュール市そのものが神格化された神
 配偶神は
 ムリッス女神
 (バビロニアの
  エンリル神の
  配偶神
  ニンニル)・・・人似る?
 ↓↑
 サルゴン二世・・・・「沙流・猿・申」+「言」?
 (BC721~705)
 アッシュール神が世界創造時からの神
 エヌマ・エリシュにおいて
 アヌ (メソポタミア神話)の父とされる
 アンシャルと習合された
 アンシャルが選ばれた理由は
 名前の類似による・・・「名前の類似」デス・・・?
 ↓↑
 次代の
 センナケリブ(BC704~681)により行われた
 アッシュル至上主義的宗教改革により
 マルドゥク・・・丸(円)度得句=360度
 のものであった
 エヌマ・エリシュ
 新年祭などでの主神の座を奪い
 名実共に最高神の地位に就く
 ↓↑
 治世のほぼ20年間
 バビロンより奪われた
 マルドゥク神像は
 アッシュール市に留め置かれ
 バビロニアでは
 新年際が開催されることはなかった
 𒀭(ディンギル、en:Dingir)・・・出音義留?
 ・
 𒀸𒋗𒁺 𐎹(アッシュール)
 と表記
 ↓↑
 紀元前14世紀後半から
 アッシュール-ナシルパル2世・・・ナシルパル=名詞留葉流
 の世まで
 新アッシリア国王の都市
 アッシュールナシルパル2世によって
 紀元前883年に
 カルフ(ニムルド)・・・軽附(似武留土)
 へ首都が移された後は
 イシュタル(イシス)
 と
 アッシュールの神殿とともに
 アッシリアの宗教的な重要性を維持し続けた
 ↓↑
 アッシュールは
 シン・シャル・イシュクン
 の治世の紀元前614年に
 新バビロニアの
 ナボポラッサル
 と
 メディア王国の
 キュアクサレス2世
 の連合軍によって征服された
ーーーーー
 ・・・???・・・

宵待ち草・まつよいづき・弥立つ=いよたつ・イヨ=伊予=伊豫=壱与・・・起つ・発つ・奪つ?

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 ・・・今夜は十四夜の月・・・月曜日・・・「待宵月(まつよいづき)・小望月(こもちづき・こぼうげつ)・幾望(キボウ)」・・・昨夜は「栗(くり)名月」ならば、今夜は「粟(あわ)名月」かな?・・・「粟=あわ・ゾク・ショク・ソク=覀+米=異体字は、𠧼・䅇・𥟫・𥸫・𥹟・𥻆・𥾄」・・・「𠧼=ト+冂+又+瓜」、「𥟫=𠧧+禾」、「𥸫=凢+米」、「𥟫=卥+禾」、「𥻆=ト+肉+一+米」、「𥾄=𠨋+米」・・・粟肌・鳥肌・・・「肌が粟立つ・恐ろしさに震えたり寒気を感じたりするさま・戦(おののく=慄く)・震えおののく・戦慄する・肌が粟立つ ・ ビビる・震え上がる・怯える・恐怖に包まれる・恐怖に支配される・慄然とする」・・・「身の毛がよだつ(弥立つ=いよたつ・与奪?・夜立つ?・逆立つ)」?・・・

 ならば「伊予立つ」・・・十三歳の「壱與=壹與⇔台與=臺與」?・・・『晋書』の「泰始二(266)年」・・・
ーーーーー
 旧暦九月十四日(戊戌/壬戌/丁亥)月齢13.43・仏滅・・・年始から287日目(閏年は288日目)、年末まで78日・・・夫婦の日?・・・毎月の22日=「22⇔フーフ」・・・「念弐」・・・封附・・・
 「積木くずし(つみきくずし)・親と子の二百日戦争」・・・
 1931年7月20日 - 2018年10月19日
 辛未(丁・乙・己)⇔戊戌(辛・丁・戊)
 乙未(丁・乙・己)⇔壬戌(辛・丁・戊)
 丙子(壬・ ・癸)⇔甲申(己・壬・庚)
  申酉=空亡  大運丁亥(戊・甲・壬)
  ↓↑
 1967年12月16日 - 2003年8月13日or14日
 丁未(丁・乙・己)⇔癸未(丁・乙・己)
 壬子(壬・ ・癸)⇔庚申(己・壬・庚)
 甲寅(己・丙・甲)⇔戊午(丙・ ・丁)
  子丑=空亡  大運甲寅(己・丙・甲)・乙卯(甲・ ・乙)
ーーーーー
 ???・・・ドウジョウよりもカネ・・・?

  弥立つ=いよたつ・・・イヨ=伊予=伊豫=壱与・・・
 「壱與=壹與⇔台與=臺與」立つ・・・起つ・発つ・奪つ?

 「身の毛が-よだつ(弥立つ)=いよたつ・与奪・夜立つ・逆立つ)」?・・・

「壹與・臺與・台与」・位置与・貸与・鯛与・太預・碓与

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 ・・・ジャーナリストの暗殺・・・捕虜の解放・・・「ドイツ(独乙・独逸・何奴)帝国、第一次世界大戦の休戦協定に調印=1918年11月11日午前11時、発効」・・・「11月11日午前11時」・・・「十一月、十一日、午前十一時」・・・「拾壱月(ジク=肉・シュウ=舟)、拾壱日(ひ=比・卑)、午前(ゴゼン=御膳・語全・語選)-拾壱時(ジ=字・事・持・辞・似・示・爾・似・丹)」・・・「足壹月(つき=槻・ゲツ=解通・ガツ=臥通)、足壹日(ジツ=字通・ニチ=似知・似地)、午前(語撰・うままえ=宇摩真重・旨舞・埋萬重)、足壹時(とき=解き・朱鷺・鴇・土岐・斎)」・・・
 「壹與・臺與・台与」・・・位置与・・・貸与・鯛与・太預・・・

 新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)
 戊辰(乙・癸・戊)
 壬戌(辛・丁・戊)
 壬午(丙・ ・丁)
 申酉=空亡
 ↓↑
 新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日=明治元年1月1日)
 丁卯(甲・ ・乙)
 癸丑(癸・辛・己)
 辛亥(戊・甲・壬)
 寅卯=空亡
 ↓↑
 大日本帝國憲法
 1889年(明治22年)2月11日に公布・・・22・2・11
 ↓↑       1890年(明治23年)11月29日に施行
 己丑(癸・辛・己)⇔庚寅(己・丙・甲)
 丙寅(己・丙・甲)⇔丁亥(戊・甲・壬)
 戊午(丙・ ・丁)⇔甲寅(己・丙・甲)
  子丑=空亡     子丑=空亡
 ↓↑         ↓↑
 治安維持法
 1925年(大正14年)4月22日法律第46号
 乙丑(癸・辛・己)
 庚辰(乙・癸・戊)
 丙子(壬・ ・癸)
 申酉=空亡
 ↓↑
 1941年(昭和16年)3月10日法律第54号
 辛巳(戊・庚・丙)
 辛卯(甲・ ・乙)
 丁巳(戊・庚・丙)
 子丑=空亡
 ↓↑
 治安維持法・・・
 目的遂行罪・・・
 自白強要・訊問調書・・・10万1654人検挙
ーーーーー
 第一次世界大戦(World War I)
 1914年7月28日~1918年11月11日11時
        (ドイツの降伏・・・幸福)
 甲寅(己・丙・甲)⇔戊午(丙・ ・丁)
 辛未(丁・乙・己)⇔癸亥(戊・甲・壬)
 乙卯(甲・ ・乙)⇔壬戌(辛・丁・戊)
  子丑=空亡   ⇔戊辰(乙・癸・戊)
 ↓↑
 第一次世界大戦(World War I)
 4年3ヶ月
 三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)
 三国協商(イギリス・フランス・ロシア)
 ↓↑
 1914年6月28日(サラエボ事件)
 オーストリア=ハンガリー帝国皇位継承者
 フランツ・フェルディナント大公夫妻が
 サラエヴォにおいて
 セルビア人民族主義者に暗殺
 ↓↑
 1914年8月23日
 日本、ドイツに宣戦布告
 ↓↑
 1914年8月27日~11月7日
 青島の戦い
 日本・イギリス連合軍が
 中国における
 ドイツの拠点港の
 青島を占領
 ↓↑
 1917年3月15日
 二月革命
 ロシア帝国皇帝
 ニコライ2世退位
 「ブルジョワ(?)」・・・プチブルだろう・・・
 臨時政府の成立
 ↓↑
 封印列車
 ふういんれっしゃ
 Sealed Train
 敵国ドイツを通過して
 ロシアに帰ったレーニンの列車
 1917年4月9日
 スイスを出発
 ドイツ、スウェーデン、フィンランド
 を経て
 4月16日(露暦同3日)夜
 ペトログラード
 (サンクト・ペテルブルグ)に到着
 レーニンは
 翌日
 「四月テーゼ」を発表
 ↓↑
 1917年4月6日
 アメリカ合衆国、・・・ブルジョワ階級合衆国?
 ドイツに宣戦布告
 ↓↑
 トーマス・エドワード・ロレンス・・・亜剌比亜のロレンス
  (Thomas Edward Lawrence)
   1888年8月16日~1935年5月19日
 戊子(壬・ ・癸)⇔   ⇔乙亥(戊・甲・壬)
  三合壬           冲戊
 庚申(己・壬・庚)⇔支合庚⇔辛巳(戊・庚・丙)
 己未(丁・乙・己)⇔   ⇔戊戌(辛・丁・戊)
  子丑=空亡       オートバイ事故死(傷官・正財)?
 ↓↑ ↓↑
   イギリスの軍人、考古学者
   オスマン帝国
   に対する
   アラブ人の反乱(アラブ反乱)を支援
 ↓↑ ↓↑ ↓↑
   1914年7月28日
   第一次世界大戦勃発
   ロレンスは
   10月に召集され
   イギリス陸軍省
   作戦部地図課に勤務
   臨時陸軍中尉に任官後
   12月
   カイロの
   陸軍情報部に転属
   軍用地図作成
   通訳連絡係を務める
   1916年10月
   新設
   外務省管轄下の
   アラブ局に転属
   3月に大尉昇進
   アラビア半島旅行
   オスマン帝国に対する
   アラブの反乱の指導者たちに会った
 ↓↑ ↓↑
   情報将校
   ロレンスは
   ハーシム家当主
   フサイン・イブン・アリーの
   三男
   ファイサル・イブン・フサイン
   と接触
   ファイサル1世
   とその配下の
   ゲリラ部隊に
   共闘を申し出
   オスマン帝国軍と各地で
   ゲリラ戦を行い
   ヒジャーズ鉄道を破壊
   イギリス軍の
   スエズ運河防衛
   パレスチナ進軍を助けた
 ↓↑ ↓↑
   ロレンスとアラブ人の部隊は
   紅海北部の海岸の町
   アル・ワジュ攻略

[
 ↓↑ ↓↑
   1917年5月9日
   ロレンスの一行は
   ファイサルの本隊と別れて
   紅海沿岸の町
   ワジュフを出発
   直線距離で北方500キロの
   ワーディー・スィルハーン経由の大迂回で
   アカバ
   のトルコ軍基地を
   背後から急襲する遠征に出た
   7月6日
   アカバを占領
 ↓↑ ↓↑
   オスマン帝国軍は
   ヒジャーズのメッカへの侵攻をあきらめ
   メディナと鉄道沿線の拠点を死守
   ロレンスは
   アカバを奇襲、陥落させた
   少佐に昇進
 ↓↑ ↓↑
   1918年
   ロレンスは
   ダマスカス占領で
   中佐に昇進
 ↓↑
 1918年11月2日
 イギリス外務大臣
 アーサー・ジェームス・バルフォアが
 ユダヤ人コミュニティーの指導者
 ウォルター・ロスチャイルドに
 書簡で
 パレスチナにおける
 ユダヤ人居住地(ナショナルホーム)
 の建設を支持する旨を表明(バルフォア宣言)
 ↓↑
 1918年11月7日
 ロシアで
 十月革命
 ボルシェヴィキ政権
 ↓↑
 1918年12月23日
 ロシア、
 ドイツと休戦協定を締結
 ↓↑ ↓↑
 1918年1月8日
 アメリカ合衆国大統領
 ウッドロウ・ウィルソン
 合衆国議会で
 十四か条の平和原則を発表
 ↓↑ ↓↑
 1918年3月3日
 ロシア共和国(ボリシェヴィキ政府)
 外務人民委員
 レフ・トロツキー
 と中央同盟国間において、講和条約が締結
 ロシアが第一次世界大戦から離脱
 ↓↑
 1918年10月29日
 ドイツ
 ウィルヘルムスハーフェン近郊で
 ドイツ海軍大洋艦隊所属の船員による
 一連の反乱が発生(キール反乱)
 ↓↑
 1918年11月11日
 中央ヨーロッパ時間 (CET) 午前6時
 フランスのコンピエーニュの森で
 ドイツは連合国と
 休戦協定に調印
 11月11日午前11時、発効・・・・11/11/11・・・拾壱・・?
 ↓↑
 1919年1月18日
 連合国と中央同盟国との講和条約制定の
 パリ講和会議がフランス、パリで始まる
 1919年1月25日
 講和会議において、国際連盟の設立提案が承認
 1919年5月15日
 ギリシャ王国軍がトルコに侵攻を開始
 (希土戦争1919年~1922年)
 1919年6月28日
 連合国とドイツの
 講和条約
 ヴェルサイユ条約調印
ーーーーー
 1920年1月10日
 国際連盟の初会合が
 ロンドンで開催
 1月21日
 パリ講和会議が終会
 11月1日
 国際連盟本部が
 スイス、ジュネーヴに移動
 11月15日
 国際連盟
 第1回総会開会
 ↓↑
 1922年2月6日
 軍艦の保有制限について定めた
 ワシントン海軍軍縮条約が
 アメリカ、イギリス、日本、
 フランス、イタリア
 の5か国によって調印
ーーーーー
 鶴舞(つるまい、つるま)
 ↓↑
 日本の地名
 埼玉県坂戸市の町名⇒鶴舞 (坂戸市)
 愛知県名古屋市昭和区の町名⇒鶴舞 (名古屋市)
 千葉県市原市の町名⇒鶴舞 (市原市)
 ↓↑
 鶴舞藩=市原市鶴舞に存在した
 鶴舞町=千葉県市原郡に属した町・市原市
 鶴舞城=秋田県由利本荘市・本荘城の別名
 鶴舞城=静岡県掛川市・高天神城の別名
 舞鶴市=京都府北部(旧:丹後国)
     中丹地域圏に属し、舞鶴都市圏を形成
     日本海に面する港湾都市
     日本海の若狭湾に面し
     東西に分かれた舞鶴湾とリアス式海岸を持つ
     舞鶴湾口の東西に
     博奕岬と金ヶ岬
     古代
     舞鶴は旦波(丹波)に入っていた
     奈良時代
     丹波国は分割され
     舞鶴は
     丹後国-加佐郡
     南北朝時代
     醍醐寺の荘園が置かれていた
 ↓↑  ↓↑
    一色範光
    ↓↑・・・「イスラエル=以色列=伊色列」の範の光?
         範(のり)=手本・模範・範式・範例・規範
         師範・垂範・典範・文範・模範
         区切られた枠
         範囲・範疇
         広く行き渡る=広範
    ↓↑・・・一色=同色・ひといろ・いっしょく
        華道で、一種類の花木を生けること
       「万年青(おもと)を一色にいける」
        物事の一種類・同じ種類・ひとしな
    ↓↑ 「いちず」であること・・・「一途(いちず)」
        イチヅ=位置図・壹図・壹亠・壹頭・・・
    ↓↑  タイヅ=臺主・帯主⇔帯方・碓(大小の碓⇔小碓命)
    が北朝および室町幕府より・・・南北朝⇔南北朝鮮?⇔質張?
    丹後守護に任じられる・・・・・単語主語?
 ↓↑
 舞鶴・・・舞踏の丹頂鶴・・・鶴(たんちょう・カク)
           鶴=隺+鳥=靏
             異体字は
             鶴・鹤・隺・𩿖・鵠・鶮・䳽・𪇦
             鸖・𪈯・靎・靏・䧼・鹄
             たづ・つる・カク
      1133年の詩序集が丹頂という名称の初出
      越冬地は主に釧路湿原周辺・十勝、根室
      タン(丹)は「赤い」の意
      頭頂に裸出した皮膚に由来
 1945年(昭和20年)から13年に渡って
 66万人余りの引揚者が
 舞鶴に帰国
 「岸壁の母」が待ち続けた
 ↓↑
 651年頃
  笠(かさ)=竹+立
  評(こほり)・・・郡(こほり)・・・桑折・小折・氷・凍
  と呼ばれていた
 676年(天武五年)頃
  丹波国-訶紗郡
 696年頃
  旦波国-加佐評
 701年
  7世紀に丹波国に属する
  加佐評が
  加佐郡となる
 709年 丹波国-加佐郡
 713年(和銅六年)4月3日
  丹波国の北部5郡である
  加佐郡、与謝郡、丹波郡、竹野郡、熊野郡
  が分離して丹後国
  旧国郡制度の丹波国の北丹地区
  中丹は
  天田郡(あまだぐん:夜久野町・福知山市・三和町)
  何鹿郡(いかるがぐん:綾部市)
      斑鳩・鵤・・・如何留臥・烏賊留画・怒る我・医科留臥
  南丹は
  船井郡(ふないぐん:瑞穂町・和知町・丹波町・園部町・八木町)
  桑田郡(くわたぐん:美山町・京北町・亀岡市)
  西丹は
  氷上郡(ひかみ:市島・春日町・青垣町
          氷上町・栢原町・山南町)
  多紀郡(たきぐん:篠山市)
  丹波道主命
  舞鶴市東地区一帯
  息長の転訛といわれる
  行永(ゆきなが)地区を開拓
  古代丹後国
  加佐郡の
  志楽(しらく)郷
  高橋(くらはし)郷・・・?・・・高橋=たかはし
  を本拠とした・・・
ーーーーー
 浮島丸事件
 太平洋戦争終戦日の後
 1945年8月24日17時20分頃
 舞鶴港の京都府
 舞鶴市
 下佐波賀沖300mの地点で
 日本海軍特設運送艦
 浮島丸(4,730総トン、乗組員255名)が
 アメリカ軍が敷設した
 2,000ポンド音響式機械水雷
 に触雷して沈没
ーーーーー
 ・・・???・・・

『東雲新聞(1888)』・・・虚偽の情報ニュース

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 ・・・前々回の颱風でヤられた庭に咲いていた「バラ(薔薇)」だが、散ったバラの花弁の首根っこを切っておいたらそこから再度、蕾(つぼみ)をつけて桃色吐息である・・・
 TVの土曜ドラマ「フェイクニュース」・・・「どこか遠くの戦争の話(2018年10月20日&10月27日)」・・・
 「フェイクニュース=虚偽の情報でつくられたニュース・ネット上で発信・拡散されるうその記事・誹謗、中傷を目的にした個人発信の投稿などを含む」・・・
 「東雲-樹(しののめ・いつき)」
 東雲(しののめ・トウウン)
 古語、闇から光へと移行する夜明け前に茜色にそまる空
  暁(あかつき)→東雲→曙(あけぼの)の順で明ける経過表現
 姓名・神名人名、東雲別命(シノノメワケノミコト)
 あけぼの(曙・明保能)・夜明けのほのかに明るくなるころ
 「しののめ=篠(しの)の目」からの転訛
 昔、住居の明かり取りに用いた篠竹の編み物の編み目
 「網み目から夜明けの薄明かりが差し込む」の意
 古今和歌集・題しらず・寵(うつく)・640・恋
 ↓↑
 「しののめの
  別れを惜をしみ
  我(われ)
  ぞ・・・・・・「ぞ…つる」は係り結び
         「ぞ」は強意の係助詞
         「つる」は完了の助動詞「つ」の連体形
  まづ鳥より
  さきになきはじめ
  つる」・・・・「釣る・吊る・弦・蔓・鶴・津留・都留」?
 ↓↑
 東雲(しののめ)
 地名・・・全国にワンサカ・・・
 北海道上川郡上川町
 北海道函館市
 北海道上士幌町の湖→東雲湖
 大日本帝国海軍の駆逐艦→東雲型駆逐艦「東雲」
             吹雪型駆逐艦「東雲」
 海上保安庁の巡視艇→しののめ (巡視艇)
 『東雲新聞』
 1888年(明治二十一年)1月~1891年(明治二十四年)10月
 民権派の
 「中江兆民」が主筆
 熊本県二本木にあった
 遊郭「東雲楼」
 1900年(明治三十三年)
 娼妓がストライキ
 演歌『東雲節』に
 「東雲の ストライキさりとはつらいね
   てなことおっしゃいましたかね」
 と歌われた・・・
 ↓↑
 「東雲樹(しののめ・いつき)」?
    KK(1986年8月22日)
       丙寅(己・丙・甲)
        冲己
       丙申(己・壬・庚)
       戊戌(辛・丁・戊)
       辰巳=空亡
 ↓↑
 「あづまくもき・トウウンジュ」・・・?
 「猿滑」・・・「猿滑昇太」・・・「猿滑睦子」・・・?
 「猿滑=さるすべり=紫薇=さるすべり=百日紅」
ーーーーー
 薔薇戦争(Wars of the Roses)
 1455年5月~1485/1487年6月
 百年戦争終戦後に発生した
 イングランド中世封建諸侯による内乱
 プランタジネット家の
 男系傍流である
 ランカスター家
 と
 ヨーク家
 の、30年に及ぶ権力闘争
 最終的にはランカスター家の
 女系の血筋を引く
 テューダー家のヘンリー7世が
 ヨーク家を倒し
 ヨーク家の王女と結婚して
 テューダー朝を開いた
 ランカスター家が赤薔薇
 ヨーク   家が白薔薇
 をバッジ(記章)として戦った
 ↓↑
 薔薇十字団(Rosenkreuzer・ローゼンクロイツァー)
 中世から存在する秘密結社
 フリーメーソン第18階級
 The Rose and the Cross
 薔薇が象徴的に描かれた
 薔薇十字文書『至高善』
 ↓↑
 『酒とバラの日々(Days of Wine and Roses)』
 1962年制作のアメリカ映画
 ↓↑
 酒と麻薬、歌
 女性ロック・シンガー
 メアリー・ローズ・フォスター
 ジャニス・リン・ジョプリン
 (Janis Lyn Joplin)
 ↓↑
 1943年1月19日~1970年10月4日
 壬午(丙・ ・丁)⇔庚戌(辛・丁・戊)
 癸丑(癸・辛・己)⇔乙酉(庚・ ・辛)
 丁丑(癸・辛・己)⇔丁巳(戊・庚・丙)
  申酉=空亡
 丙子        丙辰
 ↓↑

 ローザ・ルクセンブルク・・・ロザリア
 (ドイツ語: Rosa Luxemburg
  ポーランド語:Róża Luksemburg
  ルジャ・ルクセンブルク)
  1870年3月5日~1919年1月15日
  庚午(丙・ ・丁)
   三合丙
  戊寅(己・丙・甲)
  庚子(壬・ ・癸)
  辰巳=空亡
  ↓↑
  1871年3月5日~1919年1月15日
  辛未(丁・乙・己)⇔戊午(丙・ ・丁)
  庚寅(己・丙・甲)⇔乙丑(癸・辛・己)
  合害
  乙巳(戊・庚・丙)⇔丁卯(甲・ ・乙)
   寅卯=空亡
 年生まれ・・・?
 ポーランドに生まれ
 ドイツで活動した
 政治理論家、哲学者、革命家
 ↓↑
 各国の労働者党
 民族主義=ナショナリズム(nationalism)
 が
 階級意識(en:Class consciousness)
 よりも濃厚
 ↓↑ ↓↑
 ナショナリズム(nationalism)
 民族、国家に対する
 個人の
世俗的忠誠心を内容とする感情
 もしくはイデオロギー・・・・?・・・個人的思想?
 ↓↑ ↓↑
 支配階級が洗脳目的で
 プロパガンダ(扇動)に利用する思想・・・PR
 プロパガンダ(羅語 propaganda)は
 特定の思想・世論・意識・行動
 へ誘導する意図を持った行為
 通常情報戦、心理戦
 宣伝戦、世論戦
 と和訳
 政治的目的の手段・・・
 ↓↑ ↓↑
 最初に
 プロパガンダと言う言葉を用いたのは
 1622年
 カトリック教会の
 布教聖省
  (Congregatio de Propaganda Fide・福音宣教省)
  の名称で
 ラテン語の「propagare(繁殖させる、種をまく)」に由来
 ↓↑ ↓↑
 宣伝や広告、広報活動、政治活動
 のプロパガンダ
 利益追求者(政治家・思想家・企業人)・・・個人的競争者
 利益集団(国家・政党・企業・宗教団体)
 敵対勢力の支持、行動を失墜させる手段
 「嘘、歪曲、情報操作、心理操作」
 と同義・・・
 団体の行動・広告などを
 「プロパガンダである」
 と主張する
 「プロパガンダ」・・・
 ウラジーミル・レーニンのソビエト連邦
 ヒトラーの国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)
 情報統制と大規模なプロパガンダ
 あらゆる政治的権力が
 プロパガンダを必要としている・・・
 ↓↑
 市民的及び政治的権利に関する
 国際規約(自由権規約)は
 戦争や人種差別を扇動する
 プロパガンダを法律で禁止する
 締約国に求めている
 ↓↑
 ホワイトプロパガンダ
 情報元がはっきりしており
 事実に基づく情報のプロパガン
 ↓↑
 ブラックプロパガンダ
 情報の発信元を偽り
 虚偽や誇張のプロパガンダ
 ↓↑
 グレープロパガンダ
 発信元が曖昧で
 真実かどうか不明なプロパガンダ
 ↓↑
 コーポレートプロパガンダ
 企業利益のためのプロパガンダ
 ↓↑
 カウンタープロパガンダ
 敵のプロパガンダに対抗するためのプロパガンダ
 ↓↑ ↓↑
 ガスライティング(gaslighting)
 心理的虐待の一種
 被害者にわざと誤った情報を提示し
 被害者が自身の記憶、知覚、正気を
 疑うよう仕向ける手法
 嫌がらせの事実を
 加害者側が否定してみせる
 という単純なものから
 被害者を当惑させるために
 奇妙なハプニングを起こして見せる
 もの・・・
 「ガスライティング」=『ガス燈』と言う演劇
            舞台劇(1938年・アメリカでは
               『エンジェル・ストリート』)
            1944年
            イングリッド・バーグマン
            で映画化
            したものにちなむ
           「ガスライティング」は
            相手の現実感覚を
            狂わせようとすること
            被害者の判断力能力を誤っていると
            疑わさせること
        ・・・被害者の意識的、無意識的な自己欺瞞?
        Victor Santoro の1994年の著書
       『ガスライティング
        あなたの敵を狂わせる手引き
       (Gaslighting: How to Drive Your Enemies Crazy) 』
            用語は
            臨床、学術研究論文で使用
       (原文はwikipedia)
 ↓↑
 民族主義と訳されるが
 国民主義、国家主義、国粋主義
 などと訳・・・
 ↓↑
 部族、血族、人種的同一種族の
 領土枠の存在ではない
 政治的(国籍)共同体として存在する
 と言う思想・・・
 ↓↑
 「政治的従属、植民地搾取、異文化共同体に
  強制従属させられていた人びとが
  独立、解放を目指し
  被征服地域を
  自らの共同体として
  高めようとし意識して用いられ思想・・・
 「政治的、宗教、言語、文化などの共有意識」
 を強調する思想・・・
 他国を排除し(排他的)
 自国を中心に「政治」を進める思想
 インターナショナリズム(=国際主義)の反対語
 国家という統一、独立した共同体を
 自己の所属国籍とする意識的人びとを
 形成する政治思想や運動
 ↓↑ ↓↑
 ナショナリズムは
 パトリオティズム(愛国心、郷土愛)と混同
 社会共同体としての
 「郷土(パトリア)」への愛情である
 「パトリオティズム」という言葉を
 近代概念の
 ナショナリズム
 とは峻別・・・
 愛国主義(パトリオティズム・patriotism)
 語源は6世紀の後期ラテン語
 「国の人=patriota」
 「愛国主義(patriotism)」
 の用語派生は、18世紀初頭
 「patriotism」の訳語、
 「愛国」は、
 西周の『百字連環(1870年)』・・・
 ↓↑
 1774年
 『愛国者』
 サミュエル・ジョンソン著
 1775年4月7日
 彼は
 「愛国心は卑怯者の最後の逃げ口上」・・・
 ↓↑ ↓↑
 「労働者には祖国は無い」
    ・・・労働者意識の本質は「プチブル意識⇒ブル志向」・・・
    ・・・労働者意識の本質は「平凡志向」・・・?
    ・・・労働者意識の本質は「一攫千金・成金志向」・・・?
 ↓↑ ↓↑
 1899年以来
 彼女(ローザ)が戦い続けてきた
 「修正主義」が勝利を収め
 戦争が始まった
 ↓↑
 「Freiheit ist immer die Freiheit des Andersdenkenden.
 (自由とはつねに、思想を異にする者のための自由である)」?
 ↓↑
 1917年3月12日
 ロシア革命
 ↓↑
 1918年10月3日
 ドイツ社会民主党
 中央党
 ドイツ民主党
 の三党政府が成立
 ↓↑
 1918年11月4日
 キールでの労働者の蜂起
 キール軍港における
 水兵の反乱
 ロシア革命時のソビエトに倣った
 「労働者・兵士協議会(レーテ)」の結成
 ドイツ革命が勃発
 ↓↑
 1918年11月9日
 皇帝が廃位
 ↓↑
 ローザも釈放
 USPDはSPDとともに
 共和政の新政府を樹立
 首班はエーベルト
 革命後の
 ヴァイマル共和国
 ↓↑ ↓↑
 11月10日
 社会民主党
 独立社会民主党(USPD)
 民主党
 からなる
 仮政府「人民委員評議会」が樹立
 ヴィルヘルム2世はオランダに亡命
 ベルリンの労兵レーテは
 人民委員評議会を承認
 独立社会民主党の左派
 革命的オプロイテが半数を占める
 大ベルリン労兵レーテ執行評議会
 を選出し
 ドイツにおける最高権力をゆだねることを宣言
 二重権力状態が生まれた
 ↓↑
 11月10日夜
 共産主義革命への進展を防ぎ
 革命の早期終息を図る
 エーベルト
 グレーナー参謀次長
 があり秘密会談
 エーベルトらは革命の急進化を阻止
 議会の下での秩序を回復
 これらの目的達成のため
 実働部隊を軍部が提供
 軍の維持と将校の権威の回復
 旧来の将校組織を温存
 (エーベルト・グレーナー協定)
 人民委員評議会政府
 と
 ドイツ軍
 の相互依存関係
 エーベルトは
 旧来の官僚組織を温存
 社会民主党員を派遣し
 行政機構を維持
 海軍は水兵の反乱で
 将校の権威が失墜し混乱
 革命を制圧する能力はなかった
 首都の治安を守るために
 クックスハーフェンから呼び寄せた水兵と
 ベルリンの水兵による
 「人民海兵団」
 が結成
 海兵団は次第に
 革命的オプロイテが浸透し、左傾化
 ↓↑ ↓↑
 1918年11月11日11時
 ドイツ代表の
 マティアス・エルツベルガー
 グレーナー
 らが連合国との
 休戦条約に調印
 第一次世界大戦終結
 ↓↑ ↓↑
 1918年12月23日
 人民海兵団
 ベルリン王宮を占拠
 エーベルト派遣部隊との間で
 戦闘が起き派遣部隊が撃退された
 独立社会民主党は政府から離脱
 (人民海兵団事件)
 新政府にノスケが入閣、軍事問題を扱う
 ↓↑
 1918年12月30日
 ローザのスパルタクス団を中心に
 ドイツ共産党(KPD)結成
 ↓↑
 スパルクス団を再編
 ↓↑
 反革命義勇軍(フライコール)創設
 ↓↑ ↓↑
 1918年12月29日~1919年1月1日
 創設大会
 ローザ
 リープクネヒト
 を指導者とする
 ドイツ共産党(KPD)設立
 ↓↑
 エーベルトSPD政府
 フライコールを出動させ
 革命軍弾圧
 1月9日~15日
 スパルクス団壊滅
 レーテ解体
 ↓↑
 1919年8月11日制定
    8月14日公布・施行
 ドイツ(ヴァイマル共和政)憲法
 ドイツ国家憲法(Die Verfassung des Deutschen Reichs)
 ↓↑
 1920年2月27日
 ヒトラー内閣成立後
 ドイツ国会議事堂放火事件
ーーーーー
 ・・・???・・・


千姫=センひめ=撰秘め=潜秘め・・・知記(チキ)

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0
0

 ・・・名前の変・・・カイダン・・・何立某?・・・「2018/10/27/00・ETV特集・アンコール「隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録~」、「戦時中、精神障害兵士が送られた国府台陸軍病院・約8000人のカルテから日本兵のトラウマがあきらかになった・発病した中国の戦場を取材。戦後の家族の姿を追う」・・・「反戦主義者」ではない「反日主義者」とは何か・・・
 サギ(鷺)=雪客(セッカク)・・・サギのオオモト・・・「姫路城=ヒメジジョウ=秘め字状」=「白鷺(しらさぎ・ハクロ)城」=「出世城」・・・「日女道丘(ひめじおか)=姫山」→「桜木(さくらき)山」→「鷺(さぎ)山」・・・「黒い壁の烏城、金烏城(キンウジョウ)とも呼ばれる岡山城との対比から」・・・
 1567年(永禄十年)
 黒田職隆の子
 黒田孝高が「姫路(白鷺)城」城代
 1568年(永禄十一年)
 青山・土器山の戦い
 赤松政秀軍の約3,000人に対して
 黒田軍(職隆・孝高父子)は約300人という劣勢で
 姫路城から撃って出て
 赤松軍を撃退
 以後
 1573年(天正元年)まで
 黒田孝高(官兵衛・如水・シモン)が城代
ーーーーー
 千姫
 慶長二年四月十一日~ 寛文六年二月六日
 1597年5月26日   ~ 1666年3月11日
 丁酉(庚・ ・辛)⇔ 丙午(丙・ ・丁)
 乙巳(戊・庚・丙)⇔ 辛卯(甲・ ・乙)
 甲戌(辛・丁・戊)⇔ 丁巳(戊・庚・丙)
  申酉=空亡
 ↓↑ 
 夫は
 豊臣秀頼
 後
 本多忠刻の正室
 元和三年(1617年)
 本多家が播磨姫路に移封
 八月二十八日
 桑名を発って姫路城に移り
 播磨姫君
 寛永三年(1626年
 夫の忠刻、姑の熊姫、母のお江
 が没し
 本多家を娘の勝姫と共に出
 江戸城に入り
 出家して天樹院を号し
 娘と2人で
 竹橋御殿で暮らした
 寛永五年(1628年)
 勝姫が父・秀忠の養女として
 池田光政
 の元へ嫁ぎ、一人暮らしとなった
 ↓↑
 父は徳川秀忠
 母は継室のお江
 号は天樹院
 1597年4月11日
 山城国
 伏見城内の徳川屋敷で誕生
 父は徳川家康の跡継ぎ
 第二代徳川幕府将軍
 母、お江は
 織田信長の妹
 「お市の方」の娘
ーーーーー
 大坂の陣
 慶長十九年(1614年)十一月十九日
           ~
           慶長二十年(1615年)五月
 冬の陣       夏の陣
 1614年12月4日
 真田丸の戦い
 1614年12月19日   1615年4月26日~大阪城陥落1615年6月11日
 木津川口の戦    郡山城の戦い
           4月29日樫井の戦い
           5月 6日道明寺の戦い・八尾、若江の戦い
           5月 7日天王寺・岡山の戦い
5月 8日未明淀殿と秀頼が自害
 甲寅(己・丙・甲)⇔乙卯
 丙子(壬・ ・癸)⇔
 丁卯(甲・ ・乙)⇔
 1614年12月20日に誓書が交換され和平成立
 堀の埋め立てが開始
 慶長二十年(1615年)1月22~23日完了
 ↓↑
 慶長二十年、元和元年七月十三日・・・明王朝 万暦四十三年
 1615年
 干支 : 乙卯
 ↓↑
 大坂夏の陣(元和偃武)
 8月 7日(慶長20年閏6月13日)江戸幕府が一国一城令を発令
 8月30日 江戸幕府が武家諸法度を発布
 9月 5日(慶長20年7月13日)日本、改元して元和元年
 9月 9日(慶長20年7月17日)江戸幕府が禁中並公家諸法度を発布
  本阿弥光悦が徳川家康から洛北鷹峯の地を拝領し
一族や各種の工人を率いて移住
ーーーーー
 ・・・世の中を動かすヤカラは「さぎ」の「名人」・・・サギ社会の市民意識は「サギは常識」・・・普通の市民も「法的詐欺集団組織の一員」・・・ボク自身もオカワリなし・・・
 サギで食べれるヒトはサイワイなり・・・

ーーーーー
 幸子・S
 辛未(丁・乙・己)
 庚子(壬・ ・癸)
 戊午(丙・ ・丁)
  子丑=空亡
ーーーーー
 プロパガンダ
 ↓↑
 集団心理の・・・・集団=個々人が群(君+羊)れて集まる
 仕組み・・・・・・・・・個々人が牟禮た時の心理的状況
 動機・・・・・・・・・・個々人が牟礼た時にとる行動の動機
 大衆自身が・・・・・・・個々人が群(君+羊)れて
 それに気付くことなしに・無自覚に
 制御し・・・・・・・・・操られ
 組織化することが・・・・秩序的な行動をしてしまう
 ↓↑          羊の群れには「山羊(やぎ・goat)」
             ヒツジ(羊・綿羊・sheep・Ovis aries)
            「羊」と「山羊」の群れには「犬」
            「犬」の命令者は「牧童・牧師」
              ヤギ(山羊・goat)

    「犠牲にささげる獣(生贄)
     古代ユダヤ教で
     年に1度、2匹の
     牡ヤギを選び
     籤(くじ)を引いて
     1匹を生贄とし
     もう1匹を
    「アザゼルのヤギ(贖罪山羊)」
     として荒野に放った(旧約聖書 レビ記16章)
     贖罪山羊は
     礼拝者の全ての罪を背負わされ
     生きたまま捨てられる
     生け贄と異なる
     特定の人間に
     問題の責任を負わせ
     犠牲とすることを
     スケープゴート(scapegoat 生け贄のヤギ)
     と言うのは、これにちなんだ」
 ↓↑  ↓↑
    (by wikipedia)
 ↓↑  ↓↑
    「神道の儀式、民間で祓(はらえ)をするとき
     人間の身代りに
     罪や穢(けがれ)を移す人形
     人形(ひとがた)とも
     雛人形・流し雛・・・雛ひとがた
     撫物(なでもの)・・・形代で身体を
               撫でてそれに
               穢をなすりつけた後
               それを流して災いを除いた
     人のほか
     馬・牛・鳥・犬
     刀・剣・鉾
     車・輿・舟
     男茎形など多種
     素材も紙、布、木、鉄、錫、銀、金、土製と多様
     などの形代がある
     ふつうは紙や薄い板で作る
     祓い終わると川や海に流したり、焼き捨てる」
    「凶用の人形代は587年(用明天皇)
     中臣連勝海が
     彦人・竹田両皇子の人形代を作り呪殺を謀った」

 ↓↑  牧(まき・ボク)=牛(𠂉十)+攵(𠂉乂)
                𠂉=カミさし(髪挿し・櫛)
                乂=かる・おさめる・ガイ・ゲ
                X=カイ(ギリシャ文字)
                  ケー・キー・カイ
             クリスマス(Christmas
                Χριστούγεννα)
                Χριστος
                Xmas・X-mas・X'mas・X'Mas
             ロシア語=PX
             Рождество Христово
             (降誕)   (ハリスト=フリストス)
             スラヴ語
             Христос(フリストース)
             イイスス(イエス)・ハリストス(基督)
             Christ+mass= Crīstes mæsse
             Christī    Nātālis
            (クリスティー・ナーターリス)
             キリスト=Χριστός・降誕
 ↓↑          ↓↑
             前漢・後漢代の州の長官
             牧(まき)は日本古代の
 ↓↑          牛や馬を放牧して飼育区域
            『和名抄』では「むまき」と訓読
             律令時代には公牧制度が整備
             兵部省管轄下の「官牧」
             左右馬寮管轄下で宮中に付属する折るが
             御牧(みまき)=勅旨牧(チョクシまき)
             奈良時代
             文武天皇の勅旨により開発
 ↓↑          軍馬の供給源
 組織化(organize・systemed・institutional
   オルガナイズ システムズ インスティチューショナル)
   織る画内図  詞素出務図 韻 素綴 中  書 名留?
 することが
 可能・・・
 ↓↑
 プロパガンダ(Propaganda)技術
 国家などが組識的に行なう
 主義・教義などの
 宣伝・煽動
 ↓↑
 ネーム・コーリング
 レッテル貼り
 攻撃対象を
 ネガティブなイメージと結びつけ
 危険、恐怖、無価値、無効力であると
 貶める論
 ↓↑
 カードスタッキング
 自らの主張に
 都合のいい事柄を強調し
 都合の悪い事柄を隠蔽
 または
 相手の
 策謀
 捏造だと強調し
 「イカサマ情報」で
 相手当事者、及び周囲(第三者)の心理を操作
 ↓↑
 バンドワゴン・・・バンドワゴン効果(bandwagon effect)
          多数が、ある選択肢を選択し
          その選択肢を更に増大させる効果を狙う
         「バンドワゴン=行列先頭に居る楽隊車
          バンドワゴンに乗る=時流に乗る・多勢に与する
                     勝ち馬に乗る意
 その事柄が
 あたかも
 世の中の趨勢、流行であるような
 宣伝、煽動し
 自らの主張が
 あたかも
 世の中の常識、趨勢であると
 錯覚させる
 ↓↑
 証言利用
 「信憑性がある」と
 される人
 (実力者・大物・権威者・専門家)
 に語らせることで
 自らの主張の説得を訴える
 ↓↑
 平凡化・一般化
 その考えのメリットを
 多数の民衆のメリットにもなると訴える
 ↓↑
 転移・・・人形(ひとがた)・・・ロシアゴミニストが
                 レーニンをナゼ
                 木乃伊にしたんだか?
 何かの威信や非難を
 別のものに代償させる
 愛国心を表彰する感情的な転移として
 国旗を掲げる・・・天皇の「シンボル化」は人間天皇の否定?
 佞臣は、自己保身の為、王を殺す
 忠臣、陪臣は王の犠牲的身代わりになる・・・責任の取り方は死
 ↓↑
 華麗な言葉による普遍化・・・美化・・・
 対象となるものを
 普遍的、道徳的と
 考えられている言葉と結びつける
 ↓↑
 返報性
 投資すれば
 将来
 利益(儲かる)
 という人参、虚偽に従いやすい・・・カネに弱い
 ↓↑
 コミットメントと一貫性
 意見の
 一貫性を保つことで
 社会的信用を得られる・・・?・・・頑固一徹は要領が悪い?
 ↓↑
 社会的証明
 自らの意見が曖昧な時は
 人は
 他の人々に同意を求め
 他の人々の行動に目を向ける・・・付和雷同?不和雷同?
    「多数派に与(くみ)する」・・・民主主義か?
    「不和雷同と書くのは誤り」ではないサッ・・・根拠は?
    「雷同=雷の轟きで、物が共振」・・・雷鳴で強震・狂信?
    「一定の主義・主張がなく安易に他の説に賛成すること」
 ↓↑
 人間は自分の好意、同好、同族、近隣、同郷、同国
 の人物の要請に
 「YES」という可能性がある(ハロー効果)・・・可能性?
 ↓↑
 権威
 対象者の
 「肩書き、服装、装飾品、容貌」
 などの権威、外見に服従しやすい・・・「権力」?
 「暴力行使」による服従・・・抵抗の限界は死
       「服従と操作の手段」=暴力威喝と行使
                  生殺与奪の権利?
 ↓↑
 希少性・稀少性
 市場での
 売買の機会の多少、増減
 その「機会(チャンス)」は
 生活手段の獲得の場であり、時間である
 チャンスの有無、稀少とは価値のあるもの・・・
 ↓↑
 トイレットペパーの
 供給減少で
 買い急ぎの混乱・・・早い者勝ち
   TVショッピングの限定商品、限定売買期間
 ↓↑
 キャッチコピー
 簡単で衝撃的なコトバで煽動
 ↓↑
 注目度の高さは
 その前後に来るものとの
 対比によって変わる
 比較での優劣
 ↓↑
 対象を絞り
 その対象をわかりやすくする
 注目度の高さは
 目に触れる
 回数や反復数によって影響
 注目度の高さは
 呼び起こされた
 感情の強さに比例
 ↓↑
 宣伝の第一段階は
 「注意を引く」
 欲望、欲求を喚起し
 欲望、欲求を満足させ得るものは
 自分の訴えであるとし
 煽動者は
 他者の欠陥をアッピールし
 これを一緒に排除しようと
 繰り返し同意を訴える
 ↓↑
 アドルフ・ヒトラー
 「宣伝効果のほとんどは
  人々の感情に訴えかけるべきであり
  いわゆる知性に対して訴えかける部分は
  最小にしなければならない」
 「宣伝を効果的にするには
  要点を絞り、
  大衆の最後の一人が
  スローガンの意味するところを理解できるまで
  そのスローガンを
  繰り返し続けることが必要である」
 ↓↑
 ヨーゼフ・ゲッベルス
 「十分に大きな嘘を頻繁に繰り返せば
  人々は最後にはその嘘を信じるだろう」
 (嘘も百回繰り返せば真実と信じられるようになる)
 「丁寧な説明」とは何か?
 「ソレはフェイクだッ!」と繰り返すコト・・・らしい?
ーーーーー
 レーニン・・・国家民族主義者・・・?
 プロパガンダは
 「教育を受けた人に教義を吹き込むために
  歴史と科学の論法を筋道だてて使うこと」
 扇動(煽動)を
 「教育を受けていない人の
  不平不満を利用するために宣伝するもの」
 レーニンは
 宣伝と扇動を政治闘争に不可欠なものとし
 「宣伝扇動」(agitprop)という名でそれを表した
 十月革命後
 ボリシェヴィキ政権(ソビエト連邦)は
 人民に対する宣伝機関を設置し
 第二次世界大戦後
 社会主義国に同様の機関が設置
 ヨシフ・スターリン・・・ロシア型ファッシスト・国家民族主義者
 は
 「テロルとプロパガンダ」の両輪・・・秘密軍事組織者・・・
 ドイツ共産党の
 ヴィリー・ミュンツェンベルク著書
 『武器としての宣伝(Propaganda als Waffe)』
 ↓↑
 アドルフ・ヒトラー
 プロパガンダを重視し
 ゲッベルスを大臣とする
 国民啓蒙・宣伝省を設置
 宣伝省は
 放送、出版、絵画、彫刻、映画、歌、オリンピック
 などを利用し
 政治的プロパガンダに用いた
 ↓↑
 第二次世界大戦中
 国家の総動員態勢を維持するため
 日本、ドイツ、イタリアなどの枢軸国
 イギリス、フランス、アメリカ
 ソ連などの連合国
 戦争参加国で
 プロパガンダ
 ↓↑
 終戦後は東西両陣営の冷戦
 両陣営は
 プロパガンダ
 を通して冷たい戦争
 宇宙開発競争で
 陣営の優秀さを喧伝
 ↓↑
 1950年代
 中華民国政府(台湾政府)
 反共文芸を推奨し
 趣旨に共鳴した
 「中華文芸奨金委員会」
 が活躍
 ↓↑
 国家によるプロパガンダ
 ナチス体制下のドイツ
 大東亜戦争直前・戦中の日本
 太平洋戦争直前・戦中のアメリカ合衆国・・・戦後も・・・
 革命下のロシア・・・
 「労働者国家」のウソ・・・ファーム
 「動物農場(Animal Farm)」は
 1945年8月17日に刊行された
 ジョージ・オーウェルの小説
 ↓↑
 雄ブタ達が「革命」烏合集団
      「革命後」の豚たちの権力闘争と粛清
 カラス が正教会の坊主
 人間  が地主・農業資本家
 牡馬  が将軍軍人
 ネコ  が傍観者
 牡ロバ が下士官兵卒 
 犬   が憲兵・特高警察・チェッカー
 羊   が無知従順な労働者
 雌鶏  がウクライナの「ホロドモール」の住人
 ↓↑
 ジョージ・オーウェル(George Orwell)
 1903年6月25日~1950年1月21日
 癸卯(甲・ ・乙)⇔己丑(癸・辛・己)
 戊午(丙・ ・丁)⇔丁丑(癸・辛・己)
 甲申(己・壬・庚)⇔丙辰(乙・癸・戊)
  午未=空亡
 イギリスの作家、ジャーナリスト
 生誕地は
 イギリス植民地時代の
 インド
 ↓↑
 他の著書は
 『1984年』・・・1949/6/8刊行
 ↓↑
 干支:甲子
 昭和59年
  1月24日米アップルコンピュータがMacintoshを発表
  8月30日スペースシャトルディスカバリー、初の打ち上げに成功
 10月31日インド首相、インディラ・ガンジー暗殺
 ↓↑
 2029年の未来世界から
 1984年5月12日の夜
 ロサンゼルスに
 殺人機械
 ターミネーター・・・
 が出現
 ↓↑
 戦後の
 アメリカ合衆国
 ソビエト連邦
 中華人民共和国
 情報活動が国家によって統制・管理
 ↓↑ 
 プロパガンダに虚偽や歪曲
 ↓↑
 国家
 教育とプロパガンダが表裏一体
 初等教育の頃から
 国民に対して
 政府や支配政党への支持
 ナショナリズム
 国家防衛の思想などを擦り込む
 ↓↑
 国家プロパガンダ
 国家、政府機関、政党
 民間団体や民間企業
 個人が自主的、受動的
 無意識に行う
 ↓↑
 大衆の受容能力
 極めて狭量
 理解力は小さい
 忘却力は速い
 スローガンで
 宣伝の効果を継続
 大衆の圧倒的多数は
 冷静な熟慮でなく
 感情的な感覚で
 考えや行動を決める
 非常に単純で閉鎖的
 そこには
 物事の差異を識別するのではなく
 肯定か否定か
 愛か憎しみか
 正義か悪か
 真実か嘘か
 だけが判断の基準
 半分は正しく
 半分は違う
 などということは
 決してあり得ない
 (アドルフ・ヒトラー「我が闘争」)
 ↓↑
 『新しき土』
 1937年公開の日独合作映画
 ドイツ語版のタイトルは
 『Die Tochter des Samurai=侍の娘』
ーーーーー
 ???・・・名前の変・・・「何立某」・・・?

シーボルト=置維波斯徳利=施福多=失乙勃児篤=勃児杜

$
0
0

 ・・・「寅十一月十一日」・「其扇(お瀧)→お稲(失本イネ・楠本伊篤)→唯(高子)→」・・・「お稲」は「伊達宗城」から厚遇され「失本イネ」という名を「楠本伊篤(くすもと いとく)」と改名・・・「唯(高子)」・・・シーボルト・・・
 Siebold=シーボルト
      施福多
      施勃児篤
       勃児杜
     矢以勃児杜
      失勃児篤
     失乙勃児篤
     我爾徳児


ーーーーー
 お稲(いね)
 1796年2月17日  ~1866年10月18日
 丙辰(乙・癸・戊)⇔丙寅(己・丙・甲)
 庚寅(己・丙・甲)⇔戊戌(辛・丁・戊)
  害
 丁巳(戊・庚・丙)⇔丙寅(己・丙・甲)
  子丑=空亡
 ↓↑
「寅(とら)十一月十一日(1830年12月25日)」
 庚寅(己・丙・甲)
 戊子(壬・ ・癸)
 乙丑(癸・辛・己)
 ↓↑
 1829年12月
 長崎オランダ商館の
 外科医シーボルトは
 国禁を犯した咎により国外迫放
 妻、滝(其扇)は22歳
 娘、いねは2歳
 翌年夏
 オランダからの
 母娘宛の
 シーボルトの手紙は
 片仮名毛筆であった
 ↓↑
 文政七年(1824)十一月二十四日付
 東インド総督
 ファン・デル・カペレンに宛てシーボルトの手紙報告
 「昨年すでに私自身の勘案で
  出島に植物園を作り
  珍しい、注目すべき植物を栽培
  収集のため、私の
  長崎の外二〜三マイルの所への
  散歩は非常に役立っている
  五月に私は弟子二人を
  肥後と筑前に派遣し、
  彼等から珍しい博物を得た
  日本各地の数百種の乾燥した植物を得
  長崎の植物を大部分集め、乾燥し
  珍しいものの一部は植物園で栽培し
  他のものは、写生させた
  来年私の植物学の研究を
  バタビアに提出できると思う」・・・
 ↓↑
 シーボルトの出島の植物園
 オランダが植民地経営のため
 世界に張り巡らせた植物園組織の一角で
 ジャワからオランダへの便船を待つ間の
 植物の育成と移植のためのもの
 採集した植物は
 長崎出島→バイテンゾルフ(ジャワ)
 →ケープタウン(南アフリカ)→ライデン (オランダ)
 とつながる植物園の組織によって移送
 出島の植物園には
 シーボルトが帰国する
 文政十三年(1830)までに
 日本と日本に定着した
 中国の有用植物と鑑賞用植物
 1400種類以上の苗木が植えられた
 ↓↑
 ケンペル
 ツュンベリー
 が手掛けた出島の植物園を復興、再建
 シーボルトは、彼らの功績をたたえた記念碑を建立
 ↓↑
 1835年初版『日本植物誌』で
 シーボルトが
 「冬のバラ」
 と紹介したのは
 ツバキ「Camellia japonica」=椿
 発表後
 ツバキは花木の貴族とたたえられ、
 ヨーロッパで
 ツバキブーム
 パリで
 紅白のツバキの
 コサージュや花束が
 夜会のアクセサリーとして人気を集め
 オペラ
 『椿姫』が誕生・・・つばき
 シャネルの
 カメリア・シリーズ
 ココ・シャネルは
 ツバキの花から生まれた
ーーーーー
 1831年10月
 「お滝(瀧)」は近況を記した返事に
 「おいねに更紗二~三反
  また他に医書を
  又の便りに送り下され候」
 と伝え、翌年
 1832年11月
 贈物の礼状に
 「おいね(稲)は
  お送り下され候語学書で毎日勉学いたしており
  明年は
  正しき言語にて
  お返事差し上げ得ることと存じ候」
 と記録
 「いね(稲)」は
 父から贈られた
 オランダの図書
      皿や時計
      人形
 などに囲まれた環境で育った
 「滝(瀧)」の再婚先は船問屋
 ↓↑

 「いね」は
 13歳で・・・十三歳・・・拾参(サン・纂・簒・讃)差異
 医学を学ぶため家を出る決意
 二宮敬作
 に紹介された
 シーボルトの有能な弟子
 岡山の
 石井宗謙
 に強姦され、妊娠
 ひとりで娘を出産
 その娘に
 唯(山脇泰輔夫人、高子)・・・唯(ゆい・ただ)=高の子?
 と名付けた
 185l年
 「いね(稲)」と娘「唯」は「滝(瀧)」のもとに帰り
 産院を開業
 外科を
 阿部魯庵
 に師事
 ↓↑
 1854年11月
 二宮敬作は「いね」と再会
 石井宗謙との事情を知って
 再び「いね」を
 宇和島に伴い・・・宇和島=ウワジマ
 寄寓していた
 村田蔵六に語学を学ぱせた
 その間
 「滝」は孫娘の「唯」を預かり養育し
 「いね」は敬作の指導を受け
 患者の代診もした
 ↓↑
 1859年8月
 シーボルトの再来日
 1862年の離日までの3年間
 父娘の関係は師弟
 「いね」は父に頼み
 1859年から
 オランダ商館
 外科医ポンペらに師事
 10年間最新の西洋医学を修めた
 1870年
 東京築地で開業
 1873年7月
 宮内省御用掛
 権典侍
 葉室光子の
 若宮誕生の侍医
 1901年死没
ーーーーー
 シーボルト
 1823年8月
 長崎出島へ
 オランダ商館の医師として来日
 「其扇(そのぎ)=お滝」に出会う
 11月に故郷の両親に宛て
 「素晴らしく可愛い日本の女性と結婚しました」
 「お滝さん以外の女性を妻に迎えることは絶対にありません」
 「お滝さん」とは「其扇」の本名で
  楠本タキ(滝・おたき)
 そして
 「お稲(いね)」が誕生
 1829年
 シーボルトは国外追放
 「ソノキサマ マタオイネ カアイノコトモノ シボルト」
 「ニチニチ ワタクシカ
  ホマエ マタ ホイネ ノ ナヲ
  シバイ シバイ イフ」
 (日々、私は、お前、また、お稲の名をしばしば言う)
 「ナントキワ オマエヲ マタ オイネ
  モット アイスルモノ ヲ ミルカ」
 (いつか、お前を、またお稲を、もっと愛する者を見るのか)
 「お滝」
 「余儀なく義理にて他へ嫁し申候」と
 再婚
 自分と娘の肖像を
 蓋(ふた・亠)に描かせた煙草入れ


 ↓↑
 「Hydrangea otaksa」
 1832年
 『日本』刊行
 侍、町人、僧侶など日本人の絵姿を紹介
 「お滝さん(otaksa=おたくさ=紫陽花)」の肖像画
 『日本植物誌』刊行
 長崎の中国寺で採取した
 「空色の紫陽花=Hydrangea otaksa
        =ハイドランゼア オタクサ)」
 と名づけて紹介
 「オタクサ」は
 別の学者により既に名がつけられていた品種で
 無効
 長崎市の花は
 「紫陽花(あじさい・阿字斉)=おたくさ=お滝さん花」
 「長崎紫陽花まつり」=「ながさき おたくさ まつり」
ーーーーー 
 19世紀の長崎で活躍した
 ドイツ人医師シーボルト(1796~1866)
 に宛てた妻たきの手紙が、オランダで見つかった。
 シーボルトが
 国外追放された直後に書かれたとみられ、
 愛する人と引き裂かれた悲しみを切々とつづっている。
 「鎖国」期の日本で様々な資料を収集していたシーボルトは
 1828年、日本地図を持ち出そうとして露見し、
 国外追放となる。
 今回見つかったのは、帰国途中の
 インドネシア・バタビア(ジャカルタ)から
 日本に残した妻
 其扇(そのぎ、たき、滝)に出した手紙に対する返事
 「寅(とら)十一月十一日(1830年12月25日)」
 の日付があり
 帰国したシーボルトに
 たきが送った最初の手紙とみられる
 ↓↑
 ライデン大学図書館が所蔵していたもので、
 西南学院大の宮崎克則教授(日本近世史)が現地で確認した。
 手紙は女性のくずし字で記され、約3・4メートルに及ぶ。
 「涙が出ない日はない」
 「おいね(シーボルトとの娘、イネ)は
  なんでもわかるようになり、
  毎日あなたのことばかり尋ねます。
  私もあなたへの思いを焦がしています」
 などと、切ない思いがしたためられている。
 ↓↑
 出島に出入りしていた「たき」は、
 シーボルトとの間に「イネ」をもうけた。
 追放された夫の帰りを待ったが、その後再婚した。
 宮崎さんは
 「シーボルトの私生活がわかる一級資料だ。
  行間からは彼女のしっかりした性格、
  夫への思いがよく伝わってくる」
 と話している。(編集委員・中村俊介)
 ↓↑
 「たき」からシーボルトへの手紙(部分)
 ↓↑ 
 「3通の手紙は届きました。ありがたく思っています。
  お元気でいらっしゃると聞いて、
  とてもめでたく思っています。
  私とおいねも無事に暮らしています。
  船の旅を心配していましたが、
  滞りなくバタビアにお着きになって安心しました」
 ↓↑ 
 「不思議なご縁で数年間
  おなじみになっていたところ、・・・・おなじみ?
  日本でいろいろと心配事が起こり、
  あなたは去年帰られました。
  涙が出ない日はありません」
 ↓↑
 「お手紙をもらい、
  あなたのお顔を見た気持ちになり、
  とてもゆかしく思います。
  この手紙をあなたと思って、
  毎日忘れることはありません。
  おいねはなんでもわかるようになりました。
  毎日あなたのことばかり尋ねます。
  私もあなたへの思いを
  焦がしています(中略)」・・・焦(こ)がす?
 ↓↑
 「私とおいねのことは心配しないでください。
  おじさんのところにいますからご安心ください。
  病気にならないよう祈っています。
  どうした縁でこうなったのでしょう。
  そのことばかり考えて暮らしています(中略)」
 ↓↑
 「来年のお手紙を、首を長くして待っています。
  私は朝と夕に
  あなたの息災と延命を祈るよりほかはありません。
  来年はちょっとでもいいから
  お手紙をください。
  ひとえに・・・・・・ひとえ?
  待っています。
  申し上げたいことはたくさんありますが、
  次の手紙にします。
  名残惜しい筆を止めます。
  めでたくかしく。
  寅十一月十一日
  其扇
  シーボルト様」
 ↓↑
 江戸時代に来日し、
 その後国外追放になった
 ドイツ人医師シーボルトに、
 日本人妻
 お滝が送った最も古い手紙が
 オランダ・ライデン大で見つかった。
 シーボルトへの深い愛が伝わる内容で、
 調査した西南学院大の宮崎克則教授は
 「欧州に送られた最も古い日本語のラブレター」
 としている。
 ↓↑
 オランダ語訳の存在は知られていたが、
 日本語原本の所在は不明だった。
 ライデン大大学院生が
 同大の日本関係資料の中で発見し、
 宮崎教授が確認した。
 ↓↑
 シーボルトは
 長崎・出島のオランダ商館の医師として
 1823年に来日。
 遊女だった
 お滝と知り合い、
 後に初の日本人女医となる娘
 イネを授かる。
 だが、持ち出しが禁止された
 日本地図を国外に運ぼうとしていたことが発覚し、
 29年末に国外追放となった。
 ↓↑
 手紙は
 30年12月(1830年12月25日付)に書かれた。
 シーボルトが
 オランダに戻る途中の
 インドネシアから同年3月に書き送り、
 8月に長崎に届いた
 3通の便りへの返事。
 オランダのシーボルトの元には
 31年夏ごろ、届けられたとみられる。
 ↓↑
 手紙は全長3・4メートルもあり、
 「この(3通の)手紙をあなたと思って、
  毎日、忘れることはありません」
 「くれぐれも病気にならず元気に暮らしてください」
 などと記し、娘の様子にも触れている。
 宮崎教授は筆跡などから
 お滝が語った内容を
 第三者が代筆したと分析している。
 ↓↑
 お滝が
 手紙と一緒に送ったとみられる
 自身と娘の姿が描かれた
 嗅ぎたばこ入れは現在日本にあり、
 シーボルトが
 お滝に送った手紙はドイツにある。
 シーボルトが59年に再来日した際に、
 お互いの品を交換したらしい。
 共に保存状態も良く、宮崎教授は
 「お互いのことを
  本当に大事に思っていたのでしょう」
 と話している。
 (2018/10/12付 西日本新聞朝刊)
 ↓↑
 2018年10月27日 03時34分
 江戸時代後期に来日し
 長崎を拠点に近代医学を広めたが
 国外退去処分となった
 ドイツ人医師シーボルト(1796~1866年)に、
 日本での妻の滝が送った手紙が、
 オランダのライデン大学で見つかった。
 遠く離れた夫への愛情がつづられている。
 ↓↑
 シーボルトは
 1823年、長崎・出島のオランダ商館に赴任。
 滝との間に娘
 いねを授かった。
 28年、帰国の際に
 禁制品の日本地図などを持ち出そうとする
 「シーボルト事件」を起こし、
 退去処分を受けて欧州へ戻った。
 ↓↑
 帰国の途中でシーボルトは
 妻子へ書簡を3通送っており、
 手紙は最初の返信。
 長さ約3・4メートルの巻紙につづられ、
 1830年12月25日付。
 (共同)
 ↓↑
 「其扇(そのぎ)」の母、
 「きよ(イネの祖母)」の
 皓台寺の・・・皓台寺(コウダイジ)
       =皓(白告)台(ム口)寺(十一寸)
 標文の戒名は
 「一鑑古明信女」
 (佐平妻
  きよ
  弘化二年(1845)四月二十四日没 得年六十三歳)
 ↓↑
 1845年2月
 イネが
 伊予(伊豫)国の・・・「壱与・壹與・台与・臺與」の国
                鯛の国・・・他意の句爾
                碓の国・・・小碓命
 二宮敬作を頼って・・・二の宮(寓)、敬の作
 卯之町に来た・・・ウサギのマチ=「菟・兎・兔・宇佐義」
 其扇(滝)は 38 歳
 おイネ  は 18 歳
 敬作   は 41 歳
 ↓↑
 おイネが初めて
 伊予国
 卯之町を訪れた時期
 最初の手紙の日付は
 「出島にて、1845年11月1日」
 最後に「Sono ook」・・・其の扇?
 通詞の
 名村貞四郎が書いた
 手紙の中ほどに
 「この 1845年2月に
  おイネは
  伊予(伊豫)国へ一人で旅たちました」とあり、
 「その国は
  あなた様の門人
  二宮敬作がおりますので、
  あなた様の学問的講義・・・」
 ↓↑
 以上も以下もスベテの原文は以下
https://search.・・・から
ーーーーー
 ・・・???・・・以下は繰り返し何度もダブル・・・
 1)シーボルト
 Siebold, Carl Theodor Ernst von
 1804.2.16. ウュルツブルク
 ~
 1885.4.7. ミュンヘン
 ドイツの動物学者
 ↓↑
 3)P.F.von シーボルト
 の伯父
 生物学者の家庭に生れ
 ベルリン,ゲッティンゲン両大学に学び
 開業医を営んだのち
 エルランゲン・フライブルク
 ブレスラウ・ミュンヘン
 各大学教授
 無脊椎動物を
 F.スタニウスが脊椎動物を担当し
 共著『比較解剖学教科書』
  Lehrbuch der vergleichenden Anatomie (1846)
 観察事実に基礎をおいた
 比較解剖学書として最初のもの
 1852年
 『動物学雑誌』
  Zeitschrift für wissenschaftliche Zoologie発刊
 生物学の専門誌として最も重要なものの一
 彼は
 寄生虫学者・・・寄生の虫(中ム)の学者
      ・・・既成(キセイ)の同音異字のスベテ・・・
 としても著名
 寄生虫が
 その
 生活史の
 各段階に応じて
 異なる種類の動物に
 寄生する場合のあることを・・・プチブル意識の発展プロセス?
 実例をあげて示した
ーーーーー
 楠本 お稲
 宇和島藩主
 伊達宗城から厚遇され
 宗城から
 「失本イネ」・・失(𠂉一人)われた本?
 という名の改名を指示され
 「楠本伊篤(くすもと いとく)」・・・楠の本の伊の篤
 と改名
 1871年(明治四年)
 異母弟
 シーボルト兄弟
 2)兄アレクサンダー
 4)弟ハインリヒ
 の支援で東京は築地に開業し
 福澤諭吉の口添えにより
 宮内省御用掛となり
 金100円を下賜され
 明治天皇の女官
 葉室光子の出産に立ち会う(葉室光子は死産の後死去)
 医学技術は評価され
 異母弟
 ハインリヒ
 とその妻
 岩本はな・・・「岩本=がんぽん=元本」のハナ?
 の
 第一子の助産も彼女が担当(子は夭折)
 1875年(明治八年)
 医術開業試験制度始まる
 女性であったイネには
 受験資格がなかった
 晧台寺墓所を守るため
 東京の医院を閉鎖し
 長崎に帰郷
 1884年(明治十七年)
 医術開業試験の門戸が女性にも解放
 57歳になっていたため産婆として開業
 62歳の時、娘
 高子(唯・ただ)一家と同居のために
 長崎の産院も閉鎖し再上京、医者を完全に廃業
 後は
 異母弟
 ハインリヒの世話となり余生
 1903年(明治三十六年)
 鰻と西瓜の食べ合わせで・・・ウナギとスイカ?
 食中毒(医学的根拠はない)で死去
 享年77
 イネは生涯独身だが
 石井宗謙との間に儲けた娘
 「唯(ただ・ユイ)」がいた・・・・ユイ=結い・由比
ーーーーー
 3)Siebold=シーボルト
      施福多
      施勃児篤
       勃児杜
     矢以勃児杜
      失勃児篤
     失乙勃児篤
     我爾徳児
 ↓↑   
 おたき・おたくさ
 紫陽花=あじさい=阿字斉
 烏頭紫陽花
  渦紫陽花
  「紫陽花」 という漢字を
 「あじさい」の漢字として引用し始めたのは
 源順(みなもとしたごう)・・・源(水原)の順(川の頁)
 ↓↑
 2)シーボルト=ズィーボルト=ジーボルト
 Siebold, Alexander Georg Gustav von
 1846.8.16. ライデン
 ~
 1911.1.23. テグリー
 ドイツの外交官
 3)P.シーボルトの長子
 安政六 (1859) 年
 父の再訪日に同伴して来日
 三瀬周三
 らについて日本語を修得し
 のち
 駐日イギリス公使館員 (通訳官)
 明治三 (1870) 年以後
 日本政府の外務省
 ローマ
 ベルリンの日本公使館に奉職
 明治初期から中期にかけ
 日本の外交交渉に貢献
 1910年在職
 40年にあたり
 勲二等瑞宝章を受けた
 ↓↑ ↓
 明治期のお雇い外国人
 3)フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
  の長男
 オランダ・ライデンに生まれる
 安政六(1859)年
 父に連れられて来日
 日本語を習い
 文久二(1862)年~明治三(1870)年まで
 在日イギリス公使館勤務
 1866年
 パリ万国博覧会参加の
 徳川昭武一行に付いて訪欧
 一行の動静をイギリス外務省へ逐一内報
 3年民部省雇
   外債切り替え交渉のため
   特例弁務使
   上野景範に従ってロンドンへ出張
 6年太政官正院翻訳局に配属
   ウィーン万国博覧会副総裁
   佐野常民に随行
 8年大蔵省雇
 11年外務省雇
   パリ万国博覧会副総裁
   松方正義に随行
   万博後、在独公使館付
 15年条約改正予議会
 19,20年条約改正会議で東京へ呼ばれ
     通訳官を務め
     会議無期延期直後
     了解工作のため内命を受け
     ヨーロッパ各国を歴訪
     後は終生ヨーロッパにあって
     新聞論調の本省への報告などに従事
     1894年
     日英条約改正交渉のため
     特命全権公使
     青木周蔵に付いてロンドンへ出張
     日清戦争,日露戦争の際は
     世論工作に従事
     1910年勲1等瑞宝章受章
 ↓↑  ↓↑
 シーボルトを便宜的に分類するため
 1)シーボルトの伯父
 2)シーボルトの長男
 3)シーボルト本人自身
 4)シーボルトの次男
 と頭に番号を振った
 ↓↑  ↓↑
 1)シーボルト
 Siebold, Carl Theodor Ernst von
 1804.2.16. ウュルツブルク
 ~
 1885.4.7. ミュンヘン
 ↓↑
 ドイツの動物学者
 3)P.F.vonシーボルトの伯父
 ↓↑
 3)シーボルト
 Siebold, Philipp Franz von
 1796.2.17. ウュルツブルク
 1866.10.18. ミュンヘン
 ドイツの医者
 文政六 (1823) 年
 長崎オランダ商館の医師として来日
 翌年長崎郊外鳴滝に診療所を兼ねた学塾を開く
 伊東玄朴・高野長英・黒川良安
 ら数十名の門人に
 西洋医学
 一般科学を教授
 商館長の江戸参府に随行 (26)
 日本に関する研究資料を集めた
 シーボルト事件
 文政十二 (1829) 年
 日本追放
 安政六 (1859) 年
 オランダ商事会社員として再来日
 幕府の外交にも参与
 文久二 (62) 年帰国
 『ニッポン』 Nippon (32~54)
 『日本植物誌』 Flora Japonica (35~70)
 『日本動物誌』 Fauna Japonica (33~50)
 など刊行
 ↓↑
 3)フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
 1796年
 ドイツ生まれ
 1823年
 長崎・出島のオランダ商館付の
 医師兼自然科学調査官として来日
 私塾を開設し西洋医学を伝え
 オランダ政府の命で
 動植物や鉱物、民族資料を集めた
 1828年
 積み荷に幕府禁制の地図が発見され
 国外追放処分となった(シーボルト事件)
 1859年
 2度目の来日
 外交顧問などを務め3年滞在
 再び資料収集をして帰国
 1866年、70歳で病死
 (2016-10-11 朝日新聞 夕刊 文化芸能)
 ↓↑
 3)ジーボルトとも・・・
 1823年長崎出島に着任
 日本研究のかたわら日本人患者を診療し
 1824年
 長崎郊外に鳴滝(なるたき)塾
 高野長英
 高良斎(こうりょうさい)
 伊東玄朴
 戸塚静海
 美馬順三
 二宮敬作
 らの門人を指導
 1826年
 商館長の江戸参府に同行
 1828年シーボルト事件
 翌年追放
 日蘭通商条約締結後の
 1859年
 2)長子アレクサンダー〔1846-1911〕
 を伴って再来日
 《日本》《日本動物誌》
 《日本植物誌》《江戸参府紀行》
 などの著書
 長崎滞在中の
 其扇(そのぎ・お滝)
 との間に
 娘〈いね・楠本いね)を儲ける
 アレクサンダーは
 英国公使館などの通訳を経
 1870年~1910年
 日本外務省に勤めた
 ↓↑
 4)シーボルト
 Siebold, Heinrich Philipp von
 1852~1908
 ドイツ人外交官
 1852年7月21日 ドイツのボッパルトで誕生
 ~
 1908年8月11日
 3)P.F.シーボルトの次男
 明治二年(1869)
 2)兄A.G.シーボルトにしたがい来日
 オーストリア-ハンガリー帝国
 公使館の代理公使
 横浜領事代理
 上海総領事
 などをつとめた
 勤務のかたわら
 考古学の研究にあたり
 「考古説略」をあらわした
 1908年8月11日死去。56歳
 ↓↑
 幕末明治期の
 オーストリア=ハンガリー帝国の外交官
 ライン河畔ボッパルトで
 医学者フィリップの次男
 父の影響で
 東洋の文化と歴史に関心を抱き
 駐日イギリス公使館
 通訳官の
 2)兄アレキサンダーが一時帰国した際
 その秘書に日本語を学び
 1869年
 兄と一緒に日本に発つ
 明治五(1872)年一月
 日本代表部の臨時通訳練習生
 10月
 ウィーン万国博覧会の日本万博委員会の連絡係
 六年一月
 博覧会への陳列品と共にウィーンに行き
 同年三月
 名誉通訳官に昇任
 翌年6月再来日
 明治十六年2月
 領事館官房書記官
 後
 代理公使
 横浜代理領事
 1等官房書記官
 上海総領事代理
 などを歴任
 同29年7月10日離日
 『日本考古学覚書』(1879)
 『アイヌ民族研究』(1881)
 を書く
ーーーーー
 3)シーボルト
 ドイツ人の医師,生物学者
 バイエルンの
 ビュルツブルクの医師の家に生まれる
 ビュルツブルク大学で
 医学,植物学,動物学,地理学
 などを学び
 1820年学位を得る
 1822年
 オランダ領東インド会社付の医官
 1823年
 ジャワに赴任
 日本に任官
 文政六(1823)年八月
 長崎出島に入った
 はじめ商館の内部で
 市内の
 吉雄幸載の私塾などで
 診療と講義
 翌年長崎奉行から許され
 郊外の鳴滝に学舎を造った
 学生の宿舎や診療室
 薬草園まで備え
 鳴滝塾とし
 週1回出張
 実地の診療や医学上の臨床講義
 様々な分野の学問の講義を行い
 小関三英・高野長英・伊東玄朴・美馬順三
 二宮敬作らの蘭学者を育てた
 文政九年
 オランダ商館長の江戸参府に随行し
 1カ月余り江戸に滞在
 高橋景保・大槻玄沢・宇田川榕庵
 ら江戸の蘭学者とも親交
 長崎へ帰ったシーボルトと
 高橋や間宮林蔵らとの交際のなかで
 間宮が疑惑を持ったのをきっかけに
 同11年
 任期が満ちて帰国するシーボルトの乗った船が
 嵐によって戻された際に
 荷物が調べられ
 国禁違反が発覚
 高橋が
 シーボルトの
 『フォン・クルーゼンシュテルン世界周航記』
 と
 オランダ領のアジア地図
 などと引き換えに
 伊能忠敬の
 『日本沿海測量図』の
 コピーなどをシーボルトに渡していた
 ほかにも
 葵の紋服などをシーボルトが持ち出そうとしていた
 高橋は裁判の途中に獄中で死亡
 シーボルトは国外追放で
 同12年12月に日本を去った
 ヨーロッパに戻ったシーボルトは
 日本関係の書物を次々に発表
 日本学の権威としてヨーロッパで重要視
 オランダ国王を動かし
 幕府に開国を勧める親書を起草
 この親書は
 弘化一(1844)年
 幕府に伝えられたが
 幕府はこれを拒否
 日本が開国した際に
 ヨーロッパ諸国と結ぶべき
 条約の私案を起草して
 オランダ政府に伝え
 この条約案は
 嘉永五(1852)年
 クルティウスに託され
 幕府の手に届けさせた
 開国後
 クルティウスは
 シーボルトに対する
 追放の解除を幕府に要請
 安政五(1858)年
 日蘭修好条約の締結
 同六年シーボルトは念願の再来日
 文久二(1862)年
 日本を去り
 ミュンヘンで亡くなった
 再来日で帯同していた長男の
 アレクサンダーは日本に留まり
 イギリス公使館通訳
 明治三(1870)年以降は政府のお雇い
 外交政策などの相談役
 次男の
 4)ハインリヒも
 同2年に来日
 外交官として長年日本に滞在
 楠本其扇(お滝)との間に生まれた
 楠本イネは産科医として知られた
 ↓↑
 ヨーロッパに
 3)シーボルトによって紹介された
 日本の風物は
 『日本=日本誌』
 『日本とその周辺諸地域(蝦夷,南千島,樺太,朝鮮,琉球)
  についての記述集成』
 としてライデンで1832年~54年までに刊行
 『日本動物誌』(1833~50)
 『日本植物誌』(1835~70)
 ↓↑
 日本にピアノが伝来したのは
 3)シーボルトが
 1823年(文政六年)に持参した
 1826年(文政九年)
 シーボルトが江戸に来たとき
 最上徳内は
 自分の蝦夷地測量図を貸し
 アイヌ語辞典編纂を援助し
 シーボルトはその著《日本》で
 徳内の業績をたたえた
 ↓↑
 「お稲」は
 3)父シーボルト
 の名に漢字を当て
 「失本(しいもと)イネ」とも名乗った
ーーーーー
  楠本 お稲
 宇和島藩主
 伊達宗城から厚遇され
 宗城から
 「失本イネ」という名の改名を指示され
 「楠本伊篤(くすもと いとく)」と改名
 1871年(明治四年)
 異母弟
 シーボルト兄弟
 2)兄アレクサンダー
 4)弟ハインリヒ
 の支援で東京は築地に開業し
 福澤諭吉の口添えにより
 宮内省御用掛となり
 金100円を下賜され
 明治天皇の女官
 葉室光子の出産に立ち会う(葉室光子は死産の後死去)
 医学技術は評価され
 異母弟ハインリヒ
 とその妻
 岩本はな
 の第一子の助産も彼女が担当(その子は夭折)
 1875年(明治八年)
 医術開業試験制度始まる
 女性であったイネには受験資格がなかった
 晧台寺墓所を守るため
 東京の医院を閉鎖し
 長崎に帰郷
 1884年(明治十七年)
 医術開業試験の門戸が女性にも解放
 57歳になっていたため産婆として開業
 62歳の時、娘
 高子(唯・ただ)一家と同居のために
 長崎の産院も閉鎖し再上京、医者を完全に廃業
 後は
 弟ハインリヒの世話となり余生
 1903年(明治三十六年)
 鰻と西瓜の食べ合わせで
 食中毒(医学的根拠はない)で死去
 享年77
 イネは生涯独身
 石井宗謙との間に儲けた娘
 「唯(タダ)」がいた
ーーーーー
 Siebold=シーボルト
      施福多
      施勃児篤
       勃児杜
     矢以勃児杜
      失勃児篤
     失乙勃児篤
     我爾徳児
 ↓↑   
 おたき・おたくさ
 紫陽花=あじさい=阿字斉
 烏頭紫陽花
  渦紫陽花
 「紫陽花」 という漢字を
 「あじさい」の漢字として引用し始めたのは
 源順(みなもとしたごう)
 ↓↑
 シーボルト=ズィーボルト=ジーボルト
 Siebold, Alexander Georg Gustav von
 1846.8.16. ライデン
 ~
 1911.1.23. テグリー
 ドイツの外交官
 P.シーボルトの長子
 安政六 (1859) 年
 父の再訪日に同伴して来日
 三瀬周三
 らについて日本語を修得し
 のち
 駐日イギリス公使館員 (通訳官)
 明治三 (1870) 年以後
 日本政府の外務省
 ローマ
 ベルリンの日本公使館に奉職
 明治初期から中期にかけ
 日本の外交交渉に貢献
 1910年在職
 40年にあたり
 勲二等瑞宝章を受けた
 ↓↑ ↓
 明治期のお雇い外国人
 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの長男
 オランダ・ライデンに生まれる
 安政六(1859)年
 父に連れられて来日
 日本語を習い
 文久二(1862)年~明治三(1870)年まで
 在日イギリス公使館勤務
 1866年
 パリ万国博覧会参加の
 徳川昭武一行に付いて訪欧
 一行の動静をイギリス外務省へ逐一内報
 3年民部省雇
   外債切り替え交渉のため
   特例弁務使
   上野景範に従ってロンドンへ出張
 6年太政官正院翻訳局に配属
   ウィーン万国博覧会副総裁
   佐野常民に随行
 8年大蔵省雇
 11年外務省雇
   パリ万国博覧会副総裁
   松方正義に随行
   万博後、在独公使館付
 15年条約改正予議会
 19,20年条約改正会議で東京へ呼ばれ
     通訳官を務め
     会議無期延期直後
     了解工作のため内命を受け
     ヨーロッパ各国を歴訪
     後は終生ヨーロッパにあって
     新聞論調の本省への報告などに従事
     1894年
     日英条約改正交渉のため
     特命全権公使
     青木周蔵に付いてロンドンへ出張
     日清戦争,日露戦争の際は
     世論工作に従事
     1910年勲1等瑞宝章受章
 ↓↑  ↓↑
 シーボルト
 Siebold, Carl Theodor Ernst von
 1804.2.16. ウュルツブルク
 ~
 1885.4.7. ミュンヘン
 ドイツの動物学者
 P.F.vonシーボルトの伯父
 ↓↑
 シーボルト
 Siebold, Philipp Franz von
 1796.2.17. ウュルツブルク
 1866.10.18. ミュンヘン
 ドイツの医者
 文政六 (1823) 年
 長崎オランダ商館の医師として来日
 翌年長崎郊外鳴滝に診療所を兼ねた学塾を開く
 伊東玄朴・高野長英・黒川良安
 ら数十名の門人に
 西洋医学
 一般科学を教授
 商館長の江戸参府に随行 (26)
 日本に関する研究資料を集めた
 シーボルト事件
 文政十二 (1829) 年
 日本追放
 安政六 (1859) 年
 オランダ商事会社員として再来日
 幕府の外交にも参与
 文久二 (62) 年帰国
 『ニッポン』 Nippon (32~54)
 『日本植物誌』 Flora Japonica (35~70)
 『日本動物誌』 Fauna Japonica (33~50)
 など刊行
 ↓↑
 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
 1796年
 ドイツ生まれ
 1823年
 長崎・出島のオランダ商館付の
 医師兼自然科学調査官として来日
 私塾を開設し西洋医学を伝え
 オランダ政府の命で
 動植物や鉱物、民族資料を集めた
 1828年
 積み荷に幕府禁制の地図が発見され
 国外追放処分となった(シーボルト事件)
 1859年
 2度目の来日
 外交顧問などを務め3年滞在
 再び資料収集をして帰国
 1866年、70歳で病死
 (2016-10-11 朝日新聞 夕刊 文化芸能)
 ↓↑
 ジーボルトとも・・・
 1823年長崎出島に着任
 日本研究のかたわら日本人患者を診療し
 1824年
 長崎郊外に鳴滝(なるたき)塾
 高野長英
 高良斎(こうりょうさい)
 伊東玄朴
 戸塚静海
 美馬順三
 二宮敬作
 らの門人を指導
 1826年
 商館長の江戸参府に同行
 1828年シーボルト事件
 翌年追放
 日蘭通商条約締結後の
 1859年
 長子アレクサンダー〔1846-1911〕
 を伴って再来日
 《日本》《日本動物誌》
 《日本植物誌》《江戸参府紀行》
 などの著書
 長崎滞在中の
 其扇(そのぎ・お滝)
 との間に
 娘〈いね・楠本いね)を儲ける
 アレクサンダーは
 英国公使館などの通訳を経
 1870年~1910年
 日本外務省に勤めた
 ↓↑
 4)シーボルト
 Siebold, Heinrich Philipp von
 ドイツ人外交官
 1852年7月21日 ドイツのボッパルトで誕生
 ~
 1908年8月11日
 3)P.F.シーボルトの次男
 明治二年(1869)
 2)兄A.G.シーボルトにしたがい来日
 オーストリア-ハンガリー帝国
 公使館の代理公使
 横浜領事代理
 上海総領事
 などをつとめた
 勤務のかたわら
 考古学の研究にあたり
 「考古説略」をあらわした
 1908年8月11日死去。56歳
 ↓↑
 4)シーボルト
 幕末明治期の
 オーストリア=ハンガリー帝国の外交官
 ライン河畔ボッパルトで誕生
 3)医学者フィリップの次男
 父の影響で
 東洋の文化と歴史に関心を抱き
 駐日イギリス公使館
 通訳官の
 2)兄アレキサンダーが一時帰国した際
 その秘書に日本語を学び
 1869年
 兄と一緒に日本に発つ
 明治五(1872)年一月
 日本代表部の臨時通訳練習生
 10月
 ウィーン万国博覧会の
 日本万博委員会の連絡係
 六年一月
 博覧会への陳列品と共にウィーンに行き
 同年三月
 名誉通訳官に昇任
 翌年6月再来日
 明治十六年2月
 領事館官房書記官
 後
 代理公使
 横浜代理領事
 1等官房書記官
 上海総領事代理
 などを歴任
 同29年7月10日離日
 『日本考古学覚書』(1879)
 『アイヌ民族研究』(1881)
 を書く
ーーーーー
 3)シーボルト
 ドイツ人の医師,生物学者
 バイエルンの
 ビュルツブルクの医師の家に生まれる
 ビュルツブルク大学で
 医学,植物学,動物学,地理学
 などを学び
 1820年学位を得る
 1822年
 オランダ領東インド会社付の医官
 1823年
 ジャワに赴任
 日本に任官
 文政六(1823)年八月
 長崎出島に入った
 はじめ商館の内部で
 市内の
 吉雄幸載の私塾などで
 診療と講義
 翌年長崎奉行から許され
 郊外の鳴滝に学舎を造った
 学生の宿舎や診療室
 薬草園まで備え
 鳴滝塾とし
 週1回出張
 実地の診療や医学上の臨床講義
 様々な分野の学問の講義を行い
 小関三英・高野長英・伊東玄朴・美馬順三
 二宮敬作らの蘭学者を育てた
 文政九年
 オランダ商館長の江戸参府に随行し
 1カ月余り江戸に滞在
 高橋景保・大槻玄沢・宇田川榕庵
 ら江戸の蘭学者とも親交
 長崎へ帰ったシーボルトと
 高橋や間宮林蔵らとの交際のなかで
 間宮が疑惑を持ったのをきっかけに
 同11年
 任期が満ちて帰国するシーボルトの乗った船が
 嵐によって戻された際に
 荷物が調べられ
 国禁違反が発覚
 高橋が
 3)シーボルトの
 『フォン・クルーゼンシュテルン世界周航記』
 と
 オランダ領のアジア地図
 などと引き換えに
 伊能忠敬の
 『日本沿海測量図』の
 コピーなどをシーボルトに渡していた
 ほかにも
 葵の紋服などを
 シーボルトが持ち出そうとしていた
 高橋は裁判の途中に獄中で死亡
 ↓↑
 シーボルトは国外追放で
 同12年12月に日本を去った
 ヨーロッパに戻ったシーボルトは
 日本関係の書物を次々に発表
 ヨーロッパで
 日本学の権威となり
 オランダ国王を動かし
 幕府に開国を勧める親書を起草
 この親書は
 弘化一(1844)年
 幕府に伝えられたが
 幕府はこれを拒否
 日本が開国した際に
 ヨーロッパ諸国と結ぶべき
 条約の私案を起草して
 オランダ政府に伝え
 この条約案は
 嘉永五(1852)年
 クルティウスに託され
 幕府の手に届けさせた
 ↓↑
 開国後
 クルティウスは
 シーボルトに対する
 追放の解除を幕府に要請
 安政五(1858)年
 日蘭修好条約の締結
 同六年シーボルトは念願の再来日
 文久二(1862)年
 日本を去り
 ミュンヘンで亡くなった
 ↓↑
 再来日で帯同していた長男の
 アレクサンダーは日本に留まり
 イギリス公使館通訳
 明治三(1870)年以降は政府のお雇い
 外交政策などの相談役
 ↓↑
 次男の
 ハインリヒも
 同2年に来日
 外交官として長年日本に滞在
 楠本其扇(お滝)
 の娘
 楠本イネ(稲)は
 異母姉で
 産科医
 ↓↑
 3)シーボルトが
 ヨーロッパに紹介した
 日本の風物は
 『日本=日本誌』
 『日本とその周辺諸地域(蝦夷,南千島,樺太,朝鮮,琉球)
  についての記述集成』
 として
 ライデンで・・・ライデン=雷電・来電・頼伝・来伝?
 1832年~54年までに刊行
 『日本動物誌』(1833~50)
 『日本植物誌』(1835~70)
 ↓↑
 日本にピアノが伝来したのは
 シーボルトが
 1823年(文政六年)に持参した
 1826年(文政九年)
 シーボルトが江戸に来たとき
 最上徳内は
 自分の蝦夷地測量図を貸し
 アイヌ語辞典編纂を援助し
 シーボルトはその著《日本》で
 徳内の業績をたたえた
 ↓↑
 「お稲」は
 父シーボルトの名に漢字を当て
 「失本(しいもと)イネ」とも名乗った
 ↓↑
 楠本唯=高子
 は
 楠本イネの娘
 シーボルトの孫娘
 結婚後の改姓により
 三瀬高子(みせ たかこ)
 山脇高子(やまわき たかこ)=山脇たか
 ↓↑
 1865年
 二宮敬作の縁により
 宇和島藩の奥女中奉公
 1866年(慶応二年)
 三瀬諸淵(三瀬周三)と結婚
 1877年(明治10年)
 夫・三瀬諸淵に先立たれ
 後、
 異母兄・石井信義の元で産婦人科を学んだ
 医師・片桐重明に
 船中で強姦され
 妊娠、息子の
 周三(後にイネの養子となり、楠本家を継ぐ)
 を生む
 医業の道を断念
 その直後に
 医師・山脇泰助と再婚し
 一男ニ女を生む
 が、
 結婚7年目に夫、山脇泰助にも先立たれた・・・
 その後
 叔父のハインリヒ・フォン・シーボルトの世話で
 東京で母のイネと共に暮らし
 芸事の教授をして生計を立てた・・・
 ↓↑
 シーボルトの弟子の
 二宮敬作の甥
 三瀬諸淵(みせ もろぶち)・・・楠本唯=高子の最初の夫
 ↓↑  天保十年七月一日
     (1839年8月9日)
      ~
     明治十年
     (1877年10月19日)
     幕末・明治期の医師
     初名・周三
     幼名は弁次郎
     字は修夫
     伊予国
     大洲出身・・・大洲市(おおずし)
     愛媛県の南予地方に位置
     「伊予の小京都」
     肱川の流域にある
     大洲城を中心に発展した旧城下町
     大洲市八幡神社の神主
     常磐井家の私塾
    「古学堂」にて国学を学んだ
     安政五年(1858年)
     大洲に一時帰郷し
     長崎から持ち帰った
     発電機と電信機を持って
     古学堂に旧師、常磐井厳矛を訪ね
     大洲藩の許可を受け
     古学堂から肱川の河川敷まで電線を引き
    「電信」の実験し
     古学堂2階~肱川向かいの
     矢六谷の水亭まで約980メートルの間に
     銅線を架設し、打電に成功
     シーボルトの長男の
     アレクサンダー・フォン・シーボルト
     の家庭教師役を務めながら、自身は医学を学ぶ
     文久二年(1862年)
     諸淵がシーボルトのために
     日本の歴史書の翻訳が発覚、投獄
     1864年に出獄
 ↓↑  明治十年(1877年)胃腸カタルにより39歳で死去
 地元
 大洲で
 日本初の電信実験に成功
 語学も村田蔵六(大村益次郎)から
 学び
 外交で通訳・翻訳
 シーボルトの娘
 イネの娘
 高子と結婚した・・・
ーーーーー
 ・・・人間関係、こんがらがる・・・

しーぼると=置維-波斯-徳利(チイ-ハシ-トクリ)

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 ・・・「Philipp Franz Balthasar von Siebold=置維-波斯-徳利(チイ-ハシ-トクリ)」・・・「波斯=ペルシャ」・・・「徳利(とっくり)」・・・「徳利(とっくり、とくり)=首が細く下部が膨らんだ容器の一種・日本酒を注ぐために使われる瓶(壜)・イカ徳利・一合徳利と盃(グイ呑み)・ 陶製または金属製、ガラス製で、内容量によって180 mLから1.8 L程度まである・燗酒に用いる180 mLから360 mL 程度の容量のもの・液体を注いだときトクトクと音がする容器」・・・「酒以外に酢、醤油など、もっぱら酒の容器」・・・当て字漢字は「土工李・徳裏」・・・
 「水中に入れるとブクブクと沈むところから泳げない者をあざけっていう語・かなづち」・・・
 「とっくりつばめ(徳利燕)=コシアカツバメの別名=とっくり形の巣を作る」・・・
 「雲曇(どんたん)」、「曇具理」、「宮理・具理・愚理」・・・
 「とっくりと・とくと=念をいれて物事をするさま・十分に・よくよく・熟考して」、「とっくり(と)考えて結論を出す」・・・
 同形のモノは「瓢箪徳利」・・・
 「瓜(うり)の容器」・・・「ヒョウタン(瓢箪・瓢簞・gourda)=ウリ科の植物・瓢(ヒョウ・瓠・匏)・瓢瓠(ヒョウコ)・胡盧(コロ・葫盧・壺盧)」、和語では「ひさご・ふくべ」・・・頬被りで徳利を抱えてコッソリ酒屋へ通った福沢諭吉・・・
 「観賞用のヒョウタン=ククルビタシンという苦味成分のある植物毒を含有・嘔吐と下痢を伴う重篤な胃および腸不全を引き起こし、稀に死亡することも・・・」・・・「お稲」は「西瓜」ではなく、観賞用のヒョウタン=瓜を食べた・・・
 植物・・・真ん中がくびれた実をつける
      ヒョウタンカズラ
      ヒョウタンボク
 魚・・・・コロダイ(胡盧鯛)
      イサキ科の海水魚
 瓢箪島・・日本各地に存在・ひょっこりひょうたん島
 瓢箪山古墳・・・日本各地に存在
   瓢箪=うり科・・・
   ↓↑
  「夕顔」=「かんぴょう(干瓢・乾瓢)」の原料・・・鑑評
      ウリ科の瓢箪
      夕顔の花は夕方に咲いた花が
      午前中にしぼむ
      姿は「冬瓜」
      名は「朝顔」
      ヨルガオ(夜顔)の別名
      夕顔の毒性
      ごくまれに苦みの強いユウガオで
      食べると食中毒になる
      苦味成分「ククルビタシン類」が含有
      ユウガオはスイカ等を栽培する際に
      接ぎ木の台木として使用されることがあり
      この台木からとれるユウガオの実は
      ククルビタシン類・・・括る鐚振(審)?
         ・・・鐚=しころ・かぶとや頭巾のたれ
          錏(ア)=金+亞(惡)・・・死比呂(魯)
              異体字は「錏」
              ビタ・品質の悪い銭
         「鐚銭(びたセン)・鐚一文(イチモン)」・・・
      を多く含む


      ウリ科・・・瓜⇔瓢箪⇔字形⇔呂⇔亞⇔㠯⇔𠂤
      胡瓜・南瓜・メロン・ズッキーニ
      ククルビタシン類を含む・・・?
      『源氏物語』に登場する女性
      頭 (とう) の中将の愛人 (常夏の女) で
      玉鬘を産み
      のち夕顔の花咲く粗末な家に住んで
      光源氏の目にとまり愛されるが
      源氏とともに夜を過すうち
     「もののけ」にとりつかれて死ぬ
 ・・・ほとんどが「by wikipedia」 or「by search.yahoo」
ーーーーー

ーーーーー
 シーボルト=置維波斯徳利(服部撫松「東京新繁盛記」)
     |  鳴瀧(なるたき)塾の主催開校者
     |----娘・楠本イネ(1827年)
 楠本  滝(瀧・おたき・おたくさ)=其扇(芸妓名)
 ↓↑  ↓↑    其扇=そのぎ=彼杵
 ↓↑  ↓↑彼杵郡(そのぎぐん)=長崎県(肥前国)にあった郡
       景行天皇が土蜘蛛(豪族)から得た玉を賞し
       この地を「具足玉国(そないたまのくに)」と命名
       この故事を記し、転訛して「彼杵」
       明治十一年(1878年)10月28日
       郡区町村編制法の長崎県での施行により
 ↓↑  ↓↑彼杵郡のうち、
       上長崎村ほか1町172村
       高来郡日見村・茂木村・川原村・樺島村
       の区域に西彼杵郡
       大村町ほか1町172村
       の区域に東彼杵郡
       がそれぞれ行政区域として発足し
 ↓↑  ↓↑同日、「彼杵郡」は消滅
 アジサイ(紫陽花)を新種記載
 Hydrangea otaksaと命名
 (後にシノニムと判明)・・・シノニム?
 アメリカの
 魚類分類学者
 デイビッド・スター・ジョーダン
 が命名した
 アイナメの学名・・・アイナメ(鮎魚女、鮎並、愛魚女)
 ↓↑        魚類
           カサゴ目アイナメ科の1種
           日本沿岸の
           比較的塩分濃度の低い
           岩礁域に広く生息する底生魚
           カサゴ目
           ↓↑
           カサゴ(鮋・笠子・瘡魚)
           メバル(鮴・眼張・眼張魚)
               春告げ魚=はるつげうお
 ↓↑        カジカ(鰍・杜父魚・鮖・ごり・どんこ)
 Hexagrammos otakii(オタキ)
 も「お滝」の名に由来する・・・カモの説

 オタキ=於多紀・於多岐・於多伎・於多気・・・太他記(紀)?
 ・・・「物体の言語的分類法、系統法」・・・
    「人類、人種、国籍、人間の区別、系統分類法
     部族、親族、家族、家系の区別、系統分類法」
 ・・・一般、特殊、個別としての
    認識対象のコトバの定義
   「概念規定=コトバの意味内容、定義」・・・?
 ↓↑
 シノニム=生物の命名法における
      シノニム(synonym)
      同一と見なされる
      分類群(種や属など)に付けられた学名が
      複数ある場合に、そのそれぞれをいう
      ある学名がシノニムであると言う場合
      一般的な文脈では「正しい」学名ではない
      という意味を包含している
      命名規約の上では
     「正しい」学名もシノニムに含まれる
     「syn.」と略記される
      和訳は異名(旧訳では同物異名)
      先着順位・先行順位・早い者勝ち
      商標命名権・・・
      特許占有権
      産業財産権法における優先権・・・
      特許を受けた発明を権利者が
      一定期間
      独占的に実施することができる権利=財産権の一
      ・・・「先憂権(先憂後楽)」じゃぁない・・・?
      先につけられた名
     (古参異名・先行異名/古参シノニム・先行シノニム)
      が有効になり、
      後からつけられた名
     (新参異名・後行異名/新参シノニム・後行シノニム)
      は無効
      ・・・しのにむ=紫乃爾ム(偭・夢)・・・?
      偭=イ+一+丿+囬=イ+面=人+面
        「面」の異体字は「靣・𡇢・𨉥・𠚑・麵」
        むかう=鄉(むか)ふ・そむく・かなう
        ベン・メン
        彼杵(そのぎ)
        景行天皇が三つの玉を献上され
        命名した
       「具足玉国(そないたまのくに)」が転化?
        古代には
       「曽乃岐(木)=そのぎ」
       「明治十一年」
        東西に分離
       「具足(ぐそく)=甲冑や鎧・兜の別称=身体着用防具
                頭胴手足各部を守る装備
                具足(十分に備わっている)
                鎌倉時代以降から甲冑を具足と呼ぶ
                一般的には「当世具足」を指す
                当世=現代風・今風・ファッション
                大具足=攻撃用兵器=刀・鉈・槍
        具足=グソク=愚息・・・日本武尊=小碓命=
        南蛮胴具足(なんばんどう ぐそく)
        徳川家康所用・日光東照宮蔵
        ウィリアム・アダムスが乗船漂着した
        リーフデ号に積載された
        海兵用のプレートアーマーを回収し
        当世具足形式としたもの
        家康だけでなく、主要な家臣にも分与
        ↓↑
        景行天皇の三男の
        日本武尊=倭建=小碓命=大碓命と双子で
                  兄の大碓を厠で殺害・・・
          ・・・大洲(伊豫)・大須(名古屋)・・・
        倭男具那命(ヤマトオグナノミコト・古事記)
        日本童男(ヤマトオグナ・日本書紀)
ーーーーー
 シーボルト=置維波斯徳利(服部撫松「東京新繁盛記」)
 の名前を漢字表記で
 「置維波斯徳利」と
 記録した人物が
 ↓↑
 服部 誠一
 天保十二年二月十五日
 (1841年4月6日)
  ~
 明治四十一年
 (1908年8月15日)
 岩代国
 二本松藩(福島県)の・・・二本松は会津の領地
 ↓↑           
 磐城(いわき)国
 安達(あだち)郡
 岳下(だけした)村
 (福島県二本松市)の
 儒者の家に生まれた
 文学者・ジャーナリスト
 号は
 撫松(ぶしょう)・・・松を撫ぜる・・・松平を慰撫する?
 陸奥国(現福島県)出身
 開化の世相を描くのに
 自由で猥雑な
 造語修辞
 口語体の
 「ルビ」・・・・・ルビ(ruby)
 ↓↑      =漢字の振り仮名用の活字
          英国でルビーとよばれ
          5.5ポイントの
         「欧文活字の大きさ」
          和文で
          5号活字の
          振り仮名として用いた
          7号活字と
          ほぼ等しかったところから
         「ルビを振る」と言う
          ↓↑
          ルビ(ruby)=瑪瑙・紅玉・硬度9
  ↓↑             7月の誕生石
ーールビ(ruby)ーー
  ↓↑
 以下
https://www.jagat.or.jp/past_archives/story/1887.html
 が原文・・・参考添付・・・
  ↓↑
 欧米で活字の大きさを表す名称に
 宝石やその他の名前を取り入れていた
 ポイントと旧呼称(かっこ内)
  ↓↑
 3 ポイント(excelsior)
      エクセルシオール
      史上3番目に大きな
      ダイヤモンド原石で995カラット
      史上最大は
      カリナン鉱山産出の3106カラット
      他意
      木毛(もくもう)=詰め物などの木の削り屑
 3.5ポイント(brilliant)
      ブリリアント
      ダイヤモンド加工の
     「Brilliant cut」模様
      58面体
     (下面の面取り(キューレット)をしない場合は57面体)
 4.5ポイント(diamond)
      ダイヤモンド
      金剛石
     「征服されざるもの・何よりも強い」の
      ギリシャ語のadamazein
            adamas(アダマス)の
            aが取れて
            diamond(ダイヤモンド)になった
 5 ポイント(pearl)
       パール
       真珠
 5.5ポイント(agate)
       アガット
       瑪瑙
       スモールパイカの2分の1・・・米国
       パイカ(pica)=印刷に使用される長さの単位
       1パイカ=1/6インチ=12 ポイント
       ruby=ルビー=紅玉
       他意
      「ふりかな」用の
       フォント「活字ルビ」の語源・・・英国
 6 ポイント(nonpareil)
       ノンパレイユ
       多色の砂糖粒・高質のアーモンド
       他意
       比類ないモノ
 6.5ポイント(minionette)米国
       ミニオネットゥ
       モクセイソウ(木犀草)
       灰緑色
      (emerald)英国
       エメラルド
       翠玉(スイギョク)
 7 ポイント(minion)
       ミニオン
       手下・子分・寵臣・寵児・召使い・陪臣
       お気に入り・愛玩
 8 ポイント(brevier)
       ブレービヤ
        Brevier=聖務 日課書
 9 ポイント(bourgeois)
       ブルジョア
       中産階級の人・有産階級の人
       資本家・ブルジョア(⇔proletariat・都市労働者)
       ブルジョア(フランス語)
       中世ヨーロッパ
       貴族・聖職者
       と
       農民・労働者
       との中間の階級の
       商工業者・市民
       近代社会における有産者
       マルクス主義で
       資本家や資本家階級に属する人
 10 ポイント(long primer)
       ロング・プライマー
       ヘンリー八世の命によって作られた
       宗教書の活字のサイズを指す
       他意
       生地に下地を作るための塗装、塗料
       Primer=銃用雷管
 11 ポイント(small pica)・・・
       スモールパイカ
       異食症(羅語 pica)
       栄養価の無いものを食べたくなる症候
       土・紙・粘土・毛・氷・木炭・チョーク
       などが挙げられ、小児と大人の妊婦に多い
       他意
       picaとはラテン語で
       カササギを意味し・・・鵲・笠鷺
       カササギは何でも口に入れることから
 12 ポイント(pica)
       パイカ
       ピカ(Pica)=チリ北部、タラパカ州の町
       イキケの南東約80キロメートル
       アタカマ砂漠北部のオアシスに位置
       レモンなどの果樹栽培が盛ん
       温泉が湧出
 14 ポイント(english)
       イングルシュ
       インド・ヨーロッパ語族のゲルマン語派
       イギリス・ イングランド地方を発祥とする言語
       ラテン文字、26文字を使用
       綴りと実際の発音の食い違いも大
       英吉利・英格蘭
 16 ポイント(columbian)
       コロンビアン
       コロンブス交換 (Columbian Exchange)
 18 ポイント(great primer)
       グレートプライマー
       入門書・手引き書
       他意
       生地に下地を作るための塗装
       プライマー(Primer)=銃用雷管
 20 ポイント(paragon)
       パラゴン
       模範・典型・逸品
       特大の丸い真珠
       100カラット以上の無傷のダイヤモンド.
       (古・詩)…を(…と)比較する(with)
       他意
       中フランス語←ギリシャ語parágōn
   (pará-並んで)+(akóneと石)=比較のための石
                   →試金石→標準
 48 ポイント(canon)
       カノン
       規範・原則・標準・規準
       根本原理=canons of beauty
       美の規準=the canons of good behavior
       正典・正準の
       英語 canon・仏語 canon・独語 Kanon
       古代ギリシャ語の規則
ーールビ(ruby)振りの文字サイズーー
 ↓↑ ↓↑
 ポイント・システム
 活字や込め物などの大きさを
 ポイントの単位で表すシステム
 18世紀初頭まで
 欧文活字には大きさを表す一定の単位がなく
 上記のように
 大小の活字に名称をつけて区別していた
 倍数関係が判りにくく不便
 活字の大きさの単位
 1737年
 フランスの
 フールニエが提唱
 1ポイントを0.348mmとした
 1770年
 ディドーが、これを改めて
 1ポイントを0.3759mmとした
 これはヨーロッパ諸国で採用
 日本および米・英などでは
 アメリカ式ポイント・システムで
 全米で
 1886年
 パイカ活字の12分の1
 0.3514mmを1ポイントにすることを決め
 イギリスでも
 1905年にこのシステムを採用
 日本の最初の和文活字
 1869年
 本木昌造・・・本木=もとき=元木・元喜・幹・基紀・元記
 ↓↑     昌造=日+曰+告(𠂉丄口)+辶
           昌(あきら)かに造(つく)る
        昌=さかん・あきらか・ショウ(シャウ)
          盛ん・栄える
          昌運・昌盛・繁昌・隆昌
          明らか・美しい
          昌言
          あき・あきら・あつ・さかえ・すけ
 ↓↑       まさ・まさし・まさる・ます・よ・よし
 が
 ガンブル・ウイリアムの考案した
 「号数制」が基本
 ガンブルは
 スモール-パイカ
 (11ポイント)を・・・11
           (十一・壱拾壱)
            ポイント=補音訳(賭=貝+者)
 5号活字としたが
 本木昌造はこの
 11ポイントに相当する日本の尺度にあたる
 「鯨尺の1分」・・・鯨尺=66分の25メートル
          (約37.879センチメートル)=一尺
   鯨尺(くじらじゃく)1尺=曲尺 (かねじゃく) の
               1尺2寸5分に相当し、37.88cm
           普通の曲尺かねじやくの1.25倍
          曲尺の一尺=約30.3cm
          鯨尺の一尺=約38cm
 をあてた
ーー↓↑ーー
  服部 誠一は
 「変体漢文」・・・漢文様式で表記した日本語の文体。和化漢文
 ↓↑       返り読みなど漢文的性格をもつが
          正規の漢文には用いられない
          語彙・語法・語序・用字法の
 ↓↑       日本化した漢文
 を駆使
 『東京新繁昌記(1874年・明治七年四月)』を出版し
 その記録の中で
 「シーボルト=置維波斯徳利」とした・・・
 文体も『江戸繁盛記』流の変体漢文
 当時福沢諭吉『西洋事情』『世界国尽』
 に並ぶ
 1万数千部のベストセラーとなった
 ↓↑
 1882年
 立憲改進党に加入
 山田喜之助、市島謙吉、高田早苗、天野為之、砂川俊雄
 らと政治新聞
 『内外政党事情(四通社)』を発行
 民権拡張を論じる
 『広益問答新聞』『中外広間新報』
 などを発行し
 政府批判から、たびたび発禁処分・・・
 他に
 「二十三年 国会未来記」
 「第二世夢想兵衛胡蝶(こちょう)物語」
 明治七年(1874年)
 宮古島島民遭難事件
 台湾出兵
 ↓↑
 明治六年(1873年)政変=征韓論政変・・・西郷吉之助下野
ーー↓↑ーー
 1830年
 シーボルト、オランダに帰着
 日本で収集した
 文学的・民族学的コレクション5000点以上
 哺乳動物標本200
   鳥類900
   魚類750
   爬虫類170
 無脊椎動物標本5000以上
 植物2000種
 植物標本12000点
 を持ち帰る
 1831年
 オランダ政府
 ウィレム1世から
 ライオン文官功労勲爵士
 ハッセルト十字章(金属十字章)
 を下賜され、コレクション購入の前金が支払われた
 蘭領東印度陸軍参謀部付
 日本関係の事務を嘱託された
 1832年
 ライデンで家を借り、コレクションを展示した
 「日本博物館」を開設
 ルートヴィヒ1世からも
 バエルン文官功労勲章騎士十字章を賜る
 オランダ政府の後援で日本研究をまとめ
 全7巻の『日本』
 (日本、日本とその隣国及び保護国蝦夷南千島樺太
  朝鮮琉球諸島記述記録集)を随時刊行
 間宮海峡を「マミヤ・ノ・セト」と表記
 日本の開国を促すために運動し
 1844年
 オランダ国王ウィレム2世の親書を起草
 1853年
 アメリカの東インド艦隊を率いた
 マシュー・ペリー来日
 その目的は事前に察知し
 準備の段階で
 遠征艦隊への参加を申し出たが
 シーボルト事件で追放されていたことを理由に拒否された
 早急な対処(軍事)を行わないように要請する書簡を送った
 1857年
 ロシア皇帝ニコライ1世に招かれ
 書簡を起草
 クリミア戦争により
 日露交渉は中断
 48歳の
 1845年
 ドイツ貴族出身の女性
 ヘレーネ・フォン・ガーゲルン
 と結婚、3男2女をもうけた
ーー↓↑ーー
 ハインリヒ・フォン・シーボルト
 (Heinrich von Siebold
 1852年7月21日~1908年8月11日)
 オーストリアの外交官・考古学者・・・考古学者
 日本橋の商家の娘
 岩本はなと・・・・・・・・・・・・・岩の本のハのナ
 結婚
 2男1女を儲ける
 長男夭折
 ↓↑
 次男
 於菟(オットー)・・・菟に於いて・・・兔に追手の亀、鮫?
 は日本画家を目指し
 岡倉覚三(天心)らの開いた
 上野の東京美術学校に一期生として合格
 25歳の若さで没
 ↓↑
 娘は「蓮(はす・レン)」・・・蓮=艹+連=ハス(荷)の花
    荷=艹+何
      に・にもつ・集荷・出荷
      になう・物をかつぐ・身に引き受ける
      荷担・負荷
      はす(蓮)・はちす
      睡蓮(スイレン)科の多年草
ーーーーー
 其扇(お瀧)は・・・1807年~
 ↓↑        1869年(明治二年四月十二日死去・63歳)
           其扇(そのおおぎ)=本名を「たき」
           ご先祖
           長崎から西南方向に長く突き出た
           半島の先端に位置した
          「野母(のも)」出身
           代々銅座跡に住居を構えた
           父が31歳、母が25歳の年
          「たき」は
           4番目の娘として生まれた
           父の佐兵衛は
           銅座跡でこんにゃく商
           借財をし、商売も思わしくなく、
           家も人手に渡る
           万策尽きた佐兵衛は
           長女
          「つね」を遊女奉公に出し
          「たき」を遊女屋の引田屋に奉公
          「たき」は15歳の歳で
          「其扇」の源氏名で働いた
 ↓↑      by(吉村昭著『ふぉん・しいほるとの娘』上)
 寄合町(ヨリアイチョウ)
 引田屋(ひけたや)  
 卯太郎・・・・・・卯=うさぎ=兎・兔・菟・・・う詐欺
 抱えの
 遊女
 17歳
 シーボルト
 28歳
 の出会い
 娘
 楠 稲(いね・伊禰)誕生・・・伊禰⇔「伊篤」?


 ↓↑
 シーボルト
 ↓↑
 Philipp Franz Balthasar von Siebold
 1796年2月17日  ~1866年10月18日
 丙辰(乙・癸・戊)⇔丙寅(己・丙・甲)
 庚寅(己・丙・甲)⇔戊戌(辛・丁・戊)
  害
 丁巳(戊・庚・丙)⇔丙寅(己・丙・甲)
  子丑=空亡
 ↓↑
「寅(とら)十一月十一日(1830年12月25日)」
 庚寅(己・丙・甲)
 戊子(壬・ ・癸)
 乙丑(癸・辛・己)
 ↓↑
 1829年12月
 長崎オランダ商館の
 外科医シーボルトは
 国禁を犯した咎により
 国外迫放
 妻、「滝(其扇)」は22歳・・・薬剤師 ビュルゲルーの愛妾
                千歳(引田屋-卯太郎抱え
                   其扇=お瀧の姉=つね?)
 娘、「いね」は2歳7ヶ月
 は
 翌年夏
 オランダからの
 母娘宛の
 シーボルトの手紙は
 片仮名毛筆であった
 ↓↑
 文政七年(1824)十一月二十四日付
 東インド総督
 ファン・デル・カペレンに宛て
 シーボルトの手紙報告
 「昨年すでに私自身の勘案で
  出島に植物園を作り
  珍しい、注目すべき植物を栽培
  収集のため、私の
  長崎の外二〜三マイルの所への
  散歩は非常に役立っている
  五月に私は弟子二人を
  肥後と筑前に派遣し、
  彼等から珍しい博物を得た
  日本各地の数百種の乾燥した植物を得
  長崎の植物を大部分集め、乾燥し
  珍しいものの一部は植物園で栽培し
  他のものは、写生させた
  来年私の植物学の研究を
  バタビアに提出できると思う」・・・
 ↓↑
 シーボルトの出島の植物園
 オランダが植民地経営のため
 世界に張り巡らせた植物園組織の一角で
 ジャワからオランダへの便船を待つ間の
 植物の育成と移植のためのもの
 採集した植物は
 長崎出島→バイテンゾルフ(ジャワ)
 →ケープタウン(南アフリカ)→ライデン(オランダ)
 とつながる植物園の組織によって移送
 出島の植物園には
 シーボルトが帰国する
 文政十三年(1830)までに
 日本と日本に定着した
 中国の有用植物と鑑賞用植物
 1400種類以上の苗木が植えられた
 ↓↑
 ケンペル
 ツュンベリー
 が手掛けた出島の植物園を復興、再建
 シーボルトは、彼らの功績をたたえた記念碑を建立
 ↓↑
 1835年初版『日本植物誌』で
 シーボルトが
 「冬のバラ」
 と紹介したのは
 ツバキ「Camellia japonica」=椿
 発表後
 ツバキは花木の貴族とたたえられ、
 ヨーロッパで
 ツバキブーム
 パリで
 紅白のツバキの
 コサージュや花束が
 夜会のアクセサリーとして人気を集め
 オペラ
 『椿姫』が誕生・・・つばき=海石榴・山茶
 シャネルの
 カメリア・シリーズ
 ココ・シャネルは
 ツバキの花から生まれた
ーーーーー
 1831年10月
 「お滝」は近況を記した返事に
 「おいねに更紗二~三反
  また他に医書を
  又の便りに送り下され候」
 と伝え、翌年
 1832年11月
 贈物の礼状に
 「おいねは
  お送り下され候
  語学書で毎日勉学いたしており
  明年は
  正しき言語にて
  お返事差し上げ得ることと存じ候」
 と記録
 「いね」は
 父から贈られた
 オランダの図書
      皿や時計
      人形
 などに囲まれた環境で育った
 「滝」の再婚先は船問屋
 ↓↑
 「いね」は13歳で医学を学ぶため家を出る決意
 二宮敬作の紹介で
 シーボルトの有能な弟子
 岡山の
 石井宗謙に学ぶが
 彼に強姦され、妊娠
 ひとりで娘を出産
 唯(山脇泰輔夫人、高子)・・・唯(ゆい・ただ)=高の子?
 と名付けた


 185l年
 「いね」と娘「唯」は
 「滝」のもとに帰り
 産院を開業
 外科を
 阿部魯庵・・・阿部の魯の庵
 に師事
 ↓↑
 1854年11月
 二宮敬作は
 「いね」と再会
 石井宗謙との事情を知って
 再び「いね」を
 宇和島に伴い
 寄寓していた
 村田蔵六
 に語学を学ぱせた
 その間
 「滝」は孫娘の
 「唯」を預かり養育し
 「いね」は
 二宮敬作
 の指導を受け
 患者の代診もした
 ↓↑
 1859年8月
 シーボルトの再来日
 1862年の離日までの3年間
 父娘は師弟関係になり
 「いね」は父に頼み
 1859年から
 オランダ商館
 外科医ポンペらに師事
 10年間最新の西洋医学を修めた
 1870年
 東京築地で開業
 1873年7月
 宮内省御用掛
 権典侍
 葉室光子の
 若宮誕生の侍医
 ↓↑
 楠本 イネ
 文政十年五月六日(1827年5月31日)
 ~
 明治三十六年(1903年8月26日)
ーーーーー
 ・・・???・・・しつこく、ダブダブ・・・ダブル・・・

水瓶座=ラテン語 Aquarius(アクエリアス)・M72球状星団

$
0
0

 ・・・何度も繰り返される・・・クリかえす・・・
 2018/11/2/16/54 和歌山大阪地震
 戊戌(辛・丁・戊)
 壬戌(辛・丁・戊)
 戊戌(辛・丁・戊)
 庚申(己・壬・庚)・・・20時 壬戌(辛・丁・戊)
 ナゼ、アジサイ(紫陽花)は
 「Hydrangea otaksa」・・・「水差し(水指し)の紫陽花」なのか?ー
 シーボルト
 1823(文政六)年前後の
 ヨーロッパ
 オランダは
 フランス革命
 ナポレオンの台頭
 フランスさらにはイギリスに占領
 海外領土もフランス・イギリスの支配下
 出島商館長
 ヅーフの努力で
 出島だけには
 「オランダ国旗」が掲揚
 ↓↑    ・・・済州島⇔旭日旗
          竹 島⇔日の丸
       1854年8月4日=嘉永七年七月十一日
      「日の丸」を日本国総船印に定める
       1870年2月27日=明治三年一月二十七日
       制定の商船規則(明治三年太政官布告第57号)
      「御國旗(日本国国旗)」
 ↓↑    ↓↑ 
       1945年(昭和20年)
       連合国軍総司令部(GHQ/SCAP)の指令により
      「日章旗」の掲揚が原則禁止
       1949年(昭和24年)1月1日
       マッカーサーは
       日本の国旗使用を自由とする声明を発表
 ↓↑    ↓↑ 
       1999年(平成11年)
       国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法)が公布
 ↓↑    ↓↑ 
       大日本帝国の日本軍(陸海軍)軍旗
       帝国陸軍
       1870年6月13日(明治3年5月15日)
       太政官布告第355号
       日章旗とは別に
      「陸軍御国旗」として
       16条の光線(十六条旭日旗)を放つ図案を意匠
       を考案・採用・制定
       1879年(明治12年)太政官布告第130号
      「陸軍御国旗」は旭日の意匠はほぼそのまま
       寸法を小さくし房をつけ変更し改めて制定
 ↓↑    ↓↑
       帝国海軍
       1870年10月27日(明治3年10月3日)
       太政官布告「海軍御旗章国旗章並諸旗章ヲ定ム」
      (明治3年太政官布告第651号)
       艦尾用の海軍御国旗及び船首旗章
       白布紅日章が定められ
       幕末以来の「日の丸」が使用
       1889年、明治22年勅令第111号で
       帝国陸軍の軍旗である
       旭日旗を模倣するかたちで
       日章位置が異なる
       十六条旭日旗(日章が旗の左辺寄り)を
       軍艦旗
       艦首旗として日章旗を制定し直した
 ↓↑    ↓↑
       ポツダム宣言受諾
       日本軍の解体
       軍旗、軍艦旗は廃止
 ↓↑    ↓↑
       自衛隊設立時
       陸上自衛隊は帝国陸軍の軍旗とは
       意匠を一部変更
       八条旭日旗を「自衛隊旗」
       海上自衛隊は帝国海軍と同一意匠の
      「自衛艦旗」を
       1954年(昭和29年)に制定
       自衛隊旗及び自衛艦旗は
       自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号)で規定
 ↓↑    ↓↑
 1813年
 ナポレオンがライプチッヒの戦いに敗戦
 オランダ全土に反フランス運動
 イギリス亡命中に死去した
 ウィレム五世の子
 ウィレム六世が帰国
 ネーデルランド連合王国国王
 ウィレム一世として即位
 ↓↑
 1814年
 英蘭条約締結
 イギリスから売買の形式で
 日本との貿易を中国とともに独占
 オランダ領
 東インドの統治権を譲り受け
 日本との関係を深めることを画策
 ↓↑
 オランダ東インド総督
 ファン・デル・カペレン男爵は
 (Goderd Alexander Gerard Philip van der Capellen)
 日本の
 歴史、国土、社会制度、物産
 自然科学的調査
 を計画
 カペレンは
 医学と博物学の振興に力を入れる政策
 ↓↑
 日本の本草学も一部は
 自然史研究、博物学へと転換・・・・
 ↓↑
 シーボルトは
 バタヴィア芸術科学協会員に任命
 長崎出島のオランダ商館に
 派遣される医師に抜擢
 カペレンは
 シーボルトに
 日本でのあらゆる種類の
 学術調査の権限を与え
 総督府が経費を負担
 収集した資料の
 所有権はオランダ政府へ
 との契約を
 シーボルトとした
 「この国における
 ↓↑
  自然科学的調査の使命を帯びた
  外科少佐
  ドクトル・フォン・シーボルト
 (De chirurgijn Majoor, belast met het
  Naturkundig onderzoek in dit Rijk. Dr. von Siebold)
 ↓↑
 シーボルトの
 日本での肩書き
 「小生は新たに抜擢された
  駐在官の侍医
  かつ
  自然研究者として日本へ・・・」
 シーボルトは
 「コンデンスポンデーヴォルデ(内情探索官)」
 と高野長英に答えたと
 渡辺崋山が書いている・・・
 ↓↑
 カペレン
 商館長シュトューラー
  (Johann Wilhem de Sturler)
 ブロムホフ
  (Jan Cock Blomhoff)
 ↓↑
 シーボルトが
 出島の外にある
 鳴滝に私塾を設ける
 特例を認められたのは
 最初ではなく
 ↓↑ ↓↑
 注文した
 ペルシャ馬を
 ケイゼルという馬術教師が
 江戸まで連れて行き
 しばらく
 江戸にとどまり調教にあたった
 ・・・ペルシャ馬=波斯馬
 ・・・・・・置維「波斯(ペルシャ)」徳利=Siebold
 ↓↑    ↓↑           ↓↑  ↓↑
 Philipp   Franz          von   Siebold
 フィリップ・フランツ       ・フォン・シーボルト
 フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト
 Philipp   Franz   Balthasar   von   Siebold
 ↓↑
 Siebold=シーボルト=標準ドイツ語=ズィーボルト
 Ostericum sieboldii=植物のヤマゼリ(山芹)
 ↓↑
 フランツ(ドイツ語 Franz)=アッシジのフランチェスコに由来
      ドイツ語圏の男性名・姓
      フランツィスクス(Franziskus)の短縮形・愛称
      英語圏のフランシス
      仏語圏のフランソワ
      伊語圏のフランチェスコ
      スペイン語圏のフランシスコ
 ↓↑   ↓↑      ↓↑
      アッシジのフランチェスコ
      足  字の腐乱 知恵素胡(古・故)⇔胡⇔波斯
 ↓↑   ↓↑      ↓↑
   (伊  語 Francesco d'Assisi
    ラテン語 Franciscus Assisiensis
  本名 ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ・ディ・ベルナルドーネ
     Giovanni    di  Pietro   di  Bernardone
     1182年7月5日~1226年10月3日
    鳥に向かって説教・狼を説得
    うさぎ・魚・水鳥・蝉・コウロギ(興梠)
    などと話をした・・・  
 ↓↑   ↓↑      ↓↑
 balthasar
 バルタザール(Balthazar, Baltaza)
 東から幼いイエスのためのプレゼントを運んで来た
 3人の賢人のうちの1人
 (one of the three sages from the east who came bearing gifts.)
 ・・・東方の国=ペルシャ=波斯(水皮其斤)=Persia・・・
 ペルシャ語(Persian)
 ペルシャ絨毯(Persian rug・carpet)
 ペルシャ人(Persian)
 ペルシャ猫(Persian cat)
 ↓↑   ↓↑      ↓↑
 フォン(von)=ドイツ語の前置詞
         英語のフロム (from)・オヴ (of) に相当
         von は「ある地点から・人から」の「から…」
 フォン=フォン(phon)=音の大きさのレベル(ラウドネスレベル)
             の単位・一般に「ホン」と表記
     フォン(仏語:fond)=フランス料理
                ソースのベースに使われる出汁
                フォン・ド・ヴォー(仔牛のフォン)
     フォン(独語:von)=ドイツ語の前置詞・英語の"of"
     フォン=不穏・風穏・訃音
     phone or fone=電話(telephoneの省略形)
     中国の姓=豊・酆・封・風・馮・奉・俸
          鳳(ホウ・フウ・ヒョウ)
 フォント(英語 font)=同じサイズで
             書体デザインの
             同じ活字の一揃い
             を指す言葉
             大文字・小文字・数字など
            同一書体で,同一の大きさの
            欧文活字のひとそろい
 王侯貴族の名前は
 「個人名 + 爵位・封号 + フォン(von・ツー) + 姓」の形
 Sie=君たち・あなたたち
 bold=度胸のいる・挑戦的な=a bold attack
          大胆な攻撃
 bold=ボルト=潔い・勇気⇔bald=ハゲ(禿)
    ボールド=bald head(ハゲ頭)
         bald mountain (禿山)
    bald lie=白々しい嘘・見え透いた嘘
 ↓↑   ↓↑      ↓↑
 シーボルト
 契約の不履行
 テミンク(オランダ人)は
 内務省文部局長
 エウェイクに手紙で
 博物収集品は
 オランダ政府の所有という条件に反し
 シーボルトがその一部を
 ドイツの研究者に送った、と抗議.
 ↓↑
 帰国に際してジャワ号に積込んだ
 70箱以上の標本を
 「昨年自分の勘定で集め
  政府に提供する珍奇な博物」
 「学術研究のため自分の費用で集め
  仮に王立博物館に送るもの」
 とした・・・
 先に
 コルネリス・ハウトマン号で
 89箱の標本類を送っている
 テミンクはこれらの標本が
 ミュンヘンに持ち去られる心配から
 オランダの博物館が
 入手するための手筈がとられた
 ↓↑ 
 帰国後
 江戸参府紀行・日本の歴史・民俗・風習・文物
 をまとめた
 『日本』の執筆出版
 シーボルトはオランダのライデンに住居を構え
 ジャワ号で運んだコレクションは
 オランダ政府により買い上げられ
 引き続き
 東インド軍医少佐に任命された
 コレクションは
 1837年に一般公開
 世界中から
 シーボルトの民族博物館を訪れ
 日本を理解しようとした・・・
 相当数の浮世絵も含まれ
 浮世絵コレクションは制作年代も明らかである
 葛飾北斎の
 『北斎漫画』にも注目し
 自著の『日本』で利用した
 シーボルトの収集した
 『北斎漫画』の最初の10巻が
 シーボルト博物館で展示された
 ↓↑
 1845年
 ライデンのシーボルト博物館の図録が出版
 初の日本領事として
 イギリスのラザフォード・オルコック卿
  (Sir Rutherford Alcock)
 が持ち帰った日本の美術品・工芸品が
 1862年
 ロンドンで開かれた万国博覧会に出品
 パリで
 1883年に日本の美術についての2巻本を上梓した
 ルイ・ガンス (Louis Gonse) もライデンを訪れ
 シーボルトのコレクションを研究
 ↓↑
 シーボルトは
 長崎絵師の
 川原慶賀
 を見出し
 慶賀は
 植物の素描画を千点近くを描かせている
.シーボルトが
 『フロラ・ヤポニカ』中に
 フランス語で書いた解説は
 植物の
 自生地
 分布
 生育地の状況
 栽培状況
 学名の由来
 日本名
 由来
 利用法
 薬理
 処方
 シーボルトは
 宇田川榕菴
 桂川甫賢
 の情報を重要視した
 サンクト・ペテルブルクの
 シーボルト植物画コレクションの多く
 宇田川榕菴のイニシャルである
 「W. J.」が残されている
 『フロラ・ヤポニカ』出版
 『日本』
 『ファウナ・ヤポニカ』
 『フロラ・ヤポニカ』
 ↓↑  ↓↑
 ・・置維波斯徳利・・・
   ↓↑
 維=糸+隹
   つなぐ・これ・イ(ヰ)(漢)・ ユイ(呉)
   大綱・国家の大本
   維綱=綱維
   つな・糸すじ
   維管束・繊維・地維・天維」
   つなぎとめる
   維持
   すみ
   四維
   道徳の基礎=四維(礼、義、廉、恥)
   文のリズムを整え強める助字
   これ
   維新
   すべてが改まって新しくなること
   特に、政治や社会の革新
   1870年(明治3)1月3日
   大教宣布の詔書
  「百度維新
   宜しく治教を明らかにし
以て惟神(かんながら)の道を宣揚すべし」
   名のり
   しげ・すけ・すみ・ただ・たもつ・つな・ふさ・まさ・ゆき
   維納(ウィーン)=Wien・Wean〈ヴェアン〉
           仏語 Vienne〈ヴィエンヌ〉
           英語 Vienna〈ヴィエナ〉)
           オーストリアの首都=楽都
           糸=弦楽器
           隹=管楽器
           納=弦楽器で人を冂(かこむ)
   維摩(ユイマ)
 ↓↑
 植物・・・真ん中がくびれた実をつける
      ヒョウタンカズラ
      ヒョウタンボク
 魚・・・・コロダイ(胡盧鯛)
      イサキ科の海水魚
 瓢箪島・・日本各地に存在・ひょっこりひょうたん島
 瓢箪山古墳・・・日本各地に存在
         前方後円墳の平面図は
         花瓶・vase
         英語・ヴェイス. vese
         ドイツ語. ヴァーゼ. Vase
         フランス語. ヴァーズ. vase
         イタリア語. ヴァーゾ. vaso
         水差し
         pitcher
         jug
         carafe
         前方後円墳の側面図は
         靴=くつ=沓・履
         shoes (短靴)
         boots (深靴)
         くたびれた靴 well‐worn shoes
         前方後円墳の正面図は
         山高帽=Bowler
         derby hat
         bowler hat
         マンハッタン(Manhattan)・・・Man hat on
        丘の有る島
        「Manahachtanienk(我々は酔っ払いにされた)」
         酔っ払って24ドルで売った
         島の大部分の基盤岩は
         マンハッタン片岩と呼ばれる
         雲母の結晶片岩で形成
 ↓↑
 「夕顔」=「かんぴょう(干瓢・乾瓢)」の原料・・・鑑評
      ウリ科の瓢箪
      夕顔の花は夕方に咲いた花が
      午前中にしぼむ
      姿は「冬瓜」
      名は「朝顔」
      ヨルガオ(夜顔)の別名
      夕顔の毒性
      ごくまれに苦みの強いユウガオで
      食べると食中毒になる
      苦味成分「ククルビタシン類」が含有
      ユウガオはスイカ等を栽培する際に
      接ぎ木の台木として使用されることがあり
      この台木からとれるユウガオの実は
      ククルビタシン類を多く含む
      ウリ科
      胡瓜・南瓜・メロン・ズッキーニ
      ククルビタシン類を含む・・・
      『源氏物語』に登場する女性
      頭 (とう) の中将の愛人 (常夏の女) で
      玉鬘を産み
      のち夕顔の花咲く粗末な家に住んで
      光源氏の目にとまり愛されるが
      源氏とともに夜を過すうち
      もののけにとりつかれて死ぬ
 ↓↑
 科名=スイカズラ科・・・すいか-づら=西瓜面(辛・痙ら)
    生薬名 =キンギンボク(金銀木)
    漢字表記=瓢箪木
    原産=日本=北海道、 本州、四国
    用途=山地の涼しい場所に自生する落葉低木
       花は4月~6月に咲き甘い香りがし
       白色から黄色に変化する
       果実は有毒     
 スイカズラ科スイカズラ属
 ヒョウタンボク・・・2つの実がくっついて瓢箪のように見える
 の仲間
 「エゾヒョウタンボク」
 スイカズラ(吸蔓)=ニンドウ=忍冬(冬でも茎の先の葉が残る)
           花蕾、茎、果実には薬効
 ↓↑
 シーボルトの玄孫(やしゃご)
 クラウデイア・シーボルト 訪日・九月11日(日曜日)新聞記事
              1977年11月13日に帰国?
 ↓↑
 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
 1845年 ヘレーネ・フォン・ガーゲルンと結婚
 1866年10月18日ミュンヘン郊外で敗血症で死去
 ↓↑ ↓↑ ↓↑
  ヘレーネ・         フォン・ガーゲルン
     |-----アレキサンダー・フォン・シーボルト
     |-----ハインリッヒ ・フォン・シーボルト--
     |-----女子
  フィリップ・フランツ・   フォン・シーボルト
       ‖
 シーボルト=置維波斯徳利(服部撫松「東京新繁盛記」)
     |-----╟--╞--娘・楠本イネ(1827年)
 楠本  滝(瀧・1807~1869)
     ↓↑
 アジサイ(紫陽花)を新種記載
 Hydrangea otaksa
 水差し(水指し)の紫陽花
 みずさし=water jug pitcher carafe ewer
 乾燥した紫陽花の種子の形が
 ギリシャの「水甕(みずがめ)」の形に似ていた
 花瓶の底はしばしば「足」と呼ばれる
 hydrangea=hydr+angea
 ギリシャ語・ラテン語語
 「hydr=水(水素がhydrogen)」+「angea=器」
     ・・・水瓶座=ラテン語 Aquarius(アクエリアス)
            ドイツ語 Wassermann(ヴァッサーマン)
     黄道十二宮の
     白羊宮→金牛宮→双児宮→巨蟹宮→獅子宮→処女宮
    →天秤宮→天蝎宮→人馬宮→磨羯宮→宝瓶宮→双魚宮
                 11番目・宝瓶宮
            1月20日(大寒)~2月19日(雨水)頃まで
            太陽が留まる
        α星=Sadalmelik(サダルメリク)・王の幸運
        β星=Sadalsuud(サダルスウド)・最高の幸運
        γ星=Sadachbia(サダクビア)・テントの幸運
        δ星=Skat(スカト)・すね(脛・臑・足)
        ε星=Albari(アルバリ)・飲み込む者
        θ星=Ancha(アンカ)・腰
        κ星=Situla(シチュラ)・バケツ
        γ星、ζ星、η星、π星は
       「Water Jar」と呼ばれる「アステリズム」
        水甕はガニュメーデースが持っている
           ガニュメーデース=鷲(わし)座[
 M72(NGC 6981)=みずがめ座の「球状星団」=阿字斉
          ピエール・メシャン
          によって
          1780年8月29~30日に発見
[
 ↓↑
 花瓶のアジサイ(紫陽花・額咲き・手まり咲き・・・hydrangea
 flower-vase   味狭藍・安治佐為・阿豆佐為  ハイドレインジァ
         あづさい=集真藍の訛り    ハイドレィンジャ
         七変化・八仙花・またぶりぐさ
         安知佐井・止毛久佐=トモクサ)
      「紫陽花」の漢字の当て字は
      「源 順(みなもと の したごう)」
       延喜十一年(911年)・・・「11」が重なっている・・・
       ~
       永観元年(983年)
       20歳代にして日本最初の
       分類体辞典
      『和名類聚抄』を編纂・・・・・和の名の類を聚めた抄
       嵯峨源氏、大納言・源定の曾孫
       源至の子の
       左馬允・源挙(みなもと の こぞる)の次男
       男子は、源貞
       官位は従五位上・能登守
       梨壺の五人、三十六歌仙の一人
      紫陽花の
      花言葉は「辛抱強い愛情・一家団欒・家族の結びつき」
 と命名
 (のちにシノニムと判明)
 アメリカの
 魚類分類学者
 デイビッド・スター・ジョーダン
 が命名した
 アイナメの学名・・・アイナメ(鮎魚女、鮎並、愛魚女)
 ↓↑        魚類
           カサゴ目アイナメ科の1種
           日本沿岸の
           比較的塩分濃度の低い
           岩礁域に広く生息する底生魚
           カサゴ目
           ↓↑
           カサゴ(鮋・笠子・瘡魚)
           メバル(鮴・眼張・眼張魚)
               春告げ魚=はるつげうお
 ↓↑        カジカ(鰍・杜父魚・鮖・ごり・どんこ)
 Hexagrammos otakii(オタキ)
 も「お滝」の名に由来する
 オタキ=於多紀・於多岐・於多伎・於多気・・・太他記(紀)?
 ・・・「物体の言語的分類法、系統法」・・・
    「人類、人種、国籍、人間の区別、系統分類法
     部族、親族、家族、家系の区別、系統分類法」
 ・・・一般、特殊、個別としての
    認識対象のコトバの定義
   「概念規定=コトバの意味内容、定義」・・・?
 ↓↑
 シノニム=生物の命名法における
      シノニム(synonym)
      同一と見なされる
      分類群(種や属など)に付けられた学名が
      複数ある場合に、そのそれぞれをいう
      ある学名がシノニムであると言う場合
      一般的な文脈では「正しい」学名ではない
      という意味を包含している
      命名規約の上では
     「正しい」学名もシノニムに含まれる
     「syn.」と略記される
      和訳は異名(旧訳では同物異名)
      先着順位・先行順位・早い者勝ち
      商標命名権・・・
      特許占有権
      産業財産権法における優先権・・・
      特許を受けた発明を権利者が
      一定期間
      独占的に実施することができる権利=財産権の一
      ・・・「先憂権(先憂後楽)」じゃぁない・・・?
      先につけられた名
     (古参異名・先行異名/古参シノニム・先行シノニム)
      が有効になり、
      後からつけられた名
     (新参異名・後行異名=新参シノニム・後行シノニム)
      は無効・・・?
      ・・・しのにむ=紫乃爾ム(偭・夢)・・・?
      偭=イ+一+丿+囬=イ+面
        「面」の異体字は「靣・𡇢・𨉥・𠚑・麵」
        むかう=鄉(むか)ふ・そむく・かなう
        ベン・メン
        景行天皇が三つの玉を献上され
        命名した
       「具足玉国(そないたまのくに)」が転化
        古代には
       「曽乃岐(木)」
       「明治十一年」
        東西に分離
       「具足(ぐそく)=甲冑や鎧・兜の別称=身体着用防具
                頭胴手足各部を守る装備
                具足(十分に備わっている)
                鎌倉時代以降から甲冑を具足と呼ぶ
                一般的には「当世具足」を指す
                当世=現代風・今風・ファッション
                大具足=攻撃用兵器=刀・鉈・槍
        南蛮胴具足(なんばんどう ぐそく)
        徳川家康所用・日光東照宮蔵
        ウィリアム・アダムスが乗船漂着した
        リーフデ号に積載された
        海兵用のプレートアーマーを回収し
        当世具足形式としたもの
        家康だけでなく、主要な家臣にも分与
        ↓↑
        景行天皇の三男の
        日本武尊=倭建=小碓命=大碓命と双子で
                  兄の大碓を厠で殺害・・・
              ・・・大洲(伊豫)・大須(名古屋)
        倭男具那命(ヤマトオグナノミコト・古事記)
        日本童男(ヤマトオグナ・日本書紀)
ーーーーー
 ・・・???・・・

「岩(ガン)・山+石=いわ」=「磐・意倭・違和・伊和」

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 ・・・「岩倉具視(いわくらともみ)」の名前って?・・・「岩(ガン)・山+石=いわ」=「磐・意倭・違和・伊和」、「倉(ソウ)・𠆢+一+𠁣+口=くら」、「具(グ)・目+一+八=そなえる」、「視(シ)・示+目+儿」・・・五百円札・・・「磐(いわ)」の「余り」には意味がアルのか?ジンム・・・1869年(明治二年)初来日した「シーボルトの次男=ハインリヒ・フォン・シーボルト(Heinrich von Siebold, 1852年7月21日~1908年8月11日)」は「日本史資料=父の研究資料」をミテ、その古代史をモウソウしたか?・・・『考古説略』、『小シーボルト蝦夷見聞記』著書・・・「井上馨」外務卿の特別秘書・・・
 嫁(よめ)が「岩本はな」って、ボクには益々、ふざけ(巫山戯)ているんじゃぁナイよッ!、とモウソウしてしまうが、「細原茂兵衛の娘、細原ハナ」って?・・・岩本=ガンポン=元本・原本・源本・・・細原=サイゲン=再現・・・
 「岩本はな」⇔「細原ハナ」は同一人物・・・?
 ↓↑
 「箕面(みのお・Minoh・Mino-o)の店の
  手伝い
  女給仕(ウェイトレス=waitress…
             page (boy=小姓・girle?))
            =頁(ページ・page)」・・・?
 箕面(市)には・・・もみじ天婦羅=食用に栽培された
           一行寺楓の葉を1年以上
           塩漬けにして灰汁抜きをしたもの
 勝尾寺(かつおうじ)
 大阪府箕面市にある
 高野山真言宗の寺院
 山号は応頂山
 西国三十三所の第二十三番札所
 開山は開成(かいじょう)
 本尊は十一面千手観世音菩薩
    ・・・十一面の千手(選取)で世の音を観る?
 寺号は「かつおじ・かちおじ」などとも
 地名由来は
 「箕面大滝」の「面」(表面の形)が
 穀物を入れて「もみ殻」や「藁屑」を
 ふるい分ける農具の「箕」に似ているから・・・フルイワケです
 ・・・「悪巫山戯」じゃぁないってか?・・・
 「中国四川・湖北両省の境にある名山・揚子江と大寧河の合流点・長江が山中を貫く・重慶東端」・・・
 「長江=大巴山脈南東の巫山山脈を横切って、両岸に山が迫る峡谷巫峡を形成・この巫峡は西の瞿塘(クトウ)峡、東の湖北(コホク)省の西陵峡とあわせて三峡・東の県境に、最高峰の神女峰(シンジョホウ)」・・・
 「巫=人+工+人・・・人が工みに人を(と)並ぶ(ばす)
             ・・・从=従・・・坐・兩=両
    𢍮=〔説文〕に「古文の巫」とある異体字
    𢀣=〔集韻〕に「巫、古作る」とある異体字
    𠮎=〔集韻〕に「巫、古作る」とある異体字
            ・・・靈=雨+霊
 「巫=女、能く形無きに事(つか)へ
    舞を以って神を降す者なり
    人の兩褎にて舞う形に象る
      兩褎(リョウシュウ)=二褎=両袖・両袂
       褎=亠+E+禾+𧘇
         異体字は「袖・褏・䄂・裦」
         そで・たもと・シュウ・ジュ・ユウ・ユ
    工と同じ意なり
    古は、巫咸、初めて巫と作(な)る
    巫女が両袖をひらめかせて
    舞っているところの象形」
    みこ・かんなぎ・フ
    神霊と交わる呪術師・シャーマン・みこ
    巫覡 (フゲキ) ・巫蠱 (フコ)
    巫祝・巫術・巫女 (フジョ)
    巫女 (みこ) 」
 ・・・「巫山で戯る」って、「山(サン)は重畳(ジュウジョウ・チョウジョウ)」して「天日(テンヒ)を隠蔽(インペイ)」だ・・・モモちゃん、ジャレネコ・・・「巫山(ウーシャン)の夢」ですか・・・
 「楚の懐王が夢の中で巫山の神女と契(ちぎ)った」が、
 その神女は別れに際し、
 「私は巫山の南に住み、
  朝には雲となり、
  夕には雨となる」
 といって立ち去った・・・「巫山之雲、巫山之雨、巫山之夢」
 『宋玉(ソウギョク)・高唐賦』にある故事・・・
ーーーーー
 欧州に散らばるシーボルト・コレクションの
 約半数は小シーボルトこと、ハインリヒの蒐集したもの
 1852年7月21日~1908年8月11日
 壬子(壬・ ・癸)⇔戊申(己・壬・庚)
 丁未(丁・乙・己)⇔庚申(己・壬・庚)
 甲申(己・壬・庚)⇔戊戌(辛・丁・戊)
  午未=空亡
 甲(きのえ)が申(もうす)・・・?
ーーーーー
 メシエ天体コレクション(星団)
http://etplace.justhpbs.jp/messierseidan.html
 星団=お互いの重力によって作られた恒星の集団
    数百の恒星が
   「まばらな集団」をなしているものを
    「散開星団」
    年齢数十億年以下の「若い」星を多く含む
    数十万もの恒星が密集しているものは
    「球状星団」
    年齢百億年以上の星々からなる
 ↓↑
 「NGC」=星雲・星団・銀河などの
       カタログ(New General Catalogue の略称)
       7840の天体が掲載
 ↓↑
 「M73(NGC 6994)」は
 「みずがめ座」にある星群
 「4個の星の集まり」
 「散開星団M73」
 「1780年10月5日と6日にシャルル・メシエが発見」
 ↓↑
 「M72(NGC 6981)」
 「球状星団」

 座標: 星図 20 53 27.70, -12° 32′ 14.3″
 「M72(NGC 6981)」は
 「みずがめ座にある球状星団」
 集中度の低い「球状星団」
 「2013年に49個の変光星が確認」
 口径5cmの望遠鏡では小さくまるい。
 10cmでは円形の星雲状に見え、
 無構造で濃淡も見えない。
 マラスは口径10cmの望遠鏡で
 ざらざらになっているようすを観察
 メシエは、
 「メシャンが
  やぎ座の首の上に発見した。
  先立つ
  M71
  と同じくらいかすかに見える」とした
 「1810年にウィリアム・ハーシェル」は
 40フィートの望遠鏡で
 「非常に明るい、
  外形のまるい星団だ。
  中心から離れて微星がまかれている。
  中心部はひどく密集しているが、
  よく注意すれば星が見えてくる。
  視野内の星の光度は多様で、
  ふつう星団を形成する淡い星とは異なっているが、
  こういった星団にこのような星があるかもしれない
  と考えられないわけでもない」とした
 スミスは
 「微星が集まる球状星団。視野に多くの星が見られ、
  星団に接して一対の重星が続く。
  南7'にM73がある」とした

 ↓↑
 「M71」
 「1772年~79年にかけて、
  ヨハン・ゴットフリード・ケーラー
  が独立して発見し
 「非常に青白い星雲状の光斑」としている
 ジョン・ハーシェルは
 「たいへん大きく、星数が多い。星の光度は11~16等」
 と記し
 写真観測で
 ロベールは
 「星が曲がりくねってつらなり、
  渦状星雲に似ている。
  周囲には17等級以下の星が
  曲線をつづる様子は
  渦状運動によって
  出来たのではないかと思われる」
 と記している


ーーーーー
 1871年
 明治三年
 干支:辛未
 岩倉使節団
 明治四年11月12日(1871年12月23日)
 ~
 明治四年(1873年9月13日)
 日本から
 アメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国に
 派遣された大使節団
 ↓↑
 岩倉具視
 乙酉(庚・ ・辛)⇔癸未(丁・乙・己)
 丙戌(辛・丁・戊)⇔己未(丁・乙・己)
 己亥(戊・甲・壬)⇔乙丑(癸・辛・己)
  辰巳=空亡
 ↓↑
 を正使
 政府首脳陣や留学生を含む
 総勢107名
 米国太平洋郵船会社の蒸気船
 「アメリカ」号で横浜港を出発
 太平洋を一路
 カリフォルニア州 サンフランシスコに向った
 後
 アメリカ大陸を横断しワシントンD.C.を訪問
 アメリカには約8か月、長期滞在
 後
 大西洋を渡り、ヨーロッパ各国を歴訪
 1872年8月17日
 イギリスのリヴァプールに到着
 ↓↑
 1872年12月5日
 ウィンザー城で
 ヴィクトリア女王に謁見
 ↓↑
 1873年3月15日
 ドイツ宰相ビスマルク主催の官邸晩餐会に参加
 ↓↑
 出発から1年10か月後の
 明治六年(1873年)9月13日
 太平洋郵船の
 「ゴールデンエイジ」号で横浜港に帰着
 留守政府では
 朝鮮出兵を巡る征韓論
 「明治六年政変」
 ↓↑
 1872年
 干支:壬申
 日本(天保暦)
 明治四年11月21日~明治五年12月2日
 皇紀2532年
 清:同治十年十一月二十一日
   ~
   同治十一年十二月二日
 ↓↑
 3月14日(明治五年2月6日)浜田地震(M7.1、死者約550名)
     浜田地震
     島根県浜田市(浜田県浜田町)沖で発生
     マグニチュードは7.1
     被害状況から浜田、邑智
        および大田で震度7と推定
 ↓↑
 江戸三座
 江戸時代中期~後期
 江戸町奉行所によって歌舞伎興行を許された芝居小屋
 官許三座 、公許三座 、また単に三座(さんざ)
 当初数多くの芝居小屋があったが
 次第に整理されて四座になり、最終的に三座となった
 ↓↑
 12月9日(明治5年11月9日)
 改暦ノ詔書並太陽暦頒布(グレゴリオ暦導入を布告)
ーーーーー
 明治元年(1868年)
 徳川慶喜が
 薩摩征伐を名目に京都占領を目的とし出兵
 (鳥羽・伏見の戦い)
 1月3日
 緊急会議が招集
 参与の大久保は
 旧幕府軍の入京は新政府の崩壊で
 錦旗と徳川征討の布告が必要と主張
 議定の松平春嶽は
 薩摩藩と旧幕府勢力の私闘で
 政府は無関係を決め込むべきと反対
 議定の岩倉が徳川征討に賛成
 徳川慶喜征討軍の大将軍に
 仁和寺宮嘉彰親王を任じ
 親王は錦旗を掲げて東寺に進軍
 徳川追討の本陣に定めた
 錦旗の登場に各藩次々と政府に応援を派遣
 旧幕府軍は敗走
 ↓↑
 1月6日夜
 徳川慶喜は側近数名と江戸へ逃れた
 徳川征伐に反対した松平春嶽の発言力は弱まり
      賛成した岩倉の発言力が増大
 ↓↑
 1月7日
 在京の諸大名が小御所へ集められ、全員が勤王誓書を提出
 ↓↑
 1月10日
 徳川領没収
 天朝御料の布告
 ↓↑
 1月17日
 政府の首脳部が分担方式の内閣制となり
 総裁を首班にして
 内国事務、外国事務、陸海軍事務、会計事務
 刑法事務、制度事務、神祇事務
 の七閣僚が置かれた
 岩倉は海陸軍事務と会計事務
 熾仁親王は行政の責任者で総裁だが
 政治的権力を振るうことを嫌い
 議定や参与たちの会議の決定を裁可した
 実質的に岩倉政権が誕生
 ↓↑
 黒船来航時の
 殉国者と伏見戦争(戊辰戦争)の殉国者を
 慰霊するため
 招魂社(靖国神社)の設立を決定
 その境内には
 競馬場が設置
 神事として
 陸軍主催の競馬が催され
 優秀な軍馬は払下げられ
 競馬産業の
 維持発展、軍資金の確保をもたらした
 ↓↑
 閏4月21日
 政府機構の再編
 アメリカ合衆国の政治制度を参考に
 行政部・立法部・司法部の
 三権分立型政府へ移行
 岩倉は
 行政官の輔相という
 国内行政全般
 宮中の庶務を監督する役職に就任
 三条実美とともに二人体制
 三条は徳川家の処分の全権を任され
 西郷隆盛を従えて江戸へ出て
 岩倉が実質的な首班
 岩倉は就任早々宮中改革
 公家の宿直(御所での24時間勤仕)の制度を廃止
 ↓↑
 上野戦争後
 8月
 明治天皇が東京(江戸)の行幸発表
 岩倉以下
 中山忠能(議定)・木戸孝允(参与)・伊達宗城(議定)
 ら政府閣僚メンバーも天皇に供奉
 ↓↑
 10月13日
 東京城(江戸城)へ天皇が入城
 ↓↑
 明治二年(1869年)一月
 天皇は京都に還幸
 岩倉も供奉して京都へ戻った
 岩倉は京都に戻って補相の
 1月17日
 に辞職
 ↓↑
 岩倉は版籍奉還に関する意見書を政府に提出
 藩主達は中央政府から
 任命された行政官(知事)
 知事に領地を管理させる
 支配の実態は確実に中央政府へ移し
 土地および人民は
 私有物ではないことを周知徹底
 ↓↑
 6月の版籍奉還後
 行政組織の再編
 古代の官制「省」を模した体制となった
 政府首班を
 左右大臣・大納言・参議で構成し
 その下の行政組織として
 民部省・大蔵省・兵部省・刑部省・宮内省・外務省
 の六省がおかれた
 三条実美が行政責任者の右大臣
 岩倉具視は補佐役の大納言に就任
 参議に
 大久保利通・前原一誠・副島種臣
 らが就任
 ↓↑
 明治三年(1870年)
 岩倉は意見書「建国策」の国家経論
 ↓↑
 明治四年(1871年)二月
 岩倉具視・大久保利通・西郷隆盛・木戸孝允・板垣退助
 らが
 廃藩置県に備え
 藩の指揮権に属さない
 天皇直属の
 御親兵をつくることで一致
 薩摩・長州・土佐の三藩に兵を出すよう命じ
 8,000人の親兵が急遽組織された
 ↓↑
 7月14日
 明治天皇が全知事を皇居に呼び出し
 廃藩置県を宣告
 藩は消滅し
 大名は全員東京へ召集され
 華族、貴族となった
 ーーーーー
 ・・・
 1852/7/21~1908/8/11
 幕末明治期の
 オーストリア=ハンガリー帝国
 の外交官
 ライン河畔ボッパルトで誕生
 医学者
 シーボルト(フィリップ)の次男
 兄は
 駐日イギリス公使館通訳官の
 シーボルト(アレキサンダー)
 兄の秘書に日本語を学び
 1869年兄と一緒に日本に発つ
 明治五(1872)年
 一月
 日本代表部の臨時通訳練習生
 十月
 ウィーン万国博覧会の
 日本万博委員会の連絡係
 明治六年一月
 博覧会への陳列品と共にウィーンに行き
 三月
 名誉通訳官に昇任
 明治七年六月
 再来日
 明治十六年二月
 領事館官房書記官
 代理公使
 横浜代理領事
 1等官房書記官
 上海総領事代理
 などを歴任
 明治二十九年七月十日離日
 『日本考古学覚書』(1879)
 『アイヌ民族研究』(1881)
 著作
 ↓↑
 イギリスの
 J.ラボックは
 石器時代を
 旧石器時代と新石器時代とに分け(1865)
 イギリスの
 H.M.ウェストロップが
 両者間に
 中石器時代の存在を提唱(1872)
 日本に石器時代が存在したことは
 P.F.vonシーボルトの
 「日本(1832~51)」で初めて指摘
 明治時代
 石期、石属世期などの呼称もあったが
 三宅米吉が
 石器時代とよんで(1894)以来この名が普及
 ↓↑
 シーボルト
 長崎に設けた学舎
 1823年(文政六)
 出島商館付医師として日本に着任
 長崎奉行の特別の好意により
 商館の外科室で
 ついで市内の外科医
 吉雄幸載
 楢林宗建
 の私塾を借り
 患者の診療と
    医学生の教育にあたった
 ↓↑
 お滝さんは
 一時、姉の
 お常さんの麹屋町の住宅に
 娘の
 お稲
 妹の
 お貞
 と居住
 再婚した
 俵屋時次郎が44歳で亡くなった後
 お稲と
 銅座町55番戸の家で
 亡くなるまで同居
 ↓↑
 シーボルト北海道歴観卑見・・・なんで「歴観、卑見」なのか?
 ハインリヒ・フォン・シーボルト(日本北辺関係旧記目録)
  シーボルト 北 海 道 歴 観 卑見 (17 ページ)
 (シーボルト ホッカイドウ レキカン ヒケン)
 成立年 明治11年 (1887)
 形態 写本 13丁 26.5cm
 資料注記 大蔵省所蔵書類中より抜写
 内容説明 有名なドイツの
      日本学者シーボルトの
      次男ハインリヒが
      大蔵省に在勤中
      大蔵卿
      大隈重信のすすめで
      北海道を視察した折の復命書
 ↓↑
 「めんも楼」と
 「木綿屋
  細原茂兵衛」
 「めんも」
 木綿屋細原茂兵衛の「綿茂」
 代木綿屋細原茂兵衛が
 「めんも楼」と言う料理旅館を開業
 オランダ商館医師
 フイリップ・フォン・シーボルト
 の次男
 ハインリッヒ・フォン・シーボルト
 が
 明治二年
 オーストリア日本公使館書記官となり
 「めんも楼」へ度々食事に訪れ
 三代目茂兵衛の頃
 娘の
 「細原はな」は・・・岩本はな?
 「めんも楼」で
 接待役として働いていた時
 ハインリッヒの目に止まり
 国際結婚
 明治18年
 大阪府知事
 「建野郷三」の媒酌で
 「はな」
 20歳のとき結婚
 「はな」31歳のとき
 ハインリッヒは帰国を命ぜられ
 ハインリッヒと生き別れ
 ハインリッヒは明治四十一年ウイーンで病没
 「はな」は
 昭和三年63歳のとき
 大広寺「毒湛禅師」に帰依
 ハインリッヒ追善のため
 「大乗妙典」を写経し地中に埋め
 七層の「宝篋印塔(ホウキョウイントウ)」
 を大広寺墓地に建立
 「はな」は
 昭和十二年72歳死没
 ↓↑
 細原はな
 滝道の瀧安寺の対岸
 時習館が建っている場所に
 「綿茂楼」と云う料亭があった
 池田市栄本町
 能勢街道に面して建っていた料亭
 綿茂(メンモ)楼の出店
 細原茂兵衛の娘
 「はな」は、箕面の店の手伝い
 ハインリッヒ・シーボルト
 が大阪府の招待でやって来
 「はな」と知り合う
 明治十八年
 「はな」と「ハインリッヒ」は
 大阪府知事
 建野郷三の媒酌によって結婚
 夫には母国にも妻がおり重婚だった・・・
 大広寺の仏門で尼僧となり
 昭和十二年72才没
 ↓↑
 供養塔
 「花屋敷荘園開拓人 細原茂雄翁 記念碑」
 兄、細原和一郎は
 高島屋の番頭
 妹、細原はな
 ハインリッヒ・シーボルト
 と結婚

 日本語訳された著書
 『小シーボルト蝦夷見聞記』
(原田信男訳、平凡社東洋文庫、1996年)
 ↓↑
 ペイジ=頁=
 日本…御裳捧持者(ページボーイ)=学習院中等科の
 13歳~15歳の少年が皇后に4人、控えとして2人付き
          妃には2人付く
 御裳捧持者の服装=紫紺のビロード製襟無しの上着に
          胸元に白ネクタイ
          膝下の半ズボンに
          白長靴下に黒エナメル靴
          サーベルを腰に佩く
          上着の左右に白いポンポンが5個ずつ
          ズボンの脇に白いポンポンが2個ずつ付く
 ↓↑
 パジェント (pageant[ˈpædʒənt])
 歴史・伝説・宗教等をモチーフとし
 華麗な衣装を着けての行進(儀式的行列行進)
 野外演劇、華麗・壮観な出し物を見せる展示会等
 ページェントとも表記・・・
 パレード
 ↓↑
 お瀧・おたくさ
 紫陽花
 青酸配糖体として
 ヒドラシアノシド類の
 毒性を持つ一方で
 漢方薬として使用される
 フェブリフジンが単離
 嘔吐の副作用を克服する誘導体
 ハロフジノンが
 マラリア治療薬
ーーーーー
 ・・・???・・・だから・・・とらんぷッ?

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