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土佐に流刑になった「葛城一言主神」の権威の凋落・・・?

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 シジミぃ~や、シジミィ~・・・二枚貝綱異歯亜綱シジミ科?
 ↓↑
 桶=木+甬
   十+八+マ+用
  =おけ=槽=木+曹
     =置・於・措
     =織け・尾毛・尾下・尾家・・・尾張藩
      ↓↑
   ・・・飼葉桶・・・?
     億計(おけ)
     弘計(をけ)
      播磨国の
      縮見屯倉首(しじみのみやけのおびと)
      忍海(おしぬみ)部細目の
      馬飼牛飼として仕えた二人の兄弟皇子
      ↓↑
   ・・・海馬おけ=記憶の貯蔵装置・・・?
      ↓↑
      桶狭間(永禄三年五月十九日
       の戦(ユリウス 暦1560年6月12日
          グレゴリオ暦1590年6月22日)
          永禄三年五月十九日
          西暦1560年6月22日(グレゴリオ暦)
          西暦1560年6月12日(ユリウス暦)
            1560年6月12日12時19分
            庚申年
            辛巳月
            甲申日


            大安日
            水曜日
      ↓↑      ↓↑
      西暦1560年6月22日(グレゴリオ暦) 信長
      西暦1560年6月12日(ユリウス暦) 
         信長生日  戊 寅 or 甲 午
      ↓↑  ↓↑     ↓↑     ↓↑
      庚申(戊壬庚)⇔食神(冲)・偏官
      辛巳(戊庚丙)⇔傷官(害)・正官
      甲申(戊壬庚)⇔偏官(冲)・比肩
      庚午(丙 丁)⇔食神(合)・偏官(自刑)
      ↓↑     ↓↑
  ・・・織田信長・織田家・・・カラオケ(唐・加羅・韓-緒家)?
      ↓↑     ↓↑
     天文三年五月十二日(1534年6月23日)
           ~天正十年六月二日(1582年6月21日)
     甲午(丙 丁)偏官・印綬 帝旺⇔壬午
     干合
     己巳(戊庚丙)劫財・偏印 建禄⇔乙巳
      害        比肩建禄格
     戊寅(戊丙甲)  ・偏官 長生⇔戊子
      申酉空亡 大運甲戌偏官
     戊午(丙 丁)比肩・印綬 帝旺⇔戊午
     あるいは
     天文3年5月28日(1534年7月 9日)
          ~天正十年六月二日(1582年6月21日)
     甲午(丙 丁)比肩・食神 死⇔壬午
      自刑午
     庚午(丙 丁)偏官・食神 死⇔乙巳
      自刑午
     甲午(丙 丁)  ・食神 死⇔戊子
      辰巳空亡 大運乙亥劫財
      自刑午
     庚午(丙 丁)偏官・食神 死⇔戊午
     ↓↑     ↓↑
     自刑 午-午-午-午・・・???
     寅(虎)⇔冲己⇔申(猿)
     巳(蛇)⇔冲己⇔亥(猪)
ーーーーー
  双子の兄弟
     『創世記』25章~36章
     ヤコブ(Jacob) 旧約聖書中の族長の一
     イサクの子
     双子の兄
     エサウをだまして長子権をうばう
     天使と格闘して敗れたが
     神の祝福を受けイスラエルと改名


     エサウ(Esau) 兄・・・・重差得・餌得?
     ヤコブ(Jacob)弟・・・・耶鼓舞・爺瘤・椰混布?
     祖父はアブラハム
     父 はイサク(Isaac・意味は笑う)60歳
     母 はリベカ(Rebekah・カルデア人)・・・珂瑠出蛙?
     長子相続権の祝福譚・親族抗争
 ↓↑
  双子の兄弟
      大碓(おほうす)・兄・・・姉・老・伯父・伯母
      小碓(を うす)・弟・・・妹・若・叔父・叔母(倭姫命)
                倭姫=第十一代垂仁天皇の第四皇女
      ↓↑     ↓↑
      日本武(倭建命・倭男具那・日本童男)VS伊吹山の白猪
      ↓↑
     兄弟(異母兄弟・異父兄弟)
     大津皇子=父は天武(大海人皇子)・母は大田皇女
     草壁皇子=父は天武(大海人皇子)・母は持統(鸕野讃良)
          天武天皇の叔母は「倭姫王」
                  「古人大兄皇子」の娘
          中大兄皇子(天智天皇)の皇后


          古人大市皇子
          古人皇子・吉野太子
            ・・・吉野に隠ったのは
               天武(大海人皇子)⇔古人大市皇子?
          とも呼ばれる
          舒明天皇の第一皇子
          母は蘇我馬子の娘
          蘇我法提郎女(ほほてのいらつめ)
          で
          蘇我入鹿とは従兄弟
          古人大兄皇子の兄弟姉妹
          天智天皇(中大兄皇子)
          間人皇女(孝徳天皇皇后)
          天武天皇(大海人皇子)
          蚊屋皇子(母は吉備国の蚊屋采女(かやのうねめ))
          ・・・ナゼ、「蚊屋」 なのか・・・
         「蚊=中の厶の文」の「屋=屍に至(一厶十一)る」?
          虻=阿武・あぶ=則天武后
          蚊=?・・・中のヨコシマな亠(音)の乂(かり)?
      ↓↑ 
     億計(おけ)
     弘計(をけ)
      ↓↑
      父、磐坂市辺押磐皇子と
      母、葛城蟻臣
       (かつらぎのありのおみ)
      の女(むすめ)
      荑媛(はえひめ)
      の子
      億計(おけ)=第24代仁賢天皇
      ↓↑      意祁(億計・おけ)
             億計天皇・・・憶測
             大石尊
            (おほしのみこと)
             意祁命
             意富祁王
            (おほけのみこ)
             大脚
            (おほし)
             大為
            (おほす)
             字は
             嶋郎(しまのいらつこ)
             漢風諡号は
        ↓↑    仁賢天皇
        皇后は
        春日大娘皇女
        子女
        高橋大娘皇女・・・高橋の大の娘
                 高木郎女(古事記)?
                 高木神
                 高木 兼寛(たかき かねひろ)?
                 嘉永二年九月十五日
                (1849年10月30日)
                 ~
                 大正九年(1920年4月13日)
                 日本海軍軍人
                 海軍軍医総監(少将相当)
                 医学博士
                 男爵
                 東京慈恵会医科大学の創設者
                 脚気の撲滅に尽力
                「ビタミンの父」
        朝嬬皇女
        手白香皇女・・・・継体天皇皇后
                 手白髪郎女(古事記)
                 子に欽明天皇
        樟氷皇女
        橘仲皇女
        武烈天皇・・・小泊 瀬稚鷦鷯
              (おばつせわかさざき)
        真稚皇女
        春日山田皇女
        皇居は
         石上広高宮
 ↓↑    ↓↑
      弘計(をけ)=第23代顕宗天皇
             袁祁(弘計・をけ)
             来目稚子
             (くめのわくご)
             袁祁石巣別命
             (をけいわすわけのみこと)
             弘計(をけ)天皇
             袁奚(をけ)天皇・・・奚?
              渓谷
              ・・・鶏・鷄・雞
                 二和鳥
             奚=爪+糸=鳥を糸で繋ぐ意?
             奚=なんぞ・なに・ケイ
             異体字「貕」
             声符「奚・㜎・谿・騱・螇・雞
                鼷・徯・豯・鷄・謑・鞵
                膎・蹊・𪓷」
                蹊=こみち・ケイ
                  𧾷+奚
               ・・・鼠蹊=もものつけね
             同訓異義「なんぞ・なに
                  何曷胡盍那庸奚詎」
 ↓↑          ↓↑
             奚=爪+幺+一+人
             雞=爪+幺+一+人+隹
             鷄=かけ=ニワトリの古名?
        「庭つ鳥
         鷄(かけ)の
         垂尾(たりお)の
         乱れ尾の
         長き心も・・・・のんびりした心持
                 安堵した気持ち
         思ほえぬかも・・になんかにはなれない
         万葉集(1413)」
        「かけろ」と鳴く声から・・・懸卦賂?
         家鶏(カケイ)・・・
         鶏冠(とさか・ケイカン)
      父の
      市辺皇子が
      雄略天皇に殺され
      二王は逃亡し
      播磨の
      縮見屯倉に奴として潜伏した
      山部連小楯が
      播磨国宰(みこともち)として赴任し
      志自牟なる人物の新室の宴席で
      両皇子を見いだした
ーーーーー

 ・・・???・・・シジミぃ~や、シジミィ~・・・
 史事見・詞字見・市児見・指示見・・・?
 蜆(中+厶+見・basket clams・ クラム)・・・私事観・・・
 ↓↑
 corbicula(コービキュラ)
 Cyrenidae(サイレニダエ?)・・・淡水域や汽水域に生息する小型の二枚貝・・・
 カイ=歌意=貝=甲斐=蝦夷・・・貝=Shellfish・・・?
 ↓↑   ↓↑
 アメフラシ=雨虎=sea hare(シー ヘア)
 アワビ  =鮑=abalone(アバロウニ)      ・・・阿波(安房・泡・粟)の美(備)
 ウニ   =海胆・雲丹
      =sea urchin(シー アーチン)
 ウミウシ =海牛=sea slug(シー スラグ)
 エビ   =海老・蝦=shrimp(シュリンプ)
 カキ   =牡蠣=oyster(オイスター)
 カニ   =蟹=crab(クラブ)
 クラゲ  =海月・水母
      =jellyfish(ジェリーフィッシュ)
 ゴカイ  =沙蚕=lugworm(ラグワーム)
 サザエ  =栄螺
      =turban shell(ターバン シェル)
 ナマコ  =海鼠
      =sea cucumber(シー キューカンバ)
 ハマグリ =蛤=clam(クラム)
 ヒトデ  =海星=starfish(スターフィッシュ)
 フジツボ =富士壺=barnacle(バーナクル)
 ホラガイ =法螺貝=conch(カンチ)
 ヤドカリ =宿借り
      =hermit crab(ハーミット クラブ)
 巻き貝  =univalve shell (ユニバルブ シェル)・・・ユニ・バルブ
                     結合制御弁・弁膜・調節弁
 二枚貝  =bivalve shell (バイバルブ シェル)・・・バイバル⇔聖書?
ーーーーー
 ・・・???・・・
 土佐に流刑になった「葛城一言主神」の権威の凋落・・・???
 ・・・「坂本大臣(龍馬)」の失墜・・・
 根使主(ね の おみ・470年(雄略天皇十四年四月)
 坂本臣(おみ)の祖
 根臣・姓は臣(使主)
  「建内宿禰
 の子は九人
 次に
 木角宿禰は
 木臣、都奴臣、坂本臣の祖」・・・
 「坂本臣」
 「紀朝臣同祖、彦太忍信命
  武内宿禰命之後也(古事記・孝元天皇)」
 「坂本朝臣」
 「紀朝臣同祖、建内宿禰男 紀角宿祢之後也
  男白城宿禰三世孫 建日臣。
  因レ居賜二姓坂本臣一(和泉国皇別)」
 「坂本朝臣」
 「紀朝臣同祖、紀角宿禰男
  白城宿禰之後也(左京皇別)」
 ↓↑
 坂本糠手(丁未の乱)
 坂本財(壬申の乱)
 ↓↑
 安康天皇は
 坂本臣の祖先
 根使主を
 大草香(大日下)皇子の所に
 派遣し
 若日下王の
 結納品
 「押木玉縵(おしきのたまかずら)」
 を天皇に差し出さずに着服
 嘘を言って
 大草香皇子を死に追いやった
 十六年後
 呉の使節の宴会接待時
 根使主の玉縵の隠匿とウソがばれ
 根使主は逃亡
 日根で稲城をつくって防戦したが
 敗北し殺害された
 天皇は
 根使主の子孫を2つに分け
 一つを皇后のための名代大草香部の部民とし
 一つを茅渟県主(ちぬ の あがたぬし)に与え
 「負嚢者(ふくろかつぎのもの)」とされた
 大草香皇子に殉死した
 難波吉士日香蚊に
 カバネを与え
 大草香皇子の名
 「大草香部吉士」と名乗らせた・・・
 ↓↑
 根使主の遺児
 小根使主(おね の おみ)は、
 「天皇の城は堅からず、我が父の城は堅し」
 という自慢をしたので
 天皇は
 小根使主を殺した
 ↓↑
 684年(天武天皇十三年)
 八色の姓で
 坂本臣一族は
 朝臣を賜姓された・・・???
 ・・・ハナシは「幕末~明治」の「坂本龍馬」の顛末だろ・・・?
 次のハナシも・・・バクマツ・・・?
 ↓↑
 磐城皇子(いわき の みこ)・・・磐の城
 「石木王=磐城王=磐城皇子」
 雄略天皇
 と
 吉備上道臣氏出身の
 稚媛との間の子
 ↓↑
 星川稚宮皇子
 (ほしかわのわかみやのみこ)
 の
 同父兄
 異父兄に
 吉備上道兄君
 吉備上道弟君
 がいる
 磐城皇子の弟が
 白髪皇子(清寧天皇)
 ↓↑
 星川皇子
 雄略天皇の皇子
 母は吉備上道臣の娘
 稚媛
 雄略天皇の死
 清寧天皇即位に際し
 母の稚媛の教唆で反乱を起こし
 大蔵を抑え
 吉備上道臣(名は不詳)の
 皇子支援水軍の到着以前に
 大伴室屋
 東漢掬(やまとのあやのつか)
 の軍に鎮圧焼き殺された
 ↓↑
 雄略朝に百済から貢上した
 今来才伎(いまきのてひと)
 の
 陶部(すえつくり)
 鞍部(くらつくり)
 画部(えかき)
 錦部(にしごり)
 訳語(おさ)などの管理を命ぜられた
 雄略天皇の臨終に
 大連(おおむらじ)の
 大伴室屋
 と
 東漢掬(やまとのあやのつか)
 とに遺言し
 白髪皇子(清寧)を
 後継天皇に立てることを託した
 天皇が死ぬと
 星川皇子が
 母の吉備稚媛(きびのわかひめ)の
 教唆で
 大蔵を占拠し
 室屋と掬は兵を発して
 大蔵を囲み
 火を放って皇子らを焼き殺した
 東漢氏(やまとのあやうじ)
 は発展して数十の氏に分かれ
 多数の帰化系の
 小氏や部民を指揮・管理するようになった
ーーーーー
 ・・・???・・・すげェ~ッ!!・・・
 ニュージーランド・・・カナダに63-0で快勝・・・
 新西蘭 牛西蘭 新西蘭土 新設蘭杜 紐斯蘭 新地伊蘭土 新刖蘭・・・


長旅の船中で「古事記・日本書紀」を読んだか?

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 双子・・・一乱性、二乱性・・・「一覧・二蘭・三藍」所為?
 観覧車(Ferris wheel)・・・観覧者・・・ダレ、ナニ・・・Viewing?
 ・・・観覧者=spectator・paying visitor・visitor・・・
 見たり観察したりする行為
 the act of looking or seeing or observing
 検分・眺・眺め・観覧・観察・見ること・詳しく見る 
 目での認識・目で認識する力
 perceive by sight or have the power to perceive by sight
 perceive(パスィーヴ)・知覚する・気づく・感じる
 see or watch
 ↓↑
 双子の確執?・・・一卵性 or 二卵性・・・?
 ・・・「一乱・二乱」背意・・・「一覧・二蘭・三藍」の所為?
 ↓↑
 旧約聖書・・・旧訳誓書・・・旧訳の所為(せい)の処(ショ)?
 ↓↑
 エサウ(Esau) 兄・・・・重差得・餌得?
 ヤコブ(Jacob)弟・・・・耶鼓舞・爺瘤・椰混布?
 双子の兄弟
 ↓↑
 祖父はアブラハム
 父はイサク(Isaac・意味は笑う)60歳
 母はリベカ(Rebekah・カルデア人)・・・珂瑠出蛙?
 長子相続権の祝福譚

 ↓↑
 出産で
 先に出てきた子は
 色が赤くて
 全身が
 毛皮(セアル)の
    ・・・毛皮=モウ匕・けがわ
 衣のようであり
 エサウ
 と名づけられた
 エサウは狩人となり
 父イサクに愛されたが
 長子としての特権を
 レンズ豆のスープ一杯で
 弟ヤコブに売り渡した
 空腹のあまり
 弟ヤコブの作っていた
 レンズマメ
    ・・・マメ(豆)科ヒラマメ(扁豆)属の一年草、種子
       光学用「レンズ(蘭語 lens)」の語源
 の煮物を望み
 自分の長子の権利を譲ると
 口約束をする
 目が見えなくなっていたイサクは
 長子エサウに祝福を与えようとしたが
 リベカは
 自分の愛した・・・ナゼ、双子の弟を愛したのか・・・二卵性だった?

 ヤコブに知恵をつけ
 エサウ
 のフリをさせて
 イサクの祝福を
 ヤコブに与えさせ
 エサウはソレに激怒し
 ヤコブを殺そうとする
 リベカは自分の兄の
 ラバンの元へ
 ヤコブを逃亡させた
 ↓↑
 後
 エドムのエサウのもとに
 ヤコブが訪れるが
 エサウは四百人の供で迎え
 ヤコブは恐れるが
 エサウはヤコブとの再会を喜ぶ
 ↓↑
 子孫は
 エドム人
 古代パレスチナに居住した
 セム系民族・・・・・・責務・施武・施ム?
 現在のエジプト(埃及)人
 ↓↑   ↓↑
 「文久遣欧使節」は長旅の船中で
 「旧約聖書、新約聖書」を読んだか?
 使命は「旧約条約」から「新約条約」への改正・・・
 ↓↑   ↓↑
    ・・・文久遣欧使節(第1回遣欧使節、開市開港延期交渉使節)
    江戸幕府がオランダ、 フランス、イギリス、プロイセン、ポルトガル
    との修好通商条約(1858年)で交わされた
    両港(新潟、兵庫)
    両都(江戸、大坂)
    の開港開市延期交渉と
    ロシアとの
    樺太国境画定交渉のため
    文久元年(1862年)
    ヨーロッパに派遣した最初の使節団
ーー↓↑ーー
 竹内遣欧使節
 文久遣欧使節
 第1回遣欧使節
 開市開港延期交渉使節
 ↓↑
 江戸幕府が
 オランダ、フランス、イギリス
 プロイセン、ポルトガル
 との
 修好通商条約(1858年)
 で交わされた
 両港(新潟、兵庫)
 両都(江戸、大坂)
 の開港開市延期交渉と
 ロシアとの
 樺太国境画定交渉のため
 文久元年(1862年)
 ヨーロッパに派遣した最初の使節団
 ↓↑
 正使、竹内保徳(下野守)
 副使、松平康直(石見守、後の松平康英)
 目付、京極高朗(能登守)
 他
 柴田剛中(組頭)
 福地源一郎
 福沢諭吉
 松木弘安(後の寺島宗則)
 箕作秋坪
 らが一行に加わり
 総勢36名
 後日
 通訳(蘭語、英語)の
 森山栄之助
 渕辺徳蔵
 が加わり38名となった
 ↓↑
 万延元年遣米使節
 ↓↑
 オールコック駐日英国公使
 ベルクール駐日仏国公使
 オールコックは当初
 開港延期交渉に関しては反対の立場
 幕府の内情を知るにつれて
 これを支援
 自身の休暇帰国を
 一行の日程と合せ
 交渉のサポートを行った
 ↓↑
 文久元年十二月二十二日・・・文究元念拾字解通似拾字?
 (1862年1月21日)
 英国海軍の
 蒸気フリゲート
 オーディン号(HMS Odin)で・・・緖有出音語雨?
 品川港を出発
 長崎、英領香港、英領シンガポール
 英領セイロン、英領イエメンを経て
 エジプト(埃及)・(スエズ蘇士)
 に上陸
 鉄道で
 カイロ(改羅・開羅・該禄)
 から
 アレクサンドリア(亜歴山特)
 に出
 地中海を渡り
 英領マルタ(摩爾太・馬爾太・馬爾達・馬児達・馬耳他
       瑪児太・馬他・丸太・丸田・馬耳他・馬爾他)
 を経て
 マルセイユ(馬耳塞)
 に入った(4月3日)
 パリに到着(4月7日)
 フランス(仏蘭西)
 と交渉
 開港延期の同意は得られなかった
 後、
 カレー(Calais・珈竰?)
     ・・・ドーバー海峡=カレー海峡
       (ドーバー海峡・Strait of Dover)
 から英仏海峡を横断
 文久2年4月2日(1862年4月30日)
 イギリス・ロンドン(London・倫敦)
 ↓↑    ロンディニウム
      (Londinium・沼地の砦)
       沼=ぬま=「渟」
         異体字「汀」
      和風諡号は天「渟」中原瀛真人
             渟=氵+亭
               氵+亠+口+冖+丁
               テイ
               たマる
               とどマる
               とメる
               たたえる・水がたまる・水たまり
               とまる・とどまる・とどめる


               茅渟海=ちぬ-の-うみ
                血沼・智奴・茅沼


               渟足柵(ぬたりのき)
               飛鳥時代
               647年(大化三年)信濃川右岸に設置
               日本海方面の蝦夷(エゾ)征討のため
               越後国に設けられた基地
               木柵で囲まれた城柵で
               柵戸(キノヘ、サクコ)
               と呼ばれる
               屯田兵的な民が守備していた
               647年(大化三年)信濃川右岸に設置
 ↓↑             ↓↑          
             天武天皇
             諱は大海人
             在位
             天武二年二月二十七日
            (673年3月20日)
             ~
             朱鳥元年九月九日
            (686年10月1日)
             天武天皇元年(672年)6月22日~7月23日
             天武天皇元年六月二十四日~七月二十三日
            (ユリウス暦672年7 月24日~8月21日)
            「壬申の乱」に勝利
      イギリス・ロンドン(London・倫敦)
 ↓↑    ↓↑
      古代ローマ帝国の都市
      ブリテン島に侵入していたローマ人が
      紀元後1世紀頃に造った町
      セント・ポール大聖堂の近くの
      テムズ川北岸の一画を
      3辺の城壁で囲み
      川に橋をかけて建設された
      ・・・雨の倫敦
 ↓↑    ・・・天の論譚・龍動(longdong)
 に到着
 日本の内情を知る
 オールコックが休暇帰国するのを待ち
 オールコックの協力を得
 同年5月9日(6月6日)
 日本国内の事情に鑑み(攘夷熱)
 兵庫、新潟、江戸、大坂の開港
 開市を5年延期
 1868年1月1日
 ロンドン覚書が調印
 ↓↑
 その後
 オランダ(6月13日 - )
 プロイセン・ベルリン(7月18日 - )
 と他国とも同様の覚書を締結
 後
 ロシア・サンクトペテルブルク(8月8日 - )
 樺太国境画定に関する
 ロシアとの交渉は合意に至らなかった
 ↓↑
 復路で
 カウナス、プロイセン王国
 フランス帝国(パリ覚書締結)
 を経てポルトガルを訪れた(10月9日 - )
 帰路は
 英領ジブラルタルを経由
 往路とほぼ同じ行路をたどり
 文久2年12月11日(1863年1月30日)
 一行は帰国
 ↓↑
 ロンドン万国博覧会に合わせて滞在
 ロンドン万博の日本コーナーには
 オールコックが収集した品が展示
 日本の物品が展示された最初の万博
ーー↓↑ーー
 ・・・第2回遣欧使節、池田使節団は
   「攘夷勅命を撤回し」
   「」
    長旅の船中で
   「古事記・日本書紀」を読んだか?
 使命は「旧約条約」から「新約条約」への改正・・・
 ↓↑
 第2回遣欧使節
 池田使節団
 横浜鎖港談判使節団
 文久三年十二月二十九日
 (1864年2月6日)
 ~
 元治元年七月二十二日
 (1864年8月23日)
 ↓↑
 正使
 池田長発(筑後守)
 副使
 河津祐邦(伊豆守)
 目付
 河田熙(相模守)
 ↓↑
 幕府がフランスに派遣した外交団
 である。第2回遣欧使節、池田使節団
 ↓↑
 使節団の目的
 開港場、横浜を再度閉鎖する交渉
 孝明天皇は
 文久3年5月10日(1863年6月25日)に
 攘夷勅命を発し
 幕府は
 5月9日(1863年6月24日)に
 各国公使に対して開港場の閉鎖を通達
 諸外国はこれを拒否
 幕府も9日後にはこれを撤回
 ↓↑
 下関事件・・・1863年6月25日
        文久三年五月十日
        馬関戦争
        長州藩が米商船ペンブローグ号を砲撃
        長州藩が馬関海峡で米仏蘭商船を砲撃
 薩英戦争・・・1863年8月15日~17日
        文久三年旧暦七月二日~四日
        薩摩藩とイギリス海軍の戦闘
 フランス士官カミュ殺害事件
        1863年10月14日
        文久三年九月二日
        武蔵国久良岐郡井土ヶ谷村字下之前
       (神奈川県横浜市南区井土ヶ谷下町3付近)
        で起きた
 ↓↑      攘夷派の浪士によるフランス士官殺傷事件
 等が起きて諸外国との軋轢
 幕府は攘夷派を懐柔するため
 江戸に近い横浜の閉鎖を交渉するため
 使節団を派遣
 フランス士官殺害事件
 の賠償交渉も含まれていた
 ↓↑
 文久三年十二月二十九日
 (1864年2月6日)
 フランス軍艦
 ル・モンジュ号で日本を出航
 上海やインド等を経由
 スエズからは陸路で
 カイロへ向かい
 ギザの三大ピラミッド
 スフィンクスを見学
 その後地中海を通って
 マルセイユに入港
 パリに到着
 皇帝ナポレオン3世
 に謁見した
 交渉を途中で打ち切り
 5月17日(6月20日)
 フランス政府と
 パリ約定を結び
 一行は他の国には寄らず帰路に就き
 同年7月22日(8月23日)に帰国
 ↓↑
 7月27日(8月28日)
 四国連合艦隊が横浜を出航
 四国艦隊
 下関砲撃事件が勃発
ーーーーー 
   埃及=エジプト
 ↓↑ 埃=土+矣
     =十+一+厶+矢(𠂉一人)
      土+厶+矢(𠂉一人)
      アイ・・・合
      ちり・・・地理・知理・塵
      ほこり・・誇り
      ごみ・・・語見・後観
      砂ぼこり・土ぼこり・・・札幌で馬糞風?
              カイロ(改羅)で駱駝糞風?
      矣(イ)=文末にそえる助字
           断定・推量・疑問・反問・感嘆の意
 ・・・エドム(Edom)⇔江戸の武(務・ム=私・己)?
 ↓↑
 エサウは一度は
 弟ヤコブと和解するが
 息子たちに
 長子の権を
 ヤコブに奪われた事を批判され
 ヤコブとその一族への復讐を催促され
 弟への憎悪がよみがえり
 一族を率いて
 ヤコブとのその家族を襲ったが
 ヤコブに矢を放たれ死亡
 ヤコブは兄を埋葬し
 エサウの一族は
 ヤコブの一族の奴隷となる・・・?
 ・・・日本人(倭人)の私には
   「勧善懲悪」でない物語には納得しかねる・・・
    狡い
   「ヤコブ」は「神」にとって「善」なのか・・・?
   善悪ではなく、一族が生き延びる「スベ」のモノガタリ・・・
 ↓↑
 ヤコブ(Jacob)
 ヘブライ人族長
 別名はイスラエル
 イスラエル人=ユダヤ人は
 ヤコブの子孫・・・
 ↓↑
 ヤコブは双子の
 兄エサウを出し抜いて長子の祝福を得
 兄から命を狙われ逃亡
 その途上
 天国に上る階段の夢(ヤコブの梯子)を見て
 自分の子孫が偉大な民族になるという
 神の約束を受ける
 ハランにすむ
 伯父
 ラバンのもとに身を寄せ
 財産を築いて独立・・・
 ↓↑
 兄エサウとの和解を志し
 会いに行く途中
 ヤボク川の渡し
 (後に彼がペヌエルと名付けた場所)
 で
 神と格闘し・・・相撲(すまひ)
 ↓↑      角力(鹿の角会せ・角技)
         垂仁天皇の時
         野見宿禰(のみのすくね)
         と
         当麻蹴速(たいまのけはや)
         が争った
         レスリング(Wrest-ling)
         wrest=奪う・ねじ取る・もぎ取る
         ling=小さい・未熟な・追随者
            ~に関係ある人、モノ
            リング
            タラ(鱈・太良・多良)科
 ↓↑         の食用魚
 勝利した
 神の勝者を意味する
 「イスラエル=イシャラー(勝つ者)」・・・医者等蛙?
 「エル(神)」・・・エル=L=乚=乙=える・選る・得る・獲る
 ↓↑        エルメス⇔ヘルメス
           エルメス(Hermès)社は馬具工房
           ヘルメース(Hermēs)
           ギリシア神話の神
           ヘルメスとも表記
            ↓↑
           オリュンポス十二神の一人
           神々の伝令使
           ゼウスの使い
           旅人、商人などの守護神
           能弁、境界、体育技能、発明、策略
           夢と眠りの神
           死出の旅路の案内者
           聖鳥は朱鷺
              雄鶏
           幸運と富を司り
           狡知に富み
           詐術に長け
           計略の神
           早足で駆ける者
           牧畜、盗人、賭博、商人、交易
           交通、道路
           市場、競技、体育
           などの神
           雄弁と音楽の神
           竪琴、笛、数
           アルファベット、天文学、度量衡
           などを発明
           火の起こし方を発見
           知恵者
           プロメーテウスと並んで
           ギリシア神話の
           トリックスター (trickster)
           神や自然界の秩序を破り
           物語を展開する者
           善と悪、破壊と生産
           賢者と愚者など
           異なる二面性を持つ
           秩序の破壊者で創造者
           トリック (詐術) を駆使する
           いたずら者
           詐欺師・ぺてん師
           文化英雄
           トリックスター
           とり憑く主多蛙?
           取理通句素他有?
           鳥 突く巣截雅・・・揵(あ)
           揵=扌+建
             ケン・ゲン・ゴン
 ↓↑          あげる
 の名を与えられ
 後の
 イスラエルの国名となった
 ↓↑
  レア、ラケル、ビルハ、ジルパ
 (例蛙・螺懸留・尾留葉・字留葉)?
 ↓↑
 という4人の妻との間に
 娘と12人の息子をもうけた
 その息子たちが
 イスラエル十二部族の祖となったの
 ヤコブの
 息子の
 ヨセフ
 が行方不明になっていたが
 エジプトで
 ファラオの宰相となっていた
 ヨセフとの再会
 一族をあげてエジプトに移住
 エジプトで生涯を終えたヤコブは
 故郷
 カナン・・・化名務?
 地方の
 マクペラ・・・眞句部等?
 の畑の洞穴に葬られた
ーーーーー
 ・・・???・・・
 well water=井戸(well・ゥエル)水(water・ゥォタ・ワタ?)
 ↓↑
 EL, ELOAH(エル・エロア)・・・L-ove(ラヴ)=l-ove
 ↓↑                ォヴイ・オビ・帯・佩・及
                  おぶる(負ぶる)
                  おぶ(湯水)=白湯(さゆ)
                  おぶ(水)
 Elle(神)=エール=エール (神)
      =L・l(エル)⇔ale(エール・麦酒)・・・???
       乚(イン)=乙(おと・きのと・オツ・イツ)⇔Z(ゼット)
       「乚」は「乙」の変形・「Z」はアルファベット
 ↓↑
 ジンジャー エール(ginger ale)
 ジンジャー(生姜・ショウガ)が入っており
 カラメルで着色した
 ノンアルコールの炭酸飲料
 ale=ビール(beer)
 古期英語 ealu, ealo, from Proto-Germanic *alu
 ale=ラガー以外のビール、エール
   ラヴいガーや黒ビール以外のビール
   イギリスでビール
 エルメス(Hermes)社は馬具工房
 ヘルメース(Hermēs)
 ギリシア神話の神
 ヘルメスとも表記
 ↓↑
 オリュンポス十二神の一人
 神々の伝令使
 ゼウスの使い
 旅人、商人などの守護神
 能弁、境界、体育技能、発明、策略
 夢と眠りの神
 死出の旅路の案内者
 聖鳥は朱鷺
    雄鶏
 幸運と富を司り
 狡知に富み
 詐術に長け
 計略の神
 早足で駆ける者
 牧畜、盗人、賭博、商人、交易
 交通、道路
 市場、競技、体育
 などの神
 雄弁と音楽の神
 竪琴、笛、数
 アルファベット、天文学、度量衡
 などを発明
 火の起こし方を発見
 知恵者
 プロメーテウスと並んで
 ギリシア神話の
 トリックスター (trickster)
 神や自然界の秩序を破り、物語を展開する者
 善と悪、破壊と生産
 賢者と愚者など、異なる二面性を持つ
 秩序の破壊者で創造者
 トリック (詐術) を駆使するいたずら者
 詐欺師・ぺてん師
 文化英雄
 トリックスター
 とり憑く主多蛙?
 取理通句素他有?
 鳥 突く巣截雅・・・揵(あ)
 ↓↑
 揵=扌+建
   ケン・ゲン・ゴン
   あげる
ーーーーー
 ・・・???・・・

Tangier=タンジェ=タンジール=丹路留・當西亜・丹吉弥・丹吉爾・・・喜望峰

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 ジブラルタル海峡⇔日拉達・治部良留多留・字部等留足
 アフリカ大陸最南端・・・喜望峰・・・
 頭の天辺、額はモロッコ・・・タンジール (Tangier)・・・
 モロッコ西北岸の
 タンジェ(ベルベル語 Tin Iggi
      アラビア語‎ ṭanǧah
      フランス語 Tanger
      スペイン語 Tánger タンヘル
      ポルトガル語 Tânger タンジェル
      英語 Tangier)
 タンジェ=タンジール=丹路留・當西亜
            丹吉弥・丹吉爾
  ・・・丹=硫黄と水銀の化合した赤土・黄色みをオビた赤色顔料
       道家における長寿・不老不死の薬
       辰砂(シンシャ)
      丹=あか・に・あかい色
        丹朱・丹頂
        まごころ
        丹誠・丹念
        よくねった薬・不老不死の薬
        丹薬・仙丹
        丹波の国・丹州
        金丹・ 仙丹・牡丹・煉丹・・・仁丹
 モロッコ=摩洛哥・馬羅哥・莫羅哥・茂禄子
 「アル=マグリブ・ル=アクサー=極西=日の没する地」
 古代カルタゴ・ハンニバル・・・
 ↓↑
 つよし!!・・・南アフリカ(49)vs(3)イタリア・・・
 ↓↑

 ジブラルタル海峡
 (Strait of Gibraltar・Estrecho de Gibraltar)
 ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸を隔てる海峡
 ジブラルタル
 日拉達・治部良留多留
 日巴拉太
 日巴拉爾太・日巴拉太・義入塔・直布羅陀

 ジブラルタル海峡
 北はイベリア半島のスペイン
 イギリス領ジブラルタル
 南はモロッコ
 西に大西洋
 東に地中海
 北岸のジブラルタルはイギリス軍が駐屯
 南岸のセウタにはスペイン軍が駐屯
 ↓↑

 蒸気フリゲート
 オーディン号
 オーディン(オージン)
 北欧神話の主神にして戦争と死の神
 詩文の神
 吟遊詩人の
 パトロン
 魔術に長け、知識に対し非常に貪欲
 自らの
 目や命を
 代償に差し出すことも・・・
 ↓↑
 オーディン
 odr(狂った、激怒した)
 +
 inn(~の主)
 の
 「狂気、激怒の主」を意
 ↓↑
 古英語形の
 Ƿōden(Wōden・ウォーデン)
    ウォーデン=語源は「吹く」
         「風の神」
 現代英語
 Woden, Wodan(ウォウドゥン)
 ドイツ語で
 Wotan, Wodan (ヴォータン、ヴォーダン)
 8世紀にイタリアで書かれた
 『ランゴバルドの歴史』では
 「G(w)odan(ゴダン)」・・・語談・語譚・誤談・誤断
 という名前

 ↓↑
 『ゲルマーニア(タキトゥス・97年~98年)』
         多記(他記)当洲(諏)?
         瀧 訳有諏・・・鳴滝塾・・・蘭学
          シーボルト=施福多
         置維「波斯(ペルシャ)」徳利=Siebold
 ↓↑       ↓↑           ↓↑  ↓↑
      フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト
 ↓↑     Philipp   Franz   Balthasar   von   Siebold
 ゲルマーニア ・・・解留真雅似蛙?
 ゲルマン人・・・・・解留萬訊?
 の最も尊崇する神を
 メルクリウス
  ・・・女留句理(メルクリ)
  ・・・・・碓(うす・タイ)?
 と呼んだ
 ギリシア・ローマの
 ヘルメース・メルクリウス・・・経留海布得素?
 と同じく
 疾行の神であったゲルマンの神
 ヴォーダン(オーディン)を指す
 オーディンは
 メルクリウス同様
 知恵と計略の神で
 ローマ暦で
 「メルクリウスの日」にあたる
 「水曜日」は
 ゲルマン諸語で
 「オーディンの日」と呼ばれ
 水曜日は・・・ナゼ、風曜日ではないのか?
 ↓↑   ・・・「暴風雨」の曜日?
     ・・・惑星、水星の曜(かがや)く日だった・・・
     水星( 辰星)はマーキュリー
        辰=厂(崖)+衣(ころも)
        ・・・崖の旗=崖で風にハタメク?
           揺らぐ・波打つ 
          シン
          たつ
          とき・ひ・時刻
          十二支の五番目
          方位の東南東
          時刻の午前八時、前後の二時間
          動物では竜
          太陽と月と星のこと
          二十八宿の一つ・なかごぼし
          朝・早朝
          嘉辰令月
          吉日良辰
          吉辰良日
          日月星辰=「辰」は日月星の総称
               天体や空
 ↓↑  ↓↑          出典『太平記』
    辰+α
    辱・・・恥辱・屈辱
    振・・・振幅・振動・・・
    震・・・地震・激震・劇震・震旦
    唇・・・口唇
    農・・・農耕
    辳=農・・・田畑を耕す
    辴・・・チン
        笑うさま
    辴=單+辰
      吅+日+十+辰
      口+口+日+十+辰
    䢉・・・䢉=臼+囟+辰
          臼+丿+龱+辰
  ↓↑       臼+丿+囗+㐅+辰
 辰+α
 褥・辳・震・耨・蕽・憹
 濃・薅・縟・膿・麎・穠
 鎒・禯・襛・曟・辴・䢉
 醲・鷐・陙・浱・㖘・磭
 㺜・缛・䆣・侲・䢆・屒
 赈・䥎・擃・檂・燶・㰮
 䃩・䟴・噥・誫・桭・鬞
 滣・㦺・䀼・䔚・傉・裖
 䢇・嶩・䫃・欁・齈・癑
 㲀・繷・䅶・䢅・媷・譨
 䣅・搙・漘・㫳・䁸・䞅
 嗕・䢈・帪
 ↓↑
 蕽=艹+農
   艹+曲+辰
   ドウ
   ノウ
  「蓬蕽(ほうのう)」=葦(あし)の花
 ↓↑
 麎=鹿+辰
   シン
   動物の名
   四不像(しふぞう)の雌
   シカ科の動物
 ↓↑
 鷐=日+辰+鳥
   シン
   「鷐風(しんぷう)」
   鳥の名・鷂(はいたか)
   タカ科の鳥
 ↓↑
 儂=亻+農
   亻+曲+辰
   ドウ
   ノウ
   わし
   われ
   自分を意味する俗語
   あなた・おまえ
   相手を呼ぶ俗語
   かれ・彼を意味する俗語
 ↓↑
     ヘルメスは
     古代ローマでは
        メルクリウスと同一視され
        メルクリウスは
 ↓↑   英語のマーキュリー (Mercury = 水星) の語源
     水星の公転周期(水星の1年)は約88日
     自転の周期は約59日
     水星の1日は
     地球の176日
     商業と盗賊の守護神
        メルクリウス( Mercury)
     ゼウスとプレアデス姉妹のひとり
 ↓↑   マイアの子供
 英語で Wednesday
 ドイツ語でWotanstag (Mittwoch)
 オランダ語でwoensdag
 デンマーク語、ノルウェー語、スウェーデン語で
 onsdag
 ユグドラシルの根元にある
 「ミーミルの泉」の水を飲むことで
 知恵を身に付け
 魔術を会得した
 片目はその時の代償として失った
 オーディンは
 ルーン文字の秘密を得るために
 ユグドラシルの木で首を吊り
 グングニルに突き刺されたまま
 9日9夜
 自分を最高神オーディンに、自分自身に捧げたが
 縄が切れて助かった
 オーディンに捧げる犠牲は
 首に縄をかけて
 木に吊るし槍で貫く
   ・・・さがりき=懸木(相楽)=さがらか
           丹波の四女王
           京都府相楽郡和束町白栖
           垂仁天皇に召し上げられた
           美知能宇斯王の4姉妹の
           比婆須比売命(ひばすひめのみこと)
           弟比売命(おとひめみこと)
           を二柱を宮廷に留(とど)めたが
           歌凝比売命
           と
           円野比売命
           は容貌が醜いと
           国許に送り返され
           途中、山代国の相楽で
           円野比売命
           木の枝に懸って死のうとしたので
          「懸木」と名づけ・・・懸ける記紀
           弟国・・・(乙訓・乙州)?
          (おとくに・京都府乙訓郡・長岡京市周辺)
           に着いた時
           深い淵に身を投じて自殺
           その地を
           堕ち国(おちくに)
           といい
           弟国(おとくに)・・・音句爾(似)
           というようになった
 ↓↑
 神々の世界
 アースガルズにある
 ヴァーラスキャールヴに住み
 フリズスキャールヴに座り
 世界を見渡している
 ↓↑
 グラズヘイムにある
 ヴァルハラに
 ワルキューレによって
 エインヘリャル(戦死した勇者)を集め
 ラグナロクに備え
 大規模な演習を毎日行わせる
 演習では敗れた者も
 日没とともに再び蘇り
 夜は大宴会を開き
 翌日にはまた演習を行う
 ↓↑
 愛馬は
 八本足の
 スレイプニール
 フギン(思考)
 ムニン(記憶)
 という
 二羽の
 ワタリガラス(渡り烏・雅)
 を世界中に飛ばし
 二羽が
 持ち帰るさまざまな情報を得ていた
 足元には
 ゲリ・・・・・・・・・・解理・鳧・蹶り・蹴り
 フレキ(貪欲なもの)・・振れ記
 という
 2匹の狼がおり・・・・・オオカミ・大神・大上
 オーディンは自分の食事は
 これらの狼にやって
 自分は葡萄酒だけを飲んで生きている
 ↓↑
 長い髭をたくわえ
 鍔(つば)の広い
 帽子を目深に被り
 黒いローブを着た
 老人
 戦場では黄金の兜を被り
 青いマントを羽織って
 黄金の鎧を着た姿
 ↓↑
 トールと口論した
 渡し守
 ハールバルズ
 の正体は
 変装した
 オーディンで
 ゲイルロズ王の城を訪ねて
 炎の中に座らされた
 グリームニル
 も
 オーディンの別の姿
 ↓↑
 霜の巨人の
 スットゥング
 が隠匿していた詩の
 蜜酒を略奪するため
 オーディンは
 蛇に変身し
 蜜酒のある場所へ侵入
 蜜酒の番をしていた
 スットゥングの娘
 グンロズ
 の前で美青年の姿に変身し
 3夜を共にした後
 彼女から
 3口分の
 蜜酒を飲ませてもらった
 オーディンはその3口で
 蜜酒の3つの容器を空にすると
 素早く
 鷲(わし)に変身して・・・倭史?
 アースガルズ・・・・・・・明日賀留杜?
 へ戻った
 蜜酒は詩の才能のある人間たちに
 オーディンによって
 与えられることとなった
 ↓↑
 最後は
 ラグナロクにて
 ロキの息子である
 フェンリル
 によって飲み込まれる
 (噛み殺される)
 ↓↑
 8本足の
 駿馬
 スレイプニル(Sleipnir)
 に乗って冥府までも駆け
 フギン(Huginn)
 ムニン(Muninn)
 という
 2匹の
 鴉に
 世界の出来事を伝えさせている
 足元に
 ゲリ(Geri)
 フレキ(Freki)
 という
 2匹の狼がつき従い
 オーディン
 から食物を貰っている
 ↓↑
 ゲルマン諸語における
 「水曜日(Wednesday)」
 オランダ語 woensdag
 デンマーク語
 ノルウェー語
 スウェーデン語
 のOnsdagは
 いずれも
 「オーディンの日」に由来している
 ↓↑
 アース神族の王で
 北欧神話における主神
 神々の最高神
 原初神ブーリの息子
 ボル
 と巨人族の娘
 ベストラの子
 兄弟の
 ヴィリ・ヴェー
 とともに始祖の巨人
 ユミルを巨人族もろとも打ち倒し
 ユミルの身体から
 世界を
 2本の木の幹から
 人間を創造
 ↓↑
 戦争と死の神
 魔法の神
 詩を司る神
 様々なものに姿を変える
 変身能力も備え
 それにあわせて
 数多くの名前を持ち
 全てあわせると数十にもなる
 ↓↑
 世界樹
 ユグドラシル・・・由具土羅詞留?
 で
 グングニル・・・・具務供似留?
 で身体を刺し貫いたまま
 九日九晩首を吊り
 9つの詩と
 18のルーンを覚えた
 知識の泉
 ミーミル・・・耳留・見巳留?
 の泉で
 その水を飲み
 洞察力を得る代償に
 自らの片目を差し出し
 「隻眼の神」とも呼ばれ・・・隻眼=一つ目
 失った片目を隠すように
 帽子をかぶった姿で描かれる
 ↓↑
 最終戦争
 ラグナロク・・・・等愚名賂句?
 で
 巨大狼・・・・大神?
 フェンリル・・・・敷衍(敷延・布衍・不縁)理留?
          符得務理留?
 に呑み込まれ
 最期を遂げると
 予言されている
ーーーーー
 ・・・???・・・「天照大神」に敗北した「須佐之男」・・・?

ラ式蹴球=闘球=蹴球=rugby football・・・「断爛私報」・・・

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 太安萬侶の朝の報告・・・「萬朝報告」
 一乗谷城の戦い・・・「断爛私報」?・・・rugby football
 ↓↑
 ラ式蹴球=闘球=蹴球=rugby football
 ↓↑
 2019/10/05/20:18
 前半
 日本(16)vs(9)サモア
ーーーーー
 一乗谷城の戦い・・・刀根坂の戦い
 天正元年八月
 (1573年9月)
 織田信長・・・・織の田・・・織=糸+音+戈
         ・・・家紋は揚羽蝶
            織田木瓜紋(もっこうもん)
              木瓜(きうり)
              flowering quince
            瓜(うり)を輪切りにしたその断面
           「織田瓜」・ボケ(木瓜)?
            学名のspeciosa=美しい・華やか

      Chaenomeles=chaino(大きく裂けた)+melon(うり)
 と
 朝倉義景・・・朝の倉
        朝倉 義景=越前国の戦国大名・越前朝倉氏第十一代の当主
        日下部朝倉氏
 の間の合戦・・・
 ↓↑
 信長の報復
 永禄十三年(1570年)四月二十日
 越前出兵
 若狭武田家旧家臣の粟屋氏・熊谷氏らは信長に降伏
 浅井長政が信長を裏切って
 織田軍の背後を襲った
 元亀元年六月二十八日
 (1570年7月30日
  グレゴリオ暦8月9日)
 近江
 浅井郡
 姉川河原
 (滋賀県長浜市野村町付近)
 の合戦
 「姉川の戦い」が勃発
 浅井・朝倉連合軍は信長に敗れた
 ↓↑
 9~12月
 志賀の陣で
 信長を追い詰め、持久戦
 信長
 と
 将軍
 足利義昭が不和
 ↓↑
 義昭を中心とする
 反信長勢力
 「信長包囲網」構築
 浅井・朝倉氏
 武田信玄
 本願寺勢力
 比叡山延暦寺
 ↓↑
 元亀四年(1573年)四月
 武田信玄が病死
 7月
 槇島城の戦い
 で将軍義昭を京都から追放
 室町幕府を滅ぼした
 8月4日
 本拠・岐阜城へと戻り
 4日後に浅井氏の配下にあった
 山本山城主の
 阿閉貞征(あつじ・さだゆき)
 が、信長方に寝返り
 その日の夜のうちに岐阜を出発
 浅井方の家臣の離反が相次ぎ
 月ヶ瀬城が開城
 12日
 大嶽砦の麓の
 焼尾城の
 浅見対馬が降伏し
 織田方の城となった
 ↓↑
 天正元年八月十七日
 (1573年9月)
 乗谷城の戦い・・・刀根坂の戦い
 八月二十日、朝倉景鏡は裏切り、義景は自刃、朝倉滅亡
 九月一日、浅井長政は自害し、小谷城は落城
 小谷城は廃城さら
 領地は
 戦功のあった
 秀吉に与えられ
 長浜城を築いた
 ↓↑ ↓↑
 朝=龺+月
  十+日十 月
  チョウ
  あさ
  あした
  太陽が出てからしばらくの間
  天子が政治を行う場所
  朝廷に参内して天子にお目にかかる
  ひとりの天子が統治した期間
  同じ系統の君主が統治した時代
  「草+日+水」の会意文字
  草の間から太陽がのぼり
  潮がみちてくる時を示す
  「幹+舟」からなる形声文字
  東方から出る太陽
  「龺=英文:profound, brilliant, lofty
  「龺=mist」?
 ↓↑
 槿花一朝
 人の栄華は儚い
 「槿花」は植物のむくげの花
 むくげの花は
 朝に咲いて
 夕方には散ってしまうということから
 「槿花一朝の夢」
 ↓↑
 断爛朝報
 ばらばらになって
 どこがどう繋がるかわからない
 朝廷の記録
 「断爛」はちぎれてぼろぼろになること
 「朝報」は朝廷の記録
 中国の北宋の
 王安石が
 儒教の五経の一つの『春秋』を
 そしったという故事
 出典『宋史(王安石伝)』
 ↓↑
 朝秦暮楚
 一定の場所に生活の拠点をもたず
 ふらふらと放浪すること
 信念や主義などがすぐに変わる人
 朝には秦の国にいたのに
 夕には楚の国にいるという意味から
 出典 晁補之「北渚亭賦」
 ↓↑
 朝蠅暮蚊
 度量の狭く、くだらない人が
 集まってきて鬱陶しいこと
 朝には蠅がまとわりつき
 日暮れには蚊がまとわりつくという意味
 出典 韓愈「雑詩」
 ↓↑
 倉=亽+口
   亼+口
   人+丶+口
   人+一+口
   ソウ
   くら
   にわか
   くら・納屋・物をしまっておく所
   あわただしい・あわてるさま
   青い=蒼
 ↓↑
 倉=食の略体+口(入れる所)
   食糧となる新穀や青草を入れる納屋
   青草の青い色の意
   蒼(青草の色)
   滄(青い水)
   愴(青ざめる)
   創(さっと急に切る)
   急切な動作、あわてたさま
   乍(たちまち)と同系のことばにも用いる
 ↓↑
 萬朝報
 明治二十五年(1892)
 黒岩涙香
 が東京で創刊
 社会記事
 翻案小説
 などを載せ発展
 内村鑑三
 幸徳秋水
 堺利彦
 らが加わり
 社会批判を展開
 日露開戦前に
 非戦論を主張
 昭和十五年(1940)
 「東京毎夕新聞」に合併
 ↓↑
 萬朝報(よろずちょうほう)
 日刊新聞
 紙名は「よろず重宝」 のシャレから
 万朝報と新字体で表記されることも
 ↓↑
 1892年11月1日
 主筆を務めていた
 都新聞を辞した
 黒岩涙香の手により
 東京で創刊
 発行所名は「朝報社」
 「萬朝報社」は誤記
 日本の
 ゴシップ報道の先駆者
 権力者のスキャンダルを追及
 「蓄妾実例」といった暴露する
 醜聞記事で売り出した
 「蓄妾実例」
 第三面に扇情的な社会記事
 「三面記事」の語を生んだ
 ↓↑
 「永世無休」を掲げ
 「一に簡単、二に明瞭、三に痛快」
 をモットーとし
 低価格による販売と
 黒岩自身による
 翻案小説の連載
 (『鉄仮面』『白髪鬼』『幽霊塔』
  『巌窟王』『噫無情』等々)
 家庭欄(百人一首かるた
     連珠(五目並べ)を流行らせた)
 や
 英文欄の創設等で大衆紙として発展
 1899年
 発行部数が東京の新聞中第1位に達した
 記者
 三木愛花により
 相撲・将棋の記事
 1908年(明治四十一年)
 掲載開始の
 「高段名手勝継将棋」は
 初の将棋の棋戦連載
 1901年
 「理想団」を結成
 労働問題や女性問題を通じ
 (「蓄妾実例」にも企画開始時には
  事実上の一夫多妻制など
  日本女性の境遇に対する
  問題意識がうたわれていた)
 社会主義思想から社会改良を謳って
 日清戦争時の世論形成をリード
 その後
 主たる購買者であった労働者層をめぐって
 『二六新報』と激しい販売競争を展開
 日露戦争開戦の折
 最初は非戦論を唱えていたが
 世間の流れが開戦に傾き
 社論を主戦論に転じ
 黒岩自体も主戦論者となった
 非戦を固持した
 幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三が退社
 一時淡紅色の用紙を用いたため
 「赤新聞」とも呼ばれ社業は傾き
 黒岩の死後は凋落
 1940年10月1日
 『東京毎夕新聞』に吸収され廃刊
ーーーーー
 ヤッタァ~ッ!!!・・・
 2019/10/05/21:24・・・
 日本(38)vs(19)サモア
 ↓↑
 サモア=モア神の聖地
 サモア独立国
 (サモア語 Mālō Sa'oloto Tuto'atasi o Samoa
  英語 Independent State of Samoa)
 南太平洋(オセアニア)に位置
 イギリス連邦加盟国のひとつ
 サモア諸島のうち
 西経171度線を境として西側に位置
 この経度を境に
 アメリカ領サモア
 と
 サモア独立国に分割されている
 ウポル島、サバイイ島
 および
 7つの小島からなる国家
 首都はウポル島北部にある
 アピア
ーーーーー
 ・・・2009年9月29日 - 朝6時48分頃
    アピアの南方約195kmを震源として
    マグニチュード8.1
    の地震発生・・・約10mの津波が襲う・・・
ーーーーー
 始まった・・・
 ニュージーランド vs ナミビア
 10/06/14:35
 前半
 ニュージーランド(24) vs (9)ナミビア
 ・・・ニュージーランド つよいッ!!・・・
 10/06/15:40
 後半
 ニュージーランド(71) vs (9)ナミビア

 ナミビア共和国(Republic of Namibia)
 アフリカ南西部に位置
 北にアンゴラ
 北東にザンビア
 東にボツワナ
 南に南アフリカ共和国
 と国境を接し
 西は大西洋に面する・・・
 ・・・
 Republic of Namibia
 (リパブリク・オヴ・ナミビア)
 通称、Namibia
 アフリカーンス語表記
 Republiek van Namibie
 (レピュブリーク・ファン・ナミビエ)
 通称、Namibie
 ドイツ語表記
 Republik Namibia
 (レプブリーク・ナミービア)
 通称、Namibia
 ↓↑
 古代
 ナミビアの領域には元々は
 コイサン人
 (コイコイ人・ナマ人・サン人など)
 が居住
 14世紀
 バントゥー系民族の拡大
 バントゥー系諸民族が支配
 16世紀~17世紀
 ヘレロ人、ダマラ人、オカヴァンゴ人
 などが定着
 ナミビア民族(nation)形成
 ↓↑
 ナマ人(Nama People)
 南アフリカ、ナミビア、ボツワナに居住
 コイサン諸語に属すナマ語を話す
 ナマ人は
 コイコイ人系民族
 のなかでは最大の民族
 他のコイコイ系民族はほとんど消滅
 多くのナマ人のグループは
 中央ナミビアに住み
 他の小さなグループは
 南アフリカとナミビアの国境の
 ナマクアランド
 に住む
 ↓↑
 ヘレロ(Herero)
 バントゥーに属する民族
 大部分がナミビアに居住
 農業、商業、専門職等に従事
ーーーーー
 ・・・???・・・ハハハハッ・・・「断爛私報」?

吾瓮(あへ)-海人(あま)-烏摩呂(からすまろ)?=神功皇后の新羅遠征の徴兵

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 日の本の根の子、天津の御代の豊国を成せる姫・・・ネコ?
 「ねこ」とはダレか?・・・「ねずみ」とはダレか?
 ↓↑



 阿閉皇女=元明天皇・・・・・・・阿部(あべ)皇女?
                 安倍(あべ )内親王?
 (あへのひめみこ)・・・ナゼ、「阿閉(あへ)」なのか?
 同音異字での使用なのか?
 ↓↑
 阿毎⇔海部・安倍・阿倍・阿閇・安部・阿部・阿拜・吾瓮⇔阿武・虻
                         天武后(武照)
        陪臣・陪審
        倍加・倍化
        部分・部署
        開閉・閉門・閉鎖
        崇拝・起拝・九拝・敬拝・再拝・参拝・跪拝
         拝跪・拝礼・拝殿・拝命・拝啓・拝見・拝借
        吾瓮海人烏摩呂=神功皇后の新羅遠征の徴兵
       (あえのあまのおまろ, あへのあまのをまろ)?
                朝鮮海峡の偵察に派遣され
               「国もみえず」と報告
        吾瓮 (あべ-の) 島
        神功皇后⇔魏志倭人伝・・・卑彌呼
             翰苑・・・・・・卑彌娥と記録
ーーーーー
 『則天武后』
 『則天武后(武照)』の皇后位の獲得には様々な確執があった後、「永徽六年(655)」の「王皇后」と「蕭淑妃」の「鴆毒誣告事件」を契機に正式な「高宗」の「皇后」となった。「王皇后」と「蕭淑妃」は『則天武后(武照)』の怒りをかって「杖刑一百」で刑死したのである。その時、「蕭淑妃」は『則天武后(武照)』に怨みと呪いの言葉で罵った。
 「『阿武』の奴め、私は『猫』となり、おまえが『鼠』なった来世で、おまえの咽喉を噛(咬)み切ってやる」
 と。『則天武后(武照)』を『鼠』に例えて罵ったのは彼女が「子年生まれ」であったから、との説があるかららしい。スナワチ、『則天武后(武照)』は「貞観二年(628)」の生まれ年の干支は「戊子(ツチのエのネ)」であった。そしてこの「戊子」は「ボシ」とも読むのだ。当然にも「古事記」や「日本書紀」の中では「ボシ」、「ホシ」、「ボジ」の同音異字に掛けられているとみるべきだろう。「星」、「干」、「補詞」、「補史」、「母子」、「母死」、「母字」、「母事」等の、「模字」で、「母鼠」の誕生と「音図見とりの描写」である。
 『則天武后(武照)』は憎くっき「王氏」を
 「蟒(ボウ・モウ・うわばみ・おろち)」、
 「蕭氏」を
 「梟(キョウ・シャオ・ふくろう・みみずく)」
 としてその記録上の「姓の漢字」を換えさせた。また後にも「武氏」を
 「蝮(フク・まむし)」、
 「李氏」を
 「キ(兀+虫=カイ・ケ)=まむし・とかげ・ひばかり」
 と凶悪な「字」をつけたらしい。日本では「孝謙称徳女帝」が「和気清麻呂」を「汚麻呂」とした記録がある。「キタナマロ」とは「記他名真賂」か、「企多名眞賂」である。「ヨゴレマロ」はアナタが漢字を当ててミてくれ・・・世後例間ロ、予後例眞賂・・・余呉、余語、四語・・・等の例を萬慮と。
 ドウ云うワケか気丈夫で勝気な『則天武后(武照)』も殺してしまった「王皇后」と「蕭淑妃」の亡霊、幽霊に悩まされて「竜朔三年(663)」に「西内の大明宮」から「蓬莱宮」に引越しし、さらには「長安」から逃れて「東都・洛陽」に住むようになった。
 唐王朝にとって「竜朔三年(663)」とは「白村江の海戦」での大勝利の年である
 『則天武后』と「現存・古事記」(1)・(51)  『則天武后』と「現存・古事記、現存・日本書紀」

 ↓↑
http://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post/2018/01/01/
 ↓↑
 生没年 661(斉明七)~721(養老五)
 天智天皇の第四皇女
 母は
 蘇我倉山田石川麻呂の女
 姪娘(めいのいらつめ。宗我嬪)
 草壁皇子との間に
 軽皇子(文武天皇)
 氷高皇女(元正天皇)
 吉備皇女をもうけた
 漢風諡号は元明天皇
 和風諡号は
 日本根子天津御代豊国成姫
 (やまとねこあまつみしろとよくになりひめ)
 日
 の
 本
 の
 根=木+艮
 の
 子=一+了
 の
 天=二+人=一+夫
 の
 津=氵+聿・・・天津は環渤海湾地域の経済的中心地
       天津橋は隋の煬帝の庭園の川に架かる橋
       天津特大橋中国廊坊市および青県を結ぶ鉄道橋
       天津
       隋代、大運河が開通し
       南運河と北運河の交差地点の
       三会海口(金鋼橋三岔河口)が発祥
       中唐以降は南方からの食糧輸送基地
       金代には直沽寨
       元代には海津鎮が設置
       軍事拠点の要衝
       1400年(建文二年)
       朱棣(永楽帝)が兵を率いて南下
       皇位を簒奪
       皇帝が河を渡った場所を
       天津の地名とした
       1404年(永楽二年)
       軍事基地としての衛が設置
       翌年には天津左衛
       2年後には天津右衛が設置
       清代の1652年(順治九年)
       三衛が統合され天津衛とされ
       1725年(雍正三年)に天津州
       1731年(雍正九年)に天津府と改称
 御=彳+卸=彳+午+止+卩
 代=イ+弋
 豊=曲+豆
  =豐=丰+山+丰+豆
   豐=古代中国。殷の時代
     周の
     文王が
     岐山から・・・陝西省鳳翔県の北東にある山
            天柱山
            西周 (周 ) の始王,武王の3代前の
            祖である
            古公亶父 (ココウタンポ) が
            豳(ヒン)から移り
            武王の父
            文王が豐京 (西安付近) に
            都を移すまでの間
            この山の南麗を都にした
            文王が
            豊京に都を定めるまで周の都
            陝西省宝鶏市東方
            岐山県の東北にある山
            南麓は古公亶父(タンポ)が
            北狄に追われて
            豳(ヒン)から移りすみ
            周室の本拠地
            文王が豊京に遷都した後も
            周の聖地・箭括(センカツ)嶺
         本拠地を移した
         灃河のほとりの
         豊邑
         長安(陝西省西安市)の西 
 國=囗+或=囗+㦯(或)・・・逆字の「𠮛」の異体字「𠫔」
 成=万+戈=異体字「𢦩・𧶔」・・・勹の変形?
 姫=女+臣=姬=女+𦣞
 万葉集には
 阿閉皇女
 ↓↑
 707(慶雲四)年
 文武天皇崩御の後
 遺詔により即位(47歳)
 文武の遺子
 首(当時7歳)皇子(聖武天皇)を
 将来即位させるための
 中継的な天皇
 同年七月二十一日月日
 授刀舎人寮を新設
 十二月二十七日
 諸司の礼儀を正す詔
 708(和銅一)年二月十五日
 平城遷都の詔
 同年三月十三日
 石上麻呂を左大臣
 藤原不比等を右大臣
 に任命
 五月十一日
 和銅銀銭を発行する
 (翌年八月に廃止)
 七月十五日
 議政官を御前に召し
 善政の努力を継続せよと勅
 八月十日
 和銅銅銭発行
 「和同開珎」
 九月十四日
 菅原(奈良市菅原町・平城宮の西)行幸
 九月二十日
 平城巡幸
 九月二十二日
 山背国
 相楽郡
 木津川畔の
 岡田離宮に行幸
 九月二十七日
 春日離宮に至る
 十一月二十一日
 即位大嘗祭
 十一月二十五日
 県犬養三千代に
 橘宿禰の姓を賜う
 ↓↑
 709(和銅二)年二月二日
 筑紫観世音寺造営の促進を命ず
 同年八月
 平城行幸
 十二月
 再度平城行幸
 ↓↑
 710(和銅三)年三月十日
 平城京遷都
 ↓↑
 711(和銅四)年七月一日
 律令を正しく行うよう
 諸司に精勤を命ず
 九月十八日
 太安万侶
 を
 稗田阿礼誦む所の
 旧辞を撰録して献上させる詔(古事記序)
 十月二十三日
 蓄銭叙位令の詔
 十二月六日
 王臣の山野占有を禁ずる
 ↓↑
 712(和銅五)年一月二十八日
 『古事記』三巻
 太安万侶により撰上
 五月十七日
 律令が行き渡らず
 弾正台に
 月別三度諸司を巡察させ
 非違を正させる
 巡察使を毎年派遣を決める
 ↓↑
 713(和銅六)年五月二日
 風土記編纂の詔
 六月
 甕原離宮(恭仁京付近)行幸
 十月八日
 諸寺の田野占有を禁ず
 十一月五日
 文武天皇の嬪
 石川刀子娘
 紀竈門娘
 の名を貶し、嬪を廃す・・・?
 首皇子
 即位の障害を除去するための措置?
 十一月十六日
 親王・太政大臣に対し
 五位以上の官人は
 起立礼(床下に降り立っての拝礼)を
 六位以下は跪伏礼(座より避け蹄ずく)を命ず
 ↓↑
 714(和銅七)年二月十日
 紀清人
 三宅藤麻呂
 に国史撰修を命ずる
 『日本書紀』編纂事業着手
 閏二月
 二十二日
 甕原離宮行幸
 五月一日
 大納言 兼
 大将軍 正三位
 大伴安麻呂・・・・・大伴の安麻呂⇔太安萬侶?
 が薨じ従二位を追贈
 首皇子(聖武天皇)の立太子を実現
 ↓↑
 715(和銅八)年二月二十五日
 吉備内親王
 (草壁皇子と元明天皇の子
  長屋王の室)
 の男女を
 皇孫(二世王)の扱いとする
 三月一日
 甕原離宮行幸
 七月十日
 再び甕原離宮行幸
 九月二日
 退位(55歳)
 皇太子
 首皇子(聖武天皇)は
 年歯幼弱で深宮を離れ得ないため
 娘の
 氷高内親王(元正天皇)
 を中継ぎとして即位させる
 ↓↑
     聖武天皇の
 40天武天皇(曽祖父)・・・大海人
 41持統天皇(曾祖母)・・・鸕野讃良
 ↓↑
     聖武天皇の
 草壁皇子(祖父)・・・日並(ひなみし)
           岡宮御宇天皇
           岡宮天皇
           長岡天皇
 43元明天皇(祖母)・・・阿閉?・・・阿部?
 ↓↑
     聖武天皇の
 42文武天皇(父)・・・珂瑠(軽)
 44元正天皇(父の姉)・・・氷高(日高)
 ↓↑
 45聖武天皇(草壁の孫)・・・首
 ↓↑
 46孝謙=48称徳天皇・・・阿部?・高野姫
 ↓↑
 元明天皇陵(奈保山東陵)
 721(養老五)年五月三日
 不豫
 同年十月十三日
 病床に
 長屋王
 藤原房前
 を召して後事を託す
 房前を
 元正天皇の内臣に任命
 十二月七日
 崩御(61歳)
 大伴旅人が陵墓の造営
 十二月十三日
 奈保山東陵に葬られる(火葬)
 遺詔により喪の儀を用いず
 この間
 藤原不比等らを重用し
 律令官制の整備を進めた
 ↓↑
 万葉集には三首
 01/0035・0076・0078(一書云太上天皇御製)
 ↓↑
 阿閉皇女=元明天皇
 (あへのひめみこ) 
 草壁皇子
 との間に
 軽皇子(文武天皇)
 氷高皇女(元正天皇)
 吉備皇女
 をもうけた
 漢風諡号は元明天皇
 和風諡号は日本根子天津御代豊国成姫
 (やまとねこあまつみしろとよくになりひめ)
 天皇
 「万葉集」には
 阿閉皇女・・・阿閉(あへい)?
ーーーーー
 ↓↑
 阿閉 貞征・・・阿閉(あつじ?)
 (あつじ さだゆき)
 戦国時代から
 安土桃山時代の武将
 浅井氏
 織田氏の家臣
 近江国
 山本山城主
 阿閉は、阿辻ともする・・・?
 代々北近江
 伊香郡の国人
 浅井氏が
 京極氏に代わって勢力を拡大すると
 これに従うようになった
 貞征は浅井家の重臣として
 北国街道や琵琶湖の湖北を見渡せる要害
 山本山城を任された
 ↓↑
 元亀元年(1570年)
 姉川の戦いに1000騎を率いて参陣
 磯野員昌
 浅井政澄
 に続く3段目に布陣
 姉川の戦い後も
 対織田戦に参陣
 山本山城が
 織田信長の攻撃を受けたが
 撃退
 天正元年(1573年)
 信長に内応し
 山本山に織田軍を引き入れ
 小谷城は孤立し
 主家滅亡の遠因をつくった
 八月八日
 子・貞大と共に
 信長に降参
 後すぐに
 朝倉攻めの先手を務めた
 このとき
 磯野員昌
 堀秀村
 と共に、一時
 越前国
 木ノ芽城
 の守備についた
 ↓↑
 『浅井三代記』で
 これらの功により
 伊香郡を与えられ
 北江は
 羽柴秀吉に
 一職支配権が与えられ
 貞征は
 伊香郡内の本領と
 浅井郡管浦の地などを
 安堵され
 秀吉の
 与力とされた
 ↓↑
 天正三年(1575年)
 越前一向一揆にも
 秀吉と共に参戦
 次第に秀吉の圧迫が募り
 竹生島の寺領の横領で訴えられたが
 竹生島にある扶持の過半を
 秀吉に取られたと
 貞大が信長側近の
 菅屋長頼に弁明している
 ↓↑
 天正五年(1577年)
 秀吉は中国攻めで
 播磨国へ赴くが
 阿閉父子は近江に留まり
 信長の旗本に組み入れられた・・・
 天正六年(1578年)十一月
 有岡城攻めに
 信長に従って参戦
 天正九年(1581年)
 伊賀攻め
 天正十年(1582年)一月十五日
 の左義長の爆竹でも
 近江衆のなかに名がみえる
 同年三月
 甲州征伐にも
 信長に随従
 ↓↑
 天正十年(1582年)
 本能寺の変の後
 明智光秀に加担
 秀吉の居城
 長浜城を占領
 山崎の戦いに参加し敗戦
 秀吉方に捕縛され一族全て処刑
 『天正記』『惟任退治記』によれば
 磔刑
 藤堂高虎
 渡辺了
 も一時期
 貞征のもとで
 家臣として仕えていた・・・
ーーーーー
 ???・・・
 白水郎(あま)有哉(あれや・なれや)・・・
     阿閉=あへ=阿辻=あつじ⇔阿部=あべ=阿武・・・
       ⇔阿毎⇔海部・海女⇔海鼠(なまこ)・・・猿女の舌切り?
 ・・・・阿閉=あつじ=あへ=元明・・・阿部?
 草壁=日下部=久坂部=草加部=苅部・・・・
 「日下部朝倉」・・・???

独立不羈 ・不羈自由・不羈独立・不羈之才・・・解語之花?=美人=楊貴妃・・・

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 天保十四年(1843年)閏九月十一日
 阿部 正弘
 ペリー来航時
 25歳で
 幕府老中だった




 ↓↑  ↓↑
 タイムスリップ
 時軸=ときじく=解き字句=枳・枸橘=からたち=唐立
        =垂仁天皇、 三宅連(ミヤケノムラジ)等の祖
         名は多遅多摩毛理(タヂマモリ)を
         常世国に遣わし
         非時香菓(ときじくのかくのみ・橘)
         すなわち
         時を定めず
         いつも黄金に輝く
         木の実を求めさせた
         履中三年(720)十一月
        「是の花、
         非時而(トキシク)
         にして来れり
         其れ・・・・・・・・蘇(よみがえらす)例
         何処(いとこ)・・・・伊都処・意図虚?
         の花ならむ・・・・・の「葉名」奈良務?
         汝(いまし)・・・・・なんじ(何字)
         自ら求むべし」・・・ミズカラ求むべし?
 ↓↑  ↓↑
 越勢能山時 阿閇皇女 御作歌
       阿閉皇女の作らす歌
 ↓↑
 これや・・・・・・・此也
 この・・・・・・・・是能
 大和にしては・・・・倭尓四手者
 我(あが)恋ふる・・我戀流
 紀路(きぢ)に・・・木路尓
 ありといふ・・・・・有云
 名に負ふ・・・・・・名二負
 勢の山・・・・・・・勢能山
 (萬葉集1-35)
 ↓↑
 仮名読
 これや・・・・・・・此(止匕)也
 この・・・・・・・・是(日下人)能(厶月匕匕)
 やまとに・・・・・・倭(人禾女)尓
 しては・・・・・・・四手者・・・四つ手の網
 ↓↑         罒手者・・・網手
       紙垂(かみしで)
      「し(垂)ず」
       〆の子・しめ縄飾り
       白熊 (はぐま) の毛で作った
       払子 (ほっす)
       ↓↑ ・・・払子(ほっす)
            仏教の法要の際に僧が威儀を示す法具
            麈尾(シュビ・シュミ)
            白払(びゃくほつ)とも
            獣毛や麻などの繊維を
            束ねて柄をつけたもの
            本来は
            インドで
            蚊や蠅など虫を追い払うために使われた道具
 ↓↑     ↓↑    禅宗で煩悩を払う法具として用いられた
       に似たもの
       槍の柄につけた槍印
       玉串や
       注連縄(しめなわ)などにつけて
       垂らす紙
       古くは麻(あさ)
       楮(こうぞ)
       木綿(ゆう)
       を用いた
       四手(よんしゅ)
       四手網=大漁捕穫網・魚捕り網
           滋賀県
           犬上郡
           多賀町
 ↓↑         四手
 あがこふる・・・・・我が戀(こい)の流(ながれ)
 きぢに・・・・・・「記字・記事・生地」に
           木(十八)
           路(足各)
           尓(𠂉亅八=捌)
 ありといふ・・・・・有(ナ月)
           云(二ム・一𠫔)
           𠫔=旨・甘・𠮛
            =うまい・あまい
 なにおふ・・・・・・名(夕口)
           二(似)
           負(𠂊・ク・ワ・目ハ)
 せ・・・・・・・・・勢
 ↓↑  ↓↑ 
 (なに、おふせ=何=名似、お布施)
 ↓↑   阿倍御主人(あべのみうし)=布施
     ↓↑      フセ=伏・臥・附
     阿倍 御主人(あべ の みうし)
     氏は布勢・普勢(ふせ)とも
     阿倍普勢(あべのふせ)の
     複姓で記される場合もある
     姓は臣のち朝臣、公卿、
     左大臣
     阿倍内麻呂の子
     子に
     広庭
     人主
     ↓↑
     阿倍 御主人
     は
     672年の
     壬申の乱で
     大海人皇子(天武天皇)方の功臣
     晩年には右大臣・太政官・従二位
     ↓↑
     百寮人が
     殯宮で慟哭したとき
     納言の
     布勢(阿倍)朝臣御主人が誄し
     ↓↑
     持統天皇二年
     (688年)十一月十一日・・・拾壱・足壱
     天武天皇が大内陵に葬られ
     布施-朝臣-御主人は
     大伴御行・・・・大(ダイ・おほ)は
             伴(ハン・とも)なう
             御(オン)・・・音
             行(ギョウ)・・行
     と共に誄した
 ↓↑  ↓↑
 のやま・・・・・・・能(ム月ヒヒ)山(サン)
           ム(よこしま・私・己)の
           解通(月・肉=ジク=字句)
           比々(日々・狒々・霏霏)の
           纂(簒)?
 ↓↑ ↓↑
 雑歌
 作者 阿閇皇女・・・阿倍皇女?
    羈旅 妹背 行幸
 ・・・羈=罒+䩻
 ↓↑  ↓↑ 罒+革+馬
      キ
      おもがい(面繋・面懸・面掛)
      馬の口に轡(くつわ)をはめるため
      頭部にからめる装具で頭絡にあたる
      轡 (くつわ) を固定するために
      馬の頭にかける緒
             対語は鞦(しりがい)
      たづな(手綱)
      たび
      たびびと
      つなぐ
      トリしまる
      つなぎとめる
      旅人・旅をする
      旅ずまい・旅暮らし
   ・・・面掛行列=神奈川県
           鎌倉市坂ノ下の
           御霊神社での
           行列行事
           鶴岡八幡宮の八月十五日の
 ↓↑  ↓↑      放生会で行われていた
    妹背=夫婦=兄と妹・姉と弟
      =伉儷(コウレイ)
       栄諧伉儷
       伉(コウ)=つれあい・配偶者
       儷(レイ)=「二つ並ぶ」という意
       儷=イ+麗(麓)
 ↓↑     ↓↑  ・・・高句麗・高麗
               麗=一+冂+丶+一+冂+丶+鹿
                =䴡
                 レイ
                 リ
                 うるわしい
                 うら(ら)
                 うら(らか)
                 つら(なる)
                 なら(ぶ)
                 うつくしい
                 ならぶ・つらなる
                 そろい・そろう・対になる
                 つく・くっつく
                 つける・くっつける
                 かかる・ひっかかる
            綺麗・華麗・美麗・秀麗・艶麗・絶麗
            ・・・駢儷
            美辞麗句・容姿端麗
         ・・・解語之花?=美人=楊貴妃・・・
                 『開元天宝遺事』   
           「高句麗・高麗」
                 うららか・うらら
 ↓↑     ↓↑         空が晴れて、穏やかなさま 
       四六駢儷
       駢四儷六
       四字句と六字句の対句を用いる
       修辞的な文体
      「駢」=馬を二頭並べて車につなぐ意
          対句という意
 ↓↑    「儷」=一対となって並ぶという意
 和歌山 紀州
 地名  土地讃美
 ↓↑
 羈紲之僕
     主君の旅の従者や随行者
    「羈」は馬の顔に付けるおもがい
    「紲」は馬の手綱のこと
     主人の馬車を操る従者
    「羈絏之僕」とも
    『春秋左氏伝(僖公二十四年)』
 狷介不羈
     意志固く
     何ものにも束縛されないこと
 曠世不羈
     長期間
     相手を服従させることはできない
     長い期間拘束することができないコト
    「曠世」=長期間
    「不羈」はなにものにも縛られないこと
    『文選』孫楚「為石仲容 与孫皓書」
 傲慢不羈
     人を見下し誰にも縛られない
     才能があり自由に振舞うこと
 独立不羈
 不羈自由
 不羈独立
 不羈之才
 不羈奔放
 不羈磊落
 放縦不羈
 放蕩不羈
 奔放不羈
 ↓↑
 朱鳥四年(690)九月
 持統天皇の
 紀伊国行幸の際の
 御製
 ↓↑
 阿閉皇女(元明天皇)は
 前年に
 夫の
 草壁皇子(日並皇子=ひなみしのみこ)
     (日並知皇子= ひなめしのみこ)
      壬申の乱(672)時・・・十一歳
      岡宮御宇天皇
      岡宮天皇
      長岡天皇
 を失い
 亡き夫への思いを籠めた歌
 ↓↑
 708年
 和銅元年(一月十一日改元)
 武蔵国より銅を献上、よって改元
 ↓↑
 和銅元年戊申
 元明天皇(阿閉)の御製
 ↓↑
 大夫(ますら)をの・・・・大(一人)
              夫(二人)
              之(これ・シ)
 鞆(とも)の・・・・・・・鞆(革丙)
              乃(すなわち)
 音すなり・・・・・・・・・音(おと・おん・イン)
              為
              奈(一人示)
              利(禾刂)
 物部(もののふ)の・・・・物部乃
 大臣(おほまへつきみ)・・大(一人)臣
 楯立つらしも・・・・・・・楯(木盾)
              立
              良(ら・よい・リョウ)
              思(田心)
              母(はは・ボ・モ)
 (万葉集1-76)
 ↓↑
 「物部の大臣」は
 石上麻呂を指すとする説
 即位の儀式においては
 石上氏(旧物部氏)
 榎井氏(物部系氏族)が
 楯を立てる慣例があった
 ↓↑
 和銅元年(708)十一月二十一日
 元明天皇(阿閉)
 即位
 大嘗祭が挙行
 この歌に和した
 御名部皇女
 の歌・・・
 御名部皇女・・・・・・オンミョウブコウジョ?
 (みなべのひめみこ) 音 名 生分控 除 ?
 斉明天皇六年(660年?~?)
 天智天皇の皇女
 母は
 蘇我倉山田
 石川麻呂の女(むすめ)
 蘇我姪娘(そがの-めいの-いらつめ)
 元明天皇(阿閉)の同母姉
 大宝律令施行後
 御名部内親王・・・オンミョウブナイシンノウ
          音 名 生分内 新 納 ?
 とも記述
 高市皇子の正妃
 長屋王の母
 ↓↑
 和銅一(708)年
 妹、
 元明天皇(阿閉)の不安を
 なだめるように
 元明天皇の歌に和した・・・
 ↓↑
 わご大君・・・・・・・吾(われ)
            大(おほい)
            王(おう)
 物な思ほし・・・・・・物(もの)
            莫(なかれ)
            御(おん)
            念(ねん)
 皇神(すめかみ)の・・・須(彡頁)
            賣(よむ)
            神(かみ)
            乃(すなわち)
 つぎて・・・・・・・・嗣(つぐ)
            而(しこうして)
 賜へる・・・・・・・・賜(たまわる)
            流(ながれ)
 われ無けなくに・・・・吾(あ)
            莫(なかれ・バク)
            勿(なかれ・ブツ・モチ)
            久(ひさしく)
            尓(に・ヤ)
 (万葉集1-77)
 ↓↑
 作者 御名部皇女
 奉和 御名部皇女
   (みなべのひめみこ)
    元明天皇(阿閉)の姉
 ↓↑
 和銅元年(708)戊申
 天皇御製
 御名部皇女 奉和御歌
  元明天皇(阿閉)に和(こた)へ奉る歌
 ↓↑
 吾大王・・・・吾が大君
 物莫御念・・・ものな思ほし
 須賣神乃・・・皇神の
 嗣而賜流・・・継ぎて賜へる
 吾莫勿久尓・・吾なけなくに
ーーーーー
 ・・・???・・・
 第21代
 雄略天皇の宮都で
 大泊瀬稚武
 (オオハツセワカタケル)
 天皇
 万葉集20巻4516首中の
 開巻第1首目
 ↓↑
 泊瀬(はつせ)
 朝倉宮(あさくらのみや)
  ・・・日下部朝倉=一乗谷・朝倉景勝・・・
 御宇天皇
 (代=大-泊瀬稚武天皇)
 天皇御製歌
 ↓↑
 篭毛與・・・・・こもよ
 美篭母乳・・・・みこ持ち
 布久思毛與・・・ふぐしもよ
 美夫君志持・・・みふぐし持ち
 此岳尓・・・・・この岳に
 菜採須兒・・・・菜摘ます子
 家吉閑・・・・・家告らせ
 名告<紗>根・・・名告らさね
 虚見津・・・・・そらみつ
 山跡乃國者・・・大和の国は
 押奈戸手・・・・おしなべて
 吾許曽座・・・・あれこそませ
 我許・・・・・・あをこそ
 告目背齒・・・・告らめ背は
 家呼毛・・・・・家をも
 名雄母・・・・・名をも
 (万葉集)
 ↓↑
 雄略天皇の皇女
 斎宮の
 栲幡姫皇女(稚足姫皇女)が
 湯人(ゆえ=皇子女の沐浴等の使用人)
 の    (湯人、此云 臾衞=ゆえ)
 廬城部連武彦・・・廬(いほり・ロ)の
          城の
          部連の
          武彦?
 の子供を妊娠したと
 阿閉臣国見・・・「阿閉」臣の「国見」
 ↓↑     名は「磯特牛(しことい)」?
          磯の特牛(こというし)
            牡牛=こというじ
            ・・・言問(ことと)符字(ふじ)?
               言 意宇字?
            大きくて丈夫な牡の牛(ウシ)
            頑強で重荷を
            背負うことのできるウシ
          磯特牛=キトクゴ・キトクギュウ?
     阿閉氏=阿倍氏・膳氏同様
         孝元天皇の皇子
 ↓↑       大彦命の子孫
 に讒言され
 武彦の父の
 枳莒喩(きこゆ)・・・枳=木+只
 ↓↑           =十+八+口+八
              キ
              シ
              からたち
              ミカン(蜜柑・橘)科の落葉低木
              非時香菓(ときじくのかくのみ)
              わかれる・枝分かれする
            莒=艹+呂=艹+ノ+吕(口口)
              キョ
              芋・さといも
              周代の国名
 ↓↑            山東省
 に
 禍が一家に降りかかることを恐れ殺され
 栲幡姫皇女(稚足姫皇女)も
 無実を訴えるため自殺した
 (雄略三年四月条)
 ↓↑
 皇女の母の
 葛城
 韓媛が
 父の
 円大臣・・・大日下王の子
 圓大使主(つぶらのおほおみ)
 圓使主   目弱(眉輪)皇子を
 ↓↑     守って討ち死
      「阿知使主
       仁徳天皇の死後
       履中天皇即位直前
       皇位を望む履中の同母弟の
       住吉仲皇子(すみのえのなかつ
       莒弗大連(もののべのいこふつのおおむらじ)
       円大使主(つぶらのおおみ)
 ↓↑     が、共に国事を執る」
 から
 即位前の
 雄略に
 妃として献ぜられ
 韓媛が
 栲幡姫皇女(稚足姫皇女)
 を産んだ・・・
 ↓↑
 「讒言事件」は
 外宮(伊勢神宮)の設立と年代が近かった
        ・・・だから・・・ナニ?
 阿閇臣国見は
 讒言が誤りだと判明した後
 伊勢神宮では無く
 石上神宮に逃げ込んだ・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・顛末不明・・・

円行・円仁・円載・円珍・円融・・月の裏側・・・かぐや姫(モナリザ)?

$
0
0
 圓=囗+員・ツブラオミ=圓大臣以降の「圓+α」の人名
 ↓↑  ↓↑
 ハ鏡=捌鏡=Ⅷミラー(Ⅷ mirror )=Broken bronze mirror
 ハ鏡=破鏡=壊されたカガミ=Broken copper mirror=破鏡
 は鏡=「波・葉・歯・刃・派・ha」の「カガミ」
    ・・・八咫鏡(やたのかがみ)
     Yata no Kagami (the eight-span mirror; one of the Imperial regalia)
    壊されたカガミ(かがみ=鑑・各務・加賀見・香我美)
                鑑=歴史物語=大鑑・今鑑・水鑑・増鑑
    日本の八咫鏡は円周8咫、すなわち径2尺という意味である・・・?
    The Japanese Yata no Kagami
     (the eight-span mirror; one of the Imperial regalia)
    has 8 ata of circumference,
    in other words,
    the diameter of the mirror is 2 shaku (23.04 centimeters).
    (by ejje.weblio.jp/content/八咫鏡
      Weblio 辞書 > 英和辞典・和英辞典)
 ↓↑  ↓↑     ↓↑
 「咫(シ、zhǐ) 」=古代の長さの単位
 「中婦人手長八寸、謂之咫・周尺也」
  『説文解字(九、尺部「咫」)』
 「周代の尺で8寸を咫という」
  ・・一尺=八寸=咫=尺+只=尺+口+ハ・・・ハ≠八
  只=ロハ=ろは=ただ・それのみ・それだけ
  只管打坐=雑念を捨てて
       脇目(わきめ)も振(ふら)ず
       座禅を組むこと
      「只管」はひたすら、一心に
      「打坐」は座禅
 「尺」・・・尺=尸(シ・しかばね・かばね)
         乀(フツ・左上から右下に揺れ動く・振れ動く)   
 「周制、寸・尺・咫・尋・常・仞
  諸度量、皆以人之体為法」
 ↓↑
  「一束(ひとつか)」
 片手の握りこぶし1つ分の幅
 「束の間」
 ↓↑
 「一咫(ひとあた)」
 手の平の付け根から中指の先端までの長さ
 親指と中指とを開いた長さとほぼ同じ
 ↓↑
 「フィート」
 30.48cm
 足の爪先(つま先)から
 踵(かかと・くびす・きびす)まで
 ↓↑
 「尺(しゃく)」
 30.3cm
 「尺」=手の親指と人差指を広げた形
     親指の先から中指の先までの長さ
 ↓↑
 日本
 「あた-る」=動詞「あつ(当)・あてる」
        を名詞化したもの
        手を開いて測ることを意味
        手を開いたときの
        中指の先から
        親指の先までの長さを
        「咫」とし
        尺の元々の定義と同じ
 ↓↑
 「日本書紀」では「咫」と記録
 「古事 記」では「尺」と記録(八尺鏡)
 「八咫鏡」、「八咫烏⇔八咫の太陽(日=○=円)」
 「八咫」・・・咫=尺+只
 ↓↑
 「あた=さか」
 「八尺瓊勾玉・・・八尺の胎児の目
          鳴門の渦の穴(窪・凹)
          颱風の渦の穴(窪・凹)
         「摺り鉢・擂り鉢」の形
        「碾き臼(碓)・挽き臼(碓)」
            小碓命・   大碓命
            小=ハ+亅   大=一+人
        「搗き臼・突き臼」
        「付き烏頭・月卯州(宇須・宇受)」
 ↓↑         烏帽子(えぼし)・山伏・烏天狗
 (やさかにのまがたま)」
  八逆 児の勾玉?
  耶(邪・乎)佐賀児の曲魂?
 ↓↑
 「尺=あた=さか」
 「八咫鏡」
 ↓↑
 『説文解字』にいう
 「周」を
 「円周」と解釈し
 「咫=円周の単位」で
 「円周率=約 3.14」 であり
 「円周率=約 3.2」に近似とすると
 「径 一 尺」の
  円の
 「円周=3.2 尺」となり
  これを
 「四 咫」とした・・・という説?
  日本の
 「八咫鏡」は
 「円周 八 咫」?・・・2.547x3.14=7.997
 すなわち
 「径 二 尺」という意味・・・?
    2.547x3.14=7.997≒円周 八 咫
 ↓↑
 「一尺=八寸」⇔「二尺=十六寸」
 ↓↑
 直径が 2cm の円周を求める
 円周率は 3.14
 公式
 「円周=直径×円周率」
 「円周= 2 × 3.14=6.28(cm)
        ・・・六月 弐拾八日?
           陸解通弐足捌比?
 ↓↑
 直径が 2.5cm の円周を求める
 円周率は 3.14
 円周= 2.5 × 3.14=7.85≒円周 八 咫
     7.85=七(漆)点(典)八(捌)五(伍)
 ↓↑
 「後漢の尺=23.04cm」
  ・・一尺=八寸=23.04÷8=2.88
       一寸≒2.88≒3
  直径一尺=八寸=23x3.14=72.22cm
       72.22=七拾弐点弐拾弐
      漆(うるし)拾う二典拾う弐(に)
 ↓↑
 「八咫鏡」は
 「直径 46cm」・・ 46x3.14=144.44cm          
  前後の
 「円鏡」を指し
  福岡県糸島市の
  平原遺跡から
 「五面」
  の大型
 「内行花文鏡」
  が出土・・・???

    銅=copper=カッパ(河童・合羽・喝破・Κ)=copper
     =銅=銅 ・ 赤銅色 ・ 銅貨 ・ 銅器 ・ 大釜・・・大蝦蟇・大鎌
     =銅=原子番号29の元素・元素記号は Cu
        周期表では金、銀と同じく
        11族に属する遷移金属
    和銅(ニギアカガネ)=秩父で銅塊が発見され朝廷に献上
               改元
    708年(戊申)~715(乙卯)年までの期間
    天皇は元明女帝(阿閉)
    和銅五年(壬子)一月 太安萬侶「古事記」完成、撰上
 ↓↑  ↓↑  
    和銅元(戊申)年改元
    慶雲五年一月十一日
   (ユリウス暦708/1/28)
     二月
     平城の地に新都造営詔
     十月、伊勢神宮に平城宮造営を告
    和銅元(戊申)年五月
     和同開珎鋳造。
    和銅三(庚戌)年三月
     藤原京から平城京に遷都
     藤原氏、興福寺の造営を発願
    和銅四(辛亥)年十月
     蓄銭叙位令
    和銅五(壬子)年一月
     太安万侶「古事記」完成、撰上
    和銅五(壬子) 出羽国を建てる・・・出葉句爾?
    和銅六(癸丑)年四月三日
     丹後国・・・単語句爾
     美作国・・・「みまさか=見真逆」句爾
     大隅国・・・「大墨・大澄・大須見」句爾
    和銅六(癸丑)年五月
     諸国に「風土記」編纂を勅
     郡・郷名に好字付与の勅
    和銅七(甲寅)年六月
     首皇子(聖武天皇)の立太子
     九月
     元明天皇譲位
     氷高内親王(元正天皇)即位
    和銅八(乙卯)年九月二日
   (ユリウス暦715年10月3日)
     霊亀に改元

 圓=囗+員=円=冂+丄
   囗+口+貝
   エン
   まるい
   つぶらか
   まどか
   まろやか
   まるい形・円形
   角のないさま
   つぶら
   まるくて可愛らしいさま
   まったし・完全な
   欠けているところがない
   日本の貨幣単位
   えん・そのあたり一帯
   ↓↑
   人名読み・名のり
   かず・つぶら・のぶ
   まど・まどか
   まる・みつ
ーー↓↑ーー
 円滑洒脱(えんかつしゃだつ)
  問題を起こすことなく
  物事を順調に処理すること
 ↓↑
 円孔方木(えんこうほうぼく)
  物事が食い違っていて
  上手く噛み合わないこと
 ↓↑
 円首方足(えんしゅほうそく)
 人間
 「円首」は丸い頭
 「方足」は四角い足
  天と頭はどちらも丸く
  大地と足はどちらも四角い
  人と天地が似ている
  類義語
 円頭方足(えんとうほうそく)
 円顱方趾(えんろほうし)
 「円顱」は丸い頭
 「方趾」は四角い足
 方趾円顱(ほうしえんろ)
 ↓↑
 円頂黒衣(えんちょうこくい)
 僧侶の姿
 「円頂」は髪を剃って丸めた頭
 「黒衣」は墨で染めた僧侶の服、僧衣
 ↓↑
 円転滑脱(えんてんかつだつ)
  物事を要領よく処理していく様子
  言葉遣いや行動が自在で
  相手の感情を刺激せずに応対し
  争い事を起こさないこと
 「円転」は角立ってなく、滑らかに転がる意
  物事が停滞することなく進むことのたとえ
 「滑脱」は滞ることなく
  状況に合わせて自在に変化するという意
  失敗や間違いのない応対
 ↓↑
 円転自在(えんてんじざい)
  言葉や行動を思うように
  淀みなく行われること
 「円転」は淀みなく動くこと
 ↓↑
 円頓止観(えんどんしかん)
  人格を完成した完璧な悟りの境地
  すべての物事を完全に備え
  雑念がなく
  直ちに悟りに到る境地
  すべての存在が
  そのまま真実の理法に
  かなうことを正しく観察すること
  仏教の天台宗で
  「漸次止観」
  「不定止観」と合わせ
  「三種止観」と呼ばれる
  類義語 摩訶止観
 ↓↑
 円融三諦(えんにゅうさんだい)
  仏教
  空、仮、中
  の三つの心理が
  それぞれの立場を保ちながら
  互いに溶け合っている状態
  「円融」はお互いに融合しているが
  それぞれ立場を保ちつつ
  妨げになっていないこと
 「三諦」は空、仮、中の三つの真理
  天台宗が説く三つの真理
  全てのものには
  実体が存在しないという「空」
  全てのものは
  因縁によって存在するという「仮」
  それら二つを超越して存在している
 「中」のこと
 ↓↑
 円木警枕(えんぼくけいちん)
  苦労しながらも力を尽くして
  勉学に励むこと。
 「円木」は丸太。
 「警枕」は深く寝入ることを防ぐための枕
  枕を転がりやすい丸太にし
  深く眠り込むと目が覚めるようにし
  寝る間を惜しんで
  勉学に励むという意
  宋の
  司馬光が丸太を枕にして勉学に励んだ故事。
  出典『資治通鑑(後梁紀)』
 ↓↑
 円満具足(えんまんぐそく)
 何一つ欠ける事なく、満ち足りていること
 「円満」
 「具足」
 どちらも不足することなく
 十分に備わっているという意
 ↓↑
 円融滑脱(えんゆうかつだつ)
  物事を要領よく処理していく様子
  言葉遣いや行動が自在で
  相手の感情を刺激せずに応対し
  争い事を起こさないこと
  失敗や間違いのない応対をすること
 ↓↑
 円顱方址(えんろほうし)
 円顱方趾(えんろほうし)
 ↓↑
 水随方円(すいずいほうえん)
 民の善悪は
 政治を行うものによって感化される
 人は環境や人間関係次第で
 善悪のどちらにも感化されるということ
 「随」は従うこと
 「方円」は四角いものと円いもの
 水は容器の形に従って
 四角にでも円にでもなるという意
 出典 『韓非子(外儲説・左上)』
 ↓↑
 智円行方(ちえんこうほう)
  さまざまな深い知識があり
  規律正しいこと
 「智円」はさまざまな知識
 「行方」は行いが正しく、礼儀正しいこと
 『淮南子(主術訓)』
 『文子(微明)』
 ↓↑
 破鏡重円(はきょうじゅうえん)
 ↓↑         銅鏡の反射面は
           白銀色or黄金色の金属光沢を呈していた
           直孤文鏡
           日本独自の銅鏡
           新山古墳から3面の出土
           図像は内行花文鏡を基に
           四葉座型の鈕座を除いて
           全ての図像を
           直線と弧で象ったもの
           鈕座の周囲に内行花文を八葉巡らせ
           その外周を幾何学的文様が巡らせてある
          「京師」=都の鏡づくり師
      ・・・月=肉=ジク=字句破壊の裏側
         素文縁直弧文鏡
         破鏡・・・銅鏡破片?
         奈良県桜井茶臼山古墳から
         銅鏡の破片が多数出土
 ↓↑       ↓↑
      東京産経
      2017.11.7 09:15
      1世紀後半頃の
      中国で作られたとみられる
      銅鏡の破片が
      島根県出雲市の弥生時代(2世紀頃)の
      集落遺跡から見つかり
      同市文化財課が6日発表した
      意図的に割られた
     「破鏡」とみられ
      弥生時代の遺構から中国製鏡が出土したのは
      島根県内では初めて
      銅鏡片は5・3センチ×1・8センチで
      文様の特徴から後漢時代(1世紀後半頃)の
      中国大陸で作られた
     「内行(ないこう)花文鏡(かもんきょう)」。
      周辺で同様の破片が見つかっていないことから
      別の場所で
      意図的に割られ
      2世紀頃(弥生時代後期前半)に
      この集落へ持ち込まれたとみられる
      同課では
      本来は直径15センチ前後の鏡だったと推定
      1枚の鏡を割った鏡の破片(破鏡(はきょう))

 ↓↑    ↓↑
 一度別れた夫婦が
 また一緒になること
 離散していた夫婦がまた会うこと
 割れた円い鏡が
 元の円い鏡に戻るという意
 徐徳は戦乱の中で
 鏡を二つに割って
 後に再会するために
 妻と一つずつ持って離
 散し
 再会できたという故事
 出典 『太平記』一六六引『本事詩』
 ↓↑
 福徳円満(ふくとくえんまん)
  様々なものに恵まれ
  何一つ不満がないこと
 「福徳」は幸福と財産があって
  不自由しないこと。
 ↓↑
  方址円顱(ほうしえんろ)
  方趾円顱(ほうしえんろ)
 ↓↑
 方底円蓋(ほうていえんがい)
  物事が上手くかみ合わないこと
 「方」は四角形。
 「円」は円形。
  底が四角形の容器に
    円形の蓋
 出典 『顔氏家訓(兄弟)』
 ↓↑
 老成円熟(ろうせいえんじゅく)
  経験が豊富で
  人格や技能が十分に熟練していること
 「老成」は多くの経験と、物事に長けていること
 「円熟」は人格や技能が熟練していること
 ↓↑
 挨拶より円札
 あまり円きはまろびやすし
 食後の一睡、万病円
 大団円
 水は方円の器に随う
ーー↓↑ーー
 満月・・・月の女神アルテミス
 月の裏側・・・?
 六本指・・・かぐや姫(モナリザ)・秀吉・・・?
ーー↓↑ーー
 円行(えんぎょう)
 延暦十八年(799年)
 ~
 仁寿二年三月六日(852年3月29日)
 真言宗の僧
 出身は京都
 入唐八家
 (最澄・空海・常暁
  円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)
 の一人
 元興寺
 歳栄に師事し
 華厳宗の僧として
 得度・受戒
 823年(弘仁十四年)
 空海から
 金剛界・胎蔵界両部の大法を受け
 杲隣(ごうりん)から
 灌頂を受けた
 実恵の推挙により
 入唐請益僧(にっとうしょうやくそう)
 838年(承和五年)
 円仁・円載・常暁らと唐に渡った
 青龍寺
 義真から法を受け
 839年(承和六年)
 帰国し「請来目録」を奉った
 後
 勅命により
 山城国
 霊巌寺を開創
 天王寺の初代別当に任じられた
 播磨国
 太山寺の開祖
ーー↓↑ーー
 円仁(えんにん)
 延暦十三年(794年)
 ~
 貞観六年一月十四日(864年2月24日)
 第三代天台座主
 慈覚大師(じかくだいし)
 入唐八家
 (最澄・空海・常暁
  円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)
 の一人
 下野国の生まれ
 出自は
 壬生氏
 ↓↑
 下野国
 安蘇山・・・?
 裾野脇の湖畔
 みかもノ山の
 越奈良の須(美加保の関、みかもの崎)
 壬生氏の子として生まれた
 9歳で大慈寺で修行
 大慈寺の師
 広智は
 鑑真の直弟子
 道忠の弟子で
 多くの弟子を
 最澄に師事させていた
 ↓↑
 壬生寺
 (下都賀郡壬生町大師町)
 美加保ノ関
 (栃木市藤岡町三鴨の都賀字館・佐野市越名)
 安蘇山
 麓手洗窪
 (安蘇郡下津原・栃木市岩舟町下津原)
 などの説・・・
 美可母ノ山
 ↓↑
 円仁ゆかりの
 安蘇の川原
 美加保ノ関を沼越しに眺める名所
 安蘇山の麓、手洗窪
 ↓↑
 大同三(808年)
 15歳
 広智に連れられ
 比叡山延暦寺に上り
 最澄に師事
 奈良仏教の反撃
 真言密教の興隆
 という二重の障壁の中で
 天台宗
 最澄が止観を学ばせた
 弟子10人のうち
 師の代講
 を任せられた
 ↓↑
 弘仁五年(814年)
 言試(国家試験)に合格
 翌年21歳で得度(出家)
 弘仁七年(816年)
 23歳で三戒壇の一つ
 東大寺で
 具足戒(小乗250戒)
 を受け
 この年
 最澄の東国巡遊に従って
 故郷下野を訪れる
 弘仁八年(817年)三月六日
 大乗戒を
 教授師として諸弟子に授け
 自らも大乗戒を受ける
 弘仁十三年(822年)
 29歳で最澄から
 一心三観の妙義を授けられた
 ↓↑
 承和二年(836年)
 1回目の渡航失敗
 翌承和三年(837年)
 2回目の渡航も失敗
 承和五年(838年)六月十三日
 博多津を出港
 『入唐求法巡礼行記』をこの日から記録
 志賀島から
 揚州東梁豊村まで
 8日間で渡海
 「四つの船」のうち1艘は遭難
 円仁の船はコントロールが利かず
 渚に乗り上げ
 船は全壊での上陸
 『行記』838年(開成四年)七月二日条)
 ↓↑
 上陸日
 唐の開成4年7月2日
 日本の承和5年7月2日
 と日付が一致・・・
 ↓↑
 在唐新羅人社会
 山東半島の新羅人の港町・赤山浦の在唐新羅人社会の助けを借りて
 唐残留
 長安への求法
 五台山から徒歩53日間
 大興善寺の
 元政和尚から灌頂を受け
 金剛界大法を授き
 青竜寺の義真からも灌頂を受け
 胎蔵界・盧遮那経大法と
 蘇悉地大法を授く
 金剛界曼荼羅を長安の絵師
 王恵に代価6千文で描かせる
 描かせていた曼荼羅が完成する
 (『行記』840年(開成5年)12月22日条)。
 ↓↑
 唐朝に帰国を百余度も願い出るが拒否される
 入唐以来5年間余りを共に過して来た愛弟子
 惟暁を失う(『行記』843年(会昌3年)7月25日条。享年32)
 サンスクリット語を学び
 仏典を多数書写
 842年(会昌2年)10月
 「会昌の廃仏」に遭い
 外国人僧の国外追放で帰国(会昌5年2月)
 強制的に還俗させられ
 再度剃髪したのは帰国直前
 多くの長安住人の送別を受け
 送別人の多くは
 唐高官の仏教徒
 李元佐のほか僧侶及び長安在留の新羅人たち
 107日間、山東半島の新羅人の町・赤山まで歩いて戻った
 この際、
 新羅人の唐役人にして
 張宝高の部下の将
 張詠が
 円仁のために
 唐政府の公金で帰国船を建造してくれたが
 密告に遭い、この船では帰れなくなった
 ↓↑
  「円仁が無事生きている」
 日本に伝わっていた
 比叡山から弟子の
 性海が
 円仁を迎えに唐にやってき
 師と再会
 楚州の
 新羅人約語(通訳)
 劉慎言に帰国の便船探しを頼み
 彼の見つけた新羅商人
 金珍の貿易船に便乗して帰国
 円仁は
 劉慎言に
 沙金弐両と大坂腰帯を贈った
 朝鮮半島沿岸を進みながらの90日間の船旅
 博多津に到着
 鴻臚館に入った
 (『行記』承和14年(847年)9月19日条)
 日本政府は
 円仁を無事連れ帰ってきた
 金珍ら新羅商人に十分に報酬を報いるように太政官符を発し
 9年6ヶ月に及んだ日記
 『入唐求法巡礼行記』(全4巻)の記述を終えている
 (『行記』承和14年(847年)12月14日条)。54歳
 9年6ヶ月に及ぶ求法の旅の間
 書き綴った日記が
 『入唐求法巡礼行記』
 時の皇帝
 武宗による仏教弾圧である
 「会昌の廃仏」を伝え
 ライシャワーの研究により
 日本でも著名になり
 欧米でも知られるようになる
 帰国後
 目黒不動の
 瀧泉寺
 山形市にある
 立石寺
 松島の
 瑞巌寺を開いた・・・
 慈覚大師円仁が
 開山したり再興したりしたと伝わる寺は
 関東に209寺
 東北に331寺余
 浅草の浅草寺もそのひとつ(
 このほか
 北海道にも開基伝承が存在する
 有珠善光寺
 ↓↑
 後に
 円仁派は山門派と称された
 円珍は寺門派となり
 両者は長期にわたり対立関係になった
 ↓↑
 仁寿四年(854年)四月三日
 円仁は61歳で
 第3代延暦寺座主に任命された
ーー↓↑ーー
 円珍(常用漢字)
 圓珍(旧字体)
 圓珎(古文書、古記録表記)
 ↓↑
 円珍(えんちん)
 弘仁五年三月十五日
 (814年4月8日)
 ~
 寛平三年十月二十九日
 (891年12月4日)
 天台宗の僧
 天台寺門宗(寺門派)の宗祖
 諡号は智証大師(智證大師)
 入唐八家
 (最澄・空海・常暁
  円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)
 の一人
 ↓↑
 弘仁五年(814年)
 讃岐国(香川県)
 金倉郷に誕生
 多度郡
 弘田郷の豪族
 佐伯一門
 俗姓は和気
 字は遠塵
 空海(弘法大師)の
 甥(もしくは姪の息子)
 生誕地は
 善通寺付近
 15歳で比叡山に登り
 義真に師事
 12年間の籠山行
 ↓↑
 承和十二年(845年)
 役行者の後を慕い
 大峯山・葛城山・熊野三山を巡礼
 修験道の発展に寄与
 承和十三年(846年)
 延暦寺の学頭
 仁寿三年(853年)
 新羅商人の船で入唐
 途中暴風で
 台湾に漂着
 ↓↑
 天安二年(858年)
 唐商人の船で帰国
 帰国後しばらく
 金倉寺に住み、寺の整備
 後
 比叡山
 山王院に住し
 貞観十年(868年)
 延暦寺
 第五代座主
 園城寺(三井寺)を賜り
 伝法灌頂の道場とした
 比叡山を山門派が占拠し
 園城寺は
 寺門派の拠点となった
 寛平三年(891年)入寂、享年78歳
ーー↓↑ーー
 円載(えんさい)
 生年不詳~元慶元年(877年)
 平安時代前期の
 天台宗の僧
 出身は大和国
 ↓↑
 日本天台宗の祖
 最澄に師事
 838年(承和五年)
 天台座主
 円澄
 の天台宗義に関する
 疑問50条を携えて
 唐に渡った
 天台山
 広修・維蠲(いけん)の
 「唐決」を得て弟子の
 仁好(にんこう)
 に託して日本に送った
 その後も唐に残り学識を持って
 宣宗の帰依を受け
 855年(斉衡二年)
 円珍とともに
 長安
 青龍寺法全(はっぜん)から灌頂を受けた
 この間
 日本の朝廷から2度にわたり
 黄金の送金を受けた
 864年(貞観六年)
 真如法親王(高岳親王)
 宗叡
 が長安に到着
 在唐30余年になる
 円載の手配により
 長安西明寺に案内された
 ↓↑
 877年(元慶元年)
 日本へ帰る途中
 船が難破
 遭難死
 ↓↑
 「破戒僧」
 唐に滞在している間
 破戒悪行
 円珍「行歴抄」
 円載との確執が描写
 ↓↑
 円載は
 唐滞在中に
 会昌の廃仏に遭遇
 他の多くの僧と同様に
 強制的に還俗させられ
 妻子も持った
 これが
 「破戒悪行」
 として日本に伝わった・・・
 同時期に唐に滞在していた
 円仁も同様に還俗させられた
 円仁が
 再度剃髪したのは帰国する直前のことで
 円仁は
 円載とちがって
 無事帰国
 ↓↑
 円融・圓結
 エン・イン
 ↓↑
 円融
 仏語
 それぞれの事物が
 その立場を保ちながら一体であり
 互いにとけ合って
 障りのないこと
 ↓↑
 円融天皇
 959年4月12日
 〈天徳三年三月二日〉
 ~
 991年3月1日
 〈正暦二年二月十二日〉
 第64代天皇
 在位
 969年9月27日
 〈安和2年8月13日〉
 ~
 984年9月24日
 〈永観2年8月27日〉)
  諱は守平(もりひら)
 村上天皇の第五皇子
 母は右大臣藤原師輔の娘
 中宮安子
 冷泉天皇の同母弟
 中宮安子
 所生の3番目の皇子
 ・・・参考原文は
 「ウィッキペデア」・・・
ーーーーー
 ???・・・
 ホウケイ・□■・・・エンケイ・○●・・・
 サンカクケイ△▼・・・V・・・
 ・・・形象・・・「ハ・丷」・・・

島原大変、肥後迷惑・・・揣摩葉等太編、卑語眀和煦(盟和句)・・・?

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 外周・周囲・周辺・円周・・・楕円(橢円)・アーモンド ↓↑
 ラグビー・・・楕円=ダエン=橢円・・・橢=木+隋・・・記紀・隋王朝

 二〇十九年二〇時三十五分
 ・・・日本(21) VS(7)スコットランド・・・

 やったァァァ~ッ!!!
 二〇十九年二一時四〇分
 日本(28) VS(21)スコットランド・・・
 十月、日の本壊滅は経済ではなく・・・
 颱風・堤防決壊・大洪水・・・大災害・・・
ーーーーー
 ラグビーボールの形

  楕円
 円を縦方向に(横方向に)伸ばしたもの
 楕円(だえん・橢円・ellipse)
 平面上のある2定点からの
 距離の和が
 一定となるような
 点の集合から作られる曲線
 基準となる2定点を焦点
 円錐曲線の一種
 ↓↑
 中国語で
 楕円の「楕」は
 「木の切り株」の意
 「木の切り口」の 形から名けられた
 日本では
 田畑の実際の形から
 「飯櫃」
 「平卵形」などと呼ばれていた
 関孝和は
 「側円」と呼んだ
 江戸時代には
 「側円」と呼ばれ
 明治になって
 「楕円」
 と呼ばれるようになった・・・明治の所産
 ↓↑
 台風の渦の目の移動は「楕円形」・・・?
 ↓↑
 回転楕円体(spheroid)
 楕円の
 長軸または短軸を
 回転軸として得られる回転体
 3径のうち
 2径が等しい楕円体
 ↓↑
 回転楕円体
 「地球の形」を
 近似するのに用いられる
 回転楕円体を
 地球楕円体 (Earth ellipsoid)
 と呼ぶ
 様々な地球楕円体のうち
 個々の測地系が準拠すべき
 地球楕円体を
 特に
 準拠楕円体 (reference ellipsoid)
 と呼ぶ。
 ↓↑
 3径のうち等しい
 2径の半径を赤道半径
 残りの1つを極半径
 元の楕円の2径のうち
 回転軸となった半径が
 極半径
 他方が
 赤道半径である
 ↓↑
 赤道半径のほうが長い
 短軸が回転軸となった回転楕円体を
 扁球・扁楕円体・扁平楕円体
 (oblate, oblate spheroid)
  という
 極半径のほうが長い
 長軸が回転軸となった回転楕円体を
 長球・長楕円体・扁長楕円体
 (prolate, prolate spheroid)
 という。
 ↓↑
 赤道半径
 と
 極半径が
 等しい回転楕円体は
 球である
 球は
 円を
 その直径を回転軸とした回転体で
 3径が
 全て等しい楕円体である
 ↓↑
 回転楕円体の表面を
 回転楕円面
 という
 ↓↑

 「金烏玉兎
 (キンウギョクト)」・・・金の加羅州
              多万(太満・多萬・但馬・丸・圓)の
              鵜(鸕・雨・武・胡・宇)の
              詐欺(詐偽・佐義・左記・鷺)
 カラス(烏・鴉・鵶・雅・Crow)
 鳥類カラス科・カラス属・Corvu
 ↓↑
 ウサギ
 (兎・兔・rabbit・hare(ヘア)
      bunny・coney・cony)
 ↓↑
 アーモンド(Almond)
 ↓↑     嗚呼、問答?
       嗚呼、水主?
 ↓↑     ↓↑
   もんど(主水)
      「もいとり(水取)」の音変化
      「主水司 (もんどのつかさ) 」の略
       主水司(シュスイシ)
       主水=かこ= 水主( かこ )
       水夫⇔海士・海人・海女・海部
 ↓↑     ↓↑
       万葉仮名
      「阿麻=あま
         =白水郎
          白水郎=中国の
      地名「白水」?の潜水夫
          白水=熊本県北東部
          南阿蘇村東部の旧村域
          阿蘇山の火口原の南郷谷にある
          1889年=明治二十二年=己丑年
          白川村・吉田村・両併村
          一関村・中松村
          の5村が合体して
         「白水村」が発足
          海士・海人・海部・海女
          泉郎=白+水+良+邑(阝)
          漁人・魚師
         =蜑=延+虫
       水主町(かこまち)
       城下町・港町に所在する地名
      「1889年=明治二十二年=己丑年」2月11日
       大日本帝国憲法
       旧皇室典範
       衆議院議員選挙法公布
       万歳三唱が始る
       森有礼文相が刺殺
       日本 (新聞)創刊(陸羯南)
       5月15日
       大槻文彦「言海 (第一冊)」発刊
       10月7日
       海軍旗章条例(旭日旗が軍艦旗となる)
 ↓↑     ↓↑
 バラ科サクラ(桜・櫻・咲良)属の落葉高木
 及びこの果実の種から作る
 ↓↑
 ナッツ(nuts・豆・まめ)・・・α+豆⇔壱=壹⇔臺
 古くは
 ヘントウ(扁桃)と呼ばれ
 ↓↑ ・・・扁(かたよる)
     =戶(一尸)+冊
      始めの屍の書冊
      戶+冂+卄
      戸+冂+卄
      戶+冂+一+丨+丨
      戸+冂+一+丨+丨
      ヘン
      ひらたい
      ふだ(札)
      門の上や部屋に
      かかげる横長のふだ
      横額
      うすくて平べったい
      ちいさい・扁舟(ヘンシュウ)
      漢字を構成する左側の部分=偏
 ↓↑    桃=十+八+兆し
 アンズ(杏=木+口)
 モモ(桃=木+兆)
 ウメ(梅=木+毎=十八𠂉毋)
 の近縁種
 梅などに似た果実をつける
 果肉は薄く食用にならないが
 種子の殻を取り除いた
 仁の部分が食用
 「生アーモンド」となる
 アーモンドの訛った
 アメンドウ・・・編め務如何?
 また
 ハタンキョウ(巴旦杏)とも呼ばれる
 スモモもハタンキョウと呼ばれ
 混同が生じる
 ↓↑
 ラッカセイ(落花生・peanut・groundnut)
 マメ(豆)亜科ラッカセイ属の一年草
 食用にされる種子は別名
 ナンキンマメ(南京豆)・ピーナッツ

ーーーーー
 circumference=sərkʌ́mfərəns・sərˈkəm・fər・əns
↓↑       səˈkʌm.fər.əns・sɚˈkʌm.fɚ.əns
         サァ(シェ)ーカムファ  レンス
         作雅(詞廻)化務符蛙(丫)聯諏?
         作蛙(詞廻)化務符蛙(丫)聯諏?
         サァ(ル)カァンファ ラァンス
↓↑     ↓↑
         諏=言+取・・・諏訪
           言+耳+又
           シュ
           ス
           とう(問う・当)
           はかる(測・計・衡)
           問う・訊ねる・尋ねる
           質ねる
           相談する
         訪=言+方
           ホウ
           おとずれる・・・音ズレる
           訪問・来訪
 ↓↑        ↓↑
 外周・周囲・円周・周辺
 the outside edge of an area
  or
 object that is round or curved,
  or
 the length of this edge
 the distance around a circle
↓↑
 諏訪・すわ
 朝廷は
 諏訪神社の
 建御名方神(たけみなかたのかみ)
 の神威を恐れ
 諏訪神領の自治を認めていた
 諏訪の地名の由来
 長野県の方言
 すわ=谷や湿地
    「沢」から転じた?・・・諏倭(諏和)
    「洲羽(すは・古事記)」
    「すわ大変」
    「須波」・「須芳」・・・「諏倭」・・・諏輪・・・

ーーーーー
 倭史の爪痕・・・「鷲(わし)」の
         「爪(つめ)」は
         「厶(私・邪・横島・横縞・與湖島)」がある
         「瓜(うり)」とは異なる・・・?
 歴史に残る
 長野県の自然災害
 諏訪湖=断層湖
     北緯36度02分
     東経138度05分
 天竜川(一級河川)水系の一部
 釜無川と笛吹川の合流点より下流を富士川
 七ツ釜は
 全面氷結しても
 湖底の源泉が
 湖上に7ヵ所の穴を穿ったもの
 ↓↑
 長野県の自然災害
 「暴れ天竜」
 天竜川洪水
 ↓↑
 伝承
 夢枕に立つ
 くらがり沢の大蛇(箕輪町三日町)
 澄心寺の
 黙仙和尚の夢枕に
 妙齢の美女に化身した
 くらがり沢の大蛇が立ち
 天に昇るために
 山から天竜川へ移動し
 千年住まなければならないと言った。
 大蛇は
 澄心寺や下の田畑村人には
 決して被害を与えないと誓い
 沢をくだって通させてくれと
 一生のお願いをして帰った。
 夢からさめた和尚は
 くらがり沢の入り口に
 石を伏せ読経を唱えて大蛇を封じ込めた。
 その1週間後
 大蛇は荒れ狂って
 南沢へ抜け出したので
 澄心寺は壁をぶち抜かれ
 三百六十畳の畳の上に
 五尺から九尺の
 甘酒のような泥がなだれ込み
 下に続く田畑も大きな被害を受けた。
 ↓↑
 理兵衛堤防
 江戸時代
 前沢村の名主
 松村理兵衛忠次が
 度重なる天竜川の水害から
 田島を護るために
 私財をなげうち
 尾張から石工を呼んで
 堤防工事を始め
 工事中に何度も水害に見舞われ
 至難を極めたが
 理兵衛の孫の三代に渡り
 58年間と3万両もの莫大な費用をかけて
 堤防が完成した。
 平成18年7月
 豪雨の際、洪水の跡に
 理兵衛堤防の石積が発見された。
 ↓↑
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=mcafeess1&p= 長野県の歴史的災害
ーーーーー
  島原大変・・・揣摩(しま・志摩・四万・史真)葉等太編?
 (しまばらたいへん)
  肥後迷惑・・・卑語(飛語・蜚語・鄙語・庇護)眀和煦(盟和句)?
 (ひごめいわく)   眀和 1764年~1772年
               後桜町天皇、後桃園天皇
               江戸幕府将軍は徳川家治
             煦=日+句+烈火(灬)
               翼覆嫗煦(ヨクフ-ウク)
               親が子を、政治家が人民を
               男が女を慈しみ
               愛することをいう
              「嫗煦」は暖めて育てること
               親鳥が雛や卵を翼で覆って
               暖め育てることにたとえ
 1792年5月21日
 (寛政四年四月一日
    壬子
    清王朝 乾隆五十七年
    フランス革命暦
    I年
    葡萄月1日
    グレゴリオ暦1792年9月22日
    I年
    雪月11日)
    4月20日
    フランスがオーストリアに宣戦布告
    フランス革命戦争勃発
    4月22日
    フランス革命戦争
    ワシントン米大統領中立宣言
    6月1日
    米国ケンタッキー(Commonwealth of Kentucky)
    が15番目の州となる
    ケンタッキーの語源・・・懸(建・兼)
                立通
                奇異(紀伊・記意)?
    先住
    チェロキー族の・・・・・知恵路忌諱(記意)?
    「暗い血まみれの大地」
    「暗い血塗られた土地」
    「Kain-tuck-ee(Ganda-giga'i)」
    イロコイ族の・・・・色恋・色濃い・意賂故意?
    「平原」を指す言葉・・・・併言・源平の文字の順逆
    8月10日
    フランス革命
    ルイ16世が拘束・幽閉、王権停止
    9月21日
    フランス革命
    第一共和政樹立
 ↓↑  ↓↑
    5月21日(寛政四年4月1日)
    雲仙岳が噴火(島原大変肥後迷惑)
 ↓↑  ↓↑
    12月11日(寛政4年10月28日)
    蝦夷国松前藩
    第八代藩主
    松前道広の隠退により
    第九代
    松前章広が襲封
    ロシア使節
 ↓↑  ラクスマンが日本来訪
 肥前国
 島原(長崎県)で発生した
 雲仙岳の
 火山性地震
 その後の
 眉山の・・・「眉輪=目弱」王・・・真由話王?
        円大大臣(つぶらおみ)
        円(エン・まる・ゑん・Yen・まどか)
        丸いこと・丸いもの・丸印
        圓(エン・ウォン・通貨名)
 山体崩壊(島原大変)・・・三対崩壊・纂体法界?
 それに起因する
 津波が
 島原
 対岸の
 肥後国(熊本県)を襲った(肥後迷惑)
 新月
 大潮
 であった
 山体崩壊開始から終了まで
 180秒程度・・・?
 ↓↑
 第一段階(前駆地震群)
 1791年(寛政三年)11月ごろ
 雲仙岳西側で有感地震が多発
 震源が徐々に
 普賢岳に向かった
 ↓↑
 第二段階(普賢祠前の噴火-新焼溶岩の流出)
 1792年2月10日(寛政四年一月十八日)
 普賢岳で
 噴火
 溶岩流
 火山ガスの噴出
 溶岩は2か月掛けて2キロメートル
 千本木と呼ばれた部落まで流れた
 穴迫谷(あなさこたに)
 と呼ばれる山中の谷を埋めた
 ↓↑
 第三段階(三月朔地震群-今村の地下水位上昇)
 1792年4月1日(寛政四年三月一日)
 から1週間ほど地震が群発
 普賢岳から
 火が噴き
 吹石岩が降り注ぎ
 眉岳・天狗岳(708メートル)
 に落石し、地割れが起こった
 その後
 地震は
 島原の近くに震源を移し地震が続いた
 4月21日
 島原近辺での地震活動活発
 ↓↑
 第四段階(四月朔地震-眉山山体崩壊)
 5月14日までに群発地震は収まったが
 5月21日の夜、2度の強い地震
 眉山の南側部分が大きく崩れ
 大量の土砂が
 島原城下を通り有明海へと一気に流れ込んだ
 崩壊前には
 楠平で地下水の異常な上昇
 眉山崩壊の原因
 眉山の火山活動か
 雲仙岳の
 火山性地震によって誘発されたのか
 定かではない
 ↓↑
 第五段階(続く地震と湧水変化)
 崩壊後
 上の原に
 自噴井が生じた
 眉山には
 「六筋の堅割」が生じ泥水が噴出
 六月朔日
 普賢岳山頂で再噴火
 地震の度に
 眉山が2次崩壊
 ↓↑
 崩壊原因
 諸説あり、未解明
 火山爆発説は否定
 ↓↑
 by
https://ja.wikipedia.org/wiki/島原大変肥後迷惑
ーーーーー
 ・・・???・・・自然災害は諦めろ、ラグビーは諦めるなッ!
 理不尽な暴力は許すな・・・ウラメ・・・?
 理尽な暴力は行使して自己防衛をハカレ・・・?


「水到魚行」・時がたてば成る様になる?・・・「水到渠成」・蘇軾・答秦太虚書?

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 楕円でも円満・・・八咫鏡・・・円周率再考
 八=ノ+乀=ノ+丶=8⇔∞
 咫=尺+只=尸+乀=口+ハ+口+ハ
   「咫=中婦人手長八寸、謂之咫。周尺也」
   「周代の尺で八寸を咫という」

 鏡=金+立+日+儿
 円周率=π=3,1415=「円周÷直径(二半径)」=円周の直径に対する比
    =「円周の長さ」は「直径の長さ」の何倍か?
   π = 3.14159
      3+1+4+1+5+9=14+9=23
            ・・・2+3=5⇔伍・語・吾(ゴ・あれ)
                いつ=伍・何時・壱・溢・乙
                   ウぅ(中国語)
       全数字を「正の整数」として
            加算し
           「基数=0~9の整数」にする
   π = 3.1415
      3+1+4+1+5=14・・・1+4=五⇔伍・吾(ゴ・あれ)
   π = 3.14
      3+1+4=8=八=ハ・・・捌(ハチ・さばく)
    參=ム+ム+ム+𠆢+彡
      三っの横嶋(ム)が会合する彡(痕・爪痕)
     壱=十+一+冖+匕=壹=十+一+冖+豆
      肆=镸+聿・・・肆⇔髟・镹・髪
        髠髯髽髭髧髤鬐髢髿髦髲鬋
        镸=匚+=+ム
        镸=Γ+=+一+ム
        镸=Γ+≡+ム・・・・Γ=厂
     ・・・镸=長・・・長⇔辰=≡+丿+レ+丶+乀
                   辰=厂+一+𧘇( xian)
                   辰=厂+亠+𧘇
                  ・・・衣=亠+丿+𠄌+乀+丿
ーーーーー
 「安全」・・・?・・・「危険」・・・?
  安=宀+女
  全=𠆢+王=人+王
    ・・・安全とは
      「宀」と「𠆢or人」に
       守られた
      「女王」
      「女王蜂」・「女王蟻」・「卑弥呼」
        王⇔玉
       ・・・数珠・腕輪・首飾り
          釧(くしろ)=古代の装飾品で腕輪
          万葉集
          振田向(ふるのたむけ)が
          筑紫国に赴任する際に詠んだ
         「吾妹子(わぎもこ)は
          釧(くしろ)にあらなむ
          左手の 我が奥の手に
          まきて去(い)なまし」
          歌から釧などの腕輪は
          左手首に巻くのが
          一般的だった・・・?
          釧=金+川・・・釧⇔訓
            セン
            うでわ・くしろ
            腕にはめる飾りの輪
            くしろ・ひじまき・たまき
            腕釧(ワンセン)
            ブレスレット(bracelet)
 ↓↑
 裏字作重下「𧘇」=裏字として「𧘇」を下に重ね作る
 裏書(うらがき)
 法律用語・紙の裏に書かれた文字・文章を指す
 ↓↑
 「表=亠+土+𧘇」・・・音の土(ド)の𧘇・・・氏?
 「裏=亠+里+𧘇」・・・音の里(リ)の𧘇・・・氏?
 ↓↑
 「亠+𧘇」=衣=衣服の襟元(えりもと)
            襟=衤+禁・・・「衣」を禁じるって?
              衤+林+示
              衤+木+木+示
              キン・えり・むね
              衣服の前えり
              着物の前えり
              胸・心のうち
              心中・思い
              建物の南
 ↓↑
 「袋(有袋・郵袋)
  装(舗装)
  裂(分裂)」
 「亠+口+  𧘇=哀」・・・哀悼
 「亠+中+  𧘇=衷」・・・折衷
 「亠+保+  𧘇=褒」・・・褒美
 「亠+口+一+ 𧘇=衰」・・・衰退
 ↓↑
 𧘇
 𧘇的意思
 𧘇什(十)么(何)意思・・・么……(麼・末)接尾語
              这么・多么・怎么
              歌詞の口調をととのえる
 𧘇 的读(読・讀)音
 𧘇的解释(釋・釈)・・・解釈
 𧘇字的意思
 𧘇字什(十)么(何)意思
 汉(漢)字𧘇的意思
 𧘇字念什(十)么(何)
 𧘇怎()么(何)读・・・怎么都好=なんでもいい
             怎么=何故・如何(どう)
                奈何(いかん)
             怎=乍+心
ーーーーー
     ・・・镸=長・・・長の始点は点=・○
        镸円(楕円)の原型は円
           円の中心から
           左右横軸、上下縦軸に
           引っ張った形態
        镸+肀+二
        镸+肀+一+一
           丨+一+一+一+一+厶+聿
           丨+一+一+一+一+厶+肀+二
           丨+一+一+一+一+厶+肀+一+一
    円周=3,14x8=25,12・・・・2+5+1+2=10・・・1+0=1
      =3,1415x8=25,132・・2+5+1+3+2=13・・・1+3=4
      =24.8÷8=3,1
      =24.9÷8=3,1125
      =25.0÷8=3.125
      =25.1÷8=3.1375≒3.14・・・3+1+4=8=八=捌(さばく)
            3.1375・・・3+1+3+7+5=19
                    ・・・1+9=10(壱拾・足)
           人の足=1フィート
           漢字=一呎=one foot
           足=フィート・フット(feet・foot)
           1フィート=0.3048 メートル
           1フィート=12インチ
           3フィート=1ヤード
 ↓↑
 楕円=Daen=長円=卵型
 oval
 ellipse=iˈlips・エリプス・イリプス
 ↓↑ 
 ditch=ディッチ
    =みぞ・溝・渠・漊・瀆・涜・畎
     渠=洰+木
 ↓↑↓↑  氵+巨+木
       キョ
       おおきい
       かしら
       かれ
       なんぞ
       みぞ
       掘り割り・地面を掘った水路・小川
       大きい・広い
       かしら・親分
       かれ・三人称の代名詞
      「なんぞ・いずくんぞ」と読み
       疑問や反語の助字
       水到渠成
      「水至りて渠成る
      (蘇軾・答秦太虚書)」
        軾=車+式
          車+弋+工
          ショク
          しきみ
          車の前部についている横木
          横木に摑(捉)まり
          敬礼をすること
         「水到魚行」
          ・・・時がたてば成る様になる・・・?
       ⇔巨勢(こせ)氏
           許勢・許世・居勢
           己西・既洒
           大和国高市郡巨勢郷
          (奈良県御所市古瀬)
           を本拠とした古代豪族
           巨勢至信(こせ ゆきのぶ)
           江戸時代中期の旗本
           巨勢忠善(ただよし)の嫡男
           官位は従五位下
           伊豆守、縫殿頭
           至信の縁戚
           浄円院=彼女は徳川吉宗の母
               至信の伯母
           旗本巨勢氏
           至信の父
           忠善の代から
           紀州徳川家に仕え始め


           巨勢 至忠(こせ ゆきただ)
           土岐朝澄の子
           巨勢至信の婿養子
           官位は従五位下
           伊豆守
           日向守
           宝暦三年(1753年)
           定火消
           布衣(ほい)の着用許可
           旗本の礼装
           武家官位の最下層(六位)
           定火消(じょうびけし)
           江戸中定火之番
 ↓↑  ↓↑
    漊・瀆・涜・畎
    漊=氵+婁・・・婁=娄(ル・ロウ)
            鞴・送風器・ふいごう
            吹子・吹革
            吹影鏤塵(スイエイロウジン)
            たたら=踏鞴・蹈鞴
            たたら= 鑪・多多良・多田羅
    漊=氵+串+女
           𧰃=豆+婁=通䝁正音勞野豆也
             二𧰃郎侯反𧰃豆也𧯲俗音
      婁・娄(ル・ロウ・つなぐ・つながれる
          ウシ=牛をつなぐ
          ひく・むなしい・から
          中空・空洞)
      婁=二十八宿
        西方白虎・第二宿
        挹婁(ユウロウ)
        中国古代の外満州・沿海州付近にいた
        北方民族
        靺鞨(マッカツ)
        三世紀前半
        夫余の支配を脱した
 ↓↑  ↓↑ ↓↑  ↓↑
      ルソー=婁騒・魯叟・蘆騒=るそー
      Jean-JacquesRousseau
      (ジャン・ジャック・ルソー)
      仏人・啓蒙思想家・文学者
      (1712~1778)
      「民約訳解」著作
  瀆=氵+士+買・・・水の士のカイ物
             買=罒(網)+目+ハ
                 編  女の人
    涜=氵+売(女)・・水を拾う壱の冖の儿
       冒涜=冒瀆=ボウトク
            =貶める行為発言
             不敬
             氵=さんずい
              =纂隋・簒隋・篹隋
                隋=隋書・随所
       比売=比女⇔姫⇔「壱與・壹與」
               卑弥呼の宗女
                   瘦女
                   瘦得皮包骨
    畎=田+犬=甽=田+川(巛)
          異体字「圳=𤰕=甽=𤱶」
      ケン・テイ・キョウ
      みぞ
      田畑の間を流れる細い水路
      谷川・小川
      畎畝(ケンポ)
      田の「あぜ」と畑の「うね」
 ↓↑  ↓↑
 偻=的繁体字。亦作「軁」・・・偻⇔倭
   驼背=佝偻・・・・・稲穂垂れの曲がり
             禾穂垂れの曲がり
             のぎ(芒)
             穀物の穂先の毛
   泛指身体弯曲
   使身体弯曲
   表示恭敬・・・・・・お辞儀・挨拶のオジギ
   泛指弯曲
   屈曲・僂數
   迅速・立刻
   僂
   儸
   偻=僂
   脊背弯曲=伛~(弯腰驼背)
   迅速=不能~指(不能迅速指出来)
   其它字義(义)
    它=宀+匕=へび・タ・ダ=蛇
   偻=僂
   干練(练)=机灵=賢い
         灵=異体字「靈・㚑・霊・霛」
      指縁林或盗賊的部下、仆从(倒従(從))
   佝=僂
ーーーーー
 廃妃尹氏(はいひいんし、ペビユンシ)
 景泰五年閏六月一日
 (1455年7月15日)
  ~
 成化十八年八月十六日
 (1482年8月29日)
 李氏朝鮮
 第九代国王
 成宗の2人目の王妃
 第十代国王
 燕山君の生母
 本貫は咸安
 尹起畎(尹起畝)・・・・・畎=ケン=猟犬
 と
 申氏(申叔舟の従妹)・・・申=さる=猿
 の娘
 燕山君の在位中の
 1504年に復位
 斉献王后(チェホンワンフ)と追号
 1506年
 中宗反正の後に
 再び廃位・・・???
 美しい容姿で
 成宗の寵愛を受けた
 成化十年(1474年)
 成宗の最初の王妃
 恭恵王后崩御
 妊娠中の尹氏は
 王妃に冊封された
 4ヶ月後
 元子(燕山君)を出産
 成化十三年(1477年)
 尹氏は砒素を隠していたことが発覚
 他の後宮を毒殺しようとした
 嫌疑がかけられ
 降格されそうになったが
 成宗の取り計らいで免れた
 尹氏のもとを訪れた成宗は
 尹氏の母が残していった箱に
 呪詛の文が書かれた書を発見し
 成化十五年(1479年)
 成宗は
 尹氏を廃位し
 王妃から
 嬪(ピン、正一品。側室の最上位)に降格した
 三年後
 成宗が尹氏のもとを訪れた際
 尹氏は
 嫉妬で
 成宗の顔を
 爪で引っ掻くという不敬を犯した
 これを知った
 大妃や妃の強い要求により
 成宗は尹氏を廃妃、宮廷から追放
 尹氏の素行不良により
 成化十八年(1482年)八月
 成宗は
 廃妃尹氏に
 賜薬を下した
 ↓↑
 尹氏の
 廃妃と賜死を巡って
 両班家、貧家の出身の
 尹氏を快く思わなかった
 太后と後宮の妃妾たちの妬みに遭い
 謀略により憤死した・・・説
 尹氏の
 墓碑は建てなかったが
 成宗は世子の将来を考慮し
 「尹氏之墓」という墓碑銘を与えた
 成宗は自分の
 死後100年間は
 廃妃問題に関して論じないよう遺言
 燕山君は後に
 尹氏の死の経緯を知り
 甲子士禍へ・・・
 ↓↑
 甲子士禍(コウシシカ)
 燕山君の独裁政治の粛清事件
 士林派
 国王に反対する
 勲旧派の一部も
 弾圧
 ↓↑
 燕山君は
 1498年(燕山君四年)
 「戊午士禍」
 によって
 士林派を一掃し
 奢侈な生活
 重税を課し
 官吏の功臣田の削減
 ↓↑
 燕山君は
 1503年(燕山君九年)頃
 狂動が増し
 1504年(燕山君十年)
 外戚を中心とした宮中派
 と
 議政府によった府中派
 との対立を利用し
 権力の掌握を狙った側近の
 任士洪と
 宦官(内侍)の
 金子猿が・・・・金子の猿
         金の子の猿・・・猿女?
 燕山君に
 生母(廃妃)尹氏の賜死の経緯を
 告げ口し、亡き母の遺品を見せた
 燕山君は逆上し
 賜死にかかわった関係者の
 すべての調査と処罰を命じた・・・SK国状況?
 7ヶ月以上にわたる
 疑惑の追及が行なわれ
 勲旧派
 士林派
 を問わず
 賜死事件に関連した要人が
 死刑、流刑
 貴人鄭氏
 貴人厳氏
 の2人は
 燕山君に殺害
 勲旧派の巨頭
 韓明澮
 もこの時
 「剖棺斬屍」・・・死体を棺から引き出し斬刑に処すこと
 に処された
 生母尹氏の賜死を実行した
 燕山君の祖母
 仁粹大王大妃も
 燕山君から虐待を受け死去
 ↓↑
 国王自身の「恐怖政治」は
 開国以来の
 王権と臣権の関係に重大な影響をもたらし
 朝鮮王朝史上
 最初の臣下による
 政変を引き起こした
 燕山君は
 1506年(燕山君十二年)9月2日
 朴元宗
 柳順汀
 らによる
 宮廷クーデターにより
 王位を剥奪
 3ヵ月後に流刑先の
 江華島で死亡・・・
 ↓↑
 1494年
 6歳で
 晋城大君(チンソンデグン)に冊封
 ↓↑
 1506年9月2日
 勲旧派の
 朴元宗
 成希顔
 柳順汀
 らがクーデターによって
 燕山君を廃位、追放し
 18歳の
 晋城大君
 を擁立
 ↓↑
 「獄中花」・・・「獄女(オクニョ)→玉女」?
 中宗
 李氏朝鮮の
 第十一代国王
 (在位
  1506年9月2日~1544年11月14日)
 諱は懌(ヨク)
 諡は恭僖徽文昭武欽仁誠孝大王
   中宗恭僖大王
 第九代
 成宗の次男
 第十代
 燕山君の異母弟
 ↓↑
 1510年
 側近の
 朴元宗が死去
 「三浦の乱」
 北方からは
 女真族の侵入
 ↓↑
 38年2ヶ月在位した後
 1544年11月14日
 長男の
 仁宗に譲位し
 翌日56歳で死去
ーーーーー
 ・・・???・・・
 「乙巳士禍」
 by 『ウィキペディア(Wikipedia)』
 ↓↑
 乙巳士禍(ウルササファ)
 1545年
 李氏朝鮮の
 明宗時代
 明宗の外戚
 尹元衡(文定王后・尹氏の弟)・・・文+定
 らによる
 鳳城君
 を推戴しようとした
 反対勢力
 先代
 仁宗(明宗の異母兄)外戚の
 尹任
 と
 彼に登用された
 士林
 らの粛清事件
 ↓↑
 1544年11月
 中宗が死去
 世子が29歳で即位
 仁宗は生母が産褥で生後直ぐに死去し
 継妃であった
 文定王后に育てられた
 文定王后の実子で
 仁宗の異母弟
 慶源大君(明宗)は
 十一歳
 ↓↑
 中宗の晩年
 仁宗の伯父
 尹任
 の率いる
 大尹派
 と
 文定王后の次弟
 尹元衡を中心とする
 小尹派
 とが対立して
 仁宗の即位により
 大尹派が優位となった
 ↓↑
 仁宗
 短い在位期間中
 「己卯士禍」で
 被害にあった
 趙光祖ら士林派の名誉回復をはかり
 自らも
 道学政治を標榜し
 士林派の登用を推進
 が、即位後9か月足らずで
 原因不明の急病で死去
 急死について
 継母
 文定王后による
 殺害説が囁かれてきた・・・
 ↓↑
 仁宗
 の死によって
 幼い国王
 明宗
 と
 生母
 文定王后(垂簾政治)
 に擁護された
 小尹派の中心人物
 尹元衡は
 策略で
 尹任、柳灌、柳仁淑
 らの
 大尹派の
 首領を自決に追い込み
 彼らに追随した
 士林派の
 官僚たちを配流
 ↓↑
 政権を掌握した
 尹元衡は
 1547年
 「良才駅壁書獄」
 を起こし
 先の事件で生き残った
 良識派の
 士林勢力をも一掃し
 権力を独占
 ↓↑
 尹元衡
 は
 国王の外戚として
 文定王后
 存命中は
 栄華を極めた
 文定王后の死により
 妾
 鄭蘭貞とともに政権を追われ
 自害
 ・・・「鄭蘭貞」・・・「半島美人」!!
 ・・・「鄭蘭貞」の配下使用人も全員忠義モノ・・・?
 鄭蘭貞 (チョン・ナンジョン・てい・らんてい)
 ?~嘉靖四十四年 (1565年11月13日)
 朝鮮の身分制度を覆そうとした聖女
 ・・・パク・チュミ・・・
 (朴周美・1972年10月5日)・・・
           交通事故・2012年10月23日夜
 壬子(壬 癸)正財・偏財 絶⇔壬辰
 己酉(庚 辛)比肩・食神長生⇔庚戌
 己巳(戊庚丙)  ・印綬帝旺⇔丁巳
  戌亥 大運2012年3月(39歳) 乙巳 偏官
 庚午(丙 丁)傷官・偏印建禄⇔丙午
 ↓↑
 「李之菡(イ・ジハム)」
         ・・・菡萏(カンタン)
            中国語でハス(蓮)
            大分県大分市西部の地名
           「菡萏」と表記
            菡萏港 - 大分県大分市
            大分港の旧称
            菡萏湾 - 大分県にある
            別府湾の旧称
  (1517~1578)
 (中宗十二年~宣祖十一年)
  朝鮮時代中期の学者・博学多才
 「李之菡(イ・ジハム)」
 妻の父
 李呈琅は
 「良才駅壁書事件」・・・良才駅で政権批判の張り紙(壁書)が発見
            「上では大統領が
             下では奸臣が権力を占めているから
             国が滅びてしまう」・・・?
 に巻き込まれ処刑
 ↓↑
 土亭是
 李之菡
 的外號
 李是
 高麗
 忠臣
 牧隱李穡的
 第6代玄孫
 1517年
 出生
 在忠清道的
 保寧。
 他十四歲的
 時候就失去了父親
 是長兄教會
 他
 讀書寫字的。
 成家後
 他拜師
 於
 自然哲學家
 徐敬德門下
 學習力學
 醫學
 數學
 天文和地理
 等
 各個領域的知
 ↓↑
 乙卯倭変
 1555年
 倭寇が
 全羅南道の
 康津
 珍島
 に侵入、略奪
 ↓↑
 1544年
 蛇梁鎮倭変
 朝鮮で
 倭人の来往を禁止
 対馬島主の
 謝罪
 通交再開許可願いを受け入れ
 1547年
 丁未約条
 倭人の交易を許可
 約条は倭人に対する統制を強化
 倭人は朝鮮との貿易で規制され
 倭寇は
 日本全域が戦乱状態で
 貿易事情も悪く
 明の沿海と朝鮮の沿海地方で
 略奪行為
 1555年5月
 倭寇は船七十余隻で
 全羅道の南海岸に侵入
 城を包囲
 長興、康津、霊岩一帯を横行
 朝鮮は
 倭寇討伐隊を全羅道に急派
 節度使・元績
 長興府使・韓温
 などが戦死
 霊岩郡守・李徳堅が捕虜になる
 ↓↑
 朝廷は
 戸曹判書・李浚慶を都巡察使
      南致薫を防御使
 に任命し、討伐隊を再び派遣
 彼らが倭寇を職滅すると
 対馬島との貿易関係悪化
 立場が苦しくなった対馬島主は
 朝鮮を略奪し蛮行に出た
 倭寇の首を切ってきて謝罪
 歳遣船の増加を願った
 朝鮮では
 対馬島の生活必需品を支援するため
 食料事情などを考慮し
 歳遣船五隻を許可した
 が
 倭寇の侵入は減らなかった
 豊臣秀吉
 日本統一
 朝鮮に
 大規模な戦争を敢行
 「壬辰倭乱」
 以後
 朝鮮と日本の
 両国間の貿易は中断・・・???
 「悪女・獄女」・・・ドラマの結末は・・・
ーーーーー
 人種、種族、民族に関係なく
 ・・・ヤッタ方は事実をトボケテ忘れる・・・?
 ・・・ヤラレタ方は事実を誇張して忘れない・・・?
 ・・・みんな、ボケればヘイワ・・・カモ?

江戸⇔穢土・蝦夷・・・慈水・・・字推・・・似泥水

$
0
0
 責任転嫁(passing the buck)・・・?
 治水=ジスイ=自炊・似水・慈水・・・池水・・・堤防決壊・・・綴冒結解?
 江戸⇔穢土・・・蝦夷・・・慈水・・・似泥水・・・
 ・・・梅艷芳「似水流年(Life Written In Water)」
     ・・・似水(水のように)=如水?・・・黒田如水(シメオン)?
       「 歳月は水の流れのように速い,青春は移ろいやすい」
 ↓↑
 「ニホンジン」なら、毎度の「自然災害」は諦めるコトは出来るカモ、だが、「戦争災害」は許さないとしたのが「人間天皇」を象徴とする「日本国憲法下のニホン人」である・・・ソレは「日本人の自己反省」としたのだ・・・「相手」に対してでは(デワ)ない・・・
 ・・・護(鎮)れるか、衛(守)れないか・・・「相手次第」である・・・
a
 ↓↑
 政府の行為によつて
 再び
 戦争の惨禍が・・・・・・戦争の惨禍を
 起ることのないやうに・・起こさないコトの
 することを決意し、・・・決意を他国民にも知らしめ・・・
 ↓↑
 日本国民は、・・・・・・日本国民は諸国民と共に
 恒久の平和を念願し、・・恒久の平和を念願し
 人間相互の関係を
 支配する
 崇高な理想を・・・・・・現実的理想が何かを明らかにし
             理想=盗むな・嘘つくな・殺傷するな
 深く自覚するのであつて、・・・諸国民と共に相互確認し
 ↓↑
 平和を愛する・・・平和を愛さない
          強盗・虚偽・暴行殺傷を望む
 諸国民の・・・・・ある一部の国家国民の
 公正と信義に・・・不正と不信義には
 信頼して、・・・・信義を正し糾弾し
 われらの・・・・・われらの
 安全と生存を・・・安全と生存を
 保持しようと・・・法と実力で保持することを
 決意した。・・・・決意する
 ↓↑
 われらは、
 いづれの国家も、
 自国のこと・・・・・・・自国民と自国
 のみに専念して
 他国を
 無視しては
 ならないのであつて、
 政治道徳の法則は、・・・政治道徳の法とは何かを
               道徳=国民の自由を
                  国家法的権力での
                  束縛、拘束、監禁
                  の為の
                  虚偽、恐喝、暴行
                  の禁止
                  公共事業予算の公平配分を
 普遍的なものであり、・・現実的なものとして明らかにし
 この法則に従ふことは、・この法に従い
 自国の主権を維持し、・・自国民と自国の主権と
 他国と・・・・・・・・・諸国民と諸国との主権が
 対等関係に・・・・・・・対等関係であることを
 立たうとする・・・・・・常時相互確認しつつ、施行し
 各国の・・・・・・・・・自国と自国民
             諸国家と諸国民の
 責務であると信ずる。・・責務とする
 ↓↑
 日本国民は、
 国家の名誉にかけ、・・・人間の名誉を明らかにし
             自国と自国民の為すべきものとして
 全力をあげて・・・・・・普通どおり
 この崇高な・・・・・・・この当然な
 理想と目的を・・・・・・理想と現実目的を明らかにし
             これらに反する諸国家を
 達成することを誓ふ。・・実力行使も併せ遂行することを誓ふ
a
ーーーーー
 ・・・???・・・
 すべてではないだろうが
 西洋人、中東人なら「カミ」に責任転嫁するだろう・・・
 中国人は「テン」にである・・・
 仏教徒は「仏」にスベテお任せ・・・である・・・
 sK国「Mr,文」&彼の「エピゴーネン」は「旭日旗・日本」にである・・・
 nK国「Mr,金」&彼の「エピゴーネン」は「妄想」にである・・・
 「ニホンジン」・・・ハラをキッて・・・アノ世に逃げる・・・? 
 They never takes responsibility. They always passes the buck.
 ↓↑
 何があっても
 「自然」と共に生きていると「自覚?」しているのは・・・
 「北海道のアイヌ」の人々か・・・?・・・北風磯吉・・・
 ↓↑        ・・・名寄=アイヌ語・・・名前を寄せるだろう?
          「ナイ・オロ・プト(川の・所の・口)」が由来
           名寄川=ナイ(nay)or ナイオㇿ(nay-or)
           松浦武四郎の
          『天之穂日誌』
          「此処をナイフトと云うは
           ナヨロフトの詰語なり」
          『天塩日誌』
          「左ナイブト 本名ナヨロフト」
           和人が流入後
          「ナヨロ」「ナヨロフト(ナイブト)」
           に
          「奈与呂」「奈余路」「奈伊太」の
           漢字をあて
           1888年(明治三十年)6月30日
           18 8 8
           千八百八拾八
           一八 八 八
           千捌陌捌足捌
           千捌珀捌足捌
           壱千八百八拾八
           壱=士+冖+匕(七・𠤎・ヒ)
          「七(7)」⇔「𠤎(牝・雌)」
                ⇔「匕(匙・匕首)」
          「匕首に鍔」
           壹千八百八拾八
           壹=士+冖+豆
            =十+一+冖+豆
                  豆=𠮛+ㅛ
          「上名寄村・下名寄村」置村後
          「名寄」「名寄太」を使用
          「名寄」の字をあてた経緯は不明・・・?
           文字どうりの
          「名」を
          「1888=一八八八」の
           異字(維持・意地・意字・医事)漢字に
          「寄せる」だろう・・・?
           北緯44 度・上川管内・・・川上タケルの居住地?
           天塩(てしお)川=アイヌ語・・・天汐・天潮
              「テシュ=梁(やな・魚を獲る仕掛け)
             「テシ・オ」「テシュ・オ」
             「梁(やな)」+  「ある」
 ↓↑         の支流の名寄川への入口を意
 あるいは
 アマゾン(亜馬孫・亜馬森・亜馬生・Amazonas)
 ↓↑・・・「海女・海部・海人・海士」村
      阿毎遜・阿閉尊・安部孫・雨噂・天存
      アマゾーン
      ギリシア神話の女性だけの部族
      ピンダロスなどに
      アマゾニス(Amazonis)
      アマゾン川
 ↓↑    ↓↑
      1500年
      南アメリカ大陸の
      海岸線沿いに航行していた
      ビセンテ・ヤーニェス・ピンソン
      がアマゾン河口近くにたどり着き
      この付近の水が淡水であることに気づき
      マーレ・ドゥルセ
     (ポルトガル語
      甘い海)
      と名付けた
      アマゾン川の全域を航行した初の人間
      スペインのコンキスタドール
      フランシスコ・デ・オレリャーナ
      インカ帝国の征服に参加
 ↓↑    ↓↑
      1500年
      干支 庚申・・・金兄の猿?
      日本
      明応九年
      中国
      明 弘治十三年
      朝鮮
      李氏朝鮮 燕山君六年・・・燕山君・・・暴君
      ハルパゴルニス鷲(ワシ)が
               姿を消す
      明智光安 誕生
      明智光秀の叔父、後見人(~1556年)
      12月2日
     (明応九年十一月十一日)
      島津久逸(しまづ ひさやす)
      薩州家の
      島津忠興
      に攻められ戦死・享年60
      伊作家(いざくけ)の
      第八代当主(1441年~)
      薩摩国
      阿多郡
      伊作荘
     (鹿児島県日置市吹上地域)
      の領主
 ↓↑    ↓↑
      1541年
      天文十年
      オレリャーナは
      ゴンサロ・ピサロによる
      エル・ドラード探索行にも参加
      アマゾン最上流域の
      ナポ川から出発し、全区間を航行
      1542年(天文十一年)8月
      に河口に到達
      オレリャーナは
      地元住民と激しい戦闘を繰り広げ
      女性戦士に攻撃された・・・
      これが
      ギリシア神話の
      女人族
      アマゾネスを連想させ
      この川に
 ↓↑    アマゾン川という名がつけられた・・・?
      4月7日
      フランシスコ・ザビエル
      ポルトガル国王の援助を得て
      リスボンを出帆し東洋へ向かう
      6月26日
      フランシスコ・ピサロが暗殺
      タルタリアが・・・・・・・樽の足の利はY?
      三次方程式の解法を発見
      ゲラルドゥス・メルカトルが
      地球儀を作る
      システィーナ礼拝堂の壁画
     「最後の審判」が完成
      カルヴァンが
      ジュネーヴで宗教改革
      イエズス会初代総長に
      イグナチオ・ロヨラ
      7月7日
     (天文十年六月十四日)
      武田晴信、父信虎を駿河に追放
      武田八幡宮竣工
      ポルトガル船が豊後国に漂着
      大友宗麟に
      カボチャの種が贈られる
      吉田郡山城の戦い
      尼子軍が敗北
      安芸から撤退
      大内氏が
      厳島神主家藤原氏を滅ぼす
      佐東銀山城の戦い
 ↓↑    安芸武田氏滅亡
 ↓↑    ↓↑
      1542年・天文十一年
      干支 壬寅・・・水兄の虎
      日本
      天文十一年
      皇紀2202(弐千弐百弐)年
      中国
      明 嘉靖二十一年
      朝鮮
      李氏朝鮮 中宗三十七年
      8月13日
     (天文十一年七月三日)
      武田晴信
      と
      高遠頼継
      が
      諏訪頼重の
      信濃上原城を攻め
      頼重は
      信濃桑原城に逃れる
      8月14日
     (天文十一年七月四日)
      武田晴信が諏訪頼重の籠る
      信濃桑原城を包囲
      頼重は降伏し開城
      8月15日(天文十一年七月五日)
      武田晴信が
      諏訪頼重と弟の
      諏訪頼高を甲府に送り
      甲斐東光寺に幽閉
      8月31日
     (天文十一年七月二十一日)
      諏訪頼重が弟の
      諏訪頼高とともに
      甲斐東光寺で自刃
      諏訪氏滅亡
      9月19日
     (天文十一年八月十日)
      織田信秀が
      三河
      小豆坂で
      今川義元を破る
     (小豆坂の戦い(1回目))
      第一次
      月山富田城の戦い
 ↓↑    ↓↑
 アマゾン(亜馬孫・亜馬森・亜馬生・Amazonas)
 の
 「秘境の人びと」かもだが・・・
 「自覚」も無いカモ・・・
 「自覚」以前に「自覚」のしようも無い「自然体」だから・・・
 個々のイキモノは自然との共生、生存期間は短い・・・
 短い生存期間は命を繋ぐ時間である・・・
 それが生き物の宿命である・・・
 「霑体塗足(テンタイトソク)の野良仕事・国語斉語」
 「辛い労働の様子
  身体を濡らし
  足に泥を塗る様に
  田畑で仕事をすること」・・・「辛い労働」の自覚無し?
 イノチ短し、コイセよ乙女・・・
 生存葛藤・・・
 ヨメ(嫁)のテキはアマ(姑)かも・・・
a
 ↓↑
 雨との戦い
 水との戦い
 水の灌漑
 水を閉じ込める
 水の動きを封じ込める
 ミズにマケル・・・銅鐸の水流紋・・・を割る・・・?
                  洪水・暴雨の抑制
          銅鏡の直弧文・・・を割る・・・?
                 日照り・旱魃の抑制
 ・・・???・・・飢饉・・・
 錮=金+固
   金+囗+古
   金+囗+十+口
   コ
   かたい
   ながわずらい
   ふさぐ
   塞(ふさ)ぐ
   熔解金属で隙間を塞(ふさ)ぐ
   閉じ込める
   かたい=固・堅固(ケンゴ)・・・建子・建拠
   なが患い・長期間、治らない病気
   禁錮・禁固
 ↓↑
 禁錮
 自由刑に
 作業義務等区分を設けている法制度において
 作業義務を科さない刑罰より短期拘留刑
 ↓↑
 禁止・軟禁・拘置(拘禁・監禁)・禁城・失禁
 襟・開襟
 ↓↑
 禁錮
 政治犯や過失犯に科されるもの
 懲役
 破廉恥罪
 殺人、窃盗など
 道徳的に非難されるべき動機により行われる犯罪
 に対して科されるもの・・・
 ↓↑
 失禁
 「漏れ」の
 オランダ語
 「lekheid」の蘭方医の訳語
 「禁=ふさぐ・とどめる」
 「失禁=とどめそこなう」
 ↓↑
 襟
 開襟(カイキン)
 襟元(えりもと)
 襟裳岬(えりもみさき)
 襟(えり)を正(ただ)す
 襟=えり=衿=衤(衣)+今
 ↓↑
 禁=木+木(十八十八)
    +示(二亅八)・・・示=三脚の神棚?
 示=祭壇、祭卓の形
   禁=祭卓を置き、神を祀る地域
 ↓↑
 禁=林(並び立つ二本の木)・・・囃子・速し・八香具師
   +
   示=「並び立つ二本の木」
        と
       「神に生贄をささげる台」
 禁
 禁忌
 忌(い)み(心身を清浄に保ち
     穢(けがれ)避けて行動する事)
 ↓↑
 禁止
 とどめる・差し止める
 「NG(no good)」・・・「New Guy」
         「Nigeria(ナイジェリア
          尼日利亜・尼日利亞・奈及利亞)」
 「NG=禁句」
 タブー(taboo)
 be under taboo.
 Among those tribesmen speech is taboo
                while hunting...
 前もって注意する事・注意の言葉
          ・厳禁(言禁?・現禁・現金?)
 ↓↑
 禁裏
 御所(天皇・天子の居所)
 門ごとに番所を設け、衛兵で人の通行、進入を
 とどめる領域
 ↓↑
 監禁(confinement・カァンファィンマァントゥ)
   幽閉・監禁(状態)
   お産の床につくこと=出産・分娩
   営倉への監禁
   抑留・拘束
   制限・掣肘・束縛・限定
   禁足・足止め・足留め
   入所・分娩
   勾留・収監・拘置・禁固
   幽囚・幽閉
   confined・・・not free to move about
   captive
   人質・俘虜・刑徒・受刑者・囚人・囚徒
   捕虜・獄囚・繋囚・罪囚・虜囚
   captivation
   とりこ・萌え・魅了状態・魅惑状態
   素晴らしく変わった何かに対する
   非常に好みである感覚
   a feeling of great liking
    for something wonderful
    and unusual
 ・・・カンキン=換金・官金・桿菌・韓金武?
   ↓↑
  「札幌市三丁目食堂事件(2008年発覚)」
  「新安塩田奴隷労働事件(2014年2月6日発覚)」
 ・・・???・・・
 ↓↑
 檻禁
 「鳥獣を飼う檻(おり)」・・・鳥籠・獣小屋?
  ↓↑
  by 「ふりがな文庫」
 「明治大正美人追憶」 (新字新仮名)・長谷川時雨(著)
 「赤ひげ診療譚」(新字新仮名)・狂女の話・三度目の正直
         山本周五郎(著)
 ↓↑
 禁卒
 牢屋・監獄・・・獄女?
 ↓↑
 禁
 杯(酒を飲むのに使う小さな器)を置く台
 注意の言葉
 ↓↑
 禁方
 ひそか、秘密
 ↓↑
 禁呪
 のろい
 まじない
ーー↓↑ーー
 ???・・・頼みの綱も切れる・・・

NOトライ・・・つわものどものユメのサキ・・・

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 豈はからんや・・・フランス(19)VS (20)ウェールズ
 豈はからんや・・・
 16:15
 16:23
 仏蘭西 (5)VS(0) 威勒士
 16:25
 フランス (10+2)VS (0) ウェールズ
 (francaise)        (Wales・Cymru a Lloegr)
 16:28
 フランス(12)VS (5+2)ウェールズ
 16:38
 フランス(12)VS (7+3)ウェールズ
 16:51
 フランス(12+5+2)VS (10+)ウェールズ
 ↓↑
 17:35
 フランス(19)VS (10+3)ウェールズ
 18:09
 フランス(19)VS (13+5+2)ウェールズ
ーーーーー
 ・・・!!!・・・
 ・・・豈はからんや・・・悔いはなし・・・
 19:17
 日本(3+)VS (5)南アフリカ(南非・南阿弗利加)
 20:15
 ↓↑
 20:33
 日本(3)VS (5+3)南アフリカ
 20:39
 日本(3)VS (5+3+3+3+5+3)南アフリカ
 21:18
 日本(3+)VS (21+5)南アフリカ
 ・・・豈はからんや・・・悔いはなし・・・
ーーーーー
 ・・・悔いはあるだろうなッ・・・

・・・どうしてそんなことが予想できようか・・・サンテン

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 「フタ・ふた」が何故「ガ以前」なんだか?
 豈(あに)
 図(はか)
 らんや・・・
 ・・・あいくち=匕首=合い口・相口=上下の唇(くちびる)が合う?
    唇を噛み締める・・・
 ↓↑
 豈・・・「たいまつ・トーチ」の形象に似ている?

 ↓↑  「山+豆」=燭台に似ている?
     豆=中国古代に用いられた
       脚付き、ふた付き食器
       黒灰色の土器
       竜山文化以降盛んにつくられ
       青銅製もつくられた
       日本の高坏 (たかつき)
       中国では礼器として使用
       高坏(たかつき)状の皿・鉢・食器
       木製の豆は梪(トウ)
       竹製の豆は籩(ヘン)
       瓦製は登(トウ)
       女性の陰部・陰核
    (松明・炬火・トーチ・torch)
     トウチカ
     トーチカ(ロシア語・точка)
     鉄筋コンクリート製の防御陣地
     日本語では特火点(とっかてん)
     英語では
     ピルボックス(pillbox・錠剤ケース)
     掩体壕(バンカー)
 ↓↑

 豈=山+冖+豆
   山+𠮛+ㅛ
   ↓↑
 壹=士+冖+豆
   十+一+冖+豆
   十+一+冖+𠮛+ㅛ
   ↓↑
   𠮛=𠫔=一+ム
     𣅀=亠+日
     シ・むね・うまい
   𠮛=旨㫖𣅌𠤔𤮻𠩊=𠮛
     𣅀=亠+日=𣅀
   ↓↑
   旨=むね=意図していること、意向
        天子や上位者の指示や命令
        その考えや意向
        うまい・美味
        食べ物がおいしい
        甘い・巧い・上手い・美味い
 ↓↑
 壱=士+冖+匕(七・𠤎・ヒ)
       「七(漆・7)」
       「𠤎(牝・雌)」
       「匕(匙・匕首)」
 ↓↑
 台=厶+口・・・邪馬台国
 ↓↑
 臺=吉+冖+至
   士+口+冖+至
   吉+冖+一+厶+土
   士+口+冖+一+厶+十+一
  (旧字体、繁体字)
 ↓↑
 䑓=卄+一+一+冖+至
     甘+冖+至
丨+≡+丨+冖+一+厶+十+一
  (俗字)
 ↓↑
 基=其+土
   卄+一+一+一+ハ+土(十一)
 ↓↑   
 檯=木+臺
 枱=木+台
  (繁体字)
 颱=風+台
 ↓↑
 豈図らんや
 ↓↑
 多く文末を
 「とは」で結ぶ
 全く思いがけないことが
 起こったという
 気持ちを表す
 意外にも
 「豈図らんや~が~であったとは」
 「どうして
  そんなことを考えようか
  考えもしない」
 「豈図らんや
  再び起ころうとは」
 「どうして
  そんなことを考えようか
  考えもしないのに」
 ↓↑
 意外にも
 「あに」+「む(ん)」+「や」
 反語
 「どうして~だろうか
  いや
  そんなことはない」
 ↓↑
 「豈図らんや」
 「どうして(そんなことを)予測しようか」
 「意外にも・思いもせず」
 「意外にも・思いもかけず」
 ↓↑
 「豈(あに)」
 あとに推量を表す語を伴って
 反語表現を作る
 「どうして~なのか」
 「図ら」
 動詞「図る(予測する・推し量る)の未然形
 「ん」
 助動詞「む」の終止形
 推量・予想の意
 「~だろう」
 「や」
 終助詞
 疑問や反語の意
 「~(だろう)か(いや、そうではない)」
 ↓↑
 「豈」・・・「豈図らんや」
 「焉」・・・「焉んぞ死を知らんや」
 ↓↑
 「未だ生を知らず
  焉んぞ死を知らんや」
 焉=疑問助詞
   なぜ、どこ、いかなる
   反問の場合
   態度も普通も
   相手の理由を求めている
 ↓↑
 豈=反問の場合は相手を否定する
   拒む態度で
   相手の理由、方法
   理論は不適当、不可能、理不尽
   であることを強く批判する表現
 ↓↑
 「不敢~=あヘテ~ず」
 「決して~せず」
 「為鳥獣 ... おこたらざるは
  豈なんぞ
  焉これを願ふや。乃ち卑(ひく)きに
  失すること
  あに鳥獣の為ならんや
 ↓↑
 文末の助詞(や・か)
 「乎・耶・哉・邪・与(與)・歟」
 疑問=連体形+か
 ↓↑
 「如何・奈何・何如(いかん)」「如~何」
 ↓↑
 疑問形・反語形・詠嘆形
 文末の助詞(や・か)
 「乎・耶・哉・邪・与(與)・歟」
 疑問=連体形+か
 反語=未然形+ン+(や)」
 汝読論語乎(汝論語を読むか)←疑問
 我読論語乎(我論語を読まんや)←反語
 「夫・哉・矣」=かな←詠嘆形
 ↓↑
 疑問詞
 「何(曷・胡・奚)~」
 ↓↑
 疑問代名詞(who・which・what)
 疑問副詞(why)
 「なんゾ・なにヲカ・なんノ
  いづクニカ・いづレノ」
  汝何読論語
 (汝何ぞ論語を読む・読むか・読むや)←疑問
  我何不読論語
 (我何ぞ論語を読まざらん・んや。)←反語
  汝何求(汝何をか求むる)←疑問
  汝何憂(汝何をか憂へん)←反語
  汝何在(汝いづくにか在る
 ↓↑
 「何不~(なんゾ・・・ざル)」
 「どうして~しないのか
  ~するがよい」=「盍」
 ↓↑ ↓↑
   盍=去+皿=盇=太+皿
   土+厶+皿
   十+一+厶+皿
   コウ
   あう
   おおう
   なんぞ
   あう・集まる・寄り集まる
   おおう
   ふた(蓋)をする
   おおいかぶせる
  「なんぞ~ざる=どうして~しないのか」
  「なんぞ=どうして~か」
   と疑問・反語の意を表わす
 ↓↑
 再読文字
 勧告
 子 何 不 去(子、何ぞ去らざる)←疑問 
 何 不 為 福 乎(何ぞ福と為らざらんや)←反語
 ↓↑
 「~何也(なんゾヤ)」
 ↓↑
 「疑問詞~~+助詞」 
 疑問詞+末尾に
 「乎・耶・哉・邪・与(與)・歟」
 反語が多い
 句末を
 「ン・ンヤ」
 ↓↑
 疑問の場合
 「疑問詞+終助詞」の末尾は
 「連体形+や」
 疑問詞がないとき
 「連体形+か」
 「有」は
 「終止形+有りや」
 「何 攻 秦 乎」
 疑問形で
 「何ぞ秦を攻むるや」
 反語形で
 「何ぞ秦を攻めんや」
  ↓↑
 「何為(なんすレゾ)」
 「何為怒邪(なんすれぞ怒るや」←疑問
 「吾何為不楽(吾なんすれぞ楽しまざらン)」←反語
  ↓↑
 「何以(何ヲ以テ(カ)」
  ↓↑
 「誰(たれカ・ヲカ)」
  ↓↑
 「孰」(いづレ・たれ)」
  ↓↑
 「安(悪・焉・寧)
  (いづクンゾ・いづクニカ)」
 「我故郷安在哉
  (我が故郷安くにか在らんや)」←反語  
   焉知死(焉んぞ死を知らん)」←反語
  君安得此(君安クニカ此を得たる)」←疑問
  ↓↑
 「安クンゾ~得ン」
 願望形で
 「どうにかして~したい」
 「安 得 旨酒」
 (なんとかして旨い酒を手に入れたいものだ)
 「寧=むしろ」←選択形・・・筵・蓆・席・毟ろ?
  ↓↑
 「豈(あに)」反語形・疑問形・詠嘆形
 「豈遠千里哉(豈に千里を遠しとせんや)」
  ↓↑
 「豈~耶・乎(豈に~か)」
 疑問形(推測)
 「豈不~乎(あに~ずや)」
 「豈非~乎(あに~にあらずや)」
 詠嘆形で
 「なんと~ではないか」
 「豈不悲哉(豈に悲しからずや)」
  ↓↑
 「~幾何(~いくばく)」
 「無幾何(いくばくもなし)」
 「未幾(いまだいくばくならず)」
 「如何・奈何・何如」
 「如~何(いかん)」
 「遇震時何如(震に遇ひし時いかん)」
 「失道如何(道を失ひていかんせん)」
 「如此良夜何(この良夜を如何せん)」
 「奈何不敬(奈何ぞ敬せざらん。)」文頭→反語
  ↓↑
 「何~之有(何ノ~カ之レ有ラン)」反語形
 「有何~」
 「何難之有(何の難きことか之れ有らん)」
  ↓↑ 
 「何其~也(何ゾ其レ~や)」詠嘆形
 「何其志小也(何ぞ其れ志の小なるや)」
  ↓↑
 「不亦~乎(まタ~ずや)」 
 詠嘆形
 「不亦楽乎(亦た楽しからずや)」 
 「亦不~」全部否定
 「~不(否)」
 「~未(~ヤいなヤ)」
 「~するのか、どうか」疑問 
 「~在 否(・・ありヤいなヤ)」
 「~信未(信ずるヤ未ダシヤ)」
 「有・在」(ラ変)は
 「終止形+ヤ」
 「豈図らんや」
 「どうしてそんなことが予想できようか」
ーーーーー
 ・・・???・・・「フタ・ふた」が何故「ガ以前」なんだか?
 ・・・蛾以前は繭(蛹・蚕)・・・
 ・・・雅以前は白い鴉=からす=烏・・・加羅州・・・
 ・・・臥以前は元気・・・元記・源記・言記・諺記・・・記紀の元の記録?
 蓋然(ガイゼン)=たぶんそうであろうと考えられること
          ある程度確実であること
 蓋然的=ある事柄が起こりうると考えられる事態・ある程度確かであるさま
  蓋然性・蓋然率・蓋然論・蓋然判断
 豈図らんや
 思い掛けず・思いも寄らない
 思いの外
 折しも・図らずも
 確率・偶然
 公算・偶偶・偶適
 都合よく
 時ならぬ
 不意・不測・不図
 ・・・???・・・

豆を植えて稗(禾卑)を得る⇔反対語⇔鰯(魚弱)網へ鯛(たい)がかかる

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 形象は魂魄・・・象形は今葉句・・・白?
 「まがたま」の類似形象
 ↓↑
 胎児(たいじ・fetus)・・・対峙・退治・太地・耐磁・太治
              待時・碓字・帯字・替字・臺字
              截医事・他異字・多異字・足維持
              鯛事・・・釣り針・咽喉・龍宮城
              乙姫・海亀・浦島太郎
    fetus(フィータス)=人間の胎児
              ・・・69・♋(蟹座・ Cancer・The Crab)
              蟹座=6月22日~7月22日
    受精後9週目に入ってから出産までの胎児
    それ以前を
    胚(embryo・エンブリオゥ)
    ・・・胚=月+丕
         肉+不+一
         ハイ
         はじめ
         はらむ
         みごもる・妊娠する・腹に子をやどす
         はらごもり・妊娠
         きざし・はじめ
         卵黄の上にある眼点で
         孵化すると
         雛(ひな)になるもの
    ・・・胎=肉(ジク)+台(ム+口)
            ・・・ 臺(旧字体、繁体字)
               䑓(俗字)
               薹=艹+吉+冖+至
                 至=一+ム+十+一
               檯=木+臺=枱=木+ム+口
                 テーブル(table)
       児=旧+儿
        =兒=臼+儿
           ・・・臼=炊臼之夢・杵臼之交
              碓=石+隹・・・緖得素・小碓命
                丆+口+隹・・倭男具那
                一+丿+口+隹・・初めの国盗り?
                タイ
                うす
                からうす(加羅碓)
                ふみうす(踏み碓)
                足や水力で穀物を
                搗(つ)く為のウス
       愛児(アイジ)・育児(イクジ)・遺児(イジ)
       嬰児(エイジ)・園児(エンジ)・球児(キュウジ)
       健児(ケンジ)・孤児(コジ)・小児(ショウニ)
       女児(ジョジ)・胎児(タイジ)・男児(ダンジ)
       寵児(チョウジ)・豚児(トンジ)・乳児(ニュウジ)
       幼児(ヨウジ)
       児手柏(このて-がしわ)
       児戯(ジギ)・児女(ジジョ)
       児孫の為に美田を買わず
       児童(ジドウ)       
 オタマジャクシ・・・緒他眞邪句詞?
 (お玉杓子・御玉杓子・tadpole=タッドポール)
 「torch(トーチ)・松明・燭台」の炎
 点火
 波紋
 水文・水流紋
 渦・・・whirlpool・vortex(ヴォーテックス)
     eddy(エディ・擾乱)
         ・・・騒乱武士
            ソーラン節?
            鰊の群渦?
    (eddyはwhirlpoolよりも小さい
     煙・風・砂塵などの渦)
     maelstrom
    (メイルストロム
     メェィルストゥラァム・大渦巻き・渦潮)
     イタリア語マーレ・インテルノ. mare interno
     ドイツ語マールシュトローム. Malstrom
     フランス語マエルストロム. maelstrom
     イタリア語ヴォルティチェ. vortice
     極渦
     ポーラーサイクロン(polar cyclone)
     curl(カール・木目の)
     curl=髪をカールする、巻き毛にする ~を丸める
        ~を巻く 〔軽蔑の印として上唇を〕ゆがめる
        .渦巻き状にする・くるくると巻く(coil)
 颱風の渦・鳴門の渦

 菊石(アンモナイト=鸚鵡螺化石 )の渦
   (ammonite=ammon+ite)・・ammon=太陽神+ite=石
           古生代シルル紀末期・・・識る留?
              デボン紀中期・・・出本記紀注記?
              ~
              中生代白亜紀末・・中世代葉句蛙期末?
           3億5000万年前後の間
           海洋に広く分布し繁栄
           頭足類の一・・・・・・・唐則瑠衣の一?
 羊・・・・邪馬台国には存在しなかった・・・
 無羊・・・放牧民族ではなかった・・・
      農耕+「漁労・狩猟民族」・・・
 アモン=太陽神=ひつじ・・・未・・・日辻の神?
  古代地中海世界で
 アンモナイト化石は
 ギリシアの
 羊角神アンモーン
 (古代ギリシア語Ammōn)
 にちなみ
 「アンモーンの角」
 (ラテン語cornu Ammonis)
 として知られていた・・・
 「アンモーン」=古代エジプトの太陽神・・・
 アモン(Ammon)、アムン(Amun)
 その名は「隠れた者」・・・日蝕・・・?
 ↓↑
 多胡羊太夫
 天武天皇の時代(672年〜686年)
 上野国(群馬県)の伝説上の人物
 多胡郡の郡司
 多胡碑
 「和銅四年」
 「羊」なる者に領地を与え多胡郡とした」
 「未艶」・・・処女、聖マリア・・・イシス・・・医師主・・・
 ↓↑
 勾玉・曲玉・・・Pendulum・ Meteorite(メテオライト)
 鎌の形・・・鎌(シックル・sickle)・・・釜=父は金武=金春秋?
  ・・・中臣鎌子?
    ・・・鎌倉?=「カマ=洞穴・クラ=岩」の意?
           異名「竈谷(かまくら)
              竈口(かまくち)」
       死神が持つ大鎌(デスサイズ・Deathscythe)
 ・・・彩球・埼玉・採玉・・・
 カ氏(和氏)の玉・・・足切りの刑=臏(脚切り)
 和氏の璧(かしのへき、かしのたま)
 中国の春秋時代・戦国時代の故事
 『韓非子』(和氏篇十三)
 『史記』に記録
 「連城の璧(れんじょうのへき) 」とも
      ・・・楚の「厲王(蚡冒)」が
           「蚡=虫+分=土竜(もぐら)
              もぐらもち
              声や音が入り乱れるさま
           「冒=日+目=おかす・邪・冒涜」
   「卞和 ( べんか )」の右足の筋を切断
      「武王」が左足切断
      「文王」が前王二人の不明を詫び
   「卞和の玉石」を称えた・・・
    後に玉石を得た
    趙の「恵文王」は
    秦の「昭襄王」が
    自領の十五城と交換を望んだ
   「卞和の玉石」=「十五城の価値」
   「卞=丶+下
     =亠+卜
     =弁=かんむり=せっかちな
             かるがるしい
    卞=のり・決まり・一定している方法」
 ↓↑
 かいこ
 蚕・繭玉・蛹
 鳥類のツメ・・・抓
 瓜・・・爪・鷲の爪・鷹の爪
 魂魄・霊魂
 半月・三日月
 雫・滴
 氷柱・氷・・・しづく
 みかん・蜜柑・橘・・・
 ネギ坊主・辣韮(らっきょう)

 ↓↑
 「豆を植えて稗を得る」・・・壹與を宇に得て退きの卑弥呼とする?
 期待した結果が得られないこと
 ↓↑
 「豆を煮るに萁(まめがら)を炊く」
    ・・・萁=艹+其=ギ・キ・カイ・まめがら
         実をとった後の豆の茎・葉・鞘(さや)
  (曹植「七歩詩」)
 ↓↑
 萁=豆幹・豆殻
 まめ=豆・荳・菽
 ↓↑
 豆を植えて稗を得る(まめをうえてひえをえる)
  ⇔水を乞うて酒を得る(みずをこうてさけをえる)
 豆を植えて稗を得る(まめをうえてひえをえる)
  ⇔鰯網へ鯛がかかる( いわしあみへたいがかかる)
 「豆を植えて稗を得る」
  好結果を得ようとして
  かえって予想外の不結果を招くこと・・・
  ・・・壱與(壹與・臺與・䑓與)
  ・・・壱拾三歳=壱足蚕座位・・・卑弥呼の宗女十三歳
  ・・・位置を与える・位地を与える・・・與⇔i輿
 ↓↑
 稗史=野史・・・稗田阿礼
 中国の稗官が民間から集めて記録した小説風の歴史書
 正史に対して、民間の歴史書
 物語・小説
 稗官が集めて記した民間の言い伝
 稗官(ハイカン)=民間の風聞を集めて王に奏上した下級役人
          身分の低い小役人
 ↓↑
 菽(まめ)を
 啜(すす)り
 水をのみ歓(カン)をつくす
 豆と水だけの最低の生活をし
 親孝行で父母を喜ばせること
 「礼記(ライキ)」
 ↓↑
 「豆の盛るよう」
 豆がもるような粗雑な作り方の食器
 ↓↑
 豆名月
 八月十五日の名月の
 芋名月に対して
 九月十三日を豆名月という・・・句解通壱拾纂比?
 月に豆を供えるので、この名ができた
 ↓↑
 「豆を煮るのに豆がらをたく」
 豆を煮る燃料に豆がら
 すなわち豆のさや、枝などを用いる
 豆にしても、豆がらにしても
 元は同じ根から生じたもの
 従って
 兄弟や一族が
 相争うことのたとえ
 中国三国時代
 魏の
 文帝は
 弟の
 曹植にいきなり難問を出し
 「七歩あるく間に即興の詩を作れ
  もしできなければ殺す」
 といった
 驚いた曹植は次のような詩を作った
 「大豆を煮てあつものを作る
   ・・・大豆=だいず=大図
       羹=コウ・カン
         あつもの(熱物)
         野菜や肉を煮た吸い物
         菜羹(サイコウ)
  豆を濾(こし)て汁(しる)を作る
  豆がらは釜の下で燃え
  豆は釜の中で泣いている
  もとは同じ根から生まれたのに
  私を煮るのに
  何故そう急ぐのか」
 これ以来
 曹植を
 「七歩(七歩之才(シチホのサイ)の木」
 と呼んで
 転じて
 詩文の才能ある人を指すようになった・・・
 ↓↑
 七歩詩(應聲而作詞)
 豆を煮るに
 豆萁(まめがら)を
 燃やせば
 豆は 釜中に
 在りて 泣く
 本・・・・本=ホン=翻・叛・反・奔
 是れ
 同根に 生ぜしに
 相ひ煎(に)ること・・・会い似る?
 何ぞ
 太(はなは)だ 急なる?・・・太安万侶?
 ↓↑
 豆を炒るよう
 豆を炒るとパチパチ音がする
 口やかましく
 せわしく小言を言うことのたとえ
 ↓↑
 豆をまくよう
 馬が調子よく歩く姿をいう
 また
 碁を早く打つこと
 ↓↑
 うずら(鶉)豆(pinto bean)
 代表的な豆の1つ・斑紋入り
 とら(虎・彪)豆 - 斑紋入り
 ライマメ(lima bean・butter bean)
 ライ豆=莱豆・葵豆(あおいまめ)
     中国で「皇帝豆」、「月豆(つきまめ)」
 エンドウ(豌豆・エンドウ豆・Pea・dry)
 甘納豆・・・天名通唐(トウ=問・答・当)
 肉刺(ジクシ)も「まめ」
 腎臓の形状=ソラマメ型
 「腎臓豆」となる「Kidney Bean」
 ↓↑
 豆=古代中国で使われていた
   高杯(たかつき)
   という脚がついた
   食器・礼器を表す象形文字
   まめ(主にダイズ)=「菽」と書かれていた
 ↓↑
 「豆を植えて稗を得る」
 期待した結果が得られないこと
 ↓↑
 インゲンマメ(隠元豆)
 スペイン語(Frijol・フリホル)
 マメ亜科の一年草
 別名
 サイトウ(菜豆)・サンドマメ(三度豆)
 フジマメ(藤豆)
 センゴクマメ(千石豆)
 アジマメ(藊豆)
 ↓↑
 隠元隆琦
 (いんげん りゅうき)
 大光普照国師、仏慈広鑑国師
 径山首出国師、覚性円明国師
 勅賜として真空大師、華光大師
 万暦二十年・・・・・・萬の暦、弐拾念?
 文禄元年十一月四日・・文の録、元念、壱拾壱肆比
 (1592年12月7日)
 ~
 寛文十三年四月三日・・巻分・漢文壱拾参撚肆解通纂比?
 (1673年5月19日)
 明末清初の禅宗の僧
 日本黄檗宗の祖
 福建省
 福州府
 福清県の生まれ
 俗姓は
 林・・・はやし・リン
 ↓↑
 隠元=臨済正宗
 「禅浄双修」の念仏禅
 「禅密双修」の
 陀羅尼禅を特徴とする
 明朝の禅である
 「明禅」を日本に伝えた
 道者
 超元と共に
 禅宗界に多大な影響を与え
 江戸時代における
 臨済・曹洞の
 二宗の
 戒律復興運動等に貢献
 ↓↑
 隠元豆の名称に名を残し
 日本における
 煎茶道の開祖
 木庵性瑫、即非如
 とともに「黄檗の三筆」
 ↓↑
 ソラマメ中毒
 ソラマメ毒性物質の食中毒
 ↓↑
 ラテン語
 「faba」
  (学名はVicia faba)
 イタリア語
 「fava」
 ファビズム (Favism)
 フェービズム
 と呼ばれる
 ↓↑
 黄疸、溶血性貧血で
 急性腎不全
 ソラマメの花粉を吸っても危険・・・
 ↓↑
 中世ヨーロッパ
 テンプル騎士団では
 「有害な食品として禁じる」
 ↓↑
 ハウチワマメ (Lupin bean)
 ルピナス属
 (Lupinus・ルーピン・Lupin)
 マメ科の属の1
 ルピナスの名は
 ラテン語
 オオカミに由来
 吸肥力が
 非常に強い特徴を
 貪欲な狼にたとえたもの
 ラテン語「オオカミ=ループス」
 フランス語「アルセーヌ・ルパン」の
 ルパン(リュパン・Lupin)も綴りが同一・・・「奇岩城」

 ↓↑
 ルパンビーンズ(ルーピンビーンズ
         Lupin beans
         葉団扇豆
         羽団扇豆=ハウチワマメ)
 ↓↑
 和名
 ハウチワマメ属(葉団扇豆属)
 根生葉が掌状複葉
 ↓↑
 花の様子がフジに似ており
 花が下から咲き上がるため
 ノボリフジ(昇藤)
ーーーーー
 ・・・???・・・

辰=厂+一+𧘇=𠨷=厂+一+止+乀(乚乙)・異体字「𠨱・𠨷・𨑃・𨑄・𠩟・晨・曟・䢈」

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 「ふるい・フルイ・ふる-い・フ-ルイ」・・・コト ・・・付留意・・・? 表=𧘝・𧘦・𧘰・𪊘・𪊬・𧜫・・・鹿皮(革)の衣   ヒョウ   おもて・あらわす   主+𧘇=表   他の人が分かるように示す   主君や役所などに   意志・意見を伝えるために   認(したた)めた文書   内容を分かりやすく並べたもの ↓↑ 袞=六+口+衣=衮=六+衣 袞=亠+㕣+𧘇=亠+儿+口+𧘇   異体字は衮   衮=亠+八+厶+𧘇     衣=亠+𧘇=亠+𧘇   コン   天子や上公の着る礼服   天子の礼服 ↓↑ 衿=キン=襟  =えり=衣服の襟元・首元・胸元 衣=亠+𧘇  =亠=音・鍋蓋の音・・・首・頭   𧘇=衣服 ふるい 古い 振るい・・振動・・・・辰韓 ↓↑ 振=扌+辰 ↓↑   辰=厂+一+𧘇=𠨷=厂+一+止+乀(乚乙)      異体字「𠨱・𠨷・𨑃・𨑄・𠩟・晨・曟・䢈」      シン      たつ      とき      ひ      とき・時刻      十二支の五番目・方位は東南東      時刻は午前八時、前後の二時間      動物では竜(龍・たつ)・・・多通?      太陽と月と星      二十八宿の一つ・なかごぼし      水星      朝・早朝      象形      二枚貝が殻(から)から      足を出している形・・・?      ・・・唇(くちびる)から出す舌     「蜃(シン)」の原字     「龍,古作 竜(集韻)」     「龍」の「解字」の項     「會意形聲      立+月(肉)+丂+乚+≡(三)      象形      頭に尖った冠形を戴く龍の形」     「龍=立+月(肉)+⺊(ト)+己+≡        立+月+⺊+己+≡        立+月+⺊+コ+乚+≡・・・        立+月+⺊+コ+匕+匕+匕      嘉辰令月     「嘉辰」はめでたい日     「令月」はめでたい月 ↓↑ 妊娠=妊=女+壬・・・壬生乙・栃木県壬生町壬生乙    娠=女+辰 ↓↑ 辰・振・唇・娠・辱・宸・莀・脣・晨 脤・敐・祳・蜄・蜃・鄏・農・蓐・溽 賑・槈・儂・鋠・褥・辳・震・耨・蕽 憹・濃・薅・縟・膿・麎・穠・鎒・禯 襛・曟・辴・䢉・醲・鷐・陙・浱・㖘 磭・㺜・缛・䆣・侲・䢆・屒・赈・䥎 擃・檂・燶・㰮・䃩・䟴・噥・誫・桭 鬞・滣・㦺・䀼・䔚・傉・裖・䢇・嶩 䫃・欁・齈・癑・㲀・繷・䅶・䢅・媷 譨・䣅・搙・漘・㫳・䁸・䞅・嗕・䢈 帪 ↓↑ 一振・学振・眼振・共振・強振 空振・三振・歯振(あさり)・振塩 振幅・振塩 振り・振る・振れ・振ゆ・振く 振張・振動・振幅・振鈴・静振・千振 歯振・振出・振舞・振縄 胆振・制振・振袖・振掛・振駒 振付・振方・振気・振起・振竹 振興・振替・振古・振鼓・振作 振子・振粛・振事 振振・振新・振戦 振盪(脳振盪) ↓↑ 降る意・・降雨・降雪・降臨 奮い・・・奮闘・奮激・興奮 揮い・・・揮発・発揮 慄い・・・戦慄・慄然 震・・・・震撼・地震・地走り・・・
 ↓↑ 舊 キュウ(キウ) ク(慣) ふるい・もと 名のり ひさ・ふさ・ふる ↓↑ 旧=丨+日 舊=雈+臼   萑+臼   卝+隹+臼・・・卝=角・鶏冠・両耳            二又・二股の形象   艹+隹+臼   旧-字   雈(カン)・・・鶏冠(とさか)のある鳥          と          音符の臼(キウ)          の構成   蚯蚓(みみず・キュウイン)・・・丘を引きずるムシ?          貧毛綱の環形動物の総称      ミミ-ズク     (木菟・木兎・鵩・鶹・鵂      角鴟・鴟鵂・耳木菟・耳木兎)      フクロウ科の     「羽角(うかく)がある種の総称      古名は「ツク・ズク」      羽角=耳(耳介)のような羽毛     「ふくろう」+「耳」=みみつく   「梟(ふくろう・キョウ・キュウ)=䲷=鳥+木」の意    梟首(キョウシュ)、晒し首ともいう    借りて「ふるい」の意・・・? ↓↑ 雈=卝+隹   カン   鳥の名   ミミズク・フクロウ科の野鳥  芈=卝+二+丨      ビ     羊の鳴く声の形容・・・  羋=芈  羋=卝+ǂ    卝+丨+二+丨    卝+丨+一+一+丨  羐=羑=羊+久    艹+土+久    卝+土+久    卝+十+一+久    ユウ    みちびく    善導する・正しい道に導く   「羐里(ユウリ)=古代中国の地名            殷の紂王が            周の文王を幽閉した所  雈=  舊=雈+旧    雈+臼    萑+臼    卝+隹+臼    艹+隹+臼  雚=卝+吅+隹    艹+吅+隹    艹+口+口+隹    卝+口+口+隹    カン    こうのとり(鸛鵲(カンジャク))    鸛・鳥の名・・・うかり(鴻)    コウノトリ科の鳥    がんらん・草の名    ががいも・つる草の名  卝=  䖹=虫+𦍋    異体字「蝆・蛘・痒」    《說文》搔䖹也        又《揚子・方言》蚍蜉    燕謂之蛾䖹、螳螂    或謂之䖹䖹    《廣韻》綿婢切・音渳    《爾雅・釋蟲》蛄䗐强䖹    《揚子・方言》蛄䗐謂之强䖹    《郭註》米中小黑甲蟲也        今米榖中小黑蟲是也     建平人呼芉子・音芉・芉卽姓也  虁=艹+夒    艹+夔    卝+夒    卝+止+頁+巳+夊    異体字「𡖂・𧅄・夔・犪・𡕿・𣦞        𤛽・𧁎・𧃰・𩠮・𩠰」    木・ギ    一本足の怪物    人面の龍・音楽を司    夔牛(キギュウ)    虁鳳文=鳥の側面形文様        虁は空想化した獣        虁鳳は鳥形        文様として青銅器などにつける        殷・周時代の文様        虺龍文(キリュウモン)    虁州=唐代に四川省東部の奉節県の州    揚子江中流の三峡の険の入り口    虁鳳文卣=酒に香料を混ぜ         香りをつけるのに用いた青銅器         尊という酒を入れる青銅器         撚った縄状の吊り手         蓋上面、肩部の文様帯に         虁鳳という一本足の大鳥  哶=咩・・・・比咩=姫=比売    口+卝+干    口+羊    バ・メ・ビ・ミ・mǐ・miē(ミェ)    笑うさま    ヒツジの鳴き声(羊鳴也)    ネコの鳴き声    メートルの当て字  蝆=  弭=弓+耳    ビ    ミ    やめる    ゆはず    弓の両端にある弦をかける所    やめる・終わりにする・中止する    やすめる・やすんじる・しずめる    弭〈綿婢切息也〉      綿(メ厶)は婢の息切の声也    旻〈彌賔切〉    徼倖〈堅堯切亦作僥〉    瘴癘〈上之亮切下力制切疾疫也       春秋傳大瘠者何癘也〉       癘=レイ・ライ         えやみ         はやりやまい・流行病         おこり・わらわやみ    衒〈熒絹〉    衒=行+玄      行+亠+幺      彳+玄+亍      彳+玄+一+丁      彳+亠+幺+一+丁      ゲン      うる      てらう      ひけらかす      売る・売り歩く      てらう・ひけらかす      自分をよく見せようとするーーーーー 篩(ふるい・sieve) ↓↑ 篩=竹+師   竹+𠂤+一+巾   竹+丿+㠯+帀   竹+丿+㠯+一+巾   竹=亇+亇     チク・・・「筑(紫)・筑(前)・筑(後)」師     たけ・・・たけし     異体字「𦺇・䓯・𥫗」     亇=勹+亅=丿+乛+亅       𠂉+亅       ノ+丁       ノ+一+丨       丿+𠄐       𠂉+丨       ノ+乛+丨       ノ+丅       異体字「个」       㐃=𠆢+丅=个         異体字「亇」         金槌・槌・工具 ↓↑       鉄敷・衣類 篩(ふるい・sieve・シーヴ)   目の細かいふるい・液体のこし器   ざる・・・さる・沙流・然る・去る ↓↑ ↓↑    ↓↑  ↓↑ ↓↑        作留・申・猿・・・ダレ?        木綿藤吉       日吉丸=猿田彦・猿女(宇受女)           猿
           禿(はげ・かぶろ・かむろ)ネズミ           猿面冠者       豊臣秀吉       天文六年二月六日       1537年3月17日生       ~       天文五年一月一日?      (1536年2月2日)生?       乙未(丁乙己)偏印・比肩冠帯⇔戊戌       己丑(癸辛己)食神・偏官 墓⇔辛酉       丁卯(甲 乙)  ・印綬 病⇔辛未        戌亥空亡   大運1597年2月 壬午       丙午(丙 丁)劫財・劫財建禄⇔甲午       ~       慶長三年八月十八日       1598年9月18日       ↓↑      ┏丁酉(庚 辛)劫財・正財 死⇔戊戌      ┗壬寅(戊丙甲)偏官・偏印長生⇔辛酉       丙辰(乙癸戊)  ・食神冠帯⇔辛未        子丑空亡  大運1594年2月  丙申       甲午(丙 丁)偏印・劫財帝旺⇔甲午 ↓↑ ↓↑   ↓↑       豊臣秀吉に謁見した       朝鮮の使者は       一人は「猱玃(ドウカク=大猿)」       一人は「目は鼠」に似る・・・黒豆?      「ハゲねずみ」ではなく「ハリねずみ」       葉解音豆実・・・・・・葉理子頭美・・・?       ・・・秀吉は「木綿針を行商」していた・・・?
       ・・・「ハリネズミ          (針鼠           hedgepig=ヘッジホッグ           生垣のブタ)           哺乳綱Eulipotyphla目           ハリネズミ科           ハリネズミ亜科(Erinaceinae )の総称           一般的に           ジムヌラ亜科(Galericinae)           ハリネズミ亜科の両方の生物群を指す」
       毛利輝元の家来       玉木吉保の自叙伝      『身自鏡(みのかがみ)』に      「赤ひげに猿まな」       耶蘇会の宣教師は      「人相はすこぶる「猿」に似る」       と記録 ↓↑     ↓↑       筑前国       福岡県       朝倉郡       筑前町       豊臣秀吉=羽柴-筑前守-秀吉       織田信長に仕える際      「竹阿弥入道の子」       と秀吉自ら紹介・・・?       竹(筑⇔筑紫・筑前・筑後)       阿弥(あみ=編・網・天海) ↓↑     ↓↑ ・・・秀吉は山崎の戦いで       明智光秀を破り       清洲会議で       織田信長の孫で       織田信雄の長男の       三法師を擁し信長の後継を得た ↓↑     ↓↑ 三法師=織田 秀雄(おだ ひでかつ) ↓↑   天正十一年(1583年)     織田信雄の長男として誕生     母は北畠具教の娘     千代御前(雪姫) ↓↑      ↓↑ 三蔵法師・・・師(教師)⇔帥(元帥)    ↓↑ 弘法大師 慈眼大師(ジゲンダイシ)・・・字源台詞      天海・天文五年       (1536年)?        ~        寛永二十年十月二日       (1643年11月13日)        天台宗僧・南光坊天海        智楽院・大僧正        徳川家康の側近 師曠之聡(シコウノソウ)     非常に鋭く敏い耳のたとえ    「師曠」は中国の     晋の盲目の楽師で政治顧問     師曠は音を聞き分けて吉凶を知った    『孟子(離婁・上)』     類義語は「師曠清耳」 師資相承(シシソウショウ)     武芸や学問などの教えを     師から弟子へと受け継ぐこと     受け継いでいくこと    「師資」=師匠(先生)と弟子(生徒) 師資相承(シシソウジョウ) ↓↑ 師勝資強(シショウシキョウ)     師も弟子もどちらも優れていること    「資」は弟子    「勝・強」はどちらも立派の意    『正法眼蔵』 碩師名人(セキシメイジン)     功績のある学者、高い名声の人     徳の高い人、人望のあつい人    「碩師」は大学者    「名人」は名声のある人    「送東陽馬生序(宋濂)」 先聖先師(センセイセンシ)     孔子の尊称    『礼記(文王世子)』 反面教師(ハンメンキョウシ) ↓↑ ↓↑  ↓↑   ↓↑   篩=ふるい=付留意   ざる・さる・ザル・サル ↓↑ ↓↑   口の軽い人・・・軽薄な人   ~をふるいにかける   篩過す・スィーヴ(sieve)   Sievers分類 紛粒状の固体混合物から その粒径やその他の物理的性質によって 特定の紛粒状固体を選別する機器の総称 一般には網状 粗い目のものを「通し」 細かい目のものを「ふるい」 ・・・「ろ紙(ろし、濾紙、沪紙)」 ↓↑              ↓↑ ↓↑・・・濾紙=ロシ=鸕史・・・鸕野讃良=持統天皇           鸕子=鸕野讃良の              息子の草壁皇子の妃           ・・・元明天皇 ↓↑              ↓↑           ・・・元(王朝)           1271年~1368年?           ・・・明(王朝)           1368年~1644年? ↓↑              ↓↑ 1644年・・・・・・⇔1600年(関が原の戦) 干支 甲申・・・・・木の兄は猿・・・木下藤吉郎?           ・・・猿田彦・猿女・・・猿の女?          木の弟は・・・・豊臣 秀長? 日本 寛永二十一年・・・・・・弐拾壱ネン 皇紀弐千参百四(2304)年 中国 明 : 崇禎十七年 順(李自成) : 永昌元年 張献忠 : 大順元年十一月 秦尚行 : 重興元年 劉守分 : 天定元年 清   : 順治元年 朝鮮 李氏朝鮮 : 仁祖二十二年 ↓↑              ↓↑   661年(斉明天皇七年)   ~   721年12月29日(養老五年十二月七 日)   第四十三代元明天皇・・・四+三=七  (在位:707年8月18日(慶雲四年七月十七日)   ~   715年10月3日〈和銅八年九月二日)             元明天皇(阿閇・阿閉・阿部皇女)             日本根子天津 御代 豊 國 成 姫(女臣)             中ッ国 天津の禦代の豊の國の生の記紀           鸕志・・・天智天皇の皇女                母は                蘇我・・・我読み替える?                倉山田・・宋纂の傳?                石川・・・昔撰・医師の箋?                麻呂の女(娘)・・・萬賂の音名?                姪娘(めいのいらつめ)                姪=女+至(一厶十一)                娘=女+良(白𠄌乀ノ) ↓↑ 「ふるい」 「けんど(香川県方言)」・・・建土・・・縣(懸)土(拾壱)ーーーーー フルイ・・・・・・振る意・・・ ・・・???・・・符類・付類・・・付留意・・・ 降る意・・・雨降る・・・ 天孫降臨・・・「古事記・日本書紀」 邇邇藝命(ににぎのみこと)が 天照大御神の神勅を受け 葦原の中つ国を治めるため 高天原から 筑紫の日向の襲の高千穂峰へ 天降(あまくだ)った 邇邇藝命は・・・爾々をすすめる藝(ゲイ)の命(みごと) 三種の神器をたずさえ 天児屋命(あまのこやねのみこと) などの神々を連れ 高天原から地上へと向かう途中 猿田毘古神(さるたひこのかみ) が案内をした ・・・ーーーーー ???・・・

ケイロン(Cheirn Kheiron)・・・鶏(鷄・雞・経・景・刑)論・・・鶏冠

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 不老不死=フロウフシ=浮浪父子=不労武士=振ろう附子
 ・・・筋肉の鎧・・・肉弾の血戦・・・
 16:50
 ウェールズ(6)VS(9)南アフリカ
 17:51
 ウェールズ(16+)VS(16+3)南アフリカ
 ・・・激烈タックル・・・怪我人続出・・・
 医者が必要だ・・・
 
 ↓↑
 「徐福」・・・「フロックコート(frock coat)」
        「ドクターコート(doctor coat)」
        「医療用白衣・診療用白衣」
         を着ていたか?・・・錬金術師・・・?
                   鍛冶屋・・・・?
        「アスクレーピオス(Asklēpios)」
        「アスクレピオス Asklepios」
         明日暮日比尾州?
         手にする杖には
        「蛇・巳・它」が巻き付いており
        「蘇生の象徴」
         アスクレピオスの象徴は
         蛇
         遊行者の杖
         薬を呑ませる盃
         神前に捧げる贄は「雄鶏」
         妻or娘ともいわれる
         エーピオネーと連れ添う像
         娘は
         ヒュギエイア(健康、衛生)
         イーアーソー(医療)
         パナケイア(癒し)
         の三女神・・・
        宗像三女神=天照大神と素戔嗚尊の
              誓約(うけい)で誕生
              むなかた=胸形・胸肩・宗形
              玄界灘を守る三女神
              市杵島姫命
              多紀都姫命
              多岐理姫命
        道主貴(みちぬしのむち)・・・医神ではない?
 ↓↑       ↓↑
         アスクレピオスは
        「ヒポクラテス」の伝説上の先祖 
         医学生は
         アポロン神
         アスクレピオス神
         ヒュギエイア女神
         パナケイア女神
         の前で医師としての誓いを立てる
         ↓↑

         ケイロン(Kheirōn)・・・化意論
         ケンタウロス族・・・・・・・・建太胡路諏
         医術・音楽・狩りなど諸芸に通じ
         アキレウス・イアソン
         など多くの英雄たちを養育・教育
         ヘラクレスの毒矢に射られ最期を遂げた
         ↓↑

         ケイロン(Cheirn Kheiron)
         ↓↑・・・鶏(鷄・雞・経・景・刑)論
                鷄=奚+鳥
           ・・・隋書・随所・随処
              本紀五巻、志三十巻、列伝五十巻
             「経籍志」が名高い・・・経論
              唐の
              魏徴
              長孫無忌
              らが
              太宗の勅を奉じて勅撰
              編纂
              顔師古
              孔穎達
              らが参加
              636年(貞観十年)
          ↓↑   ↓↑    大化の改新
                    皇極天皇四年乙巳
                   (645年7月12日)
                    六月(癸未)十四日(庚戌)
                    乙巳の変=蘇我蝦夷・入鹿暗殺
          ↓↑   ↓↑    大化年間(645年~650年)の改革
              魏徴によって本紀五巻
              列伝五十巻完成
              第三代
              高宗に
              代替わりした後
              656年(顕慶元年)
              ↓↑    白村江の戦い
                   天智二年八月二十七、二十八日
                   (663年10月4、5日)
 ↓↑            ↓↑     ↓↑
                   壬申の乱
                   天武天皇元年六月二十四日
                        ~七月二十三日
              ↓↑    (672年7月24日~8月21日)
              長孫無忌
              によって
              志三十巻が完成、編入
 ↓↑            ↓↑
              卷八十一 列傳
              第四十六 東夷 俀國
              阿毎王朝
              俀王
              姓 阿毎
              字 多利思北孤
              號 阿輩雞彌
              小野妹子=蘇因高・・・素因項
                   蘇我馬子・蝦夷・入鹿
              聖徳太子・煬帝・裴世清・鴻臚館
              厩戸皇子・推古天皇
 ↓↑       ↓↑    ↓↑
         ケンタウロス(半人半馬族)
         上半身人間で下半身は馬体
         神クロノスと
         オケアノスの娘
         ピリラーの子で不死
         音楽、医術、狩猟、預言術に精通
         アスクレピオス、イアソン、アキレウス
         らを養育
         ↓↑
         ペレウスの命を助け
         テティスとの結婚に尽力
         祝いに
         トネリコの槍を贈った
         ペリオン山に住んでいたが
         ラピテス人に追われて
         ペロポネソスに移る途中
         アルカディアで
         ヘラクレスと会い
         そこで争い
         ヘラクレスの毒矢を受けた
         不死身ながらその痛みに耐えかね
         その不死を
         プロメテウスに譲って死んだ
         ↓↑
         紀元前293年
         疫病が流行し
         アスクレピオスの
         娘で健康の女神
        「ヒュギエイア (Hygieia)
         ラテン語
        「サルス Salus)」・・・猿主・猿子→猿女?
        「サルーテ」
         杯を手に高座に座った女神像と
         祭壇に蜷局(戸愚呂・とぐろ)を巻いた蛇
         の像が信仰として移入導入・・・
        「蛇」は、アテーネー
             デーメーテール
             ヘーラー
             ヒュギエイア(サルス)の象徴聖獣
 ↓↑ ・・・医療の女神は
   「ホルス」の母親
    イシス(ギリシャ)=アセト(エジプト)
             =イシュタル(シュメール)
              イナンナ=ニン-アンナ
 ↓↑       ↓↑ ↓↑
           大國主(大穴牟遅)の母親
           「刺国若比売(サシクニワカヒメ) 」
            は
            キサガイヒメ(𧏛貝比売)
            と
            ウムギヒメ(蛤貝比売)
            を使って
            八十神(大国主の兄神達)によって
            大火傷をさせられ死んだ
            大國主(大穴牟遅)を蘇生させた
            ↓↑
            再度
            八十神(大国主の兄神達)は
            大木の割れ目に大国主を閉じ込め
            楔(くさび)打ち込んで殺した
            母親は神産巣日神に懇願し
            楔を引き抜いてもらい蘇生させた
 ↓↑
 徐福(生没年不詳)
 秦の方士
 斉国の琅邪郡(山東省臨沂市周辺)出身
 別名は
 「徐巿(ジョフツ)」・・・
  「巿=一+巾=前掛け・割烹着」
 ↓↑
 『史記』巻百十八
 「淮南衡山列伝」
 始皇帝の命を受け
 3,000人の童男童女
 百工(技術者)を従え
 財宝と財産
 五穀の種を持って東方に船出
 三神山には到らず
 「平原広沢(湿地)」を得て
 王となり
 秦には戻らなかった・・・
 ↓↑
 「又使
   徐福
   入海
  求神異物、還為偽辭曰
  『臣見海中大神、言曰
  「汝西皇之使邪?」
  臣答曰
  「然」
  「汝何求?」
  曰
  「願請延年益壽藥」
  神曰
  「汝秦王之禮薄、得觀而不得取」
  即
  從臣東南
  至蓬萊山
  見芝成宮闕
  有使者銅色而龍形
  光上照天
  於是臣
  再拜 問曰
  「宜何資以獻?」
  海神曰
  「以令名男子若振女與百工之事
   即得之矣」』
  秦皇帝 大說
  遣振男女三千人
  資之五穀種種百工而行。
  徐福
  得平原廣澤、止王不來」
  司馬遷「淮南衡山列伝」『史記』巻百十八。
 ↓↑
 『史記』巻六「秦始皇本紀」
 徐氏は
 始皇帝に不死の薬を献上すると持ちかけ
 援助を得
 後始皇帝が現地に巡行したところ
 実際には出港していなかった
 そのため、改めて出立を命じたものの
 その帰路で始皇帝は崩御した
 「不死の薬を名目に実際には出立せず
  皇帝から金品をせしめた詐欺師」
 ・・・
 出航地
 山東省から浙江省にかけて諸説
 紀元前219年
 第1回出航
 河北省秦皇島市
 第2回
 紀元前210年
 浙江省寧波市慈渓市・・・
 途中
 韓国済州特別自治道西帰浦市
 や
 朝鮮半島の
 西岸に
 立寄り
 日本に辿り着いた・・・
 ↓↑ ↓↑
 辰韓(紀元前2世紀 - 356年)
 朝鮮半島南部にあった
 三韓の一つ
 帯方郡の南
 日本海に接し
 後の
 新羅と重なる場所にあった
 境は
 南の
 弁韓と接し
 もと
 6国であったが
 後に分かれて
 12国になった
 ↓↑ ↓↑
 已柢国(己柢国)
 不斯国
 勤耆国
 弁辰彌離彌凍国
 弁辰楽奴国
 冉奚国
 軍彌国
 如湛国
 戸路国
 州鮮国(馬延国)
 斯盧国・・・・・秦韓=辰韓=新羅
 優由国
 ↓↑ ↓↑
 そのうちの
 斯蘆
 が後の
 秦韓
 ↓↑・・『晋書』は
    始皇帝の労役からの逃亡秦人が
    馬韓が領地の東を割いて与え
    辰韓人とした
    言葉は秦語
   (陝西方言・長安の標準語)
    秦韓とも
    秦人は王にはなれず
    辰韓は常に
    馬韓人を主(あるじ)とし
    代々相承であった
    自立できず、移民で
    馬韓が支配していたと
    記録している・・・
 ↓↑ ↓↑
 辰韓
 新羅
 になった
 ↓↑
 辰韓
 『三国志』魏書弁辰伝
 弁韓人
 とは互いに雑居し
 風俗や言語は似通っていた
 ↓↑
 馬韓人
 とは言語が異なっていた
 ↓↑
 『後漢書』弁辰伝
 弁辰は
 辰韓とは城郭や衣服などは同じ
 言語と風俗は異なっていた
 ↓↑
 中国の王室の娘
 娑蘇夫人が
 辰韓に渡来し
 新羅の初代王
 赫居世居西干
 王后
 閼英夫人
 を生んだ
 ↓↑
 閼=門+於
   門+方+仒
   門+方+人+丶+丶
   ア
   アツ
   エン
   さえぎる
   ふさぐ
   さえぎる・ふさぐ・
   とどめる=遏
  「閼氏(エンシ・アツシ)」は
  「匈奴の単于の妻」の称号
 ↓↑
 漢四郡
 朝鮮半島の中・西北部の
 衛氏朝鮮・・・衛氏朝鮮
       (紀元前195年?~紀元前108年)
        中国の燕に出自を持つ
        中国人亡命者
        衛満(『史記・漢書』は「満」)
        3代「満→?→右渠」続いた
        右渠の息子の長(衛長降)は
       「張路」(史記年表)・・・
 を滅ぼした
 前漢の
 武帝が
 紀元前108年
 に設置した
 楽浪郡
 真番郡
 臨屯郡
 紀元前107年
 に設置した
 玄菟郡
 ↓↑
 真番郡の設置
 真番(シンパン)
 辰韓(シンカン)
 秦韓(シンカン)
 の「シン」という同一音から
 ↓↑
 衛氏朝鮮
 朝鮮王配下に
 「稗王」
 「太子」
 「大夫」
 「大臣」
 「相」
 「将軍」
 が合議運営
 「博士」も任命
 「相」
 「朝鮮-相」
 「尼谿-相」
 ↓↑
 合議メンバー4人組
 朝鮮相路人
 朝鮮相韓陰
 尼谿相参
 将軍王唊
 ↓↑
 路人と韓陰は「朝鮮相」
 王唊は朝鮮の将軍
 韓陰と王唊は
 王・韓の姓氏で
 中国からの亡命者
 路人も
 中国からの亡命者
 参は、1人だけ姓氏を持たず
 「朝鮮相」ではなく
 在地の根拠地の
 「尼谿の相」であり
 亡命人+現地人の連合国家・・・?
 ↓↑
 中国→朝鮮半島西岸→日本列島
 交易路沿いに、華僑商人寄港地が都市化
 紀元前334年
 燕は朝鮮半島北部を領有
 紀元前284年
 燕は自国内に郡制を設け
 上谷~遼東までを5郡
 東胡を防ぐため
 その北に東西二千里の長城を築いた
 この頃
 朝鮮は
 燕の配下に入った
 (朝鮮と真番(朝鮮半島南部を「略属」)
 中国商人の権益を保護
 秦代は秦の属領
 燕の時代に築かれた朝鮮・真番の砦は
 二つだけ残して廃され
 遼東郡の保護下
 秦末(紀元前209年)
 陳勝・呉広の乱
 燕国は
 韓広
 を王として再び独立
 紀元前206年
 秦滅亡
 項羽によって
 臧荼
 が燕王に立てられ
 韓広
 は遼東王に左遷
 燕は遼河を挟んで
 東西二つの国に分裂
 臧荼は韓広を攻め
 遼東を併合し
 燕王となった
 ↓↑
 紀元前202年
 前漢高祖の時代
 燕王臧荼は反乱
 処刑され
 盧綰
 を燕王に封じた
 紀元前197年
 盧綰が漢に背いて
 匈奴に亡命
 劉建を
 燕王に封じたが
 遼東郡を含む燕の旧領を直轄化
 その際
 燕人の衛満は
 浿水(鴨緑江)を渡河
 千人余りの徒党と共に
 朝鮮に亡命
 衛満は
 朝鮮を護ると
 箕子朝鮮王の
 準王にとりいり
 朝鮮西部に亡命移民地域を造った
 衛満は
 燕・斉・趙からの亡命者を誘い
 亡命者の指導者となり
 前漢が攻めてきたと詐称し
 準王を護るという口実で
 王都に乗りこんだ
 準王は衛満に応戦したが敗北
 衛満は
 中国人(燕・斉の亡命者)
 と
 原住民の連合政権を樹立
 王険城(平壌)を首都とし
 王位に就き
 衛満朝鮮を建国
 前漢建国当時の朝鮮は
 箕子の子孫が代々
 朝鮮侯として治めてい
 後に朝鮮王を僭称
 ↓↑
 箕準の代に
 衛満の手により王権を奪われた
 箕準は南方の
 馬韓の地を攻略し
 韓王となった。
 ↓↑
 漢の遼東大守は
 皇帝の裁可を得てこの政権を承認
 衛満は
 支配地域と漢との交易を独占
 その勢力圏は
 平安北道を除く
 朝鮮半島のほぼ全域と
 中国東北地方に及んだ
 後
 三伝し
 孫の
 衛右渠
 に至る
 衛右渠は漢の意に従わず
 武帝は朝鮮を
 紀元前109年~紀元前108年
 遠征
 武帝が朝鮮に遠征したのは
 匈奴を牽制するため
 前漢が衛氏朝鮮を滅ぼしたとき
 「匈奴の左臂を断った」とする・・・
 衛氏朝鮮は匈奴の支配下にあり
 匈奴の
 「左賢王・右賢王」用語が使用されていた・・・
 漢の朝鮮侵攻で
 朝鮮相路人
 朝鮮相韓陰
 尼谿相参
 将軍王唊
 路人、韓陰、王唊は
 衛右渠を残したまま降伏
 参だけは抗戦
 翌年
 衛右渠を暗殺し、降伏
 衛右渠殺害後
 大臣らが抗戦していたが
 前漢は
 すでに降伏していた
 衛右渠の子の
 衛長降
 と
 路人の子の
 最を差し向け
 大臣を殺して降伏させた
 衛氏朝鮮は滅ぼされ
 故地に
 楽浪郡
 真番郡
 臨屯郡
 玄菟郡
 の漢四郡が設置、漢の領土となった
ーーーーー
 ・・・???・・・


chocolate (猪口齢糖・貯古齢糖・知古辣他)・・・いわく=岩句=石工

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 斉(セイ)・・・?・・・
 茫然自失・愕然・唖然・憮然・呆然・・・
 憮然・・・しょんぼり・・・呆然・・・合掌・・・
  緒方 貞子さん 
(1927年〈昭和2年〉9月16日~2019年〈令和元年〉10月22日)
   大運    2015年5月(87歳) ⇔戊午正官
                2019年10月22日
 丁 卯(甲 乙)偏財・傷官 長生⇔己亥偏官年2019
 己┗酉(庚 辛)偏官・印綬  病⇔甲戌傷官月 10
┏癸┗丑(癸辛己)  ・比肩 冠帯⇔壬辰劫財日 22
┗戊 午(丙 丁)正官・正財  絶⇔丙午正財時
   寅卯空亡
   大運    2015年5月(87歳)  戊午正官
   年運    2019年10月22日 己亥偏官
 ↓↑
 斎(いつき)=ものいみ(潔斎)・ものいみする
        つつしむ
        神仏に仕えるため
        飲食をつつしみ心身を清める
        「斎戒・斎壇」
        いつく・いつき・神に仕える
        読書室=書斎
 斉=齐+一+一
 ↓↑ 文+丿+丨+一+一
   亠+乂+丿+二+丨
   亠+乂+丿+一+一+丨
   ・・・亠=音・鍋蓋
        音=立+曰(エツ・オチ・いわく)
          三十而立
          三十歳の異名の「而立」の語源
            曰(エツ・オチ)≠日(二チ・ジツ・ひ・か)
            いわく=岩句=石工(mason・石垣職人)
             ↓↑        メェソン
 ↓↑        岩手・仙台・釜石・磐州
          磐城国(いわきのくに)
          1869年1月19日
         (明治元年・戊辰~旧暦十二月七 日
          明治二年・己巳=二月節入り以後)
          陸奥国が分割されて設立
 ↓↑     1869年
       日本(天保暦)
       明治元年十一月十九日
       ~
       明治二年十一月二十九日
       皇紀2529年・・・2+5+2+9=18
       清王朝
       同治七年十一月十九日
        ・・・同治=ドウジ=同「字・時・事・地・示「
              道 地=道知・・・北海道空知郡
       ~
       同治八年十一月二十九日

       1月27日(明治元年十二月十五日)
       榎本武揚
      (釜次郎・金八・号は梁川)・・・釜=かま=鎌・窯・罐
       徳川幕府海軍副総裁
       1836年10月5日
      〈天保7年8月25日〉
       ~
       1908年〈明治41 年〉10月26日)
       旧幕府軍「蝦夷共和国」樹立

       1869年
       3月20日(明治二年二月八日)
       新聞紙刊行の許可
       5月20日(明治二年四月九日)
       箱館湾海戦
       6月27日(明治二年五月十八日)
       箱館戦争終結

       7月25日(明治二年六月十七日)
       版籍奉還・・・出版書籍宝鑑?
       土地(版)
       人民(籍)の返還

       8月6日(明治二年六月二十九日)
       東京招魂社(靖国神社)が創建
       戊辰戦争の官軍側戦死者を祀る神社

       8月15日(明治二年七月八日)
       蝦夷地に開拓使設置
       大学校設立

       9月20日(明治二年八月十五日)
       蝦夷地を北海道と改称
       十一国八十六郡設置・・・拾壱・捌拾陸

       11月17日
       スエズ運河開通

       1869年?月?月
       ハインリヒ・フォン・シーボルト
            が来日
 ↓↑           ↓↑        ↓↑
            曰く=言わく・言はく・云く
            意葉句
 ↓↑         いわく=岩句=石工 メェソン(mason・石垣職人)
                      メディカル(medical)
             ↓↑        メディウム(medium)
                      媒体・媒介
                    メディエーション(mediation)
 ↓↑           ↓↑        ↓↑
             ↓↑        メディカル(medical)
             ↓↑        Medical clinic(クリニック)
            石工(いしく)   医師(いし)
            英語        英語
            メイスン      ドクター フィジシェン
            mason       doctor   physician
             ↓↑
            ドイツ語      ドイツ語
            シュタインメッツ  アールツト エールツティン
            Steinmetz      Arzt    Arztin
             ↓↑
            フランス語     フランス語
            マソン       メドサン  ル メドゥサン
            macon       medicin   le medecin
             ↓↑
            イタリア語     イタリア語
            ムラトーレ     メディコ  ドットーレ
            muratore      medico   dottore
             ↓↑
           ・・・研(とぐ・ケン)=磨=麻+石
                      =石+开

             开=カイ・閉じているものを開ける、開く
                    ・・・未知なモノへの研究
                    ・・・技能、技術の研磨
             开=門扉のない開放された「鳥居」
               神聖領域への扉の無い出入り口・・・
               ・・・「凱旋門」・・・「閉・閇」
                   返閇(へんばい)=足拍子
                   ・・・閔聞閭閤閌闇問の訓読?
                   閭=二十五家の集落
                   閤=婦人の寝室
                   閌=閌 閬、高門
 ↓↑          ↓↑      ↓↑
            曰=口を
              一(少し開ける
                口の中の舌、
                咽喉(のど・インコウ)チンコ
                口蓋垂(コウガイスイ)
                口の奥(軟口蓋)の後部にある
                口蓋帆から垂れた部位
                通称 喉彦(のどびこ・のどひこ)
                   上舌(うわじた)
       音=亠+ᅭ+口+一
         亠+丷+一+口+一
         イン・オン・おと・ね
         人間の耳を
         済(濟)まして聞える
         空気の
         振動数 (20Hz~20kHz)
     乂=刈る・おさめる・ガイ・ゲ
       乀(フツ)+ノ(ヘツ・へチ)
       乀と丿の棒状(刃)のモノを重ねる
       艾(ガイ) =よもぎ・もぐさ・ガイ・ゲ
           =蓬・百草・藻草・・・蓬莱山
       すぐれる・かしこい人
       「俊乂」
       草刈り鋏(ばさみ)の形象
       乄=しめる・〆・乄(しめ)=和製漢字・国字
         「締め・絞め・占め」の意
       メ=女の漢字構成の下の部分・・・?
         女=乚(乙)+ノ+一
           ・・・又=一+乂=フ+乀
              ヌ=奴   フ=不
             (また・股・亦・俣・復)
              で(を)
              絞(締・閉・湿・染・しめる)・・・?
           又=右手をのばして
             物を取ろうとしている形・・・?
             もつ・すすめる・みぎ
             ゆるす=宥
             有(イウ)・右(イウ)の原字・・・?
           叉=又+丶・・・マタ(又)に抱えたモノ(丶)?
             ⺕(彐)业
             叉=また・ふたまた・音叉
               刺叉(さすまた)・先が分かれた
               物をさしとる道具・ヤス(矠・簎)
               さす・さしはさむ
               扠(サ)
               くむ・腕を組む・こまぬく・こまねく
               「叉手」
               交叉=交差
               音叉(オンサ)・交叉(コウサ)・三叉(サンサ)
               交叉
          七歩八叉(シチホハッサ)
          詩文の才能にめぐまれていること
          魏の
          曹植は・・・曹植(ソウショク・ソウチ)
                192年~232年
                後漢末期~三国時代の人物
                魏の皇族
                豫州沛国譙県(安徽省亳州市)の出身
                陳王に封じられ
                諡が「思」
                陳思王とも
          七歩歩く間に詩を作り
          唐の
          温庭筠(オンテイイン)は
          八回腕を組む間に
          八韻の賦を作った
         「叉」は腕を組むこと
         『世説新語』「文学」
         『北夢瑣言』
          温 庭筠(817年 - 866年)
          唐代中期の詩人
          字は飛卿
          名は岐
          雍州鄠県の出身
          本貫は太原郡祁県
          弟は温庭皓
          子は温憲
          娘は段成式の子の
          段安節の妻
          宰相の温彦博の末裔
          温瑒の子
 ↓↑        ↓↑
          笑面夜叉(ショウメンヤシャ)
          見た目は笑顔だが
          心の底で悪いことを考えていること
         「夜叉」は人に害を与える鬼神
         『説郛』「四引・老学庵続筆記」
         「笑面老虎」
 ↓↑        ↓↑
 亝=厽+二・・・厽=ルイ・サン・かべ
                 絫坂土爲牆壁、象形
                 軍壁則謂之壘
                 土を型に嵌めて固めた土塊の壁
                 土嚢・土塁・塁濠・塁壕
               絫(ルイ)=中国の古代の質量単位
                     銖の1/10
                     絫者、今之累字
              『漢書』律暦志「権軽重者不失黍絫」
                     「權輕重者不失黍」
            『孫子算経』で「黍 - 絫 - 銖 - 両 - 斤 - 鈞 - 石」
                      黍(キビ)10粒の質量が
                      絫(ルイ)
                       「累=纍=絫」
               質量「貫斤匁(銭)分厘毛俵担鈞両銖絫黍」
              『 説文解字』「纍、綴得理也
                       一曰大索也。従糸畾声」
             厽部「絫、増也。従厽従糸。絫、十黍之重也」
   厽+一+一
   厶+厸+二・・・・厶=私の源字・よこしま(邪)・横縞・横嶋
   厶+厶+厶+二        台=厶+口=臺・・・台形
   厶+厸+一+一
   厶+厶+厶+一+一

 斋=文+而
   亠+乂+而
   文+一+丿+冂+丨+丨
   亠+乂+一+丿+冂+丨+丨
 斊=文+耳
   亠+乂+耳
 斎=齐+示・・・斎(斉)明天皇
   文+丿+丨+示
   亠+乂+丿+丨+示
 齊=亠+刀+丫+丿+一+一+丨
 齌=齊+火
   セイ
   火を起こして煮炊きする
 齍=齊+皿
   シ
   神前に供える穀物
   穀物を入れる器
 齎=齊+貝
   サイ
 セイ・シ
   もたらす・たから・もちもの
        ・・・財姫=齎(斎・斉)明天皇
   ああ
   もたらす・持っていく・持ってくる
   おくりもの
   たから・財貨
   もちもの
   ああ・嘆く声
   齎(もたら)す
   齎(もたら)される
   動詞「齎す」の未然形「齎さ」に
   受身・尊敬・自発・ 可能の
   助動詞「れる」の連用形が付いた形
 ↓↑
 斉=齐+一+一
   文+丿+丨+一+一
   亠+乂+丿+丨+一+一
   シ
   セイ
   ああ
   たから
   もたらす
   もちもの
   持ってくる・持って行く
   人に与える
   たから
   必要な物・金品
 ↓↑ ↓↑
   セイ
   サイ
   シ
   ととのえる
   ひとしい
   ものいみ
   ととのえる・ひとしくする。
   ととのう・ひとしい・そろう
   ひとしい・みな
   戦国時代の七雄の一
   まぜあわせる・調合する・整える
   ものいみ
   神仏を祭るとき
   飲食や行動を慎んで
   心身を清め=斎
   もすそ・裳のすそ・衣服のすそ
 ↓↑
 斉(セイ)
 紀元前1046年~紀元前386年
 周代・春秋時代・戦国時代初頭
 山東省を中心に存在した国(諸侯)
 太公望
 によって建国
 姓は姜
 氏は呂
 戦国時代の
 斉(媯斉・田斉)などと区別し
 「姜斉」
 「呂斉」
 とも呼ばれる
 紀元前386年
 大夫の
 「田和」
 によって乗っ取られ
 「姜斉」は滅ぼされた
 首都は
 臨淄
 ↓↑
 周が
 殷を倒した後
 太公望が
 斉に封じられたこの地域に
 「莱(ライ)族がいた・・・蓬莱山?
 太公望が
 周の東方のこの地域の
 莱族を討ち
 安定させた
 「三監の乱」=殷遺民の反乱
        周公旦、姓は姫、諱は旦
        魯の初代の公である伯禽の父
        呂尚(太公望)
        召公奭
        と並ぶ、周建国の功臣の一人
        三監の乱を鎮定し封建制度を確立
        洛邑に東都
        成周を建設
 の時
 成王は
 「東は海に至り
  西は黄河に至り
  南は穆棱に至り
  北は無棣に至る間の
  五侯九伯が罪を犯した場合
  これを討伐して良い」
 と命じた
 春秋時代
 斉は海に面し
 塩の生産
 鉄の産出
 第15代
 桓公の時代
 管仲が補佐し
 周王朝に代わり諸侯の主導を取り
 南の
 楚と対抗
 紀元前667年
 桓公は
 周王から
 覇者とし
 春秋五覇の一人となった
 ↓↑
 春秋時代中期
 桓公の死後
 後継争い
 覇者の地位は
 晋の文公へ移り
 北の晋
 南の楚
 斉
 秦
 が絡んだ
 ↓↑
 斉の
 大臣が強くなり
 君主は弱く
 斉は公族をふくむ
 強大な貴族
 国氏・高氏・鮑氏・崔氏・慶氏・陳氏
 の六氏で組織化された
 ↓↑
 24代
 荘公光の時
 宰相
 崔杼は
 荘公が妻と密通していた事に怒り
 荘公を殺し
 別の君主を立てたが
 崔杼は
 後に殺された
 紀元前532年
 晏嬰が宰相となり
 司馬穰苴
 を登用し国政を安定させた
 晏嬰は
 羊舌肸(叔向)との会話で
 「斉はいずれ
  田氏に簒奪されるだろう」
 と言っていた
 「田氏=陳氏」である
 紀元前672年
 陳から亡命してきた
 「田完」の血筋
 ↓↑
 紀元前386年
 田氏の
 「田和」が
 姜姓の
 呂氏の君主としては
 最後の
 「康公」に代わって
 斉の君主となった
 以降
 斉は「田斉」と呼ばれる
 ↓↑
 姜斉
 康公を君主として存続し
 田斉によって
 渤海湾に面した
 「莱の地(莱族の故地)」
 に領土を与えられ存続していたが
 滅ぼされた
 ↓↑
 斎(齋)国の系図
 ↓↑
 太公(呂尚・在位?~紀元前1000年)
 丁公(呂伋・在位紀元前999年~?)
 乙公(呂得)
 癸公(呂慈母)
 哀公(呂不辰・在位?~紀元前863年)
 胡公(呂静 ・在位紀元前862年~紀元前860年)
 献公(呂山 ・在位紀元前859年~紀元前851年)
 武公(呂寿 ・在位紀元前850年~紀元前825年)
 厲公(呂無忌・在位紀元前824年~紀元前816年)
 文公(呂赤 ・在位紀元前815年~紀元前804年)
 成公(呂説 ・在位紀元前803年~紀元前795年)
 荘公(呂贖 ・在位紀元前794年~紀元前731年)
 釐公(呂禄甫・在位紀元前730年~紀元前698年)
 襄公(呂諸児・在位紀元前697年~紀元前686年)
 ↓↑
 公孫無知・・・公の孫の無知・・・天孫「邇邇藝命」?
   (呂無知・在位紀元前686年)
           干支 : 乙未
        周 - 荘王11年・・・壱拾壱
        魯 - 荘公8年・・・・捌
        斉 - 襄公12年・・・壱拾弐
        晋 - 晋侯緡21年・・念弐
        秦 - 武公12年・・・壱拾弐
        楚 - 文王4年・・・・肆
        宋 - 湣公6年・・・・陸
        衛 - 恵公14年・・・壱拾四
        陳 - 宣公7年・・・・漆
        蔡 - 哀侯9年・・・・玖
        曹 - 荘公16年・・・壱拾六
        鄭 - 子嬰8年・・・・捌
        燕 - 荘公5年・・・・伍
       斉と魯の連合軍が郕を包囲し
       郕は斉に降った
       斉の公孫無知が
       襄公を殺害し
       斉侯として即位
       斉の管仲と召忽が
       公子糾を奉じて
       魯に亡命
 ↓↑
 桓公(呂小白・在位紀元前685年~紀元前643年)
 斉侯無詭
   (呂無詭・在位紀元前643年)
 孝公(呂昭 ・在位紀元前642年~紀元前633年)
 昭公(呂潘 ・在位紀元前632年~紀元前613年)
 斉君舎
   (呂舎 ・在位紀元前613年)
 懿公(呂商人・在位紀元前612年~紀元前609年)
 恵公(呂元 ・在位紀元前608年~紀元前599年)
 頃公(呂無野・在位紀元前598年~紀元前582年)
 霊公(呂環 ・在位紀元前581年~紀元前554年)
 荘公(呂光 ・在紀元前553年~紀元前548年)
 景公(呂杵臼・在位紀元前547年~紀元前490年)
 晏孺子荼
   (呂荼 ・在位紀元前489年)
 悼公(呂陽生・在位紀元前488年~紀元前485年)
 簡公(呂壬 ・在位紀元前484年~紀元前481年)
 平公(呂驁 ・在位紀元前480年~紀元前456年)
 宣公(呂積 ・在位紀元前455年~紀元前405年)
 康公(呂貸 ・在位紀元前404年~紀元前379年)
 ↓↑
 「呂=ろ・ロ=鸕・盧・櫨・爐・濾・鱸・蘆・・・」
        鸕野讃良    葦・芦・足
 ↓↑ 太安万(萬)侶
 田氏による簒奪(田斉へ)・・・カリ斎・傅斎
 呂=背骨
ーーーーー
 ↓↑
 隋書
 本紀5巻、志30巻、列伝50巻
 「経籍志」が名高い
 唐の
 魏徴
 長孫無忌
 らが
 太宗の勅を奉じて勅撰
 編纂
 顔師古
 孔穎達
 らが参加
 636年(貞観十年)
 魏徴によって本紀五巻
       列伝五十巻完成
 第三代
 高宗に代替わりした後
 656年(顕慶元年)
 長孫無忌
 によって
 志三十巻が完成、編入
ーーーーー
 ・・・随所、随処にある・・・?・・・「隋書」・・・
 ずいずいずっころばし・・・隋・転び=裏切り
 ごまみそずい・・・・・・・高麗・高句麗
              みそ=決して見るな、隋

 茶壺に追われて・・・・・・茗(詫)経穴(答本)
 とっぴんしゃん・・・・・・録通品写務

 抜けたら、どんどこしょ・・奴化足、譚何処書

 俵のねずみが・・・・・・・太葉等之音積見臥
 米食ってちゅう、・・・・・込め句通出注得
 ちゅうちゅうちゅう・・・・注得知瑜雨注(宇宙・雨中・卯蟲)?

 おっとさんがよんでも、・・オット纂画読んでも
 おっかさんがよんでも、・・オッカ纂画讀んでも
 行きっこなしよ・・・・・・意記通故名詞与

 井戸のまわりで、・・・・・意図(伊都・維人・異都)の周り出
 お茶碗欠いたのだぁれ・・・尾詫捥(宛)書いたの拿阿例
 ・・・
 ずいずいずっころばし
 ごまみそずい
 ちゃつぼにおわれて
 どっぴんしゃん
 ぬけたら どんどこしょ

 たわらのねずみが
 米食って ちゅう
 ちゅう ちゅう ちゅう

 おっとさんがよんでも
 おっかさんがよんでも
 いきっこなしよ

 いどのまわりで
 おちゃわんかいたの だぁれ
ーーーーー
 ・・・???・・・
 トッピング(topping・かざり)⇔特品供=特本具の写務・・・?
 料理や菓子の上に各種の材料やソースなどを
 のせたり・・・載せる・掲載?
 飾ったりすること
 その材料
  アイス クリーム・ケーキ・・・Ice=氷⇔氷高姫
 (Ice   cream   cake)・・・愛洲 句理意務 化意(景)記
                 愛知 公里医務 経記(紀)
 に
 添加する
 ナッツ・チョコレートの粒
 ↓↑・・・nuts(豆)
     chocolate (猪口齢糖・貯古齢糖・知古辣他)
          猪口(ちょこ)の歳の
          方位(米)北西に込める唐(問・答)
          古い齢(とし)と
          方位(米)に込める唐(問・答)
          の貯(ためる・同目・貝の安寧)財産
          貯=貝+宁(チョ・安らか・静か
                物を辨ち積むもの
                門屏の間
                丁寧・安寧・寧波、寧夏、南京の略)
             宁=寧
             むしろ~しても(~しない)
         她宁可死,也不和他結婚
          (彼女は死んでも、彼と結婚しない)
           「宁可~也不~」
           (~するより)
            むしろ~するほうがよい・much better
           「与其~宁可~」
            ~してでも(~する)
            宁=(漢文) いずくんぞ
           「焉・安・悪」などと同義
       貯=貝+宀+丁
         目+ハ+宀+丁
         宁⇔佇(たたずむ)
         苧麻(チョマ・からむし)
       知古辣他
         辣=ラツ・ぴりりと辛い・辛辣
         きびしい・むごい・辣腕・悪辣
         辣油(ラーユ)・辣韮(ラッキョウ)
 ↓↑   ↓↑
     Schokolate(楂古聿・ショコラ
           サコイツ・サコイチ)
     ナワトル語(ユト・アステカ語)で・・・?
    「縄取る・名和採る」?
     チョコレート飲料=カカワトル(カカオの水)
     マヤ語の「チョコル(熱い)」
     と
     アステカ語「アトル(水)」
     合成語
 ↓↑
 ピザ(伊: pizza)の具・・・「日座・膝・肥坐」、「緋紗・飛砂・尚・日差」?
 ピッツァ
    発酵生地を丸く薄くのばし
    その上に具を乗せ
    オーブンや
    専用の竃(かま)などで焼いた食品
    小サイズのものは
    ピッツェッタ(伊: pizzetta)
 など・・・「アイス=氷」+「クリーム=とぐろ巻き」=つらら(氷柱)
 ↓↑

 氷高=元正天皇・・・アイスが高(長)く列なる・・・
           氷柱(つらら)
 680年〈天武天皇九年〉庚辰・誕生
 ~
 748年5月22日〈天平二十年四月二十一日〉戊子・死亡
 ↓↑
           和銅元号=708(戊申)~715年(乙卯)
           和銅五年=712(壬子)年一月
                太安万侶により「古事記」撰上
           和銅七年=714(甲寅)年六月
                首皇子、立太子
           霊亀元年=715年・九月二日
                元明天皇(阿閇・阿閉)譲位
 ↓↑              氷高内親王(元正天皇)が即位
 第44代天皇
 ↓↑
 在位
 715年10月3日〈霊亀元年九月二日〉(乙卯)
 ~
 720年〈養老四年〉(庚申)「日本書紀」に完成
 ~
 724年3月3日〈養老八年二月四日〉(甲子)
 ↓↑
 氷高=元正天皇
 天武天皇と持統天皇の子の
 草壁皇子
 と
 元明天皇=「阿閉=阿閇」皇女
 の娘で
 文武天皇の姉
 ↓↑
 諱は
 氷高(ひだか)・日高・新家(にいのみ)
  日本 根子 高瑞  浄 足  姫 天皇
 (やまとねこ たまみずきよたらしひめ)
 諡は
  日本 根子 高 瑞日  清 足  姫天皇
 (やまとねこ たかみずひ きよたらしひめ)
 ↓↑
 万葉集に
 太上天皇(巻八・巻十七)
 太上皇(巻十八)
 先太上天皇(巻二十)
 ↓↑
  氷高 皇女
 (ひたかのひめみこ)
  日本 根子 高 瑞 浄 足  姫 尊
  (やまとねこ たかみずきよたらしひめ)
ーーーーー
 ・・・???・・・「アマイ・チョコレート・ボンボン」・・・

愛子と芋沢の農家へ書籍の疎開が決定

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 愛知県・名古屋・大須文庫⇔「大の須で観る音(音声)」
 ・・・愛知県・名古屋・「北野山真福寺宝生院」・・・
  「日本・・・・・・・日(ひ・か・ニチ・ジツ)の本(もと・ホン)
   ↓↑     ・・・日⇔曰(いはく・エツ・エチ)のホン?
             ・・・磐 公の品?・・・磐余・石川
                岩 宮の誉?・・・岩手(三ツ石の神)
                  宮城・宮崎
          曰く言い難し=簡単には言い表せない・説明できない
          いわくいいがたし
            曰=訳・理由・事情
              「曾」の部首「曰(ひらび)」=蒸し器の象形
              「最」の部首「曰(ひらび)」=頭巾=冃
    「漢字文化資料館」の    「日≠曰」は漢字形象の説明不足だろう・・・?
      漢字「日=丸(九+丶・まる・円・圓)+一
          =〇+●=🔘=⊝・🔘・⊙
          =球体・太陽・☀️・天体
          =「昼+夜・明+暗」
         ・・・日を分ける形象
        「曰=穴(あな・孔・洞・管・空洞・洞穴)+一
          =口+ー=⏛・👄・ↀ・O+舌・∈+∋」
          「筒状・管状」空間の中の
          「一・丨・乚(乙)・𠃊・亅・𠄌」
          ・・・口腔内(口・くち)の中の舌(ー)
   ↓↑
   三大・・・・・・・参=參(ム+厸+𠆢+彡)
             =厽+㐱(髪の毛・両脇の毛)
               診断・診療・検診=脈を診る?
               風疹(麻疹)=三日はしか・Rubella
               症状=発熱・発疹・リンパ節腫脹・白内障
                     紅斑病症・・・水疱瘡
                  彡=傷痕・爪痕・創傷
                   「創=キズ」
   ↓↑        ↓↑  ↓↑      ↓↑
               創=倉+刂=倉の中の刀
                 ソウ
                 つくる・・creation・birth・formation
                 construction・naissance
                 creative activity
                 創成期・・Stage of creation・・・?
               倉=亽+口
                 亼+日+丿+口
                 𠆢+一+曰+丿+口
                 亼+口+一+丿+口
                 𠆢+一+曰+丿+口
                 人+一+曰+丿+口
                 ソウ
                 くら(蔵・庫)
                 にわか(俄)
                 くら・納屋・物をしまっておく所
                 あわただしい(慌・遽)・慌てる
                 蒼=ソウ・草=青・藍
                「蒼頡&鶏足」
   ↓↑        ↓↑    ↓↑
                「女媧&伏羲」
                「盤古真人・元始天王」
                 文=「象形・形象」の文字
                 字=「音声・声音」の文字
            世界観察⇔人間の認識思惟言語⇔世界理解
   ↓↑        ↓↑    ↓↑
                「放翁病過秋、 忽起作醉墨。
                 正如久蟄龍、青天飛霹靂」
              青天の霹靂(陸游「九月四日鶏未鳴起作」)
                 字は務観・号は放翁
   ↓↑        ↓↑    ↓↑
                 商人は損していつか倉が建つ
                 路傍の乞食は躄る(膝行る・いざる)
                 白砂で罪人は膝行(いざ)る
                 いざ(卒・率)、鎌倉
                  ・・・鎌の倉⇔草を刈る鎌の倉
                  ・・・金を兼る倉
                 倉廩(ソウリン)実ちて礼節を知る
                (衣食足りて礼節を知る・管子・牧民)
   ↓↑        ↓↑    ↓↑
                 きず・・・wound・injury・cut
                 はじめる
                 きず・切りきず
                 きずつく・きずを負う・きずつける
            ・・・「カミ」は自ずからの「身体」を
            創傷、損傷することで「世界」を創造した?
   ↓↑        ↓↑    ↓↑
                 つくる・はじめる
                 新しくつくる・はじめてつくり出す
                 こらす(懲)・こらしめる
                 いましめる(誡・戒)・こりる(懲)
   ↓↑        ↓↑       ↓↑
                「瘡=できもの」
                「創=皮膚の破綻を伴う損傷」
                   創造・創生・創作
                「傷=皮膚の破綻を伴わない損傷」
                「創面=傷口=皮膚表面の損傷部分」
                「銃創、刺創」
                「創口(ソウコウ)=狭く深い創の表面」
            「褥瘡(ジョクソウ)=床擦れ(とこずれ)」
   ↓↑         ↓↑    ↓↑  ↓↑
                  創傷(trauma, wounds, burns)
             =叁・參・叄・叅=厽+㣺(心)
             =サン=sun
              撰
              纂(簒・算
                讃⇔讃岐=香川県
                蚕・杉・彡)
            太=他意・対・多以・・・
   ↓↑         (替・碓・臺・題・戴・鮾・鯛)
   観音・・・・・・・音を観(み)る
   の1つとも言われる
   観音・・・・・・・音を観(み)る
   霊場・・・・・・・例条・例序得・令状・令嬢・・「序文」
   である。
   なごや・・・・・・名古屋=なごや=名護屋=名を護る也
   七福神・・・・・・漆伏訊=うるし-ふす-たずねる
   の一である
   布袋像・・・・・・布の袋の像・・・「補綴・補訂」の蔵
   を安置」・・・・・緖、案知・・・暗示・按字・・・按針
 「大須文庫」・・・「真福寺文庫」・・・
 「大の須で観る音(音声)」・・・?
 ・・・「古事記」・・・ 「賢瑜」・「本居宣長」・「太安万侶・稗田阿礼」・・・
 ・・・大洲・・・何処の「おほす」???

 以下、原文は「wikipedia.org/wiki/」・・・
ーーーーー
 大洲藩(おおずはん)
 ↓↑
 伊予国
 大洲(愛媛県大洲市)
 伊予郡(伊予市)
 などを
 領有した藩
 ↓↑・・・藩=周で、王室を護衛する諸侯を呼んだ
       国を冊封された諸侯一般その領地
       領地=藩国・蕃国
     藩=艹+潘
       艹+氵(水)+番・・・日の下の水の番
       艹+氵(水)+釆+田
       艹+氵(水)+丿+米+田
       ハン
       まがき
       まがき・垣根・・・河川、運河の堤防
                田圃の堤
   へい(塀)・おおい
   境・区域
   覆(おおう・蔽・被)・守る
   地方を治めて
   王室の守りとなった諸侯
   日本
   江戸時代
   大名が領有する土地、領民の総称を
   明治時代に「藩」とした概念・・・火事番⇔炊事番?
 ↓↑ ↓↑
   日本史
   天領、藩
   明治以降の公称
 ↓↑ ↓↑
   江戸時代に1万石以上の
   領土を保有する封建領主
   大名が支配した領域
   その支配機構を指す
   江戸時代に
  「藩」の語は・・・藩
   儒学文献上の別称
   大名領は領分
   大名に仕える者や大名領の支配組織は
   家中などと呼称された
   1868年(明治元年)
   明治新政府が旧幕府領を
   天皇直轄領(天領)とし
   府・県に編成
   大名領は
   天皇の「藩」であると観念され
  「藩」は新たに
   大名領の公称として採用
   藩主の居所(居城)の所在地の地名を
  「○○藩」とし正式の
   行政区分名となった(府藩県三治制)
   1869年(明治二年)
   版籍奉還
   藩主は知藩事に改められ
   1871年(明治四年)
   廃藩置県によりさらに
   藩が県に置き換えられた
 ↓↑ ↓↑
 藩庁は大洲城
 支藩として新谷藩
 江戸時代初期
 藤堂高虎の所領
 大洲城主として
 丹羽長秀の子で
 高虎の養子の
 藤堂高吉が在城
 慶長十三年(1608年)
 高虎は
 伊勢国
 津藩に転封
 大洲は高虎預かりの地
 同年九月
 淡路国
 洲本藩より
 脇坂安治
 が5万3千石で入部
 大洲藩が立藩
 二代
 安元は
 元和三年(1617年)
 信濃国飯田藩に転封
 加藤貞泰が
 伯耆国
 米子藩より6万石で入部
 ↓↑
 元和九年(1623年)
 貞泰が跡目の届け出をしないまま急死
 長男の
 泰興が
 将軍
 徳川秀忠に御目見し、相続を認められ
 弟の
 泰但(直泰)は
 1万石分知の内諾を得て
 新谷藩が成立
 寛永十六年(1639年)
 までお家騒動が続き
 内分分知で決着
 ↓↑
 加藤家
 初期の大洲藩からは
 中江藤樹が出た
 大洲藩は
 幕末は早くから
 勤王で藩論が一致
 慶応四年(1868年)
 鳥羽・伏見の戦いで
 参陣
 坂本龍馬
 運用の
 蒸気船「いろは丸」は
 大洲藩の所有で
 海援隊に貸与されていた
 ↓↑
 明治四年(1871年)七月十四日
 廃藩置県
 旧大洲藩領を管下とする
 大洲県(6万石、現石3万476石余)が設置
 加藤家は華族に列した
 十一月十五日
 第1次府県統合
 3府72県制の実施により
 大洲県廃止
 旧宇和島県、旧吉田県、旧新谷県
 と合併し
 宇和島県が設置
 本庁・宇和島、支庁・大洲
 その後
 神山県を経て
 愛媛県に編入
 ↓↑
 明治十七年(1884年)
 華族令により
 大洲加藤家は子爵を授爵
 新谷藩(にいやはん)
 大洲藩の支藩
 藩庁として
 新谷(大洲市内)に陣屋を設置
 ↓↑
 元和九年(1623年)
 大洲藩
 二代藩主
 加藤泰興の弟
 直泰が幕府より1万石分知の内諾を得て成立
 内紛の後
 寛永十六年(1639年)
 藩内分知で決着
 寛永十九年(1642年)
 陣屋が新谷に完成
 藩内分知は陪臣の扱いであるが
 新谷藩は幕府より
 大名と認められた唯一の例
 ↓↑
 寛永九年(1632年)
 中江藤樹は当藩に任地替えとなったが
 母への孝養で故郷の近江国へ脱藩
 ↓↑
 江戸時代後期
 肱川の氾濫、火災
 財政困窮
 一時は大洲藩が藩政を執行
 ↓↑

 明治四年(1871年)七月十四日
 廃藩置県
 新谷県が設置
 十一月十五日
 第1次府県統合
 3府72県制の実施で
 新谷県は廃止
 宇和島県に編入
 本庁・宇和島
 支庁・大洲
 その後
 神山県を経て
 愛媛県に編入
 ↓↑
 明治十七年(1884年)
 新谷加藤家は子爵、華族に列した 
 ↓↑
 陣屋は麟鳳閣
 ↓↑
 御城預りと御替地
 寛永十一年(1634年)
 蒲生忠知急死
 嫡子のなかった
 伊予
 松山藩の御城預り
 大洲城主
 加藤泰興
 松山藩領
 伊予郡
 浮穴郡37箇村(約1万3千石)と
 大洲藩領だった
 風早郡
 桑村郡57箇村の替地を老中に願い出
 寛永十二年(1635年)
 替地実現、翌年に
 上灘村から
 宮内兄弟(九右衛門、清兵衛)が入植
 「灘屋」と号し
 「灘町」(伊予郡郡中町の前身)と命名
 ↓↑
 宇陀松山城
 大洲城=大洲城(おおずじょう)
 四国
 伊予国
 喜多郡
 大洲(愛媛県大洲市大洲)
 別名
 地蔵ヶ嶽城、比志城、大津城
 大洲
 伊予を南北につなぐ
 大洲街道・宇和島街道の結節点
 東には四国山脈を抜けて
 土佐国に出る街道
 西には
 大洲の外港
 八幡浜(八幡浜市)
 大洲は
 伊予宇都宮氏が創建した当初は
 肱川と
 久米川の合流点にあたる
 地蔵ヶ岳に築城され
 地蔵ヶ岳城と呼ばれた
 ↓↑
 江戸時代初期
 藤堂高虎らによっ修築
 伊予
 大洲藩の城下町
 初めて築城
 鎌倉時代末期の守護
 伊予宇都宮氏の
 宇都宮豊房
 元徳三年/元弘元年(1331年)
 ↓↑
 豊房には子がなく
 筑後宇都宮氏の
 宇都宮貞泰の子の
 宇都宮宗泰を養子に迎えた
 伊予宇都宮氏はその後
 国人として
 二百数十年間にわたって
 南伊予を中心に支配
 永禄の末期
 毛利氏の
 伊予出兵によって降伏
 天正初年
 土佐の
 長宗我部元親
 と通じた家臣の
 大野直之によって
 大洲城を追われ
 天正十三年(1585年)
 大野直之も
 豊臣秀吉の意を受けた
 小早川隆景によって攻め滅ぼさ
 小早川隆景が
 35万石で伊予に入封
 大洲城は一支城となった
 ↓↑
 その後
 戸田勝隆が城主として入った
 文禄四年(1595年)
 藤堂高虎が入城
 慶長十四年(1609年)
 淡路の
 洲本から
 脇坂安治が転封
 天守、建造物が造営
 ↓↑
 脇坂安治の時代
 「大津」
 から
 「大洲」
 に
 城名が変更
 元和三年(1617年)
 伯耆米子から
 6万石で
 加藤貞泰が入り
 加藤氏が12代に亘り
 大洲藩主として治め
 明治維新を迎えた
 ↓↑

 いろは丸(いろはまる)
 1860年代
 イギリスで建造
 伊予国
 大洲藩(愛媛県大洲市)
 が所有していた
 蒸気船
 蒸気機関のほか
 マスト3本を持ち帆走も可能であった
 坂本龍馬の
 海援隊による運航中に
 紀州藩の
 明光丸と
 衝突事故を起こした
 いろは歌(いろはうた)=仮名を重複させずに作られた
             四十七字の誦文(ずもん)
      いろはにほへと ちりぬるを
     (色 は匂 へど 散りぬるを)
      わかよたれそ つねならむ
     (我が世誰 ぞ 常 ならむ)
      うゐのおくやま けふこえて
     (有為の奥 山  今日越えて)
      あさきゆめみし ゑひもせす
     (浅 き夢 見じ 酔ひもせず)

ーーーーー
 養賢堂(ようけんどう)
 仙台藩の藩校
 別名 明倫館
 ↓↑
 1721年(享保六年)
 遠藤文七朗守信が
 五代藩主
 伊達吉村に対して
 藩校設立の意見書を提出
 遠藤は蟄居処分
 1728年(享保十三年)
 学問は
 政教の第一根本とし
 再び意見書を提出したが、却下された
 1735年(享保二十年)
 仙台藩の儒学者
 蘆野東山(芦東山・幸七郎胤保)
 学問所設立案を作成し
 建言したがいれられなかった
 この上申から約半月後に
 儒学者の
 高橋玉斎
 が藩校の設立を建言、採用
 ↓↑
 1736年(元文元年)
 城下の
 北三番丁細横丁西南角
 にあった武家の旧宅を修復
 藩校である学問所設置
 東山と玉斎はともに
 講釈および読書指南役の一人となり
 玉斎は学問所主立となった
 東山は後に身分の上下に
 こだわらない学問所の改革案を提示し
 藩の重臣から反感を買い
 20年以上にわたって幽閉
 ↓↑
 七代藩主
 伊達重村
 が学問所の改革に乗り出し
 1760年(宝暦十年)
 学問所が
 北一番丁勾当台通東南角に移転
 足軽まで
 藩校への入学を許されるようになった
 平民の入学は許されなかったが
 平民には
 義塾や寺子屋での学習が奨励された
 学問所で医学書の講釈が行われ
 藩医のみならず
 町医師もこれを聴いた
 ↓↑
 1771年(明和八年)
 重村は「養賢堂」と額に書き学問所に与えた
 1772年(明和九年)
 学問所が養賢堂と称された
 ↓↑
 1780年(安永九年)
 奉行職
 芝多信憲
 の私財によって
 養賢堂の学寮と書庫が増設
 書庫には数千冊の蔵書が収められた
 17世紀後半に
 林子平
 が3度に渡って学制改革の建言
 藩はこれを採用せず
 子平は
 養賢堂とは名ばかりと批判
 18世紀に入ると
 学頭御用となった
 大槻平泉
 が藩主の命を受けて
 学制改革に乗り出した
 ↓↑
 1811年(文化八年)
 新田開発高1万2000石の
 学田が造られ
 この収入が養賢堂の運営費となった
 その後
 養賢堂周辺の敷地が召し上げられ
 養賢堂の敷地となり
 講堂などの施設が拡充した
 講堂は
 1816年(文化十三年)から建設され
 1817年(文化十四年)に完成
 医学校独自の学舎が完成
 ↓↑
 平泉が学頭を務めていた頃の養賢堂では
 学科の増設が行われ
 1811年(文化八年)
 書学、算法、礼方の3学科が増設
 算術は町人や百姓が用いる
 卑しい技と見なされており
 算法学科の設置は珍しい
 1812年(文化九年)
 兵学、槍術、剣術の学科が加わった
 平泉の次の学頭
 大槻習斎の時代
 漢学、国学、書学、算法、礼方
 兵学、蘭学、洋学
 剣術、槍術、柔術、楽
 の12学科を持つに至った
 ↓↑
 入学は8歳以上
 素読試験には
 17歳までに合格せねばならないとされ
 3回の不合格で退校
 幕末の頃に
 通学生と寄宿生あわせて
 1日約1000人が学んでいた
 ↓↑
 戊辰戦争で
 養賢堂は政府軍の宿舎となった
 1869年(明治二年)
 養賢堂は元の場所へ戻り
 知学局と改称
 後に名称は
 養賢堂へと再び戻った
 廃藩置県によって
 仙台県が成立すると
 養賢堂の建物は
 仙台県庁舎(宮城県庁舎)となり
 教育機関としての養賢堂は
 その中の習字所を仮学校とした
 1872年(明治五年)
 学制が制定され
 養賢堂は廃止
 仙台には2校の官立中学校が設置
 養賢堂の建物は
 第二次世界大戦中の
 仙台空襲で焼失
 ↓↑
 1835年(天保六年)時の調査で
 養賢堂には1万7183冊の書物
 第二次大戦中
 愛子と芋沢の農家へ書籍の疎開が決定
 貴重とされた
 和算書などが選定
 選定された書籍の9割は
 仙台空襲で
 助かったのは
 約1800冊
 残った本は終戦後
 宮城県図書館に
 「養賢堂文庫」として所蔵
 養賢堂は仙台空襲で焼失
ーーーーー
 ・・・だからナニ・・・???・・・

失笑噴飯(蘇軾)・・・漆章(7章)旧版(旧約)・テンシへの嘲笑と自嘲

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 まわサ・まわシ・まわス・まわセ・まわソ・囬・回・囘
 ↓↑
 メロンパン
         2015年10月(17)丁巳 比肩 帝旺
           2019年(21) 冲
 戊寅(戊丙甲)傷官・印綬  死⇔己亥 食神
 己未(丁乙己)食神・食神 冠帯⇔甲戌 印綬
 丁丑(癸辛己)  ・食神  墓⇔甲辰 印綬
 丙午(丙 丁)劫財・比肩 建禄⇔庚午 正財
 ・・・ミミ美形・・・
ーーーーー
 2019/11/02/17:36
 硫黄島 噴火・噴煙・・・憤慨・糞系・墳墓・・・
 噴=口+賁
   口+十+卄+貝
   口+十+一+丨+丨+貝
   フン
   ホン
   ふく
   はく
 ↓↑ ↓↑
  賁・憤・濆・墳・蕡・噴・膹・蟦・羵・豶
  轒・饙・䩿・鱝・黂・僨・獖・㿎・歕・鐼
  幩・馩・䒈・燌・隫・㱵・橨・翸
 ↓↑ ↓↑
 失笑噴飯(蘇軾)・・・漆章(7章)旧版(旧約)
            第7章アブラハムとサラ・笑いが夢をかなえる
            蘇 軾           (景祐三年十二月十九日(1037年1月8日)
                ~
            建中靖国元年七月二十八8日(1101年8月24日)
            北宋の書家・政治家
            号は蘇東坡・・・・・東の坡=つつみ・堤防・土手
            字は子瞻(シセン)・瞻=見上げる・あおぎ見る
            諡は蘇文忠・・・・・蘇る文の忠?
            蘇=よみかえる・・・読み替える?
            軾=しきみ・・・・・史記を観て?
            車の前部の横木・・・句留万の膳部の與古記?
                      車持=藤原氏の部下の
                         膳部=高橋膳部?
                ・・・それにつかまり敬礼
                      ・・・景例=景行天皇?
 ↓↑ ↓↑        ↓↑ ↓↑       ↓↑ ↓↑
                      磐 鹿六 鴈
                     (いわかむつかり)
                      六 鴈  臣
                     (むつかりのおみ)
                     『日本書紀』
                      他文献で
                     「磐鹿六獦命」
                     「磐鹿六雁命」
                     「伊波我牟都加利命」
                「大彦命孫の伊波我牟都加利命の後」
                「抄録、高橋朝臣(左京皇別)は
                    大稲輿命の後」
                     『新撰姓氏録(抄録)』
              『古事記』に記載はない・・・???
              天武天皇十二年の時に
              六獦命十世孫の
              膳国益が
             「高橋朝臣(高橋氏)」を賜った
 ↓↑ ↓↑        ↓↑ ↓↑
 噴薄激盪(フンパクゲキトウ)・・・分場句解記当?
 噴火山の上で踊る
 ↓↑
 賁=ヒ
   フン
   ホン
   あや
   かざり
   かざる
   つわもの
   かざる・かざり
   模様が美しい・あざやか
   易の六十四卦の一
   大きい
   わく(湧・沸)・わきたつ
   いきどおる(イキドオル)・・・意気通る?
   走る
   賁育之勇(戦国策・燕策)
   孟賁と夏育=秦の武王に仕えた怪力
   連璧賁臨(レンペキヒリン)
   「連璧」=二人共に
   「賁臨」=人が訪れる敬称
 ↓↑ ↓↑
   蟦=虫+賁
     ヒ
     ホン
     黄金虫の幼虫・すくもむし(蠐螬=セイソウ
                  蝤蠐=シュウセイ
                  地虫=じむし)
            蠐=中+厶+齊(齋・斎・斉)
            螬=中+厶+曹
                (曹=一+曲+日
                   ソウ
                   ゾウ
                   つかさ
                   ともがら
                   つかさ・役人・役所
                   ともがら・やから・なかま
                   へや・役所の部局)
           「蝤蠐(シュウセイ)=カミきり虫の幼虫」
            枯れた葦=「すくも」
            宿毛(すくも)=州窪(すくぼ)
            宿毛無私?・・・無視・無死
           「草刈りトッポさく」
           「とっぽさく=大法螺吹き・大袈裟な噺」
            高知県南西部に位置し
            愛媛県と境を接する市
     水母(くらげ・海月)
     貝の牡蠣(かき)
 ↓↑ ↓↑
   羵=羊+賁
   フン
   土の中に住む怪物の名
 ↓↑ ↓↑
   豶=豕+賁
   フン
   おすの豚
   去勢した雄豚
   去勢する
 ↓↑ ↓↑
   鱝=魚+賁
   フン
   えい
   魚の名・エイ科の総称
   軟骨魚の一種
 ↓↑ ↓↑
   濆=氵+賁
   フン
   ふく
   ほとり
   みぎわ
   わく
   水際・岸
   わきたつ・水がわき出る

 ↓↑
 ザ・グラジエーター(The Gladiator)・・・
 ↓↑
 2019/11/02/18:02~18:54
 ラグビー
 Wカップ決勝戦
 イングランド(3+3)VS(3+3+3+3)南アフリカ
 ↓↑
 2019/11/02/18:02~19:54
 ラグビー
 Wカップ決勝戦
 イングランド(6+3+3)VS(12+3+3+5+2+5+2)南アフリカ
 ↓↑
 2019/11/02/15:57
 Jリーグ
 ドサンコ (3)VS(0) 名古屋 G
 ↓↑
 まわサれ・まわシ・まわス・まわセ・まわソ・・・?
 ↓↑
 囬(目をまわす)
 回(口をまわす)
 囘(とぐろ・蜷局・戸愚呂をまわす)
 ・・・トイレ(冂・便座・虎子)の中の
    糞便(巳・うんこ)
    虎穴に入らずんば虎児を得ず・・・フンばる?
 「Gare a l'eau!(水に気をつけろッ)」
 ↓↑
 「虎児(コジ・おまる)」
 ↓↑   ↓↑
 胡字・古字・古事・固辞・固持・古寺・故事・居士・誇示
 「糞塊=fecaloma・fecalith・fecolith・fecal pellet
 ・・・・ガチガチの固糞(コフン)便秘療法?
    ・・・前方後円墳=古墳の弁の開閉秘法
            =二重環濠水郷・灌漑堤防と水門
 ↓↑
 ある程度固まって排出される糞
 糞塊
 鳥類・爬虫類・昆虫
 の糞の中の白い粘液は尿


 色
 人間の便は
 通常時
 黄土色~茶色の混合色
 ↓↑
 Shit   (英語)
 Scheise (ドイツ語)
 Merde  (フランス語)
 !Mierda (スペイン語)miercoles(水曜日)
 Merda  (イタリア語)
 ↓↑
 スカトロジー(Scatology・糞便学)
 糞石(coprolite)
 糞石研究
 福井県若狭町の
 縄文時代前期(約5,500年前)の遺跡
 鳥浜貝塚において2,000点をこす糞石
 粟津湖底遺跡第3貝塚
 (滋賀県大津市、縄文時代中期)
 唐古・鍵遺跡
 (奈良県田原本町、弥生時代中期)
 青谷上寺地遺跡
 (鳥取県鳥取市、弥生時代)
 ↓↑
 考古学
 トイレ遺構の
 トイレ跡から得られる残留物が
 当時の食生活を推察する資料となっている
 ↓↑
 糞(屎)
 動物の消化管から
 排出される固体状の排泄物(屎尿)
 糞便・大便・便
 うんこ・うんち・ばば
 人間の便
 食べ物の残滓はおよそ5%
 水分(60%)
 腸壁細胞の死骸(15%~20%)
 細菌類の死骸(10%~15%)
 ↓↑
 糞の量・形・色・臭い
 動物種、個体、体調によって様々
 人間は1日に平均して100~250gほどを排出
 下痢
 便秘(宿便)
 ↓↑
 形状
 人間
 楕円形から棒状
 太さや長さは体調などで変化
 食物繊維、炭水化物を多く摂取すると便は
 太く大きくなる
 幼少時
 括約筋の調節が利きにくく
 体格に対して便は太く形成
 年齢を重ねると括約筋の弛緩により
 相対的に便は
 縄状に細くなる
 ↓↑
 人と似た便を出す動物
 イヌ・ネコ・サル・ウシ・ウマなど
 固形物状の糞を出す
 ウサギ・ヤギ・シカなど
 ウサギは円盤状
 シカは楕円形
 草食性の昆虫はペレット状
 ↓↑
 ある程度固まって排出される糞
 糞塊
 鳥類・爬虫類・昆虫
 の糞の中の白い粘液は尿
 ↓↑
 圖=囗+啚
   囗+口+㐭
   囗+口+亠+回
   囗+口+亠+囗+口
 ↓↑
 㐭=穀物を収める倉
   啚の口は領域を示し
   穀倉(㐭=亠+回)のある地域
   鄙は穀倉地帯(啚)
   邑(むら)で地域全体(行政区画)
 圖(図)=その所在を記した図面(地図)
 ・・・ナゼ、「丶丶」+「㐅」なんだか・・・「斗」?
    図々しい奴・・・
   「口(くち)・囗(國・国・圀)」を
    ハカル(斗)=柄杓・液体や穀物の量を
           はかる枡(升・桝)
   「北斗の拳」?
   「北斗七星」は宇宙をまわる・・・
   「南斗六星(なんとろくせい)」は
    射手座の上半身と弓の一部からなる6つの明るい星の集まり
    位置とその形から北斗七星に対して名前が付いた
    南北は天球上の南北
    地平から見える方位ではない
    二十八宿の「斗宿」の別名
 ↓↑
 図=囗+丶+丶+㐅
 图=囗+冬(夂冫)
  =囗+厶+ナ+囬(回・囘)
   ず・絵・形を描かいたもの
圖案・圖画・圖形・圖表・圖面
   縮圖・製圖・地圖・版圖・略圖
   と・はかる・考えを巡らす
   計画・謀
   意圖・企圖・壮圖・雄圖
   書物・本・圖書
 ↓↑
 按図索驥(アンズサクキ)⇔杏子作記(紀)?
  役に立たない意見ややり方
  名馬を絵や書物の知識だけで判断
 「図を按じて驥を求む」
  出典『漢書(梅福伝)』
 按図索駿(アンズサクシュン)⇔杏子作諏務?
 ↓↑
 河図洛書(カトラクショ)⇔蝌蚪(蚊取・家兎)楽書?
  珍しい価値のある書物
 「河図」=易経の八卦の元図
      伏羲の世に黄河から現われた
      竜馬の背中の
      渦巻いた毛を写したもの
 「洛書」=『書経(洪範伝)』の元文
      夏の禹王の時代
      洛水川の洪水治めた後に現われた
      神亀の背中に
      書かれていた文字の書き写し
  出典『易経』
 ↓↑
 左図右史(サトユウシ)⇔差訳有詞?
  所蔵している書物が多いこと
  左右のどちらを向いても本ばかり
 「図」=書籍
 「史」=史書。
  出典『新唐書(楊綰伝)』
 ↓↑
 図南鵬翼(トナンホウヨク)⇔都南方與句?朱雀?
  大事業計画
  大目標の達成計画
 「図南」は南の海へ行こうと計画
 「鵬」は大鳥
  鵬が南の海を目指して飛びたった説話
  出典『荘子(逍遥遊)』
 図南之翼(トナンのヨク)
 ↓↑
 稟=㐭+禾
   亠+回+禾
   亠+囗+口+禾
 ↓↑
 廩=广+稟
   广+㐭+禾
   广+亠+回+禾
   广+亠+囗+口+禾
 ↓↑
 懍=忄+稟
   忄+㐭+禾
   忄+亠+回+禾
   忄+亠+囗+口+禾
 ↓↑
 凜=冫(氷)+稟
   冫(氷)+㐭+禾
   冫(氷)+亠+回+禾
   冫(氷)+亠+囗+口+禾
 ↓↑
 檁=木(十八)+稟
   木(十八)+㐭+禾
   木(十八)+亠+回+禾
   木(十八)+亠+囗+口+禾
ーーーーー
 ・・・???・・・

蘇定方(592年誕生~667年 死没 七十五歳)の生きた時代・・・

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 蘇我・・・蘇因・・・蘇鉄・・・蘇軾・・・蘇州夜曲
 蘇定方・・・???・・・蘇我・・・??? 蘇       定  方 よみかえる・・・ジョウホウ・テイホウ ↓↑       ↓↑     綴 方=『貞観政要』?         定法・常法・浄法・情報         乗法 (multiplication・掛け算) ?         乗法の結果の答えは         積(セキ・つむ・product)         n × m = n times m=n multiplied by m         multiply=mʌ'ltəplɑi            =マァルタァプ   ラァイ             真阿留多有譜   羅合意?            =マ ルティプ   ラィ             丸  太 浮(符・付・普=暜・譜)                      等意?             円(圓)=まろ=磨呂・万侶・萬侶                太(ふとい・おほ・タイ)         multi-ply(-plied, ~・ing)          …を掛ける          …を増やす・増大、増加させる          …を多様、多面的、複合的にする
     蘇鉄=ソテツ(蘇鉄、学名:Cycas revoluta)        裸子植物ソテツ科の常緑低木        ソテツ類の中で        日本で自生する唯一の種        自然分布では日本固有種        鉄蕉        鳳尾蕉       「蘇鉄」        枯れかかった時に       「鉄釘」を打ち込むと        蘇るという伝承に由来・・・?        ・・・鉄=金+失(うす・うしなう・あくび・シツ)               失=𠂉(髪挿し・櫛)+一(イチ)+人                 神指しの壱(壹・臺)のヒト           釘=金+丁               丁=一+亅                チョウ                テイ                トウ                あたる                ひのと                十干四番目                五行の火                方位は南                つよい・さかん                働き盛りの男性・壮年の男性                しもべ・下働き、雑用の男性                出遭う・遭遇する                よほろ(よぼろ)                公用に徴発された男子                斧などで木を切る音                書物の枚数を数える語                町を細かく分けた区分                ~丁目                長さ・面積の単位               「町」             一丁=六十間・約109メートル             サイコロの目の偶数             丁か半か?             丁抹(デンマーク)             豆腐・拳銃などを数える語             飲食物を数える語             一丁あがり
 ↓↑            蘇定方(592年~667年) ↓↑             蘇我 馬子             欽明天皇十三年             551年             ~             推古天皇三十四年五月二十日             626年6月19日 蘇定方(645-592年=52歳)       ↓↑↓     ↓↑        645・・・「乙巳の変(645年)」             蘇我入鹿・・・・・大王(鹿)に入る?             推古天皇十九年             611年             ~             皇極天皇四年六月十二日             645年7月10日             ↓↑             蘇我蝦夷・・・蝦夷(えみし・えぞ・カイ)             用明天皇二年             586年             ~             皇極天皇四年六月十三日             645年7月11日 蘇定方(592年~667年)ーー↓↑ーー↓↑ーー 貞観(貞觀) 日本元号の一 天安の後、元慶の前 859年~877年 天皇は清和天皇、陽成天皇 ↓↑ 貞観(貞觀) 唐代 太宗の治世の元号 627年~649年・・・・・蘇定方(592年~667年) 突厥との防衛戦に勝利 後世の治政の範とされ 『貞観政要(全十巻四十篇)』 ・・・「呉兢」が編纂 (太宗と名臣たちの論議の記録書  唐王朝  二代目の  太宗(李世民)の治世) ↓↑ 『貞観政要(全十巻四十篇)』 中宗の代に上呈したもの 玄宗の代にそれを改編したもの 2種類 第四巻の内容が異なる 伝本には 元の 戈直(カチョク) が 欧陽脩 司馬光 による評を付して整理し 明代に発刊された 「戈直本」 唐代に日本に伝わった 旧本の二系がある 朝鮮・女真・西夏 の周辺諸語に訳された ↓↑ 太宗 と 臣下 魏徴・房玄齢・杜如晦・王珪 ら重臣45名との政治問答 ↓↑ 編纂 呉兢 による 太宗の死後40~50年 武則天(周王朝) が退位し 中宗が復位 唐朝が再興した頃 貞観の政道の手本とし 『貞観政要』を編纂し 中宗に上進 後 玄宗の宰相 韓休(672年~739年) が後世の手本となるように 呉兢 に命じて改編上進させた 中宗に上進した 初進本は 中宗個人を対象とした 天子が心得るべき篇 輔弼篇 直言諫諍篇 があり 玄宗 への再進本は 後世の手本とするものなので 太子や諸王を 戒める篇に改められている ↓↑ 鎌倉時代 北条政子が 菅原為長 に命じて和訳 日蓮 もこれを書写した 江戸時代初期 徳川家康 が 藤原惺窩 を召して講義させ 足利学校の 閑室元佶 に命じて 活字版を発刊させて普及に努めた 明治天皇も 侍講の 元田永孚 の進講を受けたーー↓↑ーー↓↑ーー 蘇定方(592年誕生~667年死没 七十五歳) 592年(壬子) 蘇我馬子が崇峻天皇を殺害        推古天皇即位 593年(癸丑) 聖徳太子が二十歳で摂政        難波に四天王寺建立 594年(甲寅) 仏法興隆の詔が出される 596年(丙辰) 法興寺(飛鳥寺)が完成 600年(庚申) 隋に使いを送る(第一回遣隋使) 601年(辛酉) 聖徳太子が斑鳩宮を作る 603年(癸亥) 秦河勝が蜂岡寺(広隆寺)を建立 604年(甲子) 十七条憲法、冠位十二階の制定         隋の煬帝即位 607年(丁卯) 小野妹子を隋に派遣し、国書を届ける 608年(戊辰) 隋が大軍をもって高句麗を攻める        「小野妹子=蘇因高」が         隋使         斐世清らを伴い帰国         妹子は8人の留学生を連れ再び隋へ 610年(庚午) マホメットがイスラム教         高句麗の僧         曇徴が来日         紙・墨・彩色などの製法を伝える 611年(辛未) 聖徳太子の『三経義疏』の        『勝鬘経義疏』ができる 613年(癸酉) 聖徳太子の『三経義疏』の        『維摩経義疏』ができる 614年(甲戌) 犬上御田鍬を遣隋使として派遣 615年(乙亥) 聖徳太子の『三経義疏』の        『法華経義疏』ができる 618年(戊寅) 隋が滅び唐が興る 620年(庚辰) 聖徳太子、蘇我馬子らによって      『天皇記』『国記』       などができる 622年(壬午) 迫害のマホメット         メッカからメディナに逃れる         聖徳太子死没 624年(甲申) 唐が「租庸調」の税制を布く 626年(丙戌) 蘇我馬子没         蘇我蝦夷が跡を継いで大臣 629年(己丑) 玄奘三蔵が経典を求めてインドに向かう         舒明天皇即位 630年(庚子) 犬上御田鍬の第一回遣唐使派遣 642年(壬寅) 皇極天皇即位 643年(癸卯) 山背大兄王らが         蘇我入鹿に攻められ         斑鳩宮で自害 645年(乙巳) 大化一年    中大兄皇子、中臣鎌足ら         蘇我入鹿を大極殿で暗殺        蘇我蝦夷は自害(乙巳の変)         孝徳天皇即位         中大兄皇子が皇太子         初めて年号(大化)制定 646年(丙午) 大化二年    改新の詔を宣する 647年(丁未) 大化三年    冠位改正、七色十三階とする 651年(辛亥) イスラム帝国が         ササン朝ペルシアを滅ぼす 652年(壬子) 白雉三年    班田の終り・戸籍を作成         難波長柄豊碕宮が完成 653年(癸丑) 孝徳天皇と中大兄皇子の対立         皇子は母妹を連れて大和に帰る 655年(乙卯) 斉明天皇即位 658年(戊午) 阿倍比羅夫が蝦夷討伐         有間皇子が謀反の疑いで殺害 661年(辛酉) ウマイヤ王朝が         イスラム帝国確立 663年(癸亥) 上毛野稚子が         新羅に向い        「白村江の戦い」で         唐・新羅の連合軍に敗北 664年(甲子) 冠位二十六階制定         九州に防人を置き         水城を築き防御 667年(丁卯) 近江の大津京に遷都         蘇定方死亡(592年~667年)ーー↓↑ーー↓↑ーー 668年(戊辰) 中大兄皇子=天智天皇として即位         中臣鎌足が近江令を作る 670年(庚午) 全国的に戸籍を作る(庚午年籍)         法隆寺が炎上 671年(辛未) 近江令の施行         天皇が漏刻を元に         鐘楼を鳴らし時を知らせる 672年(壬申) 天智天皇没         大海人皇子が         大津京の大友皇子を滅ぼす        (壬申の乱)         飛鳥浄御原宮に遷都 673年(癸酉) 大海人皇子=天武天皇として即位 676年(丙子) 新羅が朝鮮半島を統一 681年(辛巳) 浄御原律令の編纂開始 684年(甲申) 八色の姓、制定 686年(丙戌) 天武天皇没         大津皇子が         謀反の疑いで捕らえられ自害 687年(丁亥) ピピンがフランク王国の実権を握る 690年(庚寅) 持統天皇即位         飛鳥浄御原令が施行         高市皇子が太政大臣         戸令により庚寅年籍 694年(甲午) 藤原京に遷都 697年(丁酉) 東ローマ帝国がイスラム軍と戦う         持統天皇譲位し、文武天皇即位 700年(庚子) 刑部親王、藤原不比等らが律令を作る 701年(辛丑) 大宝1年大宝律令の撰定完成 702年(壬寅) 大宝二年    遣唐使、粟田真人、山上憶良らを派遣 707年(丁未) 慶雲四年    文武天皇没         元明天皇即位 708年(戊申) 和銅一年    武蔵国から銅を献上         和銅と改元         始めての貨幣「和同開珎」発行ーー↓↑ーー↓↑ーー 蘇定方 唐の軍人・・・唐(トウ・当・問答)の意句差(いくさ)の比斗 名は烈・・・・烈=列+火 字は定方・・・蘇(読み替える)定方(定め方)? 諡は荘 本貫は 冀州・・・・・冀(北の異なる)州(國・国)        紀州・既習・奇習・季秋・貴秋 武邑県・・・・武の邑の県=「武遊・武勇」を懸けるーーーーー 「太秦わたりに  大輔が侍りけるに  つかはしける」
 「限りなく  思ひ入り日のともにのみ  西の山べを  ながめやる哉」 ↓↑ 売買=賣買⇔讀=言+賣・續=糸+賣 賣=士+四+貝   坴の上部⇒士+囧(窓)⇒四⇒續 売=バイ・ショク・トク・イク ↓↑ 小野道風(894~966年) 木工頭(きくのかみ)に任ぜられ 弟 小野頼風は武士となった ↓↑ 小野道風(894~966) 遣隋使の小野妹子を祖 藤原純友の乱を鎮圧した 小野好古の弟 小野小町の従姉妹 ↓↑ 尾張藩の国学者 天野信景(1663~1733)は 『塩尻』に 「春日井郡松河戸の村民伝云  松河の里は道風の生れし地なりと云云」 と記録 松平君山が 「張州府志」に 誕生地と伝え 尾張藩諸学者の通説・・・ 誕生地と伝えられる 松河戸町に 尾張藩の儒学者である 秦鼎(はたかなえ) (1761~1831)撰文の 「小野朝臣(道風)遺跡之碑」 が 文化十二年(1815)に建てられ 「松河戸の村民はみな道風がここで生まれた」 ということ伝をえている・・・ (観音寺所蔵) 伝承で 「父の小野葛絃(くずお)が  何らかの理由で  松河戸に滞在していたとき  里人の娘との間に生まれたのが道風で  幼少時代を松河戸で過ごし  十歳ころ  父とともに京に上り、書で身を立てた」 ・・・ 小野氏 遣新羅使に任命された者 大宰府の官人となった者 外交に携わったと目される人物 文化の面でも人物を輩出 奈良時代 大宰大弐に任ぜられた 小野老(おののおゆ) の詠んだ万葉歌 「青丹(あおに)よし  寧楽(なら)の  京師(みやこ)は  咲く花の  薫(にお)ふが如く  今盛りなり (『万葉集』3―328)」 ↓↑ 小野篁(たかむら) 勅撰漢詩集 『経国集』 などに多くの漢詩を残し 孫の 小野道風(とうふう)は 藤原行成 藤原佐理(すけまさ) と共に「三蹟」と称され 和様の能書家 指定されている ↓↑ 小野妹子が2度目に隋に渡った6年後 614年 犬上御田鍬(いぬかみのみたすき) が最後となる遣隋使に任命され 隋から唐に替わった後 最初の遣唐使に任命され 630年 唐に渡ったのも 犬上御田鍬 斉明天皇元年(655) 「犬上白麻呂」 が 遣「高句麗使」に任ぜられ 近江国犬上郡(滋賀県犬上郡、彦根市) を本拠とした 同郡豊郷(とよさと)町に 犬上神社があり 犬上氏の祖とされる 稲依別(いなよりわけ)王 (日本武尊の子)を祭っている 犬上氏は百済からの渡来人・・・ 隣接する愛知(えち)郡に 依智秦氏(えちのはたうじ) 渡来系氏族が居住し、湖東の地域を開発 ↓↑ 第十一首 参議篁(小野篁) 「わたの原  八十島かけて  漕ぎ出でぬと  人には告げよ  海人の釣り舟」 ↓↑ 太秦(うずまさ) 雄略天皇の御世 渡来系の豪族 秦氏(秦酒公)が 絹を 「うず高く積んだ」ことから 「禹豆満佐=うずまさ」の号を与えられ 「太秦」の漢字表記を当てた・・・? 秦氏は機織りの技術者集団 絹布を租税としていた この地には絹布が 「うず高く」積み上げられ 朝廷から 「兎豆満佐(うずまさ)」の姓を与えられた 「うずまさ」に 「太秦」の文字に当てた・・・? ↓↑ 奈良時代 716年 旧高句麗(高麗)の 遺民1,799人が 武蔵国に移住し 高麗郡が設置 日高市 と 飯能市 の一帯が 高麗郡 ↓↑ 冀州(キシュウ) 中国の行政区分の一 山西、遼寧、河北、北京、天津 フフホト(呼和浩特) ウランチャブ(烏蘭察布) 等七つの省市に分属 ↓↑ 隋朝 開皇初年に 設置された 長楽県を前身 隋の時代は 西部が 沢城県と呼ばれていた 606年(大業二年) 信都県が廃止 ↓↑ 紀元前106年(元封五年) 漢の武帝が 全国十三州に分割し 各州に 刺史を置いた 河北省を中心とする地域を 冀州刺史部とし 魏・鉅鹿・常山・清河・趙 広平・真定・中山・信都 の九郡国を属させた ↓↑ 前漢滅亡後 軍閥の 王郎が 邯鄲に拠って冀州を支配 光武帝の侵攻により敗死 後漢に入って 高邑を州治とした ↓↑ 北魏 皇始二年 定州 太和十一年 瀛州 熙平二年 滄州 に分割 劉宋の代に 山東省の領域内に 僑州として 「冀州」 あるいは 「南冀州」 の省置が繰り返された ↓↑ 隋代 当初は二郡を管轄 607年(大業三年) 郡制施行に伴い 冀州は信都郡と改称 下部に12県を管轄 ↓↑ 唐朝 信都郡は冀州と改称 河北道の管轄 662年(龍朔二年) 冀州は魏州と改称 同時に魏州が冀州と改称 672年(咸亨三年) 冀州と改称 742年(天宝元年) 郡制施行で 信都郡とされ 758年(乾元元年) 再び 冀州と改称・・・???ーー↓↑ーー 蘇邕の子 隋末 蘇邕は郷里の数千人を率いて 叛乱の討伐 定方は15歳で父の下で従軍 蘇邕の死後 部衆を引き継ぎ 劇県の叛乱軍の 張金称・・・金を張(葉瑠)る称 楊公卿・・・楊(やなぎ・栁・柳)の公卿⇔小野道風         ヤナギにカエル・・・八名義を変える?          「太秦(うずまさ)わたりに           大輔が侍りけるに           つかはしける」          「限りなく           思ひ入り           日のともにのみ           西の山べを           ながめやる哉」 らを撃破 後に 竇建徳・・・竇=穴+賣・・・穴の売(賣)               売買=有償契約・双務契約の典型         穴+士+買         宀+八+賣         穴+士+罒+貝         宀+八+士+買         宀+八+士+罒+貝         宀+八+十+一+罒+目+ハ         トウ         トク         ドク         ズ         あな         あなぐら         みぞ         物をたくわえておく穴         くぐり戸         みぞ・水道・水路       建=廴+聿(イツ・イチ             筆・書く             とうとう・ついに             自分から・自ら             修める・述べる             すばやい・すばやく走る             共に・従う)         廴+肀+二         廴+肀+一+一         廴=引き伸ばす・延長         ケン         コン         たつ         たてる         くつがえす・・・・?・・・覆す         たてる・定める         おこす         はじめる         建物をたてる・建物がたつ         申し立てる・意見を出す         北斗七星の柄が指すある方向         十二支のいずれかの方向         陰暦・月建(朔)         一月は「建寅(寅の方向)」         二月は「建卯(卯の方向)」         など         くつがえす・・・覆す         こぼす・・・・・溢す・零す       徳=德=悳・・・得 の麾下 竇建徳の部将の 高雅賢の養子となった 高雅賢 劉黒闥 が死ぬと 定方は郷里に帰った。 ↓↑ 貞観初年 匡道府 折衝 李靖 の下で二百騎を率いて 突厥を攻撃の先鋒 霧の中で 牙帳を襲撃 突厥の 頡利可汗 は逃亡 李靖が到着すると 突厥の一党はことごとく降伏 凱旋すると 定方は 左武候中郎将 永徽年間 左衛勲一府中郎将 程名振・・・・・・程の名の振? とともに 高句麗出兵し破った 右屯衛将軍 臨清県公 に封ぜられた ↓↑ 656年 程知節・・・・・・程の知の節? に従って 前軍総管をつとめ 阿史那・・・・・・ 賀魯・・・・・・・ を攻撃 鷹娑川にいたった 阿史那賀魯 が2万騎を率いて対陣 定方は 総管の 蘇海政・・・・・・ とともに連戦 突厥の別部の 鼠尼施・・・・・・ らが2万騎を率いて敵方に来援 定方は騎兵の精鋭500を率い 山嶺を越えて敵陣に討ち入って破り 1500人あまりを殺害 多くの武具や牛馬を鹵獲 唐の軍中では 副大総管の 王文度 が味方の疲労と士気の低下を見て 深入りを諫め 定方は追撃を主張 程知節が 怛篤城にいたり 胡人を降伏させると 王文度は 降胡を殺して財貨を奪うことを主張 定方はこれに反対 王文度は奪った財貨を分配したが 定方はひとつも取ることがなかった 高宗がこのことを知ると 程知節 らが帰還した後 王文度 を庶民に落とした。 ↓↑ 657年 定方は 伊麗道 行軍 大総管 再び 阿史那 賀魯 を攻撃 任雅相 と 回紇の 婆閏 が副大総管をつとめた 定方は アルタイ山の北に出て 処木昆部を撃破 俟斤の 嬾独禄を降した 定方は 麾下の1000騎と 回紇の1万人を率いて 曳咥河に進軍 阿史那賀魯と会戦 定方の兵が少ないのをみて 左右両翼を伸ばして包囲 定方は歩兵に高所に拠らせ 自らは精鋭の騎兵を率いて 北原に陣した 阿史那賀魯の軍は 三たび唐の歩兵の陣を 突き崩そうとしたが崩すことができず 定方は 騎兵で三十里をめぐって戦うと 阿史那賀魯の軍は崩れて潰走 唐軍が追撃 数万の人馬を殺した 翌日、定方が兵を進軍させると 五弩失畢が部族こぞって唐に降伏 阿史那賀魯 と 処木昆の 屈律啜の数百騎は西方に逃走 定方は副将の 蕭嗣業 と 回紇の 婆閏に 邪羅斯川 に向かわせて追撃 定方 と 任雅相 は新たに帰順した兵をまとめて、後詰め 大雪で 軍吏に進軍の中止を求められたが 定方は兵を 雙河まで進め 阿史那弥射 や 阿史那歩真 の軍と合流し 阿史那賀魯の陣に迫った 阿史那賀魯は狩猟の最中で 定方はこれを襲撃して破った 阿史那賀魯 は 石国・・・・? に逃れたが 阿史那弥射の子の 阿史那元爽が 蕭嗣業と合流し 阿史那賀魯を捕縛 定方は 左驍衛大将軍に任ぜられ 邢国公に封ぜられた 子の 蘇慶節も 武邑県公に封ぜられた ↓↑ 659年 思結闕俟斤都曼が 諸部を扇動し 疏勒・朱倶波・渇槃陀 の三カ国が唐に叛くと 定方は 安撫大使となって討伐 葉葉水 にいたり 都曼が 馬頭川 を守ると 定方は歩兵の精鋭1万と騎兵3000を選抜し 昼夜分かたず三百里を駆け抜け 都曼の陣の前に現れ 都曼は驚いて城に逃げ込んだ 唐軍がこれを攻め 都曼は自らを縛って降伏 パミール高原より 西の地方も唐の勢力圏に入った 定方が捕虜を 乾陽殿に献上 邢州鉅鹿の 三百戸の食邑を加えられ 左武衛大将軍 ↓↑ 660年 熊津道大総管 百済の征討 城山から海をわたって 熊津口に上陸 百済軍を撃破して 真都城に進軍 百済に勝利 百済王 義慈や 太子の 隆は北方に逃走 定方が 泗沘城を包囲すると 義慈の子の 泰が自立して王を称した 泰は抗戦を続けようとしたが 義慈は開門し降伏 百済の将軍の 禰植 と 義慈 は唐軍に降り、泰も捕らえられ 百済王 義慈や 隆・泰 らは東都洛陽に送られた ↓↑ 定方は 三カ国を滅ぼし 子の 蘇慶節 は尚輦奉御の位を加えられた ↓↑ 663 年 3月 阿倍比羅夫ら、新羅征討のため出発 6月 百済の余豊璋   謀反心の   鬼室福信を斬り   首級を塩漬けにする 10月5日(天智天皇二年八月二十八日) 白村江の戦い (唐・新羅連合軍 対 百済・日本連合軍) 10月13日(天智天皇二年九月七日) 百済が降伏 百済人民が日本へ逃亡 唐が 単于都護府を 雲中に設置 ↓↑ 663 年10月 天智2年8月  白村江の戦い (はくそんこうのたたかい、はくすきのえのたたかい) 天智2年8月(663 年10月) 朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近) 日本・百済遺民の連合軍と 唐・新羅連合軍との戦争 ↓↑ 定方は 遼東道行軍大総管となり 平壌道行軍大総管に転じた 高句麗の軍を 浿江で破り 馬邑山の敵営を落とし 平壌を包囲 大雪で包囲を解いて帰還 涼州安集大使に任ぜられ 吐蕃 吐谷渾 と戦った ↓↑ 667年 76歳で死去 高宗は 左驍衛大将軍 幽州都督 の位を追贈 ↓↑ 伝記資料 『旧唐書』巻八十三 列伝第三十三 「蘇定方伝」 『新唐書』巻百十一 列伝第三十六 「蘇定方伝」 ・・・原文は「ウィキペディア(Wikipedia)」・・・ ↓↑ 蘇(ソ)=チーズ 流蘇(ふさ)・鳥の尾や糸でつくった垂れ飾り 屠蘇(トソ) 蘇士(スエズ) 蘇芳・蘇方・蘇枋(スオウ) 蘇民書札(そみかくだ) 蘇葉(ソヨウ) 蘇婆訶(ソワカ) ↓↑ 甘栗=天津栗=板栗    平安時代、大臣に新任の大饗(たいきよう)などのさい    朝廷から蘇(そ)と甘栗を賜るならわしがあった    それを届ける勅使を    蘇甘栗使(そあまぐりのつかい)と呼んだ    この甘栗は干栗(ほしぐり)・・・    「延喜式」に搗栗(かちぐり)・平栗(ひらぐり)    と記録・・・ ↓↑ 蘇=ソ(漢)・ ス(呉)   よみがえる・ 生きかえる・よみがえる   「蘇生」   草の名   紫蘇 (しそ)   蘇 (コケ・苔)   蘇芳(すおう)   蘇格蘭(スコットランド)   蘇維埃(ソビエト)   耶蘇(ヤソ) ↓↑ ↓↑ 蘇軾 景祐3年12月19日 (1037年1月8日)  ~ 建中靖国元年7月28日 (1101年8月24日) 北宋の政治家・文豪・書家・画家・音楽家 ↓↑ 東坡居士 蘇東坡(ソトウバ) 字は子瞻(シセン) 坡公・坡仙 諡は蘇文忠 蘇洵の長子 弟は蘇轍 ↓↑ 「古文」の唐宋八大家 蘇文忠 蘇洵 蘇轍 韓愈・柳宗元・欧陽脩・曽鞏・王安石 ↓↑ 子に 蘇邁、蘇迨、蘇過、蘇遯 曾孫は 蘇公弼(威州刺史) 玄孫娘は 耶律楚材の夫人 (蘇公弼の娘、耶律鋳の生母) ↓↑ 眉州眉山(四川省眉山市東坡区)の出身 嘉祐二年(1057年)22歳 弟・蘇轍とともに 進士となる 科挙試験委員長は 欧陽脩 蘇軾、蘇轍、曽鞏の3名のみ合格 ↓↑ 神宗時代 唐末五代の混乱後の国政の改革 王安石 改革「新法」の施策 具体的に  ↓↑ 『周礼』の 「一国万民の政治理念」・・・日本人的発想? 「万民を斉しく  天子の公民とする」  ↓↑ 斉民思想に基づき・・・「日本人的発想」? 均輸法・市易法・募役法・農田水利法 など 経済政策 科挙改革 学校制度整備 などが行われた  ↓↑ 蘇軾は 欧陽脩・司馬光 らとともにこれに反対し 二度、流罪、追放・・・左遷 元豊二年(1079年) 蘇軾44歳 湖州の知事 国政誹謗罪で逮捕、尋問調書 御史台の取り調べの際に 蘇軾が残した供述書は 「烏台詩案」 と呼ばれた 神宗の取り計らいで 黄州(湖北省黄州区)へ左遷 左遷先の土地を 東坡と名づけ 東坡居士と名乗った 黄州生活は5年 黄州時代の傑作が 『赤壁賦』 赤壁=三国時代の古戦場    西暦208年    呉と蜀の連合軍が    魏の水軍を破った場所    黄州~長江を遡った    南岸の嘉魚県の西にあった 元豊八年(1085年) 神宗死去 哲宗が即位 幼い哲宗に代わって 宣仁太后の 垂簾朝政が八年間続き 彼女の後押しで 旧法党の官僚は要職に就き 元豊九年(1086年) 司馬光が宰相 蘇軾も名誉を回復され 五十歳で中央官界に復帰し 翰林学士を経て 礼部尚書に昇進 ↓↑ 司馬光=新法を全て廃止方針に対し 新法でも募役法のように 理に適った法律は存続 旧法派の内部の分裂・・・ ↓↑ 司馬光の死後 蜀党=蘇軾、蘇轍兄弟 と 洛党=程頤、程顥兄弟 が党争 ↓↑ 紹聖元年(1094年) 再び新法派が力を持つと 蘇軾は再び左遷(59歳) 恵州(広東省)に流刑 62歳 海南島に追放 66歳 哲宗が死去し 徽宗が即位 新旧両党の融和で 許され 都に向かう途中病を得 常州(江蘇省)で死去 ↓↑ 蘇軾は北宋最高の詩人 『蘇東坡全集』に纏められている ↓↑  題西林壁 (西林壁に題す)
  横看成嶺側成峰 (横より見れば嶺を成し、傍らよりは峰となる)  遠近高低各不同 (遠近・高低いつも同じきは無し)  不識廬山真面目 (廬山の真面目を知らざるは)  只縁身在此山中 (ただ身のこの山中にあるによる) ↓↑ 王安石とは政治的に対立していたが 詩文を通じた交流 要職を退いた後 王安石は 蘇軾に対して七言絶句を送った ↓↑ 北山  北山輸緑漲横陂  (北山緑を輸横陂漲る)  直塹回塘艶艶時  (直塹、回塘、艶艶たる時)  細數落花因坐久 (細かに落花を數ふるは坐すること久しきに因る)  緩尋芳草得歸遲 (緩やかに芳草を尋ねて歸ること遅きを得たり) ↓↑ 蘇軾はこれに対して  次荊公韻 (荊公の韻に次す)  騎驢渺渺入荒陂 (驢に騎って渺渺として荒陂に入る)  想見先生未病時 (想見す先生の未だ病まざりし時を)  勧我試求三畝宅 (我に勧めて試みに三畝の宅を求めしむ)  従公已覚十年遅 (公に従うこと已に十年遅きを覚ゆ) と、答えた
 「荊公」=「王安石」のこと ↓↑ 書家として 米芾・黄庭堅・蔡襄 とともに 宋の四大家 蘇軾は 二王(王羲之と王献之)を学び 後に 顔真卿・楊凝式・李邕を学んだ 「赤壁賦」 『黄州寒食詩巻』=『寒食帖』 ↓↑ 蘇軾=祖父 蘇序=父親 蘇洵、唐宋八大家の一人  母親=程夫人    眉山の富豪、程文応の娘    程濬の妹
 妻妾=王弗、16歳の時に19歳の蘇軾と結婚    結婚後11年で死別    王閏之、王弗の妹    王弗が逝去三年後、蘇軾に嫁いだ    王朝雲、蘇軾の妾    紹聖三年、享年34で逝ーーーーー ・・・???・・・今フユーズ・・・

「エウロペ」は欧州・・・奥州・桜洲・応州・王修?じゃあ「イヲ(イヨ)」は?

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 「伊予を愛比売といひ(古事記)」・・・
  讃岐国
  南海道
  香川県
 「飯依比古」
 「伊予之二名島の顔の一つ(古事記)」 ↓↑
 エウロッパ (Europa)
 エウローパ (ヨーロッパ)

 仮名草子・伊曾保物語(1639頃)上
 「イソホといふ人ありけり。
  其時代、エウラウハの国中に
  かほどの見にくき人なし」
 六大州の一
 アジア大陸の西部に連なる半島状の大陸と付属の島々からなる
 北は北極海、西は大西洋に面し
 南は地中海を隔ててアフリカ大陸に接する
 北西部にゲルマン民族
 南西部にラテン民族
 東部にスラブ民族
 が居住し、
 大小「四四」の独立国がある
    ・・・四十四=四拾四=肆拾肆=肆足肆・・・「四国=二面」
 イギリス、ドイツ、フランス、ロシア、イタリアなど
 セルヴィアの新石器時代の土偶と日本の土偶

 ビンチャの女性像は左右、他は日本の土偶

 マルタの巨石神殿群
 ジュガンティーヤ神殿
 建造は紀元前4500年から前2000年頃
 ↓↑
 サルマタイ・・・?・・・座留馬帯=鞍(くら)
 (ギリシア語Sarmatai
  ラテン 語Sarmatae
  英   語Sarmatians)
 紀元前4世紀~紀元後4世紀
 ウラル南部から・・・・・裏留?
 黒海北岸で活動した・・・古句回補句願?
 イラン系遊牧民集団・・・ペルシャ=波斯
 ↓↑  ・・・伊朗 ・伊郎?
    ・・・意覧・伊乱⇔伊都・意図・異図
    伊豆・伊曽保=伊蘇普(イソップ)
    伊太利亜(イタリア)
    伊吹(イぶき)
    井伊・伊井
    伊賀(イが)
    伊予柑(いよカン)
    伊呂波(イロハ)
    伊部焼(いんべやき)
    伊(かれ)・伊(これ)
    伊達(だて)
    伊達巻(だてまき)
    伊蘭=クマツヅラ科の高木・悪臭⇔煩悩?
            伊弉諾尊・伊邪那岐命
            伊弉冉尊・伊邪那美命
 ↓↑ 伊藤
    伊=亻+尹
      イ
      かれ
      これ
      ただ
      かの
      第三人称
      この
      語調を整える助詞
      河南省n川の名=伊水
      伊太利
      人名名のり
      いさ・おわむ・ただ・よし
      地名
      伊串(いくし)和歌山県
      伊丹(いたみ)兵庫県
      伊井(いい) 福井県
      伊仙(いせん)鹿児島県
      伊佐(いさ) 沖縄県
    尹=ヨ+丿
      イン
      おさ
      おさめる
      ただす
      長官・監督
      安定させる
      乱れないようにする
      かみ
      四等官(シトウカン)
 ↓↑   弾正台の第一位
 イラン・・・・要らん・入らん・炒らん・煎らん?
 紀元前7世紀末から
 ウラル南部にいた
 サウロマタイに
 紀元前4世紀頃東方から
 移動してきた遊牧民が加わって形成
 サルマタイはギリシア語
 ラテン語ではサルマタエ
 黒海北岸地域をその名にちなんで
 サルマティアと呼ぶため
 サルマティア人とも・・・
 ↓↑
 欧=歐
   区+欠
   匚+㐅+欠
   区+丿+乛+人
   匚+㐅+丿+乛+人
 歐=區+欠
   匚+品+欠
   區+丿+乛+人
   匚+口+吅+欠
   オウ
   体を曲げてかがむ
   はく・吐く・吐きもどす=嘔
   なぐる・うつ・たたく =殴
   うたう・歌をうたう  =謳
   欧羅巴(ヨーロッパ)の略
   エウロパはゼウスが恋に落ちた
   テュロスの王女
   エウローペーが語源
   エウローペーは
   フェニキアの古代都市
   ティルスの王の娘
   『エウロペの略奪』

 エウロパ
 ギリシア神話の女性
 フェニキアの王・・・フェニキア
 ↓↑        (Phoinikē・ポイニーケー
           羅 Phoenices
           Poeni
           ポエニ
           英 Phoenicia)
           古代の地中海東岸に位置
           シリアの一角
           北は現シリアの
           タルトゥースのあたりから
           南はパレスチナの
           カルメル山に
           至る海岸沿いの南北に細長い地域
           現在のレバノン領域
           フェニキア人名称は自称ではなく
           ギリシア人による呼称
           ギリシア人は、交易などを目的に
           東から来た人々をこう呼んだ
           フェニキアという名称は
           フェニキア人
           の居住地が
           ギリシャ語で
           Φοινίκη(Phoinikē; ポイニケー)
           と呼ばれたことに由来
           フェニキアが
           ミュレックス(en)
           と呼ばれる貝から取れる
           紫色の染料(貝紫)
           を特産としていたことから
          「紫色」(または「緋色」)
           という意味の
           ギリシア語を語源・・・
           南部の
           サイーダなどの町中で
           この貝殻の山を見ることができる
           フェニキア人の
           母体となったとされる
           カナンという呼称も
           アッカド語で
           染料を意味する
 ↓↑         キナッフに由来
 エウロパ
 フェニキアの王
 アゲノルの王女・・・上げ乗る?・・・蛙解之留?
 雄牛に変身した
 ゼウス・・・・・・・是卯州(臼・碓・有珠・渦)⇔宇佐・大分?
 によって拐われ
 その背に乗ったまま海を渡って
 クレタ島・・・・・・呉田・呉太?
 に連れていかれ
 ゼウスの子供
 ミノス・・・・・・・美濃州?
 サルペドン・・・?・沙流(差留・猿)部譚?
 ラダマンチュス・・・羅拿萬註諏
 の3人を生んで
 クレタの王
 アステリオス・・・・明日照里尾州?
 の妃になった
 ↓↑
 フェニキア王
 アゲノルの娘
 カドモスの姉妹・・・火度燃・加渡摸・河図摸図?
 浜辺で
 白い雄牛となった
 ゼウスにだまされ
 その背に乗って
 海を渡ってクレタ島へ運ばれ
 ゼウスの子供
 ミノス(クレタ王)
 ラダマンテュス(冥府の裁判官)
 サルペドン(リュキア王)
 を生んだ
 後
 クレタ王
 アステリオスの妃となり
 死後は女神なった
 ↓↑ 
 エウロペ・・・欧州・・・奥州・桜洲・応州・王修?
 えうろぺ
 Eurp
 テロスの
 アゲアノル王
 と
 テレパサ
 の娘で
 カドモス
 と
 キリクス
 の姉妹
 ゼウスは
 エウロペに惚れて
 白い牡牛に変身して近づき
 初めは恐れていた
 エウロペが
 戯れにその牡牛の背にまたがると
 牡牛は疾走して海を渡り
 クレタ島に上陸
 2人は
 ゴルティンの泉・・・語留出音(韻)
 の畔(ほとり・湖畔)で交わり・・・畔・滸=姫
 エウロペ
 は
 ミノス
 ラダマンティス
 サルペドン
 を生んだ
 ゼウスは彼女に
 青銅人間タロス、猟犬、投槍
 を与えた
 後に
 彼女はクレタ島の
 アステリオン王
 の妻となり
 3人の子を養子とした
 死後神格化され
 牡牛は星座の
 おうし座となった
 エウロペが牛に乗ってやってきた地域が
 ヨーロッパになった・・・
 ↓↑         ↓↑

 イーオー・・・伊緒⇔伊豫⇔壹與・壱与?
 (希臘語Īō=イヲ・ラテン語Io=イヲ)・・・イヨ
 ゼウスの恋人
 牝牛に姿を変えられて
 ギリシアから
 エジプトまで各地をさまよった
 ↓↑
 アイスキュロスら悲劇詩人の多くや
 オウィディウス
 ヒュギーヌス
 年代記作者の
 カストールらは
 ↓↑
 河の神
 イーナコスの娘
 ↓↑
 ヘーシオドス
 アクーシラーオス
 によれば
 ペイレーンの娘
 アポロドーロスは
 イーアソスの娘との説も紹介・・・
 ↓↑
 イーナコスは
 アルゴス地方(アルゴリス)を流れる河で
 アルゴスは
 ゼウスの妃
 ヘーラー信仰の中心地
 イーオーは
 アルゴスで
 ヘーラーに仕える女神官
 ↓↑
 アポロドーロス(II巻1.3)
 イーオーは
 ヘーラーの神職にあったが
 ゼウスがこれを犯し
 ヘーラーに発見されそうになった
 ゼウスは
 イーオーを
 白い牝牛の姿に変え言い逃れた
 ヘーラーは
 ゼウスから牝牛を乞い受け
 全身に眼がある
 「普見者(パノプテース)アルゴス」
 に見張りさせた
 アルゴスは
 牝牛を
 ミュケーナイの森の中に連れて行き
 一本のオリーブの木につないだ
 ゼウスは
 ヘルメースに
 牝牛を盗むよう命じた
 ヒエラクスがこのことを漏らし
 ヘルメースは
 石を投げつけて
 アルゴスを殺した
 ヘルメースは
 「アルゲイポンテース(アルゴスの殺戮者)」
 と呼ばれた

 牝牛(イーオー)
 は解放されたが
 ヘーラーが
 虻(あぶ)を送って耳の中に入れ
 牝牛は逃げ惑って
 イオーニア湾(イオニア海)
 イリュリアー
 を通過し
 ハイモス山を経て
 トラーキア海峡・・・・虎紀(記)亜・寅起亜?
 (ボスポラス海峡)
 を渡った
 この海峡は
 スキュティアー
 キメリアー
 ・・・决めり蛙(ア=鴉⇔からす=烏=ウ=兎)
    加羅州・カラス=船体寄せのフックが付いた梯子
 などの地をさまよい
 エジプト(埃及)
 に至り
 イーオー
 は元の人間の姿に戻った
 ↓↑
 後
 イーオーは・・・女神イシス(Isis)になった
        ・・・石州?・医師素・・・磐州=奥州
           石見・岩手・磐城・岩木・岩見沢
 ナイル川・・・尼羅・尼児・内留・尼罗河・尼羅河・the Nile
        萎える・葦える・名重瑠・綯いる・名意留?
 の河辺で
 ゼウスとの子
 エパポス・・・エパポス(Epaphos) ・・・?
 ↓↑
 を生んだ
 ヘーラーが
 クーレースたちに命じ
 エパポスを隠したため
 ゼウスは
 クーレースたちを殺し
 イーオーは息子を捜しに出かけ
 シリアの
 ビュブロス王
 の下で養育されていた
 エパポスと巡り会った
 エジプトに戻った
 イーオーは
 この地の王
 テーレゴノス・・・弖(氐)重例語之素?
 と結婚した
 ↓↑
 イーオーは
 デーメーテール・・・出重女(目)重出得留?
 の像を建て
 エジプト人は
 デーメーテール・・・出目照?
 と
 イーオー
 を
 イーシス
 と呼んだ
 エパポスは
 エジプト王となり
 ナイル川の娘
 メムピス・・・
 と結婚し
 メムピス市を創建
 二人の娘
 リビュエー・・・
 と
 ポセイドーン・・・
 との間に
 アゲーノール・・・・
 ベーロス・・・
 の双子が生まれた
 ↓↑
 プロメーテウスの予言
 アイスキュロス
 の悲劇
 『縛られたプロメテウス』
 では
 イーオーは
 ヘーラーの
 虻に追われて逃亡するうちに
 スキュティアー
 の岩山に縛り付けられた
 プロメーテウスに出会う
 プロメーテウスは
 イーオーがさらに各地をさまよった末に
 エジプトで元の姿に戻り
 エパポスを生むこと
 イーオーの子孫の
 13代目の末裔が・・・・宗女の壱與、十三歳?
 プロメーテウス
 を解放するだろうと予言・・・
 ↓↑
 アピス (Apis)
 古代エジプトの都市
 メンフィス
 で信仰された
 聖なる牛
 エジプト神話の創造神である
 プタハ神の化身
 別名ハピス (Hapis)
   ハピアンク (Hapi-ankh)
 ↓↑
 オシリスの牡牛
 メンフィスでは
 プタハの牛には
 全身に29の特徴があるとされ
 その全てを満たす牛を
 アピスとして飼育し、崇拝
 もし誰かが
 新しいアピスを見つけた時には
 前のアピスは
 ナイル川に沈められた・・・
 ↓↑
 イーナコス(Īnachos)
 アルゴリス地方を流れる
 イーナコス河の河神
 イナコスとも
 ソポクレースは
 悲劇『イーナコス』を書いたが散逸
 オーケアノス
 と
 テーテュース
 の子
 姉妹の
 メリアー
 との間に
 ポローネウス
 アイギアレウス
 をもうけた
 ゼウスに愛された
 イーオー
 や
 ミュケーナイ
 の名の由来になった
 ミュケーネー
 百眼の巨人
 アルゴス
 も
 イーナコス
 の子といわれる
 ↓↑
 ヒュギーヌスによれば
 イーナコスは
 ポローネウスの娘
 ニオベーの子
 アルゴスの子
 ピラントスの子
 トリオパース
 と
 オレーアスの子で
 クサントス
 と兄弟であり
 アルゲイアー
 との間に
 イーオー
 をもうけた
 ↓↑
 オーケアノスの子で
 姉妹の
 アルゲイアーとの間に
 ポローネウスをもうけた
 ↓↑
 ヘーラー
 と
 ポセイドーン
 が
 アルゴリス地方の
 領有をめぐって争ったとき
 イーナコスは
 河神
 ケーピーソス
 アステリオーン
 とともに
 アルゴリスを
 ヘーラーのものと判定
 ポセイドーンは
 怒って河を干上がらせ
 夏になると河から水が消えてしまう
 ポセイドーンは怒ってこの地を
 洪水で沈めてしまったので
 ヘーラーは
 ポセイドーン
 に水を引かせるよう頼んだ
 ↓↑
 イーナコスはこの地の最初の王で
 自分の名にちなんで河を
 イーナコス河と名付け
 ヘーラーを祭祀した
 イーナコスは
 エジプトからの植民者・・・・
 ↓↑
 イーナコスを
 イーオーの父とする説では
 イーナコスは
 キュルノスに命じて
 イーオーを探させたが
 キュルノスは発見できなかったので
 カーリア地方の
 ケロネーソス地方に移住した
 イーナコスは
 ゼウスを糾弾しようとしたが
 イーナコスは
 ゼウスの送った
 エリーニュスに苦しめられ
 ハリアクモーン河に身を投げた
 このためその河は
 イーナコス河と呼ばれるようになった
ーーーーー
 ???・・・伊予(伊豫)・・・四国・・・愛媛・・・
 「伊予の二名之島(古事記)」
 「伊豫=伊予=伊与=伊與」・・・
 「伊予を愛比売といひ(古事記)」・・・
  讃岐国
  南海道
  香川県
 「飯依比古」
 「伊予之二名島の顔の一つ(古事記)」
 「讃岐=讃伎=賛支」
 ・・・

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