Quantcast
Channel: gooブログはじめました!キリヤ
Viewing all 2189 articles
Browse latest View live

鹿鳴館の名付け親=中井桜洲=横山休之進、鮫島雲城、後藤休次郎 、田中幸介、中井弘蔵

$
0
0
 「鹿鳴」=『詩経(小雅)』・・・
 小雅=子カラス=小烏?
 カラスの赤ちゃんナゼ鳴くの?・・・
 コケこっこのオバさんに・・・
 「阿毎王朝・俀王姓-阿毎-字-多利思北孤-號-阿輩雞彌」
 「王妻-號-雞彌・後宮有女六七百人・名-太子爲-利歌彌多弗利」
   妻は雞彌            太子の名は利歌彌多弗利
 ↓↑
 こけこっこの おばさん(雞彌)に
 あかいお帽子(ぼうし) ほしいよ
 あかいお靴(くつ)も ほしいよと
 かあかあ なくのね
 カラス?・・・加羅州・香良洲・・・「韓・漢・唐」
 カラス?・・・マリア・カラス(Maria Callas)
       (ギリシア語 Κάλλας=カラス=美しい
 クロウ(crow)
 クロス(cross)・・・cloth(クロス・tablecloth・wall cloth)
               タペストリー(tapestry)
 カラス?・・・敵船を引き寄せ、乗り込むための・・・
 ガレー船に備え付けた先端に爪カネ(フック)を取り付けた
 「耳字」状の渡し板、梯子「架橋(艦上桟橋)」・・・
 ・・・海戦に有効な武器だったが
    重い梯子は船体のバランスが取れず
    強風などで転覆、沈没もした?
 ↓↑
 エウロパ・・・重卯(兎・鵜・烏)蘆(葦・芦・呂)葉?

 ギリシア神話の女性
 フェニキアの王
 ↓↑ ・・・フェニキア=ポエニ
 ↓↑   (Phoinikē・ポイニーケー
      羅 Phoenices
       Poeni・・・補重似・保重爾・補繪丹?
       ポエニ・・・「ポエニ戦役」
              補繪丹染液?
              補重爾選易?
              吠回邇・吼・咆?
              啼・哭・呼号?
                  古語織・凝織?
      英 Phoenicia)
      古代の地中海東岸に位置
      シリア・・・知理蛙・史理蛙・私利悪・後蛙(雅)?
           (叙利亜・叙里亜・西利牙・西里亜
            尻屋・敘利亞・敘利亞)
      の一角
      北は現シリアの
         タルトゥース(Tartus)
         ・・・樽(木尊)当有珠(臼・碓・渦)?
         アンタラドゥス(Antaradus)
         アンタルトゥス(Antartus)
         トルトーザ(Tortosa)
         とも呼ばれ
         同心円状の
         二重の城壁で囲まれた
         コンセントリック型の城を
         築いた・・・
         近郊に
         アムリット(Amrit)・・・編理通訳?
         の遺跡があり
         アレクサンダー大王・・・亜暦山
         以降
         ギリシャ語で
         マラトゥス(Marathus)
           ・・・真羅訳有諏(碓・臼)?
         十字軍の拠点
         マルガット城・・・丸(円・球)臥通訳?
        (Margat・Qalaat al-Marqab)
         ヨハネ騎士団の拠点
        ↓↑シリア西部の港湾都市
          ラタキアに次ぐ
          シリア第二の港湾都市
          地中海に面する
          沖合約2.5キロメートルにある
          アルワード島とともに
         (ある倭蛙土・word?)
          フェニキア人の植民都市
        ↓↑ 交易の要地
           のあたりから
           南はパレスチナの
           カルメル山に
 ↓↑         ↓↑  ↓↑
          「珂瑠=軽
              刈・乂
              借・仮・狩
              雁」める
            ・・・軽(蝦瑠)女留
               孝徳天皇(珂瑠=軽)
               文武天皇 (珂瑠=軽)
               木梨軽皇子
 ↓↑         ↓↑
           至る海岸沿いの南北に細長い地域
           現在のレバノン領域
            ・・・例葉之(埜)務?
                 詞(記紀壱拾壱)ム(武)?
           フェニキア人名称は自称ではなく
           ギリシア(希臘)人による呼称
           ギリシア人は、交易などを目的に
           東から来た人々をこう呼んだ
           フェニキアという名称は
           フェニキア人
           の居住地が
           ギリシャ語で
           Φοινίκη(Phoinikē; ポイニケー)
           と呼ばれたことに由来
           フェニキアが
           ミュレックス=Mulex(法螺貝・骨貝)
           と呼ばれる
           貝から取れる
           紫色の染料(貝紫)
           を特産としていたことから
          「紫色」(または「緋色」)
           という意味の
           ギリシア語を語源・・・?
           南部の
           サイーダ
            ・・・「齋・歳・祭・差異・賽」意拿?
           などの町中で
           この貝殻の山が存在する
           フェニキア人の
           母体となったとされる
           カナン・・・仮名務?
           という呼称も
           アッカド語で
           ・・・「赤・紅・朱・丹・緋」化土?
           染料・・・・・・・・占領・選良?
           を意味する
 ↓↑         キナッフに由来・・・記名通附?
 ↓↑    ↓↑    ↓↑
      カルタゴ=加留多語・歌留多語・骨牌語・carta語
      フェニキア語
      Kart‐Hadasht(新都市)
      その国民をローマ人は
      ポエニ(Poeni)と呼んだ
      テュロスからの植民(前814)により
      誕生したカルタゴ市は
      西への海上交通の要衝を占め
      肥沃な後背地の
      シドラ湾以西・・・支寅?
      大西洋岸に至る
      フェニキア系植民市群の
      西地中海交易網を手中に収めた
 ↓↑
 フェニキア=旧約聖書中のカナン人の語源
       前14世紀の
      「アマルナ文書」・・・
       ・・・「天・海人・海部・海女・海士」留名?
          「余る名」・「阿毎留名=阿毎王朝」?
          「尼留名=北条政子」?
       などにみえる
       キナフ(Kinaḫḫu)・・・記(紀)名附?
       である
       これは
       深紅色or赤銅色を意味し
        ・・・和銅=元明天皇の年号
           慶雲五年(708)一月十一日
           ~
           和銅八年(715)九月二日
       この地方特産の
       染料の色
       住民の肌の色に由来する・・・
       フェニキア人
       という名称は
       ギリシア語
       フォイニケス(Phoinikes)
       ラテン語の
       カルタゴ人
       ポエニ(Poeni)で
       キナフと同義
 ↓↑     ↓↑
       テュロス王
       アゲノル(Agēnōr)の子の一人
       フォイニクス(Phoinix)の名が
       フェニキアという地名になった
       フォイニクス・・・?
       ギリシア神話の英雄
       ボイオチアの
       アミュントル王・・・蛙観諭(由)務採?
       の息子
       母に頼まれ
       父の愛妾を誘惑し
       父によって
       目をつぶされ・・・・・・盲目
       ペレウス・・・・・・・・経例碓(うあす・臼)
       のもとに亡命した
       ペレウスは
       彼を医術者
       ケンタウロスの・・・建(健)太郎州?
       ケイロン・・・・・・形論・景論=景行天皇
                  高橋景保
                 (シーボルト事件)
       のところへ連れていき
       視力を回復させ
       ドロペス人・・・泥経諏?
            ・・・泥=氵+尼=水野尼?
                水野~尼ヶ坂?名鉄瀬戸線
                水野常倫尼?
                1848~1927
                明治-大正時代の
                愛知県尾張の尼僧
       の王にし
       息子
       アキレウス・・・アキレス⇔アキレス腱
       の教導を依頼
       トロイ戦争に
       彼は
       アキレウスとともに参加
       アキレウスの死後は
       その遺児
       ネオプトレモス・・・
       の後見役となり
       トロイ落城後
       ネオプトレモス
       と一緒に帰国する途中で死亡・・・
 ↓↑     ↓↑
       紀元前320年or紀元前319年
       アレキサンダー(亜歴山)Ⅲ大王
       ↓↑・・・ロシア捕鯨用貨物船
          「アレキサンドル(260総トン)」
           日露戦争開戦で
           1904年(明治三十七年)2月10日
           捕獲
           7月10日に汽船
          「歴山丸」と命名
           翌年に拿捕の抗議が棄却され
       ↓↑  7月4日に雑役船(潜水艇母船)となった
       死後
       オルキュニアの戦い
      (Battle of Orcynia)
       エウメネス
       ・・・重梅(埋め・倦め・宇目)音諏?
       と
       アンティゴノス
       との間で戦われた会戦
       エウメネスは
       テネドス人・・・ギリシアの
       ↓↑     「テネドス(Tenedos)島の人」
               現在
               ギリシャ‐トルコ戦争後
               1923年よりトルコ領
               ダーダネルス海峡の入口付近にある
               面積40平方キロほどの
               トルコ北西部の島
                ボズジャ島=Bozcaada
                     猫の島
               古代には「レウコフィリス」島
               トロイアは
               大陸側のボズジャアダ(テネドス)の
               対岸の丘に造られた都市
               トロイの木馬


               テネドスの海戦(Battle of Tenedos)
               紀元前86年
               ルキウス・リキニウス・ルクッルス
               デマゴラス
               率いるローマ・ロドス艦隊
               と
               ネオプトレモス
       ↓↑      率いるポントス艦隊の間の海戦
      「フォイニクス」・・・不死鳥=火の鳥
       を急派し
      「フォイニクス」は
       ペルディッカスに夜襲を仕掛け
       彼を生け捕りにし
       エウメネスの許まで連れて行き
       エウメネスは
       首謀者を処刑して事態を収拾
 ↓↑     ↓↑
       紀元前321年
       ヘレスポントスの戦
       小アジア北西部
       ヘレスポントス近郊の
       ディアドコイ戦争の会戦
 ↓↑     ↓↑
       エウメネス
       と
       クラテロス       
       ネオプトレモス
       連合軍が戦い
 ↓↑     ↓↑
       エウメネスが指揮
        麾下(キカ) の・・・帰化・幾何・気化・奇禍?
          麾=广+林+毛=指図旗・指揮旗
       ファルナバゾス=アケメネス朝ペルシアの提督
       と
      「フォイニクス」・・・不死鳥=火の鳥
       が勝利した
 ↓↑    ↓↑

   フォイニクス
   英語フェニックス(Phoenix・不死鳥)
   鷲に似て
   羽根は赤と金
   500年に一度
   父鳥の遺骸を
   ヘリオポリスの太陽神の神殿に葬るため
   アラビアからエジプトに来る聖鳥
   自ら焼け死んで甦るという伝説は
   ローマ期以降のもの
   イエス・キリストの復活の象徴ともされた
   エウロペ
   の兄で
   フェニキア
   の名祖の人物で
   英雄アキレウスの養育者
 ↓↑    ↓↑

   フォイニクス(Phoinix)
   深紅色を意味する古代ギリシア語
   神話・伝説中の
   2人の人物
   1羽の鳥が有名
   ↓↑
   フェニックス(Phoenix)
   ↓↑
   フェニキア王
   アゲノル(Agēnōr)の子
   ゼウスにさらわれた妹
   エウロペの捜索を父に命じられ
   兄弟の
   カドモス・・・化土模す?
   らと旅に出たが
   発見できず故国には帰らず
   シドン(orテュロス)に定住し王となった
   フェニキア人の民族名の名に由来
 ↓↑    ↓↑
   フェニキア人
   ギリシア語
   フォイニケス(Phoinikes)
   ラテン語
   ポエニ(Poeni)
   カルタゴ人を意味
   意味は
   キナフと同義
   テュロス王
   アゲノル(Agēnōr)の子の一人
   フォイニクス(Phoinix)
 ↓↑    ↓↑
   カルメル山の山腹の洞窟に
   旧石器時代後半から
   ナトゥフ時代(ナトゥフ文化)
   にかけて狩猟民が住み
   原始的な定住農耕に向かった・・・
 ↓↑    ↓↑
   ほうおう座(鳳凰座)=Phoenix
   晩秋の地平線近く
   南天の星座
   不死鳥(フォイニクス)
   500年ごとに火中に身を投じ
   生命を新たに蘇(よみがえ)らせる
   ドイツの天文学者
   J.バイヤーが
   星図「ウラノメトリア・Uranometoria」
   で新設した南天12星座の一
   α星ザウラクが光度2.4等
   ほかには目につく輝星はない
   概略位置は
   赤経1h0m,赤緯-48゜
   午後8時の南中は12月上旬
 ↓↑    ↓↑
   フォイニクス(Phoenix)
  「やしの木=なつめやし=棕櫚・棕梠・椶櫚」
   を意味する語根に由来
   地名
   囚人のパウロがローマに行く時に
   乗った穀物船は
   冬の停泊地を求めて
   良い港から
   フォイニクス・・・クレタの南側
   に向けて出帆
   船は嵐に遭って
   マルタ島で難破
 ↓↑ ↓↑
 エウロパ
 フェニキアの王
 アゲノルの王女

 ポエニ戦争(羅 Bella Punica)
 共和政ローマ
 と
 カルタゴ
 との間で
 地中海の覇権を賭けて争われた一連の戦争
 ポエニとは
 ラテン語で
 フェニキア人(カルタゴはフェニキア系国家)
 を意味
 紀元前264年
 ローマ軍による
 シチリア島上陸から
 紀元前146年
 カルタゴ滅亡まで3度にわたる戦争
 ↓↑
 紀元前264年~紀元前241年
 シチリア島をめぐる
 一連の戦闘と海戦
 シチリア島
 西半分がカルタゴ領
 東半分がギリシア人勢力の
 シラクサ
 北東の
 メッシーナは
 カンパニア人の傭兵部隊
 マメルティニが占領
 シラクサの僭主
 ヒエロン2世は
 マメルティニに対して攻撃を開始し
 マメルティニは
 ローマとカルタゴ
 の両方に助けを求めた
 ↓↑
 カルタゴ出兵
 ローマも
 マメルティニと同盟を結び
 紀元前264年
 出兵
 マメルティニは
 カルタゴ軍を追い出して
 ローマ軍を市内に入れた
 カルタゴ軍は城外には出たが撤退せず
 シラクサ軍も近くに陣を構えていた
 ローマ軍が両軍を攻撃
 カルタゴ・シラクサに勝利
 紀元前263年
 シラクサは
 ローマと講和して同盟
 ↓↑
 紀元前262年
 ローマは
 カルタゴが守る
 アグリゲントゥム(アグリジェント)
 を攻略
 ローマは
 カルタゴの補給を断つ
 大艦隊を建造
 カラス装置(コルウス)
 ↓↑     ↓↑

 ・・・コルウスorコルバス (corvus)
    ガレー船に備え付けられた
    渡し板、梯子
    「コルウス」はラテン語で
    「カラス」を意味
    日本語訳で「カラス」が使われる・・・?
    「カラス」が餌を啄む姿に似ている・・・?
    ポリュビオスによれば
    幅1.2メートル、長さ10メートル程度の
    「架橋(艦上桟橋)」
    滑車により通常は
    船体の甲板上に折りたたんである
    架橋の先端には
    鋭い爪が下方に伸びており
    海戦で船体がぶつかった時に
    滑車を使って架橋を降ろし
    先端を敵船の
    甲板に打ち込ませて固定し
    敵船に乗り移る
    ローマの軍団兵は
    カルタゴ兵よりも
    白兵戦に長けていたので
    「コルウス」によって
 ↓↑  海戦でも有利に展開した・・・
 を用いた
 接舷戦闘で海戦に勝利
 ローマは
 アフリカ上陸
 紀元前255年
 スパルタ人傭兵隊長
 クサンティッポ
 率いるカルタゴ軍に
 チュニスの戦いで大敗
 撤退の最中に海難事故で
 6万の兵を失った・・・
 紀元前249年
 カルタゴは
 ハミルカル・バルカ将軍(ハンニバルの父)
 をシチリアに送った
 ハミルカル
 は勝利を重ね
 シチリア島全土の支配を獲得
 紀元前244年
 カルタゴで権力を握った
 大ハンノは
 海軍を縮小し
 ローマは艦隊を再建
 紀元前241年3月10日
 アエガテス諸島沖の海戦で
 ハミルカルは補給を失い降伏
 「第一次ポエニ戦争」決着
 ↓↑
 「第二次ポエニ戦争」
 紀元前219年~紀元前201年
 ハンニバル
 によるローマ侵攻
 ハンニバル戦争
 カルタゴは
 シチリアを失い
 ハミルカル・バルカ
 イベリア半島を制圧し
 諸部族の軍隊を養成
 ハミルカルの死後、長男の
 ハンニバル
 はローマとの戦争を決意
 ローマと同盟していた
 イベリア半島の都市
 サグントゥム(サグント)
 を陥落させ
 第二次ポエニ戦争開戦
 ハンニバルは
 5万の兵と37頭の戦象を連れ
 アルプス山脈を越えて
 イタリア半島各地で
 ローマ軍を撃破
 紀元前216年
 カンナエの戦い(カンネーの戦い)
 馬蹄型の陣形で
 ローマ軍を完敗させた
 補給に不安を抱えていたハンニバル軍は
 イタリアの諸都市を
 ローマから切り崩す戦略を優先
 敗北したローマは
 ファビウス・マクシムス・クンクタトルの
 「持久戦法」を採用
 マルクス・クラウディウス・マルケッルスは
 ハンニバル軍に対して
 会戦は避けながら戦闘を仕掛け
 ハンニバルを悩ませ
 ローマへ進軍は許さず
 イタリア半島では
 一進一退の膠着が続いた
 ハンニバルは
 本国との連携や補給を取ることができず
 ローマ軍の
 スキピオ・アフリカヌス(大スキピオ)に
 ハンニバルの本拠地
 スペインを攻略され
 北アフリカへ逆に侵攻された
 カルタゴ本国での敗戦に
 ハンニバルは本国に召還
 その後
 大スキピオに
 ザマの戦い(紀元前202年)で
 第二次ポエニ戦争は
 カルタゴの敗北
 ↓↑
 ローマを裏切り
 ハンニバル側についた
 シチリア島の
 シラクサ防衛で
 アルキメデスも参加
 発明した兵器は
 マルケッルス
 ローマ軍に損害を与えた
 シラクサ陥落に際し
 マルケッルスは
 アルキメデスを殺すなとの命令
 だが
 配下の兵によって殺された
 アルキメデスは
 地面の上に図形(円周率の計算)
 を描いて計算
 ローマ兵がこれを踏み
 「わしの図形を踏むな」と叫び
 怒った兵士に殺されてしまった
 ↓↑
 第三次ポエニ戦争
 紀元前149年~紀元前146年
 カト・ケンソリウス(大カト)
 が
 スキピオ・アエミリアヌス(小スキピオ)
 をしてカルタゴを滅亡させた
 カルタゴ
 と
 ヌミディア
 との紛争を条約違反とし
 ローマは
 カルタゴに対し内陸への遷都を要求
 拒否したカルタゴを攻囲し、破壊
 ローマ軍は
 住民のほとんどを殺すか奴隷にした
 さらに
 土地を塩で埋め尽くし
 不毛の土地にしようとした・・・
 ↓↑
 ポエニ戦争
 海外領土(シチリア)は安価な穀物を
 ローマに流通させ、食料供給を向上させたが
 自作農の窮乏を招いた
 イタリア半島の農地は荒廃
 大規模農家が農地を集約させ
 商用農作物を奴隷に栽培させた
 ↓↑
 第二次ポエニ戦争
 元老院の指揮権を拡大
 ↓↑ 
 第三次ポエニ戦争
 シチリア、コルシカ、サルディーニャ
 ヒスパニア、アフリカ(カルタゴ)
 をローマの属州とした
 ローマ軍の主力
 中小の自作農を没落させ
 軍団を弱体化した
 裕福な平民層(プレープス)は
 新たに獲得した利権を利用し
 従来の貴族(パトリキ)に合流して
 新貴族(ノビレス)と呼ばれる層を形成
 貧富の格差の拡大
 古代地中海の文明化が
 ヨーロッパに渡された
ーーーーー
 「伊予之二名島の顔の一つ(古事記)」
 伊豆・伊曽保=伊蘇普(イソップ)
 伊太利(イタリア)
 伊吹(イぶき)
 伊予柑(いよカン)
 伊呂波(イロハ)
 伊部焼(いんべやき)
 伊(かれ)・伊(これ)
 伊達(だて)
 伊達巻(だてまき)
 伊藤 
 ↓↑
 伊=亻+尹
   イ
   かれ
   これ
   ただ
   かの
   第三人称
   この
   語調を整える助詞
   河南省n川の名=伊水
   伊太利
   人名名のり
   いさ・おわむ・ただ・よし
   地名
   伊串(いくし)和歌山県
   伊丹(いたみ)兵庫県
   伊井(いい) 福井県
   伊仙(いせん)鹿児島県
   伊佐(いさ) 沖縄県
 ↓↑
   尹=ヨ+丿
     イン
     おさ
     おさめる
     ただす
     長官
     安定させる
     乱れないようにする
     かみ
     四等官(シトウカン)
     弾正台の第一位
ーーーーー
 ・・・ダブった・・・?
  中井桜洲
 (なかい おうしゅう)
 幕末・明治の政治家・鹿児島藩士
 幼名は休之進、通称は弘
 18才で脱藩
 諸藩の志士と交遊
 後藤象二郎の知遇を得て英国に留学
 帰国後
 宇和島藩
 伊達宗城に招かれ仕えた
 滋賀県知事・元老院議官・京都府知事
 等を歴任
 詩文を能くした。明治27年(1894)歿、57才
 ↓↑
 中井 弘(なかい ひろし・ひろむ)
 天保9年十一月二十九日(1839年1月14日)
 ~
 明治27年(1894年10月10日)
 薩摩藩士
 外交官、政治家
 号は桜洲(桜州山人)・・・桜島のある国?
 別名
 横山休之進、鮫島雲城、後藤休次郎
 田中幸介、中井弘蔵
 鹿鳴館の名付け親
 著書に
 『合衆国憲法略記』
 『西洋紀行航海新説』・・・・・?
 『魯西亜土耳其漫遊記程』・・・?
 明治の怪傑、奇人、滑稽家
 ・・・「西洋史」を研究した人物・・・鹿児島人・・・
 ↓↑
 桜島
 古代に「鹿児島」と呼ばれていた
 1334年(建武元年)
 頃の記録では
 「向嶋」と呼ばれ
 1476年(文明八年)以降
 「桜島」の名称が記録に現れ
 その後
 「向嶋」と「桜島」の名称が併存
 1698年(元禄十一年)
 薩摩藩の通達で
 桜島の名称に統一
 「向嶋」の名称は
 東西南北どの方向から眺めても
 こちらを向いているように
 見えることに由来
 御岳は
 「筑紫富士」とも
 ↓↑
 「桜島」の名称由来
 三説
 島内に
 木花咲耶姫命を祭る神社が在った
 島を「咲耶島」と呼んでいたが
 転訛して「桜島」となった
 『麑藩名勝考』『三国名勝図会』
 10世紀中頃
 大隅守を勤めた
 桜島忠信の名に由来
 ↓↑
  桜  島  忠 信
 (さくらじま ただのぶ)
 平安時代中期の官人
 姓は宿祢
 官位は外従五位下・大隅守
 姓は櫻嶋
 文章生
 大学寮の
 字(あざな)では
 櫻藝と称され
 文章生の年長者としての堂監を務めた
 4年にわたり堂監
 除目で任官の機会に恵まれず
 一方で大学寮に属していない者が
 財力を背景に
 文人職を得
 憂いた忠信は
 官位の売官が横行していると
 批判し
 官吏社会の腐敗を鋭く諷刺した
 落書を出した
 本朝文粋には
 『桜島忠信落書』として収録
 この落書によって
 忠信の大隅守が決まった・・・
 ↓↑
 大隅守となった忠信は
 在庁官人らの職務怠慢を糾問するため
 郡司を召した
 白髪の翁が出てき
 白髪の翁を見て憐れに思った忠信は
 翁に一首詠ませた
 『老いはてて
  雪の山をばいただけど
  霜と見るにぞ
  身はひえにけり』
 と返した
 忠信は、翁の罪を赦した・・・
 逸話は
 『今昔物語集』
 『宇治拾遺物語』
 にも収録
 地名の桜島は忠信の姓から由来・・・
 『麑藩名勝考』
 ↓↑
 海面に
 一葉の桜の花が浮かんで「桜島」ができた・・・
 『麑藩名勝考』
 ↓↑
 犬上県(いぬかみけん)⇔長浜県
 1872年(明治四年)
 近江国北部を管轄するために設置
 滋賀県北部や東近江市の大部分
ーーーーー
 ・・・???・・・


サラセン(Saracen)・・・大食いを「さらすなッ、あばくなッ・曝せ、暴け」?

$
0
0
 W(ダブリュウ)之・・・奥州・欧州・桜洲・応酬・押収?
 酔う路通端(ようろっぱ)⇔讃良選・沙羅染(サラセン)・・・
 サラセン(Saracen)
      ・・・「さら・晒・曝・曬」せん・・・
      ・・・「さらすなッ、あばくなッ・曝せ、暴け」?
          曝=日+暴・・・曝露(ばくろ)・暴力
            日+日+㳟
            日+日+共+氺・・・日々、共に水の中?
            日+日+龷+八+氺
            日+日+卄+一+八+氺
            日+日+一+丨+丨+一+八+氺     
 古代ローマ人が
 シリア付近の
 アラブ人に対して用いた呼称
 中世ヨーロッパではイスラム教徒をさす
 「イスラム=サラセン=大食(タージ)=caliphate)と呼ばれる政権・・・
            大食=アラブ部族
              =タイイ族 (Tayy)
              =タジク人・・・・太肉・多字句・截字句?
 アッバース朝=エジプト、バビロニアの伝統文化を基礎にし
        インド、アラビア、ペルシア、中華、ギリシア
        などの諸文明の融合させた「サラセン文化」・・・
    「ウンマ」=「イスラム共同体」のアラブ人支配階級の文化・・・
    「ウンマ =アラビア語で母と同義」
         現代では民族・国民・共同体などを意味
    「ウンマ・イスラーミーヤ=イスラーム共同体
                 イスラーム国家」
ーーーーー
 応県(オウケン)・・・応じて懸ける?
 中国
 山西省・・・賛成・三世・参政・産生・酸性・纂成
 朔州市・・・朔(ついたち・サク)の・・・壱日・作・昨・咲
         朔=屰+月
           䒑+屮+月
           丷+一+屮+月
           䒑+凵+丿+月
           丷+一+凵+丿+月
           サク
           きた
           ついたち
           陰暦の月の最初の日
           朔(new moon)
           月と太陽の視黄経が等しくなること
           (本来
            月の始まりを
            日没時に見える
            月が
            観測される時点
            その時刻のことで
            観測出来るのは
            陰暦「三日月=朏」が「新月」)

          「現今新月」と同義なのは
           暗月=闇夜=地球⇒月←太陽
           月の形は観測できない
           皆既日食や金環日食時に
          「新月」の輪郭を見ることができる
           第一日
           天子が諸侯に与えたこよみ
           きた・方位の北
           十二支の第一番の子が北に位
           月食(lunar eclipse)
           太陽→地球→月
           地球の影が月にかかり
           月が欠けて見える現象=月蝕

       州(くに・ス・シュウ)の・・素・周・集
       市(いち・シ)・・・・壹・位置・史・詞
 唐朝
 により設置された
 金城県・・・・・金(かね)の城(しろ)を県(懸ける)?
 が前身
 五代十国時代・・・醐代拾故句字戴?
 後唐の・・・・・・語当・語等・語問(答)
 応州の州治・・・・応酬
 明朝
 が成立すると
 洪武初年に
 金城県は廃止
 応州直轄とされ
 1913年(民国二年)・・・民の国の二の年 州制廃止で
 応県と改称
 1949年~1952年
 察哈爾省
  ・・・察哈爾省(チャハル-ショウ)
     中華民国にかつて存在した省
     モンゴル族の部族名チャハルに由来
     塞北四省の一

 ↓↑ ↓↑
 察=宀+祭
   サツ
   あきらか
   しる
   みる
   あきらか
   あきらかにする
   よく見る
   くわしく知る・くわしく調べる
   見分ける・区別する
   さっする・おしはかる・思いやる
   忖度?
   御明察
 ↓↑ ↓↑
   仰観俯察・・・行間譜冊?
     目に入る様々なものや、現象を観察すること
   察言観色・・・察元鑑識?
     人の言葉や表情
     顔の様子から相手の性格や考え方を見抜くこと
    「色」は表情や顔つき言葉を観察する
    「言を察して色を観る」とも読む
   彰往察来・・・照皇殺等意?
     昔の出来事を明らかにし
     先のことを予測すること
    「彰」は明らかにする意
    「察」は様々な事情を考えること
    「往を彰かにして来を察す」とも読む
   明察秋毫・・・名刹集合(習合)?
     どんな小さなことも見逃さない
     非常に優れた洞察力
    「秋毫」は秋に生え変わる獣の細い毛
     その細い毛さえも見分ける意
 ↓↑ ↓↑
 哈=口+合
   口+亼+口
   口+人+一+口
   コウ
   ゴウ
   ソウ
   ハ
   すする
   魚が数多く集まるさま
   魚が口をぱくぱく動かすさま
   すする・すすり飲む
   外国語の「ハ」の音訳
 ↓↑ ↓↑
 爾=一+八+冂+丨+㸚
   一+八+冂+丨+爻+爻
   一+八+冂+丨+㐅+乂+爻
   一+八+冂+丨+爻+㐅+乂
   一+八+冂+丨+㐅+乂+㐅+乂
 爾=尓=𠂉+小(亅+ハ)・・・髪挿しの鍵は葉?
   ジ
   ニ
   その
   なんじ
   おまえ・あなた
   二人称の代名詞
   その・それ
   この・これ・ここ
   かれ・指示代名詞
   しかり・しかく
   かくのごとし・そのとおり
  「のみ」と読み、「~だけ」の意
   他の語の下に添えて、状態を表す
 ↓↑ ↓↑
 の管轄
 1958年に廃止
 山陰県に編入・・・纂の韻(音)に懸ける
 1960年に再設置
 ↓↑ ↓↑
  中 井 桜 洲
 (なかい おうしゅう)
 幕末・明治の政治家・鹿児島藩士
 幼名は休之進
 通称は弘
 十八才で・・・拾捌差異?
 脱藩・・・・・奪葉務?
 諸藩の
 志士と・・・・詩史・詩誌・史誌・誌紙?
 交遊
 後藤象二郎
 の知遇を得て
 英国に留学・・・イングリッシュ (English)
 ↓↑      英語(English language)
         イングリッシュ (Engrish)
         非英語圏の人が使う奇妙な英語
         音愚(具・倶・禺)理通諏?
         イングランドの
         イングランド人
        (English people
 ↓↑      Englishman or woman)
 帰国後
 宇和島藩
 伊達宗城
 に招かれ仕えた
 滋賀県知事
 元老院議官
 京都府知事
 等を歴任
 詩文を能くした
 明治二十七年(1894)歿、57才
 ↓↑ ↓↑
 中井 弘(なかい ひろし・ひろむ)
 天保九年十一月二十九日
 (1839年1月14日)
 ~
 明治二十七年
 (1894年10月10日)
 薩摩藩士
 外交官、政治家
 号は桜洲(桜州山人)
 別名
 横山休之進、鮫島雲城、後藤休次郎
 田中幸介、中井弘蔵
 「鹿鳴館」
 の名付け親
 著書に
 『合衆国憲法略記』
 『西洋紀行-航海-新説』
 『魯西亜-土耳其-漫遊記程』
 明治の怪傑、奇人、滑稽家
 ↓↑ ↓↑
 犬上県(いぬかみけん)⇔長浜県
 1872年(明治四年)
 近江国北部を管轄するために設置
 滋賀県北部や東近江市の大部分
 ↓↑ ↓↑
 犬上(いぬがみ)神社
 琵琶湖のほとり
 湖東の犬上郡中央部、豊郷町に鎮座
 犬上郡のある近江の国は
 百済から入植した帰化人が開いた土地
 犬上郡の地名にもなっている
 犬上氏は
 天日槍(あめのひぼこ)
 ↓↑ ・・・・『日本書紀』で
        「天日槍」
        『 古事 記』で
        「天之日矛」
        他文献では
        「日桙(ひぼこ)」
        「天日槍命・天日桙命」
        「海檜槍(あまのひぼこ)」
        『日本書紀』の
         垂仁天皇三年三月条
         新羅王子と名乗る・・・・新羅
         天日槍が渡来し
         羽太の玉
        (はふとのたま) 1箇
         足高の玉
        (あしたかのたま) 1箇
         鵜鹿鹿の赤石の玉
        (うかかのあかしのたま) 1箇
         出石の小刀
        (いづしのかたな) 1口
         出石の桙
        (いづしのほこ) 1枝
         日鏡
        (ひのかがみ) 1面
         熊の神籬
        (くまのひもろき) 1具
 ↓↑      などを献上
 とともに
 百済から・・・百済
 渡来した豪族
 犬上郡の県主(あがたぬし)だった
 神社は犬上氏の祖を祀っている
 ↓↑ ↓↑
 犬族が蛇族を征伐?
 ↓↑ ↓↑
 王脩(王修)
 叔治
 魏. 生まれ
 青州北海郡営陵県
 王脩(オウシュウ)
 字は叔治(シュクジ)
 魏書列伝
 袁紹(エンショウ)始め
 北方の群雄への忠誠を誓い
 清廉忠直
 司空掾・行司金中郎将・魏郡太守を歴任
 賞罰を厳格に定めた法を制定
 建安二十一年(216年)
 大司農兼郎中令
 ↓↑ ↓↑
 アムル人
 紀元前2000年期前半
 中東各地で権力を握った諸部族
 アッカド語はアムル(Amurrū)
 シュメール語はマルトゥ(mar.tu)
 旧約聖書は
 アモリ人=エモリ人
 ハムの子である
 カナンの諸部族の一
 アラム人と混同されるが
 全く別ものである
 ↓↑ ↓↑
 (Margat、Qalaat al-Marqab)
 ↓↑ ↓↑
 桜島
 古代に「鹿児島」と呼ばれていた
 1334年(建武元年)
 頃の記録では
 「向嶋」と呼ばれ
 1476年(文明八年)以降
 「桜島」の名称が記録に現れ
 その後
 「向嶋」と「桜島」の名称が併存
 1698年(元禄十一年)
 薩摩藩の通達で
 桜島の名称に統一
 「向嶋」の名称は
 東西南北どの方向から眺めても
 こちらを向いているように
 見えることに由来
 御岳は
 「筑紫富士」とも
 ↓↑ ↓↑
 「桜島」の名称由来
 三説
 島内に
 木花咲耶姫命を祭る神社が在った
 島を「咲耶島」と呼んでいたが
 転訛して「桜島」となった
 『麑藩名勝考』『三国名勝図会』
 10世紀中頃
 大隅守を勤めた
 桜島忠信の名に由来
 ↓↑ ↓↑
  桜  島  忠 信
 (さくらじま ただのぶ)
 平安時代中期の官人
 姓は宿祢
 官位は外従五位下・大隅守
 姓は櫻嶋
 文章生
 大学寮の
 字(あざな)では
 櫻藝と称され
 文章生の年長者としての堂監を務めた
 4年にわたり堂監
 除目で任官の機会に恵まれず
 一方で大学寮に属していない者が
 財力を背景に
 文人職を得
 憂いた忠信は
 官位の売官が横行していると
 批判し
 官吏社会の腐敗を鋭く諷刺した
 落書を出した
 本朝文粋には
 『桜島忠信落書』として収録
 この落書によって
 忠信の大隅守が決まった・・・
 ↓↑ ↓↑
 大隅守となった忠信は
 在庁官人らの職務怠慢を糾問するため
 郡司を召した
 白髪の翁が出てき
 白髪の翁を見て憐れに思った忠信は
 翁に一首詠ませた
 『老いはてて
  雪の山をばいただけど
  霜と見るにぞ
  身はひえにけり』
 と返した
 忠信は、翁の罪を赦した・・・
 逸話は
 『今昔物語集』
 『宇治拾遺物語』
 にも収録
 地名の桜島は忠信の姓から由来・・・
 『麑藩名勝考』
 ↓↑ ↓↑
 海面に
 一葉の桜の花が浮かんで「桜島」ができた・・・
 『麑藩名勝考』
 ↓↑ ↓↑
 「鹿鳴」=『詩経(小雅)』
     「鹿鳴の詩」に由来・来客をもてなす語
     「呦呦鹿鳴、食野之苹
     (呦呦と鹿は鳴き
      野の苹〈よもぎ〉を食う)」
ーーーーー
 ・・・???・・・

内愛嬌の外そんぶり・・・カラスのス・・・?

$
0
0
 ・・・サラ(讃良)が嘗めたネコ(根子)が科を負う・・・? 「アイ」のカンジ・・・なめる・・・大嘗め・・・
 ↓↑
 臥薪嘗胆・・・『史記(越世家)』
        『十八史略(春秋戦国)』
 呉越・夫差・会稽山・勾践
 ↓↑
 舐=舌+氏
   千+口+氏
 䑛=舌+氐
   千+口+氐
   舌+氏+一
   千+口+氏+一
   シ
   なめる
   ねぶる
   舌の先でなめとる
 ↓↑
 舓=舌+易
   舌+日+勿
   千+口+易
   千+口+日+勿
   舌+日+勹+丿+丿
   千+口+日+勹+丿+丿
 ↓↑
 嘗=龸+口+旨
   ⺌+冖+口+旨
   龸+口+匕+日
   ⺌+冖+口+匕+日
   丨+丷+冖+口+旨
   丨+丷+冖+口+匕+日
   ショウ
   ジョウ
   かつて
   こころみる
   なめる
   舌で味わう
   ためしてみる
   かつて・過去・以前
   その年に
   新しく収穫した穀物を
   神に供える秋の祭り
 ↓↑
   皿嘗めた猫が科を負う
   塩を売っても手を嘗めろ
   辛酸を嘗める
   ちょっと嘗めたが身の詰まり
 ↓↑

 「愛=喰える事・喰わす事=㤅=爱」で
 「満腹」を願うコトだけれど・・・
  ↓↑
 「アイ=愛=㤅( 旡心)
      =𢟪(既心)
      =𢙴(旡心夊)
      =爱(爫+冖+友)
        =爫+冖+友(ナ又)・・・爱憎」
       爰=爫+一+友(ナ又)・・・援助
       受=爫+冖+又・・・・・・・受領
  ↓↑
 今現在の自分自身の余裕ある備蓄の食糧を
 今現在、空腹の者に分け与えるコト・・・
 「協同体(共同体)」の「飢餓」からの解放は
 「倉庫の備蓄食糧」の開放分配・・・
  ↓↑
  旧字の「㤅」は・・・満腹になってのぞける・・・つかえる・むせぶ
           腹がいっぱいになって、ため息をつく様
           食べつくす・つきる・・・
           𢟪=既に心(心腹=満足)
           呉音 : ケ・・・?
           漢音 : キ・・・?
           訓読み
           つくす・つきる・つまる
           尽くす・尽きる・詰まる
           いきつまる
           むせる=咽る=口+因(囗+一+人)
               噎せる=口+壹(十+一+冖+豆)
                     豆=𠮛(一口)+ᅭ(䒑)
               旨=𠫔=一+ム
                 㫖・𣅌・𠤔・𤮻・𠩊・𠮛
                =うまい・おいしい
           満腹で(胸)がつまる、いっぱいとなる
 㒫の古字(古文) 旡
  訓読みは「むせぶ・つまる」
 音読み「キ」
 象形. 漢字構成「旡」
 異体字「兂・㒫・𠘸・⺛」
 声符「旡・㤅・旣」
  ↓↑
 下部に夊がくっついて「𢙴」
 上部の旡が変化して「𢜤」
 新字の「愛=爪(⺥)+冖+心+夊」
    ・・・爪⇔牙⇔旡
     字形は「亅」が「𠄌→乚」に変化?
  ↓↑
 〔説文〕五下に
   「愛は行く皃なり」・・・子の成長(行・歩)?
      行=彳+亍
      ↓↑彳+一+丁
        彳+二+亅
        彳+一+一+亅
        ノ+ィ+一+一+亅
        ↓↑
        彳=テキ
          少し歩む
       「彳亍(てきちょく)」
        少し歩いては立ち止まること
        亍=チョク
          とどまる・たちどまる
          すこし歩く
      ↓↑  狭い歩幅で歩く
      行=ギョウ
        コウ
        アン・・・行灯(アンドン・行燈)
        いく
        おこなう
        ゆく
        しぬ(逝・逝去)
        みち(道・路)
        やる(行動・行為)
        歩く・進む・巡(めぐ)る
        動かす・ゆかせる
        する・なす(為)
        道路・道程(みちのり
        ゆくゆく・歩きながら
        みちすがら・ゆきゆきて
        たび=旅
        経る・経過する
        書体の一=行書・・・くずし(崩)字
        ふるまい(振る舞い)
        よいおこない=行儀
        ならび・列・文字の並び=文字列
        みせ・商店・仲介所
        兄弟の順序
        行く「児・皃=兒=臼+儿」=子(幼児)の歩行
              ・・・臼・𦥑=E+ヨ
        旅立つ子への思い・・・意句字=育児・生路?
  ↓↑
 異體字(𢙴)=愛=𢟪
  ↓↑
 「㤅」=「旡」+「心」
 「𢙴」=「旡」+「心」+「夂」
 「旡」は後ろを振り返る人
 「夂」は人の足
 「心」は心情
 「心が揺れて足を止める様子」
  ↓↑
 《說文》曰=「㤅,惠也」
ーーーーー
 愛屋及烏・・・(阿意緖句究有・蛙井織句究鵜)?
     溺愛・盲愛・『説縁(貴徳)』
 愛及屋烏・・・(蛙意究奥胡)?
  ↓↑
 愛月撤灯・・・(蛙意解通綴当)?
     物の可愛がる程度が
     極めて激しいこと・『開元天宝遺事』
  ↓↑
 愛財如命・・・(蛙意座位除名・助命・舒明・徐銘)?
             除=阝+余=邑の余り
               左辺=こざと・阜・丘・・・昇 る梯子(阜)
               右辺=おほざと・邑・・・・降りる大里(邑)
     財産を命と同等に扱うこと
     命よりも財産を大切にすること
  ↓↑
 愛多憎至・・・(藍田増資)?
  ↓↑
 愛多憎生・・・(姶詫増勢)?
  ↓↑
 愛別離苦・・・(合意部通理句)?
     愛する人との生別または死別での
     悲しみや苦しみ
  ↓↑
 愛楊葉児・・・(合意用葉字)?
     浅い知識のままで満足すること
  ↓↑
 屋烏之愛・・・(緖句胡史阿意)?
  ↓↑
 甘棠之愛・・・(巻頭之合・相)?
          之合⇔詞合・史合・諡号?
     すぐれた為政者を慕う深い気持ち
    「甘棠=からなし・りんごの木」
     『詩経(召南・甘棠)』
  ↓↑
 強食自愛・・・(教職字合)?
     充分食事をとって健康に気遣うこと
    「彊食」は無理にでも食事をすること
     『越絶書(越絶外伝記呉王占夢)』
 彊食自愛・・・(共食・矯飾字蛙意)?
  ↓↑
 敬天愛人・・・(経典合示務)?
     西郷隆盛『南洲遺訓』
  ↓↑
 兼愛交利・・・(県内・建内・簾内+国府里
                 郡・古宇利・高麗)?
     全ての人を愛して
     互いに利益を与え合うこと
    「墨子が儒教の仁愛」を
     差別愛と批判した思想
     『墨子(兼愛・中)』
  ↓↑
 兼愛無私・・・(建姶無史)?
     『荘子(天道)』
  ↓↑
 三千寵愛・・・(纂前帳合)?
     たくさんの侍女にかける寵愛
     元は
     たくさんの女性にかけるべき愛情を
     一人だけに向けてしまうこと
     唐の玄宗皇帝は
     三千人ほどの美女がいたが
     楊貴妃は寵愛を独り占めした故事
     白居易「長恨歌」
  ↓↑
 舐犢之愛・・・(シトクのアイ)
         試読 試合?
     親が自身の子を溺愛すること
     「犢=牛の子」
      『後漢書(楊彪伝)』
  ↓↑
 相思相愛・・・(創始想蛙意・草紙想合)?
  ↓↑
 尊尚親愛・・・(尊称心内)?
  ↓↑
 忠君愛国・・・(注訓合語句)?
  ↓↑
 寵愛一身・・・(帳合一審)?
     白居易「長恨歌」
  ↓↑
 氾愛兼利・・・(版合権利)?
     『荘子(天下)』
  ↓↑
 汎愛博施・・・(本合白紙)?
  ↓↑
 冰炭相愛・・・(瓢箪相合)?
 氷炭相愛・・・(彪譚蘇胡合)?
  ↓↑
 墨子兼愛・・・(朴氏・牧師・兼合)?
     『孟子(尽心・上)』
  ↓↑
 和顔愛語・・・(倭元愛護)?
  ↓↑
 諺=言+彦(比古・飛虎・肥子)
 愛多ければ憎しみ至る
 愛想づかしも金から起きる
 愛想も小想もつきはてる
 愛は惜しみなく与う
 愛は小出しにせよ
 愛は憎悪の始め
 屋烏の愛
 男は度胸、女は愛嬌
 舐犢(シトク)の愛
 外愛嬌の内そんぶり・・・?
      ・・・そんぶり (群馬の方言)
         そのような振り=しぐさ・様子・顔つき
         そんなふり
         無愛想
 寵愛昂じて尼になす
 汝の敵を愛せよ
 汝の隣人を愛せよ
 馬鹿な子ほど可愛い
 氷炭相愛す
 孫は子より可愛い
 身ほど可愛いものはない
ーーーーー
 ・・・???・・・白々しい・・・

五臓六腑(五臓:肝・心・脾・肺・腎)・・髀蔵・脾臓・秘蔵・卑蔵・・・

$
0
0
 蝸牛角上の 争い・・・鍋(なべ)の蓋(ふた)が鳴るトキ
 ・・・鍋(なべ)の蓋(ふた)が鳴るトキ・・・?
 ・・・釜(かま)の蓋(ふた)が鳴るトキ・・・?
 ・・・ご飯が炊(た)ける絶好中・・・吹(噴・ふき)上げる湯気・・・ 「亠=鍋の蓋・音の漢字の略字」
 ならば
 「ᅭ=釜の蓋の漢字の略字」か・・・ツマミが二つ?
 ↓↑
 釜蓋神社=鹿児島県南九州市頴娃町別府6827
 栃木県の北部(那須地方)
 8月1日「釜蓋朔日」に炭酸まんじゅうを13個お供えし食べる風習
 千葉県山武郡・横芝光町・虫生(むしょう)
 8月16日行なわれる「鬼来迎(きらいごう)」
 ↓↑
 「初めちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣いてもふた取るな」
 「初めちょろちょろ中ぱっぱ、ブツブツいうころ火を引いて
  ひと握りのワラ燃やし、赤子泣くともふた取るな」
 「はじめちょろちょろ中ぱっぱ、ジュウジュウ吹いたら火を引いて
  赤子泣いてもふた取るな」
 ・・・「赤子泣いてもフタ取るな」=「蒸(むらす・むらし)の時間」・・・は
 ・・・「炊き干し法」は日本の炊飯法・・・
 ・・・「湯とり法」はたっぷりの水で一定時間炊飯した後
    「笊(ざる)にあげて蒸すのは「日本以外の国々」・・・
       猿・差留・沙流・讃良・然る・去る
       猿田彦・猿女  鸕野讃良=持統天皇
           猿女=宇受女・・・うぬめ=采女・・・妥・俀⇔倭
 髀=骨+卑・・・卑弥呼
   骨+卑
   冎+月+卑
   冎+月+卑
   骨+甶+丿+十
   冎+月+甶+丿+十
   骨+丿+田+丿+十
   冎+月+丿+田+丿+十
   ヒ
  「もも」・・・腿・股
      ・・・桃に感謝
         速足・速脚
         黄泉
        (よみ・コウセン)の国からの
         逃走の脚力
         ・・・伊邪那岐(伊奘諾)の
            逃走を助けた「桃子(桃実・桃実三)」
                   トウシ=当史(唐史・唐詞)
           「意富加牟豆美(おほかむづみ)命」
                   緖補化務通見・見事
   足の膝(ひざ)から上の部分
       日座・肥坐・・・「卑弥呼の座位(王座)」?
      ・・・「足=たり=拾=十」=多利・垂れる=垂仁天皇
            足=王     多利
           「大業三年 其王 多利思北孤 遣使朝貢
            使者曰 聞海西菩薩天子重興佛法
            故遣朝拜 兼沙門數十人來 學佛法」
           (隋書卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國)
           骨髄・脊髄・・・「隋書⇔髄処」
  「もも」の骨
   大腿骨(ダイタイコツ)
    ・・・「代替・鮾戴・俀他意・台碓」古都
           鮾=魚+妥=あざる・くさる・魚が腐る
           鮾=鯘=魚+委
            =餒=餒=食+妥=食+爫+女
            =うえる・腹が減って苦しむ・くさる(腐る)
             飢える・植える・上留・有重瑠・宇恵留

 ゆっくりと行く・・・かたつむり・蝸・蝸牛・電伝虫・・・
 行=彳+亍
   彳+一+丁
   彳+二++亅
   彳+一+一+亅
   ノ+ィ+一+一+亅
   ↓↑
   彳=テキ
     少し歩む
     「彳亍(てきちょく)」
     少し歩いては立ち止まること
   亍=チョク
     とどまる・たちどまる
     すこし歩く
     狭い歩幅で歩く

  ↓↑
  行
  ギョウ・・・「カラス」の「行水」?         
        「加羅州」 の「イムジン( 臨津江・リムジン)河」
        「臨津江の戦い(イムジンガン)」
         文禄元年五月十八日(1592年6月27日)
        「文禄の役」初期の戦闘
         反攻を企てた朝鮮軍の襲撃を
         加藤清正が単独で撃退・・・
         ↓↑
         鍋(なべ)・眞鍋(まなべ・眞部)
                  ・・・真名部=真名仮名を学ぶ部?
           なべる=並べる(なべて)
               な(並)ぶ連用形+接続助詞て
               全体が同じような状態・程度
               総じて
               おしなべて
               普通であるさま
               しなべて
         鍋島化け猫騒動(ナベしまバケねこ相同?)
         鍋島光茂と臣下の龍造寺又七郎が
         碁の勝負で、又七郎が光茂の機嫌を損ね斬殺
         又七郎の母も飼っていたネコに胸中を語って自害
         母の血を
         嘗めたネコが「化け猫」となり
         毎晩、光茂を苦しめた・・・
         白石を治めていた秀氏の秀伊勢守が
         鍋島氏に尽くしたにもかかわらず
         キリシタンの疑いをかけられて滅ぼされ
         後に秀氏の残党が鍋島氏を怨んで抗った
         秀林寺では
         秀氏一派の暗躍が「化け猫」にたとえられた・・・
         秀林寺 猫塚(ねこづか)
         佐賀県杵島郡白石町福田1644 秀林寺内
  ↓↑  ↓↑   ↓↑
         鍋島 直茂(なべしま なおしげ)
         天文七年三月十三日
        (1538年4月12日)
         ~
         元和四年六月三日
        (1618年7月24日)
         戦国大名
         龍造寺隆信の家老
         肥前佐賀藩の藩祖
         ↓↑
         朝鮮出兵
         文禄・慶長の役
         文禄元年=万暦二十年=宣祖二十五年
         1592年(壬辰)
         に始まって
         文禄二年(1593年)
         休戦
         慶長二年(1597年)
         講和交渉決裂
         慶長三年=万暦二十六年=宣祖三十一年
         1598年
         太閤豊臣秀吉の死
         日本軍の撤退
         ↓↑
         天正二十年の出来事
         龍造寺家臣団を率い
         加藤清正を主将とする
         日本軍二番隊の武将として参加
         ↓↑
         朝鮮出兵を経て
         龍造寺家臣団の
         鍋島直茂への傾倒が促進
         龍造寺政家との不和が噂され
         文禄四年(1596年)
         政家毒殺の企図を噂され
         鍋島直茂は噂を否定する起請文を提出
         ↓↑
         朝鮮出兵において
         直茂は一度も帰国することはなく
         慶長二年(1597年)
         子息の
         勝茂と交代で
         日本に帰国
         ↓↑
         文禄元年への改元は
         十二月八日(グレゴリオ暦1593年1月10日)
         四月十二日の
         釜山上陸で始まった
         戦役初年
         1592年(天正二十年・壬辰)
         ほとんどの出来事は
         天正二十年の出来事
         ↓↑
         1593年
         干支 癸巳
         日本
           天正二十年十一月二十九日~十二月七日
           文禄元年十二月八日~二年十一月九日
         中国
         明  万暦二十一年
         朝鮮
         李氏朝鮮 宣祖二十六年
         ↓↑
         1月10日(天正二十年十二月八日)
         日本、改元して文禄元年
         2月27日(文禄二年一月二十六日)
         碧蹄館の戦い
         3月14日(文禄二年二月十二日)
         幸州山城の戦い
         8月5日(文禄二年七月九日)
         前年(天正二十年四月十二日)
         に開戦した
         文禄の役(日本・李氏朝鮮)の休戦
         11月27日(文禄二年十月五日)
         この日より3日間
         豊臣秀吉が
         後陽成天皇を前に
        「禁中御能」を開き
         徳川家康・前田利家とともに
         狂言『耳引(居杭)』を自ら演じた
         ↓↑
  ↓↑    カラス(烏・鴉・鵶・雅)
     ・・・からす=黒(玄)=加羅州・枯らす・涸らす
     ・・・しらす=白(素)=新羅州・白砂・白子
            新羅(斯蘆(しろ・サロ)の領域は
            元百済の東部を
           「秦」の逃亡移民に分割
            白子=メラニン色素不足
            黒子=くろこ・くろご
               日本人の姓の一つ「黒子(氏族)」
               栃木県山田氏滅亡により出現・・・

 ↓↑     知らす=アポロンの情報伝達「白カラス」
            アポロンの妻
            コロニスが・・・医術の神アスクレーピオスの母
            人間の男の
            イスキュス・・・アルカディア人の旅人
            と不倫していると
            アポロンに密告し
            アポロンは妻を殺害したが
            後で「白カラス」の誤報だったと知り
           「白色カラス」を「黒色カラス」にした・・・
           カラス属の
           ・・・ギリシャ語=コラキ(κοράκι)
                    虎羅紀(記)
                    胡等紀(記)
           大型種は raven
           小型種は crow
           敵対者には集団で
          「モビング(mobbing)=擬攻撃」し身を守る
           からす
           日本語
           烏・鴉・ひもす鳥
           英語
           crow(クロウ)
           raven (レイヴン)
           rook (ルク・ルック)・・・ロック(rock)=磐・岩
           jackdaw (ジャクドー)・・・邪苦道?
           ドイツ語
           Krahe(クレーエ)・・・暮(呉・晦・昏・暗)れぇ~
           Rabe(ラーベ)
           オランダ語
           kraai(クラーイ)・・・暗(昏)
           フランス語
           corbeau(コルボー)
           corneille (コルネイユ)
           freux (フルー)
           choucas (シュカ)
           イタリア語
           corvo(コルヴォ)
           スペイン語
           cuervo(クエルボ)
           ポルトガル語
           corvo(コルヴォ)
           ラテン語
           corvus(コルウゥ・コルウス)
           cornix(コルニクス)
           古代ギリシャ語
           κορωνη(コローネー)
           korax(コラクス)
           現代ギリシャ語
           κοράκι(コラキ)
           koraki(コラキ)
           ロシア語
           ворона(ヴァローナ)
           アラビア語
          (ゴラーブ)
  ↓↑       中国語
  行        烏鴉(ウヤ・ウーヤー)
  コウ
  アン
  いく
  おこなう
  ゆく
  しぬ
  みち
  やる
  ゆく・歩く・進む・巡(めぐ)る
  動かす・やる・ゆかせる
  おこなう・する・なす
  みち・道路・みちのり
  ゆくゆく・歩きながら
  みちすがら・ゆきゆきて
  たび=旅
  経る・経過する・めぐる
  書体の一つ=行書・・・ナゼ、くずし(崩)字
  おこない・ふるまい
  よいおこない=行儀
  ならび・列・文字の並び=文字列
  みせ・商店・仲介所
  兄弟の順序
  ↓↑
 葉=艹+枼
   艹+世+木
   艹+七+廿+十+八
  ↓↑
 渦=氵+咼・・・過去・過大・過失・過度
       坩堝・女媧・喎=口が歪(ゆが)む
           冎=「骨、削る」ではなく
             「間接の凹み」で「嵌る穴」だろう
            or「両腕と肩に載る頭蓋骨」だろう・・・
        蝸=かたつむり・にし・にな・貝の一種
        蝸牛=蝸牛角上の 争い=触氏vs蛮氏
   氵+冎+口
   カ
   うず
   うずまき・水がうずをまく
   うずまき状のもの
   うずを巻いているもの
   中国の川の名「渦水(カスイ)」
   渦中之人(カチュウのヒト)
   蜂房水渦(ホウボウスイカ)
   数多くの家屋が集中して立ち並んでいる様子
   建物が蜂の巣の穴のように隣り合っていて
   水の渦巻きのように連なっている
   杜牧「阿房宮賦」
  ↓↑
  咼=冎+口
   カ
   カイ
   ケ
   口がゆるむ・そのようなさま
  「和氏之璧(カシノヘキ」
   の「和」の用法に同じ
  「和氏之璧=咼氏之璧」・・・?
  ↓↑
  旤=咼+旡
    冎+口+旡
    禍
    禍
    カ
    まが
    わざわい
    不幸・神のとがめ・災難
    わざわいする
    わざわいを与える
    不幸を与える
  ↓↑
  滑=氵+骨
    氵+冎+月
    滑落・潤滑・滑降
    カツ
    コツ
    すべる
    なめらか
    ぬめる
    なめらか
    つるつるしている
    すべすべしている
    物事がとどこおりなく進む
    つっかえずに進む
    ずるい
    乱す・乱れる
    失敗する
    うっかりと口外する
  ↓↑
  猾=犭+骨
    犭+冎+月
    狡猾
    カツ
    みだす
    みだれる
    わるがしこい
    ずるい
    混乱させる・かきみだす
  ↓↑
  腡=月+咼
    月+冎+口
    ラ・・・・等
    指紋
  ↓↑
  窩=穴+咼
    穴+冎+口
    宀+八+咼
    宀+八+冎+口
    眼窩
    カ
    あな
    いわや
    かくす
    かくまう
    むろ
    くぼみ
    すみか・身をかくすところ
    かくす・物をかくす・かくまう
  ↓↑
  骶=骨+氐
    冎+月+氐
    骨+氏+一
    冎+月+氏+一
    テイ
    尻骨・背骨
    尾骨の上辺りの骨
    尾骶骨(びていこつ)
    うしろ
    背後
  ↓↑
  髀=骨+卑
    骨+卑
    冎+月+卑
    冎+月+卑
    骨+甶+丿+十
    冎+月+甶+丿+十
    骨+丿+田+丿+十
    冎+月+丿+田+丿+十
    ヒ
   「もも」・・・腿・股
       ・・・桃に感謝
          速足・速脚
          黄泉
         (よみ・コウセン)の国からの
          逃走の脚力
    足のひざから上の部分
   「もも」の骨
    大腿骨(ダイタイコツ)
    ・・・「代替・鮾戴・俀他意・台碓」古都
  ↓↑
 「脾」=東洋医学
 五臓六腑(五臓:肝・心・脾・肺・腎)
 「脾」は
 「脾臓」とは異なる
 「五臓の脾」
 主に消化吸収などを担って
 解剖学的に対応する臓器は
 「膵臓(すいぞう)」である
 脾臓と膵臓を
 ひとつの臓(脾臓+膵臓=脾)と考えられていた
 膵臓=黄色い組織で、脂肪と考えられ
    脾臓に
    膵臓の機能が割り当てられた・・・
  ↓↑
 脾臓=左脇腹にある造血・リンパ器官であり
    循環器系内に組み込まれた臓器
    門脈=腹部諸臓器
      (大腸・小腸・膵臓・脾臓)
       の静脈から肝臓
       肝臓内へと流れる血管の総称
  ↓↑ ↓↑  ↓↑
    左の上腹部にあり
    上方は横隔膜に
    内側は
    左の腎臓と接し
    前方には胃が存在
    脾臓の大きさ
    長さ12cm
    幅7.5cm
    厚さ5cm程度
    腎臓のようなソラマメに似た形
    重量は100~200g程度
    血液量で変化
    柔らかく
    色は暗赤色
      赤紫色
      煉瓦色
  ↓↑ ↓↑  ↓↑
   左胃大網動脈が
   胃の後で
   膵臓の上縁に沿って
   左側に入り脾動脈となる
   脾臓の表面は
   白く厚い被膜で覆われている
   この皮膜が
   脾動脈にそって
   脾臓の内部まで入り込み
   脾柱という構造を形成
   脾柱はさらに
   脾臓の実質内で
   柱網と呼ばれる網目状になり
   間隙を脾臓実質の
   白脾髄、赤脾髄が埋めている
   脾柱内を通る動脈は
   白脾髄の中心を通る
   脾髄動脈へ分岐
   白脾髄は白い斑状組織で
   細網線維組織の間に
   血液中を移動してきた
   リンパ球など
   免疫を司る血球が集まっている
   動脈は更に細くなり末梢が
   赤脾髄に入る
   赤脾髄は細網線維組織である
   脾索(ビルロート索)と
   細長い袋状に見える
   毛細血管の脾洞からなる赤い組織
   脾洞には赤血球が充満
   脾洞の内皮には
   細網内皮系(マクロファージなど)
   が集まり
   これらの活動によって
   赤脾髄には
   ヘモジデリンの沈着が見られ
   脾洞中には時には
   造血幹細胞が見られる
   脾洞中の血液は
   静脈血となって
   脾柱静脈
   脾静脈を経て
   門脈へ流れ
   一部の血液は中心動脈から
   直接脾洞へ入っている
 ↓↑ ↓↑
 脾臓機能
 免疫機能
 白脾髄で
 B細胞(Bリンパ球)
 Tリンパ球、形質細胞を成熟させ
 血液を増殖の場とする
 病原体に対する
 免疫応答の場となる
 循環血中の
 莢膜を持つ細菌の
 濾過と
 IgMオプソニン抗体を産生する場
 脾摘された人が
 肺炎球菌
 インフルエンザ菌
 マラリア
 などに感染すると重症化
 ↓↑ ↓↑
 造血機能
 骨髄で造血が始まるまでの
 胎生期には
 脾臓で赤血球が作られている
 生後はその機能は失われ
 大量出血や
 骨髄の機能が抑制された状態では
 再び脾臓での造血が行われることがある
 (髄外造血)
 血球の破壊
 古くなった赤血球の破壊を行う
 赤血球中のヘモグロビンを破壊し
 鉄を回収
 ↓↑ ↓↑
 血液の貯蔵機能
 血液を蓄える機能
 人間では
 それほど多くの血液の貯留はされないが
 犬や馬などの動物では
 大量の血液が貯留
 筋肉が
 大量の酸素を必要とするような運動時
 脾臓から
 貯蔵されていた血液を駆出
 充分な酸素を筋肉へ送り届ける
 循環器系の一部で
 機能の代替が行えるため
 手術等によって
 脾臓を失っても
 ただちに致死することはない
 ↓↑
 卨=ト+咼
  =禼=卤+禸
     卤+冂+厶
     卜+龱+禸
     卜+龱+冂+厶
     卜+囗+㐅+禸
     卜+囗+㐅+冂+厶
   セツ
   虫
 ↓↑ ↓↑
 竊=穴+釆+禼=窃=穴+切・・・窃盗
   穴+丿+米+禼
   宀+八+釆+禼
   穴+釆+卤+禸
   宀+八+釆+卤+禸
   穴+丿+米+卤+禸
   穴+釆+卜+龱+禸
   宀+八+丿+米+禼
   穴+釆+卤+冂+厶
   穴+釆+卜+囗+㐅+禸
   穴+丿+米+卜+龱+禸
   宀+八+釆+卤+冂+厶
   宀+八+釆+卜+龱+禸
   穴+丿+米+卤+冂+厶
   宀+八+丿+米+卤+禸
   穴+釆+卜+龱+冂+厶
   穴+釆+卜+囗+㐅+冂+厶
   穴+丿+米+卜+龱+冂+厶
   穴+丿+米+卜+囗+㐅+禸
   宀+八+丿+米+卜+龱+禸
   宀+八+釆+卜+龱+冂+厶
   宀+八+釆+卜+囗+㐅+禸
   宀+八+丿+米+卤+冂+厶
   宀+八+丿+米+卜+龱+冂+厶
   宀+八+釆+卜+囗+㐅+冂+厶
   穴+丿+米+卜+囗+㐅+冂+厶
   宀+八+丿+米+卜+囗+㐅+禸
   宀+八+丿+米+卜+囗+㐅+冂+厶
   ↓↑
 窃=穴+七+刀
   セツ
   ぬすむ
   ひそかに
   こっそり取る・こっそり盗む
   ぬすびと
   ひそかに・人知れず
  ↓↑
 渦の原理=液体でも気体でも
      発生流体やそれに類する物体が
      回転して発生する
      螺旋状のパターン
      渦巻き(うずまき)などとも言う
  ↓↑
 鳴門の渦
 海水が引っ張られ
 水位が最も高くなる満潮と
 水位が最も低くなる干潮が
 約6時間の周期で交互に繰り返し
 その落差の亀裂に海水が落下
 鳴門海峡
 その特殊な地形のため
 満潮と干潮が
 同時に隣り合わせで存在
 太平洋側から満ちてきた潮は
 北上し
 紀伊半島・淡路島・四国
 にぶつかる
 鳴門海峡を挟んで
 瀬戸内海側は満潮
 太平洋側は干潮
 となり
 境目で海面の高低差は
 最大で1.5メートル
 隣り合わせになった
 満潮と干潮の高低差で生じた潮流は
 中央部を流れる速い流れと
 陸地側の遅い流れとの
 速度差で
 回転力が生じる・・・
 1日のうちわずか数時間
 満潮
 と
 干潮
 の前後の時間帯にのみ見られる
 ↓↑
 播磨灘が満潮時に
 鳴門側から見て
 左から右に潮は流れる
 約6時間後
 播磨灘が
 干潮になると
 潮の流れは反対になる
 満潮と干潮で
 大鳴門橋の両側に
 交互に渦潮が生じる
 引き込む力と
 吹き上げる力
 が渦潮・・・
ーーーーー
 液体の滴は
 液体の表面張力による
 表面積が最小になるよう
 球形になる
 ↓↑
 1908年
 ベナードが
 渦の写真をとり
 1911年
 カルマンが
 理論的に渦の性質を説明した
 ↓↑
 発生原因(自然発生)
 自然発生する渦形成現象
 流体中で
 質的に異なった二つのものが
 接触するとき
 渦が形成される
 ↓↑
 液体・固体
 液体・気体
 速・遅
 温・冷
 濃・薄
 重・軽
 粘性・流動性
 アルカリ性・酸性
 ↓↑
 代表的な渦
 竜巻+-+台風
 鳴門の渦潮
 銀河
 流体力学での渦
 流体力学
 流体を微小な要素に分ける
 微小な要素に分けた
 ↓↑
 その運動
 その要素全体の
 並進運動
 要素を剛体として
 考えた上での回転運動
 純粋な歪みによる運動
 ↓↑
 渦は回転運動
 微小要素の回転
 数学的に単純化された
 渦のモデル
 ランキン渦
 ↓↑
 液体や固体の物質が
 気体のように散逸せずに
 まとまりを維持するのは
 それらの内部の
 原子や分子同士が
 互いに引き付け合っているためであるが
 表面ではその力が
 物質の面方向に強くはたらき
 表面張力となって現れる
 容器に収められ
 重力以外の外力を受けていない液体では
 自重と表面張力のつり合いによって
 外形が定まる
 固体では固有の外形を維持する力が強いため
 表面張力が観察されにくい
 固体と液体が接触する時は
 液体だけでなく
 固体の表面張力も顕在化する
 液体の表面張力に比べて
 固体の表面張力が大きいと
 固体に接触した液体は
 自ら球形になろうとするよりも
 固体の表面に広がろうとしてぬれる
 固体と液体が接触した場合の
 両者の表面張力の違いによって
 ぬれの度合いが異なってくる
 ↓↑
 「ロータス効果」
 ぬれやすさは
 表面の形状によっても変わる
 自然界に存在している例が
 ハス
 サトイモ
 の葉
 ハスの葉の表面についた水は
 丸まって水滴となり
 汚れを絡め取りながら転がり落ちる
 この自浄効果を
 ロータス効果という
 植物の葉は一般的に保護膜となる
 ワックス成分を持っているが
 ハスの葉はさらに表面が
 微細な
 凹凸構造になっている
 ワックス成分でぬれにくい面が
 凹凸構造であることによって
 ますますぬれにくくなり
 超撥水表面となっている
 ↓↑
 液体・固体・気体
 物質の三態
 物質内の原子
 あるいは分子
 の結合する力が
 熱振動(格子振動)よりも
 弱くなった状態であり
 構成する粒子が
 互いの位置関係を拘束しないために
 自由に移動し
 流体の状態となる
 物質の
 液相
 ↓↑
 臨界圧力以下ならば
 物質ごとに
 決まった温度で
 固体から液体へ構造相転移(一次相転移)
 この固体から液体への
 転移温度が融点
 一定の圧力のまま
 更に温度を上げると
 分子の振動が強まって
 分子間の距離が大きくなり
 ある定まった温度で
 飽和蒸気圧がその圧力に達し
 液体内部から気体が発生
 この時の転移温度が、沸点
 逆に温度を下げれば
 気体→(液化)→液体→(凝固)→固体
 となる
 過冷却が起きない限り
 凝固点は融点と等しい
 但し、融点、沸点は
 圧力など外的条件の影響により変化する
 ↓↑
 液体状態では
 原子、分子は
 比較的自由かつランダムに動き回っている
 (ブラウン運動)
 ↓↑
 液晶
 固体と液体の
 両方の性質を示す状態の物質、その状態
 液晶
 液体(Liquid)の流動性
 と
 結晶(Crystal)の異方性
 を合わせ持つことに由来
ーーーーー
 ・・・???・・・

「例緖名留土(レオナルド)」・「俀(妥・拿・ダ)」・「毘音知(ヴィンチ)」

$
0
0
 レオナルド・ダ・ヴィンチ・・・カンジ・・・?
 「例緖名留土(レオナルド)」
 「俀(妥・拿・ダ)」
 「毘音知(ヴィンチ)」
 ・・・「トート神」の化神=アイビス=蒼頡             =ヘルメス=ダ・ヴィンチ・・・?
    「ヘルメス=ヘルメス・トリスメギストス
            ・・・鳥巣(とす・鳥栖)女伎州鳥栖?
               鳥取(とす・鳥諏)・・・諏訪・諏倭?
         (Hermes Trismegistus, 古希 Ἑρμῆς Τρισμέγιστος)」
          水銀・水星(辰星)
     ローマ神話
     メルクリウス (Mercurius)・・・女留句理有諏
                    (うす・臼・碓・烏州)?
     英語
     マーキュリース(Mercury)・・・真(摩・磨・靡・馬)
                     阿(蛙・雅・Y)
                     究(旧・記喩)
                     理意
                     素(州・諏)
     父はゼウス(古希: ΖΕΥΣ, Ζεύς, Zeus)
     ↓↑    ユーピテル=ユッピテル=ジュピター
          (ラテン語: Jūpiter, Juppiter
           古典綴 IV́PITER, IVPPITER)
           ・・・是卯州・是碓・是臼・是渦?
           ・・・夕日照・結姫出留・謂鵜比弖(氐・弟)留?
           ・・・嬬卑蛇蛙・樹比他阿⇔木星⇔木犀
     ↓↑        木犀=モクセイ⇔木製・・・十八制衣?
     ↓↑                  ・・・拾捌世意?

              木槿=ムクゲ(木槿・Hibiscus syriacus)
                 ・・・ム公家・ム公卿・ム供花?
                 アオイ(葵)科・・・徳川家御紋
                 フヨウ(芙蓉)属の「落葉樹」
            別名ハチス(鉢素?)・・・葉知素⇔目解
                   もくげ・・・葉知素⇔目解
              フヨウ(芙蓉、Hibiscus mutabilis)
              アオイ科フヨウ属の「落葉低木」
           種小名 mutabilis=「変化しやすい(mutable)」
             「芙蓉」は「ハス(蓮・水芙蓉)の美称で
              区別する際には「木芙蓉(もくふよう)」
              朝咲いて夕方にはしぼむ1日花
              ムクゲと同時期に
              良く似た花をつける
              直線的な枝を上方に伸ばすムクゲの樹形に対し
              フヨウは多く枝分かれして
              横にこんもりと広がる
              葉がムクゲより大きい
              めしべの先端が曲がっている
              フヨウとムクゲは近縁で接木も可・・・?
     マーキュリース(Mercury・ヘルメス)の
     母はマイア(古希: Μαῖα, Maia、ラテン語: Maia)
          (アトラスと・・・地図・地理・輿
           海のニュンペー
           プレーイオネーとの
           の娘である
           プレアデス・・・πλεiν(出航)
                   譜例阿出素?
           (すばる・昴) の
           七人娘の長女で
           七人の娘達は
           アポロンと双子の妹である
           女神アルテミスの侍女)
           ・・・アマゾーンの女王の姉妹・・・?
           ・・・北斗七星(Big Dipper、Plough)?

 ・・・「Θωθ=トト・テウト=ジェフティ(ḏḥwty・狒狒)」
     &
     妻(妹)の
 ・・・「セシャト(Seshat)=代書する女性
               知恵、知識、記述
               記録保管者、記述法の発明の女神
               会計学、建築学
               天文学、占星術
               数学、測量
               を司る女神
               捕虜や戦利品の
               在庫を承認管理する責務を負った

     「セシャト」は
      ヒョウ(彪)紋様の毛革の衣服で
            ・・・生来の皮の模様は「星」・・・
               星=北斗七星?
     「王の統治年数」を
      ヤシ(椰子)の葉脈に刻んで
     「年」を示す
     「象形文字」となった
     「7頂点の紋章」・・・北斗七星or昴(すばる)か?
      が頭上にある女神として描かれ

      セシャトの別名は
     「本の館の女主人
     (Mistress of the House of Books)」
      彼女の神官たちが
      図書館を監督し
      最重要な知識の冊子が集められ
      綴られた文章が保管された
      エジプト
      第4王朝の王子の1人
     「Wepemneferet」が
     「王立書記の監督官、セシャト神官」
      であると
      古代エジプトの
      石碑(Slab stela)には記され
      ヘリオポリスは
      彼女の主要な聖域だった
      ヘリオポリス
      カイロ近郊の古代エジプトの都市
      ギリシャ語
     「ヘリオスの町=太陽の町」
      古代名では
     「Iunu(イウヌ)」・・・イヌ?・・・イゥン・イン
     「On(オン)」・・・・・ワン?
      と呼ばれていた
 ↓↑
  女媧(イシス(Isis)・アセト)
 &
 伏羲(オシリス(Osiris)・Asar(アサル)、Aser(アセル)
    Ausar(アウサル)、Ausir(アウシル)
    Wesir(ウェシル)、Usir(ウシル)、Usire、Ausare)
    or
    アヌビス(Anubis)
    or

    トート(Θωθ)
   or
    ラー (Ra) =レー (Re)
    エジプト神話における太陽神
   「Ra(太陽)」
    ヘリオポリス九柱神の一柱
    娘は
    猫の女神の
    バステト(Bastet)=バスト
    イシスは息子の
    ホルスに権力を与えたえようと
    ラーの垂らした唾液で
    泥をこねて作った
    毒蛇に噛まれ
    毒に苦しみ
    解毒の薬をもらうことを条件に
    太陽を支配できる
    「ラー」自身の
    本当の名前を教えて貰った・・・「本当の名前」?
    「ラー」の涙から
    最初の人間が生まれた・・・
    ファラオ
    神々の子孫とされ
    「ラーの息子」
    であり
    ファラオが死ぬと
    ラーは
    ホルスと共に地上に
    梯子を降ろし
    「太陽の船」に
    ファラオの霊を招いて霊界へ運ぶ・・・
 ↓↑

 トキ(桃花鳥・朱鷺・鴇・Nipponia nippon)
 ペリカン目トキ科トキ属
 「神鳥(イビス)」
 アイビス、イビス(ibis)
 Scarlet ibis
 古代エジプトでは
 トキがヘビや害虫を食べる事から
 疫病からの守護者として敬われていた
 エジプト神話で
 トキは
 書記と学芸の神
 トートの化身
 神殿に祀られた数多くの
 アフリカ
 クロトキのミイラが発見
 エジプトの
 トート神
 と
 ギリシア神話の
 ヘルメース神が同一視された
 ヘルメースの化身
 テューポーンの出現により
 神々が変身して脱出する際に
 ヘルメースは
 トキに変身
 キリスト教社会になると
 泥をあさる不浄の鳥
 ↓↑

 トキのミイラ
 古代エジプトで
 紀元前最後の1000年間
 何百万体ものトキのミイラが捧げられた
 (PHOTOGRAPH BY RICHARD BARNES,
  NAT GEO IMAGE COLLECTION)
 古代エジプトの
 ネクロポリス
 (ギリシャ語で
  「死者の町」
  大規模な墓地)
 で何百万体もの
 トキのミイラが見つかっている
 病の治療や長寿
 恋の悩みの解決を願って
 トト神に捧げられ、埋葬された・・
 ↓↑
 列奥納   多 达 芬奇?・・・達=达
 礼於那留駑 墮 敏  智?
 レオナルド・ダ・ヴィンチ
 例緖名留土 俀 備韻地(知)?
  (Leonardo da Vinci
  it-Leonardo di ser Piero da Vinci)
 レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ
  (Leonardo di ser Piero da Vinci)
 「ダ・ヴィンチ=ヴィンチ村」出身
 ↓↑
 1452年4月15日~1519年5月2日(ユリウス暦)
 (宝徳四年三月二十五日)
 命式
 壬 申(戊壬庚)正財・傷官 沐浴
 癸┏卯(甲 乙)偏財・偏官  病
 己┗未(丁乙己)  ・比肩 冠帯
 庚 午(丙 丁)傷官・比肩 建禄
   子丑空亡・土曜日
     大運
     1516年2月(63歳)
   年運1519年5月2日(死没)
     庚戌┓  傷官
 壬 申 己卯┛合 比肩
 癸┏卯 戊辰┓  劫財
 己┗未┓丁卯┛害 偏印
 庚 午┛丙午   印綬
ーーーーー
 14日?
 壬申 (戊壬庚)偏財・食神  病
┏癸卯┓(甲 乙)正財・正官 沐浴
┗戊午┛(丙 丁)  ・劫財 帝旺
 戊午 (丙 丁)比肩・劫財 帝旺
ーーーーー
 16日?
 壬申(戊壬庚)食神・比肩 建禄
 癸卯(甲 乙)傷官・正財  胎
 庚申(戊壬庚)  ・比肩 建禄
 壬午(丙 丁)食神・正官 沐浴
ーーーーー
 ・・・???・・・
 饒 宗頤(ジョウソウイ)
 1917年8月9日~2018年2月6日
 中華人民共和国の学者
 東洋の「レオナルド・ダ・ヴィンチ」・・・?
ーーーーー
  丁 ┏巳(戊庚丙)偏財・正官 胎
  戊┓┗申(戊壬庚)正官・正官 死・・・印綬
 ┏癸┛┏未(丁乙己)  ・偏財 墓
 ┗戊 ┗午(丙 丁)正官・正財 絶
     申酉空亡
ーーーーー
 大運
 2017~2027  丁酉┓ 偏財
 年運        害
 2018年2月6日 戊戌┛ 正官
         甲寅  傷官
         己巳  偏官
ーーーーー
 ・・・???・・・
 コトバの記憶・・・文字(記録)or音声(録音)・・・
 イメージの記憶・・・想い出の写真or追憶の動画・・・
 オン(音)イン(韻)ツウ(通)オフ(於不)・・・

「例緖名留土(レオナルド)」・「俀(妥・拿・ダ)」・「毘音知(ヴィンチ)」

$
0
0
 レオナルド・ダ・ヴィンチ・・・カンジ・・・?
 「例緖名留土(レオナルド)」
 「俀(妥・拿・ダ)」
 「毘音知(ヴィンチ)」
 ・・・「トート神」の化神=アイビス=蒼頡             =ヘルメス=ダ・ヴィンチ・・・?
    「ヘルメス=ヘルメス・トリスメギストス
            ・・・鳥巣(とす・鳥栖)女伎州鳥栖?
               鳥取(とす・鳥諏)・・・諏訪・諏倭?
         (Hermes Trismegistus, 古希 Ἑρμῆς Τρισμέγιστος)」
          水銀・水星(辰星)
     ローマ神話
     メルクリウス (Mercurius)・・・女留句理有諏
                    (うす・臼・碓・烏州)?
     英語
     マーキュリース(Mercury)・・・真(摩・磨・靡・馬)
                     阿(蛙・雅・Y)
                     究(旧・記喩)
                     理意
                     素(州・諏)
     父はゼウス(古希: ΖΕΥΣ, Ζεύς, Zeus)
     ↓↑    ユーピテル=ユッピテル=ジュピター
          (ラテン語: Jūpiter, Juppiter
           古典綴 IV́PITER, IVPPITER)
           ・・・是卯州・是碓・是臼・是渦?
           ・・・夕日照・結姫出留・謂鵜比弖(氐・弟)留?
           ・・・嬬卑蛇蛙・樹比他阿⇔木星⇔木犀
     ↓↑        木犀=モクセイ⇔木製・・・十八制衣?
     ↓↑                  ・・・拾捌世意?

              木槿=ムクゲ(木槿・Hibiscus syriacus)
                 ・・・ム公家・ム公卿・ム供花?
                 アオイ(葵)科・・・徳川家御紋
                 フヨウ(芙蓉)属の「落葉樹」
            別名ハチス(鉢素?)・・・葉知素⇔目解
                   もくげ・・・葉知素⇔目解
              フヨウ(芙蓉、Hibiscus mutabilis)
              アオイ科フヨウ属の「落葉低木」
           種小名 mutabilis=「変化しやすい(mutable)」
             「芙蓉」は「ハス(蓮・水芙蓉)の美称で
              区別する際には「木芙蓉(もくふよう)」
              朝咲いて夕方にはしぼむ1日花
              ムクゲと同時期に
              良く似た花をつける
              直線的な枝を上方に伸ばすムクゲの樹形に対し
              フヨウは多く枝分かれして
              横にこんもりと広がる
              葉がムクゲより大きい
              めしべの先端が曲がっている
              フヨウとムクゲは近縁で接木も可・・・?
     マーキュリース(Mercury・ヘルメス)の
     母はマイア(古希: Μαῖα, Maia、ラテン語: Maia)
          (アトラスと・・・地図・地理・輿
           海のニュンペー
           プレーイオネーとの
           の娘である
           プレアデス・・・πλεiν(出航)
                   譜例阿出素?
           (すばる・昴) の
           七人娘の長女で
           七人の娘達は
           アポロンと双子の妹である
           女神アルテミスの侍女)
           ・・・アマゾーンの女王の姉妹・・・?
           ・・・北斗七星(Big Dipper、Plough)?

 ・・・「Θωθ=トト・テウト=ジェフティ(ḏḥwty・狒狒)」
     &
     妻(妹)の
 ・・・「セシャト(Seshat)=代書する女性
               知恵、知識、記述
               記録保管者、記述法の発明の女神
               会計学、建築学
               天文学、占星術
               数学、測量
               を司る女神
               捕虜や戦利品の
               在庫を承認管理する責務を負った

     「セシャト」は
      ヒョウ(彪)紋様の毛革の衣服で
            ・・・生来の皮の模様は「星」・・・
               星=北斗七星?
     「王の統治年数」を
      ヤシ(椰子)の葉脈に刻んで
     「年」を示す
     「象形文字」となった
     「7頂点の紋章」・・・北斗七星or昴(すばる)か?
      が頭上にある女神として描かれ

      セシャトの別名は
     「本の館の女主人
     (Mistress of the House of Books)」
      彼女の神官たちが
      図書館を監督し
      最重要な知識の冊子が集められ
      綴られた文章が保管された
      エジプト
      第4王朝の王子の1人
     「Wepemneferet」が
     「王立書記の監督官、セシャト神官」
      であると
      古代エジプトの
      石碑(Slab stela)には記され
      ヘリオポリスは
      彼女の主要な聖域だった
      ヘリオポリス
      カイロ近郊の古代エジプトの都市
      ギリシャ語
     「ヘリオスの町=太陽の町」
      古代名では
     「Iunu(イウヌ)」・・・イヌ?・・・イゥン・イン
     「On(オン)」・・・・・ワン?
      と呼ばれていた
 ↓↑
  女媧(イシス(Isis)・アセト)
 &
 伏羲(オシリス(Osiris)・Asar(アサル)、Aser(アセル)
    Ausar(アウサル)、Ausir(アウシル)
    Wesir(ウェシル)、Usir(ウシル)、Usire、Ausare)
    or
    アヌビス(Anubis)
    or

    トート(Θωθ)
   or
    ラー (Ra) =レー (Re)
    エジプト神話における太陽神
   「Ra(太陽)」
    ヘリオポリス九柱神の一柱
    娘は
    猫の女神の
    バステト(Bastet)=バスト
    イシスは息子の
    ホルスに権力を与えたえようと
    ラーの垂らした唾液で
    泥をこねて作った
    毒蛇に噛まれ
    毒に苦しみ
    解毒の薬をもらうことを条件に
    太陽を支配できる
    「ラー」自身の
    本当の名前を教えて貰った・・・「本当の名前」?
    「ラー」の涙から
    最初の人間が生まれた・・・
    ファラオ
    神々の子孫とされ
    「ラーの息子」
    であり
    ファラオが死ぬと
    ラーは
    ホルスと共に地上に
    梯子を降ろし
    「太陽の船」に
    ファラオの霊を招いて霊界へ運ぶ・・・
 ↓↑

 トキ(桃花鳥・朱鷺・鴇・Nipponia nippon)
 ペリカン目トキ科トキ属
 「神鳥(イビス)」
 アイビス、イビス(ibis)
 Scarlet ibis
 古代エジプトでは
 トキがヘビや害虫を食べる事から
 疫病からの守護者として敬われていた
 エジプト神話で
 トキは
 書記と学芸の神
 トートの化身
 神殿に祀られた数多くの
 アフリカ
 クロトキのミイラが発見
 エジプトの
 トート神
 と
 ギリシア神話の
 ヘルメース神が同一視された
 ヘルメースの化身
 テューポーンの出現により
 神々が変身して脱出する際に
 ヘルメースは
 トキに変身
 キリスト教社会になると
 泥をあさる不浄の鳥
 ↓↑

 トキのミイラ
 古代エジプトで
 紀元前最後の1000年間
 何百万体ものトキのミイラが捧げられた
 (PHOTOGRAPH BY RICHARD BARNES,
  NAT GEO IMAGE COLLECTION)
 古代エジプトの
 ネクロポリス
 (ギリシャ語で
  「死者の町」
  大規模な墓地)
 で何百万体もの
 トキのミイラが見つかっている
 病の治療や長寿
 恋の悩みの解決を願って
 トト神に捧げられ、埋葬された・・
 ↓↑
 列奥納   多 达 芬奇?・・・達=达
 礼於那留駑 墮 敏  智?
 レオナルド・ダ・ヴィンチ
 例緖名留土 俀 備韻地(知)?
  (Leonardo da Vinci
  it-Leonardo di ser Piero da Vinci)
 レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ
  (Leonardo di ser Piero da Vinci)
 「ダ・ヴィンチ=ヴィンチ村」出身
 ↓↑
 1452年4月15日~1519年5月2日(ユリウス暦)
 (宝徳四年三月二十五日)
 命式
 壬 申(戊壬庚)正財・傷官 沐浴
 癸┏卯(甲 乙)偏財・偏官  病
 己┗未(丁乙己)  ・比肩 冠帯
 庚 午(丙 丁)傷官・比肩 建禄
   子丑空亡・土曜日
     大運
     1516年2月(63歳)
   年運1519年5月2日(死没)
     庚戌┓  傷官
 壬 申 己卯┛合 比肩
 癸┏卯 戊辰┓  劫財
 己┗未┓丁卯┛害 偏印
 庚 午┛丙午   印綬
ーーーーー
 14日?
 壬申 (戊壬庚)偏財・食神  病
┏癸卯┓(甲 乙)正財・正官 沐浴
┗戊午┛(丙 丁)  ・劫財 帝旺
 戊午 (丙 丁)比肩・劫財 帝旺
ーーーーー
 16日?
 壬申(戊壬庚)食神・比肩 建禄
 癸卯(甲 乙)傷官・正財  胎
 庚申(戊壬庚)  ・比肩 建禄
 壬午(丙 丁)食神・正官 沐浴
ーーーーー
 ・・・???・・・
 饒 宗頤(ジョウソウイ)
 1917年8月9日~2018年2月6日
 中華人民共和国の学者
 東洋の「レオナルド・ダ・ヴィンチ」・・・?
ーーーーー
  丁 ┏巳(戊庚丙)偏財・正官 胎
  戊┓┗申(戊壬庚)正官・正官 死・・・印綬
 ┏癸┛┏未(丁乙己)  ・偏財 墓
 ┗戊 ┗午(丙 丁)正官・正財 絶
     申酉空亡
ーーーーー
 大運
 2017~2027  丁酉┓ 偏財
 年運        害
 2018年2月6日 戊戌┛ 正官
         甲寅  傷官
         己巳  偏官
ーーーーー
 ・・・???・・・
 コトバの記憶・・・文字(記録)or音声(録音)・・・
 イメージの記憶・・・想い出の写真or追憶の動画・・・
 オン(音)イン(韻)ツウ(通)オフ(於不)・・・

「例緖名留土(レオナルド)」・「俀(妥・拿・ダ)」・「毘音知(ヴィンチ)」

$
0
0
 レオナルド・ダ・ヴィンチ・・・カンジ・・・?
 「例緖名留土(レオナルド)」
 「俀(妥・拿・ダ)」
 「毘音知(ヴィンチ)」
 ・・・「トート神」の化神=アイビス=蒼頡             =ヘルメス=ダ・ヴィンチ・・・?
    「ヘルメス=ヘルメス・トリスメギストス
            ・・・鳥巣(とす・鳥栖)女伎州鳥栖?
               鳥取(とす・鳥諏)・・・諏訪・諏倭?
         (Hermes Trismegistus, 古希 Ἑρμῆς Τρισμέγιστος)」
          水銀・水星(辰星)
     ローマ神話
     メルクリウス (Mercurius)・・・女留句理有諏
                    (うす・臼・碓・烏州)?
     英語
     マーキュリース(Mercury)・・・真(摩・磨・靡・馬)
                     阿(蛙・雅・Y)
                     究(旧・記喩)
                     理意
                     素(州・諏)
     父はゼウス(古希: ΖΕΥΣ, Ζεύς, Zeus)
     ↓↑    ユーピテル=ユッピテル=ジュピター
          (ラテン語: Jūpiter, Juppiter
           古典綴 IV́PITER, IVPPITER)
           ・・・是卯州・是碓・是臼・是渦?
           ・・・夕日照・結姫出留・謂鵜比弖(氐・弟)留?
           ・・・嬬卑蛇蛙・樹比他阿⇔木星⇔木犀
     ↓↑        木犀=モクセイ⇔木製・・・十八制衣?
     ↓↑                  ・・・拾捌世意?

              木槿=ムクゲ(木槿・Hibiscus syriacus)
                 ・・・ム公家・ム公卿・ム供花?
                 アオイ(葵)科・・・徳川家御紋
                 フヨウ(芙蓉)属の「落葉樹」
            別名ハチス(鉢素?)・・・葉知素⇔目解
                   もくげ・・・葉知素⇔目解
              フヨウ(芙蓉、Hibiscus mutabilis)
              アオイ科フヨウ属の「落葉低木」
           種小名 mutabilis=「変化しやすい(mutable)」
             「芙蓉」は「ハス(蓮・水芙蓉)の美称で
              区別する際には「木芙蓉(もくふよう)」
              朝咲いて夕方にはしぼむ1日花
              ムクゲと同時期に
              良く似た花をつける
              直線的な枝を上方に伸ばすムクゲの樹形に対し
              フヨウは多く枝分かれして
              横にこんもりと広がる
              葉がムクゲより大きい
              めしべの先端が曲がっている
              フヨウとムクゲは近縁で接木も可・・・?
     マーキュリース(Mercury・ヘルメス)の
     母はマイア(古希: Μαῖα, Maia、ラテン語: Maia)
          (アトラスと・・・地図・地理・輿
           海のニュンペー
           プレーイオネーとの
           の娘である
           プレアデス・・・πλεiν(出航)
                   譜例阿出素?
           (すばる・昴) の
           七人娘の長女で
           七人の娘達は
           アポロンと双子の妹である
           女神アルテミスの侍女)
           ・・・アマゾーンの女王の姉妹・・・?
           ・・・北斗七星(Big Dipper、Plough)?

 ・・・「Θωθ=トト・テウト=ジェフティ(ḏḥwty・狒狒)」
     &
     妻(妹)の
 ・・・「セシャト(Seshat)=代書する女性
               知恵、知識、記述
               記録保管者、記述法の発明の女神
               会計学、建築学
               天文学、占星術
               数学、測量
               を司る女神
               捕虜や戦利品の
               在庫を承認管理する責務を負った

     「セシャト」は
      ヒョウ(彪)紋様の毛革の衣服で
            ・・・生来の皮の模様は「星」・・・
               星=北斗七星?
     「王の統治年数」を
      ヤシ(椰子)の葉脈に刻んで
     「年」を示す
     「象形文字」となった
     「7頂点の紋章」・・・北斗七星or昴(すばる)か?
      が頭上にある女神として描かれ

      セシャトの別名は
     「本の館の女主人
     (Mistress of the House of Books)」
      彼女の神官たちが
      図書館を監督し
      最重要な知識の冊子が集められ
      綴られた文章が保管された
      エジプト
      第4王朝の王子の1人
     「Wepemneferet」が
     「王立書記の監督官、セシャト神官」
      であると
      古代エジプトの
      石碑(Slab stela)には記され
      ヘリオポリスは
      彼女の主要な聖域だった
      ヘリオポリス
      カイロ近郊の古代エジプトの都市
      ギリシャ語
     「ヘリオスの町=太陽の町」
      古代名では
     「Iunu(イウヌ)」・・・イヌ?・・・イゥン・イン
     「On(オン)」・・・・・ワン?
      と呼ばれていた
 ↓↑
  女媧(イシス(Isis)・アセト)
 &
 伏羲(オシリス(Osiris)・Asar(アサル)、Aser(アセル)
    Ausar(アウサル)、Ausir(アウシル)
    Wesir(ウェシル)、Usir(ウシル)、Usire、Ausare)
    or
    アヌビス(Anubis)
    or

    トート(Θωθ)
   or
    ラー (Ra) =レー (Re)
    エジプト神話における太陽神
   「Ra(太陽)」
    ヘリオポリス九柱神の一柱
    娘は
    猫の女神の
    バステト(Bastet)=バスト
    イシスは息子の
    ホルスに権力を与えたえようと
    ラーの垂らした唾液で
    泥をこねて作った
    毒蛇に噛まれ
    毒に苦しみ
    解毒の薬をもらうことを条件に
    太陽を支配できる
    「ラー」自身の
    本当の名前を教えて貰った・・・「本当の名前」?
    「ラー」の涙から
    最初の人間が生まれた・・・
    ファラオ
    神々の子孫とされ
    「ラーの息子」
    であり
    ファラオが死ぬと
    ラーは
    ホルスと共に地上に
    梯子を降ろし
    「太陽の船」に
    ファラオの霊を招いて霊界へ運ぶ・・・
 ↓↑

 トキ(桃花鳥・朱鷺・鴇・Nipponia nippon)
 ペリカン目トキ科トキ属
 「神鳥(イビス)」
 アイビス、イビス(ibis)
 Scarlet ibis
 古代エジプトでは
 トキがヘビや害虫を食べる事から
 疫病からの守護者として敬われていた
 エジプト神話で
 トキは
 書記と学芸の神
 トートの化身
 神殿に祀られた数多くの
 アフリカ
 クロトキのミイラが発見
 エジプトの
 トート神
 と
 ギリシア神話の
 ヘルメース神が同一視された
 ヘルメースの化身
 テューポーンの出現により
 神々が変身して脱出する際に
 ヘルメースは
 トキに変身
 キリスト教社会になると
 泥をあさる不浄の鳥
 ↓↑

 トキのミイラ
 古代エジプトで
 紀元前最後の1000年間
 何百万体ものトキのミイラが捧げられた
 (PHOTOGRAPH BY RICHARD BARNES,
  NAT GEO IMAGE COLLECTION)
 古代エジプトの
 ネクロポリス
 (ギリシャ語で
  「死者の町」
  大規模な墓地)
 で何百万体もの
 トキのミイラが見つかっている
 病の治療や長寿
 恋の悩みの解決を願って
 トト神に捧げられ、埋葬された・・
 ↓↑
 列奥納   多 达 芬奇?・・・達=达
 礼於那留駑 墮 敏  智?
 レオナルド・ダ・ヴィンチ
 例緖名留土 俀 備韻地(知)?
  (Leonardo da Vinci
  it-Leonardo di ser Piero da Vinci)
 レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ
  (Leonardo di ser Piero da Vinci)
 「ダ・ヴィンチ=ヴィンチ村」出身
 ↓↑
 1452年4月15日~1519年5月2日(ユリウス暦)
 (宝徳四年三月二十五日)
 命式
 壬 申(戊壬庚)正財・傷官 沐浴
 癸┏卯(甲 乙)偏財・偏官  病
 己┗未(丁乙己)  ・比肩 冠帯
 庚 午(丙 丁)傷官・比肩 建禄
   子丑空亡・土曜日
     大運
     1516年2月(63歳)
   年運1519年5月2日(死没)
     庚戌┓  傷官
 壬 申 己卯┛合 比肩
 癸┏卯 戊辰┓  劫財
 己┗未┓丁卯┛害 偏印
 庚 午┛丙午   印綬
ーーーーー
 14日?
 壬申 (戊壬庚)偏財・食神  病
┏癸卯┓(甲 乙)正財・正官 沐浴
┗戊午┛(丙 丁)  ・劫財 帝旺
 戊午 (丙 丁)比肩・劫財 帝旺
ーーーーー
 16日?
 壬申(戊壬庚)食神・比肩 建禄
 癸卯(甲 乙)傷官・正財  胎
 庚申(戊壬庚)  ・比肩 建禄
 壬午(丙 丁)食神・正官 沐浴
ーーーーー
 ・・・???・・・
 饒 宗頤(ジョウソウイ)
 1917年8月9日~2018年2月6日
 中華人民共和国の学者
 東洋の「レオナルド・ダ・ヴィンチ」・・・?
ーーーーー
  丁 ┏巳(戊庚丙)偏財・正官 胎
  戊┓┗申(戊壬庚)正官・正官 死・・・印綬
 ┏癸┛┏未(丁乙己)  ・偏財 墓
 ┗戊 ┗午(丙 丁)正官・正財 絶
     申酉空亡
ーーーーー
 大運
 2017~2027  丁酉┓ 偏財
 年運        害
 2018年2月6日 戊戌┛ 正官
         甲寅  傷官
         己巳  偏官
ーーーーー
 ・・・???・・・
 コトバの記憶・・・文字(記録)or音声(録音)・・・
 イメージの記憶・・・想い出の写真or追憶の動画・・・
 オン(音)イン(韻)ツウ(通)オフ(於不)・・・

耳+α=聚・聳・聶・聖・聞・聾・・・「聖徳太子の聞耳」・・・一の人のマダレのキキ?

$
0
0
鳥栖・鳥巣・賭す⇔「トトス=止止主=鳥取=止止利」
 『日本書紀(景行十八年七月四日条)』       傾向 拾捌(葉知)捻 漆解通 肆比帖       景行 18     年 7月   4日条 筑紫後国の三池(福岡県三池)に 倒れた巨樹があり 長さは970丈(2910メートル前後) 橋代わりにされていた 「朝霜の 御木(みけ)のさお橋  まえつきみ   ・・・(公卿・卿・大夫=まえつきみ)      「前つ君=天皇の御前に仕える人」  い渡らすも  御木の  さお橋」 「老人がいうに  この椚(クヌギ)が倒れる前は  朝日の影で  杵島山を隠し  夕日の影で  阿蘇山を隠すほどだったと語り  天皇はこの  倒木を神木とし  この国を  「御木(みけ)の国」  と呼ぶことにした・・・ ↓↑ 『播磨国風土記(逸文)』 仁徳天皇の治世(5世紀前半)に 楠があり・・・「楠正成」? 朝日には 淡路島を隠し 夕日には 大倭(やまと)島根を その大樹による影で隠した と記述 その大樹を伐(き)り 舟を造ったが その速き事、飛ぶが如く 一楫(かじ)に 七波を去(ゆ)き越えた よって 「速鳥(はやとり)」 と号(なづ)けられた ある日 一度だけ目的に間に合わなかった為 和歌で 「何が速鳥か」とその名を揶揄 この速鳥という船名は 『続日本紀(天平宝字二年三月条)』 にも 播磨の船として見ることができる ↓↑ 『今昔物語集(巻第三十一)』 近江国 栗太郡に 柞(ははそ・サク)の ↓↑・・・柞=木+乍       =十+八+乍        拾 捌 乍(𠂉ㅑ             𠂉丨=)        𠂉=神挿し・櫛         丨=棒・ぼう・コン       「=」=「二(弐・仁)」         ㅑ=ya(ヤ・ハングル文字)         「ㅕ(yo・ョ)の左~右反転字」        ㅑ=「丬(爿・𤕪・ショウ・ソウ)          の左~右反転字(片・かた・ヘン)」        片=ヘン・かた・きれ・ひら・ペンス・片月          きれ・きれはし・かけら・片雲・破片          わずか・すこし・片言・片鱗(ヘンリン)          イギリスの貨幣単位「ペンス」の音訳字        阿片・紙片・断片        破片(ハヘン)・欠片(かけら)・木片(モクヘン)        片仮名・片言        片(かた・ひら・ヘン)・一片(ひとひら)        片意地        片田舎        片腕        片方(かたえ)        片靨(かたえくぼ・かた笑窪)        片陰(かたかげ)        片才(かたかど)        片口(かたくち)・片口鰯(いわし)        片栗粉(かたくりこ)        片食(かたけ)・片隅(かたすみ)        片岨(かたソ)・片付く(かたづく)        片手で錐は揉めぬ        片時        片肌=片膚(かたはだ)        片腹痛い(かたはらいたい)        片庇(かたびさし)=片廂        片肘        片棒        片辺(かたほとり)        片身(かたみ)        片割れ        片木(ヘぎ)        片羅(ペラ)=紙幣・札びら・薄い一枚の紙              200字詰め原稿用紙        片雲(ヘンウン)        片影        片言(かたこと・ヘンゲン)        片言隻句(ヘンゲンセキク)        片言折獄(ヘンゲンセツゴク)       「折=断じる・獄=訴訟」        片頭痛(ヘンヅツウ)        片務・片片(ヘンペン)・片鱗(ヘンリン) ↓↑      ↓↑        片利共生(Commensalism)=偏利共生        共生する生物の片方が        その共生により        宿主に害を与えることなく        利益を得ている状態        樹木の皮と地衣類        ジンベイ鮫とコバン鮫        フジ海鼠とカクレ魚        相利共生(Mutualism)        二つの互いに異なる生物の        種類同士の共生関係        アリとアブラムシ        ヤドカリとイソギンチャク        虫媒花と昆虫 ↓↑     人間と腸内細菌 柞(ははそ・サク)   葉々楚(祖・素・曾・蘇・措)   母 祖       拾捌乍   乍=ながら・サク=長柄・長良・名賀羅・名雅羅?     名化等? 柞=ブナ科コナラ属の総称   きる・草木を切る ↓↑ 「巨樹」伝説・・・ 幹回りは500尋(900メートル前後) 朝日の影は 丹波国をさし 夕陽の影は 伊勢国にさした その木はあまりに大きく 栗太郡・志賀・甲賀 三郡の百姓は 田畑を作ることができなかった 天皇に訴え、願いが聞き入れられ 遣いにより 巨樹は切り倒され 田畑を耕すことができるようになり 豊穣を得た 今(物語集成立時代)でも その郡にはその時の子孫がいる 伝説は後世でも類型派生し 室町時代成立の『三国伝記』で ハハソから栗の木へと変わり 郡名由来譚となって切り倒された ↓↑ フヨウ(芙蓉、Hibiscus mutabilis) アオイ科フヨウ属の落葉低木 種小名 mutabilis=「変化しやすい(mutable)」 「芙蓉」は「ハス(蓮)の美称で 区別する際には「木芙蓉(もくふよう)」 朝咲いて夕方にはしぼむ1日花
 ムクゲと同時期に良く似た花をつける 直線的な枝を上方に伸ばすムクゲの樹形に対し フヨウは多く枝分かれして 横にこんもりと広がる 葉がムクゲより大きい めしべの先端が曲がっている フヨウとムクゲは近縁で接木も可・・・?・・・無理かも・・・ーー↓↑ーー 鳥栖(とす)市 姫方 姫古曽神社の由来 小郡市 七夕神社(媛社神社)
 ↓↑ まつられている女神 「市杵島姫命」 「織女神」 小郡市の七夕神社(媛社神社)は同じ ↓↑ 「鳥取=止止利=ととり」 『和名抄』 「因幡国  邑美郡  鳥取郷」 由来は 水鳥を捕らえる 「職業部」の 「鳥取部(ととりべ)」 住んでいたことにちなむ
 ↓↑ 「しつ(織物の一種)おり」 が変化した 「しとり(倭文)=湯梨浜町・伯耆国一宮の社名」 ↓↑ 「耳(みみ・~のみ・~だけ・ジ・ニ)」・・・聴診器  耳学・耳目・牛耳  外耳(ガイジ)・牛耳(ギュウジ)・洗耳(センジ)  空耳(そらみみ)・中耳(チュウジ)・内耳(ナイジ)  寝耳(ねみみ)・馬耳(バジ)・早耳(はやみみ)  耳+α=聚・聳・聶・聖・聞・聾 ↓↑ 「耳」 鳥取県・・・取=耳+又 倉吉市・・・倉の吉の誌(史・詞)・・・? 耳 ・・・倉吉市中部地域の名前 ↓↑ 耳取(みみどり・みみとり・ジシュ) 耳ケ吠(みみがほい・ジヶボウ) 耳切(みみきり・ジセツ) 耳谷(みみがい・ジヤ) 耳塚(みみづか・ジチョウ) 耳成山(みみなしやま・ジセイザン) 耳原(みのはら・ジゲン) 耳ほげ=ほげる・ほがす (長崎の方言)     穴があく・ 穴をあける 耳鼻咽喉科・・・字備引行(韻行・印行)化? 耳なし芳一 ・・・小泉八雲の『怪談』          一夕散人(いっせきさんじん)著         『臥遊奇談』第二巻         「琵琶秘曲泣幽霊(1782年)」  ↓↑ 「耳」だけがつく・・・倉吉市耳 ↓↑ 地名の由来・・・ 古事記の 神沼河耳命 神八井耳命 手研耳命 に由来・・・ ↓↑ 京丹後市 弥栄(やさか)町 「鳥取」という地名 藤原宮跡出土木簡に 「旦波国竹野評-鳥取里-大贄布奈」 『和名抄』に 「因幡国邑美郡-鳥取郷」 ↓↑ 郷名は 垂仁天皇の王子 本牟智和気御子(ほむちわけみこ)=誉津別命 のために設置された 鳥取部に由来 ↓↑ 倉吉市・・・「蒼頡」⇔「艹+倉」+「吉+頁」    ・・・「鶏の足跡」から文字を発明?    「稲扱千刃(千歯)」・異な古記撰葉?    「倉吉絣(かすり)」・総記通飛白?               総紀通化素理?     の生産地・・・ ↓↑ 天女の産んだ子の名が お倉 お吉 で倉吉の地名になった・・・? 鳥取県中部 市内には 打吹(うつぶき) 玉川地区 をはじめ土蔵が多く 白壁土蔵の街 ↓↑ 古代に 伯耆国(ほうきのくに)の     ・・・鳥取県西伯郡-伯耆-町     成務天皇時代に波伯 (ははき) 国造設置 国府・国分寺・国分尼寺 がおかれていた ↓↑ 打吹山(うつぶきやま) 鳥取県 倉吉市にある山 標高204m 天女伝説の山 残された天女の子どもが この山の頂で太鼓や笛を吹いて 天に帰った母親を思い偲んだ・・・ 打吹山(うつぶきやま)の山体 流紋岩(rhyolite・ライオライト) ↓↑・・・二酸化ケイ素の鉱物    (石英、鱗ケイ石、クリストバライト)を含む     白色~灰白色     龍門願⇔登龍門・・・龍=リュウ=劉・隆・柳・流     ・・・李 膺(リヨウ)         膺=䧹+月・・・鷹・雁・應(応)           广+倠+月           广+亻+隹+月           あたる・うつ・攻撃する・征伐する ↓↑         ↓↑           廣=广+黄(黃・厶)=広             黄             オウ 黃=廿+一+由+ハ=ム(私)             コウ 𡕛=夂+廿+火=黄・・・炎の外円色             き             こ             きいろ             きばむ             東西の長さ・・・・黄河 ↓↑           こども・幼いこども?             卵黄・卵の黄身             黄帝、土色、中央の色・黄泉 ↓↑           黄ばむ、老人、幼児という意味・・・?             令制で、三歳以下の称 ↓↑          「令義解(りょうのぎげ)718)」             養老令の官撰の注釈書・10巻30編、2編欠             826年(天長三)             明法博士             額田今足(ぬかだのいまたり) の建議             清原夏野・小野篁 らの撰             天長十年(833)            「新唐書‐食貨志」             ↓↑・・・各王朝の                財政記録編目                食貨志の名称は               『書経』洪範八政に             ↓↑「一にいわく食、二にいわく貨」             北宋             仁宗の嘉祐六年(1060年) ↓↑           欧陽脩・曾公亮らの奉勅撰225巻 流紋岩は 中生代白亜紀の 火山活動によって形成ーー↓↑ーー 鳥栖(とす)の 地名は 熊本県である 肥後国 菊池郡 鳥栖村が起源 中臣鎌足が 天智天皇より 賜ったことに始まる 氏(藤原氏)隆家流・菊池氏族 ↓↑ 長野(チョウの)は 佐賀県 鳥栖市では 長野(チョウの)と呼ぶ名字 「長野(ながの)=信濃=長い傾斜地の盆地」 ↓↑        和銅六年(713)年          科野国(しなのノくに)         「長野(ながの)県」          の名前の起源          室町時代(1570年)          武田信玄朱印状に         『長野之内 五貫文』 ↓↑        の記録が初見 と呼ぶよりも 「長野(チョウの)」・・・ 長=チョウ=鳥   ↓↑  鳥栖(とす) 奈良時代に書かれた 「肥前風土記」 ここに住人が 「鳥小屋」を作り 雑鳥(くさぐさのとり)を つかまえてかいならし 朝廷に献上し 「鳥屋の郷(とりやのさと)」 「鳥樔(巣)郷(とすごう)」 と呼ばれ 「鳥栖」という地名になった・・・? ↓↑ 鳥栖=鳥の栖(すみか) ↓↑ 市内全域で多くの野鳥 ↓↑ 市の鳥  「メジロ」 佐賀県の鳥「カササギ」 「ヤマガラ・モズ・カワセミ  ヒバリ・ヒヨドリ」 など、147種の鳥が確認・・・・ ↓↑ 鳥栖市(とすシ) 佐賀県の東端に位置 筑紫平野(佐賀平野)に位置 南の境を筑後川が流れる 低地は水田 その中に市街地 北西部は 脊振山地の東部 「魏志倭人伝」 の 「對蘇(ツサ)」=「鳥栖(とす)」・・・? 「建ち伝と」=「タチツテト」+「サ」       =「ツ」+「サシスセソ」       =「起ち伝と」? 鳥栖=「鳥巣(とりのす)」・・・地名由来 ↓↑ 「肥前国風土記」 「応神天皇の御代、この地に  鳥屋が置かれた」 様々な鳥を飼育して献上し 「鳥巣」と称し後に 「鳥栖」に転化・・・ ↓↑ 鳥屋が多かった=養鶏の盛んな土地・・・? ・・・「隋書俀人伝」・・・ 『隋書』「卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國」 「開皇二十年  俀王姓 阿毎・・・・・阿毎=阿部=安部    字 多利思北孤    號 阿輩雞彌・・・雞=ケイ・にわとり=鶏    遣使    詣闕 ・・・「随処和人伝」・・・ ↓↑ 江戸時代 藩政 市域東部は 対馬府 中藩の飛び地で 「田代領」と呼ばれ 長崎街道 田代宿の宿場町 鳥栖市街地に 長崎街道 轟木宿・・・とどろき=等々力・驫木            鶏の鳴き声?            コケコッコウ            虚仮(鱗・扱)国交? の宿場が置かれた 田代宿 対馬府中藩の 米倉や代官所が設置 朝鮮通信使・・・鶏を盗んだ朝鮮兵? ↓↑ 朝鮮-聘礼使(ヘイレイシ)-淀城-着来図    延享度(1748年)    通信使船団が淀に着岸、淀城下の行進図   『朝鮮通信使一行の一人が    町人が飼っている    ニワトリを盗んで逃げようとし ↓↑ 日本人と喧嘩になっている絵図」・・・ の立ち寄る場所で 応接施設も備えられた 藩主の 宗氏が 朝鮮との貿易で朝鮮から輸入した 漢方薬の実物と知識が豊富に供給され 収入源を確保する目的から 領民には 薬の製造を副業とする者が増え 次第に他領でも行商 江戸時代後期 日本四大売薬の一つ 九州の薬商の大半を 田代産の薬が占めた ↓↑ 明治期~第二次世界大戦 佐賀の乱や西南戦争時に 薬が不足し 製薬業の拡大 日清戦争期 久光製薬などが 「佐世保や広島といった軍都に近い」 地の利を活かして販路を拡大 江戸時代から続いた 綿織物生産は 生糸生産に代わり 養蚕が盛んになった ↓↑ 鉄道網の整備 大正~昭和初期 製糸工場(養蚕業) 製粉工場(裏作として小麦生産) 第二次世界大戦時に 戦況悪化による衰退・・・ ↓↑ 鉄道網 九州鉄道の最初の区間 博多~筑後川北岸まで開通 (鹿児島本線、1889年(明治22年))  1891年(明治24年) 佐賀、1898年(明治31年) 長崎・佐世保方面 (長崎本線・佐世保線・大村線) 開業し 1934年(昭和9年) 久大本線全通をもって東西南北へと整備 1948年(昭和23年)頃 「鉄道の町」 「煤煙の町」 と称された ↓↑ 1874年(明治7年) 佐賀の乱・・・江藤新平 市内 朝日山において 政府軍と反乱軍の戦闘 1889年(明治22年)4月1日 町村制により 各村が発足 養父郡=轟木村・麓村・旭村 基肄郡=田代村・基里村 1896年(明治29年)3月26日 郡制施行 各村は全て 三養基郡に属する 1907年(明治40年)3月19日 轟木村が町制を施行 鳥栖町となる・・・轟木村→鳥栖町・・・? 1936年(昭和11年)2月11日 田代村が町制施行 田代町となる ↓↑ 所属   柚比遺跡群 所在地  佐賀県      鳥栖市      田代本町 位置   北緯33度23分41.3秒⇔会稽東冶の東      東経130度30分54.6秒 形状   円墳 規模   径約42m 埋葬施設 横穴式石室 出土品  玉類、鉄鏃片、馬具片      須惠器片、土師器片、円筒埴輪片 ↓↑ 築造時期 6世紀後半 史跡   大正15年(1926年)国の史跡      装飾古墳 所在地  佐賀県      吉野ヶ里町、神埼市 座標   北緯33度19分25秒      東経130度23分26.5秒 面積   36haーーーーー ・・・???・・・ 「トトス=止止主」・・・「鳥取=止止利=ととり」 「鳥取=止止利=ととり」・・・「鳥仏師=止利仏師」 「鞍作 止利(くらつくり の とり)」 「司馬達等の孫  鞍部多須奈の子」・・・  「司馬-鞍作-首-止利  (しば-の-くらつくり-の-おびと-とり)  南梁からの帰化人、「司馬達等」の孫・・・ーーーーー ・・・???・・・「蘇我入鹿」・・・ 「鞍作太郎」・・・「上宮聖徳法王帝説」・・・ 「蘇我林臣鞍作(そがの はやしのおみ くらつくり)」   「 林太郎( はやし たいろう)」   「蘇我太郎」 ・・・「カント( 康徳)」・・・ 「鞍作」・・・「馬具職人の四男」  イマヌエル・カント  ・・・今(意眞)怒(奴・努)重留 (Immanuel   Kant)     漢都            (乾人・奸徒・巻訳)?     大運1798年7月(74歳)~1808年                丙子 1724年4月22日~1804年2月12日 ↓↑ 甲辰(乙癸戊)傷官・正官 養⇔甲子┏戊辰(乙癸戊)正官・正官 養⇔丙寅┗癸卯(甲 乙)  ・食神長生⇔壬辰┗戊午(丙 丁)正官・偏官 絶⇔丙午  辰巳空亡 「公的な法則が存在する状態に達する前には  結合した人間や諸国民や諸国家は  決して  互いの暴力から  安全ではありえず  しかもこれは  自分にとって  正しく  また  良いと思われることをし  他人の意見に左右されないという  各人固有の権利から生じる」・・・ーーーーー ・・・???・・・

ジィ(G) =字彙・ソォ(SO)=蘇緖・ミ(MI)=診・ア(A)=蛙・雅・鴉

$
0
0
 「GSOMIA(ジーソミア)」
    ・・・爺、初診鴉・・・?
  ↓↑
 「GSOMIA」の「END」・・・?
     11・・・十一・拾壱・足壹・Ⅺ
 21⇒22⇒23・・・弐拾参・字を拾う纂
 ↓↑       念 簒・兩 足 張
              貳 王 産
 ↓↑  ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↑ ↑
     邇 足 讃=倭国の五王
 ↓↑   ↓↑   讃⇒珍⇒済⇒興⇒武・・・?
         讃岐・讃良
         珍=王+㐱
          ・・・㐱=シン・毛髪が多
           王+人+彡
           ・・・彡=サン・飾り・模様
                髪の毛が長い
              彡=爪痕・刷毛跡
                引っ掻き痕
           王+𠆢+彡
           チン
           めずらしい
           めったにない・珍事
           たやすく手に入れられない・稀
           貴重な・思いがけない
           大事なもの・貴重なもの
           たから・珍宝
           きちんとする
           めずらしがる
           大切にする

 ↓↑   ↓         ↓↑
 東晋317年~420年
  南朝の宋(420年~479年)朝貢記録
     宋 の史書『宋 書』
        夷蛮伝倭国の条(宋書倭国伝)
        永初二年(421年)
        宋の武帝は詔し
        倭讃が万里から貢物を修めて
        除授を賜う(爵号)
        元嘉二年(425年)
        讃は
        司馬曹達を宋に遣わし
        文帝に上表文を奉り
        方物(産物)を献じた
        讃が死んだ後
        弟の
        珍が王に立った

 ↓↑  ↓ ↓↓  ↑ ↑
 421年 安東将軍?(倭讃)
 438年 安東将軍 (倭珍)
 443年 安東将軍 (倭済)
 451年 安東大将軍(倭済)
 462年 安東将軍 (倭興)
 478年 安東大将軍(倭武)・・・雄略天皇
               (大泊瀬幼武・大泊瀬幼武尊)?
               (大長谷若建命・大長谷王)?
 479年 南斉建国
     鎮東大将軍(倭武)
 502年 梁建国
     征東将軍 (倭武)
   (征東大将軍?)
 ↓↑   ↓   ↓
 527年 丁未 継体天皇の崩御
 ↓↑   ↓   ↓
 ???年    安閑天皇 在位531年2月7日~535年12月17日
        勾大兄皇子(諱)
        広国押武金日天皇(日本書紀)
        広国押建金日命(古事記)
        ↓↑
        宣化天皇 在位536年1月 ?~539年3月15日?
        檜隈高田皇子(諱)
        武小広国押盾天皇(日本書紀)
        建小広国押楯命(古事記)
 ↓↑   ↓   ↓
 531年 辛亥 継体・欽明朝の内乱
        欽明天皇の即位
 535年 乙卯 安閑天皇の崩御
 ↓↑   ↓   ↓
 538年 戊午 百済から仏教伝来「元興寺縁起」?
 552年 壬申 百済から仏教伝来?
     欽明天皇十三年(壬申)十月
     百済の聖明王(聖王)が日本に使者
 ↓↑  ↓ ↓
     日本書紀
 ↓↑  ↓ ↓
     「呉国=中国南東部地域=南朝の宋」
      (応神天皇紀
       三十七年二月条
      「遣
       阿知使主
       都加使主
       於
       呉
       令
       求
       縫工女」
       四十一年二月条
      「阿知使主
       等
       自
       呉
       至
       筑紫」
       仁徳天皇紀
       五十八年十月条
      「呉国
       高麗国
       並
       朝貢」
       雄略天皇紀五年条
      「呉国
       遣使
       貢献」
          八年二月条
      「遣
       身狭
       村主
       青檜隈民
       使
       博徳
       使
       於呉国」
          十年九月条
      「身狭
       村主
       青等
       将
       呉所
       献
       二鵝」)
      「倭 隋(ワ ズイ)
       5世紀前半の
       倭王「珍」の臣」
      「司馬曹達(シバソウタツ)
       倭王「讃」の臣」

 ↓↑  ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
     南斉の史書『南斉書』
     梁 の史書『梁 書』
 ↓↑  ↓ ↓
    『梁塵秘抄』
     平安時代末期の
     歌謡集
     今様歌謡の集成
     編者は
     後白河法皇
     治承年間(1180年前後)の作
     ↓↑
    『梁塵秘抄』
     1911年(明治44年)・・・19+11
     佐佐木信綱
     らによって
     巻第二
     巻第一
     口伝集巻第一の断片
     口伝集の巻第十一~第十四・・・壱拾壱~壱拾肆
     が発見
     佐佐木の校訂で
     明治書院と岩波書店から刊行
    『梁塵秘抄』
     の中の歌が一般に知られたのは
     比較的新しい・・・
  ・・・「佐佐木信綱」・・・
     なんか、胡散臭い・・・人物カナ?

 ↓↑  ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
    『梁塵秘抄』
  ・・・梁塵=猟人・領地理・漁訊?
     梁=氵+刅+木・・・樑
       氵+刃+丶+木
       氵+刀+丶+丶+木
       リョウ
       うつばり
       はし=橋
       はり
       やな
       板などをかけ渡した橋
       屋根を支える横木
       やな
       川の瀬で水をせきとめ
       魚をとるしかけ
     塵=鹿+土
       鹿+十+一・・・鹿+壱拾壱(壹・臺)
              壱⇔売・賣⇔比賣・比売?
 ↓↑   ↓
     鹿苑寺(ろくおんじ)
 ↓↑       ↓ ↓ ↓
      ・・・録音事・六音字?・・・六音音階
         ・・・二六詩
            二六音字から成る
            「どどいつ(都都逸)」の異称
     京都市北区にある
     臨済宗相国寺派の寺
     建物の内外に金箔を貼った
     3層の楼閣建築である舎利殿は金閣(きんかく)
     舎利殿を含めた寺院全体は
     金閣寺(きんかくじ)
     相国寺の
     山外塔頭寺院
     寺名は開基(創設者)
 ↓↑   ↓  ↓ ↓
     塵=鹿+土・・・土=十+一=壱+拾+壱
       王の土地・・・鹿児島=王の児の領土?
      =芥・塵芥
       ジン・・・訊(たずねる)・塵灰
            盡=⺻+灬+皿
              肀+一+灬+皿
              ジン
              つかす
              つきる
              つくす
              ことごとく
              すがれる
              すべて出しきる
                 費やす、無くなる
              おわる
              すべて・みな・全部
            盡=尽=尽くす=尽くし
             =つくし=筑紫
 ↓↑  ↓   ↓      ↓
       ちり
       ごみ
       塵芥・・・埃及(エジプト)=砂漠・捌く
      「地理・知里・地利」
       が及ぶ
 ↓↑  ↓ ↓ ↓
     鹿=广+コ+11+比
       广+コ+11+上+匕
       广+コ+11+ト+一+匕
       眞垂(广)の角(コ+11)の上の七
 ↓↑  ↓ ↓ ↓
       广=崖の上の館(ピラミッド)
         コ+11=角(つの・かど・カク)
         上の女(七・牝・占(ト)う初め(一)
         占(ト)う初め(一)の女(ヒ・牝・匕)
         占(ト)う初め(一)を比べる
 ↓↑  ↓ ↓ ↓
     鹿=しか
       ロク
       鯨偶蹄目シカ科の哺乳動物の総称
       鹿角(ろっかく)・鹿砦(ろくさい)
       鹿鳴(ろくめい)・赤鹿(あかしか)
       箆鹿(へらじか)・馴鹿(じゅんろく)
       王・王位・帝位・政権・地位
       逐鹿(ちくろく)
 ↓↑  ↓ ↓ ↓
     麀=鹿+七=雌鹿
 ↓↑  ↓ ↓ ↓
     麁=⺈+广+コ+11+ト+一+匕
       ソ
      あらい
      おおきい
      くろごめ・・・玄米
      ほぼ
      あらい・うとい
      きめが荒い・粗末である・質がよくない
      荒々しい・はげしい・大雑把である
      玄米・精白されていない米
      ほぼ・あらまし・大体・おおよそ
      離れる・ばらばらになる・遠ざかる
 ↓↑   ↓↑
    「梁書」
 ↓↑   ↓↑
    『梁塵秘抄』
     遊びをせんとや生れけむ
     戯れせんとや生れけん
     遊ぶ子供の声きけば
     我が身さえこそ
     動がるれ
 ↓↑   ↓↑
     舞え舞え蝸牛
     舞はぬものならば
     馬の子や
     牛の子に
     蹴させてん
     踏破せてん
     真に美しく舞うたらば
     華の園まで遊ばせん
 ↓↑   ↓↑
    東屋 (あづまや ) の
    妻(つま)とも
    終 (つゐ・対?) に
    ならざりけるもの故に
    なにとて
    胸(むね・宗・旨・棟・ムネ?)
    を合はせ
    初 (そ・染?) めけむ
        ・・・初=はつ・書=捌・緒=肇
   (どうして
    わが胸を
    合わせ
    抱きあって
    しまったのか)
   「妻にするコトも出来なかったのに
    どうして
    体を合わせ
    ソメてしまったのだろう」
ーー↓↑ーー
  夏・殷・周→
  春秋戦国時代(宋)→
  秦
  前漢
  新
  後漢
  三国 魏呉蜀
  晋
  西晋
  東晋
  十六国
  南北朝
  宋
  北魏
  斉
  梁 西魏 東魏
  陳 北周 北斉
  隋
  唐
  周
  ↓↑
  五代十国
  宋
  北宋 遼 西夏
  南宋 金
  元
  明  北元
  後金
  清
  満洲 中華民国
 ↓↑
 倭王達は
 宋・・・宋=宋=宀+木
 ↓↑    殷周→春秋戦国時代(宋)→
      →秦→漢→魏→
      →晋→
 ・・・・・→南北朝(宋)→
 ↓↑     ↓↑
 ↓↑   →隋→唐→宋・契丹・金→元→明→清→
 ↓↑   →中華民国→
     →共産主義は
      「ム国家・ム国花・ム国歌・夢酷化」?
 ↓↑     ↓↑
       宋
       960年~1279年
       南北朝時代の南朝の一つ
       趙匡胤(チョウキョウイン)
       が建てた王朝
       宋=宀+木
        =宀+ 十+  八
         宇宙の天体を
            拾った葉の知(捌・さばく)
       趙匡胤が
       五代最後の
       後周から禅譲され建国
      「春秋時代の宋」
      「南北朝時代の宋」・・・倭の五王時代
      などと区別するため
      帝室の姓から
      「趙宋」とも呼ばれる
      国号の宋は
      趙匡胤が
      宋州(河南省商丘県)の
      帰徳軍節度使
      であったことによる
     「金」に
      華北を奪われ
      南遷した
      1127年以前を
      北宋
      以後を
      南宋と呼ぶ
      首都は
      開封・・・手紙、通信文の開封?
      南遷後
      臨安
      宋⇔金・遼・元
      1279年
      広州湾の崖山で
     「元軍」に撃滅され
      宋滅亡
     「崖山の戦い」
 ↓↑     ↓↑
      1279年
      干支 己卯
      日本
      弘安二年
      中国
      南宋
      祥興二年(2月6日まで)
      元
      至元十六年
      朝鮮
      高麗
      忠烈王五年
 ↓↑     ↓↑
      無学祖元が
      北条時宗の招請を受け
      寧波から
      博多を経て
      鎌倉に入る
 ↓↑
 倭王達は
 宋に
 半島南部の
 軍事的支配権の承認を繰り返し上申
 「使持節 都督
  倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓
  六国諸軍事
  安東大将軍 倭王」
 に任ぜられ
 「新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓」
 についての公認を得たものの
 「百済」
 に関しては認められなかった・・・?
 ・・・「倭=百済」・・・?
ーーーーー???ーーーーー
 ↓↑  ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↑ ↑
 ジィ(G) =字彙・事彙・辞彙・示威・自慰・辞意
 ソォ(SO)=蘇緖・曽於・曾於・壮夫・素生・祖緖
 ミ (MI)=見・観・診・視・巳・未・実・身・味
 ア (A) =有・在・蛙・雅・鴉・亜・阿・丫
 ↓↑
 「GSOMIA
 (軍事情報包括保護協定
  ジーソミア)」
 2019年11月23日午前零時に失効・・・
 ↓↑
 「General
  Security
   of
  Military
  Information
  Agreement,
  GSOMIA=ジーソミア」
 ↓↑
 (Agreement Between
   the Government of Japan
   and
   the Government
   of
   the Republic of Korea
   on
   the Protection
   of
   Classified Military Information)
 ↓↑
 2016年11月23日署名
 1年毎に自動更新
 協定破棄には
 更新3ヶ月前の通告必要
 2019年8月23日
 韓国が
 日韓GSOMIA
 を延長せず
 破棄を決定
 2019年11月23日午前0時
 失効
 ↓↑
 「日韓軍事情報包括保護協定」
 2国あるいは複数国間で
 秘密軍事情報を提供し合う際
 第三国への漏洩を防ぐために結ぶ協定
 日本はアメリカ合衆国
    NATOなど7カ国と
 アメリカ合衆国は60カ国以上
 韓国は21カ国と
 この協定を締結
 軍事技術だけではなく
 戦術データ
 暗号情報
 高度のシステム統合技術
 など
 有事の際の
 共同作戦に必要な
 情報が網羅的に対象となる
 秘密情報活動で得られた情報も含まれる
 ↓↑
 2007年8月10日
 日本とアメリカがGSOMIAに署名
 「秘密軍事情報の
  保護のための
  秘密保持の措置に関する
  日本政府
  と
  アメリカ政府
  との間の協定」
 (Agreement between
   the Government
   of
   Japan
   and
   the Government
   of
   the United States
   of
   America concerning
   Security Measures
   for
   the Protection
   of
   Classified Military Information)
 ↓↑
 ???・・・

仮(かり・假・𠖊・𠭊)の世界・・・諦?啼?帝?・・・蝃?醊?餟?綴?

$
0
0
 弐拾弐=念+貳・・・2+0+1+9+1+1+2+2=18・拾捌


 ・・・歴史上の「人物名」の「ヘン」・・・
 ・・・・・・・「数=かず=和」の「ヘン」・・・
 ・・・「滅び行く者達の興亡」・・・
 ↓↑
 334年
 干支=甲午
 日本
 仁徳天皇二十二年・・・弐拾弐=念+貳
 ↓↑
 中国
 東晋=咸和九年・・・咸(あまねく)和(やわらぐ)
 後趙=延熙元年・・・延(のばす)熙(キ)=𦣞+巳+灬=喜ぶ・広げる
                      𦣝+巳+灬=明らかにする
           𦣝=乳房
           巳=抱きつく赤子
           巸(イ)=赤子が乳を飲んで喜び穏やかになる
                赤子に乳を飲ませて養育する意
 成漢=玉衡二十四年・・・玉(たま)を衡(はかる)
 前涼=建興二十二年・・・建(たける)を興(おこす)
     (西晋元号を継続使用)
 代=烈皇帝(拓跋翳槐)六年
 ↓↑
 朝鮮
 高句麗=故国原王  四年・・・故国は原の王
 百済 =比流王 三十一年・・・流れを比べる王
 新羅 =訖解王 二十五年・・・訖(言を乞う)を解する王
 ↓↑
 後趙の皇帝石弘が廃位の後殺害される
 成漢の初代皇帝李雄が崩御、李班が即位
 成漢の皇族李期が李班を殺害して皇帝に即位
 ↓↑
 死亡
 陶侃、中国の西晋、東晋の武将(259年~334年)
 石弘、後趙の第2代皇帝。(313年~334年)
 ↓↑
   石 弘(せき こう)・・・石(いし・いわ)=丆(面)+口(〇)
               弘(ひろし・ひろい)=弓+厶
               弘文天皇?・・・大友皇子=伊賀皇子
              妃=十市皇女
              妃=藤原耳面刀自(藤原鎌足女)
                (耳面刀自=みみもとじ
                      みみものとじ)
              娘=壱志姫王(いちしひめのおおきみ)
              息子=葛野王~淡海真人・朝臣の祖(→淡海三船)
              母=伊賀采女宅子娘
             (いがのうねめ・やかこのいらつめ)
              姉妹=御名部皇女(みなべのひめみこ)
                 母は
                 蘇我倉山田石川麻呂の娘、姪娘
                 同母妹は阿陪皇女(元明天皇)
                 高市皇子の正妃
 ↓↑ ↓↑            長屋王の母       
   五胡十六国時代の
   後趙の第2代皇帝
   石勒・・・274年~333年8月
        字は世龍
        上党郡武郷県(山西省晋中市楡社県北西)
        出身の
        羯族・・・羯(ケツ・去勢した羊)
       (匈奴羌渠種の子孫
        羯人・・・羯諦羯諦 波羅羯諦?
             羯啼羯啼 波羅羯啼?
             羯帝羯帝 波羅羯帝?
             揭諦揭諦 波羅揭諦?
             故説
             般若波羅蜜多呪
             即説
             呪曰
             羯帝羯帝 波羅羯帝?
             波羅僧 羯帝
             菩提僧莎訶
             般若心経
        「その先は匈奴の別部
         分散して上党武郷の
         羯室に住んだので羯胡と号した」
        後趙が滅んだ350年頃
        漢人の
        冉閔の大虐殺で
        歴史から姿を消した)
        元の名を㔨
        幼名は㔨勒
        祖父は耶弈于
        父は周曷朱(乞翼加)・・・乞食に翼を加える
                     古事記に與句を加える?
        奴隷の身分から
        中原を統べる皇帝(鹿)まで昇った
                 ・・・滋賀・近江?
        中国史上唯一の人物
   ・・・石(いし)の・・・石=いし=医師・意思・意志・遺志
                 ウズベキスタン(Oʻzbekiston)
         ウズベキスタン=宇受別記州譚???
                 宇受部月州譚・・・宇受女=猿女
                 月即別・月祖伯
                 烏茲別克斯坦
                 烏茲別克斯坦
                 烏茲別克・烏茲別・克斯坦
                 石国(タシュケント・Toshkent)
                 石州=イシス・磐国・岩国
                 磐井の乱・岩居の伽藍
                 石猿=孫悟空=斉天大聖
                 明の民間説話
                『西遊記』
                 冥界を司る
                 地藏王菩薩が
                 孫悟空(斉天大聖)
                 地獄から
                 天の玉皇大帝に
                 上奏する
                 花果山・水簾洞・美猴王
                 觔斗雲・如意金箍棒
 ↓↑ ↓↑ 勒(ロク)=革+力⇔弥勒菩薩
                 地蔵菩薩=クシティガルバ
                 地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道
                 人道・天道に現れて衆生を救う菩薩
                 六道能化
              廿+中+十+力
              ロク
              おさえる
              おさめる
              きざむ
              くつわ
              ほる
              抑えつける・強制する
              まとめる・統率する
              きざむ・ほる
 ↓↑ ↓↑         くつわ・おもがい
   の次子
   字は大雅
   父は石勒
   母は程夫人
   石勒
   の死後に帝位に即いた
   実態は
   石虎(叔父)
   の傀儡
   翌年に殺害された
 ↓↑
   313年
   石勒
   の次子として生まれた
   322年2月
   石興
   が世子だったが早世し
   石弘が世子に立てられ
   中領軍の統率
   衛将軍に任じられ
   開府辟召
  (自らの幕府を開く事)を認められた
   326年10月
   石勒は鄴の宮殿を建て
   石弘に鄴の統治を任せようと考えたが
   鄴は
   中山王・・・中山=チュウサン
           =なかやま
           =那珂の讃(撰・宋・纂・簒)
         中大兄皇子・・・那賀大江(覆え)?   
   石虎(石勒の従子)
      ・・・従兄弟・従兄・伊都子・伊斗子?
    ・・・石虎=石(岩・磐)の
       虎(寅・斗羅・取等)・・・大海人皇子?
   が守っており
   鄴(河南省の都)
    ・・・鄴=業+阝=ギョウ
         业+䒑+未+阝
         业+丷+一+未+阝
         业+䒑+一+木+阝
         业+丷+一+一+木+阝
   を譲る考えは無かった
   石勒は
   程遐(石弘の母の兄)・・・?
    ・・・程
       遐=辶+叚=返
         叚=異体字「假・𠖊・𠭊・仮」
           簡体字「假」⇔イ+段=仮
                   階段⇔階反
                    段=反
         叚=ケ・カ=仮
           かりる・かす
           たとえれば
           もし~であれば
           if~as that~
 ↓↑ ↓↑    ↓↑ ↓↑
       瑕疵=玉+𠭊+疒+此
          玉+𠭊+疒+止+匕
          カ
          あやまち
          きず・欠点・かけめ
          過失・つみ・とが
          はるか・遠い
          瑕疵の玉 =和氏の璧=連城の璧
         (かしのタマ・かしのヘキ)
         『韓非子(和氏篇十三)』
         『史記』
 ↓↑     ↓↑  ↓↑ ↓↑
       蝦夷=虫+𠭊+夷
          虫+𠭊+大+弓
          虫+𠭊+大+弓
        中+厶+𠭊+一+人+弓
        中+厶+尸+二+ヨ+又+一+人+弓
        中+厶+厂+三+コ+又+一+人+弓
        中+厶+反+一+人+弓
 ↓↑     ↓↑
       霞=雨+𠭊
           𠭊=叚(口+ㅑ+コ+又)
           叚=口+ㅑ+コ+又
           𠭊=厂+≡+ヨ+又
       鍛=金+段・・・鍛冶
       鍜=金+𠭊・・・錏鍜
       鍜(カ・ゲ・しころ)≠鍛(タン・きたえる)
      錏鍜(アカ)=冑・兜の
             左右や後方に垂らし
             首筋を守る防具
 ↓↑  ↓↑
   と密談し
   石虎の家室を鄴から移らせた
   石虎は
   程遐を怨み
   程遐の家を夜襲させた
   石弘は鄴の鎮守を命じられ
   禁兵1万人を配され
   車騎が統べていた54の陣営全てを任せられた
   驍騎将軍
   領門臣祭酒王陽が
   六夷(胡族)を統率し
   石弘を補佐
   330年2月
   石勒が趙天王を称し・・・天王=天皇?
   石弘は天王立太子
   9月
   石勒が帝位に即く
   石弘は立皇太子
   石勒は側近の
   徐光へ
  「大雅(石弘)は穏やかな性格で
   将家の子でないかのようだ」
   と言うと
   徐光は
  「漢祖(劉邦)は馬上で天下を取り
   孝文(劉恒)は静守した
   聖人の後
   必ずや世に粗暴な者は不要となる
   これこそ
   天の道なのです」
   と答えた
   徐光は再び
  「皇太子は仁孝温恭ですが
   中山王(石虎)は雄暴多詐で
   もし一旦陛下に不慮のことがあれば
   社稷の危機を招くと憂慮しております
   中山の威権を少しずつ奪い
   太子を
   早く朝政に参画させられますように」
   と進言すると
   石勒は内心同意したが従わなかった
   これ以降も
   徐光・程遐は
   石勒へ
   強大な権力を有する
   石虎を除き
   石弘の地位安定を幾度も進言したが
   石勒は聞き入れなかった
   332年
   石勒は石弘に
   尚書の奏事の決済を命じると
   中常侍
   厳震にはこれを監督させ
   その可否を確認させた
   厳震は実質的に
   征伐・刑断の大事を預かるようになり
   威権は宰相をも凌ぐ程となっ
   石虎は一時の権勢を失って不満を募らせた
   ・・・「天武天皇(大海人皇子)」・・・?
   333年5月
   石勒は病に倒れる
   石虎・石弘・厳震
   を呼び出して禁中に控えさせた
   石虎は石勒の命と偽って
   石弘・厳震、内外の群臣や親戚を退け
   誰にも石勒の病状を伏せ
  「大雅(石弘の字)」
      石弘=弘文(大友皇子)?
    雅=鴉=烏=卯(兎・鵜=鸕)・・・?
   はまだ幼いので
   恐らく朕の志を継ぐにはまだ早い
   中山(石虎)以下
   各々の群臣は
   朕の命に違う事の無きよう努めよ
   大雅(石弘の字)は
   斌(石斌)
   と共に協力し
   司馬氏の内訌を汝らの戒めとし
   穏やかに慎み深く振舞うのだ
   中山王は深く
   周霍(周公旦と霍光)を三思せよ
   これに乗じる事の無い様に」
   と遺命を告げた・・・
   7月
   石勒が崩御
   石虎は
   石弘の身柄を抑え、朝廷に臨び
   程遐・徐光の逮捕を
   廷尉に下し
   子の
   石邃を呼び寄せ
   兵を与えて宿衛に侵入させた
   文武百官はこれに服従
   石弘は大いに恐れ
   石虎へ位を譲ろうとしたが
   石虎は
  「君(君主)が薨じたならば
   世子が立つものです
   これは礼の常であり
   臣はどうしてこれを乱せましょうか」
   と応じなかった
   石弘
   は涙を流して頑なに位を譲ろうとしたが
   石虎は怒って
  「もしその任に堪えられなかったならば
   自ずと天下で大議が起こりましょう
   どうして
   今その論を預かるに足りましょうか」
   と言い放ち
   石弘
   は強制的に皇帝に即位させられた
   延熙と改元
   嫡母の
   劉皇后は皇太后に立てられ
   文武百官は位を一等進められ
   程遐・徐光
   は誅殺された
   石勒は
   明帝と諡し、廟号を高祖とした
 ↓↑ ↓↑
   後趙の将軍
   石聡
   譙郡太守
   彭彪
   は各々
   東晋へ使者を派遣し、帰順を要請
   東晋朝廷は督護
   喬球に将兵を与えて救援させたが
   到着する前に
   石虎は兵を派遣して石聡らを誅殺した
   8月
   石弘は
   石虎を
   丞相・魏王・大単于として九錫を下賜
   魏郡を始め13郡を封国とし
   百揆を全て取り仕切るよう命じた
   石虎
   は形式的に辞退したがその命を受けた
   領内の死刑以下に大赦
   石虎の妻
   鄭桜桃を魏王后
   子の
   石邃を
   魏太子に立てた
   石邃を
   使持節・侍中・大都督
   中外諸軍事・大将軍・録尚書事に任じ
   石宣を
   使持節・車騎大将軍・冀州刺史に任じて
   河間王に封じ
   石韜を
   前鋒将軍・司隷校尉に任じて
   楽安王に封じ
   石遵を
   斉王に封じ
   石鑑を
   代王に封じ
   石苞を
   楽平王に封じ
   太原王
   石斌を
   章武王に改封した
 ↓↑ ↓↑
   石勒の文武旧臣は
   左右丞相府の閑職に追いやられ
   代わって
   石虎の府に仕えていた側近が重職を独占
   石虎は
   太子宮を
   崇訓宮
   と改称
   劉皇太后以下をみな移住させた
   鎮軍将軍
   夔安を
   左僕射に
   尚書
   郭殷を
   右僕射に任じた
 ↓↑ ↓↑
   劉皇太后は
   彭城王
   石堪と共に密かに
   石虎討伐を目論み
   石堪が
   兗州に出奔して
   南陽王
   石恢を盟主として担ぎ
   劉皇太后が詔をもって
   各地の諸将を集めて
   石虎を討伐しようとした
   9月
   石堪は
   襄国を出
   軽騎兵を率いて
   兗州を強襲したが
   落とす事が出来なく
   南へ逃走して
   譙城に入った
   石虎は
   将軍
   郭太
   らを派遣して追撃を命じた
   郭太らは
   石堪を
   城父において捕らえ
   襄国へ送還
   石虎はこれを
   火炙りで処刑
   劉皇太后を誅殺
   石恢を
   襄国に召還
   石弘の母
   程夫人を皇太后に立てた
   10月
   関中を統治の
   石生
   洛陽を統治の
   石朗
   は各々
   石虎討伐の兵を挙げ
   石生は
   秦州刺史を自称
   東晋に使者を派遣して帰順を請うた
   氐族酋長
   蒲洪は
   この混乱に乗じて
   後趙から離反し
   雍州刺史・北平将軍を自称し
   西進して
   前涼君主
   張駿に帰順した
   石虎は子の
   石邃に襄国の守備を任せ
   自ら歩兵騎兵7万を率いて出撃
   金墉(洛陽城の一角)へ進んで
   石朗軍を潰滅させ
   石朗は生け捕られ
   足を切断されてから
   殺された
   石虎は進軍し
   長安に到達
   子の
   石挺を
   前鋒大都督に任じた
   石生は将軍
   郭権に
   鮮卑の渉璝部の兵2万を与え
   石虎を迎え撃たせ
   石生自らも大軍を統率して後続し
   蒲坂まで進んだ
   郭権は
   潼関において
   石挺軍と激突し大勝
   石挺
   丞相左長史
   劉隗らは戦死
   石虎は
   澠池まで軍を退いた
   郭権配下の鮮卑は密かに
   石虎と通じ
   石生を裏切って攻撃に転じた
   石生は蒲坂に軍を留めており
   石挺が戦死した事を知らなかったので
   これに恐れ慄き
   単騎で長安へ逃走
   郭権は離散した兵3千を再び集め
   越騎校尉
   石広と
   渭汭において対峙
   石生は長安からも撤退し
   鶏頭山(鄠県の東にある)
   へと潜伏し
   将軍
   蒋英に長安を守らせた
   石虎は
   石生が逃亡したと知ると
   軍を進めて入関
   長安へ侵攻
   10日余りで陥落させ
   蒋英らを処断
   石生の部下は
   鶏頭山で
   石生を殺害し
   石虎に降伏
   郭権は
   隴西へと逃亡
   石虎は
   諸将を分けて
   汧・隴に駐屯させ
   雍州・秦州の
   漢人胡人10万戸余りを
   関東に移住させた
   将軍
   麻秋を派遣し
   蒲洪討伐を命じると
   蒲洪は2万戸を伴って
   再び石虎へ降伏
   石虎はこれを許し
   光烈将軍・護氐校尉に任じた
   秦州・雍州の民と氐族
   羌族の10万戸余りを関東へ移住させ
   蒲洪を
   龍驤将軍・流民都督に任じ
   枋頭(河南省鶴壁市浚県)に駐屯
   羌族酋長の
   姚弋仲を
   奮武将軍・西羌大都督に任じ
   兵数万を率いさせて
   清河の
   灄頭
   に移らせた
 ↓↑ ↓↑
   石虎は
   襄国に帰還し
   大赦を下した
   石弘には自らに
   魏台の建設を命じるよう促し
   魏が漢を輔けた故事に倣った・・・
   12月
   郭権は
   上邽に拠ると
   東晋へ使者を派遣し帰順を請うた
   京兆・新平・扶風・馮翊・北地
   はこれに呼応した
   334年1月
   延熙と改元
   鎮西将軍
   石広は
   郭権討伐に向かったが返り討ちに遭った
   3月
   石虎は将軍
   郭敖
   章武王
   石斌
   に歩兵騎兵4万を与え
   郭権討伐を命じ
   郭敖らは出撃
   華陰まで進んだ
   4月
   上邽の豪族は
   郭権を殺害し
   後趙に降伏
   石虎は
   秦州の3万戸余りを
   青州・并州の諸郡に移住させた
   仇池の南氐
   楊毅
   は後趙へ人質を送り、修好を求めた
   長安出身の
   陳良夫は
   黒羌へ逃走
   北羌王
   薄句大らと結託し
   北地・馮翊を侵犯し
   石斌・郭敖と対峙
   楽安王
   石韜
   らは騎兵を率いて
   薄句大の背後を突き
   石斌らと挟撃して破り
   薄句大を
   馬蘭山へ敗走させた
   郭敖は勝ちに乗じて深追いしたが
   反撃に遭って大敗
   7・8割の兵を失ったので
   石斌らは軍を収めて
   三城に帰還
   石虎は使者を派遣して
   郭敖を誅殺
   秦王
   石宏が怨み言を言ったとして
   石虎は彼を幽閉
   10月
   石弘は自ら
   璽綬(天子の印と組紐)を携えて
   魏宮を詣でると
   石虎へ帝位を譲る意を伝えた
   石虎は
  「帝王の大業というものは
   天下が自ずと議をなすものです
   どうしてこれを自ら論じましょうか」
   と拒絶
   石弘は涙を流し宮殿に戻り
   母の
   程皇太后へ
  「先帝の後裔は真に無くなりましょう」
   と語った
   尚書は
  「魏台(石虎)が
   唐・虞の禅譲の故事に依る事を求めます」
   と奏じたが
   石虎は
  「弘は暗愚である
   喪中にありながら
   このような礼なき振る舞いを行うとは
   万国の君となるべき存在ではない
   これは廃するべきであり
   どうして禅譲など受けようか」
   と述べた。
   11月
   石虎は
   丞相
   郭殷に節を持たせて入宮させ
   石弘を廃して
   海陽王に封じた
   石弘は群臣へ向けて
  「庸昧(愚鈍)であったため
   大統を纂承するに堪えられなかった
   群臣を顧りみれば
   慚愧するばかりである
   これもまた天命が去ったと言う事であろう
   これ以上何を言おうか」
  と言い残した
  石弘は
  程皇太后
  秦王
  石宏
  南陽王
  石恢
  と共に幽閉され
  殺害された
 ↓↑ ↓↑
 宗室
 父
 石勒
 母
 程氏
 兄
 石興(最初の世子、早世)
 弟
 石宏(秦王)
 石恢(南陽王)
 石斌(石虎の子、石勒の養子となる、太原王)
 石堪(旧姓は田、石勒の養子となる、彭城王)
 石生(石勒の養子となる、河東王)
 ↓↑ ↓↑
 楊難敵、前仇池の第2代君主
 李雄、成漢の初代皇帝(274年~)
 李班、成漢の第2代君主(288年~)
 ↓↑ ↓↑
 338年
 干支=戊戌
 日本 :
 仁徳天皇二十六年
 皇紀998年・・・339年→999年
 中国
 東晋=咸康四年
 後趙=建武四年
 成漢=玉恒四年、漢興元年
 前涼=建興二十六年
   (西晋の元号を継続使用)
 前燕=太祖文明帝(慕容皝)五年
 代 =建国元年
 朝鮮
 高句麗=故国原王 八年
 百済 =比流王三十五年
 新羅 =訖解王二十九年
ーーーーー
 卑弥呼(生年不明~242年~248年)
 臺與(とよ・いよ・生没年不詳)
 『三国志 (魏書東夷傳倭人之条)』
 卑弥呼の宗女
 卑弥呼の跡を十三歳で継いだ
 『魏志倭人伝』・・・「壹與」
 『梁書倭国伝』・・・「臺與
 『北史倭国伝』・・・「臺與」
 張政が倭に渡った
 正始八年(247年)
 ~
 卑弥呼は
 『梁書』の記録
 正始十年(249年)・・・四月に嘉平改元
 までに逝去・・・
 ↓↑ ↓↑
 泰始元年(265年)十二月
 曹操の魏
 司馬懿の晋
 へ禅譲革命
 ↓↑ ↓↑
 壹與の女王継承と継承後・・・
 倭の五王(互応)・・・
 150年後
 ↓↑ ↓↑
 413年 義熙九年
     倭王讃の朝貢・・・
 ↓↑   ↓↑
 421年 安東将軍?(倭讃)
 438年 安東将軍 (倭珍)
 443年 安東将軍 (倭済)
 451年 安東大将軍(倭済)
 462年 安東将軍 (倭興)
 478年 安東大将軍(倭武)・・・雄略天皇
             (大泊瀬幼武・大泊瀬幼武尊)?
             (大長谷若建命・大長谷王)?
 479年 南斉建国
     鎮東大将軍(倭武)
 502年 梁建国
     征東将軍 (倭武)
   (征東大将軍?)
ーーーーー
 天豊姫命説
 尾張氏、海部氏の祖
 彦火明、七世孫
 建諸隅命の子
 天豊姫を
 臺與とする
 二世代前に
 日女命(宇那比姫・卑弥呼?)
 ↓↑ ↓↑
 豊玉姫命説
 梁書倭国伝・北史倭国伝
 『正始年間(240~249年)
  卑弥呼死亡
  男王が立つが国中が服さず
  更に互いに誅殺しあう
  卑弥呼の宗女である
  台与が立ち王となる
  その後
  また男王が立つ』
 豊玉姫命
 天照大御神の
 曾孫の
 山幸彦と結婚
  鸕鶿草-葺不合尊
 (うがやふきあえずのみこと)
 ↓↑ ↓↑
  天津-日高-日子-波限佐建
       鵜草-葺不合-命
 (あまつひこ ひこ なぎさたけ
       うがやふきあえず の みこと)
 ↓↑ ↓↑
  彦- 波瀲-武-鸕鶿草-葺不合
 (ひこなぎさたけうがやふきあえず)
 ↓↑ ↓↑
  盧茲草葺不合尊
 (うがやふきあえず)
 を出産した後、山幸彦のもとを去っている。
 ↓↑ ↓↑
 豊鍬入姫命説
 崇神天皇の皇女
 豊鍬入姫命
 天皇の命で
 天照大神を祭った
 初代
 斎宮が臺與
 卑弥呼を
 倭迹迹日百襲媛命・・・百済を襲った女の爰の命?
 (ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)
 卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命=箸墓古墳
 ↓↑ ↓↑
 豊姫説
 神功皇后の妹
 豊姫
 肥前国風土記の神名帳頭注
 「人皇卅代欽明天皇の
  廾五年(564年)甲申
  肥前國
  佐嘉郡
  與止姫神鎭座
  一名豐姫」
 與止日女神社の祭神
 ↓↑ ↓↑
 「卑弥呼+台与」説
 「二人の天照大神」説
 「天の岩戸伝説の
  前後の
  天照大神(アマテラス)は別人物
  卑弥呼と台与である」
 卑弥呼没年前後1月の
 皆既日食
 「岩戸隠れ」を説明
 ↓↑ ↓↑
 「二人の神功皇后」説
 『日本書紀』は
 神功皇后の在位期間を
 卑弥呼
 と
 台与
 の両方を含む年代に設定
 卑弥呼+台与=神功皇后
ーーーーー
 ・・・ボクに「記化」されたモノの「史料の資料」は
 以上も過去も「原文」の殆どは
 ・・・by 「ウィキペディア(Wikipedia)」・・・
 多分、これからもデス・・・仮の説で妄想が30%以上・・・
 ↓↑ ↓↑
 「日本書紀」
  大友即位の事実を抹殺
  壬申の乱で死んだ皇族は
  大友皇子
  と
  山部王の二人だけ
 ↓↑ ↓↑
 『扶桑略記』
 「天智天皇十年十月
  大友太政大臣が皇太子に立った
  十二月三日
  天皇が崩じ
  同五日
  大友皇太子が帝位についた」
 ↓↑ ↓↑
 天智天皇の死後の
 大友皇子即位説
 皇后
 倭姫王 即位
 倭姫王称制説
 ↓↑ ↓↑
 𠭊. 譚長說:叚如此。
 清代段玉裁《說文解字注》. 借也。
 人部假云非眞也。此叚云借也。
 然則凡云假借當作此字。
 古多借瑕爲叚。
 晉士文伯名匈字伯瑕。
 楚陽匈、鄭駟乞皆字子瑕。
 古名字相應。則瑕卽叚也。
 禮記公肩假、古今人表作公肩瑕・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・

連翹(レンギョウ・Forsythia・フォルシシア)・練行・連衡・・・鎮痛薬・鴆通訳・陳寿通訳

$
0
0
 安東将軍?(倭讃)・・・???
 安東将軍?
 ↓↑

 安東氏(あんどう)
 中国の地名(アントン、Āndōng, Antung)
 安東省=中華民国にかつて存在した省
 安東県・安東市=中華人民共和国
 ↓↑       遼寧省
         丹東市の旧称⇒丹東市
         遼寧省(Liaoning)
         東北部に位置
         省都は瀋陽
         主要都市は大連
         旧称は盛京省
         後に奉天省
         遼寧省
         瀋陽市・・・盛京=ムクデン (mukden)
         北緯41度47分
 ↓↑       ↓↑
         大連市
         北緯39度02分
 ↓↑       ↓↑
         平壌
         北緯39.03度
 ↓↑       ↓↑
         北緯38度43分~40度10分
         緯度付近
         仙台市
         サンフランシスコ市
         ワシントンD.C
 ↓↑      アテネ市
 安東県=中華人民共和国
     江蘇省
     漣水県の旧称
 安東郷 (忻城県) =中華人民共和国
          広西チワン族自治区
          来賓市
          忻城県の郷
 安東郷 (漢源県)=中華人民共和国
          四川省
          雅安市
          漢源県の郷
 ↓↑
 安東市(アンドンシ)
 大韓民国
 慶尚北道の中部にある市・・・慶(よろこび)
               尚(なお)
               北の道
 慶尚北道の道庁所在地
 ↓↑
 韓国
 安東市
 ↓↑

 下位行政区画 1邑13面10洞
 安東市の木  チョウセンレンギョウ
        朝鮮連翹・・・練行・蓮行・連衡
        漢方医学で
        解熱剤、消炎剤、利尿剤
        排膿剤、腫瘍・皮膚病
        などの鎮痛薬に用いる
        属名のForsythia(フォルシシア)は
        19世紀初頭(1737年~1804年)
        イギリスの園芸家
        ウィリアム・フォーサイス
        (William A. Forsyth)
        による
        Forsythia(フォルシシア)=レンギョウ属
        suspensa=吊るした
        古名は鼬草(いたちぐさ)
 安東市の花  ウメ・・・梅・宇女・宇目・埋め・産め
 安東市の鳥  カササギ・鵲・襲詐欺?
 緯度 36.566 度・・・
 ↓↑    東京都
        新宿区
        西新宿二丁目8番1号
        北緯35度41分
        都の木 イチョウ
        都の花 ソメイヨシノ
        都の鳥 ユリカモメ
 ↓↑      ↓↑      
        千葉県千葉市
        北緯35度36分
        県の木 マキ
        県の花 菜の花
        県の鳥 ホオジロ
        県の魚   タイ
 ↓↑      ↓↑
        神奈川県
        横浜市中区日本大通1番
        北緯35度26分
        県の木 イチョウ
        県の花 ヤマユリ
        県の鳥 カモメ
 ↓↑      ↓↑
        山梨県甲府市丸の内
        北緯35度39分
        県の木 カエデ
        県の花 フジザクラ
        県の鳥 ウグイス
        県の獣  カモシカ
 ↓↑      ↓↑
        京都府京都市
        上京区
        下立売通
        新町西入藪の内町
        北緯35度1分
        府の木 北山杉
        府の花 しだれ桜
              嵯峨ぎく
             ナデシコ
        府の鳥  オオミズナギドリ
 ↓↑      ↓↑
        知夫里島(ちぶりじま)
        北緯36度01分
        隠岐諸島
        隠岐国(おきのくに)
 ↓↑      ↓↑
        島根県松江市殿町
        北緯35度28分
        県の木 クロマツ
        県の花 ボタン
        県の鳥 ハクチョウ
        県の魚   トビウオ
 ↓↑      ↓↑
        福井県福井市大手
        北緯36度3分
        県の木 松
        県の花 水仙
        県の鳥  つぐみ
 ↓↑      ↓↑
        岐阜県岐阜市薮田
        北緯35度23分
        県の木 イチイ
        県の花 レンゲソウ
        県の鳥 ライチョウ
        県の魚 アユ
 ↓↑      ↓↑
        長野県長野市
        大字南
        長野字幅下
        北緯36度39分
        県の木 白樺
        県の花 リンドウ
        県の鳥 雷鳥
 ↓↑      ↓↑
        群馬県前橋市大手町
        北緯36度23分
        県の木 クロマツ
        県の花 レンゲツツジ
        県の鳥 ヤマドリ
        県の魚  アユ
 ↓↑      ↓↑
        埼玉県さいたま市
        浦和区高砂
        北緯35度51分
        県の木 ケヤキ
        県の花 サクラソウ
        県の鳥 シラコバト
 ↓↑      ↓↑
        茨城県水戸市笠原町
        北緯36度20分
        県の木 ウメ
        県の花 バラ
        県の鳥 ヒバリ
 ↓↑      ↓↑
        青島
        膠東半島の南岸
        北緯36度5分
        山西省
        太原市・・・別称 龍城
              旧称 晋陽
              略称 晋
        北緯37度52分


        陝西省
        西安市・・・略称 鎬
              旧称 長安
        北緯34度16分
 ↓↑      ↓↑
        甘粛省
        蘭州市
        略称 蘭
        別称 金城
        北緯36度03分
 ↓↑      ↓↑
 寧夏回族自治区
 (ねいかかい)
 銀川市
 簡体字 宁夏
 繁体字 寧夏・・・寧夏
       ニンシャー
 ↓↑      ↓↑
 寧夏     寧夏
 ↓↑      ↓↑
 哱拝(ボハイ)の乱
   1590年(万暦二十年)
   明代中国の
 寧夏で起き
   明軍副総兵
   の
   ボハイ(哱拝)による反乱
  「哱拝」は元、投降モンゴル人
   寧夏兵変、寧夏の役とも
   困窮した
   家丁兵士側の
   自主的蜂起
   万暦帝の治下の
   万暦の三征の一・・・
ーー↓↑ーー
 1592年
 干支    壬辰
 日本    天正二十年
 皇紀2252年
 中国
 明     万暦二十年
 李氏朝鮮  宣祖二十五年
 ↓↑
 1592年(万暦二十年)2月18日
 劉東暘
 に率いられた兵士
 200人が兵備副使の
 石継
 と
 巡撫の
 党香を殺害し
 役所の印を奪い
 6門を閉鎖
 囚人を解放
 略奪や焼き討ちを始めた
 5月2日
 巡撫に新任された
 朱正色
 が
 董一奎
 牛秉忠
 と共に城を攻めた
 5月6日
 モンゴル軍が黄河を越えて侵入
 ↓↑
 5月10日
 豊臣秀吉・・・文禄・慶長の役(~1593年)
       「海路諸法度」
        ホンタイジ誕生
        清の第2代皇帝
       (1592年11月28日~1643年)
       (万暦二十年十月二十五日)
 ↓↑
 が
 朝鮮四道を破るとの情報が伝わり
 明朝では
 寧夏の反乱軍を懐柔しつつ
 モンゴル兵を計略で退去させ
 朝鮮へ注力することを画策
 魏学曽
 の罷免案
 援軍の
 梅国楨
 李如松
 が現地に到着
 ↓↑
 5月11日
 モンゴル兵
 が万騎で渡河・侵入
 賀蘭山から
 平虜まで進出
 寧夏国境は牧地となった
 ↓↑
 6月6日
 都御史の
 葉夢熊
 が
 霊州で
 神砲器400車を調達
 ↓↑
 6月19日
 明軍4万と苗兵による攻勢が計画
 ↓↑
 6月20日
 李如松
 梅国楨
 が城南に移陣し
 哱拝
 とモンゴルの連絡を遮断
 6月22日
 6月23日
 攻城を実施失敗
 6月25日
 明軍は
 哱拝父子以外の赦免を条件に降伏を要求
 許朝は拒否
 籠城が長く食糧の不足
 城内では
 明軍に内応する者が出始め
 反乱軍と戦った
 ↓↑
 7月4日
 モンゴルとの連絡を絶たれた
 哱拝は城を捨て
 モンゴルへ走ることを提案
 息子の
 哱承恩
 は反対
 7月11日
 明軍は
 寧夏城の東北が低地であることから
 水攻め開始
 7月17日
 総督の
 魏学曽
 が罷免
 葉夢熊
 が後任
 7月18日
 堤防が完成、湖の水が注がれた
 モンゴル軍が
 沙湃
 などへ侵入
 哱拝や許朝は寧夏への誘導を行ったが
 退去するモンゴル兵が多かった
 7月20日
 水攻めにより
 寧夏城が浸水
 ↓↑
 8月1日
 反乱軍が船で堤防を破壊
 水が引いた
 破壊された堤防を築いた
 呉世顕
 は明軍に責任を追及されて処刑
 8月7日
 堤防が修復されて再度水が注入
 城内は食糧不足、餓死者が続出
 8月25日
 土文秀は重病
 劉東暘
 許朝
 土文秀
 の兵を分け
 狼煙を上げてモンゴルの来援を待った
 モンゴル側では
 着力兎
 の800騎が鎮北堡から侵入
 8月27日
 モンゴル数千騎が侵入
 哱承恩
 を救出して
 寧夏
 へ住牧すると表明
 明軍に撃破される
 ↓↑
 9月3日
 明軍陣営に
 浙兵1000
 苗兵・荘浪土兵が到着
 9月5日
 浸水で北方城壁が崩れる
 反乱軍は貧民をし
 富民より米を供出させ
 反抗される
 9月8日
 梅国楨
 葉夢熊
 が南方より入城
 城民は歓迎
 梅国楨
 は
 哱拝
 父子を説得するも失敗
 9月9日
 劉東暘
 許朝
 が
 土文秀
 を殺したことにより
 哱拝
 父子から警戒される
 9月16日
 明軍は
 許朝
 劉東暘
 を殺し
 城上に晒し首
 9月17日
 明軍は
 哱承恩
 を生け捕りにし
 哱拝
 は家丁を率いて抵抗し
 最後に自殺して遺体を焼かせた
 明軍は火中から死骸を取り出し斬首
 「哱拝の反乱」は終結
 ↓↑
 11月11日
 哱承恩
 は京師にて磔刑
ーー↓↑ーー
 古代
 昌寧国
 三国時代
 新羅に吸収
 古昌郡 設置
 豪族
 金宣平(安東金氏の祖)
 高麗建国に功績
 高麗時代
 安東府に昇格
 吉州に名称を変え
 1012年
 再び安東府
 高麗の後期
 都護府
 大都護府が設置
 朝鮮王朝時代
 安東府への昇格
 安東県への降格
 を幾度か繰り返した
 鮮王朝時代中期
 李滉がこの地で生まれた
 陶山書院を拠点に教育を行い
 嶺南学派を形成した。
 1895年
 安東府が
 安東郡となり
 広域行政区画である
 安東府(観察府)が置かれた(二十三府制)
 1896年
 観察府は廃され
 慶尚北道(十三道制)に所属
 1914年
 礼安郡を編入
 ↓↑


 ↓↑
 王朝時代の儒学者
 李滉の故郷
 儒教的伝統地=河回村・・・?
 『仮面劇』、李退渓(イ・テゲ)の故郷?
 洛東江が円く曲がって村を囲んだ地形から
 「河回村(ハフェマウル)」と名称された
 ↓↑
 紀元前59年
 念尚道師
 によってつくられた
 昌寧国
 が起源・・・
 新羅時代は
 高敞郡(コサングン)
 高麗時代に
 安東府・・・高麗時代(918年~1392年)
 ↓↑    918年
       王建(太祖)が建国
       936年
       朝鮮の
       後三国を統一した
       李氏朝鮮の
 ↓↑    1392年まで続いた・・・
 が設置され「安東」の地名が初出・・・???
 「413年 義熙九年
       倭王讃の朝貢」・・・
 「438年 安東将軍(倭珍)」の
 「拝命・役職名」の
 「安東」ではない・・・?
 ・・・時代もズレる1392-438=954・・・
 ・・・「支配権の地名地域」ではないならナニ?
 ・・・東方を安堵・安寧・安定・治安・・・・する?
 ↓↑
 「新羅」について
 「沙比(サヒ)の新羅(神功皇后四十七年四月条)」
 「匝羅(サフラ)の表(雄略九年三月条)」
 「沙比(サヒ)」も
 「匝羅(サフラ)」も同じ地で
 「草羅(サフラ)」とも書き
 慶尚南道
 梁山市・・・梁山泊?
 を指す
 「梁山」は
 倭国にとって
 対「新羅」
 戦略上重要な地点
 そのまま
 「新羅方面」を指す呼称となった・・・
 匝=サフ・ソウ・めぐる・異体字「帀」
   めぐらす・とりまく
 羅=ラ・・・ラリルレロ
 「匝羅=サフラ=草羅=ソウル」?
 ↓↑
 陁=阝+㐌
   阜=阝(こざと・こざとへん・おか)
   イ
   タ
   チ
   斜め・斜めになっているさま
   山が長く連なってのびているさま
   平坦でない・平らでない・道が険しい
   崩れる・壊れる・崩れ落ちる
   㐌(yi・イ)=𠂉+也
    ↓↑
 拓跋 猗㐌(たくばつ いい)
 267年~305年
 鮮卑族の中部拓跋部の大人(部族長)
 拓跋沙漠汗の長男
 弟に
 拓跋猗盧・拓跋弗
 子に
 拓跋普根・拓跋賀傉・拓跋紇那
 『宋書』で
 「索頭単于猗駞(いだ)」
 と書かれる
 ↓↑
 阤=阜+也
   チ・ジ・イ
   阜阝せ也阤
   壊(こわ)れる
   壊れてぱらぱらと落ちる
   大きく崩れるのは
  「崩・陁・陊」
  「國語・周語下・靈王二十二年
   ・・・是故聚不阤崩而物有所歸(大曰崩小曰阤)・・・」
   急な坂
 ↓↑
 陁=阝+㐌
   阜=阝(こざと・こざとへん・おか)
   イ
   タ
   チ
   斜め・斜めになっているさま
   山が長く連なってのびているさま
   平坦でない・平らでない・道が険しい
   崩れる・壊れる・崩れ落ちる
   㐌(yi・イ)=𠂉+也
 ↓↑  ↓↑
 拓跋 猗㐌(たくばつ いい)
 267年~305年
 鮮卑族の
 中部
 拓跋部の大人(部族長)
 拓跋沙漠汗の長男
 弟に
 拓跋猗盧・拓跋弗
 子に
 拓跋普根・拓跋賀傉・拓跋紇那
 ↓↑
 『宋書』で
 「索頭単于猗駞(いだ)」
 と書かれる
 ↓↑
 阤=阜+也・・・陁=阝+𠂉+也(乜+丨)
          阝=阜(丘)・邑(村・里)
          𠂉=髪挿し・櫛
          也=乜+丨
            乜(バ・メ)=斜視・藪睨み
          squint=目を細めて見る
              ちらりと見ること
              横目で見ること
              斜視
              skwint・スクィントゥ
            丨(コン)=棒
 ↓↑
 阤=チ・ジ・イ
   阝=阜
   也=乜+丨
 阤=壊(こわ)れる
   壊れてぱらぱらと落ちる
   大きく崩れるのは
  「崩=陁=陊」
  「國語・周語下・靈王二十二年
   ・・・是故聚不阤崩而物有所歸
     (大曰崩小曰阤)・・・」
   急な坂
 ↓↑
 高句麗=(コマ・狛・貊・駒)
 高麗=(コマ・高驪)
 百済=(クダラ・クタラ・伯済)
 新羅=(シラギ・シラキ・斯盧・斯羅)
 『日本書紀』の訓
 ↓↑
 高句麗=たかくら=高倉・高蔵・高庫・高鞍?
          鷹倉・多可句等?
 ↓↑
 『三国志・東夷伝』
 「馬韓五十五国」の一国
 「乾馬国」
  or
 「古蒲国」
 ・・・
 「新羅城」
 ↓↑
 「クタラ」
 『三国史記・地理志』
 居陁郡⇔クタラ・・・もとの地名?
 居陁郡の比定地
 慶尚南道
 晋州市(居陁州)・・・?
 or
 慶尚北道
 安東市(古陁耶)・・・?
 ↓↑ ↓↑
 しらナイ・・・「白・師等・氏等・士等」
        「知ろ・城・代」
        「知らす・白洲・白子・白須」
         +
        「な・に・ぬ・ね・の」
         +
        「イ」?
         名似ぬ音の
 ↓↑  ↓↑
 くだらナイ・・・「くだる・下る・降る」
         「くだける・砕ける」
         「くだ」
          +
         「ら・り・る・れ・ろ」
          +
         「な・に・ぬ・ね・の」
          +
         「イ」?
          名似ぬ音の
 ↓↑
 静岡市
 葵区
 安東・北安東
 広島市
 安佐南区
 安東(やすひがし)・・・?
 ↓↑
 安東
 安東=あんどう=安藤=安堂=安道=阿藤=杏藤
 安東=あんとう=安島・安嶋・安納・暗闘
 ↓↑
 安東将軍?
ー↓↑ー
 壹與の
 女王継承と
 継承後・・・
 倭の五王(互応)・・・
 150年後
 ↓↑ ↓↑
 413年 義熙九年
     倭王讃の朝貢・・・
 ↓↑ ↓↑
 421年 安東将軍?(倭讃)
 438年 安東将軍 (倭珍)
 443年 安東将軍 (倭済)
 451年 安東大将軍(倭済)
 462年 安東将軍 (倭興)
 478年 安東大将軍(倭武)
 ↓↑・・・雄略天皇
     (大泊瀬幼武・大泊瀬幼武尊)?
      大=一+人=ハジメのヒト
      泊=氵+白=サンスイのシロ
      瀬=氵+束+頁=サンスイを束ねるページ
      幼=幺+力=チイサイチカラ・揚力?
      武=一+弋+止=ハジメの
        弋=ヨク・イキ
          いぐるみ・ とる
          くろい・うかぶ
          獲物をからめとる・弋猟
          くろい・黒色
          うかぶ・水にうかび泳ぐ
     (大長谷若建命・大長谷王)?
      大=一+人=ハジメのヒト
      長=丨+≡+𧘇
       =镸=丨+≡+一+厶
       =兏=厂+卜+兀
      谷=八+𠆢+口
      若=艹+ナ+口
      建=廴+聿
        廴⇔㇋+乀
          及=㇋+人
          乃=㇋+丿
            丆+丂=丆+𠃑
            丆+ㄅ
            丂=一(気)に
              礙(さまた)げらる
              巧(たくみ)
              曲刀⇔鎌
              刳(えぐ)りとる曲刀
              彫刻刀・鑿(のみ)
          乃蛮=ナイマン
          10~13世紀
          アルタイ山脈と
          その西方の
          イルティシ川流域で活躍した
          トルコ系の遊牧民族
          1204年(元久元年)
          ジンギスカン(成吉思汗)に敗北
          西方に移動して復興
        聿(イツ・イチ)
        聿=肀+二=筆(ふで)
          肀+一+一
 ↓↑  ↓↑
 479年 南斉建国
     鎮東大将軍(倭武)
 502年 梁建国
     征東将軍 (倭武)
   (征東大将軍?)
ーーーーー
 ・・・???・・・
 高麗(918年~1392年)
 王建(太祖)が建国
 李氏朝鮮建国の
 1392年まで続いた国家
 首都は
 開京
 ↓↑
 新羅の朝鮮半島統一
 8世紀末~9世紀
 王位継承戦争
 農民反乱
 真聖女王・・・真聖「女王」
        ?~897年12月31日
        新羅下代(676年~ 935年)の唯一の女王
        三国時代の3番目、最後の女王
        在位887年~897年
        平安時代の
        宇多天皇と同時代
        姓は金
        諱は曼または垣
        恵文王の娘
 ↓↑      ↓↑
        広開土王碑
       「百殘 新羅
        舊是屬民・・・新羅・百残は(高句麗の)属民
        由來朝貢
        而
        倭
        以
        耒卯年・・・辛卯年(391年)・・・391年
        來渡海
        破
        百殘 加羅 新羅
        以為臣民」・・・倭の臣民となした
        碑文=甲寅年九月廿九日乙酉
           西暦414年10月28日
       「好太王」の業績を称え
        子の
       「長寿王」が設置


       『宋書(倭の五王)』
       「讃、珍、済、興、武」
        倭の王(天皇)
       「使持節都督、倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓
        六国諸軍事・安東大将軍・倭国王」
       「安東大将軍」
 ↓↑
 時代
 地方豪族たちが
 新羅を分裂させた
 892年
 半島西南部で
 甄萱
 が後百済建国
 901年
 弓裔
 が後高句麗(泰封と改称)建国
 以降を後三国時代
 ↓↑
 後高句麗
 の将軍
 王建は
 後百済との戦争で何度も勝利
 弓裔
 に命を狙われた
 弓裔は
 失政を重ね、民衆不満
 自分を
 「弥勒菩薩」
 ↓↑・・・弥=弓+尓=彌=弓+爾=镸+爾
        弓+丿+乛+小
      彌=弓+爾
        弓+一+八+冂+丨+㸚
        弓+一+八+冂+丨+爻+爻
        弓+一+八+冂+丨+爻+㐅+乂
        弓+一+八+冂+丨+㐅+乂+爻
        弓+一+八+冂+丨+㐅+乂+㐅+乂
        ビ
        ミ
        や
        あまねし
        いや
        いよいよ
        つくろう
        ひさしい
        わたる
        ひさしい・とおい
        わたる・月日を経る・時間が経過する
        広く行きわたる
        つくろう・おぎなう
        ほころびを縫ってつくろう
        いよいよ・ますます
        いや・いよいよ・さらに
        や・弥生(やよい)
 ↓↑   勒=革+力
       ロク
       おさえる(抑える)
       おさめる(治める)
       きざむ(刻む)
       くつわ(轡)
       ほる(彫る)
       と呼ばせて
       超能力があるとし
       反対派を粛清
 ↓↑
 918年6月
 騎將の
 洪儒
 裴玄慶
 申崇謙
 卜智謙
 らが
 王建を王に推戴
 王建は断るが
 妻の
 柳氏が鎧を着させ、督励
 弓裔は山中に逃亡隠れ
 麦と穂を盗んで食べる途中
 民たちによって殺害された
 建国の地
 鉄山(円山)は
 高句麗の旧領内なので
 国号を「高麗」
 年号を「天授」と改元
 ↓↑
 その後
 高麗と後百済の戦争が一進一退
 935年
 後百済の王の
 甄萱
 が四男の
 甄金剛に王位を継がせようし
 長男の
 甄神剣
 が反乱
 父を廃位し
 後百済王となった
 甄神剣は
 甄萱を寺院に監禁
 935年6月
 脱出し、高麗に亡命
 王建は
 甄萱を
 尚父と呼んで厚遇
 11月
 新羅の
 敬順王が君臣を挙げて
 高麗に帰順
 新羅は高麗に吸収合併
 後百済は弱体化し
 936年
 高麗の攻撃で滅亡し
 高麗によって統一された・・・
ーーーーー
 ・・・
 1145年・・・・・
 朝鮮半島史書
 「三国史記」が完成
 1145年
 干支 乙丑
 日本
 天養二年、久安元年
  (天養元年十二月七日
  ~
  久安元年十一月十六日)
 中国
 南宋 紹興十五年
 金  皇統五年
 西夏 人慶二年
 ↓↑
 1146年
 平清盛、安芸守
 ↓↑
 1147年5月9日(久安三年四月八日)
 誕生
 源頼朝、鎌倉幕府初代征夷大将軍(~1199年)
 ↓↑
 『東京夢華録』(とうけいむかろく)
 南宋の
 孟元老が撰した回想録・10巻
 北宋時代の
 首都・開封の繁栄が詳細に誌されている
 「東京=開封」
 1127年
 北宋が
 金に滅ぼされる
 宋人が江南へ
 逃亡した
 孟元老が
 1147年に旧都開封を
 回想して誌した
 のが『東京夢華録』
 ↓↑
 隋・唐代
 首都・長安
 人口100万人
 条坊ごとに
 周囲を牆壁に囲まれ
 条坊間の夜間通行が制限された
 対して
 北宋代
 開封は通行制限はなく
 瓦子(がし)と呼ばれる盛り場で
 昼夜、飲食店・商店・劇場が開かれ
 大道芸が行われ
 多くの住民が
 都市生活を謳歌
 『東京夢華録』は
 北宋代の首都
 開封の市民生活を描いた風俗志
ーーーーー
 ・・・

申命記⇔モーゼ⇔申す⇔申=さる・シン=猿・猨・狙・猱・猴 ⇔然る・砂流・沙流

$
0
0
 捌く=deal・manage・explain・八=8=〇+〇⇔∞
 ↓↑
 申命記・・・十戒・・・石版・・・述懐・拾回・拾囘・拾階
 モーゼ=ギリシア語 Μωυσής
     ラテン語   Moyses・Moses
     ヘブライ語 ‎モーシェ
  ↓↑
 「モーゼ」≠「ラモーゼ」
 「ラモーゼ」・・・等(ラ)申せ(モーゼ)?
       ・・・拉(ラ)申せ(モーゼ)?
       ・・・覶(ラ)申せ(モーゼ)?
          覶=爫+コ+冂+厶+又+見
            爫+マ+冂+厶+又+見=𤔔+見・・・?
              コ=マ?
              覶=𤔔+見=?
                爫+コ+冂+厶+又+見
              覶=爫+マ+冂+厶+又+見
                  マ=コ?
              =覼=爾+見
               𤔔=爾
                 声符「𤔔・𡡗・辭・𢿢」
                  ラ
                  ラン
                  レン
                  みる
               事細かいさま・詳しいさま
               順序だてる・順序だてて述べる
               楽しげに見る
               to look about, order, sequence,
               complicated thought
                which is not easy to express
       ・・・羅蛙(ラァ)申せ(モーゼ)
       ・・・羅鴉(ラァ)申せ(モーゼ)
       ・・・太陽(ラァ)申せ(モーゼ)?

 アメンホテプ三世~四世・・・編め務補出附纂所為~読む成(歳)?
 エジプト宰相・・・・・・・・埃及・重字附渡?
 父はネビィ・・・・・・・・・音比意?
 母はアプヤ・・・・・・・・・阿附也・阿武也?・・・則天武后?
 父はデルタ地帯の・・・・・・出留多?
 アメン神殿で穀物管理者
 妻はメリエトプタハ・・・・・女里重都双葉?
 二人に子供はいなかった・・・
 ラモーゼが
 アメンホテプ三世に仕えた
 アメンホテプ四世(アクエンアテン)
 が
 アマルナに遷都・・・・・余留名・尼留名・天留名?
 ラモーゼも
 アマルナに転居
 彼の墓は未完のまま放棄
 テーベから・・・・・・氐(弖)重部
 アマルナへ遷都する時期
 墓の発見
 1879年
 ビリー・スチュワート・・・比理意・素中倭蛙訳?
 により発見
 1882年、再び墓を訪れ調査
 後
 ガストン・マスペロ・・・・臥諏図務・桝経賂?
 によって研究
 1924年
 ニューヨーク(紐育)
 メトロ(地下鉄・metro・metro)
 ポリタン(metropolitan)
 美術館(art museum)の
 ロバート・モンド・・・蘆(鷺・鸕)葉蛙訳・文渡?
 によって復元された

ーー↓↑ーー
 覶=𤔔+見=覼 ・・・
 覶=爫+龴+冂+厶+又+見=楽しげに見る・閲覧
 2019/06/15
 古事記字源
 古字記分解辭典
 故字記解剖辭典
 拠字記分捌辭典
 虎字記文滅辭典
 (運命時計の未来館発行・絶版逸書佚書焚書)
 ↓↑
 𤔔=ノ(へつ)のツのマの冂(国際)のムのヌ
 ↓↑
 「マ」の漢字の意味は?・「表裏反転の左右上下斜め」の文字・・・
 「マ」⇒「ム」⇒「ワ」⇒「ク」⇒「7」
 ↓↑
 辭=𤔔+辛
   爫+龴+冂+厶+又+辛
   爫+龴+冂+厶+又+立+十
   辛(シン・からい・つらい)
 異体字=異體字
    「辝・𨐕・辤・𨐲・𨾱」
       司・𤔧・𤔲・𦧦
    ・・・司=𠃌+𠮛(一口)
           𠮛の異体字「𠫔」
       𠮛=旨=シ・むね・うまい
       異体字「㫖・𣅌・𠤔・𤮻・𣅀・𠩊・𠮛」
 ↓↑
 辭=𤔔+辛
   異体字
  「辞・司・𤔧・𤔲・𦧦
   辝・𨐕・辤・𨐲・𨾱
   簡体字「辞」
   声符「𤔔」
   辭=辞・辤・辝
   ジ
   やめる
   ことば
   ことわる・・・・理由(ことわり)
   拒絶する・しりぞく
   ことば・言語・ふみ・文章
   いとまごいをする
   別れを告げる・辞去する
   うったえる・告げる
   責める・説明を求める
   韻文の一種
 ↓↑
 亂・乱=𤔔+乙(イツ・オツ)⇔(乚・イン)
       乙=跪(ひざまつ)く
         膝曲(ひざま)付く
         膝を地面について
        身を屈(かが)めたまま拝謁
       乚=膝を地面について
        身を起こして拝謁
         かくす(隠の古字?
         隔・蓋・覆・蔽・被・匿)
         隔離・天蓋・覆面・蔽遮・被覆・匿名
        「乙字」が旁(つくり)になるとき
       「α+乚」となり
       「乚=つりばり・乙繞(オツニョウ)」
        と呼ばれる
       乞=𠂉+乙・・・髪挿しの乙女
       乞巧奠(キッコウデン)=陰暦七月七日の行事
       女子が手芸・裁縫などの上達を祈った七夕祭り
       乞食(こつじき)=修行僧の
                物乞いの修行で
          食べるモノを
                乞い願う
                おめぐみアレ
 ↓↑
 辭・辞=𤔔+辛(シン・刃物)
 乱・辞(乱れをさばくこと・舌で裁く)
 ↓↑
 辭・辞=𤔔+辛
   𤔔=糸架(いとかせ)の上下に手を加
     糸の乱れをほぐそうとしている形
     糸の乱れ
   辛=把手のついている大きな針
     乱れている糸を針で解きほぐす意・・・?
 ↓↑
 𤔔=爪(爫・つめ)・・爪+マ=受の略字?
   マ(抓み)・・・・器のつまみ・蓋(ふた)の抓み
   禸(ジュウ)・・・獣の足跡
           「狐貍貛貉醜
            其の足は𨆌
            其の迹は厹(九ム)」
                九州の湾内の横嶋(ム)?
            足迹=厹=禸(説文)
   幺(幼)・・・・「マ+ム」・・・
           「么=ノ+ム=ヨウ」?
            異体字「幺・麼=麽(繁体字)」
            簒奪の「簒=竹+目+一+人+么」
            うばう・奪い取る・横取りする
            筑紫の乙女の
            壱(壹・臺・始)めの人は
            幺(么・幼)く
            ノ(ヘツ)のム(よこしま)に居る?
 ↓↑
   冂=冖(枠・ワ冠・和カンムリ)
   ム=私・己(わたくし・おのれ・よこしま・邪)
   又=右手=フ+乀=一+乂(重なる・刈る)
   ・・・冂(ケイ・キョウ・囲まれた境の南門・関所)の
      ム(シ・私・よこしま)な
      又(右手)を
      
      孚(妥奚采・菜荽・彩郛乳・俀俘傒・受)?
              耶靡台国・俀國伝・印綬
 ↓↑
 覶=𤔔+見=覼
   爫+龴+冂+厶+又+見
  =楽しげに見る・悦覧・閲覧・観覧
   見(みる)
   ラ
   事細かいさま・詳しいさま=覼=爾+見
   順序だてる・順序だてて述べる
 ↓↑
 亂=乿=乱=千口の鉤(鈎・鍵・科技)
 辭=辤=辞=千口のカラのイ(ツラのイ・立の足・亠䒑拾)
 ↓↑
 辞退=ジタイ=自体=事態・・・字体
 ↓↑
 𤔔=枠をはみ出ないように収める(治める)
   もつれて枠をはみ出る
 ↓↑
 𤔔=爫+龴+冂+厶+又
   異体字「亂・𤔐=・乱」
   声符「𤔔・𡡗・辭・𢿢・覶」+
  「幺子、相亂る。𠬪、之れを治むるなり(説文)」
  「𠬪+冂+幺の会意」
   ・・・「幺=厶+又」?
   ・・・「幺=く+厶
        =卜+ム
        =上+一+丶
        =ノ+七
        =乇」?・・・異体字「托・託・宅・拓」
         乇=膝マ付く人が顔を上げ両手を広げる?
 ↓↑
 𤔔=古文「𤔒・𤔐」・・・爪・マ・冖・ム・ヌ
   𤔐・𤔑・𤔒・𤔓
   𤔪・𤔫・𤔬・𤔭
 ↓↑
 「治也。幺子相亂、𠬪治之也。讀若亂同。
  一曰 𤔔、理也(說文)」
  𠬪=爫+又
    異体字「殍・莩」
    物を受け渡す意
    爰=𠬪(爪+又=手)=手渡し
      于=手を回す意
 ↓↑
 乱=舌+乚=亂=𤔔+乚
   𤔔=乱れる
   亂=「乚」に「𤔔」を加え
     「みだれる・おさめる」
      の両義を生じた(字通)
 異体字「乱・𠃶・𠃹・𠃿・乿・𠦸・𠧎・𠧏・𠮗
     𢿮・𢿢・灓・𢮣・𤔒・𤔐・𤔔・𤔦・𤔬
     𤕅・𤕍・釠」
 ↓↑
 𤔔=𤔐=𤔒=𤔬
 ↓↑
 𠭟=ラン
   𤔔𤔬𤔦𠧏𠧎𤕍𤔭𤔪𠮗𤔒𤔐𢮣𠦸
   タ夕月・丶ワ冖くム厶幺ヌ又𠭟
   乱れているものを秩序ある状態に戻す
 ↓↑
 ・・・「囜=囜(かしこい・ジン・ニン)
 ・・・「回=まわす・まわる・めぐる・かえる
       たがう・たび
       エ・カイ」
      異体字「囜・囬・佪・𢌞・廻・囘・𡇌」
 ↓↑
 「𤔔」=「縺(もつ)れた糸」
 「乙(乚)」=「骨篦(べら)」
 「骨べら=乙・乚」で
 「縺(もつ)れた糸を解く・故におさめる意(字通)」
 「亂の左の部分(𤔔)は
  糸を上下から手で引っぱるさま(受・冂・ム・又)
  右の部分は乙(乚篦)で押さえるさま」
 「乙=乚」の字形は
 「杼(ひ)や筬(おさ)」
  と呼ばれる道具・・・
 「予は杼の初文、
  杼は織物の横糸を通す道具・・・・杼
  これで糸を送ることを抒・・・・・抒
  その送る糸を紓という・・・・・・紓
  紐を井中に深くのばして、
  井水を挹(く)むことも抒・・・・抒
  杼(ひ)=機(はた)の横糸をのばし出す、糸巻き
       予(説文解字)
       その末端に糸のあらわれている形(字通)
       予=口印をひっぱってずらしたさま
         糸をのばして出す木製の糸巻き(漢字源) 」
 「杼(ひ)=1本の棒に
       緯糸(たていと)を巻いて用いていた」・・・
 ・・・何を楽しげに観るんだかは
   「亂・蘭・藍」ではなく
   「漢字」自体である・・・
 「辞=辭・𤔲・𨐲・𦧦・辝・𨾱
   =シ・ジ・ことば・やめる」・・・
 「辭=𤔔(爪+マ+冂+ム+又)
    +
    辛(立+十=つらい・からい
      入墨、刺青、黥、文身の針・鍼)」・・・
 ↓↑
 問題にしたいのは・・・
 「マ→ム→∠+ヽ」・・・
 ・・・「ム」の反転の「マ・7・ク」・・・
 「マ」は漢字で何を意味するのか?・・・
 「矛(ほこ)=マ+了+ノ」の上に記録される
 「マ」はナニか?
 「預(あずかる)=予+頁」の「予」、
 「予(あずかる)=マ+了」の「マ」はナニか?
  ↓↑
 「マ=刀→卩・・・「令=𠆢+一+刀」・・・
          「令=人+一+マ」
          「会=𠆢+云(二ム)」
          「會=𠆢一罒丶日」
 「麼=广+林+幺(ビ・ミ・バ・マ・モ・細かい・かすか
    そうか、そうでないかを訊ねる疑問の助詞…か)」
 「靡=广+林+非(なびく・ビ・ミ)
   =他の力に従う・靡然・風靡・衰える
           萎靡 (イビ)・はでで美しい
           猗靡 (イビ)・おごる・ぜいたく
           淫靡 (インビ)・奢靡(シャビ)
 「都於-邪靡堆・・・邪(牙+阝・ヨコシマの邑・阜)
           靡(麻+非・アサにアラズ)
           堆(土=十一+隹
              うずたかい・小さな丘)
           碓(うす)→小碓命=倭建
                =倭男具那
                =日本童男
 ・・・邪(よこしま)に
    靡(なびいた)
    堆(堆積された丘)
    堆=十一(壱拾壱・壹足臺)
      ・・・位置(位地)拾他意?
  則-魏志-所謂-邪馬臺-者也」
 ↓↑
 「勇(いさむ・ユウ)=マ+田+力
    =勇敢・勇気・勇士・勇壮・勇猛・勇躍
     義勇・豪勇・大勇・忠勇・沈勇・蛮勇
     武勇・思いきりがよい・勇退・勇断」
 ・・・「マ」は「丁髷(ちょんまげ)」・・・?
 「桶=十+八+マ+用=おけ」
 ・・・「マ」は「取っ手」か
    桶を縄で吊るす「∩字形の穴」・・・
    釣る瓶の取っての輪
 「勇=甬+力」=「甬鐘(ヨウショウ)という
          柄のついた鐘・鐘楼などにつるし
     梵鐘(時鐘)、陣鐘、喚鐘、楽鐘
     形状も各種あり
     周代の楽鐘が漢代の朝鐘となり
     日本の寺院の時鐘にもなった」
ーーーーー
 ???・・・カキくえばカネがナルなりホウリュウ字・・・?
 「コ(こ)」・・・非漢字
 「匚(はこ・ホウ)
  匸(𠃊+一・かくす・ゲ・ケイ)」
 「冂(ケイ・キョウ・冏構(けいがま)え・辺境)
  凵(カン・コン・かんにょう(凵繞)・くぼむ・欠ける)」
 「⊂・⊃・∩・∪(ユウ)」・・・∪字溝
 ↓↑
 古代エジプト美術
 新王国時代(前1550~前1069年頃)
 ↓↑
 デル・エル=メディーナの村長
 ラモーゼ
 王家の墓の造営職人たちの長
 ↓↑
 ラモーゼ
 宰相直属の中央行政庁の高官
 「真理の地(デル・エル=メディーナ)
  における王の書記」
 ツタンカーメンの父
 アクエンアテンの宰相
 第18王朝
 アメンヘテプ3世~4世
 (ツタンカーメンの祖父)時代の宰相
 ↓↑
 デル・エル=メディーナ村の
 職人達が
 王家の谷や王妃の谷に王家の墓を掘り
 その装飾に従事していた
 王が亡くなると
 後継者が正当に王座に着くために
 亡くなった王を
 必ず埋葬しなければならなかったので
 村の住人や村長は
 エジプト政治体制の
 中核
 約30年間
 長期間書記の職務に付いていた
 墳墓を1基
 ステラ(石碑)を25体
 彫像を6体
 供物卓を3台
 など作品を残した
 ↓↑
 ラモーゼは
 両手にオシリス神
    ネフティス女神
 が座っている玉座を握っている
 オシリス神は冥界の王
 ネフティス女神は
 イシス女神の協力者
 オシリスの妹で妻
 イシスは
 オシリスを蘇生させた
 この神々の足元には
 かつては
 防腐処理された
 臓器を保存する役目を担った
 「ホルス神の4人の息子たち」
 イムセティ
 ハピ
 ドゥアムウトエフ
 ケベフセヌウエフ
 の4体の立像が彫られ
 毎日の食事を
 乞う目的で作られていた・・・
ーーーー↓↑ーーーー

  ナイル川(the Nile)・・・名意留?
     英語 the Nile
     フランス語 le Nil
     尼羅・尼児・内留
     ↓↑
     エジプト(Egypt)
     埃及
     ↓↑
     サバク(desert)
     沙漠・砂漠・・・捌く=八=8=Ⅷ=はち=葉知
     ↓↑
     サハラ砂漠(Sahara desert)
        サハラ=アラビア語で砂漠

     ↓↑
     シリア砂漠(Syrian Desert
           Syro-Arabian desert)
     ↓↑
     ネフド砂漠(an nafud)
     ↓↑
     ゴビ砂漠(Gobi desert)
     大漠
     戈壁(カヘキ)
     瀚海沙漠
     語尾・語備
     ↓↑
     タクラマカン砂漠(塔克拉瑪干沙漠)
     タクラ・マカン(大戈壁)
     と呼ばれる大都市があった
     ウイグル語「入ると出られない」の意
    「タッキリ(死)+マカン(無限)」
     の合成語
     ペルシャ語「帰れない場所」
     ↓↑
     サルイイシコトラウ砂漠
    (Peski Saryishikotrau)
     サリエシク・アティラウ砂漠
     (Saryesik-Atyrau Desert)
     ↓↑
     パタゴニア砂漠(Patagonian Desert)
     ↓↑
     カラハリ砂漠(Kalahari Desert)
     「干上がった場所・乾いた土地」
     ↓↑
     ナミブ砂漠(Namib Desert)
     「何もない」という意
ーーーーー

 さばく=捌く=deal・manage・explain
     捌=八=8=〇+〇⇔∞
 サバクあらかると
 ↓↑
 カヴィール砂漠(イラン)
 カラクム砂漠(トルクメニスタン)
 キジルクム砂漠(ウズベキスタン、カザフスタン)
 グルバンテュンギュト
 (古爾班通古特)砂漠
 (中国・新疆維吾爾自治区)
 ゴビ砂漠(モンゴル、中国・内蒙古自治区)
 サルイイシコトラウ砂漠(カザフスタン)
 シリア砂漠
 (シリア、ヨルダン、イラク、サウジアラビア)
 タール砂漠(インド、パキスタン)
 タクラマカン
 (塔克拉瑪干)砂漠
 (中国・新疆維吾爾自治区)
 ↓↑
 ダフナー砂漠(サウジアラビア)
 ネゲヴ砂漠(イスラエル、パレスチナ)
 ネフド砂漠(サウジアラビア)
 ハジャラ砂漠(イラク)
 バダインジャラン
 (巴丹吉林)砂漠
 (中国・内蒙古自治区)
 ホルチン砂漠(中国・内蒙古自治区)
 ムウス(毛烏素)砂漠(中国)
 モインクム砂漠(カザフスタン)
 ルート砂漠(イラン)
 ルブアルハリ砂漠
 (サウジアラビア、アラブ首長国連邦
  オマーン、イエメン)
 レギスタン砂漠(アフガニスタン)
 ガンベリー砂漠(アフガニスタン)
 ↓↑
 アタカマ砂漠(チリ)
 グレートサンディ砂漠
 (アメリカ合衆国)
 グレートソルトレーク砂漠
 (アメリカ合衆国ユタ州)
 コロラド砂漠
 (アメリカ合衆国、メキシコ)
 ソノラ砂漠(アメリカ合衆国、メキシコ)
 ブラックロック砂漠
 (アメリカ合衆国ネバダ州)
 ペインテッド砂漠(アメリカ合衆国)
 モハーヴェ砂漠
 (アメリカ合衆国カリフォルニア州)
 ↓↑
 カラハリ砂漠
 (ボツワナ、ナミビア
  南アフリカ共和国)
 サハラ砂漠
 (エジプト、リビア、チュニジア
  アルジェリア、モロッコ
  西サハラ、モーリタニア、マリ
  ニジェール、チャド、スーダン)
 ナミブ砂漠(ナミビア)
 ニーリ砂漠(ケニア)
 ヌビア砂漠(スーダン)
 リビア砂漠(リビア、エジプト)
 シャルキーヤ砂漠(エジプト)
 ガルビーヤ砂漠(エジプト)
 ワラーヌ砂漠(モーリタニア)
 ビルマ砂漠(ニジェール、チャド)
 オリエンタル砂漠
 (アルジェリア、チュニジア)
 ↓↑
 カウ砂漠(アメリカ合衆国ハワイ州)
 ギブソン砂漠
 (オーストラリア
  ウェスタンオーストラリア州)
 グレートサンディ砂漠
 (オーストラリア
  ウェスタンオーストラリア州)
 グレートビクトリア砂漠
 (オーストラリア
  ウェスタンオーストラリア州
  サウスオーストラリア州)
 シンプソン砂漠
 (オーストラリア・北部準州
  サウスオーストラリア州
  クイーンズランド州)
 タナミ砂漠(オーストラリア)
 スタート砂漠
 (オーストラリア
  サウスオーストラリア州
  クイーンズランド州)
ーーーーー
 ↓↑    ↓↑
     鳥取砂丘 Tottori sand dune
             dune=砂丘
     捌く=deal・manage・explain
        捌=八=8=〇+〇⇔∞
     佐幕
     裁く=consider
        Eli, Eli, lima sabachthani?
        エロイ,エロイ,ラマ,サバクたに
        That is,
        “My God, my God,
         why have you forsaken me?”
               ファセイクン
 ↓↑     ファ(ル)セェィカァン(ヌ)
 申命記
 モーゼ
 ↓↑
 申す
 申=さる・シン=猿・猨・狙・猱・猴
         然る・砂流・沙流
         ↓↑
         「さしすせそ」
          + + + + +
         「らりるれろ」
         ↓↑
         沙羅・紗羅・娑羅
         沙良・砂良
         更・皿
         沙楽・紗楽
         ↓↑
         讚良=鸕野讚良=持統天皇
ーーーーー
 ・・・???・・・

「木樨・樹皮がサイの皮(革)」のよう・「差異化話」・犀川・斎川・齋川・斉川・西川?

$
0
0
 アメンホテプ3世
 (Amenhotep III)・エジプト第18王朝 ・第9代ファラオ(王)

 覶=𤔔+見=?
   爫+コ+冂+厶+又+見
   爪=つめ・ソウ・・・瓜(うり・カ)
   コ=左開けの函=はこ・箱・匣・半円(上弦)
     開けた口
   冂=下開けの函=はこ・境・囲まれた牧場
     伏せた空き箱
   厶=よこしま・シ=私・己・自
   又=また・シャ・右手
   見=みる・ケン
 覶=爫+マ+冂+厶+又+見
     マ=コ?・・・「矛=マ+乛+亅+ノ」
          ・・・「マ⇔厶⇔ア・ク・ワ」
     マ⇔ア⇔了・・・鉾の剣先
         了⇔丁・・・釘・釣り針・奇数
      コ⇔匚・・・☽・☾
      コ⇔開けた口
      コ+L(乚=乙)=Z
          ・・・ゼウス(古希: ΖΕΥΣ, Ζεύς, Zeus)
             是ウス(碓・臼・薄・有珠・渦・宇受)
             木星
             ユーピテル=ユッピテル
             (Jūpiter・Juppiter
              古典綴 IV́PITER・IVPPITER)
             女性化・女体化して
             ディアーナ(Diāna)=セレーネー(Selēnē)
             or
             ディーアーナ(Dīāna)=セレネ(Selēnē)
             ダイアナ(Diana)=アルテミス
             アルテミス(ΑΡΤΕΜΙΣ・Ἄρτεμις・Artemis)
          ・・・ゼウスは変身の名人(神)だから・・・
             文字も音(乙)も変化する・・・是、小碓命?
      己=おのれ=私=厶・・・自分=自(おの)ずから分ける
                  自然から区分する己(私)
 ・・・侫(よこしま)な錯覚・・・

 ・・・「木犀・モクセイ」は「木星・木製・木性・木精」・・・
 ・・・「木蓮・モクレン」は「木蘭」・・・
 ・・・「木槿・ムクゲ」は「尨毛・毳・椴・葮・蕣」・・・
 「ムーチン・無窮花・ムグンファ・モックン」・・・別種で異種?
 視た目は「あさひ」・・・
 「朝鮮=朝の魚の羊」=朝(龺+肉・にく・ジク)の
            眞魚(真菜・真名)の羊(ひつじ)
            龺=乾=龺+𠂉+乙・・・カワクを乞う?
              乾=龺+乞
                十+日+十+乞
                十+日+十++乙
              異体字「乹・亁」
              カン
              ケン
              かわかす
              かわく
              いぬい
              ひ
              ほす
              水分がなくなる・水分をなくす
              うわべの・表面上の
              八卦の一
              天・天子・君主
              男性などの象徴
              六十四卦の一
            佯=亻+羊・・・ヒトは羊(ひつじ)
              ヨウ
              いつわる
              さまよう
              いつわる
              ふりをする・みせかける・だます
            洋=氵+羊・・・羊の群れ、大群を
              海の白波に例えた
              綿津見(わだつみ)は
              綿摘みを
              海の白波に例えた・海神
              弘原海
              うみ・なだ
              おおうみ・大きな海・広い海
              広く大きいさま
              いっぱいに広がるさま
              満ち溢れるさま
            羍=大+羊・・・幸
              子羊=羜
              生まれたばかりの子羊
     ・・・生きている魚・生魚・・・?
        鱠=膾(なます・カイ・kuai)
          切り分けた獣肉や魚肉に
          調味料を合わせて生食する料理・・・
      佯=亻+羊
        ヨウ
        いつわる
        さまよう
        いつわる
        ふりをする・みせかける・だます
    遅=辶+尸+羊
     =遲=辶+尸+=丨=(‡)+牛(𠂉十)
           高野長英
           文化元年五月五日(1804年6月12日)
           ~
           嘉永三年十月三十日(1850年12月3日)
           通称は悦三郎
           諱は譲(ゆずる)
           号は瑞皐(ズイコウ)・・・皐
           皐(コウ)=白+=+十+=
                =皋
                =臯
                 皋=白+大+十
                 臯=自+=+十+=
                 コウ
                 さつき
                 さわ
                 皐月(さつき)
                 陰暦の五月
                 さわ・水辺の土地・岸辺
                 高い・高い場所
                 叫ぶ・大声で呼びかける
               =遟=辶+尸+辛
↓↑
   ・・・「赤貝」も「旭日」に視える・・・?
↓↑
   「木犀・モクセイ」
       犀=尸+=丨=+牛
        異体字「犀・𡱝・𡳚・𡥷」
         サイ・・・差異?
         セイ・・・所為?
         かたい
         するどい
         さい・サイ科の哺乳動物の総称
         堅い・鋭い
         インドサイの角
         犀角(さいかく)と呼ばれ
         解熱などに用いられる
        (十巻本和名抄)
 ↓↑
         謡曲・四番目物・廃曲・作者不詳
         別名「犀川」「和泉小次郎」
         和泉小次郎が
         頼朝の命を受けて
         信濃国
         犀川(さいがわ)に行き
         犀を格闘の末に殺し
         その角を得る
 ↓↑
         フランスの戯曲
         E.イヨネスコ作
         1957年短編小説
        『犀』
         1958年戯曲化
         1959年出版
         独裁者の演説で
        「集団ヒステリー症状」で
         住民が「犀化」する
         寓話的喜劇的な装い
         全体主義の恐怖
         人間の不条理性を描いた
 ↓↑
         白犀・犀利・犀皮
         犀鳥・犀角・黒犀
         銀木犀・金木犀
         烏犀帯・犀皮塗
         烏犀角・一角犀
         rhinocerous(ライナサラス)
↓↑
 「桂」=木犀(モクセイ・木樨・ ムーシー)
    肉桂(ニッケイ)
    のどちらかを指した・・・?
    料理に混ぜ込んで
    細かくなった
    黄色い玉子のこと
    木樨(木犀・muxī・ムーシー)
    osmanthos(オス'マンとス)
    「香りの花」
    「オスマントゥス
     ・フラーグラーンス」
    「キンモクセイ」
    「ギンモクセイ」
    「ウスギモクセイ」
    この3つは
    ラテン語の
    同じ種のなかの
    「変種=varietas
        ワ'リエタース」
↓↑
    金木犀=丹桂(dāngui・タンクイ)
    Osmanthus fragrans
     var.auran  tiacus
    (ワ' アウラン'ティアクス)
       橙色のよう
↓↑
    銀木犀=ギンモクセイ 】
        銀桂(yingui・インクイ)
↓↑
    薄黄木犀=ウスギモクセイ
         金桂(jīngui・チンクイ)

    桂花=guihuā(クイフヮー)
      =「モクセイ」の総称?
        桂小五郎?=木戸孝允?
    中国語で「カツラの木」 は
    連香樹=lianxiāngshu
       (リエンシアンしゅう)
         「しきりに香る木」
↓↑
    中国の「桂林=Guilin(クイりン)
    「桂林」 の町に
    「モクセイ」 が多い・・・
↓↑
    「桂=モクセイorニッケイ」
     のどちらかを指した
    「肉桂」は
    日本語で「ニッキ」とも訛る
    「シナモン(cinnamon)」
↓↑ 
    犀利な刃物(サイリなハもの)
    野生の木犀(モクセイ)の木
    険しい山の峰々に群生
    別名を「巌桂」
    木材は「紋理、サイの如く」
    別名を「木樨」
    モクセイ科の木は
    樹皮が
   「サイの皮(革)」のようである・・・「差異化話」・・・
    ・・・犀川・斎川・齋川・斉川・西川・・・
    ・・・西鶴・才覚・犀角・西角・・・

      赤貝=殻に放射線状に約42本の筋
         血液は、ほ乳類と同じヘモグロビン
         持ち身は赤
         内湾に棲み殻に放射線状に走る筋が42本前後
         赤貝(あかがい)のさばき方
      アカガイ(赤貝、蚶・Bloody clam)
         フネガイ目フネガイ科に属する二枚貝の一種
      サルボウ貝
        (猿頬貝)=放射状の筋は32本
              猿が口に食べ物を含み
              ほっぺを膨らませた形に似ている
     ✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄️❅❆❇️❈❉❊❋
      
  =覼=爾+見
   𤔔=爾
   声符「𤔔・𡡗・辭・𢿢」
   ラ
   ラン
   レン
   みる
   事細かいさま・詳しいさま
   順序だてる・順序だてて述べる
   楽しげに見る
 ↓↑
 辭=爫+龴+冂+厶+又+辛
   爫+龴+冂+厶+又+立+十
  =辞=舌+辛(立+十)
  =辤=受+辛(立+十)
  =辝=台+辛(立+十)
   舌=受=台
   辞書・辞典・辞任・辞退
  ↓↑

  アメンホテプ3世・・・天務補出譜纂成?
 (Amenhotep III)
  エジプト第18王朝・・・埃及=Egypt=繪字付図拾捌?
  第9代ファラオ(王)・・第玖代符蛙羅尾?
  在位
  紀元前1386年~紀元前1349年
  or
  紀元前1388年~紀元前1351年
  即位名
  ネブマアトラー
      ・・・音分間有図覼有?
      ・・・合歓(舐)真蛙虎(寅・斗羅)鴉?
            舐=ねぶ=舓
            舐=舌+氏
              千+口+氏
            䑛=舌+氐
              千+口+氐
              舌+氏+一
              千+口+氏+一
              舓=舌+易
              舌+日+勿
              千+口+易
              千+口+日+勿
              舌+日+勹+丿+丿
              千+口+日+勹+丿+丿
              シ
              なめる
              ねぶる
              舌の先でなめとる
  ↓↑

 「真実の主はラーなり」の意
  ↓↑
  正妻
  ティイ・・・帝位・定意・綴意・鵜意・・・鵜=鸕
  子は
  アメンホテプ4世
  ↓↑
  トトメス3世・・・鳥取女州纂成・・・鳥栖雌作務(寒)所為?
  アメン神を崇敬
  テーベに・・・手絵部?
  カルナックの・・・蝦瑠(日瑠)名通句?
  アメン神殿と
  分神殿
  ルクソール神殿・・・留句想留?
  を建設
  自身の葬祭殿も建設したが
  後代の王たちによって破壊された
  メムノン巨像・・・女務乃夢?
  の彼の坐像は破壊されずに残された
  后妃・子女
  妻
  ティイ(Tiye)
  第一王妃
  神官イウヤ・・・謂う也?
  と
  チュウヤの娘・・・昼夜・宙屋?
  アイ(Ay)の妹
  ↓↑
  ネフェルティティ・・・音符得留定綴?
  大神官アイ(Ay)・・・蛙意・合意・鴉意?
  と
  妻
  テイ(Tey)の娘
  アクエンアテン王妃・・・悪縁鴉照務?
  ↓↑
 タドゥキパ(Tadukhipa)・・・多同記話?
 ミタンニ王・・・・・・・・・見譚似?
 トゥシュラッタの王女・・・・東修羅都蛇?
 アクエンアテンと再婚・・・・悪縁鴉照務?
 ↓↑

 キヤ(KiYa)・・・記(紀)也?
 or
 ネフェルティティと同一人物・・・
 ↓↑
 ギルヒパ(Gilukhipa)・・・・魏留卑婆?
 ミタンニ王
 シュッタルナ2世・・・・・・諏通多留名似所為?
 (Shuttarna II)
 の王女
 スィトアムン(Sitamun)・・・水都編?
 実の娘(母はティイ)
 ↓↑
 イシト(Iset) ・・・・・・・・石(岩)門・医師徒?
 実の娘(母はティイ)
 ↓↑

 子
 トトメス(Tuthmose)
 長男・プタハ大祭司・・・双葉
 母はティイ
 ↓↑
 アメンホテプ4世
 別名アクエンアテン・・・悪縁鴉出務(天)
 母はティイ
 ↓↑
 スメンクカーラー・・・諏女務句化蛙覼有?
 母は不明
 アクエンアテンの息子・・・
 ネフェルネフェルアテン・・・音符得留練符得留傅(辿)
 の次のファラオ
 ↓↑
 スィトアムン(Sitamun) ・・・水都編務?
 長女
 母はティイ
 父アメンホテプ3世の妃
 ↓↑
 イシト(Iset)
 次女
 母はティイ
 父アメンホテプ3世の妃
 ↓↑
 ヘヌトタネブ(Henuttaneb)・・・経奴訳多根分?
 三女
 母はティイ
 ↓↑
 ネベトイアハ(Nebetah)・・・・音部解阿波?
 四女
 母はティイ
 ↓↑
 ベケトアテン(Beketaten) ・・・部化訳有照務?
 五女
 母はティイ
 ↓↑
 アメンホテプ4世(Amenhotep IV)
 紀元前1362年?~紀元前1333年?)
 古代エジプト
 第18王朝の王(ファラオ)
 在位
 紀元前1353年?~紀元前1336年頃?)
 別名
 アクエンアテン
 「アメンホテプ」は
 「アメンヘテプ」とも表記
 改名して
 イクナートン・・・・意句名有訳務?
 (ドイツ語 Echnaton)
 遷都した首都名にも
 イクナートン
 (ドイツ語 Echnaton)
 と名付け
 現在
 英語で
 人名は
 アクエンアテン(Akhenaten)
 都名は
 アケトアテン(Achetaten)
 父は
 アメンホテプ3世
 母は
 ティイ・・・
 アメンホテプ4世の像
 指が異常に長い
 顎が尖る
 脂肪の付き方が不自然
 マルファン症候群
 の特徴的な症状・・・
 王家の血筋ではない
 王妃ネフェルティティ
 家臣たちも同様の形式で描かれる
 ↓↑ 

 アマルナ改革
 アメンホテプ4世
 アトンを信仰
 アマルナ改革
 アトン神を崇拝
 治世4年目(前1368年ごろ)
 アトン神に捧げる
 新都アケトアテン(アマルナ)建設
 王朝発祥の地テーベを放棄し、遷都
 ↓↑
 改革
 アメンホテプ4世自身が
 アトンを称える詩を執筆
 多神教であった従来のエジプトの宗教を廃し
 唯一神アトンのみを祭る世界初の一神教
 ↓↑
 アトン
 太陽円盤の形で
 数多くの手を持つ
 アメンホテプ4世の宗教
 アトンは
 アメンホテプ4世だけの為の神
 一般の民に対して
 アメンホテプ4世自身を
 神として崇拝するよう説いた・・・
 ↓↑
 首都をテーベから
 ナイル川を下った東岸
 アケトアテン
 (「アテンの地平線」の意)に移転
 従来の多くの神々の崇拝を禁じ
 神々の像を破壊
 唯一神アトンへ信仰
 自らも
 アクエンアテン
 (イクナートン,アトンに愛されるものの意)
 と改名
 アマルナ美術
 写実的・開放的な芸術を生み出した
 ↓↑
 后妃・子女
 妻
 ネフェルティティと
 6人の娘を産んだ
 大神官アイ(Ay)
 妻テイ(Tey)の娘
 ネフェルネフェルアテン
 (Ankhkheperure Neferneferuaten)
 共同統治
 ↓↑
 キヤ (KiYa)
 ミタンニ王
 トゥシュラッタの王女
 タドゥキパ(Tadukhipa)
 Enišasi(レバノン)の統治者
 Šatiyaの娘
 カッシート朝バビロン王
 ブルナ・ブリアシュ2世の娘
 ↓↑
 アメンホテプ3世王女
 トゥトアンクアメンの実母
 名は不明
 アメンホテプ4世とは
 同父同母の姉妹
 他実子3人を共同統治者とし
 妻の位を与えた
 ↓↑
 メリトアテン・・・女里徒鴉天?
 実の娘
 (ネフェルティティの長女)
 メリタトンとも表記
 スメンクカーラーの妃
 ↓↑
 メケトアテン
 実の娘(ネフェルティティの次女)
 ↓↑
 アンケセンパーテン
 実の娘(ネフェルティティの三女)
 アンケセナーメン
 ↓↑
 子
 スメンクカーラー
 母親は不明
 ネフェルネフェルアテン
 の次のファラオ
 アメンホテプ3世の子で
 アクエンアテンの弟・・・
 ↓↑
 メリトアテン
 ネフェルティティの長女
 ↓↑
 メケトアテン
 ネフェルティティの次女
 ↓↑
 アンケセンパーテン
 ネフェルティティの三女
 ツタンカーメンの妃
 ↓↑
 ネフェルネフェルアテン・タシェリト
 ネフェルティティの四女
 ファラオ・ネフェルネフェルアテン
 (在位前1335年~前1333年)
 次代のファラオになった・・・
 ↓↑
 ネフェルネフェルレ
 ネフェルティティの五女
 ↓↑
 セテペンレ
 ネフェルティティの六女
 ↓↑
 トゥトアンクアテン
 スメンクカーラーの次のファラオ
 ツタンカーメン
 ↓↑
 アメンホテプ4世の棺
 顔の部分が削り取られている
 テーベに彼の墓とされるものが発見されているが
 レリーフは一切削られている
ーーーーー
 ・・・???・・・

くわしい=詳細・いつはる=僞・詐・譎・詭・陽・矯・贋・偽証・譎詐・詭弁・奇矯・贋作

$
0
0
 佯=亻+羊=ふりをする・みせかける・だます・・・?
 ・・・ヒトがヒツジのふりをする・・・未・・・未艶(マリア)?
 ・・・「佯狂・佯言」・・・
 仔=亻+子=動物の子・仔猫・・・ヒトが飼育している動物の子
       こまか・こまかい・くわしく・仔細
       たえる・もちこたえる・ 仔肩
       苦しみに耐える・・・クルシミマス・・・
 ・・・仔=亻+子・・・鼠(ねずみ・ねづみ)・・・移鼠(イエス)?
 ・・・ヒトが飼育しているネズミの子・・・移動するネズミ=移鼠?
 ↓↑
 佯=亻+羊
   ヨウ
   いつわる
   さまよう
   いつわる
   ふりをする・みせかける・だます
 ↓↑  ↓↑
 佯=徉=詳
 ヤウ・ヨウ
 いつわる=佯(亻+羊)
     =徉(彳+羊)
     =詳(言+羊)
 しむ=令・使・遣・教(敎)・俾
 佯北・佯啞・佯尊・佯愚・佯敗・佯死
 佯狂・佯病・佯盲・佯睡・佯言
 ↓↑
 詳=言+羊
 ショウ
 くわしい=詳細
 いつはる=僞・詐・譎・詭・陽・矯・贋
      偽証・譎詐・詭弁・奇矯・贋作
 ↓↑
 僞=亻+爲=亻+為
 ギ・グヮ
 にせ
 いつわる
 僞位・僞名・僞君子・僞哭・僞善・僞學
 僞態・僞朝・僞本・僞烽・僞言乍稱・僞筆
 僞言・僞詔・僞證罪
 なまり・あやまり=訛・譌
 ↓↑
 詐=言+乍
 サ
 いつわる
 詐称・詐欺
 異体字
 𧧻・𧩳
 ↓↑
 譎=言+矞    
 異体字
 獝=「䰬=鬼+矞」・「僪=亻+矞」
 いつはる=譎=言+矞⇔橘(たちばな)=木+矞
     =譎詐
 ↓↑
 詭=言+危
 キ
 いつはる
 異体字
 譌・謉
 詭弁
 ↓↑
 陽=阝+昜=阝+旦+勿
 ヨウ
 いつはる
 異体字
 阳・昜・氜・𥌖・霷・阦
 𨹈・𨼘・𨼡・𨼗・𨽐・𠃓
 ↓↑
 僞は人爲、天眞にあらざるなり
 虛僞・詐僞
 詐は詐欺・欺きだますこと・誠實の反・拙誠
 譎は權詐・詐謀を設けていつはる
 すべて言行器服などのあやしく異様
 詭に同じ
 詭は譎に同じ
 あやしくして正しからざる義
 詭巧・詭變
 「兵者詭道也(孫子)」
 佯・陽の二字は同音同義
 内心は然らずして、うはべをいつはる
 「箕子佯狂爲㆑奴(史記)」
 詳は佯に同じ、後世は用ひず
 史記に「佯狂」を一本「詳狂」に作る
 矯はよい加減に誣ひていつはる
 矯㆑詔と用ふ
 「矯㆓誣上天㆒(書經)」
 贋はにせもの、眞の反
 「魯以㆓贋鼎㆒往(韓非子)」
 昜は玉光の下に放射する形
 神梯の前に置いて
 神の威光を示すのが陽
 昜の日は太陽の形ではなく、玉の形
 昜は玉を掲げて魂振りする意
 これを上から覆って妨げ
 害を人に及ぼすのが
 「傷・殤」
 台上に玉(日)をおき
 その玉光が下方に放射する形
 もと玉光をいう字
 玉を揚げて魂振りの儀礼に用いた
 飛揚の意(字通)
 ↓↑  ↓↑ 
 乾=龺+乞
   十+日+十+乞
   十+日+十++乙
   異体字「乹・亁」
   カン
   ケン
   かわかす
   かわく
   いぬい
   ひ
   ほす
   水分がなくなる・水分をなくす
   うわべの・表面上の
   八卦の一
   天・天子・君主
   男性などの象徴
   六十四卦の一
 ↓↑  ↓↑
 羍=大+羊
  子羊
  生まれたばかりの子羊
 ↓↑  ↓↑
 遅=辶+尸+羊
  =遲=辶+尸+=1=+牛(𠂉十)
  =遟=辶+尸+辛
ーーーーー
    高野長英
        文化元年五月五日(1804年6月12日)
        ~
        嘉永三年十月三十日(1850年12月3日)
                大運1842年11月(38歳)
                   甲戌 傷官 衰
   甲子┓壬 癸 傷官・劫財・建禄⇔庚戌
   庚午┛丙己丁 印綬・正財・ 絶⇔丁亥
      冲剋    ・偏官 
  ┏癸巳 戊庚丙   ・正官・ 胎⇔戊子
  ┗戊午 丙己丁 正官・正財・ 絶⇔戊午
    午未空亡
 ↓↑  ↓↑
    通称は悦三郎
    諱は譲(ゆずる)
    号は瑞皐(ズイコウ)・・・皐
       皐(コウ)=白+「=+十+=」
 ↓↑     ↓↑  ・・・「二十二・22・弐拾弐」
              「念 貳」?
              「廿 貳」?・・・二重似?
            =皋
            =臯
             皋=白+大(一人)+十
             臯=自+=+十+=
                  自ずから十字架での四(==)
                  したみず
             (水・氵・氺)
               ・・・氺⇔求=丄+丶+氺
                  十字架の磔刑で
                  丶(天・点=占炎)に
                  水を求める
              坎(カン)の易象を横倒しにした字形
             「=+一+=」⇔「=+丨+=」・・・水
              おちいる(陥る)
              中男
              耳
              北、冬
              険難、災い、気苦労
              毒、心病、血液
              月、水中の生物
              盗賊
              芯の多い木
 ↓↑       ↓↑
         皐(コウ)=白+=+十+=
               コウ
               さつき
               さわ
               皐月(さつき)
               陰暦の五月
               さわ・水辺の土地・岸辺
               高い・高い場所
               叫ぶ・大声で呼びかける
            遲=辶+尸+=+丨+=+牛
               =遅=辶+尸+羊
               =遟=辶+尸+辛
 ↓↑  ↓↑ ↓↑ ↓↑
   皋=夲(すすむ・トウ)
    =皐
    =白光が発光・白を表す
    「皞(カウ)=白+白+本」の原字
     魂呼(たまよ)びの声
     皐魚の泣(コウギョのキュウ)
     皐月(さつき)
     澤(さわ)・岸(きし)・水際(みずぎわ)
     五月の異名
 ↓↑  ↓↑
   皁=白+十
     ソウ
     くろ・くろい・どんぐり
     しもべ・うまや・かいばおけ
     くろ(黒)・くろい・皁衣
     どんぐり・橡(くぬぎ)の実
     さいかち・榛の木(はんのき)
     栃(とち)の実
     黒衣を着たしもべ
     僕(しもべ・下部)
     家来(けらい)・皁隷
     厩(うまや)・馬屋
     飼葉桶(かいばおけ)
 ↓↑  ↓↑
   皁=どんぐり=皂=梍
     白+十
     白⇔百=一+白
        =初めの白=斯蘆・新羅
         万葉集(新羅奇)
         出雲風土記(志羅紀)
         「新羅城」=金城
        広開土王碑
       「新羅は高句麗の属民
        倭が
        391年
        百残・加羅・新羅を臣民となした」
 ↓↑  ↓↑
    新羅の王統の姓?
    朴(瓢)・昔(鵲・かさ鷺)・金
 ↓↑      ↓↑
    鵲=尾長、肩と腹が白
      他は緑色光沢のある黒色
      種の分類は不正確
      烏鵲(ウジャク)
      乾鵲(カンジャク)
      高麗からす
      唐がらす
      中国では「喜鹊(キジャク)」
      朝鮮では「カチ」
      佐賀では「カチガラス」
      ラテン語の「ピカ」
      英語の
      magpie(マグパイ)=おしゃべり・盗人
    推古天皇六年(598年)
    聖徳太子(厩戸皇子)の命で
    遣新羅使の
    吉士盤金(きしのいわかね)が
    2羽の「鵲」を持ち帰り献上     
    鵲の橋
    七夕の夜、牽牛・織女の二星が
    カササギが翼を並べて天の川に渡す橋
    男女の契りの橋渡し
    鵲橋(ジャッキョウ)
    烏鵲橋(ウジャッキョウ)
 ↓↑  ↓↑
   「かささぎ」の記録初出は
    承平年間(931年~938年)
    勤子内親王(きんし・いそこ)・・・
      ・・・醍醐天皇の第5皇女
         母は更衣・源周子
         女四の宮と称
      勤⇔槿(むくげ)=木槿・syriacus
      勤皇⇔朝槿(チョウキン)・木槿(モッキン)
      勤=革+二+力
 ↓↑   ↓↑廿+中+王+力
        ・・・二を拾う中の王の力
           念う  中の大兄の理記?
           中大兄皇子=天智天皇?
       勤=源字は「菫+力」
      「菫」

 ↓↑     ↓↑
       菫=龷+中+王
         艹+一+中+王
         艹+一+口+丨+三
       蓳=艹+堇
         艹+廿+中+王
         艹+一+凵+口+丨+三
         キン
         すみれ
         とりかぶと(鳥兜)・・・???
         スミレ科スミレ属の植物の総称
         Viola mandshurica
          (マンジュリカ)=満州語
        「スミレ=花の形状が
               墨入れ(墨壺)」?

         ニオイスミレ(匂菫・Viola odorata・sweet violet)
         嘔吐や神経マヒ、心臓麻痺を発症
         鎮静作用、怒りを鎮めたり就寝時に使用
         パンジー(Pansy)
         ビオラ(Viola)
         ゼウスが雌牛に変えた
         イーオーに食べさせる為に作られた・・・
 ↓↑       ↓↑
        トリカブト(鳥兜・monkshood・Aconitum)
        キンポウゲ科トリカブト属の総称
        有毒植物の一種
        花の色は
        紫色、白、黄色、ピンク色
        多年草
        沢筋などの比較的湿気の多い場所を好む
        名の由来
        花が古来の衣装である
        鳥兜・烏帽子に似ている
        鶏の鶏冠(とさか)に似ているから
        英語
        monks-hood=僧侶のフード(かぶりもの)
        塊根を乾燥させたものは
        漢方薬や毒として用いられ
        烏頭(うず)
        附子(生薬名は「ぶし」
        毒に使うときは「ぶす」
       「附子=球根の周りの子ども」
       「烏頭(うず)=中央部の親」の部分
       「天雄(てんゆう)=子球のないもの」
        と呼んでいた
       「不美人=ブス」
        トリカブトの中毒で
        神経障害で
        顔面の表情が
        おかしくなった状態・・・
        トリカブトによる死因
        心室細動・心停止
        療法も解毒剤もない
        セリ、ニリンソウ、ゲンノショウコ、ヨモギ
        などと外見が似て
        誤食による中毒、死亡事故
        蜜や花粉にも中毒例があり
        養蜂家は
        トリカブトが自生している地域では
        蜂蜜を採集しないか開花期を避ける
        天然蜂蜜による中毒もある
        漢方薬
        強心作用・鎮痛作用
        皮膚温上昇作用・末梢血管拡張作用
 ↓↑     ↓↑
        僅=イ+廿+中+王
          キン・わずか・僅差・僅少
 ↓↑     ↓↑
       槿=木+廿+中+王(三丨)
        (ゴン・コン・ギン・キン
         もくげ・むくげ)
 ↓↑  ↓↑
    勤子内親王(きんし・いそこ)
    の求めに応じて
    源順が・・・・随おう・従おう・遵おう
   「和名類聚抄=倭名類聚鈔=倭名類聚抄」
    巻数は十巻または二十巻
    を編纂
 ↓↑  ↓↑
     皋=白+大+十
     臯=自+=+十+=
     皋=臯
     自=白
     大=一+人
      ==+=
      ==+丨+=
 ↓↑  ↓↑
     臯=自+=+丨+=+丅
     臯=自+=+十+=
     犀=尸+=+丨+=+牛(𠂉十)
 ↓↑
   「木犀・モクセイ」
       犀=尸+=+丨+=+牛
        異体字「犀・𡱝・𡳚・𡥷」
         サイ・・・差異?
         セイ・・・所為?
         かたい
         するどい
         さい・サイ科の哺乳動物の総称
         堅い・鋭い
         インドサイの角
         犀角(さいかく)と呼ばれ
         解熱などに用いられる
        (十巻本和名抄)
 ↓↑
 覶=𤔔+見=覼
   爫+龴+冂+厶+又+見
  =楽しげに見る・観覧・遊覧・閲覧
 ↓↑
 辭=𤔔+辛
   爫+龴+冂+厶+又+辛(立十)
   異体字
  「辞・司・𤔧・𤔲・𦧦
   辝・𨐕・辤・𨐲・𨾱
   簡体字「辞」
   声符「𤔔」
   辭=辞・辤・辝
   𤔔=舌=受=台・・・?
   ・・・多分(他聞・多聞)、
     「𤔔」は
     「爫+龴+冂+厶+又」で
      何かを受ける、載せるモノなんだろう・・・
   ジ
 ↓↑ ↓↑
 亂=𤔔+乚
   爫+龴+冂+厶+又+乚
   乱の(繁体字, 旧字体)
   濫(の代用字)
   爛(の代用字)
   乱=亂
   舌(千+口)=𤔔(爫+龴+冂+厶+又)
     千+口 =  爫+龴+冂+厶+又
   御喋り   =爪=つめ・詰・摘・積
   饒舌    =ソウ・ショウ=
         演奏・笙奏・筝奏
ーーーーー
 ・・・???・・・

笠前(かささき)⇔鵲(かささぎ)=朝鮮鴉(烏)・「襲(かさ)詐欺・詐偽・佐義・茶木」?

$
0
0
 羍=生まれたばかりの子羊・・・?

 羍=生まれたばかりの子羊・・・?
 ↓↑  ↓↑
 羍=大+羊・・・大(一のヒト)から
         出産したばかりの子羊・・・
   大=一(「両腕」を拡げた形象
        初・始・肇・元・創・本・源)
     +
     人(「股・両脚・両足」の
        開脚された形象??
         λ・Y・Ὠ・Μ・W・ω・Λ・V
         γ=ɣ (ガンマ・ガマ)
         Δ=δ(デルタ・ゼルタ・デルテ)
         Λ=λ(ラムダ・ラムザ)
        Ω=ω(オメガ)
         ▼・▽・▲・△
 ↓↑      ↓↑
         人・𠆢・・・入
         亽・仌・𠓛・𠓜・𠓝・𠓞 
         𠓛=「亼」の譌字(『正字通』)
           集・集合
          𠓛=入+一
            三合之形
          亼=人+一
            倒口
            下に向いて開いてゐる口
         合=從𠓛・從口・・・合従連衡?
           象器皿、蓋子相合之形
           本義是相合
           引申為會合、聚合
          (甲金文)
       𠆢(ひとやね・ひとがしら
       発音=mǒu
       異体字「人」)
 ↓↑     ↓↑
   𠓛𠓜𠓝𠓞𠓟𠓠𠓡𠓢𠓣
   㒱㒲全氽𠇒㒴𠓤𠓥𠓦
   𠓧𠓩兪𠓪𠓫𠓬𠓭𠓮𠓯
   𠓰
   兪⇔賢瑜・・・古事記⇔信瑜?
    ⇔福澤
      諭吉⇔兪⇔瑜⇔喩⇔楡(にれ)
       吉=十+一+口⇔古=十+口
         拾+壹+口⇔拾+口
         拾=手+合
         壹=壱=イチ=市・位置・壱・異地
      澤=氵+睪=氵+罒+幸
           =見張る・うかがい見る
          睾≠睪
            睾=澤=沢=さわ
           =皋=白+夲=さわ
           =皐=白+=+十+==さつき
           =臯=自+=+十+==さつき
             =白+大+十
             =白+一+人+十
              白+一+𠓝
           𠓝=入+十=𠓝=トウ
            =丿+睪
            =丿+罒+幸
        福澤諭吉・・・・・・・・副託・副托・付句他句
                    震幅・新付句
 ↓↑     ↓↑          神福・心腹・信伏
        真福寺本「古事記」・・・振幅字本?
         元弘(げんこう)三年
            ・・・「言行・原稿・現行」纂念
         1333年・・・干支
                癸酉
               瑞(みず)の取理(とり)
 ↓↑       ↓↑   瑞皐の図利
               随行の肚裏
               隋稿・随功の睹(訳・と)利
            ・・・推敲・遂行・水行
               譯=訳
               譯=言+睪
                 言+罒+幸
               訳=言+尺
               ヤク・シャク
               エキ
               わけ
               と(く)
               やくす・やく
               翻訳
               解き明かす・説き明かす
               あることばを
               他のことばに変えて
               意味を伝える
               わけ・意味・理由・事情
               とく
 ↓↑       ↓↑    ↓↑
               干支=カンシ=漢詞・漢詩・環視・韓史
               癸酉=キユウ=己酉・杞憂・既有
                酉=とり=鶏=鳥=止利=禽
 ↓↑       ↓↑    ↓↑  
                後醍醐天皇 元弘三年
                光厳天皇 正慶二年
                (5月25日まで)
                皇紀 1993年
                元王朝 至順四年
                元統元年十月八日
                高麗 忠粛王(重祚)二年
         1333年
         ~
         永徳二=弘和(こうわ)二年八月七日
               「乞うわ・講話・高話」
               字念捌解通漆實(実・字通)?
         1382年
         南北朝時代の僧
         信瑜が弟子の
         賢瑜に書写させ校訂
 ↓↑     ↓↑
       仓=𠆢+㔾=倉⇔蒼頡
       个=コ・カン・カ
         ひさし・庇
         日除け雨除け用屋根
        「箇・個・ヶ・其々・夫々・各々
         おのおの・それぞれ」
          ・・・小野尾之・・・小野妹子~
              (の・ノ・乃・廼・埜・宣)
                       本居宣長
         に同じ
       傘=かさ・サン・・・sun・蚕・撰
                 宋(ソウ・ス)・・・サン?
         ・・・傘下・讃歌・産科・酸化・簒禍・纂化
       笠=「邇邇藝命は
          笠沙の岬
          で美しい娘に逢った
          娘は
          大山津見神の子で
          名を
          神阿多都比売
          別名を
          木花之佐久夜毘売」
 ↓↑     ↓↑  ↓↑     ↓↑
   於是
   天津日高日子番能邇邇藝能命
   於
   笠紗御前・・・「カササ」の「おん前」
   遇
   麗美人・・・・・綺麗・高麗美人?
   爾問・・・・・・字を問う?
   誰女・・・・・・おうな・おみな・おんな?
   答白・・・・・・答えは「いわく」・・・岩玖?
   之
   大山津見神之女・・代纂通見化見詞音名?
   名
   神阿多都比賣【此神名以音】・・・噛み合った訳比目?
   亦名謂
   木花之佐久夜毘賣【此五字以音】
   このハナシ、作(策・朔・佐句・差句)埜秘目?
 ↓↑ ↓↑
   ここに、
   天津日高日子番能邇邇芸能命
   (あまつひこひこほのににぎのみこと)
   は
   笠紗(かささ)の岬(御前・怨前?)で
   麗しき美人に出会い・・・う るわしき
         宇(鵜・鸕・烏)留倭史記
             鸕野讚良
     (うののさらら・うののささら)
   そこで
  「誰の娘か」
   と問い
  「大山津見
   (おおやまつみ)
   の神の娘で
   名前は
   神阿多都比売
   (かむあたつひめ)
   別名は
   木花之佐久夜毘売
   (このはなのさくやひめ)
   と申します」
   と答えた
 ↓↑ ↓↑
    木花之佐久夜毘売
 ↓↑ ↓↑
    このはなのさくやひめ
    木花之佐久夜毘売
    佐久夜毘売(古事記)
    木花之開耶姫(日本書紀)
    木花開耶姫(日本書紀一書2・6)
 ↓↑ ↓↑
    かむあたつひめ
    神阿多都比売(古事記)
    神吾田津姫(日本書紀)
 ↓↑ ↓↑
    かしつひめ
    鹿葦津姫(日本書紀)
    神吾田鹿葦津姫(日本書紀一書2)
    吾田鹿葦津姫(日本書紀一書5)
    豊吾田津姫(日本書紀一書6)
 ↓↑ ↓↑
    「かむあたつひめ」
    「かみあったつ比女」
  ・・・「噛み合った通(訳)を比べ看る」・・・?
 ↓↑     ↓↑
  福岡県
  日向峠
 (笠沙岬の真北)
  天孫降臨説の発祥地・・・
 ↓↑
  吾田長屋の
  笠狭岬
 ↓↑     ↓↑
 宇受女=猿女・猨女・申女
     ・・・ミリアム・・・「マリア」の源名
        マリアという女性名は
       「ミリアム」のアラム語読みに由来・・・
        真理亜=まりあ=圓鴉・丸鴉・鞠鴉
                  蹴球=蹴鞠
            アポロンの伝令カラス=白鴉⇔黒烏?
 ↓↑      ↓↑
          トトメス1世の軍隊は
          南エジプト・北スーダンのヌビア地方に要塞を築き
         「クシュ人」は
          エジプトに金や奴隷、様々な資源を供給した
         (南エジプト・北スーダンのヌビア地方の人々)
 ↓↑      ↓↑
       「ミリアム」は
       「モーゼ」が
       「クシュ(Kush)人
        クシテ(Kushite)人
        エチオピア人・黒人」
        との結婚を批判し
       「皮膚病(全身が白くなった)」・・・?
 ↓↑      ↓↑
        白斑症?
        メラノサイト=メラニン
        が喪失する皮膚に白い斑状が現れる
        白皮症?
        毛髪と皮膚は白くなり
        眼はピンク色か薄い青灰色になる
 ↓↑      ↓↑
       「ミリアム」
       (ヘブライ語Miryam・ラテン語Miriam・英語Miriam)
     『旧約聖書』の女預言者
     コハテの子
     アムラム
     と
     レビの娘
     ヨケベデの娘
     モーセとアロンの姉
     (ミリアムとアロンはモーセとは異母姉・異母兄とも)
 ↓↑      ↓↑
 「宇受女=猿女・猨女・申女」に
 反抗した
 「海鼠(なまこ)」・・・
  ・・・海鼠(あまネズミ・カイソ・・・改組・開祖)?
 魚(な )は食料としての魚・・・酒魚(さかな・肴・酒菜・坂名)
 魚(いを)は生き物としての魚
 魚(まな)は真名仮名で漢字
 真魚(まお) =弘法大師=空海
       父 佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)・佐伯⇔蝦夷
       母 玉依 (たまより)
       の三男
        ・・・玉依比売=玉依毘売・玉依姫・玉依媛
           海童の娘
           彦波瀲
           武
           鸕鶿(うがや)
           草葺不合尊(ふきあえず)
          (    彦 波瀲 武 鸕鶿草葺不合尊)
          (天津日高日子波限 建 鵜葺草葺不合命)
           の妻
           神武天皇の母(日向神話)
           ↓↑
           玉櫛媛=玉依日売=活玉依媛
           三島溝橛耳神(陶津耳)の娘
           事代主神(大物主大神)の妻
           鴨王(三輪氏の祖)
           ↓↑
           媛蹈鞴五十鈴媛命
          (神武天皇の皇后)
           五十鈴依媛命(綏靖天皇の皇后)の母
           ↓↑
           火雷神の妻
           賀茂別雷命の母
           ↓↑
           玉依姫命
          『日本書紀(第9段の第7の一書)』
           高皇産霊尊の娘の
           万幡姫の娘
           天忍骨命の妃
           天之杵火々置瀬尊の母

 ↓↑     ↓↑
  傘⇔笠前(かささき)
   ⇔鵲・かささぎ・Pica pica)=朝鮮鴉(烏)
      かささぎ(勝鴉)
      嵩(瘡)鷺
      襲(かさ)詐欺・詐偽・佐義・茶木・・・?
 ↓↑     ↓↑
       仝(同)=同
   ↓↑   ↓↑
   羊=䒑(ㅛ)+‡(十丅)
     `+丰
     丰(容貌)
     丯(耒・耜・耡・耠・耘)
       耠=耒+合=たがやす・耕作
         異体字「劐・秴・𦔏」
       耘=耒+云=くさぎる・のぞく
             耕耘(コウウン)
            「或耘或耔」
       耔=耒+子(一了)=つちかう
        =土をかける・土寄せる
   ↓↑
   子羊
   生まれたばかりの子羊
 ↓↑  ↓↑
 遅=辶+尸+羊
  =遲=辶+尸+=ㅣ=+牛(𠂉十)
  =遟=辶+尸+辛
ーー↓↑ーー
 皐魚
 皐魚の泣
 (コウギョのキュウ)
 親の死を嘆き悲しんで泣くたとえ
 春秋時代
 皐魚が
 親をおろそかにし
 過ちだったと嘆いて、死んでしまった
 それを見た孔子が
 弟子たちへの教訓とした
 『韓詩外伝(カンシガイデン)』
  ↓↑
  皐=皋
  ・・・澤=氵+睾⇔譯
           睾=丿+睪
            丿+罒+幸
            丿+罒+土+羊
        幸=𦍒(異体字)=倖
 𢆉=丷+干=䒑+十
 ↓↑発音 rěn
   異体字「𦍍」
  「夭=若死」+「屰=叛く」
   象形は
  「手械(てかせ)
   元来は
  「㚔」=大+𢆉
 ↓↑   ジョウ
      異体字「幸」
      という文字で
      漢時代以降
     「幸」=土+𢆉
      と混同
     「幸」=しあわせ
     「辛」=つらい・からい
      と同様に
      刑罰の
      執行に関する文字に使用・・・
 ↓↑
 辛≠幸
 ↓↑
 辛=亠+𢆉
   亠+䒑+十
   針状の刃物
   入れ墨の針
 ↓↑
 幸=土+𢆉
   十+一+𢆉
   十+一+䒑+十
   罪人にはめる
   手械(てかせ)
 ↓↑
 「大+¥」
 「㚔」
 㚔の「大」が「土」に変化して「幸」・・・?
    「大」=一+人・・・初めの人=アダム
 手かせをされた状態から開放された
 よろこび、しあわせ
 「倖=イ+幸=思いがけない幸せ」・・・?
 「幸」=一+立+十・・・初めに立った十字架?
     「イエス・キリスト」の磔刑十字架?
ーー↓↑ーー
 初めの人間
 一番目に創造された「亜當(アダム)」
           ・・・仇武・婀娜無・阿拿武?
 次ぎの
 二番目に創造された「夏娃(イヴ)」
           ・・・異分・伊邉・井部・慰撫?
 ↓↑
 「アダムとイヴ」・・・
 「亜當(アダム)→あまねし・あまねく+あてる=当」
  アトウ→あとう→阿東・安東・阿藤・阿刀・与・與・能
 「あまねし=天音氏」で
 「あまねく=遍く・普く」→普遍
  あま(海女・海部・海士・海人・亜麻・尼)
   +
   ね(禰・祢・値・根・子)
   +
   く(九・玖・紅・宮・孔区・句・矩・供
     琥・狗・駒・貢・庫・躯・垢
     功・工・苦)」を
 「当てる」
  ↓↑
 「夏娃(イヴ)→なつ+うつくしい・よい、よし(好)」で、
 「夏(カ)=一+ノ+目+夂(攵=𠂉+乂・攴=ト+又・ボク・軽く叩く)」
  +   一の目の母苦(宮)→独眼(隻眼)の母の苦=伊達政宗の母
  +  の義姫は山形城主最上義守の娘(天文17年1548)山形城で誕生
 「娃(アイ・ワ・ア・エ・うつくしい)=女+圭
       美しい、美女、少女、子供、子供の動物、丸く窪んだ目」
 「説文解字・巻十二」には
 「圜深たる目の貌なり」、
 「一に曰く、吳楚の輭、好を謂ひて娃と曰ふ」・・・「好=娃」
 ・・・「亜當(Adam・アダム)」
     と
    「夏娃(Eve・イヴ)」
ーー↓↑ーー
 「白水郎」=海人・海部・蜑・・・魚師・潜水婦・潜水夫
  白+水=泉(いずみ)⇔沓(くつ・靴・舃・舄)
  ↓↑
  皋
  白+夲(トウ・すすむ)
     夲=丰=風貌・姿・外貌
     夲=大+十
     夲⇔本
     夲=一+人+十
     夲⇔丰・塔・頭・当=當・等・董?
       董(トウ・ツウ・ただす)
       薫・薰(クン・かおる)
       菫(キン・すみれ
         とりかぶと)
       艸+堇(キン)(は省略形)
       菫花色(キンカショク)
       菫(すみれ)=艹+堇
       菫菜(つぼすみれ)
       トリカブト・ソクズ
       槿と通じ「ムクゲ」という意
       本字は蓳(説文解字・巻一)
      「痛艸なり
       根は薺の如く
       葉は細桺の如し
       蒸して之れを食べるに甘し」
       声符は堇
       菫は俗字
       蓳荼
       菫 Violet
       最盛期は3月
       花色
       紫・白・黄・青・赤・ピンク
       すみれ=須美禮(万葉仮名)
           山部赤人などが使用
       すみれ≠墨入れ・墨斗
  ↓↑    ↓↑
       山部宿禰赤人
       春野爾(春の野に)
         須美禮(すみれ)
        採爾等(つみにと)
        来師吾曾(来し吾そ)
         野乎(野を)
         奈都可之美(なつかしみ)
         一夜宿二来(一夜ねにける)
        (巻八 一四二四)
    ↓↑    ↓↑
    夲=トウ・すすむ・速く進む
     「本」の俗字・ホン・もと
      書物・書籍・文書
     『康熙字典』
    《説文》進趨也。从十,猶兼人也
    《徐曰》大奄有之義,會意
        又往來見貌
        亦作丰
        與本字別
     異体字「𠦍・𠦂・夵・本」
 ↓↑   ↓↑
 臯=沢=澤=氵+睪
       氵+罒+幸
 澤=通仮字「睪」
   異体字「皋・睾・臯・鼛・𡅦・𦤗・𪔌
   簡体字「皋」     
 臯=白光が放出するさま・しろい
  「皞(カウ)」
  魂呼(たまよ)びの声の意
 ↓↑    ↓↑
 「澤三伯=澤三泊」
 高野 長英
 逃亡生活から江戸に戻り
 「沢三伯(澤三伯・澤三泊)」の
 偽名で町医者を開業
 1850(嘉永三)年三月
 青山百人町に隠れ棲む
 ↓↑
 陸奥国
 仙台藩の一門
 水沢領主
 水沢
 伊達家家臣
 後藤実慶の三男
 養父
 玄斎は
 江戸で
 杉田玄白に蘭法医術を学び
 長英も幼いころから蘭学に関心
 文政三年(1820年)
 江戸に赴き
 杉田伯元
 吉田長淑
 に師事
 吉田長淑に
 師の
 長の文字を貰い
 「長英」を名乗った
 ↓↑
 シーボルト事件
 文政三年(1820年)
 長崎に留学
 シーボルトの
 「鳴滝塾」で
 医学・蘭学を学び
 塾頭となった
 文政十一年(1828年)
 シーボルト事件
 二宮敬作
 高良斎
 など主だった
 弟子も捕らえられ詮議を受けたが
 長英は逃れ
 豊後国
 日田(大分県日田市)
 広瀬淡窓に弟子入り
 義父
 玄斎死亡
 故郷から帰郷を求められるが拒絶
 家督を捨て
 武士の身分を委棄喪失
 ↓↑
 尚歯会入会
 天保元年(1830年)
 江戸
 麹町に町医者として
 蘭学塾を開業
 三河
 田原藩重役
 渡辺崋山
 と知り合い
 田原藩の
 お雇い蘭学者として
 小関三英
 鈴木春山
 とともに蘭学書の翻訳
 ピタゴラス
 ガリレオ・ガリレイ
 ジョン・ロック
 ヴォルフ
 の西洋哲学史を要約
 ↓↑
 天保三年(1832年)
 紀州藩儒官
 遠藤勝助
 の主宰する
 天保大飢饉対策会
 「尚歯会」
 に入り
 崋山
 藤田東湖
 らとともに中心的役割を担った
 1836(天保七)年
 馬鈴薯と早蕎麦の
 栽培・貯蔵・調理方法などを記した
 『救荒二物考』・『勸農備荒 二物考』
 など著作
 ↓↑
 鳴滝塾出身者の宴会で
 長英のみオランダ語を使い続け
 妬んだ仲間の
 伊東玄朴が
 長英を階段から突き落としたが
 長英は
 「GEVAARLIJK!(オランダ語危ない)」
 と叫んだ
 ↓↑
 天保八年(1837年)
 異国船打払令
 アメリカ船籍の商船
 モリソン号
 が打ち払われる
 天保九年(1838年)
 長英は
 「無茶なことだ、やめておけ」
 と述べて
 崋山
 らとともに幕府批判
 『戊戌夢物語』を著し
 内輪で回覧
 ↓↑
 天保十年(1839年)
 蛮社の獄
 長英逮捕
 (奉行所に出頭した?)
 永牢終身刑の判決
 伝馬町牢屋敷に収監
 服役者の医療に努め
 牢内環境の改善なども訴え
 牢名主
 獄中記『わすれがたみ』記す
 ↓↑
 弘化元年(1844年)6月30日
 牢屋敷火災で脱獄
 長英が
 牢番非人
 栄蔵
 をそそのかし放火させた・・・
 脱獄の際
 三日以内に戻って来れば
 罪一等減じる
 戻って来なければ
 死罪
 との警告を役人から受けた
 長英は
 硝酸で顔を焼いて人相を変え逃亡生活
 大間木村(さいたま市緑区)
 高野隆仙
 に匿われ
 一時江戸に入って
 鈴木春山
 に匿われ
 兵学書の翻訳
 春山が急死後
 鳴滝塾時代の同門
 二宮敬作
 の案内で
 伊予
 宇和島藩主
 伊達宗城
 に庇護
 兵法書など蘭学書の翻訳や
 宇和島藩の兵備の洋式化に従事
 主な半翻訳本に
 砲家必読11冊
 彼が築いた
 久良砲台(愛南町久良)は
 最高の技術を結集
 後
 江戸に戻り
 硝酸で顔を焼いて人相を変え
 「沢三伯」の偽名で
 町医者を開業
 ↓↑
 嘉永三年(1850年)10月30日
 江戸
 青山
 百人町(東京・南青山)
 に潜伏していたところを
 密告され
 町奉行所に踏み込まれて捕縛
 捕方に
 十手で殴打
 縄をかけられた時には
 既に半死半生
 駕籠で護送する最中に絶命した・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・


やね・・・八=八=8=ハチ・パァ・やっつ=捌(さばく・ベツ)・葉知

$
0
0
 Λ・∧=and・そして・且つ・尚且つ・と・ラムダ・λάμβδα?
 先が尖っている「Λ」文字は・・・ナゼ、「Λ=ラムダ・λάμβδα・lambda」なのか?
 「Λ=ラムダ=λ」・・・
 「λ」は漢字の「入」に類似(類字)する・・・
 「ラムダ(λ)」≠「ニュウ(入・いる・はいる)」・・・加入・入+α
 「入=Enter・entering, setting, inputting, soakings,~in, ~into 」
  と
 「人=ひと・ジン・ニン」
  の相異(相違)は
  左右の「丿ノノ丿」と「乁乀丶」の長さと
  重なった「丿ノノ丿」と「乁乀丶」が
  左か右の上に出る形象である
  ↓↑
 「入(丿+乁)」≠「人(ノ+丶)」
 「入( ノ+乀)」≠「人(ノ+丶)」
  ↓↑
 双方が
 「ヒトの形象(人体)」と「ヒトの動作の形象(入る)」なら・・・
 「人」が歩行で、何処かに「入」る・・・両脚と歩行の形象・・・
 「Λ=λ(ラムダ)」は「ヒトの動作の形象(入る)」?
 「Λ=λ(ラムダ)」は⇔「𠆢(屋根の下・家の中)」に人が入る?
  ↓↑
 「八=八=8=ハチ・パァ・やっつ=捌(さばく・ベツ)・葉知」
        ・・・英語エイト(eight)  永戸・頴娃取?
           独語アハ卜(acht)   蛙葉訳?
           仏語ユイット(huit)  喩通訳?
           西語オチヨ(ocho)  越智(知・地)與(輿)?
                            余・与
           伊語オット(otto)   夫(男)?
           希語オクトゥ(οκτώ) 屋塔・尾苦闘・於句読?
                     緒旧唐・緒句当?
 ↓↑
 人≠入≠𠆢≠「八=ノ+乀=丿+乁」≠ハ
  ≠∧≠𠆢≠ヘ
 ↓↑
 人(ジン・ニン・ひと・と)
 入(ニュウ・ジュウ・いる・はいる・いれる)
 八(ハチ・ハツ・やつ・や)
 ∧(^=ハット・キャレット・累乗・冪
   ∧=合接
   ∧=and・そして・且つ・尚且つ・と
   Λ=ラムダ・λάμβδα・lambda)?
 ↓↑ ↓↑裸務拿・・・ハダカのツトメは合わせる手?
      拿=合+手
        亼+口+手
        人+一+口+手
        ダ
        ナ
        つかむ
        とらえる
        ひく
        ひっぱる
        とらえる
        つかむ
   ↓↑   つかまえる
   ラムダ
   ・・・カッパ-ロケット=K-420ロケットの
      後継    ↓↑
   ラムダ-ロケット  ↓↑
   日本初の人工衛星 ↓↑
  「おおすみ」    ↓↑
   打ち上げた    ↓↑
 ↓↑  ↓↑     カッパ-ロケット
 ↓↑  ↓↑     ↓↑  ↓↑
          K(カッパ)・・・合羽・河童・喝破
          ラテン文字の
          11番目の文字・小文字 k
          フランス語やイタリア語などでは
          主に外来語で使われる
          ギリシア文字の
          Κ(カッパ)に由来
          キリル文字のКに相当
          Κ・κ
         (カッパ
          古代ギリシア語
          κάππα
          ギリシア語
          κάπα・κάππα カパ・・・河馬・魁罡
          英語
          kappa
          ギリシア文字の第10文字
                 数価は20
                 音価はk
 ↓↑   ↓↑
     ラムダ(Λ)ロケット=L-4Sロケット
     東京大学生産技術研究所
     後継機関
     東京大学航空宇宙研究所(JAXA宇宙科学研究所)
     プリンス自動車工業
     後継企業
     日産自動車宇宙航空事業部
     と共に開発した
     全段固体燃料
     観測ロケットシリーズ
     ↓↑
     らむだ
     等無駄・等鵡拿・蘆(呂・侶)鵡拿?

 ↓↑   ↓↑   緒補(大)牟田?
           北緯33度1分49秒
          「牟田=湿地帯の意」?
           蘆原(葦原・芦原・足原)
           の「中つ国」
           高天原
           と
           黄泉の国=根之堅洲国
           (読みの語句・句似=今詞懸洲語句)?
           の間にある国
           豊 葦 原  中  国
          (とよあしはらのなかつくに)
           中津国(中つ国)
           豊 葦 原  千五百秋  瑞 穂 国
          (とよあしはらのちいおあきのみずほのくに)
 ↓↑   ↓↑
     λ(ラムダ)
     ギリシア文字の
     第11字母・・・・・11
     数価は30・・・・・30
     音価は「l」・・・・L
     フェニキア文字「∠(ラーメド)」
            「ラブダ(λάβδα)」
     ラテンアルファベットの「L(エル)」・・・乚=乙⇔Z
     キリル文字の「Л、Љ」
 ↓↑
 𠆢(ひとやね)
 ヘ(へ)
 ↓↑
 ノ(の)≠丿(ヘツ・へチ)
 乀(フツ)≠乁(イ)
 ↓↑
 丿=もとる・ヘツ・ヘチ・ヨウ
 乀=まがる・フツ・ブチ
 乁=ながれる・イ
 ↓↑
 木朩未末本札朮术
 ↓↑
 𠓛𠓜𠓝𠓞𠓟𠓠𠓡𠓢𠓣
 㒱㒲全氽𠇒㒴𠓤𠓥𠓦
 𠓧𠓩兪𠓪𠓫𠓬𠓭𠓮𠓯
 𠓰
 ↓↑
 入兦內
 金釡全
 兩
 兪
 八公六兮兯
 釞釟
 ↓↑
 氼氽求汃汄汆
 ↓↑
 㒰㒱㒲㒳㒴㒵佱㒶仚
 ↓↑
 兰共兲关兴兵其具典兹兺养
 ↓↑
 屰屳捡
 兪𠓪𠓫
 𠓰𠓱𠓲𠓳𠓴𠓵𠓶𠓷𠓸𠓹𠓺𠓻𠓼𠓽𠓾𠓿
 ↓↑
 只=口+ハ=ただ
 㕣=八+口=エン・・・沿岸
        ・・・三角州・中洲・扇状地帯の河口?
      山間の窪んだ泥地・沇・兗と通じて「兗州」の意
     「山閒の陷泥地なり・讀みて沇州の沇の若くす
      九州の渥地なり・沇の名の所以
      (説文解字・巻二)」
 尒=𠆢+小=ジ・二=爾・尔
       しかり・わける・なんじ・ちかい
 㕤㕥
 㕦=口+大=loud・clamour・hubbub・自慢・法螺吹き
 㒴𠓤𠓥𠓦𠓧𠓨
 㒵=白+八=マぉ・かお(顔・相貌)
 㒶=八+白=「公」の古字
      木下 㒶福(きのした きんとみ)
      天和元年(1681年)
      ~
      享保十二年六月五日(1727年7月23 日)
      備中国
      足守藩の世嗣
      日出藩主
      木下俊長の三男
      母は
      朽木稙綱の娘
      子は娘(木下利潔正室)
        娘(片桐貞音正室)
 㒷
 兵
 𠔊=丘+八
 𠔋=八+一+凶=八+龱=キ・み
   異体字「囟・箕 ・基」
 𠔌=ハ+八+口
 ↓↑
 今=𠆢+ラ(一フ)
 分=八+刀
 介=𠆢+丿+丨
 仌=𠆢+𠆢
 从=人+人
 仐=𠆢+十=傘
 仑=𠆢+ヒ(匕七匕)=侖・・・論・倫
   亼+冊 (竹簡)
   整理され置かれている書物
   物事の道理やなりたちの明確化
 仒=𠆢+〻(〃・冫・=)・・・於
  亽=𠆢+丶
 仓=𠆢+㔾=倉
 仚=𠆢+山=ケン・とぶ・人が山の上に存るさま
       とぶ・輕く擧るさま
       輕擧貌
       鳥仚魚躍
       人が山上にあるかたち
 仝=𠆢+エ=同
 令=𠆢+一+刀
 ↓↑
 兦=入+乚=𠃊+入・・・兦≠込める
   ボウ・モウ・ほろびる・ ほろぶ・ほろぼす
   異体字「亡」
 𠓛=𠆢+一=集=シュウ.
 𠓜=人+人
 𠓝=𠆢+十
 𠓞=入+二
   ⼊=いる・いりがしら(入頭)・いりやね(入屋根)
 𠓟=𠆢+乞(𠂉乙)=古文「乏」字
           ホウ・ボウ・とぼ・しい
           乏=𣥄=𠂜
           貯(たくわ)えが底を突く
           金や物や力が尽きる
           同「匱」
           空(あ)く、空(から)になる
           矢を遮(さえぎ)る盾(たて)
           衝立(ついたて)
 𠓠=入+攴=ヘン・ベン・鞭(むち)
       馬や罪人を打つ(革製の)紐状のもの
       同「鞭」・鞭打つ
       叱ったり励ましたりして
       前に進ませる
       同「鞭」
 𠓡=入+一+丌=シ・や(矢𥎨𠂕)
   弓の矢・離れている獲物を仕留め棒状の武器
   竹製は「箭・弓箭」
   まっすぐなさま・直進・直言
   誓い
   異体字「矢」
 𠓢=入+手=カイ・ケ
 𠓣=入+心
 㒱=𠆢+夕
 㒲=𠆢+日
 全=𠆢+王
 氽=𠆢+水
 𠇒=ィ+入+入
 㒴=𠆢+出(山山)
 𠓤=𠆢+一+日
 𠓥=𠆢+一+攴
 𠓦=入+田
 𠓧=𠆢+乎
 𠓩=耒+入
 兪=𠆢+一+月+巜
 𠓪=𠆢+丨=个个个
 𠓫=入+兵
 𠓬=吝(文口)+入
 𠓭=入+林
 𠓮=入+靣(面)
 𠓯=入+空
 𠓰=入+王+双
ーーーーー
 大牟田
 宮崎県、鹿児島県、兵庫県
 宮崎県都城市高崎町大牟田発祥
 江戸時代から記録のある地名
 ↓↑
 福岡県大牟田市発祥
 江戸時代に
 「南大牟田」と呼称した地名
 ↓↑
 鹿児島県日置市吹上町田尻の
 小字の
 大牟田迫・大牟田原から発祥
 ↓↑
 福岡県大牟田市
 大牟田
 景行天皇
 高田行宮にこられた時
 歴木の巨木があったので
 「御木の国」と言われるようになった
 (「日本書記」)
 ↓↑
 平安朝時代(794年~1192年)
 9世紀初期
 三毛
 中納言
 源師親が
 普光寺を建立
 10世紀初期
 三毛師方が
 宮原天満宮を建立
 ↓↑
 鎌倉時代(1192年~1333年)
 12世紀末
 今山岳の活動により
 三つの池出現
 三池と言われるようになった・・・
 ↓↑
 室町時代(1338年~1573年)
 文明元年(1469年)
 伝治左衛門という農民が
 山中でたき火中
 燃える石(石炭)を発見
 ↓↑
 天正十五年(1587年)
 豊臣秀吉より
 高橋直次に
 三池郡内1万8千石を賜る
 ↓↑
 慶長5年(1600年)
 高橋直次
 三池郡領地を没収
 ↓↑
 江戸時代(1603年~1867年)
 元和七年(1621年)
 立花種次
 三池郡1万石を所領
 ↓↑
 寛文四年(1664年)
 平塚喜右衛門が
 早鐘山の谷に堤を築く
 ↓↑
 延宝二年(1674年)
 三池藩が
 大牟田川に
 眼鏡橋をかける
 ↓↑
 享保六年(1721年)
 柳河藩家老
 小野春信・・・小野=おの
 平野
 鷹取山の地を賜り
 享保六年十一月
 石炭の採掘を始める
 ↓↑
 寛政二年(1790年)
 三池藩が
 石山法度を布告
 ↓↑
 寛政四年(1792年)
 温泉岳(雲仙岳)爆発
 ↓↑
 享和三年(1803年)
 立花内膳
 吉ケ谷の大堤を築く
 ↓↑
 文化三年(1806年)
 立花氏
 下手渡(福島県月舘町)
 に領地を移される
 ↓↑
 文化八年(1811年)
 伊能忠敬
 一行
 三池郡地方を測量
 ↓↑
 嘉永四年(1851年)
 立花氏に
 三池郡の
 領地5千石がもどされる
 ↓↑
 嘉永六年(1853年)
 三池藩で
 生山を開坑
 ↓↑
 安政四年(1857年)
 生山
 平野山
 両坑の境界争いはじまる
 明治五年
 再度争い起こり
 三潴郡中止を命じる
 大浦坑開坑
 大正十五年閉鎖
 ・・・by 「大牟田のあゆみ
      (古代~江戸時代)」
ーーーーー
 ・・・???・・・

「怒りの猫妃」に睨まれている「鼠(マウス)」の「お嬢」・・・則天武后?

$
0
0
 幾松・斗(ます)・計(かず)・翠香院(スイコウイン) ↓↑
 誕生日オメデトウ(^▽^)ゴザイマース!!

 猫城(ねこじょう)
 福岡県中間市に存在した城
 遠賀郡上底井村(月瀬神社)
 遠賀川左岸の平野部の小高い丘にある
 室町時代に麻生氏によって築城
 戦国時代に宗像氏領
 名前の由来
 「敵が攻めてくるときは山が高くなり
  城から攻め下りるときは山が低く感じる
  猫が
  背を高くしたり低くし
    低くしたりしているよう」
 なことから名付けられた・・・
 宗像氏貞は
 家臣の
 吉田倫行に
 雑兵150名をつけ猫城に配属
 天正八年(1580年)五月
 大友宗麟の家臣
 立花城の
 立花道雪の指令を受けた
 鷹取城主
 毛利鎮実
 が攻め込む
 宗像勢はこれを討ち破った
 宗像氏断絶後、廃城
 江戸時代
 福岡藩の所領
 2代藩主
 黒田忠之により
 猫城跡に
 月瀬八幡宮
 建立
 (by Wikipedia)
 ↓↑
 ネコ城
 (ドイツ語 Burg Katz・ブルク・カッツ)
 ドイツ連邦ラインラント
 プファルツ州
 ザンクト・ゴアールスハウゼン
 の
 ライン川上流沿いにある城
 ↓↑
 カッツェンエルンボーゲン伯爵
 ヴィルヘルム2世(Count Wilhelm II)
 1360年~1371年ごろ建設
 1356年に建設していた
 トリーア大司教
 の
 マウス城
 (正式な名称は
  トゥルンブルク城
  猫に睨まれていることから)
 に対抗するために建設
 反対側に
 ラインフェルス城があり
 ともに川の通行料を取っていた
 ↓↑
 1692年
 ルイ14世の征服
 ラインフェルス城の包囲中に城が破壊
 七年戦争で
 1758年
 フランス人に征服
 1763年に戻った
 1806年
 ナポレオン・ボナパルト
 に主塔が破壊
 ↓↑
 タコ踊り・タコ舞踏・タコdance・・・多古箪笥?
 ↓↑
 蛸・凧・胼胝=たこ=多古・田子・多胡・章魚・章魚
 ↓↑
 Octopus=8本足=デビルフィッシュ=Devilfish
      蛸(たこ、タコ)
  英語  オクトパス octopus
  英語  オックタパス octopus
  独語  オクトポーデ Oktopode
  独語  ポリュープ Polyp
  独語  クラーケ Krake
  蘭語  オクトプス oktopus
  仏語  プルプ poulpe
  伊語  ポルポ polpo
  西語  プルポ pulpo
  葡語  ポゥヴォ polvo
  羅語  ポーリュプス polypus
  羅語  ポリプス polypus
  希語  ポリュプース
  希語  フタポズィ χταπόδι
  露語  アスィミノーク осьминог
  露語  アシミノーク осьминог
  中語  ザンユ   章鱼
  中語  チャンユィ 章鱼
  韓語  ムンオ
  捷克語 ホボトニツェ chobotnice
  アラブ語 オクトボート
  アラブ語 サルタウーン
  スワヒリ語 プウェザ pweza
 ↓↑
 カイト=Kite・・・凧・・・長い二本足・・・?
 ↓↑  古語、地方名で
     紙鳶(しえん)、ハタ、いか( イカ)
     ↓↑
     中国大陸
    「黒鍋底(ヘイクオテエ)」
     燕(つばめ)凧の原型
     もとは墨一色で
     兵士が描かれていた・・・
     ↓↑
     八日市大凧
     江戸時代中期から始まった
     1882年
     240畳の大凧が揚げられた
     ↓↑
     大凧に乗って
     名古屋城の金鯱を盗もうとした
     江戸時代に実在した
     柿木金助という盗賊
     柿木 金助
     ?~宝暦十三年八月二十一日
       (1763年9月28日)
     尾張国
     中島郡
     柿木島村(愛知県稲沢市)
     生まれの百姓
     正徳二年(1712)
     大凧にからだを結びつけ
     名古屋城天守閣に登り
     金の鯱(しゃちほこ)の
     鱗(うろこ)を盗んだ・・・
     ↓↑
     1752年
     楽器の発明で有名な
     ベンジャミン・フランクリンは
     雷雨の中で凧を揚げ
 ↓↑  雷が電気であることを証明

 ↓↑
 海人(カイト・あま)=かいと=甲斐人=カイト=蝦夷人
 ↓↑
 エイト(eight) 英語
 アハ卜(acht) 独語
 ユイット
 ユイ
 ユイットゥ(huit) 仏語
 オチヨ(ocho) 西語
 オット(otto) 伊語
 オクトー(οκτώ) 希語
 ↓↑
 エイトマン・・・ 頴娃人?
 八人
 ↓↑

 1600年3月
 薩摩直轄領の
 頴娃(エイ)は
 伊集院忠真(元々は都城の豪族)
 にあてがわれ
 猫城・・・「猫の城」の名前由来は?
 などが築城(改築)される
 猫城跡は
 太平洋戦争中
 アメリカ軍の上陸へ備え
 陸軍により要塞化
 知覧の特攻基地と
 東シナ海の間にあり重要な拠点
 ↓↑
 頴・・・・英才の旧字は穎才・飛び抜けるの意味
 娃・・・・(あい)目のまるい美しい人・美しいの意
 ↓↑
 頴=匕+示+頁=穎=匕+禾+頁
   エイ
   すぐれる
   ほさき
   ほ・ほさき
   稲や麦の穂先・穀物の穂先
   穂先のように先端のとがったもの
   才能がすぐれる・すぐれている
   さとい
 ↓↑
 娃=女+圭=女+土(十一)+土(十一)
   ア・・・蛙・雅・鴉・丫・阿・亜
   アイ
   うつくしい
   顔立ちがうつくしい
   美女・うつくしい女性
 ↓↑ 
 娃(女圭)≠桂(木圭)
       圭=化意
        =佳・珪・奎・鮭・渓
         景(行)・軽(珂瑠)
         鶏(阿輩雞彌)
        「俀王
         姓
         阿毎
         字
         多利思北孤
         號
         阿輩雞彌」
      ⇔「桂小五郎=木戸孝允」の妻女
 ↓↑
 木戸 松子(きど まつこ)
 天保十四年十月一日(1843年11月22日)
 ~
 明治十九年(1886年)4 月10日)
        大運1879年1月(35歳)~1889年
                 丁 卯┓正官
 癸卯 甲 乙 傷官・正財 胎⇔丙┏戌┛合丁
 癸亥 戊甲壬 傷官・食神 病⇔壬┗辰 害
 庚子┓壬 癸    ・傷官 死⇔庚┏子
 壬午┛丙 丁 食神・印綬沐浴⇔壬┗午
  辰巳空亡
ーー↓↑ーー
 木戸孝允
 天保四年六月二十六日(1833年8月11日)
 ~
 明治十年(1877年)5 月26日)
        大運1874年9月(41歳)~1884年
                 乙 卯┓比肩
 癸巳┓戊庚丙 偏印・正財沐浴⇔丁 丑
┏庚申┛戊壬庚 正官・正財 胎⇔乙┏巳
┗乙丑 癸辛己   ・偏印 衰⇔己┗亥┛三合乙
 壬午 丙 丁 印綬・傷官長生⇔庚 午
  戌亥空亡
 ↓↑
 干合化金格?
 月日干、干合庚辛⇒年月支、支合庚


 癸巳┓戊庚丙 食神・印綬  ⇔丁 丑
┏庚申┛戊壬庚 劫財・劫財  ⇔乙┏巳
┗辛丑 癸辛己   ・食神  ⇔己┗亥┛三合乙
 壬午 丙 丁 印綬・傷官  ⇔庚 午
ーー↓↑ーー
 ↓↑
 木戸 松子(きど まつこ)
 京都三本木(京都市上京区三本木通)の
 芸妓
 幾松(いくまつ)
 幼少名は斗(ます)、計(かず)
 号は翠香院(スイコウイン)
       ・・・「推考・水行・推敲」韻
 父は若狭小浜藩士
   木崎(生咲)市兵衛(きざき いちべえ)
 母は三方郡神子浦の医師
   細川益庵(太仲)
  (ほそかわ えきあん)の娘
   末子(すみ)
 ↓↑
 父は若狭小浜藩士
 木崎(生咲)市兵衛
 右筆(ユウヒツ
 中世・近世の武家の秘書役、文官
 文章の代筆が本来の職務
 公文書や記録の作成など
 事務官僚としての役目を担う
 執筆(シュヒツ)とも
 ↓↑
 若狭小浜藩主
 酒井忠義に仕える
 元来、弓師
 浅沼忠左衛門の次男
 木崎家の養子となった
 町奉行の祐筆であったが
 藩内の事件から罪を引き閉門
 後
 妻子を残し京都へ出奔
 妻の
 末子は子供を連れ実家の
 細川家に戻って
 神子浦で過ごす
 ↓↑
 嘉永四年(1851年)
 木崎(生咲)市兵衛
 他界
 その後
 末子は
 京都
 御幸町
 松原下るの
 提灯屋に嫁いだ
 ↓↑
 幾松の在籍した置屋
 「瀧中」といい
 維新後に
 木戸所有となった
 土手町
 留守居役の
 木崎家は
 月々木戸より送金される6両
 三本木からの家賃収入でやりくり
 幾松の養父であった
 難波常二郎は
 三本木別邸「瀧中」に住み
 木屋町別邸のやりくりを任され
 その他京都での
 木戸の周りの様々な雑用
 ↓↑
 幕末
 「瀧中」には幾松の妹芸妓
 「玉松」と見習いの
 「おもく」がいたが
 それぞれに維新後
 河瀬秀治・佐畑信之と結婚
 仲人は孝允
 ↓↑
 幾松と桂小五郎との出会い
 幾松を山科の豪家が大贔屓
 桂がこれに張り合い
 伊藤博文
 が刀で脅し
 幾松は桂のものになった・・・?
 『松菊木戸公逸話(児玉愛二郎)』
 ↓↑
 元治元年(1864年)六月
 池田屋事件
 禁門の変
 長州藩は朝敵
 桂は幕府の「おたずね者」
 二条大橋周辺に
 乞食姿で隠れ潜んでいた桂に
 幾松はよく握り飯を持っていった・・・
 新撰組局長
 近藤勇に連行され
 桂の居場所を訊かれたこともあった
 ↓↑
 元治元年(1864年)八月
 ~
 慶応元年(1865年)四月
 にかけ、商人
 廣戸家の援助を受け
 出石に潜伏
 名前を
 廣江孝助と変名
 荒物屋主人
 寺男
 転々と名所を変えながら潜伏
 幾松が
 ある会津人に侵されかけ
 三味線を折って投げつけ
 対馬藩邸に助けを求めた
 伊藤博文の直話・・・
 幾松は
 長府藩士
 奥善五六郎
 と
 京師東山の割烹店の主
 曙久斎
 の三名で
 対馬藩濱屋敷に匿われ
 対馬藩士
 多田荘蔵が
 大坂より馬関へと逃した
 ↓↑
 幾松はその後
 出石潜伏中の桂を迎えに行った
 慶応元年二月初め
 廣戸甚助が馬関にやってき
 桂が
 出石に潜伏と報告
 幾松は
 村田蔵六から
 桂宛の手紙と五十両を預かり
 2月7日
 甚助を案内に出石へと向かった
 途中
 大阪で
 甚助が博打で五十両を使い果たし姿を消した
 幾松は一人で
 出石まで迎えに行く
 3月3日
 出石に着き
 桂と再会
 城崎温泉に行った
 ↓↑
 出石から
 桂は
 幾松・甚助・その弟の直蔵
 を伴い
 馬関へ帰国
 途中神戸・金毘羅山
 などに立ち寄る
 ↓↑
 慶応元年~慶応二年初め
 糸米で桂と暮らし始めた・・・
 ↓↑
 明治元年(1868年)八月
 木戸の実家のある萩を訪れ
 妹・治子や親戚に挨拶
 養子の
 正二郎と共に京都に上京
 ↓↑
 幾松は長州藩士
 岡部富太郎
 の養女となり
 木戸と婚姻
 「木戸松子」と名乗る
 ↓↑
 明治二年(1869年)六月から
 東京で生活
 明治二年
 箱根で夫婦で療養
 ↓↑
 明治九年(1876年)
 箱根で夫婦は
 皇后・美子にも謁見
 ↓↑
 明治七年(1875年)
 桂は
 台湾出兵問題で
 山口に下野し
 一緒に帰った
 ↓↑
 明治十年(1877年)5月
 木戸は京都出張中病に倒れ
 5月6日
 木戸危篤の報を聞き
 松子は東京を出発
 馬車を乗り継ぎ
 10日には京都へ到着
 5月26日
 木戸は
 原因不明の
 脳病の発作
 及び
 胃病のため病死・・・
 松子は薙髪し
 「翠香院」と号し
 京都
 木屋町へ転居
 ↓↑
 佳字(けいじ)=嘉字
 漢字の
 字面が良くない場合
 同じ読みで
 字面の良い漢字をあてる
 「嘉字」とも
 ↓↑
 佳字・佳名
 和銅六年(713年)
 元明天皇
 諸国の国名に
 佳名を使うよう詔令
 ↓↑
 「牟邪志」⇔むさし⇔「武蔵」
  无邪志 國  造(先代旧事本紀・古事記)
 (むざしのくにのみやつこ)
  无邪志国造
  武 刺國造(先代旧事本紀)
 (むさしのくにのみやつこ)
  武刺  国  造
  牟邪志 國  造(先代旧事本紀)
 (むざしのくにのみやつこ)
  牟邪志 国  造
  武藏  國  造(日本書紀)
 (むさしのくにのみやつこ)
ーーーーー
 武蔵町(むさしまち)・・・无邪志
 北緯33度29分
 大分県
 東国
 東郡にあった町
 2006年3月31日
 他の東国東郡各町(姫島村は除く)と合併
 国東市となり消滅
 ・・・???・・・
 大分県東国東郡武蔵町⇒現・国東市
 埼玉県入間郡武蔵町 ⇒現・入間市
 大字
 奈良県天理市武蔵町
 ・・・???・・・
 ↓↑
 無邪志国造
 无邪志国造
 无謝志国造
 ↓↑
 牟耶志国造
 ↓↑
 无邪志国造
 条の次に
 胸刺国造条
 ↓↑
 无邪志国造の支配領域
 无邪志国
 无邪志国=令制国の武蔵国
 秩父(知々夫国造の支配する知々夫)
 を除いた範囲をさす・・・
 埼玉県と東京都の境界周辺
 荒川流域にある
 北足立郡・入間郡・旧大宮市
 ↓↑
 当初
 武蔵国は東山道に所属
 771年
 東海道に移管
 ↓↑
 「姓」
 古代の豪族が氏の下につけた称号
 ↓↑
 古代日本における氏族の称号
 臣 (おみ)
 連 (むらじ)
 君 (きみ)
 首 (おびと)
 など三十種近く
 ↓↑
 臣=畿内の有力な豪族を中心に与えられた
 連=大王に直属する有力な
   伴造(とものみやつこ)を中心に与えられた
 ↓↑
 大和王権の官職
 造(みやつこ)=皇室部民の伴造氏族
        手工業関係の伴造氏族
        秦造(はたのみやつこ)
        渡来系氏族に与えられた
 直(あたい)=国造(くにのみやつこ)に与えられ
       渡来系氏族
       倭漢直(やまとのあやのあたい)
       に与えられた
       有力な豪族
       上毛野君(かみつけぬのきみ)
           (上野(こうずけ)国)
       肥君(ひのきみ)(肥後国)
       君という姓を与えられている
 村主(すぐり)
 勝(すぐり)
 吉志(きし)
 朝鮮との関係の深い姓は
 多く渡来系氏族に与えられた
 官職関係の姓としては
 首(おびと)
 稲置(いなぎ)
 阿比古(あびこ)
 国造
 県主(あがたぬし)
 画師(えし)
 薬師(くすし)
 史(ふひと)
 日佐(おさ)
 神主(かんぬし)
 視(はふり)
ーーーーー
 ・・・???・・・
 佳字(けいじ)=嘉字・・・
 木戸・曙・幾松・松子・・・
 孝允・・・桂小五郎=蛙字・・・

霊肉一致(例字句一致?)  平王・・・平(たいら)の王・・・?

$
0
0
 抜本塞源(抜本即言?)・推本溯源(素意本遡源?)
 石屋への鎮魂・・・合掌・・・𦥑=𠀉彐・∈∋・・・
 医食同源
 ↓↑
 飲水思源
   物事の基本を忘れずに
   大切にするべきという戒め
   受けた恩を忘れてはいけない戒め
   水を飲むときに
   水源のことを思う意
  「水を飲むときは
   井戸を掘った人のことを忘れるな」
  「水を飲みて源を思う」・・・

 ↓↑
 De Liefde・・・・My love・・・
 ・・・愛の漂着・・・愛のハジマリ・・・
 ・・・愛の潜行・・・愛の沈潜・・・
 ・・・軽いコトバで「和の平(たいらぐ)」を語ってはイケナイ・・・
 ↓↑
 平=干+八
   干+丷(ハ・八)
   ビョウ
   ヘイ
   ヒョウ
   ヘン
   たいら
   ひら
   たいらか
   高低やでこぼこがない
   おやだや・やすらか
   かたよっていない
   公平・等しい
   たいらげる・たいらぐ
   おさめる・しずめる
   普通・普段・日ごろ
   漢字の四声のひとつ
         平声(ヒョウショウ)
   ととのう・治まる
   ひら・普通・特別でない
   ひらに・なにとぞ・どうか
 ↓↑
 たいらにする・なる・ならす
 平にする為に物をぶつけあう
 坪=平な土地
   異体字「𡊞」
 抨=ものをぶつけ弾く
 泙=平な水面

 苹=水面に広った浮き草
 枰=表面を平にした碁盤の類
 秤=はかり・天秤
 𤘾=牛+平=pēng
   異体字
  「𤙀=牛+兀+丂=牛+𠀒」
   𠀒=ヒョウ・ヘイ・ビョウ
     たいら・ひら
     平𤔁𠀭
     一儿丂=𠀒
     起伏や凹凸がない
     高さが揃っている
     普段通り
     何時もと変わらずの状態
     乱れがなく穏やかなさま
     均一な・等しい・斉(ひと)しい
     兀=一+儿
       ゴツ・ゴチ・コツ
       高いところ
 ↓↑    山や丘などの上が平らなさま
 怦=忄+平
   忄+干+丷
   ヒョウ
   ホウ
   せわしい・気がせく・気持ちがはやる
 ↓↑
 䶄=鼠+乎・・・乎≠平
   鼠+干+丷
   ヘイ
   山鼠
 ↓↑
 評=言葉をぶつけならす
   評価・批評・評判
 ↓↑
 平
 ヘイ・・ビョウ・ヒョウ
 たいら・ひら
 ひらたい
 平地・水平
 かたよらない・ひとしい
 平等・平均
 おだやか・やすらか
 平和・太平
 ↓↑
 鮃(ひらめ・平目・比目魚)=魚+平
 ↓↑
 坪
 異体字「𡊞」
 声符「平」
 平𤘾枰評怦秤泙䶄抨苹
 ↓↑
 平戸市(ひらどし)
 長崎県北西部
 平戸島とその周辺を行政区域
 長崎県最西端の市
 中心の平戸地区は
 旧平戸藩
 松浦氏の城下町
 鎖国前は
 中国やポルトガル
 オランダなどとの国際貿易港
 ↓↑
 平戸
 神奈川県
 茨城県
 長崎県長崎市
 ↓↑
 埼玉県
 熊谷市
 平戸発祥
 江戸時代から記録
 ↓↑
 茨城県
 水戸市
 平戸町発祥
 鎌倉時代から記録
 ↓↑
 長崎県
 平戸(ヒラド)市発祥
 鎌倉時代から記録
 ↓↑
 徳島県
 海部郡
 美波町
 西河内
 平戸(ヒラド)発祥
 ↓↑
 平戸・(熊谷市)・-・埼玉県
         熊谷市・の大字(ひらと)
 平戸・(飯能市)・-・埼玉県
         飯能市・の大字(ひらっと)
 平戸・(八千代市)・-・千葉県
          八千代市・の大字(ひらと)
 平戸・(横浜市)・-・神奈川県
         横浜市
         戸塚区の町丁
 ↓↑
 長崎県
 平戸市発祥
 鎌倉時代
 1191年(建久二年)
 栄西が
 留学先の南宋から
 平戸島に帰着
 平戸滞在中に島内の
 冨春庵(千光寺)に
 日本で初めて禅宗を伝え
 庵裏山に日本で初めて茶畑を作った
 ↓↑
 1225年(元仁二年)
 松浦党の一族
 峯持(平戸松浦氏の祖)が
 小値賀から平戸に移り
 館山(松浦史料博物館裏山)に館を築く
 ↓↑
 室町時代
 1550年(天文十九年)
 松浦隆信
 が南蛮貿易に進出
 平戸港に
 ポルトガル貿易船が初めて入港
 9月
 フランシスコ・ザビエル
 が平戸に来航
 ↓↑
 1561年(永禄四年)
 宮ノ前事件
 翌年から
 ポルトガル船の貿易港が
 大村藩領の
 横瀬浦(西海市西海町横瀬)に替わる
 ↓↑
 安土桃山時代
 1584年(天正十二年)
 イスパニアの貿易船入港
 ↓↑
 1600年(慶長五年)
 松浦鎮信が
 徳川家康より
 6万3千石の領地を安堵され
 平戸藩が確立
 ↓↑
 江戸時代
 1609年(慶長十四年)
 オランダが商館を設置
 1613年(慶長十八年)
 イギリスが商館を設置
 ↓↑
 1615年(元和元年)
 イギリス商館長
 リチャード・コックス
 日本で初めてサツマイモを栽培
 (琉球王国で、1605年に初めて栽培)
 ↓↑

 1620年(元和六年)
 三浦按針(ウィリアム・アダムス)・・・三浦按針の死
 平戸で病没
 ↓↑
 ウィリアム・アダムス(William Adams)
  1564年9月24日~1620年5月16日(元和六年四月二十四日)
         1564年9月24日~1620年5月16日
      大運1616年3月(51歳)~1626年3月(61歳)
                戊┏寅 劫財死
 甲┏子(壬 癸)正官・偏財 絶⇔庚┗申┓
 壬┗申(戊壬庚)正財・傷官沐浴⇔辛 巳┛
 己 丑(癸辛己)  ・比肩 墓⇔壬 戌
 庚 午(丙 丁)傷官・偏印建禄⇔丙 午
   午未空亡
   子-申三合壬正財
 ↓↑
 関ヶ原の戦いの約半年前
 1600年4月29日(慶長五年三月十六日)
 ↓↑
 庚┏子(壬 癸)
 庚┣辰(乙癸戊)
 庚┗申(戊壬庚)
 壬┗午(丙 丁)
 ↓↑
 三浦按針(ウィリアム・アダムス)の
 リーフデ号(蘭 De Liefde・love)300トン
 は
 豊後(ぶんご)・・・文語・文護・文後・文悟
 臼杵(うすき)
 ↓↑ ・・・うすき=宇宿・魚吹・臼木
       宇受記・・・猿女の記
       卯月・兎月・烏頭記
       碓記・・・小碓命の記?
       臼=白の字形の底が接続
        =ノ+Eヨ=臼・・・⺕彐
         うす・キュウ
         穀物を入れてを搗(つ)く
         円柱状の木や石で上部を
         半球形に抉(えぐ)った器
         搗(つ)く=舂(つく)・・・手島
              =𡗗+臼・・・
                 つく・ショウ・シュ
                 㫪𣇃𦥴𦦓𦥽
               舂=三+人+臼
                 二+大+臼
                 一+夫+臼
                 𡗗+臼
                 𡗗+E+ヨ=舂
       𦥑=ノ+E+ヨ
         キク・キョク・掬う=ノ+E+ヨ=𦥑
       𦥑=ノ+E+ヨ=両手で水をすくう(掬)形
               掬=扌+匊(勹米)⇔菊・麹
              「∈+水+∋」
         𠀉+彐=白が真っ二つに分離の形象
 ↓↑       ↓↑
         白木=杉・檜木など、色の白い木材
         皮をはぎ、削っただけで
         何も塗ってない木
        「白木の柱」
         トウダイグサ科の落葉小高木
         葉は広卵形
         トウダイグサ(燈台草)
         ハズ(巴豆)・Croton (クロトン)
         本州以南に広く分布
         日当たりのよい
         荒地や畑などに生える二年草
         6月ごろ
         枝先に総状花序をつくり
         上部に多数の黄色の雄花
         下部に数個の雌花をつける
         燈火の皿に見立てた和名
         茎や葉を傷つけると
         白い乳液を出し
         全草にわたり有毒
         皮膚につくと炎症
         毒薬・劇薬・・・
      ・・・新羅(秦)の片割れ・・・?

         𦥑=叉手、𠀉彐に従ふ
         𦥑の屬は皆な𦥑に従ふ(説文解字)
         左右の手を合わせた形
         両手で水を掬う
         両手で水を掬って顔を洗う 
         左右の手でモノをもつ意
 ↓↑      𦥑は前方にモノを抱きかかえる形
 黒島・・・黒い島・・・句賂意詞真?
 に漂着
 or
 佐伯(さえき)湾
    ・・・佐(たすける)伯(人は白)・・・差益
 の
 大入島・・・大(おほの)入(はいる)島(しま)
 に漂着し
 ↓↑ 
 臼杵城主
 太田一吉・・・太田一吉 ⇔太安万(萬)侶?
        太傅(伝)一記知⇔?
       「信長公記」
       「織田信長一代記」
        著者は信長旧臣の
       「太田牛一」⇔「太田一吉」?
 の出した小舟で
 日本の土を踏んだ
 ↓↑
 1623年(元和九年)・・・元の和は究撚
 イギリス商館閉鎖
 1641年(寛永十八年)
 オランダ商館が長崎の出島へ移転
 平戸での南蛮貿易終焉
 1707年(宝永四年)
 亀岡城(平戸城)竣工
 ↓↑
 1871年(明治四年)
 廃藩置県で
 平戸藩が平戸県(長崎県)
 1880年(明治十三年)
 旧平戸藩主
 松浦詮が
 元の藩士等の子弟教育のため
 「猶興書院」を開く
 現在の
 長崎県立
 猶興館高等学校の前身
 ↓↑
 「焏(ジョウ)」は「丞」の異体字
ーーーーー
 源=氵+原
   氵+厂+白+小
   ゲン
   みなもと
   水の流れ出るもと
   物事のおおもと・始まり
   たずねる・さぐる・探し求める
   みなもと
   源氏(げんじ)
   ↓↑
   原・源・愿・螈・羱・豲・謜・䝠
   願・厵・縓・㷧・榞・㟶・塬・騵
 ↓↑㹉・傆・獂・㥳・嫄・蒝・㟲
 原
 ゲン
 はら
 たずねる
 もと
 ゆるす
 広く平らな土地
 たずねる・もとにさかのぼる・原因
 もと・おこり・みなもと・根本
 ゆるす・罪をとがめない
 慎み深いさま・生真面目なさま
 素直なさま
 ↓↑
 医食同源
 ↓↑
 飲水思源
   物事の基本を忘れずに
   大切にするべきという戒め
   受けた恩を忘れてはいけない戒め
   水を飲むときに
   水源のことを思う意
  「水を飲むときは
   井戸を掘った人のことを忘れるな」
  「水を飲みて源を思う」
 ↓↑
 開源節流(かいげんせつりゅう)
   支出を抑え
   財源を増やす健全な財政
  「開源」は水源開発
  「節流」は水流の調節
   川の流れに財政をたとえた
 ↓↑
 源平藤橘(ゲンペイトウキツ)
 ↓↑
 推本溯源(スイホンソゲン)
   物事の根本を考え
   その全てを知ろうとすること
   根源を推察し
   根源にさかのぼる意味
  「本を推して源に溯る」
  「推究根源」
  「追本究源」
 ↓↑
 世外桃源
   この世とは別の平和な世界
  「世外」は別世界
  「桃源」は「桃源郷」の略
   ある漁師が川をさかのぼって
   森の奥の洞穴を抜けると
   桃の花が咲き乱れる美しい地があり
   秦の乱から逃れてきた者たちが
   平和に暮らす理想郷を見つけた故事
 ↓↑
 抜本塞源(バッポンソクゲン)
 災いの原因を完全に取り除くこと
 「抜本」は木の根を引き抜くこと
 「塞源」は水源を塞ぐこと
 春秋時代
 晋が周を攻めようとしたとき
 周の
 景王は・・・景の王・・・景行天皇・高橋景保
 晋の・・・晋⇔普通・並(ならぶ)日の?
 ↓↑        日並びの皇子=草壁=日下部
     「晋=亚+日=晉=㬜」≠普
  晋=一+业+日=進む
  业=業・宿業・事業
    カルマ(梵karman)
    行為・所作・就业=就業・産業
    意志による身心の活動
    意志による身心の生活
    业=ye・大版也
      象形=从丵(zhuo),从巾丛生草
         巾象版
         将丵变成巾的过程
         大版[board]
         古代覆在悬挂钟
         鼓等乐器架横木上的装饰物
         刻如锯齿形
         涂以白色业、大版也
         所以覆县钟鼓之栒
         捷业如锯齿
         以白画之  
  亚=異体字「亞・亜」
    亚=二番目・次ぎ・つぐ・アジア
  晉=一+厸+一+日
   一+厶+厶+一+日
     ム=私=よこしま
  㬜=臸+日
   至+至+日
   至+一+厶+土+日
   一+厶+土+至+日
   一+厶+土+一+厶+土+日
   一+厶+十+一+一+厶+十+一+日
   シン
   すすむ
   勢いよくすすむ・突進
   晋(すすむ)≠⇔≠普(あまねし・フ・ホ)
   猪突猛進(チョウトツモウシン)
   目標に対して、向こう見ずに突き進むこと
 ↓↑ 猪(いのしし)・・・伊吹山の白猪神
          ・・・新羅の策謀(美夜受姫)で
          倒れた倭建=日本武尊=倭男具那=小碓命?
        美夜受比売(古事記)=宮簀媛(ミヤズヒメ・日本書紀)
          尾張国造の
          乎止与命(オトヨ)の娘
          父の乎止与命は
          天火明命( アメノホアカリ)の子孫
          建稲種命の妹
 ↓↑ の突進するたとえ
 亚≠並
ーーーーー
 戬=晋+戈
   亚+日+戈
   一+业+日+戈
   異体字「戩=晉+戈」
   セン
   尽きる・なくなる
   滅ぼす・滅びる
   殲滅
   幸い・幸福
 ↓↑
 霊=雨+一+亚
   雨+一+一+业
   レイ
   リョウ
   たま
   たましい
   よい
   死者のたましい
   神秘な力・不思議な力
   みこ(巫女)
   かんなぎ(巫覡・神巫)
   よい・かしこい
   すぐれている
   異体字
   靈(旧字体)
   䨩
   霛
   㚑
   灵
 ↓↑
 活霊活現(割礼割源・加都例∧源?)
   文芸作品などで
   本当に目の前に
   存在しているかのように
   表現されていること
   写実的な表現
 ↓↑
 頑冥不霊(岩名武礼?)
   道理がわからず
   頑固で思考が鈍いひと
  「頑冥」は頑固で
       道理がわからないこと
  「不霊」は頭の働きが鈍いこと
    出典 韓愈
 ↓↑
 人傑地霊(訊頡字例?)
   すぐれた能力がある人物は
   素晴らしい土地によって
   育まれる
  「人傑」はすぐれた能力がある人物
  「地霊」は地域性がすぐれている
   出典 王勃「秋日登洪府滕王閣餞別序」
 ↓↑
 全身全霊(前審前例?)
   体と心の全て
   体力と精神力の全て
 ↓↑
 地霊人傑(事例人結?)
   すぐれた土地から
   素晴らしい人材が世の中に出る
 ↓↑
 不霊頑冥(不例頑迷?)
   道理がわからず
   頑固で思考が鈍い人
   愚かな人
 ↓↑
 冥頑不霊(銘岩布令・譜例・府令?)
 ↓↑
 霊魂不滅(例今付目通?)
 ↓↑
 霊台方寸(例題法寸?)
   心
  「霊台」は魂がある場所
  「方寸」は四方が一寸の範囲
       心、胸中という意
   心は胸の内の四方が
   一寸の範囲、心臓にある
 ↓↑
 霊肉一致(例字句一致?)
 平王・・・平(たいら)の王
 に使いを出し
 周を攻めることは
 同族の本家である
 周をないがしろにし
 木の根を抜き
 水源を塞ぐようなものだ
 と言った故事
 「本を抜き源を塞ぐ」
  出典『春秋左氏伝(昭公九年)』
 ↓↑
 武陵桃源
   別の平和な世界・理想郷
  「武陵」は地名
  「桃源」は「桃源郷」の略
   武陵に住む漁師が
  「秦の乱」
   から
   逃れてきた者たちが
     ・・・徐 福(ジョフク)
        秦の方士
        斉国の琅邪郡
       (山東省臨沂市周辺)
        の出身
        別名は徐巿(ジョフツ)
   平和に暮らす
   理想郷を見つけた故事
   出典「桃花源記(陶潜)」
ーーーーー
 ・・・???・・・理想郷=日本?・・・和平の果の地・・・
 ナギるタイラの果ての地・・・?

文景の冶・・・景星・景清・景石・景体・景致・景品・・・おまけ・・・文刑の事?

$
0
0
 佳景・奇景・近景・景観・・・景気は気分・・・「おまけ」
 ・・・景気は気分・・・
 「おまけ」は「銅鐸=自然災害」or「埴輪=人間災害」・・・回避願望物?

 ↓↑  ↓↑
 景=日+京
   日+亠+口+小
   日の亠(音・於菟・乙)は
      口の中の
       カギ(亅)の八(ハ)・・・咽喉の扁桃腺?
                    釣り針の捌?
       浦島太郎の鯛の口に刺さった釣り針?
     ケイ
    エイ
    ひかり・明るい光・日光
    けしき・ながめ
    ようす・ありさま
    大きい・立派・めでたい
    あおぐ・あおぎしたう
    かげ=影=景+彡
    風情を添える意から
    商品に添えて
   「おまけ」の品物
    景品
 ↓↑  ↓↑
 遠景・佳景・奇景・近景・景観・景気
 景教・景況・景仰・景仰・景三・景山
 景事・景趣・景勝・景象・景色・景色
 景星・景清・景石・景体・景致・景品
 景福・景物・景慕・景迹・後景・光景
 三景・実景・修景・秋景・春景・叙景
 勝景・小景・場景・真景・雪景・絶景
 前景・全景・短景・致景・背景・八景
 晩景・美景・風景・返景・暮景・盆景
 夜景・野景・夕景・夕景・朗景・煙景
 景情・情景・粗景・点景・烟景・景雲
 景状・状景・麁景・添景・夕景・借景
 近景・景戒・景光
 ↓↑     ↓↑
 景帝
 前漢
 第六代皇帝
 父は文帝
 治世は
 「文景の治」と賞賛
 後漢の創始者
 光武帝・・・・57年(建武中元二年)
 劉秀    「漢委奴国王」金印を
        倭の奴国の使節にあたえた
        王莽が侯に格下げした
        高句麗は
        32年(建武八年)に
        後漢に朝貢
        前漢末以来の王号が復活
 と
 蜀漢の創始者
 昭烈帝
 劉備は
 景帝の末裔と称した・・・
 ↓↑     ↓↑
 景帝 (漢)
  (孝景皇帝
    劉啓
    在位紀元前157年~紀元前141年)
 ↓↑
 呉 (三国)
 景帝(孫休
    在位258年~264年)
 ↓↑
 西晋
 世宗景帝
 司馬師の追号
 ↓↑
 前趙の皇族
 劉亮
 玄孫の
 劉曜によって
 景帝と追号
 ↓↑
 成漢
 李特
 始祖景帝と追号
 ↓↑
 唐
 李虎
 太祖景帝と追号
 ↓↑
 呉 (十国)
 楊渥
 烈祖景帝と追号
 ↓↑
 明の景帝
 景泰帝
 朱祁鈺
 在位1449年~1457年
 ↓↑  ↓↑
 朝倉 義景(あさくら よしかげ)
 越前国の戦国大名
 越前朝倉氏第十一代
 最後の当主
 朝倉義景
 天文二年九月二十四日
 (1533年10月12日)
 ~
 天正元年八月二十日
 (1573年9月16日)
 ↓↑     ↓↑
 1533年10月12日~1573年9月16日
         大運1569年1月(35歳)~1579年1月
                 丁 巳┓傷官
 癸┏巳(戊庚丙)印綬・偏官 病⇔癸┏酉┛
 辛┗酉(庚 辛)正官・正官 胎⇔庚┃申
 甲┏子(壬 癸)  ・印綬沐浴⇔戊┗辰
 庚┗午(丙 丁)偏官・正財 死⇔戊 午
   戌亥空亡
 ↓↑  ↓↑
 幼名は長夜叉
 母は広徳院(光徳院)
 ↓↑     ↓↑
 天文二(1533)年
 越前
 天正一(1573)年8.20.
 越前戦国大名
 孝景の子
 孫次郎延景
 天文二十一 (1552) 年
 将軍
 足利義輝
 の偏諱を得て
 義景
 天文十七年
 父の死により
 一乗谷城主
ーー↓↑ーー↓↑ 
  朝倉 景健・・・朝の倉の景の健(イ=人の建)
 (あさくら かげたけ)
 越前国
 安居城主
 後に
 信長に降伏服従し
 安居景健(あご・あんご
      あぐい かげたけ)
 と改名
 ↓↑
 姉川の戦い
 朝倉軍総大将
 元亀元年(1570年)年九月二十日
 下坂本の合戦
 織田家臣の
 森可成
 信長の弟
 織田信治
 ら750余人を討つ
 天正元年(1573年)八月十三日
 刀根坂の戦い
 朝倉義景を
 越前へ逃がす
 が
 朝倉景鏡
 の手により
 朝倉義景が滅ぶと
 織田信長に降伏し
 姓を安居と改め
 所領安堵
 ↓↑
 天正二年(1574年)
 越前一向一揆
 安居景健は
 一揆方に降伏
 ↓↑
 天正三年(1575年)
 織田軍の越前再侵攻で
 一揆方が劣勢となると
 織田軍へ
 再び靡き
 一揆の指揮官であった
 下間頼照・下間頼俊
 らの首を持参し
 信長に許しを乞うたが
 認められず
 信長の命を受けた
 向久家により
 自害させられた
 すぐ後に
 朝倉(安居)景健の
 家臣である
 金子新丞
 父子
 山内源右衛門
 の3名が追腹を切り殉死
 (『信長公記』)
 ↓↑
 朝倉(安居)景健
 健=イ+建
   イ+廴+聿
 ↓↑
 聿+廴(いんにょう・長行也・延也
     金文の記録は
     廷・建の二字のみ・・・
 ↓↑   ↓↑
     廴=乚=乙
       Z+丿+乀
       一+ㄅ+乀
       一+勹+乀
       丂+乀
       ろ+乀
       了+乀
       ・・・孓=左腕の無い子
          子・孒・孓・孑
          ぼうふら
      古名の「棒振り・棒振り虫」が
          訛って
          ボウフラ(孑孒、孑孑)
          蚊の幼虫・蛆虫
          maggot(マゴトゥ)
          mosquito larva
         (モスキートウ ラーヴァ)
          wiggler(ウィグラー)
          wriggler(リグラー)
     乃-丿+乀=廴
    「廴⇔辶⇔辵」
     廹=廴+白=迫⇔伯
     建=計画を申し立てる
       建議・建策・建言・建白
       くつがえす・・・?
     聿=筆
     廴=儀礼を行う
       中廷(中庭・朝廷)の
       周囲の壁
 ・・・by 「ウィキペディア(Wikipedia)」
ーー↓↑ーー↓↑ーー
  景
 景教=ネストリウス派キリスト教
    ↓↑
    ネス=音諏・根素
       子洲・鼠・禰受
    トリ=取理・睹利
       採・取・盗
       止利・鳥
       鷄・鶏・雞=かけ=ニワトリの古名
       禽・酉
    ウス=臼・碓
       有珠・宇受・渦
       烏頭
 ↓↑
 景保=高橋景保
 ↓↑
 景行天皇
 (垂仁天皇十七年
  ~
  景行天皇六十年十一月七日)
 第十二代天皇
 (在位
  景行天皇元年七月十一日
  ~
  景行天皇六十年十一月七日)
ーー↓↑ーー
 和風諡号 大足彦忍代別天皇
   諱  大足彦尊
 別称   大帯日子
      ↓↑
      淤-斯呂-和氣天皇
     (お-しろ-わけ)⇔白別(捌)
      淤=泥・澱・淀
    於=方+仒
      烏の古字
      オ・ヨ・ウ
      おいて・おける
      に・より
      ああ(感嘆)
      ここ-に
      異体字「扵・𣱏・𤋬・烏・于」
    淤=水+方+仒
    水方仒-斯蘆=新羅-別(捌)
      仒=𠆢+冫(৲৲・〻)=倉の氷?
     「棜」=供え物をのせる
         長方形の木製の台・礼器
     「扵」=扌+仒
         時刻、方角、場所を示唆
      ↓↑
      大足日足天皇⇔大即卑拾?
      大帯日子天皇⇔台帯卑後(肥後)?
      大帯日古天皇⇔帯方郡の彦?
      大帯比古天皇⇔大碓比古?
      ↓↑
      代替比古
 ↓↑    ↓↑
 祖父   崇神天皇⇔山+宗+示+申
       ・・・摩西
         (モーセ・Moses)?
          or
          耶穌=耶稣 (Yēsū)
         (ヨシュア・Joshua)?
 ↓↑        ↓↑
          第十代天皇
          在位
          崇神天皇元年一月十三日
          ~
          崇神天皇六十八年十二月五日
          和風
          諡号 御間城入彦五十瓊殖
            (互換記・後漢記
                入諺語拾
                  意素爾重?)
              にえ=贄・牲
                =食物の捧げ物
          諱  御間城尊
          別称 御肇國天皇
             御眞木入日子印恵命
            (音信記入比語印頴娃命?
             音信記入比語印英の命?)
             所知初國御眞木天皇
             美萬貴天皇
            (尾万記=古事記・太安万侶)
       疫病は
       大物主の祟りで
      「大田田根子(おほた・たねこ
             おほ・たた・ねこ)
            「ネコ」は尊称?
       大田牛一?
       大傳伝今子?
 ↓↑     ↓↑
       大物主神(大神神社祭神)の祭主
       意富多多泥古命
           泥=淤=沈澱物・淀物
       大直禰子命(大神神社)
       茅渟県(ちぬのあがた)の
       陶邑(すえのむら)出身(日本書紀)
          陶器の村=埴土の村
       若江郡御野(八尾市上之町南)
       河内国美努村(みのむら)出身
 ↓↑     ↓↑
       市磯長尾市(いちしのながおち)
       異地史記長尾?
       倭大国魂神(大和神社祭神)の祭主」
       に任命
       三輪君祖の
       大友主とともに
       新羅から渡来した
       新羅皇子の
       天日槍を尋問するため
       播磨に行くよう
       天皇から命じられた?
 ↓↑     ↓↑
 父親   垂仁天皇
       ・・・基督(蘇我?)
          ヨシュア・Joshua
          耶穌=耶稣 (Yēsū)?
          移鼠(景教表記のイエス)
       ・・・山上の垂訓⇔垂君
          古くは
          ポルトガル語
         「ゼス・ゼズス」
          英語
         「Jesus(ジーザス)」
          中国語
         「耶穌=耶稣 (Yēsū)」
          日本語訳版聖書
          ヘブライ語の
          旧約聖書で
         「ヨシュア」
          ギリシャ語の
          新約聖書で
          旧約の
         「ヨシュア」を除いて
         「イエス」と表記
 ↓↑    ↓↑
     「殉死禁止令」
      4代将軍
      徳川家綱
      寛文三年(1663年)5月
      武家諸法度の公布
      殉死は
     「不義無益」とし
      殉死禁止を
      口頭伝達
      天和三年
      末期養子禁止緩和
      殉死禁止は
      武家諸法度に法制化
 ↓↑   ↓↑
     「卑彌呼
      以死
      大作冢
      徑百餘歩
      徇葬者
      奴婢
      百餘人」
 ↓↑   ↓↑
    垂仁紀二十八年条(日本書紀)
    殉死禁止
    三十二年条
    野見宿禰が
    日葉酢媛命の陵墓へ
    殉死者を埋める代わりに
    人馬の埴輪を立てることを提案
 ↓↑   ↓↑
 母親   日葉酢媛命
     (比葉素秘め見事?)
 皇后   播磨稲日大郎姫
      八坂入媛命
 子女
    櫛角別王
      大碓皇子
      小碓皇子=日本武尊=倭男具那
      成務天皇
      五百城入彦皇子=意補義入諺?
      忍之別皇子
      稚倭根子皇子=若い倭(和)の
                 今の詞?
      大酢別皇子・・大洲(大須)別?
             大須文庫=大須観音
      神櫛皇子
      渟熨斗皇女・・・渟(ぬま)の
              熨斗(のし)
              水引=灌漑用水?
      五百城入姫皇女
      麛依姫皇女
      ・・・麛(ミ)=鹿+弭(ゆはづ)
              弭=やめる
                とめる
             =小鹿
         異体字
        「𪋃・麑・𪋈・𪋗・𪋸・猊」
         狻猊(サンゲイ)
         伝説上の生物
         獅子と同一視される
      五十狭城入彦皇子
      吉備兄彦皇子
      高城入姫皇女
      弟姫皇女・・・音秘目・於菟秘女
      他多数
ーー↓↑ーー
 景行=ケイコウ=景洪・傾向
    鶏口=にわとりの口=鶏の頭
       小団体、組織の長・頭
    鶏口⇔鶏頭牛後
       鶏頭牛尾
      (史記・蘇秦列伝)
    以有尽之地
    而
    逆無已之求
    此所謂
    市怨
    結
    禍者也
    不戦
    而
    地已削矣
    臣聞
    鄙諺(ヒゲン)=卑諺・俗諺・俚諺
            俗な言語上の遊戯
    曰
    寧
    為
    鶏口
    無為
    牛後
ーー↓↑ーー
 けんぱ、ケンパ、ケンパッ、ぱッ・・・
 ・・・???・・・
 神護景雲(ジンゴケイウン)
 767年~770年
 天平神護の後
 宝亀の前
 時代の天皇は
 称徳天皇・・・770年死没
 ↓↑
 ・・・阿倍仲麻呂(仲麿)・・・唐王朝図書館長・・・
  文武天皇二年
  698年
  ~
  宝亀元年一月
  770年
  73歳死没
 姓は朝臣
 筑紫大宰帥
 阿倍比羅夫の孫
 中務大輔
 阿倍船守の長男
 弟は阿倍帯麻呂
 唐名は
 「朝衡=チョウコウ=晁衡」
 ・・・
 霊亀三年・養老元年(717年)
 多治比県守の
 第九次
 遣唐使に同行
 唐の長安に留学
 同次の留学生に
 吉備真備
 玄昉
 がいた
 唐王朝=玄宗皇帝の
 秘書監・衛尉卿
 唐王朝図書館の歴史書を覗き見れる人物で・・・
 「改竄」も・・・?
ーーーーー
  野馬台詩
 (野馬臺詩、耶馬台詩)
 平安時代~室町時代に
 流行した予言詩
 中国
 梁の予言者
 宝誌和尚の作・・・偽書?
 日本で作られた可能性はあるが
 中国で作られた・・・?
 大永二年(1522年)
 東大寺蔵
 『野馬台縁起』
 後の江戸時代の文献にも見られる・・・
 ↓↑   ↓↑
 東海姫氏國(姫=愛姫=伊達政宗の正室
       古代ならば「尾張氏」祖先
      「火明命」
      「継体天皇」の后は
      「尾張連草香(くさか・日下)」
       の女(娘)の
      「目子媛」であった
       他に
      「美夜受(みやず)媛」・・・建の妻
      「世襲足(よそたらし)媛」
      「大海(おおあま)媛」
       等の
       尾張氏出身の后妃がいる
      「熱田神宮」の「春敲門」の
       扁額は『小野道風』が書いた・・・
       尾張の初代藩主
      『徳川義直』は
       親父
      『徳川家康』から譲られた書籍を
      『尾張家文庫(蓬左文庫)』とし
      「岐阜大洲(大須)の『真福寺』」を
       名古屋城下にそっくり
      「大須観音」の地に移転させ
      「大須文庫」を設けた
       にここには
      「『序文』が怪しい
       『現存・古事記』
       の最古の写本」と
       言われているモノが存在
       ボクは
      「古事記」が別な意味で
       妖しいとも考えているのだが・・・
       二第目は
      『徳川光友』で
      「名古屋城」の別名は
      「蓬左(ホウサ)城」とも云った
       この時代に
      「明王朝(中国)」から渡来した
 ↓↑     ↓↑
      「陳元贇(チンゲンピン)」
      「張振甫(チョウシンポ)」
      「曹数也(ソウスウヤ)」
 ↓↑     ↓↑
       などの知識人が尾張藩に
       召し抱えられた
       彼らの名前の漢字・・・
       文字構成の部首も音韻も
       妖しげな名前ではある・・・
      「享保十五年(1730)」に
      「七第目」の
      『徳川宗春』が藩主になった
       名古屋城に入るときの
       行列の
       参列者には藩主の
       長い喫煙「キセル」を
      『小野田玄格』・・・・小野伝の幻覚・玄覚
       なる人物がかついでいた
       彼の尾張藩に於ける
      「文芸政策」は
      『徳川吉宗』
       に批判、対抗するものであった・・・
 ↓↑     ↓↑
 百世代天工(百済の世代の天の工匠)
 右司爲輔翼(倭王の右司、輔翼と為り)
 衡主建元功(衡主=仲麻呂が原稿を建)・・・建=くつがえす?
 初興治法事(初めに治(氵=サンスイの台=ム口)の法の字を興し)
       計其道里
       當在會稽
       会稽東冶之東・・・北緯33°・阿蘇山・横島
 終成祭祖宗(終に祖宗の祭り=神話と成す)
 本枝周天壤(本の枝=本の分冊は、周伝の条・状・嬢=土壌)
 君臣定始終(訓審の始終を定む)
 谷塡田孫走(語句填りて伝え、孫が走る)
 魚膾生羽翔(魚と膾の言葉の翻訳を生む)
       魚=まな
       膾=なます
       貝=かい=甲斐・蝦夷・會・歌意・解
       海鼠(なまこ)・海月(くらげ・水母)
       海豚=いるか=入鹿
       雲丹(うに)
       昆布(こんぶ=恨布)
 葛後干戈動(葛城皇子の後=ゴ=語・后に干戈が動き)
       葛城=中大兄=天智=典詞・点字・展示
 中微子孫昌(中大兄の密かな子の孫が唱す)
  ・・・微=わづか・ひそか=和束、密かな真の子の
             葛野王(かどののおう)
   葛城皇子⇒大友皇子⇒葛野王
   天智天皇⇒弘文天皇⇒葛野王⇒池辺王⇒淡海 三船(御船王)
 白龍游失水(新羅、游びて水=瑞を失い)・・・見ず
 窘急寄故城(緊急・金九・金玖の故城に寄る)
       窘=穴+君・・・阿那の君(訓)?
         穴+尹+口
         宀+八+君
         宀+八+尹+口
         キン
         あわただしい
         きわまる
         くるしむ
         せまる
         たしなめる
         つまる・くるしむ
         せっぱつまる・ゆとりがない
         せわしい・急に
         たしなめる・忠告する・注意する
 黄鷄代人食(阿輩鶏、人を食んで代わり)
 黑鼠喰牛腸(黒い鼠が牛の腸を喰う)
 丹水流盡後(丹の国の水の流れ尽きて後)
       埴土の国
 天命在三公(天命に三公が在る)
 百王流畢竭(百済王の流れ畢(おわ)り竭(尽)き)
 猿犬稱英雄(猿犬、英雄を称す)
       猿(申)-雉(酉)-犬(戌・狗)
        西南   西  北西
       猿女と狼=おおかみ=大神
 星流飛野外(彗星、野外に飛び)
 鐘鼓喧國中(金の童、十の豆の支、語句の中、口+宣)
                 本居   宣長
 靑丘與赤土(青丘、赤い土となり)
 茫茫遂爲空(茫茫、遂に空と為らん)

 原文は「ウィキペディア(Wikipedia)」、その他の検索B・・・
ーーーー
 ・・・???・・・
 景教=ネス・トリ・ウス派のキリスト教・・・
 ネズミの移動⇒コレラの移動
       ⇒コレラ(Cholera、虎列剌)
       ⇒コレラ菌(Vibrio cholerae)

魯魚亥豕(ロギョガイシ)・・・「魯魚」の真名仮名と「亥豕」・・・外史・・・?

$
0
0
 蘇我-入鹿=いるか=射鹿・海豚⇔海猪・・・虎子つけ・・・
 「大日本史」・・・?
 「水戸黄門」=諡号は「義公」        字は「子龍」        号は「梅里」?
        神号は「高譲味道根之命」
 ・・・?・・・T・梅宮・・・
 1938/3/11 ~        2019/12/12
     大運2016年8月(78歳)~2026年8月
                 癸 亥劫財
 戊寅(戊丙甲)偏官・偏官 病⇔ 己 亥正官
 乙卯(甲 乙)傷官・食神 死⇔ 丙┏子偏財
 壬寅(戊丙甲)  ・偏官 病⇔┏癸┏未劫財
 丙午(丙 丁)偏財・偏財 胎⇔┗戊┗午偏官
  辰巳空亡
ーー↓↑ーー
 某TVニュース番組で「猪(いのしし)=猯(いのしし)」が市街地に現れ、人間との捕物を展開し、御用となった映像が放映されていた・・・過去に海峡を遠泳しているイノシシの映像も・・・今年5月ころには北海道では利尻島への羆(ひぐま)の島渡り・・・スゴイなぁ~ッ、自然の中で生きていくって・・・
 「猪(いのしし)」の異字同義の漢字が「猯(いのしし)」ですか・・・
 「瑞皐」って「長英」だった・・・名古屋に「瑞穂区」・・・
 ノーベル賞・・・瑞典(スエーデン)・・・

 ・・・???・・・
 蘇我-入鹿=いるか=射鹿・海豚⇔海猪
 我=われ   鹿=覇王
 蘇=よみがえる=読替える
 十二支に「鹿」は存在しないが
     「猪」は存在する
     「猪」は野生の「豚」であるならば
 入鹿⇔いるか⇔居鹿⇔射鹿⇔海豚⇔海猪
 「蘇我入鹿」は「王=入鹿」に成ろうとしていた
 「蘇我入鹿」は「王=居鹿」であった
 「蘇我入鹿」は「王=射鹿」を暗殺
 「蘇我入鹿」は「王=海豚」であった
 「蘇我入鹿」は「王=海猪=海亥」であった
  ↓↑
 「海猪=海亥→胡亥(エビスのガイ)」
        胡=えびす=夷・戎・蛭子
 「白猪⇔海亥⇔白水郎(あま)の亥=漁師
           海人(あま)⇔胡亥」
 亥豕之譌(がいしのか)
   文字の書き間違
   「亥」と「豕」は
   文字の形が似ていて書き間違えやすい
   「譌」は誤りという意
   出典『呂氏春秋(察伝)』
 ↓↑
 魯魚亥豕(ロギョガイシ)
   文字の書き間違え
   「魯」と「魚」
   「亥」と「豕」
   の字形が似て間違えやすい
   出典『抱朴子(内篇・遐覧)』
     『呂子春秋(察伝)』
   類義語
   烏焉魯魚(ウエンロギョ)
        有縁 呂義与?
   三豕渡河(サンシトカ)
        纂(簒・算)史賭化?
        三誌(三国志)鍍化?
   魯魚章草(ロギョショウソウ)
        侶禦 尚早?
   魯魚帝虎(ロギョテイコ)
        侶禦 綴古?
   魯魚之謬(ロギョのアヤマリ)

  ↓↑
 「亥」は
 秦の
 始皇帝の末子
 「胡亥」
 ↓↑ ・・・子丑寅~卯辰巳~午未申~酉戌亥
   亥=亠(音)+丩(キュウ・ク)+人
   ↓↑     丩=キュウ・ク
           𦱠、糾が属
           縄状のものが
           纏(まつ)わる様
            絡み合う
            瓜(うり・ウリ)が絡まって
            生えている形の象形
           丩+α
           叫・朻・收・㽱・虯
           訆・糾・觓・赳・嘂
           異体字
           𢒥
           丩
           𠃚は〔説文〕の本字
           𢒥は〔類篇〕異体字
   ↓↑      𠃏は〔正字通〕に「俗丩字」異体字
   十二支の十二番目・北北西
   亥刻・亥字・「21←22時→23」
   亥+α
   𠛳=刻
   𠜨=劾
   𡭹=妙
   𡱍=骸
   𡲼(尾亥・ミ)
   㚊(多亥・カイ)
   𢻉(亥支・ガイ)
   𢼵(亥攵・サ)
   㤥(忄亥・ハイ)
   𣴃(氵亥・ハイ)
   㧡(扌亥・ハイ・エイ)
   𥞨(禾亥・ジヱ)=稭=𥟠・𥚺・𥞨・鞂
              秸・䕸・𦷓・𧅡
   𥩲(立亥・ハイ)
   㱾(亥殳・カイ・ガイ)=𣪈
   㱾改(カイカイ)
   大剛卯(ダイゴウボウ)
   精鬼(セイキ)を逐ふ
   殳(シュ)に従ひ
   亥(ガイ)を聲とす
   𦈲(缶亥・カイ)
   𦐤(亥羽・ハイ)
   𧊏(虫亥・ガイ)
   𨀖(𧾷亥・ハイ)
   䀭(目亥・ガイ)
   𨒨(辶亥・ハイ)
   𨠳(酉亥・フ)
   𨽷(亥隶・リアン)
   𩐰(音𠆢亥・ヱ)
   𩠚(首亥・ハイ)
   𩰶(鬲亥・ハイ・アイ)
   䠹(身亥・ハイ)
   䤤(金亥・カイ)
   䬵(飠亥・ハイ・アイ)=餲
   侅(亻亥・カイ・ガイ)=賅・賌・奇侅
        つねならず(非常)
        むせぶ(咽)
   咳(口亥・せき・しわぶき・せく・咳咳
        カイ・ガイ)=𠹛・𠺡・孩
               欬・㜾・䪱
   垓(土亥・ガイ)=畡・該・陔
   奒(大亥・カイ)
   姟(女亥・ガイ)
   孩(子亥・ハイ)=咳・㜾・䪱
   峐(山亥・ガイ)
   晐(日亥・カイ)
   核(木亥・カク)=𣝗・覈・䂭・䃝・礉
            籺・麧・𥝖・𥝬・𥸽
            𥽶・𩅓・𩅢・𪌇
   欬(亥欠・カク)=咳・噫・𤸺・億
   氦(气亥・ハイ)=氜(リ)=陽(ヨウ)
   烗(火亥・カイ)=炌・炏・𤈪・𤉫
   畡(田亥・ガイ・ハイ)=垓・該
   痎(疒亥・ジェ)=疥・㾬
   硋(石亥・アイ)=礙・碍
   絯(糸亥・ガイ・ハイ)
   胲(月亥・ガイ)=䪱・骸
   荄(艹亥・ガイ)=垓・核
   該(言亥・ガイ)=垓・畡・陔
   豥(豕亥・ガイ)=𧱱
   賅(貝亥・ガイ)=侅・賌
   賌(亥貝・ガイ)=賅・侅
   輆(車亥・カイ)
   郂(亥阝・ガイ)
   閡(門亥・ヘ)=咳・𨴢・𨵏
   陔(阝亥・ガイ)=垓・該
   頦(亥頁・ハイ)=𦝣・𩒁
   餩(飠𠆢亥・ヱ)=
   駭(馬亥・ハイ)=駴・絯
   骸(骨亥・むくろ・カイ)=胲・𡱍・䠹
                䯐・𩩏・𩩰
 ↓↑   ↓↑
 始皇帝の末子
 「胡亥」であった・・・
  ↓↑
 「胡亥」の兄は
 「扶蘇(フソ・?~紀元前210年)」
  ・・・「よみがえり=蘇」
      を
     「たすける =扶」・・・蘇我・耶蘇教・基督
  で
  秦の始皇帝の長男であり
  姓は嬴(エイ)・・・
    嬴=吂+月+女+凡
      吂+月+女+卂
      異体字「𡢔・㜲・𦏝」
   「嬴」⇔天渟中原「瀛」真人天皇
           「瀛=氵+嬴」
       大海原・「澤=沢」・池・沼
       籝=籠(かご・ロウ)
       秦王室の姓
  ↓↑   ↓↑

       天武天皇=大海人皇子
       舒明天皇の第三皇子
       母親 宝(財)皇女
       ↓↑(皇極天皇=斉明天皇)
           宝=宀+玉
             宀+王+丶
          「宝=寶=寳=寚」
           寶=宀+珤+貝(目ハ)
             宀+王+缶+貝(目ハ)
           寳=宀+珎+貝(目ハ)
             宀+王+尓+貝(目ハ)
           寚=宀+王+缶
             宀+王+午+凵
             宀+王+𠂉(髪挿)+十+凵(カン・コン)
             宀+三+丨+𠂉(髪挿)+十+凵
             宀+一+十+一+𠂉(髪挿)+十+凵
                  凵=竪穴や箱(函)の象形
                髪挿・簪(かんざし)
                   篸・釵・鈿
                   玉簪(たまぐし)
                   櫛(くし)
                   笄(こうがい)
                   笄=竹+开
                     竹+一+廾
         ↓↑          竹+一+一+丿+丨
         宝(たから=財=宝=寶=寳=寚)皇女
         ・・・「ウ冠は位地拾壹の神挿しの拾(足)の函」⇔皇極
       皇后 鸕野讃良皇女
         (持統天皇)
  ↓↑      ↓↑
    天渟中原「瀛=氵+嬴」真人
    ?~686年10月1日(朱鳥元年九月九日)
      第四十代天皇
      在位673年3月20日
      天武天皇2年2月27日
      ~
      686年10月1日
      朱鳥元年九月九日
      別称   浄御原天皇
      諱    大海人
      和風諡号 天渟中原
           瀛真人天皇
  ↓↑
 「扶蘇」は
  始皇帝の
  後継者とされていたが
  始皇帝死後
  弟の
 「胡亥」
  や
 「趙高」
 「李斯」
  の謀略により、自決した・・・
 後
 陳勝は
 反乱を起こして
 自分は
 「扶蘇」であると詐称

 子嬰(シエイ)・・・嬰=貝+貝+女
        ・・・嬰児(みどりご・エイジ)⇔見取り語・英字?
 秦の最後の君主(王)
 秦王子嬰とも呼称
 秦の王族
 二世皇帝である
 胡亥を自殺に追い込んだ
 趙高を殺害し
 秦王に即位
 後
 劉邦
 に降伏して秦は滅んだ
 項羽
 により一族とともに殺された
ーーーーー
 ・・・???・・・
 三、四コマ漫画の初発・・・?
 袈裟襷文銅鐸・・・形象は前方後円墳?
     平面図は
     「◯+台」形
     「◯+△=○+☖」形=鏡立て?
     側面図は
     「靴」形・・・舄はカササギ(鵲・かさ鷺)
              履物をあらわす字
     正面図は
     「〇+口(台形)=∩+口=半円+口(台形)」

 讃岐
 伝
 香川県出土(東京国立博物館蔵、国宝)
 絵画銅鐸
 トンボ、蜘蛛、カマキリ、スッポン
 魚を咥える鳥
 イモリ・スッポン
 狩人・猪・犬5頭
 イモリ、トンボ
 工字型棒を持つ人
 魚
 鹿・狩人
 脱穀、高床倉庫
 ↓↑
 とんぼ=蜻蛉・秋津・安芸津・商津
 ↓↑
 しか=鹿・志賀・滋賀
 たかみくら=高御座
      =髙床式倉庫(住居・家屋)
 いもり=伊守・井守・位守
 やもり=矢守・守宮・家守
 とかげ=蜥蜴・蝘蜓・石竜子・・・石の竜の子
     十影・・・実体のないラッパー・拾うカゲ
     lizard
     トカゲ=戸陰・敏駆・渡影・トカケ=戶懸
        木戸孝允=桂小五郎
 ↓↑      ↓↑
        天保四年六月二十六日
       (1833年8月11日)
        ~
        明治10年
             (1877年5 月26日)
            大運1884年9月(51歳)~1894年
                  甲 寅 劫財帝旺
  癸┏巳(戊庚丙)偏印・正財沐浴⇔丁 丑
 ┏庚┗申(戊壬庚)正官・正財 胎⇔乙┏巳
 ┗乙 丑(癸辛己)  ・偏印 衰⇔己┗亥
  壬 午(丙 丁)印綬・傷官長生⇔庚 午
    戌亥空亡
 ↓↑         ↓↑
           允=ム+儿
          ・・・ヨコシマなヒト・・・
          まこと・まことに
          允文允武(インブンインブ)
          ゆるす・みとめる・允可・允許
          公平である・つり合う・允当
          じょう
          律令制の
          主殿寮
 ↓↑       (とのもづかさ)などの判官

 工具(かい=櫂・櫨)
 さお=竿・棹
 を持つ人=たくみ=匠・魚師
 マナつり=魚釣り 
 二まな=二尾の魚・・・三尾?
 ↓↑
 杵で臼の
 穀物を
 搗く
 ふたりのヒト
 ↓↑
 かまきり=蟷螂・螳螂
 くも=蜘蛛
 あめんぼう=水黽う
 ぼうふら=孑孑
 ↓↑
 ならぶ=並ぶ
 にわ=二羽
 う=鵜・鸕
 みどり=水鳥
 ついばむ=啄む・嗆・噣
 くわえる=銜える・咥える
 にび=二尾
 まな=魚
 ↓↑
 いのしし=猪・猯
 いつひき=五匹
 いぬ=犬・狗・戌
 ゆみや=弓矢
 いるひと=射る人
 ↓↑
 あきつ=蜻蛉・安芸津・秋津・商津
 うお=魚・肴
 くわえる=咥える
 かめ=亀・龜
 いもり=井守
 やもり=矢守
 ↓↑
 銅鐸は吊りさげて使用された
 「聞く銅鐸」から
 「見る銅鐸」に変遷・・・
 墓からの
 副葬品としての出土例はない・・・
 一部の
 「破壊銅鐸」の出土・・・
 長野県は
 「建御名方神」の後裔が定住・・・
 ↓↑
 1世紀末
 大型化(IV式・突線紐式)
 近畿式
 三遠式
 の二種
 近畿式は大和・河内・摂津で生産
 三遠式は濃尾平野で生産・・・推定
 大型化した銅鐸も音を鳴らした・・・
 ↓↑
 畿内の中心地域から
 弥生時代後期に
 銅鐸使用が消えた・・・ナゼ消えたのか・・・
 形象を替えた・・・前方後円墳・・・?
 鏡の収納函・・・鏡立て・・・?

 ↓↑
 同じ鋳型で
 吉野ヶ里で生産された銅鐸が
 島根県まで移出・・・
 ↓↑
 鳥取県
 稲吉遺跡
 から出土した土器
 ↓↑
 「銅鐸使用」時代
 紀元前3世紀頃~紀元後3世紀頃
 秦の始皇帝
 前漢
 後漢
 三国時代
 ↓↑
 「銅鐸」の名称
 8世紀に編纂された
 「続日本紀」
 和銅六年(713年)
 大和国
 宇陀郡で
 発見された
 銅鐸が献上
 ↓↑
 大倭國
 宇太郡
 波坂郷人
 大初位
 上村君
 東人
 得
 銅鐸
 於
 長岡野地
 而
 獻
 之高
 三尺
 口徑一尺
 其制
 異常
 音
 協
 律呂
 勅
 所司
 蔵之
 ↓↑
 12世紀
 「扶桑略記」
 14世紀
 「石山寺縁起」
 など以後の記録で
 「宝鐸」と呼ばれた・・・
 ↓↑
 財=財=貝+才
   目+八+才(扌=手)
   ザイ
   サイ
   たから
   金銭・価値があるもの
   才能・才知・知能のはたらき
   たつ・さばく・きりもりする
   わずか・わずかに・・・??
 宝=宀+玉
   宀+王+丶
 寶=宀+珤+貝
   宀+王+缶+貝
 寳=宀+珎+貝
   宀+王+尓+貝
 寚=宀+王+缶
   宀+王+午+凵
   宀+王+𠂉+十+凵 
 ↓↑
 銅鐸
 『扶桑略記』
 天智天皇七年(668年)
 近江国
 志賀郡
 崇福寺
 建立
 するのに際に
 発見された記述が最古・・・
 ↓↑
 『続日本紀』
 和銅六年(713年)・・・「倭銅・話同」陸撚
 大和
 宇波郷の人が・・・「宇和島藩(愛媛)」・・・伊達分家
        伊予国宇和島(愛媛県宇和島)
        伊達 秀宗= 伊予国
              宇和島藩初代藩主
 長岡野において発見した・・・記事
 ↓↑
 『日本紀略』
 弘仁十二年(821年)
  ・・・「公認・後任・光仁」壱拾弐撚?
 播磨国で掘り出され
 「阿育王塔鐸」
  ・・・阿(おもねる)が
     育(そだてた)
     王=一+十一=おう・ワンの
     塔=土(十一)+荅(艹+合・こたえ=答)
     鐸=金+睪(さわ・タク)=鈬
         澤=氵+睪=沢=佐波・佐和
         睪=尺
         佐波遅姫=狭穂姫命(日本書紀)
         沙本毘売命=佐波遅比売命(古事記)
     ?
 とよばれた・・・
 ↓↑
 『古事記』
 小豆島の別名
 大鐸姫・・・大(一人)の鐸(金睪)の姫(女臣)
       意富    鐸=鈬⇔譯=訳  秘め
   ↓↑              欽譯・・・欽定譯聖書?
 欽定譯聖書
 国王の命令によって翻訳された聖書
 単に「欽定訳」と言った場合
 「ジェイムズ王訳
 (King James Version
  Authorized Version)
 1611年刊行の英訳聖書
 拾六・拾壱・・・壱拾陸・壱拾壱
 1+6+1+1=9=玖
 1+6=7=漆
 1+1=2=弐・貮=一+弌+貝(目ハ)
 が記録
ーーーーー
 ・・・???・・・
Viewing all 2189 articles
Browse latest View live